第十九話 青い空が連れてきた女の子(前編)
presented by ながちゃん
(…いない)
真っ暗な部屋。
目を覚ますとそこに彼はいなかった。
眠れないからと、手を繋いでいてもらっていた。だけど、目が覚めたらそこに彼はいなかった。
(…どこ?)
急に心細くなる。泣出しそうになるのを堪えて必死に捜し始める。
一階、どこにもいない。悲鳴を上げそうな心。不安で堪らない。
暗いのは嫌。一人は嫌。
暗闇は無に還る魅惑と恐怖を思い出させるもの。
(…どこなの?)
もしかして捨てられた?
見放された?
違う、そんなハズない、きっと違う…。
フラフラした足取りが次第に速くなる。
下着姿のまま二階に上がる。そして、
(…いた)
そこは寝室、彼は眠っていた。
そそくさと目の前のベッドに潜り込む。
『ぷぎゃッ!?』
途中、何か白くて柔らかいものを片膝でぷちっと踏み潰した感じがしたが、すぐに静かになったので気にしないことにした。
物の本によれば、ウサギという小動物は寂しさで死ぬことがあるという。
似たような風貌の自分もまたそうだと思えた。
ふにゅ──
後ろからギュッと抱きしめた。胸が背中に押し付けられる。
(…あったかい)
彼の心臓の鼓動を感じる。
うなじに顔を埋め、脚を絡ませ体を密着させた。
(…いかりクンのにおい)
そして今度は安心して眠りに落ちた。
〜第三新東京市・郊外、シンジ邸〜
身も心も真っ黒な仔猫は、今朝は早くからご機嫌だった。
『ふんふん、ふーん♪』
寝所の大きな姿見の前、鼻歌交じりでポーズをとる。
ご機嫌の理由、それは首と尻尾に着けられたリボンにあった。朝方、最愛の息子からプレゼントされた物(注:当人はそう思ってる)だ。黒い毛の色に映える黄色、お日様の色。とってもキュートでエレガントな贈り物に彼女は歓喜した。初め、どこぞのヤバげなアニメのシャム猫よろしく「ピンクのコンドーム」を尻尾の先に被せられようとした事実など、とうの昔に記憶の彼方に駆逐されていた。
『うふ、そーいえばあの子からこんな風にプレゼントを貰ったのって、これが初めてじゃなかったかしら〜♪』
母親冥利プラスα(←ココ重要)を噛み締めつつ、後ろに同意を求める。そこには同じく赤いリボンを首と尻尾に着けた白猫がいた。
『う〜、ポンポン痛いよぉ〜』
白猫はベッドで臥せっていた。喩えるなら、寝ているときに誰かにお腹を踏まれたような痛さ……無論、当人に記憶はない。まあ、耐えられないほどの辛さでもなかったが。
『もう、いつまで寝てんの! いい加減、下に降りるわよ!』
『…やだ、もーちょっと寝る』
『我侭言わないの! それに病は気からって言うでしょ! ほらほらっ!』
がしっ!
『うひっ!? ちょっ、尻尾は、あ、あ、尻尾は引っ張んないでーー!』
だが黒猫は無視、無理矢理それを引きずって、一階に降りた。
リビングでは、家長たる愛息子が床に寝そべり、週末恒例の競馬新聞をチェックしていた。
どうやら日がな一日、家でゴロゴロして過ごす気らしい。
『…相も変わらず廃退的な生活ね』
呆れつつも、周囲を見渡す。
我が家の新参者、私のクローン娘は、ソファーに座って読書中。
いつの間にか、この家に当然のように上がり込んできた娘。
引越しの荷物は、先日、蟻さんマークの三トン車が運び込んでいた。といっても、ダンボール箱三つ四つほどだったが。
ただ案の定、ネルフの息の掛かった業者だったらしく、ドサクサに紛れて余計なこと(注:盗聴・盗撮器の設置)をしようとしたため、シンジがニコニコ顔でどこかに連れて行った。で、彼らはそのまま帰ってこなかった。ちょっとだけ気になる。…表のトラックどうするのよ?(汗)
『……』
一瞬私と目が会ったが、プイとすぐにまた膝上の単行本に視線を落とす娘。
これって無視?
挨拶も出来ないのかしら、この娘?
何様なわけ?
ふふ…ええ根性してはるわ〜。
顔は(私に似て)極上だけど、躾が必要なようねっ!
ファースト・チルドレン、綾波レイ──
初号機に取り込まれた私が、無意識下、自分の代わりとして、まだ幼い息子のために世に送り出した命…。人類初の、使徒とのハイブリッド。
危うく父親に取り上げられそうになったけど、今はちゃんとあの子の傍にいる。当初の思惑通りに。めでたしめでたし。
……
……
……
じゃないっつーの!
なんて余計なことをしてくれたのよ、私っ!
私の馬鹿っ!
私は──私は認めませんからねっ!
なによなによ!
シンジのことをチラッて見ては、すぐに俯いて赤くなってんじゃないわよっ!
私の時とは、えらい違いじゃない。
これは……危険な兆候だわ。
っ!そうだった!今朝なんて素っ裸で私のシンジに抱きついて寝てたのよ、あの娘っ!
それでキレて暴れてたら、シンジからの贈り物(注:その辺に落ちていた包装用のリボン)でその場は有耶無耶にされちゃったけど、この分じゃ、いつ間違いが起きても不思議じゃないじゃないわ。
間違いだけは駄目。絶対に駄目。
たとえ天が許しても、この私が許さない。
だってだって──間違いを起こすのはこの私なんだからっ!(おい)
昼下がり、赤ん坊──碇マイちゃん──のきゃいきゃいという笑い声がリビングに響いていた。
『ちょっとシロ、それじゃ替えられないでしょ! そっち側ちゃんと持って! ほら! もーホントに愚図なんだからっ!』
『う、うん! これを……よいしょっと……』
テーブルの上、私たちはマイちゃんのオムツ替えに格闘していた。しかし猫の身では、なかなか上手くいかない。
しかも普通、赤ん坊というものはじっとしていない。愛くるしい、そのプニプニした手足をじたばたと元気いっぱいに動かして、見事に邪魔をしてくれる。でも、そこがまた母性本能をくすぐるのだ。
『だから、もーちょっと足を持ち上げて! 違う! 右足のほうよっ!』
『わーってるよ! でも……お、重いんだってっ!』
ぷるぷる震えながら、足首を持ち上げるシロ。何というか、いっぱいいっぱいである。
まあ、この子の気持もわからないでもない。赤ん坊と雖も、自分たちよりはるかに大きく、重いのだ。悲しいかな今の我々は猫、しかも仔猫でしかない。だけど、泣き言は言ってられない。
マイちゃんは、この私──碇ユイ──が責任もって育てるのだから!
それは、母親としての決意。揺るぎない想い。
『ほらほら、もっと力入れて!』
『うひぃ〜〜』
…でも、うふ、肉体労働はシロの役目よねっ♪
『はぁはぁ……死ぬかと思った』
一仕事終えて、シロはぐったりしていた。
要領は悪かったけど、まあそれなりに頑張ったんだから、褒めてあげるわ。ふふ……また次も期待してるわよ?(ニヤリ)
ピシッ──
不意に鉛筆の芯の折れる音がした。すぐ横、いや下からか。
見たら、テーブルのすぐ傍、床に寝そべりながら競馬新聞のチェックに勤しむシンジが、あまりの喧騒に集中できずに赤鉛筆の芯を何度も折っていた。だいぶイライラしているのが見てとれる。
なんとか自制し、芯の折れた鉛筆を鉛筆削りでシャクシャクと削る。でも、暫くするとまた折れ、再び削って…まあ、その繰り返し。
でもね、仕方がないじゃない。ベビーベッドが置かれているのは、このリビング。で、寝ているマイちゃんを何とか転がして移動できるのは、すぐ横の高低差のないこのテーブルしかないんだもの。最初から選択の余地なんてないわ。
じゃあ手伝ってよと頼んだら、今忙しいって言うもんだから……仕方なくシロを扱き使ったんじゃないの。
お尻がスッキリしたのか、今はベッドでスヤスヤと眠っているマイちゃん。ときたま思い出したように微笑む顔が実に愛らしい。さすがは私の血筋。
専門家でないからそれほど詳しくはないけど、これは新生児が眠りながら微笑む現象というものらしい。ただ感情の発現というわけではなく、ごく本能的なもの、しかも母親の注意を惹きつける効果があるとのこと。なるほど納得。生き残り戦略の上で、遺伝子に組み込まれた奇跡というわけね。そんなことを考えながら、この子のホッペをツンツンと突付く。あ、プニプニして結構気持ちいいかも〜♪
「…あぅあ、まー、まー、あぅああああぁぁああーーー!!」
突然、マイちゃんが目覚め、けたたましく泣き出した。わ、私のせいじゃないわよ?(汗)
ピシッ……………………シャクシャク……。
と同時に、お馴染みの異音。どうやらこのマイちゃんの愛らしい泣き声もシンジにとっては耳障りな周波数に他ならないみたい。
『あらあら〜? 今度はどうちたんでちゅか〜? ほらほら、イナイイナイばぁ〜♪ ん〜? もしかしてお腹すいてるんでちゅか〜? そうなんでちゅね〜? じゃあ、すぐにオッパイあげまちゅよ〜♪ ──ほらシロっ! なにグズグズしてんのっ! さっさとほ乳瓶にお湯を入れなさいってのっ!』
『…ほ、ほぇ?』
マザーリース(母親語)の甘い言葉から一転、テキパキと相方に指示を飛ばす。少しゲンナリした様子だったけど、シロは渋々動き出した。もっと僕に優しくしてよ、なんて心の叫びが聞こえたような気がしたけど……きっと幻聴ね。私は私で、テーブル中央に常置してある粉ミルクの缶の蓋を外しに掛かった。
『ちゃんとスプーン五杯入れた?』
『大丈夫』
『お湯は目盛りの半分、100mlのところよ?』
『わかった』
ジョボ、ジョボ〜〜
『うんしょ、うんしょ』
シロは何だかんだ言いつつも、ポットの上に載って、器用にほ乳瓶にお湯を注いでくれていた。体重が体重なのでドバッと威勢良くは出ないけど、まぁ何とか様になっている──と感心した途端、
ガタッ!
