使徒が嫌い、でもエヴァは好き

プロローグ

presented by ピンポン様


 太陽が地平線の彼方から顔を出し始めた頃、清潔感溢れる真っ白に統一された壁とドアに囲まれたなか、一つのドアの前でうろうろと落ちつきなく行ったり来たりしている男がいた。

 その男は暑苦しい髭で顔中を覆い赤いサングラスを掛け、この場にいるのがこれ程似合わない男もいないだろうという見本のような中年だった。

 中年の名を碇ゲンドウと言い、彼が今何をしているかと言えば、ドアの向こう側で我が子を出産しようとしている妻を今か今かと待っていた。

 ドアの前を何往復したか数えるのもバカらしくなるほど行き来していたが、中から赤ん坊の泣き声が聞こえてきたのをきっかけにピタリと止まった。

 ゲンドウが赤ん坊の泣き声に感極まって目頭を熱くさせていると、部屋の中から額に汗を張り付けた一人の看護婦が出てきた。

「おめでとうございます! 元気な双子の男の子ですよ」

 彼女が笑顔でそう告げると、ゲンドウは震える足を何とか動かして病室の中に入っていった。

 ショートカットの柔らかそうな黒髪の女性がベッドから半身を起こし、生まれたばかりの双子を抱いている。疲れきっているのが目に見えて分かったが、これ以上ないぐらい穏やかに微笑んでいた。

「よくやったな、ユイ」

 ゲンドウを知っている者が見たら間違いなく目を疑うような微笑みを浮かべる。自然と早足になりつつユイに近づいていった。

「あなた、見て下さい。こんなに可愛い双子なんですよ」

 視線を妻の腕に抱かれてる二人の赤ん坊に移す。

 先程まで耳が痛くなるほどの大音量で泣いていたのに、今は愛くるしい顔ですやすやと眠っていた。それを見てゲンドウの口元は自然と綻んでいった。

「ああ、君によく似ているな。……しかし、双子とは思わなかったな……」

 そう、彼ら夫婦は生まれた時の楽しみにしようと思って性別を聞かなかったのだ。

「ええ、私もびっくりしました。でも双子で喜びも二倍になりましたね。」

 胸に抱いてる子共達を見ながら笑顔になる。

「名前はどうします?」

 ユイの問いにゲンドウはじーっと我が子を見る。しばらくそのまま考えていると、不意に彼女と視線を合わせた。

「兄をシンジ、弟をシュウジと名付ける」

「シンジにシュウジ……」

 ユイはゲンドウが名付けた名前を反射的に口の中でつぶやき双子を見る。そのまま何か考えているかのように動かない。

「男だったらシンジ。女だったらレイと名付けようとしていたのだ……双子だからシンジの文字を少しいじってシュウジと思ったんだが……」

「……気に入らなかったか?」

 どこか不安げな表情でユイの顔を見た。ゲンドウのその情けない顔を見て「くすっ」と可笑しそうに笑った。

「いえ、とてもいい名前だと思います」

 そして、ゆっくりと微笑む。その笑顔を見てゲンドウは自然と笑顔になり、これから愛する妻、愛しい子供達をなんとしても守ろうと心に誓ったのだ。

 セカンドインパクトが起こる三ヶ月前のことだった。










 セカンドインパクトから三年が経ち、第三新東京市も漸く復興してきた。

 シンジとシュウジが生まれた年、綾波レナと惣流キョウコの子供、レイとアスカも生まれていた。ユイ、レナ、キョウコの三人は昔からの親友で、『東方の三賢者』と呼ばれるぐらい世界中から注目を浴びている科学者でもあった。彼女達は家族ぐるみの付き合いをしており非常に仲が良く、組織ゲヒルンで科学者として働いていた。





