捌かれる世界

第二十話 青い空が連れてきた女の子(中編)

presented by ながちゃん


 注意 

本話の後半部分(入学式のシーン)には所謂スカトロ描写がございます。
これが苦手の方は予め回避されることを強くお勧め致します。



ここは日夜良からぬことを企む悪の中枢、ネルフ本部の司令室。補助灯以外に明かりはなく、いつにも増してそこは薄暗かった。悪は闇を好むとは、よく言ったものである。
さて、部屋の主は長らくここを留守にしていたが、つい先ほどこの馴れ親しんだ場所への復帰を果たしていた。
ターミナルドグマの一件も落着し、さて懸案の敬老会対策でも考えようかと思っていたところ、しかしその顔はどこかパッとしない。何かが頭の隅に引っ掛かっているような、そんな表情だった。だったのだが、

「ぬおっ、思い出したぞっ!!」

突然その部屋の主、鬚面強面の男が叫び声を上げた。

「…帰ってきた早々、何だ藪から棒に?」

隣に控える、しかし半ばうつらうつらしていた老参謀が迷惑そうに顔を顰めた。今はまだ未明なのだ。その辺の事情から年寄りにはかなり堪えたようであった。

「は、話の続きだ話の!!」

と、男はバンバンと机を叩く。

「話の続き?」
「サードのことだ!!」
「サード?」

首を捻る老人。ここまで言ってもわからない。

「サードを拘束するとかしないとか、証拠を出せとか出さないとか、言っていたではないかっ!!」
「……」

暫しの沈黙の後、

「おお、そうであったな!」

ようやく思い出したのか、彼はポンと(心の)手を打つ。
ほどよく棺桶に片足を突っ込んでいるから、きっと脳細胞が程よく傷んでいるのだろう。

「スマンスマン、ここ最近物忘れが酷くてな」

と笑って誤魔化す。

「それで、その証拠とは何だね?」
「お前だって俺の傷を見たハズだ! 今でこそ消えてるがそれが証拠だ! 何だったら腹の傷が証拠でも構わん!」
「で、しょっ引けと?」
「そうだ!」
「ふう………………馬鹿だろ、お前?」
「な、何だとっ!?」

馬鹿と言われて怒らない馬鹿はいない。

「まさか憶えてないのか?」
「何をだっ!?」
「サードには不逮捕特権がある、ということをだ」
「あ」
「その顔……お前、本気で忘れていたな?(汗)」

老人は呆れ、冷たい視線を注いだ。

「仮にお前の話が全部事実だったとしてもだ、容疑者であるサード本人に表立って手を出すことは不可能。 警察も、そして我々ネルフもな。 なら、裏で隠れてということになるが……お前が極秘裏に企てた拉致計画も、悉くが失敗しておる」

老人はお手上げとばかりに肩を竦ませた。

「どうだ碇、わかったか?」
「……ふ」
「ふ?」

うまく聞き取れず、耳を近づけようとしたら、

「ふざけるなーーっ!!!」
「ぴぎゃっ!」

突然、男がぶち切れ、咆哮を上げた。当たり前だが、老人に塞ぐ手はなく、それは至近距離で鼓膜にきた。

「そんなっ、そんな理不尽なことがあってたまるかっ!!」
「ぐうううっ……そ、そうかぁ? 私から見れば、いつものお前のほうがよっぽど理不じ──」
「何か言ったかっ!?」

ギロッと睨まれた。

「いや、何でもないぞ(汗)」

口は災いの元であった。





「何が法だっ! 何が治外法権だっ! 犯罪者を庇うなど──そんな法など無用だっ!」
「気持ちはわかる。 だがな、そもそも我々ネルフが好き勝手できるのは、その法に守られているからだ。 法あってこそのネルフの特務権限なのだ。 考えてもみろ。 ここネルフ本部にしたって、この国にその治外法権を強いている側なのだぞ。 こっちのはいいが、向こうのは駄目、我慢がならない、許せない……それじゃあ世論は納得せんよ」

上官の感情論に正論を以って諌める副官。議論は今もなお続いていた。

「自分の都合のいいときだけ法を盾にし、都合が悪くなれば曲解し、破る。 もしそんなことをしてみろ? ネルフの正当性すらも根底から揺るがす事態になるのだぞ? 我々が掲げるは法治主義であって、絶対主義ではないのだ」

得々と諭した。しかし、

「──う、うるさいっ!!」
「うるさいって、お前…(汗)」

男は聞く耳持たなかった。その顔は紅潮し、だいぶ興奮しているのが見てとれる。
老人は知らないことだが、そもそもこの男が目指しているのは、偶然にも老人が今否定したばかりの絶対主義──つまりは世界征服なのだ。如何に正論と雖も、受け入れられるものではなかった。

「お前にわかるか冬月? あの痛みを、あの屈辱を? 俺が……この俺様が、徹底的にコケにされたのだぞっ!! 地に這わされ、足蹴にされ、体もプライドも何もかもがズタズタにされたのだっ!! わかるか冬月っ!!」
「……」
「親が、親が子に侮辱されたのだぞ!! 許せるか? 許せないだろう? おう、絶対に許してやるものか!! あやつにはキッチリ目に物見せてやる!! でなければ俺の気がすまんっ!!」

鬼気迫った鬚の主張。まさに独壇場。その気迫に圧されて老人は暫く何も言えなかったが、それでも何とか口を開こうとする。

「少し冷静にならんか! お前がサードを憎むのは勝手だがな、それでネルフを巻き込むのは……やはりどうかと思うぞ?」

それが副官としての精一杯の諫言だった。

「黙れ冬月っ! お前、まさかこの俺が公私混同して、物を言っているとでも思ったかっ!」
「…違うのかね?」
「ぬっ、当たり前だぞ!! えーとえーと、そう!! このままではネルフにも影響が出るっ!! それを憂えているのだ俺はっ!! あやつへの私憤など二の次なのだっ!!」
「…ふーん」

それは丸っきり信用していない目だったが。

「と、兎に角だ! これ以上サードを野放しにすることは罷りならん! ならんといったら絶対にならんのだ! そもそもサードのことは老人たちにも催促されておったことだ! 故にマイナスポイントは極力潰しておかねばならん! 唯でさえ今は、ダミーシステムやダミープラグの開発が遅れている状況というに…………ぬ、ダミー?」

自ら発したダミーという言葉に、頭の隅で何かが引っ掛かったのか、男は首を傾げた。

「……はて? 何かとても大事なことを忘れているような気が? ダミー?…………ダミー…………ダミープラグ?…………ダミースペア…………ぬおぅ!!?」

突然、男が奇声を上げた。

「どうした?」
「ふふふ、冬月ぃーーーっ!!」
「ぐわっ!?」

いきなり「また」首を締め上げられた。

「レイはっ、レイのやつはどうしたーーっ!?」

思い出したように問い詰める男。片や被害者はというと、酸欠で目を白黒させ始めていた。

「ぐうぅ……レイ、だと…!?」
「そうだっ!!」

グググッ!

「ぐっ、ぐえぇっ!? 待てっ!! 絞めるなっ!! チョークチョークっ!! 息がっ、息ができ──!!?」

一分後、

「さあ言え」
「ぜぇーはぁー、ぜぇーはぁー」

だが老人はすぐには答えることができない。顔を真っ赤にして、今は必死に肺に空気を出し入れするのに忙しかった。この爺さん、あと少しで棺おけに残りの足を入れるという貴重な体験をしたらしいが、どうやら落ちる寸前で解放されたようである。

「──ワッ、ワシを殺す気かぁっ!?」
「そのつもりはない。 さあ早く言え」

加害者はまったく悪びれてなかった。

「ったく……レイならここ数日姿を見ておらん。 お前が大怪我をして入院した後も、暫くはネルフに顔を見せていたハズだが、いつからだったか、ネルフに来なくなった」
「来なくなっただと!?」
「ああ……そういえば先日、何か赤木博士と言い争っておったな……今思えば、それからバッタリ姿を見せなくなった。 うむ、間違いない」
「言い争い!? 赤木博士とか!? いったいどういうことだっ!?」
「そこまでは知らんよ。 ま、何にしても今日は遅い。 その辺のことについては明日……というか、もう今日だが、赤木博士本人に確認してやる。 居場所についてもそのとき調べる」

だから今日はお疲れさんと回れ右して部屋を出た。

「今調べろ」

…出ようとしたのだが、男に阻まれた(汗)。

「む、無茶を言うな! 今何時だと思ってる! ワシは眠いんだ! ちったあ年寄りを労われ!」
「俺様は眠くない。今調べろ」

そりゃ、一週間ぶっ通しで寝てれば眠くないわな(汗)。

「お、おい、いい加減にし──」
「今調べろ」

男の手がやおら老人の首に伸びる。

「っ!? あ、赤木博士も今は休んでいるんだぞ! さっき仮眠をとりたいと連絡があったばかりなんだ! 彼女、七徹明けなんだぞ! さすがにそれは酷だろうが!」
「い〜ま〜し〜ら〜べ〜ろ〜!!」

むぎゅう〜〜!

「ごわっ!? わっ、わかった! わかったから、首から手を離してくれぇっ!」





十数分後、白髪混じりの老人は、やや呼吸不全に陥りながらも、目を閉じ精神を集中し、マッド印のヘッドギア経由で手元の端末を操作していた。この棺おけに片足突っ込んだ老人こそ、特務機関ネルフの副司令職にある冬月コウゾウその人。赤いちゃんちゃんこが似合う六十歳である。

「まだか?」
「後もう少しだ」
「…早くしろ」
「わかっておる」

鬚面の男の催促を軽くあしらうと、再びモニターへと視線を移す。
車椅子のサイドに固定されたそこには、指示された探知プロセスの高速ログが忙しなく流れていた。
この作業に先立ち、別途、赤木博士への取調べも行われていた。
ただ、わざわざ本人を出頭させるのも酷だということで、それは電話での事情聴取という形で簡潔に済まされていた。無論、冬月の計らいである。それでも案の定というべきか、電話口での彼女はだいぶ眠そうでフラフラだったらしい……気の毒な話だった。

ピッ──

そしてモニター上のマップに、一つの赤い光点が示された。

「うむ、わかったぞ。 なるほど……どうやらサードの家にいるようだな」

ガタッ!!

「シッ、シンジの家にだとっ!? こんな真夜中にかっ!?」

椅子から飛び上がった男の顔は青ざめ、ひどく狼狽していた。どうも想定外のことだったらしい。

「ああ、レイの携帯電話の反応が確かにある。 どうやらアパートを出払って、サードの家に上がり込んだみたいだな」
「上がり込ん──!?」

男の顔色がみるみる変わった。

「しかしまだ中学生というに、一つ屋根の下での共同生活……フッ、何とも羨ましいかぎりだな?」
「っ!!?」

悪意のない何気ない言葉だったが──それはトドメの言葉だった。

(ひ、一つ屋根の下でだと!? それは普通、同棲って言うんじゃ──!? マズい、そりゃマズいっ!! マズすぎだっ!! このままでは、このままでは──)

……
………
…………
薄暗い部屋に二人きり。中央には一組の布団。枕は二つ。
その中で、お互い生まれたまんまの姿で見つめ合う。

「──碇クン、きて…」
「うん……いくよ?」
「──(コク)きて」

ズッと突き入れた。

「──くっ、あ…痛っ!」
「ゴ、ゴメン! 痛かった?」

しかし健気にふるふると首を振る少女。

「──平気、だから……ひと思いに……きて」
「…わかった」

意を決め、そしてググッと一気に障害突破。

「あっ、あーーっ
…………
………
……

「ぬがぁーーっ!!! いっかーーんっ!!! このままではレイがっ、俺様のレイが取り返しのつかないことにっ、中古品になっちまうーーッ!!!」
「い、碇っ!?」

いきなりの上官の豹変に面食らう老参謀。

「今すぐだっ!! 今すぐ俺様の許に連れて来いっ!! すぐにだっ!!」
「は? 連れて来い? レイをか? だがどうやって?」
「場所はわかっているのだっ!! 強行突入すればいいっ!! ええい、早くしろっ!! グズグズするなっ!! 手遅れになってしまうではないかっ!!」

何が手遅れになるかは言わずもがな。
しかしその言葉は冬月を落胆させるに十分だった。

「まさか踏み込めというのか!? あの屋敷に!? あの治外法権の敷地内に!? 正気か!? いや、訂正しよう…………お前、頭は大丈夫か!?(汗)」

老人は本気で心配した。





「…あの屋敷内に秘められた戦闘力は未知数だ。今まで何人ものこちらの手の者が行方不明になっておる。それでもやるのかね?」
「と、当然だっ!」

男は一向に折れない。

「そうか……なら止めん」

ふうと重い息を吐き、

「だがやるからには、極秘裏に進めることが絶対条件だ。何せこちらがやろうとしていることは明らかに違法行為、国際法違反なのだからな」

と忠告した。

「誰にも知られるな。屋敷内の人間には特にだ。大音を立てたら一発でバレるぞ。姿を見られてもダメだ。監視カメラに撮られてもアウトだ。一切の証拠を残すな。慎重に慎重を重ねて行動しろ」
「や、やけにハードルが高いな…?(汗)」

あまりにもシビアな条件に、冷や汗を掻く男。

「これでも足りんくらいだ。いいか? 万が一、事が露見すれば、ネルフとて唯ではすまん。よくてトップの罷免、下手をすれば組織の解体だ」
「何っ!?」
「その覚悟が貴様にあるのなら……もう私は止めんよ。やるがいい」

それが老人からの最後通牒、脅しであった。

「うぬぬぬ、それはちとマズイ…」
「なら、短絡的になるな。もっと冷静になれ。そして頭を使え。お前の首の上に付いているソレは飾りか?」
「……」

数分の冷却時間を消費した後、

「引き渡しを要求する」

男は少しは頭が冷えたのか、机に両肘を立て、鼻下で両手を重ねると、何の抑揚もない声で端的に告げる。

「あれはネルフの、私の所有物だ。これは至極正当な要求だ。相手も無下にはできまい」

落ち着き払った自信あり気な口調とは裏腹に、男の表情はそのサングラス越しからは窺うことはできない。しかしこれが本来の彼のスタイルなのかも知れなかった。
だが、冬月の反応は冷淡なものだった。

「冷静になったことは褒めてやろう。だが、数分考えて出した答えがそれかね?」
「…何が言いたい?」

ギロリと睨むが、相手は怯まない。

「拒否されたらどうするんだ?」

問う冬月。

「フッ、何を言うかと思えば…」

やれやれとばかりに男は失笑する。

「そうか? あのサードがレイを引き渡すなど、ワシには到底思えないんだが?」
「したい、したくないの話ではない。先ほど無下にできぬと言っただろう? 相手は正当な理由もなしに未成年の婦女子を監禁・拘束しているのだ。その上で、保護者(注:自分)の解放を求める声を無視してノーと言い張ればどうなるのか……そのリスクをわからぬ馬鹿者でもあるまい?」

ニヤリとほくそ笑んで大仰に続ける。

「もしそんなことをしてみろ? お前の言う世論とやらが黙ってはいない。そして我々にとっては逆にチャンスだ」

至極自信あり気な、してやったりの表情。

「先ずはご近所中でシュプレヒコールを大々的に展開、ネルフ総動員で誹謗しまくって、さらに世論を焚きつける。当然、世論は我々に同情し、味方するだろう。次いで日本国内を動かし、国連を介し、最終的には背後にいる国家の吊るし上げだ。この次元ともなれば、あれの持つ他国の国籍や外交官の身分など、もはや意味を成さない。逆にあれを庇う国家は窮地に陥ることになる」

そして甚く満足気な顔。

「結局は、自国保身という理由から、サードはスケープゴートに出されるのがオチだ。あらゆる身分を剥奪されてな。そこでチェックメイトだ」
「……」
「丸裸となったサードなど、所詮は唯の子供……後は我らネルフの思うがまま……ククク」

そこで高説は終わった。

「…ふむ、なるほど。お前にしては実に良く考えたシナリオだ」
「フッ、見くびられては困るな」

フンと鼻を高くした男。

「あ〜、しかし何だ……一つ疑問というか、質問があるんだが……いいかね?」
「言ってみろ」
「亡命してきたので保護しました──そう主張されたときはどうするんだ?」
「何っ!?」

どうやら完全に想定の遥か外を行く言葉だったようで。

「因みにこれもお前の言う至極正当な理由ではあるんだがな……尤も引渡し拒否の、だがね」
「……」
「元々あそこは某国大使館の出張所たる扱いなのだ。別に不自然なことではあるまい? 十二分に考えられる事態だよ」
「……」
「さて、どうするんだ?」
「…駄目だ」
「は?」
「それは駄目だ。 ノーサンキューだ。 レッドカードなのだ」
「ちょ、おま──」

「あーもういいっ!! 構わず踏み込めっ!! 強行突入だっ!! 今すぐレイのやつを掻っ攫って来いっ!!」
「…壊れた瞬間湯沸し器か貴様は?(汗)」

論理破綻した途端、ごっそり冷静さを喪失……しかも、ループ(汗)。
また一から説明なのかと、暗澹たる気持ちになった老人は、その場でコメカミを押さえた。





「──うむ、お前の話はよくわかった。 なら、何とか友好裡に誘き出す、というのはどうだ? これなら問題なかろう」
「…まぁ、無難な線だな」

冬月はそう答えつつも、今度こそループを抜けるフラグが立って先に進めますようにと、切実に神に祈った。あれからまた十数分が経っていたのだ。眠いのだ。

「で、どんな理由で呼び出すのだ?」
「……」
「どうした?」
「……」

しかし男は無言のまま。

「……まさかとは思うが、『出て来い、これは命令だ』の一言で済ませる気じゃないだろうな?」
「……………………(汗)」

図星だったようだ。

「…お前な、ちったあ考えんか!」
「──ぬっ、馬鹿にするんじゃない! 俺だって、俺だって考えているぞ!」

嘘です。頭の中は真っ白です。

「ほう……なら言ってみろ」
「うぬぬぬっ」
「ほれほれ、どうした? 言ってみぃ」

明らかに足許を見られていた。
しかし焦る気持ちとは裏腹に、なかなかに考えは浮かばない。

「くそっ、えーとえーと……そうだ! この俺が危篤だと知らせるのだ! そうすればきっと──」

我ながらナイスな妙案と思いきや、

「あー、悪いがそれならもう伝えてある。お前が大怪我を負った次の日だったかな」
「何っ!?」

初耳だった。

「コホン──生きてたの? チッ、しぶとい──だ」
「は、はい?」

いきなり老人の口から、声色を使った気色悪い言葉が発せられ、男は固まった。背筋がヒンヤリとする。

「だからレイの言葉だよレイの言葉!」

やるんじゃなかったと、赤ら顔の冬月。

「レイの?」
「そうだ。 ただ一言『生きてたの? チッ、しぶとい』だ。 それだけ告げて、電話は切れた」
「なん……だと?」

だが男は告げられた言葉を受け入れられない。目は泳ぎ、激しく動揺しているのがわかる。

「何かこう、お前が生きていたことがすごく残念というか、そんな感じだったな。 実際、それを裏付けるかのように、レイは一度たりともお前の見舞いには来ていない。 明らかに避けられているな、これは。 今さら言うのも何だが……お前、レイに何かしたのか?」

ええ、強姦未遂を少々ですが(汗)。

「…嘘だ」

男は茫然自失な表情でポツリと呟いた。

「嘘じゃない。 事実だ」
「嘘だ」
「だから嘘じゃないというに」
「嘘だ」
「しつっこいわっ!!」

三歳児かおのれはっ!
だが少なくとも、また冷却時間が必要になったことは確かだった。

「──兎に角、その辺は行ってから考えればいい。 今は時間が惜しい。 間違いが起こってからでは遅いのだ」

鬚面の男はそう主張する。

「…間違いだと? そういえば貴様、さっきから何を焦っている?」
「ぬ、それは…」

口篭った。
さすがにレイの貞操の危機とは言えなかったようだ。

「また答えんか……まあいい」

今に始まったことではない。一つ溜息を吐くと、

「呼び出す口実云々はさておくとして……まさかこの時間に行く気かね?」

ちらと窓から覗く外の景色は完全無欠に真っ暗だ。夜明けまで、あと三時間半といったところか。

「やめておいたほうがいい」
「馬鹿を言え」
「真夜中だぞ? お前は目が冴えているかも知れんが、世間様は今は寝てる時間なんだぞ?」
「それがどうした」

我関せずと、男は首を縦に振らない。しかし、

「ふう……まさか呼び出してスンナリ出てくると思っているのか? まず確実に警戒されるぞ?」
「ぬっ」
「レイの心証も悪くなるな……あれは低血圧だからな」
「ぬぬっ」
「悪いことは言わん。 今は陽が昇るまで待ったほうがいい」

それは忠告だった。

「しかし昼間だと余計に人目が……第一、あれの貞操の危機が…」
「夜中に押し入るよりはよっぽどマシだ! とにかく頭を冷やせ! 今のお前では確実に失敗する! いいな!」
「ぬう…」

こうしてファースト・チルドレン奪還作戦の真夜中敢行は中止となった。飽くまで真夜中敢行は、であるが。

「…やれやれ、ようやく休めるか」

肩の荷が下りたのかホッと一息吐く。気が緩んだら、途端に睡魔が襲ってきた。

「私はこれから仮眠をとるが、お前も今は眠くなくても少しは寝ておけ。 肝心なときに眠くなったでは敵わんからな」

そう言い残して、老人は部屋から出て行こうとしたが、

「おいコラ待て」

呼び止められた。

「は? 何だまったく?」
「冬月……お前、肝心なこと忘れているだろ?」
「は?」
「サードのことだ」

その一言でようやく思い至る。

「殺せ」
「何?」
「サードを、シンジを殺せ──ポアしろ」

眉一つ動かさず言い放つ男の非情な言葉に、思わず目を瞠る冬月。

「…それはまた随分と穏やかじゃないな? 息子にやられた腹いせかね?」

だとすれば何と度量の小さい男だろうか。

「特殊監察部から人員を割く」
「特殊監察部?」
「そうだ」

つまり、そこの人間にサードを殺害させるということか。

「だが、彼らは一度か二度、サードの拉致に失敗していると思ったが?」

しかも未帰還。

「今度は選りすぐりを向かわせる。 殺し専門のプロ中のプロをな。 奴らは引き受けた仕事は必ず成し遂げる。 証拠すら残さん」
「ふむ…」

確かに拉致に比べて暗殺のほうが格段に手っ取り早い。遠方からの狙撃なら一瞬で終わる話だ。
かつてのネルフもその勃興期においては数多の政敵や非協力者を殺してきており、今さら二の足を踏むようなモラルは持ち合わせてはいない。

「結果、レイの心の拠り所は完全に失われ、我々にとっては一石二鳥となる」
「しかし、それでゼーレの老人たちは納得するのかね?」
「問題ない。 むしろ奴らはサードを排斥したがっていた」
「そうなのか?」

これは冬月にとっては意外だった。
あれほどシナリオに拘り続けてきた彼らが、今になって態度を翻したのだ。だが裏を返せば、それほどまでにサードの力に言い知れぬ脅威を感じたということか。

「だが初号機の、ユイ君の覚醒はどうするのだ? やはり必要な駒だぞサードは」
「ダミープラグが完成すれば不要だ」
「レイでは起動すらできなかったではないか!」

今のレイでは初号機はおろか零号機さえ動かせない。
そんな彼女をベースにした代物であの女性を騙せるのかは正直疑問だった。肝心要のその虎の子も、素体を軒並み破壊された今では、完成するのかさえ怪しい状況だ。
よくよく考えてみれば、現時点でエヴァを動かせるのはサード唯一人であるという事実。セカンドはここ日本にはおらず、弐号機に至っては完成すらしていない(注:同時期に建造を始めた参号機のほうが竣工が早かった)。
もしこの状況で使徒が襲来すれば間違いなくアウトだ。ネルフに打つ手はなかった。第五使徒のときのような幸運は望めない。
無意識的に考えないようにしていたが、やはりネルフにはサードが必要と思われた。
これが冬月という老人の考え……そして不満と失望でもあった。

「何とかなる。 そのための赤木博士だ」
「彼女一人に丸投げか!? そりゃいくら何でも無責任だろう!」
「大丈夫だ。 俺を信じろ」

何が大丈夫なのか激しく意味不明だ。
そして結局、男が折れることはなかった。

「やれやれ…」

老人は重い諦めの息を吐いた。こうなったらこの男は梃子でも動かないのだ。

「もしこのことを、あのシンジ君ベッタリのユイ君が知ったら、どう思うことやら…」

そりゃ怒り狂うに決まってるだろ。

「もう一度だけ訊く。 どうしても退けんか?」
「くどい!」
「…懐柔の目はなしか。 そのほうがうちにとっては得策なんだがね」
「あれは敵だ。 絶対に味方にはならん。 それにあれは人間じゃない」
「人間じゃない? サードがか? ほう……証拠でもあるのかね?」
「全ては心の中だ。 今はそれで良い」
「…またその決まり文句かね……つまりないんだな?」
「問題ない」

あるだろ普通(汗)。





〜翌朝、第三新東京市・郊外、シンジ邸〜

チュンチュン、チュンチュン

《朝〜、朝だよ〜》
《朝ご飯食べて学校行くよ〜》

ポチッ──

『ふあああ〜、よく寝たぁ〜』

目覚まし時計を止めて伸びをする。
カーテンの隙間から覗く眩しい陽射しと小鳥の囀りが次第に頭を覚醒させ、その幼くキュートな白いふわふわの両手で寝起き眼をごしごしと擦る。
窓向こう、ベランダの軒下では数羽のスズメが仲良く戯れていた。
天気は快晴、気温・湿度ともに申し分なく。本当に気持ちがいい日曜の朝である。

『うんしょ』

精一杯二本立ちして窓枠に手を掛け、ガラス越しに顔半分を覗かせ、

『ん、おはよう小鳥さん。 今日も僕は元気だよ』

と、尻尾をふりふり、種の違う小動物にさえ挨拶を忘れない律儀さ。
そのうち『妖精さんおはよう』とか『こんにちは壁さん』とか、幻想種や無機物にも挨拶をかます日がやってくるかも知れない。

そして体もオツムの中も真っ白な仔猫の場合──

僕の名前はシロ。
ホントは碇シンジという立派な名前があるんだけど、今は理由があって譲ってやっている。まあ僕は僕だ。気にしない。だって器が大きいからね。
キュートでお茶目、しかも健気。下は小さなお子様から上は大きなお友だちまで、ご近所ではこよなく愛されてるこの家のアイドルさ。
今は不遇な日々を耐えているけど……いつか天下とっちゃるっ!!
階段を下りて、まず顔を洗ってから、台所の炊飯器のスイッチを入れる。それから牛乳と新聞を取りに外に出る。これが僕の日課だ。別に誰に言われたわけでもない。

『よっこら、しょ……ん?』

玄関のドアを開けたら、目の前に見知った女の人が立っていた。

「あら……シロちゃん、早いのね」
『あ、委員長のお母さん』

ちょっと吃驚。
だってそこには洞木ツバメさんがいたのだから。紺の着物姿がとっても似合ってる。向こうもちょうど呼び鈴を押そうとしてたみたいで、いきなりドアが開いて多少驚いた様子。
あ、そうか。田舎から戻ってきたんだ。
ツバメさんは、僕の脇に挟む新聞、それに足元の牛乳を見るや、

「あら、もしかしてお手伝い? ホント猫ちゃんなのに感心ねえ〜」

と、頭を撫でられた。少し気恥ずかしかったけど、気持ちが良かったので、されるがままにしていたけど。

『──ん、あれれ?』

彼女の両手のところに目が行った。
そこには苺ショートをデザインしたみたいなロゴ入りの紙袋。テレビでも有名な某洋菓子店のやつだ。
そっか、きっとお土産だね♪
てなわけで、視線はそこに釘付け。

『ジぃーーッ(まじまじ)』
「ん?」
『ジぃーーッ(尻尾ふりふり)』
「えーと…」
『ジぃーーッ(じゅ、じゅるり)』
「あ、これのことね?」

合点がいったのか、女性は微笑みながら紙袋を持ち上げた。

「フフフ、つまらない物ですけど、後で皆さんで召し上がって下さいね」
『…へ?』

ハッとして顔を上げると、目の前には天使のように微笑む女性の顔が。

『──しっ、しまったぁーーーッ!!』

やっちまったー!(泣)
これじゃ意地汚い子供と思われても仕方がない。いやきっと思われたに違いない。
や、やり直しを要求するーーっ!

「おうちの人は……って、まだお休みなのかしら?(汗)」

ツバメさんは家の中の薄暗さと物静かさに、自分の腕時計を確認しながら、少し恐縮している様子。
…ほっ、よかった。どうやら気にも留めてないみたい。うん、この調子で完全に忘れて欲しい。

「ゴ、ゴメンなさいね……ちょっと早く来すぎたみたい……(汗)」

彼女は申し訳なさそうに苦笑い。
でも早いたって、とうに七時半を回ってるし、そんなに畏まらなくていいと思う。
第一、シンジは僕が目覚めたときには、もう隣にはいなかった。外出したとは思うけど、行き場所は知らない。彼は早朝から行方不明になることがしばしばあるのだ。
もう少し早い時間なら、徘徊癖のある痴呆老人Sってとこだけど……うん、歳は50億年を超えてるんだから、我ながらナイスな喩えだね。
まあ、行方不明たって、大抵朝ごはん前に帰ってくるから、誰も心配してないんだけどね。
あと、綾波もとっくに起きていて、僕がリビングに下りてきたときは、ソファーで単行本を読んでいたし。
この家の住人は皆、朝が早いのだ。
…約一名を除いてだけど(汗)。

ひょこ──

そのとき門柱の影から誰かが顔を覗かせた。

『あ』
「もうヒカリ! いつまでも隠れてないで出てきなさい! 失礼でしょう!」
「…う、うん(////)」

おずおずと出てきたのは委員長その人だった。珍しく私服姿だ。

「おはよう、シロちゃん」

挨拶されるや、手で顎の下をゴロゴロされた。
ごろにゃーん
これって快感なんだよねえ。思わずエビス顔になっちゃう。

『二人とも、歓迎するよ♪』

ささと、ボディーランゲージを駆使して、我が家の中へと誘う。つまるところ、おいでおいでの手招きだ。

「…えーと、何を言っているのかわからないけど……たぶん中に入れということかしら?(汗)」

普通の人間に猫語はわからない。だからウンウンと頷いてやる。

「…そ、そうみたいね(汗)……あ、でも家の人はまだ寝てるんじゃ?」

奥の静まり具合にそう思ったらしい。
実際、起きてるのは綾波だけだし(シンジは留守)、その彼女も普段から大人しく、気配すら感じさせないときもあるから、無理もないけど…。
僕は少し考え、一肌脱ぐことにした。
先ず、一度地面に仰向けになり、目を閉じた。暫くしてからパチリと目を開け、ガバッと上半身を起こす。そして大きく腕を伸ばし、ふぁ〜と欠伸をしてみせた。

「…えーと、これって、もう起きてるって意味かしら?(汗)」

すかさず、ウンウンと頷いてやると、ツバメさんは言葉もないようだ。自分じゃわからないけど、やっぱ普通の猫としてはそんなに変なのかな?

「フフフ、シロちゃんはね〜、すっごく頭がいいのよ〜? ほらお母さん、早く早くぅ〜♪」

戸惑うツバメさんの手を取ってグイグイと中へ引っ張る委員長。彼女は意外と免疫があるみたい。

「え? ええ、そうね。 それじゃシロちゃん──」
『へ?』

すれ違いざま、彼女は一度足を止めると、くるりと僕のほうに向き直る。一転して真面目な表情。そして、

スッ──

「これから暫くお世話になります」
『!?』

ツバメさんはこちらが恐縮するくらいに深々と頭を下げた。高が猫であるこの僕にだ。
感動した!感動したよボクぅ!
理想の母親像だよ。美人で優しくて、それでいて思いやりがあって、ふんわりとお母さんの匂いもして……正直、委員長が羨ましいよ。
せめて彼女の半分の謙虚さを、うちの黒いの(注:まだ寝てる)にも身に着けて欲しかった。…もう手遅れだけどね(汗)。
ツバメさんの手荷物は意外に少なかった。
調度品とかの大きいものはもう既に部屋に運び込まれていて、足らない分は後で娘さんたちと一緒に買い揃えるんだと思う。その辺の支度金はシンジから十分に渡されているみたいだし。
彼女には一階にある客間の和室が用意されているみたい。客間といっても、江戸間で二十畳はあり、広めのベランダも付いてて豪華。冷暖房完備はもとより、キッチン・バス・トイレ付きの、日当たり良好、駅から徒歩三分、この家でも指折りの優良間取りだ。
片や、僕とシンジの寝室は二階の隅にある六畳ほどの洋室。別に狭くはないけど、広いとも言えない。
でも、全然羨ましくはない。
貧乏暮らしが長かったせいか、これ以上広い部屋を与えられても落ち着かないというか、何というか……自慢じゃないけど、布団を部屋の端っこに寄せないと寝つけない自信がある……ホントに自慢じゃないや(汗)。
因みにあのシンジも同様に貧乏性。ま、元は同一人物だからね。
少し話が逸れちゃったけど、ツバメさんも最初は恐縮して、もっと狭くて日当たりの悪い部屋で構わないって固辞したんだけど、それはシンジが譲らず押し切った。
これだけ広けりゃ、娘さんたちが泊まりに来ても十分だろうね。布団も十分あるし。

トントントントン──

台所から聞こえる小気味よい包丁のリズム。次いで懐かしい味噌汁の香りが漂ってきた。
ツバメさんは家人──といっても綾波一人だけど──に丁重な挨拶をするや、持参した割烹着に着替え、早速台所に入って朝食の準備を始めていた。
委員長も自ずからそれを手伝って……何というか、母子揃っての働き者なんだと思った。
今まで生きてきて、僕の周りにはいなかったタイプの女性だ。
…ガサツでズボラな女性なら、腐るほどいたけどね(汗)。





「ふぅ……シロ、お茶」
『あ、はいはい』

人間化したんだから猫の手を借りるなよと思いつつも、急須にお湯を注ぐ僕(汗)。
朝食も終わり、ダイニングのテーブルの前には、家人全員が揃っていた。
シンジは朝食の少し前に戻ってきて、今は爪楊枝でシーハーシーハー。綾波は食べ終わるやその場で読書。クロ…ユイさんはご覧の通りお茶を啜っているわけで。
洞木さん母子は今は台所で後片付けをしてるけど、さっきまで席に着いて一緒に朝食を摂っていた。
最初ツバメさんが、

「──使用人の分を弁え、皆さんのお食事が済んだ後に、別室で頂きます」

なんてことを言い出したもんだから大慌て。
当然のようにシンジに却下されたけど。当たり前だよ、だって僕たちはもう家族なんだからさ。
で、そうこうしてたら二人が戻ってきた。

「あの、大したものではないんですが、デザート代わりにどうかと…」

そう畏まって出されたのは、南国のフルーツやら何やらカラフルな具をいっぱいサンドした高級そうなワッフルケーキだった。それが皿にテンコ盛り。そうか、あのお土産ってワッフルだったのか♪

「あら、美味しそうじゃない。 どれどれ……もぐもぐ……あ、ふんわりと香ばしくって、それでいてしっとりして──これ、お茶に合うわぁ〜♪」

ク…じゃなくてユイさんがつまみ立ち食いして、はにゃーんとほっぺが落ちそうになってる。行儀が悪いなあ、もう……でもホントに美味そう。

「左様ですか? ホッ…安心しました。 ありがとうございます。 買って参った甲斐がありました」

そう言って深く頭を下げるツバメさん。かなりというか、変なくらいまでに言葉遣いが丁寧だ。

「洞木さん」
「あ、はい」
「敬語いらないから」

視線を交わさないまま、端的かつ無表情にそれを伝えるユイさん。
余談だけど、彼女はツバメさんのことを主に洞木さんと呼称している。離婚により旧姓に戻ったハズだけど、法的には無意味、しかも馴れ親しんだ苗字ということで、ツバメさん本人も了承しているとのこと。
因みに、委員長のことは下の名前で呼んでいるから、別段紛らわしいということはないみたい。

「え?」
「だから、そんなに畏まらなくていいの。 もっと自然にザックバランに接してくれてOKよ」

アンタは少しザックバランすぎるけどね(汗)。

「で、ですがそれでは…」

困惑するツバメさん。

「だって私たちは一つ屋根の下で暮らす家族でしょう? この際、お互い他人行儀はやめにしません? それにそういう姿勢って、貴女の娘さんにとってもマイナスになると思いますけど?」
「え?」
「だってここは、彼女の同級生の家でもあるのよ? すぐ傍で母親がそんなに謙ってばかりだと、自分がどう振舞っていいのか、戸惑うんじゃなくて? 違います?」
「あ…」

ハッとするツバメさん。そして隣に寄り添う委員長の顔を申し訳なさそうに窺う。

「私たちは家族。 だから気を使うことはないの。 もっとリラックスなさいな。 ここが自分の家だって思って振舞ってくれて構わないわ。 それに別に粗相なんてしてもいいのよ。 皿の千枚や二千枚割ったって、ここを追い出すようなことなんて絶対にしないから、安心して?」
「……」

喩えは変だけど、言うことは的を得ているなと思う。
対して、俯いたまま黙って聞いている委員長のお母さん。だいぶ堪えているみたいだ。

「──それにね、この子たちってまだ子供でしょう? だから何か悪いことをしたら、そのときは思い切って叱ってあげて欲しいの。 お願いできるかしら?」
「え……あ、はい」
「フフフ、何だったらブン殴ってもよろしくてよ?」
「っ!? とと、とんでもない!」
「いいんです。 構いません。 体罰は愛のムチですから。 保護者である私が許します」

断言するユイさん。でも、何かすごい話になってるなぁ…。
…あれれ?つーかキミ、いつ僕らの保護者になったの?(汗)

「兎に角、言葉遣いなんて全然気にしなくていいですから。 第一ここにいる人間なんて、私以外は皆ガザツでズボラだし、敬語なんて使われたら、きっと息苦しいと思うわ」

偶にはユイさんも良いことを言うなあと感心してたら……最後のは余計。つーか、キミだけには言われたくない。

「ねえ、お母さん…」

クイクイと母親の裾を引っ張る委員長。そして上目遣いに訴える。

「私もそのほうがいいと思うな」
「ヒカリ…」

ツバメさんは一度目を閉じ、そして開けた。

「──わかりました。 確かに尤もな話です。 …私、恥ずかしながら娘の立場を考えておりませんでした。 母親失格ですね…」
「そんことない!」
「ええ、そんなことないわよ」
「ヒカリ……ユイさん……」

途端に涙目になってメロドラマを展開する母子。
…この二人って、案外涙脆いんだねぇ(汗)。

「じゃあ、いいわね?」
「はい、それじゃお言葉に甘えて……ただ何分これが地なものですから、これから徐々に直すということでなら…」
「ええ、それで構わないわ」

やっと落着……長かったよぅ(汗)。

「それでは改めまして──皆さん、どうぞ召し上がれ」

そして、やっと皿がテーブルに置かれた。

『待ってましたー♪』

何気に彼女の敬語が直ってない気もしたけど、気にしない。
長かったよ。待ちくたびれたよ。さっき朝ご飯食べたばかりだけど、育ち盛りだからまたお腹空いちゃったよ。

「…シロって、やっぱり食いしん坊さんよねえ」
『──んなっ!?』

彼女たちの前で何てこと言うのさっ!
それに僕だけじゃないやい!シンジや綾波だって──あ、あれっ?

