第九話 はじめて物語(中編)
presented by ながちゃん
ここは第三新東京市の郊外にある小岳である。
小岳とはいっても、その標高は1000メートルを超えているのだが、そもそも周りの海抜が高いため、実際には200メートルくらいの高さにしか感じられない。
その中腹に、一人の少年の姿があった。
銀髪紅眼のその少年は、仰向けに山肌に寝そべって、ぼんやりと空を眺めていた。
その着衣はボロボロで半裸状態ではあったが、不思議と目立った外傷はなかった。
彼の隣には黒い巨人の無残な塊が転がっている。
少し離れたところには、土砂に埋まって気絶しているらしいメガネの少年の姿が見える。
視線を前方に移すと、巨大怪獣が街で好き勝手に暴れていた。
「グッ…」
少年は歯軋りした。
この少年、別にこの場所で寛いでいるわけではなかった。どうやら、その失われた体力を回復させているところらしい。
そして再び空を見上げた少年は、ふと何かに気づいた。
「あれは…」
彼のその目に、遥か上空を舞う一羽の猛禽の姿が飛び込んできたのだ。
「あれは…あのときの鷹?」
まさかとは思いつつも、少年はその姿を目で追っていた。
その鷹は、遥か上空をクルクルと旋回していた。
少年は不思議に思い、何気に視線をその直下の地点へと移してみた。
普通なら人の目には視認できない距離ではあったが、この少年には造作もないことだった。
「!!」
そこには、見知った黒髪の少年が上空を見上げて佇んでいたのだ。
(何だアイツ? …こんな非常時に、あんなところで一体何を?)
銀髪の少年は怪訝に思いつつも、再び視線を上空へと戻した。まさにその瞬間──
きゅいきゅいーーーーッ!
「!!!!」
鷹は、紫の巨人へとその姿を変貌させていた。
初号機は肩膝をついて頭を垂れ、従者のごとく眼前のシンジに礼をとっている。
シンジは差し出された初号機の掌に乗ると、排出されたエントリープラグまで運ばれた。
「へぇー、エントリープラグを忘れずに持ってくるなんて。 偉いぞ、ハッちゃん♪」
主の労いの言葉に嬉しそうにする初号機。
延髄に停止信号プラグを打ち込まれていたが、どうやらケイジを抜け出す際に、近くにあったエントリープラグと差し替えてきたようだ。なかなか気配り上手である。
『ちょ、何よこれ? エヴァ? いえそんなハズは……だって仕様と違う……』
目の前の初号機を見つめながら、クロは茫然としていた。
彼女は、初号機の素体の姿は見知っていたが、装甲板(拘束具)付きのその姿は見たことはなかった。
しかも今の初号機の姿は、凶悪度3割増である。とてもじゃないが、正義の味方には見えない。
何よりも無人で動くなど、彼女の知るエヴァの諸元・仕様にはなかったことである。
それどころか、瞬間移動・変身能力・無線稼動──そのどれをとっても、彼女の理解を超えていたのだ。
そんなクロの様子は一切無視して、シンジは猫二匹の首根っこを掴むと、イジェクション・カバーからプラグの中へと入った。
すぐさまコックピット・シートに腰を下ろすと、エントリーをスタートさせ、LCL注入スイッチを押す。
だがウンともスンとも言わない。
「ありゃ、…LCLのタンクが空だよ。 いきなり呼び出しちゃったからねぇ」
ポリポリと頭を掻くシンジ。
「しょうがない。 ハッちゃん造ってよ。 できれば血の味じゃないやつをお願いするよ」
シンジがそう言うと、足下のほうからオレンジ色の液体がせり上がってきた。
見た目は普通のLCLだ。でも匂いが違った。これはフローラルの香りだ。
シンジは苦もなくそれを肺に吸い込んだ。
(うーん、不味くはないけどさ…うちのトイレの芳香剤と同じ香りだね)
猫二匹もLCLを肺に入れる。
シロは慣れたようだが、クロにとっては11年ぶりのLCL、しかも猫の体である。案の定、ガボガボと溺れた。
「しっかり掴まってなよ?」
少年のその声に、猫二匹は彼の両肩に必死にしがみついた。
〜ネルフ本部・第一発令所〜
ここ発令所は、未だ騒然としていた。
科学では説明できない現象が立て続けに起こっているのだ。
優秀な職員ほど、その動揺は大きいものであった。
「しょ、初号機、スタンドアロンで起動しています! シンクロ率19.19パーセント!」
マヤの上擦った声が響く。
その声に、リツコが愕然とした表情で眼を瞠る。
「起動って、そんな……アンビリカル・ケーブルは繋がっていないのよ? 内部電源の残量はどうなっているの?」
「内部電源…残量ゼロです」
力なく答えるマヤ…。
「何ですって!? 電源なしで、どうやって動けるのよ!?」
リツコは自問の声を上げた。
(まさかS2? いえ、そんなハズは…)
リツコはかぶりを振って、その可能性を否定する。
実際、初号機のS2器官は稼動してはいなかった。それはすでに退化した(不要な)器官なのだ。
初号機のエネルギー発生源は別にあるのだ。
これはシンジも同様である。ただしシンジにはS2器官はない。 …昔はあったらしいが。
勿論このことは、ネルフの誰もが知る由もないことであった。
「サード・チルドレン! アタシの命令に従いなさい!」
突然、ミサトがマイク越しに声を張り上げた。
この女にとって、初号機が動いた理屈やその謎解きなんて、そんなものどうでも良かった。
初号機が起動した。この事実だけで十分なのだ。
(これで汚名挽回できる! 仇が討てるわ!)
ミサトの口許が怪しげに歪む。 …だから用法間違ってるって。
だがしかし──
《やだ》
モニター先のシンジはむげに即答する。
「んなっ!? アンタはアタシの命令に従う義務があるのよ!?」
臆面もなくほざくミサト。
この女、何度、同じ問答を繰り返せば気が済むのだろうか?
相変わらず、学習能力が欠落しているようだ。
《面白いことを言う人ですね。 ではその法的根拠を50字以内で端的に述べてもらえますか?》
シンジの忍耐力のカラータイマーはまだ青いようである。
売り言葉に買い言葉で、ミサトをおちょくっていた。
ミサトは真っ赤になって喚いた。
「クッ、だから子供のくせにギャーギャー屁理屈こねてんじゃないのっ!! アタシがあるって言ったらあるのよっ!!」
《貴女こそ三十路にもなる大人のくせに、見苦しく横車を押さないでもらえますか?》
シンジは一歩も譲らなかった……というよりは、遊んでいた。
「…従え」
突然、横からゲンドウが口を挟んできた。相も変わらず舌足らずだが。
《鬚、気は確かなのかい? その女、正真正銘、本物の"無能"だよ? ソレの言うとおりにしてたら、人類は滅んじゃうよ? 本当にいいの? 責任とれるの?》
シンジはニヤニヤしながら確認する。たっぷりの厭味を込めて。
そのとき、横で話を聞いていたマコトが、耐えかねたように口を挟んできた。
「シ、シンジ君、それはちょっと言いすぎじゃないかな? 葛城さんはこれでもとても優秀な人なんだよ?」
マコトは思わず想い人を庇っていた。勿論、その言葉に嘘はない。本気でそう思っていたのだ。
…彼のメガネはだいぶ曇っているようだ。
(マコト…お前…)
シゲルは憐れみの目を右隣の男に向けていた。
「あら〜♪ 日向くぅ〜ん、良くわかってるじゃな〜い♪」
笑顔満開のミサトは、背後からマコトの首に腕を回すと、横顔の至近でウインクを飛ばした。
途端に照れて、ゆでダコのように真っ赤になるマコト…。
(かか、葛城さん、背中に胸が、胸が当たってます! …ああ、でも気持ちいい〜。 それにすごくいい匂いがする〜)
マコトは、ミサトの豊満な胸の感触と甘いフェロモンにメロメロだった。
すっかり鼻の下を伸ばしていた。
(…だらしないです)
(マコト…もうダメなのか?)
同僚の二人は呆れたようにマコトを見つめていた。
その無様な様子を見て、シンジはフッと鼻で笑う。
シンジの返事は辛辣だった。
《…憐れな男だね。 そんなスベタの色香に迷うなんて…。 恋は盲目ってやつだろうけど、…報われずに自滅するタイプだね》
((まったくその通りです))
一部オペレーターが心の中で頷く。
「なっ!? それはどういうことだい!?」
聞き捨てならない言葉に、マコトは思わず色めき立つ。
だがそのとき、叱責の声が飛んだ。
「日向二尉! 私語は慎みなさい!」
「! …あ、はい。 申し訳ありませんでした」
リツコのその声に、マコトはシュンとなっていた。
「…従うのだ、シンジ」
再度、同じセリフを繰り返すゲンドウ。
だがこの男にとっては、苦渋の選択だった。
しかしながら、このときはまだ楽観視していたのかも知れない。
ミサトの無能さは知っていたが、まあ大丈夫だろうと高を括っていたのだ。
だがすぐに、このときの判断が如何に甘かったかを、激しく思い知ることになる。
ミサトはニンマリとした。
なんせ、自分の優秀さを改めて認められたのだ。それも碇司令直々のお墨付きだ。この女は、そう受け取っていた。
《…アイコピー》
シンジは肩を竦めて、渋々了承する。
「よろしい。 ──サード・チルドレン! 参号機パイロットと民間人一名をエントリープラグに収容して、一時退却よ! 急ぎなさい!」
ミサトは早速、大威張りで命令を下していた。
だが現時点でネルフは、この二人の安否を確認できてはいなかったハズである。
万一、死体になっている場合はどうする気だったのだろうか?
実を言うと、この女、単にダッシュに命令した同じことを、そのまま考えなしにシンジに命令したに過ぎなかった。
勿論、人命優先だとか、殊勝なことを考えていたわけではない。
次の作戦を考えるまでの時間が欲しかっただけなのだ。
それに、このままサードに好き勝手にやらせて、万一再び使徒を倒された日には、作戦部長としての自分の面目が立たないのだ(ミサト主観)。
サードの力量によるものではなく、自分の立案した作戦と華麗な戦闘指揮によって使徒を倒さなければならない。
ミサトはそう考えていたが、実はすでに彼女の面目は回復できないほどに丸潰れとなっていた。
知らぬは本人ばかりであった。
《はあ? なんでさ? つーか今、使徒を殲滅しちゃダメなの?》
シンジが呆れた声を上げる。
そもそも一時退却する意図がわからない。
先程と違って、ダッシュもケンスケも危機的状況から脱しているのだ。
すでに使徒は、そこから遠く離れた場所にいるのだ。
何故わざわざエヴァを使ってまで、二人を助けなければならないのか?
そんなのは、戦いの後にでも保安諜報部辺りに任せれば済む話であるのだ。
シンジは言葉を付け加える。
《僕なら瞬殺できるよ?》
勿論、これは過信ではなく事実であった。某銀髪少年のような自惚れではない。
だがこれにはミサトは顔を顰めた。
(クッ、それはマズイってーの! アタシの作戦で、アタシの力だけで倒さないと…)
心の中でワラワラと焦燥感が募る。
そしてミサトは反論する。
「自惚れるのもいい加減にしなさいっ! 今のアンタじゃ逆立ちしたって使徒には勝てないわっ! いい? 使徒はアタシじゃないと絶対に倒せないのよっ! 死にたくなかったら黙ってアタシの指示に従いなさいっ! いいわねっ?」
臆面もなく、吼えに吼え捲くるミサト…。
自惚れているのはアンタのほうだ。聞いているこっちのほうが恥ずかしい。
…しかし、自惚れもここまでくると、ある意味芸術といえるのかもしれない。
(((((……)))))
周囲の職員たちはというと、どこぞの珍獣を見るかのような視線をミサトに向けていた。
幸か不幸か、当のミサトはそれには気づいてはいなかったが…。
《…了解(ニンマリ)》
シンジは頷いた。が、何かドス黒い考えが閃いたようで、その口の端は吊り上っていた。
『(本当にいいの?)』
エントリープラグの中、シロが耳打ちしてきた。
シロにもミサトの無能さはわかっているらしく、任せても大丈夫なのかという顔をしていた。
シンジはニカッと微笑むと、何かを思い出すように淡々と喋り出した。
「(前回さ、シャムシエルを倒したのに命令違反だとかで、アレに散々怒鳴られたよね? そりゃもうトラウマに残るくらいに手酷く。 ったく自分は喚くだけで何にもしなかったくせにさ。 ま、僕たちの態度にも非はあったんだけどね。 ただどうしても納得いかなかったんだよねえ。 シロもそう思わない?)」
シンジの流し目に、シロはふむと考え込む。
『(…まあ、確かに。 …今思うと、あのときのミサトさんて、人類のことを心配して怒ったんじゃなくて、なんつーか単に自分の命令を聞かずに戦果を挙げちゃったもんだから、キレていたみたい…だったよね)』
シロは追憶しながら感想を述べる。
「(うんうん♪ 余程悔しかったみたいで、お為ごかしに僕らを叱り付けていたよねぇ。 ──だ・か・ら、アレに素直に従ったらどうなるのか、是非とも見てみたいんだよ♪)」
そう言うと、シンジはニッコリと微笑んだ。
それは悪魔の微笑だった。
(…大丈夫かな?)
もしかして人類滅亡の危険性大?
