ヴァンパイアロンド

第一話

presented by 綾様


荒い息がはき出され、肩で息をする。茂みをかき分け、手に赤い線が走りすぐに消えた。
木々の合間から垣間見える、白い巨人。ショートカットの女性を形作った巨人は、所々崩れ、活動を停止していた。赤い夕日を背にまるで世界の終焉を題材にしたアートの様にも思えたが、それは違った。世界の終焉。それがテーマではなく、実際に起こったからだ。サードインパクトという名前で。
道のない森の中を走り続ける。疲労した体が、休息を求めストライキを起こしたかのように筋肉が痛んだ。止まるわけにはいかない。足を進める。今、この時も夢なのではないのかと疑ってしまう。サードインパクトにおいて実質的な被害は皆無だった。だがそれ故人は疑ったのだ。本当に何もなかったのかと。
サードインパクトは日本、第三新東京市を中心に全世界を襲った。今でも鮮明に思い出すことのできる、血よりも尚赤い、朱色の海。人の溶けた海。その課程は曖昧で、蜃気楼のように確たる形を持たず、胸の中に靄を張っていた。ただ一つ確信できたのは、現在に至るまでの全ての行為は、自分が望んだからだと言うことだけだ。
サードインパクトの課程で、望みさえしなければ、全世界に朱色の海を発生させ、生物を二人の例外を残して消し去ることなど無かった。そしてまた望みさえしなければ、生物は溶けた海から形を取り戻し、サードインパクトから十日間の記憶を残したまま再び大地を踏みしめることもなかった。
「がうがうがうがうッ」
後ろから聞こえた鳴き声に、振り向く。漆黒のドーベルマンが鋭い牙をむき出しに、躍りかかった。反射的に左腕で顔をかばう。だがそれは意味のないことだった。音もなくドーベルマンとの間に紅い壁が現れたからだ。
壁に衝突し、頭を振るドーベルマンは、戦意を失うことなく、その場でほえ続けた。
遠くで人の声がした。どうやら見つかってしまったらしい。
音もなく壁を消し去る。それを察知したドーベルマンが再び躍りかかった。
「ごめん」
手をつきだし、一言呟く。よく訓練されているだろうドーベルマンは、そのまま突き進み、
「ぎゃっ」
手のひらから伸びた光の槍に貫かれた。
生物を殺した確かな手応えに顔をしかめる。
ざわめきが近づいてきた。動かなくなった肉片を一瞥し、駆け出す。胸に確かな罪悪感を抱えたまま。

波が何か堅いものにたたき付けられる音が響く。一歩足が下がった。背後は眼下にたたき付けられる波が見える崖。正面には、
「かかれ!」
ドーベルマンが放たれる。迷彩服にサブマシンガンを抱えた戦略自衛隊の兵士が囲んでいた。
四方八方から放たれた軍犬を、紅い壁、ATフィールドで防ぐ。同時に兵士のサブマシンガンが火を噴いた。壁に接触し、火花が散る。ATフィールドを越えることが出来ないことに苛立ったのか、舌打ちが聞こえた。犬は攻めあぐね、兵士は策を練る。逃げることの出来ない追われた少年との間に膠着状態が続いた。
たまに思い出したかのように散発的な銃撃があるものの、グレネードや、手榴弾おも防ぐ絶対不可侵の壁の前には意味をなさない。いつの間にか紅く燃える太陽が海の彼方へ沈み、満月と星だけが頼りとなった闇に当たりが包まれていた。追うものと追われるもの、その拮抗を破ったのは、何重にも聞こえる空気が震える音だった。
「ヘリ?」
危険な夜間飛行を、自分を倒すために無理をおして行ったのかと想像する。だがそれでも負けることはないだろう。例え相手がロケット砲を積んでいたとしても、自身を守る壁は、核兵器をもしのぐ、N2爆薬でさえ壊すことが出来ないのだからと。
だからそれが姿を現した時、残り少なかった希望が、黒き闇へ変貌した。これまでだと。
