「――唐突ですが、第五使徒来襲です」
発令所の一角に何時の間にか設置されていた畳と卓袱台の純和風セットで、茶を嗜んでいたメタトロンが平静に告げた。
センリ同様、無理矢理居付いた口である。
『余裕だね、メタトロンさん……』
既に初号機に搭乗したシンジが、若干呆れたように言うが、
「イエス。常に侍女は平静を保ち、速やかかつ確実に仕事をこなす――当然の事だと進言します」
熱い茶を二つの湯飲みに注ぎ、立ち上がったメタトロンは、コンソールに目を走らせるリツコと、頭を掻き毟って画面上の使徒を睨みつけるマコトに、其々手渡した。
「――首尾は如何ですか? 赤木リツコ様、日向マコト様」
「最悪の一歩手前って、ところかな。……迎撃に当たったUNは壊滅、此方でも対空装備を総動員させたけど――ヤツの攻撃一発で、消し飛んだ……」
「敵の主な装備は、今までの二体とは段違いの防御力を誇る要塞並のATF。其れと、超長距離射程と超威力を誇る加粒子砲……性質の悪い冗談と悪趣味なSFメカを濃縮還元したような、攻守共に穴の無い砲台要塞よ」
苦虫を噛むように、二人は熱いお茶を一気に流し込む。
そして、申し合わせたかのように、同時に咽た。
「……あ、熱ぅ……ッ!? メタトロンさん、何かこのお茶目茶苦茶熱いんだけど……」
「イエス。愚問だと進言します、リツコ様。昔の人とマスターは言いました――暑い時にこそ熱い物を飲め、お茶は熱い物が美味い、と。故に番茶に最適な華氏二百度でご提供しました。ついでに通好みにあぶくを立ててみました」
「大体は合ってるんだけど、根本的な何かが間違ってる……ッ!」
焼け付く喉を押さえて、涙目のマコトは息も絶え絶えに突っ込みを入れた。
――微妙に緊張感が無い。




神を狩る罪神 〜The description of end of gods〜

第六話

presented by ガーゴイル様




「……葛城さんとセンリさんは帰ってこないし、対空兵装は殆ど破壊された――御免、シンジ君。君一人に、全部背負わせてしまって……」
『気にしないで下さい、日向さん。――お陰で避難の時間も稼げましたし、敵の戦力も大体は把握出来ました。大丈夫、何とかしますから』
気軽な感じで、言葉を返すシンジ。
マコトは僅かに表情を緩め、
「――有難う。じゃあ、作戦を説明するよ。見た所、ヤツの攻撃は一度に一方向――つまり、同時に二つの目標を攻撃する事は出来ないみたいなんだ。残存兵装ビルで一斉射撃を行うから、その隙に死角と為っている対角方向から必殺技みたいなのをぶちかましてくれ」
了解、とシンジが答える。
「イエス。――御心配なさらずに、シンジ様。いざとなったら私が――」
「大丈夫、シンジ君。彼方は私が護るから……」
メタトロンとレイが、同時に通信端末にそう告げる。
そして、二人は互いに険しい視線を飛ばし――
「引っ込んでいなさい、泥棒猫娘レイ様。――貴女の零号機では、戦力が著しく欠けます」
「使徒を倒すのはチルドレンの役目。――引っ込むのはそっちよ、ポンコツ腹黒メイド」
「概念核兵器装備とはいえ、近接戦を主に置いた武神での遠距離戦は、得策とは言えないわ。零号機は言うまでも無く戦力不足。――二人とも的にしかならないんだから、戦闘待機していなさい!」
喧嘩する二人を見かねて、リツコが特大の雷を落とした。
二人は、びくりと背筋を震わせて――
「「……はい」」
その場に正座して、仲良く返事。
最近、雷親父ならぬ雷お姉さんの役職が板についている、リツコだった。




――夜空に浮かぶ、蒼き結晶要塞。
あらゆる存在を焼き払う雷の使徒ラミエルは、第三新東京市への侵攻に成功した。
しかし、その幸運も此処までのようだ。
周囲の建造物に隠された、抗いの牙がラミエルに殺到する。
爆発、爆発、爆発。
勿論、ラミエルにはかすり傷ほどのダメージも無い。
だが、これでいい。
あくまで、これは陽動。
弾薬の雨は、ラミエルを中心に十時の方角から襲い掛かる。
――そして、四時の方角の大地が、鳴動する。
ビルにより巧みに隠された発進口が、大きく開ける。
現れたのは――紫の鬼神。
腕組みをし、仁王立ちの構えを取った其れは、既に臨戦状態だ。
――筋肉が、骨が、神経が。
軋みを立てて、必殺の一撃を放とうとする。
斬、砕、破、壊、滅。
全ての結果を兼ね備えた、正に必殺に相応しい一撃。
だが――
ラミエルは弾幕の嵐を一切無視し、初号機へと砲門を向ける。
――破壊の鬼神を、最大の脅威と判断したのだ。
一瞬のタイムラグを置いて、光輝の魔弾が夜闇を斬り裂いた。




「しまッ……」
マコトが臍を噛み、拳をコンソールを叩きつけようとした、その時だった。
「――ッ!? 待てッ! 二時の方向から、巨大なエネルギー反応――ブラッドパターン・ノーマル……ええ!? に、人間ですッ!」
モニタを覗き込んでいた青葉が、素っ頓狂な声を上げた、その時だった。
「――何、慌てる事は無い」
――涼やかな声が、喧騒に満ちた空間に響く。
皆が、目を向けると其処には――
「馬鹿が、馬鹿をしに来た。そういう事だ」
センリが、威風堂々と佇んでいた。
「い、何時の間に……」
相変わらずの神出鬼没さに、思わず青葉が突っ込みを入れる。
だが、センリは一切意に介さず、
「ははは。私は何処にでも居る。距離や時間など、私にとって些細な問題だ」
「イエス。――マスターは何処にでも現れます。あえて例えるならボウフラやゴキブリ並みに。――皆様、流し台の下やテレビの裏等の薄暗くて適度に湿気と暖かさを併せ持つ場所を念入りに掃除する事をお薦めします」
「……何気に私を虫扱いか? ポンコツ人形」
「イエス。――其れは全くの誤解です、マスター。……まだゴキブリやボウフラの方が静かで扱い易いだけマシかと」
「分解して廃品回収に出してやろうか……ッ!」
「漫才してる場合じゃないですよッ!!」
互いに必殺の一撃を繰り出そうとする二人を押し止め、マコトが叫ぶように言った。
「――センリさん、葛城作戦部長は!?」
「ああ、其れなら――」
指運の動き。
指し示したのは、上部巨大スクリーン。
彼女は、何の感情も籠めず、
「あそこだ」
スクリーンには、闇色の空を割く一条の光閃が映し出されていた。




……いける。
天空を疾走するエアバイク――概念兵装“スレイプニール”――を操作し、女性は心中で呟いた。
天を駆ける、前後の車輪を排したその鋭利なフォルムは、神の騎馬の名に相応しい。
其れに跨る彼女の姿は、一言で表すなら……異様。
装甲服を加工した長い薄紫色の外套、下地には軍服を模した黒い簡易装甲服。
サイズがキツイのか、ベストの上からでもはっきりと解るぐらいに豊満な肉塊が揺れている。
最も特筆すべきは、その容貌だろう。
顔の上半分が――銀の輝きを放つ仮面に覆われていたのだ。
黒い長髪を靡かせ、仮面の下から夜空と使徒を見据え、彼女は天を駆ける。
「――スレイプニール、スピードアップ!!」

・――光は道を示す。

機体の前部から、眩い光が発せられる。
光は軌跡を描き――空を縦横無尽に駆け巡る。
正に光の道。
スレイプニールは、光の道に沿って――加速!
超加速により、全身に水蒸気の霧が発生。
全身で霧のこそばゆい感触を感じ、彼女は叫ぶ。
「伊達に数週間、地獄は見てないわ。――覚悟しなさい、第五使徒!」
逆さまに視界が切り替わる。
頭上に大地、下方に天空を置き、彼女は外套の中に手を突っ込む。
取り出した手に握られていたのは、奇妙な武器。
センリが現代火器を元に、暇潰しに概念加工したものだ。
ぶっとい銃身の其れを、脇に抱え――
「装備は充分――受けてみなさい、私の熱い青春」
狙いもそこそこに、ぶっ放す。
瞬間、空間に声が響いた。

