捌かれる世界

第一話 シンジ、死亡

presented by ながちゃん


時に、西暦2015年──


《本日12時30分、東海地方を中心とした関東中部全域に特別非常事態宣言が発令されました。住民の方々は速やかに指定のシェルターへ避難してください》
真夏の陽射しは容赦なくアスファルトを照りつけ、汗ばむほどのもわっとした陽気が不快指数をさらに跳ね上げている。
すでに人っ子一人いない強羅駅前には、少年一人だけが取り残されていた。
その少年は、気づいたときには第三新東京行きの政府専用リニア式ロマンスカーに乗っていたが、突然の非常事態宣言により二駅手前での降車を余儀なくされた挙句、無人の街に放り出されていた。


《特別非常事態宣言発令のため、現在すべての通常回線は不通となっております……》
ガチャン──
「やっぱりダメか」
公衆電話の受話器を下ろすと、少年は一枚のセクシーダイナマイツ写真を見つめて溜息をついた。
「遅いな、ミサトさん」
ふと視線を上げると、道路の真ん中に一人の少女が立っているのが見えた。
その姿を見るや少年は目を細めて微笑んだ。
(綾波、今度こそ皆を救ってみせるよ)
少年の目には力強い光が宿っていた。
そのとき轟音が街に響き渡った。
見ると、山の向こうから十数機の重戦闘機を張りつかせた、巨大な怪物が現れた。
「……第三使徒、サキエル」
戦闘力ゼロの少年は、小さく呟いた。





〜ネルフ本部・第一発令所〜

ここはネルフ本部施設、セントラルドグマにある中央作戦司令室・第一発令所
《正体不明の移動物体は、依然本所に対して進行中》
《目標、映像で確認。主モニターに回します》
モニターを見つめる二人の男がいた。
「15年ぶりだね」
白髪の初老の男、冬月コウゾウが口を開く。
「ああ、間違いない──使徒だ」
むさい鬚面の眼鏡の男、碇ゲンドウは無表情に答えた。
だが内心では湧き上がる喜びを抑えきれないでいた。
(もうすぐだ、ユイ。もうすぐ会える、ユイ──)





〜強羅駅前〜

数発のホーミングミサイルが地上をかすめ、使徒と呼ばれる怪物に襲い掛かる。
全弾命中するが、使徒はまったくの無傷であった。
逆に、国連軍のVTOL機の一機が使徒の右上腕部から発した光の槍に貫かれ撃墜されてしまう。しかもあろうことかその機体が、地上の少年を目指してまっしぐらに突っ込んできた。
「!!」
(に、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、いや、逃げなきゃダメだ〜〜!!)
少年がパニックに陥っていると、さらに使徒がトドメとばかりに墜落した機体を踏み潰した。
「う、うわああああ〜〜〜!!」
そして、爆発炎上──
葛城ミサトは迎えに来なかった。





〜ネルフ本部・第一発令所〜

《目標は依然健在。現在も第三新東京市に向かい進行中》
《航空隊の戦力では足止めできません》
オペレーターたちのアナウンスが発令所内に響き渡る。
「総力戦だ。厚木と入間も全部あげろ!」
「出し惜しみはなしだ。何としても目標を潰せ!」
発令所の一角に陣取った国連軍──実態は戦略自衛隊を除く日本の陸海空の自衛隊で編成──の上級将校たちが命令を下す。
直ちに国連軍による総力戦が開始されたが、使徒にはまったく効いていないようだ。
それどころか手酷い反撃を食らっている。
モニターには、爆煙の中でまったく無傷の使徒の姿が映し出されていた。
「なぜだ!?直撃のはずだ」
「……戦車大隊は壊滅、誘導兵器も砲爆撃もまるで効果なしか」
「駄目だ。この程度の火力では埒が明かん!」
国連軍の上級将校の面々は怒りを露にしていた。