何機ものヘリに守られるかのように姿を見せた機体。ロックが外されたのか、落下し地響きをたて着地した。暗闇の中でもはっきりと解る紅。人類の守護神、そして終焉への切符、人造人間エヴァンゲリオン、その弐号機だった。
「アスカ」
思い出すのは、悲しみの果て殺そうとした少女。かつて太陽のごとく輝いていた少女の細い手が、頬に当てられ呟かれた言葉。それを最後に朱の海へと消えた少女の専用機が何故此処に。頭を巡るのはただそれだけ。だから突然のことに対処が出来なかった。
「ハーイシンジ」
その抜けて明るい声。何時か病院で見た細くやせ細ったからだからは想像も出来ない、いつの日か、辛い中でも明かりを見いだせていた日々の声が蘇っていた。
「あんたNERVからサードインパクトの実行犯って差し出されたんだってね」
からからと笑う声からは想像も付かない内容。シンジはただ唖然と立ちつくした。
「私が何で来たかわかるぅ? 私はね、あんたに」
馬鹿にしたような声色。だがシンジは続けられる言葉を予想し体を震わした。
「復讐しに来たのよ」
楽しげな声から一変、闇よりの尚濃い、海底の底にたまるヘドロのように肌にまとわりつく、憎悪の声が発せられた。
瞬間エヴァ二号機の目が光った。自身を球体のように包んでいた壁がかき消える。かけ声とともに放たれる銃弾。熱せられた棒を体に差し込まれたかのような痛みが襲う。どのような状態からも復元する体には一瞬の痛み、しかし絶え間なくたたき付けられる銃弾の雨の前ではまるで拷問のようだった。だがどれだけ傷を作っても、それは致命傷にはならない。例え脳や心臓を貫通したとしても、体が死を認識するまでの僅かな時間だけで再生するからだ。
「下がりなさい」
銃弾がやむ。森の中にたたずむ二号機が揺れた。外部スピーカーから何かが呟かれた。
「…してやる」
「アスカ?」
理解できなかった。いや、想像は付いていたのだろう。ただそれを理解したくないだけで。
「殺してやるっ!」
叫び声とともに、二号機が吼えた。次元の違う存在感に、背筋が凍る。
大地が揺れた。二号機が歩き出したのだ。一歩、また一歩とまるで得物を追いつめるかのように、歩む。巨人の一歩は大きく、あっという間に距離を詰めた。伸ばされる右腕。思い出したかのように、体を動かし、逃げようとするが、大きさが違った。
「ア、 スカ」
握りしめられた手のひらで、蠢く。圧迫感が体を支配していた。
「アス、カ何、で」
何故だと、叫ぼうとしたが、つぶれたような声しか出ない。何がアスカを駆り立てるのか、それが解らなかった。
「ねえシンジ」
甘い声がスピーカーから漏れる。
「どうやって殺してほしい? このまま握りつぶすか、地面にたたき付けるってのも良いわね」
愉悦に浸った声が残酷な未来を告げていた。
「でも、そう簡単には死なせないわ。だって、大切な復讐なんだから」
笑い声が漏れる。その事に死よりも尚激しいふるえが襲った。途端、握りしめられる力が増す。
「決めた。このまま握りつぶしてあげる。何回も何回も繰り返して、自分から死にたくなるくらい痛めつけてあげる」
肋骨が折れ、肺に刺さる。漏れ出す息とともに赤黒い血が吐き出された。体は再生しようと力に対抗するが、圧迫感はいっこうに弱まらず、逆に強くなっている。
腕が、骨盤が、足が、首から下のありとあらゆるものが潰れていく。意識がもうろうとなり、遠くで聞こえる笑い声の中、何かが見えた。
なおも強まる力に、意識が飛び始める。ノイズのように笑い声が聞こえ、映像がはっきり見えてきた。
置き忘れたかのように暗闇の中に置かれているのは、金をあしらった箱。ゲームの中に出てきそうな宝箱だった。
現実の何もかもを忘れ、その宝箱に強い興味を抱いた。注視する中、まるで焦らすようにふたが開かれていく。