・――想いは如何なる護りも貫き通す。

全ての防護をぶち破る、彼女の理力。
ありとあらゆる障害を貫く、真っ直ぐな意思。
一直線に、蒼き浮遊体を狙う魔弾。
今にも光を発射しようとしていたラミエルは、鬱陶しそうにATFを張る。
だが――
魔弾は易々と防壁を貫き、着弾。
丁度、加速器の辺りに命中し、強力な爆音が炸裂。
――此れが、モニタに映った一部始終だった。




『…………』
一同、揃って絶句。
一部を除いて。
「――数週間の突貫訓練の成果が出たな」
「イエス。まずまず、と判断出来ます。――中々の仕上がり具合ですね、マスター」
「人間、死ぬ気というより何度か死に掛けた方が、確実という訳だ。――実際何度か船に乗ったそうだぞ」
「イエス。さらりと外道な事を吐きますね、流石はマスター」
……卓袱台で、茶菓子を食べながらティータイムと洒落込むセンリとメタトロン。
爆発的に緊張感が無い。
そして、
「……ライダーだ」
リツコの隣に居たレイが、か細い声でそう呟く。
「……レイ?」
「顔面ライダーだ……」
敵毎に顔を交換して戦う、新感覚ライダー。
最近、顔がパンなヒーローとネタが被っていると評判の番組だ。
レイが現在、ハマっている番組である。
「――最近、DVDレコーダーが欲しいって言ってきたのは、其れが原因か……」
がっくり、と、疲れたように肩を落すリツコ。
「しかし……」
リツコは、モニタを疲れた視線で見やり、
「何やってんのよ、ミサト」
縦横無尽に暴れ回る正義の味方ちっくな友人に、溜息を贈った。
マコトはというと――顎を地面に突き立てて固まっていた。
どっとはらい。




「まだまだぁッ!!」
スレイプニールを自動操縦に切り替え、ミサトは座席上に立ち上がる。
弾が尽きた大型火器を外套に収納し、両腕を大きく振る。
金属音を立てて、袖の中から重厚な銃器が現れた。
右腕に肩で担ぐタイプの大型長銃、左腕には大型回転重機銃。
両方共、明らかに巨大過ぎるが。
ミサトは二つの銃口を使徒へと向け――
「――ファイヤッ!!」
無数の凶弾がATFを貫いて、蒼い結晶体に無数の傷を刻む。
機殻された武器のお陰で、使徒には充分とまでは行かないが、確実にダメージが与えられる。
――数週間に及ぶ地獄の特訓は伊達ではない。
戦闘訓練、スレイプニールの操作方法、概念を主に置いた座学。
文字通り命懸けな毎日だった。
何度、川の岸辺で父に再会したか解らないほどだ。
船頭や脱衣婆とも、すっかり顔馴染みになってしまった。
そんな事を考えていると、耳元で甲高い警告音が鳴った。
仮面内に組み込まれた様々な装置が、あらゆるデータを弾き出し視界に映し出す。
見ると、使徒が加速器にエネルギーを巡らせ――自分を狙っていた。
先ずは、鬱陶しい羽虫から片付ける腹積りか。
「――あたしを撃ち落そうっての……甘い!」
弾を撃ち尽くした武器を再度収納し、ミサトは自動操縦を手動操縦に切り替え直した。
その瞬間、光の帯が騎馬に向かって発射された。
「速いけど――あんたの攻撃は馬鹿正直なのよ!」
真っ直ぐにしか発射されない魔光を易々と避け、ミサトは吼える。
「センリちゃんの攻撃に比べたら――凄まじく温過ぎるわ!!」
半分涙目だ。
余程辛い目に遭ってきたのだろう。
同情する。
「――シンジ君、聞こえる!?」
仮面に内蔵された通信機構を立ち上げ、ミサトは初号機との回線を開き、呼びかけた。
『――ミサトさん!? アンタ一体何やってんですか!? ――いい身体してますが年考えて下さいよ!!』
「戦闘が終わったら覚悟しなさいエロガキ。――其れより、いい作戦在るんだけど、乗らない?」
――子供っぽい笑みを浮かべ、
「あたしの攻撃じゃ、ヤツに致命傷を与えるのは難しいわ。――派手なの一発ぶちかまして注意を引き付けるから、その内に止めをお願い」
『――大筋はさっきの作戦と一緒……。了解しました。――無理はしないで下さい、ミサトさん』
「女を気遣いたいならもう少し大人になりなさい、チェリーボーイ。――三つ数えて、スタートよ!」
ミサトの檄が飛ぶ。
初号機はベスト位置に移動すべく、行動を開始。
――其れを見逃す程、使徒は馬鹿ではない。
ふらつく身体を立て直し、加速器にエネルギーを注ぐ。
だが――
「――1ッ!」
鋼鉄をも紙のように貫く機殻式大型ライフルが火を噴く。
巨大な弾丸が巨体を抉り、喰い込むと同時に爆散。
更に二発、三発と弾丸の強襲は絶えず使徒を苛む。
その内一発が加速器にぶち当たり、巨大な皹を作り出す。
『――2ッ!』
使徒の攻撃が止んだのを見計らい、初号機は溜め込んだエネルギーを全て移動力に変換。
精神が戦闘型に切り替わる。
この状態、シンジの思考は灼熱に満ちた冷静へと変わる。
敵を倒す、皆を護る。
この二つのみが、彼の思い。
初号機の全身が筋肉により倍化し、例の如く顎の封印が砕け散る。
獣の咆哮と、天の炎雨が、戦場協奏を奏でる。
「『――――3ぁぁぁぁぁんッッッッ!!』」
ミサトの外套が大きく翻り、中から大量の重火器が出現。
普通の人間なら反動だけで骨肉が砕けるであろう其れを、ミサトは有りっ丈抱え、全ての引き金を無理矢理引いた。
初号機の脚部が地を蹴り、真空をも斬り裂く宝刀の蹴撃が天を割く。
――弾幕と宝剣が、蒼き天使を堕落へと導いた。




――誰もが勝利を確信した、その時だ。
第三新東京市の地下深く――ジオフロントよりも深い“其処”で、何かが蠢いた。
原因は、上の戦闘だ。
今回で三度目にも及ぶ戦闘の所為で、眠っていた何かは完全に覚醒へと至った。
――行かなければ。
意思を知る為に。
――行かなければ。
受け継がせる為に。
――行かなければ!!
自らの名を、真意を、過去を問う為に!
其れは――灼熱と共に大地を食い破った。




大地が大きく鳴動する。
発令所に居た面々は、戸惑いを隠せない。
「――何、一体!?」
「……地震です! 震源地は――此処、第三新東京市……真下です!」
マヤが、泣きそうな表情で報告する。
同時に、メタトロンの眉がピクリと動き――
「――マスター。巨大な自弦振動反応を感知。タイプ・2nd――……ッ!? 概念核レベルのエネルギーです!!」
メタトロンの報告に、センリの眉が跳ね上がった。
「何……ッ!? 2ndの概念核と言えば――八又か! 糞……度重なる騒ぎの所為で、完全に目覚めたか。数月は持つかと思ったが……見事に見誤ったようだな」
珍しく焦った様子で、センリは自嘲気味にそう言うと、
「――NERVの皆様方。使徒の脅威は去ったが……如何やら、使徒よりも厄介なヤツが現れるぞ――」
彼女がそう告げたと同時――

大地が爆鳴を上げ、焔の柱が堂々と聳える。

スクリーンが、焔一色に染まった。




目の前の焔が、形を変える。
生きているかのように。
意思が在るかのように。
――焔が八方に広がり、空を覆う。
紅き縄の如き、八方向に分かれた、その姿。
――否。アレは、首だ。
紅きその太首の先端に、焔が収束していく。
現れるのは、爛々と不気味に輝く両眼を持つ、凶悪な竜の面。
一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ。
八の首で天地を睨み、ソイツは――
生誕の喜びと、堕胎の憎しみを籠めた旋律をこの世に解き放った。
世界を砕く、この世為らざる異界の咆哮。
叫びは焔と為り、あらゆる物を飲み込んでいく。
咄嗟に初号機とミサトは直ぐ傍の射出口へ飛び込み、地下へと潜った。
其れは、正に僥倖。
――逃げ遅れたラミエルは、あっという間に焔に囲まれ……
欠片一つ残さず、この世から焼滅した。
大地は焔の海と化し、天空は炎竜の居城と為ったのだった。




