贖罪の刻印

第二話

presented by ミツ様


  NERV本部第一発令所

 

グルヲォォォォォオオオォォォォオオオオオオォォオオォォォオオオオ!!!

 

「………な、何ナノよ!?あれ……」

発令所…いや、ジオフロント全体に鳴り響く獣の咆哮に、ミサトが呆然とした表情で呟く。

皆、目の前に繰り広げられた光景に声も出ない。

正面モニターに映し出されているのは、血塗れで地に伏した第三使徒と、それを踏み付け、勝利の雄叫びの如く咆哮を上げ続ける初号機の姿だった。

 

 

……それは、唐突に起こった。

 

 

  〜三十分前〜 NERV本部・第一発令所

 

「第一種戦闘配置よろし」

本部発令所では、対使徒決戦兵器エヴァンゲリオン初号機の起動シーケンスが開始されていた。

オペレーター達の声が飛び交う。

「冷却水排水」

「停止信号プログラム排出」

「冷却終了。ケージ内、すべてドッキング位置」

「エントリープラグ挿入、固定完了」

「第一次接続開始。エントリープラグ、LCL注入」

発令所のモニター映像に映し出されたエントリープラグ内のシンジは、俯き加減に眼を閉じて動かず。

LCLの水面が口元を越えても、それは変わらなかった。

コポッと口元から気泡が漏れる。軽く深呼吸をして、自然に肺の空気を追い出したようだ。

モニター越しに見詰めていたミサトは、不思議そうにリツコに尋ねてきた。

「……ねえ、リツコ?碇司令…、もしかして前もってシンジ君に何か話してあったのかしら?」

「まさか…」

上をちらりと振り返りながら、リツコは小声で答える。

発令所の上段には、ゲンドウと冬月が黙して佇んでいる。

あの男がそんな事をするはずが無い……。

ゲンドウのシナリオでは、この戦いは使徒に勝つ事以上にシンジを危機的状況に陥らせ、初号機のコアを目覚めさせる事にあるはず。

その為ならば息子を犠牲の羊に晒す事も厭わない非情さを持つ男なのだ。シンジに事前に情報を与えているとは考えられなかった。

「でも、普通驚くわよね?LCL……」

「………ええ」

エントリープラグへのLCL注入。

エヴァとの神経接続を補助し、搭乗者を物理的衝撃から守る一種の液体呼吸装置だが、いきなり液体がプラグ内を満たしていくのだ。

呼吸が出来なくなるかもしれないという恐怖に、何も知らない者ならパニックに陥るはずだ。

……もっとも、それを事前に説明しない自分達に責任があるのだが。

「それに、さっきのケージ内の態度といい、……ちょ〜っち普通じゃないわよねぇ?」

「…ミサト、今は考えるのは後にしましょう。敵は目の前に迫っているのよ」

「わかってるわ……」

そう言って、別のモニター画面に映し出されている使徒の姿を睨みつけるミサト。

憎しみの篭もった瞳…ようやく父の仇が討てる事に興奮しているのかもしれない。

リツコはそんなミサトの変化を冷たい眼差しで一瞥すると、ディスプレイ内の少年の姿を食い入るように見詰めた。

ミサトにはああ言ったが、実は彼女もまた疑問を拭い切れていなかった。

いや…前回の記憶を持っている分、誰よりもその思いは強いだろう。

先程から感じているシンジへの違和感。

一体、彼は何者なのか……?

「主電源接続…」

そんなリツコの疑問を他所に、静かに、そして確実に進行していくエヴァ初号機の起動シーケンス。

「全回路動力伝達、起動スタート」

「稼動電圧、臨界点突破しました」

「第二次コンタクト開始」

「パルス送信します」

「A10神経接続、異常無し」

「初期コンタクト、すべて問題無し。双方回線開きます…」

「シンクロ率、17.3%。……エヴァ起動しました」

発令所にどよめきが走る。

「う〜〜ん、起動数値ギリギリかぁ……。ま、ぶっつけで起動しただけでも良しとするか……」

ミサトはそう言うが、明らかに不満そうな声を出している。

シンクロ率は高ければ高い方が操縦者の居のままに動く。この値では碌な指揮が取れないと内心舌打ちする。

もっとも、既に素人を導入した時点でそんな事を言える立場ではないのだが、ミサトにしてみれば己の手で使徒を倒す事がすべてなのだ。パイロットは自分の指示通りに動いてもらわなければ意味がない。

リツコにとってもこれは意外な結果だった。シンジは前回の初搭乗では40%近いシンクロ率をマークしたはず……。

この記憶のズレは一体何を意味するのか……?