ふっと、力が緩んだ。遠のく映像。体が自己再生を始め、瞬時に痛みが無くなる。
「さすがね。バカシンジって言っても、使徒は使徒。さあ再開しましょ」
息つく暇も与えず再び、圧迫感が襲いかかる。加減が解ったのか先程よりも強く、それでいて完全に潰れない絶妙な力加減で握りしめられた。
音を鳴らして再生した物が折れ、潰れる。痛みに気が遠くなり、またしても宝箱が現れた。
ほの暗い笑い声を耳に、開いた状態の宝箱を覗き込んだ。目も眩むような閃光。宝箱の中には、文字通り極上品と思われる宝石が山となり詰め込まれていた。
宝箱が消え、散乱する宝石。光が無いにもかかわらず色とりどりに輝く光景に、現実も忘れ見入った。何故か懐かしい感覚に、ずっと、永遠に止まっていたいと心が泣き叫ぶ。圧迫感が消えた。体が再生する感覚がしたが、目の前の光景は変わらない。もっとよく見てみたいと思い足元を見る。自分の足がないことに気が付いたが、それは些細なことだった。足下には、どうやって紛れ込んだのか、この場に似合わない灰色の球体が転がっていた。昔河原で見たことがある石にそっくりだった。残念に思った。この、国が開く宝石展にも引けを取らない場所でただの石が転がっているのだ。
それはただの気まぐれだったのかもしれない。石の側に転がっている色鮮やかな宝石を取らず、その石を手に取ったのは。石を放り出すという思考ではなかった。割れ物でも触るかのように石を手に取り眺める。やはり何の変哲もない石だ。放り出すことは考えられなかった。散らばった宝石は確かに美しかったが、何故か自分には石こそ相応しいような気がしたのだ。此処まで来ても自分に自信が持てない。その事に苦笑いし、石を元の場所に戻そうとしたとき、石が光った。光が治まり当たりを見渡すと、ただ暗闇が続いているだけで、輝いていた宝石は何処にも存在しない。いつの間にか握りしめていた手のひらを開く。手の中には、くすんだ赤紫色をした玉が乗っていた。どこかで見たような気がする。記憶を探り、思い出し目を見開く。玉は、大きさこそ違え第三新東京市に来てから幾度と無く戦った怪物、使徒達の弱点。コアと呼ばれる球体と全く同じ色だったからだ。
コアは重力を感じさせない動きで目の前に浮いた。ゆっくりと近づきやがて消える。体の中に入り込んだのだと何故か解った。それと同時に、強いイメージが浮かぶ。心臓の位置からコアをえぐり出すイメージが。
「がはッ」
とてつもない握力で握りつぶされる感覚に、現実に戻る。
「シーンジ。何ぼんやりしてたの。あんたはそんな資格すらないのよ」
それを思い出しなさい。次の瞬間二号機は腕を大きく振りかぶり、シンジを地面にたたき付けた。
真っ赤に染まる地面。飛び散った肉片がその酷たらしさを表現する。
「あら、無敵シンジ様も死んじゃったかしら」
楽しささえ感じさせる声。それに反応したのか、飛び散った肉片が蠢いた。潰れていた頭を中心に、砂糖にアリが群がるかのように、肉片と肉片が集まり融合し体を再生した。
楽しげな声が聞こえた。それを意に介さず、紅い壁、ATフィールドを張った。
バカにした笑い声が響く。何のつもりなのだと。ATフィールドはエヴァで中和できることを忘れたのかと。だが確信があった。破ることが出来ないと。何故かは解らない。ただ、意識の奥の奥、最奥から囁く物があった。アダムとリリス、そして第十九使徒として目覚めたコアの力は、紛い物エヴァンゲリオンなどに負けることなどありはしないと。
甲高い、爪で黒板を引っ掻いたような音が響いた。ATフィールド中和の音だ。耳を押さえ顔をしかめる。音はなかなかやまない。
「それが、それが実力って言いたいわけ!」