慌てる軍首脳たちを尻目に冬月が口を開いた。
「やはりATフィールドか」
「ああ。使徒に対して通常兵器では役に立たんよ」
ゲンドウは、さも興味なさそうにモニターを見つめていた。


「わかりました。予定どおり発動いたします」
今まで使徒に張りついていた国連軍の重戦闘機部隊が散開していった。
その直後、使徒のいる鷹巣山付近で閃光が走り、巨大な火球が周囲すべてのものを包み込んだ。
国連軍の虎の子の最終兵器、N2地雷が使用されたのだ。


まだ電磁障害を受けていないモニターには、巨大なキノコ雲が立ちのぼっていた。
「やったー」
「残念ながら君たちの出番はなかったようだな」
作戦完遂を確信した上級将校の一人がゲンドウたちに振り返ると、勝ち誇ったかのように語りかけた。
《衝撃波、来ます》
モニター全面にノイズが走る。
《その後の目標は?》
《電波障害のため確認できません》
「あの爆発だ。ケリはついてる」
《センサー回復します》
《爆心地にエネルギー反応!》
「なんだとう!?」
予想だにしなかった事態に、国連軍の上級将校の一人は立ち上がって叫んだ。
《映像、回復します》
そして映し出されたモニターには、焦土と化した地上に立つ使徒の姿があった。
まるで呼吸するかのように動くエラ状の部分。さらにそれまで頭部だったものを押しのけるようにして姿を現した別の頭らしきもの。多少のダメージはあるが使徒は健在だった。
使徒の姿にどよめく一同。
「我々の切り札が……」
「なんてことだ」
軍人の一人が悔しそうに拳を机に叩きつける。
「バケモノめ!」


「予想どおり自己修復中か」
「そうでなければ、単独兵器として役に立たんよ」
ゲンドウはモニターを見つめながら無表情に答えた。
そのとき使徒の頭蓋部が光り、その瞬間、モニターが再びノイズ一面に覆われた。
頭上の偵察用無人ヘリコプターに気づいた使徒が、謎の光線で一瞬のうちにそれを打ち落としたのだ。
「ほう、大したものだ。機能増幅まで可能なのか」
「おまけに知恵もついたようだ」
「再度侵攻は、時間の問題だな」
二人の男は慌てることもなく淡々としていた。


「今から本作戦の指揮権は君に移った。お手並みを見せてもらおう」
自分たちでは使徒を倒せなかった国連軍のお歴々が苦々しく言葉を切り出す。
その表情には屈辱という感情がありありと浮かんでいた。
「了解です」
一度も目線を上げることなくゲンドウは返答した。
「碇君、我々の所有兵器では目標に対し有効な手段がないことを認めよう」
「だが、君なら勝てるのかね?」
軍首脳の一人は皮肉たっぷりに言った。
「そのためのネルフです」
碇と呼ばれたその鬚面の男は、そこで初めて感情の色をその瞳に宿していた。
もっとも赤いサングラスのせいでそれに気づいたものは誰もいなかったが。
「期待してるよ」
もちろん本音は違うが、捨てゼリフを残して彼らは発令所を去っていった。


《目標は未だ変化なし》
《現在、迎撃システム稼働率7.5%》
軍首脳たちが退席するさまを眺めていた冬月が口を開く。
「国連軍もお手上げか。どうするつもりだ」
「初号機を起動させる」
「初号機をか?パイロットがいないぞ」
「問題ない。もう一人の予備が届く」
すべてはシナリオどおり、ゲンドウは信じて疑わなかった。
そう、このときまでは。


「予備?サードチルドレンかね」
「葛城一尉が向かっている」
問題ない、とばかりに鬚面の男は答える。
だが冬月の口から、自分のシナリオにない驚愕の事実が語られた。
「……葛城君ならそこにいるぞ」
「なに!?」
たしかに彼女はそこにいた。





