捌かれる世界

第十話 はじめて物語(後編)

presented by ながちゃん


初号機はメインシャフトをゆっくりと降下していた。
周りを見ると、使徒にやられた傷痕が痛々しい。
「こりゃ本当にネルフ本部は全壊かな。 死者も千や二千じゃ済まないだろうし」
シンジは人事のように感想を漏らす。
彼の言うとおり、ネルフ本部はまさにズタズタ、どこもかしこも瓦礫の山と化していた。
15年の工期、数十兆円に及ぶ血税を注ぎ込んだ結果がこれである。関係者は泣くに泣けないだろう。
万一、人類が生き残った場合、その責任論が浮上するのは当然のことであった。
「下手をすりゃ、鬚はゼーレに殺されるね」
『そんなっ!』
クロが悲痛な声を上げる。まだゲンドウの身を案じているらしい。
「まあ、大丈夫だとは思うよ」
シンジはそう言うと、一旦言葉を切り、再び続けた。
「アイツって、他人は平気で殺すけど、自分が殺されるのだけは絶対に許せないタイプだから」
『は?』
クロはキョトンとしている。
シンジはクスクス笑いながら続けた。
「だから、生き延びると思うよ? どんな手を使ってもね」
『……』
(それに、アレを殺すのは僕の権利だからね…)
シンジは心内で含み笑いをした。


初号機がようやくセントラルドグマの中層を抜けようとしているとき、シャムシエルはターミナルドグマの奥底で好き勝手に暴れ回っていた。
シャムシエルは、つい先程まで目の前の白い巨人をツンツンしていたが、突然、激怒したかのように暴れ出していたのだ。
シャムシエルは、その巨人がアダムではないことを看破したのだ。一杯食わされたことに気づいたのである。
「あーらら、アレがアダムじゃないってバレちゃったよ。 これで次からの使徒って、どこに現れるのかわからなくなったぞ。 どーすんだ、あの鬚? …まあ、それすらも気づいてはいないんだろうけどさ」
ヤレヤレとばかりにシンジは肩を竦める。
『え? え? どういうこと?』
意味がわからないシロが横から訊ねてきた。
「使徒ってさ、ここの地下にあるモノをアダムと誤認してやって来るんだよ。 でもニセモノだってバレちゃったから、もうおしまい」
『地下にあるモノ? あ、そうか。 あの白い巨人のことだよね?』
前回の記憶からその姿を思い出したシロ。
前回の歴史でシロは、リツコからレイのダミースペアたちと共に、赤い十字架に磔にされた白い巨人の姿も見せられていたのだ。
シンジは頷く。
「そう。 あれはアダムではなく、リリスと呼ばれる存在だよ。 アダムとは似ていて非なるものさ」
『!! シンジ、貴方…』
クロは驚いていた。
この少年、リリスのことまで知っているのだ。一介の中学生が知って良いような話ではないのだ。
(ゼーレのことといい、裏・死海文書のことといい、…シンジ、貴方はいったい何者だというの?)
心配そうにシンジの横顔を見つめるクロ…。
クロは、以前シロから、シンジが50億年以上の齢を重ねた神様みたいな存在であることを聞いていたが、すぐに理解の、認識の外へと追いやっていた。
シンジは自分の愛しい息子なのだ。それ以外の認識は、母親であるクロにとっては無用なものだったのである。
『アダムって、もしかして、ダッシュのこと?』
シロはちょっと自信なさげに訊いてみた。
「ちゃうちゃう。 あれは別の世界のアダム。 ここの世界のアダム、あー正確にはアダムのオリジナルのを宿したサンプル体は、今、ドイツにいるよ」
『えーと……じゃあ、次からの使徒は、そのアダムを目指してドイツに現れるってこと、だよね?』
これも少し自信なさげに訊いてみるシロ。
シンジは今度は至って真面目に答えた。
「それは誰にもわからないよ。 アダムの波動はまだ微弱だからね。 単体で使徒を誘き寄せるのは困難だと思うよ。 尤も、第六使徒ガギエルのときみたいに、アダム系のエヴァ(つまり弐号機)の近くにアダムがいれば、気配を増幅できるかもしれないね」
『え? じゃ、あのときアダムはあそこにいたの?』
シロが驚く。
あそことは、かの国連海軍のニミッツ級空母、オーバー・ザ・レインボーのことだ。
それはアスカとの出会いの場所でもあった。
「極秘裏に、加持リョウジがドイツ支部から盗んできたのさ。 鬚の命令でね。 尤も、本人は盗んだと信じているけど、それさえも欺瞞。 老人共はお見通し。 そもそもアダムとエヴァ弐号機の運搬は、裏・死海文書で予定されたイベントだったんだからね」
(!!!!)
大人しく二人の会話に耳を傾けていたクロだったが、"裏・死海文書"という単語には敏感に反応していた。
何より、一々シンジの言葉には驚かされっぱなしであった。
アダム、そしてガギエル…。ともにクロが解読した裏・死海文書に秘められていた言葉なのだ。
(間違いない。 やはり、シンジは裏・死海文書を知っている…)
もはや確信に近かった。
『盗んだって(汗)……ソレって、そんなに小さいものなの?』
少し意外そうなシロ。
彼のイメージのソレは、エヴァ並みのサイズであったのだ。
「うん。 一度卵にまで還元したものだからね。 だいぶ成長したとはいえ、手乗りサイズだよ」
『あ、そう…』
「……」
二人の間に沈黙が流れる。
暫くして、徐にシロが口を開いた。
『…あのさ、シャムシエルを倒しても、次の使徒が無差別に現れることになるんじゃ、意味がないんじゃないのかな?』
そのシロの疑問の声に、シンジが諭すように答えた。
「シャムシエルを倒さなかったら、それこそヤツはアダムを求めて世界中を破壊して回るよ? 特に人間はリリスの匂いがプンプンしているからね。 ヤツにとっては格好の標的になると思うよ?(…でも本当にどうするんだろあのクソ鬚? まさか本気でシャムシエルはドイツに向かうと信じているのかな? …いや、あり得るな。 アイツ馬鹿だし)」
目を閉じて、一人ウンウンと頷いているシンジであった。


『でもさ、シャムシエルにバレただけで、他の使徒にはまだバレてないわけだから…大丈夫じゃないのかな?』
シロにとっては素朴な疑問だった。
なるほど一理ある意見だった。第五使徒以降はまだ生まれていないし、彼らは白い巨人のことなど知らないのだ。
だがシンジは平然と言った。
「バレてるよ」
『どういうこと?』
シロは首を捻っている。
シンジは、説明が長くなると前置きしてから、話を始めた。
「第三から第十七までの使徒はアダムの分身なんだよ。 そしてその【】はアダムのものなんだ。 アダムの【】はこの世でただ一つ。 サキエルが死んでその【】はシャムシエルへ。 シャムシエルが死んでその【】はラミエルへと受け継がれていくんだよ。 最終的には第十七使徒タブリス、カヲル君へと続くのさ。 当然、まだカヲル君の【】は生まれていない。 というよりは、複数の使徒の体の中を渡り歩いている最中ということかな。 だから今はまだシャムシエルの中にいるよ。 ──だから、シャムシエルが経験したことは、次のラミエルにも当然受け継がれるわけ。 勿論、地下のアレがアダムじゃなくリリスだって記憶もね。 きっとネルフは馬鹿だから、使徒はこれからもずっとリリスをアダムと誤認して第三新東京市にやってくるもんだと信じているよ。 ククク、間抜けな話だね」
シンジは一気に説明した。
だが、この説明にシロは慌てた。
『じゃあカヲル君って、サキエルでもあり、シャムシエルでもあったってことなの?』
(どうしよう…僕、前回、何度も殺しちゃったよ)
シロはダラダラと冷や汗を掻く。
「まあ、そうだね。 でもね、彼らを順番に殺さない限り、オリジナルのカヲル君はこの世に生まれないからね」
シンジは苦笑いする。
そして、少し間を置いてから説明を再開した。
「これはさ、綾波と綾波のダミースペアたちにも同じことが言えるんだよ」
(綾波? ダミースペア? …一体何のことかしら?)
ここまで大人しく二人の会話に耳を傾けていたクロだったが、初出の固有名詞に首を傾げた。
彼女は綾波レイの存在を知らなかったのだ。
シンジは話を進める。
「綾波は、──第二使徒リリスの分身、つまり使徒なんだよ。 そして前にも言ったけど、その【】はリリスだ」
『!?』
(何を言っているの、シンジ?)
クロは、シンジの言葉の意味がなかなか咀嚼できないでいた。
まあ、シンジにしてみれば、前回、シロと交わした話を前提として会話をしているのだから、その前回の話自体を知らないクロが二人の会話についていけないのは、ある意味仕方がないことであった。
シンジは話を続けた。
「一人目の綾波が死んでその【】は二人目へ。 二人目の綾波が死んだらその【】は三人目へと受け継がれていくんだ。 同時期に複数体の綾波は存在しない。 使徒であるリリスの【】はコピーできないからね」
((????))
さすがのシロもチンプンカンプンな顔をしている。頭の中で情報が錯綜しているようだ。
クロに及んでは言わずもがなだ。
そんな二人の様子を見て、シンジが助け舟を出す。
「フフフ、だいぶ混乱しているようだね。 ちょっと、まとめてみようか」
そう言うとシンジは、一呼吸置いてから、再び喋り出した。
「元々この世には、使徒は二体しか存在しないんだよ。 つまりアダム、そしてリリスの二体だけ」
シンジの言葉に二人はなるほどと頷く。
それを確認してシンジは話を進めた。
「今現れている使徒はすべてアダム系の使徒、アダムの分身なんだ。 もちろんその【】はアダムだよ。 でもアダムの【】はこの世に一つ。 使徒が死んで次に生まれる使徒へ、【】の輪廻は繰り返されているんだ。 最終的にはカヲル君の体へと宿ると思う」
そう言うと、ここまではいいかい?と、シンジが確認する。なんか学校の先生のようだ。
ビシッと挙手してクロが質問する。
『カヲルって誰よ?』
女っぽい名前がセンサーに引っ掛かったのか、クロが問い質す。
その目は姑モードだった。
「第十七使徒タブリス。 僕たちの友達だったヒトさ。 …ちなみに男の子だから(汗)」
『!? ──し、使徒は人類の敵なのよ!?』
使徒と友達だったことを告白した愛息子に、クロはあってはならないことと驚愕する。
使徒と人類は決して相容れない存在なのだから。
だがシンジは、怪訝そうな視線をクロに向けると、逆に問い返した。
「誰が決めたの?」
『そ、それは裏・死海文書を解読した結果──』
クロが言い終わる前に、その言葉尻を捕らえてシンジが一蹴した。
「それ、解読ミスだから」
『……』
ぐうの音も出ないのか、クロは黙り込んだ。
シンジはニヤッと微笑むと、続けるよと断って、説明を再開。
「──そしてリリス系の使徒は…綾波レイだよ。 地下水槽内にある綾波のダミースペアたちは、次代の使徒となるべき予備のボディーでもあるのさ。 アダム系の使徒と同様に、今の綾波が死ねば、彼女たちの誰かにその【】が受け継がれることになる」
そう言うと、ここまではOKかい?と、再びシンジが確認する。
再び、ビシッと肉きゅうを掲げ見せて、クロが質問をぶつける。
『アヤナミレイって誰よ?』
…またセンサーに引っ掛かったらしい。
再び姑モードの口撃であった。懲りない女性だ。
「綾波ってのは、──あ…やっぱり、黙秘するよ」
シンジは突然言い淀むと、説明を拒否した。
『何故よ!?』
「彼女のプライバシーに関わることだからね。 これ以上はさすがにね…」
実はシンジは、ここにきて少し饒舌すぎたと後悔していた。
本人の了解なしにベラベラ喋ったことを、少し迂闊であったかなと感じていた。
『でも、使徒なんでしょ!?』
クロが問い詰める。
「確かに綾波はリリスの分身だけど──綾波は、綾波だよ。 そんなのは関係ない」
シンジは凛と言い放った。
(何を言っているの、シンジ? それに、リリスの分身って初号機のことじゃないの? ──綾波レイ? ダミースペア? ……ゲンドウさん、貴方あれから一体何をやっきたというの?)
クロにとっては、わからないことだらけだった。
碇ユイの死後(?)、ゲンドウが、ネルフが、極秘裏に進めてきた人道に悖るおぞましい計画──
クロはそれを知る由もなかった。
そしてその最たる目的が、自分自身にあることさえも…。
「厳密に言えば、リリス系の使徒はもう一種いるけど、まあこれは厳密に言えば使徒じゃないしね」
シンジが捕捉説明する。
『もう一種?』
そのシロの疑問の声に、シンジが頷く。
「うん。 ホモ・サピエンス…つまり、人類さ。 人類は第十八使徒リリンでもあるんだよ。 元々は地球上の全生命体っていうのは、同じリリスの胎から生まれた同胞なんだけど、使徒としてカウントされたのは人類だけなんだ。 もっとも群体で生きることを選択して以来、S2器官を退化させちゃった時点で、もう純粋な使徒とは呼べない存在なんだけどね」
そう説明すると、シンジは軽く微笑んだ。
『…シンジ、貴方どうしてそれを…』
クロは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして驚いていた。
今までの話ぶりから、シンジが裏・死海文書の何かしらを知っているとは、ほぼ確信していたが、それでも、母親としての情が邪魔するのか、クロには今一つ信じられなかったのだ。
だが、シンジが今言ったこと、…それはクロが、碇ユイが解読した裏・死海文書でも秘中の秘である事項であった。
それはまさに、現時点ではネルフやゼーレでさえも完全な解読には至っていない箇所であったのだ。





