捌かれる世界

第八話 はじめて物語(前編)

presented by ながちゃん


《只今、東海地方を中心とした関東・中部の全域に特別非常事態宣言が発令されました。 速やかに指定のシェルターへ避難して下さい。 繰り返しお伝え致します──》
第三新東京市内に、市民の避難を促すアナウンスが繰り返されている。
この特別非常事態宣言の発令により、近隣住民への各指定のシェルターへの避難勧告、交通網の全線ストップ等が指令されていた。
日曜日の夕方、まだ陽は高い。だがすでに街中には、人っ子一人として見当たらなかった。





〜ネルフ本部・第一発令所〜

突然の使徒襲来に、発令所内はピリピリとした緊張感に包まれていた。
すでに主要なメンバーは、この場所へと集結を果たしていた。
その中には、第壱中学校の制服を身に纏ったファースト・チルドレン、綾波レイの姿もあった。
レイは何をするでもなく、いつもの無表情で一人モニターを見つめていた。
《目標を光学で捕捉。 日本領海内に侵入しました》
「総員、第一種戦闘配置」
冬月が号令を掛ける。
先刻、ゲンドウの口からも同じ言葉が出たが、細かいことを言えばこの場のそれが正式なものである。
《了解。 対空迎撃戦用意》
《第三新東京市、戦闘形態に移行します》
《中央ブロック収容開始》
地上の無人の街に、けたたましいサイレンが響き渡り、次々と高層ビルが地面に沈み込んでいった。
沈降したビルはロック・ボルトで固定され、街の地下に広がるジオ・フロントの天井部に収容されていった。
《中央ブロック及び第一から第七管区まで収容完了》
《政府及び関係各省への通達終了》
《現在、対空迎撃システム稼働率45.6パーセント》
「非戦闘員及び民間人は?」
ミサトが横目でロンゲのオペレーター、青葉シゲル二尉に確認する。
「すでに退避完了との報告が入っています」





〜第三新東京市・某所〜

さてここは、第17地下避難所と呼ばれるエリア。
第三新東京市の中心街の直下、ジオ・フロントの天蓋部に存在する、市内でも屈指の総床面積と収容人員を誇る巨大シェルターである。
見渡せば、広大な空間に人、人、人の山であった。恐らく一万を超える市民が避難しているのだろう。
今日が日曜日ということもあり、一般買物客や親子連れでごった返していた。私服姿の少年少女もチラホラと見える。
その立地場所の特性であろうか、地域住民らしき人たちの姿は意外と少ないようだ。
《小中学生は各クラスに、住民の方々は各ブロック毎にお集まり下さい──》
まったく意味をなさない場違いな自動アナウンスが、館内に繰り返し響いていた。
恐らくは、お役所仕事で作った音声テープをTPOを考えずにそのまま流しているのだろう。
避難してきた人々も、そんなアナウンスは無視するがごとく、各々の判断でくつろいでいるようだ。
そんな中に、一際人目を引く格好をした、一人の少年の姿があった。
上下のウッドランド・パターンの迷彩服に、ごつい黒のホールブーツ。そして右手にはビデオカメラ。
少し場違いな、いや怪しすぎる出で立ちのその少年は、相田ケンスケ、その人であった。
どうやらこの少年、行きつけのミニタリーショップで喜悦に浸っている最中に、この避難勧告の報を聞いたらしかった。
当然、今日は平日ではないため、彼の母校指定の避難シェルターではなく、街中にあるこの巨大シェルターへと避難した(強引に避難させられた)のはごく自然なことであった。
「まただっ!」
区画の隅で、携帯テレビ(内蔵のビデオカメラ)の画面を覗いていたケンスケが、突然、吐き捨てるように叫んだ。
だが悲しいかな、それに相槌を打ってくれるハズのいつもの相棒は、彼の隣にはいなかった。
「……」
ケンスケはなおも不満げな表情で、携帯テレビの画面を見つめている。
だがわざわざそんなものを見なくとも、このシェルターには大型映像情報システム、所謂オー□ラビジョンが数台設置されており、そこにも同じ映像が映し出されていたのだ。
「ん、どうしたボウズ? …また文字だけなのかい?」
隣に座っていた見ず知らずの人の良さそうな中年男が、少年の奇声に気づいて、律儀にも声を掛けていた。
所謂、一期一会、袖振り合うも多生の縁ってやつだろう。
「報道管制ってやつだよ。 僕ら民間人には見せてくれないんだ。 ──あーもう、こんなビッグ・イベントだっていうのにっ!」
ケンスケは思わず不満を口にしていた。
頭に血がのぼっているのか、名前も知らないオヤジにタメ口を吐いていた。





〜第二新東京市・某所〜

ここは、日本の首都、第二新東京市にある国防省の庁舎である。そこは、日本政府直属の軍組織である戦略自衛隊、その大本営でもあった。
使徒襲来の報は、ここ国防省の庁舎、戦略自衛隊の統合幕僚会議、情報本部の中央作戦司令室にも齎されており、制服姿の男たちが忙しなく動き回っていた。
余談ではあるが、ここには、先刻、ミサトの(形式的な)受入れを決定した戦自のお偉方も集結していた。
広大な地下フロアの正面のスクリーンには、海上を飛行、接近する使徒の姿が映し出されている。
だが、この場所に詰めている軍人たちに出来ることは何もなかった。
精々が、情報収集とその分析である。
実は、第三新東京市の防衛と使徒撃退は、ネルフと国連軍(実質は日本の自衛隊)の専権事項であったのだ。
あわせて、常日頃からのネルフの専横な振る舞いと排他的な態度に、彼らはいつも苦々しい思いをしていた。
目の前のオペレーター席で何かしらの動きがあった。
「議長! 何者かがこちらの極秘回線にアクセスしている模様です!」
通信担当のオペレーターが背後の男に報告を上げる。
「どうした? サイバーテロか?」
フロアの後方最上段、統合幕僚会議の議長席に座る初老の男が訝しがる。
「いえ、どうも違うようです。 何かの映像信号のようですが…」
「…メインパネルに映せ」
暫くして、謎の映像信号が正面の巨大スクリーンへと映し出された。
「ここは確か…」
議長と呼ばれた初老の男には見覚えがあった。
スクリーンに映し出されたのは、あのネルフ本部の中央作戦室、所謂、第一発令所と呼ばれるフロアの全景であったのだ。
見知った人物も何人かいる。間違いないことだった。
映像の先に映るネルフの主モニターには、ここ戦自のメインパネルと同じ使徒の姿が映し出されていることから、どうやらリアルタイムのライブストリーミングらしかった。
「どう致しますか? 回線を切りますか?」
オペレーターの男が確認する。
「…いや、このまま続けろ。 どこの誰の仕業かは知らんが、ネルフの内幕を知る絶好の機会だ。 何かの陽動かもしれんが……構わん、余すところなく記録して分析に回せ!」
「ハッ!」
オペレーターの男は仰々しく敬礼をすると、キーボードを叩き始めた。


ちなみに、この現象は、ここ戦略自衛隊だけではなく、国連軍(自衛隊)のほうでも同じことが起きていた。
これは、所謂、MAGIの乱ではなかった。
某少年が、牛への嫌がらせのために、つい先刻閃いて、個人的にやっていることであった。
それは、牛の受け皿をなくすために、その実態を見せつけてやろうとする少年のささやかな心配り(?)であったのだ。
勿論、面白半分でやっていることなので、深い意味はない。
だがこのことは、少年の予想を超えて、期待以上の成果を挙げることになる(笑)。
後日、その少年のコメント。
「いや〜、ちょっとばかし可哀想だったかな〜?」
ちなみに、MAGIの回線やソースは一切使っていないため、ネルフはこの事実にはまったく気づいてはいなかった。





〜ネルフ本部・第一発令所〜

「エヴァ参号機が届いたその日に、第四の使徒襲来。 意外と早かったわね」
そう呟くミサトだったが、当惑の表情ではなく、歓喜の表情を浮かべていた。
次の使徒が思いのほか早く来てくれて、嬉しくて堪らないのだろう。口の端から笑みがこぼれていた。
「前は15年のブランク、今回はたったの一週間ですからねぇ」
オペレーター席に座るマコトが感慨深げにそれに答える。
「こっちの都合はお構いなしか。 女性に嫌われるタイプね」
ミサトは使徒に対して皮肉の言葉を吐く。が、少しも嫌そうには見えない。少なくともこの使徒、彼女にはそれ程嫌われてはいないようであった。
心待ちにしていた想い人(?)に会えて、今、彼女の胸はときめいていた。
発令所の正面にある主モニターの大スクリーンを見ると、地上の超低空を悠々と飛行・接近する第四使徒の姿が映し出されていた。
赤黒く不気味な形状の使徒の巨大な姿──
斬新的な機能美といえば聞こえはいいが、普通の人間の美的感覚からすると「オイコラ馬鹿にしてんのか?」とイチャモンをつけたくなるようなデザインである。
山腹に造られた国連軍のミサイル陣地が、箱根ロープウェイのゴンドラに偽装された対空砲が、飛来する使徒に向かって激しく火を吹いた。
だが使徒は、その弾幕の中を悠然と進攻してくる。軍の攻撃はまったく効いてはいないようだった。
「…税金の無駄遣いだな」
冬月はモニターを見ながら呟いた。
(ドブに捨てるくらいなら、いっそ我々ネルフに回してくれれば良いものを…)
無理な願いとはわかってはいても、冬月はそう思わずにはいられないようだ。性分らしい。
《目標、強羅絶対防衛線を突破》
「委員会から再びエヴァンゲリオンの出動要請が来ています」
シゲルが振り向きざまに告げた。
「…煩いやつらねぇ。 言われなくても出撃させるわよ」
赤いジャケットを着た作戦部長の女は、フンと鼻先であしらった。





〜第三新東京市・某地下シェルター〜

ここは再び第17地下避難所、その一画である。
そこでは、ケンスケが先程から何やらモジモジしていた。まったく落ち着きがなかった。
さもあらん。今地上では、彼が待ち望んだビッグ・イベントが始まろうとしているのだ。
これを見逃す手はないのだ。
実はこの少年は、この特別非常事態宣言の裏に隠された現実を、ほぼ正確に把握していた。
使徒と呼ばれる巨大怪獣が第三新東京市を襲っていること、ネルフの秘密兵器である巨大ロボットがそれを迎撃していること、…それをケンスケは知っていたのだ。
彼の父親は、ネルフのB級職員であった。
ケンスケは、ネルフの総務部総務局第二課に籍を置く広報担当官である父親のIDを拝借し、自慢(?)のハッキング能力を駆使して、度々ネルフの情報を盗み見ていたのだ。


ケンスケの中では、今まさに天使と悪魔が激しく鬩ぎ合っていた。
(悪魔:こんなチャンス、滅多にないぜ? 抜け出しちまおうぜ?)
(天使:そうよそうよ! 抜け出すなら今しかないわ! レッツらゴーよ♪)
(ケンスケ:でも見つかったら酷く怒られるかも…)
(悪魔:何弱気なこと言ってやがる! それでもお前、マタンキついてんのか?)
(天使:平気平気♪ バレなきゃ大丈夫よん♪)
…すでに鬩ぎ合いではなかったようだ(汗)。
ケンスケの心は決まっていた。
(クソッ! このままじゃ終わっちゃうじゃないかっ!)
メガネの少年は気が気ではない。
(どうすればいい……一体どうすれば……)
焦るケンスケ。必死にシェルターを抜け出す方法を思案していた。
彼の脳みそは今、当社比1.5倍の速さでフル回転していた。
(ここのロックは複雑で、到底オレ一人じゃ開けられないし…クソッ、こんなときトウジのやつがいれば〜!)
ケンスケがぼやく。
彼の言うとおり、このシェルターの出入口であるゲートは厳重なロックが掛けられ、子供一人の力では到底突破できる代物ではなかった。
恐らくはトウジという少年と二人掛かりでも、開けるのは困難であろう。
しかもロックを解除するためには、あらかじめパスコードの入力が必要であり、これは如何なケンスケといえども、どうしようもなかったのである。
(しかも入口には御丁寧に見張りの人間まで立っているし…)
ケンスケはさらに頭を痛める。
ここのような大型シェルターには、市の委託を受けた職員が常駐しているのだ。小規模なシェルターとは事情が異なるようである。
だがこれでは、人目を盗んでゲートに近づくことすら難しかった。
(どうすれば…)
しかしそんな絶望的な状況でも、少年はなおも諦めきれない様子であった。
ケンスケは真剣に悩む。ブツブツと独り言を呟きながら、必死に考えていた。
(くそっ、だから一体どうしたら…)
不意にシェルターの天井を見上げるケンスケ。そして何かに気づき、閃いた。
(そうか! この手があったんだ!)
ケンスケは立ち上がり、思わず小躍りして喜んだ。傍から見たら、かなり危ない少年である。
「ん? どうしたボウズ。 小便でも行きたいのか?」
少年の異変に気づいた隣のオヤジが、声を掛けてきた。
「へ? …あ、ああ、実はそうなんです。 ちょっとトイレに行ってきますよ。 アハ、アハハハ…」
ケンスケは照れ笑いを造りながら、そそくさとその場を立ち去った。


