過去に囚われ
現在に翻弄され
未来に操られ
運命に呪われる
──実に酷い話だ



ヱヴァンゲリオン新劇場版:零 -stand alone paradox-

第六話 一人目の適格者

presented by じゅら様




1

所長の内定の知らせもあり、京都からはるばるゲヒルンにやって来たゲンドウ。
それは彼が、もう既に調査が始まっている事を知って・・・南極へ向かう事を決意した、その夕方だった。
ゲンドウはふらふらと歩きながらぶつぶつと呟き続ける。
デパートがほど近いその通りは夕刻ということもあり人通りは多かった。
傷ついて、辛い現実に向き合わざるを得ない己の状況に憔悴して・・・
だがその涙はもう枯れていた。少なくとも彼はそう思っている。
悲しいはずが流れないその涙が彼にそう実感させていた。
「逃げちゃだめだ。逃げちゃだめだ。逃げちゃだめだ。逃げちゃだめだ。逃げちゃだめだ。逃げちゃだめだ・・・・・・」
やがて呟き続ける事にも疲れたのか、俯き気味だった頭を僅かに上げて、
「はぁ・・・・・・」
と、小さく溜息をついてうなだれた。
道をすれ違う通行人達は、一様に奇怪な者を見るような目をしていた。
あまりにも周囲から浮いた鬱病の人・・・そんな印象を与えている。
だが、大して注目はされてはいない。ゲンドウの後方には黒服の護衛が数名いたからだ。
どうしても皆そちらに目がいっていた。
これはもちろんゲンドウが望んだ事ではない。碇の家を継ぎ、更には人工進化研究所の所長となる事が内定した彼。
当然護衛なしに歩く事もままならない・・・そんな、言わば碇ゲンドウの身の錆であった。
本来、命令一つ出せば買い物などは誰かがやってくれる身分となったのに、自分で買い物して気を晴らそうと散策を強行していたのだった。
目当ては南極出張時の防寒着である。
もちろん一人で行きたかったのだが、無碍に追い返す事も面倒でゲンドウはふらふらと歩き続けていた。
その道には街灯が均等に設置されていたのだが、それが定刻の夕闇にぱっと点灯した。
それに気が付いたのか、ゲンドウはぼんやりと視線を上げた。
その時、前を歩いていた人が横の人に話しかけてその顔がゲンドウの丁度上げていた視界の真ん中に収まる。

ぎくり──

ゲンドウは自分の中から本当にこうとしかいいようがない感覚が起き上がるということもあるのだと初めて知った。
この世界に来てそれは初めてだった。それはないはずのものを見つけてしまったという、まるでお化けでも見てしまったような──
そんな表情を顔面に張り付かせて、歩みが止まる。
(そんな、まさか・・・)
周囲の通行人も煩わしそうに立ち止まったゲンドウを避けて歩く。
ゲンドウが見ていた人物も、隣の人に何か話したりして止まらずに歩いていく・・・
だが、それも数秒の事でゲンドウは、
「加持さんっ!」
そう叫んで駆け出していた。
その突飛な行動は距離をあけて後方に控えていた黒服の護衛達を慌てさせ、突然走り出したゲンドウを何もわからぬままに追いかけさせた。

2

それは葛城親子としばらく同居する事が決まった俺の身の回りのものを買出しに行く事になって、そのついでといわんばかりに葛城博士にミサトちゃんを押し付けられた・・・その道すがら。
若い、逆立てた金髪の男。・・・今時長ランという時代がかった格好で歩いていた。
そいつが歩きながら吸っていたタバコをぽいと道に捨てた時、ミサトちゃんは動いた。
駆け足で駆け寄り、吸殻を拾ったかと思うとその男に、
「道にゴミを捨てちゃだめでしょ!」
そう説教じみた声で咎めたのだ。
言われた若い男は一瞬だけ視線を向け、無視して立ち去ろうと歩みを進めようとして・・・
ミサトちゃんが立ち止まった。
慰めの言葉の一つでもかけてやるかな。・・・そう思っていた。
彼女が助走を始めるまでは──
あせった俺が止める間もなく。