「…ぐぅ〜、ぐぅ〜」
「(コックリ……コックリ……)」

二人は椅子に座ったまま寝てた(汗)。どうやらシリアス話に弱いらしい。
クッ、道理でさっきから静かだと思ったよっ!

「──美味しい、と思う」
「うむ、このマンゴーなんか特に絶品だね。 生クリームとのコンビネーションが何とも…」
「うん、すごく美味しいわ、お母さん」
「フフフ、ありがとう」
『わーい、ワッフルワッフルー♪』
「…黙りなさいシロ」

睨まれた。うぅ、何で僕だけ…?(汗)





『うぃ〜、すんごくうまいやこれ〜、ひっく♪』

二個ほど食べた。とにかく美味の一言だ。
濃厚な甘さと、舌の奥に染み込むような不思議な味……何だろこの赤いクリームは?
あれ、何だか体もホカホカしてきたぞ。

「──シ、シロっ!? 貴方それお酒が練り込んでるやつよっ!?」

驚いたように横のユイさんが叫んだ。

『ふえ〜? そ〜なの〜?』

あ〜、目が回るぅ〜。ふらふらするぅ〜。

ガチャーン!!

「こっ、このお馬鹿っ!!」

うへ〜、また怒られちった〜。





そして早くも昼食タイム。
さっき食べた気もするけど、小腹が空いた。でも育ち盛りだから仕方がないよね。

チン、チン、チン♪

『ご飯まだぁ〜?』

箸で茶碗を鳴らして催促してみたり。

「あ、はいはい〜。 もうちょっとで出来ますからね〜」

と奥から返事の声。猫語はわからないハズだけど、チンチンチンで通じたみたい。

「──行儀が悪いにも程があるわよシロっ!!」

横の人にすんごく睨まれたけど、何故か気にならない。アルコールが僕に偉大な力をくれたみたいだ。
暫くして、委員長がお盆を持って部屋に入ってきた。

「はい碇君。 お吸い物」

黒いお椀がシンジの前に置かれる。

「ん、ありがと。 椀種は……へえ、トラフグの白子か」
「うん、冷蔵庫の中にあったから。 もしかしていけなかった?」
「いや全然。 さっきも言ったけど、この家にあるものは何でも使っていいよ」
「よかった」
「へぇー、良い香りだね。 吸い口に木の芽を一枚浮かせているのがポイント高いよ。 それに汁もちゃんと透明になってるじゃない。 きちんと下茹でしたみたいだね。 感心感心」

一度茹でないと水溶性たんぱく質が溶け出し、汁が混濁して見た目が悪くなるというのがシンジの弁。
だから御託はいいから、ギブミープリーズ!

「えへへへ、ありがと……実はね、お母さんに少し教えてもらったの。 でもさすが碇君ね。 料理のこと詳しいんだ」
「そうでもないよ」

だーかーらー、そんなマニアックなウンチクどーでもいいから、早く早くう!チン、チン、チン!

「でも、ホントに私もお呼ばれしちゃっていいの? 朝も頂いちゃったし、すごく悪い気が…」
「いーのいーの。 ご飯は大勢で食べるほうが美味しいからね。 何なら毎日でもいいよ。 それに洞木さんはもう僕らの家族でしょ?」
「か、家族…(////)」

何やら恒例の妄想を膨らませて赤くなった委員長。
だから、早くご飯ご飯〜っ!チンチンチンったらチンチンチン!

「はい、お待たせしました〜」

やっと真打ち登場だよ。

「フリーザーにお肉がありましたので、お昼はカツ丼にしてみました」

そう言って、皆の前に配膳する。

『わーい、カツ丼だおー♪』
「フフフ。 はい、シロちゃんにはこっちの小さいほうね」

最後にツバメさんは、僕のサイズに合わせた特製の丼を、わざわざ目線の高さにしゃがんで、優しく置いてくれた。

「「「「「頂きます」」」」」

全員で手を合わせる。

ぱくっ──

『はふはふ!』

うんまいっ!
いやー猫だけど猫舌じゃなくてホントに良かったよ。僕は夢中で箸を進めた……正確には箸なんて持てないけどね。
でもそのとき、

「うむ、なかなか美味しいゲン丼だね〜」

と、シンジがポツリと漏らしたから、さあ大変。

「ゲ、ゲン丼?」

正面に座る委員長は意味がわからずキョトンとしてるけど……周りは違った。
箸が見事にピタと止まったのだ。正確には僕とユイさんと綾波の三人のが。
ゲン丼──そのネーミングが意味するところは一つしかなかった。つまりはゲンドウ丼……おえっぷ(汗)。
二人もそれを確信したのか、みるみる顔色が青ざめていく。
反面、シンジは暢気だ。いやニヤニヤしている。

「いや美味いねえ。 このご時世、お肉を食べられるなんて、実にありがたい話だよ。 感謝しなくちゃねえ。 あ、ちなみにこの家で食わず嫌いだと飢え死にしちゃうから♪(ニヤリ)」
「「「……」」」

ボク、すっかり酔いが醒めちゃいました(汗)。
ついでに食欲も一気に急降下。

「うんうん、すごく美味しい」

何も知らない委員長はシンジの言葉の意味を深く追求せず、幸せそうに箸を進めていた……知らないって素晴らしいよね。

「このカツレツなんて、サクサクで、肉汁が上手く衣の中に閉じ込められていて、もう最高〜♪ 卵とじもふわふわだし、鰹の出汁と味醂の甘さも絶妙、案外難しいのよねこれ〜。 うん、さっすがお母さん♪」
「ありがとう。 でも、ヒカリのお吸い物も美味しくてよ」
「えへへ……そうかな?」

照れる委員長……羨ましいよホント。

「…ん、あれ? どうしたの皆? 箸が止まってるわよ?」

ようやく周りに気づいた委員長。
僕らは食欲ゼロでゲンナリしていたわけで。唯一シンジだけは例外だったけどさ。

「…もしかしてお口に合いませんでしたか?」

ツバメさんも心配そうにしている。

「! いえ、そんなわけじゃ──シロ、食べるわよっ!」
『う、うん』

覚悟を決める。洞木さんたちに嫌な思いをさせるわけにはいかないのだ。
そして僕は父親を食べ始めた。我武者羅に。ある意味、これ本当の親子丼とも言える状態なのかも。

『はふはふ、グスッ、はふっ!』
「あらあら、まあまあ? 泣くほど美味しかったですか?」

ええ、涙が止まらなかったとです(汗)。

『…げぷ』

はい、何とか完食できました。
ホッと一安心で何気に斜め前を見たら、トンカツ残して、下のご飯だけを食べてる綾波の姿が目に映った。しかもよく見れば、肉のエキスが染み込んだところはキッチリ残しているという徹底さ。
曰く、

「──私、お肉食べられないから」

…めちゃくちゃ聞き慣れた綾波さんの常套句だった(汗)。

「…そうだったわ……綾波さん、お肉ダメだった……私、うっかりしてて……ホントにゴメンなさい」

委員長は申し訳なさそうに平謝り。…だけどね、それはついこの間までの話だよ。今はもう食べられるハズだもん。つーか、昨夜食べてたじゃん、焼肉!
しかもしかも、

「──ううん、いいの。 今度から食べれるように努力する。 いつまでもお肉嫌いではダメだと思うから。 だから気にしないで」

と善後策も抜かりなし。うわ〜綾波が黒いよ〜(汗)。
委員長なんかコロリと騙されて、ジーンと感動してるし……さ、策士だ。

『…偶にはお肉じゃないのも食べたいよ』

ボソッと呟いてみる。偽らざる本音だ。つーか、普通のお肉なら全然問題ないんだけどね…。

『まぁ、それは言えるかもね…』

はぁ、と嘆息して横のクロが同調する。
つーかさ……この人、食べる量を減らしたい一心でいつの間にやら猫化しちゃってますが?(汗)
食べた量は僕と大差ありません。曰く『ダイエットよ』……ずるいや。
それにいきなりの変身──目の前の母娘なんて、そりゃもー吃驚してましたよ?
パニックだよパニック。上を下への大騒ぎ。とりあえず落ち着かせて説明するのがコトだったよ……シンジがだけど。
何気に委員長から、

「…じゃあシロちゃんは?」

なーんて訊かれたのがとっても辛かったとです。
ぼ、僕は初めから人間化できない仕様なんだい……ぐっすん(泣)。
…閑話休題。
兎に角、毎日毎日、そりゃメニューは変わるんだけど、懲りずに食卓に上がり続けてきて……確かに美味しいけど、精神的にちょっとね…(汗)。

「また贅沢な……じゃ、フカヒレなんてどうだ?」

呆れたようにシンジが横から口を挿んだ。

『え? フカヒレ? フカヒレって、あのフカヒレ!?』
「…どのフカヒレかは知らんが、たぶんそのフカヒレだと思うぞ」
『すごいや! だって僕食べたことないし、楽しみだよー!』
『フカヒレのスープ……フカヒレの姿煮……うふ、うふふふ♪』

横でヨダレを垂らして上の空のクロ。とっくにその気らしい。
ん、待てよ?

『ま、まさかそのフカヒレって、誰かの生まれ変わりってことは…?(汗)』
「違うよ」
『あっそう…』

安心した。この天邪鬼ならありうると思ったから。だけどそれじゃ意味がない。

「じゃあ、今度釣って来るよ」

は?

『か、買うんじゃないの?』

何だかとっても嫌な予感が…(汗)。

「はぁ? なんでさ? 自分で釣ってくればタダじゃん」
『いや、それはそうなんだけど…』

また曰くがありそうで怖いんだよ!
つーか、そんな簡単に釣れるものなの、サメって?
…あ、でもこの前マグロを釣ってきたんだっけ、この人?(汗)

「セカンド・インパクトで日本近海の海流も変化しててさ、その辺まで良型のホホジロザメやイタチザメが回遊してきてるんだよ。 それに良い生餌があるしね」
『生餌? あ、それってまさか…(汗)』

冷や汗が溢れ出た。

「うん、ちょうど生まれたばかりの仔豚がいるんだよ♪」
『や、やっぱり〜〜』

僕はテーブルに突っ伏した。





『…暇だね』
『…暇よねえ』

僕のボヤキに横のクロが相槌を打つ。
今は昼下がり。僕らはリビングの床に寝そべり、文字通りゴロゴロしていた。
綾波と委員長は向かい合って学校の宿題をやっていた。ここはこうだからとか、そこはこの公式を使ってとか、意外に仲良くやっている。どうやら数学のドリルみたい。
ツバメさんはお昼の後片付けが終わると、今は部屋の掃除を始めていた。本当にマメだよこの人。でも僕の仕事なくなちゃった。

『…どっか行きたいね』
『…行きたいわよねえ』

またボヤく。だってしょうがない。ホントに暇なんだから。

『…でも誰も連れてってくれないんだよね』
『…連れてってくれないのよねえ』
「だ〜〜うるさいっ!!」

この日何度目かのボヤキに、すぐ傍でスポーツ新聞をチェックしてたシンジがキレた。

「これ見よがしに僕の耳元で囁くんじゃないっ! 魂胆見え見えじゃねーかっ!」
『だって暇なんだもん。ね〜』
『ね〜』
「…こんなときだけ仲がいいなお前ら?(汗)」

えっへん、これぞ大同団結というやつだよ。

「仕方がないなぁ……んじゃ、近場の温泉にでも遊びに行くか?」
『温泉!? いいわねえ〜♪』

途端に身を乗り出し目を輝かせるクロ。

「シロはどこかリクエストある?」
『別府』
「一回死んどけ」

うっ、正直に答えただけなのにぃ…(汗)。

『はいはいっ、はーい!』

僕の落ち込みを余所に、隣のクロが力いっぱい手を挙げた。

『堂ヶ島なんてどう? 近いから日帰りできるわよ?』
「西伊豆か……確かに箱根ってのも地元すぎるし……うん、それでいくか」
『やったー♪』

年甲斐もなくクロは大喜び。
言い出しっぺのシンジも、言ってるうちに実感が出てきたのか、かなり乗り気になっていた。

「綾波は行く?」
「──行く」

即答だった。

「洞木さんたちも行くよね? ツバメさんの歓迎も兼ねて、盛大にやろうよ」
「え?」
「…あらあら、私たちもですか?」

シンジの誘いに少し意外そうな顔の二人。

「モチロンだよ。 二人を置いてはいけないよ。 一応は主役なんだし」
「あらあら…」
「楽しいと思うよ? 観光して、遊んで、温泉入って、ホテルで美味いもん食って、日帰りするのも何だからそのまま一泊して──」
「え、一泊? でも明日は学校が…」
「それは大丈夫。 朝一でチェックアウトすれば十分間に合うよ。 飛ばせば車で一時間ほどだしね。 それに早起きして朝日を拝みながら温泉ってのも、すごくサッパリして気持ちがいいと思うよ?」
「それは……そうだけど」
「だめ?」

顔を覗き込むようにお願いポーズをとるシンジ。それは反則だ。でも、

「…ゴメンなさい」
「え?」
「本当にゴメンなさい……昨日から、お父さん出張でいないから、妹たちの晩御飯は私が作らないといけないの……お昼だって店屋物で済まさせちゃったから……その……」

少しショボーンとした委員長が、申し訳なさそうに話す。

「ヒカリ…」

見守るツバメさんも辛そう。
行きたいけど行けない……そんな我が娘の心情を痛感してるんだと思う。無論、実際は何を考えてるのかはわからないけど。

「……」

ツバメさんは少し悩んでる様子だったけど、何かを決心したように顔を上げた。
具体的には「あの家と自分はもう関係ない、あの家にはあの家の家庭がある、だから敷居は跨がないって誓ったけど、今まさにその誓いを覆そうとしてる」そんな顔だ。
きっと「私が代わりにあの子たちの夕食の準備するから、ヒカリは楽しんでいらっしゃい」とか言い出すんじゃないかな? …飽くまで僕の想像だけどね。

「…大丈夫よヒカリ。 後のことは私に任せなさい」
「お母さん?」
「だから貴女は皆さんと一緒に──」

ほらやっぱり!ビンゴだ!
だけど肝心なところでシンジが邪魔をしたわけで。

「よっし、わかった! だったら、コダマさんやノゾミちゃんも誘っちゃおう〜♪」
「え? ホント? いいの?」
「勿論だよ」
「あらあら、まあまあ、それでしたら何も問題はありませんわね…………あら、でもどうして娘たちの名前をご存知なのでしょう?」
「…いやそれは何となく」
「フフ、あらあら」

ツバメさんはニッコリ微笑んだ。い、意味がわからないぞ(汗)。

「あ、でもあんまり高そうなところはちょっと……今月お小遣いピンチだから……」

委員長が恥ずかしそうに言った。費用は分担だと思ったのだろう。

「大丈夫だよ。 言い出しっぺは僕だからね。 当然、費用は全部持つよ」
「え? でもそれじゃ…」
「気にすることはないさ。 従業員慰安旅行扱いにすれば経費で落ちるから」
「本当?」
「うん」

そう言ってニッコリ微笑むシンジ。ただ経費云々の話は二人を安心させるための方便だと思うけどね。

「よし、全員参加で決まりぃ〜!」
『やった〜♪ わ〜い、温泉だよ温泉〜♪ ご馳走だよ〜♪ えーとえーと、温泉といえば〜、源泉掛け流し〜♪ そして舟盛り〜♪ 女体盛り〜♪ コンパニオン遊び〜♪ 野球拳〜♪ ワカメ酒〜♪』

とりあえず知ってる単語を片っ端から口走ったら──

『このお馬鹿っ!!』
ゴンっ!!


クロにおもいっきり殴られました(汗)。
…何かイケないこと言ったのでしょうか僕?





ポカリをがぶ飲みして暫く横になってたら、酔いも完全に醒めた。
皆は今、温泉に行く準備で忙しい。
しっかし女の人って化粧とか身だしなみに掛ける時間がホントに長いと思う。どうせ温泉に入って洗えば落ちるのにさ。時間の無駄というか何というか……ハァ。
特にクロ。外出時は猫化って決まってんのに、何故に人間化して化粧に励んでるのでしょうか?(汗)
委員長は一度家に戻って準備中。誘った妹さんたちも乗り気だったみたい。飼い犬は近所に預けるらしい。
ツバメさんは自室で着替え中。仕事があった分、少し遅くなったのだ。
綾波はとっくに準備が済んでリビングで本を読んでいる。着替え以外は特に持っていく物はないみたい。ただ学校の制服姿だったので、どうしてかと訊いたら、

「──校則で決まっているから」

と宣った。
…ああ、そういえばあったなそんな校則。でも律儀に守ってるのはキミだけだと思うな。
僕は僕で手荷物もないし、身一つだからねえ、気が楽だ。待ち時間をソファーでゴロゴロしていた。

『…ん?』

庭でシンジが何かしているのが見えた。
何してるんだろう?
キョロキョロしてて、あからさまに挙動不審。気になったのでサッシを開けて庭に出てみる。

『ねえ、何してるの?』
「うおっ──な、何だシロか。 驚かすな。 何でもないぞ」
『ふーん。 あ、そういえば今朝ってどこ行ってたの?』

気になっていたのでついでに訊いてみたが、

「内緒だ」

はぐらかされた。
何だかなあ〜と溜息を吐いていたそのとき、

ドカッ!!

庭の奥にある物置──通称、百人載っても大丈夫なイナバ君──から大きな物音がした。

『っ!? 何今の音っ!? 何かいるのっ!?』
「えーと……ネズミじゃないかな?(汗)」

そう言いつつも、僕とは目を合わせようとしないシンジ。 何か変だ。

『でもネズミにしちゃあ、やけに大きな音だったよ?』
「きっと百貫デブのネズミなんだよ」
『……』

だが、

──ぐるるるう゛ぉん!

『っ!? 今度は変な声がしたよっ!!』
「気のせいだ。 気にするな。 いや気にしちゃいけない!(汗)」
『気にならないわけないでしょ!』
「あ、おい!」

呼び止める声を無視して、僕は物置のほうへと駆けた。
いる。絶対に何かいる。この研ぎ澄まされた僕の猫としての本能がそう告げていたのだ。そして、

──がお♪

『ララララ、ライオンっ!!?』

そこには俗に言う百獣の王が鎮座しておられました。はい。

「ちっ、ばれたか」

すぐに追いついたシンジが悪態を吐く。

『ばばば、ばれたってアンタっ──い、家ん中でなんちゅーもんを飼ってんのさっ!! しかも放し飼いでっ!! 何なんだよこのライオンは〜〜!!』

石灯籠の陰に半分隠れながら、僕は怒鳴っていた。だって怖いんだもん。膝なんかガクガク言ってたし。

「ふぅ、仕方がない。 紹介しよう」

観念したかのようにシンジは話を切り出した。

「先日、アフリカで知り合い、意気投合した親友のベジータ君だ」
『ベ、ベジ──!?』

何だよその激しくマンガチックなネーミングは!?(汗)

「そう、ベジータ君だ。 彼は誇り高きサバンナ一の強戦士、草原の王なのだ」
──ばう♪

タイミングよく横のライオンも唸る。
剃りこみが入ったタテガミに、異様に悪いその目つき。どこをどう見ても凶暴な人喰いライオンの顔だ。
でもライオンって、こんなに大きいんだあ……って違う違う!

『何で物置にライオンがいるのさっ!!』
「番犬。 犬じゃないけど」

シンジは端的に答えた。

『はあ!?』
「最近いろいろと物騒だからね。 泥棒とか入ったら怖いでしょ?」
『どっちが物騒だよっ!! ご近所に知れたら大変なことになっちゃうよっ!!』
「そう?」

ちょ、全然懲りてないよこの人っ!

『うう、ライオンが……ライオンが家に……家の中にぃ……』
「家の中じゃなくて、庭だけどね」
『同じだっつーのっ!!』

僕は声を荒げ、捲くし立てた。

『どーすんだよこれっ! ンな危険なモンたった一匹でも大変なことにっ、取り返しのつかないことになっちゃうよっ!』

なっちゃうのは、主に僕だけど(汗)。そしてサプライズ人事はこれで終わりじゃなかったわけで。

「たった一匹? いんや、ベジータ君だけじゃないぞ」
『へ?』
「シロが気づいていないだけで、この家には彼みたいなのが何頭も隠れ住んでいるんだ」
『う、うぞっ!!?』

今度こそ心臓が飛び出るくらい驚いた。

「む、嘘じゃないぞ。 えーと、ライオンにシベリア虎、黒ヒョウにヒグマ、ニシキヘビにキングコブラ、確かイリエワニってのもいたな……どこに仕舞ったのかは忘れたけど……てへっ♪」
『うおいっ!!』

なーにが「てへっ♪」だよっ!つーか忘れちゃダメだろっ!

『…ねえねえ、僕、仔猫だよぉ? 大変だよぉ? 食べられちゃうよぉ?』

だから何とかしてくれと、ぶっちゃけ全部追い出してくれと、半ベソ顔で懇願してみたんだけど、

「うん、だから気をつけてね」
『それだけかいっ!!』

とりあえず庭にだけは出ないようにしよう(汗)。

『あれ? じゃあ、ちょくちょく朝にいなくなってたのは、もしかして…?』
「うむ、現地調達(スカウト)に行っていた」
『うう、やっぱりぃ…』
「安心しろ。正確には飼っている訳じゃないし、数週間ほどしたらキチンと元の場所に帰すつもりだ」
『…………でも、代わりにまた違うのを連れてくる気でしょ?』
「おお、理解が早くて僕チンは嬉しいぞ」
『……』
「そうだな〜、次はホッキョクグマあたりをスカウトに行こうと思ってるんだけど、どうかな?」
『お、お願いだからやめて…』

我が身の不幸を呪いつつ、僕は泣いて訴えた。

──ぐるるるる〜〜!

突然のライオンの唸り声。

『はわっ、はわわわわわわっ!!?』

腰が抜けた。おしっこも漏れた。後ろ手にオタオタと後退りする。
だってこのライオン、身を乗りだして、今まさに僕に飛び掛ろうとしていたのだから。
明らかにそれは獲物を見る目。間にシンジが立っていなかったら、もうとっくに食べられていたに違いない。

「ん、どうしたベジータ君? シロがどうかしたのかい?」

親友の異変に首を傾げるシンジ。
だが当のライオンはというと、これがとんでもなく興奮していて、もはや制御不能状態。シンジを押しのけ、何とか前に出ようともがいていた。その間も目は僕から決して離さない。完全にターゲット・ロックオンされていた。

「あ、なるほど。 同じネコ科の仲間としてコイツと仲良くなりたいんだな?」

違うわっ!!

──ぐるるぁごあるぅあ〜〜!

目の前の猛獣は唸り声を上げ、興奮してそれどころじゃない。
しかしシンジは、

「うむ、そうかそうか」

と勝手に納得し、なら存分にどうぞと、その身を翻し──

『だ〜〜!!! 違うっ!!! 僕を襲って食べようとしてんだよそいつはっ!!!』

僕は泣きベソ掻きながらも早口で怒鳴った。ええ、怒鳴り捲くりましたとも。

「はあ?」

半ば呆れ顔のシンジ。

「…やれやれ、ベジータ君がそんなことするわけないじゃないか」
『今まさにしてるんだよっ!! じゃあ、その血走った目は何っ!? その剥き出しの鋭い爪と牙は何っ!? その口のヨダレは何っ!? 明らかに僕を喰おうとしてるじゃないかっ!!』
「…ふう、シロ。 そいつは誤解だ。 彼はお前にじゃれつきたいだけなんだよ」

シンジは仕方がないな〜とばかりに肩を竦ませた。
だけどそんな風には到底見えなかった。もしそう見えるやつがいるとしたら、そいつはもう淘汰されてこの世にすらいないだろう。
百歩譲ってそうだとしてもだ──死ぬ。確実に死ぬ。じゃれつかれた瞬間に圧死だ。体格差がありすぎるじゃないか!

「…はぁ、どうやら一度お互いに信頼関係を構築する必要があるようだね」
『しなくていいよっ!』

だけどシンジは聞く耳を持たない。

「いいかシロ? あの有名な風の谷のナウシ○だって、キツネリスとの出会いの際には、差し出した指を噛まれても、決して手を振り払うことはせず、ニッコリと微笑み続けていたんだぞ? 彼女はそうやって相手の信頼を得たんだ。──だからお前も少しくらい痛くてもジッと我慢しろ」
『我慢できるかああっ!!!』

無茶言うなっ!相手はライオンだぞっ!

「おいおい、それくらいの覚悟と度胸がないと、友達にはなれないぞ?」
『なれんでもいいわいっ!!』

てゆーか、覚悟と度胸があった時点で手遅れだっつーの!
噛まれたら指がもげちゃうよ!ムツゴ○ウさんになっちゃうよ!

「頑固だなあ」
『どっちがだよ』

目の前の少年の非常識に呆れつつも、だけど今はそんなことよりも別の気になることがあったわけで。

『…ねえ?』
「何だ?」
『僕の気のせいかなぁ?』
「だから何がだ?」
『そのライオン、さっきからキミの首筋に噛み付いてるように見えるんだけど…?(汗)』

そう。いつの間にか目の前のライオンの矛先が僕からシンジへと変わっていたのだ。背後から右の首筋にガブリと齧り付いちゃってる。…そりゃ背中を向け続けてたら普通は襲われるに決まってるよね。

「ははは、コイツぅ〜♪」

シンジは嬉しそうに、よしよしと後ろ手にライオンの頭を撫でるも、

──カジカジ、カジ!

ライオンは噛むのを一向に止めない。それは断じて甘噛みなどではなかった。必死になって親友(注:シンジ)の息の根を止めようとしていた。

『お、おもいっきりカジカジしてるんですけどぉ…?(汗)』
「親愛の表現というやつだね」
『めちゃくちゃ牙と爪を突き立てちゃってますけどぉ…?(汗)』
「じゃれて少し興奮してるんだろう」
『服もビリビリに破られてますけどぉ…?(汗)』
「きっと爪とぎしたい気分なんだよ」
『……』

ダ、ダメだこりゃ(汗)。もはや何を言っても無駄だ。
僕は深い溜息を吐いた。

「お〜いシロ、真っ暗で何も見えないぞ〜♪」
『……』

そりゃ見えないわな。だってキミの頭全部がスッポリとライオン君の口の中に収まっちゃっているんだから(汗)。
うん、やっぱりここには近づかないようにしよう。





〜第三新東京市・郊外、某コンビニ〜

「いらっしゃいませ、こんにちはぁー」

清潔な店内で、青と白のストライプの制服を着た女の子の明るい声が木霊する。
ところ変わってここは、街の外れの国道沿いにある24時間営業のコンビニエンス・ストア。
辺鄙な立地条件ながらも、古くからの交通の要衝であり、また大型の駐車場を完備していたことから、県内外からの客も多く、店内はかなり賑わっていた。

「お釣りのほう、685円になります」

レジ打ちの店長らしき年配の男が、客に釣り銭を丁寧に渡している。
定年を待たずに脱サラして早四年。生来の気弱な性格では宮仕えよりもよほど天職だと思えるほどに、今では店の経営も軌道に乗りつつあった。
店内にいるバイトは合計三人。全員が女性で、見た目女子高生っぽい。
一人は清掃作業。後の二人は、搬入されたお弁当類の検品・補充を行っていた。

「…て、店長」

暫くして、清掃作業をしていたバイトの子が、何やら顔を青くしてやって来た。

「ん、どうかしましたか?」
「…あそこ」
「あそこ?」

彼女が指差す方向を見てみれば、そこには見知らぬ妙齢の女がカラーコピー機の前で何やら不審な行動を展開していた。
その女は赤いジャケットを着ていた。

「ふんふんふん、ふーん♪」

女は鼻唄交じりにコピー機のカバーを開けると、原稿ガラスの上に手持ちの一万円札を並べた。操作パネルをピピッと押し、暫く待つ。

──うぃぃぃぃぃぃぃん!

スキャニングの走査光が漏れ、

──がたがたがたがたっ!

内部で印刷が始まり、

──しゃっしゃっしゃっ!