「よっし、ここだ♪」
ケンスケは、とある部屋のドアの前に立っていた。
そこはボイラー室だった。何故シェルター内にこんな部屋があるのか、それはわからない。
〔関係者以外立入禁止〕
まず目に付いたのは、ドアに貼り付けられたこのプレートである。
だが生憎とケンスケは、真面目な遵法精神など持ち合わせていなかった。自分の欲望には忠実な少年であったのだ。
少年は念のため、辺りをキョロキョロと窺うが、幸い誰も近くにはいないようだ。
ドアノブを回してみる。 …ガチャリ。幸運にして鍵は掛かってはいなかった。
彼はそっと部屋に侵入した。
轟音を立てるボイラー設備。熱気が漏れてかなり暑苦しい。
少年は、眼前のボイラー設備には目もくれず、スタスタと部屋の奥へと歩いていった。
そこには分厚い鉄の扉が存在していた。
ケンスケは徐に扉に埋め込まれているレバーを引き出すと、それを力任せに反時計回りに捻った。
ギギギギィー
重厚な音をたてながら、レバーごとその扉が手前に開く。
見ると、扉の向こうには真っ暗な通路が延びていた。
「よし、ここを真っすぐ行けば、換気ダクトにぶつかるはずだ」
ケンスケは懐中電灯を片手に、そのまま扉の奥へと進んでいく。
…しかし何故、この少年はこうもシェルターの構造に詳しいのか?
──実はケンスケはこの時、このシェルターの見取り図を手にしていたのだ。
先刻、自らの避難場所を立ち去った後、ケンスケは背中のリュックサックからPDA端末を引っ張り出すと、父親のIDを拝借してネルフ経由で第三新東京市の防災課のデータベースにアクセスし、このシェルターの見取り図をダウンロードしていたのだ。
勿論それは犯罪ではあったが、今の彼に罪の意識はなかった。
ケンスケが注視したのは換気ダクトの配管図であった。そしてじっくりとルートを確認していた。
彼は、ケンスケは、シェルターの換気ダクトを抜けて、地上へと出ようとしていたのだ。


ケンスケは地上を目指して歩みを進め、すでに換気ダクト内へと侵入していた。
ここのシェルターは巨大であり、換気ダクトといえども、大の大人が立って歩けるほどの大きさであった。
というよりは、メンテナンス上、元から人が通行できる造りになっていたようだ。
ケンスケは、偶々それを知っていたらしい。
見れば、簡単な造りながらも階段があり、ご丁寧に高欄まで設置されていた。
グリーンの表示ランプが等間隔で横壁に埋め込まれ、ダクト内は懐中電灯さえ不要なほどの明るさを呈している。
「ハアハアハア…」
メガネの少年が地上に向かって坂を上ること10分、少し開けた空間が現れた。
そしてそこが行き止まりだった。
そこは3メートル四方の、分厚い装甲シャッターで閉ざされ、ケンスケの行く手を阻んでいた。
だがその少年は、落胆ではなく、喜悦の表情を浮かべていた。
「この先が外だよな?」
ケンスケは周りを見渡すと、横の壁に制御パネルらしきものが埋め込まれているのを発見した。
「うん、きっとこれがここの開閉スイッチだ♪」
目の前の危険色にペイントされたポッチを見て、少年が喜びの声を上げる。
半分は正解である。
彼は迷わずそのスイッチを押した。
「ポチッとな♪」
ガタガタガタガタ──
「お、開いた開いた♪」
眼前のシャッターがガタピシ音をたてながら開き切ると、眩しい斜陽の光が少年の目に飛び込んできた。
外を見ると、茜色に染まった街並みが一望できた。
人っ子一人いない無人の街。地上にいるのは自分だけである。
この特別なシチュエーションに、ケンスケはまるで征服者にでもなったかのような高揚感に襲われていた。
涼しい海風が、少年の前髪を撫でる。
「うーん、空気がおいしい〜〜」
暢気に伸びをするケンスケ。
ゲートから下を見ると、4〜5メートルほど下に地面が見えた。
どうやらここは、どこぞのビルの中らしかった。
少年はビルの外壁に打ち込まれているハシゴを見つけると、早速それを伝って地上へと降りた。


シェルターの換気システムは、市の中央コンピューターによって集中制御されていた。
ケンスケが脱出したシェルター、この第17地下避難所のそれも、もちろん例外ではなかった。
だがこの換気システムというものは、手動によっても循環方式の切り替えが操作可能になっていたのだ。
それは設計ミスなどではなく、非常事態を想定した、JIS・ISO規格に準拠した仕様であった。
先程、ケンスケが押したのは、まさにこの切り替えスイッチであったのだ。
現状では、第17地下避難所は内部循環方式にて換気システムが作動していたが、その舞台裏では外部循環方式への切り替えが着々と進行していたのだ。
同避難所には、ここと同じような換気口が十数基存在しており、それらもここと連動して同じような動きを始めていた。
もっとも、切り替え操作をした人間の安全を考慮して、循環方式が完全に切り替わるまでには30分程度のタイムラグが用意されていたのだが。
このことを、ケンスケは知らなかった。
そしてもう一つ、この少年にとって決定的に不運な事実、出来事があった。
──複数の監視カメラが彼の姿を確りと捉えていたのだ。


「まだ始まっていないみたいだな」
地上に降り立ち、街の様子を窺っていたケンスケが一人暢気に呟く。
彼は自分が何をしでかしたのか、まるで理解してはいなかった。
「う〜ん、ここじゃロケーションが悪いな。 場所を変えるか」
少年はそう言うと、近くの放置自転車に跨り、郊外へと走り出していた。
彼が立ち去ったその背後には、黒と黄色の危険色の斜線に囲まれた〔第17地下避難所・第6換気口〕と記されたビルの壁面が、その大きな口を開けたままだった。





〜ネルフ本部・第一発令所〜

発令所のサブ・モニター画面には、エヴァ参号機の姿が映し出されていた。
同時にパイロットであるダッシュの姿も映されており、見ると、彼は両の瞼を閉じ、静かに瞑想しているようであった。
「(相変わらず落ち着いてるよな、この子)」
「(ああ、とても中学生とは思えないよ)」
マコトとシゲルはモニターを見ながら感心しきりだった。
すでに先刻、第三実験場にて起動を果たしていた参号機は、その足で最寄のケイジまで移動、最終点検(バッテリー充電、武装確認等)を受けていた。
「シンクロ率100パーセントのまま変わらず。 ハーモニクスすべて正常値。 暴走ありません」
マヤのその声に、ミサトはタカビーな態度で頷く。見た目だけはデキる女の様相だ。
「ん、よろしい。 ──発進準備!」
すでに参号機は起動状態にあり、ミサトは発進シーケンスの開始を宣言した。
《アンビリカルブリッジ移動開始》
《内部電源充電完了》
《外部電源用コンセント異常なし》
「了解。 エヴァ参号機、射出口へ移動」
「進路確保。 オールグリーン」
「発進準備完了」
「…よろしいですね?」
ミサトが背後の司令席の鬚面の男に確認を取る。
「ああ、使徒を倒さない限り、我々人類に未来はない」
ゲンドウは臆面もなく嘯いた。本心を隠して。
「発進!」
ミサトの号令で、ガントリーリフトに固定された参号機が、リニアレールに乗って地上へと打ち上げられた。
プラグ内のパイロットの体に数Gの加速度が圧し掛かる。
しかし当のダッシュはというと、慣れたように平然としていた。
地上では、リフトビルの周りで慌しくサイレンが鳴り始めている。
暫くして、リフトビルのシャッターが下りると、その中からエヴァ参号機がその凶悪な姿を現した。
「最終安全装置、解除!」
ミサトの声が発令所内に高々と通る。
「エヴァンゲリオン参号機、リフトオフ!」





〜地上・某所〜

街中のシェルターを抜け出し、地上へと這い出たケンスケは、街の全景が見渡せる小高い山の中腹へと登っていた。
さすがに疲れたようで、ハアハアとだいぶ息を切らせていた。
彼の背後には神社の鳥居と祠(ほこら)が見える。
折りしもそこは、前回、ケンスケとトウジの二人が第壱中学校指定のシェルターを抜け出し、シンジに多大な迷惑を掛けたその場所であったのだ。
だがこれは、偶然でも運命のイタズラでも何でもなかった。必然であったのだ。
実はケンスケは、この日のために、あらかじめ撮影ポイントをいくつかピックアップしていたのだ。
用意周到といえば聞こえは良いが、実に傍迷惑な子供だ。
街のほうを見ると、飛来した第四の使徒、シャムシエルが何かを警戒するように、突然、飛行形態からの変形を始めていた。
それは鎌首をもたげ、地上へと降り立っていた。
「ウエ、気持ちわる…」
初めて使徒の姿を見たケンスケが、その第一印象の言葉を吐く。
赤黒くぬめった体に、生理的に受け付けないようなデザイン。彼が嫌悪感を抱くのも当然であった。
ちょうどそのとき、けたたましいサイレンの音が地上に鳴り響くと、近くのリフトビルの中からエヴァ参号機がその姿を現した。
「すごい! これぞ苦労の甲斐もあったというものだよ!」
ケンスケは小躍りして、早速ビデオカメラを回し始めていた。
「あ、でも、パパのIDを借りて見たのとは、ちょっと違うな。 アレは確か紫色で頭に角があったし。 新型なのかな? …それに何か人相悪いぞ?」
ケンスケは首を捻る。
彼のビデオカメラのファインダー越しに現れたのは、黒いカラーリングのかなり凶悪な面構えの巨大ロボット(ケンスケ視点)であったのだ。
それはどう見てもヒール顔だった。





〜ネルフ本部・第一発令所〜

「ATフィールド展開。 作戦通り、フルオートで一斉掃射。 いいわね、ダッシュ君?」
モニター越しのダッシュに向かって、当たり前のようにミサトは命令を出していた。
ちなみに「作戦通り」とは言っているが、それは彼女の気のせいである。
ミサトとダッシュは、これが今日初めて交わす会話であり、そんな打ち合わせなどしてはいなかった。
(…いつの間に参号機はATフィールドの展開に成功したのかしらね?)
さも当然のようにATフィールドを張れというミサトに、リツコは隣で呆れていた。
《了解しました。 ミサトさん♪》
だがダッシュは、何の疑問もなく返事をしていた。前回のこともあり、言葉の矛盾には気づかなかったらしい。
《あ、でも、この弾って大丈夫なんですか? 劣化ウラン弾っていうくらいだし……ほら、放射能とか危なくないんですか?》
ダッシュは前々から気になっていたことを、今回思い切って訊いてみた。
彼の言うとおり、参号機が持つパレットライフルに装填されているのは、所謂、劣化ウラン弾と呼ばれる銃弾(砲弾)であったのだ。名前からして危なそうである。
「え? …えーと(汗)」
その質問に答えられずに、思わず隣の親友に救いを求める目を向けるミサト…。
その親友の女性はふうと一息吐くと、少年の疑問に答える。
「大丈夫よ、ダッシュ君。 ──劣化ウランといっても、天然ウランの濃縮過程で生まれた低レベル放射性廃棄物のことだから、心配いらないの。 確かに核分裂物質であるウラン235も極々微量含まれているんだけど、99.89パーセント(おい!)は核分裂を起こさないウラン238だから、多分問題ないわ」
リツコは簡潔に説明してみせた。
もっとも、ダッシュ(とミサト)にはそれでも難しかったようであるが。
「えーと(汗)、よくわからないんですけど、とにかく安全ということなんですね?」
ダッシュが冷や汗を掻きながら、再度確認する。
「ええ、そう思ってもらっても構わないわ。 内部被曝しないかぎりは、多分大丈夫だと思うわ」
リツコが先程から「多分」とイマイチ自信がないのは、臨床データが不足しているためである。
非核三原則を堅持してきたこの国には、その辺の自前のデータがないのだ。
旧五大国ならば持っているかも知れなかったが、それは機密扱いとされ、現在も開示されていないデータなのだ。
もちろんネルフがそれを望めばいつでも入手可能な立場にはあるのだが、彼らはそんなことには興味がなかったのだ。
(まあ、数撃たなければ問題ないレベルでしょうし、そもそも市民はシェルターに避難しているわけだし、実害はないハズよね)
リツコは、現実的には問題なしと結論していた。
(もっとも、放射能なんかよりも、化学的毒性のほうが余程問題があるんでしょうけどね)
「へぇー、相変わらず物知りよね、リツコって。 さっすが技術開発部よねぇ♪」
蚊帳の外だったミサトは素直に感心していた。だがこの言葉はやぶ蛇であった。
「か、葛城さん!」
先程から会話を傍聴していたマコトが、焦ったように声を出した。
マズイですよ〜というような顔をしている。
リツコはハァーと深く嘆息すると、白い目をミサトに向けて言った。
「…貴女が日頃から報告書を読んでないことが、よぉーくわかったわ」
リツコは今更ながらに呆れていた。
使用武器の特性など、とっくの昔に技術開発部から戦術作戦部に提出された仕様内訳書の中に記載されているのだ。
そしてその後も、改版される度に、差し替え版が配付され続けていたのである。
当然、作戦局第一課長であるミサトの許にも回って来ていたハズの書類であった。
ちなみにその書類はというと、ミサトの執務室で太古の地層(書類の山の最下層)に埋まっていた。
大規模な地殻変動が起きない限り、まず発掘は不可能だろう。
「あ、マズ…」
ミサトは慌てて口を押さえるが、すでに遅かったようだ。
シーーン
辺り一面は、水を打ったような静けさに包まれていた。
(う、…ちょっち視線が痛いわね)
さすがのミサトも、少しバツが悪そうであった。
「コホン──と、とにかく、今は使徒撃退が最優先事項なのよ! ──ダッシュ君、準備いいわね?」
何とか誤魔化した(つもりの)ミサトが、命令の声を上げていた。
《あ、はい。 いつでも行けます》
「攻撃、開始!」
《了解。 これより攻撃開始します!》
ダッシュがそう答えると、参号機の巨体はリフトビルの中からバッと飛び出すと、シャムシエルの正面に立ち塞がった。
パレットライフルの銃口が躊躇なくシャムシエルへと向けられる。
参号機、シャムシエルの双方が睨み合い、対峙するその一瞬の静寂──
(フフフ、久しぶりだね、シャムシエル。 前回はビビって無様な戦い方をしたけど、今回の僕は一味違うよ?)
ダッシュは舌なめずりする。端から負けるとは考えていなかった。そこには絶対の自信が満ち溢れていた。
「!! 参号機からATフィールドの発生を確認! 使徒の位相空間を中和していきます!」
マヤが驚いたように叫ぶ。
「そんな! 初めてエヴァに乗ってATフィールドを自在に操るなんて! ──なんて子なの!?」
リツコは愕然とした表情でモニターを食い入るように見つめた。
「フフフ、思った通りよ!」
ミサトは思わず口の端を歪ませる。
実はミサトは何も考えてはいなかったが、うまい具合に良い結果に転んだので、そのまま自分の手柄にしていた。
この女、知能は低いが、咄嗟の悪知恵はピカイチで、他の追随を許さなかった。
(さすがです、葛城さん)
マコトは尊敬の眼差しをミサトに向けていた。
日向マコト…懲りない男だった。