ドンガラガシャーン───

男の身体はくの字に折れ曲がり、宙を舞って道路脇の植え込みに突っ込んだ。
あたりは静寂に包まれる。
小さな女の子がいきなり男にドロップキックをお見舞いしたのだ。
そりゃ反応もしづらかろう・・・
朝方で人通りが少ない事が幸いして誰も巻き込まなかった事に安堵する俺。
その静寂の中、
「正義は勝ぁーつ!」
そうのたまい、つかつかと男に歩み寄った彼女は男の後ろ襟を掴み、まだ火のついている吸殻をぽいと放り込んでいた。
ある意味、男に同情しそうになった俺は顔を手で覆い、とんでもない行動に呆れていた。
「ぎゃああああああああああああああああああああっ!!」
案の定男はすぐさま飛び上がり、悲鳴を上げながらあたりをごろごろとのた打ち回る。
(こりゃとんでもない子のお守りを引き受けちまったなぁ・・・)
そう思いながら彼女の手を掴み、俺は脱兎の如く全力疾走していた。

*

表通りから外れて車が入ってこない道。
五分くらい尾行を撒く方法で、あっちの店に飛び込んで裏から出たり、最初北に向かっていたので東へ・・・って事をやった。
素人なら追いかけてくるなんて事はまず無理だろう。
(これだけ走ったのは久しぶりだぁっ・・・)
息切れしてしまった俺を余所にミサトちゃんは息こそ荒いが笑っていた。
この年齢の子っていうのはアルカリ電池のように体力の限界寸前までは非常に勢いがいい。
若いっていいな・・・そんなおやじ臭い感想が浮かんでいた。
まだ疲れてるっていうのに彼女は手を引っ張っていく。
「なぁミサトちゃん、さすがにやりすぎたんじゃ・・・」
「ミサトでいいわよ。鳴上さん」
「そうかい。じゃ、そうするよ」
なんだか予想してたのとは違う返答が返って来た。
この手を引く力強さといい、入院してたというのは何の病気だったのか。
そう思いながら疑問を素直に口に出す。
「なぁ、こないだまで病気してたんだよな」
そう言ったのだが、
「あ、うん。あれは盲腸でね・・・」
そう返事が返ってくる。
「まてよ、するってーと何か・・・あの変なのは関係なし・・・ということか?」
そう言ったとたん、俺の身体は何かにひどく切ない気持ちに包まれてしまっていた。
これは、覚えがある・・・まだ仕事がなかった頃、何日かメシを抜いたらこんな感じになる。
最初の時とえらい違いだ。
「ああ、これね。私のキモチってやつを味わってんのよ。お互いの気分次第で強くなったり弱くなったりするの」
そう返事が返ってくる。
「じゃあ、あれか?今は腹が減ってる・・・ってことなのか?」
エスパーにゃ違いないのかも知れないが・・・感覚というより気分を人に移すのだろうか・・・?
(そりゃまたえらく微妙だな)
脱力して項垂れるが、少し引っかかったので更に追求した。
「でもさぁ、俺に"ここは私の為にある"とか言ってたのは?」
「あぁ、それね」
なんだかあやふやな返事が返って来たかと思うと、彼女は軽く首をかしげ、
「調べてみたら?得意なんじゃないの?」
そう言って浮かべた笑い顔は、突き放したようにも困ったようにも、そして哀しいようにも見えた。
「そうするよ」
内心引っかかりを感じつつも、そう答えた。
そう言えばその後は・・・そう思い、続けて質問する。
「じゃぁあの発作ってなんだったんだ」
そう言ったのだが、なんだか彼女は顔が一瞬で真っ赤になり、
「縫ってたとこが開いたのよ・・・」
それだけ言って口篭る。
引っぱられていく俺。
考える・・・真剣に考える。
今の話だと、俺が警戒し過ぎていた事が強弱に影響した事になる。
それで下の落ちてゆくようなあの感覚を弱くしたら・・・
そして一つの結論に至った。
後になって思う。後悔って先に立たないから後悔って言うんだな・・・と。
「まさかオナラ我慢してた。なんてことは・・・」