横のトレイへと印刷物が自動排出される。
ある程度溜まったところで紙を取り出し、再び給紙カセットに裏返しにしてセットする。原稿ガラスの一万円札も一枚一枚をひっくり返してから、再度スタートボタンを押す。どうやら両面印刷をする気らしい。
一応このコピー機には自動両面印刷の機能がついているのだが、女は知らなかったようで、すべてを手作業でこなしていた。しかし一連の作業がかなり手馴れており、これが初めてではないことが容易に推測できた。

「お、出た出た♪」

チョキチョキチョキ。

印刷した紙の一枚一枚を陳列棚にあった売り物のハサミを使って裁断。紙クズは床に散らかし放題。

(おいおいおいおいおい…)

店主は一部始終を目の当たりにして冷や汗を掻く。
紙幣をカラーコピーするという単純な手口ではあったが、これは明白な偽札作りだった。
ただこのような白昼堂々とした犯行は、さしもの男にも常識外のことであり、もしかしたら何かのドッキリかと思い、周囲をさり気なく窺ってみたが、別段おかしい点はなかった。つまりこれは紛れもないリアルでの犯行現場だということを、男はようやく確信した。
何より女の顔には見覚えがあった。男はレジ横の窓ガラスにチラと目をやる。そこには一枚のポスターが貼り付けられてあった。

この顔にピンときたら110番。

警察の指名手配のポスターだ。やや凶悪そうに強調されてはいるが、店内の女はその中のモンタージュ顔にそっくりだったのだ。

「……」
「店長?」
「…すぐに通報して下さい」
「は、はい」

言われてバイトの子は奥の事務所に走っていった。
だが…、

「ご、5690円になります」

数分後、カゴいっぱいのエビチュをレジに持ち込まれ、店主は呆然としていた。

「(警察はまだですか?)」
「(まだみたいです)」
「(くっ…)」

市街地から離れた立地条件が仇となった。
なるべく商品のバーコードをゆっくり読ませたり、同一商品にも関わらず一つ一つを処理したり、考えうる限りの時間稼ぎをしたのだが、もうそれも限界だった。

「そ、はい」

女は財布から紙幣を一枚抜き出し、店主へと差し出した。やはりというか、さっきコピーしたところの偽造一万円札なわけで(汗)。

(ま、まさか本当に使うとは…)

ア然とする店主。
もしかしたら興味本位でコピーしただけで、行使目的ではないのかも知れない(注:それでも犯罪だが)という頭の片隅にあった甘い考えは、即座に否定されていた。
兎に角、その問題の偽札を手に取って、じっくりと見てみる。

(……)

一言で言えば──どこをどう見ても偽札。幼稚園児でも判別できるレベル。ビバ偽札。
紙質からくる手触りの違いを隠すためか、それとも単にハサミ使いが下手だったのか、お札はひどくしわくちゃ。裁断が下手というか、真っ直ぐにハサミが入れられていなかったのだ。
コピーだから透かしやホログラムもなし。
しかも絵柄が裏表でズレてるときた。いやズレているどころの話ではない。見事に上下逆さまなのだ。恐らく給紙カセットに入れるときに間違ったのだろう。

「あの…」

引き攣る男に対し、

「ん? ああ、大丈夫よ。 ヘーキヘーキ。 ちゃんと使えるから♪」

と、女はにこやかに自信満々。

「つ、使えるって、そんな貴女…(汗)」
「こちとら忙しい身なの。 早くお釣りちょーだい。 ほらほら」

手を出して催促する女。

「ですがこれは…」

手元の偽札と女の顔を交互に眺めながら、男は脂汗を流す。
しかしそんな煮え切らない態度に、女の雰囲気が一変した。

「…へぇ、ここは客にお釣りを渡さない店なんだ〜?」

細めた冷たい目。

「! あ、いえ決してそういうわけでは!」

焦る店主。

「だったら早くなさい」
「し、しかし」
「…大声出すわよ?」

凄まれ、小声で脅される。

「!? ちょっ、それは困りますっ!!」

男はめちゃくちゃ焦っていた。
無論、皆目こちらに非はない。だが、店内にいる他の客は事情を知らないのだ。
ここの店舗は、その立地条件から、地元の人間だけではなく県内外の利用客が多く、そのためもしここで大騒ぎされ、警察が捕まえる前に帰られでもしたら、客にお釣りを払わない店として広く誤解され、噂は広がり、最悪、信用問題にも発展しかねないと、男は危惧していた。
無論、杞憂だとは思う、思うのだが、絶対にないとは言い切れない。良くも悪くも客商売とはそういうものだということを、店主たるこの男性は身に染みて理解していた。
実際、レジでの異変に注目する客も出始めており、マズイことになったと彼は舌打ちする。しかし今さら事務所の奥にどうぞと促しても、言うことをきく女ではないと思われた。

「いいの? ホントに大声出しちゃうわよ?(ニヤリ)」
「くっ……い、一万円からお預かり……致します」

男はうな垂れ、敗北した。そしてマニュアル通りの受け答えをすると、渋々お釣りを手渡した。だが彼の悪夢はこれで終わりではなかった。

「フフ、わかればいいのよ〜♪ あ、そうだ! ついでで悪いんだけどさー、(ガサゴソ)この一万円札全部、両替してくんない?」

そう言って眼前に出されたのは福沢さんの団体さん。当然ながら全部偽者(笑)。

「んなっ──!?」
「出来るわよね?」
「そ、それはっ──」
「大声出すわよ?」
「……」

一度弱みを見せた男にそれを拒む力はなかった。

「(けけけ、警察はまだですかっ!!)」
「(まだですっ!!)」

もはや泣きっ面の店長とバイトの子。
そのとき、遠くから微かにパトカーのサイレンが聞こえてきた。

「来たっ!! ──って、いないじゃないかっ!!」
「あ、あれ?」

既に女の姿は店にはなかった。エビチュとお釣り、そして両替された五千円札と千円札、合わせて約32万円もが忽然と消えていた。
慌てて店の外に出るも、もうその姿はなく、店主はその場にガックリと崩れ落ちた。
果たしてあの女が一体何者であったのか……それは永遠の謎である(一応)。





〜???〜

「…子供のくせに何ちゅー家に住んでおるのだ」

夕暮れの中、鬚面の男が目の前の豪邸に呆れ返っていた。
男のかつての懐具合からすれば、これ以上の邸宅を持つことは十分容易だったが、男はそれをせず、ひたすら薄暗い穴倉の中に引き篭もっていた。
曰く、使徒がやってきて滅茶苦茶にするとわかっているのに、何で地上に家を建てねばならんのだ、と。

「司令殿、各部隊配置に着きました」
「うむ」

各部隊とは、万が一のための拉致部隊のことで、ここから後方百メートルの地点に百数十名を分散待機させていた。距離を置いたのは目標となる少女を警戒させないためである。
だが不測の事態(注:息子が出てきてまたボコられる等)が起きたら大変なので、司令と呼ばれた男は自分の周りをネルフ精鋭の黒服四人にガードさせていた。…なかなかにチキンであった(笑)。

「ではやるぞ」

イメージトレーニングはバッチリ、男は深呼吸して意を決すると呼び鈴へと指を伸ばした。

──ピンポーン♪

シーーーン。

──ピンポーン♪

シーーーン。

──ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン♪

シーーーン。

「──出ないじゃないかっ!!」

だってこの家の人間は、家人総出で旅行に行っちゃったもの(笑)。温泉旅行に。だから留守。何ともタイミングが悪かった。

「どうやら留守のようです」
「見ればわかる!」

部下の耳打ちにムスッとする鬚面サングラスの男。

「で、ですが司令。 これは逆にチャンスかと。 忍び込んで盗撮器具を設置するなり、家中を物色してサードの弱みを探すなり、何なら遠隔操作式の爆発物をセットすることさえ可能だと思われます!」

不興をかった若い黒服が汚名返上とばかりに必死に進言する。

「む、なるほど」

果たして一行は堂々と玄関に向き合うことに。

ガチャガチャ──

「やはり鍵が掛かっているようだな」

ドアノブを回しながら男はフンと愚痴た。
こういう場合、合鍵が郵便受けの中とか鉢植えの下に隠してあるのがパターンだが、現実はそんなに甘くはなかった。

「壊してもいいが、派手な音を立てて人目につくのはマズイ。 ここは裏に回って、ガラスをぶち破るか。 もしかしたら鍵の開いているドアとかあるかもしれん」
「さすがです司令」
「ふん、当たり前だぞ」

煽てられて男は鼻高々。しかし随分とタイコ持ちな黒服がいたものである。

「司令、先ずは私めが」

四人の黒服の中では一番若い、しかし最も栄達心顕著な男が一歩前に進み出た。敵陣を前にして露払いを買って出たというところか。
彼の得意な得物はシンプルにナイフ。かつて通り魔的に女子供ばかりを13人殺傷し、未成年ながら刑務所に服役していたが、その才能と冷酷さをネルフ首脳に買われ、組織の駒になることを条件に罪を赦免されていた。その印象は一言で言えば──狂犬。考えるよりも先にナイフを出すような、不良とはまた違う危険人物であった。

「ここの立木の隙間から奥の庭に入れるようです」

安全を確認しながら先導する彼に続くのが、主人の脇を固めるように左右についた黒服二名。
左の男は浅黒い肌の長身の外国人。クチャクチャとだらしなくガムを噛んでおり、一見して貧弱な体格、しかし元は世界最悪と呼ばれたテロリストの一人である。数年前、ロンドン発ニューヨーク行きの旅客機を爆破させて乗員乗客三百余名を殺害したのを皮切りに、世界各地でテロ行為を行い全世界を震撼させたことは、まだ記憶に新しい。
彼の専門は爆発物だが、銃の扱いにおいても秀逸。また危険察知能力に長け、トラップの発見においてはその力を遺憾なく発揮するという。
彼も死刑寸前のところで赦免され、今はネルフの犬と成り果てていた。髪型はアフロ。別に爆発に巻き込まれたわけではないが。
次いで右側の男。太い眉が特徴の東洋系の顔立ち。だが本名・年齢・国籍など一切が不明。曰く、超一流のスナイパー(自称)。超人的な肉体と頭脳・精神力を兼ね備え、その狙撃成功率は99パーセント以上(これも自称)。右脇には愛用のブルパップ型アサルトライフルを携行し、四人の中で唯一サングラスをしていなかった。
そして殿(しんがり)を務めるは、やや色黒でガッチリとした体格の中年男。和製シュワちゃん。傭兵出身でゲリラ戦を得意とした百戦錬磨の戦争屋だ。いかに人間を殺すかにおいてはプロ中のプロで、四人の中ではリーダー格と思しき名実ともに屈強の存在といえた。
このように個性豊かな黒服たちが、司令と呼ばれる男の前後左右を固めていた。ここでは便宜上それぞれを、狂犬クン(前)、アフロ(左)、ゴルゴ(右)、そしてシュワちゃん(後)と呼ぶことにしよう。

さて、この懲りない男たちが住居不法侵入に手を染めつつあったそのとき、

「ん……司令殿、少しお待ちを!」

突然、最後尾のシュワちゃんが声を掛ける。

「どうした?」
「ここに立て札が」
「立て札?」

言われて後ろを見れば、そこには確かに立て札らしき物が地面に突き刺さっていた。どうやら立ち木の茂みで見落としていたらしい。

「なになに──これより先に進む者一切の希望を捨てよ──何だこりゃ?」
「…これはやはり何か罠があると考えるべきでしょう」

慎重な黒服リーダーが注意を喚起するが、

「ふん、ただの子供の脅しだ。 いちいち気にするな。 ホレ行くぞ」
「…了解」

鶴の一声でこの場にいる全員の命運が定まった。
こうして珍パーティーは、ゆっくりとそして用心深く先へと進んでいった。しかしちょうど庭の中ほどまでやって来たところで、

「ぬ、待ちなさいっ!」

今度は何かを察知したアフロが声を上げた。

「え?」

先頭を行く狂犬クンは何事かと振り返った。しかしその右足は既に一歩前に踏み出しており、

ズボッ!!
「──のわっ!?」

いきなりその足下が崩れ、一瞬のうちに地面へと飲み込まれてしまった。所謂、古典的な落とし穴だ。しかしその穴の底では鋭利な竹槍が数本待ち構えていたわけで(笑)。

ずぶずぶずぶずぶずぶっ!!
「ぎぃゃあああああああーーっ!!!」


哀れ狂犬クンは下から串刺しにされ、はや虫の息。しかしこれで終わりじゃなかった。

ガシャン!!ガシャン!!
「ぬおっ!?」

「こっ、これはいったい!?」
ウイーーン、ジャキーーン!!

驚く男たちをよそに、そこら中の壁や塀、立ち木の上や盆栽の下、そして地面の中から、見慣れぬ巨大な鉄の塊が、次から次へと姿を現したのだ。
よくよく目を凝らせば、何とそれは「機銃」だった。それも旧日本軍で使われていたような旧式の。
何故そんな物がここに!?──と思う暇すら与えることなく、それら巨大無機物の大群は回れ右をすると、ただ一点へと照準を合わせた。当然射手などはおらず、そのすべてが自動制御だ。

「何だ何だ何事だーーっ!?」

そして本能的に頭を抱えて亀のように地面に伏せていた鬚男を嘲るかのように、

ズガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガーーッ!!!
「うひゃああああ〜〜〜!!?」


96式25mm「対空」(←ココ注目)機銃152門が彼らのすぐ傍、あの落とし穴めがけて一斉に火を噴いたから、さあ大変♪
正直言うと角度的にかなり無理があるのだが(それ以前に収納スペースもだが)、その全弾が地面の中へと叩き込まれた。

シーーーン。

数分間続いた銃撃が終わると、やってきたのは不自然なほどの静けさ。かの兵器群も目的を果たすと自ずから元の場所へと収まっており、元の庭の姿がそこにはあった。

「どうだ?」
「おえっ…………だ、だめです……もうミンチになってます」

恐る恐る穴を覗いた(覗かされた)アフロの顔は青く、やっとのことで同僚の殉職を報告した。世界最悪のボマーと恐れられた彼も、リアルでこれほどの惨状はお目に掛かったことはなかったようだ。

「チッ、使えんヤツだ」

上司たる男は死者を愚弄した。
だがあれほどのデタラメな銃撃を受けたのだから、当然といえば当然の結果と言えた。正確にはミンチどころか、タプンタプンのどろり濃厚ペースト状になっていたのだから(汗)。

「どうなされますか司令? やはりここは一旦退いたほうが…」
「う、うむ、そうだな(汗)」

とっくに及び腰の彼は、我先に回れ右しようとした。しかし──

「うひっ!?」

目の前、芝生の上に一匹の大蛇がとぐろを巻いてこちらを睨んでいたのだ。
全長は優に15メートルを超え、胴回りなどは下手をすれば人間のそれ以上。恐らくはニシキヘビかアナコンダの類だろうが、その先割れした舌をピロピロ出し、シャーッと鳴いて男たちを威嚇していた。下手に捕まれば人間と雖もその怪力で絞め殺され、丸呑みにされるのは必定。

「──こ、このっ!」

男のほか全員が拳銃乃至はライフルに手を掛けた。如何な大蛇とはいえ飛び道具相手では勝負にならないからだ。がしかし──

「ぎゃっ!?」
「ぐっ!?」
「ぬおっ!?」
「むっ!?」


一瞬何が起こったのかわからなかった。全員が全員、激痛が走った右手を押さえて呻いていた。手の甲からは赤い血が流れ、そして手にしていたハズの得物はなかった。

──ぐるるるる〜!
「「「「っ!?」」」」


不意の唸り声に顔を上げると、眼前には黒い猛獣の姿が。黒ヒョウである。しかも二頭。恐らくは番(つがい)と思われた。
間には檻も柵もなく、ホンの数メートル向こうの目と鼻の先に彼らはいた。刺すような目でこちらを睨みつけている。
一頭の口にはライフルが咥えられ、もう一頭の足元には拳銃が三丁落ちていた。恐らくは立ち木の上からタイミングを見計らい、飛び掛って奪ったのだろう。しかし何という頭脳プレイ&早技か。

「ななな何だあれはーーっ!?」
「く、黒ヒョウですっ!!」
「ンなことはわかっておるっ!! だから何だってこんなところにおるのだっ!!」
「わ、わかりません〜〜!!(泣)」


男たちが漫才をしている間に、黒ヒョウは足元の拳銃三丁をパシパシパシっと横に弾き、咥えたライフルは庭の隅へとブンと放り投げた。
慌てたゴルゴが、愛銃を拾おうと突進するが、

ドンッ!!
「──がっっ!?」


突然、立ち木の陰に潜んでいた何者かに横から飛び掛られ、男は地面へと押し倒されてしまった。

「──とっ、虎ぁ〜〜っ!!?」

そう、その正体は一頭の虎だった。正確にはシベリア虎といい、現存する虎の中でも最大の体躯を誇る亜種だ。しかしこの虎といい、さっきの黒ヒョウといい、なかなかに上手い連携プレイである。

「はっ、離せ〜〜〜!!!」

ゴルゴは死に物狂いで抵抗した。だが如何な超人的な肉体を誇る彼とて、体重400キロを超えるオスのシベリア虎を相手では、如何せん無力すぎた。

──がぶっ!!
「がはっ!?」


容赦なく首筋の頸動脈に牙を突き立てられる。
息ができなくなったのか、男の顔はみるみるうちに紫色へと変色、ピクピクと全身が痙攣を始めた。
虎は獲物が窒息してグッタリしたのを確認すると、それを咥えたまま、立ち木の裏へとズルズルと引き摺っていった。
だが大人しくはなってはいたが、実はゴルゴは意識を失っていただけでまだ辛うじて生きていた──いたのだが、虎は構わず彼の腹を噛み破り始めたから、さあ大変。

「──うごっ!?!? ぐぎゃうああぇああぅうああえぉおあ〜〜!!!!」

形容し難い断末魔が辺りに轟いた。しかしそんなことは気にせず虎は獲物の腹腔から柔らかく新鮮な内臓を引っ張り出すと、むしゃむしゃと食べ始めた。彼ら肉食獣にとって赤身よりも内臓のほうがはるかに滋養があり美味であるのだ。
そして男の時計はそこで止まった。永遠に。アーメン。
傍らで二頭の黒ヒョウがモノ欲しそうな目をしていたが、前のようにおこぼれを貰えばいいやと思ったのか、割り切ったような顔を見せると、また木の上へと戻っていった。

にっちゃ、くっちゃ♪

虎は男の腹の奥までスッポリと頭を突っ込んで、夢中で食べていた。よほど空腹だったのだろう。口の周りの白い体毛などは、べっとりとした血で真っ赤に染まっていた。

ぶっちゅぶっちゅ、ぐっちゃぐっちゃ……ごっくん♪

そして程よく咀嚼してから嚥下した。

「……」

部下の最後の晩餐(されちゃったほうの)シーンを、暫くは呆然と見つめていた鬚男であったが、

「──くっ、ここはひとまず撤退だっ!! 総員回れ右ぃー!! あ、そぉーっとだぞ? そぉーっと」

今はトカゲの尻尾(注:ゴルゴ)に夢中なプレデターに気づかれないように、足音を殺して踵を返す。最初のあの勢いは完全に失せていた。

「司令殿こちらに!」
「う、うむ」

黒服たちに促され、静かに、しかし足早に元来た玄関のほうへと急いだ。
そしてようやく立ち木の隙間から玄関先が見えてきた頃、

(((た、助かった〜!)))

誰もがそう思った。しかし──

ガサッ!!
「うひっ!?」


突然の物音に竦み上がる鬚男。
彼の眼前、数メートル先には、長らく行く方知れずだったイリエワニのガチャピン君(某少年の命名)が、通せん坊するかのようにどっしりと待ち構えていたのだ。

「ななな何だこれはっ!?!?」
「ワ、ワニですぅ〜!」
「ンなもん見ればわかるわ馬鹿者っ!!」


急造相方に二度目のツッコミを入れつつも、しかし男はこんな巨大なワニなど見たことがなかった。それほどに目の前のそれは桁外れの大きさだった。はっきり言って恐竜サイズなのだ。
片や当のガチャピン君は、数日振りにやってきた獲物に歓喜していた。ここでは餌は与えられてないので、たんぱく質は自分で摂るしかなかったのだ。
彼は大口を開けるや、ガアーッと一直線に突進してきた。

「ひぃい〜〜〜!?」

完全に自分が標的とされているのがわかって鬚男は悲鳴を上げた。
予想外の速度で迫りくる巨大ワニ。この巨体にして彼は意外なほど俊敏で、初動こそゆっくりだったが、加速度的にトップスピードに入っていた。恐らく人間の競歩並の速さはあっただろう。そして最後はジャンプするかのように跳躍、ぶっちゃけ鬚男に飛び掛った。
さすがの鬚男もついに年貢の納め時かと思いきや──寸前で隣にいた部下の肩をガッと掴むと、自分の代わりに突き出した(汗)。それは反射的な無意識下の行動だった。

「…ふえ?」

片や突き出されたほうのアフロは何が起きたのかわからない。ようやく「身代わり」・「上司の裏切り」・「犠牲」・「トカゲの尻尾」という単語が脳裏に浮かび上がった頃には、もう時既に遅く…(汗)。

──ガブッ!!
「うぎゃっ!!」


哀れ右足の脛に噛み付かれ、バランスを崩した彼は強かに地面に倒されてしまう。

「わっ、わっ、わっ──!?」

慌てて体を起こそうとしたが、世界最大の爬虫類であるイリエワニ、しかも全長10m、胴回り4.2m、体重3tを超える化け物に、高々素手の人間がどうこうできるわけがなかった。考えるのさえおこがましい。
それでも男は必死こいて逃げようとした。さもあらん。この世で一番大事な自分の命が懸かっているのだ。しかし、久々にありついた貴重なたんぱく質を逃すガチャピン君ではなかった。
普通ならここで体全体を高速回転(ツイスト)させて、獲物の足を捻り切って然るべきであったが、その隙に獲物本体が逃げてしまう可能性があった。著しく空腹の今、そのリスクは冒せない──ならば取るべき手段は唯一つ。

巨大ワニは、男の右足に齧り付いたまま、ネグラとしている玄関横の木陰へと引き摺り込み始めた。

「ひいぃぃいいい〜〜!! 助けてぇ!! 助けて下さい碇司令っ!! 助けて隊長ぉー!! おたしゅけええぇぇえええ〜〜〜!!!」

狂ったように泣いて懇願するアフロ。これでもかつて世界を恐怖のズンドコに陥れた元テロリスト。
だが救助を求められたほうも、最早どうこうできる話ではなかった。第一そんなことをしたら二次遭難してしまうのだ。それは彼らの、少なくとも鬚面の男の本意ではなかった。内心、成仏してくれよ、俺様のこと怨むなよ、と手を合わせていたくらいなのだから(汗)。

「ぎぃやああぁぁあああぁぁあああ〜〜っ!!!」

あまりの凄惨な断末魔に、さしもの鬚男も思わず耳を塞ぎ、顔を顰めるしかなかった。

──バキッボキッベキッ!!

めちゃくちゃ骨の折れる音が響き渡った。そして、

──ゴックン!

生贄は、ほぼ丸呑みにされたようである。

「こっ、このルートは駄目です!! 司令殿こちらにっ!!」

最後に残った黒服、シュワちゃんが誘導する。

「う、うむ」

玄関は目と鼻の先だったが、あんな化け物がいる真横を通り過ぎるわけにはいかない。二人は断腸の思いで今来た道を戻った。
先ほど虎や黒ヒョウに出くわしたポイントは避け、高い塀沿いに庭の奥へと逃れる。無論そこに逃げ道がある確証などない。もしかした行き止まりかも知れない。だが今の彼らに選択肢などなかった。

「はぁはぁ……しかし何なんだこの家は?」

走りながら男はボヤいた。

「…わかりません。 まさかあのようなモノが放されているとは……やはり先任の者たちは彼らにやられたとみるべきでしょうか?」
「……」

男は答えられなかった。無論その可能性は高いのだが、報告によれば屋敷の外にも部下の変死体が残されていたこともあり、その鋭利な傷は明らかに動物の仕業ではなかったという。かといって人間の仕業とも思えなかったのだが…。男はますます頭を悩ませた。
暫く行って庭の角を曲がった頃、

「司令殿! あそこの池の向かいの塀に小さな通用口が!」

見れば、確かに古ぼけこじんまりとした扉があった。

「おお、でかした! 急ぐぞ!」
「了解!」

ようやく見えてきた光明に二人の心は弾んだ。
迂回するように池のほとりを走る。三メートル四方のごく小さな人工池。池というよりは水溜り。水深もそんなには深くないだろう。せいぜい膝下くらいか。金魚ぐらいは泳いでいるのかも知れないと思いつつも、特に注意を払うこともなく横を通り過ぎようとした──まさにその瞬間!

ざっばーーーーん!!

「ぬおおおっ!?」
「──こっ、これはっ!?」


その小さい池から巨大なシャチが顔を覗かせたから、さあ大変♪

「のわーーーー!!?」
「うわーーーー!!!」


──ガブッ!!
「ぎゃあああああああっっ!!!」

シャチはシュワちゃんを頭から丸ごとパックンチョすると、また池の中へと消えた。

「なんなんだっ!? なんなんだよこの家はーーーっ!?!?」

一人残された男は腰を抜かし、目と鼻と口から、ついでに股間からも体液を溢れさせ、激しいパニックに陥っていた。





「はぁはぁ……ここまでくればもう大丈夫だろう」

男は庭の最奥、とある物置の前で乱れた息を整える。
光明と思われた先ほどの池そばの通用口だが、実は塀に描かれた巧妙な騙し絵だったというオチ。恐らくは侵入者を池に誘き寄せるための罠。

「くそがっ!!」
ガシャンッ!!


無性にイライラしたのか、男は物置のシャッターを蹴り上げた。
何とかここまで逃げてきたが、周りには誰もいない。もはや自分一人だった。急に心細くて仕方がなくなる。もっといっぱい護衛を連れてくるべきだったと、いやそもそもこんなところに来るんじゃなかったと、今さらながらに後悔を始めていた。
気づけば、ズボンの股間が濡れていた。どうやらいつの間にか漏らしていたようだ。それに何だか後ろのほうも妙に突っ張って重い感じがする…(汗)。

ガタガタッ──

そのとき、不意に物置の中から異音がした。

「なっ、何だ!?」

ウイーーン…。

目の前の物置──通称、百人載っても大丈夫なイナバ君──のシャッターが自動で巻き上がる。そして、

──ぐるるるぅ〜!

唸りを上げる何者か。そう、サバンナ一の強戦士、真打ち、満を持してのベジータ君の登場であった♪
多少二番煎じの感はするが、お待ちかねの千秋楽である。

「なななな、何で物置にライオンがいるのだ〜〜〜!!」

動物園にいるのよりは二回りは大きい体躯。もしかしたら全盛期のK○NISHIKIとタメを張れるだけ体重があるのかも知れない。無論、全身が強靭な筋肉の、だが。

「うひゃっ!!」

目と目が合い、男は怯んだ。
自分以外の者はすでに殺られてこの場にいない。つまりコイツは明らかに自分一人を狙っていた。

「たっ、助けてくれぇーーー!!」

男は一目散に逃げ出した。背中を見せると危険とか聞くが、そんなの知ったことではなかった。咄嗟に四メートルはあろうかという塀に手を掛け、よじ登った。まさに火事場の馬鹿力というやつだ。しかし、

──がぶっ!!
「プギャーーーッ!!!」

後ろから豪快にケツを噛まれてしまった。そしてそのまま一気に地面に引き摺り下ろされ──がしかし、

──ぐるうぉおおっ!? ぺっ、ぺっ、ぺっ!!

何が起こったのか、突然ライオンが悶絶し始めた。…どうやら男が漏らしていた生ウンコを口に入れたらしい(汗)。しかも普段から肉食を常とする男のそれは激しく臭かったようで……哀れベジータ君(汗)。

「ぬ、何だか知らんが、今だぞっ!!」

その隙にすかさず塀をよじ登り、男は這う這うの体で脱出した。まさに悪「ウン」が強かったといえよう。

「はぁはぁ……助かった……俺は助かった、のか…?」

ある程度走った後、膝に手をついて息を整えながら暫く俯いていたが、バッと顔を上げると、

「うおおおーーッ!! やったぞっ!! 俺様は助かったっ!! 助かったぞーーッ!!!」

痛みに耐え、よく頑張った!感動した!
まさに九死に一生スペシャル。グッと拳を天に突き上げ、全身で喜びを表した。しかし、

「「「「「(ひそひそ、ひそひそ)」」」」」

数人の買い物帰りの奥さん連中から不審者のように見られてしまった。いや実際その通りだが。
ここはもう街中であったのだ。

「む……い、一度戻って出直すか…(汗)」

途端に気恥ずかしくなって、男はその場を退散した。





「ど、どういうことだ?」

街角で鬚男は途方に暮れていた。
待機させていたハズの拉致部隊が、何故か一人もいなかったのだ。
だが痕跡は残っていた。アスファルトの上には、慌てふためいたような無数の靴の跡。そして点々と落ちていた血痕。たった十数分の間に、この場所でいったい何があったというのか?(汗)
このとき上空を一羽の猛禽が舞っていたのだが、男が気づくことはなかった。

「くそっ」

いつまでもここにいても仕方がない。持ち合わせもなく、歩いて帰るしかなかった。
男はトボトボと歩き始めた。

「「「「「(ひそひそ…)」」」」」

道すがら、何故か注目を集めていた男。特にお尻に好奇な視線を感じていた。
そう、本人は知らなかったが、男のズボンの後ろは大きく破れ、お尻丸出しだったのだ。…しかもべっとりと生ウンコ付き(笑)。
夕暮れの空、カラスが「あほー、あほー」と鳴いていたのが物悲しく。
結局のところ、ファースト・チルドレン救出作戦(飽くまで鬚の自称)は最初から躓いた。
負傷者一名(鬚男、ただしお尻の噛み傷のみ)。
未帰還者四名(護衛担当の保安諜報部員)及び百五十六名(拉致担当の保安諜報部員)。
余談ではあるが、プレデターたちが食い散らかした血肉だが、あとでスカベンジャー(ハイエナら)数頭でもって綺麗に後始末されたという。





〜翌朝、第三新東京市・郊外〜

「いや〜昨日は楽しかったねえ〜」
「──ええ」

登校途中の道すがら、僕と綾波は昨日の温泉旅行の話で和んでいた。
ま、戻ってきたのは今朝、それもつい今し方ではあったが。
何せ起きたのが朝の七時過ぎ。完全なる寝坊だ。どうも深酒が過ぎたみたい。慌てて皆を叩き起こし、当然だが朝風呂に入る余裕もなく、急いでホテルをチェックアウトすると、海岸沿いのぐにゃぐにゃ曲がった一般道を時速150キロで飛ばして、どーにかこーにか第三へと戻ってきたわけで。途中、いろんな物にぶつかった気もしたが、気にしないことにした。
洞木三姉妹を自宅に送り届け、我が家に着いたのが八時前。手早く着替えて、玄関を飛び出し、そして今に至る。この分だと何とか遅刻はしないで済みそうだ。
そういえばお土産買う時間すらなかったなぁ。朝ご飯もコンビニでおにぎりを買って車の中で済ませてもらったし…。皆には悪いことしたかな? ま、後で埋め合わせでもするか。

「んで、肝心の温泉はどうだった?」
「──PH9以上。 高アルカリ性のお湯だったわ」
「そ、そりゃ水道水じゃないからねえ…(汗)」
「──でも、無色透明だった」
「へ? 普通の温泉はそうだと思うけど?」
「──??? 家のお風呂は白く濁ってたわ」
「……ああ、なるほどね。 うちのとはね、また泉質が違うんだよ」

そう、何を隠そう我が家には温泉があった。地元の大涌谷からにごり湯(酸性石膏泉)を引いていたのだ。
貴重な天然温泉が何と24時間使いたい放題。これが結構家人(特にクロ)に好評だった。
…税金とかメンテとかいろいろ大変ではあったけれど(汗)。
話は変わり、

「いやーしっかしクロには参ったよね〜」

うんうんと、困ったように頷く。

「さんざ酔っ払うわ、テーブルの上で裸踊りを披露するわ、キスしまくるわで、まったくもってお下品だったね」

そしてアイツにだけは酒を飲ませちゃダメだと付け加えるが、

「──碇クンも同じことしたわ」
「え? 僕が? な、何を?」

あり?何かしたっけ?

「──ちょんまげ」
「ちょんまげ? ……あ(汗)」

説明しよう!
時は遡って昨夜、所は西伊豆の某ホテルの宴会場、宴も酣(たけなわ)な頃のお話。
お酒が入り、だいぶ気分が良くなってムズムズしてきた吾輩は、器用に正座して箸を持ちテーブルの御膳を突付いているシロの背後に回ると、己が浴衣をはだけ、パンツを下ろし、高さと左右の位置を微調整し、そしてそして、

──ぺちゃ♪

載せた(爆)。

「ちょんまげー♪」
「「「「「ぶぅーーーーっ!?」」」」」

モザイク処理が必要な、そのあまりのお下劣さに、目撃した全員がもれなく噴いた。仲居やコンパニオン(ピンクじゃないよ)の皆さんも噴いた。でも馬鹿ウケでした♪

『にゃ?』

片や何をされたのかわからないシロはマヌケ面のまま首を傾げる。でも何か頭に違和感。それはとても生暖かくて柔らかくて、何だかナマコのようにズッシリと重かったそうで……後でバレてめちゃくちゃ怒鳴られたけど…(汗)。
以上、説明終わり。

「そ、そーゆーこともあったね、はっはっは(汗)」

笑って誤魔化した。

「──でもあれはやり過ぎ。 下品」
「むっ、あれは日本伝統の宴会芸なんだよ!」

下品と断じられて、思わず嘯いていた。無論、嘘っぱちだ。言ってからちょっと後悔。

「──そうなの?」
「そう」
「──本当に?」
「本当に」
「──本当に本当の本当?」
「う、うん…」

次第にトークダウン。

「──そう。 なら今度私にもして」
「ゴメンなしゃい。 僕チンが悪うございました(汗)」

ソッコーで土下座して謝っていた僕。さすがに綾波相手にちょんまげはできないと思う。セクハラもいいところだし。

「──ん、いーこ、いーこ」

素直に謝ったからか、よしよしと上から頭を撫でられた。

「あ、綾波ぃ〜(汗)」

何か最近、性格が変わったなーと思う今日この頃。だがいい傾向である。

ぷるるるるる──

突然、綾波のカバンの中から聞こえてきた携帯電話のシンプルな着信音。

「あれ、綾波の携帯鳴ってるみたいだけど?」

言われて彼女はゴソゴソとカバンを漁り、自分の携帯を手に取った。発信機付きのネルフ純正の支給品だ。まだ持ってたのか。
綾波はディスプレイに表示された発信者の氏名を見て一瞬だけ嫌そうな顔をしたが、それでもピッと通話ボタンを押した。

「──はい」
《…レイか? 私だ。 何をしている? 早く戻って来い。 これは命令──》
「──嫌」

途中でプチっと切り、その携帯は横のドブ川にポチャンと捨てた。

「誰から?」
「──知らない人」
「あ、そう」

ま、想像はつくけどね。うむ、いい傾向だ。





〜同時刻、ネルフ本部・某司令室〜

「……」

そこには受話器を耳に当てたまま固まっている部屋の主がいた。

「どうだ? ちゃんとレイを呼び出せたか?」

隣に控える副官の老人が訊ねた。

「……」
「ん、どうした碇? 随分と顔色が悪いぞ?」
「…………き、切られた(汗)」

シーーーン。

「ぷっ……無様だな」
「……」
「くく、くくくく」
「笑うな」
「いやすまんすまん。 だが……ぷっ、ぷぷぷぷ」
「だから笑うなというに!」

一息吐いて、

「で、どうするねこれから?」
「大丈夫だ。 きっと照れているだけだ」

誰もそんなことは訊いていない。つーかまだ言うかこの男は!