 そんなある日、所長室と書かれたプレートが掛かっている一室で、何やら書類を整理してる部屋の主であるゲンドウと、白髪をオールバックにしている初老の男がいた。

「碇、加持君はまだ戻らんのかね?」

 白髪の男がゲンドウに訊く。

「彼ももうすぐ戻るでしょう……何を心配しておられるのですか? 冬月先生」

 書類整理している手を休め、白髪の男に振り向く。

 冬月と呼ばれた老人はどこか心配そうな顔つきになり問いかけた。

「彼が優秀なのは分かっているが……場所が場所なだけにな……」

 そこまで言うと、机の上に備え付けてある電話が鳴り始め、ゲンドウが手を伸ばし電話に出る。

「私だ…………入れ」

 ゲンドウが電話を切り、目の前の扉が横にスライドする。

 現われた男は無精髭を生やし、どことなく軽そうな感じのするの青年だった。ゲンドウと冬月がいるのを確認すると口を開いた。

「只今戻りました。……いやはや、今回はちょっときつかったですね」

 そう言いながら、肩をすくめおどけてみせる。

「君にしては遅かったから心配していたのだよ……それで何か分かったのかね? 加持君」

 冬月に加持と呼ばれた青年は「冬月先生が私のことを心配してくれるとは思いませんでしたよ」と笑い、胸ポケットから煙草を取り出し一息深く吸い込んだ。

「ええ、老人達は人類補完計画を進めているようでしたね。それに何か別の計画も立てているようでしたよ」

 加持の言葉を聞き、難しい顔をする冬月。

「やはり老人達は諦めてなかったか…………それと別の計画とは何かね?」

「詳しくは……しかし、幼い子供を使って何かするつもりですね」

「幼い子供?」

 加持が来てから漸く言葉を発するゲンドウ。

「ええ、どんな実験かは分かりませんでしたが、何十人もの子供がいましたよ。おそらく何処かから攫ってきて……」

 歳の離れた弟を思いだし、辛そうな表情で語る加持。

「そうか…………しかし、我々は人類補完計画を阻止するため、あの計画を進めねばいかん」

 ゲンドウも自分の子供達を思い出したのだろう、一瞬口元を歪めた。肘を机の上に乗せ、手で口元を隠すかのように覆う。

「そうだな……だが、被験者は決まったのか?」

「………………」

 冬月の問いかけに無言で返す。

 暫く誰一人口を開かなかった。重くなった雰囲気を振り払うかのように、電話の音が鳴り響く。

「私だ…………何だと!?」





 そんな謎の会議が行われている時、ユイ達主婦組は井戸端会議に花を咲かせていた。彼女達が住んでいるのは、ゲヒルンから近くにあるマンション、コンフォート17で、彼女たち三家族は隣同士に部屋を借りている。よっぽどのことが無いかぎり子供達と一緒にいて、家にあるパソコンでディスクワークにしていた。

 基本的に家が真ん中に位置するユイの家に集まることが多い。この日も彼女の家に集まりパソコンで仕事をしていた。子供達は隣の部屋で仲良くお昼寝している。

 時刻は午後一時を少し回った頃、エプロンを外しながらユイがキッチンから戻ってきた。

「そろそろお昼ご飯にしましょう」

 居間で仕事をしているレナとキョウコの元に歩いていった。

「そうね、お腹も空いたし」

 ちょっと茶色がかった髪の色で、ユイと双子と見間違ってもおかしくない顔立ちをしている女性、綾波レナがパソコンの電源を切り立ち上がった。

「今日の昼食はなに? ユイの作るご飯は美味しいから楽しみ! そこらのファミレスなんて目じゃないわ!」

 腰まで伸ばした紅茶色の髪が自慢の惣流キョウコが冗談めかして笑っている。

「調子いい事言ってないで、たまにはキョウコが作ってくれてもいいでしょ! いっつも私が作ってるんだから……」

 ぶつぶつ文句を言いながらジト目でキョウコを見る。

「まあいいじゃない! ユイが作ってくれた方が美味しいんだから〜。それにレナだって何にもしないじゃない」

 キョウコはレナに視線を向ける。

「私だって何にもしないわけじゃないわ! たまには私も手伝ってるじゃない!」

「ホントたま〜にじゃない……一ヶ月に一回手伝ってくれるかどうかってところだし」

 レナが心外だとばかりに怒ったようにキョウコを睨むが、ユイは呆れたように溜息を吐く。

「え? あははは……そ、そうだレイ達を起こしてこようかな〜?」

 逃げるように隣で寝てる子供達を起こしに行く。

「全く! 自分に都合が悪いとすぐ逃げるんだから……」

 呆れたようにキョウコが言い放つ。

 ユイも「しょうがないわねぇ」と言いながら笑っていた。

 二人は笑いながらダイニングルームに向かった。

「ユイ! キョウコ! シンジ君が……」

 隣の部屋からレナが怒鳴るような声で二人を呼ぶ。

 普通じゃない様子のレナに何事かと足早に彼女の元に向かった。

「シンジがどうし……」

 シンジを見たユイは最後まで言葉を繋げれなかった。

「ユイ?」

 部屋の入り口で固まっているユイを押しのけるようにして部屋に入っていくキョウコ。そこで目に映った光景は、シンジの体が小刻みに痙攣しており、肌はアルビノのレイと同じように真っ白で、目は半開きのまま白目を剥いていた。