───パンッ

路地にいい音が響き渡った。

*

そして俺達は頬に紅葉を咲かせたままデパートにたどり着いた。
仕方ないので紳士服売り場へでも行こうとしたのだが、何が面白いのか二階の小物売場からミサトは動かなくなってしまった。
売っている物がジッポーとかシルバーの指輪とかばかりの小さな店だ。
(こういうのが趣味なのかな)
そう思いながら、後で迎えにくると約束して自分の分を買いに売り場に向かった。
適当に買い揃えると、急いでトイレの個室に入る。
誰もいないことは確認した。俺は急いで持ってきていた荷物を取り出していた。
以前に買っていた飛ばし携帯・・・それに同じくヤミで仕入れたモバイルを取り出す。
その回線を使って人工進化研究所のメインバンクにアクセスしようと言う事だ・・・
新しく出来たばかりの研究所、コンピュータが据え付けられて間もない今なら少しはデータを吸いだせるかもしれない。
そう思って性急に作ったモバイル・・・
足はつかないパーツだけで構成した無名のジャンク構成品だったのだが、性能だけはそれなりなのに、金だけはやたらと食った。
後で経費の請求で文句も出るかもな・・・そう思いながらアクセスを開始する。
想像通り、そのプロテクトは簡単なものだった。
あっさりとメインバンクの入り口までたどりつく。
「悪く思うなよっと──」
ところが、いざそのゲートをくぐったその時である。
いきなり画面に、

    WARNING INSTRUMENTALITY OF MANKIND

という文字が真っ黒の画面の左上に点滅する。
そしてそれっきりモバイルは何の反応も示さなくなってしまった。
「うげ・・・」
だが、焦って回線を引っこ抜こうと手を伸ばしたその瞬間、モバイルはけたたましくビープ音を鳴らし始めたのだ。それはトイレ中に響く。
「ちっ」
コードを引っこ抜いてバッテリーも取り外した。だが、そのビープ音は一向に止まらない。
内臓電源の僅かな電力でも動いている・・・そう考えるしかないだろう。
「とんでもねえぁ・・・くそ」
誰もいないにも関わらずわざとらしい演技で誤魔化しながら本体の裏蓋をこじ開ける。
そしてやかましい音を立てているスピーカをボールペンで上から押しつぶした。
(一筋縄じゃいかないか、やれやれ)
やっと音が止まったモバイルを携帯電話ごと天井のボードをやや強引に持ち上げてその隙間に放り込む。
足は付きようがないが、展開は面白くなってきた──俺は知らずも笑みを浮かべていた。
「折角だし土産は付き物だよな」
もう一つの携帯電話・・・ただし、通常サイズの倍はある。その携帯と呼ぶより通信機と呼んだほうがしっくりきそうなそれの発信ボタンに指を掛け、
「本日のビックリドッキリメカ・・・発信っと」
見られたら邪悪そうに見えるだろうな、と思いながら意地悪な笑みを浮かべてボタンを押す。

その頃、人工進化研究所・・・そのコンピュータのセッティングを行っていた赤木ナオコは、突然画面に映った侵入者の報告に、
「ふん、無様ね」
そう感想を小さく漏らすと傍らのコーピーをすすっていた。
まるでデバッグでも行ったかのような気軽さで、馬鹿にしたように唇の端を僅かに吊り上げただけだった。
自分のプログラミングしたこの試作機は信頼を寄せるに値すると赤木ナオコは評価していた。
そのマシンにハッキングなど片腹痛い・・・そう思って嘲笑しかける・・・
だが、数秒置いて全ての画面が、
"ビチュンッ───"
そんな音を立ててブラックアウトする。
天井の照明すら消えて空間は闇に満たされた。
その闇の中、僅かな静寂の後に響いた赤木ナオコの叫びは、怨嗟のような声なき叫びであったという。