〜ネルフ本部・第一発令所、その15分前〜

「ごみんごみん〜♪」
そう言って発令所に入って来たのは、御歳29になる葛城ミサトだった。
ちなみにお昼はとっくに過ぎている。
だが、彼女の勤務報告書に遅刻の文字が載ることはない。
職権を使ってもみ消しているのだ。
「日向君、さっきはアリガトね〜。助かったわ♪」
ミサトが軽くウインクすると、日向と呼ばれた男は少し照れていた。
日向マコト──
階級は二尉。ネルフ本部中央作戦司令部作戦局第一課所属。主としてオペレーター任務をこなしており、所属こそ違うが葛城ミサトは直属の上司にあたる。
オールバックの髪に黒ぶちメガネ、ノンビリとした性格だが、緊急事態発生時の対応は素早く、その能力は優秀である。
実はこの男、ミサトに惚れているらしかった。それが彼の不運であり欠点だったと、後に彼の親友であったロンゲ君は語ることになる。
そのため、パシリ同然の扱いにも「貴女のためなら」と、所属が違うミサトにいいように使われまくっていた。


「いや〜昨夜、ちょっち飲みすぎちゃってさ〜」
ミサトがオペレーターの面々にだらしなく言い訳する。
少し息も酒臭い。
「「(今まで寝てた!?)」」
日向を除くオペレーターたちは呆れていた。
実はミサトは、昨夜深酒して日向からのモーニングコールがあるまで自宅でたっぷりと寝過ごしていたのだ。
もしこの場に彼女の親友である赤木リツコ博士がいれば説教の一つでも始めるだろうが、残念ながらその人物は現在どこぞのプールで気持ちよく泳いでいる(オイ)最中であるため、不在である。


「あ、でも葛城さんって今日は、サードチルドレンの男の子を迎えに行ったんじゃ?」
オペレーター三人組の紅一点、伊吹マヤが訊ねた。
マヤ自身、昨日、リツコ本人からそう聞かされていたのだ。
「「えっ、そうなの?」」
これはマヤ以外の二人のオペレーターの弁。どうやらどちらも初耳らしかった。
そのうちの一人、ロンゲのオペレーターである青葉シゲルという男は、先日マルドゥック機関からサードチルドレンが選出されたと副司令から直々に話を聞いていたし、当然その重要性も十分認識していた。
使徒が襲来している今だからこそサードの重要性が高いことは、想像に難くない。
日向にしても、同様にサードの重要性は正しく認識していた。
しかし、葛城さんがサードを迎えに行くなんて重大事、直属の上司である彼女本人の口からもまったく聞いていなかったのだ。
報連相(ホウレンソウ)のへったくれもなかった。
ここで言う「報連相」とは、報告・連絡・相談といった任務を円滑に遂行するために必要不可欠な一連の動作を指す言葉であるが、この男と上司の女性のそれはどうも一方通行で、しかも通行止めらしかった。


「何言ってんの。使徒が現れたのに悠長にそんなことしてる場合じゃないでしょう。今は非常時なのよ」
ミサトはとんでもないことをサラリと言った。
(まったくこんなこともわからないなんて……。リツコは優秀って言ってたけど、所詮は現場の判断のなんたるかもわからないただの女の子ってわけね)
この女、ずいぶんと勝手なことを考えていた。
ミサトにとっては、宿願ともいえる父親の復讐を果たせる機会を棒に振ってまで、わざわざサードチルドレンを迎えに行く理由なんてありはしないのだ。
まあ使徒が来てなけりゃ、大事な復讐の駒なんだから、キチンと迎えに行くつもりではあったのだが。