「まだ俺には起死回生の策がある。 心配いらん」
「…ほう、どんなだ?」

試しに訊いてみた。

「説得だ」
「…せ、説得って、お前今さら何を…(汗)」

呆れる老人。

「心を込めて誠心誠意で説得すれば大丈夫だ」

だが男は自信に漲(みなぎ)っていた。いったいどこからそんな自信が湧いてくるのやら…(汗)。

「あのな……レイが黙ってついてくると思うか? 本人が嫌だと言ったらどうする気だ?」
「それこそ杞憂だ。 アレは俺を拒まない」

男は甚だ心外だという顔をした。

「はぁ……いいか? 俺は万一のケースを訊いておるのだ。 それに今さっきの電話での態度を忘れたわけでもあるまい? 確実にお前、レイに嫌われてるぞ? それはもう完全にな」
「電話の件は何かの間違いだ。 アレは俺を拒まない。 そして嫌いにもならない。 そういう風にできている」
「(コ、コイツはいったい何を根拠に…)だから百歩、いや百万歩譲って仮定の話をしてるのだっ! ちゃんと答えんかっ!」
「…………フン、そのときはネルフ権限で強制徴兵でもすればいい。 問題ない」
「ふう、やはりそれを考えていたか…」

言いながら老人は天を仰いだ。

「当然だ。 むしろそれくらいの頭は使え、ばか者めが」
「…さて馬鹿はどっちだか…」
「何っ!?」

腹心の不遜な言葉に男は色めき立つ。自分が言っても他人に言われるのは許せない。ギロッと睨んだ。
だが当の老人は意に介さず、

「あー、残念だったな」

と話を切り出した。

「先程な、赤木博士に確認したんだがね、貴様が病院で熟睡してる間に、レイはすでにサードと同じ身分になっておったらしい」

それはいきなりの重大発表だった。

「何っ!? それは一体全体どういうことだっ!!」

思わず椅子から飛び上がって詰め寄る鬚男。

「いや惜しいな。 つい一昨日付で正式な某国の国籍と外交官の身分を取得したようだぞ。 どうやらそのことを事前に掴んだ赤木博士と言い争いになったのが……まぁ、先日の顛末らしくてな」

老人は淡々と説明した。

「馬鹿なっ!! そんなの俺は聞いておらんぞっ!!」
「そりゃ言ってなかったからな」
「…くっ、何故すぐに報告しなかったっ!?」

ひどく責めるような目だ。

「報告しようにも、お前はずっと寝てたじゃないか」
「ぐっ…!」
「それに赤木博士はお前の治療と看病、それにドグマの残作業で、てんてこ舞いだったからな。 七徹だぞ七徹? 作業量と優先度を考えれば、今回のことは強くは責められんよ」
「うぐぐぐぐ」

それでも納得いかないのか地団駄を踏む男であった。

「というわけで、ネルフご自慢の特務権限は今後一切レイには適用されないことになった。 ま、この点はサードと同じだな。 今さらジタバタすることでもあるまいて」

老人のサラリとした言葉に、だが上司の男が噛みついた。バンバンと机を叩き、また叩く。

「ふざけるなっ!! そんなもの無効だっ!!」
「そうか? だがしっかりと日本政府の承認も得ているぞ」 
「そんなの知ったことかっ!! アレは──アレは俺様のものだぞっ!! 誰にも渡してなるものかーーっ!!!」

男は逆上してとんでもないことを口走っていた。

「お、お前というやつは…(汗)」
「そもそもだ、俺の許しもないのに何故そんな勝手なことが出来るっ!? 俺はアレの歴とした保護者なのだぞっ!!」
「…それは飽くまでお前の自称であって、法的根拠はないと思うが?」
「馬鹿も休み休み言えっ!! この俺が保護者でなくて誰が保護者だと言うのだっ!!」

男は一歩も譲らなかった。逆にイライラした表情でギンと睨み返す。
これには老人もほとほと呆れた様子、しかしこれでは埒が明かないため、少し考え、攻め口を変えることにした。

「…ときに、レイの親権はどうなっているかね?」
「親権? 何だ藪から棒に?」
「いいから答えてみろ」
「…フン、当然俺が持っているに決まっている。アレの親も同然だからな」

男は自信満々、堂々と言い切った。
だが親も同然のくせに如何わしい行為には及ぼうとしていたのはどういうことだ?(汗)。

「ほう、ならば訊くが……過去にレイの出生届を役所に出した覚えが、お前にはあると言うのだな?」

確信めいた表情で確認をとる老人。これに対し男はひどく怪訝な顔をする。

「出生届? おいおい、何故そんなものを出す必要があるのだ? それに忘れたか冬月? レイは補完計画の要だぞ? 素性も実年齢も違う! そうそう公にできるわけがなかろう! 第一、そんなモンは出さなくても、俺とレイとは太くて固い絆で結ばれている。 ネルフにいる人間なら誰だって知っていることだ!」
「つまりないと……なるほどそうか、やはりな」

後半の世迷言は無視して、老人は一人腑に落ちた。

「何がだ!」
「…いいか碇」

上司の怒鳴り声を軽くあしらい、諭すように口を開く。

「レイに正式な戸籍などない。出生届を出してないからな。彼女を地上の中学に編入させるときでさえ、多少の偽装はやったようだが、戸籍そのものには手をつけなかった……違うか?」
「ぬ、だがそれは──」

男は咄嗟に弁解しようとするも、

「ワシは今、事実のみを確認しているっ!」
「むっ」

老人の剣幕に怯んでしまっていた。

「で、どうなんだ?」
「…ああ、そうだ」

男は不承不承ながらも認めた。

「ふう……そこをつけ込まれたな。まったく見事な手並みだよ」
「……」

両者の間に諦めにも似た嫌な雰囲気が漂い始めていた。





「──俺は認めん、認めんぞ…」

それでも男は諦め切れない様子。口許で手を組んだまま、終始何やらブツブツと呟いていた。

「認めない? 手続き上、お前の許可など不要だぞ。 何故ならお前とレイは最初の段階から赤の他人なのだからな」
「っっ!!? ふざけるなっ!!! ふざけるなっ!!! ふざけるなーーっ!!!」

赤の他人という言葉が癪に障ったのか、男は椅子から立ち上がるや、己が副官に猛烈に食って掛かる。
だが当のご老体は、

「おいおい、ワシに怒鳴っても仕方があるまい? 文句があるんだったら、地上の役所か家裁、あるいは某国に言うんだな」

と軽くいなし、そしてさらに冷たい事実を付け加える。

「尤も、親権とか保護者とか強硬に主張しても、そんなもの端から無効だぞ。 なんせ戸籍自体がなかったのだからな。 さりとて今さら就籍届を出そうにも、もう新たな戸籍が作られているし、それにレイ本人の意思云々を持ち出されたら、どのみち貴様に勝ち目はないと思うがね」
「ぬ、レイならきっと──」
「そう思うなら今すぐ本人に訊いてみるといい。 きっと面白い返事が貰えると思うぞ?」

言いながらも老人は皮肉というスパイスの利いた薄笑みを漏らしていた。

「うぬぬぬぬ…………む、そうだ!」

突然、何かが閃いた様子の男。

「MAGIを使って第三新東京市の戸籍データを改竄すればいいっ! どうだ?」

我ながらナイスアイディアとばかりに鼻息を荒くするが、

「あー残念だが、セカンド・インパクトを機に、この国の戸籍原本は紙だ。 MAGIではどうにもならんよ」
「……」

これまた悲しい事実が告げられ、早々と意気消沈してしまう。
暫くの間俯いていたが、

「なら……してしまえ…(ボソッ)」
「は? 何だって?」

うまく聞き取れず、老人は耳を傾ける。
そして当の鬚男はバッと顔を上げて怒鳴った。

「なら役所ごと燃やしてしまえっ!! 邪魔な戸籍などこの世から丸ごと消せばいい!! それで全部解決だっ!!」

何ともそれは乱暴な主張だった。

「…まあ有効なのは認めるが、少々手荒すぎないかね?」
「だが一番確実で手っ取り早い方法だ」

男は譲らない。

「それはそうだが…」
「ぬ、何だその奥歯に物が挟まったような態度は? 俺に文句でもあるのか?」
「いや、ワシは別に構わんのだが…」
「なら従え」
「…ふむ、だがいいのか碇?」
「ああ! 早速今夜にでも決行しろ! 善は急げだ!」
「…後悔しないな?」
「くどいぞ冬月っ!! やれと言ったらやれっ!!」

男は鬱陶しそうに怒鳴りつけた。

「そうか……お前がそこまで言うのならワシとしても異存はない。 わかった。 ただ──」

老人は一旦言葉を区切ると、

「──お前とユイ君が結婚していたという事実も一緒にこの世から消え去るが、本当にいいんだな?(ニヤリ)」

と、メガトン級の爆弾を投下した。

「ななっ!? ちょっ、そりゃどーゆーことだっ!?」

遥か想定外の物言いに、男は激しく狼狽する羽目に。

「…確かここで出したんだろ?」
「だ、だから何をだ!?」
「…婚姻届」
「!!!!」

その一言でようやくすべてを察したのか、男の顔色が青方偏移し始める。
そう。今から十数年前、まだその当時は箱根町と呼ばれた町の役場に、夫婦仲睦まじく婚姻届を出しに行った記憶が男には鮮明にあったわけで。窓口のオバサンからおめでとうございますと祝福されたのを今でもしっかりと憶えていた。
現在でこそ市制施行され旧箱根町はなくなってはいたが、当然戸籍データは今の第三新東京市へと統合・移管されているのだ。そのことを男はすっかり忘れていたらしい。
かくして見事に八方塞。どのような理由があろうとも、この男に愛する妻との絆を灰にしてしまう度胸なぞなかったわけで。
男は暫く口をパクパクさせていたが、それ以降はバッタリと何も言わなくなっていた。そんな様子を見ながら、

「…アレを自分の人形か何かだと思ってサボっていたツケだなこれは。 フン、自業自得だぞ」

ポツリと老人の厭味な呟きが空しく部屋に木霊した。





〜???〜

「──な、何でこのワシまでがっ!?」

老人の失望と嘆きの声が真っ暗な空間に轟いていた。
ここは第三新東京市の市庁舎。市民課というプレートが天井から下がっているフロアの一角。
あれから時計の短針が一回り半した頃、そこにはポツンと二つの人影があったわけで。車椅子の老人、そして鬚面の男の二人である。

「(お、大声を出すんじゃない馬鹿者が! 気づかれたらどうする気だ!)」

手ぬぐいでほっかぶりし、見るからに泥棒ルックの上司がキョロキョロと辺りを警戒した。今はもう深夜とはいえ、まだ明かりが点いているフロアもあったからだ。定期的な警備の巡回もある。幸いにしてこの階は誰もいないようで、暗闇の中を静寂だけが支配していた。

「(ホラさっさと貴様も探さんかっ!)」

懐中電灯片手に机の上をガサゴソと物色している男。
だが言われた老人にとって、今の状況は想定外だった。こんなハズじゃなかったと。
当然来たくはなかったが、

──丸ごと燃やすのがダメなら、ピンポイントで処分すればいい!

つまり、某少女の戸籍の原本だけを探し出し、破棄しろというわけである。
そんな鶴の一声で、自室で安眠していたところを無理矢理に拉致られ、ここまで連れてこられたのだ。
今さら余計なこと(注:婚姻届のくだり)を言ったと後悔したが、遅きに逸した。

「(お前一人で来ればよかったものを!)」
「(ひ、一人だと心細いではないか!)」
「(お前は子供かっ!)」

老人は押し殺した声で怒鳴る。そしていつしか二人の間で言い争いが始まっていた。

「(兎に角、ワシまで付き合わされたら堪らん! 今何時だと思っている!)」
「(し、仕方がなかろう! 他に動かせる人員がなかったのだ! まさか一般職員を連れて行くわけにもいくまい!)」
「(そりゃ全部貴様のせいだろーが! 人員がなかった? お前が湯水のように浪費したからだ! 彼ら黒服とてネルフの大事な資源なのだぞ? もっと大事に扱え!)」
「(フン、気にするな。 アイツらは所詮は体のいい捨て駒に過ぎん)」
「(…お前そんな態度じゃ、いつ組織に穴が開くとも──)」

言い掛けるが、男に遮られた。

「(問題ない。 一週間後にはまた二百名ほどが補充される予定だ)」
「(またぁ!? またなのか!? おいおい、錬度は、新人教育は大丈夫かね!? スパイの心配とか本当に大丈夫なんだろうな!?)」

老人は甚く心配するが、

「(知らん。 その辺は全部任せてある)」
「(……因みに、誰にだ?)」

嫌な予感がしたが、一応訊いてみた。

「(決まっている。 お前にだ)」
「(……スマンが激しく初耳なんだが?)」
「(当たり前だ。 今言ったばかりだからな)」
「……」

この後暫く彼らの不毛な言い争いは続いたが、

「(兎に角だ! これ以上は付き合っておれん! ワシは帰る! ああ、今すぐ帰るぞっ!)」
「(……一人でどうやって帰るんだ?)」
「(何っ!?)」

驚愕顔の老人。
当たり前だが、彼は車椅子に乗って今ここにいたわけで。いわば拉致されたも同然だから、いつもの付き添いの人間もいなかった。かといって、ここから自力で帰るだけの体力がないことは一目瞭然。
唇を噛み、ぷるぷると悔しさを滲ませる老人。逆に相手の男はほくそ笑んだ。

「(クククク……だから、どうやって帰るんだ? ほれほれ、言ってみそ?)」

さらにニヤニヤと鼻先で薄笑い、挑発し、馬鹿にする。

「(き、貴様…)」
「(帰るだぁ〜? フッ、帰れるわけがないよなぁ〜? なら諦めて探すのを手伝え!)」
「(卑怯だぞ碇…)」
「(何とでも言え。今のお前に選択肢はない)」
「(ぐっ…)」

最近めっきり白髪が増えた老人は、そしてガックリとうな垂れ、己が負けを認めることしかできなかった。





「(──おい、そっちはどうだ?)」
「(ダメだな。 この辺りにはない)」
「(そうか、なら次はあっちだ)」

小さな懐中電灯だけを頼りにガサゴソと虱潰しに物色している二人。尤もその内の一人は両手両足が欠損しているから、目で探すだけだったが。

「(しかし何だな…)」

視線を落としたまま老人が話を振る。

「(何がだ?)」
「(いや、歴とした国連上級職員である我々が、こんなところでこんなことをしているなんてな…)」
「(そうか?)」
「(バレたらさすがに洒落にならんぞ?)」
「(バレなければ大丈夫だ)」
「(……お、お前な…)」

だが、ある意味こういう論理思考ができるコイツが羨ましい、そう思う老人であった。

ガサゴソ──

「「……」」

ガサゴソ──

「「……」」

ガサゴソ──

「「……」」

ガサゴソ、ガサゴソ、ガサゴソ──バサァッ!!

突然、男がブチ切れ、手にした書類をぶちまけた。

「(だああ〜〜!! いったいどこにあるっちゅーねんっ!! かれこれ30分も探しとるが、全然見つからんではないかっ!! おい冬月これはどーゆーことだっ!!)」
「(お、俺にわかるわけないだろーが!)」

防災対策として地下に一括保管されている事実を、このときの二人は知らなかった。そりゃいくら探してもないわな(笑)。

「(わからないだとぉ!? ふざけんな!! 何のためにお前を連れてきたと思っている!! それでも俺の参謀かオイッ!!)」
「(む、無茶を言うなっ!)」

その後、探しても探しても目当ての物は見つからず、男のイライラは益々積もるばかり。

「(クソッ──やっぱり建物に火をつけてやろうか?)」
「(ワシは構わんがね……ユイ君との絆も灰になるぞ?)」
「(むっ、むむむむ…)」
「(ふう、これは一度出直したほうが──)」

だがそのとき、

プシューッ!
「「っっ!!?」」

突然、フロアのゲートが開いたから、さあ大変。

「──誰だっ!?」

それは巡回中の警備員の発した声だった。
真っ暗な部屋の中、蠢く怪しい小さな明かり(注:懐中電灯)をガラス越しに発見した彼が、職務を全うするために、駆けつけたのである。

「だ、誰かいるのかっ!?」

その初老の警備員は、腰が引けながらも、己が懐中電灯で部屋の中を彼方此方照らしてみるが、そこには誰もいなかった。
しかし床には書類が散乱しており、これはただごとではないと感じた彼は、恐る恐る部屋の中へと入っていく。

「こ、これは!」

そして無残な部屋の状況をその目で確認すると、慌てて携帯電話を取り出し、仲間に連絡をとり始めた。
しかしあの二人……いったい何処へ消えたのであろうか?(汗)

「「……」」

そのとき渦中の両名は、近場のロッカーの中に隠れており、ジッと息を殺していた。正しく絶体絶命である。

「(これはマズイことになったぞ…)」
「(ああ…)」

予想外の事態に冷や汗を通り越して脂汗をダラダラと流し始める二人。
咄嗟に手近なロッカーに隠れたまではいいが、このままではジリ貧だった。

「(っ!? おい押すんじゃない! 貴様の汚いケツがワシの顔に当たってるじゃないか!)」
「(き、汚くて悪かったな!)」

鬚男が前で老人が後ろ。狭いロッカーの中で大の男が二人で密着状態のおしくらまんじゅう。しかも一人は車椅子付きときた。現状かなり無理な体勢となっており、とても長くは持ちそうになかった。

「(どうだ? もう行ったか?)」
「(…いや、まだ近くで物音がする)」

心臓ドキドキ、はち切れんばかりの緊張の中、耳をすませば、なおもその辺を警戒する見えざる警備員の靴音が聞こえていた。
クソッと内心吐き捨てる老人の脳裏には、最悪の未来が浮かぶ。
そんなピリピリしていた中、

「(なあ冬月、つかぬことを訊くが…)」
「(…できれば後にしてくれ)」

今は一切余裕がないためつれなく断るが、しかし上司の男は構わず話を進めてきた。

「(オナラの吸いすぎで人は死ぬと思うか?)」

実にクダラナイ質問だった(汗)。

「(…はぁ? いきなり何を言って──)」
「(どうなんだ?)」
「(…む、そりゃ臭いだろうが……酸欠でもなければ、別に死にはしないんじゃないか普通?)」
「(そうか。 なるほど、なるほど)」
「(……………………って、お前まさかっ!?)」

瞬間、老人の顔が驚愕に歪む。

「(いやぁ、退院早々、大量に食った肉がどうも中ったらしくてな。 夕方から腹の具合が悪くて、下痢と屁が止まらんのだ〜)」
「(なっ──じょ、冗談だろ!?)」
「(いや、冗談ではないぞ)」

男は真面目顔でキッパリと言い切った。
逆にア然とする老人。マジで洒落にならなかった。密室で、しかも自分の鼻先には男のケツがジャストフィットしていたのだから(笑)。

「(や、やめろっ!! 我慢するんだっ!! おおお、音で外の人間に気づかれてしまうぞっ!!)」
「(音? ああ、その点は大丈夫だ……………………何たって俺のは音ナシだからな♪)」

シーーーンと、少しの静寂の後、

ガタガタガタガタガタガタガタッ!!

突然ロッカーがけたたましく揺れだした。例えるなら、洗濯物の入れ方が拙くて脱水中にガタガタと暴れ出し自立歩行する洗濯機の如し(笑)。

「──な、何だぁッ!!?」

いきなり自分に向かって歩いてきた謎の巨大無機物に警備員は驚くも、一度深呼吸をし、意を決してその扉に手を掛けた。そして十分警戒しながらも一気に開けた。だがその瞬間、

「ぬわっ──くっさぁあああ〜〜っっ!!?」

漏れ出した目を突くような刺激臭に思わず仰け反ってしまう。
悪臭の主成分はインドール、スカトール、アンモニア、そして硫化水素。さすがに日々肉食によるタンパク質の腐敗臭は想像を絶したようで、激しく咳き込んでいた。

「(ぬ、今だっ!!)」
ドガァッ!!
「ぐぼぉっ!?」


泣きっ面に蜂。ロッカーの中からいきなり出てきた足が、自分の腹を思いっきり蹴り飛ばした。それは見事に鳩尾に入っていた。
結果、警備員の男性は悶絶、その隙にロッカーの中にいた男はトンズラすべくフロアのゲートに向かって一目散に突っ走った。しかし、

「って、待てやコラぁ!!! ゼエゼエ、はぁはぁ、──こっ、このワシを置いていく気かぁっ!!!」

一人取り残された、有毒ガスで激しく咽ていた老人がすかさず待ったを掛けた。危うく置いてけぼりを食らうところであったのだ。
だが呼び止められたほうの人物は、クルリと振り向いて一言。

「悪いが自分のことで手一杯だ」
「なっ──ふざけるなぁっ!!」

しかし鬚面の男はやれやれと肩を竦ませ、

「…ふう、あのな冬月……そもそも自力で逃げることすらできないくせに、なんでこんな場所まで来たのだ? そりゃ自業自得ってモンだろう? 違うか?」
「おおお、お前が無理矢理ここまで連れてきたんだろーがっ!!!」
「…そうだったか?」

首を捻った男。
そんな不毛なコントを二人が展開していると、

「何だ今の声はっ!?」
「ああ! こっちだ急げっ!!」

遠くから複数の声と足音が聞こえてきた。どうやら応援に呼んだ常駐の警備員たちがようやく駆けつけてきたようである。

「むむ、こうしてはおれん! ではさらばだ冬月! 悪く思うなよ!」

颯爽と踵を返そうとしたら、

「チクショー!!! 怨んでやるっ!!! 祟ってやるっ!!! 捕まったら、お前のことをあることないこと洗いざらいベラベラ喋ってやるからなっ!!! 憶えてろーーっ!!!」
「…………チッ!」

男は苦々しく舌打ちすると、不承不承ながら老人の乗る車椅子を押して逃げた。
余談だがこの事件以降、市庁舎の夜間警備が強化され、ゴキブリ一匹忍び込めなくなったことは言うまでもない。





〜三十分後、ネルフ本部・司令室〜

「はぁはぁ……貴様、本気でワシのこと見捨てるつもりだったな?(ギロリ)」

無事に逃げ遂せた途端、怨めしそうにパートナーを睨みつけた。彼に対する疑心暗鬼もここに極まっていた。

「…フッ、この私がそんなことをするわけがないではありませんか?」

しかし相手は微動だにせず、心外とばかりに柔らかい物腰で惚けた。

「嘘だ。 信じられん」
「結果がすべてですよ冬月先生。 実際、連れて逃げたのをお忘れですか?」

そう言われるとグウの音も出なくなる。しかしその行為をとったのは間違いなく保身のため、それは確実だった。だが証拠がない。実に悔しい。それにコイツが不自然に丁寧語を使うときは、経験上、決まって動揺して白を切るときなのだ。故にこの上なく怪しかった。

「…まあいい」

結局、私は折れた。無論、相手の言葉を信じたわけではない。コイツ相手に粘っても無意味なのは長いネルフ生活の中で学習済だったからである。

「で、どうするね?」

この言葉を吐いたのはこの日これで何度目であろうか。この一日で馬鹿らしくなるほど同じことを問い質した気がする。無論訊いたのはレイという少女のことだ。
命辛々二人して司令室に逃げ帰ってから既に半時間以上が経過していた。
事ここに至っては市庁舎の警備も厳重になっているだろうし、もはや搦め手(注:戸籍)から攻めるのは難しく、ナンセンスだろう。

「…作戦に変更はない。 先ず俺様自らレイを説得し、万一の場合は任意同行を願う」

そう自信たっぷりに目の前の男は嘯いた。

「任意同行? 強制連行の間違いだろーが」
「違う。 飽くまで平和裏にだ」

相変わらずのその矛盾に満ちた物言いに呆れるばかり。そもそもどこをどうやったら説得に失敗した対象を任意かつ穏便にネルフまで連れて来ることができるというのか?

「……ま、説得するのはいいとしてもだ、今のレイはサードにベッタリだぞ? 彼が傍にいても大丈夫なのか? 万が一邪魔をされた場合はどうする気だ?」
「ぬっ…」

途端に顔色が変わった。
やはり考えていなかったか…(汗)。
仕方がないので、暫く時間を与えてからまた訊いてみた。

「で、どうするんだ?」
「…アレのほうからついうっかり一人で外に出たときを狙う。 なかなか出てこないときは何とか誘き出せばいい。 その瞬間を逃さず確保、手早く掻っ攫う。 予め付近の道路を封鎖しておけば人目にもつかんし、邪魔も入らない。 完璧だ」
「それは力ずくというのではないのかね?」
「違う。 飽くまで説得がメインだ」

この期に及んでも自分に懐いていると信じて疑わないその頭を一度カチ割って見てみたいと思う今日この頃。

(それに掻っ攫う? 道路を封鎖? …確か昨日それをやろうとして出鼻から失敗したのではなかったか? しかも今回は人手がおらんぞ?)

呆れる老人。

「フッ、まあ何にしろ泥舟に乗ったつもりで安心して待っているがいい」
「……」

沈んでどうする?(汗)
不意に眩暈が襲ってきた。





〜翌日、第三新東京市・繁華街〜

ここは市の中心部。昼下がりどきの、人通りの多い大通りである。今朝方僕は、保安諜報部の部長に直々に呼び出され、とある任務を拝命し、今この場所にいた。
僕はしがない黒服の一人。名前はあるが取り立てて名乗るような名前でもない。
目の前には、一人の男性が歩いていた。黒っぽいネルフの士官服を着た、赤いサングラスをした強面のタッパのある男性である。僕の任務とは彼の護衛であった。
実はこの男性──ネルフの司令であったりする(汗)。
最初この話を聞いたとき、無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理ッス部長こんなVIPの要人警護なんて僕一人じゃとても無理ッス勘弁して下さいっ〜〜と必死に上司に泣き縋ったが、人手が足りないという理由であえなく突き放されてしまった。
聞けば昨日まで周りにいたあの怖い先輩方、全員が殉職したらしい。それを聞いてなおさら尻込みした僕だが、警護といっても対象の後ろをついて歩くだけ、何も心配要らない、安全だからとさんざ宥められ、結局は今この場所にいる次第。でも不安でいっぱいだった。
実はこの僕、黒服とはいってもまだ仮免、研修中の見習いの身、まだネルフに入って一ヶ月も経っていなかったのだ。歳はもうすぐ三十だけど…。
かくいう僕も、実は望んでこのネルフに就職したわけじゃない。これでもかつて某国立の一流大学の学生をやっており、夢は別にあった。
言いたくはないけど、その頃たまたまカテキョーのバイトをやってて、でも魔が差して教え子の女子高生に手を出しちゃって、それが現行犯で親御さんバレちゃって、同意のハズのその娘も打って変わって「襲われた」って主張し出して、結局警察に通報されて、大学も辞めざるをえなくなって……その後数年間はニート暮らしで……気がつけば就職先はもうここしか残っていなくて…(泣)。
これが僕がネルフに入った経緯だ。
正直あまり良い噂は聞かないネルフとはいえ、国連の一組織、よく僕なんていう前科者を採用したなと思ったけど……周りには似たような、いやもっと凄い経歴を持った人間がワンサカいて、少し驚いた反面、後悔もした。
でも歴とした国際公務員、親方日の丸ならぬ国連だ。それにもうこれ以上両親を泣かせたくない。前科者がいっぱいでも、きっと人生を再チャレンジできる先進的な職場ということだろう。
何よりネルフの仕事は世界を救うというやり甲斐のある仕事なのだ。矜持を持って真面目に勤めようと思った。

カツカツカツ──

白昼往来の大通りを闊歩する司令。僕はその背中を追うだけ。結局どこに行くのかはまだ聞かされていない。極秘だという。ただ街中を目的もなくぶらついてるように見えるけど、それは僕の未熟さ故……きっと意味があるのだろう。
真偽は定かではないがこの司令、噂では、剣道七段、柔道八段、空手九段の腕前で、ボクシングに至っては元世界統一チャンピオンらしい。
あと、つい最近では、ライオンや虎、黒ヒョウやワニ、大蛇やシャチさえも素手で倒したという。
本当なら凄い人だ。もはや人間ではないのかもしれない。
なるほどよく見れば上背もあるし、筋肉質だし、凄そうなオーラが見えるような、見えないような……素人の僕にはよくわからないのが残念だが。
しかしそんな人物に僕のような青瓢箪と渾名される軟弱男の護衛が本当に必要なのだろうか?(汗)
万一の場合は逆に助けて貰えそうな気が…(汗)。
一応拳銃は支給されてはいるけど、使い方はまだ習っていない。まだOJT(On the Job Training)の段階なのだ。尤も、その教えてくれる先輩はもうこの世にいないが…(汗)。
今回が僕の黒服としての初の任務、いきなりの要人警護。
ただ黒服といっても別に全員が全員、ブラックスーツを着込んでいるわけではない。それじゃ見た目葬式の参列者と変わらない。
別に決まりがあるわけでなく、全体として黒っぽい服装というだけで、かくいう僕もネクタイこそ黒だけどスーツは紺のありふれたリクルートスーツだ。まあ黒のサングラスだけは職場でデフォルトみたいだけど……昼間は兎も角、夜間はどうするのかな?(汗)
そんなことを考えながらトボトボ歩いていたら、

「おい新入り」
「え? はっ、はい!」

突然、雲の上のお方から声が掛かった。慌てて駆け寄るが、そういえばここにきて初めて口を利いて貰ったように思う。
どんな話かと緊張したが、何でも目標が下校する時間まで暇を潰すから付き合え、とのこと。…でも目標って何だろう?下校って何だろう?(汗)

「よし決めた。 ここに入るぞ」
「あ、はい…………え?」

突然立ち止まったそこは、高級クラブというよりはキャバクラな感じの店の前だった。
まだお昼過ぎでネオンサインにも電気が灯っておらず、どこをどう見ても開店前状態だったけど、司令は無視してドアを開けるとズカズカと中へ入っていった。慌てて僕もその後を追う。
入った店内はまだ照明も疎らで薄暗くBGMすら流れてはいない。明らかにまだ準備中だった。でも司令は躊躇わず一番奥のボックス席に移動してドッカと腰を下ろした。

「あら〜ん、なかなか渋いオジサマじゃな〜い♪ ん〜、まだ開店にはちょっと早いけど、いいわ、うんとサービスしちゃう♪」

チーママ風の、美人だけど三十路を越えた厚化粧の一人のホステスが僕らに気づき近寄ってきた。そして司令の懐具合を瞬時に見抜くや、途端にゴマをすり始める。絶好のパトロンを見つけたという目で、司令のすぐ隣に座ると、大胆に体を密着させてきた。
だけど当の司令は別段興味なさそうで、手渡された熱めのおしぼりでその脂ぎった顔を拭きながら、

「年増に用はない。 女子○学生を出せ女○中学生を」

とのたまった。

「は? …あの、今何と?(汗)」
「だから女子中○生だ。 若くてピチピチでおっぱいプルンプルンと柔らかくて芯はコリコリと硬い女○中学生を出せと言っておる」
「え、えーと…(汗)」
「そうだな、先ずは女子中○生10人ほどで花びら回転だ。 見事、時間内に俺様を昇天させてみろ」
「!!! ちょ、ここを何処だと思ってるんですかっ!! ピンサロじゃないんですよお客さんっ!! てゆーか、子供がこんな所にいるわけないでしょーがっ!!」

心外とばかりに激しく憤るホステス。

「何っ!? 女子中○生がいないだと!? そ、そんな馬鹿なっ!!」

片や司令は司令で何故か激しくショックを隠し切れない様子(汗)。

「当たり前じゃないですかっ!!」
「…チッ、品揃えの悪い店だな! そのくらいは用意しとけ! もっと客のニーズを考えろ馬鹿者め!」
「くっ、余計なお世話よっ!! これでもうちは健全な優良店なのよ!! いくらニーズがあっても未成年を使ってバレたら大変なことになるわっ!! いえ、それ以前の問題よっ!!」
「バレなければ大丈夫だ」
「…な、何ゆってんのよアンタは?(汗)」

ホステスは頭を抱えた。割と常識人のようであった。
確かに平日のお昼過ぎに女子○学生がこんな場所にいるほうがおかしいと思うし、第一そりゃ犯罪だもの。

(……)

僕も頭を抱えていた。
これも何かの任務なのだろうか?(汗)
僕には目の前の司令がただの助平なヒヒ爺にしか見えなくなって──ハッ、まさか!!
こ、これは囮捜査か!?
もしかして未成年者を不法に労働させている輩を検挙するための!?
あ、あり得るかも……さすがは司令だ。敵を騙すにはまず味方から。大石内蔵助もかくやという会心の演技だ。べ、勉強になるなぁ〜。





司令曰く、好みの女性がいなければこんな所に用はない。さっさと店を出て(注:塩まかれて叩き出されたというのがより正確)、僕らはまた市街地をブラブラと歩いていた。
暫くすると、前方から物凄い美人がこちらに歩いてきた。当然面識はなく、一見して二十歳前後の清楚で良家の子女風、思わず「え!? どこかの芸能人!?」と見惚れるほどのグラマラスな美人で、僕の心臓はドキドキ、彼女の美しさに比べたら、先ほどのホステスなんてその辺の畑に転がっている南瓜も同然だ。
いよいよその女性が僕らの横をすれ違うと、えも言われぬいい香りが鼻の奥をくすぐり、その後も気になってチラチラと後ろを振り返っては彼女の背中を未練がましく追うが、暫くしたら大通り沿いのとある瀟洒な邸宅の中へと消えていった。たぶんそこが彼女の自宅なのだろう。名実共にお嬢様なのだと思った。
何はともあれ眼福眼福、いいものを見せて貰ったと思う半面、ハァと重い息を吐く。
──高嶺の花。
わかってはいる。男としてのレベルが異常に低い自分では望むべくもないが、しかしあんな美しい僕の理想ともいえるような女性を現在もしくは将来において自由にできる野郎がいると考えただけで、同性としてジェラシーを禁じえなかった。
だからせめてと妄想の中では彼女を陵辱した。激情をぶつけ、あんなことやそんなこと、あまつさえこんなことまで強要し、逆にリアルでは鼻の下を伸ばし、股間をモッコリさせていた。
が、しかしそのとき、

「おい新入り」
「!!!」

いきなり振り向いた司令と目と目が合う。慌てて腰を引いてテント状態のマイサンを手で隠した。たぶんバレてはないと思うが、かなり焦った。

「お、お呼びでしょうか司令閣下!」
「ちょっとついて来い」
「あ、はい」

言われてお供する。
結局、今来た道を五十メートルばかり戻ることになった。

「あれ、ここって…」

立ち止まったのは見覚えのある邸宅の前だった。

「ここで見張ってろ」
「は? 見張る、ですか? …あの、どういうことでしょう?」

見張れと言われても、彼の言葉は前後を端折りすぎで意味が不鮮明だった。
だが司令はこちらの質問には答えず、

「そうだな。 一時間、いや三十分でいい。 その間この家に誰も入れるな。 一歩も近づけさせるな。 いいな蟻の子一匹だぞ?(ニヤリ)」

と、息巻く彼が指差すこの家とは、当然先ほど女性が入っていった家であったわけで。

「あ、あの……それはどういった目的で?(汗)」

ついつい気になって訊いてしまったが、

「ほう……最近の黒服は上司の命令に疑問を挟むというのか?」

教育がなってないとばかりに睨まれた。

「!!! いえ、そんなつもりは!! わ、わかりました!! 直ちに見張りに立たせて頂きますので!! ハイ!!」

慌てて最敬礼した僕。
彼の不興を買えば職そのものを失いかねなかった。相手は人事権を一手に持つ組織のトップ、僕から見れば殿上人にも等しい存在だったのだ。

「フン、わかればいいのだ──ウッシッシッシ♪」

そして司令は揉み手をしながら、一路玄関へと向かった。

──ピンポーン。

呼び鈴を押して暫くすると、インタホン越しに「ハイどなたでしょうか?」と、うら若き女性の清楚で可憐な声……間違いない、あの女の人だ。

「コホン、俺様──じゃなくて宅配便だ、です」
(……)

司令、それベタすぎですぅ…(汗)。
普通なら怪しまれるに違いないと思ったけど、意外にも中からは「今開けます」との返事。よほど疑うことを知らない素直なお嬢さんなんだなと感じた。
しかし無警戒でドアを開けてみれば、目の前には不審者極まりない厭らしい男の顔がドアップなわけで(汗)。
さすがに本能的に身の危険を感じたのか直ぐにドアを閉めようとした女性だったが──司令が咄嗟に片足をねじ込んでそれを邪魔した。そして力任せにドアを引き開け、一瞬のうちに体を中にねじり込ませると、すかさず内側からドアをロックした。て、手馴れてる(汗)。

「──誰!? 誰なんですか貴方はっ!? ひ、人を呼びま──えっ、きゃああ〜〜!? な、何をするん──いやっ、やめてぇ〜〜、いやっ、いやああああああ〜〜っ!!」
(……)

予想の遥か外をいく展開に冷や汗を掻く。
その直後、食器の割れるような音と、絹を裂くような女性の悲鳴が壁越しに聞こえたような気がしたが、すぐにまた静かになった。

「……あれ、あれ、あれれれぇ〜? こ、これってまさか……まさか……(滝汗)」

この期に及んでとても任務とは思えず。
果たして自分が性犯罪の片棒を担がされたと知ったのは、それから三十分後のことだった。





〜第三新東京市・郊外〜

夕方というにはまだ少し早い時間帯、街外れのスクールゾーンを歩く二つの人影があった。下校途中のシンジとレイである。

「でさ、挙句にうちの男子が馬鹿騒ぎしちゃってね〜、カンナさんが怒ること怒ること、ハハハ、傑作だったよ〜♪」
「──そう、良かったわね」

中学生らしい笑顔の少年と少女。二人は他愛もないお喋りをしていた。

「あ、そういえば今日のお弁当のオカズだけど、エビチリ辛くなかった? 豆板醤とかの唐辛子系って苦手だったっけ?」
「──(フルフル)碇クンのお弁当はいつも美味しいし、辛い物も大丈夫」
「そう? ハハ、ありがと♪ ツバメさんがうちに来てからも、あれだけは僕のお手製だからね」

そう言うと少年は微笑んだ。

「あ、そうそう、昨日は本当にゴメンよ〜。 ついつい寝坊しちゃってさ〜(汗)」
「──いい。 あれはあれで偶には新鮮」

苦笑いする黒髪の少年を蒼銀髪の少女が気遣った。
そう、昨日のお昼は珍しく既製品、コンビニ弁当であったのだ。
温泉イベントで少年が寝坊して帰宅時間がギリギリとなり作っている暇がなかったというのがその理由。尤も寝坊したのは全員だったので、彼一人を責めることはできないのだが。
余談だが、同じように弁当を用意する暇がなかった某おさげの女の子とその姉妹だが、昨日は揃って購買部のパン食という憂き目に遭ったらしい。この時代、高校は勿論のこと、義務教育である小・中学校ですら、給食自体がなかったのだ。

「…あ、いけね(汗)」

暫く仲良く歩いて、商店街の入り口に差し掛かったとき、何かを思い出したのかバツが悪そうにする少年。

「──何?」
「えっと、ゴメン。 ちょっとツバメさんからお願いされてた用事を思い出しちゃってさ…」

彼は申し訳なさそうに話を切り出す。尤も洞木母にお願いされたというよりは、八方美人気味に安請け合いしたというのがより正しい表現ではあるが。

「──用事って、何?」
「物干し台が壊れてたから、注文してきて欲しいって」
「──物干し台? 中庭にあったステンレス製の?」
「そう。 コンクリートの台座のやつ」
「──壊れたの?」
「うん」

正確には「壊れた」ではなく「壊された」であるが。因みに犯人は目下行方不明中の某ワニ君(笑)。

「別にわざわざ注文して届けてもらわなくったって、僕だったら高が数十キロの荷物、そのまま担いでテイクアウトできると思ってさ。ま、そーゆーわけだから、家はすぐそこだし、悪いけど一人で帰れるよね?」