『のわっ!?』
ガシャーーーン!
バランスを崩して、一切合財全部、テーブルにぶちまけた。
『熱ーーッ!?』
『このお馬鹿っ! 何やってんのよっ! ったくドジなんだからっ!』
『ゴ、ゴメン…』
シロは怒られシュンとなる。
怒鳴った私が悪いと言うのに…。
(まったく……この子は……)
ひどく内罰的すぎる。
私はふぅと溜息を吐いた。そして母親の声で優しく気遣う。
『もう……どこか熱傷負わなかった?』
『…え? う、うん……たぶん……』
意外な言葉だったのか、シロはキョトンとしている。…悪かったわね、意外で!
『本当に?』
『うん、大丈夫』
『そ、良かったわね』
『……』
沈黙。どうも気恥ずかしい。
あー止め止め、やってられないわ。こーゆーときは話題転換、話題転換っと──あれっ?
『…シロ、ここにあった粉ミルクの缶は?』
『…はい?』
見渡せど、テーブルの上のどこにもない。忽然と姿を消していた。いや、消えるわけがない。ならば──
ギギギと首を傾け、恐る恐る視線を下ろしてみた。
『……』
『……』
粉ミルクの缶は、やはりというか、テーブルの下に自由落下していた。つまり、シンジの上に。まっ逆さま。ものの見事に頭にズボッと嵌った状態で。うーん、グッジョブだわ。
それはもう見事な、灰被りならぬ、粉ミルク被りのシンジの出来上がり。しかも念の入ったことに、お湯も被っていたわけで…。
『…あ、あら〜』
『…これはまた(汗)』
バキッ──
今度はシンジの持つ赤鉛筆そのものが折れた。真ん中からくの字に。
「(ぷるぷる)ほう……言うことはそれだけかい?」
小刻みに震えているシンジ。別に寒いというわけじゃないらしい。
「ふふふ、この僕に何か恨みでもあると?」
そんな怖い顔をしないで、マイスイートハニー。でも怒った顔も、す・て・き、みたいな〜♪
『一応言っておくけど……誤解よシンジ』
『そ、そうなんだよ! 誤解だよ!』
慌ててシロも相槌を打ってきた。
『不可抗力だわ』
『うん、不可抗力なんだよ!』
安直に尻馬に乗ってくる。
『だから私に非はないわけ』
『うんうん、そうなんだよ!』
『…だってコレ、全部シロのしわざだもん』
『そう、これは全部僕のしわざ──うえっ!?』
嘘は言ってないわ。
だからシロちゃん、今さらそんな「信じてたのに僕を裏切ったな!」って目で見ないでくれる?
「毎日毎日毎日! これじゃー、溜まったモンじゃないね!」
この私を正座させ、目の前でバンバンと床を叩くシンジ。プンスカプンとかなりのご立腹中だ。
シロはシロで、隣でまったりとご臨終(嘘)。
そういえばここ数日、似たような事件勃発だったわね。その都度シンジがキレると。今朝のが一番最悪だったけど。
はぁ、今さらツバメさんの有り難味が身に染みたわ。
──あ、ここで彼女の話をしなきゃいけないわね。
えーと、彼女……洞木ツバメさんは、今、この家にいないのよね。
別に出て行ったわけじゃないの。今、彼女の生家、たしか新潟のほうだっけ、そっちに帰省中。田舎にいる年老いた親御さんとの再会、そしていろいろな件の報告のためとか。でも、あと数日でこっちに戻ってくるみたい。そう連絡があった。
そうそう、どうやら旦那さんと話はついたみたい。結果は……いわゆる破局……協議離婚……極めて現実的な選択をしたようね。片方は既に鬼籍に入った身だから、法的にやれることは何もないんだけど……まぁ、心の問題ね。
きっと未練があったと思うわ。旦那さんも旦那さんで哀れよねぇ…。聞くところによると、彼女の生還を素直に喜ぶも、その後の話の段になると青くなって、ひたすら済まない済まないと、土下座し頭を床に擦り付けて、泣いて何度も謝ったとか…。
一度ここに報告に戻ってきたとき、これで吹っ切れましたと、彼女は気丈に笑ってたけど……アレ、絶対無理してたわね。辛いハズだもん。同じ女としてわかるわ。でも……こればかりはお気の毒としか言いようがないのよね……はぁ…。
もう暫くしたら彼女はこの家に戻ってくる。シンジが決めたことだから私に依存はない。寧ろ仲良くしていきたいと思う。
お互い数少ない人格者同士、きっとうまくやれるわよね。
「つーかさ、ツバメさんがいない間、家事の一切を任せろって啖呵切ったのはどこの誰だよッ!」
カチンときた。
『そりゃ言ったわよッ! でもしょーがないじゃないッ!』
珍しく逆ギレ。
『だって猫なんだからッ! 誰も好き好んでヘマやってないわよッ!』
第一、ヘマをやったのはシロで、私じゃないし。
その後、口八丁手八丁、その悉くを口答えしてやった。勝った〜♪
「だあ〜〜そーかいッ! わかったよわかったッ! ちょっと待ちやがれコンチクショーーッ!」
シンジは悔しそうに頭をクシャクシャ掻くと、パッとその手を私に翳した。すると、
『へ?』
突然、体全体がボウッと温かいものに包まれた。
グニャリ──
次いで視界が歪み、眩い光に包まれたと思うや、いきなり何も見えなくなった。
それに頭の中が何か変!何よこれ?喩えるなら、シナプスがデタラメにくっついたり離れたり、あと頭全体でデフラグかましているような、苦痛じゃないけど妙な、そんな感じ……すぐに治まったけど。
あ、視力が戻ってきた。
「…何? え? え? え?」
まず視点がおかしかった。てゆーか、なんで私、シンジを見下ろしてるの!?
え?
脚?
スラリと伸びた白い脚が目に飛び込んできた。とてもキレイな二本の脚。
誰の?
私の?
んなアホな。
慌てて自分の体という体を触りまくった。腕、顔、耳、鼻、髪、首、胸、腰、脚、尻……そして、
「えーーーーーーっ!!!」
思わず大絶叫してた。
『嘘…』
私の足許では、某白猫があんぐりと口を開けて見上げていた。なんとも間抜け面だ。
何というかその……私、人間になってました(テヘッ)♪
でも、俄かには信じられない。
手を伸ばす。
むにゅ、ぎゅーーッ!
『あだ、あだだだだだだーーっ!?』
「…そう、夢じゃないのね」
『ひ、酷いよ! 確かめるなら、自分のホッペでやってよ!』
睨まれた。
「シンジ、私を人間に戻してくれたのね」
さすがマイスイートハニー♪
と思ったら、
「人間? 戻した? …違うよヴァーカ」
あっさりと否定された。あと、最後の言葉は聞かなかったことにしよう。
「外見上の形質を一時的にヒューマノイド・タイプに変化させただけ。まあ擬態の一種さ。遺伝子は猫のまま、何も変わってない」
「あ、そう」
少し残念。
「そのうち元に戻るよ。猫のほうが安定性があるからね」
「えっ、戻っちゃうの!?」
「ああ、その辺は大丈夫。人間化したいときは、心の中で強くイメージすればいい。最初はうまくできないだろうけど、要は慣れと集中力だから」
「そう……あ、ありがと……シンジぃ」
目をウルウルさせ、素直に感謝したら、
「ばっ! い、言っとくけど、これはチョーがつくほどの特別サービスなんだからなっ! ク、クロが家事ができないってゆーもんだから仕方なく……ぶつぶつ……」
ソッポを向いたまま、最後のほうは口篭るシンジ。心なしか顔が赤い。
もう、照れちゃって〜♪
お母さんは、な・ん・で・も、お見通しなのよ〜?(ニンマリ)
「あーそうそう、その姿は家にいるとき限定だぞ? 絶対に外に出ちゃダメだかんな? まめに駆除してるとはいえ、外じゃクソ鬚の配下が入れ替わり立ち代りでこの家を見張ってんだ。 クソ鬚にバレたらコトだよ? …まあ、それはそれで面白いかも。 つーわけで、庭に出ることは勿論、窓辺に立つくらいも禁止だから」
「え〜〜」
「え〜〜じゃない。禁止ったら禁止」
ああ、無情だわ。
「むぅ、わかったわよ。でもまあ、ホントにありがとうね、シンジぃ♪」
「…ああ」
ん?あれ?
ホンの一瞬ちょとだけ憂いの表情が見えたけど……気のせいかしら?