シロは冷や汗を掻いていた。
《コホン──わかりました。 まったくもって不本意ですが、ここは葛城作戦部長殿の指示に従いましょう。 でも、どうなっても知りませんよ? あの怪物ですが、おそらくエヴァの回収スポットから内部に侵入してきますよ? だってホラ、今だって侵入口を探しているみたいじゃないですか。 アイツにとっては渡りに船ですから、到底見逃すとは思えませんが?》
シンジは最後の忠告をした。彼なりの心配りである。というよりは責任回避の予防線。
だが勿論、ネルフがこの忠告を素直に受け入れるとは、この少年は微塵も思ってはいなかった。
そして彼の思惑どおりに、馬鹿女が食い付いてきた。
作戦批判されたと感じたのか、その鼻息は荒い。
「アンタは余計なことは考えずに、黙ってアタシの命令に従ってりゃいいのっ! アタシのほうがプロなのよ! アタシの言うとおりにしてれば何も間違いはないのっ!」
大声で怒鳴りまくるミサト。何ともはや、すごい自信である。
先程、その間違いを犯したばかりだというのに、もう都合よく忘れているようであった。
ニワトリ並みの脳みそである。
(ぷぷぷっ、でも所詮は子供ね。 使徒にそんな知恵があるハズないのに。 …ふう、やっぱりアタシの指揮じゃないとダメダメね♪)
ミサトは悦に入って、ヤレヤレとばかりに肩を竦めていた。
《フッ…了解》
シンジはモニターの先で含み笑いを噛み殺しながら答えた。
「ミ、ミサト!? ちょっと待ちなさいっ!!」
ここで、横からリツコが慌てたように口を挟んできた。
だがミサトはそれを鬱陶しそうに見つめると、目を細めて言い放った。
「黙りなさい、リツコ! アタシは碇司令から直々に白紙委任されているのよ? つまり、アタシの命令は碇司令の命令よっ! 要らぬ差出口は許さないわっ!」
ミサトは一喝すると、ニヤッとばかりに嘲笑した。
どうも輪を掛けて天狗になっているようだ。まさに我が世の春であった。
そもそもゲンドウに、白紙委任をした覚えなどなかった。
司令席では二人の男が、与り知らぬ展開に呆気に取られていた。
「そ、そういうことを言っている場合じゃないのっ! サード・チルドレンの低シンクロ率で──」
それでも必死に何かを訴えようとするリツコ。
だが非情にも、ミサトの怒声がそれを遮った。
「うっさいわね!! サード・チルドレン!! 早くしなさいっ!!」
ミサトはリツコの忠告を無視すると、マイクを握り締めて怒鳴った。
さっさと既成事実を作って、リツコを黙らせようというのだ。
それに、下手にリツコに喋らせると、先刻のように先を越されかねないのだ。
二番煎じなんて、まっぴらゴメンであった。
下手をすると、自分の手柄すら横取りされかねない。
ミサトの脳裏には、そんな浅ましい不安が、どんどん膨れ上がっていた。
今、彼女にとっての最大の敵は、目の前の使徒ではなく、自分の立場、プライドを危うくする身内にこそあったのだ。
本末転倒も甚だしかった。
〜同時刻、地上・初号機サイド〜
初号機は、小岳の麓から中腹へとジャンプ一回で移動していた。
派手な動きではあったが、幸い使徒には気づかれなかったようだ。
プラグ内のスピーカーからミサトの怒鳴り声が響く。
《サード・チルドレン!! 早くしなさいっ!!》
「(煩いなーもー)あー、はいはい。 おーい、そこの馬鹿二人! さっさと乗れ!」
外部スピーカーを通してシンジが叫ぶ。
だが、眼下の二人に動きはない。
いきなり初号機が目の前に現れて、銀髪の少年はポカンと呆気に取られていた。
メガネの少年はというと、相変わらず土砂に埋まって気を失っている。
業を煮やしたシンジ(初号機)は二人をむんずと掴み上げると、エントリープラグを排出させ、中に入れようとする。
(うげっ! ケンスケのやつ、全身血塗れで泥だらけじゃないか! それにダッシュなんて下半身スッポンポンだし……露出狂?)
シンジは露骨に嫌な顔をするが、プラグ内のスピーカーからは「さっさと入れなさい!」とミサトが喚いており、仕方なく二人を中へドボンと入れた。
「!! ガボッガボッ〜〜!! プハーッ!! 何だよ、水じゃないか!! カメラ、カメラがぁ〜!!」
LCLの中に落とされた瞬間、目を覚ましたケンスケが騒ぎ出す。
「だー、うるさい! 静かにしろ!」
「あああ〜っ!! お前は転校生っ!! するとここはエヴァの中か〜〜!?」
途端に目の色を変えるケンスケ。そして勝手にあちらこちらを触り始めた。
しまいには身を乗り出して、正面のパネルのスイッチ類をポチポチと押し捲くる。とても幸せそうだ。
ゴチーン!
「痛〜〜! 何すんだよ〜〜!」
両手で頭を押さえて、涙目でケンスケが抗議する。
どうやらシンジにゲンコツをもらったようだ。
シンジは半ばキレて怒鳴った。
「うるさい! いいか? 騒ぐな、動くな、触るな──これが一つでも守れないなら、今すぐここから叩き出すからな!」
「わ、わかったよ〜」
シンジの迫力に、ケンスケは渋々了承する。
だが、この少年、転んでもただでは起きなかった。
プラグ内の構造を一つ一つ、その脳裏へと焼き付けていたのだ(カメラはLCLに浸かって動作不良を起こしていた)。
後でネットで公開するつもりらしい。まったく懲りない少年であった。
さて、ダッシュのほうはというと、静かに現状を確認していた。
目の前のコックピット・シートには、あのニセモノのシンジ(ダッシュ主観)が座っている。
(やはりコイツが初号機を動かしたというのは、本当だったのか…)
銀髪の少年は、ギリッと歯軋りした。それは嫉妬にも似た複雑な感情だった。
(それにしても、何だこのLCLは? 血の味がしない…特注品か? まさかネルフに贔屓されているのか?)
何とも情けないことを考えていたようだ。
「っ!? やだ!! ふ、ふけつよー!!」
発令所では、モニター越しにダッシュの半裸を見てしまったマヤが、お約束の拒絶反応を起こしていた。
比重が違うのか、あの部分がプカプカとLCLに揺られていたのだ。
「(…ムケてないな)」
「(ああ、まだ子供だ)」
こちらは、何やら自信を深めてニヤリとしていたオペレーター二人であった。
再びここは初号機のエントリープラグ、その中である。
そこでは、何やら一悶着が起きようとしていた。
「おい、コントロールをよこせっ!」
いきなりダッシュが、その身をシートに割り込ませてきていた。
「ん、何でさ?」
「僕が初号機で戦う。 お前はシートの後ろで、のんびりと眺めていればいい」
随分と強気なことを言うダッシュであった。
この少年、先日、初号機の起動実験には失敗していたが、参号機の起動(脅迫?)に成功していた事実が、再び彼に自信(過信)を与えていたようである。
(あのときは、偶々調子が悪かったんだ。 今の僕なら絶対やれるハズだ!)
彼の顔は大いなる自信に溢れていた。
だがシンジは、呆れ顔で言ってやった。
「…高々アダム程度の、稚児にも等しい矮小な力で、この子は御せないと思うよ?」
「っ!? おい、それはどういう──」
そのダッシュの言葉を、スピーカーからの声が遮った。
《今よ! 後退して! 回収ルートは34番。 山の東側に後退して!》
〜再び、ネルフ本部・第一発令所〜
「今よ! 後退して! 回収ルートは34番。 山の東側に後退して!」
ミサトがモニター越しのシンジに指示を出した。まさにそのとき、──
ビーービーービーー
突然、何かのアラーム音が鳴り響いた。
「どうしたの!? 故障!? 何やってんのっ!!」
己が華麗なる指揮に水を差され、激昂したミサトが手近にいたマヤを怒鳴りつけた。
ビクッと怯えるマヤ。とんだトバッチリである。
「しょ、初号機、エントリープラグの循環フィルターが目詰まりを起こしています。 LCLの防汚・浄化不能! プラグ内、無菌状態を維持できません!」
マヤがキーボードを操作しながら、悲痛な叫びを上げる。
「何ですってぇー!?」
ミサトが驚きの声を上げる。思っても見なかったトラブルなのだ。
だが、横からリツコが冷めた声でポツリと言った。
「…当たり前よ。 あれだけ泥だらけの二人をプラグ内に入れたんだから…。 このままだと、下手をすれば彼ら三人の命に関わるわね」
モニターに映るLCLは、すでに透明度が下がり、赤茶色に濁っていた。
「そんな…」
ミサトは初耳とばかりにショックを受けている。まったくその危険性を考えてはいなかったようだ。
モニターを見ると、ダッシュとケンスケは汚水を肺に入れて、幾分気持ち悪そうにしていた。
そんな中、シンジと猫二匹は、何故か平気そうにしていた。
何てことはない。シンジが自分の周りだけはLCLを清浄化させていたからだ。
さすがに泥水は飲みたくはなかったようである。
ビーービーービーー
今度は別のアラーム音が、発令所内に鳴り響いた。
「今度は一体何だって言うのよっ!?」
ミサトは苛立ち、叫び声を上げた。
「初号機、神経系統に異常発生!」
マヤが叫ぶ。
「異物を二つもプラグに挿入したから、神経パルスにノイズが混じっているのね」
リツコは目の前のシンクログラフを眺めながら説明を加える。
「!? 初号機、シンクロ率が急落しています! ──き、起動指数を割り込みましたっ!」
マヤの悲鳴にも似た声が発令所内に響く。そして──
「…エヴァ初号機、活動を停止しました」
「んなっ!? 活動停止ってアンタ、どういうことよっ!?」
ミサトがリツコに食って掛かる。このようなトラブル、彼女のシナリオにはなかったことなのだ。
リツコはミサトとは目線を合わせないまま、憮然とした表情で口を開いた。
「…サード・チルドレンのシンクロ率は20パーセント弱よ。 そんな状況で異物を二つも入れたら、こうなることなんて目に見えていたわ。 当然の結果よ」
毒々しげに吐き捨てるリツコ。
実を言うと、シンジのシンクロ率の数値は偽装である。
だが今回、シンジはその偽装を一時的に解くように、初号機とMAGIに指示を出していた。
今のシンジは、通常のA−10神経接続で、しかも自力でシンクロ率19.19パーセントを叩き出していたのだ。
(しかし、一定レベルのシンクロ率を保つのも、なかなかどうして難しいものだな)
シンジがその気になれば、シンクロ率100パーセントはおろか、400パーセントすら容易いことであった。
然るにシンジは、それを一定レベルで抑えるに留めていた。
何故そんな面倒臭いことを、わざわざするのかというと、──ミサトの指揮ぶりを公正(?)に傍観するためであった。
つまりこの状況だと、起動指数を下回れば、本当に初号機は活動を停止してしまうことになるのだ。
──尤も、ハッちゃん(注:初号機)が動こうと思えば、動けるのではあるが…。
「ちょ、アタシは聞いてないわよっ!!」
ミサトは自分に非はないとばかりに、リツコを責め立てた。
だがリツコは、それをピシャリと制した。
「この程度のこと、聞かなくてもわかるわよ。 馬鹿ではないかぎりはね?」
それは暗に、貴女は馬鹿よと断じていた。
「ぐっ…」
「それに、一応忠告しようとしたけど、…貴女、聞く耳すら持たなかったじゃない」
確かにそうであった。
このミサトという女、リツコの忠告の弁を邪魔した挙句に、功を焦って先走ったのだ。
それは、リツコに抜け駆けをされたくないという、実に身勝手で浅ましい理由からであった。
「……」
「どうするのミサト? 貴女の指示どおりにやったらこのザマよ? 責任取れるの?」
リツコは冷眼を向けると、淡々とミサトを責めた。
「あ、アタシは別に…その…」
ミサトはシドロモドロながら、言い訳を口にしようとする。だが、まさにそのとき、──
「ああっ!? 目標が34番スポットに向かっていますっ!!」
突然、マコトが叫んでいた。
「何ですってぇー!!」
当たり前である。どうぞ入って下さいとばかりに、回収スポットはその口を開けていたのだ。
使徒だって馬鹿ではない。それに気づき、そこに向かうのは当然であった。
「「「「「!!!!」」」」」
途端に騒然となる発令所。
使徒に侵入されたらおしまいなのだ。
ここにいる職員の誰もが、その意味をわかっていた。
「シャッターを閉めて! 早くっ!」
リツコが叫ぶ。だがもう遅い。
地上では、慌てるように34番スポットの装甲シャッターが閉じ始めていた。
だがそのとき、使徒の二対四本の光のムチが唸った。
ヒュン、スパッ!──
「っ!! 34番のゲートが破壊されました! ダメです! 中が丸見えです!」
マコトが悲痛な声を上げる。少しばかり、泣きが入っているようだ。
「目標、34番スポットより内部に侵入しましたっ!! 次々と装甲シャッターを切り裂いて下降していきます!! ああ…あああ…もうダメだあー!!」
マコトは頭を抑えながら悲鳴を上げていた。
主モニターのスクリーンを見ると、ズルズルと這うように射出口を降りるシャムシエルのおぞましい姿が映し出されていた。
発令所の誰もが、絶望のあまり息を呑んでいた。
ネルフにはもう打つ手がないのだ。
「そんな…」
ミサトはモニターを見つめ、一人茫然としてその場に佇んでいた。
「碇…、これぞ利敵行為の極めツケだな。 これも貴様のシナリオのうちか?」
冬月がここぞとばかりに棘のある皮肉を吐く。
果たして、シンジの忠告どおりに使徒は回収スポットから侵入してしまったのだ。