怒り狂った声。それとともに不愉快な音が消えた。しゃがみ込んだ二号機は右手に銀の槍を持ち振りかぶる。
「死ねぇ!」
音速で振るわれた槍。距離とも呼べない距離を一瞬で詰め、
「えっ」
二号機にも破れなかったATフィールドを貫き、二股に分かれた槍の先端が腹に刺さり、そのまま海の彼方へ吹き飛ばされる。
「あ、あああぁぁぁぁぁあぁっぁぁあ!」
身を折り曲げ、顔を歪める。何かが体の中に入り込んできた。このままでは自分が自分でなくなってしまうと、理屈でなく本能が危機を覚え、体から槍を抜こうと、電信柱のような先端を力強くつかむ。
瞬間、悪寒が走り、つかんだ手のひらから葉脈のような物が浮き出た。否、浮き出たのではない、槍から浸食されたのだ。痛みとも快感とも付かない感覚を耐え、一つ、また一つと風圧に逆らい体を槍の先へ進める。
体に入り込んだ何かが撤退する感覚とともに、両腕に重りが加わった。槍から抜けた体が瞬時に再生する。ほっと一息ついた刹那、息苦しいことに気が付いた。周辺を見渡すと、雲が下に見えた。
背筋に汗が浮かぶ。依然零号機が投げた槍は大気圏を突破したことを思い出したのだ。慌てて槍から手を離す。慣性に従い風を受けながら、落下していく。ただ流石にこの高さから落ちたら死んでしまうと、危機感を覚えた。
ATフィールドを張り体を守っても、衝撃は遮断できない。フィールド越しに伝わる衝撃で体が潰れるだろう。では、友であった使徒の様にフィールドを使い空を飛べばどうだろうか。生き抜くことが出来るだろう。その技が使えたら。十日間という短い期間でフィールドでの攻撃や、円形に包むことは習得できたが、空は飛べない。そもそも友であった使徒のことは考えないようにしていたのだから。
厚い雲の層を突破し、眼下に黒い夜の海が見えた。思考を回転させ、手段を考える。顔が輝いた。たった一つだけ手段が思いついたのだ。底なし沼。正式名称ディラックの海。それさえ展開できれば、命は助かる。ただ本当に助かるだけで、脱出手段がないのが痛手だが、何もない孤独に耐えられるのなら成功すると確信があった。幸い体は何も食べずに存在できるのだから。
躊躇したのは一瞬。孤独に耐える自信はなかったが、初号機が脱出した前例から脱出手段があると確信し、何よりも生き抜くために、展開する。
暗い海よりも尚暗い闇が、眼下に広がった。初めての展開。それが成功したことを神に感謝し、闇に落下した。
闇を抜け、白い空間に出るのだろうとの予想は、見事にはずれた。背中を強打し、見上げる空は青みがかった満月が浮かんでいた。
「ねえ」
声が聞こえ、素早く立ち上がる。この身は追われているのだから。ただ、今まで聞いたこともない、まさに鈴を転がすような声色に、声の主を見てしまう。
そこにいたのは同い年ぐらいの少女だった。短く切った黒髪。磁器のような白い肌を漆黒のドレスから覗かせ、世界最高の職人が作る石膏像よりも尚整った顔。月が反射しているのか金色に輝いた瞳を向け、小さく結ばれた桜色の唇を振るわせた。
「貴方、誰」
「可愛い」
漏れ出た言葉に慌てて両手で口を閉じる。普段の自分なら絶対に言わないであろう言葉に赤面した。それでも目線は少女から離さない。
少女は何を言われたのか理解できていないようで、目を瞬かせていた。
「可愛い。この私に向かって可愛い」
ぽつりぽつりと確かめるように、声に出し確認する。虚ろな瞳から、再び意志の強い瞳に変え、詰問する。
「何者ですか」
何処か威圧的な言い方だった。金色の瞳を見つめながら、考えを巡らす。サードインパクトを起こした世界的犯罪者を、知らない? そして今立っているところが石畳のバルコニーである事を理解し、予想した。目の前の少女は相当世間に疎い、と。
「答えなさい、何者です」