「あとは、僕が留守中の来客には注意してね。最近は変な客が多いからね……主にネルフ関係だけど」
「あら、そのときはぶぶ漬けでも出してキッチリもてなしてあげるわ♪」
「…あ、そう。ま、この家のセキュリティーはそこそこなレベルだから、そうは心配いらないんだけどね」
「…そこそこ、ねぇ?」
冷や汗を掻く私。
彼がこの家にいろいろ細工してるのは知っていた。地雷やブービートラップ……家の中なのよココ?(汗)
たぶん、それ以上の仕掛けもしてると思うわ。
でもね……玄関に落とし穴はないでしょう?
この前なんか、新聞の勧誘の人が誤って落ちたじゃない!
穴の底で見事に竹槍で串刺しになっちゃって……すぐにシンジを呼んで、何とか生き返らせて記憶操作を施して帰したから大事(?)には至らなかったけど……かなり心配だわ。
『…あのさ、僕も──』
「駄目」
シロが恐る恐る何かを願い出たが、シンジはその言葉を途中で遮り、即座に切って捨てた。
はは〜ん、シロも人間になりたいわけね?
『なんでさ! だって不公平じゃん!』
「だっても何も、僕が二人いると煩わしいだろ」
『あぅ…』
あらあらシロちゃん、いじけちゃった。
ふふふ、思うに私と貴方じゃシンジの好感度が違うのよ、きっと♪
でもシロちゃん、挫けず生きるのよ?
生きているかぎり、どこでも天国になるわ。だって生きているんですもの。太陽と月と地球があるかぎり、大丈夫……きっと……ええ、たぶん……。
「ねぇねぇシンジ、私かわいい〜?」
ガラスに映る自分の姿を眺めながら、スカートの裾を摘んで、くるりとターンする。優雅に科を作ることも忘れない。
形のいいバストを強調するピンクのニットノースリーブのサマーセーターに、夏らしく涼しそうな薄手の茶色のギャザースカート、何よりそれを着こなす極上の中身……か、完璧だわ。
元は全裸の猫だったし、生まれたまんまの姿で人間化したらどうしようかと思っていたけど、幸いにして服は身に着けていた。さり気なくシンジがコーディネートしてくれたのだろう。さすがは自慢の息子ね。
「もー、どうなのよー? かわいいでしょー私?」
「はいはい、かわいいかわいい、すんごくかわいい、めちゃかわいい」
(↑激しく棒読み)
「むー、なによー? もっと真剣に答えてよー」
ぷぅと膨れつつも、今一度ガラスの間近に近寄って自分の姿を確認する。
見た目20代前半。ううん十分女子高生でいけるかも。たぶん初号機に取り込まれたときの姿そのまま。だとしたら実年齢は27、8……どうせなら十代に戻して欲しかったわね。だってそのほうが今のシンジにはお似合いだもの。
でも、ま、いいか。見た目女子高生だし、十分(シンジの)ストライクゾーンよね。
ぐふふふ、じゅるり、これで大願成就も近いわ〜♪
早速ご利益のありそうな神社を探して子宝安産のお守りを貰ってこなくちゃ♪
あ、この体、子作り機能は全然OKなのよね? きっとそうよね?」
『…あの』
「え?」
突然の声に我に返る。
見れば、足許でシロがジト目で見つめていた。
『…声、出てるけど』
「へ?」
『だから、声出てた』
「……」
冷や汗が出た。
「ど、どの辺から?」
『ぐふふふ、じゅるり、これで大願成就も近い……の辺りから』
「……」
あ、あらいやだ、殆ど全部じゃない、ほほほほ。
笑って誤魔化した。シ、シンジには聞かれてないわよね?(汗)
「でも凄いわよね〜、ここまで再現するなんて〜」
手鏡片手に、撫でたり引っ張ったり、細かに我が顔をチェックしながら、感想を述べる。
「ああそれ? 人間だった頃の遺伝子情報を読み取ったからね」
「ふーん、遺伝子情報かあ…………ん?」
ふと、とある疑問が頭に浮かんだ。
「も、もしかして!」
私は血相を変えてリビングを飛び出し、バスルームへと駆け込んだ。そして十数秒後──
「きゃいーーん♪」
我ながら奇天烈な声を上げた。
『…何?(汗)』
「さあ?(汗)」
ドタドタドタドタ〜〜!
『あ、戻ってきた』
「戻ってきたね」
「たたた、大変大変シンジぃーーッ!! 大変よーーッ!!」
私は駆け足でリビングに飛び込んだ……膝パンツのままで(汗)。
「ままま──」
「ままま?」
「ままま、まくが再生されてたのよーーーッ♪」
どげし!
「あうっ」
いきなり脳天チョップをお見舞いされる。
「はぁ……まったくいきなり何を言うかと思ったら……見ろ、さしもの鈍感・純朴のシロだって顔を赤らめてるじゃないか。しっかし、馬鹿だ馬鹿だと思っていたけど、一度鉄格子のある病院に放り込むべきか?」
「いたたた、酷いじゃないの!」
「酷くない。…ふぅ、何はともあれパンツを上げろ。シロが目のやり場に困ってる」
「え……きゃっ!?(////)」
慌ててスカートを押さえた。
「何が『きゃっ!?』だ。今さらカマトト(死語)ぶるな。さっさと上げろ」
「あ、あら……もしかして照れてる? ははぁーん、シンジってやっぱり私のこと……まくの再生のことといい……ウフフ」
ちょっと胸キュン。
「か、勝手に妄想すんな! 知らんよ! 第一、そこまで意匠を凝らした覚えはない! たまたまだ! ああ、悪かったね! 不都合なら今すぐ原状回復してやろーか? 破ればいいんだっけ? えーと棒、棒はっと……お、あったあった♪」
シンジはリビングの隅に立て掛けてあったホウキを掴む。かなり極太の柄だ。そしてゆっくりとこっちに近づいて来たから、さあ大変!
「んきゃあああーーッ!? ななな、何てモン握ってんのよーーッ!? 来ないでぇ!! 近寄らないでぇ!! この鬼!! 悪魔!! ケダモノ!! じょ、冗談じゃないわよッ!? だーれがそんなモンで破らせるもんですかッ!!」
そう、破っていいのは愛する息子のお○ん○んだけ!(おい)
せっかく貰ったシンジからの神様からのプレゼント。大切にしなくちゃ。
辛うじて貞操を守ることができました♪
「じゃ、早速お出掛けしましょ!」
「…チミ、今までの話、聞いてなかったのかね?(汗)」
呆れ顔のシンジ。
「あら、聞いてたわよ」
「だったら、わかるだろ?」
「え〜? 折角のこの姿なのよ? たまには親子水入らずでお出掛け(注:でぇーと)したいと思わない?」
「思わない」
あっさり即答された。
「うぐっ……ど、どうしてよっ!? こんなに若くてキレイな母親と一緒に(腕を組んで)歩けるのよっ!? きっと周囲の注目と羨望を一身に集め捲くるわよっ!? 友達とかにすんごく自慢できるわよっ!? ね? ね?」
「…けっ、アホくさ」
ソッポ向かれた。
「な、何よその態度!」
「怒っても駄目なものは駄目。行かない」
「何でよ!」
「何ででも」
取り付く島もなかった。
「もうシンジのケチ! はぁ、わかったわよ。でもね……私はいいんだけど……ほら?」
「きゃう?」
私は優しくマイちゃんを抱きかかえた。
でもこの姿で抱くのは初めてなのに人見知りしないこの子って……やっぱり血ね。
「たまにはマイちゃんに陽の光を当ててやらないと不健康でしょ? ビタミンDが不足しちゃうでしょ? この子が病気になってもいいの?」
「ぬ…」
勝った♪
要は本音と建て前。立ってるものは赤ん坊でも使え。押して駄目なら引いてみろ。あん、大人って素晴らしい。
「そーゆーことで、いざレッツら──」
腕を突き上げ、ゴーと叫ぼうとしたら、
『…だったら別にその姿じゃなくてもいいんじゃないかな? 赤ちゃんならシンジが抱っこして行けばいいわけだし』
「シ、シロっ!?」
またこの子はなんつー余計なことをっ!
……
……
……
そして十数分後。
私たちは街中にいました。はい、念願叶って外出できたんです。でも……これじゃ意味がないんです。
ええ、すべてはこの白猫のせいです。後でキッチリお仕置きです。
シンジの両肩にはいつものように私とシロ、そして胸元には抱きつくようにマイちゃんが。
ほのぼのとした家族水入らず。だけど何故か衆目を集めちゃってます。
…やっぱ今の時代、黒い帯でタスキ掛けは拙かったかしら?(汗)
てゆーか違和感バリバリ?