その忠告を無視して、使徒の手助けをしてしまったのは、ミサトである。
そしてそのミサトを信任したのは、誰でもない、ゲンドウなのだ。
「…馬鹿な」
ゲンドウは驚愕の面持ちで固まっていた。
この男、ミサトにすべてを任せたことを、今さらながらに後悔していた。
自身の見通しの甘さを痛感していた。
ミサトという女が、よもやここまで無為無策で無能の極致だとは、夢にも思わなかったのだ。
だが、後悔先に立たずであった。
──失ったものは…その代償は、あまりにも大きいものだったのだ。
「!! 目標、天蓋部の下層隔壁を突き破って、ジオ・フロント内に侵入しましたっ!!」
マコトの声が発令所内に木霊する。
そのまま射出口に沿って降下すればセントラルドグマまで到達できるのだが、使徒は途中で外壁を突き破って外へと出てきたようである。
発令所の主モニターのスクリーンには、ゆっくりとジオ・フロントの地表、緑の大地へと舞い降りる第四使徒シャムシエルの姿が映し出されていた。
地表へと降り立ったシャムシエルは、人工建造物、つまりネルフ本部へと向かって、ゆっくりとその歩みを進めていた。
絶体絶命であった。
だが、ネルフ側からは何の迎撃もなかった。その素振りさえ見せない。
その間も、シャムシエルは悠然とネルフ本部施設へと接近してきていた。
実は、邀撃したくても出来なかったのである。
地上では鉄壁(?)の防御を誇る使徒迎撃要塞都市ではあったが、一度ジオ・フロントへの侵入を許してしまうと、その防御能力はゼロにも等しく、ほとんど何の迎撃手段も持ち得なかったのだ。
実を言うとこれは、某老人倶楽部の思惑であった。将来の本部施設の直接占拠の可能性を見越しての保険であったのだ。
今回は、それが裏目に出たようである。
唯一の例外が、地底湖に浮かぶフリゲート艦であったが、これも現在は無人であり、まったくの無用の長物であった。
──尤も、仮に迎撃手段があったとしても、使徒には通じないのだが…。
ズガーーン、ズガーーン
発令所に何かを破壊する衝撃音と震動がダイレクトに伝わってくる。
さすがに職員たちの表情にも恐怖が混じっている。
「目標、サブ・ターミナルビルを完全破壊!! 本部本館ビルに接近しますっ!!」
モニターには、無残に切り刻まれて倒壊したビルの残骸が映し出されていた。
暫くすると、
ズガーーン、ズガーーン
今度は一際大きな横揺れが発令所を襲い、モニターにもノイズが混じった。
そのあまりの揺れの大きさに、転倒もしくは席から投げ出される者さえ続出していた。
震度6強といったところだろうか…。ショック・アブソーバーも、あまり功を奏してはいないようであった。
職員たちは、誰もが皆、息を呑んでいた。
ついに、発令所の直上、本部本館ビルが使徒の攻撃を受けているのだ。
「本館ビル、全壊しました!!」
マコトの悲痛な声が響く。
モニターを見ると、ピラミッド部分の壁面がパックリと大きく抉り取られ、メインシャフトが丸見えとなっていた。
その惨状に、ア然とする面々…。
ちなみにビルの頂上部分、所謂司令室のフロアは、辛うじて無事なようであった。 …いっそ潰してくれれば良いものを。
「!! 目標、開いた欠損部分よりメインシャフト内へと侵入しますっ!!」
と、マコトの切羽詰った声。
見ると、ゴソゴソと穴に潜り込んでいるシャムシエルの姿が、モニターに映されていた。
「「「「「!!!!」」」」」
(ここまでのようね…母さん、もうすぐ会えるわ)
リツコは拳を握り締め、静かに目を閉じた。
ついに、本丸への使徒の侵入を許してしまったのだ。
それが何を意味するのか、ここにいる誰もが理解していた。
ネルフ本部、壊滅──
すでに万策は尽きていたのだ。
「目標、セントラルドグマに到達!」
刻々とアナウンスされる使徒の現在位置と状況。
リツコはここに来て半ば開き直ったようで、ふてぶてしい態度で口を開いた。
「ミサト、貴女のせいでネルフ本部はおしまいね。 …どう? 自分のせいで人類が滅んでしまうご感想は?」
リツコはどうせ最期なのだからと、横目で親友をなじり、辛辣な皮肉の言葉をぶつけていた。
「…アタシが…悪いんじゃ…ないわ…アタシが…悪いんじゃ…」
当のミサトはというと、色を失い俯いたまま、何やらブツブツと呪文のようなものを繰り返し呟いていた。
それはまるで自己暗示をかけているかのようであった…。
そのとき、マコトの一際大きい声が飛んだ。
「目標、第三ケイジに侵入しましたっ!!」
「第三ケイジ!? それってここの隣じゃない!!」
リツコが驚き叫ぶ。その瞬間──
ズガーーン
「「「うわあああ〜〜!!」」」
「「「きゃあああ〜〜!!」」」
「「「いやぁああ〜〜!!」」」
突然、発令所の壁面が爆音と共に崩落し、辺り一面から悲鳴が巻き起こった。
ついに…ついに使徒が発令所内へと侵入してきたのだ。
赤黒くぬめり、臭い立つような醜悪なその姿。広大な発令所の空間でさえ収まりきれないほどの巨体。そしてヒュンヒュンと蠢く光のムチ──
発令所の中は、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
そして次の瞬間、使徒は正面の司令塔のほうへと向き直っていた。
「「「「「!!!!」」」」」
あまりの恐怖で凍りつく職員たち。身動き一つできない。
彼らの人生で、これほどまでの恐怖を感じたことがあっただろうか?
誰もが小刻みに震えていた。
組織のトップである鬚男などは、椅子に座ったまま腰を抜かし、失禁していた。
使徒が光のムチを振り翳した。もはや攻撃は避けられない。まさに絶体絶命。
発令所の面々は誰もが死を覚悟した。まさにその刹那──
(ヤメロ──)
途端に使徒はビクッと竦み上がり、その体勢のままピクリとも動かなくなった。
実は、某少年が使徒に、シャムシエルの精神に干渉したのだ。
発令所には…レイがいるのだ。それがすべてだった。
シャムシエルは徐に右向け右をすると、側面の壁をブチ破り、そのまま発令所を出て行ってしまった。
恐らくは、そのまま地下のアダム(実はリリスだが)の許へと向かったのであろう。
茫然とする発令所の面々…。
「何が…起こったというのよ…」
確実に死んだと思っていたリツコは、わけがわからずに、その場に呆けていた。
発令所の被害は甚大だったが、MAGIの本体が無事だったのは不幸中の幸いであった。
左右の壁面は使徒により大穴が開けられており、左右翼の下部フロアは無残なほどに破壊されていた。
そのため、多くの死傷者が出ていたようである。未だにあちらこちらから呻き声が漏れていた。
発令所中央、扇状に展開する三枚の投影スクリーンは完全に使用不能に陥っていたが、幸いにして正面の主モニターのスクリーンは難を逃れていた。
リツコはハッと我に返ると、指示を飛ばした。
「詳細な被害状況を報告! 要救護者の救助、急いで!」
暫くして、リツコが神妙な面持ちで冬月へと告げた。
「…では副司令。 予定どおり、ネルフ権限における特別宣言D−17を発令、日本政府各省に通達します。 ゼロエリアから半径50キロ以内の全市民及び、本部のD級勤務者には避難勧告を、松代にはMAGIのバックアップを指示致します」
「うむ、よろしく頼──」
「ダメだ」
そのとき、横からゲンドウが口を挟んできた。ちなみにお漏らし中(笑)。
「碇?」
「D−17の発令は許可できん」
ゲンドウは憮然とした表情で吐き捨てた。
この男にとって、自分の死後に美談を残しても意味はなかった。
それどころか、生き残るつもり満々のこの男にとって、甚だ都合が悪いことであったらしい。
「(何を考えているのだ、碇?)」
冬月が顔を近づけて耳打ちした。
「(…あれはリリスだ。 たとえ使徒と接触しても何も起こらんよ)」
男は表情を変えずに答える。
だがその回答に、冬月は苛立ちを見せた。
「(何を今さら…そんなことはわかっておる。 だがここでアレを仕留めない限り、どの道、サード・インパクトは避けられんのだぞ?)」
冬月はゲンドウに強く翻意を促した。
ここの地下の巨人をアダムのフェイクと看破した使徒が次に向かうのは、間違いなくドイツにある本物のアダムの許なのだ。
そして両者が接触したら、それですべてが終わりになってしまうのだ。
最悪、それだけは避けなければならなかった。
「(まだすべてを諦めるには早い。 アレがドイツに向かうまでに幾らかの猶予があるハズだ。 その間に何か対策を練ればいい。 まだ初号機や零号機は健在なのだ。 サードを確保・洗脳するなり、レイの零号機再起動を成功させるなり、我々にはまだ手は残されているハズだ)」
ゲンドウは、冬月を説得するというよりは、まるで自分自身を納得させるかのように、一つ一つ言葉を紡いでいた。
だが冬月は眉間を顰めた。
「(…そのとき我々が生きていればの話だな。 少なくともネルフ本部はなくなっているぞ? …それに、そのときお前がここの司令の椅子に座っているかも怪しいものだ)」
冬月には、使徒撃退に失敗し、ネルフ本部を壊滅させたゲンドウを、このまま某老人倶楽部ことゼーレが放っておくとは到底思えなかった。
ゼーレは決して温情溢れた組織ではないのだ。
良くて解任……最悪の場合、見せしめに殺されるだろう。冬月はそう考えていた。
ゲンドウが徐に口を開く。
「(…老人たちも、まだ自分たちの命は惜しいハズだ。 使徒が健在の中、まだ私の首は切れんよ)」
何を根拠にそう言うのか、ゲンドウは強気だ。
冬月には理解できなかった。
「(…本気でそう思っているのか? ゼーレはそんなに甘くはないぞ?)」
「(ふん、そもそもこの事態を招いたのは、老人たちが寄越したあの女のせいではないか。 私に非はない)」
憮然と吐き捨てるゲンドウ。
これには冬月も驚くほかなかった。
「(葛城君にすべての責任を押し付けるつもりかっ!?)」
「(……)」
だが、ゲンドウは黙して何も答えない。
暫くして再びその口を開いた。
「(D−17の発令は、事後の責任問題に繋がる。 すべての事実は隠蔽しろ。 外には一切何も漏らすな。
──それに何の意味があるというのだ? 仮に本部を自爆するにしても、ヤツらに逃げおおせる時間などありはしない)」
重々しく吐き捨てるゲンドウ。
この男の言うとおり、全市民が避難できるだけの時間は、まるでなかった。
D−17を発令しても、余計なパニックを招くだけであった。恐らくそれは事実だろう。
「(…しかし、…委員会が、ゼーレが黙ってはいないぞ?)
冬月は、情報漏れ、内部告発を懸念する。
ネルフ本部には、ゼーレの鈴が付いたスパイが、現在、確認できるだけでも1ダース以上もいるのだ。
「(こちらに都合の悪いことは、極力、MAGIに隠蔽させる。 さすがに使徒侵入の事実までは誤魔化せんだろうが、老人たちにはオブラートに包んだ情報だけを渡せば良い。 大丈夫だ。 後は交渉次第で乗り切れる)」
「(…本気なのか?)」
冬月は眼前の男の双眸の色を食い入るように確かめる。
ゲンドウも、その視線をジッと離さない。
「(勿論だ。 幸い、ターミナルドグマの"目"は誤魔化すことが可能だ。 そのためにも、今は少しでも時間が必要だ)」
「(……)」
「(……)」
「(ふう、──では、ここの自爆はどうするのだ。 止めるのかね?)」
一度大きく溜め息を吐くと、折れたかのように冬月が訊ねた。
「(いや、自爆承認は、老人たちへの格好のポーズになる。 ギリギリのところまで進めておけばいい)」
ゲンドウは不遜に答えた。
(──己が保身のために、ネルフ職員と第三新東京市の全市民の命すら、老人たちへの当て馬にしようというのか、この男は…)
冬月は静かに目を閉じた。だがそれは、決意の表情であった。
結局のところ、D−17の発令は断念、本部の自爆は最終フェーズでのスタンバイ状態で保留、最後のトリガーはゲンドウに託すことで、二人の話はまとまったようである。
もちろんゲンドウに、そのトリガーを引く気などサラサラなかったが。
「…わかった。 赤木博士にはその旨伝えよう。 だが念のため、松代へのMAGIのバックアップは内密に進めておくぞ?」
結局、冬月はゲンドウに賛同していた。無論、不満や疑問がないわけではなかった。
だが、この男の尻馬に乗る以外に己が生きる道はないことを、冬月は自覚していたのだ。
一蓮托生。毒を食らわば皿まで。冬月はその覚悟を決めていた。
「…ああ、任せる」
ゲンドウはいつものポーズで頷いた。
実は誰も気づいていないが、使徒侵入のドサクサの中、とある人物が発令所からその姿を消していた。
バレバレではあるが…。
〜地上・初号機サイド〜
エントリープラグ内のウインドウ画面には、ネルフ本部の惨状が刻々と中継されていた。
初号機は起動しておらず、内部電源もゼロであったが、何故かその辺の電力は賄われていたようである。
いつのまにか、LCLも循環していた。
送られてくる映像を見て、シンジ以外の二人(+二匹)は青くなっていた。
「くっ! 議論している場合じゃない! いいからさっさとそこを退けっ!」
使徒のジオ・フロント侵入という事実に、暫く茫然としていたダッシュであったが、ハッと我に返ると、焦ったかのように怒鳴り散らしていた。
ダッシュはシンジの腕を掴み上げようとするが、それは岩のようにビクともしなかった。
(な!? クソッ、何故動かないんだっ!?)
