2013年

冷たい風を全面に受け、陽光の照り返しで美しく深い緑の海面を一隻の船が滑らかに進んでいる。
前方には既に街が見えてきた。その船の甲板上には一人の少年が立っていた。これから向かう先を、到着地を少しでも早く見たいという少年らしい思いに駆られて甲板上に現れた少年の眼前には寄港するべき港が見える。
海洋国家の伝統を持つこの国は世界で最も美しい港を持つといわれている。だが少年を驚かせたのは港ではなく街そのものの姿だった。
今、この場に来るまで四方を海に囲まれた自分の母国の姿を僅かに重ねていた少年は、その考えが決定的に間違っていたことに気づく。
まずもってその都市は四方を海に囲まれているのではない。海の上に街そのものが存在している。そして寄港すべき港が見えた少年は困惑する。街のどこにでも船着場があり、ために港があるにしてもそれはあくまで大型船用で、小型の船は街の中へと入っていっているのだった。
そして夕陽の紅と海の緑に包まれた街はイスラム風の寺院や中世を思わせる建築様式の建物がずらりと並び、それらの特徴である塔が空へと突き出し、夕陽の光を浴びて夜の帳がおりはじめた薄暗い空に映えるのであった。

これが、少年とこの街との出会いであった。



ベルベットの商人シンジ

−Mare Nostrum−

第零話

presented by レノ様




2015年


海上都市ベルベット、それだけは今も昔と変わらぬ呼び名である。
見渡す限りの海、かつてはそこは海の都といわれたほど美しく太陽に愛された都であり、地中海の真珠とも呼ばれていた。当時は僅かに海面から顔を出す程度にあった島の上に作られた街であったが、セカンドインパクトの影響で海面が上昇したため現在ではかつての街の建物にそのまま階上を継ぎ足し、新たな街を作り、文字通り海の上の街へと変わっていた。


セカンドインパクト以前、毎年双頭星雲が輝く頃に行われていた仮面舞踏会が行われていた。参加者は全員仮面を着用することが義務付けられており、それは年齢、肌の色、信条などの全ての障害を越えての友愛を示すものとして広く受け入れられ、舞踏会の間は人口が二倍になる。といわれたほどの盛況ぶりだった。そしてそれらの人々が装う装飾品が海の上の美しい街であるベルベットをさらに美しく飾るのが恒例であった。
しかしながら、その思想はいつの間にか忘れ去られ、セカンドインパクト後の混乱により引き起こされた紛争に当てるための優秀な兵士を探すための仮面武闘会へと姿を変えていた。