だが少女はフルフルと首を振った。

「え? だってここから道一本だし、近くだし、別に迷うってことは──」
「──待ってる」
「え? 待ってるって……まさかここで?」

少女はそれにコクと頷いてみせた。

「でも、意外に時間が掛かるかも知れないし…」
「──待ってる」

飽くまで頑なな少女。

「…ホントに遅くなるかもよ? 店頭にないときは倉庫のほうまで足を運ぶことになると思うから、やっぱ帰ったほうが──」
「──待ってるの!」

少女は一際強く主張した。
そんな泣きそうな、捨てられた子犬のような目でジッと見つめられたら、少年はもう何も言えなくなったわけで。

「そっか……うん、わかったよ。じゃあ、急いで用事を済ませてくるから」

少年は涙ぐむ少女の髪を優しく撫でてやると名残惜しそうに踵を返した。タタタタと駆けて、でもまたすぐに立ち止まると、

「一人で待つの大丈夫?」
「──(コク)」
「ホントに?」
「──(コク)」

安心したのか少年はまた駆け出し、しかし二たび振り返ると、

「ホントのホントに大丈夫?」

何とも心配性な少年であった(汗)。
そんなに心配だったら、いっそのこと店まで同伴すればいいと思うが?(汗)





「──や、やっと見つけたぞ」

どうせ発信器で探せば一発だからと高を括り、作戦前の貴重な数時間を暢気に道草で潰した男だったが、その当てにしていた発信器自体(注:ネルフ支給の携帯電話)を目標たる少女が携行していないことが判明、こんなハズではと急いで彼女が通う中学の校門前に駆けつけるも時既に遅く、もうとっくに下校した後だった。
慌てて後を追い、十数分後、ようやく彼女に追いつき、近くの電柱の陰に隠れた。

「むぅ、これぞ神のお導きというやつだ。ざ〜めん♪」

その無神論者は胸で十字を切った。
幸いにして障害となる帯同者(注:某少年のこと)はおらず、少女は一人きりのようで、計らずも今が絶好のチャンスだった。

「おい新入り、貴様はここで待機だ」
「了解しました!」
「うむ、手筈はいいな?」
「はっ! 閣下の合図を待って、あの少女を確保──であります!」

黒服見習いはキビキビと返答した。
毒を喰らわば皿まで。若者の意志はとうに固まっていた。
敬礼しながら、彼はつい一時間ほど前に起こった出来事を思い返していた。
……
………
あの場所であれから三十分ほどが経ったころ、ようやく女性宅から出てきた上司。ツヤツヤのテカテカ肌、腰周りも充実の、そして見事なまでのニヤケ顔。
そして自分と顔を合わせるなり「おい新入り、お前も一発抜いてくるか?(ニヤリ)」と信じられない一言。
何を馬鹿げたことをと思ったが、しかし自分の知らないところでその魅惑の言葉は己が理性を麻痺させており、気がつけばいつのまにか見知らぬ部屋の中。

チッ、チッ、チッ、チッ──

極度の緊張と興奮のせいなのか、壁掛けのクォーツ時計の秒針の音がやけに耳の中に響く。

チッ、チッ、チッ、チッ──

目の前には、あられもない姿で仰向けに倒れている女性。殴られたのか鼻と口から血を流している。当然意識はない。

チッ、チッ、チッ、チッ──

チャンスだと思った。
一瞬のうちに抑えきれないドス黒い欲望が頭を支配すると、そこからの行動は早かった。
先ずその辺に落ちていた千切れたブラウスで女性に目隠しをした。万が一目を覚まされて顔を見られたら困るからだ。次に抵抗されないよう後ろ手も縛る。声も立てられたら嫌なので手近な布キレで口を塞いだ。そして静かに立ち上がり、女性の裸体を舐めるようにじっくりと観賞した。

チッ、チッ、チッ、チッ──

もはや我慢の限界、堪らずズボンを下ろすと、女性の上に圧し掛かった。
先客の残した体液が気持ち悪いといえば気持ち悪かったが、一目惚れの女性を相手にできるという無上の感激のほうがはるかに上回った。
そこから先は……正直よく憶えていない。
事後、ボーっと熱病にでも冒されたような感覚、記憶も途切れ途切れで、体も酷くだるかった。どれほどの時間が過ぎたのかさえもわからず。
何気に上半身を起こしてみれば、しかし眼下にはいつの間にか正気を取り戻した女性の泣き顔。しゃくりあげるように嗚咽を漏らしていた。
彼女とはまだ繋がったままだった。結合部は夥しい白い体液と彼女のものと思われる赤い血で無残に汚れており……そのあまりの現実に急速に正気に戻る。そして襲い来る吐き気を催すような罪悪感。罪悪感。罪悪感。
居た堪れなくなって、逃げるように家を飛び出した。
ドアのすぐ外には上司が待っていた。ただ彼のニヤニヤとほくそ笑んだ表情が今も忘れられない。
してやったり、これでお前は共犯者、同じ穴のムジナ、穴兄弟、バラされたくなければ何でも言うことを聞け……そんな目だった。
これが彼の、ネルフ一流の人心掌握術というものかと愕然とした。
俗に言う毒饅頭を喰わされたわけだ。しかし落ち度は完全に自分にあった。言い訳など出来はしない。
ああ、これでもう引き返せないと思った。自首は……出来そうにない。
ならば覚悟するまで。僕は……俺は……ネルフの忠実な犬となることをここに決心したのだった。
お父さん、お母さん、ゴメンなさい。あなた方の息子は今鬼畜道に堕ちました。先立つ不幸をどうかお許し下さい。
………
……

「…おい……聞い……るのか……」
「……」
「…おい新入……人の話を……け」
「……」
「くぅおらっ何ボーっとしとるかァーっ!!」
「──のわぁっ!? スッ、スミマセンッ!!」

突然ドカンと落ちた上司のカミナリで現世回帰、慌てて気をつけをした。いつの間にか追憶の世界にドップリ耽ってしまっていたようだ(汗)。

「ったく、シャキっとせんかシャキっと!」
「…スミマセン」

上司は怒りを治めつつ話を進めた。

「まあいい……何分お前しか人員がいないのが心許ないが、フン安心しろ。 お前の出番は万一にもない。 俺様の説得が功を奏するに決まっているからな。 わっはっはっは」

と根拠のない高笑い。

「つーわけで、別命あるまでお前はここで道路の封鎖だ。 人を一切近づけるなよ」
「えっ? また僕……いえ俺一人でですか?」
「お前しかいないからな」
「…ここ結構人通りがありますけど?(汗)」

躊躇いがちに眺めたそこは大通りの交差点。しかも小さいながらも商店街のアーケード入り口という絶好(?)のポイント。当然交通量もそれなりにある。
そんな場所でのいきなりの道路封鎖、しかも単独作業……物理的にどうかと思ったが、

「大丈夫だ。 何事も努力と根性だ」

そんな一言で簡潔に締め括られてしまった(汗)。





「レイ」

一人想い人を待っていた少女に、突然背後から声が掛けられた。
聞き覚えのあるその声に振り向いてみれば、

「! 碇…司令…」
「フッ、久しぶりだな? 元気だったか?」
「……」

暫く黙る少女だったが、

「──何の用ですか?」

と、やっとこさ口から出たのはつれないキツめの一言。胡散臭そうな視線を投げ掛け、なかなか厳しい態度であった。
でも大丈夫。相手の男は気にしない。だって彼には策があったから。だがその前にどうしても確認しておきたいことがあった。その答え如何では用意した策も無意味となるからだ。だからまずそれを優先することにした。

「レイ、正直に答えろ」
「──何?」
「も、も…」
「──もも? 何?」
「ももも、もうシンジとはねねねねねね寝たのかっ!?」

シーーーン。

「──寝ました」
「へ?」
「──碇クンと寝ました」
「……」
「……」
「なにぃいいいいいいいいいいい〜〜!!?」

予想すらしていない少女の答えにさすがの男も頭を抱えて絶叫。処女であることに至上の価値観を持つ彼にとってその宣告は死にも等しかったわけで。

「嘘だぁあああああ〜〜〜!!! 嘘と言ってくれぇえええええ〜〜〜!!!」
「──嘘」
「…は、はひっ?」
「──というか、今の質問自体お答えすることはできません。 公序良俗に反しています」
「ふ、ふざけるな!」
「──ふざけてなんかいません」
「言え!! 言うのだ!! 言わねば承知せんぞレイっ!!」
「──嫌。 だって答える義務なんてないもの」
「ぬう…」

予想外の抵抗に男は怯む。

(…レイめ、この俺にここまで頑な態度をとるとは…。 しかし見たところガニ股でもなし、まだ処女と見た!! いやそうに違いない!! だがいつ手遅れになるとも限らん。 早めに手を打っておかないと……ブツブツ)

男は意を決し、少女に気づかれないようポケットから一枚の青いハンカチを取り出すと、素早く足元に落とした。一世一代の大芝居の開幕である。男の用意したシナリオはこうだ。

★構想一年・執筆三分、全米が泣いた超大作、俺様渾身のシナリオ★

おっとレイ、ハンカチを落としたぞ? 親切に拾って差し出す俺様。 → え? あ、ありがとう…(////)。 戸惑いがちにそれを受け取ると少女は感謝の言葉を告げるが、未だ警戒は解けず。 → いや、どうということは──ぬ、危ないっ! きゃっ!? 咄嗟に少女を胸に抱き寄せる。 → い、碇司令?(////) いきなりのことに俺様の腕の中で頬を赤らめドキマギしている少女。 → ったく最近のママチャリ(注:場合によってはクルマでも可)のマナーは最悪だな……と、大丈夫かレイ? 気遣う俺様(注:ここで優しくいつもの三割り増しで微笑むのがポイント。キランと輝く歯を見せるとさらに効果大)。 → 司令…。 ポーッと俺様の魅力に次第に絆(ほだ)されていく少女(注:但し暫くはそれに気づかず朴念仁なふりを通すこと)。 → ゴ、ゴメンなさい……私誤解してました……それに私……私……司令に酷いことを…。 少女はポロポロと後悔の涙を流し始める(注:ここで俺様やっと気づく)。 → いいのだレイ、もう何も言うな、私は全然気にしてないぞ。 そう言って優しく肩を抱いてやる(注:このときドサクサに紛れて胸と尻を触っても可。但しやり過ぎには注意。我慢だ俺様)。 → 司令…(////)。 少女は俺様の器の大きさにウットリ。 → 碇司令…。 レイ…。 二人は互いに見つめあう。 徐々に近づく二つの影。 そしてそれは一つに。 → そして寄り添う二人は一路ホテル街へと消える(注:中田氏でビシッと決めろ!)。 → ハッピーエンド。──ぬう完璧だっ!!」

男は自画自賛、内心歓喜の嵐。だがそうは問屋が卸さない。

「──碇司令、口に出てます」
「……え?」

少女の一言で我に返る男。タラリと汗が流れる。

「…………本当か?(汗)」
「──本当です」
「……」

さらにダラダラと噴き出す汗。ああ、またしても思わず口に出ていたようだった。

「えーと……ち、因みにどこからだ?(汗)」

それによって誤魔化しようもあった。がしかし、

「──おっとレイ、ハンカチを落としたぞ? 拾って差し出す俺様、から」
「……」

最初から全部だった(汗)。いくらハッタリに長け弁術に優れた男でも、これでは誤魔化しようもなかった。またやっちまったかと男は激しく後悔。その間も眼前の少女の視線がチクチクと突き刺ささる。
睨み合ったかの様に無言で対峙していた二人だが、暫くしてこれ以上付き合ってられないとばかりにクルリと背中を向ける少女。当然、男は慌てる。

「まま、待ってくれっ!!」
「──何?」

だがその赤の他人でも見るような少女の白眼に心が耐えられず、

「はうっ!? レレレ、レイ! ハハハハ、ハンカチが落ちたぞ!!」

あろうことか今さっき破綻したばかりのシナリオを口に出す始末。応用力まるでナシ。無論ネタバレの状態であり、今さらやっても何一つ意味がないことは明らか。それに、

「──ソレ、私のじゃありませんから」
「う…ぐ…」

大根役者はアッサリと言葉に詰まった。
かくして世紀のシナリオ(鬚男談)はソッコーで完結した(笑)。

「ととと、兎に角だ、こっちに来るんだ!! 俺様と一緒にネルフに帰るぞ!!」

だがシナリオが崩壊したというに未だ諦めきれない鬚面の中年男が見苦しくもゴネ始める。

「──嫌。 一人で帰って」
「なっ!? わ、我侭を言うんじゃない!! いいから来んかっ!!」

強引に少女の手を取って引っ張ろうとするが、

「──触らないでっ!」
「っ!?」

少女は男の手をバッと振り払った。次いでポケットから携帯用のウエットティッシュを取り出すと、これ見よがしにゴシゴシと握られた手を清拭し始める。

「ンがっ!?」

それを見て激しくショックを受ける男。

「ななな、何故拭くんだっ!?」
「──汚いから」

至極端的な回答だった。
しかし言われたほうの男は愕然とした表情、次いで顔を真っ赤にして吠え始めた。

「きっ、汚いだとぉっ!? 俺の手は汚物か何かかっ!! まさかこの俺に触れられるのが嫌と、そう言うのではあるまいなっ!! どうなんだレイっ!!」
「──嫌」

だが彼女はキッパリと、さも当然のように即答した。

「なっ!? う、嘘だっ!!」
「──嘘じゃないわ」
「嘘だ嘘だ嘘だっ!! お前は俺のことが好きなのだっ!! 好きで好きで堪らないのだっ!! 今は照れているだけなのだっ!! そうに決まっているのだっ!! さあ、わかったらさっさとこっちに来んかっ!!」

血迷った男はとんでもなく自己チューな論理展開&子供のように駄々をコネ始めた。
少女は呆れたように一息吐くと、

「──貴方何様のつもり? 嫌と言ったら嫌なの。 もういい加減にして」

と、ウンザリ顔で一昨日来いとばかりにシッシッと手を振る。

「い、嫌よ嫌よもスキトキメキとキスと言うではないかーーっ!!」

もう本人ですら何を言ってるのかわからない始末(笑)。
策が早々と瓦解し、あまつさえ少女の冷たい態度に動揺したのか、それともいよいよ精神に異常をきたしたのか、男の吐く言葉は呂律が回らず、言ってる内容も支離滅裂と化していた。

ガヤガヤ、ザワザワ──

ふと気づけば、いつの間にか自分たちの周りに野次馬が集っていた。見れば、封鎖を指示したハズの四方の道路から多くの人間が流入してきていた。

(チッ……あの新入りめ、しくじったな!)

男は舌打ちした。

「ここじゃ人目についてマズイ。 ひとまず場所を変えるか。 よしあのビルの角に移動だ。 レイ、俺様について来るがいい」

五十メートルほど先にあった雑居ビルを指差し、眼前の少女に通告したが、

「──ダメ」

つれなく断られた。

「何だと!? ど、どうしてだ!?」

別にネルフまで来いと言っているわけではない。よもや拒否されるとは思っておらず、男は鼻白んだ。
そんな彼に、

「──碇クンとここで待ち合わせ(////)。 だからダメ」

端的に告げると少女は視線を落とし頬を染める。逆に相手はうろたえた。

「碇クンだとっ!? シ、シンジのことかっ!? だっ、騙されるなレイっ!! お前の碇クンはここにいるぞっ!!」

バンバンと己が胸を叩いて男は強くアピールするも、当の少女は不思議そうに小首を傾げ、

「──そっちの碇クンは贋者」
「んなっ!?」
「──邪魔。 どいてくれる?」
「レ、レイ〜〜〜!!!」

未練がましく絶叫する男であったが、

(うぐぐぐぐ──ハッ、いかんいかん! 危うく当初の目的(注:説得&懐柔)を忘れるところだった! 落ち着け俺様! まだ次善のシナリオがあるではないか! よしここは一つ深呼吸をば……ヒッヒッフー、ヒッヒッフー)

そりゃラマーズ法だ(笑)。

「…あーコホン、少し待つのだレイ」

何とか気を取り直し、少女の背中へと声を掛けた。
今回は一転してシリアス顔。外野は無視。もう気にしてられない。今度ばかりはついあらすじを口に出してしまわないように留意する。

「──何?」

振り返った少女は胡散臭そうに睨む。そんな彼女に男は、

「正直スマンかった」

ペコリと頭を下げた。他人に頭を下げたり謝ったりすることが大嫌いなこの男が、である。
無論演技。
たとえ形だけ謝罪しても「それは部下がやったことで自分は与(あずか)り知らない」と責任転嫁が常套手段の男なのだ。どこかの北の共和国の元首様と同じ。騙されてはいけない。

「!?」

それでも少女にとってこの光景は見慣れぬものだったらしく、驚きの表情を見せていた。

「レイ……この私が憎いか?」
「っ!?」

少女は目を白黒させていた。男がこんなセリフを吐くとは思わなかったのである。
しかし当の男は気に留めるふうもなく、懐から何か細長い物を取り出すと、少女に手渡した。それは古めかしいが由緒ありそうな刃渡り三十センチに満たない刀、所謂短刀だった。

「──これは何?」
「我が家に平安の昔から代々伝わる護り刀、懐刀だ」

無論、元妻の実家のほうではあるが。孤児である男にそんな物があるわけないのだ。

「──懐刀?」
「そうだ。 伝家の宝刀だ」
「──何故そんな物を私に渡すの?」

しかしその質問には答えず、男はもう一度同じ言葉を口にした。

「レイ……この私が憎いか?」
「──え?」
「私が憎ければ……それで私を刺すがいい」
「──っ!?」

予想外の言葉に少女は驚きを隠せない。

「たとえ刺し殺されても、私は決してお前を責めないし、怨みもしない。 だからお前の気の済むようにするといい」

そして最後に、

「レイ……済まなかったな」

と付け加え、そして静かに目を閉じた。
何とも天晴な覚悟………………と思いきや、しかしこれは練りに練った彼一流のシナリオであった。100パーセントの確率で少女は自分を害せないという算段があったからこその演技だった。

「……」
「さあどうした?」

薄目を開けると、未だ少女が躊躇しているふうに見えた。男はニヤリとほくそ笑む。すべてが計算どおりだと。

★制作費100億円、世界の中心でアイーンと叫んだ感動のラヴストーリー、それ何てエロゲ? 疾風怒涛のシナリオVer.2★

起)ちょっとした誤解から仲違いをしてしまう二人。意地っ張りな少女は男の許を去る。そして少し彼を困らせたくて彼の息子の家に上がり込む。それはホンの当てつけ、意趣返し。無論その人の息子とは何もない。自分の体は清いまま(絶対条件)。
   ↓
承)何度も男が弁解に来るが少女の態度は頑なだった。しかし男の辛そうなションボリした顔を見ると心が締め付けられる。素直になりたいがなれない。良心がチクチクと痛んだ。私のバカバカ。
   ↓
転)ある日、黙って短刀を渡された。曰くそれで自分を刺せと。少女は愕然とする。ここまで彼を思い詰めてしまったのかと。罪悪感が圧し掛かった。無論刺すことなど出来ない。悩み後悔しながら優しくハンサムな彼と過ごしたあの美しい思い出が脳裏に浮かんでは消えていた。レストランで血の滴る美味しい肉を食べながら楽しく談笑したこと、零号機暴走の際には身を挺して救助してくれたこと、ずっと自分のことだけを見ていてくれたこと。途端に感情が昂ぶる。彼への想いが抑えきれない。脳内でスタイリステ○ックスの「愛がすべて」のイントロが流れた(フラグ成立)。
   ↓
結)ゴメンなさい。私が間違ってました。私の碇クンはやっぱりこっちの碇クンでした。
誤解は解け、男は甘く柔らかい少女の体を強く抱きしめた。
碇司令、私……貴方のことが好きです、愛しています、もう離さないで。
俺もだレイ、愛しているぞ、もう絶対に離さないからな。
そして情熱的な接吻へ。ドサクサでちちしりふとももを撫で回す。パンパカパーンとファンファーレ。頭上ではキューピッドたちによる祝福の舞い。──そしてその夜、少女は男に体を開いた
   ↓
トゥルーエンド。会場を埋め尽くした観客から惜しみない拍手。エンドクレジットが流れて感動のうちに閉幕。ちなみにエンディングテーマはユーミ○で。
   ↓
おまけ)カーテンコールの中、少女に横恋慕していた彼の愚息が電柱の陰でハンカチを噛み締め、キーッと悔し涙を流して地団駄を踏んでいた(ザマーミロ)。

──以上が、男が描いた自称次善のシナリオであった。

「ウッシッシッシ──さあこの胸に飛び込んでおいでマイスウィ〜〜ハ〜〜♪」

男はカモンベイベとばかりにその両手を大きく広げた。

「──っ! いかりしれい〜〜っ!」

当の少女も、男の声に背中を押されたのか、甲斐甲斐しくも駆け寄ってきた。
それを見て男はカゴの中の鳥が戻ってきたことを確信、目を細めた。

(さあ早く俺様の胸に飛び込んで来るのだ! これで何もかもすべてが軌道に乗る! 洋々たる未来が開けるハズだっ!)

──だけどそれはまったくの錯覚・見当違いだったわけで。目の前の少女はそんな都合のいい女ではなかった(笑)。

ブスッ!!
「ハウあッ!!?」

胸ではなく腹に、しかも甘く柔らかい感触ではなく、何か酷く冷たく硬いものが飛び込んできた。つーか物凄く痛い。あまりの痛みに視線を下ろせば、腹部は血塗れになっており、そこには一本の刀が突き刺さっていた。無論、例の懐刀である。

「なっ、なっ、何じゃこりゃぁぁああーーッ!?」

ベットリと真っ赤な血が付着した己が両手を見て男は絶叫した。こんなの予定と違うと。シナリオにないと。
もう一度腹部を見る。マズイ。血の量がハンパじゃない。どうやらどこかの大動脈を傷つけたらしい……って、そんな冷静な分析をしている場合じゃなかった。

「……ど、どぼじでホントに刺しぢゃう、のだ〜?」

プルプルと震えながら血走った恨みがましい目で問い質す。
本当に刺すとは思ってもみなかった。予想外もいいところ。
だが肝心の少女の答えはというと、

「──??? だって刺していいって言われたから。 …もしかしていけなかったの?」

と罪悪感まるでナッシング。
うぐっ、確かに言いましたよ。言いましたけどぉ…、

「しょ、しょんな……少しぐらいは躊躇って欲しか──ゴバッ!?」

男が突然血を吐いた。体も「く」の字に折れ曲がる。
理由。少女がトドメとばかりにグリグリっと短刀を捻り入れ、中で攪拌したから(笑)。

「き、きしゃま……よくも……よくも……」

怨嗟の眼差しで血塗れの震えた手を加害者の両肩に伸ばそうとするが、

ボグッ!!
「ふンがっ!!?」

立て続けに目玉が飛び出るほどの衝撃を受けて沈黙。
少女の黄金の右足が男の股間を思いっきり蹴り上げていたのだった。

「──触らないで。 制服が血で汚れちゃう」
「うぐぅ……ひどしゅぎでごじゃいま──しゅ(ガクッ)」

かくして鬚ダルマは前のめりに血溜まりの中にバシャンと崩れ落ちた。その顔は果てしなく苦悶の表情だったという。バッドエンド(自己崩壊エンド)。





「お待たせ綾波……って何これ?(汗)」

新品の物干し台を担いで戻ってきた少年が見たものは、大量の血溜まりの中に倒れてピクピクしている無残な男の姿だった。

「あのう、綾波さん?」
「──生ゴミ」

言いながらも地に伏す男の頭を踵でグリグリ(汗)。

「あ、左様ですか…(汗)」

果たして、これはこれで良い傾向……なんでせうか?(汗)





〜翌朝、第三新東京市・郊外、シンジ邸〜

波乱万丈なイベントから一夜明けた次の日。天気は晴れ。幾分涼しいものの、海からの風やや強し。
そしてここシンジ邸では和やかな朝食タイムが迎えられていた。
今日の朝食は和食。ご飯と味噌汁、トキシラズの塩焼きと出汁巻き玉子、そして漬物に納豆という至ってシンプルなものだが、料理人の腕がいいのか家人たちは無言でパクついていた。
メニューについては全員が同じものだ。これは当初家人各々が、やれ私は洋食がいいだの、いや僕は和食だのと勝手を言い出したため、これでは賄いを担当するツバメさん一人の負担が倍増するという理由から(彼女はそれでも構わないと申し出たが)、家主たる少年の肝煎りでそう決まった。というかそんなの当たり前のことではあるが。
朝食後暫くして、

「ふあああ、おはようみんな……むにゃむにゃ」

お尻をポリポリ掻きながらようやく二階から降りてきた某ねぼすけ女(人間バージョン)。ゴシゴシと眠気眼を擦る。因みにナイト・キャミソール姿のまま。某白猫が目のやり場に困っていたとかいないとか。時計の針は既に八時を回っていた。

「あらあら、ユイさんおはようございます」

ダイニングからツバメが顔を出す。

「おはよ〜」
「朝食はどうなさいます? 一応用意してありま──」
「うーん……今そんなに食欲ないし、簡単なものでいいわ……そうねぇ……プレーンオムレツにフルーツヨーグルト、夏野菜のサラダにトーストはコンフィチュールで、あとエスプレッソ」

…何様ですかこの人?(汗)

「わ、わかりました。 では十分ほどお待ち下さい」
「ええ」

返事もそこそこにテーブルにあった新聞を手に取るとソファーにドッカと腰を下ろすユイ。しかしすぐに違和感。

「…ん、あれ? シンジは? シンジがいないじゃない! シンジどこいったのよ!」

朝一で別にいないくらいどうしたと思うが、息子ベッタリの彼女にとっては一大事らしく、オロオロして我が身の半身、お腹を痛めて産んだ我が子を捜しまくったわけで。

「ねえシロ! シンジ知らない?」
『え? 知らないよ僕。 でもさっきまでいたハズなんだけど…』
「ンもうホントに役立たずなんだから!」
『……』
「あらあら、シンジさんなら今し方釣竿を持って出掛けられましたけど?」

キッチンの方からツバメの声。

「つ、釣竿持って出掛けたって……てゆーかあの子、学校はどうする気よ?(汗)」

そう、今日は押しも押されぬ平日だった。





〜???〜

「うちゅう〜のう〜み〜は〜〜お〜れ〜の〜うみぃ〜〜、とくらぁ〜♪」

ここは見渡すかぎり何もない海の上。低気圧が接近してきているのか時化(しけ)ていた。波高四メートルといったところか。
そんな中、冷酷無比たる少年シンジは船外機付きの小型の伝馬船(港内の連絡目的の小型ボート)をチャーター(勝手に拝借、使用窃盗ともいう)して、今は石廊崎沖の洋上にいた。はっきり言って無謀。当たり前だが外洋に出るような船ではなく、モロに横波を受けて揺れること揺れること(汗)。転覆も時間の問題、だが乗ってる人間は全然気にしない。先ほどから往年のアニソンを一人歌いまくっていたりする。
派手なアロハシャツにグラサン、短パンにサンダル履き。しかし波飛沫を散々被っているにも拘らず何故かまったく濡れてはいない。
不意に船のスピードが落ち、そしてエンジンが止まる。無論そこは海のど真ん中。360度見渡せど水平線ばかり。陸地の欠片も見えはせず。

「さあ着いたぞ〜」

満面の笑みの少年の視線の先には、船首近くで縮こまってブルブルと怯えている一匹の仔豚の姿。勿論ゲンドウの転生体である。何番目なのかはもう忘れたし、数える気すら起きない。

「ほうらもう逃げられないぞぉ〜♪ 観念してオヂサンと楽しいことをしようね〜♪」

誰がオヂサンか!(笑)
そんな幼気な少女を甚振るエロオヤヂのごときセリフを吐きながらシンジは仔豚を追い詰める。仔豚は仔豚で必死に狭い船上を逃げ回るも、周りは海で逃げられない。そして、

「つ〜かま〜えた〜♪」
「ピィーーッ!?」

あえなく御用。必死にイヤイヤするが少年の手からは逃れられない。万事休すである。
そんな嫌がるゲンドウ(注:仔豚)に構わず、シンジはその鼻先にクジラでも釣れそうな重さ数キロはある鋼鉄の釣り針を突き刺した。

「!!? ピギーーーッ!!!」

ドバドバと鮮血を流し、激痛のため狂ったように暴れまくるゲンドウ。
だがシンジは躊躇なく彼を大海原へと放り込んだ。慈悲の心など皆無だった。

バシャーーン!

生餌は無事(?)着水。アップアップと無様に溺れている。シンジはすぐさまエンジンをリスタートさせると船を走らせた。そしてロッドホルダーの釣竿を握る。どうやらトローリングを始める気らしい。…ただ如何せんこの船では役不足だとは思うのだが(汗)。
ちなみに本日のタックルはというと、
磯竿4号遠投仕様(5m)のカーボンロッドに玩具のような小型の手巻きタイプのスピニングリール、道糸6号にハリスは8号、しかし釣り針は特注の禍々しい反しのついた巨大鋼鉄製フック。そして生餌はゲンドウシリーズ。…釣り針と餌以外は、磯釣り用の心許ない軽装備ではあったが(汗)。
暫くすると、いつの間にか血の臭いに誘われたのか、青灰色の背びれが海面を追随しているのが見えた。サメだ。しかも大物。息を呑むシンジ。
サメという生き物は百リットルの水の中に落ちた一滴の血を嗅ぎ分けるという。今回は夥しい血だったから造作もなかったのだろう。警戒しながらもジワジワと生餌に近づく。
喩えるならBGMはジョー○のソレ。そして、

「プギャーーーー!!!」

遠く離れてもわかる生餌の断末魔。

「ヒィーーーットォ♪」

シンジは嬉々として竿をしならせる。その浮力以上の引きに船が傾くほどの凄い当たりだったが予想以上の大物の感触にシンジは歓喜した。
些か貧弱な装備だったが、ATフィールドで竿も糸もリールさえ強化しており、恐らくシロナガスクジラが釣れても壊れることはないだろう。尤も船は沈むかも知れないが(汗)。
シンジはバラさないように、ドラグを調整しつつ慎重に慎重にリールを巻き上げていった。
格闘15分、だが急に感触がなくなる。

「──チッ、バラしたかっ!?」

だがATフィールドでコーティングしている糸が切れることは通常ありえない。ならば針(フック)が獲物の口から外れたと考えるべき。
舌打ちもそこそこ、シンジは銛を持って海の中に飛び込んだ。ここまできて逃がしたでは堪らなかったようだ。
数分後、頭部に致命傷を負った巨大ザメがプカ〜と海面に浮かび上がってきた。その鼻先には銛が見事に突き刺さっていたわけで。

「ぶはーー!」

次いでシンジが海面から顔を出した。そして、

「うおおお〜〜〜!! サメ獲ったど〜〜〜!!」

右拳を天に突き上げ、よゐ○的な雄叫びを上げた。これなら月一万円生活もきっと大丈夫。ゆ○こりんも大喜び(いや違うだろ)。
何とか獲物を船に引き寄せてみれば、それは巨大なホオジロザメ、しかも全長12メートルはあろうかという超大物。グレートホワイト、マンイーターとも呼ばれるこの種類としては、史上例のないほどの最大級のモノだった。水族館にでも持って行けば、職員が手放しで狂喜すること間違いなし。

「釣れた釣れた♪」

実際は「釣った」ではなく「獲った」であるが。しかし当のシンジは気にすることなく甚く満足気だった。釣り師冥利に尽きるというのはこのことか。
結局、獲物の大きさが船の大きさを上回ったため、船の上には引き上げられず、横付けしたまま港まで曳航しようかとも考えたが、船横で瀕死のサメが最後に残った力でビチビチ暴れるのでトドメを刺す。
鮮度の問題から背ビレ、尾ビレ、胸ビレを切り取ると、持参した大型のクーラーボックスの中に放り込んだ。フカヒレとしてはさほど高級品ではないが、サイズとしては十分満足いくものだったらしい。
残ったその他の部位は、ポイポイと海へと投げ捨てる。持ち帰って湯がいて酢味噌で食うのもいいが、あまり美味しい物ではないようだ。それにすぐにアンモニア臭くなるという。

「今度はイタチザメでも釣れるといいな〜」

帰り支度の中、シンジはお気楽な感想を漏らす。まだやる気のようであった(汗)。
余談ではあるが、先ほど海洋投棄されたサメの亡骸は、暫くは海面にプカプカ浮かんで漂っていた。実はその腹の中に収まるゲンドウはまだ辛うじて生きていた。生きていたのではあるが、十数分後、血の臭いを嗅ぎつけた別のサメたちによって自分を喰らったサメ共々、生きたまま無残に食い千切られ、哀れ餌食となっていた。合掌。





〜さらに翌日、第三新東京市・郊外、第壱中学校〜

この日は日頃休みがちのシンジも登校していた。
はや九月も中旬となり、やってきました進路相談イベント。所謂、生徒・保護者(父兄)・教師による三者面談である。
そういえば日重だか鰻重だか忘れたがそこが造ったJAの暴走も確かこの頃だったと思うが、数日のズレで済んだ既定イベントの前者と違って、バタフライ効果の影響なのか大きな時間的ズレが生じているようである。もしかしたら計画そのものが消滅しているのかも知れない。まあ兎に角どうでもいいことだし、調べる気すらない。ケセラセラだ。
そんなことを考えながら当のシンジは廊下を歩いていた。目指すは視聴覚室。今から自分の三者面談が始まるのだ。
気乗りはしなかったが呼び出された以上は行くしかなかった。が、茶番となるのは目に見えていた。肝心の保護者が、父兄が来ないのだから。
一応父兄宛ての案内プリントは持って帰ったが、結局誰にも見せてはいない。そのまま寝室のゴミ箱へポイ。自分に保護者なんていないからだ。強いて言えば世帯主である自分自身が保護者か。
前世で真っ赤なフェラーリで駐禁の校庭まで乗り込んできたお節介馬鹿は今回はいない。
まあ今回は事情を担任に話して適当に誤魔化して早々に退散することにしよう。そもそも進路なんて自分にはないのだから。

「失礼します」

ガラッと戸を開け──

『あらシンジ、遅かったわね♪』

ピシャ──

すぐに閉めた(汗)。

「……」

とても嫌なものを見てしまった(汗)。
何でいる!?
つーかどうやってここまで来た!?
担任の女教諭がいるのはいい。その彼女に呼ばれたのだから自然なことだ。だがその彼女の眼前の席にさも当然のようにクロのやつが陣取っているのはどういうことだっ!?(汗)
一人悩んでいると、

「あらあら、シンジさんじゃないですか」

背後から和むような声。振り返ると、袋巾着を携えた、いつもの三割増しの和服美人のツバメさんがそこにはいた。

「あ、あれれ? どうしたんですか?」
「はい、今日は娘の……ヒカリの進路相談に」
「…ああ、なるほどね」

委員長の三者面談に来たらしい。どうやらA組も同じ日にやるようだ。
B組は視聴覚室、A組は同じ階にある進路指導室で実施するらしい。そういえばそうだったなと今さらながらに思い出す。
見れば、早めに来校したそれぞれの父兄たちはそれぞれの場所の前で順番を待っていた。
ただ特徴的だったのは、視聴覚室の前は母親らしき女性たちで賑わっていたが、逆に進路指導室の前は父親乃至は祖父らしき男性たち(稀に祖母らしき女性もいたが)しかいなかったことである。
そう、A組の生徒には母親がいなかったのだ。まあ母親がいる時点でそれはA組ではないのだが。
そんな中で実質的に紅一点である彼女の存在は目を引いた。しかも若くて美人だし。周りの男たちの態度もどこかぎこちない。男やもめ暮らしが長いのでこれは仕方がないことだ。
ツバメ自身は既に鬼籍に入った身なので今回は素性は伏せてのお忍び面談。訊けばあくまで委員長の叔母というスタンスらしい。まあ問題はないだろう。ネルフもそこまで暇じゃないだろうし。