さらに力を込めてみるが、結果は同じだった。
ちなみにダッシュは、今、巨象をも簡単に捻り殺せるほどの怪力で、シンジの腕を掴んでいた。
だが、頭に血が上っているのか、ダッシュはそのことには気づいてはいないようである。
「クッ、もう一度言う。 退けっ!」
「やだ」
(くそっ、時間がない! こうなったら強引にシンクロしてやるっ!)
ダッシュは意を決して目を閉じた。
(──初号機! 死にたくなかったら、僕の命令に従うんだっ!)
ダッシュは勝手に初号機との直接シンクロを開始していた。
シンジは呆れ顔でそれを眺めている。
(…やれやれ、我ながら懲りない馬鹿だな。 ハッちゃん、コイツを痛めつけるのはいいけどさ、もう暫くは殺さないでやってくれるかな?)
シンジが初号機にお願いする。
暫くして、
「ぎゃおう!?」
唐突に、ダッシュが奇声を発した。
初号機からダッシュへ神経パルスが逆流したのだ。
所謂、精神汚染が始まっていた。
「ぐわああああーー!!」
突然、絶叫するダッシュ。
「やめろ、ヤメロ、止めろぉ〜〜!!」
ダッシュは頭を抱えて、そこいら中をゴロゴロとのたうち回っていた。
「お、おい! どうしたんだよ!? 大丈夫か!?」
状況が飲み込めないケンスケが、ダッシュの豹変ぶりに驚く。
シンジはそれに掌をヒラヒラさせて答えた。
「ああ、大丈夫だよ。 死にはしない……たぶん」
「たぶんって、お前…(汗)」
ケンスケの顔は引き攣っていた。
(しかし、ケンスケも相変わらずだね。 あの場所にいたってことは、きっとまたシェルターを抜け出してきたんだろうな…。 懲りないヤツだね、まったく)
シンジはそんな感想を抱いていたが、まさかこの少年が前回とは比べ物にならないほどの迷惑を掛け捲くっていた事実を、さすがのシンジも知る由はなかった(知ろうともしなかった)。
(この子が、シロの言っていたもう一人の"シンジ"…)
クロは、シートの下で苦しみもがいているダッシュを眺めながら(おい!)、物思いに耽っていた。
(銀髪に紅眼か…。確かに顔の造りはシンジに似ているんだけど…何か違う気がするのよねぇ…何かしら? 性格も横柄だし、何かこう、イメージが違うのよねぇ…)
クロは、ダッシュの顔をマジマジと見つめながら、そんな感想を漏らしていた。
どうやらダッシュに対しては、クロの母性本能は働かなかったようである。
…憐れ、ダッシュ。
〜ネルフ本部・第一発令所〜
発令所は騒然としていた。
《目標は第四層を通過、なおも降下中》
第四の使徒、シャムシエルは、アダム(実はリリス)の気配を辿って、途上にある一切の障害物を排除しながら、ゆっくりと降下を続けていた。
主モニタースクリーンには、その凶悪な姿とともに、惨たらしいまでの地獄絵図が映し出されていた。
無残なまでに破壊し尽くされた構造物。通路を塞ぐ瓦礫の山。だがそれだけではなかった。
千切れた手足。ひしゃげた頭部。割れた頭蓋から覗くピンク色の脳髄と黄色い脳漿。ドロリと飛び出した眼球。切断された胴体からはみ出したカラフルな内臓。そして辺り一面に広がる大量の赤い液体──血。
ネルフのベージュの制服を着用していることから、それらの物体、肉塊が元は人間であったことが辛うじてわかる。
そこは見渡す限り、同じような死体の山だったのだ。
五体満足な躯など、そこには一つとして存在してはいなかった。
呻き声を漏らす生存者らしき姿もモニターには映し出されていたが、…その下半身は数十トンはあろうかという巨大なコンクリートの塊に押し潰され、消えていた。
このような惨状は、ここだけの話ではなかった。
使徒の通った跡は、皆同様の被害を被っていたのだ。まさにペンペン草一本生えないほどにだ。
夥しい数の職員の命が、現在進行形で消えていたのだ。
発令所の職員たちは息を呑む。
免疫のある軍人とて、目を背けたくなるような映像なのである。
そのあまりの惨状に、思わずマヤは口許を押さえて蹲った。
「ダメです。リニアの電源は切れません」
シゲルが叫ぶ。
《目標は第五層を通過》
刻々と使徒の現在位置がアナウンスされる。
「セントラルドグマの全隔壁を緊急閉鎖。 少しでもいい。 時間を稼げ」
冬月が指示を飛ばす。
《全層緊急閉鎖。 総員退去! 総員退去!》
次々と閉じていく各ブロックの装甲シャッター。だが…、
「装甲隔壁、目標によって突破されています!」
シゲルが計器類を見ながら叫ぶ。
「目標は第二コキュートスを通過!」
マコトが振り向きざま、叫ぶ。
「如何なる方法をもってしても、目標のターミナルドグマ侵入を阻止しろ」
ゲンドウはポーカーフェイスのまま指示を飛ばす。
だがこの男、さすがに使徒を阻止できるなどとは思ってはいなかった。
これは、MAGI工作のための時間稼ぎであるのだ。
その作業はリツコに一任していた。
「目標、メインシャフトを降下中!!」
使徒は、途上にある施設、構造物は、その長い光のムチで徹底的に破壊し捲くっていた。
まるで地上での鬱憤を晴らすかのように、だ。
そしてその結果、夥しい数の職員がその命を散らせていった。
《目標、セントラルドグマ最下層に到達》
《目標、ターミナルドグマまで、あと20、18、16…》
状況が刻々とアナウンスされる。
オペレーターの席のホログラム・ディスプレイには、セントラルドグマを抜けてターミナルドグマへと達しようとしている光点、使徒を示すマーカーが点滅していた。
そしてそのマーカーがターミナルドグマへと突入した瞬間、今まで主モニターのスクリーンに映し出されていた使徒の姿が突然モニターできなくなった。
ザーッというサンドストーム…。
機密保持のため、MAGIがその目を閉じたのだ。ゲンドウの目論見どおりに…。
司令席では、鬚面の男がニヤリとほくそ笑んでいた。
使徒がメインシャフトを抜けると、そこは塩の柱が乱立する地の底、紅い天井と紅い海を湛えた広大な空間であった。
この場所は、黒き月、リリスの卵とも呼ばれる内径13.75キロメートルに及ぶジオ・フロント、その中心であった。
巨大な水柱を上げて、第四使徒シャムシエルの巨体がターミナルドグマの最下層へと着水する。
彼の目指すアダム(リリス)は、もうすぐそこであった。
「目標、ヘブンズドアを突破しました…」
マコトが茫然とした表情で報告する。
「…ついに辿り着いたのね、使徒が」
リツコは下唇を噛み締めた。
発令所からはモニターできなかったが、まさにシャムシエルの目の前には、七つ目の白い巨人が赤い十字架に磔にされていたのだ。
シャムシエルはその身を起こすと、その巨人と対峙した。
(──ここまでか)
リツコは観念し、背後の冬月とアイコンタクトをとると、本部の自爆作動プログラムを作動させた。
もちろんそれは、ギリギリのところでホールド状態となるのだが、トップ3以外はそれを知らなかった。
職員たちは、それを息を呑んで見つめていた。
死へのカウントダウン。
誰もが自分の死を覚悟していた。ギュッと目を閉じる。だが、──
ビーービーービーー
突如として鳴り響くアラーム音。
「そんな…どういうことよ?」
リツコが愕然とした声を漏らしていた。
その声に、周りの面々も顔を上げる。
ほとんどの職員は俯いて最期のときを待っていたため、すぐには状況が飲み込めずにいたようである。
正面の主モニターの画面を見ると、MAGIの提訴決議ボードが表示されていた。
そしてそこには「否決」という表示。
──そう、MAGIは、自爆提訴を全会一致で否決していたのだ。
茫然とするリツコ…。
無論、最終的には自爆は中止になるのだが、それでも対外向けのポーズとして自爆決議までは進むハズだった。それが司令の急造シナリオ。
(まさか…母さんが拒絶したというの!? そんな、何故!?…)
リツコは予想外の事態に頭を抱えた。
司令席の二人は、言葉を失っていた。
(どういうことなのだ? 何故MAGIが本部の自爆を拒否するのだ?)
冬月はア然としていた。
思わず隣に座る男に目線で救いを求めるが、この男は何も答えない。
「……」
(何が起こっているというのだ?)
ゲンドウはシナリオにない出来事の連続に、些か頭を痛めていた。
「何も…起きないですね…」
いつまで経っても、自爆も、サード・インパクトすらも起きない様子に、半ベソを掻いたマヤは、涙声でリツコへと訊ねた。
覚悟しているとはいえ、死ぬのは誰だって怖いのだ。特にマヤのような若い娘には尚更であった。
さて、ここはターミナルドグマの最下層。
シャムシエルはというと、何をするでもなく、未だアダムと思われる白い巨人をジッと見つめていた。
時折、光のムチで、相手の体をツンツンしているが、それ以外に主だった動きはなかった。
傍から見れば、時折、首を傾げているようにさえ見える。
どうやら、まだバレてはいないようであった。 …だが、時間の問題であろう。
《あの〜、そろそろ次の指示をお願いしたいんですけど〜?》
突然、能天気な声が発令所のスピーカーから聞こえてきた。
初号機のシンジからだった。
どうやら、あれからもう何十分も放置プレイを余儀なくされていたらしい。
尤も、発令所の様子などは、一部始終をモニターしていたので、退屈はしなかったようであるが…。
「あ、…ゴメンなさい。 ちょっと立て込んでいたものだから」
リツコは恐縮する。
(…すっかり忘れていたわね)
冷や汗を掻くリツコ。
使徒のジオ・フロント侵入で、それどころではなかったのだ。
《いいですけどね、別に──ん、あれ? そういえば、あのネルフ御自慢の、すこぶる有能で(一部男性からの)人望も厚い作戦部長様はどうしたんですか?》
おやとばかりに、シンジが疑問の声を上げた。
無論、わかってて言っているのである。その顔は幾分ニヤけていた。
「え?」
そこで初めて気がついたようだ。リツコは慌てて辺りを見渡したが、親友の姿はどこにもなかった。
ミサトは、いつの間にか発令所からその姿を消していたのだ。
「ミサト、一体どこに? …まさか!!」
何か心当たりがあるのか、リツコは眼前の男へと指示を飛ばした。
「日向二尉、ミサトの現在位置はわかるかしら?」
「は? 葛城さんの現在位置、ですか?」
そこでようやくマコトも、己の想い人がその場にいないことに気がつく。
「あ、はい。 少し待って下さい…(葛城さん、どこに行ったんだろう? トイレかな?)」
あまり深くは考えずに、マコトは自席のキーボードに指を走らせる。
ネルフの職員が所持を義務付けられている携帯電話には強力な発信機が仕込まれており、MAGIを使えばその所在など一発でわかるのだ。
「えーと……あれっ!? ネルフ本部にいない!? そんな、なんで!?」
マコトは思わず素っ頓狂な声を上げていた。
その声に、リツコは深く嘆息する。
「ふう、やっぱりね…。 ──青葉二尉、GPSからミサトの車の現在位置を割り出して。 それから位置データをサーチ衛星に回してちょうだい」
「え? あ、はい。 了解しました(…車? どういうことッスか?)」
状況がイマイチ掴めないながらも、シゲルは言われたとおりのことをこなした。
暫くして、主モニターの大スクリーンに、上空から見下ろしたどこかの道路の様子が映し出されていた。
遠隔操作でカメラをズームアップさせると、そこには車道を爆走する青い車の姿がハッキリと映っていた。
高高度の衛星軌道上から撮影している映像のため、解像度は落ちるが、それは紛れもなくミサトの車、アルピーノ・ルノーA310であった。
(((((……)))))
この期に及んで、発令所の職員たちは、その意味を完全に理解した。
──このミサトという女、仲間を見捨てて、自分一人だけ沈没船からスタコラサッサと逃げ出していたのだ。
「…現在、目標は箱根新道から小田原厚木道路に入り、時速200キロで旧東京方面に向かって疾走しています。 今、酒匂川を越えました…」
色を失い、茫然とした面持ちで、刻々と状況を報告するシゲル。些か信じられないという表情だ。
ミサトはというと、必死こいて逃げていた。恥も外聞もなく逃げていた。世界が救われても、自分が死んだら意味がないのだ。
「──ミサト、貴女…」
リツコは頭を抱えた。
あまりのことに、フラフラとよろめく。
(まさか…まさか、本当に逃げ出すなんて…)
いくら何でも、本当に逃げ出すとは、夢にも思わなかったのだ。
もはや茫然自失のリツコ…。
(そんな、葛城さん…)
マコトなんか、涙目でモニターを食い入るように見つめている。かなりのショックを受けているようだ。
捨て石にされた発令所の面々はというと、あんぐりと口を開けたまま、石のように固まっていた。
それは、使徒侵攻中という現実さえ霞んでしまうほどの衝撃、激震であったのだ。
──葛城ミサトはこの日、伝説となった。
「…利敵行為のオンパレードの挙句、危なくなったら自分一人だけ、すたこらさっさと敵前逃亡とは…呆れるばかりだな」
冬月はもう笑うしかなかった。
彼女の無能さは身に染みていたが、よもやここまでのレベルだとは思ってもみなかったのだ。
冬月の予想すら遥かに超えていたのだ。
「……」
冬月の隣で沈黙を守り続けるゲンドウ。
その表情が見えないため、平然と構えているようにさえ見える。
だが、そのサングラスの奥では目の焦点が合ってはいなかった。
この男も、あまりの現実に放心していたのだ。
《あのぉ〜、もしも〜し、聞こえてますか〜? 放置プレイはもう勘弁して下さいよ〜》
初号機のシンジが間の抜けた声で呼び掛ける。
「…あ、ゴメンなさいね。 また少し立て込んでいたものだから」
リツコがモニター越しに謝る。まだ少し顔色が優れない。
《…で、ネルフ御自慢の、ついでに言えばそこのメガネの男性御推奨であるところの、とても有能だという作戦部長様は、結局どうしたんですか?》
シンジがニヤニヤしながら再び訊ねる。
勿論、故意犯だ。わかっててやっている。
「ぐっ…」
マコトは言葉に詰まる。まったくもって反論できなかった。
代わってリツコが、目を逸らしたまま、気まずそうにポツリと答えた。
「ミサトは…逃げたわ」
《はい?》
シンジは耳に手を当てて、大仰におどけて見せた。
「だからっ!! 彼女、死ぬのはイヤって、自分一人だけ逃げ出しちゃったのよっ!!」
リツコは当り散らすように怒鳴った。
だいぶ溜まっていたようである。
《なっ!? うっ…ミサトさんが…逃げたって…それはどういう…ことです…か!?》
横からダッシュが、モゾモゾと画面の前へと割り込んできた。
先刻、初号機の精神攻撃を食らって気を失っていたダッシュであったが、どうやら目を覚ましたらしい。
だがまだ顔色が悪く、グッタリとしていた。
「…言葉どおりよ」
リツコは冷めた目で吐き捨てた。
(!? …そんな…ミサトさんが逃げた!? …馬鹿な…あり得ないよ…何か考えがあってのことなのか?)