『そうか…カヲル君って、使徒を全部倒さないと生まれてこないんだ…』
今までクロの威勢に圧されて押し黙っていたシロがポツリと口を開いた。
「うーん、厳密に言うと、ちょっと…違うかな?」
シロの呟きを耳にしたシンジがそう答える。
『そうなの?』
「カヲル君の場合は、ちょっとばかり特殊でね。 …綾波とは少し事情が違うんだ」
『どういうこと?』
シロは小首を傾げる。
シンジは一旦視線を前方に戻すと、喋り始めた。
「もうすでにカヲル君の体は、この世に生まれているハズなんだ。 ゼーレ側のアダム計画によってね。 でも現時点では、その体に宿っているのはカヲル君の【】じゃないんだよ」
『え? どういうことさ?』
シロはその言葉の意味がわからなかった。
ちなみにクロはというと、黙ってこの二人の話を傍聴していた。今は少しでも情報が欲しかったのだ。
(…それにしても、アダム計画のことまで知っているなんて…)
クロは呆れ顔で息子の横顔を見つめていた。
シンジは説明を続ける。
「現時点でカヲル君の体には、まったくの赤の他人、人間の【】が封入されているんだよ。 ゼーレの細工によってね。 つまり姿形は同じでも、僕たちの知っているカヲル君じゃないってことさ。 当然、使徒としての力も持ってはいない。 ほとんど人間だよ。 ATフィールドも張れないみたいだし」
『じゃあ、カヲル君って、別人の【】のままなの!?』
思わずシロが心配の声を上げていた。
その様子に、半ば呆れたようにシンジが説明を加えた。
「さっきも言ったけどさ、カヲル君の【】は輪廻転生を繰り返しているんだよ。 もう忘れたのかい? ──第十六使徒が死んだ瞬間に、その【】がカヲル君の体に移行するんだよ。 強制的にね。 ちなみに元の人間の【】は、その際に上書きされて消滅しちゃうけどね」
『…なんか不憫だね。 ゼーレの人たちって、何故そんなことをしたんだろう?』
シロが疑問の声を上げた。
「そりゃあ、自分たちに従順なアダムを作ろうとしたからだよ。 人間の【】を持つアダム、もしくは使徒を作ることができれば、自分たちが望むままのサード・インパクトは確実だからね。 そうなれば、わざわざチルドレンなどという不確定要素にすべてを頼らなくても済むからね。 やつらはそう考えたのさ」
シンジはそう説明した。
再び、シロが訊ねる。
『じゃあ、その人間の魂を持った使徒を作る計画って、成功したの?』
「ううん。 結局は失敗したよ。 カヲル君の体以外は、どの実験体にも使徒の力は発現しなかったんだ。 唯一の成功例だと思われたカヲル君は、調べてみると身も心も使徒だったというオチさ」
そう言うと、シンジは含み笑いをした。
『…後から上書きされるのに、なんで人間の魂なんか入れたんだろう?』
シロは腑に落ちないような顔をしている。
「やつらは使徒の【】が唯一無二の存在で、輪廻していることまでは知らなかったようだね。 …当初、使徒の体を培養すれば、その数だけ使徒の【】が自然発生すると信じていた。 でもそれはどれも抜け殻だった。 そこで初めて、アダム系のガフの部屋が空っぽだと気づく。 だからその抜け殻だった使徒の体に人間の【】を入れたんだ。 自分たちに従順な使徒を作ろうとしてね。 でもまさかその一体に、しかも時間差つきでオリジナルの使徒の【】が発生するとは、夢にも思わなかったんだろうね。 そもそもやつらには、【】と【】の違いさえ理解できてはいなかったからねぇ」
シンジはサラリと説明するが、シロはそれを必死に整理、理解しようとしていた。
気にせず、シンジは続ける。
「あいつらゼーレの落胆ぶりは相当なものだったよ。 莫大な予算と人員、時間を費やした結果がこれだったんだからね。 『666』なんていう御大層なコードネームまでつけていた一大プロジェクトだったのにさ」
そう言うと、シンジは大仰に肩を竦めた。
そして、一時の静寂が訪れた。
シロは視線を落として、ふむと考え込んでいた。恐らくは必死に情報を整理しているのであろう。
クロはというと、二人の会話を聞きながら、思案の淵へと沈んでいた。
(ゼーレの老人たちって、そんなことを考えていたのね。 …なるほど、確かに盲点だったわ)
クロは感心しつつも、顔を顰めていた。
ゼーレの行動が、クロの予測の一歩先を行っていたのだ。
(タマシイの話は今一つよくわからなかったけど…使徒のタマシイの輪廻の話、実に興味深いわね。 …それにしても、シンジったら、ガフの部屋のことまで知っているなんて…なんて子かしら…)
クロは愛息子の横顔をホゥと見つめていた。


『ふーん…。 じゃあゼーレって人たちは、今もその無駄骨折りな計画を進めてるんだ…』
暫くして、シロが口を開いた。
「うん、多分ね。 少なくとも前回はそうだったから」
『前回? え、今回は違うの?』
シロは思わず訊き返していた。少し嫌な予感がしてきたらしい。
シンジはニヤリとすると、ふてぶてしくそれに答えた。
「さあ? 今回、ゼーレは監視対象外だからね、全然わかんないや。 もしかしたら前回と違うことになってるかも? アハハハハ」
後頭部を手で押さえて高笑いをするシンジ…。
おいおい(汗)。
『ちょ、ちょっとちょっと! 大丈夫なの!?』
その態度に、途端に心配顔となるシロ。目の色を変えてシンジに詰め寄っていた。
「いやー、取りあえずネルフいびりを優先させようと思ってたからねぇ…。 正直まったくのノーマークなんだよねぇ」
ポリポリと頭を掻くシンジ。そこには、まったく悪びれた様子もない。
『……』
呆気に取られるシロ…。
さらに開き直ったシンジが口を開く。
「それにほら、何でもかんでも知ってたら、面白味に欠けるじゃない?」
シンジはそう言うと、ニタニタ顔でシロの顔を見遣った。
だがシロは、なおも不安に掻き立てられていた。
『…でも、何かイレギュラーなことが起こっちゃったらどうするのさ?』
心配顔のシロ…。
だがシンジは、平然と図太く答えた。
「うーん、…そのときは、そのときで考えるよ。 臨機応変にさ♪」
(…それって、行き当たりばったりって言うんじゃないのかな…?)
冷や汗を掻くシロ…。
心ではそう思ったが、口には出さなかった。
『でもさ、でもさ、万一後手に回ることがあったらどうするのさ? 後悔先に立たずだよ?』
翻意を促そうと、必死に説得を試みるシロ。もうあんな未来はまっぴらなのだ。
だがシンジは、とんでもないことを言い出す。
「んー、まあーそんときは奥の手というか、反則技を使うから平気」
『奥の手? 反則技?』
シロは思わずオウム返しをしていた。
そして、シンジの口から出た言葉は、とんでもないものだった。

「時間巻き戻し♪」

エッヘンとばかりに胸を張るシンジ…。
『にょ!?』(シロ)
『はひ!?』(クロ)
本当に反則技だった。ちょっと立ち眩みがするほどに…。
((でも、そんなことが出来るシンジって一体…))
シロは(クロも)茫然。
固まっているシロ&クロを尻目に、シンジは言葉を付け加えた。
「でもまあ、そうそうコンティニューボタンは押す気ないから(…第一面倒臭いしね)」