和服ならまだ救いがあったんだろうけど……今のシンジの出で立ちときたら、風神雷神の極悪絵柄の半袖Tシャツに真っ赤なハーフパンツ、そしてちょいワル風の特注雪駄……その上肩に仔猫載せちゃあ……元々が美少年が故に、弥が上にも奇異の視線を集めるわねこりゃ(汗)。
「イメージが……僕ちんのイメージが……」
シンジはシンジで何かブツブツ呟いていたし。
私をギャフンと言わせたい一心で考えなしにシロの言葉に乗っちゃったのが運の尽きね……ま、ご愁傷様とだけ言っておくわ。
そして昼下がり。
小一時間ほどその辺をぶらぶら散策し、その後帰宅した私たちは、軽めの昼食を摂ると、各々リビングで寛いでいた。
さすがに日中に外出は堪える。やっぱエアコンは人類の至宝ね。生き返る思いだ。吹き降ろす強めの冷風がとても気持ちいい。
ふんわかソファーの上でゴロゴロしながら、買って貰った科学専門誌をパラパラとめくる。
マイちゃんはというと、少しおっぱいを飲んだ後、今は隣のベッドでスヤスヤと眠っている。私は気にしなかったが、外出中の余計な紫外線をシンジがATフィールドでカットしてくれたみたいで、彼女の肌にダメージはない。さすがシンジだ。
シロはシロで帰るなり、うんしょ、うんしょと、目の前のテーブルの布巾掛けを始めた。誰に言われたわけでもないのにマメなことだ。もしかして習性?
ふと視線を上げると、クローン娘の姿が目に入った。
彼女は端から外出してはいない。誘ったが拒否された。曰く、
「──暑いのイヤ、行かない」
端的かつ無愛想な返事。だが、なるほどメラニン色素が少なそうだ。
結果、一人でお留守番。部屋の隅で腰を下ろし、今もずっと本を読んでいる。
さて、最後にシンジだが……あ、あれ?
「シンジいないじゃない! どこ行ったのよ!」
見渡せど、部屋の中のどこにもいなかった。さっきそこで麦茶飲んでたのに。ゴクゴク、プハァーって。
『ん、シンジ? …ああ、たぶんまた例の「狩り」じゃない?』
布巾掛けの手を休め、振り向いたシロが半ば呆れながら答える。
「か、狩りぃ〜〜!? またぁ〜〜!?」
実を言うと、これがシンジの日課となっていた。だが、狩りといっても普通のではない。
獲物は──もれなくゲンドウさんシリーズなのだ(汗)。
無論、オリジナルの人間のほうではなく、家畜への転生体のほう。
私やシロも、二、三度見学した(注:無理矢理連れて行かれた)ことがあるが……正直、あれはウンザリだった(汗)。
他の面子、葛城博士の娘さんとかゼーレのご老体とか、そっちも一応は狩ってはいるみたいだけど、豚のほうが繁殖率が高いらしく、ここ最近はゲンドウさんシリーズを集中的にヤッているようだった。
ただ、やるなとは言わないが……母としては息子の行く末が些か心配である。
『ねえ、それよりさクロ──』
(ギロッ!)
シロを睨みつけてやった。
だってこの姿のときはその名で呼ぶなとあれほど言ってあったのだ。
『うっ……ユ、ユイさん(汗)、えーとですね、これからリビングの窓拭きをしたいんだけど……少し手伝ってくれるかな? 僕じゃ、高いところに手が届かないんだ』
「イヤ」
ニッコリ笑って即答した。だって私に肉体労働は似合わないもの。
〜???〜
さて、所変わって、ここは中国奥地にあるマイノリティーの寒村。周囲を険しい山々が取り囲み、容易に人を寄せ付けない秘境の中の秘境である。
そんな寂れた場所に、某・極悪無道の少年はいた。そして眼前には一頭の豚。
「ぶひぃ〜〜〜っ!!」
「うるせえっ!! 年中ぶひぶひ言ってんじゃねぇっ!! こンのど畜生がっ!!」
ドガッ!!
「ぶ、ぶぴっ!!?」
脇腹に一発蹴りを入れたら、途端に大人しくなった。つーかピクピク悶絶してて、それどころじゃないようである。
この少年、村人におカネを渡して、その豚を買い取っていた。
周りには、日本人が物珍しいのか、幾人かの子供が遠巻きに見物していた。ただ家畜の屠殺は見慣れているのか、まったく物怖じしない。
「おらっ、いつまで寝てんだっ! さっさと起きろっ!」
「──っ!?」
その辺にあった鍋の水をぶっ掛けたら、途端に目を覚ました。
「ククク、さーて、最後の晩餐のお時間だよん♪」
そう言うや、少年は豚の口に特製のホースを突っ込み、謎の液体を流し込む。
それは……人の、糞尿だった(汗)。
「ぶぴっ!!? ★Д´ょPБЮぶーーーっ!!!」
豚は七転八倒した。だがそれでもホースは外れない。
「おや、お気に召さない? だって、いつもの食事じゃないか」
臭うので鼻を抓みつつも、少年はニヤニヤしながら語り掛けた。
片や弱々しくイヤイヤと首を振り、涙目で懇願する豚。もうやめてと……もうこんな臭くて気色悪いのは嫌だと、心から訴えていた。
「ふぅ……ったく、まだ慣れてないのかい? 我侭だなあ」
半ば呆れる少年。
「だってさ、前世じゃ何百人もの女の人に自分のを食べさせ、飲ませてたじゃないか。しかも無理矢理。そのくせ、自分のときはイヤって……アンタそりゃ、我侭ってもんだわ」
そう言うや、少年は元桶のバルブをグイッと目一杯に捻った。
「ぴ、ぴぎーーーっ!!?」
結果、合計20リットルのブツが全量ホースの先から流し込まれた。無論、強制的にだ。
当然、豚に拒否権などなかった。憐れかの者は、白目剥いてピクピクと失神する。
「…飽きたな。そろそろヤるか」
少年は気を失った豚を壁に張り付け、手足をロープで四方に固定した。
──いつものように解体の開始である。
今回の術式は、この村での古式ゆかしき畜殺の方法であった。唯一違う点は、生かしたまま捌く、であろうか。
右手に握るは、大型のシースナイフ。それを半回転させ、いきなり喉元に突き刺したから、さあ大変♪
「──ぴっ!!? ぴぎぃ〜〜〜〜っ!!!」
信じられないほどの激痛に、絶叫と共に目を覚まし、激しく暴れ捲くる豚。
だが少年は無視。上顎をガッシリ押さえつけ、頚動脈を傷つけないように斜めに切り入れ、そこから真っすぐ正中線に沿って下に切り下ろした。
「ぴぎゃーーーっ!!!」
噴き出す大量の鮮血。
豚は泡を噴いているが、まだ死ねない。万一死んじゃっても少年が強引に反魂するから大丈夫だ。
肋骨をズバッと切り開き、薄膜を破ると、カラフルな内臓が飛び出た。
「〜〜〜〜〜っっ!!!」
内容物(注:糞尿)を漏らさないよう注意しながら、それらを順次取り出す。瞬間、モワッとした強烈な何とも言えない生臭い悪臭が辺りに漂ってきた。
「ククク、ふははははーーー♪」
狂喜しながら、ナイフを縦横無尽に振りかざし、捌きに捌き捲くる少年……やはりどこか壊れていた。
いつしかその足許には無数の臓物が散らばっていた。
ついには豚は絶命……その死に顔は、正しく凄惨そのものであったという。
「次、二匹目いってみよー♪」
そんな不謹慎すぎるほどのノリノリ感覚で引き出されたのは、どこか怯えている風の、先程とは打って変わっておとなしめの豚だった。
そう、この集落にはゲンドウシリーズが二頭、転生していたのである。確率的に凄い偶然である。
見れば、一頭目より一回りほど小さかった。生後一年少しってところか。
おとなしめとは言っても、過去乃至は未来の自分の惨殺シーンを目の当たりにして、ショックでブルブル震えていたというのが真相で、ただただ怖くて声も出せないようである。逃げ出そうにも、極太のロープにしっかりと繋がれ逃げられない。嗚呼、哀れなるかな。
「──おっし、準備オッケー♪」
今度の獲物は樽詰めにされていた。首から上だけが、上に出ている。
さしずめ、黒鬚危○一髪である。
そして少年の周囲の地面には、突き刺されたサーベル群、その数三十本がズラリと並んでいた。
そう。この少年、マジであのゲームをやるつもりらしい。実地で。
だがオリジナルのゲームと違うのは、樽のどの穴にサーベルを突き刺しても、一切のハズレがないということである(爆)。種も仕掛けもなかったのだ。
「まず一本目〜♪」
ザシュッ!!
「ぴぎーーっ!!!」
刺されたほうは首が飛び上がらんばかりに絶叫するも、やはり首は飛ばない(当たり前)。
「お、セーフセーフ♪」
そりゃセーフだろう(笑)。
そして二本目、三本目と繰り返され、その度に上がる天を突くほどの悲鳴。でも首は飛ばない……セーフ。
途中、ギャラリーの村人も飛び入り参加(笑)。
そうして、プレイヤーは器用に心臓(だけ)を避けながら、面白おかしくゲームを続けていく。
だが、だいたい二十本目を過ぎたあたりから獲物の反応がなくなっていた……豚さん、大往生である。
仕方がないので、死後それも捌き、血抜きをし──そして背後を振り返った。そこには目をキラキラさせた村民たち大勢の姿があった。
「さあ皆さん、少し遅くなりましたが、お肉の配給の時間ですよ〜♪」
待ってましたとばかりに、村人たちが殺到する。彼らにとって豚肉は、盆と正月ぐらいにしか口に出来ないほどに、貴重な動物性のタンパク源だったのだ。
「はいはい、並んで〜。あ、押さないでね〜。まだ十分残ってるから〜」
大盛況だった。
しかし、せっかく買い取った豚なのに、何故少年は肉を持ち帰らなかったのか?