*

そして買い物を終えた俺は合流し、店の裏手、やや狭い道を通ろうとした。
目立つとさっきの吸殻男が見つけて来ないとも限らないと思ったからだったのだが・・・
がん、がん、がん、と何かがぶつかり続けるような音が響いてきた。
そんなに大きな音ではないが、その破壊的イメージの音から嫌な予感がして回れ右をしようとしたのだが、
「何かしら・・・?」
そう言ってすたすたとミサトは歩いていってしまう。
なんだか葛城博士の苦労が忍ばれるような・・・だが、そんなどんどん進む彼女を放っておくわけにもいかず、
「おーい、まってくれー」
なんだか自分がすごく間抜けに思えて仕方ない。
するとそこには案の定微妙な光景があった。
石を片手に自転車に向き合っているジャージ姿の男の子、それとそれを訝しげに睨むミサトだ。
紺色の何がしかのマークが入ったジャージは学校の運動着だろうか。
放っておくと自転車泥棒〜とかミサトが言い出しそうな気がする。
予想通りミサトが何か言いそうな気がして、息を溜めるように吸い込んだ彼女の肩に手を乗せてさっさと割り込む。
「ん?どうした?鍵失くしたのかい?」
そう言って警戒されないように自然に笑いかける。
その男の子は、
「あ、はい。ぽけっとに穴・・・あいちゃってたみたいで・・・」
ミサトに気を取られていた男の子は、ちょっと焦ってそう言うと、慌ててジャージのポケットに手を突っ込んで裏返して見せる。
確かに穴があいている。
隣に立っている、なんとも詰まらなそうな顔のミサト"ちゃん"の頭に手をぽんと置きながら苦笑した。
「俺でよけりゃ鍵あけてやるが、どうだ?」
そう言ってやる。
その言葉に、一瞬きょとんとした男の子は焦り気味に手を眼前で振りながら、
「あ、でもお金僕もってませんよ・・・」
「あー、そんな大したもんじゃねーよ。ほれ、見してみ」
苦笑して男の子に手を差し出すと、彼は自転車を見せるように一歩下がった。
その自転車の鍵は一番楽な前輪カンヌキタイプだった。
楽勝を確信してサイフを取り出す。
普段使う機会のないこのツールの出番はめったにない。
それは普段はサイフに隠している6つの鍵だった。
前輪カンヌキタイプと後輪リングタイプのマスターキー・・・まあ自作物だ。
この2つの種類の鍵だけはある程度知っているものは楽勝で開けられる。
カンヌキタイプは大別して2つのタイプがあり、どっちか入れてがちゃがちゃやってりゃ大抵開く。
まぁ傷がついてもいいなら石で下に落とすように殴れば外れる。
後輪は4種類のマスターで一発だ。
どうしてこんなものを持っているかというと、それで飯食ってた事があるからだ。
これと鋼糸鋸があればほとんど全ての鍵がイケる。
昔、町の鉄工所に持ち込んで、それも工具ツールの一部に溶接して持ち歩いている。
普通に折りたたみのナイフのように鋸を仕込んでいると張りが足りなくてすっきりと切れないのだ。
すぐに開いた鍵を見た男の子は、何度か礼をして自転車を押して帰っていった。
それを見送ると傍らのお姫様に視線を移す、やはり不完全燃焼でもやもやしている風な顔をしていた。
「ま、たまには正義の味方もいいもんだ」
そう言って笑いかける。
彼女は少しあっけにとられて、それから小さな声で笑い出した。
「えへへ」
女の笑顔というものは男のやせ我慢に対する最大の礼だ・・・というのをどこかで聞いたのを思い出す。
小さくてもやっぱ女なんだなぁと実感が沸く。
なんだかちょっと可笑しくなった・・・そして、汗で首筋に絡みつく髪をポケットから取り出した濃紺の髪ゴムでくくる。
すると、長めの髪がしっぽのように揺れた・・・ミサトちゃんはにっこり笑って・・・こう評してくれた。
「───おばちゃんくさ」
絶妙のボディーブロウに俺の体はくの字に曲がった───

3

買い物も用事も終え、後は帰るだけという段取りになりミサトちゃんと夕飯の相談などしながら歩いていた時だった。
「加持さんっ!」
そう後ろで叫ぶような声が聞こえ、何とはなしに振り向いた。
(おいおい、俺は鳴上ニケでそのカジって人じゃないんだけどな・・・)
人違いだと説明するのは簡単だった。だが、その駆け寄ってきた人物の必死に縋ってくるような表情に、
なんとなく面白そうだと、思ってつい、
「よう、久しぶり。元気だったか」
そう返事をしていた。
その相手は涙ぐみそうになって俺に抱きつこうとし、ひらりと、俺に避けられる。
ちょっとした気まずい沈黙が二人に訪れる。
だがその後ろに何とも如何わしい黒服の男達が数名駆け寄ってくるのを視界に入れた俺は、
(しまった。関わり合いにならなきゃよかった)
そう後悔しながらも、
「とにかく付いて来い!」
そう言って俺は彼女の手を掴み、走っていった。