このベルベットに、今も昔も変わらぬことがある。それはベルベットに陸地がないことである。中世までさかのぼればベルベットが陸地を求めて進出したことはあったが、それでも主力は変わらなかった。
それは経済だ。
街の性質上、彼らは隣の町に行くにも帆を張る、といわれたギリシア人以上に海と船には馴染み深く、中世においては西欧とオリエントを結ぶ中継地点として、近代では黒海沿岸部まで運ばれてくるロシアからの石油などを中心として通商を行い、その財を築いてきた。また、その立地が経済の振興を助けているのは言うまでもない。海の上に作られた街そのものであるがために、陸海空のうち陸以外の交通網の整備は20世紀初頭、他国よりもいち早く完成させ、また陸路もいつでも技術進歩により2000年までは大陸横断鉄道も通っていた。残念ながら鉄道はセカンドインパクトの衝撃でその機能を止めてしまった。
ともかく、セカンドインパクト以前、陸・海・空とあらゆる交通網の要所でありハブとなっていたベルベットに復興のための資金が集まるのは早かった。そして政府の一貫した指導の下になされた技術者誘致の政策もあり、ベルベットはいち早くその機能を取り戻し、どこよりもはやく事態に対応することが出来た。
だが、他者の手に利潤があればそれを妬むモノが存在するのは当然であり。それが争いの火種となるのは人間世界の常である。当時の世界で同じくいち早く立ち直った西ヨーロッパに資本がある財団があった。いや、おそらくベルベット以上に被害は少なかった。彼らはまるでセカンドインパクトがあの日あの瞬間に起こるのがわかっていたかのように行動していたから、立ち直るまでもなく、ほとんど無傷だったと言えよう。
しかし、セカンドインパクトを予測した彼らでも予測できなかったのがベルベットのコレほどまでにも早い立ち直りであり、結果的にはそれが彼らの市場の独占を防ぐ結果にもなったのだ。
元来通商の民族である彼らは需要があるところにはどこでもいたし供給源にはもちろんいた。だがそんな彼らの商売繁盛の秘訣はなんといってもその帰属意識にあった。通商民族で海洋国家の伝統を持つ彼らには、海洋国家にありがちな離散の傾向は全く見られない。なぜならベルベットは国を挙げての商売国家であり、国益=商売人の利益=市民の利益、という構図を完璧に理解していたからだ。
当然、セカンドインパクト後の復興支援、という大事業は、国を挙げての大仕事でになる。ベルベットの商人の大成功には世界のどこの国もが貧しい中で、ベルベットが徹底的に商人をバックアップし、国力の無駄な消費を一切しなかった、いや、都市国家であるためにそのような贅沢は許されなかったという背景がある。
無論セカンドインパクトを予想した彼らがベルベットを快く思うわけがない。彼らのバックボーンは軍需関係にある。どこの国も紛争状況にある中で武器の供給は死活問題である。ベルベットもそれはそれで上客ではあったがそのほかの面では競合する場合が非常に多く、彼らにとっては目の上のたんこぶであっただろう。そして彼らにとって武器の供給を餌に周辺国をベルベット侵略に動かすことなど容易なことであった。
そのため、2014年の夏までベルベットは交戦状態にあった。
過去、古代ローマ時代を起源とするこの街は中世には暗黒の中世と呼ばれる時代を乗り越えるため城壁を作り、内外両方の政治に巧みな手腕を発揮し、繁栄を極めた。
そして歴史あるこの国は、2004年にセカンドインパクトからの急速な復旧を遂げた街は戦渦に巻き込まれ、誰も想像しなかったことに、再び城壁を必要とするまで危険な状況になっていた。

戦争は苛烈を極めた。国家の指導層たる貴族、といっても実際には名だけの者達、ベルベットの市民が選ばれた代表者たちのことをそう呼んでいるだけだが、は、どの階級の人々よりも血を流し疲弊していた。それでもベルベットは屈さなかった。

そして2013年。悪夢が訪れる。


海に囲まれたその都市を周囲30キロに渡って包囲された。ベルベットは篭城戦を強いられた。
海上でありながら、否、海上だからこそ街が成立するための重要な要素である水は不足した。

住民達は地獄を見た。そして常に敗北と死への甘美な誘惑は続いたが、貴族層を始めとする彼らは徹底的に戦い抜いた。

そして実に包囲から一年半。巧みな外交手腕を発揮し、UN軍を引き出すことに成功。

そして包囲されているベルベットからも最後の努力とばかりに吐き出された軍勢によって敵の地上制圧行のための軍勢を撃破した。













それから半年後。ベルベットは息を吹き返す。
あの悪夢の篭城戦を戦い抜いた市民には自信が溢れていた。それは彼らの勝利は国連軍のおかげではなく、彼ら自身の努力によることだと理解していたためだ。そしてその自信は街に還元され。街は復旧し、篭城戦以前を上回る活気に満ちていた。







そんなベルベットを象徴するサンドィーレ宮殿の一室で、十数名の男達が集まり篭城戦当時を髣髴とさせる議論が続けられていた。








「いかん。まだ彼にいなくなられては困る。それはお歴々も重々承知のことであろう。」

「そうだ。彼に依頼していた仕事。市民の徴兵、軍隊の再編成、税制の改革案の提出も終わってはいるがまだ問題は残っている。」

「たった一人に権力を集めるのは我々のやり方ではない。いままでが異常なのであって、彼を解雇するには何の理由もなくてよかろう。何より、彼がそれを望んでいるのだろう。」