ダッシュは操縦桿、コントロール・レバーのロックをかけると、インダクション・モードへと切り替えた。
《いっけええ〜〜っ!!》
ズバババババァーーーッ!!
参号機のパレットライフルの銃口が激しく火を噴いた。次々と銃弾がシャムシエルを襲う。
バースト機能を解除したフルオート射撃である。
連射された銃弾はことごとくシャムシエルに命中し、砕けて黒煙を巻き上げた。
視界が遮られる。
だがダッシュは全弾を撃ち尽くすまでトリガーから指を外そうとはしなかった。
それが命令なのだ。だが──
「馬鹿っ!! 爆煙で敵が見えないっ!!」
ミサトが罵声を浴びせた。
──フルオートでの一斉掃射は、確かお前の命令だと思ったが?
黒煙は時間と共に拡散し、だいぶ視界も晴れてきたが、シャムシエルは平然とその場所に立っていた。
何のダメージも負っていないのは、映像からも一目瞭然であった。
だがミサトは息巻いた。
「クッ、予備のライフルを出すわ! 受け取って! そんで、ジャンジャンバリバリ撃ちまくって!」
──ジャンジャン撃つと爆煙で敵が見えなくなるんじゃなかったのか? さっきと言ってることが違うぞ?
「え? でも全然効いてなさそうですよ?」
ダッシュは何気ない疑問を口にする。
パレットライフルが使徒に効かないのは、前回の経験からもわかっていたのだ。
今回も効いているようには見えない。
勿論これは素朴な疑問の声であって、ミサトの指揮にイチャモンをつけたわけではなかった。
そんな気はダッシュにはサラサラない。
だが、それを暗に作戦批判と受け取ったミサトは、面白くなかった。
眉間にキュッと皺を寄せると、チッと舌打ちして言い放った。
「ど素人がナマ言ってんじゃないのっ!!」
その怒声にビクリとする少年。
説教(?)は続く。
「いい? この作戦は使徒の特性を分析した上で、アタシたち作戦本部のスタッフが何日も徹夜を重ねて考え抜いたものなのよ? わかる? これが最善の作戦なの! 万一この作戦が失敗したとしても、第二、第三の作戦を用意して万全の体制で臨んでいるの! アンタは何も考えずにアタシの指示にさえ従っていればいいのっ!」
単なる思いつきで喋り捲るミサト。口から出まかせは、もうどうにも止まらなかった。
「(…それは初耳だわね)」
「(…今さっき現れたばかりの使徒なのに、あらかじめ徹夜して何を分析したんでしょうか?)」
「(…葛城さん、僕らここ最近徹夜なんてしてませんって)」
「(…ていうかあの人、毎日定時前に帰宅してたっス)」
発令所の面々は一様に呆れていた。目の前の女の大ボラ吹きに。
だが当のダッシュはというと、
《なっ!? そうだったんですか。 すみません、出すぎたことを言ってしまって!》
あっさり信じたらしい。かなり恐縮していた。
少し考えれば、その矛盾に気づきそうだが、どうも盲目的にミサトを信頼しきっているようだった。
(そうだったんだ…。 効かないから無駄だって単純に考えてたけど、僕が知らないだけでこれは意味のあることだったんだ。 なんて浅はか。 牽制とか陽動とか…、きっといろいろあるんだろうな。 さすがミサトさんだ♪)
ダッシュは勝手に深読みした挙句、ミサトに都合の良い解釈をして自己完結していた。
「わかればいいのよん♪──さあ、撃って、撃って、撃ちまくりなさい!」
あっさり機嫌を回復したミサトが、再び指示を繰り返した。
《はいっ!!》
ズバババババァーーーッ!!
ダッシュは容赦なく一斉掃射を続けた。
リニア加速により高速射出されるケースレスの91式46センチ硬芯徹甲弾。
一発あたり2トン以上の劣化ウランが充填されている超々重量弾だ。
その発射速度は600発/分。
もちろん装弾数には限りがあるのだが、弾が尽きれば横の武器庫ビルのリフトが次々と替えのライフルを打ち上げてくれたので、参号機はほとんど弾幕が途切れることなく連射を続けていた。
そして15分ほどが過ぎた。
結局、参号機は、ネルフのほとんど在庫すべての劣化ウラン弾を消費していた。
その量たるや、優に1万5千トンを超えていた。凄まじい量である。
おそらく黒煙が収まれば、そこには巨大なボタ山が出来上がっていることだろう。
(…ミサト、貴女、ちょっとばかり撃ち過ぎじゃないの?)
限度ってものを知らない親友に、さすがのリツコもタラリと冷や汗を流していた。
モニターを見ると、地上の付近一帯は黒煙でスッポリと覆われており、まったくの視界ゼロであった。
エアロゾル同士で衝突・摩擦を繰り返しているのか、黒煙の中には無数の雷光と雷鳴が轟いている。
サーモグラフィー画面を覗くと、かなりの熱量が発生しているようであった。
万一近くに人間がいたら、間違いなく焼け死ぬほどの高温である。
だが暫くすると、嘘のように黒煙が、視界がスゥーッと晴れていった。
これは一体どういうことであろうか?
実はこのとき、街の地下ではとんでもないことが起きていたのだ。 …メガネの少年絡みで。


《目標、健在!》
さてさて、ネルフの期待に反してそこに現れたのは、やはりというかまったく無傷の使徒の姿だった。
使徒健在の報に、発令所内は落胆の声があちこちから漏れていた。
「ぬわんてインチキっ!!」
ミサトは悔しそうに叫ぶが、実はインチキでも何でもない。
使徒のATフィールドは、確かに参号機によって中和されていた。
だがその外皮はネルフの想定以上に硬く、何ら使徒にダメージを与えてはいなかったのだ。
最初の試射(?)時に、指揮官はそれに気づくべきであったのだ。
もちろん情報は与えられていた。だが指揮官はそれを黙殺していたのだ。
作戦の是非はともかく、指揮ミスは明らかであった。


《グッ、ミサトさん! これより近接戦闘に移ります!(例の光のムチも発現していない。 今がチャンスだ!)》
ダッシュはそう叫ぶや否や、コントロール・レバーのロックをはね上げ、高機動モードに切り替えた。
そしてプログ・ナイフを取り出そうと、左肩パーツに手を伸ばした、まさにそのとき──
「なっ!? 待ちなさいっ!! 勝手なことをしないでっ!!」
職分を侵されたと感じたミサトが、考えなしに怒鳴っていた。
この声に驚いたのはダッシュである。
《えっ!? ──じゃあ、指示を! は、早くっ!》
ダッシュは相当に焦っていた。
今まで静観していたシャムシエルが参号機の動きに反応したのか、こちらへと接近し始めていたのだ。
「え? 指示? えーと、えーとね…」
ミサトは途端に口篭った。それから焦ったように考え始めた。
──おい、…第二、第三の作戦を用意してあったんじゃなかったのか?
《っ! ミサトさん! まだですか! さすがにもうこれ以上は〜〜っ!!》
ダッシュが悲痛な叫びを上げる。シャムシエルはもう目と鼻の先なのだ。
「うっさいわね!! ちょっとくらい待ちなさいよっ!! 今、考えてるんだからっ!!」
ミサトは逆ギレして、とんでもないことを叫んでいた。
「「「「「「はあ?」」」」」」
思わず発令所の面々は、背後のミサトを振り返る。
全員が「何を言ってるんだ、この女?」という目をしていた。
まさにそのとき、シャムシエルの腕から二対四本の鞭毛、光のムチが突如として出現した。そして、──
ズバッ!!

《うわああああ〜〜!!》
「ダッシュ君!?」
突然のダッシュの悲鳴に、何が起こったのかと、ミサトがモニターにかじり付く。
「アンビリカル・ケーブル、断線っ!」
「エヴァ、内蔵電源に切り替わりました」
「活動限界まであと4分53秒」
オペレーターズの悲痛な声が響く。
参号機のエントリープラグ内のダッシュはというと、かなり焦っていた。
(くっ! 速い! 何だこのスピードは!? 完全に見切れなかった!? それに光のムチが二対四本だと〜!?)
前回と比べて遥かに強い使徒とその形態に、ダッシュは戸惑いを隠せなかった。
シャムシエルのY字型の片腕の両端から伸びる二本の鞭毛。前回は一本だけだった。
(何故だ? 進化しているとでもいうのか?)
──正解。お前のせいでな。
(速い!! 何なのあの光のムチは?)
リツコは予想もつかない使徒の攻撃に目を瞠っていた。
だが、言葉を失いつつも、早速MAGIを使って攻撃方法の分析を始めていたのはさすがである。
ビール片手にプロレス観戦に熱中してギャーギャー喚くだけの、どこぞのアル中女とは違うようだ。
「チッ、…意外にトロい子ね」
ミサトは舌打ちし、悪態を吐いた。当然それは、隣のリツコの耳にも届く。
「っ!! 何てこと言うの、ミサト! あの光のムチの動き、瞬間的にはマッハ5を超えていたのよ?」
リツコは呆れたように親友を窘めた。あれを避けるほうが異常なのだと。
リツコは続けた。
「あのとき、あのムチが現れる前に近接戦闘に持ち込んでおけば〜〜!」
彼女は無性に残念がった。それは発令所の一同も同感であったのだ。
「ちょ、それじゃまるでアタシが悪いみたいじゃないのっ!」
ミサトは思わず不服の叫びを上げていた。
(((((気づいてない!?)))))


そんな発令所の騒ぎを一段高い場所から眺める二人の男の姿があった。
「…碇、わかっているとは思うが、利敵行為の其の一だぞ?」
冬月は皮肉めいた冷めた目で隣の男を見た。
「……」
ゲンドウは口許で手を組んだまま何も答えない。





〜地上・某所、神社境内〜

参号機と使徒が戦闘を繰り広げている場所から東に1キロメートルほど離れた小岳の中腹、神社の境内。
そこに、お馴染みの不届き少年、相田ケンスケはいた。
「ああ〜、何かやられてるっぽい〜」
ビデオカメラのファインダー越しに、黒いロボットの電気コードが切られたのを見て、少年はお気楽な叫び声を上げた。
この少年、先程から一喜一憂して騒いでいた。
「ったく、アイツは戦い方がまるでなっちゃいないねー。 くっそー、俺がロボットのパイロットだったら速攻で怪物を倒してやるのにさー」
ケンスケは、あの葡萄は酸っぱいとばかりに嘯く。気楽なものだ。
今乗っているパイロットも速攻で使徒を倒したかったのは山々であったが、横槍が入って出来なかったのだ。
怪物の光の触手が、次々と黒いロボットを襲う。ロボットは何とかそれをかわしているが、劣勢は明らかだ。
周りのビルが次々と薙ぎ倒されていき、激しく土煙が舞っている。
それがロボットの視界を奪ったのか、ついに怪物の触手がロボットの足首を絡め取った。
そしてそのまま宙高く放り投げた。
ロボットが、参号機がブン投げられた方向、それはもちろんケンスケがいる小岳であった。
「へ!? こっちに来るぅ!? うわああああああ〜〜!!」
ケンスケの大絶叫が木霊する。それでもカメラは被写体を追い続けていたのは、さすがであったが。
ズドーーーン
参号機は山肌に強かに叩きつけられていた。
エントリープラグ内では、ダッシュが軽い脳震とうを起こして呻いていた。
偽装のために人並みに防御力を落としていたことが、かえって仇となったようだ。
《ダッシュ君! 大丈夫? ダッシュ君!》
スピーカー越しにミサトの呼び掛ける声が聞こえる。
《ダメージは?》
《問題なし、大丈夫、行けます》
人事だと思ってスピーカーの先では思いやりの欠片もない事務的な会話がなされている。
(いつつつ…やってくれたね、シャムシエルぅ!)
ダッシュは、参号機の上半身だけ起こすと、シャムシエルを睨みつける。
ピピッ
そのとき、不意にプラグ内にアラーム音が鳴り、小さなウインドウ画面が開いた。
ダッシュはまさかと振り向くと、そこには参号機の指の間で腰を抜かしてベソを掻くケンスケの姿があったのだ。
…ああ、いつか見たような景色。ダッシュは、猛烈なデジャビュに襲われていた。
(ケンスケ…ケンスケ…お前ってヤツはーーっ!!)
彼は思いっきり嘆いていた。
前回のことがあるので、ケンスケには一度釘を刺しておこうかとは思ってはいたが、結局はやっていなかったのだ。
理由としては、今回はトウジがいないから大丈夫だろうという目論見があったのと、第四使徒が来るまでまだ猶予があると考えていたからである。
プラグ内の異変と同時に発令所内にも警報ブザーが鳴り、不審人物のプロフィールがサブ・モニターに映し出されていた。
そこには顔写真入りのケンスケのプロフィールが表示されていた。
《ダッシュ君のクラスメート?》
《何故こんなところに?》
モニターの先では、ミサトとリツコが訝しがっていた。
そのとき、シャムシエルの光のムチ一対二本が左右から参号機に襲い掛かった。
「!!!」
バチィ〜〜!!
参号機は咄嗟にそれを両手で掴む。
そしてその体勢のまま、その場を動けないでいた。背後のケンスケを庇っているのだ。
ジュウウウ〜〜!!
ムチを掴む参号機の両手が高熱でブスブスと焦げ始め、周りに肉の焼ける臭いが立ち込めていた。
「ぐうう〜〜〜(こ、こいつ、参号機のATフィールドを中和しているのかっ!?)」
参号機はムチを掴むと同時にATフィールドで防御しようとしたが、逆に相手に中和されてしまっていた。
如何なダッシュといえども、シンクロ率100パーセントでのそれはよほど熱いらしく、呻き声を漏らしていた。
ケンスケはというと、腰を抜かして怯え震えていたが、さすがに参号機の異変に気づいたようだ。
「何で戦わないんだ? …そうか、僕がここにいるから自由に動けないんだ!」