気のせいか、金色の瞳が輝きを増したように見えた。
「あ、あの、サードインパクトって知ってる?」
恐る恐る尋ねた答えが気に入らなかったのか、少女は顔をしかめ、睨み付けた。
「聖書、教会の回し者ですか」
「あ、いや知らなかったなら良いんだ。僕、碇、碇シンジ」
安堵のため息を吐き、微笑を浮かべ少女の名前を聞いた。少女は顔を紅くしながら、訝しげな声を出す。
「貴方、私が誰か知らないで来たのですか。わざわざ結界と警戒網を突破して」
少女の言葉に首をかしげる。警戒網という言葉は分かったが、結界の意味が分からなかったのだ。
その事が解ったのか、少女が目を瞬く。そしてうっすらと笑みを浮かべた。
「一般人ですか。なら何に巻き込まれて此処までやってきたのです」
威圧的な声色から一転、年長者が、幼子に語りかける様に慈悲にあふれた声色で話し掛ける。
だが答えられなかった。まさかパラシュート無しでのスカイダイビング中に、底なし沼を展開し潜ったら此処でした等と言えるわけがない。第三新東京市の人間か、NERVの人間ならそれで通っても、サードインパクトすら知らない少女が理解できるとは思えなかったからだ。
「さあ、遠慮せず話しなさい。場所さえ解れば無事に送っていって差し上げますから」
金色の瞳が輝きを増した。ぼんやりと綺麗だなと思いながら、もう片隅ではどうやってこの場を去るかを考えていた。確証はないが目の前の少女は、高貴な気配がする。あのアスカでさえ此処まで一般人離れした空気はなかった。それに何よりサードインパクトを知らないと言うことが大きかった。サードインパクトで解け合った生物は、種を越え相互理解したのだ。解け合ったことのないシンジだが、サードインパクトまでの課程でそれを理解していた。そして世界を再生するときにまるで外部から観察するかの様に認識した。
その後一連の事件についての報告がNERVより国連上層部へ報告された。全ては秘密結社SEELEと、実行犯、NERV所属サードチルドレン碇シンジの犯行だと。幸いにもNERVが妨害したため、真のサードインパクトこそ起きなかったのだと。
解け合いの中、惣流アスカがもたらしたその時の世界の状態は各国首脳も知っており、その報告を事実だと認識した。そしてSEELE首脳陣の逮捕と、行方不明の碇シンジを逮捕、戦犯として裁判にかけることが決まった。それと同時に公開されていなかったが処刑を実行する事が決まっていた。
そのニュースは世界各地に流れ、誰もが知っている情報となったはずであったのだ。
「どうかしましたか」
優しく微笑む少女に情報が伝わってほしくないと思いながら、バルコニーの策に手をかける。
「その、貴方の名前は?」
「アルトルージュ・ブリュンスタッドです」
最後に名前を聞いてから出て行こうと思い、聞いた言葉の返事は、耳元で囁かれた。腕を胴に回され、後ろから抱きしめられる。
「な、なにを」
「貴方がいけないんですよ。魅惑の魔眼にかからない貴方が。それに先程からとても良い香りがするんですから」
首筋がなめられる。焦るシンジに苦笑し、とろけた声でいただきます、と呟いた。
「あっ」
痛かったのは一瞬。甘い快感に声を上げ、かろうじて視界の隅に映ったのは、首筋に歯を突き刺しているアルトルージュの姿だった。

「姫様、これは」
「碇、シンジ君よ」
天蓋付きのベットが置かれ、オークを使った作業机と、繊細な彫刻が足の下まで彫られた椅子。来客と楽しむためなのか、丸テーブルと、朱色のクッションが使われた椅子。特別な模様を施していないクローゼットは、それでも尚艶光りして、さりげない高級感を醸し出していた。
薄い絹のカーテンが引かれたベッドに、横たわるシンジを、アルトルージュと、背の高い漆黒の衣装を身に纏った美男子が見つめていた。