マヤは愕然とした。
この女性は「迎えに行っていない」と言っているのだ。
じゃあ、肝心のサードチルドレンは今どうしているのか。外は戦場である。マヤは背筋に冷たいものが走るを感じていた。
「じ、じゃあ、すぐ誰かを向かわせましょう!」
マヤが慌てて切り出した。しかしミサトはヘラヘラ笑って答える。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。きっと誰かが迎えに行ってるわよ♪」
ハズレ。誰も行っていない。
なぜならミサト本人が「自分から言い出したことだから責任もって迎えに行く」と啖呵を切ったものだから、誰もフォローする体制をとっていないのだ。
無責任にもほどがあった。
もしこの場にリツコがいれば、まだ間に合ったのかもしれない。
しかし何度も言うが、リツコは今プールで泳いでいて(まだ言うか)この場にいない。


日向としても心外だった。
自分は使徒殲滅に情熱をかける上司の姿を知っていたからこそ、自宅で寝ている彼女にまず情報をリーク──関係者といえども不用意に情報を漏らすことはネルフの内規で禁止されている──したのである。
もちろんそれに下心がないといえば嘘になるかもしれない。
しかしそれでも、葛城さんがサードを迎えに行くというスケジュールさえ知っていれば話は違っていた、と思う。少なくとも代わりの人間を向かわせるとかの代替案を講じていたと思う。
(葛城さん……)
日向は少し責任を感じていた。


マヤはミサトに内緒でリツコに連絡していた。
いくらなんでもマズイ。
館内放送で呼び出すことも考えたが、ミサトにばれると妨害されそうだったので、直接、リツコのコミュニケ端末にメールを送っていた。
当然、他の二人のオペレーターはそれに気づいていたが、内心ほっとしていた。
それから約10分後、烈火のごとく怒りまくったリツコが第一発令所に姿を現すことになる。
余談ではあるが、ドグマの通路で彼女にすれ違った男性職員(25)は、後に語った。
「般若を見た」





〜ネルフ本部・第一発令所、現在に至る〜

「ミサト!」
バーンとばかりに、リツコが発令所に飛び込んできた。第一声からしてかなりキレているようだ。
「あらリツコ。なかなかセクシーな格好ね」
たしかにリツコはセクシーな格好だった。ライトグリーンのハイレグの水着に白衣を羽織っただけ。だが今のリツコの雰囲気は誰が見ても「色っぽい」ではなく「怖い」であった。
「ちょっと貴女いったいどういうつもり?」
「や、や〜ね、なに怒ってんのよぉ〜」
ミサトはリツコのものすごい剣幕に、また自分が何かマズイことでもしたのかと考えを巡らせたが、覚えがありすぎて冷や汗を掻いていた。


「葛城一尉、何故君がここにいる」
ちょうどそのとき、発令所上部の司令席から重厚な男の声が発せられた。
サングラス越しであるためその表情は見えないが、その男は内心、自分のシナリオにない事態にかなり焦っていた。
「ハッ。使徒襲来に際しネルフ作戦本部長としての職分を全うするためであります」
ビシッと敬礼してミサトが重々しく返答する。
「そういうことを聞いているのではないのだよ。たしか君はサードチルドレンを迎えに行ったはずではなかったのかね?」
司令席の隣に立つ冬月が、ゲンドウに代わって問い返した。
「ハッ。ですが今は使徒撃退が最優先事項であります。サード出迎えのプライオリティーはこの際無視されて然るべきであり、やむなく小官は当発令所に直行した次第であります」
つまり、サードを迎えになど行っていないと、ハッキリ言っているのだ、この女は。
「ちょっとミサト!貴女、自分から言い出したことだから責任もって迎えに行くって、そう私に言ったんじゃなくって!」
リツコが烈火のごとくミサトに詰め寄った。今にも胸倉を掴み上げようとしている。
ミサトはかなりビビリまくっていた。
周りに助けを求めようと目線を動かすが、一様に無視されていた。
リツコの怒りは未だ治まらない。
司令や副司令がこの場にいることさえ忘れるくらいに興奮していた。
「それに、行けないなら行けないで、代わりの人間を寄こすべきでしょーが!」
「だ、大丈夫よ、きっと。だ、誰かが迎えに行ってくれてるわ」
「誰も行ってないわよ!」
「そ、そう」
リツコはフーッフーッとまだ鼻息が荒い。
エヴァのケイジでマヤからのメールを見てから一目散に発令所までやって来たのだ。
それに加えてこの怒りである。
息も切れて当然だろう。
「そ、そうだ。きっとシェルターに避難してるわよ。うん、きっとそう」
「……ここに来る途中、MAGI経由でシェルターの避難者リストを検索してみたけど、サードチルドレンの名前はどこもヒットしなかったわ」
「………」
(これはちょっちマズイのでは〜)
ここにきてなんか旗色が悪くなってきたことに、さすがのミサトも気づき始めていた。
ここは一発逆転の打開策を講じないと……そう考えていた。
そして天啓──悪魔の囁きとも言う──がひらめいた。