「あなたは彼が白人でないから気に入らないのだろう。それとも、あの戦役の中で彼に何か言われたのかな?彼をひどく恐がっているようだが。」

周囲の男達から「くっくっく」という笑いが漏れる。ここにいる彼らはこの男と、男が批判している人物との間でおきた事件について知っているようだ。

「なんにせよ、彼が帰りたいといっているのだから、帰らせれば良いのだ!!」

「しかし、このまま彼を黙って帰すのは得策ではないな・・・。」

「元首!?まさかあなたまで!!」

元首が、当の人物の流出を考えていると取れる発言をしたことに、先ほどまで笑いを漏らしていた男達の顔が蒼白になる。

「勘違いされるな。彼は貴重な才能だといっておるのだ。どうにかして彼をベルベット共和国につないでおかなければいけない。」

元首と呼ばれた男は一息つく。

「彼はベルベットの市民権を持っていたかな?諸君。」

「あの戦いの直後に真っ先に決議、可決されたことじゃないですか?それが?」


「ふむ。市民権を持っている以上権利と同時に義務が生じる。」

「まさかそんな理由で彼をつないで置けるとでも?」

「まさか、いくらわしでもそこまであつかましくはならんよ。もう一つ、権利を与えて義務を増やさせようではないか。」

「どうやって・・・・・まさか彼を貴族院に?流石にそれは元老院でも意見が分かれることでしょう。」


「いや・・・・、みなさんご存知だろうと思うが。セカンドインパクトの時に私は息子をなくしてな。」

「存じて居ますがそれが今どのような関係が?先に結論を聞かせていただきたい。」


「そうか、せっかちだな。まぁよいか、では結論を言おう。彼を養子として我がバルバロ家の一員にする。委員会には彼をバルバロ家の嫡男であることを認めていただきたい。」


「「「なっ!?」」」


「ほぅ。なるほど。いやはや、そう来られましたか。なるほどデュポネ夫人もステアお嬢様も彼が大のお気に入りですからね。」

茶がかった黒い髪の毛とそれと同じ色の瞳を持った男が元首の意図を読み取り、満足げに同意する。冗談を足すことも忘れない。

「そういうことだ。この年になると息子の嫁と孫娘に頭が上がらないというわけだ。」

老人は冗談を冗談で返し、年齢を感じさせない大きな声で笑った。

「(彼の才能とバルバロ家の名があれば・・・・・この老人のしたたかなことよ。)」



老人の笑いにつられた周りの男達の顔も、一時の切迫したものから穏やかな顔に変わった。
その頃合を見計らって会議の進行役たる元首の老人は言った。


「それでは決を採らせていただこうか。彼をバルバロ家の嫡男とする。依存があるかたは?」

静寂の後。何の反応もないのを確認し、老人は言った。

「それではベルベット共和国十人委員会を閉会する。」
























そんな会議が行われていた頃。バルバロ家の客室から海を眺める少年が居た。

否、窓際の椅子に腰掛けて寝ているようだ。

と、ドアをノックする音が聞こえる。

「ジン。居るの?入るわよ。」

少女が入ってきた。ステア・バルバロ。ベルベット共和国元首 パンツェッタ・バルバロの孫娘であり現在14歳。長く美しいブロンドと意志をたたえた深いグリーンの目が印象的な少女だ。
部屋を見回し、目標が窓際に居るのを発見する。