 

そして、司令席の傍らから下の様子を見ていた冬月の顔にも、動揺の色が浮んでいる。

「……碇、どう言う事だ?俺のシナリオとは違うぞ…」

冬月が誰にも悟られないように、そっとゲンドウに耳打ちする。だが、地下の支配者は顔の前で手を組み、唇を歪めたまま呟いた。

「…問題無い。初号機が起動した事が重要だ。…それにヤツは所詮『予備』。大して期待などしておらん……」

「しかし、これでは……」

「シンジが命の危機に陥りさえすれば、おのずとユイは目覚める…。十分修正可能範囲内の出来事だよ…」

「……そうか…お前がそう言うなら……」

冬月は、一応納得の素振りを見せたが、一抹の不安を隠せないでいる。

(…おかしい。……彼は母親を求めていないと言うのか……?)

 

下ではリツコがマイクを掴んで、プラグ内のシンジに通信を送っている。

「シンジ君、何か身体に異常は無い?」

『…別に、何も……』

ゆっくりと眼を開き答えるシンジ。その表情からは何も読み取る事が出来ない。

「イケるんでしょ、リツコ!?」

出訴前の競走馬のように、ややイレ込み気味のミサトが鼻息荒く確認を求める。

「…え、ええ……」

「よし!エヴァンゲリオン初号機、発進準備!!」

ミサトの号令が発令所内に響いた。

「了解。第一ロックボルト解除します」

初号機の肩に掛かったボルトが除去される。

「解除確認。アンビリカルブリッジ移動開始」

「第二ロックボルト外せ」

「第一、第二拘束具除去」

初号機の前面にあった専用通行用橋と前面拘束具が移動を開始し、汎用人型決戦兵器…エヴァンゲリオンの全身が露わになった。

紫と緑のツートンカラーのボディに、角を生やし鬼の形相をした巨人。

人類の英知が結集した最後の希望は、今、静かに胎動の刻を待っていた。

「1番から16番までの安全装置を解除」

「内部内電源充填完了」

「電源用コンセント異常無し」

「エヴァ初号機、射出口へ!」

初号機がケイジ内から射出カタパルトへと移動される。

「進路クリア、オールグリーン。発進準備完了」

「了解。……司令、構いませんね」

すべての準備が完了し軽く息を吐いたミサトは、後方のゲンドウに確認を求めた。

「勿論だ。使徒を倒さぬ限り人類に未来は無い」

その言葉に頷くと、ミサトは大声で号令を下す。

「発進ッ!!」

バシュッ!という音と共に、初号機がリニアレーンによって地上へと押し出された。

 

 

 

  〜五分前〜 第三新東京市

 

夜の帳に包まれた第三新東京市に現れる紫の巨人と、それと対峙する人類の宿敵。

「シンジ君!まずは歩いて……ッ!?」

この低シンクロ率ではいきなりの戦闘は無理と判断し、最初に慣らし運転をさせようとしたミサトの指示が途中で途切らされた。

初号機が地上に射出された瞬間、ミサトの号令も待たずに拘束具を引き千切ってそのまま使徒に襲い掛かったからである。

「ちょっと、シンジ君!?止まりなさいッ!!」

ミサトは慌ててシンジに通信を入れるが、無視するように返答が無い。

そこにマヤから驚愕の報告が入る。

「シンクロ率が急激に上昇!?95%を突破しました!!」

「何ですってッ!?」

驚く発令所を他所に、一瞬で間合いを詰める初号機。

周辺の施設を吹き飛ばしながら疾走したその姿は、まさに紫電が駆け抜けたようだった!

だが、至近距離まで接近した初号機に対し、使徒はA.T.フィールドを展開した。

紅い絶対防御障壁が行く手を阻む。

「拙い!A.T.フィールドに通常攻撃は効かないわッ!!」

ミサトが叫ぶが、しかし初号機はその紅い壁をまるで薄紙でも切り裂くが如く破壊し、右拳を使徒の顔面に叩き込んだ!

仮面のような頭部へ直撃。入る亀裂。よろめく使徒の巨体。

「…うそ……」

「そんなッ!?…A.T.フィールドを素手で破壊した……」

信じられないものを見るかのように凍りつくミサト達。

戦場では、エヴァと体勢を立て直した使徒が同時に踏み込み、両手ががっちりと組み合う光景が映し出されている。

互いの持つ圧倒的なパワーに耐え切れず、両足を支える地面が深く抉れていく。

その時、ヒビの割れた使徒の伽藍の様な虚ろな眼窩に閃光が疾った!