「ところで、ユイさんとはもうお会いになりましたか?」
「え? あ、はい」

尤も会ったのはユイではなく正確にはクロのほうであるが。
ツバメさんは猫・人間バージョンに拘わらずコイツのことを「ユイさん」と呼ぶのだ。

「あ、もしかして貴女が…」
「ええ、スミマセン。 どうしても行きたいと言われるもので…」

そう答えながら、困ったような恐縮したような仕草を見せるツバメさん。どうやらせがまれてやむなく連れてきたらしい。
なるほど納得。しかし問題はどうやってクロのやつが今日の進路相談のことを知ったかである。
一番可能性があるのはツバメさんもしくは(前史のことを思い出した)シロのやつから聞いた、であろう。
綾波からという線は……あるわけないか……何故か嫁姑みたいにギクシャクしてるし(一方的にだけど)。
あと考えられるのは、部屋のゴミ箱を漁ってプリントを発見した、とか。いやさすがにそれは杞憂だろうけど。
まあ何にしろ一応は気になったので訊いてみることにした。

「あのう、今日が三者面談だってことクロに教えたの、もしかしてツバメさんですか?」
「いえ、違いますけど」
「あ、そうですか。 じゃあシロのやつかな?」
「シロちゃんも知らなかったみたいですよ。 言葉こそわかりませんでしたが、もうそんな時期かって驚いたような仕草をしてましたから」
「……」

なら消去法で残るは一つじゃないか。

──やはりゴミ箱漁ったなアイツめ!!(怒)

きっと僕と綾波との関係を勘繰ったんだろうけど……ティッシュの消費量とか(汗)……でも寝室のゴミ箱を漁るのは人としてどうかと思うぞクロ!
まあ人化しないで学校に来たのだけは感心するところだけど(そうか?)。





「碇君は自分の進路に希望はありますか?」

結局、仕方がないので進路指導を受けていた。
目の前には2−Bのクラス担任である朝比奈ハルカ先生。いつもはかけないメガネをかけて、手許の内部資料に視線を落としながら話を進めている。あと今日はハレの舞台ということで、いつもにも増して化粧が濃い。
そして隣。パイプ椅子の上に二本立ちしてテーブルにヨイショともたれ掛かるように前足を乗せ、尻尾フリフリで話に参加している(つもりの)黒猫。頭痛がしてきた。きっと、いや間違いなく母親のつもりなのだろう。
ハァと溜息を吐く。

「そうですね……今の君の成績だと県外の難関私立も十分に狙える位置にいますね」
『ス、スゴイじゃないシンジ! だったらカイセーかナダにしなさい! ね? ね?』

隣の自称教育ママが熱く訴え掛ける。

「あ、あの碇君? さっきからニャーニャーうるさいんだけど、この猫…(汗)。 君んちの猫だっていうからここに入れたんだけど…」
「気にしちゃダメです先生。 置き物か何かだと思って下さい」
『置物っ!?』
「そ、そう……わかったわ」
「それと僕、高校へは行きませんから」
「──えっ!?」
『シ、シンジ!?』

突然の告白に驚愕する一人と一匹。

「進学はしません。 他にやりたいことがあるし、てゆーか時間がないんですよ。 ここだけの話、中学すら無事に卒業できるかどうか…」
『な、何ゆってんのよシンジ!?』
「時間がないって、それはどういうことかしら? それに中学を卒業できないかもって──」

立ち上がって取り乱す一匹と一人。

「まあまあ、落ち着いて下さい。 そのときになったらまた考えますから、とりあえずの希望進路は『就職』とでもしといてくれません? それにもしかしたら心変わりするかもしれませんし…」

変わらないけどね。

「そ、そう…」
「ご心配をお掛けして申し訳ありません」

ペコリと頭を下げた。

「…こんなことを訊くのも何だけど、それって経済的理由からなのかしら?」
「違います。 ごく個人的な理由からです」
「そう……その理由というのは今話せるかしら?」
「それは乙女の秘密です」
「お、乙女って…(汗)」

クラス担任である女教諭は落胆の色を隠せなかった。
今のご時世、別に中卒でも珍しくはないし、ことさら学歴至上主義を標榜する気もなかった。しかし彼ほどの優秀な生徒が進学しないというのは明らかに世界の損失だという思いが強かったのだ。





〜同時刻、進路指導室〜

「それで綾波さんはご自分の進路に希望はありますか?」
「……」
「おや、どうかしましたか?」
「──碇クンの…」
「ん?」
「──碇クンの、お嫁さん(ポッ)」
「…えっ?(汗)」

2−Aの老担任は見事に固まっていた。





〜数十分後、再び進路指導室〜

「洞木さんは昨年の段階では第壱高校が志望でしたね。 ふむ……現在の成績なら十分に合格圏内にあるようです」
「そ、そうですか」

同席した母親はホッと胸を撫で下ろした。

「今回、進路に変更はありますか?」
「……」
「おや、どうかしましたか?」
「ヒカリ?」

隣の母親も心配して顔を覗き込む。

「お…」
「ん?」
「おおお、お嫁さん志望ですっ!!(////)」
「…えっ?(汗)」
「あらあら……まあまあ♪」

微笑ましく我が子を見つめる母親。片や2−Aの老担任は再び見事に固まっていたが。





〜第三新東京市・郊外、シンジ邸〜

日は流れ、今日は9月19日。土曜日。前史ではなかったハズの、15年前に起こったセカンドインパクトを祈念して制定された国民の休日である。本来は13日がそうなのだが、20日が15年前に某馬鹿チンによって旧東京で新型N2爆弾を炸裂させられ50万人が亡くなった日であるという事情で休日となっていたため、連休とさせるためにあえて今日この日が休日とされていたのである。無論、政治的な事情ではあったが。
なお今年は20日が日曜日であるため、翌21日の月曜日が振替休日となるわけで、つまりこの週末は三連休という次第。子供たちも大喜びであろう。
そういえば前史では、この頃ドイツから大きな船に乗って某ヒステリー少女が来日したハズであるが、これもバタフライ効果の影響なのか、少しばかり遅れているようであった。
まあそんなことは気にせず、久々の休日を堪能している我が家の面々ではあったが。
この良く晴れた土曜の朝、そんな一癖も二癖もありそうな家人が何をしているか、ここは一つ覗いてみることにしよう。暇だし。
先ずは、二階の寝室にいるシロ。当然覗かれていることには気づいていない。
見れば、ヤツはベッドの上で何やら一心に漫画を読み耽っていた。
む、いきなり立ち上がったぞ?
ポーズを取る。いつになく真剣な表情。そして、

『波ーーッ!!』

勢いよく両の掌を突き出した。

『か〜○〜は〜め〜、波ーーッ!!』
『波ッ!!』
『波ーーッ!!』

何かヤバイものに憑かれたように、鼻息も荒くひたすらそれを繰り返す。完全に自分の世界に入っていた。当たり前だが掌からは何も出ないわけで(笑)。

『ん〜、気の練りが足りないのかなぁ?』

何を言っちゃってるんでしょーかコイツは?(汗)
馬鹿だ馬鹿だと思っていましたが、真正の馬鹿だったようです。一度医者に行くことを勧めます。
溜息を吐きつつ、このままここに居ても時間の無駄だし、馬鹿が伝染(うつ)ったら大変なので一階へと降りることにした。

パンパンパン──

一階に下りると、紺の和服に白の割烹着姿というツバメさんが庭で洗濯物を干していた。しかし彼女は本当に働き者である。労働に汗するその後姿が何とも……絵になるというか、特に腰の辺りが充実しているというか、大人の色気に満ち溢れていたわけで。
我が家には大型乾燥機が常備されているので、それを使って構わない(=楽しても構わない)と常々言ってはいたのだが、折角の洗濯日和ですからと彼女は頑として譲らなかった。確かに年中が真夏日であり小一時間もあれば洗濯物なんてものは乾く。それにお日様の匂いがするというのは確かにいいものだ。

「ふう、ひとまずこれで終わりね」

恙無く労働が終わり、額の汗を拭いて一息吐いたツバメさん。心よりお疲れ様と言いたい。
ただ、彼女の真上の木の枝から黒ヒョウの後ろ足が、物干し台そばの茂みからイリエワニの尻尾が見えていたことは(バレたら大騒ぎになりそうなので)暫く黙っておこう(汗)。

「か〜〜か、ま〜〜ま、きゃい〜〜♪」
「はいはい、もうすぐでちゅからね〜」

家の中に戻ってからも彼女は大忙し。赤ん坊のお強請(ねだ)りに、テキパキと慣れた手つきで哺乳瓶に粉ミルクと愛情を入れお湯を注ぎ、それを一度自分の口に含んで適温かどうかを確認し、今回はちょっと熱かったみたいで少し冷ましてから赤ん坊へと与える。赤ん坊は赤ん坊でそれを美味しそうにそして安心しきってチューチューと吸っている。
なんちゅーか、見た目、実の親子である。
赤ん坊も赤ん坊で、もう既に彼女のことを母親と認識しちゃっているようで……いいのか三日坊主で育児放棄しちゃった某黒猫さんよぉ?(汗)
赤ん坊をあやしながら、部屋の掃除、そして昼食の準備に取り掛かるツバメさん。本当に働き者だ。何より人柄が良い。こんな大人はネルフにはまずいないだろう。あそこの大人は優秀でも人間としてはどこか壊れていたのだから。そもそもそんな危うさのある人間しか採用されていないという事実。その点彼女は人間としても理想的。しかも働き者で美人。とても三人の子持ちとは思えなかった。委員長はこの人に似たんだなあとつくづく思う。将来が実に楽しみだ。
まさに母親の鑑。こんな人が本当の母親ならどれほど良かったか。あるいは結婚するならこんなタイプが理想だろう。
バツイチ独身だけどまだまだ十分若く、この僕があと十年若かったら放っておかな……って僕はオヤヂか!(汗)
こんな働き者の彼女だが、うちからの報酬は月給三十万円。年二回の賞与や福利厚生面も充実させてはいたが、本心としては毎月1億あげてもいいくらいだった。うちにはカネなんて腐るほどあったし(それこそ無限に)。しかしそれだと彼女の献身的な厚意すらカネに換算して侮辱してしまうようで、結局は良心的な額で落ち着いた次第(住み込みという点で多少は色を着けたが)。
しかし当初はそれさえも固辞した彼女。つまり無給でよいと。人が良いにも程があった。当然そんな申し出など頑として呑めやしない。
だから言ってやった。これは正当な報酬ですと。それにお給金がないと何も出来ませんよと。娘さんへのプレゼントも何も買えませんよと。そうしたらようやく折れてくれたわけで。
このようにツバメさんには大変感謝しているのであった。
ただ毎日24時間、彼女を独占してしまっていることには、実の娘である委員長たち姉妹には酷く申し訳がないと思っている次第で…。
──それなのに、ああそれなのに、である。
いくら仕事とはいえツバメさんはこんな風に朝早くからせっせと額に汗して働いているってのに、それにひきかえうちの女は……碇ユイという名のついた女ときたら、いったい何をしているのだ!?

つーか、日がな一日をソファーでゴロゴロしているだけじゃないかっ!!

この前なんかこの前なんか、勝手に人のカネ使ってパソコン組み上げたと思ったら、片手間にMAGIにアクセスかましてたし……バレたらどーすんだ!(汗)
何つーか、ツバメさんが頑張れば頑張るほど、逆にコイツのダメさ加減が浮き彫りになってくるわけで。良くも悪くもお嬢様はこれだからね……ハァ〜。
折角ヒューマノイド化してやったというのに、どうよこの体たらくは?
有閑マダムを気取っているのか、はたまた肉体労働は自分の柄ではないとでもいうのか、ついには育児放棄までする始末。ヤレヤレである。
うむ、ここは一つこの家の家長としてビシッと言ってやろう。思い立ったが吉日、意気込んで再び二階へと上がる。
ヤツは人間形態が可能となってから自分専用の部屋を持つようになった。このことには別に文句はない。つーか僕がそうさせた。

下手に一緒の部屋だとこっちの貞操が危ないから(爆)。

ただ人間化しておかしなフラグが立ったのか、さらに奇行に磨きが掛かってきた。
自分の部屋の改装など言うに及ばず。この前なんか学校から帰ってきてシャワーを浴びようと風呂場に入るなり驚愕。いつの間にかジャグジーが付いてました(汗)。無論聞いてません。家主の断りなしに何てことしやがりますか。そもそも不用意に業者なんか呼んで万一そこがネルフの息が掛かっているトコロだったらどうするつもりだったのか!
つーかね、工事の代金はどうしたのよ?もしかしてまた僕のカードですか?(汗)
そんなことをモンモンと考えてたら目的の部屋の前へと到着。踏み込む前にドアの隙間からコッソリと中を覗いてみた。

「……」

うっわー、数日見ていないだけで、輪をかけて少女趣味な部屋になってるよー(汗)。
むう、一面ピンクの壁紙がビシバシと目に刺さりますな(汗)。
ヌイグルミやらアンティークドールやら、知らない間にすごい団体さんになってますよ奥さん(汗)。
そんな中、壁の真ん中に掛けてある茶色の額縁に収められた一枚の色紙が目に留まる。
えらく達筆で書かれた文字が激しく意味不明。







よくよく見たら、反対側の壁にもあったわけで(汗)。







…頭大丈夫かお前?(汗)
そんなの飾っていったい何を目指してるんだ?
しっかし当のクロはどこへ消えた?確か部屋にいると思ったんだが…。
狭い隙間からグルリと中を見回す。
お、いたいた。

「っ!?」

次の瞬間、我が目を疑った。まさに見てはいけないものを見てしまった気分。その目に飛び込んできたのは、

うちの中学の制服を着込んだヤツの姿でした(爆)。

ヘナヘナとその場で脱力しましたよ。
ええ歳こいてコスプレですか?(汗)
しっかしあんなモンどこで手に入れたのか……まさか綾波の?……なわけないか、サイズが違う……だったらやはり通販か。それも裏ルートの。それしか考えられないわな。そして支払いは当然のように僕のカード…(汗)。
そういえばこのところ毎日のように通販グッズが届くんだよね。化粧品やら服やらサプリメントやら書籍やら……何なんだよその量は!空き部屋が一つ埋まってるじゃないか!
調べてみたらここ一週間で500万も浪費していやがった。いい加減にしてくれと言いたい。強く言いたい。ぜひ言いたい。いや言わせて下さいお願いします(汗)。
…閑話休題。少し脱線した。再び視線をあの変態女へと戻そう。

「(ん?)」

クロめ、今度は姿見に向かってスカートをピラピラさせながら、何やら呟いているじゃないか。
聞き耳を立ててみる。なになに…、

「──ムフフフ、鏡よ鏡、鏡さん、この世で一番美しいのはダ〜レ? ハーイそれは貴女でーす♪」
「……」

く、狂ってやがる…(汗)。
やはりコイツも脳が腐っていたようだ。
とても見るに堪えられず部屋を離れようとしたが……これで終わりではなかった。
ヤツは何やらクネクネと気色悪いポーズをとると、姿見の前でクルリとターンして見せた。ふわりとスカートが舞う。そして、

「かわ、ユイッ♪」
「……」

ア、アホだコイツ…(汗)。
父親がアレだと思ったら母親もコレ……理不尽すぎます。目頭が熱くなりました。無性に悲しくなったとです。
あんまりです神様!ツバメさん以外にこの家にはマトモなのはいないんですか!
……あ、神様僕だった(汗)。

「!」

いやいるじゃん!もう一人だけマトモな人物が!
綾波だよ!
よしここは一つ綾波の姿を目に焼き付けて今までの嫌な気分をすべてリセットしようではないか!
颯爽と綾波の許へと向かう。彼女の部屋はこの二階の廊下の突き当たりにあった。
半ドアの隙間からコッソリと覗く。むう、何だかちょっとドキドキするぞ。
いた。
綾波はまだ寝巻きのままベッドの上で何かの布地を抱きしめ顔を埋めていた。でも何だか少し挙動がおかしい。特に右手の動きが。何をしてるんだろう?
目を凝らし耳を澄ましてみた。

「──スゥ〜、ハァ〜、スゥ〜、ハァ〜」

荒い息。

「──碇クンの匂いがする……ハァハァ(////)」
「……」

左手には男物のパジャマが握られて──って僕のじゃんアレ!

…………うん、大丈夫。見なかったことにしよう♪(汗)
こうして我が家の一日は何事もなく過ぎていったのであった…(汗)。





「暇だ」

ゴロゴロ──

「暇だお〜〜」

ゴロゴロゴロ──

休日も二日目に入るとホントに暇。
やることなくてリビングの端から端まで何往復もゴロゴロ転がってシロに白い目(ぷぷっ)で見られたが、だって暇なんだから仕方がない。

「…いっそ使徒でも来ないかにゃ〜? もしくは北の某共和国から核ミサイルが飛んでくるとか〜?」

不謹慎なこと呟いてシロを呆れさせてみたり。
そんなことしてたら、

ぷるるるるるる──

不意に目の前の電話が鳴った。

「シロ出てぇ〜」
『無理』

猫だからねえ…。仕方なく手を伸ばす。

「(ガチャ)…ふぁ〜い、こちら愛の伝道師、無敵の碇シンジ様のおうちでしゅ〜」
《……》
「…もちもーち?」
《──ハッ……巻きますか? 巻きませんか?》
「間に合ってましゅ」

ガチャンと電話を切る。ふぅ、最近は変な電話が多くて困っちゃうよぅ〜。

ぷるるるるるる──

暫くしてまた電話。
寝そべったまま受話器を取る。やる気ゼロでございます。

「…ふぁ〜い。 何度も言いましゅが無敵のシンジ様のおうちでしゅよ〜」
《……》
「…もちもーち?」
《──ハッ、失礼しました! わ、わたくし鞄本債権管理センターの池田と申しまして──》
「…かぶしきがいしゃにっぽんさいけんせんたーのいけだ? 誰ですかそれ?」

聞きなれない男の言葉に口調を戻す。

《はい、私共は信用調査会社・コンテンツ業者からの依頼に基づき各種料金等支払遅延者リスト、つまりブラックリストですね、それを一括管理している会社です》
「はぁ……その会社とやらがうちに何の用ですか?」

眉唾で訊いてみる。

《はい、以前お客様がご利用になられました電話回線及びプロバイダーを通して接続された有料番組料金のお支払いが今だ確認が取れず日々遅延損害金と延滞利息金が発生しております》
「……」
《確認しましたところお客様の場合まだご利用になられたサイトのログアウト手続きが済んでおらず課金が継続しておりました。 今回ご利用になられた運営業者様から債権回収の依頼を弊社のほうで正式に受理しましたので今後弊社が代わってご請求させて頂く次第です》

まるで手許にある紙を読み上げているような見事な棒読み。
話を要約すると、インターネットで有料エロサイトを使いまくった僕の債権を引き継いだからその滞納料金を支払えというものであった。当然ながら身に覚えはない。つまり今流行の架空請求の電話ということか。

《…で、どうでしょう? 覚えがございますよね?》

相手はこちらが脈ありかどうか慎重に探ってくる。何度も言うが身に覚えはない。だってパソコン自体持ってないもの(笑)。お話にならない。もしかしてクロのヤツかなとも思ったけど、彼女がパソコンを組み立てたのはごく最近のことだし時期的におかしい。第一ヤツなら有料サイトでも不正アクセスして無料視聴するハズだから(笑)。

「えーと、どうだったかなぁ? 使ったような……使ってないような……ハハ、よく覚えてないや〜(汗)」

無論演技である。もし断固身の覚えがないと突っぱねるとそこで話が終わっちゃうのだ。暇を持て余している身としてはそんな勿体ないことは絶対に許されるものではなかった(笑)。
かくして引き伸ばしに掛かる。無論この悪徳業者で遊ぶためにだ(笑)。

《…フッ、困るんですよねえ、すぐに払ってもらわないと。 私共も商売ですから…》

こちらの態度に、電話先の相手が待ってましたとばかりに食いついてきた♪
そして心躍る魅惑の世界へと突入。

《おたく払う気はあるんでしょう?》
「はぁ…」

適当に相槌を打って泳がせる。ここで逃がしては堪らない。

《ところで貴方おいくつですか?》
「14歳……中学二年ですけど」
《…何だチューボーかよっ!!》

途端に口調が馴れ馴れしくなった。こっちのほうが地か。
その後も相手の男はこちらの見せた僅かな隙に付け込んで畳み掛けてきた。完全に故意犯である。
相手がカモとわかればスッポンのように喰らいついて離さず、徹底的にしゃぶり尽くすというのがこの手の輩の常套だった。

「請求額ってどれくらいになるんですかね?」
《利用料と年会費、それと延滞料金を合わせて200万だな》
「へえ〜200万ですか……まるで計ったようにピタッリな金額ですね?」
《う、うるせーな! たまたまだよ! 半端はオマケしたんだよ!》

どっちだよ?(汗)
どうやらこの男、ミサト級のお馬鹿サンらしい。これは先が楽しみである。

《男のクセに細かいことをグダグダ抜かしてんじゃねーぞ?》
「あ、それはそれは大変失礼しました」

言いながらも寝転がって鼻クソほじほじ。

「でも200万なんて大金、子供の僕じゃとても払えないんですけどぉ?」

嘘。仮に200万が200億でも即金で払えちゃう。だって僕、スーパー金持ちなお子様なんだもん(笑)。

《そんときは親のカネがあるだろ? 金庫とかタンスの奥とか?》

…何か凄いこと言ってますよこの人?
そもそも父親は甲斐性なしの外道、母親は息子の脛をかじって悠々自適……こんなんでどうしろと言うんでしょうか?(汗)

《兎に角このままじゃ延滞料金が膨らむ一方で大変なことになるからな? このまま粘ったら払わないで済むかもとは思うんじゃねえぞ? こっちは地の果てまで追い詰めて情け容赦なく全額回収するからな? 当然学校にも行くぜ? 先生や友達に知られると大変だろ? お前のあだ名マジで明日からエロエロ君になっちゃうぜ?》
「それはちょっと嫌だなあ…」

いやマジで。
でも親の金をくすねるほうが後々よっぽど大変なことになる気がするのは僕だけかなあ?

《だろ? だったら早く払ったほうが身のためだ》

男は熱弁を振るって脅迫した。ノルマがあるのか、はたまた歩合制か、何だか向こうも向こうで必死なご様子。

(……)

電話をしながら、同時並行で親指と人差し指を使って先ほど穿った鼻クソをコロコロ丸める僕チン。あるタイミングをジッと窺っていた。そして待つこと数分、ソファーの上で白猫が欠伸して無様に大口を開けた瞬間、それを見逃さなかった。

(今だゾっ!)
ピシッ──

念入りに丸めたセイロガンに似て非なる物体を爪弾いて飛ばす。それは大きく弧を描きヤツの口の中へとホールインワン(笑)。されたほうの白猫は大慌て。目を白黒させて口を押さえて大急ぎでトイレへと駆け込んでいったわけで。プハハハハ(笑)」

《──おいこらテメェ何笑ってやがるっ!! 舐めてんのかコラァ!!》

おっといけない。声が漏れていたようだ。

「スミマセン〜。  でも今のは僕じゃなくてテレビの声なんですよ〜」
《…チッ》

相手はイライラしてきたようである。しかしこれはこれでいい兆候と言えなくもない。
さあて、またのらりくらりとあしらうとしますか。

「でもうちの親、超ビンボーですから、やっぱ無理ですよ〜」
《ああ? チッ……ったくしょうがねーな。なら200万のところ今回は特別に20万にまけてやる。これなら払えるだろーが?》

出ました!
お待ちかねの土壇場での掟破りの大幅値下げ!(予定の段取り)
お買い得度をアピールする巧みな心理作戦!
スーパーで平常小売価格1000円の牛肉パックを特売日に2000円に値上げして半額シールを貼るのと同じ手法!

「いやー言ってはみるもんだ♪ 九割引きですよ九割引きー。 すっごいダンピングですよねー」
《……だんぴ、んぐ?》
「は? ダンピングですよ、ディーユーエムピーアイエヌジー、DUMPING……あれ、もしかして知らなかったんですか?」
《ばっ──知ってるに決まってるだろぉっ!!》 
「そーですよねー。 知らないわけないですよねー。 今どきランドセル背負ったお子ちゃまでも知ってますからねー」
《…ぐ》
「ちなみにダンピングってのは、ダンプカーに乗ってショッピングに行くって意味ですよー? 勿論知ってますよねー?」
《ばっ──たりめーだ馬鹿っ!! そんくらい誰だって知ってるわっ!! あんま俺のこと舐めてんじゃねーぞゴラァ!!》

シーーン。

「(…ぷっ!! くくく〜〜〜!!)」

受話器を握り締めたまま、床をゴロゴロ転げ回った(笑)。床をバンバンと叩く。叩き捲くった。

「(は、腹がっ、腹がマジでねじ切れるぅ〜〜〜!!)」

久々の大当たり♪
ぼ、僕チンのこと笑い死にさせる気ですかッ♪
このお方、もしかしたらウルトラスーパードレッドノート級の逸材かも知れません。

《お、おいどうした?》
「い、いえ何でもありま……セン(ぷぷぷっ)」
《とにかくだ、俺も鬼じゃねーからな、ありがたく思えよ?》

ありがたく思えも何もコレは嘘の請求だし、そもそもそっちの経費ゼロじゃねーか。
とうにネタは挙がっているとも知らずに粋がってまあ…。
察するに随分と低学歴なお人らしい。まあ最近は必修単位未履修でもズルして高校卒業出来たり嘘の内申書で騙して大学合格している学歴も多いので一概にどうとは言えないが。

「200万が20万になるなら、まあ確かにお得ですよねー」

ガサガサ、ビリッ──

《だろ? だろ? じゃあ早速銀行に行ってくれ。 着いたら今から言う携帯番号に連絡を入れんだぞ。 そんときに振込先の口座を教えるから!》

今日は祝日で休みだけど銀行のATMはやっていた。
で、振込みがあった途端に引き出してドロン。ま、よくある手だ。

「えー、でも今から見たいアニメがあるんですけどー」

パキッ──

《ンなもん見んなボケ!! お前は子供かっ!?》
「だって子供だもん」
《ぐっ…》

ガリッ、ガリッ──

「ちなみにそれでも払えないときはどうなるんですかー?」
《はぁ? 決まってんだろテメェ!! ふざけんなっ!!》
「別にふざけちゃいませんけど、具体的にはどうなるんですか?」
《い、色々と大変なことになるんだよっ!!》
「色々って何ですか?」

パリパリ、ボリボリ──

《だから色々って言ったら色々なことで──って待てやコラァ!! さっきから何だこの耳障りな音はっ!?》
「は? いや別に……普通にセンベイ食ってる音ですけど?」

バリボリ、ザクザク──

《ばっ、食うなンなモン!!! テメェは人の話を真面目に聞けねえのかコノヤローーッ!!!》
「あ、やっぱりそう思います? よく『君は人の話を聞かないねぇ〜』って言われるんですよ〜」
《……あのなぁ……》

電話の向こうで盛大にため息を吐く音が聞こえた。

《…オメェよぉ、船とか乗ったことあんのか?》

暫くして突然話を振られた。

「船ですか?」
《そうだ、船だよ》
「いえ特には」

ホントは頻繁にあるけど。

《じゃあ楽しみにしとけ》
「はい?」
《マグロ漁船に乗るんだよ》
「マグロ漁船ですか?」
《ずっと北のほう、アメリカ海の辺りに特にいいマグロがいるらしいんだ。 で、いいカネになるんだわこれが♪》
「え? アメリカ海ですか? そんな海ありましたっけ?」
《あるんだよヴァカ。 オメェ、ホンットなーんも知らねーんだなぁ?》

呆れられてしまいました。

《いいか? 日本の近くにあるから日本海、だったらアメリカの近くにあるのはアメリカ海だろーが。 学校で習わなかったか?》
「…えーと…」

習ってないです。初耳です。もしかして僕が知らないだけなのでしょうか?(汗)

《頭悪すぎだぞオメェ。 ちょっとは常識ってモンを知っとけこのヤロー》

うわ〜、さすがに頭のいい人は言うことが違うなあ〜(笑)。

《でだ、そのマグロが川を上ってくんだわ♪》
「マグロが川をですかっ!?」

一瞬我が耳を疑った。これには正直吃驚。まさに予想外。心の琴線にクリーンヒット♪
それ別の魚と混同してません?(汗)
まさかここまでの逸材とは予想していませんでした♪

《おうよ。 そこを一網打尽にすんだよ。 だがツレー仕事だぜ?》

おたくの頭の中のほうがよっぽどツレーことだと思いますけど?(笑)
それに他国のEEZ(排他的経済水域)内どころか領土内にまでシャケを……この際マグロでもいいですけど、獲りに行くわけですか? …いくら何でも無謀ですよアンタ(笑)。

「はぁ、それでどれくらい乗るんですか? 一週間かそこらですか?」
《ああ? ふざけんなコノヤロー! 三年だよ三年!》
「え〜? たった20万なのに、三年も船の上で強制労働っすか〜?」
《たりめーだこのヴァカ! ガキは時給が低いんだよ! ジョーシキだろジョーシキ!》
「え〜」

いくら低いっつっても時給に換算して20〜30円はあんまりだと思う。
それに常識を持ち出すんなら、そのガキをマグロ漁船に乗せること自体がNGだってーの。
…まあ馬鹿を相手にむきになっても仕方がないけどね。

《だからよー、嫌だろ漁船に乗るの?》
「そりゃまあ嫌ですね」
《だったら振り込めよ20万。 親のカネくすねてもすぐ振り込め。 わかったな?》

なるほどここで飴と鞭の飴ですか。
馬鹿は馬鹿なりに段取り考えてますな〜と感心していたら、

「皆さ〜ん、お昼ご飯の準備が整いましたよ〜」

と、ダイニングルームのほうから声がした。ツバメさんである。
おやおやもうそんな時間ですか。ま、ここいらが潮時ですな。少々名残惜しいですが。

「てなわけで池田さんでしたっけ? 僕はこの辺でお暇(いとま)しますんで、御機嫌よう♪」

電話に向かって一方的に告知。
しかし案の定、電話先は面食らったようで。

《はぁ!? ゴキゲンヨウって、おいそりゃどーゆー意味だっ!!》
「ですからタイムリミットですよタイムリミット。 こちらの事情です」
《はあああああっ!?》
「いやあ〜、僕の暇潰しに付き合ってくれて、ホントありがとうございますぅ〜♪ お蔭で退屈しないで済みました〜♪」

かれこれ30分くらいになるかな?
うむ、実に有意義なひと時だったぞよ♪
余は満足じゃとばかりにカッカッカッと高笑いをかます。

《ひまつぶしぃ〜〜っ!!? ふざっ、ふざふざふざ、ふざけんなコンニャローッ!!!》

男はかなりご立腹の様子。さもあらん。きっと電話の向こうでは茹でダコのように真っ赤になってることだろう。

「はいさよなら」

ウザイので強制終了することにする。電話の子機の赤い電源ボタンに指を伸ばすが、

《ちょ──おいこら待ちやがれぇっ!!!》

その怒号に指を止めた。

「ハァ……何ですか? 僕チンこれからお昼ご飯なんですけど?」
《お昼ご飯、じゃねーーーっ!!!》

怒鳴り声で耳がキーンとなった。

《オメェー、カネはどーすんだっ!? まさか踏み倒す気か!? ふざけろっ!! こちとら慈善事業やってんじゃねーんだぞっ!! いいか!! どんな手を使っても全額回収してやるからなっ!! 覚悟しとけテメェー!!》

男は烈火のごとく捲くし立てた。

「…そんなにおカネが欲しいんですか?」
《たりめーだっ!!》
「そうですか…」

フムと考える。

「わかりました。 確かに貴方には随分と楽しい思いをさせてもらいましたからね。 ここは大盤振る舞いで20万といわず20億を進呈しましょう。 いえいえ正当な報酬ですよ。 えーと振込先は銀行に着いてから教えてもらえるんでしたっけ? あ、お昼ご飯食べてからでいいですよね?」

しかし、

《──ざけんなっ!!》
「はい?」
《オ、オメェ、俺を……俺のことを馬鹿にしてんのかっ!!》
「……」

別にふざけても馬鹿にしてもいなかった(少なくとも今は)。ただ純粋に愉しませてもらったから謝礼として20億円を振り込んであげようと本気で考えていただけであった。
しかし額が額なだけに、男はからかわれたと思ったらしい。
みすみす大金を手にする機会を棒に振るとは……何とも馬鹿な男であった。チーン。

《おうわかった!! もう承知してやらねえ!! 待ってろ!! 今すぐテメェんち行ってやる! うちの弁護士と組の若いモン大勢連れてお前の家にカチコミかけてやるっ!! 楽しみに震えて待ってろやゴラァ!!》

大声で恫喝。
でも弁護士同伴のカチコミってどんなのだろうか?
見てみたい気もするが、これは全部ハッタリ、口からでまかせだ。
しかし埒が明かないので決定的な言葉を伝えることにした。

「あのね……踏み倒すも何も、そもそもこれって架空請求でしょう?」
《──ンがっ!?》
「気づいてないとでも思いましたか? まったくオメデタイ人ですねえ」
《テ、テメェ…》

頼みの口実がなくなり途端に勢いがなくなる電話先。恐らく滝のように脂汗を流していることだろう。
流れる沈黙。
普通ならそこで電話を切って次なるカモを探すのが男の仕事なのだろうが、あまりにコケにされたため感情がコントロールできず、切るに切れないでいた。

「でも大変ですよねえ」
《…何がだ?》
「だって馬鹿だからこんな仕事にしか就けないんでしょ?」
《…そりゃどーゆー意味だ?》

相手の声が剣呑なものになる。

「わかりませんか? 人を騙すことでしかオマンマにありつけないなんて……考えただけで惨めですよねえ」
《…テメェ、もしかして俺のこと馬鹿にしてんのか?》
「もしかしてじゃなくその通りなんですよ。 最初からそうでしたよ。 あれ? 馬鹿だから気づきませんでしたか? さすが馬鹿」
《テッ、テテテ、テメェーーッ!!!》

ここにきて男の怒りが大爆発した。

《殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる、ぶっ殺してやるーーッ!!!》

(ピクッ)

「ほう……僕を殺す、ですか?」

言わずもがなそれは禁忌の言葉だった。
かくして男の命運は決まった。尤もさんざ煽って言わせたのはこっちのほうであったが。

《ぜってー住所調べてソッコーで追い込みかけてやるからなっ!! 覚悟しやがれっ!!》

ハッタリだ。まぁ、もしそうなったらそうなったで非常に面白いことになるのだけれども。

《いーや、それだけじゃ済まさねぇー!! ぜってー済まさねぇー!! そーだな、ケケケケ♪ オメェもよぅ、チューボーなら好きな女の一人や二人いるんじゃねーか? それに家には母ちゃんや姉ちゃんとかいるだろう? クククク、覚悟しろよ? そいつらウチの組全員でマワしてやるからな? メチャクチャのズタボロの薬漬けにしてヒーヒー言わしてやるからな? 今さら泣き入れたってぜってぇ許さねーからな? ケケケケ、ザマーミロだぜっ!! 誰に喧嘩売ったか思い知れっ!! そんでもってガタガタ震えて部屋ん中で惨めに引篭もってピーピー泣いてろやこんヴォケがぁっ!!!》
「……」

その言葉は冷ややかに心の中に届いた。
この際、母親(黒猫)や姉(マッド)のことはどーでもいい。むしろやっちゃってもらって可。だがそれ以外はダメ。冒涜すら許されない。
自然と目が細く鋭くなっていた。頭のどこかでスイッチが切り替わっていた。
結果、決まったハズの男の命運にトドメが刺された。無論これはただのブラフ。だがもうそんなことは関係なかったわけで。