まだガンガン痛む頭で必死に考えるダッシュ…。
(だー、鬱陶しいなー、もー)
シンジはもたれ掛かるダッシュを、邪魔とばかりにポイッと脇に退かすと、再びリツコと会話を始めた。
《それって敵前逃亡、脱走兵って言うんじゃないんですか?》
「…そうね」
《なるほど、僕に偉そうなことを仰ってましたけど、そうか、あれって御自分のことを言ってたんですね〜♪》
シンジは得心がいったのか、ポンと手を打った。
「…面目次第もないわね」
苦々しげに、うな垂れるリツコ…。
リツコには、勿論シンジが皮肉を言っていることはわかってはいたが、返す言葉がなかったのだ。
ただただ、親友の愚行に恥じ入るばかりであった。
そもそも「自分一人が助かればそれで良いっていうわけ!? 貴方、最低よ! 恥を知りなさい!」と年端も行かぬ少年を罵倒した当の本人が、その舌の根も乾かぬうちに、真っ先に逃げ出したのだ。最低どころの話ではない。
シンジの厭味の言葉は、なおも続いていた。
《あれでネルフでは有能っていうんですから、いわんや一般職員の方は相当なモンなんでしょうね? 大丈夫なんですか、そんなんで? ──僕、ネルフの職員って、もの凄いエリートで頭も良くて立派な方たちだって思ってましたけど…違ったんですねぇ。 ちょっと幻滅ですよ。 …あ、ひょっとして、小学生の学力でも入れる組織なんですかね、ココ?》
シンジの毒舌は冴え捲くっていた。
(((((……)))))
「…み、耳が痛いわね」
リツコは顔を引き攣らせていが、返す言葉はなかった。
《確かネルフって国連組織だから、その軍規は国連軍と同じだと思いましたが?》
「そうね」
素直に相槌を打つリツコ。
シンジはニヤリと口許を歪めた。
《脱走、特に敵前逃亡って…確か、銃殺刑でしたよね♪》
ニヤニヤ顔のシンジ。もう楽しくて仕方がないようである。
彼の言うとおり、脱走の中でも敵前逃亡の罪は重く、銃殺刑であった。
元々はそこまで重いものではなかったのだが、セカンド・インパクト後の混迷の中で再編成された現在の国連軍では、軍規違反は概ね厳罰化され、敵前逃亡のみならず、脱走の刑罰は極刑とすることが条文化されていたのだ。
当然、後発のネルフの軍規でもそうなっていた。
「……」
リツコは何も言えなかった。少年の言っていることは正しかったのだから。
しかも彼女の不始末、罪状は、これだけではない。
ミサトがいくらネルフとゼーレに手厚く保護されている身とはいえ、さすがに庇いきれるものではなかった。
少なくともリツコはそう思っていた。
自業自得とはいえ、リツコは親友の身を案じ、嘆いた。
──このときのリツコは知らないが、今回のミサトの愚行の一部始終は、外部にダダ漏れであった。
内外のミサト包囲網により、その命運はまさに、風前の灯火であったのだ。
勿論それは、人類そのものが生き残ることが出来ればの話ではあるのだが…。
《いやー、楽しみだなー、処刑♪ そのときは、是非僕も呼んでくださいね?》
シンジは心底楽しそうに言った。
「っ! シンジ君、それはちょっと不謹慎じゃないのかい?」
堪らずマコトが口を出す。
本人は良識ある大人としてシンジの失言を窘めたつもりであったが、それはミサトへの恋慕の情から出た行動であることは傍目にも明らかであった。
まったくもって懲りない男だった。
(マコト…お前、まだ…)
シゲルは、これ以上ないってくらいの憐れみの目線を向けていた。
《……》
シンジは何も答えない。
だがその表情を見ると、呆れ顔でニヤニヤしていた。
明らかにそれは、マコトを小馬鹿にした態度であった。
(……)
だが逆にマコトはグッと押し黙ってしまった。
勿論、内心穏やかではなかったが、食って掛かろうにも、衆目がありすぎたのだ。
ひと回りも歳の違う子供にそういった態度を取られることは、ある意味、言葉以上に屈辱であった。
シンジが改めて口を開いた。
《それじゃあ、勝手にやらせてもらって良いんですよね?》
指揮官であるミサトが不在なのだからと、シンジが話を持ち出した。
尤も、今さら代わりの人物の指揮下に入れと言われても、首を縦に振るつもりなどシンジにはなかったが…。
「あ、でもねシンジ君。 …肝心の初号機が動かないのよ?」
ここでマヤが初めて口を挟んできた。そして申し訳なさそうに告げていた。
《初号機を動かせれば良いんですね?》
そう言うとシンジは、シートの後ろを振り向き、ニッコリと笑った。
《──という訳だ。 二人ともここから降りてくれる?》
「あ」
「…なるほど、最初からあの二人を降ろせば良かったんですよね」
ポンと手を打つマヤ。
あまりに灯台下暗しの方法に、リツコもマヤも目からウロコが落ちていた。
だいぶ冷や汗を掻いてはいたが…。
さて、初号機のエントリープラグの中はというと、また一悶着が起きていた。
「えぇー、やだよぉ〜」
ケンスケは全身で駄々を捏ねていた。
彼の心理としては、せっかく念願のエヴァに乗れたのだから、まだまだ堪能していたかったのだ。
それにまだ、自分が乗るこのエヴァの戦いというものを見てはいなかった。
何より、うまくネルフにアピールしてエヴァのパイロットにしてもらうという企みを、未だ果たしてはいなかったのだ。
故に、何が何でも降りるわけにはいかなかったのだ。 …何てわがままな子供だろう。
「ちょっとお前さー、何の権利があってこんなことするわけー?」
シンジが彼の肩を掴んで引き寄せようとすると、ケンスケは踏ん張って必死に抵抗する。
逆ギレして、わけのわからないことを喚いていた。
「ハァ…お願いだから、言うことを聞いてよ」
さすがのシンジも手を焼いていた。
「おい! 今すぐこの手を退けないと、またトウジに殴ってもらうからなー!」
挙句の果てに、とんでもないことまで言い出す始末。
「……」
(ケンスケ…他人の褌で脅すなよ。 ちょっと情けないぞ?)
シンジは元親友の態度に呆れていた。
だが、このままでは埒が明かない。
シンジは心を鬼にすると、ケンスケの体を持ち上げた。
「んなっ!? 放せ、こいつ〜!! すぐに止めないと、お前なんかパパに言いつけてクビにしてやるからなっ!!」
ケンスケがギャーギャー喚き散らしながら、シンジの頭上で暴れる。
(だから、人の褌で相撲を取るなってーの!)
シンジは、ヤレヤレとばかりに、かぶりを振った。
ちなみにプラグ内の様子はというと、ネルフの発令所にも筒抜けであった。
いずれケンスケの父親にも知れ渡ることだろう。 …生きていればの話ではあるが。
「ゲホッ、ゲホッ──!? た、高いっ!!」
肺に溜まったLCLを吐き戻し、ケンスケが気づくと、そこはすでにエントリープラグの外だった。
地面からは10メートルくらいの高さがあるだろうか。恐らく、見た目にはもっと高く感じているだろう。
「ま、まさか…ここから落とす…とか?」
途端にヒクヒクと顔を引き攣らせるケンスケ。
「うん♪ 下の地面は使徒が深く柔らかく耕してくれたから(たぶん)大丈夫だよ」
シンジはニコニコしながら答える。所詮は他人事だ。
「や、やめろおおーー!!」
ケンスケが絶叫し、さらにジタバタと暴れ出す。冗談ではないのだ。
だがシンジは、有無を言わさず、ケンスケをそこからポイッと放り投げた。
「ぎょえええぇぇ〜〜〜〜〜!! ぐえっ!!」
「さて、次は君の番だね」
シンジはプラグの中に戻ると、ダッシュの肩を掴んだ。
「…お前なら使徒を倒せるというのか?」
ダッシュが不穏に睨む。
「ま、楽勝かな」
「…なら、僕はここに残る。 なに、大丈夫だ。 お前のシンクロの邪魔はしない」
銀髪の少年はとんでもないことを言い出していた。
(ふん…。 ここでお前の戦いぶりを見せてもらう。 そして化けの皮を剥いでやるっ!)
どうやら内心では、不埒なことを考えているようだ。
「だあーっ! 十分邪魔なんだよっ!」
シンジはそう叫ぶと、有無を言わさずダッシュの体を担ぎ上げた。
「な、何を!?」
そしてそのまま、俵投げでプラグ外へと放り出してしまった。
「う、うわあああぁぁ〜〜〜〜〜!! ぐぎゃっ!!」
…おい、何かカエルが潰れたような声がしたぞ?
「あ、勢いあまって境内の石畳のほうに投げちゃった♪ …ま、まあ、アイツなら大丈夫だよね?」
ペロッと舌を出すシンジ。
下半身スッポンポンで放り出されたダッシュの運命は如何に?
「初号機、再エントリーします」
発令所にマヤの声が通る。
「LCL電化」
考えてみれば、電源もないのに、よく動くものだ。
ネルフの面々は、その辺の疑問は今は棚上げしているのか、誰も何も言わない。
今のシンジ、初号機は、パンドラの箱から出てきた人類にとっての最後の希望であるのだ。
誰もが固唾を飲んで起動シーケンスを見守っていた。少々の矛盾には目を瞑って。
「パイロット接合開始」
「ボーダーライン、クリア」
「初号機、再起動を確認しました。 シンクロ率19.19パーセント。 異常ありません」
(…相変わらず、この数値か。 一定しているというのかしら?)
疑問は感じつつも、リツコはモニター越しのシンジに指示を出す。
「シンジ君? 今、20番ゲートを開けたわ。 そこからだと左に500メートルくらい行ったところよ。 そこからジオ・フロントに進入。 使徒を追尾してちょうだい」
《了解了解♪》
そのとき、歴史が動いた!(おい)
《クルクルバビンチョパペッピポ〜♪──》
突然、発令所のスピーカーから、意味不明なBGMが流れ出した。
「何!? 一体何が起こったの!?」
リツコが騒ぐ。
──それは狂宴の始まりであった。
次の瞬間、発令所正面、主モニターのスクリーンが、別の映像へと切り替わっていた。
そこには愛嬌のあるピンクのぬいぐるみが映し出されていた。
「…どこかで見たことがあるな」
冬月はどこか懐かしさを感じていた。
「…ああ」
ゲンドウも同様らしかった。この年代には、相通ずるものがあるらしい。
暫くして、主モニターには次のテロップが表示されていた。
【はじめて物語 第一部 〜大学生バカップル編〜】
(何よこれ? 何かの子供番組?)
リツコは首を傾げる。
「マヤ、配信元はわかるかしら?」
「いえ、ダメです! どうもMAGIが勝手に流しているみたいなんです!」
「MAGIが!? どういうことよ!?」
リツコは我が耳を疑った。
MAGIの意思はネルフのそれと同義である。
そのMAGIがネルフの手を離れて勝手に振舞うなど、ただ事ではないのだ。
だがリツコの驚きは、これで終わりではなかった。
突然、マヤが慌てたように叫んだ。
「せ、先輩っ! 大変です! MAGIがこの映像を、全世界に配信してます!!」
「「「「「!!!」」」」」
「何ですってぇー!?」
リツコは思わず大声を張り上げた。
マヤはなおも報告を続ける。
「しかも変なんです。 どうも、ネルフ本部施設の全フロアと、市内の全避難シェルターに優先的に配信されているみたいなんですぅ!!」
「「「「「???」」」」」
(…どういうことよ? それに一体何の意味があるというの?)
リツコは暫く思案に暮れていたが、ハッと我を取り戻すと、マヤに指示を出した。
「至急、回線を切断して!!」
「だ、ダメです!! ディスコネクト不可能です!!」
マヤが悲痛に叫ぶ。
(そんな…まさか、あのときと同じなの!?)