「教会の手の者では」
元から鋭い視線を細め、殺気さえさえ漂わせる。
「それはないわ。彼は明らかにこちら側を知らなかった」
「擬態と言うことも考えられます」
腰に提げた背丈ほどの大剣ツーハンデットソードに手をやり、アルトルージュに視線を向けた。
「ダメよリィゾ。シンジ君を殺すことはしないで」
その意味を正確に受け取り、シンジを見つめる。
「ですが」
「出身は、東。清よりも更に遠い、極東の島国大日本帝国。それも昔から続く家系ね」
その言葉を聞いても、柄から手を離さない。そんな姿に呆れたのか、溜息を吐いた。
「貴方が安全のためを思っていることは知ってるわ。でもあの国に此処欧州まで人材を派遣する力がないことは知ってるでしょ?」
「ですが、かの国に存在する機関。退魔と呼ばれる連中の技量には我々死徒でさえ目を見張る物が御座います。良くて生まれたての死徒ほどしかない力だといえ、万が一と言うことも」
「許可しません。言っていることは正しいですが、それとこれとは別問題。貴方なら見たでしょう、先程シンジ君を着替えさせるための様子を。私は服の上からしか見てませんが、訓練を受けた者であることは同意しましょう。ですが機関の者にしては脆弱な筈」
バルコニーでの一件で、そこまで見抜いていた。それでもリィゾは柄から手を離さない。
「メイドが着替えさせた体つきは、素人に毛が生えた程度にしか感じませんでした。ですが、あの者の服は異常です。此処はやはり」
「いけません」
諦めないリィゾの声に、声に威厳を乗せ行動を束縛する。
「確かに、ぼろぼろの服は疑問が残ります。槍でなく、まるでライフル銃の一斉掃射にあったかのような有様。リィゾでなくとも警戒するでしょう」
「では」
「なりません。異常事態だと言うことは理解しています。この場をすでに知っている者以外に対する認識阻害の結界を始めに、捕縛結界、惨殺結界など幾重にも張られた結界(結界の上にまもりと表示して頂けると幸いです)を突破してきたのは、シンジ君が初めてでしょう」
絹のカーテンを抜け、安らいだ表情で眠るシンジの頬を撫でる。
「ですが、危険でないことは解りました」
「何故でしょう」
一言。たった一言だったが明らかな不満が現れていた。
「血です」
リィゾの眉が怪訝に寄せられる。
「彼、シンジ君の血液には、本来人間が持つべきものではない味がありました」
その味を思いだしたのか、うっとりと表情を変え、顔の筋肉が緩む。
「そうですね、ワインに例えるなら、雑でありながらそれなりに楽しめる赤ワインに、対極な極上の白ワインを混ぜたロゼのような味わいでした」
「白ワイン、ですか?」
リィゾの問いに、眺めていた視線を外し、見据える。
「ええ、それも極上の。人という脆弱な味に混じった、幻想種」
幻想種という言葉にリィゾの目が開かれる。
「それもおそらくは、誰も想像がしたことのない尊い種族」
「混血では」
困惑美味に、返す言葉はそれでも前例が存在する異常当たり前の言葉。
「いいえ、そうではないのです。あれは先祖の味ではありませんでした。もっと後天的なそれでいて先祖返り以外の何か」
「死徒では」
「あり得ません。死徒の血と間違えるほど落ちぶれてはいませんよ。第一間違えることができる物ではありませんでした。彼の血は、私達とは間逆、属性的に言うなれば光の因子が強い味でした」
柄を握る手に力がこもる。
「正体はわかりませんが、何にせよ手出しは無用です。私は彼を」
漆黒の光が走り、甲高い音が鳴り響く。
「何!」
はらりと舞う絹の切れ端の奥に驚愕の声を上げ、剣への力を込めた。
アルトルージュが見たものは、赤い光の結界で剣を防ぐシンジの姿。