――その圧倒的な力に、人間達は戦慄し、立ち尽くした。
蒼白な顔で、リツコはモニタを凝視し、誰とも無く呟いた。
「何なのよ、アレは……」
その疑問に答えたのは、メタトロンだった。
彼女は、何時も通りの鉄面皮で、
「イエス。アレは2nd-G概念核――炎竜八又です。名付ける事により力を与える“名称概念”を統べる存在であり、世界そのモノです。間違っても、人間が力技で勝てる相手ではありません」
アレは、人の手に負えるものではない。
「……アレが、概念核」
……まるで生き物じゃないの。
リツコの小さな呟きが、静まり返った空間に響く。
――何時の間にか、センリの姿は消えていた。




八又と距離を取りつつ、センリは兵装ビルの屋上で彼の存在を見据えていた。
その瞳は、焔よりも深く、濃い、真なる紅。
概念で熱を防ぎ、彼女は深く吐息。
「このタイミングで覚醒とは……余程NERVは、運命に嫌われていると見える。私ならば、もう少し面白おかしくバイオレンスで喜劇かつ悲劇的に、演出するのだが……」
去年孤児院で公演した演出・脚本・監督共に神狩センリの童話時代活劇“怪傑赤頭巾”など、その最たるものだ。
自我を奪った熊に跨って、自由気ままに森の動物を銃殺する赤い頭巾の少女の半生を綴った物語。
特にラストシーンの、祖母の敵である狼と刺し違える場面は、涙無しでは見られない。
現在、暇を見て続編である“七人の赤頭巾 荒野の鉄砲足軽”を執筆中。
「来年の劇が楽しみだ。――さて……」
袖の中から、蒼い結晶柱を取り出す。
数は八。
丁度、八又の首と同じ数だ。
表面に複雑な紋様彫刻が施された其れは、赤い光を受け、紫色に光り輝いている。
生身の指で、文字をなぞる。
淡い光。
「――散」
言霊を紡ぎ、投げ撃つ。
まるで導かれ、そして引かれ合うかのように、結晶柱は八又の鼻先まで一直線に向かう。

「――概念遺伝詞、抽出具現。世界構成骨子、算出。概念核、強制接続開始――」

――機械の腕から、文字と光が紡がれる。
センリの言葉は、神の言葉。
世界から彼女の望む力が導き出され、形となる。
舞い、踊り、廻る。
結晶と光と文字が合わさり、互いと互いを繋ぎ合わせ――
「――接続完了。自弦振動、干渉開始。全工程、一斉開始」
 
――八又は、蒼き檻へと囚われた。

紅き焔龍は蒼き鎖と格子に閉ざされ、もがくように咆哮する。
だが、如何にもならない。
「無駄だ、八又。私が貴様を滅ぼす事が出来ないように――貴様が私に、勝てる訳が無い」
其れは、絶対不変の法則。
守護神と世界の間で交わされた、決まり事。
神は世界を護る。
故に、神は滅ぼす事は出来ない。
故に、世界は勝てる訳が無い。
「滅ぼせないのなら――封じれば良い」
生身の腕と、鋼の腕を、重ね合わせる。
そして、彼女は全ての工程の完了を意味する言葉を、紡いだ。

「――概念空間、展開」

世界が歪む。
金属に酷似した、甲高い音を立てて。
其れは、隔たりを意味する音色。
世界の中に異界が生じる。
見る事も触れる事も出来ない、全く出鱈目な常識と法則が支配する世界が生じる。
檻に囚われた八又と、ビルに佇むセンリは……当然とでも言うかのように、忽然と消えた。




「き……消えた!?」
モニタを注視していたマコトから、驚きの言葉が漏れた。
当然だろう。
空を覆っていた、巨大な火炎龍が突然消えたのだ。
――驚くのも、無理は無い。
「いいえ。アレは消えたんじゃなくて――移動したのよ、異世界にね」
答えたのは、一人の女性。
外した仮面を手に佇む、若い女性。
彼女は、自分の代わりを務めてくれたマコトを見つめ。
「――ただいま。迷惑掛けちゃったわね」
「「――ミサト(葛城さん)ッ!?」」
親友と部下の驚愕混じりの声を聞き、ミサトは照れ笑いを浮かべ、
「やっほー。皆元気ぃ?」
――あまりの軽さに、一同こける。
「ミサト……あんたって子はこの非常時に……ッ!!」
「や、やあねえリツコ。そんなマジに……その手に持っているカラフルな注射器は仕舞ってくれないかしらッ!?」
何時ものやり取りを繰り広げる、リツコとミサト。
そんな光景を、呆れたように見る発令所の面々。
と、そんな二人に、声を掛ける者が居た。
「――御二方とも。もう少し真面目にやって欲しいと提案します。今は非常時ですよ」
「「あんたにだけは言われたくない!!」」
卓袱台でクロスワードに勤しむ侍女に突っ込む、三十路の二人であった。


――閑話休題。


数刻後。
所を作戦室に移し、此度の経緯及び今後の展開を話し合う事に。
進行役はメタトロンと葛城ミサト。
ちなみに、ミサトは前線に出る事を理由に作戦部長を辞職した。
――マコトを始め、作戦部の面々に惜しまれたが、彼女の決意は変わらなかった。
話し合いの結果、マコトが新たな作戦部長に、ミサトは前線統括という役職が割り振られた。
――本人は肩書きが在ると疲れるとか言って、嫌がっていたが。
「――さて、皆様。葛城ミサト様による弁明の名を借りた自己弁護大会も無事終了し――これより、概念核絶賛解放大感謝災対策会議を始めたいと思います」
「うわ相変わらずセメントね、メタトロンちゃん」
行き成りの毒舌に、肩を竦めるミサト。
メタトロンは涼しい顔で、
「イエス。マスター並みに神経が図太いミサト様にはこの程度問題無いかと」
「――アレと一緒にされるのは、甚だ不本意なんだけど」
現在概念空間内で八又を抑えているアレを思い出し、げっそりと項垂れる。
「漫才は其処までにしてもらいたい。――で。一体、何が起こっているか簡単に説明してくれないかね?」
冬月の静かな一喝に、場が静まり返った。
水を打ったかのように、場の空気が張を帯びる。
――先ず、始めに口を開いたのはメタトロンだった。
「イエス。一言で述べるなら、深刻です。――概念竜“八又”……日本神話の元と為った2nd-Gの概念核であり、管理システムだったモノです。名を統べる炎竜――使徒はおろか、人間が太刀打ち出来る存在ではありません」
「名称概念……確か、名を付ける事で力を得る、だったかしら?」
リツコの問いに答えたのはメタトロンではなく、ミサトだった。
「そーよ。・――名は力を与える、ってね。姓名に籠められた意や認識を力にする概念よ。剣の意を持つ物は剣として力を振るい、風や焔――大自然の名を持つ者は、その力が与えられるわ。例えば、日向君なら日光に関した力、青葉君なら植物関係の力かしらね」
――驚愕の目で、その場に居る全員がミサトを見つめた。
「……何よ、そのリアクション」
半目で睨む彼女を余所に、リツコは青褪めた顔で、
「ミサト……頭大丈夫?」
リツコの失礼な物言いに、ミサトがむくれる。
しかし、周囲は激しく同意。
中には、医務室に連絡を取っている者や得体の知れない物体Xを見るような目で此方を伺う者まで居る始末。
少しへこむ、ミサトだった。
「しっつれいねーッ! ……人間、死ぬ気でやれば大抵の事はこなせるのよ」
涙目で遠くを見つめるポーズ。
哀愁漂うその姿を見て、全員何も言えない。
唯一、シンジが涙を流して同意し、
「――ミサトさん、苦労したんですね。その気持ち、すっごく解ります……」
「有難う、シンジ君。……生きてるって素晴らしい事よね」
「ええ。生きてさえいれば、どんな所でも天国です。……母さんの掌の上以外は」
仲間意識を高め合う、シンジとミサト。
一体何をやった、センリ。
「イエス。傷の舐め合いは其処までにして欲しいと、メタトロンは進言します。……シンジ様、貴方様の傷は後ほど私が――ポっ」
意味有りげに顔を赤らめるメタトロン。
その仕草に、シンジがヒートアップ。
「何する気ですか一体!? ――後で二人っきりになった時にじっくりゆっくりねっとりと具体的に教えて下さい!!!」
「――落ち着いて、シンジ君」
レイの無表情な肘鉄が、シンジの鳩尾に極まる。
哀れシンジは呻きを漏らす間もなく、ふっ、と気まずげな吐息を漏らし、床へと倒れこんだ。
突然のレイの暴挙に、固まる一同。
しかし、当の本人は涼しい顔で、
「……問題無いわ。だって私は二人目だから……」
答えになっていなかった。
ゆっくりと毒されつつある、綾波であった。