「あ、今思い出しましたが、実は日向君に指示を出しました。私に責任はありません」
よりにもよって、とんでもないことをしゃべりだすミサトだった。もちろん指示なんて出していない。
「「「「「「!!」」」」」」
これにはさすがの一同も驚くしかなかった。
この女、自分が助かりたい一心で冤罪をでっち上げようとしているのだ。
いくらなんでもそこまではしないだろうと考えていた面々の驚きは、なおさらであった。
(か、葛城さん、指示なんてもらってませんよ〜)
(マコト、おまえ不憫すぎるぜー)
(葛城さん酷すぎますぅ〜)
(ミサト、無様ね)
(碇、これもシナリオのうちか?)
(も、問題……あるかも)


「じ、実は……えーと、えーと……あ、これだ!」
何かを必死で考えていた(捏造していたとも言う)様子のミサトが、何かをひらめき顔を上げた。
「実はですね、ネルフで禁止されているにも関わらず、日向君から私の自宅に電話連絡があって、使徒襲来に関しての情報のリークがあったんですよ」
「「「「「「!!」」」」」」
恩を仇で返すとはこのことだろう。
(そ、そんなぁ)
日向は信じられないといった顔でミサトを見つめている。
そんな視線を気にもせず、ミサトは弁明の言葉を一つ一つ続ける。
「で、そのとき私はたしかに言ったんです。サードを私の代わりに迎えに行って欲しいって」
「……そうなのかね、日向二尉?」
ミサトの話など口からでまかせということはわかっていたが、一応訊ねる冬月。
「あ、いえ、その。電話をしたのは事実、なの……ですが……」
かなり動揺している日向。顔面蒼白で今にも泣き出しそうだ。さもあらん。信じていた女性に手酷く裏切られたのだから。
それでもミサトに対して、まだ後ろ髪を引かれる思いがあるのか、彼女に不利益になるような証言に及ぶのを最後の一線で躊躇っていた。
いたが──
「それで、サードの話はあったのかね?」
「ッ!! ──い、いえ、なかったと思います」
あまりに厳しい冬月の詰問の声に、思わず一線を踏み出していた。
(……すみません、葛城さん)
これだけの目に遭わされながらこの男、心の中でミサトに詫びを入れるなど、どこまでも底抜けにお人好しな日向だった。
ミサトはじっと日向を睨んでいる。まるで親の仇を見るような冷たい目だ。
「嘘です。日向二尉は自分が助かりたい一心で明らかに虚偽の発言をしています」
それはおまえだろーがと、誰もが心の中でツッコミを入れた。
証拠はないと思っているから強気のミサト。こうなったらこのまま突っ走るしかないと思っている。
日向に濡れ衣を着せることには、少し悪いかなと思いつつも仕方がないと思っていた。
大事の前の小事。私がいなければ人類は滅ぶのだから。これくらいのことは許されて然るべきだと本気で信じていた。
この女、どこまで腐っているのだろうか。