《クククク、おうおうどうした? なーに黙り込んでんだテメェはよぅ? フッ、さてはビビッて──》

図に乗る男。しかし、

「…は? 誰がビビッてるって? (クスクス) 一昨日の晩に二股がバレて彼女にフラれたばかりの八王子市○△町三丁目在住、現在両親と同居の独身ニート24歳、三年と四ヶ月前まで見事な皮かむりだった池沼ヒロシさん?」
《──ゲェッ!?》

吃驚仰天の男。

《ちちち、違うっ!! 違うぞっ!! 俺は池田だっ!! 八王子のいいい、池沼なんて名前じゃないっ!! 全然別人だぞっ!! それに俺はかかか、皮かむりなんかじゃねーっ!! デタラメ言ってんじゃ──》

うるさいから無視。

「暇潰しのひと時をどうもありがとう♪ ですがもう御託はたくさんです…………死ね」

《──バシャン!》

突然、電話越しに何か水風船のようなものが破裂するような音が聞こえた。
そう。相手の男の持つ約60兆個の体細胞すべての細胞壁が瞬時に破れ、形を失い、自重に耐えられず、弾け、個体主の気づかぬまま真っ赤なトマトピューレと化し、その命がこの世から永遠に消滅した断末魔であった。アンチATフィールドによるLCL化とはまた違う還元不可能な現象。つまりは完全な死。

《ひっ!!》
《うわーー!?》
《な、何だよこれぇーー!?》


どうやら詐欺グループの仲間が同じ部屋に詰めているようで、この同僚の成れの果てにパニックを起こしていた。
仲間外れだと可哀想なので、彼らも一人残らず殺しておく。

《バシャ!》
《バシャ!》
《バシャ!》

《バシャ!》
《バシャ!》

ついでに後腐れないよう彼ら三下が属していた詐欺グループ及びその上位組織である某広域暴力団の構成員(組員)と準構成員(準組員)、〆て約2万人を芋づる式にこの世から消しておいた。その間わずか五分と十三秒。
ちなみに2万人もいると死に場所も様々。クルマで移動中に弾けたり、最高幹部会の席でまとめて弾けたり、公共工事の談合中に弾けたり、家族と団欒中に弾けたり、情婦の腹の上で弾けたりと、枚挙に暇がなかった。ぶちまけられたトマトピューレモドキは総計118万7千5百リットルにも及んだという。
余談ではあるが、その後消滅した当該暴力団の手つかずの縄張りを巡って関東と関西の広域暴力団同士で未曾有の抗争が勃発。それは瞬く間に全国に飛び火し双方数百人規模の犠牲者を計上。果ては民間人にも多くの巻き添えが発生するのだが、少年には関係ないので気にしない(おい)。





『…あら電話? 誰からだったの?』

遅ればせながら二階から昼ご飯を食べに黒猫(寝起き)が降りてきた。

「いや何でもない。 ただの間違い電話」
『そう…』

こうして我が家の何気ない休日の昼下がりは過ぎていった。





〜???〜

日は少し流れ、

「──はっ!?」

ようやく男は目を覚ました。

「ん? おお、やっとお目覚めかね?」
「…冬月か……ここはいったい……?」

知らない天井を見上げた。

「病院だよ。 ジオフロントのな」
「病院?……そうか。 今回はどれくらい眠っていた? 半日くらいか?」
「ほう、記憶の混濁はないようだな。 今回は三日間ほどだ」
「三日間だと!? そ、それで老人たちは──ぐおっ!? いつつつつっ!!」

無理にベッドから起き上がろうとしたら腹部に激痛が走った。

「おいおい無理をするな。まだ傷は完全には塞がってはおらんのだからな」
「っ……それより委員会の奴らは……何か言ってきたのか…?」

お腹を押さえたまま痛みを耐えて問い質す。

「…呆れていたぞ? だがお前がレイに刺されたと知ると何故かまた溜飲を下げてな。 それ以上の追及はなかったぞ。 幸いにして」
「…そうか」

少し複雑な気分。

「だが意識が戻り次第、直ちに連絡を寄こせと厳重に言付かってある。 …お前、この間の入院のとき何だかんだで退院しても彼らに連絡を入れなかっただろ? たっぷりと厭味を言われたんだぞ?」
「……」
「しかし随分と人気者だな、碇よ?」
「……」
「やはり気が重いのかね?」
「…黙れ」
「ふぅ……やれやれ」

老人は辟易していた。

「おい手を貸せ」

男はベッドから起き上がろうとするが、痛みが邪魔でうまく力が入らない。

「…本気で言っているのか貴様?」

老人には手足がありませんでした(汗)。

「…痛いぞ」

男は何とか自力で上半身だけを起こすことができた。しかし腹筋に力を入れる度にズキンと痛みが走る。

「生きている証拠だ我慢しろ」
「…本当に大丈夫なんだろうな?」
「暫く安静にしていれば完治するという診断だ」

その言葉に男は安堵の表情を見せる。

「…レイはどうした?」

男は目下最大の懸案事項を口にする。

「彼女ならシンジ君と楽しく暮らしていると思うが」
「…さっさと連れて来い」
「何故?」
「…俺様を刺したんだぞ」

ギロッと睨んで凄む男。
数日間寝ていたためか口髭が程よく伸びて、その顔はまるで警察の手配書にでも載っていそうな凶悪な面相と化していた。

「うむ、それなら報告を受けている。 衆人環視の中、やられたそうだな」
「…わかっているなら訊くな。 連行理由は十分だろうが」

本調子なら怒鳴っていたところなのだが、腹の傷に響くので大声を出せないでいた。

「十分?……寝すぎてボケたのか貴様? レイはもうサードと同じ身分なのだぞ」
「…ぬ!?」
「その顔は思い出したようだな。 わかっているとは思うが、たとえお前を刺し殺したとしてもレイには不逮捕特権が保障されている。 故に表立って手出しはできん。 何度も同じことを言わせるんじゃない」
「…そんな理不尽なことが許されると本気で思って──ぐっ」

また腹を押さえ蹲る。

「ふぅ、聞けばお前……自分から刺してくれと懇願したそうじゃないか?」
「…う」
「それなのに何で刺したのかと今さら文句の一つでも言おうというのかね?」
「……」
「お前の三文芝居……近くで待機していた黒服もア然としていたらしいぞ?」

そして老人も呆れる。

「…黒服? ああ、あの新入りか……俺はそいつに助けられたのか?」
「ああ、彼が一人でお前をネルフまで運んできたのだ。 後で存分にねぎらってやるといい」
「…ん? 一人で運んだ? ちょっと待て。 救急車とか警察とか呼ばなかったのか? 周りの人間は何をしていた?」

あのとき周りには不特定多数の通行人がいたハズであった。

「…野次馬たちは終始お前のことをニヤニヤ眺めていただけで別段何もしなかったそうだ」
「馬鹿な…」

信じられないという顔の男。
だが別にあのときの野次馬たちが揃いも揃ってモラルハザードを起こしていたというわけではなかった。
目の前で繰り広げられた三文芝居が勧善懲悪のドラマか何かの撮影だと思ったらしく、蒼銀髪の可憐な少女が悪党顔の中年男を刺した瞬間などは、やんややんやの大喝采が起こったというのだ。おひねりを投げ入れた年配者もいたくらいであるからして。
当然ながら血がドバドバ出たが、よもやそれが本物とは誰一人思いもしなかったようで、後から駆けつけた怪しげな黒サングラスをした青年が救急車も呼ばずに彼を背負って去っていったことが、皮肉にもそのことに真実味を持たせる結果となってしまっていた。
しかしそう足らしめた最大の原因は──主演男優の演技とシナリオがあまりにもベタすぎだったことに尽きた(笑)。

「しかしお前も懲りないな。 今度はレイに見放されてこのザマかね」
「その言い方には語弊がある。 まだ見放されたわけではない。 まだチャンスはある」
「…まだ言うか?(汗)」

老人は呆れて天を仰いだ。





〜翌日、同病室〜

「冬月、俺をすぐに退院させろ」

老人がその日初めて病室を見舞うなり部屋の主は詰め寄ってきた。

「は? 何を言うのだ突然?」
「やりたい」
「やりたい? 仕事をか? それは殊勝な心掛けだな」
「下らん冗談を言うな! 俺様は女を抱きたいのだ! 猛烈に温もりが欲しいのだ!」
「……随分とまた明け透けだな」

冷や汗を掻く老人。
こうも堂々とハッキリ言われるとこっちが赤面してしまう。

「もう四日も溜めっぱなしだ。 このままではダムが決壊してしまう」
「なら決壊させればよかろう。 別に死にはしない。 それが嫌なら右手を使え」

かく言う老人には右手がない。
衰えたといえまだ性欲旺盛であり、四肢を失った後はもっぱらデリヘルを利用していた。外見は好々爺でそんなそぶりは微塵も見せないが、彼もまた真正の助平爺であった。ちなみに最近ハマッているイメージプレイは「先生好きですコース」。女学生が憧れの教授に告白し恥じらいながらも体を開くというコアな設定らしい(笑)。

「…冬月よ、男にとって一番大切な行為が何かわかるか?」

男が憮然とした表情で切り出した。

「何だ藪から棒に?」
「いいから答えてみろ」
「…ったく。 質問が少々漠然としている気もするが、そうだな……………………守る、か? やはり家族とか仲間とかを守るのは男子の本懐、これに過ぐるものはないと思うぞ」
「フッ、下らん。 そんなもので腹が膨れるか!」

一笑に付して退けた。

「ぬ……では何だというのだ?」
「それは──入れる、だ」
「は? 何だって?」
「だから『入れる』だ。 インサートだ。 無論アソコにな。 できれば未使用のものを希望」

だがそのお下品すぎる回答に老人は心底嫌そうな顔をする。

「…お前なぁ……自分で言って恥ずかしくないのか?(汗)」
「恥ずかしいものか! 人類はそうやって繁栄してきたのだぞ!」
「それはまあ、そうだが…」

相手の物言いは正論だが眉を顰めたこの老人、人並み以上に世間体というものを気にする性格であった。
特に自身の生殖行為とそれに類することに関しては絶対に秘め事でなくてはならず、もし自分が今も性欲旺盛で週一回のペースで風俗を利用している事実が世間に漏れでもしたら、到底生きてはいけないだろうとの自覚があった。
そのことで陰口を叩かれたりスケベ爺さんと揶揄され後ろ指をさされることは彼にとって死ぬほど恥ずかしくとても耐えうるものではなかったのである。
故にこの手の話題が会話に上るのさえ彼は嫌悪していた。世間はそれを良識と看做していた。
しかしエッチ自体は大好きであり、もし当人から世間体という楔を取っ払ったら、彼とその上官の男との間での区別は極めて難しいものになっていたことであろう。
所謂彼はムッツリ助平、その典型であった。

「ハァ…」

しかし話が進まないので眼前のこの厚顔無恥な上官に一時的にレベルを合わせることにした自称ネルフ随一の良識派であるところの老人。飽くまで自称。

「…貴様の頭の中がどうなっているのかは知らんし興味もないが、種族繁栄と言うのなら一番は『出す』という行為ではないのかね? それがオスとしての最終目的だし、いわば本能だろう?」

生物学上の観点から一言述べる。

「惜しい。 それは二番だ」
「…はぁ?」
「確かに『出す』というのは男として一番気持ちがいい行為だ。 最高のエクスタシーだろう。 だがな、入れないで出してしまうことほど虚しいことはない。 だから一番ではないのだ。 わかるな? 我々はシャケのオスではないのだからな。 因みに三番は『こする』だ」

男は経験に裏打ちされた持論を高々に唱えた。

「…で、結局何が言いたいんだお前は?(汗)」
「右手は嫌だ」
「……」

結局のところこの男の頭には(女を)食う(女と)寝る(女で)遊ぶの三つしかなかったわけで(汗)。

「自重しろ。 今は大事を取れ」
「嫌だ。 大勢の美女が俺様を呼んでいる」
「いらぬ負荷を掛けるのは体に毒だぞ」
「それこそいらぬお世話だ」

あー言えばこー言う。まるでコントである。

「…あのな。 ワシはお前のためを思って言っているのだ。 それに今はそれ程でもないがお前の股間だって随分と腫れていたのだぞ」

それは某少女に蹴られたほうの負傷であった。

「大丈夫だ。 俺のは片方でも日量一億kWの生産量だ」
「…何が大丈夫なのかワシにはサッパリだし、発電所かお前の股間は?(汗)」

そう嘆きつつ老人は大きく嘆息した。

「出る」
「だから出せばよかろう!」

コントは一進一退、なおも続いていたわけで(汗)。

「アソコ以外で出すのは勿体ない。 すぐに退院させろ」
「止めておけ。 悪いことは言わん」
「俺に命令するんじゃない」

このままでは埒が明かないと思った老参謀は一計を案じ、攻め口を変えることにした。

「ほう……それほどまでに委員会の面々と楽しい会話をしたいのかね?」
「……それはどういうことだ?」

満を持した表現に案の定というべきか男は食らいついてきた。

「つまりここで退院となったら即彼らの耳にも入るということだよ。 それとも何かね? 弁明の心構えはとうに済んでいるとでも? それなら別にワシは止めんが?(ニヤリ)」

そのセリフの効果は覿面だったらしく、途端に男を黙り込ませることに成功した。





数時間後、

「…無駄打ちしてしまったわい(汗)」

そうぼやいたのは憮然とした表情でベッドに横たわっていた病室の主その人。
結局この男、仕方なく手近な唯一の女性、つまり赤木リツコ博士を病室に呼んで「出す」行為に及んでいた。所謂デリバリーリツコである。
本音ではこんなオバサンなどチェンジしたいところではあったが、彼の隠しハーレムから女を呼ぶのは危険が大きすぎて断念、やむを得ず相手をした次第であった。
病室に居合わせていた老人には少しばかり休みたいと嘘を言って退室させ、直後内々に赤木博士に連絡を入れて部屋に出頭させた。
暫くして病室に到着した彼女。傷に障るから止めたほうがいいと言いつつも服を脱ぎだし、恥じらいながら「ハイどうぞ♪」と尻を差し出してきた……この痴女め!(汗)
ただ腰を動かすとまだ傷が痛んだため、三こすり半もできず、結局は入れたままグラインドさせて果てていた。それでも一応は満足。
…でもユルかった(泣)。
行為が終わると赤木博士は服の乱れを直しイソイソと退室していった。何かこの後用事があるらしく時間を気にしていたふうだった。
さて事後の気だるさの中、その後数時間をボーッと過ごしていた男であったが、ぐぅと小腹が空いてきたため一時退席していたパシリ君を呼び戻すべく連絡を入れていた。それが今から一時間前のこと。

──コンコン

「入れ」

──プシュー

「ほれ碇、頼まれていた差し入れだ」

噂をすれば何とやら、そのパシリ君が紙袋を持って(車椅子のフックに下げて)やってきた。
普通、差し入れとは頼まれて差し入れるものではないのだが、ここではあえて不問としよう。

「おお、ご苦労だったな。 こっちに運んでくれ」
「やれやれ……これでいいのかね?」
「うむ、問題ないぞ」

男は頼んでいたアメリカンクラブサンドイッチ(2310円)とコーヒー(900円)を受け取った。
…本当に重傷を負ったのか疑問(汗)。

「(むしゃむしゃ、むしゃむしゃ)」
「…美味そうだな」
「(ずぅー、ごっくん)やらんぞ」
「…いらんよ。 それよりお前、手術してからまだ放屁もしておらんのに、本当に大丈夫なのかね?」
「大丈夫だ」
「……だからその根拠は何なんだ?(汗)」

傍で呆れ顔の老人。

「(はむはむ)血が足りない。 (もぐもぐ)点滴だけじゃ持たんのだ。 (むしゃむしゃ)栄養が不足している」

主に先ほど喪失したばかりのタンパク質が(笑)。

「(ずぅー、ごくごく)ん、そういえば赤木博士はどうした? さっき(部屋を出て行って)から全然見てはおらんが?」

鬚面の男はサンドイッチを齧りながら何気に訊ねた。
本来なら男の往診のために自身の仕事の合間を見つけて一時間に一回はこの部屋へと立ち寄っていた彼女であったが、ここ二時間ほどはまったく姿を見せてはいなかった。
ま、見てないなら見てないであんなバアサン構わないと割り切っていた男であったが(汗)。

「ああ、赤木博士かね。 彼女なら第二新東京市まで行ってもらっているよ。 泊りがけでな。 なに、明日の夕方には戻ってくるだろうて」
「!? 第二……長野だと!? っ、まさか日本政府の奴らが何か言ってきたのかっ!?」

(よ、よもや国会工作が失敗したから貸していたカネをやっぱり返せとかっ!?)

それは冗談ではないと身震いする男。しかし、

「いや、今回は別件だよ」
「別件?」
「そう、イメージアップキャンペーンの一環だ」
「…はい?」

聞きなれぬ言葉に男は首を傾げた。

「…イメージ?……キャンペーン?……どういうことだ?」
「うむ、話せば長くなるんだが──」
「短くしてくれ」
「…ぐっ」

先手を打たれてしまった老人。
ワシの楽しみをよくもと未練がましく睨んでいたが、コホンと咳払いをすると、諦めたのか掻い摘んで話を始めた。

「…このところネルフの評判が悪いのだよ。 それも頗るな。 内外の職員のモチベーションは過去最悪といえる状況にある」

老人はふうと重い息を吐いた。
ゲンドウという名の男が眠っている数日の間、いや正確には眠っていない間も含むのではあるが、世間では様々なことが起こっていた。
ネルフの評判もその一つである。
簡単に言えばその信用が、評判が地に落ちたということだ。
原因の最たるものそれは、言わずもがなネルフの某作戦部長(生物学上は♀)が野に放たれたことによる街で迷惑行為の数々にあった。
上の人間がそうなのだから、いわんや組織全体あるいは末端の職員の程度も高が知れている──周囲がそう考えたのは無理からぬことだった。
結果、その効果というか影響は覿面で、あっと言う間に風聞が広まってしまっていた。無論ネルフにとって著しくマイナスの風聞が、である。悪事千里を走るとは良く言ったものだ。
当時彼女のIQが外部に漏れていたこともあり巷では「ネルフにはIQが高いと採用されない」などと実(まこと)しやかに囁かれており、しまいには、やれネルフという組織は信用できないだの、やれアイツらは犯罪者集団(奇しくもそれは事実なのだが)だの、やれ職員は全員尿検査すべき、いや即刻隔離してしまえだの、かなり危なげな意見を憚らずに叫ぶ声も根強く存在していた(特に直接の被害者連中)。
余談ではあるが、例年日本国内で「就職したい会社ランキング」の上位にランクされていたネルフではあったが、今年は元凶たる人物のお蔭でランク外へと弾かれただけでなく、「就職したくない会社ランキング」の第一位に堂々と輝いてしまっていた。
しかも「就職先偏差値『逆』ランキング」ではダントツの第一位、「友達に聞かれると恥ずかしい親の職業ランキング」でもブッちぎりの第一位となり、堂々の三冠達成という前代未聞の偉業(?)を成し遂げていた。まさにアンビリーバボー。
巷では「サルでも入れるネルフ」「人間辞めますか? それともネルフに入りますか?」というキャッチフレーズが蔓延り、実際その年の流行語大賞にもノミネートされてしまったほどであった。
まさに人の口に戸は立てられぬといったところである。
だが当のネルフの職員は堪らない。実際、日々の生活には耐え難い支障が生じていたのである。
例えばお見合いの席では、

「どちらにお勤めですか?」
「……ネルフです」
「このお話、なかったことにさせて下さい」

何気に街を歩いていれば、

「ねえねえママ〜、あの人ネルフなの〜?」
「シッ! 指をさしちゃいけません!」

職員を家族に持つ家庭においては、

「頼むからネルフを辞めてくれ我が息子よ!」
「そうよこのままじゃご近所様に顔向けできないわ!」
「アタシもお兄ちゃんのせいで学校で虐められてるのよ!」
「……」

さらに職員の子供の喧嘩に至っては、

「お前のカーチャン、デーベーソー!」
「お前のトーチャンこそ、ネールーフー! きゃはははははーー♪」
「う、うわーーーん!」

そしてトドメ。路上で犬のウンコ踏んだらエンガチョではなく、

「ネルフ!」

──とまあ、ネルフ職員とその身内への風当たりは看過できぬレベルまで達していたのである。
当の職員にしても、あれほど猛勉強して当時最難関といわれたネルフ本部に就職したというのに突然の株価大暴落……これじゃ人生報われないという思いだった。
結果、彼らの誰もがこのような状況を作った「元凶」をますます憎むことになっていた。

「ぬう…」

事情を聞いて男は脂汗を流した。まさかそこまで事態が悪化していたとは想像もしていなかったのだ。
自分がお気楽に病院でお泊りしている間に、ネルフの評判は完璧なまでに地に落ちていた。
故にイメージアップキャンペーンを敢行する必要があると。

「なるほど状況はわかった。 しかしこのクソ忙しいときに…」
「だが仕方がなかろう。 我々ネルフは使徒さえ倒していればそれでいい……そういう訳にはいかないからな」
「そ、そうなのか?」
「…そうなのだよ」
「チッ、面倒なことだ」

男はイライラして爪を噛むが、すぐにそんな尻ぬぐいは目の前の老い耄れ副官もしくは金髪黒眉博士がやってくれるだろうと思い直し、なんだ自分は何もしなくていいじゃんと安堵の表情を浮かべた。
がしかし、

「他にもな、赤木博士と二人で色々考えてあるのだよ」
「ほう、他にもあると?」
「うむ、近日中に内外の人間を招待してネルフ本部主催のパーティーを近々設定してあるから、覚悟しておけよ? 当然、組織のトップたるお前がホストだからな?(ニヤリ)」
「何っ!? そんなの聞いておらんぞ!!」
「そりゃ今言ったばかりだからな。 なに、初めと終わりに壇上でちょこっと挨拶するだけだ。 別段心配はいらん……クククク」
「うぬぅ…」

男は頭を抱えた。
実は彼、人前で喋るのが大の苦手だった。そんなんでよく今の地位に就けたなと思うだろうが、それは副官たる人物の存在が大きかった。
その横で黙って手を組んで無言で相手に睨みを利かせ、ときたま「問題ない」とかの言葉を挿んでいれば、後は勝手に議事なり審議なり進んでいってくれていたのである。楽なものであった。
それが今回は期待できない。文面は誰かが考えてくれるだろうとしても、生来のアガリ症は如何とも出来なかった。
無論これは事情を知った上での老人の意地悪である。それがわかるからこそなお納得できない男でもあった。

「それにだ、少しでも失点を補ってから委員会の審議に臨んだほうが印象が良くなるんじゃないか?」

と老人。

「む……だが退院した事実を隠してそんなことをして大丈夫なのか? 返って心象が悪くなるんじゃ…」
「退院したが酷く憔悴しており現場の判断で暫くの猶予期間を頂いた、とでも事後報告すればよかろう。 必要なら医師の診断書でも添えてな」
「ぬ、なるほど……………………ん、待てよ? だったら先ほど俺が(抜きたいから)退院させろと迫った件もそれで──」

言い掛けたが、

「ああ、そうそう! ワシも明日出かけてくる。 無論キャンペーンの一環としてな」

タイミングよく誤魔化された(笑)。

「貴様…」
「静岡のな、小・中学校合同の同窓会に出席しようと思ってな。 ま、出るつもりはなかったから出欠確認のハガキは無視していたのだがね……さすがに赤木博士一人にすべてを任せるのは気が引けたんでな。 今回はワシも汗を流すことにしたのだよ」
「そんなド田舎の同窓会に出てどうするのだ! テレビも来てはおらんのだろう! 時間の無駄だ止めておけ!」
「いやそれがな、同窓生名簿を見たら県会議員や高級官僚となった者たちの名もあったのだよ。 なら馬鹿には出来ないだろう? いい機会だ。 無論今回彼らが来るとは限らんが……まあ、小さなことからコツコツとだよ。 何ごとも最初の一歩が肝心なのだ。 それにテレビというのなら……既にネルフはいくつかの番組のスポンサーになっているぞ」
「何っ!?」
「ローカル局だがね」
「そんなカネがどこにあった!?」
「それはそうだが……背に腹は代えられんだろう?」
「むぅ…」
「費用対効果も十分見合うし、それに何とか経費で落ちるからな」
「……」
「数日前から深夜枠で放送してるぞCM」
「深夜?」
「さすがにゴールデンは厳しくてな。 おはようからおやすみまで暮らしに夢を広げるネルフです……聞いたことないか?」
「知らん」
「まぁ、暇があったら見てみろ」
「…ふむ、それにしてもあの女め。 俺様のネルフの評判をガタ落ちさせるとは…」

苦々しく毒を吐いた男。

「…あのな碇、言っちゃなんだが、お前もその元凶の一人なんだぞ?」
「何っ!? 何故だ!?」
「……まさか本気で言っているのか?」
「うぐっ」

思い当たることがいっぱいあったのか男は言葉に詰まる。

「…も、問題ない。 人の噂も四十九日と言う。 そのうち下火になる」
「それを言うなら七十五日だ」

ピシャリと老人。お後がよろしいようで(笑)。





〜翌朝、第三新東京市・郊外、シンジ邸〜

「──シンジどこ行ったのよぅ!?」

毎度繰る返される日常(汗)。

「ねえシロ知らない?」
『知らない』

白猫はテーブルの上で新聞を読んでいる。いつものことなので免疫ができていた……ような気がする。

「もう朝っぱらからどこ行ったのよあの子は! ハッ、まさかまたゲンドウさんシリーズを──!?」

一人で騒ぐユイ。そんな中、

「あらあら……シンジさんでしたら、何でも急用ができたとかで第二新東京市まで行ってくると、そう仰っていましたが?」

割烹着の端で濡れた手を拭きながらキッチンから出てきたこの家唯一の良識人が答える。

「え……あ、そうなんだ。 でもどうして第二なんかに…………あ、もしかしてお世話になっていた先生のお宅にご挨拶とか?」
『……ケッ、ンなわけねーじゃん(ぼそっ)』

新聞を読んでいた白猫が冷めた目をして最大限の悪態を吐く。お世話になったのではなくお世話した、お世話になったとしたらそれは逆ベクトルでの話なのだから。
余談ながら、このときの白猫は知らなかったが、その先生なる人物のお宅は既に全焼してこの世になかったりする。別な意味でご挨拶を受けていたのである……某少年に(笑)。

「…でも学校はどうする気かしら?」

そう、今日も平日だったわけで。

「何かここ最近、自主休校が多いわよねあの子……大丈夫かしら?」
『…サボり癖がついたんじゃないの? 別に放っておけば?』

心配するユイに対し、シロは他人事な態度。もう慣れたというか、慣れないとこの生活やっていけない(汗)。

「…………………あれ? じゃあチョロ美は?」

ユイはレイのことを最近チョロ美と呼ぶようになっていた。愛する息子の周りをチョロチョロする悪い虫、だからチョロ美。何ともライバル心剥き出し状態であった(笑)。

『…綾波ならとっくに出たと思うよ』

ちなみにレイはレイでうまくシンジに言い包められたのか、文句も言わずに既に一人で登校していた。

「そう。 でも無断で学校を休むなんて不良さんにでもなったのかしら? いえ、まさかうちの子にかぎってそんな…」

顔色を曇らせるも、

『…あれを不良っていうのなら不良が可哀相だと思うね(ボソッ)』

と再び白猫の厭味(笑)。

「何か言った?」
『いや何でも』

なかなかにいいコンビである。

「──あ、あのユイさん? シンジさんでしたら学校にはちゃんと電話を掛けていらしたようですよ?」

見かねて(?)ツバメが口を挟んだ。

「え? ホント? 何て?」
「はい……何でも『父親が死んだので今日は休ませて下さい』と」

シーーーーーーン。

『…………やるなぁ(ニヤリ)』

白猫は素直に感心してニヤニヤ。
ユイはユイで、瞼に指をやってアイタタタと沈痛な面持ちで押し黙る。

「その、何というか……ご主人を亡くされたこと私全然知りませんで……心よりお悔やみ申します、ユイさん」

割烹着姿のその女性は恭しく頭を下げた。彼女はシンジの父親つまりはユイの夫が死んだと思っていたようである。

「……嘘だから(ボソッ)」
「え?」
「だからそれ嘘。 嘘なのよ」
「う、嘘ですか!?」

目を丸くして驚くツバメ。

「そ。 ガッコをズル休みするための方便。 あの子の父親は生きているわ。 まだしぶとくね……………………………………早く死ねばいいのに(ボソッ)」
「……」

あまりのことに声も出ないこの家で唯一無二の良識人。
ズル休みの理由を作るのに実の父親を殺すなんてシンジらしいといえばシンジらしいのだが、後でクラスの担任やクラスメイトらが弔問に来る危険性もなきにしもあらずで、やっぱ殺すのなら尊属はやめて伯父伯母あたりまでで手を打ったほうが無難だろう(おい)。





〜第二新東京市、新日本武道館〜

今は秋。ここは第二新東京市新千代田区新九段下にある新日本武道館。本日この日この場所では、かの第二東京大学の入学式が執り行われていた。
かつては同大学の創立記念日である毎年4月12日(土日祝日に重なる場合はズレあり)に行われるのが通例ではあったが、セカンドインパクト直後に発生した旧東京壊滅により駒場・本郷両キャンパスは水没、居合わせた学生並びに教職員のうち一万名余は遠く夜空の星となっていた次第。
数年後、新たに第二東大として産声を上げるも、他大学同様、新学期は諸外国に倣った形で従来の春から秋へと変更、それに会わせて卒業・入学式もこの時期に執り行われるようになっていた。既にサクラの咲く季節ではなくなっていたのである。
既に式典は始まっていた。新入生を始めとして多くの人間が列席している中、その模様はテレビで生中継されていた。
当日はテレビ局や新聞社などの取材も多く、それを見て新入生たちは「ああ自分は第二東大生になったんだなあ」と改めて実感を噛み締めることになる。
言うまでもないことだが、この時代この大学に進んだ学生たちは本当によく勉強していた。
かつてはゆとり教育なる失政もあり、また日々の豊かさからハングリーな面が失われ、学力及びその指標である偏差値が軒並み低下した時期もあったが、今は違った。
ここ数年ではノーベル賞を受賞する人材も続出し、名実共にこの国の大学の頂点に君臨していたのである。ダイニトーダイといえば、海外でも音に聞こえていたほどなのだ。
反面、ここに在籍する学生には遊ぶ余裕すらなかった。よく学びよく遊べという言葉もあったが、それは過去のことだった。それほどにシビアな時代であったというか、そこを生きる彼らには彼らなりの矜持と使命感があったのである。
卒業生であるリツコ然り、マヤ然り……まあ一名ほどお気楽な例外はいたが(汗)。
何にしろ、将来の国家を担う紛れもなきエリートへの登竜門たる存在、それが彼らが入学したこの国の最高学府たる第二東大であった。
厳粛なムード漂う式典の最中、壇上列席者用の特別席に見知った顔があった。一人は童顔ショート髪、もう一人は金髪黒眉の女性である。気のせいか見たところ両名ともあまり機嫌はよくないみたいであった。

「(…あのう、先輩……どうして……?)」

童顔ショート髪のほうの少女……もとい女性が納得できなそうな眉を顰めた顔で小声で隣に話を振る。
勿体つける気はないのでいきなり正体をバラすが、彼女はマヤである。

「(…冬月副司令の指示。 失われたネルフのイメージ回復の一環。 それが私たちが今ここにいる理由のすべて……ご理解頂けたかしら?)」

端的かつ嫌そうに答えた金髪黒眉女、つまりはリツコその人。かく言う彼女もどこか割り切れない様子。
何故彼女がこの場にいるかというと、第二東大の著名OGとして当式典の賓客として遇されていたからである。彼女は天才科学者、日本が誇る才媛として世界に名を馳せていたのだ。
以前から毎年のように招待状は届いてはいたが、そんな暇はないと固辞。今回も断るつもりではあったが、突然の冬月の横やりで今この場所にいるわけで。
気は乗らないがこれも仕事なのだと諦めているらしい。マヤはその付き添い。一応彼女もここのOGなのだ。

「(いえ、私が訊きたいのはそんなことじゃなくて──)」

そこでスゥと深呼吸。

「(──何で葛城一尉が先輩の隣にさも当然のように座っているかってことです!)」

ビシッと己が上司のすぐ右横を指差したマヤ。
見ればどこから持ってきたのかパイプ椅子の上にその人物は陣取っていたわけで。堂々と。胸には手製の酷く雑なリボンも付けていた。

「(…………あのねマヤ、この世には避けがたい不条理に直面したとき、それを黙って見なかったことにするのが一番なときもあるのよ?)」
「(……それってつまり…)」
「(……私に訊かないで頂戴ってことよ)」

そう言ってリツコはコメカミを押さえた。

「(…でも自分が指名手配犯だってこと理解しているんでしょうか?)」
「(…してたらこんなとこにいないわねきっと)」

そして二人はユニゾンして盛大に溜息を吐いた。

「(…先輩……やっぱりすぐにでもネルフ本部に通報したほうが……)」
「(駄目! それだけは絶対に駄目!)」

リツコは強く諌めた。

「(な、何故ですか!? だってあの人はたくさんの職員を殺めて──)」
「(……落ち着きなさいマヤ。 貴女の気持ちはわかるわ。 私も本音はそうだから。 …でもこれは司令の命令なのよ)」
「(…碇司令の、ですか?)」
「(ええ。 どんなことがあっても彼女をネルフの敷地内に誘い込んではならない、ってね)」
「(そんな…)」

ショックからか口許を手で覆うマヤ。

「(君子危うきに近寄らず──ここでミサトを連行したら、獅子身中の虫をお腹の中に抱え込むことになるわ。 拘束していてもそれがいつ何かの弾みで解かれ、またあの悲劇が繰り返されるとも限らない)」
「(でもそんなこと……いくら何でもありえないんじゃ…?)」
「(…そうね。 可能性は限りなくゼロに近いと私も思うわ。 でもゼロじゃない。 少しでも可能性がある限り冒険は出来ない。 人類が絶滅してからじゃ遅いのよ。 少なくとも今のネルフにそんな余裕なんてないの)」

淡々と説いたリツコ。それでも本音の部分では己すら騙しているという自覚があるのか釈然とせず、一服したいとスーツのポケットの中に手を入れるも、今いる場所を思い出して諦めた。

「(……クスッ…)」
「(な、何よ?)」

突然笑みを漏らした部下を訝しむ。

「(あ、すみません……ただ葛城さんって、何だかエヴァ初号機の起動確率みたな人だなあって思って……)」
「(………………貴女うまいこと言うわね)」

その何気ない喩えはクールビューティーの凍えた心の琴線に見事にクリーンヒットをかましていた。





式典のプログラムが進み行く中、

「──ったく話が長いわよあのハゲ総長!!」

厳粛ムードの中、いきなり人目も憚らずに大声で愚痴を叫んだ女こそ、すべての元凶、葛城ミサト29歳、売れ残り独身。

「…声が大きいわよ」
「ん、あらリツコ? 何? うるさかった?」
「……」

違う。この女と知り合いと思われるのが嫌なだけだ。
周りを見てみろ。何ごとかと列席の来賓連中から熱い視線を集めているではないか。
しかし隣の馬鹿女はそれに気づかないのか、構わず演壇に立つ角帽とアカデミックガウンを身に纏った老人の背中に罵声を飛ばし続ける。ビビる老人。やれやれである。

「…何で貴女がここにいるわけ?」

訊くつもりはなかったが訊かずにはいられなかった。
いったいどこで嗅ぎつけてきたのか?