――NERVがボケと突っ込みに明け暮れているその頃、概念空間を生成したセンリは八又と対峙していた。
舞い散る炎は全てを灰へと還し、溢れる熱気は既に大地を侵し尽くしていた。
陽炎と火の粉に満たされたその空間で、彼女は何時もの不遜な笑みで――
「八又よ。――世界に怒りを抱く怨みの焔竜よ。たかが世界丸ごと一つ分にしかすぎない貴様が――私に勝てるとでも思うのか?」
守護神であるセンリは、世界を殺す事は出来ない。
しかし、世界の力はセンリに及ばない。
戦ったら、恐らく軍配が上がるのはセンリの方だ。
「――生憎、私の力は人間並みに制限されている。だが……迎えが来るまで時間を稼ぐ事は、容易い」
腕を振る。
両の袖から、メカニカルな剣の柄のような物が現れた。
片方は赤黒、片方は青白の装飾が施されている。
流れるような指運の動きが、柄元に装備された弾倉機構に賢石カートリッジを叩き込む。
そして――柄から、己が色に対応した光の刃が現れた。
「遥か昔、概念創造の試運転として戸田・命刻が創り上げた、十の+概念と−概念を固めて創り上げた双剣。――その理論を私が独自に発展させ劣化複製概念から創り上げた、+と−を統べる機殻剣。尤も、出力に関しては賢石カートリッジに頼らなければ為らないほど、オリジナルに比べて圧倒的に劣っているがな……」
右に青の剣を、左手に赤の剣を。
エネルギー残量を示すゲージは満タンを示し、揺らぐような足運びには淀みも隙も全く無い。
「銘は……そうだな。“Testament(誓約)”と“ Judgment(聖罰)”――なんて言うのは、如何だろうか?」
創りはしたものの、機会が無く、名付ける事も無くずっと眠らせていた武器。
蒼き剣には最高が最低へと叩き付けた、感情の鉄槌を。
紅き剣には最低が最高へと指し示した、理性の誓いを。
互いの世界を現した、同じであり対等であり真逆の詔。
名を与えられた事により、剣は歓喜の嘶きを上げ――概念空間を大きく振るわせた。
概念核兵器には劣るものの、“彼等”は十の力を背負う相対存在。
嘗て、聖人の名を与えられた、概念をも砕く武器に最も近い存在――
その異常な力を感知したのか、八又は警戒を帯びた視線をセンリに寄越し――鎌首をもたげ、戦闘態勢に移った。
センリは、何時ものにやりとした笑いを浮かべて――
「――Tes. とでも言っておくべきか」
青と赤の斬撃が、火焔の奔流を真っ向から斬り裂いた。




「――結論から申し上げます。今のNERVの戦力で、八又を倒す事は……不可能です」
苦々しげに、告げるリツコ。
其れを聞いた皆は、揃って沈んだ表情を出す。
只例外なのは、鉄面皮トリプルトップのレイ・メタトロン・ゲンドウの三名。そして――センリの直弟子、葛城ミサト。
彼女は、やっぱりねえ、と呟いて、
「あたしの加護や理力なんて、アレから見れば蟻んこ同然よ。――名を統べる、怒りの焔。世界規模の怨み節は、伊達じゃないわ。……使徒以外に足元すくわれるなんて、あたし達も運が悪いわね」
溜息。
この場に居る全員の心情を全て表している、溜息だった。
その時。
「――方法は、無いわけでもありません」
全員の視線が、発言者――メタトロンへと集中する。
「既に、連絡は取ってあります。もう間も無く、此方に着くかと……」
――と、メタトロンが平静に告げた、その瞬間。

――凄まじい衝撃が、部屋全体を突き上げた。

予期せぬ大きな揺れに、立っていた者達全員がよろめき、床へ身を転がした。
電柱の如く直立していた冬月もこれには耐え切れず、咄嗟に傍にあったモノ――ゲンドウの後頭部――を突き押して、バランスを取った。その所為で、ある髭が机に顔面ダイブする結果となったがどうでもいい事だ。
後――約二名が狙い澄ましたかのように、ある少年へと縋り付いたが……何時もの事であるからさらりと無視しよう。

「……シンジ君、温かい……」
「シンジ様の温もり……」
「む、胸が吐息が柔肌がぁぁぁぁぁ!!!」

――無視しなきゃやってられん。
その時、不意にある音が空間に響いた。
其れは、金属が割れ砕ける音にも似た、甲高い声。
自らに最も近しい、世界の音。
この世に満ちる、忘れられた力――

・――離れていても心は共に。

同時、この場に居る全員の脳にノイズが奔り――遠く離れた意思の声が聞こえてきた。
“あー、もしもしー。聞こえるかいー? 聞こえたら門を開けてくんないかね? 聞こえてないならもう一発ぶちかますよ?”
言うや否や、更に衝撃が空間を襲う。
――如何やら、この衝撃の犯人はこの声の主のようだ。
“……返事無しかい。寂しいねえ……腹立つからもう二三発ぶち込んでやろうか”
更に爆震。
地面が突き上がる。
わーにんわーにん。
「い、一体何なのよぉぉぉぉぉッ!!」
頭を抱えて、絶叫し蹲るリツコ。
その隣には、賢石で防護を施し、焦り顔を浮かべるミサト
。「――概念攻撃!? この忙しい時に……!」
更に更に爆撃。
外から爆発音とか悲鳴が聞こえてきた。
――その時になって。漸くシンジが顔を上げ、驚きの表情で言った。
「ま、まさかその声……ヒアリ姉さんですか!? 今更だけどあんた何やらかしてんだ!!」
――止む。
砲撃がピタリと停止し、転じて痛いほどの静寂が空気に浸透していく――
“よーやく気付いたかい、馬鹿弟。お姉ちゃん寂しくてしょうがなかったよ――後で慰めな”
「お断り申し上げます」
声が響く。
女性の声と、少年の声が互いに交わり、意思が通る。
“つれないねえ。――あ、慰められる方が良かったかい。なら、久し振りにおっぱい触らせてあげよーか? おっぱい好きだもんねえ、あんた。小さい頃から大きいおっぱい見ると純真無垢な幼児を装って――”
「世間様の前で僕を社会的に陥れる発言は止めて下さい! あとその話に関しては後程二人っきりでゆっくり話し合いましょう!!」
シンジの背に冷たい世間様の視線が突き刺さる。
主に蔑む目で。
しかし――違う反応を返す者も居た。
レイだ。
彼女は、少し逡巡し――
「……いいよ」
「何が!?」
頬を赤らめて、慎ましい胸をシンジの方に突き出した。
いい具合に混沌している。
微妙どころか、まるで緊張感が無かった。




――炎に包まれた、赤熱の世界。
融け落ちた瓦礫の園で、竜と少女は終わりの見えない輪舞を踊り続ける――
紅い剣が炎を喰らい、蒼い剣が熱を断つ。

――轟ッ……!

赤竜が吼える。二筋の紅い閃光が、全くの別方向から同時にセンリを狙う。
「……甘いッ!」
大地に赤の刃を突き立てる。
――蒼の刃を立て、刃紋に指を滑らせる。
紅い紅い血液が、文字を刻む――

・――文字は力を持つ。

概念の声が響くと同時、刻まれた文字が力と為る。
文字は――“光”。
瞬間、“聖罰”の剣筋は文字通り、光と化す――
「…………ッ!!」
無声の気合。
光速の斬撃は、一瞬で二つの炎を斬り払った。
「――その程度か?」
余裕の表情で、そう嘲笑うセンリ。
しかし、内心、彼女は酷く焦っていた。

……もつか?