〜ネルフ本部・第一発令所〜

未だこの場所では、名実ともに赤裸々な映像が上映されていた。
「う…ううう…」
リツコはその場に崩れ落ちて、放心状態にあった。瞳の焦点すら合っていない。
「センパイ…」
マヤが慰めようとするが、掛ける言葉が見つからない。
少し迷ってから、マヤは黙ってリツコを抱きしめていた。
どれくらいの時間が経っただろうか。
気がつくと、発令所は静寂の間に包まれていた。
いつの間にか、猥褻映像のオンエアは終わっていたようだ。
主モニターには「つづく…」との意味深なテロップが表示されていた。
少し落ち着いたのか、リツコが顔を上げる。
だいぶ泣いたのか、…化粧が落ちて凄いことになっていた(汗)。
「…ありがとう、マヤ。 もう大丈夫よ。 貴女は席に戻りなさい」
意外にしっかりした口調で語り掛けるリツコ…。
「あ、はい。 …あの、本当に大丈夫ですか?」
マヤが気遣う。見れば、その体は未だに震えていたのだ。
だがリツコは、気丈に笑って答える。
「ええ、何とかね。 …それより状況はどうなっているの?」
強い女であった。
これくらいの屈辱では彼女のプライドは挫けないというのであろうか…。
「はい。 目標はターミナルドグマの最下層に到達。 周辺施設を破壊しているようです」
マヤの弁を裏付けるかのように、ここ発令所では、突き上げるような細かい縦揺れが今も続いていた。
地中深くで使徒が暴れているのだ。
「初号機は?」
「えーと…、現在、メインシャフトを降下中です。 深度4500メートル。 もうすぐセントラルドグマを抜けます」
初号機は、ゆっくり、のんびりと一人旅を続けていた。


《ターミナルドグマに到達。 これより使徒を追撃します》
シンジからの声だった。
それを合図にして、初号機側から発令所への通信回線が開かれた。どうやら今まで閉じていたらしい。
次の瞬間、初号機視点の映像が、発令所の主モニタースクリーンへと映されていた。
「「「「「!!!!」」」」」
息を呑む発令所の面々…。
初号機のカメラに映された映像、それはにわかには信じられないものであったのだ。
ほとんどの職員が見たこともない広く不気味な空間。そして赤い十字架に磔にされた白い巨人の姿──
(クッ、マズイっ! アダムの、リリスの存在が晒されてしまうっ!)
ゲンドウは顔を顰めた。
「初号機からの映像を切れっ!!」
ゲンドウの野太い怒声が発令所内に轟いた。
せっかくMAGIの目を封じて隠したというのに、それを初号機が中継したのでは、元も子もないのだ。
「ダメですっ! 信号拒否! 強制コマンドも受け付けません!」
マヤが大声で回答する。
まだ狂宴は続いているのか、MAGIのコントロールは回復してはいなかった。
──つまりこの映像は、全世界にダダ漏れということを意味していた。
「(…おい、何だあれ?)」
「(白い巨人? エヴァなのか?)」
「(いやエヴァよりは幾分小さい……まさか、新たな使徒!?)」
発令所の中は、急にざわつき始めていた。
どうやら、一般職員にはアレがリリスだと、いやアダムというニセ情報さえも知らされてはいなかったようである。
(…マズイな)
冬月は一人眉を顰めていた。





〜同時刻、初号機サイド〜

「(ゴメンねー、シャムシエル。 ちょっとだけ待っててねー♪)」
初号機はシャムシエルには見向きもせず、ヘブンズドアの先の白い巨人の許へと向かった。
シャムシエルは初号機の存在には気がつかず、光のムチでそこら辺に浮かんでいた駆逐艦を掴み上げると、ブンブンと振り回して暴れていた。
どうやら初号機は、地上にいたときから、その気配を消していたらしい。
シャムシエルには、初号機の姿が見えていなかったのだ。
…道理で、小さな保安諜報部の車は目敏く見つけたのに、初号機には反応しないハズである。納得であった。
初号機は、紅い海を掻き分け、磔にされている白い巨人の眼前までやって来た。
もちろんその様子は初号機内蔵のカメラによって映され、発令所はおろか、MAGI経由で世界各地へと配信されていた。
…まあ、相変わらず、カメラマンこと、初号機本体の姿は映ってはいないのだが…(腕ぐらいは映っているけど)。勿論、シンジの姿も…。
ツンツン、ツンツン
初号機は、その辺に落ちていた棒キレでウン○を突付くように巨人の体を小突いてみる。結果は、無反応。
次に脇腹をコチョコチョと擽ってみる。やっぱり反応なし。
「(やっぱり、S2抜いてるなコリャ)」
今度は、七つ目のお面を外してみる。
ちなみに、プラグ内のスピーカーからは、ヤメロヤメロの怒号が引っ切り無しに聞こえていた。
勿論、シンジは、聞こえないフリをして無視していた。
パカッ
「(うわ、変な顔。 眼球もないし、まだ再生途中みたいだね。 何か、ムンクの"叫び"みたいだ)」
シンジは、お気楽な感想を漏らす。
血も吐いているし、何か気持ち悪いので、再びフタ(お面)を被せる。
次に、シンジは下半身に視線を移す。
眼前の白い巨人には下半身はなく、腰から下にはブクブクとした肉塊がいくつも盛り上がっており、そこからは人間の下半身みたいなものがいっぱい生えていたのだ。
ちょっとグロい。
初号機はその場にしゃがみ込むと、そのうちの一対の足を掴み、ゆっくりと引き抜いてみる。
当然、スピーカーからは某鬚面の男の怒号が飛んでいたが、シンジは一切気にしない。
ズリュッ
「お、抜けた抜けた♪ おお〜、ちゃんと人間の形をしてるよ〜♪」
シンジは歓声を上げる。
初号機が引き抜いたモノは、巨人と同じく真っ白な体でこそあったが、それは確かに人間のディテールを成していた。
だが何故か、苦悶の表情で固まっていた。それはまるで断末魔の表情だった。
初号機はソレの足首を掴みなおすと、目の前にブラリと吊り下げる。カメラにもバッチリ映っていることだろう。
「(なな、何だよアレって!?)」
「(なんか不気味…)」
「(人間…なの?)」
発令所の職員たちは驚きを隠せず、モニターを食い入るように見つめていた。
「うーん…この人って、きっと女の人だね。 髪も長いし、チ○ポコもついていないし」
シンジが目の前の女性(?)をシゲシゲと眺めて感想を述べる。だがそのとき、──
パシャッ
すぐに彼女はLCLへと還ってしまった。
「(ふむ。 やっぱりリリスから離れると、自身のATフィールドを保てないか。 まあ、もうとっくに死んじゃっているしね)」
そのとき、一際大きな怒鳴り声がプラグ内に響いた。
《シンジっ!! 何をしているっ!! 早く使徒を倒さんかっ!!》
(それ以上、リリスを晒すことは許さんっ!)
ゲンドウがモニター越しにがなり立てていた。
「え、いいの? コレ殺しちゃって?」
そう言って初号機は、目の前の白い巨人をビシッと指差す。
《…違う。 それではない》
「あれ? これが使徒じゃないの?」
シンジはおどけて見せる。
《……》
ゲンドウは何も答えない。
「ねーねー、コレ壊してもいい?」
シンジが強請る。ニタニタしながら。
《ダメだ》
ゲンドウは苛立ちを隠して答える。 …だが、
「やだ。 壊す。 ソ〜レ〜♪」
初号機は大げさに右手刀を振り上げる。狙いは胸部のコアだ。
《なっ!? や、やめろおお〜〜っ!!》
ゲンドウは思わず椅子から飛び上がって叫んだ。
その瞬間、初号機の動きがピタッと止まる。
「ウッソぴょーん♪ 冗談だよーん♪ まー見事に取り乱しちゃってぇー。 よっぽどコレが大事なんだねぇ?」
初号機は右手の甲でポンポンと白い巨人の胸を叩いて見せた。
《うぬうう…》
おちょくられていることがわかったのか、ゲンドウは顔を真っ赤にして震えていた。
そのとき、シンジが一転して真剣な表情に変わると、話を切り出していた。
「条件、忘れてないよね?」
《何?》
「報酬とかの話だよ。 破ると冬月副司令に天罰が下るよ?」
《…わかっている。 二言はない》
憮然と答えるゲンドウ。だが腹に一物あった。
(フッ、確かに二言はないな。 端から守る気などないのだからな。 それに冬月に天罰が下るだと? フン、馬鹿め、それこそ知ったことではないわっ!)
ゲンドウは随分と横柄なことを考えていた。
勿論シンジは、冬月だけに貧乏クジを引かせるつもりなどサラサラなかった。
「フフ、了解。 これより使徒の殲滅に向かうよ」


シャムシエルはというと、光のムチを振り回して、そこいら中を破壊して回っていた。
リリスとレイのダミースペアたちは辛うじて難を逃れていたが(実はシンジが守っていた)、ここターミナルドグマも全壊と言っていいだろう。
ほとんどの天井は崩れ、洋上の塩の柱などは一本残らず圧し折られていた。
「やあ、随分と待たせたね。 シャムシエルちゃん」
!!!!
突然、眼前に初号機の気配が現れたため、驚くシャムシエル。
すぐさま二対四本の光のムチを跳ね上げ、威嚇した。
だいぶご機嫌ナナメのようである。
ヒュン、ヒュン、ヒュン!
光のムチが次々と初号機に襲い掛かった。
だがそれは空を切るだけだった。
「ふん!ふん!ふん!ふん!」
初号機は凄まじい速さのムチ攻撃を、それを上回る凄まじい速さのフットワークで、ことごとくかわしていたのだ。
その映像は、初号機視点で、リアルタイムで発令所へと送られていた。
その凄さに息を呑み、言葉を失う職員たち…。
惜しむらくは、初号機視点のため、実際、どんなポーズで戦っているのかわからないことであった。
…いや、そのほうが良かったのかもしれない。
初号機は、クネクネと軟体動物のようにその巨体をくねらせ、ムチ攻撃をかわしていたのだ。
その姿は、傍から見れば喜劇だったのだから…。
(あれを避けているですって!? まさか見えているというの!?)
モニターの先の発令所では、リツコが目を瞠っていた。
人の目にはその残像すら見えていない使徒の攻撃──
エヴァからのフィードバックでパイロットの動体視力が向上しているとはいえ、それでも限度ってものがあるのだ。
しかもシンジのシンクロ率は、起動指数をホンの少し上回るだけのレベルである。
理論上、あの動きはあり得ないのだ。絶対に。
リツコは科学者として、自分の認識を超えた事象に、強く唇を噛んでいた。
…しかし、彼女の理論、プライドを満足する初号機の動きだと、そもそも人類はおしまいだということに、彼女は気づいているのだろうか?


「(んもー遅いよシャムシエル〜。 せめて亜光速くらいのスピードじゃないと、初号機には通用しないよー?)」
ムチ攻撃を避けながら、シンジは軽口をたたく。
彼のその呟きが相手に届いたかどうかはわからないが、突然、謎の怪光線が初号機を襲った。
ズゴーーーン!!
「うおおー♪」
それをギリギリで避けた初号機。
後ろを見ると、どデカイ穴が開いていた。先が見えない。おそらくリリスの卵の外殻すら貫通しているのだろう。
見れば、シャムシエルのエンペラ(イカか?)部分に、いつの間にか「顔」が出現していた。
多くの使徒シリーズに共通する、つぶらな瞳の、お面のような例の「アレ」である。
そこから謎の怪光線をぶっ放したようであった。
「くぅ〜〜惜しい〜〜♪」
シンジは実に楽しそうであった。
ズゴーーーン!!
ズゴーーーン!!
ズゴーーーン!!