〜ネルフ本部・第一発令所〜

《参号機、活動限界まであと3分28秒》
ここ発令所では、参号機の内部電源の残量を伝える声が淡々とスピーカーからアナウンスされていた。
その中で、ミサトは苦虫を噛み潰したような苛立ちの表情で、モニターの先を睨みつけていた。
(何よっ、あのクソガキはっ!? このアタシの復讐劇に水を差しちゃってぇー!! …ふん、自業自得じゃない。 そのままエヴァに潰されて死んじゃいなさいっての!!)
この女、とんでもないことを考えていた。
ミサトはマイクを握って、指示を伝える。
「ダッシュ君! 今は使徒撃退が──」
使徒撃退が最優先事項よ。そのクソガキのことはほっといて戦いなさい。そう言いかけたミサトの言葉を遮って、リツコの叫び声が被った。
「今は人類全体のことを考えるべきよ! その少年には悪いけど、構っている場合じゃないわ!」
「!!!」
先を越されたミサトはというと、地団駄を踏んで悔しがった。
そして瞬時にニワトリ並みの脳みそがフル回転した。
ここでリツコと同じことを言っても能がない。自分の優秀さをアピールできない。オリジナリティーがない。目立たない。
──そういった思いがミサトの脳裏を占めていた。
二番煎じなど、彼女のプライドが許さなかったのだ。
少し考えた後、ミサトは心にもないことを、当初の考えとは180度違うことを叫んでいた。
「人命救助が最優先です。 ダッシュ君、そこの少年を操縦席へ。 少年を回収した後、一時退却。 出直すわよ」
毅然とした態度である。とても二心があるとは思えなかった。
だがそれを横で聞いていたリツコが食って掛かった。
「許可のない民間人を、エントリープラグに乗せられると思っているの!?」
「私が許可します」
「越権行為よ、葛城一尉!」
「すべての責任は、私がとります。 問題ありません(ああ、なんてカッコいいの〜、アタシってば〜♪)」
「……」
ここまで言われては、リツコは黙り込むしかなかった。
それにこれ以上言ったら、自分のほうが鬼呼ばわりされかねないのだ。
(しかし、あのミサトがこの状況で人命優先するなんて…一体どういうことかしら? まさか本心? …まさかね)
何か裏があるとは踏んでいたが、よもやミサトが自らのプライドを守るためだけに天邪鬼と化したとは、夢にも思わないリツコであった。
だが、発令所の中でただ一人、熱い視線を送る勘違い男がいた。
日向マコトである。
彼はこのミサトのセリフにまんまと騙されていた。
このイベントが、マコトの中でのミサトの損なわれた信頼度を、元通りに失地回復させていた。
(何だかんだ言ったって、やっぱり葛城さんは僕の思ったとおりの女性だったんだぁ
マコトは人命を優先する心優しいミサトに、心打たれていた。感動していた。コロリと騙されていた。
《参号機、活動限界まであと3分》
「エヴァは現行命令でホールド。 その間にエントリープラグ排出。 急いで!」
ミサトはマヤの肩越しに指示を出す。そしてマイク片手に叫んだ。
「そこの少年! 乗って! 早く!」
ミサトのその声で、暫くポーッと頬を染めて自分の世界に旅立っていたマコトがようやく正気に返った。
そして瞬時に現実を把握すると、顔を引き攣らせて叫んだ。
「ま、待ってください、葛城さん!! ヤツにはもう一対、フリーの光のムチが──」
確かにそうなのだ。
使徒のムチの数は二対四本。参号機が今掴んでいるのは一対二本。では残り一対二本はというと──まったくのフリーだったのだ。
だがマコトの忠告は遅かった。
すでに参号機のエントリープラグは排出されてしまっていたのだから。





〜同時刻、地上・小岳の中腹〜

ここは地上。小岳の中腹にある渦中の現場である。
《そこの少年! 乗って! 早く!》
突然、凶悪なロボットの外部スピーカーから聞こえてきたメゾソプラノの声(注:ミサトの声)に、ケンスケは茫然としていた。
その意味がわからずにボケーッと地べたに座っていたのだ。
「ケンスケっ! 早くこっちへ!」
見かねたダッシュが、エントリープラグから顔だけ外に出して叫んだ。
「はへ? ダッシュ? なんでお前がそのロボットに乗ってるんだよ!?」
ロボットのパイロット=隣のクラスの転校生(シンジのこと)だと思っていたケンスケは、目を丸くして驚いている。
「んなことはどうでもいいからっ!! 早く登って!! 時間がないんだ!!」
そのダッシュの剣幕に、ようやくケンスケは抜かしていた腰を上げ、参号機のほうに近づいていった。
──だがそのとき、まるでそれを待っていたかのように、シャムシエルのもう一対の鞭毛、光のムチが変化を見せた。
そのムチは、波打つように変幻自在の動きを見せ、空高く振り上がった。まるで歓喜の舞であった。
「なっ!?」
そしてクロスするように、目の前の参号機の胴を両サイドから水平に薙いだ。
起動停止している今の参号機に、それを防ぐ手などなかった。
ズシャアアーーー!!
「あ…」
ダッシュはプラグから振り落とされながら、スローモーションのようにそれを茫然と眺めていた。
参号機の胴体は、──真っ二つに切断されていた。
夥しい量の血飛沫が辺り一面に飛び散る。
シンクロ・カットされていたことだけが、不幸中の幸いであった。





〜再び、ネルフ本部・第一発令所〜

「いやああ〜〜!!」
「そんな!!」
「何てこと!!」
発令所内は、悲鳴と落胆の声がこもごもに響いていた。
参号機大破。人間に例えるなら即死の大損傷だ。
その重い事実に誰もが絶望の淵に突き落とされていた。
「マヤ、パイロットは?」
「エントリープラグ内に反応ありません。 恐らくはプラグ外に投げ出されたかと…」
マヤは言葉を濁した。彼女の口からはこれ以上のことは言えなかった。


「…碇、ちなみに利敵行為、其の二だぞ?」
再び、冬月が横目で厭味を言う。
だがよくこの状況で言えるものだ。
「……」
ゲンドウは何も言わない。





〜同時刻、地上・小岳の中腹〜

今まさに切断された参号機の上半身が、仰け反るように山肌に崩れ落ちようとしていた。
エントリープラグから振り落とされたダッシュは、辛うじてエヴァの背中、三極電源コンセント部分に引っ掛かっていたが、このままではサンドイッチにされるのは明白であった。
…まあ、彼の場合、死ぬことはないだろうが。
問題は、地面で再び腰を抜かしているケンスケのほうであった。
さすがに潰されたら死ぬだろう。普通の人間だし。
「う、うわあああああ〜〜!!」
ケンスケが迫り来る参号機の巨体を見て絶叫する。
彼の全身は参号機の血を浴び、すでに真っ赤に染まっていた。
「(!! ケンスケっ!!)くそっ!! ATフィールド全開〜〜っ!!」
次の瞬間、視認できるほどの強力なATフィールドが、崩れ落ちる参号機と山肌の間を覆っていた。
──ダッシュは生身でATフィールドを張っていた。 …後先考えずに。





〜再び、ネルフ本部・第一発令所〜

ウーーウーーウーー
そのとき、けたたましいまでのサイレンが発令所内に鳴り響いた。ただ事ではなかった。
そしてロンゲことシゲルが慌てたように叫ぶ。
「!! これまでにない別の強力なATフィールドの発生を感知!! ──こ、これは!? …パターンが一致!? そんな、そんな馬鹿な!?」
途端に顔面真っ青となるシゲル…。脂汗さえ流している。
「どうしたのかしら、青葉二尉?」
横でリツコが不審がっている。
シゲルは一呼吸置くと、振り向きざまに叫んだ。
「パ、パターン青! ──これは第一使徒です!! 参号機と第四使徒の極めて至近に、新たに第一使徒が出現しましたっ!!」

「「「「何だとぉ(何ですってぇ)!!!」」」」
その瞬間、発令所を激震が襲っていた。
誰もが予想もしえない出来事が起こったのだ。
(第一使徒!? アダム!? 一体何が起こっているのよ!?)
リツコは柄にもなく動転し、慌てふためいていた。
他のメンバーは尚更で、発令所は蜂の巣を突付いたような騒ぎとなっていた。


「警報を止めろ!」
突然、ゲンドウが声を上げた。
「これは誤報だ! 探知機のミスだ! 日本政府と委員会にはそう伝えろ!」
ポーカーフェースでそう指示すると、果たして警報はピタリと止んでいた。
作られた不気味な静けさが発令所を包み込む。
「…これはどういうことなのだ、碇?」
隣に立つ冬月が、訝しげな目線を向けてきた。
「……」
「貴様、俺に何かを隠しているのではないだろうな?」
「フッ…何のことだ」
ゲンドウは惚けた。
だがゲンドウにとっても、この事態はまったくの予想外であったのだ。
参号機が某作戦部長の指揮ミスで大破したこともそうだが、何よりもMAGIがダッシュをアダムと誤認(?)した点がである。
すぐさまゲンドウは隠蔽工作を指示したが、内心、動揺を押さえるのに必死であった。

実はゲンドウは、ダッシュの正体を、ゼーレがアダム細胞から培養したクローン人間、使徒と人間のハイブリッド(混血)だと推測、いやこの期に及んでは確信していた。
レイと同種の存在だと考えていたのだ。
なにより、少年のDNAの塩基配列がそれを示していたのだ。
勿論、その推測はハズレなのだが、ゲンドウがゼーレに対してそういった疑い、憶測を持つのは、あながち的外れというわけではなかった。
実は、ゼーレはゼーレで、独自に"アダム計画"を進めていることを、この時点でゲンドウは掴んでいたのである。
この手腕はさすがというべきだろう。
ちなみにアダム計画とは、E計画、人類補完計画と並び、ネルフが人類補完委員会の主導のもとに進めているプロジェクトの一つで、ネルフ内でも極秘中の極秘、SSS級の扱いを受けているそれは、簡単に言えば「セカンド・インパクトで爆散して失われた第一使徒アダムを復元・再生させちゃおう計画」のことであり、サード・インパクトを目指す人類補完計画の一翼を担う重要な計画であった。
余談ではあるが、その計画のネルフでの責任者は碇ゲンドウ、その人である。リツコではない。
アダムの本体は、現時点ではドイツ第三支部に厳重に保管されており、その存在こそがアダム計画の要であった。
だがゼーレは、それとは別のアダム細胞を使った培養・復元実験を繰り返していた。
当然、非人道的な実験である。
この実験は後に、人工の使徒タブリス、つまり渚カヲルを生み出すことになる。
だが、現時点でそれが成功したという情報は、ゲンドウの耳にも届いてはいなかった。
実際、渚カヲルという存在が、その使徒たるが生まれるのは、まだ随分と先なのである。
──とにかく、今、ダッシュがアダムと誤認された事実が老人たちの耳に入るのはマズかった。
ゲンドウはそう考えていた。


「第一使徒は、アダムはどこなのよっ!?」
ミサトが気色ばんで喚き散らす。
思わずシゲルの胸倉を掴み上げていた。かなり興奮しているようだ。
それはそうだろう。第一使徒アダムこそ、彼女の父親の仇そのものなのだ。
それに比べたら、第四使徒の存在など、もはやどうでも良かった。
「グアア…いえ、詳細な場所までは…特定、できません。こうも…視界が…悪いと…」
呼吸困難に陥っているシゲルがやっとの思いで言葉を絞り出した。
シゲルの顔は真っ青である。首が絞まってチアノーゼを起こしかけていたのだ。
見かねたリツコが割って入った。
「ミサト、落ち着きなさい。 これは誤報よ?」
「ぁあ? 誤報? どういうことよっ!?」
BSE女は、今度はリツコにメンチを切った。女の鼻息はまだ荒く、フーフー言っていた。
リツコは宥めるように言う。
「第一使徒はいないわ」
(本当のところはわからないけどね──これも碇司令のシナリオかしら?)
「誤報? …じゃあ、この表示は一体何だっていうのよっ!?」
ミサトは眼前のホログラム・ディスプレイをビシッと指差した。
そこにはデカデカと赤色で、
《BLOOD TYPE:BLUE - 1st ANGEL:ADAM IDENTIFIED》
という表示が点滅していたのだ。
「…MAGIのセンサーの故障よ。 気にしなくていいわ」
リツコは嘯いた。
もちろん本当にセンサーが故障しているとは思っていない。
彼女は、センサーが反応した地点に何かがあると確信していた。それは科学者としての勘だった。
ただ、それが第一使徒アダムだとは、さすがに思ってはいなかったが。
「故障?」
「そう。 だから第一使徒はいないの。 落ち着きなさい、ミサト」
「そう…そうなの…アダムは…いないの…」
ミサトはようやく落ち着いたようで、シゲルの首からスッと手を離した。
ドサッ
自由となったシゲルが体勢を崩し、床に尻もちをつく。苦しそうにアザの残った首を擦っている。
「大丈夫かしら、青葉二尉?」
リツコが心配そうに声を掛けた。
「ケホケホ…ハイ、何とか(本当は凄く苦しかったッス!)」
ちなみにこのことで、ミサトからシゲルには何の謝罪もなかったらしい。