理由は簡単……臭うからである。
家畜というものは、長年与えられてきた餌の臭いが、その血肉に染み付いてしまうのだ。市販されている豚肉に微かな配合飼料の臭いが残っているのもそのせいである。
この村では、家畜の餌は主に人間の排泄物であった。
早い話がここの豚肉、人糞の臭いがするのだ。慣れない人間にはちとキツイだろう。
以上が、少年が肉を持ち帰らない理由であった。
「ん?」
視界の端、下のほうで黒髪がぴょこぴょこ動いている。
見れば、一人の小さい女の子がそこにいた。
まだ五歳に満たない年頃の、ほっぺの赤い、純朴そうな女の子だ。だが、身に着けている民族衣装はあまり上等なものではなかった。この村の中でも恵まれたほうではないのは確かだろう。
その女の子が、少年の瞳の色を窺いつつ、びくびくしながらヒビの入った古い洗面器を差し出した。
…なるほど、これにお肉を入れてということか。
「ほら、これでいいかい?」
(コクコク)
大きめの赤身のブロックを入れてやると、幼女は嬉しそうに無言で頷いた。
ちなみに今、少年が喋っているのは、すべてチベット語である。
「今日は、お母さんのお遣いかい?」
女の子は、コクと一回だけ頷いた。
しかしこの女の子、最初は人見知りから無言なのかと思ったが……どうやら言葉が喋れないようだ。恐らく先天性の疾患か何かだろう。
「そ、お父さんは?」
(……ふ、ふるふる)
一瞬の戸惑いの後、女の子は力なく首を振った。
つまりは、父親は死んでもうこの世にはいないということか。
しかしこの村のような一次産業のみの世界で、男手がないという事実は、生きていく上でのかなりのハンディキャップということは、想像するに難くなかった。よくよく見れば、幼女の身なりも少し薄汚れている。きっと言葉に尽くせない苦労があるのだろう。
「…そっか」
少年は一瞬憂いの顔を見せたが、すぐに女の子の髪をクシャクシャと強めに撫でてやる。
「えらいぞ〜、よっし、こいつもオマケしちゃお〜♪」
ひと際真っ赤な部位をナイフで突き刺すと、ボトッと洗面器に落としてやる。レバーだった。
女の子はニッコリと満面の笑みを浮かべると、ペコッと頭を下げた。そして胸元の洗面器を重そうに、しかし大事そうに抱えると、トテトテと村外れの家のほうへと駆けていった……ああ、この女の子に幸あれ。
「ふぅ、良いことした後は気持ちがいい〜♪」
こうして少年の海外ボランティア活動は終わりを告げた。
〜再びシンジ邸〜
その日の深夜。
「──フフフ、待ちに待ったわこの夜を〜」
草木も眠る丑三つ時、謎の呟きが真っ暗な廊下に木霊する。
その謎の人物は、自分の枕をギュッと抱きしめ、とある部屋の前に一人立っていた。
一度深呼吸をして覚悟を決めると、音を立てないようにドアノブを回し、抜き足差し足で中へと入る。
「そぉーっと、そぉーっと…………いたぁ」
我、目標ヲ発見セリ!
今日は有意義なODAに勤しんで疲れたのか、目標なる人物は静かに寝息を立てていた。
ニヤリとほくそ笑むと、謎の人物はごそごそと布団の中へと潜り込み始める。なるべく音を立てまいとするも、シュルシュルと艶かしい布ずれの音とベッドの軋む音だけが小さく漏れた。
そして背中へとぴたと密着する。それから背後からそっと抱きしめた。
「ん〜〜、シンジぃ〜〜」
「…………………ん、な…んだ?」
何か柔らかいものを背中に押し付けられ、なお且つグリグリされる感触で、薄く目を覚ました少年。
寝惚け眼で振り向けば、目の前には碇ユイの顔のドアップ。驚いて枕元の電気を点けるが、その不審人物の正体はやはり碇ユイその人だったわけで…(汗)。
ガバッと飛び起き、布団を剥ぎ取った。
「どわーーッ!!? ななな、何やってんだーーッ!!?」
「…あら〜? 起こしちゃった〜?」
「起こしちゃった、じゃねえーーッ!!」
真っ赤になって激高する少年。
「(クスッ)ねえ〜、偶には一緒に寝ましょうよ〜?」
「ひ、人の話を聞けーーッ!! 何言ってんだお前っ!? 枕持参で何してんだよっ!? つーか何だその透け透けむちむちのネグリジェはーーッ!?」
碇ユイは、何とも扇情的な黒のナイト・キャミソールを身に纏っていた。ちなみに勝負パンツも装着済み!(笑)……いつ買ったんだ?(汗)
「ンもう照れちゃって〜♪ こんなの〜、親子なんだから〜、恥ずかしがらなくていいのよぉ〜♪ ……ヒック」
「十分恥ずかしいわっ!! ──って、うわ酒くさっ!? おおお、お前酔ってるだろっ!?」
「ん〜ん、酔ってないわよぉ〜♪」
「嘘吐けっ!!」
酔っ払いがそう主張するときは、大抵が嘘なのだ。
「ねえねえ〜、昔はいつも私と一緒に寝てたじゃない〜♪」
「人聞きの悪いことを言うなっ!! てゆーか人の話を聞きやがれっ!!」
だが女は気にせず、何かを思い出すかのような遠い目で語り出した。
「ウフフフ……もう三歳になるのにぃ〜、シンジったら甘えん坊さんでねえ〜……一人で寝るのは怖いって〜……きっと怖い夢でも見たんでしょうねえ〜……ポロポロと泣きべそ掻いて〜、お母さんお母さんって〜、いっつも私の布団に潜り込んできてたのよぉ〜」
「んがっ!?」
驚愕顔の少年、いやさシンジ。今さらそんな大昔のネタを持ち出されても非常に困るという顔だ。
だが、彼の母親は容赦がなく、更なる爆弾を落とし始める。
「それでね、それでね〜、おっぱいおっぱいって甘えちゃって〜、ちゅーちゅー吸うのよぉ〜もう母親冥利に尽きたわぁ〜
でもぉ〜、その都度ゲンドウさんがヤキモチ焼いちゃってね〜……大変だったのよぉ〜
」
そしてクスッと妖艶な微笑みを漏らすユイ。
「そそそ、そんなん知らんっ!! 覚えがねえっ!! すこぶる気の迷いだっ!!」
「あら〜、事実よ〜? 認めなさい〜♪」
しかし認めたら負けなのだ(笑)。
「ぐっ……そうだ、赤ん坊はどうしたっ!? そっちの世話があるからって、寝床を分けたんだろうがっ! だからちゃんと付いてないと──」
何とか話を逸らそうとするも、
「マイちゃんなら〜、キチンと寝かせつけてきたわよ〜。第一あの子は聞き分けがいいから〜、夜泣きもしないし〜、朝まで起きないもの〜。全然、無問題よぉ〜♪」
「……」
進退窮まった(笑)。
「さ〜、一緒に寝ましょ〜? それはとても気持ちのいいことなのよ〜?」
「ぬおっ!? タンマ、ギブギブっ!!」
だが調子に乗ったユイは更にガッチリと抱きつく。
シンジはわたわたと抵抗するも、ユイの体からは女性特有の馥郁たる香りが漂っており、半ば意識が飛びそうになっていた。
そして狡猾な女豹はたとえ酔っ払っていても獲物の弱り目を見逃さなかった。
「ほら〜、何なら昔のように吸ってもいいのよぉ〜」
「──な、何をっ!? むぐぅ!? ち、乳首ぃ!? や、やめっ……あ、でも何かいい匂い──って、違ーーうッ!!」
ぷちッ!
寸前、何かがブチ切れた。…尤も、危うく落ちそうになったのは事実なわけで(笑)。
「で──」
「で?」
「出てけーーーっ!!!」
ドカッ!!
「きゃん!!」
部屋から叩き出されてしまった。
「つ、いたたた……もうシンジったら、ちょっとやりすぎじゃないっ!」
酔いもすっかり醒めたようだ。
ガチャガチャ──
「あ、あれ? 開かない? なんで?」
だって中から施錠されてるもの(笑)。
ドンドンドン!
「ねえねえシンジぃ、開けてよ〜〜!!」
「開けるかいボケッ!!」
開けたら最後、山姥にシッポリと喰われてしまうのだ(笑)。
そんなドタバタ劇の中、一部始終をジッと見つめる姿があった。シロである。
マジで呆れていたようだ。この世界がパラレルワールドということを改めて実感したらしく、あんなの僕の母さんじゃないやい、とブツブツ呟いていた。
余談であるがこの夜這い、これから先も手を変え品を変え週一のペースで繰り返されたという……恐るべし碇ユイっ!(笑)
〜???〜
「──うっ、うがーーッ!!!」
突然、男は目を覚ました。
悪夢に魘されていたのか、その背中は寝汗でグッショリだった。
「はぁはぁ……ゆ、夢か。クッ、しかしなんちゅー夢を…」
どうやら、間男に最愛の妻を寝取られる夢を見たようだ……うむ、なかなかに鋭い(笑)。
「…知らない天井だな」
眼前には真っ白な天井があった。
少し首を擡げ、周りを見渡してみる。
「ぬ」
沢山の仰々しい機器に取り囲まれていた。そこから伸びる多種多様のケーブルが、自分の腕や胸や頭、体という体のいたる所にくっついている。心電図・呼吸・血圧・SpO2・体温など、多くのバイタルサインをチェックしているのだろう。
「むぅ、見たところ病院のHCUのようだが……何で俺様はこんなところにいるのだ……クッ!?」
不意に頭がクラクラした。
「…どれくらい眠っていたのだ?」
何日も寝ていた感覚。それと、何か大事なことを忘れているような気がした。
「…今何時だ?」
しかし部屋の中に時計はなかった。だが窓の外は真っ暗……どうやら夜中のようだ。ここジオ・フロントも、構造上、夜になれば陽は落ちるのである。
プシュー!