ここでリツコが助け舟を出した。もちろん日向にだ。
「電話内容ならMAGIに音声ログが残っているわよ」
「!!」
慌てたのはミサトだった。完全犯罪のアリバイが思わぬところで崩されそうなのだ。
「だ、だめよ!卑怯じゃないそんなの!ずっこいわ!おーぼーよ!セクハラよ!」
ミサトが見苦しくもわめき散らした。
もはや「自分はクロです」と自白しているようなものだ。
そんなミサトを無視して、リツコはさっさと手近の端末のキーボードに指を走らせる。
後ろでは、まだミサトがギャーギャーと騒いで醜態を晒している。
すると、電話の呼出音らしきものがどこからともなく聞こえてきた。
しばらくして
《もしもし〜誰よぉ?人が気持ちよく寝てるのにぃー》
《あ、もしもし葛城さんですか?日向です。もうお昼過ぎですよ?実はですね……》
ミサトにとってヤバすぎる音声がスピーカーから流れてきた。
「えーと、えーと……」
焦るミサト。そこに第二の天啓(?)がひらめいた。
こっそりと親友の背後に移動すると、いきなり端末のマウスをふんだくった。
「とおりゃああーー、あああ手が滑っちゃったー♪」
「「「「「「!!」」」」」」
「何するのミサト!」
ミサトはディスプレイに表示されていた音声ログファイル名の横にあった削除ボタンをクリックしていた。
しかし、この手のログファイルは参照のみが許可されており、普通、削除することはできなかった。
いくら削除ボタンをクリックしてもオーソリティーエラーを返されるだけなのだ。
そう、普通は。
しかし今回は普通じゃなかった。
今この端末にログインしているのはLEVEL−Sの赤木リツコ博士のスペシャルIDである。
LEVEL−SのIDは、MAGIにあるすべてのファイルに対してALTER権を持っているのだ。
つまり、消せるのだ。
もちろんミサトはそんな事情までは知らない。単純に消せると思ってやったのだ。なんという悪運の強さだろうか。
──ミサト、証拠隠滅完了!
「「「「「「………」」」」」」
シーンと波を打ったように静まり返る発令所。
あまりのことに皆言葉も出ない。


「コホン──と、とにかく今は使徒撃退が最優先事項です。不毛な論議を交わしている猶予はないはずです」
なんとか話題を逸らそうとミサトが口を開いた。
殊勝なことを言っているが、もちろん自分の保身のための方便である。
「……その使徒撃退のためにもサードが必要なのよ」
諦めたように答えるリツコ。
(なぜミサトなんかと親友やってるのかしら私。ロジックじゃないのね)
友達は選ぶべきだったと、今さらながら後悔していた。
「出撃?零号機は凍結中でしょう。まさか、初号機を使うつもりなの?」
「他に道はないわ」
「ちょっと!レイはまだ動かせないでしょう?パイロットがいないわよ!」
「……さっきからサードを使うって言ってるでしょうーが!」
「マジなの?」
マジだよ。話聞いとけよ。
「でも、綾波レイでさえエヴァとシンクロするのに7ヶ月もかかったんでしょう?初めて乗るサードにはとても無理よ!」
「座っていればいいわ。それ以上は望みません」
ミサトはこれにはカチンときた。
「じゃあ、サードがエントリープラグに入ってさえすれば、私なんかいなくても何とかなるって言いたいわけ?」
「そうは言ってないわ」
素っ気なくリツコが答える。内心「事実よ」と口を滑らせそうになったが。


葛城ミサト──
29歳。階級は一尉。
ネルフ本部戦術作戦部作戦局第一課所属。
役職は作戦課長だが、有事の際はエヴァの作戦指揮を担当する作戦本部長となる。
閲覧可能な彼女の表のプロフィールは「優秀」の一言。
だが、彼女がネルフの前身であるゲヒルン時代に在籍していたドイツ第三支部での裏の評価がここにある。
惨憺たる結果だった。もうどうしようもないくらいに。
だが、彼女自身は、表のプロフィールどおりの優秀な軍人であることを自負していたし、自らの実力で今の地位に登りつめたのだと信じて疑わなかった。
余談だが、嘗て彼女が第二東京大学への入学を果たしたことも、実は某組織のテコ入れによる裏口入学であった。
もちろん彼女自身は、実力で日本最高学府の難関を突破したと思っているが。
実におめでたい。