横目で賢石の残量を確認。
目盛りは既に、二十を切っていた。
思わず舌打ちを漏らし、思考を巡らす。
カートリッジの手持ちは既に尽きている。
他の賢石も、既に残り少ない。
“能力”を解放すれば、余裕で勝てるだろうが――其れは、自分の望まない、誰も望まない結末に行き着くだろう。
「――そう。私は望まない。人は神の駒ではない。世界は神のボードゲームではない……!」
守護神は剣を執る。
主役が来るまでの場繋ぎとして、人の世の脇役として、裏方として。
「早く来い、舞台は整っているぞ……ッ!」
壮絶な笑みを朱の空に向け、センリは咆哮を上げる。
“主役達”が訪れる、その時を待つ――




「いやー、悪いねー。忙しい時に無駄に騒がしてさ」
「イエス。そうは見えませんが。全く。全然。これっぽちも」
この非常時に優雅に茶など嗜んでいるヒアリに、さくっとメタトロンの突っ込みが入る。
彼女の姿は黒い装甲服。黒赤のツイン・ランサーを脇に立て掛け、堂々と上座に鎮座していた。
彼女の目の前には、槍と同じぐらいの大きさの格納パレットが置かれていた。
――台の上に鎮座するその箱には、こう刻印されていた。

“2”

ヒアリは、これを届けに来たのだ。
「全く大変だったよ。確かに、面子の中で一番“足”が速いのはあたしだけどさ。流石に疲れたよ、イヤほんとに」
しみじみと呟き、一気に茶を煽る。
「――生き返るねえ」
「僕達は現在進行形で死にそうですが」
緊迫感一切無視で寛ぐヒアリに、シンジが棘のある口調で突っ込む。
「イエス。凄まじい速度で八又の炎が現実空間に漏れ出しています。――計算によると、タイムリミットは約二百七十七分後かと」
「約四時間、ねえ。んじゃまあ、さくっと対抗策を練ろうとしますか。先ずは、おさらいといこうか」
言って、ヒアリは目前に並ぶNERVの面々を意地悪い目で見据えた。
「――何をするにも、先ずは八又のとこまで行かなくちゃならない。けど、何の装備も要素も無しに概念空間に入る事は出来ない」
指を立てる。
人差し指の上で、蒼い結晶がくるくると廻る。
「概念空間って言うのは、簡単に言えば人工的に作った“異世界”さ。世界の大元を少しだけ間借りして、位相を少しだけずらしたこの空間は、現実と異世界が重なり合う絶好のバトルフィールド」
指が踊る。
「存在概念を少し借りて作ったこの世界には、生物は存在しない。概念空間は大元概念の一部を利用してるだけだから、分化された全ての存在は劣化しているのさ。分化された生物は未来に向かう事無く、動作するだけで破裂していく」
光る。
紅い光、黒い光。ヒアリの槍から薄らと漏れる概念の光。
赤々と黒々と、照らしていく。
「このずれた空間に完全体で入るには、幾つか方法がある。空間作成時に予め自分のデータを取り込ませておくか、後で自分のデータを変調させるか。おおまかに言やぁ、この二つかねえ」
弄ぶ結晶を拳に握り込み、ヒアリは腕を大きく伸ばす。
手首に嵌った、少女には不釣合いな大きめの黒時計が、皆の目に晒される。
「――自弦時計。装着者の自弦振動データを操作する装置さね。これ付けてりゃ、概念空間に入れるのさ。多分、そっちのデカ乳姉ちゃんも持ってるんじゃないかい?」
ヒアリが目を向けたそこには、壁に背を預けたミサトが居た。
彼女は少し眉尻を吊り上げ。
「ちょっと、言うに事欠いてデカ乳姉ちゃんって何よ。――巨乳で素敵なお姉様と言いなさい」
「ミサト。黙れ」
命令口調だ。
リツコの素敵に物騒な言葉の刃に、流石の加護も意味を成さない。
何かトラウマでもあるのか、ミサトは膝を抱え部屋の片隅で何時までもガクガクガタガタ震えた。
「仲が良いねえ。――メタトロンは概念空間の出入りはフリーパスだね? 確か」
「イエス。可能です」
「よし。んじゃ決まりだね」
後は――、と言葉を続ける。
珍しく、その声には少しの戸惑いが混ざっていた。
「こいつをどーするかだ。八又の問いは解ってるから何とかなるけど……後の八又の制御をどーにかしないとねえ……」
長いパレットを困ったように見つめ、ヒアリは独りごちる。
「……さっきから気になっていたんだけど――何なの、これは?」
問うたのはリツコだ。
ああ、とヒアリは気が無さそうに。
「――ちょっとした秘密兵器さ。確かにこれなら決定打に為り得るだろうけどさ、肝心要の肝がいまいち――」
そこまで言って、ふとヒアリは改めてリツコの顔を見つめた。
探るように、舐めるように。
その様子に、少しだけリツコはたじろいた。
「な、何よ……」
「――そこのケバい姉ちゃん、名前は?」
「け、ケバ……ッ!?」
怒りの色が浮かぶ。
しかし、ヒアリは一切頓着しない。
「ケバかろうがオバかろうがこの際些細な問題さね。――名前は?」
「……リツコ。赤木リツコよ……其れが如何かしたの?」
怒りを噛み殺し、努めて冷静に名を告げる。
ヒアリは、リツコ、と名を反芻し、顎に手をかけ、思考開始。
――瞬間的に、思考は終了を迎える。
「律に子、ねえ。――うん。2nd-Gの概念下なら、これ以上無いくらいのはまり役さね」
うむうむ、と満足げに頷く。
リツコは何の事か解らず、首を傾げる。
にやり、と口端を持ち上げて――

「ぃよし。特攻と往きますか――」

と、ふざけた事を抜かすのだった。




概念が響く。

・――熱は生命活動である。

熱を命の象徴とする8th-Gの概念。
瞬間、センリの刃が八又の炎を喰らい、熱を取り込む。
刃の周囲に陽炎が生じ、刀身は瞬く間に炎熱の蛇と化していく――
同時、センリは誓約の刃を以って熱をマイナスへと変換。
冷熱の蛇は、八又の炎を駆逐していく……!
刀を振るう度、炎は熱へ、熱は冷気へと変わっていく。
しかし、炎の勢いは圧倒的だ。
変換は追いつかず。冷気はすぐさま炎に呑み込まれる。
目でゲージの残量を追う。

……五を切ったか。

概念は使えて後一度だろう。
そろそろ覚悟を決めるべきか。
右から迫る顎門を見据え、そんな事を考える。
「――……ッ!」
冷熱の蛇身で斬り払い、返す手を懐へと伸ばし、予め仕込んでいた物品を投げ放つ。
其れは――連なった蒼き石。
鋼線で束ね、術式カッティングを施した賢石爆弾だ。
篭められた概念は――熱量加速。
紅い光と炎熱を取り込み、淡い紫の輝きを放つ其れは、一瞬の間を置いて――爆裂した。
苦痛の咆哮。
しかし――其れでも尚、炎の勢いは衰える事を知らない。
爆炎を突き破り、八又の牙がセンリへと迫る――!
「――甘い」
剣を手放し、瞬間的に右拳を八又の鼻先に叩き込む。
――義肢が融ける間も無く灰塵と為るが、紅い炎を斬り裂くかのように青き光が灰塵から迸る。
予め拳に握り込んでおいた賢石だ。
蒼き閃光と同時、光を中心に八又を構成する膨大な炎熱がごっそりと消失した。
首の一つを失い、八又は悲痛な叫びを上げた。
「――我がセンリの名は、“千里”の意を持つ!」

・――名は力を与える。

センリの足は千里の距離を詰める。
歩速は千速。一瞬で、炎熱の届かぬ遠方へと歩みを飛ばした。
「受けよ八又――自らの概念を我が身で味わうが良い……!」
2nd-Gの概念――其れは、名付ける事により力を付加する概念。
為らばここで問おう。
名とは物質のみに与えられるものであろうか?
答えは否だ。
名は物理現象や理論等にも与えられる。
故に――

「――“誓約テスタメント”、命刻の太刀……ッ!」

必殺技の名は、その技を具現する。
刃を振り抜く。放たれたのは、命を刻む紅い波刃。
センリの放った斬撃に、誓約の刃に秘められた−概念が追乗される。
大地は砕かれ、空は滅ぶ。
――波動に触れる全てが瞬間的に−に落ち込み、跡形も無く消失していく。
破滅の波は、八又を刻む……ッ!
紅い光に喰われていく赤い炎。
+概念が−に侵され、連鎖的に次々と自壊していく。
存在率そのものが消滅し、辺りは何も存在しない空虚へと変貌していく。
同時、振り切った剣から電子音が発せられる。
賢石カートリッジが零になったと知らせる音だ。
紅い刃は砕け、光は瞬く間もなく消えていく。
「……浅いかッ!」
言葉を吐く。
紅い光の向こうには――頭を三つばかり失った八又が、憤怒の炎を纏いて存在していた。
力が足りず、命を刻み切れなかったのだろう。
だが、これでいい――
「来たようだぞ、主役が……ッ!」
放り捨てた蒼い剣を拾い上げ、渾身の目晦ましを放つ。
光が、八又を焼く。
「来たれ、力の担い手よ。未来は君達の下に……!!」
センリが叫ぶ。
同時、空に光と闇が来た――