シャムシエルはそのビーム砲を四方八方に連射する。勿論、初号機を狙ってだ。
だが、聖闘士には一度見た技は二度と通用しないのだ。(おい!)
初号機はそれをことごとくかわしていた。
──調子に乗って、かわし捲くった結果、…ターミナルドグマは、ジオ・フロントは、さらにとんでもないことになったりする(汗)。
『…ねえ。 遊んでないで、サッサと倒しちゃったら?』
辺り一面、蜂の巣状態になったターミナル・ドグマを見かねて、シロが口を挟んできた。
シロは心配していたのだ。
今はまだ大丈夫だったが、下手にシャムシエルに直上を攻撃されたら、地上もタダでは済まないのだ。
「(いやー、今日さ、黒服たちを殺し損ねちゃってさー、ちょっと欲求不満だったんだよねー)」
ポリポリと頭を掻くシンジ。少し苦笑いをしている。
だがその目は、「だからもうちょっと遊ばせろ」と訴えていた。
シロは深く嘆息すると、どうしたものかと考える。
そして一計を案じた。
『…そういえば、買い物の途中だったけど、大丈夫なわけ?』
シロは意味ありげな視線をシンジに向けてみる。
効果は覿面だった。
「うげ、そういえばそうだった! 遊びに夢中で忘れてたよっ!」
なんてこったいとシンジは自分の額をペチンと叩く。
そして、モニターに向かって叫んだ。
「マヤさん、マヤさん!」
《え!? な、なに!?》
使徒との戦闘の真っ最中だというのに、いきなり自分の名前を呼ばれて、マヤは目を白黒させている。
「今、何時ですか!!」
現在進行形でシャムシエルの攻撃を片手間に避けつつ、シンジは切羽詰った表情で質問する。
《へ? …えーと、もうすぐ19時…かな?》
「何ですとぉー!? うわ、マッズ〜。 こんなとこでチンタラやってたら、スーパーの特売タイムに遅れちゃうじゃないかー!!」
あいたーとばかりに、手で目を覆うシンジ。
スーパーの特売タイムどころか、早く終わらせて特別非常事態宣言を解除させないと、一切のディナー用の食材が買えないのだ。
シンジは焦る。焦った。
当然、シンジのその叫びは発令所にも届いていた。
「(…大物だな)」
「(…ああ、大物ッス)」
メガネとロンゲはしきりに感心していた。


「というわけで、茶番は終わりだよ」
シャムシエルのムチが初号機を襲うが、今回は初号機はそれを避けない。
バチイイ〜〜!!

「!! 初号機から超高出力のATフィールドの発生を確認しましたっ!!」
発令所のマヤが叫ぶ。
モニターを見ると、初号機のATフィールドがシャムシエルの攻撃を弾いていたのだ(勿論、初号機視点)。
「やはり初号機も使えたのね。 それも使徒が中和できないほどの強固なATフィールドだなんて…」
リツコは、言葉を失っていた。
そのエネルギー量はあまりにも桁違いで、計器の針が振り切れていた。つまり、計測不能ということである。
(やはり、サード・チルドレン、あの子は異常だわ。 あの光のムチは、参号機の強力なATフィールドでさえ紙のように切り裂いたというのに…)
リツコは、シンジへの疑惑を益々強固なものにしていた。


初号機は暫くATフィールドを張って攻撃を凌いでいたが、別段なす術がなかったわけではない。
タイミングを計っていたのだ。
そして二対四本の光のムチが同時に壁に弾かれた瞬間、すぐさま壁を解除、不意を突いてシャムシエルの懐へと潜り込んだ。まさに神速であった。そして──

ズシャアアアーーーッ!!

初号機の右手刀が、シャムシエルの赤いコアに深くめり込んだ。
(今だ、ハッちゃん! そのまま自壊プログラムを流して!)
初号機は手刀をコアに突き入れた瞬間、ウイルスを注入した。
このウイルスに侵された使徒の体組織は、瞬く間にネクローシス、つまり壊死を引き起こすことになるのだ。
もちろんこれは、シンジの鬚への嫌がらせである。深い意味はない。
さて、目まぐるしく断末魔の点滅を繰り返すシャムシエルのコア…。だが、次第にその光を失っていった。
そして、シャムシエルは、完全に沈黙した。
(またね、カヲル君♪)





〜ネルフ本部・第一発令所〜

職員たちは茫然として、主モニターを見つめていた。
使徒、瞬殺──完勝、まさに圧勝だった。
本来なら喜ぶべきところだが、この初号機の異常なまでの強さに発令所の面々は言葉を失っていた。
まったくもって使徒を相手にはしていなかったのである。
今回も、赤子の手を捻るかのように、片手間に使徒を倒してしまったのだ。
これだったら、初めから初号機に、シンジに任せておけば良かったのではないのか?
発令所にはそういう雰囲気が漂っていた。


《おっし、任務完了♪ いやー、最初からあの無能女に任せずに戦っていたら、ここまでの被害は出なかったんじゃないですか? それともこの被害もシナリオのうちですか? 碇総司令閣下?》
シンジはニタニタ顔で、モニター先のゲンドウに皮肉を言う。
「…何が言いたい?」
シンジの奥歯に物が挟まったような物言いに、ゲンドウがギロリと睨む。
《これほどの被害と犠牲…精々、呆け老人たちに解任されないことをお祈りしますよ(ニヤリ)》
「「「!!!」」」
トップ3は、目を見開いて驚愕した。
「…シンジ、貴様、何を知っている?」
ゲンドウが重苦しい声でモニター越しのシンジを詰問する。
そのシンジはというと、ヘラヘラと笑って、それにこう答えた。
《うん、よーく知っているよ。 ──碇ゲンドウが、外道、鬼畜、人間のクズの三拍子揃ってることをね♪》
これ以上ないって程に、毒を含んだ言葉であった。
「「「「「……」」」」」
「貴様…」
公然と侮辱されて、ゲンドウの怒りのゲージはMAXへと達していた。
ギリギリと歯軋りの音だけが、発令所内に響く。
見れば、口許で組んだ手が、怒りでプルプルと震えていた。
その様子はシンジからも見てとれたが、別段気にもしていなかった。
《じゃあ、これから戻りますね。 ──綾波、マヤさん、やっほー。 つーわけで発令所まで迎えに行きますので待ってて下さいねー♪》
そう言うと、シンジは一方的に通信を切った。
シーーーン
そして、水を打ったように発令所は静まり返った。
少し経ってからマヤの声が上がった。
「──あ、MAGIのコントロール、今戻りました! 中継の配信も停止しているみたいです!」
どうやら狂宴は終わったらしい。
これに伴い、初号機視点の中継映像も発令所からはモニター出来なくなっていた。





〜再び、初号機サイド〜

すぐにケイジへと帰るつもりのシンジであったが、ここにきて思い悩んでいた。
眉間に皺を寄せて、必死に何かを考えている様子だった。
徐に口を開く。
「うーむ。 せっかくここまで来たんだし、何か記念になるようなものを残しておきたいよね」
((何を真剣に悩んでいるのかと思えば…))
シロとクロは呆れていた。
この少年、このまま何もしないで帰ることに抵抗が、後ろ髪を引かれる思いがあったようである。
暫く思案に暮れていたシンジであったが、何かを閃いたのか、ポンと手を打った。
次いで、初号機にシャムシエルの足を一本もぎ取らせると、それを手にして白い巨人のほうへと向かった。
そして、白い巨人と対峙する初号機──
「うんうん、間違えたら大変だからね♪」
そう言うと、何やらニヤニヤしながら、白い巨人の体に何かを書き始めた。
ペタ、ペタ、ペタ…
「できた♪」
ご満悦のシンジ。
『……』
『……』
シロとクロは絶句している。
見ると、白い巨人の胸からお腹にかけてあだむじゃないよ りりすだよ と書かれていた。
しかも、額にはの文字。(おい!)
当初、使徒だからの文字にしようかと迷ったが、結局これにしたらしい。
満足げにそれを見つめる初号機。その右手には、もぎ取ったシャムシエルの足が握られ、その筆先(?)からは赤い体液が滴り落ちていた。
ちなみにシンジがこの体液に細工したので、このラクガキは洗っても落ちない、決して(汗)。
「うん! なかなかの達筆だね♪」
自画自賛して悦に入るシンジ。
そんなシンジを見て、シロは思った。
(…どこかの観光地の銅像にラクガキして喜んでいる悪ガキみたいだよ)
なかなか言い得て妙であった。
『でもさ、こんなことをして大丈夫なの?』
シロが心配して口を開いた。
幸い、ラクガキしている瞬間は誰にも目撃されてはいなかったが、状況証拠からシンジが疑われるのは確実なのだ。
なんせ、この場所にはシンジしか居ないのだから…。
「さあ?」
アッケラカンと答えるシンジ。
後先のことは考えていなかったようだ。
シロは閉口した。


「さーて、そろそろ帰るか」
シンジはそう言うと、ATフィールドの応用で初号機を宙に浮かせると、メインシャフトに沿って急上昇させた。
ギュイーーーン
遊園地の絶叫マシーンも真っ青のスピードである。だが不思議とGは感じない。
そして、ものの数秒でケイジのあるフロアまで到達してしまった。
(…こんなことが出来るのなら、降りるときもそうすればよかったのに)
シロはそんなことを思っていた。





〜ネルフ本部・第一発令所〜

「(サードを拘束しろ)」
唐突に、ゲンドウが口を開いたかと思うと、小声で隣の冬月へと指示を出していた。
「(いいのか? 今一度よく話をしてからのほうが良くはないかね?)」
冬月が一応忠告する。
(そもそも、サードには今しばらくシャバを謳歌させてから、天国から地獄に落とすプランだったではないか──この男、どうやら本気で余裕がなくなってきているようだな)
冬月は隣の男の心中を見抜いていた。
「(構わん。 遅かれ早かれの問題だ。 それに今のうちに確保しておけば、老人たちへの顔も立つ)」
不遜な態度で答えるゲンドウ。
(そうか? 幸い使徒を倒せたとはいえ、それで今回の失策の帳消しができるとは、とても思えんぞ?)
冬月はゲンドウのそこまでの自信(過信)の根拠がわからなかった。
「(アレにはいろいろと尋問したいことがある。 初号機のこと、MAGIのこと、そしてゼーレのこと。 何かを知っている節がある。 吐かせた後は、脅迫するなり洗脳するなり、我々の傀儡に仕立て上げれば良いだけだ。 フッ、所詮は子供、何も問題はない)」
ゲンドウは一度言葉を切り、今度は憮然と言い放った。
「それに、父親のオレに向かっての不忠の暴言の数々…絶対に許せん」
ゲンドウはギリリと歯軋りした。余程シンジの態度に腹を立てているようだ。
だがこの男、自分はその息子に対して何か心を砕いたことがあっただろうか?
いや、一度もなかった。
この男、自分からは何も与えていないくせに、息子には忠孝を強要していた。
厚かましいにも程があった。