「あら、アタシもここの卒業生よ。当然じゃない」
「…呼ばれたのは私。 貴女ではないわ」
「そんな細かいことは気にしないの。 それよりもさぁ、どう? そろそろアタシ抜きじゃネルフも辛くなってきたんじゃない? まあ一言謝ってくれれば、戻ってあげても……いいのよ?」
「ご心配なく。全然平気。むしろ快適だわ」
「あら、そう…(汗)」

ちょっと残念そう。

「まあいいわ。 ところでさぁ、うちの居候知らない?」
「居候?」
「そ。 だーちゃん……あれ、ダッちゃんだっけ? まあ名前なんてどうでもいいわ。 何でかここ暫く帰ってきてないのよねえ?」
「(ドキッ!)し、知らないわ!」
「ん〜〜〜? 本当にぃ〜〜?」

ミサトは目を細め、ジィ〜ッとリツコの目を窺い見る。付き合いが長い分、何か感ずるものがあったのかも知れない。逆にリツコは視線をずらして脂汗ダラダラ。一分近く睨み合ったが、

「…あっそ。 ま、いいけどねあんな子」

結局はミサトが折れた。というより飽きた。だが内心ホッとするリツコ。

「あらマヤちゃん〜、お久しぶり〜♪」

リツコ越しにマヤを見つけて声を掛ける。

「あ、どうも…」
「元気してた?」
「は、はい…」

どうやら彼女にした仕打ち(暴言)も時間と共にキレイさっぱりに忘れたようである。まあそれでこそミサトがミサトである所以なのだが。

「どうマヤちゃん? 今日の夜とか空いてる? 晩御飯奢ってあげるわよ? 豪勢に血の滴る分厚いビフテキとかどう? フフフ、食べたことないでしょう?」
「いえその、私は…」

本気で困っている様子のマヤ。そこへ助け舟が入る。

「…へえ、ミサトが奢るだなんて、雨でも降るんじゃないかしら?」

リツコであった。

「しっつれーね。 えへへへ、まあちょっとした臨時収入があったのよ♪」
「へぇ……臨時収入、ねえ……」

リツコはひどく冷めた視線で元親友の顔を撫でた。そこに至るすべての顛末がまるで見ていたかのように彼女にはわかったのだ。できればわかりたくなかったが。
ただ一ついえることは──そのせいで今自分がこんなところにいる、ということだった。





総長の式辞も無事終わり、暫くして、

《──では続きまして、特務機関ネルフ・技術開発部、赤木リツコ様からのご祝辞でございます》

というアナウンスが館内に流れた。

「…やれやれ……これも給料のうちかしらね」

そう溜息を吐いてリツコは立ち上がろうとしたが、突然、隣人の左腕によって邪魔されてしまう。

「ミ、ミサト?」
「まっかせなさーい♪」
「は? ちょ、貴女何を言──ってコラ、待ちなさいっ!!」

驚くリツコの制止を振り切り、あろうことか彼女の代わりに壇上へと登り始めていたミサト。こうなったら最後、もう誰も彼女を止められはしなかった。
ミサトは呼ばれてもいないのに図々しく演台の前に立つと、置いてあったマイクを握るや、

《あーテステス、本日は晴天なり、本日は晴天なり──》

キーンとハウリングの音を響かせた。そして、

《初めまして新入生諸君! アタシは貴方たちの先輩にして、ネルフ本部の作戦部長、葛城ミサトです!》
「「「「「おお〜〜」」」」」

どよめきが起こった。

「…元だけどね」

小声で冷めたツッコミの元親友。

《まずは入学おめでとう! ネルフ本部を代表して、いえ何より一先輩として、心より祝福するわ!》

始まった訓示は意外にもマトモで、何も知らない新入生たちはこのノリのいい演説に興奮し、真摯に耳を傾けていた。演壇の上にいる人間はきっと立派な先輩なのだろうと信じて疑わず。しかも見た目だけは美人なわけで。
どうやら館内にいるほとんどの人間は、かの猥褻ビデオの主演女優にして今現在巷を騒がせていた張本人が目の前にいる人物であることには気づいていなかったようで、無論、中には不審に思った学生もいたことはいたのだが、それはホンの一部であり、大勢には影響を与えることはなかった。
彼らは受験勉強で忙しかったのかトンと世情に疎く、知っていてもまさか目の前の人物があの凶悪犯とは夢にも思わなかったようであった。さすがはエリートの卵、純真無垢といったところか。
その間にもミサトの演説は次第にヒートアップし、

《──最近の日本というのは、責任を取らないような国になったと思うのよねえ…》

勝手な持論を展開し始めていた。しかもタメ口。

《一部の役人たちは国民全体のためと言いつつ自分たちのために政策を作り続け、結果そのツケを払わされたのはアタシたち国民。 でも誰一人として責任を取ろうとしない。 今もお天道様の下で大手を振って歩いているわけよ!》

熱弁を振るうミサト。そんな彼女の言葉を新入生らは真摯に聴いていた。

《こんな世の中で本当にいいと思うの諸君!!》

そしてバンと演台を叩いた。

「「「「「おお〜〜」」」」」

つかみはOK牧場。
そんな中、ありがたいご高説をすぐ間近で拝聴していたネルフの二人組は、

「……あのう先輩……これって皮肉か何かでしょうか?(汗)」
「…………案外、本気で言っているのかもね…(汗)」

と揃って呆れ顔。
確かに言っていることは正論。だが本人にそれを口にする資格などありはしなかったわけで。
そしてなおも三十路前女のパフォーマンスは続き、

《無論、役人の話だけじゃないわ。 悪いことをしても責任を取らない今の日本の風潮をアタシは嘆いているわけ!》

無垢な新入生たちは黙ってそれに聴き入っていた。

《いい? 悪いことをしたらまず謝る!! 素直に謝る!! 他人のせいにするなんて論外!! 悪いことをした人が、失敗した人が、責任を取るということが当たり前の国にしなくちゃいけないのっ!!》

そしてまたバーンと演台を叩く。

「ミ、ミサト…(汗)」

アンタが言うとそりゃ詐欺だわ、愕然としてリツコは眉間に指をやって首を振った。

《うーん、そうねえ……あと最近の若いモンは我慢が足りないわよねえ……》

ネタが尽きたのか、いきなりの話題転換。ミサトは人さし指を顎に添え上目遣いで思考を巡らしながら、

《…ちょっとしたことですぐにキレるし……悪口を言われたくらいですぐ怒る。 ダメよそんなんじゃあ。 社会に出たら和の精神が大切だもの。 お互いを思い遣る寛容さが必要なのよ。 人という字は二人の人が互いに支え合っているってよく言うでしょう? だからカチンときても、まずは我慢するの。 いえ怒るなと言ってるんじゃないのよ。 ただ頭はいつも冷静にしておきなさいってこと。 頭に血が昇っちゃうと正常な判断ができなくなるのよね。 まあこれは人生の先輩としてのアタシからのアドバイス。 覚えておくといいわ》

とありがたい説教を披露(笑)。
そんな中、

「……せんぱぁい…」
「…………言わないでマヤ……後生だから……」

唯一ミサトの本性を知るネルフ組は頭を抱えてプルプルと打ち震えていた。
しかし二人とは対照的にミサトの言葉を心に刻んでいた新入生一同。彼らにとって彼女は飽くまで立派な先輩であり、尊敬に値する人物だったのだ……少なくとも現時点までは。

《故に、諸君らは次代の日本を背負う真のエリートとして──》

壇上の人物がなおも話を続けようとしたとき、それは起こった。

「ぶわっはははははーーーっ♪」

突然、少年らしき笑い声が館内に響き渡ったのである。

《っ!? 誰!? 誰なのっ!? 今笑ったヤツ立ちなさいっ!!》

高みから見下ろすミサトが喚き散らす。しかし、

シーーーン。

《こ、このぉ!! 誰なのっ!! 正直に言いなさいっつーのっ!!》

キレてヒートアップしたミサトは必死に犯人探し。しかしさっき自分で説いたばかりの寛容さはどこにいった?(笑)

「…先輩…」
「…ええ、今の声、確かにどこかで聞き覚えが…」

リツコが首を傾げたその瞬間、

《だーかーらー今笑ったヤツは名乗り出ろとさっきから──》
「ぽちっとな♪」

──ビクン!

《はへ?》

途端にミサトの体が固まる。そしてすぐにロボコップのようなギコチナイ動作を開始。これには当人が一番吃驚。オイッチニ、オイッチニと、整然と手足を交差させ始めたのだから。

《何!? 何なのよぉ!?》
「ミ、ミサト!?」

本人は元より、いきなりのことに傍観者である元親友も呆気に取られる。
その間にミサトは演台の上によじ登り、そこで暫し仁王立ち。

《ちょっとちょっとぉ〜!? いったい何が起こってるのよこれぇ〜〜!?》

ワケがわかんないと絶叫するも、体は勝手にクルリとターン。結果、この会場にいる全観衆が見上げる形で彼女の背中を見つめることになる。そして彼女に余裕があったのはここまで。
──そして事件は起こった。

《え? え? ちょ、ちょ、ちょ、ちょ、嘘でしょ〜〜〜!!! ──うひゃッ!?》
「「「「「!!!」」」」」

ミサトは己がパンツの端を掴むと、一気にそれを膝下までずり下げたのである(笑)。
我が目を疑ったのは数千に及ぶ観衆たちだ。いきなり目の前で起こった事態に頭がついていけず、金魚のように口をパクパクさせ、声も出せないが目も離せない状態に陥っていた。
しかし当のミサトの奇行はなおも収まらず、あろうことか前傾姿勢のまま尻をグイッと後ろに突き出してきた。あたかも私のそこをよく見て下さいとばかりに(汗)。
これにはさすがのミサトも慌てに慌て捲くった。いやもうそれはパニックと言うべきか。なりふり構わず必死に抵抗をみせた。

《見るな見るな見るな見るな見るな見るなあああああ〜〜〜〜!!!》

だが自分の意思とは関係なく、今度は両手で己が尻肉を掴むと、

《え? え? 嘘!? まさかそんな!? い、いやっ!! 嘘っ!! 嘘よっ!! ちょっと!! なんでよっ!? どーしてっ!? なんでぇ!? いやっ、いやっ、いやいやいやいやいやっ!!!》

構わずエイッと左右におっ広げた♪(爆)

《いやあああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!》

「「「「「!!!!!」」」」」


早い話が菊の御門全開である。
ミサトは首をいやいやと大きく振って、激しく泣き喚いていた。無情にもその声をつぶさにマイクが拾う。
ア然としたのは間近でそれを見せられた幾千もの観衆である。
ちなみに演壇の後ろには巨大スクリーンが設置されており、常時演壇に立つ人間の姿が大きくそして鮮明に映し出されるようになっていた。これは遠くにいる観客への配慮である。
そして彼ら観客が見たものそれは、AAで簡単に説明すれば──







だったわけで(爆)。

数多の観衆(生&巨大スクリーン映像)とテレビを通して全国のお茶の間の皆さんに大事なところ(ケツ毛○ーガー)を余すところなく初お披露目。しかもこれはハイビジョン中継につき毛穴の一つ一つまでもが鮮明画像であった♪(笑)
果たしてテレビの前では口に含んだお茶を噴き出した人が数十万単位で発生した次第。
これにてミサトの名前も一気に全国区へ(笑)。
この突然の放送事故に当のテレビ局は慌てるも何ら対応できないでいた。ついには電源を落とそうとしたのだが、それすら失敗に終わっていた。どうやら何者かが中継システムに細工をしたらしかった。尤もそれが誰なのかは永遠の謎だったが。
結局は、その後も数分間は中継しっぱなしだったという。

《いやあ!! いやあ!! いやああっ!! 見ないでぇ!! お願いだからっ!! 後生だからっ!! 見ないでったら〜〜〜っ!!!》

ミサトは極度のパニック状態にあった。驚くことに羞恥心は人並みにはあったようで、今も必死に体を動かし抵抗をみせてはいるが、手足はピクリとも動かず、悲しいかな現状姿勢からは脱しきれない。
哀れなるかな葛城ミサト。
だがこれで終わりではなかった。こんなのまだ序の口だった。今週のハイライトはまさにこれからであったのだ。

──きゅるっ、きゅるきゅるきゅる〜〜!!

《へっ!? 何っ!? 嘘っ!? マジぃ!? 冗談っ!? どおしてぇ!? ちょっとちょっとちょっとぉーーーーッ!!!》

腹具合が己の意志に逆らってグルグル言い出したのだ(笑)。泣きっ面に蜂とはこのことである。

《いやっ!! ちょっと待って!! 待ってったら!! いや〜〜ッ!! お願いっ!! 待って待ってっ!! だから待ってったら待って待って待って待って待ってぇ〜〜〜ッ!!!》

無論、待ってくれない♪(爆)
最悪の生理現象の予兆を感じ取って必死に外肛門括約筋を締めるも、

──ぷッ、ビチッ、───ぶリュブリュブリュゥゥゥ〜〜〜〜〜ッ!!!!

《いぃぃやああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!》

「「「「「う、うわあああああああーーーッ!?!?」」」」」
「「「「「ぎゃあああああああーーーッ!!!」」」」」
「「「「「きったねえええええーーーッ!!!」」」」」
「「「「「なんだこの女はぁーーーッ!?!?」」」」」
「「「「「くっせーーーーーーーッ!!!」」」」」


かくしてダムは決壊。そりゃもうウンコ史に残るような怒涛の決壊ぶりだったわけで(笑)。
漏れなく会場も大パニックの渦へ。それこそ上を下への大騒ぎ。多くの新入生たちが一時抱いていたミサトへの尊敬の念と淡い恋心など物の見事に吹っ飛んだ。

《ふぇ〜〜〜ん!! 見ないでぇ〜〜!! 見ないでよぉ〜〜!!》

涙を流して懇願するもそれは叶わず。

──ぶビビビびびぃぃぃ〜〜〜ッ!!! ぼとボトボトボトォぉ〜〜〜ッ!!!

《ハぁうアあ〜〜〜ッ!? 止まんない〜〜〜ッ!? 止まんないよぉ〜〜〜ッ!!!》

──びゅっ、びゅびゅびゅ〜〜〜ッ!!! べチゃべチゃべチゃ〜〜〜ッ!!!

それは激しい下痢だった。肛門からスプレー状に噴出し、広範囲の床の上へとぶちまけられた。
最前列中央にいた数名の新入生などは不幸にもその顔にモロに茶色い飛沫を受けていたほどだ。
放つ臭いも強烈にして極悪、甚だウンコ臭くて未消化の生臭さも程よく混じった典型的な悪臭の代名詞そのもの。しかもそれはいつの間にか全館中へと充満しつつあった。
今さら言うことでもないが、大学の教職員連中に、文科・理科一類〜三類の新入生、そしてその父兄ら総勢五千三百余名の前でのこの痴態は決定的だった。しかも全国ネットのテレビで生中継。例の「しばらくお待ち下さい」の静止画像に切り替わることもなくそれは延々と垂れ流されたわけで。
……この葛城ミサトという人間の未来は、何故か手に取るように想像できたから不思議だ(笑)。

《……お願い………もう許してぇ………お願い………だからぁ……》

次第に意識が朦朧としてきたのか目は虚ろ。もしかしたら手酷く心に傷を負ったのかも知れない、いや負った。

──ピュッ、ピュッ、ブピッ…。

そして最後の茶色い残滓が搾り出され、結局のところ彼女の腹の中身全部がぶちまけられた。優にバケツ一杯分は出ただろうか。
そしてやっとというべきか、それと前後してミサトの体の自由が戻った。
ミサトは演台から降りると暫く呆然としていたが、誰かが声を掛けようとした途端、顔を両手で隠して逃げるように舞台裏へと無言で走り去った。膝パンツのままで。目撃証言によれば、酷く泣いていたという。さすがにちょっとだけ気の毒な気分(汗)。
それ以来、葛城ミサトという女は、アイドルならぬ脱糞女王の異名を国中で馳せることになる。嗚呼、ウンコの国の女王様万歳♪
ついでに、ネルフの評判も大暴落。イメージアップどころか益々イメージダウンに拍車を掛け、後はもう坂道を転がり落ちるように……であった。

「「……」」

その場に居合わせたネルフ組二名も、同じ女性としてミサトに同情を禁じえなかったようだ。
それほどまでにミサトへの仕打ちは熾烈を極めていた。無論それが誰かの仕業であれば、の話であるが。

「……不潔ですぅ」
「……ミサト………アンタ………アンタ………もう人間終わったわね……」

マヤは半ベソを掻き、リツコに至っては合掌して元親友の冥福を祈った(笑)。





〜同時刻、静岡市内〜

「…赤木博士は今頃うまくやっているんだろうか?」

フロアの片隅で時計を気にしながら冬月は一人呟くが、よもやかの地でとんでもない事態が起きているとは夢にも思わず。
ここは静岡市内の某ホテル。その最上階ホールを借り切っての同窓会その一次会の催し。百数十人の老齢の紳士淑が、というよりただのオジサン、オバサンがだが、グラス片手に立食パーティー形式の宴を楽しんでいた。

「…しかし同窓会などウン十年ぶりだな」

近くにこれといった知己もおらず、冬月は会場の隅で一人寂しくワイングラスを傾けていた。
周りを見れば、久しぶりの再会に話に花を咲かせている同級生たちの姿、姿、姿。

「……」

疎外感の一言に尽きた。
仕事でなければ出席するつもりなどさらさらなかった。しかもこんな醜態を晒してまで。
彼の今の格好であるが、見た目狂信者っぽい赤木印のヘッドギアはさすがに外し、形だけの義手と義足をはめ、その上からこげ茶のスーツで身を包んでいた。
そして車椅子に乗り、付き添いの黒服に押してもらう。無論、逐一ワイングラスを口元に宛がうのも黒服の役目だ。
そんな普通あらざる有様に、周りからチラチラと奇異の目で見られることしばしば。世間体を気にする彼にとってこれは耐え難い屈辱だった。

《えー皆様、本日はご多忙にも拘わらずお集まり頂き真にありがとうございます》

突然会場に流れるアナウンス。見ればこの同窓会の幹事らしき人物がマイクを握って壇上の端に立っていた。

《宴も酣(たけなわ)となり、久方ぶりの懐かしい顔との再会に、思い出話に花を咲かせていることと思いますが、ここで少しばかりのお時間を頂きたいと存じます》

一旦言葉を切って、

《皆様もご存知の通り、先のセカンド・インパクトの惨禍によって同窓生全体の四分の一が、その後も相次いで十数名もの方が帰らぬ人となりました。心ならずも先立たれた方々の冥福をお祈りするとともに、今から読み上げる物故者に対し、どうか皆様、暫しの黙祷をお願いします》

重々しいアナウンス。

《──井上アキラ君、享年五十八》

どうやら、アイウエオ順に読み上げられているようであった。
間を空けてゆっくりと読み上げられる物故者たちの俗名。会場にいる人間は皆目を閉じ、しんみりと黙祷を奉げていた。

《──勝又タカシ君、享年四十五》
(!?)

その名前には冬月は覚えがあった。

(タカシのヤツ死んだのか!? 四十五ということはやはりセカンド・インパクトか? し、知らなかったぞ。 幼い頃は家が近所だからよく一緒に遊んだというに…)

竹馬の友の死を惜しみつつ冬月はワイングラスを空けた。

《──佐野ユウジ君、享年四十四》

(は? 誰だソイツ? 全然憶えておらんぞ。 まあ憶えておらんということはどうでもいい人間だったってことだな。 とりあえず祈ったふりでもしておくか)

そしてその後も次々とアナウンスされていく物故者の氏名。

《──旧姓、那須田ユキエさん、享年五十四》

(…そうかユキエさんも亡くなっていたのか。 五十四……まだ女盛りじゃないか。 病死か事故死か……何にしろ気の毒なことだ。 フッ……思えば彼女が私にとっての初恋だったな。 放課後の教室にコッソリ忍び込んで彼女のリコーダーをペロペロ舐め回したことも今となっては懐かしい思い出だよ)

目を閉じながらもフウと嘆息した冬月。
何てことはない、齢六十近くにもなるとそろそろ死ぬ人間が出てくるし、実際出ているのだ。さすがにこの歳で老衰はまだ早いだろうが、切実に他人事ではなくなってきていた。
我が身の健康を気にしつつも、しかし先立った同級生を思い、寂しくなったものだなとそんな感傷に浸りながらワイングラスを一気に呷った。

《──冬月コウゾウ君、享年四十五》

「ぶぅううううううううーーーっ!!!」

そのワインをおもいっきり噴き出した(爆)。

「──ゲホッ、ゲホッ、ハァハァ……こ、これはいったい……???」

激しく咽りながらも訳がわからない冬月。
無理もない。何せいつの間にか自分は死んだことにされていたのだから。しかも十五年もの昔に(笑)。

ザワザワ、ザワザワ──

急にステージ付近が騒がしくなった。
見れば、慌てて駆け寄ってきたアシスタントらしき一人の老婦人が壇上の幹事の男性に何やら耳打ちしていた。

《……え? 来てるって!? 今ここにか!? き、聞いてないぞっ!?》

スピーカーを通しての男性の慌てた声。

《お、俺は渡された紙を読み上げただけで──え? 今まで何度も何度も案内状を出し続けてきたけど全然音沙汰なしだったからてっきりセカンド・インパクトで死んだと思った? え〜〜〜っ!?》

二人は内緒声だったがそのやりとりの一切合財はマイクが拾っており全部バレバレで会場のあちらこちらからはクスクスと押し殺した笑い声が漏れていた。

《…あー、コホン》

暫くして、極めて不自然なニコニコ顔でマイクを握った男性幹事。

《皆さん喜んで下さい。 冬月コウゾウ君ですが、たった今生き返りました♪》
「「「「「おーーー」」」」」


パチパチパチと、しかし力ない疎らな拍手が会場から起こる。だがそれは頗る白々しいもので…。

「…か、勝手に殺さないでくれ……縁起でもない…」

そして、

「あ……今ので今日のスピーチの暗唱……すっかり忘れてしまった、かも……(汗)」

別な意味で頭を抱えた冬月であった。





〜???〜

深夜。草木もぐっすり眠る丑三つ時。
とある部屋のドアがギィ〜と音を立てて開くと、足音を殺して中へと忍び入る一つの怪しい影があった。
カーテンの隙間から漏れた月明かりが不意にその正体を暴く。見覚えのある顔……そう、それは紛れもなく碇シンジその人であった。
そしてその眼前、品のいいセミダブルのベッドの上でスゥ、スゥ、と静かに寝息を立てているのは、この部屋の主、美貌の人、碇ユイ。
そう、ここは第三新東京市の郊外に建つシンジ邸、その二階にあるユイ(クロ)の寝室であった。
シンジは暫し意識のないユイを見下ろしていたが、徐にその布団を剥いだ。現れたのは何とも悩ましげなユイのセクシーな肢体。
シンジは無言のままその足元に回ると、薄手のネグリジェをたくし上げ、ショーツに手を掛け、起こさないようにそっと膝下まで下ろした。

ペロ、ペロ──

真っ暗な寝室の中で蠢く影。

ピチャ、ピチャ──

静寂の中、何かを舐めるような怪しい音が響く。

「…う、うーーん」

ユイは苦しそうな、それでいて切なげな声を漏らしながら、下半身スッポンポンのその身をくねらせた。今もって意識は戻らず。

クチュ、クチュ、チュパ──

「…あ、あ、いや、いやっ、あっ、あっ、あっ

昂ぶる感情、その頬には朱が入り、寝言にも艶が含まれ始めた。
そんな中、不意に顔を上げたシンジ。

「(ぺろっ)……ふむ……少し酸味があって鼻にツーンとくるけど……何とも甘くて美味しい……こいつは絶品というべきか」

甚く満足げな感想を漏らしたシンジ。
そして再び舌先を伸ばすと、重点的且つ抉るように舐め始めた……………………ソフトクリームを(爆)。

(ズルーーッ!!)

盛大にコケた(誰が?)。
こんな場所で紛らわしいモン舐めてんじゃねぇーと言いたい!
一応、彼の名誉のために言っておけば、別に疚(やま)しいことは何もしていないらしい。無論、既遂でも未遂でもなく。相手がクロでもシロだった(うまい! 座布団一枚!)。

「(ぺろ、ぺろ)…うん、遠出してまで買ってきた甲斐があったよ。この『ワサビ』入りがポイント高いよね。やっぱ熱帯夜はこれに限るよ♪」

ベッドに背を向ける形で床に腰を降ろし、シンジは今も黙々とソフトクリームにかぶりついていた。
そう。この少年、ワザワザこれを買うために深夜クルマを飛ばして、伊豆の天城まで行ってきたのだ。
時間が時間だけに店の親父などはとっくに寝ていたが、この上なく優しく大らかに誠心誠意そして最高の礼節を以って頼み込んだら泣きながら作ってくれた。何故か「命ばかりは〜〜ッ!」という叫びが聞こえたような気もしたが、それはきっと気のせいだ(笑)。

「…あっはーーん

部屋の主の喘ぎ声というかヨガリ声というか、奇声は今も続いていたわけで…(汗)。

「…しっかし、さっきから寝言が多いよなクロのやつ。 何だか魘されてるみたいだし、どんな夢見てんだ? ……ちょいと覗いてみるか?」

思い立ったが吉日。善は急げ。シンジはユイの額に己が額を重ねると、彼女の意識の中へとダイブした。





……
………
碇ユイは、ご近所でも評判の美人主婦。
よく働く上に気立ても良く、何より若くてとびきりの美人ということで、数多の男性が憧れるマドンナ的存在であった。
ある日の昼下がり。その日も掃除、洗濯、買い物、飼い猫の世話、そして庭の草むしりと、主婦としての一日の労働の大半を終えると、暫しリビングのソファーで一休み。しかし疲れていたのか、そのまま眠ってしまっていた。しかし、

さわ、さわ──

(…ん?)

さわ、さわ、さわ──

(…な、に?)

突然、体に走る違和感に目を覚ます。
起きてみて驚いた。
何と愛息子である中学生のシンジが自分の体に悪戯をしていたのだ。服の上から乳房を弄られ、今まさにパンティーを脱がされようとしていた。

「ちょっ、何をしてるのシンジっ!?」

驚いて声を上げるユイ。

「っっ!? う、うわああああああああーーッ!!!」
「きゃっ!?」

悪戯がバレて自棄になったのか、息子はドンと己が母親を押し倒し、馬乗りに圧し掛かっていた。

「シ、シンジぃ!?」

驚愕の目を向ける母親。それは信じられないという顔。
だが自分の息子は性的に興奮しているのか、息も荒く目は血走っていた。

「…母さんが……母さんが悪いんだからね……」
「えっ?」
──ビリィーーッ!!
「きゃあっ!?」

シンジはユイの着衣を破り、下着を乱暴に剥ぎ取ると、その細腕を押さえて自由を奪い、彼女の白い首筋をゆっくりと弄るように舐め始めた。途端におぞましい感触と背徳感がユイを襲う。

「こんな、こんないやらしい体をしてるからいけないんだぁーーッ!!」
「い、いやああああーーッ!!」

だがそのとき、

『ただいまぁ…………行ってきまぁーす(汗)』

この家の飼い猫であるシロが、タイミング悪く日課の散歩から帰ってきた。反射的に開けたドアをお邪魔しましたとばかりに閉めようとするが、

『──じゃないって僕っ!! な、何してるのさシンジっ!! 止めてよこんなことっ!! 二人はっ、二人は実の親子なんだよぉっ!!』

白い飼い猫が正論を以って諌めに入るが、

「チッ、邪魔だこの馬鹿猫ーーッ!!」
──バキッ!!
『プギャッ!!』

白猫はあえなく弾き飛ばされベチョッと壁に貼り付いた。チーン。

「シ、シロちゃんっ!? あ、貴方何てことをッ!!」
「うるさいっ!! うるさいうるさいうるさーーーいっ!!!」
「シ、シンジ…」
「お、大人しくするんだ!! へへへ、ぐへへへへ…」

その目は完全にイッちゃっていた。そして手早く素っ裸になると、再び己が母親へと圧し掛かっていったのだった。それは既に一匹の野獣だった。

「──なっ!? やっ、止めなさいシンジっ!! 止めな──(バキっ!!〔注:抵抗したため顔を殴られた音〕) きゃあっ!? だめっ!! だめよシンジっ!! 私たち血の繋がった本当の親子なのよっ!? こんなこと許されないわっ!! よしてぇ!! だめだめだめだめっ!! そこはだめっ!! いやいや入れちゃいやっ!! あっ、あっ──いやああああああああああああああああーーーーッ!!!! ……………あっはーん

襲われているのに歓喜の表情なのはこれ如何に?(爆)
しかしまさにそのとき、

「たわけぇええええええええええええーーーーーッッ!!!!」

──どげしっ!!!
「「ぎゃフッ!?」」


突然の怒号と共に夢の中のユイとシンジの二人にドロップキックを喰らわせたのは、現実よりの招かざる侵入者、本物の碇シンジその人であったりする(笑)。

「いたたた…………あれ? 何でシンジが二人いるの?」

見れば、床の上に伸びている完全グロッキーの全裸のシンジと、仁王立ちで自分を見下ろしている何故かフゥフゥと息が荒い鬼のようなシンジが眼前にいたわけで(汗)。

「なんちゅー夢見てんだおのれはァーーッ!!!」

真っ赤となった鬼シンジのほうが烈火のごとく怒鳴り捲くる。

「へ? へ? あれ? あれれ?」

だがすぐには事態を飲み込めずキョトン顔のユイ。

「人を勝手にテメェーの夢ン中に出演させてんじゃねーーぞッ!!」
「へ? 夢? これって夢?」
「気づけよいい加減っ!! わかったらさっさと目ェ覚ましやがれこの馬鹿タレがっ!!」
「ば──!? お、親に向かって馬鹿タレって何よ馬鹿タレってっ!! それと人の夢の中にまで勝手に入ってくるんじゃないわよっ!! 不法侵入じゃないっ!! 横暴よ横暴っ!! 折角いいところだったのにっ!! アタシの、アタシの夢を返してよーーっ!!」
「いいところだった、じゃねーーッ!! こっちの人格無視して歪んだ夢見てんじゃねえヴォケーーッ!!」
「い、いーじゃないのそのくらいっ!! 人の夢なんだし何見ようが人の勝手でしょっ!! 夢の中ぐらい好きにしたってバチは当たらないわよっ!!」
「だからって好き勝手に捏造していーってもんじゃねーだろッ!!」
「ね、捏造じゃないモン!!」
「アフォか!! つーか冒頭のご近所でも評判の美人主婦ってところからありえねーだろっ!!」
「そ、そんなことないモン!! 違うモン!! 全部真実なんだモン!! シンジだって本当の本当はこの私に秘めた想いを抱いてるハズなんだモン!!」


ブチッ──

モンモンうるさい上に最後のは余計だったわけで。

「で、で、で…」
「で?」

「出てけぇーーーッ!!!」


──ドカッ!!
「きゃいーーッ!?」


シンジは有無を言わさずユイをベランダへと蹴り出していた。

「…いつつつつ……ったくシンジってば加減ってモンを知らないわけ…!?(汗)」

尻餅をついた尻を押さえつつ、ユイは愚痴をこぼす。文句の一つでも言ってやろうと目の前のアルミサッシに手を掛けるも、

「あれ? 何で? ちょっと? あ、開かないじゃないのコレ!?」

いくらガチャガチャやっても目に前のサッシはビクともせず。そう、部屋の中から鍵が掛けられていたのである。

──ドンドン!
「開けなさいシンジ! 鍵を開けて!」

二階のベランダから窓ガラスを叩くユイ。

──ドンドンドン!
「中に入れなさいってば! ちょっと! 聞こえてるんでしょ!」

──ドンドンドン!
「ねー入れてよシンジぃー。 お願いよー」

次第に口調が柔らかくなってきたような……それだけ心細くなってきたということか。
しかし今もって半裸のあられもない姿でガラスを叩くその姿は如何せんシュールすぎ(汗)。

『…いいの?』
「ああ、一昼夜ほど外にいれば頭も冷えるだろ。それにこれは夢だから風邪もひかない」

いつの間にか超回復していたシロ(注:夢キャラ)と容赦ナッシングの本物シンジ。
しかしその間にも渦中のベランダはとんでもない事態へと発展していたわけで。

──ドン、ドン!
「入れてー、お願いー、入れてよー」

──ドン、ドン!
「中にぃー、中に入れてぇー」

『……』
「……」

──ドン、ドン、ドン!
「入ーれーてぇー、シーンージぃー、おーねーがーいー

体をクネクネしだした女。気のせいか頬も赤く…(汗)。

──ドン、ドン、ドン!
「入ーれーてぇー、なーかーにー、はーやーくぅー

──ドン、ドン、ドン!
「はっ、はっ、はーやーくぅー、いーじーわーるぅー、入ーれーてぇー、じーらーさーなーいーでぇー、これ以上はー、もうー、おかしくーなっちゃうのー

『……ホントのホントに、いいのアレ?』
「……」

だがシンジは答えない。代わりにガックシと両手を床に着いた。壺な言い方をすれば失意体前屈という。
………
……





「──ぷはッ!?」

シンジはやっとのことで現実世界への回帰を果たしていた。

「…ハァハァ……な、何て恐ろしい……危うくキ○ガイの夢に取り込まれるところだった…(汗)」

シンジは息を整えつつも、すぐ横で今もスヤスヤと眠っている超危険人物をギロリと睨む。
そしてようやく一息吐けると、

「…あ、そういえば、まだ肝心の用が済んでいなかったっけ?(汗)」

思い出したように、今も下半身スッポンポンのユイの下腹部にシンジは片手を翳した。それはだいたい恥丘の少し上あたりか。
暫くすると翳したその手が発光し始め、その中心からいつぞやターミナルドグマで秘匿した赤い珠が出てきた。そしてそれはゆっくりと女の腹の中へと沈んでいく。

「おっし、埋め込みの術式終わり。 うむうむ、順調に■■したみたいだね。さっすが僕チン♪」

しかしおちゃらけムードはそこまで。

「…フッ、これでもう後戻りは出来ないね………………それに」

言葉を切り、虚空を見つめる。

「…ヤツにだけは気取られないようにしないと、ね…………いやはや、大変だねコリャ(汗)」

薄く苦笑いを浮かべたシンジ。
それにしても「ヤツ」とは誰なのか?気取られないようにとはいったい何をなのか?
だがそれはわからない。今は誰にもわからない。

「……」

真っ暗闇の只中、女の下腹部に手を当て、何やらブツブツと呪文のような言葉を呟いているシンジ。それはいつになく真剣な表情。いつしか額の第三の目も開眼し、髪の色も黒ではなくなっている。
続けられる呪文詠唱。その行為に何の意味があるのかそれはわからない。
しかしそれは突然終わりを告げた。

「…時を刻め大悲胎蔵生曼荼羅よ」

その最後の言葉に呼応したかのように、女の肌には刺青の如き、あるいは隈(クマ)のようにも見える複雑怪奇な漆黒の文様が臍を中心としたサークル状に発光、鮮やかに浮かび上がったのだ。

「…う、ううっ」

眠ったまま苦痛に呻く宿主。どうやら多少の痛みがあるようだ。そして腹上に描かれたそれは喩えるなら魔法陣──
恐らくはこのことが、当物語最大の伏線となろう。
賽は……今ここに投げられた。



To be continued...


(あとがき)

ウンコの国の女王様編、如何でしたか?(笑)
しかしゲンドウの出番がめっきり増えてきましたねー。これじゃ誰が主人公だかわからない(笑)。それに本筋と全然関係ないネタばかりじゃないかーとのお叱りも真にご尤もな次第で。
まあ今回のは特別ということでお許しを。m(_ _)m
あとR指定っぽい描写が一部にありますのでご注意を。って、ここで言っても既に遅い?(汗)
さて次はいよいよ後編、一転してシリアス風味……多分ですがね。
ここで多くは語りませんが、前編と中編はこの後編のための前座、というよりは全然別な話に仕上がる予定ですので、その辺割切って読んで頂ければ幸いです。
なお頂いた感想・意見の返事は、後編公開後(皆さんが忘れた頃に)まとめてさせて頂きますのでご了承を。m(_ _)m
だいぶ待たせてしまって、かーなーりー恐縮ですがね…(汗)。
次回もサービスサービスぅ〜♪
作者(ながちゃん@管理人)へのご意見、ご感想は、メール または 感想掲示板 まで