白き女神が大地を被い、十二枚の翼を広げた時

一人の少年が生贄の祭壇に捧げられた時

人の歴史の刻は終った

世界を滅ぼしたのは

人外のバケモノでも

自然による災害でもなく

愚かなる人の業によってだった……







贖罪の刻印

第一話

presented by ミツ様







  ???

リツコは目を覚ました。

「……ここは?」

無機質な造りの薄暗い部屋。自分が何故ここにいるのか思い出せない。

「私は……あの時、司令に……?」

戦自がNERV本部に総攻撃を開始した時、666プロテクトを施したリツコはMAGIに細工を施し、本部を自爆させようとした。

自分を道具としてしか見ていなかった男、でも愛していた男…。

いや、そう思っていた男…ゲンドウと共に。

エゴ…だったのか、それとも自らを滅ぼす破壊的衝動だったのか。

だが、その思いは成就せず、カスパーの裏切りにより自爆コマンドは作動しなかった。

カスパー…MAGIの生みの親、赤木ナオコの”女”の部分の生体コンピューター。

ソレは”娘”よりも”男”を選んだ。

結局自分は最後の最後に母親にも見捨てられた事になるのか……。

自嘲げに唇が歪む。

その後、ゲンドウに撃たれて…。

それで……。

「何故…私は生きているの……?」

身体を見渡しても銃痕はおろか、傷一つ無い。

そもそも自分はターミナルドグマ……リリスの元に居たはず。

それなのに、此処は…?

不審に思い周りを見渡した瞬間、目の前に広がっている光景にリツコは驚愕で身体を硬直させた。

「ウソ…ッ!?」

リツコの目の前に映っているものは、本来ならそこにある筈の無いモノ。

 

 

オレンジ色の光に漂う影。

 

 

無数の……

 

 

綾波レイ。

 

 

同じ顔で、

白痴のような表情で、

魂の無い瞳で一斉にこちらを見詰めている。

心臓の鼓動が必要以上に存在を誇示するかの如く脈打っている。

こめかみから一筋の汗が滴り落ちた。

……有り得ない!

「そんなッ!?これは私が破壊したはず……」

ミサトとシンジの目の前で。

だが、目の前に広がる圧倒的な現実感は、これが事実であると告げている。

一つの仮説に行き着く。

馬鹿馬鹿しい、科学者なら一笑に付してしまうような与太話。

有り得ない事だ。

だが、確かめなければ……。

リツコは震える手で時計を見やった。

電子時計の日付には、こう表示されてあった。

 

【2015/06/14 02:48】

 

「………何故…こんな事に……!?」

呆然としてリツコは呟いた。

信じられない…でも、信じるしかない。

そう、赤木リツコは……。

過去へと戻ってきたのだ。

 

 

 

  〜一ヵ月後〜 NERV本部・第七ケイジ

 

『技術主任の赤木リツコ博士、赤木リツコ博士…葛城一尉がお呼びです、至急……」

管内アナウンスが響く。

しかし、当のリツコは心此処にあらずといった感で、ぼうっとLCLの紅いプールを見詰め続けていた。

「あの…センパイ。呼ばれてます、けど……」

リツコの助手、発令所ではオペレーターを務める伊吹マヤが作業の手を休め、心配そうに自分の上司に話し掛ける。

その表情には相手を気遣う色が濃い。

いつも颯爽として凛々しいリツコはマヤの憧れだった。

だが、ここ一ヶ月というもの、まったく生彩を欠いたように元気が無い。

「…ああ、そうね。……やっぱり迷ったみたいね、ミサトは……」

リツコは溜め息を吐きながらそう応えた。

予言の日が訪れた。

十年ぶりの使徒の襲来。

それに呼応するように呼び出されたサードチルドレン・碇シンジ。

ミサトは彼を迎えに行き、そして本部内で迷ったのだろう。

『前回』とまったく同じシチュエーション…溜め息の一つも出ようものだ。

大体作戦部長ともあろう者が、方向音痴では話にもならない。

だが、それも仕方が無い。その地位は能力によって選ばれたというより、父の仇である使徒に対する歪んだ復讐心を利用されているきらいが強い。

担がされている事も知らず、調子外れの踊りを踊り続ける哀れなピエロ…。

すべてはゲンドウのシナリオ通り…。

だが……。

(それは、私も同じこと……)

あれから一ヶ月……リツコの胸に去来するものは虚しさだけだった。

過去へ戻って来たとしても、自分にはもはや人類の未来なんてどうでもよいと、と思っている。

いや…はじめからそんなものなど無かったのかもしれない。

あったのは、母に対するコンプレックスとゲンドウへの歪んだ愛憎だけ。

そして、その心すら利用されていただけでしかなかった。

笑うしかない……。

(何の為に、私は此処に居るのかしら……)