「ん、起きたか?」
「冬月…」
ドアから己が副官が入ってきた。
恐らく別室で自分の覚醒レベルと催眠レベルをモニタしていたのだろう。
「まさかあのような場所で倒れているとはな。偶然、赤木博士が通り掛かったから良かったようなものの……あと数分発見が遅れていたらアウトだったのだぞ?」
「!!!」
そ、そうだった!全部…全部思い出したぞっ!
あンのシンジの奴めっ!このワシをっ、ワシをっ──!!
拳がワナワナと震えた。
「…冬月」
「何だ?」
「大至急、サードを拘束しろ」
「??? サードをか? それは現行命令の再確認という意味かね?」
冬月が怪訝そうに首を傾げる。確かにサード拘束は以前から出されていた命令だった……悉く失敗してはいたが(汗)。
「違う! あのガキ……この俺様を半殺しにしおったのだ!」
「…ほう、あの怪我……だが子供一人にやられたのかね?」
「ぐっ……ち、違うぞ! 大勢に──そう、武装した大勢に、百人はおったかな、そいつらに寄って集ってやられたのだ! さしもの俺様も多勢に無勢、しかも丸腰では──」
「…ふーん」
しかし老人は、冷たく、白く、まるっきり信用してそうにない、すべてを見透かされたような目をしていた。
「…で、証拠はあるのかね?」
「しょ、証拠だと!? そんなもんMAGIにログが──」
あるだろう、そう叫ぼうとするが、
「ターミナルドグマのあの区画にMAGIの目はないぞ。そうさせたのは他ならぬ貴様だろうが」
「ぬ」
そういえばそうだった。確かにあそこに監視カメラがあると公私共に非常にマズイのだ……特に「私」のほうでだが。
「な、ならばっ、ならばこの腕が証拠だっ!!」
バーンと目の前に突き出してやった。これでグウの音も出ないだろう。
「…ん、何が証拠だというのだ?」
「だ、だからこの千切れた腕が証拠だと──ぬ、何故腕があるのだっ!?」
そう、腕があったのだ。
確かあのとき、自分の息子にもぎ取られたような……もしかして気のせいだったのか!?
慌てて手近な窓ガラスに映る自分の姿を確認してみる。なかなかに男前な鬚面がそこにあった。うーん、マンダム♪
って、いやいや、そんなことをやってる場合じゃなかったぞ(汗)。改めてガラスに映る自分の顔をじっくりと観察した。
──やはりそこには失ったハズの目があった。
どういうことだ?当たり前だが義眼ではない。キチンと視力もあったのだ。それに、
「…言葉を喋れる、だと?」
あのとき、顎を砕かれ、舌さえ引き抜かれたハズなのだ。
アカンベーして確認してみた。眼前の冬月が嫌な顔をしたが……確かに舌はあるようだ。縫合されたような違和感もまるでない。歯も全部あった。
「こ、これはいったい…」
何が何だかわからない。
「ふむ、やはり不思議そうな顔をしておるな」
「冬月?」
「お前の体が無事なのは……移植したからだよ」
「移植? どういうことだ?」
話を端折りすぎて全然理解できない。
「…これは最初から説明したほうが良さそうだな」
そう言うと冬月は一度言葉を区切る。
「一週間前の夕刻、お前の急を聞いて私が駆けつけたときには、あの場所はまさに血の海だったよ」
「な、一週間だとっ!?」
では俺様は七日間も眠り続けていたというのか!?
いや、ちょっと待て、七日間!?
むぅ、何かとてつもなく大事なことを忘れているような気が………………………………………………………あ。
「ししし、しまったぁーーーーっ!!!」
俺様大絶叫。そして滝のように脂汗が流れる。
「ふふふ、冬月ぃーーッ!!!」
「どうした? 血相変えて?」
「ろろろっ、老人たちはどうしたっ!!?」
約束していたのだ。己が潔白の証拠(注:捏造)を出すと。期限はとっくに過ぎていた。マジで洒落にならんかった。
「…とりあえず落ち着け。委員会からなら……確かに連絡はあったぞ」
「何ぃっ!? 何だっ!? 何を言われたっ!? 言えっ!! すぐ言えっ!! 今言えっ!! さあ言えっ!! ぬぅ、何故言わんのだ〜〜っ!!」
ぎゅう〜〜っ!
「ごわっ!? く、首が、絞まっ──!!!」
数分後──
「ぜえぜえ……わっ、わしを殺す気かっ!!」
「ス、スマン(汗)」
「ったく、もういい……ああ、委員会からの件だったな」
「う、うむ」
俺様は息を呑んだ。
よ、よもや死刑執行の通知ではあるまいな!?
「お前が大怪我した翌日の晩だったと思うが……確かに委員会のほうから呼び出しがあった」
一つ一つ記憶を手繰り寄せながら、冬月は語り出す。
「ま、お前がああいう状況だったのでな、代わりに私が審議に出たわけだが……いろいろ言われたぞ?」
「ぬ」
嫌な汗が流れた。
「やれ嘘吐きだの、やれ敵前逃亡だの、やれ恥知らずだの、終いには望みどおり殺してやろうだの……お前、いったい何をしたのだ?(汗)」
「うぬぬぬぬ…」
さらに汗が流れた。
「だが、お前のあのときの惨状(注:移植前のズタボロ状態)を見せてやったら、何故だかわからんが、途端に全員の機嫌が良くなってな……お前の意識が戻るまで猶予をやると言われたのだよ」
「ぬ、そうか」
ホッと一安心。何とか首の皮一枚で繋がったというとこか。
「しかし碇よ……本当にお前、何をやらかしたんだ?(汗)」
「……」
俺様は何も答えられなかった。気まずい沈黙が流れる。
「ふぅ、やはりダンマリかね……まあいい、話を続けるぞ?」
「…ああ」
「私と医療スタッフが駆けつけたとき、既に赤木博士は緊急手術を始めていたのだ……その場でな」
「ぬ、その場でだと?」
「ああ、一刻を争う状態だったようでな、上に搬送していたら命はなかったそうだ」
「……」
ぬぅ、もしかして危機一髪だったのか俺様?(汗)
「…し、しかしよく手術道具があったな? フロアに常備してあったのか?」
「いや、いつも白衣の裏に一式を忍ばせているらしいぞ、彼女は」
「……」
ブ、ブラック・○ャックか、あの女は!(汗)
「まあ、確かに足りない機器や薬品については、連絡を受けて我々が運び込んだがね」
「そ、そうか」
「しかし私も医者(注:モグリ)の端くれだが、赤木博士のあのメス捌きは鬼気迫るものがあったぞ。お前のことを助けようと、必死だった……フッ、処置の間ずっとお前の名前を呼び続けていたのだぞ?(ニヤリ)」
「ぐっ…」
ま、また恥ずかしいマネを……まさか衆人環視の中、ゲンドウさんゲンドウさんって、終始呟いていたわけではあるまいな?(汗)
「何はともあれ、後で労いの言葉の一つでも掛けてやるといい」
「…ああ、わかっている。しかしそうか……それで俺様は助かったのだな」
無くしたハズの腕をさすりながら感傷に耽る。しかし、
「いや、厳密には違うな」
「何?」
「言っただろう? 移植したと」
「移植? クッ、勿体ぶらずにストレートに言え! 回りくどい言い方をするんじゃない!」
冬月の悪い癖だ。これだから学者上がりは……ブツブツ。
「少し前、発令所で私が負傷する事故があったのを憶えているか?」
「ああ」
そういえばそういうこともあったな。所詮は他人事だが。
「その際、この私にも急遽クローニングが施されたのだ……尤も、年齢の面から残念な結果になったのだが」
うむ、だから今もダルマさん状態だ(ぷっ)。
「しかしそれを教訓に、有事に備えた事前からなる移植用のクローニングの必要性が、うちの医療部門で持ち上がったのだよ。VIPが負傷した場合、組織の運営に支障をきたす恐れありとな。まあ、危機管理の一環だな。そしてすぐにお前の裁可を得て、幹部職員の臓器、手、足、目、耳……ぶっちゃけ脳みそ以外の部位のクローニングが極秘裏に開始されたのだ。当然ながら一番手は組織のトップ、お前だ」
「……」
は、初耳なんですけど?(汗)
てゆーか、いつの間に細胞を採取されたのでせう?(汗)
「碇」
「うおっ、何だ!?」
「…………お前、また稟議書の中身を見ずに判を押しただろ?」
「ぬ! そ、そんなことは……ないぞ(汗)」
しかしジト目を止めない冬月。
「…まあいい。兎にも角にも、予め培養されていたお前の体組織を移植したのだ。その品質・信頼性は紛れもなく世界一。何せエヴァ技術からスピンオフしたクローニング及び遺伝子工学の結晶だからな。…まぁ、潤沢な税金のお蔭とも言うが」
「そうか、ならばこの腕は──」
今度こそ感慨深く右腕をさすった。
こうして俺様の役に立ったのだ。いつ採られたかは知らないが、俺様の体細胞も無駄ではなかったということだろう……なんて思っていたら、
「いや違う。それはクローニングしたものではないぞ。というか、今のお前の体にクローニングした体組織は一つもない」
「おいっ!」
だからあれほど遠回しな物言いは止めろと……ムカムカ。
し、しかし……だったらこの腕や目は何だというのだ?