状況を理解できないのか、シンジは素早くシーツをはがし、ベッドの端まで待避した。
それと同時に赤い光の結界、ATフィールドが下がり、追い打ちをかけることもなく、剣を引く。
アルトルージュは目にした光景を唖然と眺めていた。対処できなかった訳ではない。リィゾが攻撃を仕掛けたのは、シンジが目覚めたのと同時に無意識に展開したATフィールドに反応したからだと解っていたからだ。光の壁だと言うことは知らなかったが、シンジから行動を起こしたのだから、流石に庇いきれないと攻撃を許した。だが結果シンジが斬られることはなく、防御に成功していた。
あり得ない。そう思ったのは一瞬。瞬時に思考を切り替える。主と共に成長し、何の変哲もない大剣が成長した魔剣ニアダーク。その一撃をただの障壁で堪えた。何故だ。彼は魔術師なのか? だがそれでもおかしい、ニアダークの一撃は封印指定のそれでさえも容易く打ち破る。では、魔法使い? いやそれこそあり得ない。現存する魔法使いは五人。魔道元帥から新たな魔法使い誕生の報は受けていない。
そこまで考えて、思いついた様に目を見開いた。
まさか固有結界! あり得る。だが、
ちらりと対峙する片方、シンジが展開する障壁を見つめた。
あそこまで世界の修正を受けない固有結界の展開が可能だろうか? 確かに幻想種の味はした。それも珍種の。そして人間にしてはもったいないほどの純粋な魔力と、その密度。固有結界の一つや二つ簡単に展開できるだろう。だが固有結界は固有結界だ。世界の理(理の上にことわりとお書き頂けると幸いです)を曲げ、発生するもう一つの世界。それが世界の修正を受けないはずはないのだ。どれだけ高位な魔術師であっても、否例え魔法使いであっても、世界という巨大すぎる存在からの圧力はゼロにはならない。それどころか強すぎる力はより大きな修正力が働く。
二人は動かない。シンジは単純に状況が理解できないだけなのだが、リィゾにとってニアダークで切れない障壁を張るシンジにどう攻めようかと隙をうかがっていたのだ。
アルトルージュは二人の動きを見逃さない。恐らく赤い障壁は本当の姿で全力を出したとしても壊れないだろう。それで壊れる様ならば、すでにリィゾが行動に移している。
自信で否定しておいて何だったが、最早危険という言葉すら生ぬるい状況に、アルトルージュも全力を出そうと、したその時。
「あっ! アルトルージュさん! た、助け」
甲高い音が鳴った。何思ったのかリィゾが再度斬りかかったからだ。
強度が落ちていないことは解っていたはず。何故攻撃を。
内心首を捻り障壁を観察しようと目をこらしたアルトルージュの視界に面白い物が飛び込み、思わず笑みが漏れた。
「リィゾ、引きなさい」
「しかし」
渋る黒騎士の名をもう一度呼び、なんとか剣を収めることに成功する。
「シンジ君」
はいぃと情けない声があがり、ますます笑みを深めた。
「事情、説明してもらえるかしら」
攻防の時のシンジは、戦いをする目ではなく、むしろ戦場に彷徨い出た一般人の困惑して泣きそうなそれだったからだ。



To be continued...
(2009.04.18 初版)
(2009.04.25 改訂一版)


(あとがき)

初めまして綾と申します。
このたびはヴァンパイアロンドをお読み頂きありがとう御座います。
さて、本作品はタイプムーン様とのクロス作品となります。話の都合上、シンジはアルトルージュに噛まれる事になっておりますが、すでにそういった設定を成されておられる樹海様に許可を頂き掲載させて頂いております。
今後とも宜しくお願い致します。



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