次の瞬間、大爆発が起こり、初号機が紅蓮の炎に包まれる。

続けて二度三度と連続して放たれる閃光。両腕を互いに組んでいる状態では避けようがない。

初号機は業火と爆炎の中に呑み込まれていった。

「あんな至近距離で食らったら、いくらエヴァの装甲でも……!?」

モニター越しに映し出される地獄の様な光景に、オペレーター達の青褪める声が重なる。

だが……。

 

 

 

【グチャリ…ッ!】

肉の潰れる音がした……。

 

 

 

《………ッッ!!!》

使徒が声にならない苦悶の声を上げる。

そこにいる誰もがそう感じた。

見ると、押し込んでいたはずの使徒の指が、紫の巨人の指によって握り潰されたのだ。

そして黒煙を切り裂き右膝が飛び出し、使徒の腹部に叩き込まれた。

「しょっ…初号機健在です!A.T.フィールド感知。…す、凄い…通常の三倍以上の出力だ……」

「そんな…っ!?」

オペレーターの青葉の言葉に、驚愕の表情を浮かべるリツコ。

画面からは爆炎の中に映し出される初号機のシルエットが…。

顎部ジョイントが破壊されたのか、顎門を開いたその姿は嗤っている鬼の形相にも見える。

その鬼が無造作に右腕を振り下ろす。五指から紅い閃光が放たれ、使徒の身体をナマスの様に切り裂いた!

辺り一面に撒き散らされる臓器と血飛沫。

兵装ビルが使徒の血を吸い、真っ黒に染まる。

そして仰け反った態勢の使徒の懐に初号機が迅雷の疾さで潜り込み、渾身の力で右肘部を打ち付けた。

金属片が割れるような澄んだ音を立てた後、コアが砕ける!

もはや抵抗する余力も無く、使徒は砕け散った仮面の虚ろなる眼窩から多量の血を吐きながら、崩れ落ちていった。

そして……使徒の返り血を浴び、汚される事も構わず、そのまま彫像の様に聳え立つ紫の鬼神。

………神の遣いと悪魔の戦い。

その壮絶な姿にリツコは戦慄を覚える。

それはまるで、神話の聖戦の一場面を見ているかのようだった。

 

 

 

  NERV本部・第一発令所

 

数分後、ジオフロント内を揺るがす咆哮が止み、何事も無かったかのように静けさを取り戻すと、ようやく発令所の面々も再起動を果した。

その中で、ミサトは苦虫を噛み潰したような険しい目付きで初号機を睨み付けたままだった。

無理も無い…。彼女にしてみれば、自分の指揮で使徒を倒さなければ復讐を果す事にはならないのだから。

その視線は、敵を射殺すかのように鋭いものとなっている。

リツコは、この世界でも変わらない哀れな友人を見て嘆息した。

「…取りあえず、使徒は倒したのよ。今は勝った事を喜ぶべきではなくて?」

「…………わかってるわよ…それくらい………」

搾り出す様な低い声。これが普段あの闊達な彼女かと思うとぞっとする。

ミサトは何かを抑えつけるように身体を小刻みに震わせていた。

「だったら、そんな顔をするのはお止めなさい。命がけで戦った者に対して、礼を失することになるわ」

ミサトの表情はなお硬い。リツコは一瞥をくれただけでマヤに向かって言った。

「パイロットの映像、回復出来る?」

「あっ…はい。可能です」

「繋げて……」

リツコの指示でエントリープラグ内が映し出される。

だが、そこに映っている少年の顔を見たとき、誰もが息を呑んだ。

 

 

そこに映っていたのは…。

 

 

……細められた冷たい黒曜の眸。

……歪められた唇から覗く赤い舌。

 

 

少年は嗤っていた…。

 

心底嬉しそうに…。

 

肩を引き攣らせながら…。

 

嗤っていたのだ!

 

 

誰もが声も出ない。

メインスクリーンに大映しになった十四歳の少年。

その漆黒の眸と真紅の咥内の奥に蠢くモノ……。

闇よりもなお深く、夜よりもなお昏いナニかが……。

血よりもなお赤く、炎よりもなお熱いナニかが……。

ソレが、第一発令所に詰めている全員を高みから見下ろして……。

 

 

嗤っている……!

 

 

唇を歪め、声を殺しながら嗤っている。

死神に嗤い掛けられたらこんな気持ちになるのか……。

背中から汗が沁み出す。

身体の震えが止まらない。

それを見た者達は言い知れぬ不安と恐怖に、一言も言葉を発する事が出来なかった。

 

 

 

………これが、NERVによる第三使徒迎撃戦の結末だった。




To be continued...


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