リツコは先日の、第一次MAGIの乱のことを思い返していた。
正解である。
この事件は、後日、第二次MAGIの乱と呼ばれることになるのだ。
前回以上の衝撃と共に(ニヤリ)。
暫くして映像に変化があった。
主モニターの大スクリーンには、どこか見知らぬ部屋が映し出されていた。
先程までのお気楽なアニメ風のテロップ画面と違って、実写映像のようである。
そこに映し出されていたのは、──狭い和室であった。
変色しきった畳。ミカン箱の上の14型テレビ。卓上扇風機に、万年布団等々──
一昔前の貧乏学生の下宿部屋という雰囲気である。
「…何よこれ? 一体何が始まるというの?」
リツコには予想もつかなかった。
それは発令所にいる職員全員が、同じ思いだった。
皆、使徒侵攻中ということも忘れて、映像に見入っていた。 …いいのか、それで?
突然、画面が大きく揺れたかと思うと、一人の男の顔がアップで現れた。
そこにはビデオカメラをセッティングしているらしき若い男の姿が映し出されていた。
それはリツコもよく知った顔であった。
「か、加持君!?」
思わず声に出して驚くリツコ。
タレ目のニヤけた顔。
トレードマークでもある後ろ髪のテイルや無精鬚はなく、顔の造りも随分と若い。
だが、それは紛れもなく、加持リョウジ、その人であったのだ。
(何で、…加持君が出てくるのよ?)
リツコは益々訳がわからなくなっていた。
映像の中では、加持本人がガチャガチャと何かの準備をしているようだった。
だが、カメラに映るその顔は、終始ニヤけていた。
《録画準備オッケー♪》
スクリーンの中の加持が嬉しそうに叫んだ。
ちょうどそのとき、
コンコンコン──
誰かが玄関のドアをノックする音が聞こえてきた。
《お、来た来た来た♪》
加持は嬉々として立ち上がると、画面の外へとすっ飛んでいった。
暫くして、
「ミ、ミサト!?」
「葛城さん!?」
ドアの開く音の後に、スクリーンに現れたのは、これまたリツコの、ついでに言えば発令所の誰もがよく知る人物だったのだ。
(…わ、若い。 それにこのファッション、…大学時代のものだわ)
リツコは息を呑んだ。
《いやー、ゴミンゴミン、ちょっち遅れちゃってさー》
画面の中のミサトは、手を合わせて加持に謝る。
《いや、全然大丈夫さ》
加持はニヒルにそう言うや否や、いきなりミサトを布団の上に押し倒した。
「「「「「!!!!」」」」」
発令所の面々は、いきなりの展開に面食らっている。
《いや〜ん♪ 加持君ったら、せっかちなんだからぁ〜〜》
《フフフ…》
ジャレつく二人…。極甘の雰囲気…。見ているこっちが恥ずかしい。
暫くして動きがあった。
《…本当にいいんだな?》
いつになく真剣な表情で囁き掛ける加持…。
《うん。 …アタシのはじめて、加持君に、あ・げ・る》
ミサトはそう言うと、人差し指を加持の唇に添えた。
ガバッ!
加持が堪えきれずにミサトに圧し掛かる。そしてディープキス。
「こ、こここ、これって…」
リツコは冷や汗をダラダラと流す。その顔は引き攣っている。
(まさかあの…)
ピンポーン♪
そう、──これはミサトと加持の"大学休んで一週間お篭り"事件、その記念すべき初日の映像であったのだ。
加持は慣れた手つきでスルスルとミサトの服を脱がしていく。
発令所に響く布擦れの艶かしい音…。
ゴクリ
どこからともなく聞こえる固唾を飲み込む音。
発令所の面々(主に男性職員)は、映像を食い入るように見入っていた。
使徒侵攻中だというのに、仕事そっち除けでスクリーンを凝視していたのだ。手は完全に止まっていた。
スクリーンの中のミサトは、ついに全裸となっていた。
《さて、…ご開帳だ♪》
加持のひどくニヤついた声が、発令所内に響く。
ゴクリ
再び、どこからともなく聞こえた固唾を飲み込む音。
映像ではグイーッとばかりに、ミサトの脚が大股開きにされていた。
その様子が、主モニタースクリーンの大画面に、どアップで映し出された。勿論、モザイクなしの無修正だ。
「「「「「(うおおおお〜〜!!)」」」」」
「「「「「(すげえええ〜〜!!)」」」」」
「「「「「(モロだぜえ〜〜!!)」」」」」
「「「「「(真っ黒〜〜!!)」」」」」
あちらこちらから、男性職員の、声を押し殺した歓声が上がっていた。
(……)
リツコはあまりのことに言葉も出ない。
彼女は、スクリーンの中の親友の痴態を見つめながら、ただ放心していた。
もし、この場に当事者(つまりミサト)がいたら、今頃は狂ったように暴れ出していただろう。
見るな見るなと、その辺の職員を張り倒していたかも知れない。泣いたかもしれない。
それどころか、主モニターに銃弾を撃ち込んで証拠隠滅を図っていたかも知れない。いや、十分にあり得る話だった。
だが、ミサトはここにはいなかった。
制止する人間は誰もいないのだ。
発令所の全員が、いやネルフ本部の全職員が、その映像に釘付けであったのだ。
マコトなんか、鼻血を押さえながらも、その血走った目をスクリーンから離せないでいた。
見ると、映像の中では、加持がミサトの股間に顔を埋めて必死に何か(ペロペロ)をしており、ミサトの喘ぎ声が発令所中に響き渡っていた。
(…無様ね)
リツコは他人事のように感想を漏らす。
暫くして、スクリーンに加持の怒濤の下半身が映し出されると、辺りから、引っ込めえ〜〜とか、いや〜〜とかの怒声と黄色い悲鳴が飛び交っていた。
(…ミサトが知ったら、一体どうなるのかしらね?)
リツコは、今ここにはいない親友のその後の生活を憂慮しつつも、少し意地悪な好奇心が頭を擡げていた。
実を言うと、この映像は、昔、加持がミサトには内緒で撮影したものであったのだ。所謂、盗撮である。
そもそも加持がミサトに近づいたのは、彼女がゼーレの関係者であるという情報を耳にしたからである。
この時分の加持はすでに、セカンド・インパクトの真相を追って暗躍していたのだ。
そのために加持はミサトをコマシたのだが、役得とばかりに、ビデオ撮影して、小遣い稼ぎに業者に売りつけるつもりであったのだ。
事実、この加持という男は、他にもナンパした女の子のビデオを売っていたのだ。
初めは良心の呵責もあったらしいが、思いのほかカネになるらしく、回数を重ねるうちに、その罪悪感は薄れていったらしい。
実際、このときのビデオも、一度売り払ったのだが、暫くミサトと交際するうちに情に絆され、また体の相性も良かったため、後日、慌ててマスターテープを業者から買い戻していたのだ。
だが、すでに極秘にコピーが取られていたのだ。
幸い、市場には出回ることはなかったが、業者のPC内のライブラリーにそのまま眠っていたようである。
どうやらそれを、散策中のMAGIが偶然見つけていたらしい。
スクリーンを見ると、映像はすでに佳境に入っており、渦中の二人はスッポンポンで絡み合っていた。
発令所内には、嬌声と摩擦音が繰り返し響いていた。大音量で。
「ふけつ、ふけつ、ふけつ…」
マヤは、両手で耳を塞いで俯き、ブツブツと呟いていた。
(そんな…葛城さん)
ミサトのあまりの乱れように、マコトはショックを受けていたが、画面からは目を離せないでいた。
〜同時刻、初号機サイド〜
当然、この映像は初号機のエントリープラグ内にも配信されていた。
『シ、シンジ!! こんなの見ちゃいけません!!』
クロは慌ててウインドウ画面の前に出ると、その小さな手足をジタバタさせて必死に隠そうとする。
クロにしてみれば、良識ある母親としての当然の行動であった。
少なくとも中学生が見て良いような映像ではないのだ。
いや、これはもう18禁どころか、裏ビデオそのものであったのだ。
だがシンジは、涼しい顔をして答えた。
「いや、…すでに見たことあるし、今さらだと思うけどねぇ〜」
『!?』
シンジはこの過去の世界に戻る際に、その記憶に制限を掛けていた。
必要に応じて、その都度引き出せるようにしていたのだ。
何故、そんなまどろっこしいことをするのか、その本当の理由はわからない。
だが、ゲンドウとミサト、そしてゼーレの老人たちの人生に限っては、すべてをトレースしており、その記憶に一切の制限を掛けてはいなかった。
つまり、今のシンジは、本人以上に彼らの人生を知り尽くしていると言っても、過言ではなかったのだ。
『前回のサキエルのときもそうだけどさ、…これって、君がやっているの?』
シロが訊ねた。ウインドウ画面の様子が気になるのか、さっきから目線が挙動不審だ。 …♀なのに。
シンジは少し考えたあと、答えた。
「んー、確かに指示したのは僕なんだけどさ。 何をやるかはMAGI、とりわけCASPER(カスパー)任せだよ。 僕はその辺のことにはノータッチなんだ。 前回も今回も、そしてこれからもね」
『これをMAGIがやっているっていうの!?』
シロは驚いている。
「うん。 僕が初号機を起動させたら、それをトリガーにして、好き勝手なことをやってもいいよって、MAGIには予め言ってあるんだ。 だって、そのほうが面白そうだったからね。 当然、何をやるかまでは僕にもわからないよ。 MAGIのみぞ知るってやつだね」
シンジは続ける。
「しっかし、赤木ナオコって女も、茶目っ気があるねぇー。 なかなか愉快だよ。 うん、任せてよかった」
シンジは満足そうに微笑んだ。
『赤木ナオコ?』
初出の固有名詞に、シロが訊き返す。
「赤木リツコの死んだ母親だよ。 満足な子育てもせず、キャリアと情欲にのめり込んだ愚かな女さ。 ──ま、そもそもネルフの大人に、まともな親なんていないんだけどね」
シンジは冷めたように吐き捨てる。
そのとき横から驚いたような声が上がった。
『え!? ナオコさん、死んじゃったの!?』
クロだった。
どうやら知らなかったようである。
まあ、彼女が死んだのは、クロが初号機に取り込まれた後のことだから、仕方がないことではあるが…。
「うん、死んだよ。 一応は自殺。 愛憎の果てのね」
『一応!? 自殺!? 愛憎!?』
クロは目を丸くして驚いている。
「フフフ」
シンジは意味深な笑いをこぼして、それ以上はお茶を濁した。
『でも、そのナオコって人とMAGIにどんな関係があるのさ?』
シロが訊ねる。
彼には両者の関連性がわからなかったのだ。
シンジはふむと呟くと、徐に口を開いた。
「第七世代の有機スーパーコンピューターであるMAGIシリーズには、個人の人格を移植して思考させる、所謂、"人格移植オペレーティング・システム"が搭載されているんだよ。 ネルフ本部にあるMAGIオリジナルには、開発者である"赤木ナオコ"の人格が移植されているんだ。 MELCHIOR(メルキオール)には科学者、BALTHASAR(バルタザール)には母親、そしてCASPER(カスパー)には女としての人格がね」
一つ一つ、ゆっくりと説明するシンジ。
『それって、MAGIにその人の魂が宿っているってことなの?』
「んーん、違うよ。 あくまで生前の彼女の人格をコピーした電気信号の集積にすぎないからね。 それは【魂】とは言わないと思うよ(…まあ、便宜上、擬似的な【魂】は与えたけどさ)」
「お、ここだね」
シンジのその声にシロが顔を上げると、目の前には彼もよく知る第壱中学校の校舎が見えていた。
見ると、付近の峠に人工的な建造物がその姿を現していた。どうやら20番ゲートのようである。
初号機は、山腹に設けられたそのゲートの入口を見つけると中に入り、リフトに乗ってジオ・フロントへと降下し始めた。
〜再び、ネルフ本部・第一発令所〜
「本当に無様ね、ミサト」
リツコはこの場にいない親友を思い遣った。
(もう恥ずかしくて、ネルフ本部は歩けないわね。 まあ、本人がこの映像を生で見ていないことが唯一の救いかしら)
まさにネルフの全職員が、この猥褻映像を見ていたのだ。ちゃっかり録画を始めている者もいる。
だが、事態はこれだけでは収まらなかった。
第三新東京市の全市民が、この映像を視聴していたのだ。
全市民(一部の馬鹿を除いて)は、シェルターへと避難しているのだ。
そしてそこを狙ったかのように配信される猥褻映像──
考えるまでもない。
彼ら全員が、シェルターに設置されている巨大スクリーン、通称、オー□ラビジョンで、この裏ビデオの一部始終を強制的に見せられていたのだ。
それこそ老若男女を問わずに無差別にである。
そこにいるのは、何も大人だけではなかった。親子連れの子供もいるし、年頃の青少年だっていたのだ。
初め、何かの子供番組の上映サービスかと思っていたら、この映像である。
どのシェルターでも、上を下への大パニックに陥っていた。
目を血走らせ、興味津々にスクリーンに食らいつく男の子。
赤面して両手で顔を覆いながらも、指の隙間からジッと覗いている年頃の女の子。
それを必死に諌めようとする親や、一部の良識ある大人たち。
さもあらん。子供には刺激が強すぎるどころか、悪影響すら及ぼしかねない極めて有害な映像であったのだ。
これに比べたら、市井のエロ本など、文科省推薦図書に等しかった。
だが、多勢に無勢、それにスクリーンはあまりにも巨大だった。
電源を切ろうにも、その場所すらわからない。お手上げだった。
親にできることは、精々、幼い我が子の目を両手で塞ぐことぐらいだったのだ。
余談ではあるが、第壱中学校の関係者も、当然この破廉恥映像を見ていた。
ダッシュの保護者たるミサト…。どの面下げて、保護者面談に向かうのだろうか?