「──ああ、遠慮は要らん。 それと……失敗は許さん」
そう言うと、ゲンドウはガチャリと受話器を置いた。
どうやら、内線で保安諜報部に命令を伝えていたようである。当然、シンジの拘束命令だ。
隣で通話内容を聞いていた冬月は、冷や汗を掻いていた。
「しかし、100人以上で確保に向かわせるとは…、子供相手に些か大袈裟ではないのかね?」
「フッ…アレの精神に拭い難い恐怖を刻み込むには、効果的な人数だ。 死なない程度に痛めつけろと、ヤツらには命令してある。 クククク、…シンジめ、その身で思い知るがいい!」
ゲンドウはその口許を醜く歪ませていた。 …最低な父親である。
(…実の息子にそこまでやるとはな…ユイ君が知ったら嘆くな…)
冬月は呆れてはいたが、止めることはしなかった。





〜セントラルドグマ・某所〜

シンジは初号機を降りると、そのままシャワールームに直行し、汗(LCL)を洗い流していた。
「フンフンフンフーン♪」
シャンプーしながら陽気に鼻唄を口ずさむシンジ。なかなかご機嫌のようである。
見れば、シロとクロも一緒に入っており、だいぶ慣れているのか、猫のくせに器用に体を洗っていた。
(シンジ…大きくなったわね…すっかり大人びて…ポッ)
クロは頬を染めながら、息子(?)の成長ぶりをジッと見つめていた。
『これからどうするの?』
シロがシンジに訊ねた。
「発令所に綾波とマヤさんを迎えに寄ってから帰るよ。 こんなとこ、長居はしたくはないからね。 それに買い物もあるし」
シンジは脱衣所で備え付けのバスタオルで体を拭きながら、それに答える。
着替えがなかったので、そこいらにあった新品のアンダーシャツとスラックスを借用していた。下着類は自販機で購入したらしい。


シンジは今、シャワールームを出て、発令所へと繋がる通路を歩いていた。
シャワー上がりのシンジの髪はまだ濡れていたが、逆に潜熱を奪ってくれて涼しいほどだった。
今、ネルフ本部のほとんどのフロアでは空調が止まっており、かなり蒸し暑かったのだ。
「しっかし、随分とまた派手にやられたもんだねえ」
シンジは辺りを見渡しながら呆れた声を出す。
見ると、確かにどこもかしこもズタボロであった。もはや廃墟といったほうが適切かもしれない。
天井は崩れて吹き抜け状態。壁や床からは、鉄材やらコンクリートの塊やらが突き出ている。
瓦礫の下から人間の手足が見えているのはご愛嬌だろう。しかも血生臭い。
さすがにシロとクロはスプラッタシーンには免疫がないのか、顔面蒼白だった。
(お蔭で、MAGIの監視が及ばない場所も、いっぱい出来ちゃってるねぇ…。 面倒臭いけど、"目"と"耳"をばら撒いておくか…)
シンジは余計な仕事が増えたとばかりにブーたれるが、徐に立ち止まると、暫くその目を閉じた。
余談ではあるが、彼の言う"目"と"耳"とは、先日、シンジが司令室に仕掛けたものと同じものである。
監視ユニットとしてMAGIに直結させてはいるが、それは空気みたいに実体がないものであるため、ネルフにその存在がバレる心配はなかった。
…と解説しているうちに、ばら撒きが完了したらしい(汗)。すこぶる仕事が早かった。
再び、その歩みを進めるシンジ…。
行く手はどこも、同じような瓦礫の山であった。
「こりゃ、修復するのは一苦労だね。 一から建て直したほうが早いかも? ──ま、その前に、この大量の仏さんを早く何とかしないとね。 空調も壊れてるし、この暑さじゃ、そのうち臭ってくるな」
人事のような感想を漏らすシンジであった。


「止まれ! サード・チルドレン!」
シンジが通路を歩いていると、突然、呼び止められた。
声がしたほうを見遣ると、黒服の団体様御一行がそこにいた。
どこから湧いてきたのか、その数は優に100人を超えていた。
「ふーん…この状況でよくこれだけの人数を集められたもんだねぇ…」
シンジは呆れたように黒服たちの様子を半眼で眺めていた。
(きっと今までどこか安全な場所に隠れていたんだろうけどさ、…ご苦労なことだよ)
一人の黒服が一歩進み出て言った。
「碇司令の命令だ。 大人しく我々に同行してもらおう。 逆らえば少し痛い目を見ることになる」
痛い目に遭うのは自分たちのほうであることを知らない憐れな子羊が、目の前の腹を空かせたライオンに向かって揚々と口上をたれた。
(ククク、鴨がネギ背負ってやって来てくれたよ、もー最高♪)
内心では狂喜乱舞しているシンジであった。
この少年は、シャムシエルを簡単に仕留めてしまったため、少々遊び足りなかったのだ。
シンジは必死に愉悦を堪えると、目の前の男に話し掛けた。
「僕はこれから発令所に行くんだよ。 同行するまでもないんじゃないの?」
「貴様が行くのは発令所ではない」
「へぇー、じゃあどこに連れて行くのさ?」
「貴様が知る必要はない」
どうやら有無を言わせないようだ。端から力ずくらしい。
恐らくシンジが大人しく指示に従っても、危害を加えるつもりなのだろう。
実際、ゲンドウからはそういう命令が出されていたのだ。
「…いやだと言ったら?」
少年の口許から不敵な笑みがこぼれた。
「なら、力ずくで連行するまでだ。 …おい!」
その合図の声に、二人の長身の男がシンジの前に進み出ると、いきなりシンジの両脇を拘束した。
「…無礼な方たちですね? そんなに早死にしたいんですか?」
「「……」」
両脇の男たちは何も答えない。代わりに目の前のリーダー格の男が答えた。
「ふん、虚勢を張りおって…。 やれるものならやってみるがいい」
この男、先日のシンジの大立ち回りの件は聞き及んでいたが、武装した百人を超えるエージェントを相手に、何が出来るものかと高を括っていたのだ。相手はまだ中学生のガキなのである。
『シ、シンジ! 逃げなさいっ! ここは私が食い止めるからっ!』
思わず叫んでいたクロだったが、しかし猫の身で何ほどのことができるだろうか?
ただ、とっさにその身を挺して息子を庇おうとしたのは、さすがであろう。
クロは、碇ユイは、息子であるシンジを紛れもなく愛しているのだ。それは無償の愛だった。
だが、プロレスラーのような屈強な男が百人を超えているのだ。しかも完全武装。さすがのクロも顔が強張っていた。
「(フフフ、大丈夫だよ、クロ。 二人ともしっかり肩に掴まっておいてね。 ちょっとだけ動くから)」
そう囁くと、シンジは目の前の男に向き直った。
「…後悔するよ?」
最後通牒だった。
すでにシンジは臨戦態勢に入っていた。これから起こることが戦いと呼べるものかは疑問ではあるが…。
「ふん、何を訳のわからないことを。 おい、腕の一、二本くらいは圧し折っても構わん。 少しばかり痛い目に遭わせてやれ」
その男は、シンジの両脇を拘束する部下らしき男たちに、顎をしゃくって命令した。
「へぇー、いいんですか、そんなことして?」
シンジはニヤニヤしながら確認する。
「ふん、今さら命乞いしても無駄だ。 碇司令の許可は得ている。 貴様を半殺しにした上で連行しろとの直々のお達しだ」
そう言うと、リーダー格の男はクククと嘲笑した。
これにはクロが噛み付いていた。
『嘘よっ!! ゲンドウさんがそんなことを言うハズはないわっ!!』
『…クロ、悪いこと言わないから、いい加減に目を覚ましたほうがいいと思うよ…?』
シロは隣で呆れていた。
(でもこの頑固さって、一体誰に似たんだろう?)
シロは冷や汗を掻いていた。


両脇の男二人が、それぞれシンジの腕を折ろうと力を込める。躊躇がなかった。酷い男たちである。
それはプロレスラー並みの怪力であったが、シンジの細腕はビクともしない。
「(クッ…なんだこのガキ!?)」
「(動かん! まるで鉄の塊のようだ!)」
男たちは泡を食っていた。
「あーもー、ウザイ!」
シンジは気だるそうにそう言うと、ブンと両腕を振り払った。
「「!!!」」
二人の男はそれぞれ逆方向に吹っ飛ばされる。そして、──
「「ぐぎゃっ!!」」
凄まじい勢いで壁へと激突した。
二人とも首がおかしなほうに折れ曲がっていた。即死だった。
「「「「「!!!!」」」」」
息を呑む男たち。
殺ったほうのシンジは至って平然としている。
(MAGIには目を瞑らせたし……久しぶりに生身でATフィールドでも使ってみるかな。 さて、うまくできるかどうか…)
シンジは意識を集中させる。
次の瞬間、彼の目の前に小さなオレンジ色の球体が出現していた。
「「「「「!?」」」」」
目を見張る黒服たち。
何かのイリュージョンを見ているかのように呆けていた。
直径10センチほどのその光球がフワフワと男たちの許へと移動し始めた。そして、──
ヒュン!
いきなり光の帯が空間を舞った。
「!?」
ブシュウ〜〜〜!!
一人の男の生首が飛ばされていた。
「「「「「!!!」」」」」
首なしの胴体は細かく痙攣を繰り返し、切断面から大量の鮮血を激しく噴き出していた。
光球は、細長い光の帯へとその姿を変化させていたのだ。
言うなれば、空飛ぶカミソリだ。空中で上下左右に大きくクネクネと波打っていた。まるで生きたリボンである。
これはATフィールドの応用であった。
(おお〜、数十億年ぶりに使ってみたけど、思ったよりうまくできたよ。 それにコレ、結構面白いかも♪)
シンジは内心、小躍りしていた。
シンジの今の心境を例えるなら、実家の物置に埋もれた古いゲームを見つけて遊び興じている大人であろうか。
「き、貴様っ!! 一体何をしたっ!?」
リーダー格の男の怒声が飛ぶ。が、──
ヒュン!