 あれから、ゲンドウに連絡を取りすぐにシンジをゲヒルンへと連れて行った。キョウコの運転する車の後ろで、ユイが泣きながら毛布でくるんだシンジを抱きしめていた。

 ゲヒルンに着くとすぐに緊急治療室に運んだ。

 レナが近所の人に子供達を預けて慌ててやってきた頃には、痙攣こそ治まっていたが、肌の色素は段々と失われており、髪の色素も失われ徐々に白くなっていった。

 彼女たち三人は科学者だが、ドクターライセンスも持っており普通の医者より腕がいい。しかし、こんな症状は初めて見る。最先端の医療機器を使い色々と検査をしたが、何一つとして分からなかった。異常は発見できず、シンジは目を覚ますことなく眠り続けていた。





 シンジがゲヒルンに運び込まれてから丸一日が経っていた。

 今やシンジの体は、肌と髪の毛が真っ白になっていた。この姿をあまり人に見せない方がいいと判断し、セントラルドグマの奧、第三分室に身を隠した。

 考えられる様々な治療を試したが何の効果もなく、シンジは眠り続けていた。

 素人目に見て何の機械か分からないような医療機器の先から色々なコードが延びており、何十本もの線がシンジの体と繋がっていた。胸の先に付いているコードをたどっていくと、心臓の動きを示す定期的な電子音が鳴っているのが分かる。それこそが、シンジが生きている事を確かめる唯一の術だった。

「けど、不思議な病気ね……髪と肌の色素が落ちて、後はひたすら眠っているなんて」

 キョウコは真剣な表情でカルテを覗き込んでいた。一見、軽そうな口振りだが彼女が本気で心配しているのが分かっているため、ユイもレナも何も言わない。

「そうね……今は手の施しようが無いわね」

 レナも難色を示す。

「今は生命に危険は無いけど、いつそうなってもおかしくないわね……」

 そっとシンジの髪を撫でながらユイが呟く。その瞳は涙で濡れていた。

 レナもキョウコもどうすればいいのか全く分からず、自分の無力さを嘆いた。





 普段の仕事に加え、シンジの事を寝るのを惜しみ不眠不休で考えていたユイとゲンドウは、肉体的にも精神的にも疲れきっていた。

 研究所の一室でシンジのデータを見ながら何かの実験をしていたユイに近づいていくゲンドウ。

「あなた……シンジは助かりますよね?」

 ユイは虚ろな表情で、すぐ後ろまで来たゲンドウに振り返った。彼女の目には生気が宿っておらず、泣きはらした顔をしていた。

 ユイの泣いている姿など見たくなかったゲンドウは、何も出来ない自分を呪い、目に涙を溜めながら思い切り抱きしめた。

「大丈夫だ、シンジはきっと助かる。だから元気を出せ」

 ユイの頬にゲンドウの涙が伝う。自分だけが辛いと思っていた彼女は、夫も言葉に出さずとも苦しんでることが分かった。

 ゲンドウの体から身を離したユイも泣いていた。

「そうですね……こんなんじゃシンジに笑われちゃいますね」

 ユイは涙を流しながら微笑んでいた。

「ああ。あの子の為にも我々に出来ることを尽くそう」

 ユイの笑った顔を久しぶりに見たゲンドウは穏やかに微笑んだ。





 ゲヒルンにシンジが来てから一週間が経った。

 その間、必死になって解決策を探し色々な治療を試したが、何の快復の兆しも見せず途方に暮れていた。

 ユイとゲンドウが、寝ているシンジの横に座って様子を見ていると、シンジの体がまた痙攣し始めた。目は完全に開ききっており、瞳孔が開いていた。

「っ!? シンジ!!」

「シンジ! くそっ」

 シンジの急激な変化に慌てたユイとゲンドウが口々に叫ぶ。

 シンジは苦しそうに呼吸をしており、時折うめき声を上げながら小刻みに震えていた。

 ユイは泣き叫びながらシンジに呼びかけてるが、それで事態が良くなるわけも無く、ゲンドウはシンジに繋がってる機器を見渡した。脳波、脈、心臓などを見ると少しずつ、しかし確実に死に近づいていっているのがはっきりと分かった。このままではシンジの生が終わるのは時間の問題、そこで彼は最終手段と言うべき提案をする。