「無論、クローン培養した組織を移植はした。だが、まったく接合しなかったのだ」
「接合しない?」
「ああ、何故か駄目だった。接合しないというか……拒絶するのだ。縫合しても密着しないというか……例えるなら磁石の反発だな。兎に角、何かの呪いが掛かったように、お前の体そのものがクローン細胞を受け付けなかったのだ。それは他の部位でも同じだったよ」
「つまり、早い話がクローニングは──」
「ああ、無駄骨だった」
「……」
何だこの体たらくは?
だったら結論から先に言えというに!
「この予想外の事態に、さしもの赤木博士も愕然としておったよ。あれほど取り乱した彼女を見るのは初めてだったぞ。右へ左へとオロオロしておった」
彼女も普通の女だったのだなと、最後に冬月は付け加えた。
「そんなとき、現実に打ち拉がれる彼女の視界の端に、何か蠢くものが映ったのだ」
「蠢くもの? 何だそれは?」
俺様は眉を顰めた。
「お前以外の負傷者がいたのだよ」
「俺様の他にか?」
「そうだ……ダッシュ君だ」
「……」
ダッシュ?
てゆーか、何でそんなところにいたのだ?道にでも迷ったのか?
「そのときの彼も、貴様同様、辛うじて生きている状態だったよ。尤も、見た目はお前以上に酷い状態だったがな。何せ体が、喩えではなく真半分に切断されておったからな。まさかこの私も生きているとは思わなんだ」
「……」
「赤城博士はそれに飛びついた。救助するのかと思いきや──違った」
「???」
冬月は一拍置くと、意を決してから言った。
「──少年の体からパーツ取りを始めたのだよ」
「何っ!?」
「ここまで言えばわかるだろう? 今のお前のその腕は──元々は彼のものだ」
「っ!!!」
「赤木博士が彼から奪ったものなのだ」
それは驚愕の事実だった。
「何の躊躇もなかったよ彼女は。ひたすら少年の体を切り刻み続けた。無論、当人の同意なしにな。薄笑いの中、メスを持ったその姿……かの七三一部隊の石井四郎の生まれ変わりかと思ったよ」
冬月はそのときの状況を思い出したのか、だいぶ青くなっていた。
「…だがそのガキ、生きていたのだろう?」
「ああ、紛れもなく生きていた」
そう言うと、酷く顔を歪ませた冬月。良心が痛んでいる表情だ。
「…飛び散る夥しい鮮血に、切り取られる肉の塊、そして子供の悲鳴……いきなり眼前で始まった生体解剖に、随伴の医療スタッフは皆が皆、私の陰で怯えておった。思わず神仏に祈っておった。この私ですら生きた心地がしなかったくらいだからな」
深呼吸した後、言葉を続ける。
「先ず試しに腕をくっつけてみた。結果は……縫合の必要すらなかった。瞬時に接合、いや融合したのだ。理由はわからん。傷さえ残らなんだ。拒絶反応も皆無。まさに奇跡だった。きっと赤木博士には何か予感があったのだろうな。女の感というやつなのかも知れん」
渇いた唇を舐め、追憶の表情。
「その後、確証を得た彼女は圧巻だったよ。これでお前が救えると確信したのだろう。狂気に似た笑みを浮かべながら、さらにメスを振るい始めたのだ」
一呼吸後、
「対してダッシュ君は悲惨だった……泣いて必死に許しを請うも、お構いなしに赤木博士に切り刻まれたのだ。まだ生きているその体から目、鼻、顎、そして脚……ありとあらゆるパーツが麻酔もなしに次々と取り外されたのだよ」
「ぬ…(汗)」
「さながら彼女は般若のようだった。我ながら震えがきたぞ」
「……」
俺様も、ちょっぴりオシッコ漏らしてしまったぞ(汗)。
しかし、やはりアイツは危ない女だったか。母親以上のマッドだな。うむ、なるべく早く手を切ることにしよう(汗)。
「そういえばあの少年、お前の名をずっと呼び続けていたぞ?」
「む…」
まさか贋者のくせして、また懲りずに父さん父さんとでも喚いていたのではあるまいな?(汗)
くっ、気持ち悪いことこの上ないわ!
「どうした? やはり忍びないか?」
「下らん感傷だ。それよりも、そのガキは死んだのか?」
「いや、頭と胸部だけになっても、まだ辛うじて生きているよ。ただこの一週間、ずっと意識は回復してはいないがね」
「……」
そんな状態になっても生きているとは……やつはバケモノか?
改めて右腕をさすった。かなり不気味だが、しかしこの際、贅沢は言ってられない。
「…あのガキの腕か、多少気持ち悪い気もするが…………むっ!?」
「どうかしたか?」
「いやなに……他人のを移植したにしては、やけに見慣れた形だと思ってな」
まず太さが違った。明らかに子供のそれじゃない。それに白子の皮膚にしては色が濃すぎる。しかも毛深いときた。造形にも見覚えがある。これじゃまるで──
「って、まんま俺様の腕じゃないか!」
思わず叫ぶように疑問を吐露していた。
この言葉に、冬月は少し考えるような仕草をした後、
「ふむ……鏡を見てみろ」
と言った。
「鏡? いきなり何を言っている?」
「いいから見てみろ。枕元の引き出しに手鏡が入っているハズだ」
「…いいだろう、見てやる」
命令口調に少しムカッとするも、俺様はガサゴソと手鏡を取り出すと、渋々と中を覗き込んだ。ナイスな男前がそこにいた。
「目を見てみろ。抉り取られたほうだ」
言われて、まじまじと見てみる……ぬっ!?
「これはどういうことだ? 瞳が黒いぞ?」
元々あのガキのものだとすれば紅眼のハズだ。しかしそれが黒かった。
「その目も腕も、お前と融合した途端に変貌を遂げたのだよ。お前の遺伝子情報を読み取ったのかも知れんな……これは飽くまで私の仮説だがね」
「……」
「手足は言うに及ばず、顎も歯、舌さえもな」
「ぬっ、歯や舌まで移植したのか!? …むむむ、ちょっと気持ち悪いぞ(汗)」
「我慢しろ。じき慣れる」
「くっ…」
この爺ぃ、他人事だと思って気楽に言いやがって!お前に何がわかるのだ!喩えるなら他人の入れ歯を洗わないで口に入れられたようなものだぞ、おいっ!
「──とまあ、私の話はこんなところだ」
「そうか……ぐおっ!?」
「どうした?」
「は、腹がいてえ…」
突然に襲った腹痛に悶絶する俺様。何なんだこの激痛はっ!?
「…ふむ、傷口が痛むのだろう。オピオイドが切れたのかも知れんな。また少し追加しておこう」
「なにっ!?」
慌てて入院着をはだけ、お腹を覗き見た。
「ぬおっ!!? ななな、何故ここだけ縫った傷があるのだっ!!?」
「…当然だろう。内臓は別に傷ついていなかったからな。移植するまでもなかった。消毒した後、そのまま押し込んで縫合したよ。えらい腹圧で戻すのに苦労したのだぞ?」
「くっ、全部が全部というわけではないのか……面倒なことだ………………むっ?」
突如、とある不安が脳裏を過ぎった。
「ま、まさかっ!」
ガバッとパンツの中を覗く。
「ぬおっ!? やっぱり無いっ!! 俺様の大事な宝玉が一つ無いではないかっ!! どーゆーことだ冬月ぃーーっ!!」
「そ、それは仕方がなかろう」
「仕方がないだとっ!? 仕方がないで済むかぁーーっ!!!」
あれは人類の半数の至宝なのだ!俺様だけのものではないのだ!失えば世の女たちすべてが嘆き悲しむこと請け合いなのだ!
「落ち着け馬鹿者。まさかそれも移植で済ませるわけにはいかなかっただろうが。それともなにか? その部分も他人のを使って構わなかったとでも?」
「ぐっ、言われてみれば…(汗)」
それだけは、それだけは絶対に嫌だ。何が悲しゅうて、他人の子種をせっせと作り続けねばならんのだ。女を抱いたはいいが、注がれたのは他人の子種……考えただけで最悪だ。
そんな中、冬月がポツリと呟いた。
「尤も、赤木博士は移植する気満々だったぞ……生殖器まるごとな」
「はい!?」
「お前の股間を見た途端、彼女の表情が変わってな。舌なめずりしたというか……あれは紛れもなく、お前の残った玉はおろか、真ん中の棒までちょん切ってホルマリンが入ったビーカーに入れて自宅に持ち帰ろうとしていた目だったぞ? うむ、間違いない。何せ、寸前でメスがぷるぷる震えていたからな」
「……」
「第二の阿部定事件が起こるかと思って、慌てて制止したのだぞ?」
「うぬぅ…」
俺様、危機一髪だったってことか。
しかし何てことするのだあの女は!