参号機の大破。
それはつまり、ネルフの敗北を意味していた。
それは人類滅亡と同義である。
その言葉の意味が、発令所の職員たちの上に重く圧し掛かった。
第四使徒は今もって健在。
しかも、(誤報扱いだが)第一使徒の同時侵攻というオマケつきだ。もはや絶体絶命のピンチと思われた。
「…ミサト、どうするの? これが貴女の指示の結果よ?」
リツコが流し目で隣に立つ女に皮肉の言葉をぶつける。
「うっ…」
「貴女、すべての責任は自分が取るって、確かそう言ったわよね?」
「へ? ──あ、いや、…あれは単なる言葉のアヤというか、その場の勢いというか…テヘヘ」
ミサトは、ポリポリと頭を掻いて誤魔化そうとしていた。
とんでもない女である。
「「「「「……」」」」」
発令所は、シーーンとなる。
あまりにも無責任すぎるのだ。
周囲は一様に呆れていた。 …約一名の男を除いては。
「…使徒、もうすぐここにやって来るわね。 で、どうするの?」
「さ、参号機に追撃命令を──」
「は? 参号機は大破したわ。 真っ二つにね」
「そんなの根性でくっつければ──」
「……」
本気で言っているのか?
リツコのみならず周囲の人間は、冷眼をミサトに向ける。
さすがにその痛い視線に気づいたのか、ミサトの顔も引き攣った。
「!! ──そうだ! 零号機があったじゃないの! あれにレイを乗せれば良いんじゃない!」
途端にパァーッと笑顔満開になるミサト…。
だがリツコがその希望をあっさり挫く。
「レイによる再起動実験はまだよ。 それに零号機は今現在、特殊ベークライトに固められていて、身動き一つできないわ」
「う…」
言葉に詰まるミサト。
リツコはさらに詰め寄る。
「で、どう責任取るの?」
「……」
「うん?」
「…あ、アタシは…悪くないわ」
ミサトは俯いたまま、小さく呟いた。
「ん? 何か言ったかしら?」
よく聞き取れなかったとばかりに、リツコが訊き返す。
ミサトは不意に顔を上げると、大声で言い放った。
「アタシは悪くないわっ! アタシの作戦指揮は完璧なのよ? 碇司令のお墨付きなのよ? 世界一なのよ? そんなアタシが間違いなんて起こすハズないじゃない! きっと誰かが足を引っ張ったに決まっているわっ!」
ミサトは、胸を張ってキッパリと断言した。
この自信(過信)は、もはや病気である。
(ミサト…貴女、ソレ本気で言っているの?)
リツコは今更ながらに、親友の露骨な外罰的な行動、自己保身ぶりに呆れ返っていた。
いや、もうそれさえも通り越えて、憐れみの感情さえ覚えていた。
「!! そ、そうだわっ! あのときアイツがエントリープラグを出るようなマネをしたから、咄嗟の使徒の攻撃に反応できなかったのよっ! そうに違いないわっ! 悪いのは全部アイツよ!」
ケンスケを促すために、ダッシュが上半身だけプラグから外に出たことを咎めているようだ。
ミサトは鬼の首を取ったかように、すべての罪をこの場にいないダッシュになすりつけ、責め立てた。
このミサトという女、是が非でも、どんな屁理屈を捏ねてでも、自分の非を認めたくないらしい。
そして他人への責任転嫁。躊躇うどころか積極的であった。
「…無理ね。 たとえそうであっても、シンクロ再開までには、どんなに急いでも20秒はかかるもの。 結果は同じよ。 そもそもシンクロ・カットを指示したのは貴女よ?」
リツコは、ミサトの屁理屈をアッサリ論破した。
「クッ…あ、そうだ! そもそもあのメガネのガキが悪いんじゃない! そうよそうよ♪ あのガキが避難勧告を無視してあんな場所にいたから、参号機があんな目に──」
今度はケンスケに責任を押し付けると、喜び勇んで責め立てた。だが、──

「いいかげんにしなさいっ!!」

ミサトの聞くに堪えない暴言に被って、リツコのどデカい雷が落ちた。我慢の限界だったようだ。
「ひっ!」
ミサトは思わず両手で頭を押さえて、その身を竦めた。
「見苦しい言い訳の挙句、しかも他人に罪をなすりつけて…。 貴女、人として恥ずかしくないの?」
「……」
ミサトはシュンとなっている。
だが、別に恥じ入っているわけではない。
単に大声で怒られたから、条件反射で落ち込んでいるだけなのだ。
どうせこの女のことだ。ニワトリのように、三歩歩けば忘れるに決まっていた。
「フフフ、でも、もうおしまいね。 私たち、死んじゃうんだから…」
リツコは薄笑いを浮かべていた。もう手がないのだ。
(ミサト、貴女に出会ったことが私の人生最大の汚点だったわ)





〜同時刻、地上・小岳の中腹〜

ダッシュはというと、全力でATフィールド張って、いっぱい、いっぱいの状態だった。
もし今ここでATフィールドを解除すれば、その瞬間、参号機の上半身が崩れ落ちてくるのだ。
勿論ダッシュは死なない自信があったが、ケンスケはそうはいかない。
「畜生! …僕の参号機がっ!」
腰の辺りで真っ二つにされた参号機を見上げて、ダッシュが悔しそうに叫んだ。
(ケンスケ、恨むよ〜)
ダッシュは、少し離れたところに居るケンスケを睨む。
ケンスケはというと、腰を抜かしながらも、嬉々としてビデオ撮影を続けていた。ある意味、すごい子供である。
(──こうなったら仕方がない。 あまり気は乗らないんだけど…)
ダッシュには何か秘策があるようだった。
彼は目を閉じると、心の中でシャムシエルへと語り掛けた。
「(…我が分身、第四の使徒シャムシエルよ。 我は汝の主、アダム。 すべからく我に従うべし!)」
すると、シャムシエルはその念話に気づいたようで、ダッシュのほうに向き直り、彼を見つめた。
(よし!)
ダッシュはうまくいったとほくそ笑んだ。
だが次の瞬間、シャムシエルは二対四本の光のムチをブンと振り上げて、ダッシュに対して威嚇を始めた。
凄まじい殺気である。これは明らかに敵対行動であった。
「なっ!? この僕をアダムとわかって従わないだと!? まさか逆らおうというのか!?」
ダッシュは目を丸くして喫驚した。あまりにも予想外のことだったのだ。
シャムシエルは、参号機を沈黙させた後、その姿を見せたダッシュを新たな"敵"として認識していた。
実は、シャムシエルを含む使徒たちは、ダッシュのことを自分たちの世界のアダムとは認識してはいないのだ。
それどころか、アダムのフェイクとして、不倶戴天の敵として捉えていたのだ。
そもそも彼らは、この世界に現れたダッシュの気配(戦闘力)に適応して進化、彼を排除すべくパワーアップを促されたのだから、見分けがついて当たり前であるのだ。
もちろん両者が接触しても、双方に拒絶の意思があるため、万が一にもインパクトが発生することはない。
知らぬはダッシュ本人のみであった。
だが彼には、まだ余裕があった。薄笑いを浮かべて目の前のシャムシエルを睨みつける。
「ふん、ならば滅するまでだ。 それにお前ごときでは、僕のATフィールドは破れないよ? なんせ僕はアダム──」
だが、ダッシュの口上が終わらないうちに、シャムシエルが動いた。
シャムシエルにしてみれば、そんなものに付き合う義理などないのだから、当然である。
バシュッ!!
光のムチが、ダッシュの張った強力なATフィールドを紙のように切り裂く。
「な!?」
ズバッ!!

「ぐぎゃああああ〜〜!!」

シャムシエルの光のムチの一本が、ダッシュの体を真横に薙いでいた。
──ダッシュの下半身は、胸から下が完全に消失していた。
ムチの太さを考えれば当然である。
あんな巨大なものが人間サイズのモノに当たったら、「切る」ではなくて「削ぎ取る」になるのだ。
ちなみにケンスケはというと、そのときの衝撃波で吹き飛ばされていた。
土砂に埋まって気絶しているが、幸い大きな怪我はないようだった。

「がああああ〜〜〜!!」

ダッシュは想像を絶する激痛に、地面をのたうち回った。
切断面からは夥しい量の真っ赤な血液が噴出している。
(ぐぞおおお〜〜!! こんなところで死んでたまるかああ〜〜!!)
ダッシュにとって、コアが無傷なのはまさに不幸中の幸いと言えた。
彼の両の瞳がさらに紅く輝く。
すると、胸下の切断面から肌色の肉塊がズブズブと盛り上がり、下半身が生えてきた。
見ていて、あまり気持ちの良い映像ではない。
およそ10秒ほどで細部まで復元した下半身が現れた。
だが…フルチンであった(汗)。どうやら破れたプラグスーツまでは再生出来なかったようだ。
「ハアハアハア…(S2器官の全力運転はさすがにキツイ…)」
ダッシュはその場に動けなくなった。
かなりのダメージを受けたようで、暫くの休養が必要だったのだ。
シャムシエルはというと、何故かダッシュにトドメを刺そうとせず、踵を返して街のほうへと向かった。
(クッ…情けを掛けたつもりか!?)
ダッシュは屈辱を感じたが、命拾いしたのは確かだった。
(しかし、あの強さは一体何だというんだ!? この僕のATフィールドを切り裂くなんて…)
ダッシュは茫然とシャムシエルの後ろ姿を見つめていた。悪い夢でも見ているかのようだった。
街のほうを見ると、シャムシエルはそこいらのビルを光のムチで薙ぎ倒していた。
どうも何かを探しているようだった。
実は、シャムシエルはジオ・フロントへの侵入口を探していたのだ。
勿論、その気になれば光のムチで簡単に穴を掘れるのだが、何故かこだわりがあるらしく、執拗なまでに入口を探していた。





〜再び、ネルフ本部・第一発令所〜

「!! ──目標が謎のATフィールド発生地点をピンポイントで攻撃した模様です!!」
マコトが叫んでいた。
「「「「「!!!」」」」」
「どういうこと!? パイロットと民間人は無事なの!?」
「いえ、そこまでは確認できません。 現場は土煙が舞い上がって視界ゼロです。 それにこの定点カメラでは、これ以上のズームは不可能です」
どうやら、銀髪の少年のスプラッタ&再生シーンは、幸いにして見られなかったようだ。
そのとき、蚊帳の外にいたミサトが、ぼそっと呟いた。
「…どうせ死んでるわよ」
そのセリフに、周囲の白い目がミサトに注がれる。
「(無神経すぎるわね、ミサト)」
「(同居人なのに心配しないなんて、あんまりですぅ)」
「(葛城さん、マズイですよ。 それは禁句ですよ〜)」
「(…マコト、いいかげん目を覚ませよ)」
益々その評判を落としていくミサトであった。
「あ、あによ?…」
ミサトもその冷めた視線に気づいたのか、少しだけ気まずそうである。
そのときシゲルが叫んだ。
「っ!! 第一使徒のパターンが消失しました!」
どうやら、第一使徒のマーカーはセンサーの誤作動と断った上で残し、そのまま哨戒を続けていたようだ。
このとき、当のダッシュはというと、体の修復を終えてS2器官の休止状態に入っていた。
「何ですって!? 一体どういうことよ!?」
リツコは度重なる不可解な事態に悲鳴を上げていた。
発令所は、再び騒然となっていた。


(何が起こっているというのだ?)
冬月は訳がわからなかった。
このような事態は自分のシナリオにはないのだ。
(アダムの反応が消えたことは今の我々にとっては吉かも知れんが、まだ第四の使徒は健在だ。 こちらの形勢不利は何も変わらんな)
形勢不利どころか、絶体絶命である。
冬月は溜め息を吐くと、隣の男に訊いた。
「どうするのだ、碇?」
「……」
ゲンドウは何も答えない。
いつものように口許で手を組んだポーズで、平然と構えていた(ように見えた)。
相変わらず冷静沈着のようだが、…実はそうではなかったようである。
サングラス越しでわかりにくいが、この男、些か目の焦点が合ってはいなかった。
己がシナリオを大きく逸脱した出来事の連続に、茫然自失気味であったのだ。
冬月はそのまま話を進める。
「虎の子の参号機は誰かさんのせいで大破。 もう手がないぞ? このまま座して死を待つのか?」
冬月のその声に、ゲンドウはようやく口を開いた。だがどこか覇気がない。
「…初号機を出す」
「ほう、初号機をか? パイロットがいないぞ?」
「予備を、シンジを乗せればいい…」
「貴様の息子は、まだ余裕があると言って、貴様自身がつい先程、追い返したばかりではないか。 それに行方知れずだ。 どこかのシェルターに避難しているのだろうが、どの道、今からでは間に合わんよ」
冬月は憮然とあしらう。
「ではレイを…」
「つい先日、レイの初号機起動実験が失敗したばかりではないか! その原因は解明できたのか?」
「クッ…では零号機にレイを…」
シドロモドロのゲンドウ。いつもの威厳の欠片もなかった。
冬月は語気を強めながらも、感情を抑えてゆっくりとした口調で言った。
「再起動に成功するかどうかもわからんぞ? 下手をすればまた暴走だ。 それに、うまく起動できたとしても、あの大量の特殊ベークライトの除去はどうするのだ? あれだけの量、零号機の自力除去では時間が掛かるぞ? とても使徒は待ってくれんよ(それに、参号機ですら勝てなかったあの使徒に、レイの乗る零号機が勝てるとは到底思えんしな)」
「それは…初号機に除去させれば…」
「…いや、だから誰が乗るんだ?」
嫌な予感がした。そしてその予感は当たった。
「そ、それはシンジに…」
「阿呆か貴様は!? サードは貴様が追い返して行方知れずだと、今さっき言ったばかりではないかっ!!」
冬月は思わず大声で怒鳴っていた。
その声に何事かと発令所の衆目が集まる。
問答がループしていた。フラグが立たないようだ。
「……」
さすがに押し黙るゲンドウ。
ゲンドウは優秀な男である。 ──ただし、冷静沈着であれば、という条件がつく。
あまりの計算外の事態に、現実逃避を決め込んでいるのか、このときのゲンドウの思考能力は極端に落ちていた。