恐らくこの映像は、その性質上(?)、瞬く間に世界の隅々へと配信されるであろう。
(これでミサトと加持君は一躍有名人ね)
人事のように感想を漏らすリツコ。
だがリツコも人のことを心配している場合ではなかった。狂宴はまだ終わりではなかったのだ(ニヤリ)。
【はじめて物語 第二部 〜ある女科学者の散花編〜】
そんなテロップが発令所の主モニターに映し出されていた。そして、──
「せ、先輩!?」
今まで顔を伏せていたマヤが、ようやく破廉恥ビデオの映像が終わったかと思い、顔を上げてみると、──そこにはよく見知った人物の姿が映っていた。
それは、ケイジらしき場所で、初号機の姿を見上げている白衣姿のリツコであったのだ。
(先輩、若いですぅ〜)
マヤはポーッとしている。
確かに若い。25歳前後の頃だろうか。小皺も(まだ)ないようだ。
「何よこれ…」
当の本人は面食らって、茫然としている。
(それに、この映像って…まさか…まさか…)
どうやら心当たりがあるようだ。途端に、脂汗を掻き始めていた。
そのとき、映像に動きがあった。
《あら、碇司令? どうなされたんですか? こんな真夜中に?》
スクリーンの中のリツコが振り向いた先には、鬚面の男、碇ゲンドウが立っていた。
夜中というのに、ケイジの中は明るい。映像も鮮明で、毛穴さえもクッキリと見えるほどだ。
どうやら周りには、この二人以外、誰もいないようであった。
(やっぱり、これって…これって…)
リツコは、途端にキューッと下腹が痛くなった。顔面蒼白で、脂汗もどんどん流れていた。
彼女は大声で叫んだ。
「マヤっ!! 映像を切って!! 早く!!」
「え? さっきから何度も試してますけど──」
「っ!! 退きなさいっ!!」
時間がないとばかりにマヤを席から強引に退かすと、リツコはキーボードを凄まじい速さで叩き出した。
その姿は、鬼気迫るものがあった。
「ス、スゴイです、先輩〜」
何故リツコが慌てているのかはわからないが、マヤはリツコの本気のキーボード捌きに驚嘆していた。
(何故よ!? 何故これが表に出るのよ!? 厳重に封印してあったのにぃ〜〜!!)
リツコは焦りに焦り巻くっていた。こんなに焦ったのは生まれて初めてのことかも知れなかった。
(ああ〜〜間に合わない〜〜神様〜〜!!)
無神論者であるリツコも、思わず神に縋っていた。
主モニターを見ると、映像の中ではゲンドウがリツコの背後へとにじり寄っていた。
「いやっ!! 見ないでっ!! お願いっ!!」
突然、リツコが半狂乱となって喚き散らしていた。
(((((???)))))
発令所の面々は、何故リツコがこうも取り乱すのか、その理由がわからなかった。
「せ、先輩?」
マヤはリツコの豹変ぶりに泡を食っている。
いつもはクールな上司がここまで取り乱しているのだ。当然であろう。
「お願いっ!! 見ないでぇ〜!! 後生だから〜!!」
リツコはかぶりを振って、必死に哀願した。
だが、それは無理な注文だった。
仮に発令所の全員が目を瞑っても、ネルフ本部の他の施設にいる職員は、今もこの映像を見ているのだ。
それどころか、第三新東京市の全市民を含めて、世界中の人々の目に晒されているのだ。
すでにどうしようもなかったのだ。
そのとき映像に動きがあった。リツコにとっては絶望の始まりではあったが…。
《なっ!? 碇司令!? 何をなさるんですか!?》
モニターを見ると、ゲンドウはリツコの体を背後からガバッと羽交い締めにしていたのだ。
(((((!!!)))))
《フフフフ…》
不気味に笑い声を漏らすゲンドウ。
その顔は狂気に染まっていた。
《いやっ!! いやっ!! 止めてくださいっ!!》
ゲンドウのごつい手がリツコの着衣の中にすべり込み、彼女の体中をまさぐっていた。
それを必死に抵抗するリツコ。
《だ、だれかああ〜〜!!》
大声で助けを求めるリツコ。だが、──
バチーーン!
ゲンドウの平手打ちがリツコを襲っていた。
(((((!!!!)))))
《死にたくなかったら静かにしろ》
ゲンドウのドスの効いた声が木霊する。
そして痛みと恐怖からか途端に大人しくなる若き日のリツコ…。
赤く腫れた頬を手で押さえて、ガタガタと震えている。目の焦点さえ合ってはいなかった。
《ククク。 そうだ。 そのまま大人しくしていろ。 じきに天国を見せてやる。 クククク…》
ゲンドウはリツコを壁へと押し付けた。
「(おい…おい…まさかこれって…)」
「(ひでぇ…)」
「(嘘だろっ!?)」
発令所の誰もが青くなっていた。
《はあ、はあ、はあ、はあ…》
スピーカーからは、おぞましいゲンドウの吐息が聞こえる。
ゲンドウはビリビリとリツコの着衣を破き始めた。興奮しているのか、その目は血走り、だいぶ鼻息も荒い。
《だ、だめっ!!》
リツコは最後の抵抗をする。が、──
バチーーン、バチーーン!
再度、ゲンドウの平手打ちがリツコの顔面を襲っていた。
《大人しくしろっ!!》
さすがのリツコも、それでグッタリとなっていた。
ジィーーッ
ゲンドウは徐にズボンのファスナーを下げると、醜い下半身をベロンと出す。
《ククク、ウヒヒヒ…》
ゲンドウはそのままバックからリツコに圧し掛かった。
《いやあああああああ〜〜〜》
リツコの絶叫が辺り一面に響き渡った。
あまりの衝撃的な内容に、発令所は静まり返っていた。
聞こえるのは、スピーカーから流れるリツコの悲鳴と、ゲンドウのおぞましい鼻息ぐらいのものである。
この映像は、リツコがゲンドウからはじめて暴行を受けたときの記録であった。
当時のリツコは、このときのケイジの監視映像を秘密裏に入手し、いつかゲンドウに対する切り札とするために、厳重な暗号化とプロテクトを掛けてMAGIの奥底に保管していたのだ。
尤も、今ではすっかりこの男にタラシ込まれて、完全にその存在を忘れていたのだが…。
ミイラ取りがミイラになってしまっていたのだ。
そして、その秘匿されたデータを、MAGIが見つけていたのだ。
ガタッ!──
「映像を切れっ!!」
突然、発令所の後方から大声が上がった。主演男優であるゲンドウである。
椅子から飛び上がると、顔を真っ赤にしてブルブルと震えていた。
「…諦めることだな。 赤木君があれだけ必死に頑張っても無理だったのだ。 不可能だよ」
冬月は横目で冷たく囁いた。侮蔑の表情で。
だが、ゲンドウはなおも諦めきれない様子であった。
どうもこの男、鬼畜行為は三度の飯より大好きであったが、それが暴露されるのは嫌なようだ。 …ま、当然ではあるが…。
「グッ! 全員目を閉じろっ!! 耳を塞げっ!! 急ぎこの場から退出しろっ!!」
ゲンドウは怒鳴り捲くった。
すでに冷静さを失っているようである。
「おい、無茶を言うなっ!! 今は使徒侵攻中だぞ!? それに、たとえネルフの職員の目と耳を塞いでも、この映像はリアルタイムで全世界に流れておる。 もう手遅れだ。 諦めろ!」
冬月は口を酸っぱくしてゲンドウを諌めた。
だがそれでもゲンドウは聞く耳を持たなかった。
彼にとっては、自分のプライドこそが何よりも大事だったのだ。
このゲンドウという男は、常日頃から当然のように他人を見下していたが、その他人から逆に見下されることには我慢ならなかったのだ。
馬鹿にするのはいいけど、されるのはイヤ──自己チューでわがまま。わかりやすい性格だった。
次の瞬間、ゲンドウは、とんでもないことを言い出していた。
「…Bダナン型防壁を展開しろ。 そうすれば外部との回線も切れるハズだ」
Bダナン型防壁。それは別名、第666プロテクトとも呼ばれるMAGIの自律防御プログラムである。
本プログラムが起動されると、62時間は外部との回線が遮断され、MAGIへの外部侵攻を不能とするのだ。
ゲンドウはこのプログラムの仕様を逆手にとって、内部からの情報漏れを遮断しようと考えたのだ。
その出鱈目な命令に、さすがの冬月も泡を食った。
「んなっ!? お前、正気か!? 老人たちが黙ってはいないぞ!! 間違いなくお前の解任動議が出るぞ!!」
「……」
「第一、赤木博士があの状態では、どのみちプロテクト作業などおぼつかんよ!」
冬月は吐き捨てる。
その冬月の視線の先には、虚ろな瞳をして床にペタンと尻餅をついているリツコの姿があった。
脱力しきって、心ここにあらずといった様子であった。
「ぬう…」
ゲンドウは酷く無念そうに押し黙った。
「…しかし、力ずくとは…お前、相変わらず最低だな」
冬月はモニターを見つめながら、呆れ顔で呟いていた。
スクリーンの中では、だらしない顔をしたゲンドウが、ヨダレを垂らしながら一心不乱に腰を振っていた。
(…まさか、ユイ君もこの手で落としたのではあるまいな?)
冬月は少し疑心暗鬼になっていた。
実を言うと、ゲンドウにとっては、レイプは別段珍しいことではなかった。
この男にとっては、女を服従させる手段がレイプであり、またそれしか思いつかなかったのだ。
唯一の例外が、彼の最愛の妻である碇ユイであった。
だからこの男にとっては、ユイは特別な存在であったのだ。
もっとも、ユイと一緒になった後も、この男のレイプ癖は治らなかったようである。
それどころか、権力を手中にしてからは、益々手が付けられなくなっていた。
ちなみに、現時点でのゲンドウの性犯罪の被害者の延べ人数は、軽く千人を超えていた。
中には訴えてやると息巻いた被害者もかなりいたようだが、そういった女性たちは何故か全員が例外なく行方不明になっていた。
「(うわ、最っ低…)」
「(これって犯罪だよな?)」
「(あの子の言ったとおり、うちの司令って本当にレイプ魔だったんだ)」
「(やりそうな顔してるしな)」
「(赤木博士が可哀想だよ)」
「(コレもまた戒厳令を敷いて揉み消すのかな?)」
「(多分な。 無駄な足掻きだろうけど)」
職員たちの白い目が司令席のゲンドウに集まる。
ゲンドウは、汚物を見るような無数の視線に、何とも居心地の悪さを感じていた。
そんな中、リツコにとって不幸中の唯一の救いは、レイプ被害者という位置づけで見られたことであろうか。
〜同時刻、初号機サイド〜
(はぁ…やっぱり父さんって、最低の下衆野郎だったんだ)
シロは呆れていた。だが、すでに見切りをつけていたので、さほどショックはない。
目を細めて汚物を見るような視線を、モニター越しのケダモノに向けていた。
片やクロは真っ青になって映像に見入っていた。信じられないという目だ。
(嘘よ嘘よ嘘よ、嘘よぉ〜〜!!)
クロの頭の中はグチャグチャに掻き乱れていた。
MAGIは、「はじめて物語」と題して、第一部ではミサトVS加持を、そして第二部ではリツコVSゲンドウの処女喪失シーンをオンエアしていた。
「カスパー(赤木ナオコ)もよくやるね」
シンジは感心しつつも、少し呆れていた。
なんせ、ゲンドウは愛人、リツコに至っては実の娘なのだ。
(もしかして、さっき僕が鬚のことをレイパー呼ばわりしたから、この映像を流したのかな? それとも娘への嫉妬? …まさかね?)
映像はまだ続いていた。すでに第二ラウンドに入っているようだ。
いつの間にかリツコの悲鳴には嬌声が混じるようになっていた。
その様子を見て、シンジが突然、苦しみ(?)出していた。
「クックックッ。 うひ〜苦しい〜。 勘弁してくれ〜」
シンジは腹を押さえてヒーヒー笑い転げていた。
『ど、どうしたのさ?』
突然壊れたシンジの様子に、シロが目を白黒させる。
シンジは息も絶え絶えに答えた。
「いやね…あいつら…実の親子同士で…よくやるなと思ってさ…クックックッ」
((!!!!))
『それはどういうことよっ!?』
これにはクロが食って掛かった。さすがに聞き捨てならなかったのだ。
シンジはクロのほうを振り向くと、キッパリ言い放った。
「どういうことも何も──赤木リツコの父親は、碇ゲンドウだよ」
『ぬわんですってぇー!?』
クロが大声を張り上げた。
(そんな馬鹿なこと…だって歳が──)
また頭を悩ませ始めたクロ…。
シンジは、数回深呼吸して落ち着くと、ゆっくりと話し始めた。
「鬚はね、まだ高校生の時分に、当時京大生で才媛と謳われた赤木ナオコに近づき、襲ったんだよ。 ある目的のためにね。 ヤツの頭の中では、女性を支配する唯一の方法=レイプだったからね。 赤木リツコはそのときに出来た子供さ。 当然、赤木ナオコは当初は産む気は無かったみたいだったけど、鬚に何度も犯されるうちに心変わりしたみたいだね」
『あ、ある目的って一体何よ?』
クロが質問をぶつける。
レイプの話を信じたわけではなかったが、それは取りあえずは保留したらしい。
シンジは意味深な微笑を見せると、ポツリと答えた。
「…ゼーレさ」
(!!!)