「ジ〜ン。って寝てるわね。手紙なんだけどな。ボスティーノから手紙だよ。」

少女は窓際のゆったりとした椅子に背を預けている少年に歩み寄る。そして少女が呼びかけると少年は静かに目を開けた。

「ボスティーノだって?」

「えぇ、どうするの?読む?読まない?」

「やれやれ。」

いたずら好きの少女から少年は手紙をぱっと奪い取る。
そして手紙の封筒とそこにある消印を見た。


「おそらく緊急だな。」

消印は三日前になっている。

「あれ?珍しいわね。ボスティーノからの手紙もついてるじゃない。」

少年はしばしボスティーノ、郵便屋というよりも運び屋、の男からの手紙を見た後、封筒の手紙の封を切った。

そしてそこには懐かしき彼の母国語で書いてあった。





「来い。    ゲンドウ」






それと伴にIDカード写真が封筒から出てくる。

東洋人の女性のグラビア写真と思わしき一枚が少年を凍りつかせる。

「ねぇ、ジン。コレ、なぁ〜にぃ?」

「ステア、僕には何で君が猫なで声なのか分からないよ。」

「ジ〜ン。私もこんな身体になった方がうれしい?」


「ええと、今のところそれはむずかしそ・・・・・・ってしまったぁああ!?」

「悪かったわネェーーーーーーー!!」

少年は思った。『いつみても綺麗な海だ。あぁ、海が迫ってくる。』

直後。何かが海に落ちた音が響いた。

ところでこの少女、仮面武闘会が身元を調べない上、仮面の着用が義務なのをいい事に全身鎧姿で「日出処の戦士」という名で武闘会に参戦していたりする。






















ジン。この手紙はお前が預けられていた家に届いたものだ。
お前が残してきた身代わりの彼がどうしようかと悩んで俺に連絡をくれたことで分かったものだ。
コレと一枚日本のリニアのチケットが入っていたが、彼と俺で協議した上で、彼にはもう少し影武者を続けてもらうことにした。
このゲンドウという男の目的がはっきりしないうちはそれ以外に方法がないだろうということ出だ。
だから彼が時間を稼いでいる間にさっさと日本に戻った方がいいと思う。
それじゃ、元気でな。

P・S
今日も今日とて陸の上ばかりだ。海の上が恋しいよ。まったく、誰かさんのせいで再び日本と往復する羽目になりそうだ。ところで、ジン”我らの海”はいつもどおり美しいだろうか?


<ボスティーノの手紙より>












=第三新東京市・Nerv本部総司令室=

ダンスホールに匹敵するような広い空間、薄暗い青白い照明だけが光源のこの部屋は天井と床に奇妙な図柄が走っている。いや、わずかばかり距離をおいてみることが仮に出来れば、知識ある人ならばそれがセフィロトの木であることが分かるだろう。
この、お世辞でも趣味がいいとはいえない部屋の主は、唯一部屋に置かれた調度品である無機質で大きな事務用の机に座り、手を顔の前で組み、想う。

「(ユイ、もうすぐだ、これまでの10年は長かったがもうすぐだ。)」

そして狂喜ににゆがんだ笑みをこぼす。彼の目には机に置かれた報告書が映っている。
報告書には、碇シンジ、と書かれていた。














だがこの時点でこの男は自らの最大の誤算に気がついていなかった。

碇シンジ

それは碇ユイとゲンドウの息子。

仮に少年が優秀であったり自然科学の天才あればカエルの子はカエル。と人々は言う。

だが後世の歴史家は彼を語る時に碇ユイとゲンドウの名を出すことはほとんどない。

むしろ碇シンジの親として名前が上がる程度のものだ。

後世の歴史家は彼をして、「現代最後の創造的天才」と評する。

才能という種だけでは決して大輪の花は咲かない。

それに見合った土壌があって初めて大輪の花が咲く。

彼という大輪の花を眺めることが許されるのは彼の死の直前、或いは彼の死後を生きる人々である。


この物語は彼という種が僅かな芽を出し、そして双葉になるまでの過程である。




その彼の表向きの経歴は彼の父の計画の駒となることから始まった。



To be continued...


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