*

(きょ、今日は走ってばかりだな・・・)
息も絶え絶えにひとりごちる。
今日一日で一体どれくらい走ったのやら考えるのも馬鹿らしくなっていた。
荒い息を整えながら、
「ま、まず、何があったか聞こうか」
どうも堅気とは言えそうに無い黒服数名に追いかけられていたのは何故か。
そう思ってしんどいのを我慢して問い質したのだが、
「碇シンジじゃ・・・駄目・・・そう思って・・・ゲンドウって名乗って・・・でも、だけど・・・。お願いだから・・・助けて」
息も絶え絶えに涙声でそう漏らす言葉に、俺は呆然となっていた。
聞いた事があるどころではない。
ゲンドウ・・・それは目標の名前だ、だがこの青年が?
そう思ったのだが、ある事に気がついてちょっとカマを掛けて見る事にした。
とりあえず本名は碇シンジと告白してきたのだし、ここはシンジ君とでも呼ばせて貰おう。
「君は君であればそれでいいじゃないか、誰も文句はいわないさ。・・・それでシンジ君、君はどうしたいんだい?」
効果は覿面だった。
それまで必死に泣きじゃくっていたその青年が、汗と涙に濡れた顔を上げ、
「守れなかった、でもそれが今目の前にあるんだ。だから・・・だから、今度は守ろうって・・・せめてそう思って・・・」
そう、必死を通り越して悲壮な表情で語っていた。
「・・・・・・でも思い上がりだったんだ!みんなが不幸になっていくのを止められないんだ!」
叫ぶようにそう言い切る。
「なぁ、シンジ君・・・」
そう、いい台詞を言おうとした矢先だった──
「なによ、甘ったれてるんじゃないわよ。だーれも守ってもらおうなんて思ってやしないわよ!」
威勢のいい言葉で、せっかくいい台詞を語ろうとした俺の言葉に割り込まれる。
(そういえばいたんだったよなぁ)
そう思い出し、その言葉の出所・・・ミサトに視線をやる。
ミサトは青年の横に立ち、腕を組んで偉そうに、
「あなたに守ってもらわなくても太陽は東から昇るし、西へ沈んでくのよ」
そう啖呵を切っていた。
その言葉に、驚愕しているような表情で、
「き、君は誰?」
ゲンドウ・・・いやまだシンジ君と呼んだほうがいいのか・・・彼はそう尋ねた。すると、ミサトは得意そうにちょっと胸をそらし、
「ミサト、葛城ミサトよ!」
そう名乗りをあげていた。
なんだかとても驚いているようなシンジは、しばらく呆然と立ちすくんでいた。
だが、しばらくすると、
「く、くくく・・・あ、あははははは!」
とても可笑しそうな表情で体を震わせ、嬉しそうに笑っていたのだった。