思ってもみなかった言葉に、クロは目を見開いて驚愕した。
気にせず、シンジは言葉を続ける。
「鬚の行動原理は単純明快さ──成り上がりたかったんだよ。 …孤児だったからねえ。 その辺の欲求は随分と強かったみたいだよ。 …尤も、ヤツが欲したのは、ちょっとした小銭や社会的地位とか、そんな生易しいものじゃなかったんだけどね」
途端にシンジの目が細まる。そして蔑むように言った。
「ヤツが欲したもの、それはすべての人間を屈服させる絶対的な権力、だ」
((!!!!))
シンジは話を続ける。
「人も金も思いのまま。 他人が羨むような絢爛豪華で贅沢三昧の生活。 気に食わないヤツは殺し、気に入った女性は攫って犯す。 それが許される絶対的な権力──それこそ、ヤツが求めて止まないものさ。 ゲヒルンの所長、そしてネルフ総司令官という今の地位も、ヤツにとっては大いなる野望の前の一里塚に過ぎないんだよ。 …尤も、すでに待ちきれずに欲望の赴くまま好き勝手なことを始めちゃっているけどね」
シンジはクククと嘲笑する。
((!!!!))
「…そのためには、どんな犠牲を払うことも躊躇しなかったよ(…それこそ人類を20億人殺してもね)」
一拍置いて、再びシンジは話を進める。
「ゼーレに近づこうとしたのも、唯一そこなら自分の望みが叶うと思ったからさ。 鬚が、ゼーレの存在を知ったのは、ほんの偶然からだったよ。 だがそれからのヤツは、そのための努力は惜しまなかったよ。 必死に勉強もした。 …でもね、コネがなかったんだよ。 それは思ったよりも大きな問題だった。 …ゼーレは閉鎖的な選民主義の集団だったからね」
(……)
クロは黙ってシンジの話に耳を傾けていた。
初め、矛盾点を探ろうとしたが、少年の弁にはおかしいところがまるでなかったのである。
それどころか、ゼーレの話などは自分の認識とも一致していたのだ。
シンジは話を続ける。
「赤木ナオコは、当時、学生の身ながら、第七世代の有機コンピューターの基礎理論の第一人者だったからね。 いずれゼーレのほうから接触してくるハズだと、ヤツは踏んだんだ。 だから近づいた。 そしてヤツ自身も京都大学に進学、優秀な成績を残し、そのまま学内の研究室へと残った」
シンジは一度言葉を切り、続けた。
「そして10年の雌伏のときを経て、ついにゼーレとの強力なコネを、太いパイプを持つ人物がヤツの前に現れたんだよ」
そう言うとシンジは、クロのほうを向いてニヤリと含み笑いをした。
(……)
自覚があるのか、クロは何も言わない。
『誰なの?』
何も知らないシロが訊いてきた。
シンジは、一つ大きな息を吐くと、ニヤリとして言い放った。
「碇ユイ──僕たちの母親にして、諸悪の根源さ。 こいつさえこの世に生まれていなければ、セカンド・インパクトもサード・インパクトも起こらなかったハズだからね(そもそも鬚やゼーレが彼女の尻馬に乗ることもなかったし)」
『!!!』(シロ)
『っ!? 嘘よ!!』
これにはクロも間髪いれずに叫んでいた。
本人にはまったく覚えがないことなのだ。
第一、自分はサード・インパクトを、人類滅亡を防ぐために尽力してきたのだ。クロにはその自負があった。
濡れ衣も甚だしい。クロは本気で憤慨していた。
だが、──シンジが言ったことは事実であったのだ。
直接的にはそれに関与してはいなかったため、クロは知らなかっただけなのだ。
当時の彼女は、他人を疑うことを知らなかった。 …良くも悪くも、お嬢様だったのだ。
彼女には未必の故意すらなかったのだ。
「…裏・死海文書の解読に根本的な間違いがあったんだよ」
シンジが呆れたように言った。
『ちょ、どういうことよ!?』
クロは語気を荒げて問い質す。
裏・死海文書の解読は、彼女の全身全霊をかけたライフ・ワークであった。
その分野の第一人者という自信とプライドがあったのだ。
激昂するクロを傍目に、シンジはサラリと言ってのけた。
「碇ユイが馬鹿ってことさ」
『なっ!!』
(でもまあ…、セカンド・インパクトが起きていなかったら、そもそも綾波はこの世に生まれなかったからね。 …一概には非難できないんだよね。 難しいところだね)
シンジは感慨深げであった。
シンジは少し話題を変えた。
「どうやら鬚は、地球規模のハーレム、酒池肉林の王国を作りたいみたいだね。 迷惑な話さ。 さしずめヤツは、古代中国の暴君、殷の紂王ってところかな? …だとすると、碇ユイは魔性の毒婦、妲己ってことになるかな? ウンウン、言いえて妙だね♪」
『ぐ…』
シンジの毒舌にクロは閉口した。
その後もクロは、裏・死海文書のことで、執拗にシンジを問い質したが、彼はそれ以上のことは何も話さなかった。
「楽しみは後にとっておいたほうが良いんだよ♪」
そのセリフを残して口を閉ざしてしまっていた。
『じゃあ、リツコさんて…』
シロが恐る恐る訊いてきた。
「そう。 正真正銘、僕たちの実姉さ」
『嘘よっ!! フガッ──』
シンジの言葉に例の如くクロが食って掛ったが、突然口篭った。
「あーうるさい」
見ると、シンジがクロの口を塞いでいた。
クロはというと、口を手で塞がれてモガモガと悶えている。
『そんな!? じゃあ、親子であんなことをしてるっていうの!? フケツだよ!! それって近親相姦じゃないか!!』
シロは、ウインドウ画面越しの渦中の二人の痴態を見て、嫌悪感をあらわにしていた。
「うーん、…さすがに赤木リツコのほうは、現時点でその事実は知らないみたいだね。 …でも、鬚のほうは故意犯だね。 知った上で楽しんでいるよ」
((!!!!))
『なんで…なんで、そんなこと…』
シロは茫然として呟く。
それ以上の言葉は、声が擦れてうまく出てこなかった。
「ヤツにはね、8人の娘と5人の息子がいるんだよ。 …いや、いたと言うべきかな」
シンジはポツリポツリと話を始めた。
『フガ、フガフガ〜!(何を言っているの!? 私たちにはシンジしか子供はいないわっ!!)』
シンジの胸元で口を塞がれているクロが何やら喚いているが、無視してシンジは言葉を進める。
「息子5人については、碇シンジ一人を残して、後はすべて廃棄処分にされたよ。 使い道がないという理由でね。 ちなみに碇シンジはヤツにとっては三男だ。 まあ、碇ユイにとっては長男だけどね」
『!!!!』(シロ)
『ぷはっ! う、嘘よっ!!』
ようやくシンジの手を退けると、クロが怒鳴った。
「本当だよ。 それに嘘なんか吐いて、僕にどんなメリットがあるって言うのさ?」
そう言うとシンジは、胸元に抱くクロの顔を見つめ返した。
その真摯な瞳の色にとても嘘があるとは思えなかった。
『っ! じゃ、じゃあ、娘って何よ!?』
旗色が悪いとばかりに、クロは矛先を変えた。
何とかして話の矛盾点を探りたかったようである。
「8人のうち、5人は今も生きているよ。 赤木リツコもそのうちの一人さ。 ちなみに彼女は長女だ。 ──さて、では何故、息子は殺されて、娘は生かされているのでしょうか?」
シンジがシロとクロに問題を出した。その表情には、意味深な笑みを湛えている。
((……))
シロとクロは暫く考えを巡らしたが、わからない。さっぱり見当もつかなかった。
徐にシンジが呟いた。
「男に用はないんだよ」
((???))
二人はサッパリわからない。
「性癖だよ」
((???))
それでもわからずに、二人はキョトンとしている。
シンジは溜め息を吐くと、キッパリと言ってやった。
「あいつは近親相姦の愛好者でもあるんだよ。 …過去、幼い自分を捨てた顔すら覚えていない母親に、相当に屈折したコンプレックスを持っているのさ」
『!!!!』(シロ)
『う、嘘よっ!!』
絶叫するクロ。
だがシンジは意に介さず、淡々と説明を続けた。
「8人の娘のうち、5人はすでに奴の毒牙にかかり、そのうち3人は自殺。 お手つき前の3人はまだ小学生以下だから、親元で大切に飼育されているよ。 まあ中学生になったところで、…パクリだろうな。 皆、ヤツに似ず、なかなかの美人だしね」
その後もシンジは長々と説明を続けた。
シンジの話をまとめると、こうである。
長女(30歳): 赤木リツコ、お手つき済、健在、日本在住、姉妹の中では唯一父親の存在を知らず
次女(享年23歳): お手つき済、実の父親相手の懐妊を苦に自殺
三女(享年16歳): お手つき済、実の父親相手の懐妊を苦に自殺
四女(18): お手つき済、健在だが重度の精神疾患、自殺未遂数回、日本在住
五女(享年14歳): お手つき済、実の父親からのレイプを苦に自殺
六女(10歳): 処女、ドイツ在住
七女(8歳): 処女、ロシア在住
八女(2歳): 処女、四女が生んだ娘(ゲンドウにとっては初孫でもある)、日本在住
長男(享年0歳): 絞殺後、山中に遺棄
次男(享年0歳): 同上
三男(14歳?): 碇シンジ、健在、日本在住
四男(享年0歳): 母親が逃亡を企てたため、母子共に銃殺、海洋投棄
五男(享年0歳): 生きたままネルフ本部の地下焼却場にて処分
「あと、現時点で母胎内にいる胎児が二人いるね。 未来の九女と六男だよ。 まあ、六男は生まれたらすぐに殺処分される運命なんだけどね」
言葉の内容の割には、淡白な話し振りのシンジ…。
『…なんて…惨いことを』
シロはゲンドウのあまりの鬼畜ぶりに色を失い、愕然としていた。
まさかここまでの外道だとは、思ってもいなかったのだ。なによりその外道が自分の父親という事実に身震いする。
「子供を生ませた女性は、身も心もすべてヤツの言いなりだね。 赤木ナオコ、碇ユイを含めてね。 ちなみに言いなりにならなかった女性はというと…、フフフ、ご想像にお任せするよ。 まあこんなの、ヤツの女性問題としては、氷山の一角に過ぎないんだけどねぇ」
そう言ってシンジは肩を竦めた。
『嘘よっ!! 私は信じないわっ!!』
堪らず、クロが大声で喚き散らしていた。
信じないのではなく、信じたくないというのが本音であった。
「…あー、だから、別に信じてくれなくてもいいよ。 僕はクロがどう思おうと興味はないからね。 でもこれは、正真正銘の事実だよ。 フフ、…そんなに信じられないというのなら、百聞は一見にしかず、近日中にナマの現場を目撃させてあげるよ? クククク、きっとクロにとっては修羅場だと思うよ? その覚悟はあるのかい?」
意味深な笑みを漏らすシンジ。 …察するにそれは、ただの修羅場、濡れ場ではないようであった。
『!!!』
(そんな…そんな…そんなことって…)
クロはさすがに押し黙った。
(ふむ。 そういえば綾波のダミースペアたちもそろそろ何とかしないとね。 もう暫くすると根こそぎ鬚の毒牙に掛かっちゃうしね)
少年はそんなことを考えていた。
「おや、第三ラウンドが始まったみたいだね」
見ると、モニターの先では、再び生々しい映像が繰り広げられていた。
それは、映像のみならず音声までもが鮮明であった。どんなに小さな声や摩擦音さえも拾っていたのだ。
すでにリツコの悲鳴は嬌声へと変わっていた。
(クククッ、母親と同じでコイツも淫乱みたいだね。 …しかしカスパーも酷なことをするね)
シンジはちょっとだけリツコに同情していた。ほんのちょっとだけであるが…。
『……』
シロは言葉を失っていた。顔色も悪い。
そんな様子のシロに、シンジは言った。
「…シロ、覚えておくといい。 あれが僕たちの父親なんだ。 そして僕らにもあのケダモノの血が流れているんだ。 ──どんなに足掻いても、絶対に消えないおぞましい血がね」
シンジは自嘲的に、どこか物悲しそうに吐き捨てていた。
『…あんなド畜生の血を引いているなんて…僕たち、このままのうのうと生きていていいのかな?…』
少し涙目で訊いてくるシロ…。だいぶ内罰モードに入っているようで、酷く落ち込んでいた。
親の罪は子には関係ない。 ──もしかしたら、シンジの口からそんな風に励ましてもらいたかったのかもしれない。
だが、彼の口から発せられたのは、意外な言葉であった。
「…わからない」
シンジは視線を落としてポツリと一言だけ呟いた。
──それはシンジの本音だった。
To be continued...
(あとがき)
今回は、なんちゃってR指定です(汗)。
露骨な性描写は避けたつもりですが、万一不快に思われた方がおられましたら、ゴメンなさい。何卒ご容赦下さい。
ミサト&ゲンドウは、この辺から馬脚を現し始めます。
そして、ミサトはついに、とんでもないことをしでかしちゃいました。彼女に帰る場所はあるのでしょうか?
あと、今回のリツコとゲンドウが親子という設定ですが、これはとりもち様の『ドラゴン・ハーツ』と被っています(大汗)。
もちろん管理人のほうが後発ですので、とりもち様の快諾(ここでのネタばらしに関しても)を得た上で載せています。
次回、シャムシエル編の最終話です。シンジは素直に使徒を倒すのでしょうか?(笑)
請う、ご期待です。
あ…でも、あまり期待しないで次話に進みましょうネ。
次回もサービスサービスぅ〜♪
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