(──やはり最悪の事態を考えなくてはならんということか…)
冬月は目を閉じたまま、一人眉を顰めた。
そして少し考えた後、眼下のフロアに向かって声を掛けた。
「赤木博士…念のため、本部の自爆作動プログラムの準備だけはしておいてくれ」
「「「「「!!!!!」」」」」
その瞬間、発令所の誰もが、まさに雷に打たれたような衝撃を受けていた。
自爆──つまり、使徒を道連れにしてネルフ本部もろとも自爆するということである。
それは多くのネルフ職員の命が散ることを意味していた。
ネルフ本部のターミナルドグマには、ジオ・フロントを破壊して余るだけの核自爆ユニットがセットされているのだ。
その威力たるや、約100メガトン。広島型原爆の6700倍の爆発力である。
それは三発で日本列島が全滅すると言われるほどの破壊力を秘めていた。
新型N2爆弾など、これに比べたら線香花火に等しい。
そして、いくら地中深くでの爆発とはいえ、地上でも広範囲の被害が出ることが予想された。
集団自殺するための準備をしてくれ。そう言われたのと同じことであるのだ。
発令所にいる職員は皆、蒼白になっていた。ガチガチ震えている者さえいる。死ぬのは誰だって怖いのだ。
だがそれでも、誰もそれに異を唱える者はいなかった。
何故ならここにいる者はすべて、自らの、ネルフ職員としての本分を弁えている者ばかりだったからだ。その覚悟はさすがであった。
「すまんな……目標がジオ・フロントに侵入次第、特別宣言D−17を発令。 全シェルターから市民を解放、一人でも多くの市民を市外へと避難できるように配慮してくれ」
冬月はリツコとオペレーターズに向かって淡々と指示をする。
(…全市民の10分の1でも避難できれば、御の字だろうな)
冬月は期待を込めてそう踏んだが、実際は全滅に近い数字となるだろう。
とても避難できる時間があるとは思えないのだ。
ネルフ本部の自爆は、リリスの卵、黒き月とも呼ばれるジオ・フロント全体の破壊を意味していた。
当然、ジオ・フロントの天蓋部分も、爆散、崩落する。
その上に載っかっている第三新東京市の街も、タダで済むハズはないのだ。
夥しい数の犠牲者が出ることは容易に想像できることであった。恐らくは生存者ゼロ…。
「わかりました」
リツコが力なく答える。覚悟だけはしていたのだろう。潔い態度だった。
世界が滅ぶよりはマシ──いつしか発令所内も自己犠牲に酔う雰囲気に染まりつつあった。
逆に、よしやるぞっ!という気炎さえ見え始めていた。
──だがそこに、場の雰囲気に水を差すような、一人だけ見栄も外聞もなく見苦しく喚き立てる輩がいた。
そう、あの女である。
「イヤよっ! 死ぬなんて、冗談じゃないわっ!」
「ミ、ミサト!?」
リツコはいきなりのことに驚くが、ミサトの暴言は止まらない。
「アタシはまだ死にたくないっ!! まっぴらゴメンよっ!! 死んだら何にもならないじゃないっ!!」
ミサトは、喚きに喚き捲くった。
いや、確かに言っていることは正論である。
生あるものがその命を優先することは、当たり前であり、尊いことなのだ。
…だがそれは、自分の置かれている立場を忘れてさえいなければ、という前提条件がつく。
ミサトはそれを言う立場にはないのだ。
リツコはコメカミを押さえると、深く溜め息を吐いた。
(……)
そしてミサトと向き合い、彼女の両肩に手を添えると、親友の両の瞳を見据えて真剣な表情で語り掛けた。
「ミサト…私たちの命と世界中の人たちの命、…どちらが大事かしら?」
リツコは諭すように優しく問い掛けた。
(いくらミサトと言えども、腐ってもネルフの幹部職員。 プロ中のプロ。 人類を守るというネルフの大義名分を捨ててまで見苦しくも命乞いはしないハズ)
さすがのミサトも「世界中の人たちの命のほうが大事」と答えざるを得ない状況なのだ。それに衆目もある。
リツコはそう踏んでいた。
彼女としては、この望む答えを引き出したあと、演繹的に彼女を説得する腹積もりだった。
すでに彼女の頭の中では、そのシミュレーションも済んでいた。
だがミサトの回答は、リツコのその予測を遥かに超えたものだった。
「私の命よっ!! 決まってるじゃない!!」
「……」
予想外の、身も蓋もない返事に、リツコは茫然と言葉に窮していた。
しかも「私たちの命」ではなく「私の命」ときたもんだ。
リツコは少しめまいを覚えてよろめいた。
反則である。詐欺である。
少なくともここにいる職員はすべて、自分の命の危険を賭して、世界の人々を守るためにネルフにいるのだ。
その誇り高き志と自負があるのだ。
またその条件を飲んだからこそ、ネルフという組織に採用されているのだ(例外はあるが)。
特務機関ネルフは、たとえ職員の命を犠牲にしても、世界の人々の命を守ることを金看板とした組織である。
だからこそ、膨大な予算と強権を認められているのだ。
然るにこのミサトという女、全世界より自分のほうが大事だと主張して憚らない。
しかも、ぬけぬけとネルフから給料まで貰っている。
これを詐欺と言わずに何と言うのか?
この二人のやりとりを聞いていた発令所の誰もが、顔を引き攣らせていた。
呆れ果てていた。ほぼ全員がミサトに白眼を向けていた。
余談ではあるが、呆れ果てていたのは、何もネルフ本部の職員だけではなかった。
ここの一部始終は、某組織にもダダ漏れであったのだ。 …某少年のせいで。
(葛城さん、マズイですよ〜〜)
マコトだけは、なおもミサトの肩を持っていたようだ。


暫く放心していたリツコであったが、我に返ると、親友のあまりの醜態ぶりに噛み付いていた。
「貴女、そんなことが許されると本気で思っているの? 貴女はネルフの幹部職員としての重責をどう考えているのかしら?」
リツコは語気を荒げて問い質していた。マジギレ寸前であった。
「重責? …か、考えているわよ、ちゃんと(汗)」
嘘である。考えたこともなかった。
「これは決定事項よ。 諦めなさい」
リツコはピシャリと切り捨てた。
「うう〜。 …!! じゃあさ、じゃあさ、アタシがここを脱出するまでで良いから、少しだけ時間を頂戴♪ ね?ね?」
諦めろと言われて不承不承の渋い顔をしていたミサトだったが、閃き一転、嬉々とした表情でとんでもないことを言い出していた。
「は? …ちょっと、貴女、それ本気で言っているの?」
思わずリツコの顔が引き攣る。
勿論、本気も本気、大マジであった。
場の雰囲気を読めないミサトが、なおも身勝手な口上を続ける。
「あとさあとさ♪ 取りあえず、どこまで逃げれば安全圏なのかも教えてくんない? 小田原? それとも大磯くらいかしら?」
ミサトは、このとおりと手を合わせて、にこやかに頼み込む。
まるで、千円貸して♪ というような軽いノリなのだ。
自分の代わりに死に逝く人々に向かって、それはないだろう。
この女は「自分が安全な所まで避難するのを待ってから、思う存分死んで頂戴♪」とぬけぬけと言っているのだ。
神経を疑った。厚顔無恥にも程があった。
リツコをはじめとする周囲の人間は皆、あまりのことに放心状態に陥っているようで、カチンコチンに固まっていた。
「……」
「……」
暫くの静寂が発令所を支配する。
ようやくのことで石化から解放されたリツコが怒鳴った。
「だ、ダメに決まっているじゃないっ!! そんなことが許されると思って? 貴女、一体何を考えているのっ!!」
リツコは本気で嘆いていた。親友のあまりの醜態ぶりにだ。
だがミサトはそんなリツコの想いなど、どこ吹く風であった。
それどころか、逆ギレして噛み付いていた。
「何でよっ!? 死ぬのは死にたいって言ってるヤツだけでいいじゃない!! それにココでアタシが死んじゃったら人類は滅亡しちゃうのよ? 使徒はアタシじゃないと倒せないのよ? ──あ…勘違いしないでよ? ア、アタシは別に自分の命が惜しくて言ってるんじゃないのよ? 人類のためを思って、断腸の思いでイヤイヤながら仕方なく言ってんだからっ!!」
ミサトは必死に力説、弁明した。
が、もはやそんな、取って付けたような保身目的のみえみえの言い訳など、誰一人として信じちゃいなかった。
そもそも、自分の死=人類滅亡というその自信は、一体どこから来るのだろうか?
皆が皆、開いた口が塞がらなかった。
(ミサト、貴女って…貴女って…)
リツコは、あまりの情けなさに、泣き出しそうであった。


「…見事な作戦司令ぶりだな。 そう思わないか、碇?」
冬月が横目で強烈な皮肉を言う。
「……」
ゲンドウは何も言わない。
相変わらずいつもの口許で手を組んだポーズで、その表情さえ見せない。
「葛城君の評判は、もはやガタ落ちのようだな。 これでは今後の任務に支障が出かねないな。 …もっとも、生き残ることが出来れば、の話だが」
冬月は、フッと自嘲的な笑いを漏らした。
「…使徒は、どうしている?」
ゲンドウがようやく口を開いた。
「相変わらず、そこいらのビルを薙ぎ払っているぞ。 あれはココへの侵入口を探しているな。 知能も思いのほか高そうだ。 ジオ・フロントへの侵攻は時間の問題と言えるだろう」





ビビーービビーービビーー
突然、マヤの席の電話の着信音が鳴った。
「あれ? 外線からの電話? 不通のハズなのに」
マヤは不思議そうに小首を傾げる。
何故外線だとわかるのかというと、内線とは着信音が違うからだ。 …どうでもいい話だが。
マヤは恐る恐るコードレスの受話器を手に取る。
次の瞬間、通話相手の姿が、その上半身がホログラム・ディスプレイに映し出された。
どうやらこれはテレビ電話のようであった。
そこに映っていたのは、発令所の誰もが見覚えのある人物だった。
黒髪の華奢な体、その両肩には白黒の愛らしい子猫を載せ、にこやかに微笑む人の良さそうな少年。
それは紛れもなく、碇シンジ、その人であったのだ。
「し、シンジ君!?」
《あ、こんにちは、マヤさん。 お約束のディナーですが、今晩なんて如何でしょうか? ──いえね、あれから半日も経っていないし、さすがに気が早い話かなとは思ったんですが、思い立ったが吉日、善は急げとも言うじゃないですか? …どうですかね?》
はにかみながらも、勝手に一人でペラペラと喋りだすシンジ。
「ほえ?」
マヤはポカンとしている。
いきなりのことで、非日常から日常への切り替えができていないようだ。
画面の先のシンジは話を続ける。
《あと、綾波もそこにいるよね?》
「──ええ、ここにいるわ」
《良かったら綾波もおいでよ。 お肉を使っていないメニューも用意するからさ。 いいでしょ?》
「──ええ、問題ないわ」
シンジの誘いに、無表情ではあるが、レイは素直に頷いた。
「なっ!? レ、レイ!?」
横で話を聞いていたリツコが驚く。
(どういうことよ!? サードとレイとは、ほとんど面識がなかったハズよ!?)
リツコは訝しがる。
(それにあのレイが碇司令以外の人間に懐くなんて…一体どんな魔法を使ったというの? しかもレイの嗜好まで知っているなんて…)
こんな危機的な状況にも関わらず、リツコはシンジに疑惑の目を向けていた。それは科学者としての性であろうか。
彼女は、シンジが隠れてレイと会っていた事実を知らなかった。
まあ、シンジは隠密行動していたので、無理もない話ではあるのだが。
《というわけで、マヤさん。 仕事終わったら、綾波を同伴してきてくれますか?》
シンジはマヤに微笑んだ。緊迫した今の発令所には少し場違いな微笑であった。
「あ、でも…」
キョロキョロと周りの目を気にしながら、マヤは言葉を濁す。
それはそうだ。今は死ぬか生きるかの瀬戸際、緊急事態であるのだから。
《大丈夫ですよ。 どんなに遅い時間になっても構いませんから》
「あ、いえ、そういうことじゃなくて…」
タジタジのマヤであった。苦笑いを返すのが精一杯のようだ。