「いくらサードが初号機を起動させようと、私の指揮なしに使徒に勝つことはできません」
いやそれは大丈夫。暴走させるから。そう思ったのはゲンドウだが、もちろん口には出さない。
ミサトはなおも自分の存在意義を力説する。
すでに頭で考えるよりも先に言葉が連発していた。
「なんと仰られようと私でなければ使徒を倒すことは不可能です」
「私の力がなければ人類は間違いなく滅亡します」
「私以上の人材は存在しません」
目が本気だ。こいつは本気で言っているのだ。
傲慢。増長。自惚れるにもほどがある。
真実を知る二人いや三人は、いいかげん開いた口が塞がらなかった。
言いたい。無性に言いたい。本当のことを言ってしまいたい。ああー王様の耳はロバの耳ーー。
三人は突然そんな衝動にかられていた。
曰く、実はあんたは、自分で思っているほど大した人間じゃないんだよ、と。
曰く、実はあんたは、実力で今の地位にいるんじゃないんだよ、と。
曰く、実はあんたは、乳がでかいだけのただの無能なアル中性悪三十路女なんだよ、と。
しかし言えなかった。
のどまで出かかった言葉をぐっと飲み込んだ。
葛城調査隊の唯一の生き残り、ネルフ広告塔としての客寄せパンダ。
チルドレンの心を脆弱にするための、復讐心に狂った道化師。
チルドレンに適度な負担をかけるための、使徒に完勝しない程度の二流三流の指揮能力。
そして真実に首を突っ込まないガサツでズボラな性格。
それが「裏・死海文書」で予言された彼女の存在意義であるのだから、無能だからといって簡単には切り捨てられないのだ。
しかしこれは無能どころか有害すぎる。そのうち利敵行為くらい平気でしでかすかもしれない。
この修正、容易ではないなと冬月は一人頭を悩ませていた。
実はもう一つ、冬月でさえ知らされていない、ネルフではゲンドウしか知らない秘密が彼女にはあるらしい。
これについてはいずれ明らかになるだろう。ある人物によって。


「もういい!」
突然、ゲンドウが声を荒げた。こんな茶番に付き合うのはもうウンザリなのだろう。
「日向二尉、服務規程第二条第一項の違反により、三ヶ月間10%の減俸とする」
「りょ、了解です」
日向はうなだれた。
他の二人のオペレーターたちが近寄って慰めている。
「あ、あの、ミサ……葛城一尉のご処分は?」
リツコが恐る恐るゲンドウに訊ねる。
「……葛城一尉は、お咎めなし、だ」
苦々しく答えるゲンドウ。
その瞬間、ヤッターとばかりに満面の笑みを浮かべるミサト。
逆に、思ってもみなかった不当判決に呆然と立ち尽くすその他大勢の面々。
そして、当のミサトはというと
「日向くーん、減俸ぐらいで済んでよかったじゃなーい♪」
今までのいきさつが全部なかったかのように、調子よく日向に声をかけていた。
もはや、あ然とするしかない発令所の面々だった。
日向さえも呆れていた。
──自分に都合の悪いことはすぐに忘れる女、それが葛城ミサトだった。
「と、とにかく、現在サードがいると思われる強羅駅にヘリを急行させています」
リツコがそう切り出す。
サードがその駅で降りた、というかリニアがそこで停車したという情報は、茶番劇の間にMAGI経由で調べていたらしい。なかなか優秀だ。しかし……