*

歩きながら話していた。
たわいも無いそんな話を延々と。彼、シンジいや・・・もうゲンドウと呼んでもいいのかもしれない。
その彼はとても先程まで泣いていたとは思えないほど嬉しそうな顔でミサトと並んで歩き、たわいもない話に頷き、笑い合っていた。
きっとこの時間も彼にとっては意味のある事なんだろうと思って邪魔はしなかった。
なお、黒服は護衛だという事は先程聞いた・・・逃げた意味がなかった事に、俺は一気に疲れてしまっていた。
とぼとぼと前を歩く二人の後ろを付いて歩く。
そろそろ自分がカジとやらでなく、鳴上だと告げようとそう思い始めていた。
丁度そう思った時、歩いていた先が急に開け、街から抜けて河川敷まで着いていた。
(そろそろ切り上げるかな)
そう思っていたのだが・・・
「あいつだ!見つけたぞ!」
突然そう叫んだ声が聞こえたかと思うと、煩い爆音を響かせ、白の車体にフレアパターンの大型スクーターがものすごいスピードでやってきてこちらの直前で急停止する。
見覚えがあった・・・朝の吸殻男だ。
連れなのか用心棒的な兄貴分とやらなのか後部座席にはイカついのが乗っていた。
ドレッドヘアを後頭部で括り、白ニットのサマーセーターに迷彩柄のニッカポッカ・・・
(どチンピラだ。間違いない)
そう断定した。違うというならイカれたあんちゃんということにしておこう、そう決めた。
「ものすっごいザコフラグ立ってる登場」
即座にミサトが男達の登場に挑発をかます。
(なんだか実はミサトちゃんすっごく強いんじゃないのか?)
そう思い始めていたのだが、中学生に荒事をさせちゃ成人男性としちゃやる瀬ない。
ミサトの前にすっと体を入れる。シ・・・ゲンドウ君もどうやら同意見らしい、同じように体をミサトの前に割り込ませる。
思わず、にぃっと笑みが浮かび、ゲンドウ君と一瞬視線だけ交わすと男達に一応話し掛ける。
「すまんが女の子に暴力ってのは感心しないな」
そう言ってみたのだが、どうせ聞く耳は持ってくれないだろう。
案の定、
「ばっかやろう、タバコを道に捨てただけで植え込みに突っ込まされるわ!火のついた吸殻でヤキ入れられるわ!」
「ま、筋がとおらねぇだろうってこった。あきらめな」
そう言って殴りかかってきた。
隣のゲンドウ君は真面目に相手の攻撃をしっかりと受け止める。
(真面目なんだなぁ・・・)
なんだか状況に全く似合ってない感想を抱きながら、ポケットの中から改造ライターを取り出す。
さすがに学生程度のパンチとか相手にもならないのでひらりとかわし、タバコに松明のような炎をあげるライターで火を付ける。
「んなろう!真面目にやりやがれぇー!」
金髪の若者が焦れて罵りだす。
「まぁ気持ちもわからんでもないんだがなぁ・・・」
そう言いながら、そのライターを今時流行らない長ランにごりっと押し当て、同時にすぐに逃げられないようにライターを持った側と同じ足で相手の足も踏んづける。
そいつの目に見えているのは俺の満面の笑み──
「動いたら・・・わかってるよな。もちろん動いてもかまわないぞー」
そいつの動きが止まる、どうしていいかわからずに混乱しているようだ。
そのひきつった表情こそ見物である。男の顔をまじまじと見つめるのも性に合わないので、その心の隙に入り込むように視線で暗示を叩き込む。
簡単だ・・・動いたらやられる・・・そう思い始めている気持ちを後押ししてあげればいい。
しっかりと硬直してくれた金髪だったが、ややかかりが深かったようで白目を剥いてくれる。さすが素人は掛かりが良い。
「おっと、やりすぎたか、すまんね」
そう言って片目でウインクする。
俺の顔は悪魔にでも見えていたかもしれないと思う。
ちっとだけ反省してゲンドウ君の方に目をやると、そんな自分を余所に、ゲンドウはなんとも真面目に格闘漫画のように殴り合っていた。
その背後から──
(あ、ミサトちゃん。いつのまに・・・)
ミサトがドレッドの背後に回り、小悪魔・・・いや邪悪な笑みを浮かべている。
多分さっきの俺の顔なんぞより余程悪魔っぽいだろうと思う。
表情に気が付いた時、本気で背中にコウモリの羽が見えたのだ。
次の瞬間、何をしたがっているのか閃いて俺はドレッドに同情した。
ボクッっという束ねた新聞の棒が折れるような音がして予想通り、彼女は股ぐらを後ろから蹴り上げた・・・思わず黙祷。
泣きが入っているドレッドを見て拍子抜けをする。
(なんか俺、完全にノリ遅れたな・・・)
ただ意外と、心なしかゲンドウもミサトもちょっと、いや非常に楽しそうだった。
「若いっていいねぇ」
そう呟いて観戦することにした。
──煙草がやけに美味かった。
ちょっと冷たい風が吹いて、煙が揺れた──その時だった。
どこからか、奇妙な声が聞こえた。
なんだか妙に甲高い・・・男でも女でもないような、
"・・・───再ビ糸ハ繋ガレタ"
俺は、ばっ、と声がした後ろを振り返る。何もいない・・・
ミサト達の方も見るが、さっきの声が聞こえたという風でもない
あれは・・・そう、少し前に流行ったダフトパンクだったか・・・あんな風に機械を通したような声だった。
いきなりの非現実感に、俺は少しぼんやりとしてしまっていた。

*

「その二人は拘束、傷害未遂で警察に突き出しておけ。裏は取らなくていい」
やがてやって来た黒服達にゲンドウは指示を飛ばす。
その出会った時と見違えるかのような態度に、
「何よ、ずいぶん偉そうじゃない」
ミサトはそう言い捨てていた。その言葉に彼は、
「ふふ、偉いのさ。こう見えてもね」
そう言って唇の端を吊り上げたのだった。



To be continued...
(2009.12.19 初版)


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