「ユイ! このままではシンジの命が危ない!」

 ユイの肩を掴み自分の方に体を向けさせ叫んだ。

「でも……どうすればいいんですか! このままじゃシンジが! シンジが…………」

 ユイは涙を流しながら崩れるようにその場に座り込んだ。そんな彼女を見て、血を吐く思いで口を開く。

「…………シンジをE計画の被験者にする」

 一瞬ゲンドウが何を言ったか分からなかったが、その言葉を理解すると、項垂れていた頭を上げ男を睨み付けた。

「何言ってるんですか!! それではいつかシンジは……」

「だが、このまま放っておけばシンジは死ぬ。もし成功すればシンジは生き残るはずだ」

 ユイの言葉を遮るように宣言する。

 ユイは一度シンジの様子を見た。シンジは苦しそうに呼吸をしており、うめき声を上げ体が震えていた。ここに来る前の健康的な肌は色素を失い、髪の毛も真っ白になっている。そのシンジの様子はもう手の施しようが無く、死に近づいていっているのが目に見えて分かった。

 ユイは涙を拭き、何かを決意し強い意志を込めた瞳をゲンドウに向けた。

「分かりました。シンジの助かる方法はそれしか無いんですね……近い将来恨まれる事になっても……」

「ああ…………では大至急準備をしてくれ。私は他のスタッフを呼んでくる」

 そう言い残し、ゲンドウは足早に第三分室から出ていった。ユイはシンジを眺め、白く柔らかい髪を優しく撫でた。

「ごめんね、何にも出来ない母親で……愛してるわ、シンジ」

 震えてるシンジを抱きしめ、額にキスをして奥の方に消えていった。





 数人の足音が聞こえ勢いよく扉が開いた。中に入ってきたのは、ゲンドウ、冬月、赤木ナオコ、キョウコ、レナ、加持、の六人だった。

「碇、それで被験者は誰なんだね?」

 ゲンドウは冬月の質問に無言で一つのベッドに視線を送る。その視線の先を追っていくと彼らが見知った子どもが震えていた。

 キョウコはそれを見ると、ゲンドウを睨み付けた。

「まさか……シンジ君ですか!?」

「そうだ、このまま何もしなかったらシンジは…………だからこの計画の被験者に選んだのだ」

 サングラスに隠れてはっきりとは見えないが、その奧に光り輝くものが見え、キョウコは何も言えなくなった。

 レナもそれを見て、沈痛な面持ちになる。

「そうね……シンジ君が助かるかもしれないし……」

 暫く三人のやり取りをボーっと見ていた黒髪に紫色の口紅の女性が口を開く。

「この子がシンジ君? どういうことですか?」

 赤木ナオコの記憶にあるシンジは、黒髪でもっと健康的な肌だったはずだ。

「原因不明の病気にかかり髪と肌が変色してしまった……一週間程前にここに連れて来て色々試したが、結局治らなかった……」

 シンジの頭を優しく撫でる。

「碇博士は何て?」

 加持がこの場にいないユイの事を訊く。

「ユイも承知している。今あそこで準備している筈だ」

 彼らが入ってきた扉と正反対の方向を向き、加持の問に答える。

 ゲンドウは苦しそうにベッドの上で震えているシンジから名残惜しそうに視線を外し、この場に集まった者達に顔を向け深く頭を下げた。

 それと同時に、一人分の足音が奧から聞こえてきた。皆の視線が自然とそちらに向かう。その足音は、悲しみに満ちた、しかし覚悟を決めた顔つきで歩いてくるユイのものだった。彼女はシンジの前で立ち止まり、暫く眺めていたが皆に向き直り、声高々に宣言した。

「これより第一次EVA選出実験を始めます」

 ――この日を境に人類の運命は大きく変わっていく。






To be continued...

(2007.05.13 初版)
(2007.05.26 改訂一版)


(あとがき)

 初めまして、ピンポンと申します。今まで色々なSSを読みあさり小説を書いてみたかったんですが、中々踏ん切りがつかず、今回初めて書いてみました。初めての作品で文章が稚拙だと思うんですが、楽しんでいただけたら幸いです。何卒よろしくお願いします。

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