「ぐぎゃ☆@◆Ω〜〜!!」
また別の男の体が両断された。今度は脳天唐竹割りである。
正中線から半分にされた伊勢海老のように、血の海の中で脳髄と内臓をプルンとはみ出させて断末魔の痙攣を繰り返していた。
(うーん、絶景だねえ〜)
シンジは嬉々として光の帯を振り回していた。
「くそっ! 発砲を許可する! 目標を殲滅しろっ!」
リーダー格の男は叫んだ。だいぶ頭に血が上っているようだ。
…殲滅したら、命令違反だろうに。
パン、パン、パン、パン、パン
前後左右から無数の銃弾がシンジを襲う。だが、──
「何っ!?」
弾はすべてオレンジ色の壁に阻まれていた。
シンジを中心にして半球状にATフィールドが張られていたのだ。
別に当たってもシンジは平気なのだが、今回は彼の肩の上にはシロとクロがいるのだ。
『ATフィールド…』
目の前に展開されたオレンジ色の壁を見て、茫然とクロが呟く。信じられないという表情だ。
「バケモノか、こいつは!?」
リーダー格の男が脂汗を流す。
その間に、10人前後の部下が一方的に惨殺されていた。
縦割り、横割り、袈裟懸け、輪切りにブツ切り、果てはVの字切りまで多種多様であった。これはひどい。
「プギャーーー!!」
「クッ、至急増援を要請するんだっ!」
リーダー格の男が指示を飛ばす。
「だ、ダメです! 回線が繋がりません!」
「何だと!? くそっ、一時撤退だ!! 出直すぞ!!」
リーダー格の男のその一声で、男たちは蜘蛛の子を散らしたようにその場から逃げ出した。だが、──
「「「「「なっ!? 体が動かない!?」」」」」
男たち全員が、急に金縛りに遭ったように、身動き一つ出来なくなっていた。
(クックックッ、だってせっかくの獲物なんだよ? 一匹たりとも逃がすわけないじゃん♪)
シンジは口の端を吊り上げてニヤリと笑った。
「はーい、皆さん、こっちに整列して下さーい♪」
右手を上げてシンジがお気楽な声を上げる。
傍目には、引率のバスガイドさんのようだ。
「なっ!? 体が勝手に!?」
「くそっ! 何がどうなってるんだ!?」
慌てふためく男たちを余所目に、その男たちの体は、勝手に回れ右してオイッチニイ、オイッチニイと通路に一列に並び始めた。
「え〜、一人一人相手にしたいのは山々なんですが、時間もないし、面倒臭いので、全員の自由を奪ってから殺しちゃいまーす♪」
明るくにこやかに宣言するシンジ。
言葉の内容と表情には、ギャップがあり捲くりだったが…。
シンジは床に落ちているグロッグを拾うと、一番端に立つ男の眉間に銃口を突きつけた。そして──
パン

「「「「「!!!!」」」」」(男たち)
『!!!!』(クロ)
撃たれた男がドサッと床に崩れ落ちる。目を見開いたまま、額から真っ赤な血を流している。即死だった。
「貴様っ! 何てことしやがるっ!!」
隣の男が怒鳴る。
「何って…ただの射殺ですけど、それが何か?」
まったく悪びれていないシンジであった。
「な!? 悪いとは思わないのか!? 人殺しだぞっ!?」
男はがなり立てる。
「…貴方だって僕に向かって発砲してたじゃないですか? するのはいいけど、されるのはイヤなんですか?」
「ぐっ…」
痛いところを突かれて男は言葉を失った。
「うーん、即死っていうのもつまんないな…」
床に転がる死体を足蹴にしながらシンジが呟く。
シンジは次の男、つまり今怒鳴っていた隣の男に銃口を向ける。
「ひっ!」
パンパンパンパン
「がああああ!!」
今度は急所を微妙に外して銃弾が打ち込まれていた。
「うーん、なかなか良い声で鳴きますねぇ〜」
シンジは男が上げる悲鳴を愛でていた。そして、──
パン
トドメの一発を眉間に叩き込んだ。
崩れ落ちる男。
「ハイ、次は君の番だね」
そう言って、シンジは三番目の男に銃口を突きつける。
カチッ
「ひっ!」
男はビクッと竦み上がる。
「ありゃ、弾切れだ。 …しょうがないなぁ」
シンジは目の前の男の懐をまさぐる。
「これ借りるよ?」
そう言って男の懐から取り出したのは、別の拳銃だった。
徐にセーフティーを外して目の前の男に突きつける。
「やめろ! やめろ! やめろぉおお〜〜!!」
男は絶叫する。 …が、
パンパンパンパン
「があああ〜〜!!」
そしてトドメ。
パン
「はい次、四人目」
シンジは隣に立つ四人目の男に銃口を向ける。
「た、助けて…助けて…お願いだ…オレはまだ死にたくない…死にたくないんだ…」
その男は涙と鼻水で顔をグチョグチョに泣き腫らし、ガチガチ震えて命乞いする。
失禁したのかズボンも濡らしていた。
『っ! シンジ! 止めなさいっ! この人、泣いて命乞いしてるじゃないのっ!』
左肩のクロが耳元で必死に諌める。
(もー、うるさいなあー)
「あー、一応訊きますが、貴方は命乞いをした人間を、一度でも助けたことがありますか?」
シンジは気だるそうに、小指で耳をホジホジしながら、眼前の男に訊ねた。
「??? …あ、あるっ! 何度もあるっ! だから助け──」
パン
男は眉間を打ち抜かれていた。
「嘘つきは嫌い」
シンジはボソッと呟いた。
『シンジ!? 貴方、何てことを…』
クロは口を手で押さえ、真っ青になっていた。
「次、五人目〜♪」
五人目の男は見覚えのある人物だった。
「あれ? 貴方でしたか」
シンジの目の前にいたのは、あのリーダー格の男だったのだ。
「…俺が悪かった。 許してくれ。 もう君に危害は加えたりしない。 絶対にだ。 信じてくれ。 お願いだ」
リーダー格の男は必死に助命嘆願する。だが、何かぎこちない。
(…コイツ、演技ヘタクソ)
シンジは、この男の態度が演技であることを即座に見抜いた。だがそのとき、
『シンジ、止めなさいっ! この人、心底悔い改めているじゃないのっ!』
クロが再び諫言をぶつけていた。
お嬢様育ちのクロに、人を見る目はまるでなかった。
まあ、だからこそ、ゲンドウという外道に引っ掛かったのではあるが…。
リーダー格の男は、シンジ肩の上の猫に気づくと一瞬目の色を変えたが、すぐに元の表情に戻っていた。
だが、シンジはその男の一瞬の機微を見逃がさなかった。
(なるほどね…なかなか愉快なことを考えているみたいだね)
蛇の道はヘビ──悪党の心理は、同じ悪党である(?)シンジには手に取るようにわかるのだ。
「コホン──では、今回の行いを悔い改め、今後、僕に酷いことをしないと約束できますか?」
まるで神父みたいなことを言うシンジであった。
当然、演技である。
「天地神明に誓って約束しよう!」
仰々しく答える男。
こちらも演技だが…。
「わかりました。 貴方を信じましょう(信じちゃいねーよ、バーカ、バーカ!)」
そう言うと、シンジは男の金縛りを解いてやった。
(それでいいのよ。 貴方は正しいことをしたのよ、シンジ♪)
クロは目を細め、そんな息子を誇らしげに見ていた。少しセンチメンタルになっていた。
──だが、まさにその瞬間、眼前の男の武骨な手がシンジの肩へとバッと伸びた。
『きゃっ!?』(クロ)
『!!!』(シロ)

「クククク、ハァーハッハッハ…馬鹿めが!」
男は高らかに笑い声を上げた。
その男の手には黒猫が握られていた。
虚を突かれて、クロを人質(猫質?)に取られてしまったのだ。
形勢逆転に男は喜び震えていた。
『ク、クロッ!!』
シロが悲痛な叫びを上げる。
「…どういうつもりだい?」
一応、シンジは訊いてみる。
男の行動など、お見通しだったのだ。
「フン、どの道お前を連行しないと、俺は粛清されるんだよ!」
男は吐き捨てるようにして叫んだ。
(…だったら拳銃で撃つなよな)
「フフフ、…どうやら貴様、この猫がよっぽど大事なようだな?」
そう言うとその男は、クロのコメカミに無粋な銃口を突きつけた。
『ひっ!』
恐怖で竦み上がるクロ。
「コイツの命が惜しかったら、大人しくしろ。 …なに、安心するがいい。 腕を一、二本折られて、地下牢の中にぶち込まれるだけだ♪」
男は得意気にせせら笑った。
(酷いやつだなあ…)
シンジは辟易していた(自分のことは棚に上げて)。
男は意気揚々に叫んだ。
「さあ、先ずは部下たちの呪縛を解くんだ!」
「…いやだね」
シンジは、にべもなく拒否した。
「何だと!? コイツの命が惜しくないのかっ!?」
男はさらにグイッ、グイッと銃口をクロの側頭部に押し付けた。
『ぐう…』
恐怖と痛みから呻き声を上げるクロ…。
「…好きにすれば?」
シンジはアッケラカンとしている。
小指で耳をホジホジして、指についた耳垢をフッと吹き飛ばしたりしている。
「何っ!?」
「…だからその猫、煮るなり焼くなり好きにすれば?(死んだら生き返らせれば良いだけだしね♪)」
冷たく答えるシンジ。
これには男は焦った。
目論見が外れたのかと、歯噛みする。
『シ、シンジ…』
クロは瞳をウルウルさせながら、恐怖と心細さから思わず息子の名前を呟いていた。
男の武骨な手の中でブルブルと打ち震えていたのだ。
だがそのか細い声を耳にして、氷のようなシンジの心の中にさざ波が立った。
(──チッ、またか……僕も存外に未熟だな)
シンジは眉を顰める。
「き、貴様ぁー!」
堪らず、男はトリガーに指を掛けた。
さすがに大事な人質(?)を殺そうとは思わなかったが、見せしめのために手足の一本くらいは吹き飛ばしてやろうと思っていた。まさにそのとき、──
ザシュッ!

「ぐがっ!?」
突然、男を襲った激痛。そして、飛び散る鮮血──
男の、クロを掴んでいる左手、拳銃を握っている右手、その両方の腕が肩口からバッサリと切断されていたのだ。

「え? え? ぎ、ぎゃあああ!! がああああああっ〜〜!!」

両肩から夥しい鮮血を噴出させ、あまりの激痛に男は悶絶し、その場をのた打ち回っていた。
「さて、…約束を破ったお前は、特に念入りに殺してやろう」
男を見下ろしながら、シンジは冷酷に言い捨てた。
「ぐああ…ま、待て! 俺が悪かった…本気じゃなかったんだ。 謝る。 だからすぐに医者を──」
男は見苦しくも命乞いをするが、目の前の少年は聞く耳など持たなかった。
「な、何だ!?」
突然、男の周りがATフィールドで包まれた。それは内径2メートルほどの球体となった。
「ぐっ!? 何だこれはっ!?」
男はパニックに陥っていた。
足元から水がせり上がってきたのだ。
シンジが、球体の内部に海水を転移させているのだ。 …少しずつ、少しずつである。
「溺れ死ぬ苦しみってのは、なかなかのものだからね。 思う存分味わってから……死ね」
シンジは冷たく語り掛けた。
そして、ついに球体の中は海水で満たされてしまった。自身の血で赤く染まっているため、一見するとLCLのようである。

「ガボッ、ガボッ、ガハッ!!(苦しい、助けて、助けて!!)」

男はガバガバと海水を飲み込んでいった。腹がどんどん膨れてくる。相当に苦しそうである。当たり前だ。
シンジは薄く微笑みながらそれを見つめていた。
そして、あえて男が溺死する瞬間を狙って、その体を微塵切りにした。
瞬間、激痛にカッと目を見開き、そしてその男は完全に絶命した。
まさにダブルの死の苦しみだった。