そのとき無粋な乱入者があった。
「シンジ、使徒と戦え」
ゲンドウだった。
強引に通話回線に割り込んできたのだ。
《…いきなりむさ苦しい面を出すな、クソ鬚!》
シンジはムッとしている。
「今どこにいるの?」
今度はリツコが割り込んできた。
《…まったく失礼な人たちですね。 プライベートな通信に割り込んでくるなんて》
「ゴメンなさい。 でも今は任務、仕事中なのよ?」
《仕事中? …今日は日曜日ですよ? それにもうアフターファイブのハズですが?》
モニターの隅に表示されているデジタル時計を見ると、いつの間にか夕方の5時半を回っていた。
そのとき、マヤを席から強引に押し退けて、画面に現れた馬鹿が一匹いた。
「今は緊急事態なのっ!! ハン、そんなこともわからないってーの? このクソジャリはっ!!」
ミサトが横から怒鳴りつけた。今までの鬱憤をぶつけるかのように。
《…そうですか、それは失礼しましたね。 では用件は済みましたので、これにて失礼します》
少しカチンときたシンジは、そのまま電話を切ろうとする。
「なっ!? ちょっと待って!! お願いっ!!」
慌てたリツコは、必死に引き止める。
せっかく見えた"最後の希望"を逃す手はないのだ。だが、──
ガチャン、ツー、ツー、ツー…
電話はあっさり切られてしまっていた。
「……」
茫然とするリツコ。だがすぐに立ち直ると、指示を出した。
「マ、マヤ! 逆探かけてコールバックして! 早くっ!」
「は、はいっ!」
リツコの剣幕に、マヤは慌ててキーボードを叩く。そして、──
プルルル、プルルル、プルルル…ガチャ
ディスプレイに、すこぶる不機嫌そうなシンジの顔が現れた。
《…何ですか。 煩いオバサンだなあ》
「ゴメンなさい、シンジ君。 お願いだから私の話を聞いて!」
リツコは必死だ。オバサンと言われたことは、この際、聞き流していた。
「(マヤ! この電話の所在は? どこのシェルターからなの?)」
リツコは小声でマヤに耳打ちした。
「(あ、はい。 えーと…市内の台ヶ岳バス停前の公衆電話からのようですね)」
「(…台ヶ岳バス停って…どこのシェルターよ?)」
シンジはシェルターに避難していると信じ込んでいるリツコが訊き返す。
「(いえ、シェルターではありません。 地上です。 しかも参号機が沈黙してる場所のすぐ麓みたいです)」
「何ですってぇー!!」
思わず大声になっていた。
「モニター映して! いえもっと下のほう!」
リツコが慌てて指示を飛ばす。
今まで参号機を映していたカメラのアングルが、小岳の麓へと移動する。
そこには、道路沿いの電話ボックスの中で、グリーンの受話器を握るシンジの姿が映し出されていた。
「何故あんなところにいるのよ?」
リツコの疑問も当然だった。
近隣住民には避難勧告が出ているハズである。しかしシンジは地上にいた。


実を言うと、シンジは避難勧告を無視して、先程まで自宅で寛いでいたのだ。
では自宅で何をしていたかというと、ビデオ鑑賞につき合っていたらしい。
勿論それは、例のゲンドウ絡みの映像であった。
ちなみにクロはというと、そのビデオを半ば強制的に見せられて蒼白になっていたが、それはまた別のお話(どこかの森本さん風)。
では何故、この場所にそのシンジがいるのか?
別に、参号機と使徒との戦いを見物に来たわけではなかった。第一、そんなものに彼は興味はない。
ましてや、参号機を助けに来たわけでもなかった。そもそも彼はそんな殊勝な人間ではない。
実を言うと、この場所はシンジの自宅からは目と鼻の先なのだ。
シンジはビデオ鑑賞の後、街へ買い出しに行く途中、思い立ったように最寄りの電話ボックスに立ち寄ったに過ぎなかった。
公衆電話は、非常事態宣言下で不通となっていたが、強引に繋げたらしい。
余談ではあるが、シンジにはネルフを手助けしようとする気持ちなどサラサラなかった。
極論を言えば、レイさえ無事なら、後はどうなろうと知ったことではなかったのだ。
まあ、マヤくらいは助けてもいいかなー、とは最近思い始めてはいたらしいが…。
勿論、ネルフが全滅したら、彼の娯楽が二、三減ってしまうというジレンマはあった。
それが今一番の彼の悩みだった。(おいおい…)
まあ、ゲンドウとミサトが呆気なく死んだら、そのときは蘇生させて甚振り直そうとは思っていたらしい。
なんせ、この二人は彼にとっては特別な獲物なのだ。
二人の息の根を止めるのは自分の権利である。誰にも譲らない。シンジはそう思っていた。


リツコが視線を合わせないまま、小声でマヤに話し掛けた。
「(マヤ、あの場所までどれくらいで急行できるかしら? VTOL機は…無理ね。 あの場所だと使徒に狙い撃ちにされる可能性が高いわ。 やはり車しかないか…)」
「(車だと、往復で30分くらいですね)」
マヤは先刻、シンジの家に行ったばかりであるので、即答する。
(30分か…直行のカートレインを使っても、ケイジまでの距離を考えたら、もっと掛かるわね…)
リツコは唇を噛んだ。
主モニターに映る使徒を睨む。使徒は相変わらず暴れ回っていた。
使徒は今にも侵入口を見つけそうなのだ。だが迷っている時間はない。
「(マヤ、車を手配して! 早く!)」
「(わ、わかりました)」
マヤはキーボードに指を走らせる。
保安諜報部への回線を開き、指示を打ち込んでいった。
ちょうどそのとき、間延びした声がスピーカーから聞こえてきた。
《あの〜、一体いつまで待たせるんですかぁ? こっちも忙しい身なので、用がなければこれで切りますよ?》
しびれを切らしたシンジが、電話越しに文句をたれた。
リツコは慌てた。
これはブラフでも何でもないのだ。実際に彼は、先程、何の躊躇いもなく電話を切っていたのだから。
「なっ! お願いだから切らないで! ゴメンなさい、ちょっと立て込んじゃって…」
《…まあいいですけど。 用があるんでしたら、早く言ってもらえますか? こっちもディナーの準備とか、いろいろ予定があるんで…》
とても面倒臭そうに答えるシンジ。
「コホン…。 シンジ君、今から迎えの人間を寄越すから、そこを動かないでね!」
真面目な表情で、とんでもないことを言うリツコであった。ネルフの都合しか考えていないようである。
《はあ? 何勝手なことを言っているんですか? そんなのお断りですよ》
「そ、そこは危険なのよ! ネルフが責任持って貴方を安全な場所まで案内するわ!」
必死に説得するリツコ。
お為ごかしなことを言ってはいるが、もちろん嘘、欺瞞である。
シンジを騙くらかしてネルフに連行し、無理やり初号機に乗せて一番危険な場所に放り出すつもりなのだ。
シンジは目を細めて問い質す。
《安全な場所って…まさかネルフじゃないでしょうね?》
「……」
リツコは何も言えない。
シンジはニヤリとして、構わず続けた。
《ネルフのほうが、よっぽど危険だと思いますけどね。 あの怪物…使徒でしたっけ、ネルフへの侵入口を探しているみたいですよ? それにネルフなんかに行ったら、また初号機とやらに乗せられかねないじゃないですか?》
「そ、それは…」
図星を突かれ、言葉に詰まるリツコ…。
だがそのとき、横から口を挟む輩がいた。
「乗るのだ、シンジ」
ゲンドウだった。
だが、相変わらずの言葉足らずだ。
《マヤさんに?》
シンジよ、それはおやぢギャグだ。
「ほえ?」
当のマヤは意味がわからずにキョトンとしていたが。
「…違う」
《まさか赤木博士とか!? 嫌だよ、こんな臭そうな三十路の金髪黒眉オバサン。 しかもアンタのお古じゃないか!》
(((((!?)))))

(なっ!? まさか…彼は私と碇司令の関係を知っているというの!?)
リツコは冷や汗を掻いていた。オバサンと言われたことには意識がいっていないようだ。
「ふざけるな…初号機にだ」
《あれ? その件は交渉決裂したんじゃなかったの?》
「…事情が変わった」
苦々しくゲンドウは答える。余程シンジにイニシアチブを取られるのが気に食わないらしい。
《つまり、初号機に乗ってアレと戦えと?》
シンジの視線の先には、市街でやりたい放題のシャムシエルの姿があった。
かなり知能が高いようで、ビルを一つ一つ切り裂いては、中を覗き込んでいた。
「そうだ」
《やだ》
シンジは、にべもなく拒否した。
「…貴様」
ゲンドウは、今にも殴りかかりそうな鋭い視線をシンジに向けた。
だがシンジは涼しい顔をして、さらに皮肉の言葉を吐き続ける。
《ヤレヤレ…あれだけ啖呵を切っておいて、舌の根も乾かないうちにコレかい? それはちょっと虫が良すぎるんじゃないの?》
「座っているだけでかまわん」
《人の話を聞けよ》
「乗るなら早くしろ。 乗らないなら帰れ!」
《…だから帰るよ。 家はすぐそこだし。 じゃあね》
ちょっとカチンときたシンジはそう言うと、本気で電話を切ろうとする。
そのとき、唐突に横からミサトの怒声が割り込んできた。
「わがまま言ってないで乗れっつーの! これは命令よっ!」
ミサトの鼻息は荒い。かなり血圧が高そうであった。
《…鬚、なんでそのスベタがそこにいるんだい? それってつまり、僕が提示した条件を飲まないってことだよね?》
シンジは不信感を露にして見せた。
余談ではあるが、そのときミサトがリツコに小声で耳打ちしていた。
「(…ねぇリツコ、…スベタってどういう意味?)」
「(……)」
リツコは沈黙を返していた。 …言ったら暴発するに決まっているからだ。


「まあ待ちたまえ、シンジ君。 決してそういうわけではないのだよ、うん」
ここで冬月が口を挟んできた。
そして、いけしゃあしゃあと嘘八百を並べ立てる。
「まだ契約前だからね。 それは契約後に直ちに履行するつもりだ。 今はその辺のところは我慢してはくれないかね?」
(ふん、嘘吐きジジイがよく言うよ)
シンジは何かを閃いたのか、話を切り出した。
《別途、条件があります》
「ん、何かね?」
シンジがにこやかに話しかけてくるので、そう大したことではないと踏んだ冬月も笑顔でそれに答えた。

《その赤いジャケットの女、今そこで射殺して下さい》

「「「「「……」」」」」
発令所はシーーンと静まり返った。
あまりのことに、まだ誰も言葉の意味が咀嚼できていないのだろう。
「は?」
冬月も一瞬言葉の意味がわからなかった。鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。
シンジの毒舌は続く。
《その葛城ミサトという女を殺して下さいって言ってるんですよ。 …だって、こんなの生きていたって、どうせ百害あって一利なしでしょう? 害虫ですよ害虫。 よっぽど世界平和のためですよ》
(((((……)))))
だがこのシンジの言葉に、一理あるなと思った職員は意外と多かったようだ。
彼らは、ウンウンと(心の中で)頷いていた。

「こ、ここ、こんガキャああ〜〜!!」

真っ赤になったミサトが、頭から湯気を上げながら怒鳴り捲くった。
《ささ、早く早く♪》
シンジは、さらにおちゃらけた態度で催促する。とても楽しそうである。
「そ、それはちょっと無理というものだよ(汗)」
冬月が顔を引き攣らせながらも答える。
だがシンジは意に介さない。
《その無理を通すのが、悪名高きネルフじゃないですか。 ささ、世界平和のために、ズドンとやっちゃって下さい、あ、ブスッのほうがいいかも♪》
「(やりたいのは山々だが…)無茶を言わんでくれ。 ネルフは人殺しの組織ではないのだよ」
(人殺しの組織ではない、ねえ…ククク)
シンジは可笑しくて堪らない。
《…じゃあ、交渉決裂だね。 ではごきげんよう♪》
シンジはアッサリと話を打ち切ろうとした。元々ネルフに与する気などなかったのだ。
(まあ、シャムシエルに壊滅させられるという展開も、それはそれで面白そうだしね♪)
シンジは不埒なことを考えつつ、電話を切ろうとした。そのとき、──
「アンタっ!! このままじゃ人類が滅びるのよっ!? それでもいいってのっ!?」
ミサトが怒鳴っていた。珍しく正論を吐いている。勿論、偽善であるが。
シンジは無視して電話を切ろうかとも考えたが、もう少しだけつき合ってやることにした。
《ん? それが何か?》
「ちょっと何言ってんの!? アンタも死ぬのよ!?」
ミサトはディスプレイに唾を飛ばしながら、シンジに食って掛かる。
《僕は死にませんよ。 その自信があります》
「んなっ!? アンタ、自分一人が助かればそれで良いっていうの!? それって最低の人間じゃないっ!! 恥を知りなさいっ!!」
先程の自分のことは棚に上げて、ミサトは吼え捲くった。
とても同一人物とは思えないセリフだった。
このミサトという女、自分より強者(権力)には尻尾を振って媚び諂うが、弱った相手には、一度弱みを見せた相手には容赦がなかった。
ミサトは鬱憤払いをするかのように、シンジを責め立てた。
彼女の中では、自分は義憤にかられた正義の味方という役どころなのだろう。そんな自分に酔っているようであった。
(ミサト、それってそのまんま貴女のことでもあるのよ?)
横でリツコはミサトの変わり身の早さというか、物言いに、呆れ顔であった。
二人のコントは続いていた。
《いえいえ、貴女には負けますよ》
「なっ、アンタねえ〜〜!」
なおも食って掛かろうとするミサトであったが、横からリツコが制止した。
「ミサト、少し黙ってなさい! 今は時間がないのよ?」
「くっ…」
ミサトは不承不承ながら引き下がる。
冬月が冷や汗を拭いながら、話を切り出す。
「それ以外で何とか折り合いがつかないかね?」