リツコは自分の存在意義を完全に見失っていた。

ただ、流されるように生きている。

それは…”息をしているだけ”、”死んでいないだけ”と言った方が正しいのかもしれない。

「ご免なさい。マヤ、あとお願いね…」

「あっ…は、はいっ!」

マヤにエヴァ初号機の最終調整を任せると、リツコはケージを出て行った。

前回と同じ様に、ミサト達を迎えに行かなければならない。

だが、その足取りは重かった。

その原因も分かっている。

これから逢う少年……。

碇シンジ。

親に捨てられた脆弱な精神を持つ少年。

勝手な大人の欲望で利用され、心を壊された少年。

そして……自分もそれに加担していた。

だから、リツコはシンジに逢いたくなかった。

まるで自らの業の深さを突き付けられるようで……。

「…変えられないのね、何もかもが……」

もう、どうでも良い。

自分一人で何が出来る?どうあっても変わらないのなら、何もしなくても同じではないか?

どうせ一度は死んだ身なのだ。

生に対する執着など無い。

それに…求めるものは、手には入りはしないのだから……。

エレベーターに向かう彼女の後姿には、まるで生気というものが感じられなかった。

 

 

 

  NERV本部・第五エリア通路 エレベーター前

 

「あら、リツコ…?」

エレベーターの扉が開くと、そこに居るのは遅刻し気拙げな表情のミサトと……

そして……

(え…?)

ミサトの傍らに立つ少年を見たとき、自分の知っているイメージとは明らかに異なった印象に違和感を抱く。

シンジは。地肌にカッターシャツを着込み、ポケットに片手を突っ込んだまま、冷たい眸でこちらを見詰めていた。

不遜な態度とも取れるが、何故か様になっている。

優等生然とした…悪く言えば「何の個性も無かった」以前の雰囲気とは浮ける印象も何もかもがまったく違っていたのだ。

「…どったの、リツコ?」

遅刻した上、本部施設内で迷子になってしまったという不名誉を咎められると思って身構えていたミサトは、いつもと違う親友の様子に拍子抜けしたように尋ねてきた。

「あっ?いえ…何でもないわ。その子が例の……?」

「そ、サードチルドレン・碇シンジ。これがすんごい無愛想なのよ。さっすが親子よねぇ〜」

ぼやくミサトを無視して、改めてシンジを一瞥するリツコ。

だが、そんなリツコの無遠慮な視線に不快げに視線を返すシンジ。

「…何か?」

「え、いえ……」

愛想に喧嘩を売っているような少年の態度に、リツコは戸惑ったような表情を浮かべた。

ミサトも苦笑いをしながら肩を竦める。

しかし、リツコはそうはいかない。

これがあの碇シンジなのか……?

姿格好もさることながら、纏った雰囲気があまりにも異質だ。

以前の、中性的で華奢な身体つきは変わらないものの、刺す様な冷たい眸からは、相手の顔色ばかりを気にするかつての気弱な少年の姿はまったく無かった。

「あなた……本当に碇シンジ君?」

リツコは思わず疑念を口にした。

「…それ以外の、何に見えます?」

黒曜石を鏤めたような黒い眸がリツコを捉える。だが、その眸の色は酷く澱んでいるような気がした。

その無形の威圧感に、リツコは思わず息を呑む。

「いえ……ご免なさい。私はE計画担当の赤木リツコです。宜しく」

「宜しく。碇シンジです」

差し出されたリツコの手を無視し、軽く頭を下げただけのシンジ。

(やっぱり……)

リツコは何かを感じたように手を引っ込めた。

別に、どのような挨拶をしようとも本人の勝手だが、”かつて”のシンジは決してこんな態度をする少年ではなかった。

以前リツコ自身が評したように、「他人と出来るだけ揉め事を避ける為に、極力他人の言う事には従う」……それが碇シンジの処世術だったはず。

だが、目の前に立つこの少年は……。

「ね、可愛げないでしょ?ホント、ずっとこの調子よ。こんな綺麗なおネ〜さんが迎えに行ってあげたってぇのに……」

折角の一張羅も台無しじゃない、とぶちぶち文句を言うミサト。

「ミサト、今は無駄口を聞いている暇はないの。…こっちよ、シンジ君。案内するわ」

「あっ、待ってよ、リツコ!」

ミサトが慌てて駆け出す。シンジもその後にゆっくりと続いて行った。

後ろから付いて来る少年をそれとなく観察しながら、リツコの頭の中には次々と疑問が沸き上がる。

(この子の性格……どう言う事なの?”此処”は私の知っている世界じゃないの…?)

わからない…。

何もかもがわからない…。

リツコの進む先は、まるで出口の無い迷宮のように光が無かった。




To be continued...


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