シンジは通路の隅で震えていたクロを抱きかかえると、優しく(?)語り掛けた。
「…クロ、これでわかったかい? 君は──」
シンジは言葉を一旦切り、今度は一転、おちゃらけた口調で続けた。
「君は、箱入り娘のお嬢様育ちで、その上世間知らずで、人を見る目もまるでない、どうしようもない甘チャンなんだから♪」
…クソミソに言われていた(汗)。
『う…』
さすがのクロも凹んだようだ。
「さて、続き、続き〜♪」
シンジはそう気炎を揚げると、六人目へと向き直った。
「ちょ、おま──」
「ぐわああああ〜〜!!」
「ぎゃあああ〜〜!!」
「た、たた、助け、ぎゃあああ〜〜!!」

シンジはこれを100人近くも続けていた。それはまるで流れ作業のようであった。
(これが、あの虫も殺せなかったシンジだというの?)
クロは思い悩む。
(一体この子に…何があったというの?)
クロは愛する息子の横顔をジッと見つめ、その心を痛めていた。


『さすがに…ちょっと殺し過ぎじゃないの?』
目の前の夥しい数の死体を見て、シロは冷や汗を掻いていた。
ただ、シンジが黒服の連中を殺すことには、シロはすでにもう何の抵抗も感じてはいなかった(汗)。
「まあ、シャムシエルに数千人単位で殺されたんだし、今さら100や200増えたところで、大して変わらないよ♪」
シンジは、まったく悪びれてはいなかった。
(しかしシャムシエルにも困ったもんだね。 あんなに殺しちゃって。 僕の楽しみが減っちゃうじゃないか。 …まあ、そのうち人員補充されるだろうから大丈夫かな)
シンジは、かなり不埒なことを考えていた。
『──シンジ、…貴方、何てことを』
クロは息子による虐殺現場を目の当たりにして、色を失っていた。
だがシンジは平然としていた。
「フフフ、鬚はこんな生易しい殺し方はしないから、楽しみにしておくといいよ♪」
その言葉に、クロは愕然とした。
口では何かにつけてゲンドウを殺すとか、おどろおどろしいことを嘯いているが、これは思春期特有の父親への反抗心の表れではないかと、クロは思っていたのだ。
だが、シンジは本気でゲンドウを殺すつもりなのだと、クロは今、確信していた。
(この子はあの人を殺すことを何とも思ってはいない…それは何故? どうして? どうしてなの?)
クロは思い悩んだが、あまりのことに、その思考を停止させていた。





〜ネルフ本部・第一発令所〜

プシュー
発令所後方のドアが開く。
そこには何食わぬ顔で立つシンジの姿があった。
「シ、シンジ君?」
リツコが驚く。
「…シンジ、何故、貴様がここにいる!?」
司令塔上部の司令席から、苦々しげな表情のゲンドウが問い質す。
(保安諜報部は何をやっておるのだ!)
この男のシナリオでは、今頃シンジは、保安部員にコテンパンのギッタンギッタンにのされて、ドグマの奥底の隔離部屋の中で、顔をボコボコに腫らして無様に呻いている最中であるハズなのだ。
だがここに現れたシンジはというと、非常に血色のいい、スッキリとした顔をしていたのだ。
それはまるでストレス解消したばかりの、満ち足りた表情のようでもあった。
「おやおや、その歳でもう呆けたのかい? さっき発令所に向かうって連絡を入れたばかりじゃないか」
「……」
「それとも……何か当てが外れたのかな?(ニヤリ)」
シンジは口許を歪めて笑った。
「…貴様…」
ゲンドウは小馬鹿にされたと感じたようで、ギリリと歯噛みした。
「それじゃあ、こんな呆け親父は放って置いて、綾波にマヤさん、一緒に帰りましょうか?」
シンジは構わずにレイとマヤを連れ出そうとする。
「あ、でも…」
マヤは戸惑う。この非常時に一人だけ帰宅していいものかと、申し訳なさそうに視線を泳がす。すると、
「良いんじゃないかな」
「うん、まったく問題ないッス」
マコトとシゲルの反応は意外なものだった。
シンジのお蔭で世界は救われたのだ。これくらいの融通は安いものだし、分別ある大人として寛容さを見せても良いんじゃないのか。彼らはそう思っていた。
「後のことは俺たちで(完徹覚悟で)何とかするから、気にしないで行ってくると良いよ」
マコトがマヤの背中を押す。
だがそのとき、異を挟んできた輩がいた。
「ちょっと待って、シンジ君。 今は非常時なのよ? そんなことは許されないわ」
シンジが横を振り向くと、そこには金髪黒眉の婆さんがいた。
「あれ? …誰かと思ったら、鬚の275人目のレイプ被害者にして、現在は情婦の一人であらせられる赤木リツコ博士その人ではないですか。 これはこれは、ごきげんよう♪」
シンジはニンマリと毒のある微笑み返す。
「は? …な、何を言っているの? わ、私と碇司令とは何でもないわっ!(275人目? 一体何のことよ?)」
リツコは慌てて否定する。
冗談ではなかった。
リツコは先程のビデオ流出の件で死ぬほど恥ずかしい思いをしたが、あくまで被害者としての位置づけで見られたのが幸いし、周囲はリツコに同情、遠慮して、騒ぎは下火になりつつあったのだ。
だがもし、こんなところでゲンドウとの関係を暴露されてしまったら、下火になりつつあった騒ぎが再燃するどころか、180度違う評価にもなりかねなかったのだ。
だが、そんなリツコの心情を無視して、シンジが意地悪な指摘をする。
「何でもない人が、昨夜も同じベッドで何をしていたんですか?」
「なっ!?(何で知ってるのよぉ〜)」
リツコは驚愕する。思わず顔に出ていた。
シンジはニヤリとして、畳み掛ける。
「赤木博士は確か独身でしたよね?」
「そ、そうよ。 何か文句があるの?」
「…では、その首筋のキスマークって、一体誰が付けたんでしょうか?」
「なっ!?」
慌てて首筋を手で隠すリツコ。だが次の瞬間、ハッとする。やられたと。
「ククク、大丈夫ですよ、服で隠れて見えてませんから。 …でも図らずもその態度が証明しちゃいましたねぇ」
シンジはニヤニヤした目でリツコを見つめる。
「クッ…」
そのとき司令席のほうから声がした。
「…赤木博士、子供の言うことだ。 相手にするな」
ゲンドウであった。
「わ、わかりました」
だがシンジは口撃を止めない。そして決定的な一言を言い放った。
「フフフ、血の繋がった実の父親と娘なのによくやりますね? オ・ネ・エ・サ・ン♪」

ガタッ!

思わずゲンドウが椅子から飛び上がっていた。
「……」
サングラス越しでわかりにくいが、目を瞠っていた。
(馬鹿な…何故それをコイツが知っているのだ?)
ゲンドウは喫驚した。
その事実を知っているのは、父親であるゲンドウと、母親である今は亡き赤木ナオコのみであったのだ。
リツコは戸籍の上では父親不明の私生児であり、母親であるナオコはついに父親の名前をリツコに漏らすことなく他界していたのだ。
「お前…まさか?」
隣に立つ冬月が、ゲンドウに疑惑の視線を向ける。
ゲンドウとリツコが肉体関係にあることは、先のビデオ映像からも察したが、その関係が実の親子同士ともなればそれは、鬼畜行為どころの話ではないのだ。
(親子丼に近親相姦…そこまで外道なのか、この男は?)
冬月は汚物を見るように目を細めた。
「フッ、何を馬鹿なことを。 …子供の言うことだ、本気にするな」
ゲンドウは努めて平静を装うが、内心は穏やかではなかった。
「はあ? それはどういうことよ!? ふざけるのもいい加減にしなさい! モノには言って良いことと、悪いことがあるのよ?」
これにはさすがのリツコもキレていた。言葉が言葉なのだ。聞き捨てならなかった。
だがシンジは悪びれた様子もない。当たり前だ。嘘など欠片も吐いてはいないのだから…。
「さあ? 科学者なんだからご自分で調べたらどうですか? 例えば…DNA鑑定とか?」
シンジはニヤリと含み笑いをする。
そのとき再び司令席から怒声が轟いた。

「イカン! 赤木博士! DNA鑑定など許さん! これは命令だ!」

「「「「「……」」」」」
シーーンと静まり返る発令所。
──おい、それって自分でクロだって言っているようなものだぞ?
さすがに失言に気づいたのか、ゲンドウはバツが悪そうにしている。
勝手に墓穴を掘ってりゃ、世話なかった。
シンジは話を続ける。
「僕はインセスト・タブーには寛容ですから、どうぞ今まで通りお励みになってください。 それに人の恋路を邪魔をするほど野暮ではありませんしね」
(そんな…本当なんですか? …碇司令)
リツコは縋るような目でゲンドウを見つめた。
「…赤木博士、子供の戯言だ。 真に受けてはいかん」
ゲンドウは例のポーズのまま平然と窘めた。内心はビクビクしていたが。
「は、はい。 わかりました」
(それもそうよね。 大体歳が近すぎるわ。 確か碇司令は今、48歳だから、48ひく30は…18か。 いくらなんでも17、8の高校生かそこらの歳で父親なんて馬鹿げているわよね。 …それに父親が実の娘と関係を持とうとするハズないもの!)
リツコは一人納得していた。
…甘かった。実にリツコの推理は甘かった。
ゲンドウは、正真正銘の外道で変態なのだから…。
(でもDNA鑑定か…疑うわけじゃないんだけど…興味深いわね)
父親を知らないリツコにとって、自分のルーツを探るというのは、実に興味深いテーマであったのだ。
リツコの中で一つの知的好奇心が湧いていた。しかし、これが吉と出るか凶と出るかは、誰にもわからなかった。