時間は少し遡る。
概念空間と現実空間の境の手前、其処には人が集っていた。
背にバックパックを負い、赤黒の双頭槍を担った装甲服の少女。
特殊な単車に跨り、顔に白い仮面を付けた年若い女性。
その後ろには、ガチガチと震えつつ真っ青な顔で座る金髪黒眉の白衣の女性。頭には土木工事用の黄色い安全ヘルメットが乗っている。
そして、巨大な影が二つ――
紫の鬼と、漆黒の鎧武者。シンジが駆るエヴァンゲリオン初号機とメタトロンのSCHWARZ BRISEである。
『シンジ様。概念空間突入に関しては私に全てをお任せ下さい。ですが、概念空間内ではケーブルによる送電は行なえません。最活動限界は五分です――御留意を』
『解ってるよ。五分間、思いっ切り暴れてやるさ』
軽い声で応える。
――しかし、其れとは対照的にリツコの顔は凄まじく重かった。
「……な、何で私まで……」
「今の所、アンタしかこの役目は出来ないさね。気楽に往きな。アンタが自分の名の意味を理解すりゃ、造作も無い事さ」
無責任に言い放つヒアリ。
しかし、その目は真剣そのものであった。
「愚痴は後でタップリ聞いて上げる……往くわよ、リツコ」
「ミサト――貴女、何か生き生きしてない?」
「解る? どうやら、あたしって考えるより体動かす方が性に合ってるみたい。……身体が疼くわ」
『聞き様によっては微妙にエロい発言ですね』
「「黙れエロガキ」」
ヒアリとミサトの突っ込みが同時に来た。
イエス、と相槌を返すのはメタトロンだ。
『シンジ様――エロスは厳禁です。発散したいのならどうぞ私で』
『何か最近言葉選ばずにダイレクトに言ってないあなた!?』
ライバル登場で色々と焦っているようだ。
「恋は戦いさ、メタトロン。――さて、そろそろ突入と行こうか。遅れるんじゃないよ」
ヒアリの顔が引き締まる。
――瞬間、彼女の腕に震えが来た。
黒時計の画面に、紅い文章が流れる。
概念条文だ。

・――闇は力を与える。

・――闇は世界を繋ぐ。

背に、闇が降りる。
形を得た漆黒の混沌は瞬時に凝り固まり、昆虫にも似た二対四枚の巨大翼を形成。
肩胛骨に力を入れる。すると、ばさりと質量在る闇が羽ばたいた。
――“X-Wi・AT”。嘗ての時代の光の翼を闇属性へと改造し、闇渡りの概念を新たに組み込んだアナザー・タイプである。
故に、闇炎を紡ぐヒアリがこれを愛用しているのだ。
続いて、不敵な笑みを浮かべるミサトの手首にも振動が来る。

・――光は道を示す。

放たれた閃光が道筋を作り出す。
間髪置かず、スレイプニールが光の道を疾走した。
最後に動くのは二体の巨神だ。
黒い巨体から、自らに最も近しい声が来る。

・――金属は生きている。

――戦士達は、一斉に概念空間へと飛び込んだ。




――砲声が来る。
空を駆けるのは三つの姿。
黒風、闇炎、そして光鉄。
「み、ミミミミサト!? は、はややはややや……!!?」
「喋ると舌噛むわよ!!」
光鉄を駆るミサトが声を飛ばす。
後ろで混乱する親友を案じつつも、決して振り返らず、目線は巨大な炎蛇を見つめていた。
炎竜八又。話には聞いていたが、その姿は禍々しく、とても恐ろしい。
使徒以上に厄介だ、という話は正に真実だった。

……さーて、如何しようかしら?
ミサトの理力は防護破壊――護りの力、又は其れに準じる装備を打ち砕く“盾破壊シールド・ブレイカー”の能力だ。
故に攻撃力自体は変わらず、元々攻撃が効かないのなら、打つ手が無い。
しかし、其れで指を咥えて見ているミサトではない。
――外套の中に手を突っ込む。
引き摺り出されたのは――二m超過の鉄塊。
ライフルにも似た兇悪な銃身を幾つも束ねた、まごう事なき極悪兵器。
「……名は力を与える。なら、製作者の名を与えられ、殺戮せよと意味を与えられたこれは――この概念下に於いて、正に一騎当千の意を持ち得る……!」
名を、
「ガトリング銃……! ちなみに、銃身には私の親友の女神の名も彫って在るわッ!」
事実は特訓の最中に悪戯書きされただけだが。
へったくそな字で“ミねルば”と書かれた巨大な銃を振り回し、ミサトは騎馬に更なる加速を命じる。
――炎に降り注ぐは、神の名を得た凶鉄の雨。
砂塵が吹き荒れるような渇いた音色が、炎を掻き乱す。
しかし、致命打には為り得ない。
鉄は塵に、威は無に――
「……ちぃッ!」
あっさりと鉄の雨を駆逐した鎌首を避けるべく、急性方向転換。
背で何かが叫び喚いてるようだが、ミサトは一切気にしなかった。




――闇が駆ける。
炎明すらも飲み込む漆黒の翼が、夜空を渡る。
八又は闇を炎滅すべく、鎌首をもたげ、巨大な顎門を以って闇を飲む――
だが瞬間、闇が消えた。
まるで、最初から其処に存在していなかったかのように。
戸惑うかのように、八又が喉を鳴らした。
「――何処を見ているさね」
天空から声が響く。
見ると、巨大な四翅が其処に在った。
――斑鳩ヒアリ。燈炎と伏闇を統べる者。竜の担い手。闇色の戦乙女。
闇の翅を打ち鳴らし、彼女は口端を吊り上げて、快活に笑った。
「影在る所、我在りってね。闇全てが、アタシらの力さ……ッ!」
言って、槍を振るう。
槍の穂先と柄刃からは、朱色の動炎と闇色の停炎が噴出していた。
「“B-Sp改”……ッ! 気合入れなッッ!!」
『承』
コンソールに文字が閃き、瞬間、二つの刃を包み込む機殻が展開する。
二つの刃が開き、其処から顕現するのは二色の刃だ。
朱紅は全てを焔消する動の焔、闇黒は全てを滅砕する停の焔だ
。焔が凝縮し、刃金と化す。長い長い薙刀にも似た切先が、空間を焼く。
「第二形態……ッ! さあて、あんたの炎とB-Spの焔――どっちが強いか勝負だよ!!」
槍を廻し、闇黒を真っ向から振り下ろす。
刃に触れた空間は瞬時に停止し、砕け散る。
硝子にも似た破砕音が音すらも砕き切り、響きは空間破砕を伴って世界へと広がる。
――砕ける。
八又の炎は輝きの形で停止し、砕けると同時、熱と朱色の輝きを散らし、消滅していく。
――砕きの重奏が、八又を覆っていく。
破砕の空間を、闇の翼が飛ぶ。
迎え撃つは炎の波。
闇黒が炎を停め、返す朱紅が全てを焼き払う。
炎と炎が激突する。
打ち勝ったのは――朱紅の焔だ。
名を統べる恨みの炎を、世界を照らす動の炎が斬り捨て、焼き尽くす。
塵芥すらも遺さず、恨みの炎は消え果る。
赤と黒――炎と闇が、八又と同等に交差する――
「あんたを倒す事は出来ない――でも、あんたを屈服させる事は出来る! 喜びな、八又。あんたを統べる担い手が、今宵この地に生まれるかも知れないよ」
舞い散る燐炎と火の粉を掻い潜り、闇炎の乙女が槍を振るう。
確りとした笑みを付けて、声を飛ばす。
声は、凛とした音色を確定し、空を渡る――
「シンジ、メタトロンッ! 進撃しな!!」




声に応え、二体の巨人が動き出す。
カットしていた電源が入り、瞬時に紫の機人が万里を詰める。
速さは高速。破裂する空気が水蒸気と化し、機体の回りに雲を作り出す。
感情が止まる。否、過速により処理が追い付かない。
奥歯を噛み締めると同時、シンジの中に声が響く。
己に似た響きを伴い、世界の声は彼に浸透する――