現場に到着したヘリが、上空から駅前の惨状をリポートする。
ヘリ搭載のカメラで捉えた映像は、第一発令所の主モニターに映し出されていた。
路上で燃えさかるVTOL機の残骸。
何かに気づいたオペレーターがカメラをズームアップする。
そこに映し出されたそれは、瓦礫に挟まれた「来い碇ゲンドウ」と殴り書きした紙片とネルフ発行のIDカード、そして一枚のセクシーダイナマイツ写真だった。
静寂に包まれる第一発令所。
──サードチルドレン、死亡。
あまりにも重いその事実に、誰もが息を呑んだ。


「サードチルドレンの少年、あなたの貴い犠牲は無駄にはしないわ。仇はきっと討ってあげるから」
静寂を破ったのはミサト本人の言葉だった。
ちなみにサードの名前すら覚えていなかった。
自分に酔っているのだろうか、少し涙さえ浮かべている。
だが、自分のせいで死んだというのに、ゴメンなさいの一言さえない、その罪悪感さえ都合よく欠落したそのセリフに、周囲は白い目を向けていた。


(シンジ、どこまでも使えないヤツだ。貴様には失望した)
鬚面の男はその心の中で嘯き、歯軋りした。
実の息子の死を目にして、憐憫の情の欠片さえない。
所詮その男にとっては、息子と言えどただの道具にすぎないのだろうか。
「冬月、レイを起こしてくれ」
「使えるかね?」
「死んでいるわけではない」
その男は冷たく言い放った。
「わかった」
レイの病室と回線を繋ぐ。
「レイ」
《はい》
「予備が使えなくなった。もう一度だ」
《……はい》





〜どこかの高台〜

ここは、強羅の街を一望に見下ろすことができる、街から少し離れたところにある高台である。
そこに一人の少年が佇んでいた。
眼下には、破壊され炎上する街の惨状があった。
「あらら……勝手に死んじゃうなんて、しょうがないやつだなあ」
少年は駅前で墜落炎上する何かの残骸を見つめながら、少し気だるそうに呟いた。
もちろんそれを聞くものは誰もいない。
暫くして別な方向に視線を移すと、大きく溜息をついた。
「はぁー、ゲンドウの野郎、やっぱり綾波を出すつもりか」
「その行為、万死に値するよ?」
不敵に微笑む少年。
その頭の中では、様々な方法で処刑されるゲンドウの姿がシミュレートされていた。
どうやら彼の中では、ゲンドウの処刑はすでに決定事項のようだ。
「しっかし、葛城ミサトには呆れるよな〜」
呆れているわりには、少年のその表情は愉悦そのものだ。
(あれほどとはな……ククク)
自分の予想を超えて期待を裏切らないその女に、ある意味、少年は心の内で喝采を浴びせていた。
「結構楽しめそうだ」
少年の腕の中には、毛並みの良い真っ白な子猫がスヤスヤと眠っていた。
少年はそれを優しく撫でながら、第三新東京市の方角をただじっと眺めていた。



To be continued...


(あとがき)

私は漢字がキライなので、作中では平仮名を多用しています。
あと、小難しい文体や言い回しなんかもキライというか知らないので、使いません。
読みにくいと思われている方、ごめんなさい。改める気はありません。

今回のお話、前半は殆ど原作どおりでしたね。登場人物のセリフも大体は同じでした。
なお冒頭の少年は、プロローグ篇のシンジではありません。
別の平行世界のシンジです。
ちなみに呆気なく死んでしまいました。
その辺の話は、次回でも書きます。
葛城ミサト、期待を裏切りません。今後の動向に注目です。
最後に猫を登場させたのは、私が無類の猫好きだからです。
にくきゅうはしゃぶりつきたいほど好きです。
もちろん綺麗に洗ってからしゃぶるので、衛生的にも問題ありません。
あ、ひかないでください。
やっぱりマスコットキャラはお約束でしょ?
次回もサービスサービスぅ〜♪
作者(ながちゃん@管理人)へのご意見、ご感想は、メール または 感想掲示板 まで