《じゃあ、鬚を殺して♪》

「「「「「……」」」」」
発令所は再びシーーンと静まり返った。
「おい、シンジ君! いくらなんでも、その物言いは酷すぎるだろう。 仮にも君の父親だぞ!」
今まで好好爺だった冬月の視線が剣呑なものに一変した。
冬月はシンジを強く叱りつけていた。
だがシンジは、まるで堪えてはいない。
《…今さら善人面して説教しないでもらえますか、冬月副司令》
「何っ!?」
《安いもんでしょ? こんな人間のクズを一匹始末するだけで、世界が救えるんですから》
シンジは毒突いた。だが、言っていることは事実なのだ。
「…シンジ、貴様」
ゲンドウの、ギリリという歯軋りの音が下のフロアまで聞こえていた。
あまりの無礼な物言いに、怒り心頭、その体は小刻みに震えていた。
今、ゲンドウの頭の中では、シンジは百回嬲り殺しの刑に遭っている最中であるらしい。
(シンジ、本気なの?)
シンジの肩の上では、クロが心配そうにシンジの横顔を見つめていた。
そのシンジはというと、口の端を歪め、薄笑いを浮かべていた。
シンジは言う。
《それに、鬚がいないほうが、世界の、人類のためになるとは思いませんか?》
そのシンジの言葉に冬月が異を唱える。
「その君の父親は、人類滅亡を防ぐために必死に働いておるのだよ。 いわば人類にとって必要不可欠な男なのだ。 …そうだな、碇?」
「…ああ、その通りだ」
ゲンドウは、ずうずうしくも嘯いた。
(よく言うよ。 …その人類を20億人も殺した張本人のくせにさ)
シンジは心内で嘲笑っていた。
《皆さん、その男を買い被りすぎてますよ?》
シンジはヤレヤレとばかりに大仰に肩を竦めると、言葉を続けた。
《その男は自分の個人的欲望のためなら人類抹殺すら躊躇わない外道ですよ? しかもレイプ常習犯ですし》
シンジの毒舌は冴え渡っていた。勿論、言っていることには一分の嘘もない。
(((((レイプ常習犯!?)))))
その言葉に発令所内はざわめき立つ。
「…貴様、死にたいのか?」
これ以上ないドスのきいた声で恫喝するゲンドウ。
その風貌と相まって、免疫のない一般人ならビビりまくるほどに威圧的だ。
普通の子供なら、恐ろしさのあまり、泣き出して失禁していたかもしれない。
だがシンジは、普通のお子様などではないのだ。
《おやおや、やっと本性が出てきたね。 …やれるモンならやってみなよ?》
シンジはあえて挑発的な態度をとった。
無論、ゲンドウごときがシンジを殺すことなど、お日様が西から昇ろうと物理的に不可能だ。
「(落ち着け、碇! ここは我慢だ。 まずはサードを初号機に乗せることが先決だろうが! それとも俺たちの目的を忘れたというのか? ユイ君に会うのではなかったのか?)」
「!!」
「……」
「…ああ、わかっている」
冬月の諫言に、ゲンドウは辛うじて怒りを鞘に収めることが出来たようである。
冬月は一旦安堵すると、再度シンジのほうを振り向いて言った。
「シンジ君、人の生き死にを引き合いに出すのは勘弁してくれんかね? それ以外の条件ならすべて飲もうではないか」
《うーん、そうだねぇ…》
シンジは少し考え、答えた。
《──じゃあ、鬚、土下座してよ。 今そこで。 今回はそれで折れてあげる。 これだけの組織のトップなんだから、それくらいの誠意、男気は見せられるよね?》
「……」
《……》
「……」
《……》
だが暫く待っても、ゲンドウからは何のリアクションもなかった。
当然である。ゲンドウには、その気はなかったのだから。
息子に頭を下げるなど、この男にとっては耐えられるものではなかったのだ。
ましてや土下座など論外であった。
ゲンドウは無言でディスプレイに映るシンジを睨みつけている。
その心中でどんな感情が渦巻いているのか、もはや考えるまでもないだろう。
《ありゃ…まさかこれもダメ? ──ヤレヤレ、人類の存亡より、ご自分のプライドのほうが余程大事みたいだねぇ》
シンジは肩を竦めて見せた。
「……」
ゲンドウは何も言わない。いつものポーズのままだ。
《ふう…人にモノを頼むのに、頭を下げるということすら知らないようだね。 お里が知れるというか、余程、親の躾が悪かったみたいだね。 …あ、鬚って孤児だったっけ?》
シンジがペロッと舌を出しておどけて見せる。
「……」
ゲンドウは相変わらず沈黙を守っていたが、先程から引っ切り無しにギリギリという歯軋りの音が辺りに漏れていた。
シンジのあまりの悪態に、マジギレ寸前のようであった。
(あー、いい加減、面倒臭くなってきたなー)
どうやらシンジは、そろそろゲンドウをからかうのに飽きてきたようである。
シンジの忍耐力は、地球上では三分間しか持たないのだ(嘘)。
冬月が横から口を挟む。
「す、済まないね、シンジ君。 それ以外で何とかならないかね?」
流れ落ちる汗を拭いながらも、冬月は平身低頭して懇願する。
(土下座しないまでも、一言息子に謝るなり、頭を下げるなり誠意を見せれば、丸く収まりそうなものだがな)
冬月自身も、ゲンドウの頑なまでの態度を嘆いていた。
少し考えた後、シンジは口を開いた。
《そうですねぇ。 じゃあ、とりあえず今回限りのアルバイトということでお願いできますか? もちろん報酬の条件はそのままでね(ニヤリ)》
シンジにしてみれば、大盤振る舞いの譲歩であった。元々ネルフは見捨てるつもりであったのだから…。
まさに、行き当たりばったりの対応であった。
「何っ!? シンジ君、それはあまりにも──」
「構わん」
冬月の言葉にゲンドウの声が被った。
だが、また舌足らずだ。
《え? アンタの土下座? それとも殺されるほうかな?》
「…アルバイトのほうだ」
冬月がゲンドウに耳打ちする。
「(いいのか、碇? 単発のアルバイト契約ではサードを拘束できんぞ?)」
「(冬月先生、先刻申したことをお忘れですか? 我々に契約など意味がありませんよ。 サードは力ずくで拘束するのですから)」
ゲンドウはニヤリと口許を歪ませた。
「(そういえばそうだったな)」
冬月は頷くと、画面に映るシンジのほうを振り向いた。
「わかった、シンジ君。 その条件を飲もうではないか」
《また、反故にする気じゃないでしょうね? 今回も口約束だし…》
シンジは一応、釘を刺してみる。
「そんな気は毛頭ないよ。 少しは我々を信じてくれたまえ」
冬月は真摯に訴えているが、内心では、口約束ならどうにでもなると不埒なことを考えていた。
勿論、シンジにはすべてお見通しであった。
《ふーん。 …話は変わりますけど、最近、占いに凝っていましてねぇ。 ネルフが約束を破ったら大変なことが起きそうな気が"無性に"するんですよ》
シンジはニヤニヤしながら語った。
占いの話など、勿論、口から出まかせである。彼は占いの類など、まったく信じてはいなかった。
「ほう、例えばどんなことだね?」
占いなどという非科学的なことはまったく信じてはいないが、気になるのか一応は訊いてみる冬月であった。

《いきなり発令所の天井が崩れて、冬月副司令の四肢が切断されそうな気がします♪》

「「「「「切断!?」」」」」
発令所にざわめきが走る。
あまりにも具体的な、そしておどろおどろしい占いの結果なのだ。
《いやいや、あくまで占いの話ですよ? …でもよく当たるんですよねぇ、僕の占いって♪》
シンジは目を細めて微笑む。
「…たとえ想像でも、聞いていてあまり気持ちの良い話ではないぞ(汗)」
さすがの冬月も些か青くなっていた。
《フフフ、気の持ちようですよ。 約束を守ればまったく問題ないんです。 ご心配いりませんよ》
(くっ…少し心配になってきたぞ)
冬月は不安になっていた。
何故なら、先の第三使徒戦後、少年の捨てゼリフどおりに、不幸が冬月とゲンドウを襲っていたからだ。
もしかして今回も、という一抹の不安が冬月の脳裏をよぎっていた。
「シ、シンジ君、そういうのはちょっと──」
「わかった。 それでいい。 問題ない。 条件をすべて飲もう」
逡巡中の冬月の言葉を遮って、ゲンドウが勝手に了承した。
(碇め、…人事だと思って勝手に話を進めおって〜!)
冬月は怨めしそうに隣の男を睨みつけた。
ゲンドウにしてみれば、端から守るつもりはない契約である。どんな条件を提示されようと関係がなかった。
結果、他人(つまり冬月)がどんな目に遭おうとも、知ったことではなかったのだ。
(衆目があろうとも、口約束ならどうとでもなる。 …フッ、所詮子供だ)
ほくそ笑むゲンドウ。
日本国首相と国連事務総長が立会人となった書面による契約ならば甚だ都合が悪かったが、口約束ならどうにでも揉み消せる自信が、この男にはあったのだ。
…もっとも、シンジという少年には、すべて織り込み済であったが。
《契約成立〜♪》
シンジがお気楽な声を上げる。
《発令所の皆さんが証人です。 もし冬月副司令が不幸な事故に見舞われたら、それはきっと契約を踏み倒したからだと理解して下さいね♪──まあ、でもこれはあくまでも占いの話ですからね〜。 当たるも八卦、当たらぬも八卦ですよ〜♪》
そんなシンジの様子を右肩の上から窺っていたシロは思った。
(シンジ…ヤル気なんだね)
シロは確信していた。
ネルフが約束を破れば、シンジは即座に冬月副司令に制裁を加える気だと。
むしろシンジの顔は、ネルフが約束を破ることを切望している顔であった。ニタニタと楽しそうにしていたのだ。
リツコがディスプレイ越しに話し掛ける。
「じゃあシンジ君、今迎えを寄越しているから、そこを動かないでね?」
(間に合うかどうかはとても怪しいけど…人事を尽くすしかないのよね)
リツコは自分にそう言い聞かせていた。僅かな望みを信じて。
《了解♪》
「マヤ、出迎えの車は今どの辺なの?」
リツコが訊ねる。
「あ、はい。 …現在、市街中心部、中央ブロック付近を走行中。 あと5分ほどで現場に到着します」
見ると、主モニタースクリーンの端には、路上を疾走する黒塗りの乗用車の姿が映し出されていた。
その乗用車は、明らかに法定速度を超えたスピードで、ハードなエンジン音とスキール音を轟かせながら公道を突っ走っていた。
だが、それが仇となった。
あらゆるものが静止した無人の街に、猛スピードで移動する、ただ一つだけ動きを見せる物体。
好奇心旺盛なシャムシエルが、それに興味を示すのは至極当然の成り行きであった。
ヒュン
光のムチが、数百メートル先を走っていた保安諜報部の黒塗りのリムジンを絡め取った。
「「「「「!!!」」」」」
車は宙高く舞い上げられ、縦に横にと激しくシェイクされる。
乗っている黒服たちは、さぞやパニックを起こしているのだろう。
必死にアクセルを噴かしているようだが、はっきり言って無意味であった。
ポイッ
暫くそれで遊んでいたシャムシエルだったが、飽きたのか、天高くブン投げてしまった。
ヒュルルルル〜〜〜
車は放物線を描いて自由落下する。そして、
グシャッ!
地面に激突してしまった。そして爆発、炎上──
(((((……)))))
シーーンと静まり返る発令所であった。


「どうするのだ、碇?」
「……」
冬月の問い掛けに、何も反応しないゲンドウであった。
青白い顔でリツコが口を開いた。
「…シンジ君…ゴメンなさい…迎え、行けなくなったわ」
《ああ、ご心配なく》
シンジはパチンと指を鳴らす。
(おいで、ハッちゃん♪)


同時刻、ここはネルフ本部、セントラルドグマにある第七ケイジである。
ここでは初号機が冷却水に浸かり、その身を休めていた。
すぴーすぴーと気持ちよく寝ていたハッちゃん(注:初号機)だったが、突然、電波(?)を受信したらしい。
パチリと目を覚ますと、いきなり雄叫びを上げた。
グオオオオオオーーーーーン
「うわあああ!?」
「何だ何だ!? 何が起こった!?」
「初号機が…吼えただと!?」
作業員たちは耳を押さえてその場に蹲った。
ビリビリと空気が震動している。
そして、
パッ──
突然、初号機の姿が掻き消えてしまった。
「「「何ぃ〜〜!!」」」


グオオオオオオーーーーーン
「ど、どうした!?」
「何事なの!?」
初号機の咆哮は、この発令所まで響いていた。
暫くしてシゲルが振り向きざまに報告した。
「しょ、初号機がケイジから忽然と消えたとのことです!!」
「「「「「何だとぉ(何ですってぇ)!!」」」」」
(こんなときに…何ということだ!)
冬月は絶望のあまり頭を抱えた。だがまさにそのとき、──
「っ!? 初号機、地上に出現しましたっ!!」
「「「「「!!!!」」」」」
主モニターを見ると、シンジの背後にエヴァ初号機の姿が現れていたのだ。
そして、まるで少年にかしずくかのように初号機は膝を折り、頭を垂れていた。
「そんな!! 外部電源もなしにどうやって…」
リツコは言葉を失っていた。
(それにケイジからどうやって!? 瞬間移動でもしたというの!? そんな馬鹿な!?)
目の前の非科学的な出来事に、彼女は茫然と固まっていた。


「碇…、これは一体どうことなのだ? 俺のシナリオにはないぞ?」
冬月の表情は青い。
「……」
ゲンドウは黙っている。いや、言葉を失っていたのだ。
口許で組んだ手で見えないが、あんぐりと口を開けていた。
これはこの男にとっても、シナリオを大きく外れた出来事であったのだ。



To be continued...


(あとがき)

1カ月ぶりのご無沙汰です。更新が遅くなって申し訳ありませんでした。
第八話、如何でしたでしょうか?
当初、第八話はシャムシエル戦メインとして一話ぽっきりで公開するつもりでしたが、テキストで250KBを超えましたので、改めて、第八話(前編)・第九話(中編)・第十話(後編)の三つに分割しました。
元々は一話として仕上げたものなので、通しで読んでもらえると有難いです。
量はあるけど、相変わらず中身がないと指摘されそうですが…(大汗)。
ケンスケは相変わらず傍迷惑なことをしていますね。今回はその規模が大きそうですが…。
ミサトの無能ぶりも健在です。
予め言っておきますが、この三話シリーズでの綾波の登場シーンは極少です。勘弁して下さいね。
次の第九話は、なんちゃってR指定(この表現、もう古いかな?)です。ご注意願います。
あまり期待しないで次話に進みましょう。
次回もサービスサービスぅ〜♪
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