・――名は力を与える。

――“福音”が鳴り渡る。
動きは楽奏と為り、動作全てが世界を祝福する音色と為って、響きが遺恨を包む。
吼える。
鬼咆は正に闘いの音楽。
加速する“福音”は、身に秘めた全ての力を解放した。
『断空脚――轟覇ッ!!』
加速を乗せた、地を這う撃刃。
大地を抉り、空を断つ。
轟くのは覇の音色。
――響は、見事炎の海を断ち切った。
同時、鬼の全身から力が抜ける。
電源を使い切ったのだ。
崩れ落ちる機人の脇を、漆黒の機神が通り過ぎる。
『見事です、シンジ様』
……後の始末と事後のマッサージはお任せ下さい。
事が終わったら雑誌で覚えた泡式マッサージを試してみよう、とメタトロンは加速する思考でそう決断した。
機人の威に応え、更に更に武為る神は疾く速く地を渡る。
“黒き風”と名付けられた其れは、正に黒色の疾風だ。
弾ける空気をものともせず、六翼を担う風は炎を斬り開く。
――右と左の手が合わさり、そして、音声素子から呼び声が放たれた。
『――“神砕雷ケラヴノス”ッ!!』
虚無から実体を持つ金属群が出現。
ボルトの奏でる金属の交響曲を背に抱き、黒い射出機が己の存在を現実の物とする。
確定すると同時、雷が空間を割り砕く。
迅雷。雷光が踊り、炎を上回る。稲光が燐光を砕き、雷鳴が炎轟を断つ。
『煉獄よ、冥府の光を受け取りなさい……ッ!』
ぶち砕く。
機械仕掛けの冥府――其れが放つ破壊の雷は、見事、八又の首の内二つを砕いた。
咆哮。最早、悲鳴というレベルではない。
のた打ち回る炎、しかし、其れでも漆黒の風は揺らがない――
神砕雷を再び自らの概念空間へと格納し、今度は小さな白いパレットを掌に載せた。
三m強、2とナンバリングされた、今宵の切り札。
振り被る、投球モーションは完璧だ。名称概念に則り、“モーレツトルネード二十八号”とでも命名するべきか。
否。とメタトロンの迅速思考は自らの考えを却下した。
……ネタの安売りは禁物です。
熟成を待つべきだ、と判断する。時には焦らした気持ち良い、とこの前シンジの部屋の畳の裏から見つけた雑誌にはそう書かれていた。
取り合えず、今回は普通に投げる。
『――マスター……ッ!』




――投げた。
風を切る音が、投げられたパレットに遅れて付いて行く。
音速を軽く超え、パレットは瞬時に遥か遠方に佇んでいたセンリに向かって突き進む。
――純白の破片が散る。
音速の壁に耐え切れず、パレットが破砕したのだ。
白く舞う切片の中から、黒鉄の塊が生れ落ちる。
――剣だ。
只の剣ではない。其れは無数の金属片を織り合せた神為る剣だ。
その数八百万。日本神話に綴られる数多の神々の名を刻んだ金属片により形作られ、名を得た剣。
――手が差し伸べられる。
音速で滑空する剣は、いとも簡単に少女の手に収まった。
“神狩”の名を持つ、神殺しの少女の手に。
剣に熱が生まれる。
2nd-G至高の剣――嘗ての名を“神剣十拳”。そして、今の名を――

「――神剣“天羽羽斬アメノハハキリ”。2nd-G最高の軍神の忘れ形見だ……ッ!!」

脳裏に浮かぶのは、嘘に生きた最高の軍神。
家族を想い、嘘を突き通した優しい軍神。
そして、己の姓に、もう一つの意味を与えた軍神――
「頭はアレだったが、腕は確かだ。――抗えるか? 八又よ。2nd-Gそのものとも言える、この刃金にッ!」
威が具現する。
慄きの声。
八又は理解していた。
――アレは、天敵だと。
黒々と輝く切先を炎に向け、センリは息を整える。
これから先の手順は既に決まっている。
八又の遺恨を晴らし、在るべき姿に戻すのには一つの手段が必要だ。
其れは問答。
八又の問いを代弁し、答を告げる。
この面々の中で、問いを代弁出来るのはセンリのみだ。
そして、答えるのは――
目線の先には、二つの影が在った。
一つは騎馬を操る者。
一つは騎馬の背で泣きそうになっている者。
如何したもんか、と溜息を吐いた。




――リツコは死にそうに為っていた。
そして考えていた。
何故に自分はこんな所に居る?
理由は簡単だ。有無を言わせず引っ張り込まれたからだ。
あの話し合いの時、少女――ヒアリ――は笑みを以って自分にこう言った。

『――あんたが八又の問いに答えるのさ』

……名を理解すれば出来る、か。
簡単に言ってくれる。自分は素人だ。あんな常識外れのバケモノにどう太刀打ち出来ると言うのだ。
問いの答え自体は知らされている、だが、出来ないと思う。
名の意味だと? そんな事、自分が知りたい――
名を付けてくれたのは母だと思う。父は知らない。覚えていない。
嫌な思い出も良い思い出も在る、母親。
戦場の恐怖を紛わしたいのか、何故か自然と母の事を考えてしまう。
耳に親友の声が届く。自分の名を呼んでいるのだろう。
……ゴメン。
答える事は出来ないかもしれない。
解らないものは――解らない。
自然と、涙が頬を伝っていた。




――センリは自然と胸に狭苦しい痛みを感じていた。
……あのクソ戯けも、こんな痛みを感じていたのだろうか。
思い出してしまった。
親の事、かつて“シンジ”と名乗っていた時代の事。親に裏切られた記憶を。
罪を全て着せ、自分を笑って殺そうとした親の事を――
……恨みは無い、と言えば嘘になる。
しかし、其れは過ぎた事だとセンリは呟く。
――名とは、初めてこの世に生まれた、親との繋がり、他者との繋がりだ。
自分の捨てた名は、父親に付けられた。
――親を否定しても、名を捨てても、事実としての名は変わらない。意味は変わらない。
軍神のように新たな意味を付ける事は出来ても、消す事は出来ない。
リツコを見る。彼女も自分に科せられた意味が解らないのだろうか。
――かつても、今も、センリは自分の名の意味を知らない。
だからこそ、だろうか。
シンジには、もう一人の自分には知って欲しい、と自惚れた事を抜かす。
そして――自分を見失いつつある、哀れな女に、思い出して欲しいとも思った。
あの時代の悲劇を繰り返させない為に。
「……力を借りるぞ、ナオコ」
手の中に賢石が転がる。
――過去視の賢石。夢見の石だ。
指で砕くと蒼き燐光と同時、蒼色の砂塵が風に乗り、リツコへと向かう。
接触した瞬間、過去が、彼女の目の前で展開した。




――五感のみが独立存在する世界。
幻の世界の中に、リツコは存在していた。
声を出そうとも、声は幻に届かない。
手を伸ばそうとも、既に過ぎ去ったモノには届かない。
嘗て在った世界の中に、リツコは存在していた。
見渡す。
そこは白い部屋だった。
陽光、穏やかな風。
声が聞こえる、外から響く声。
子供の声だ。
穏やかな、平和な世界が、そこに在った。
壁に掛かったカレンダーを見てみると、日付は昔々の年号を記録している
。セカンドインパクト前。其れも――
……私の、生まれた日?
再び声が聞こえる。
数は三つ。
男と、女と、赤子だ。
奥の方へと視覚を飛ばす。
そこには――見慣れた姿と、見た事が無い姿が在った。
白い寝台に、赤子を抱いた女性が居た。その傍らには見た事も無い男が幸せそうな顔で座り、赤子を見つめていた。
思わず、声が漏れる。
……母さん!?
そう。女はリツコの母、赤木ナオコだった。
そして――腕に抱かれているのは恐らく、生まれたばかりの自分であろう。
と言う事は、この見た事も無い男こそ――
……父さん、なの?
覚えてもいない父の姿。
感動を覚える前に、戸惑う。
――過去の母が、口を開いた。
「この子の名前ね……リツコって付けたの」
「リツコ、か。……意味は、どんなのだい?」
問われ、ナオコは嬉しそうに、くすぐったそうに笑った。
「――漢字で書くと、律子。己を、感情を、理性を、他人を、ちゃんと律する事が出来る、賢くて優しい――自分と誰かの為になれる、掛け替えの無い子になりますように、って」
「そう、か。――うん。とっても良い名だ」
父が赤子の目を覗き込む。
あ、とサルのような自分が息を漏らす。
――何故だか、覚えていないのに、とても懐かしい感じがした。
ナオコが、過去のリツコを抱き上げた。
優しく抱き締め、そして彼女は――呟いた。