…まあ、俺様の尊い命を救ってくれたのだ。礼の一つくらいは言ってやろう。それでチャラだ。
「あーそうそう、後な、ついでに額にあった刺青も、皮膚を移植して消そうとしたのだがね──」
「おお、そうか! そいつは済まなかったな」
お前にしては気が利くではないか。だから額には真新しい絆創膏が貼ってあるのだな。
しかしあれは恥ずかしかったぞ……おちおち人前にも出られんかった。やれやれだ。うむ、感謝するぞ冬月、いや赤木博士のほうか。
「──いや、残念ながら駄目だったよ」
「な、なにっ!?」
またぬか喜びだというのか!?
「あーなんだ、皮膚の移植自体は上手くいったんだがな……暫くしたら真新しい皮膚の下から黒い文字が染み出すように浮き出てきたのだよ。何度やり直しても同じだった」
「そんな馬鹿なっ!」
信じられずに額の絆創膏をべりっと剥ぎ取る。そして手鏡に映る顔を食い入るように見た。だがやはりそこには見慣れた「肉」の文字があったわけで……俺様、ガックシと意気消沈。
「本当にまるで呪いだな…」
傍で冬月の声が小さく他人事のように聞こえた。
「しかし碇よ、あの少年はいったい何なのだ? とても人間とは思えんぞ。それにあの胸の赤いコアは…」
「コア?」
「そうだ。まさか彼は使徒なのか?」
「……」
俺様は答えてやらない。しかしそうか……やはりコアはあったか。
「私のほうで調べようにも、あの少年の素性については緘口令が敷かれていて、MAGIにもプロテクトが掛かっておったよ。そこで手詰まりだ。赤木博士ですら教えてはくれなんだ」
「……」
「だが私が思うに、あれはレイと同じで、紛れもなく使徒との混──」
「冬月」
「む、何だ?」
「今それを、お前が知る必要はない」
釘を刺しておいた。
「…副官であるこの私ですら蚊帳の外かね?」
「すべては心の中だ。今はそれでいい」
「…それで納得しろと?」
訝しむ冬月。かなり不満そうだ。
「問題ない。それよりも、そのガキ……ダッシュは、今現在どうしている?」
「…地下の調整層の中だ。後で見てみろ」
「いや、今見る。おい、少し肩を貸せ」
「…本気で言っておるのか、お前?(汗)」
半ば呆れる冬月。そういえばコイツがダルマさん状態なのを忘れていたぞ(汗)。
〜ターミナルドグマ〜
今は深夜、そしてここは地の底、ダミープラント。
ボード片手にテキパキと残作業をこなしていたところ、背後からの気配に、その白衣の女性は振り向いた。
「い、碇司令!? どうして──いつお目覚めになられたのですか!?」
「うむ、さっきだ。いろいろと世話になったようだな、赤木博士」
「あ、いえ……別に私は……(////)」
俯き、頬を染めるリツコ。
「やはり駄目か…」
白いハンカチで鼻を押さえながら、男は目を細め、神妙に呟いた。
視線の先には、ぶよぶよした肉塊がそこら中に散乱していた。それはダミースペアたちの成れの果てだった。
「可能なかぎり回収はしましたが、既にかなり腐敗が進んでおります。DNAレベルでも決定的な損傷を受けており、結論としては100パーセントの確率で再生は不可能です。司令、これではもう──」
苦渋の表情でダミーシステム開発の中止を進言しようとするリツコ。しかし、
「計画に変更はない」
「し、しかしっ」
「まだレイがいる」
「!…わ、わかりました」
リツコは頷くしかなかった。
「これがあの子供か…」
少し離れた区画、巨大な調整槽のガラスに手を当て、男は中をマジマジと覗き見た。そこにはダッシュと呼ばれる少年がいた。聞いていたとおり、上半身だけの、しかもズタボロの状態でそこに浮かんでいた。目と鼻は無残に抉り取られ、縫い付けられ、顔など見る影もない。いくら使徒モドキとはいえ、よく生きているものだ。
「…如何いたしますか? まだ辛うじて生きていますが」
「ふむ」
男は少し考えてみる。
既にパーツ取りとしての目的は果たしていた。早い話が用済み。他に使い道があれば別だが…。
「これがコアか」
直径十センチほどの赤い珠が、少年の胸から半ば露出していた。だいぶヒビ割れてはいたが、辛うじて機能はしているようだ。
「…これは使えるな」
「司令?」
そのとき──
《父さん…》
頭の中で微かな声が響いた。
「うおっ、何だ!?」
「恐らくテレパシーの一種かと思われます。どうやら意識が戻ったようです」
同じく受信したリツコが説明する。
「テレパシーだと?」
「はい」
(ぬぅ、脅かすんじゃない。だが、やはりバケモノだったか)
《父さん、たすけて…》
既に舌も顎も歯すらなく、ソレは声ならぬ声で切実に訴えた。大した意志の力である。
男は目の前の調整槽と対峙した。
「今の声は、お前か?」
《そうだよ、父さん…》
「何の用だ?」
《すごく苦しいんだ、たすけて…》
辛いのか眉間に皺を寄せ、それでも必死に懇願するダッシュ。
「助けて、か……フッ、いいだろう」
だがニヤリとする男。
《ほ、ほんとう?》
「ああ、本当だ…………その胸のコアだけは助けてやる」
《…え?》
咄嗟に意味を咀嚼できない少年。
「赤木博士」
「はい」
「丸ごと摘出して丁重に培養しておけ。いずれ使う日が来る」
「はい、ですが──」
生命維持に支障がでます、と言い掛けるが、
「構わん。やれ」
「…わかりました」
リツコはゆっくりと準備を始めた。
《──と、父さんっ!》
「バケモノに父さんと呼ばれる筋合いはない」
一蹴された。
だがそれでも諦めずに食い下がる。
《なんでさ!? なんでこんなことするのさ!? なんでだよっ!!》
「お前のコアは最大限に有効利用させてもらう。この俺様の大いなる目的のための礎となるのだ。誇りに思え」
《そんな……嘘だ……嘘だ……》
「フン、嘘なものか」
《っ!!》
信じていた肉親の手酷い裏切りに、くり抜かれた目から涙が零れた。
この期に及んでようやく後悔した少年だった。
《──裏切ったなっ!! 僕の気持ちを裏切ったなっ!! 前の父さんと同じに裏切ったんだっ!!》
「前の? 何を言っておるのだ?」
前世の因縁を知らない男は怪訝そうに首を捻った。そして、
「赤木博士」
「はい」
「やれ」
「…はい」
言われてリツコはマニピュレータの操作レバーに手を伸ばす。死刑執行の時間であった。
《や、やめてよリツコさんっ!》
「…悪く思わないでね。これも仕事なのよ」
この言葉が彼女の免罪符となりえるかはわからないが、リツコは言わずにはいられなかった。
《い、いやだっ!! 僕を見捨てないでっ!! 僕を殺さないでっ!! 助けてミサトさん!! 助けて綾波ぃ!! 助けてアスカぁ!! 助けて、助けて────助けてよっ、母さぁーーんっ!!!》
〜同時刻、某少年の家〜
『…ん?』
パチリと目を覚ました黒猫。
『…今、誰かに呼ばれたような?(汗)』
周りを見渡すが、当たり前だが誰もいない。シーンと静まり返っていた。
正確には、隣のベビーベッドに赤ん坊がいたのだが、スヤスヤと熟睡していて、これは対象外。
『…気のせいだったようね』
ふぁと欠伸すると、黒猫は再び瞼を閉じた。
〜再び地下の修羅場〜
そこでは既に少年の断末魔の声が響いていた。それは魂を削られるような悲鳴。
無情にも命ともいえるコアが取り出されたのだ、もはや数分とて持たなかった。
力が残っていれば、抵抗することも容易だったろうが、今の彼にはそれを望むべくもなかった。その能力はとある禁忌に触れ、最低ギリギリまで落ち込んでいたのだ。
「──まったく、ちょっと死ぬくらいでうるさい奴だ! 最近の子供は我慢が足らんのだ! 例えばちょっと指を切ったくらいでピーピー騒ぐ」
ちょっとは自分を見習えと、最後に加害者の男は総括した。…説得力ゼロだったが(汗)。
《……》
片や犠牲者たる少年、既に意識は霧散し、声すら出せない。もう自分が誰なのかすら、わかってないだろう。じきに、そして間違いなく──死ぬ。
そしてここは平行世界。さしものアダムと雖も、異世界での消滅を免れることなど不可能だった。
──そして数分後、碇シンジの一人はあえなくこの世界から退場した。
To be continued...
(あとがき)
遅くなりました。忙しさに感けてサボりました。m(_ _)m
今回、量は少なめですが、キリがいいので小出しします。
元々が、前・中・後の三つで一つの話なので、物足りなさと違和感があるかと思いますが、ご容赦下さい。なお、残虐シーンも稀にありますので、ご注意を。
中編、まもなく行きます。ぶっちゃけギャグです。後編もそれに続きます。こちらはサブタイトルに相応しい「取り」の内容です。ご期待下さい。
あと、時間がなかったので、前の話(十八話以前)を十分読み返してません(汗)。もしかしたら整合性に問題があるかもしれませんが、そのときは笑って許してね♪
さて今回、ついにクロが人間化しました。だいぶ彼女に甘い気がしますけど、これは後々の布石です。今は状況に流されていてOKです。
ダッシュ君は退場です。もう出てきません。
最後に、今は執筆に集中したいので、頂いた感想・質問等のお返事は、後編の公開後にさせて頂きます。ご了承下さい。m(_ _)m
では、中編で会いましょう。
次回もサービスサービスぅ〜♪
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