堕天使の帰還

27祖編

序章

presented by 紫雲様


 赤い海、白い砂浜、静寂に満ちた世界、それだけが全てだった。
 3rdインパクトにより第18使徒となり、LCLの海から多くの知識を吸収した彼は、周囲を見回すと、そっと溜息をついた。
自分は何がやりたかったのか?
その答えは一つではなかった。友達を助けたかった。父親に褒めてほしかった。一緒に生活していた家族を助けたかった。そのどれもが正解であり、まごうことなき本音であり、同時に彼自身が道化であったという証明以外の何物でもなかった。
仕組まれていた3rdインパクト。そのトリガーを引いたのは、まぎれもなく彼自身である。その理由の大半を外的要因が占めていたのは間違いない。だからといって、彼の心が癒されることはない。
父親。それは自分を見てほしかった対象。だが父親にとっては部品でしかなかった。
母親。初号機の中で自身を見守っていた対象。だが母親は永遠を生きることを選択し、結局は彼の元へ戻ることはなかった。
姉。それは楽しく安らいだ一時を与えてくれた対象。だが姉だと思っていた女性にとって、自分は復讐を果たす為の道具でしかなかった。
想っていた少女。初めて恋をし、守りたいと願った対象。だが彼女に課せられた役目は彼の心を破壊するための生贄であった。
「僕は、どこで間違えたのかな。決断が遅かったのかな」
寂しそうに呟く彼の視線は、隣で転がっている少女へ向いていた。少女は生きてはいるのだが、もはや意識もなく、放っておけば衰弱死するのは間違いない。
「アスカ、ごめんね。僕が君のことを想わなければ、君はここまで壊れずに済んだのかもしれない。僕がもっと強ければ、絶対に生贄にならずにすんだのに・・・僕は、生まれてきた事が罪だったのかしれないね」
(・・・自分を責めないで、碇君・・・)
聞き覚えのある声に、ハッと顔を上げる。彼の目の前には、特徴的な顔をした少女が、半透明の体で立っていた。
「綾波!」
(碇君、お願いがあるの。私の話を聞いて。私に残された時間は、残り少ないの)
その言葉を聞いたシンジの顔に影が差す。綾波レイの残りの時間が少ない=3rdインパクトを起こした自分のせいだ、という考えを持ったのだろう。
(碇君はこの世界に不満はない?やり直したい、そう考えたことはない?)
「そうだね、もし可能なら綾波の言う通り、やり直したいよ。僕はこんな結末を迎えるために、怖いのを我慢して戦ってきた訳じゃない」
(碇君、あなたが本気でやり直したいなら、私はあなたにチャンスを上げることができるわ。私の中に残されている第2使徒リリスの力を使えば、あなたと弐号機パイロットを過去の世界へ送り出すことが可能なの)
「・・・本当?」
一縷の希望を抱いたシンジの表情に明るさが差す。
「綾波も一緒に来てくれるよね?」
(それはダメ。過去へ遡るほどの力を使えば、私は消滅するわ。だから私は一緒にいけないの)
「ダメだ!綾波を殺してまで、僕はやり直したくなんかない!綾波を殺すぐらいなら、僕は苦しみ続ける方を選ぶ!」
怒りを込めた絶叫。
その叫びは、かつて第13使徒バルディエル戦の最中に響いた、少年のまぎれもない本心からの叫びと同じであり、そこに潜んでいた優しさも同じであった。
(・・・気にしないで碇君。私は碇君に幸せになってほしいだけなの。だから、お願い。悲しまないで)
「・・・僕は無力だ・・・たった一人の女の子も助けることができない・・・それだけじゃない、綾波を犠牲にしてでもやり直したい、そう考えている自分がいる。幸せになりたいと望んでいる自分がいる・・・僕は・・・僕は・・卑怯者だ!」
少年の告白を聞いてなお、少女の視線は慈愛に満ちていた。その眼差しには一点の蔑みも無い。
(・・・じゃあ、私の我儘を聞いてくれる?)
「いいよ、綾波が望むなら、命だってあげるよ」
その真剣な表情に、少女は自分の決断が間違っていなかったことを悟った。
(少しだけでいいから、何も言わないで私を抱きしめてほしいの)
少年は自分の腕の中にすがってくる少女を抱きしめた。やがて少女の体はゆっくりと、小さく震えだした。
(・・・私、本当を言うと悔しいの。私は碇君の事が好き。できることなら、このまま2人でいたい。でも、碇君にとって一番大切な人は私じゃない)
「綾波・・・」
(碇君、お願い。私に教えて。碇君にとって一番大切な人の名前を私に教えて。私の最後のお願いだから・・・)
その言葉を聞いた少年の顔は、苦渋に歪んでいた。本当の事を言うべきか、それとも優しい嘘を言うべきか。悩み続ける彼だったが、自身に注がれる、真剣な赤い眼差しに気づくと、彼は覚悟を決めた。
「アスカだ。碇シンジが好きなのは、惣流=アスカ=ラングレーという女の子だ」
その告白に、少女の両眼から透明な涙がスッと流れ落ちていく。
(ありがとう、碇君。本当のことを言ってくれて。やっぱり、私、碇君の事を好きになって良かった)
直後、少年の意識に強烈な眠気が襲いかかってきた。
「あ、あや・・な・・・み・・・」
(・・・愛してる、碇君。今度は頑張って、幸せになってね)
やがて少年の姿は、まるで空気に溶け込むかのように消えた。少年を過去へ送るという大仕事を成し遂げた少女は、彼が選んだ少女を、同じように過去へ送り届けるべく、力の行使に取り掛かる。
(弐号機パイロット、今のあなたには聞こえないだろうけど、私の代わりに碇君を支えてあげて。それができるのは、あなただけ・・・)
アスカの体が、だんだんと透明になっていく。やがて半分ほど消えたところで異変が生じた。
レイの顔が苦痛に歪み、その右手が左胸を押さえつけていた。
(もう限界なのね・・・でもお願いだから・・・あと少しだけ・・・)
苦痛を堪えながらも、アスカを過去へ送るため力を行使し続ける。
そしてアスカの体が完全に消えるより、一瞬早く、レイの体は限界を超えていた。
崩壊する体。雲散霧消する意識。制御を離れていく力の奔流。
(ごめんなさい・・・)
綾波レイの存在そのものが消えた直後、アスカの体は制御を離れて過去へと送り込まれた。



To be continued...
(2010.01.09 初版)


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