「これからもよろしくね――リっちゃん」

――瞬間、世界は暗闇にシフトする。
一瞬の過去が醒めるのだ。
我知らず、リツコは叫んでいた。
其れは母の名かもしれない、其れは名も知らぬ父かもしれない。
行かないで、とリツコは叫んだ。
涙を流し、子供のように泣きじゃくる。
短い過去の中で、彼女は確かに“何か”を思い出し、そして、掴んでいた――




「――リツコ!?」
ミサトの声が、頭に響く。
リツコの意思は現実へと立ち戻る。
見れば、ミサトが必死な顔で炎を撃ち払っていた。
「呆けてたら死ぬわよ……ッ!」
真剣な顔だった。
何時ものおちゃらけた、そしてどことなく陰の在る顔ではない。
……貴女も見つけたのね。
漠然とそう思った。
自分にしかない、自分の中にある、一つの宝。
ミサトは見つけたのだろう、と。
そして、自分は見つけられるだろうか?
確かなのは――胸の中に、暖かい、熱い何かが鼓動している、其れだけだ。
炎が荒れ狂う。
しかし、火の粉はミサトに接触する直前に弾けて消える。
ミサトの加護の力が、火の粉を上回っているのだ。
しかし、其れも長くはもたないだろう。
相手は概念核。格が違いすぎる。
自然と、リツコの目はセンリの姿を追った。
遠くに、剣をぶら下げて立つ、片腕の少女。
センリも、リツコを見ていた。
シニカルな笑みで、試すように――
リツコは頷いた。
出来る気がする、と。
だから――

「――問いを寄越してちょうだい」

リツコは、自らの名と向き合う覚悟をする。




――炎の怨嗟が響く中、涼やかな気配が空間に降り立つ。
神話に準えるなら、神剣持つ彼女はスサノオだろうか。
否。彼女は否定するだろう――
自分の方が格上だと、笑みを以って。
刃が炎を照り返し、鈍く輝く。
轟々と唸る炎を眼下に、神狩センリは竜意の代弁を行なう――
「私には――忘れたくても思い出せぬ名前があります」
其れは八又の――2nd-Gを統べていたモノの、問いだ。
忘れられた、名を問うている。
声が、張り詰める炎を駆け巡る……!
「問うぞ! ――八又の二つ名、草薙と叢雲、そのどちらが本当の名だ!」
――息を吐くと同時、刃の機殻が開く。
名を連ねた鉄片が花咲くように、螺旋状に展開する。
竜意に答える事が出来れば、恐らく役目を果たすだろう。
剣は、竜と共に、答を待つ――




問いの答えは解っている。
しかし、知っているだけでは駄目だと、リツコは思う。
答えに見合う思いを持たなければ、この身は炎の中に消えるだろう。
だから、思いを乗せよう。
感傷を律し、理性を律し、自分の律した思いの全てを――
咆哮が降る。
其れは憤りに縛られた憤怒。深い深い意味と思いを含んだ問いかけ。
答えよう、貴方の望む答を。
答えよう、私の思いを――
「――答えましょう。其れは、全天と全地に通じる、世界の名……ッ!」
唇が言葉を紡ぐ。
本来の名を、望まれた名を。
「草薙――」
尚、言葉は止まらない。
八又の怨嗟を真っ向から受け止め、リツコは名を紡ぐ。
「――そして叢雲ッ! この二つの名を併せ持つのが、貴方よ……ッ!」
――発する。センリの目が、其れで良いかと問うてくる。
リツコは語らず、目で頷く。
「――草薙とは地に在り人と共に在る地の風、叢雲とは天に在り人が見上げ敬う天の風……! 二つの風は同じものであり、何処までも限り無く往く、無形ゆえに万物であるもの。それは炎ではなく、水を呼ぶ天地の竜の名! 貴方の正体は――風の雨竜よ、八又!」
ここから先は、教えられたものではなく、自らの言葉だ――
「怨みに縛られた怨嗟の竜よ! 名を望み、在るべき姿を望むのなら、恨みで己を律するのではなく、正しき意思と想いで自らを律しなさい。我が名はリツコ、持つべき意は律するもの。草薙であり叢雲である風の竜よ! 天に在るなら叢雲を、地に在るなら草薙を名乗り、八又の恨みと怒りは我が名に於いて律しましょう。――貴方の恨みと怒りは、私が律する! 世界よ、貴方の正しき在り方は、貴方の意思が律しなさい!!」
――告げると同時。

咆哮。

篭められた意は歓喜。
快い、と竜は身をくねらせる。
己の正体を、忘れられた名を理解し、そして――新たに生まれた回答者に、感謝を示す。
しかし炎は余熱を残す。
渦巻く熱の海――しかし、その熱量は、リツコには届かない。
「もって数十秒……! 高速で離脱するわよ!! 手を離すんじゃないわよ、リツコ」
ミサトの加護の力が、炎熱から護ってくれているのだ。
弾ける熱を目前にし、しかし確かな笑みを浮かべて、リツコは親友を背から抱き締めた。
天に、炎が昇る――




皆は天を見上げた。
炎が爆裂する轟音が、八連続で空を揺らす。
風が八方に爆散する。
響く音色は歓喜。
轟爆の響きをものともせず、センリは神剣を天へと掲げた。
「――聞いたか? 八百万に名を連ねる者達よ。君達の新たな担い手が告げたぞ……!」
己の名を正しく掴んだ馬鹿者が、今宵、正しく生れ落ちた。
センリはこの場に居ない誰かにそう告げ、神剣を八又――否、草薙であり叢雲である竜へと向けた。
――光が迸る。
大剣が花開く。
生まれた光の列――其れは、名前だ。
無数の名が空に展開し、列を為し、陣を作り、疾駆する。
小さな名前の波濤は空に楕円と真円を描き、遠く広く速く展開する。
連なり、層を生み、弧を描き、其れはまるで全天へと広がる天球図だ。
青白の光の球体――これこそが、概念核を格納する“天羽羽斬”の本体である。
――光が炎と交わった瞬間。最後の咆哮が天を突いた。
高く、強い、意志の音色。
喜び、動く、喜悦の咆哮。
爆発と散る竜の咆哮は、世界を、空を渡り、凛とした響きを走らせる。
光が概念核を封じた。
応えるかのように、世界が震えた。
光と炎が一瞬で消え、中心に爆裂とも言える大気の唸りが天地を走る。
地を撫で草を揺らす草薙。天を渡り雲を散らす叢雲。
地の風は大地を、天の風は空を奔る。
――そして、天頂で二つの風が激突し、爆音をと共に雲と雷を呼んだ。
雨が来る。
暗い空に風の息吹が生まれ、地に水が降り立つ。
雨が降る。
崩れた瓦礫が、大地が、巨人が、雨に濡れていく。
影の乙女も、光の騎馬も、濡れていく。
刃を収めた神剣も雨に濡れ、そして、唐突に震える。
震え始めた刃を見て、センリは全てを悟り、こうなるべきだと言わんばかりに、剣を放った。
名を統べる剣は、雨と風を纏い、疾駆する。
向かう先は、律する者の所。
見上げたリツコは驚く。
――そして、当たり前だと言わんばかりに、驚愕する彼女の手の中に納まった。

我を律せよ、律する者よ。

雫に濡れた神剣が、そう告げているような気がした――




――時間は過ぎる。
神剣は新しいパレットに収められ、ヒアリが持ち帰った。
技術部は新たに得たデータを解析し、作戦部は新たな作戦部長の下で激務に励む。
前線総括は訓練に、シンジはレイとメタトロンから逃げ回り――
そして、リツコは――




「…………」
誰も居ない部屋の中。写真を見るリツコ。
物憂げな、戸惑うような、そんな表情。
彼女の姿は、変わっていた。
髪の色。
わざと金色に染めていた髪が、あるべき色である漆黒へと戻っていた。
彼女の中で、僅かだが、確実に新たな一歩が生まれていた――
唇が形を紡ぐ。
音は生まれない。
だが、其れで充分だ。
嘆息し、苦笑を浮かべる。
写真を机の中に仕舞い、リツコはゆっくりと立ち上がる。
仕事の時間だ。
この髪を見たら、皆どんな反応を返すだろうか。
悪戯っぽい笑みで、そんな事を考える。
歩みは迷いも戸惑いも無い、確かなモノ。
扉へと向かい、そして、一度だけ背後を振り返った。

――いってきます。

音にはならない、呟きだった――




To be continued...


(あとがき)

凄まじく遅れて申し訳御座いません(土下座
この場を借りて深く深く反省と謝罪。
第六話漸く完成で御座います。
今回は難産でした……。
七話は来年になるかな……ペースを上げんといかんなあ。
――では、次回又御会いを。

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