「コホン、話を戻すわよ。 ──今は非常時につき、何と言われようと二人の帰宅は認められません」
リツコが冷たく突き放す。
だがその実、彼女は二人の帰宅など特にどうでも良かった。
彼女の本音はというと、シンジの帰宅を引き止めて、尋問したくてウズウズしていたのだ。
リツコは一計を案じ、正面からシンジを引き止めるのではなく、搦め手からの攻略を進めていたのだ。
つまり二人はダシ、当て馬であったのだ。
「僕が認めます。 問題ありません」
「…わがままを言わないでくれるかしら?」
「今日は我が家のディナーにマヤさんと綾波を招待することになっているんです。 これは決定事項なので覆りません」
シンジも一歩も譲らなかった。
もしネルフが認めないというのであれば、そのときは二人を掻っ攫ってでも連れて行くつもりであった。
当然、リツコの尋問などにつき合う気などサラサラない。
このままでは埒が明かないと、リツコは切り口を変えた。
「そもそも、どうしてレイと親交があるのかしら? 貴方とレイとは、ほとんど初対面のハズよ?」
リツコは疑いの目を少年に向けていた。そして、ちゃっかり尋問を始めていた。
レイとシンジは初日に初号機の中でごく短時間会っただけで親交はない。ましてレイが他人に懐くことはありえない。リツコはそう信じていた。
「さあ? 何故でしょう?」
シンジは惚けた。
彼から聞き出すのは無理と考えたリツコは矛先を転じた。
「レイ、答えなさい。 命令よ」
だがリツコがレイに「命令」という言葉を使った瞬間、シンジの表情が一変した。
「ひっ!」
一瞬、強烈な殺気を、心臓を握り締められたような悪寒を、その身に感じたリツコが震え上がっていた。
(な、何なの? 今の感じ?)
訳がわからずに辺りをキョロキョロするリツコ。
そのときレイがポツリと口を開いた。
「──碇君は、いつもお見舞いに来てくれました」
「見舞い? 病院に? …そんな、監視カメラには何も──」
つい口を滑らせてしまうリツコ。
思わずしまったという顔をしているが、もう遅かった。目の前の少年はしたり顔でニヤニヤしていたのだから。
「…へえ、監視カメラで覗いていたんですか。 やはり見た目どおりのイヤらしい女だったんですね、貴女」
シンジはニヤニヤしながら、おもいっきり棘のある言葉を吐いた。
「クッ…と、とにかく、どうやってレイと会っていたのかしら? 貴方の入館履歴はなかったハズよ?」
リツコがすごい形相で問い詰めてきた。
「何のことですか? 僕にはさっぱりわかりませんが?」
シンジは肩を竦めると、惚けた。
「貴方ねぇ…ネルフの施設に不法侵入したのよ? さあ、どうやって侵入したか、洗いざらい吐きなさいっ!」
リツコがさらに語気を強める。
だが当のシンジは、人を食った態度で言い返す。
「さあ? 僕は普通にお見舞いに行っただけですからね。 ネルフご自慢のMAGIとやらで調べたら如何ですか? …それに万一貴女の言う通りだとして、この僕をそのように糾弾できる法的根拠を示してくださいませんか?」
「クッ」
リツコは悔しそうに唇を噛む。
そうであった。この少年には、国内法もネルフの特務権限も通用しないのだった。
リツコは熱くなりすぎたために、そのことをうっかり失念していた。
「そんなことよりも──おい、クソ鬚! 約束の報酬を貰いにきてやったぞ!」
シンジは背後を振り返ると、上部フロアの司令席に座るゲンドウに向かって声を荒げた。
「…ふん、何のことだ。 記憶にないな(フフ、シナリオ通りだ)」
ゲンドウは口許で手を組んだまま、何事もなかったように答える。
「「「「「んなっ!?」」」」」
発令所の面々は一様に驚く。
先刻、シンジとゲンドウの間で、口約束ではあったが、使徒撃退に際して報酬を支払う契約を結んでいたのだ。
まさに、発令所の職員たちは証人として、その場に立ち会っていたのだから。
それをゲンドウが、自分たちの組織のトップが、恥も外聞もなく踏み倒そうとしているのだ。
驚くのも当然であった。
「(おいおい、これってマズイよな?)」
「(ああ。 前回もそうだったけど、今回も報酬を払うからと甘い言葉で騙してエヴァに乗せたなんて…最低ッス!)」
「(これはちょっと酷いですよね。 シンジ君が可哀想すぎますぅ)」
オペレーターズも口々に噂し合った。大人としてあるまじき行為であると。
(ハァ…碇のヤツめ、もっと他に言い方があるだろうに…)
周囲の雰囲気を察した冬月は、ヤレヤレとかぶりを振ると、一人頭を痛めていた。
徐にシンジが口を開く。
「あ、そう。 …ま、100パーセントそうなるとは予想はしてたけどさ」
シンジはまったく気にしていなかった。ゲンドウのこの態度は織り込み済みのことだったのだ。
もちろん報酬をせしめることを諦めたわけではない。
「何っ?」
あまりにアッサリしたシンジの反応に、少し拍子抜けのゲンドウである。
もっとこう、「約束したじゃないか!」とか「そんな酷いじゃないか!」とか、息子の慌てふためく姿を、この男は期待していたのだ。 …器量の狭い男であった。
「冬月副司令、それで本当に良いんですか?」
シンジが冬月に確認する。
「…ああ、そのとおりだね。 カネは払うとは言ったが、いつ払うとまでは言っていないからね。 当然だよ」
冬月は完全に開き直っていた。
「…占い、当たっちゃうよん?」
シンジが老婆心ながら最後の忠告をする。笑いを必死に堪えながら。
「フッ、何を馬鹿なことを(やはり子供だな)」
ピシッ──
そのとき彼らの頭上で妙なラップ音がした。
ピシッ、ミシッ──
「ん? 何の音だ?」
冬月が物音に気づいて天井を見上げた。まさにそのとき、──
ガラガラガラ〜!!

「なっ!!」
突然、司令席の天井が崩れてきたのだ。

ガシャーーーーン!!(グシャ!)

「プギャーーーーー!!」

巨大な鉄骨が幾重にも冬月の頭上に落ちてきたのだ。隣のゲンドウは難を逃れていたが、危ういところであった。
発令所のフロアからは見えないが、一面血の海であった。
落下した鉄骨は、冬月の頭部と胴体だけを避けるようにして、綺麗に折り重なっていたのだ。まるで、ピンポイントで狙ったかのように…。
彼の手足は切断というよりは潰れてしまっているようだ。これでは縫合手術も不可能であろう。
「ううう…」
鉄骨の下で、今にも消えそうな呻き声を上げる冬月…。
「あ〜らら、天罰覿面♪ …きっと、さっきの使徒の攻撃で天井部分が損傷していたんですねえ。 何て運の悪い方なんでしょう。 実に惜しい人を亡くしました。 ご愁傷さまです」
シンジは合掌した。 …まだ生きているが。


「ささ、マヤさんに綾波、今のうちに♪」
シンジが二人の手を引いて連れ出そうとする。そのとき、
「ま、待て!」
ゲンドウが慌てて呼び止めた。
(保安部員たちは一体何をしておるのだっ!)
このままではシンジを取り逃がしてしまうと、ゲンドウは焦り捲くっていた。
「うるさい鬚だな。 いい加減にしないと、今度はお前の上に鉄骨が落ちそうな気がするよ?」
「グッ…」
勿論、信じたわけではないが、シンジの言葉には迫力があり、ゲンドウは二の句が告げられなかった。
「じゃあ、鬚の許可を貰ったということで、二人は連れて行くよ? あと、このことで二人に不都合なことが起こった場合は、それ相応の覚悟をしてもらうからね、それ相応の」
そう念を押すとシンジは、マヤとレイの手を引いて発令所を後にした。
「副司令、大丈夫かしら?」
マヤが心配している。
「まあ、死んではないと思いますよ。 出血は酷いですけど、赤木博士もついていますし、手当が早ければ一命は取り留めると思いますよ──と、僕の占いには出ていますね(手足は潰れてなくなっちゃったけど♪)」
少年はふてぶてしく嘯いた。





〜第三新東京市・郊外〜

マヤとレイをネルフから連れ出したシンジは、マヤの車に便乗させてもらうと、カートレイン経由でジオ・フロントから地上へと出ていた。
サブ・ターミナルビルが全壊していたため、地上とジオ・フロントを繋ぐモノレールは使用不能に陥っていたが、幸いカートレインのルートは生きていたのだ。
そしてその足でシンジたちは、シンジの行きつけの商店街へと向かっていた。
仙石原地区にある庶民的な商店街──
ここは旧市街であり、セカンド・インパクト前から続く古い街並みを見せていた。
商店街の住人たちは旧箱根町の時分から住んでいる生粋の地元民であり、また人情にも厚く、シンジのお気に入りのスポットであった。
もう夜の9時を回っており、さすがにシャッターが閉まっている店舗が多い。
「ふう。 …あとは、魚介類か」
買い物巡りをしているらしく、シンジの両手はすでに買い物袋で一杯だった。
そのシンジの後ろをマヤとレイがついて歩く。
さすがに猫たちは邪魔なので、シロはマヤ、クロはレイの肩に載せてもらっていた。
クロは思案顔であった。
(やっぱり私に似ているわ…ううん、瓜二つと言ってもいいくらい。 …このアヤナミレイって娘、一体何者かしら? …それに"レイ"という名前…まさかね。 蒼髪紅眼の白子…シンジは使徒って言ってたけど、とてもそうは見えないわね)
クロはレイの横顔をじっと見つめていた。
(…でも私に瓜二つなだけあって、なかなかの美少女よね。 もちろん私ほどじゃないけど♪)
自画自賛するクロ。
…あえて何も言うまい。
「やあ、政爺。 今日は大丈夫だったかい?」
シンジが馴染みの魚屋「魚政」のオヤジに気さくに声を掛ける。
「ん? …ああ、シン坊か。 まあ、何とかな…」
店じまいを始めていた初老の男が、首だけを振り向かせてそれに答える。
「無事で何よりだよ。 ここいら辺は被害は出てないみたいだね」
グルリと見回してシンジが言う。
使徒と参号機との戦闘が近かったにも関わらず、被害は無さそうだった。
「ああ、お蔭様でな。 だが、街中のシェルターは大変だったって話だぜ?」
何かの梱包作業をしながら、男は背中を向けたまま答えた。
「街中? 何かあったの?(もしかして牛と金髪の破廉恥ビデオのことかな?)」
シンジは訊き返した。
どうやらシンジは知らなかったようである。 …遊びに夢中でそれどころじゃなかったのだ(汗)。
魚屋のオヤジは、ようやくシンジのほうに向き直ると、言った。
「地下シェルターが一つ、壊滅したらしいぞ」
「壊滅? え、でもジオ・フロントの天蓋部には被害は出ていなかったと思ったけど?」
シンジは怪訝そうな顔をすると、首を捻った。
(もしかしてシャムシエルが何かしたのかな?)
何かしたのはケンスケであったのだが。
「いや、建物自体は被害はなかったみたいなんだがな。 …何でも、シェルターの中にいた人間が蒸し焼きになったりして、それはもう凄惨な状況みたいらしいぜ。 かなりの犠牲者が出たって話だ。 今も救助活動が続けられているようだぜ。 おかげで、うちの青年団の若いモンも挙って借り出されちまったよ」
魚屋のオヤジは苦々しく言葉を吐いた。
「ふーん、大変だねえ…(ま、僕には関係ない話だけどさ)」
シンジはまったく興味が無かったようだ。彼にとっては、他人事、対岸の火事なのだ。
シンジは話を切り出した。
「政爺、閉店間際に悪いけどさ、これだけのものを用意できるかな?」
シンジは魚政のオヤジにメモを見せる。
「ん…おうよ。 任せときな」
オヤジは一旦店の奥に消えると、暫くして発泡スチロール箱にいっぱいの食材を運んできた。
「…政爺、ちょっと量が多いんじゃないの?」
どう見ても注文した二倍以上の量に、さすがのシンジも冷や汗を掻いていた。
「今日はアレがあったんで、客足がサッパリでな。 それにシン坊にはいつも贔屓にしてもらっているからな。 そいつはサービスだ。 気にせず持っていきな」
親指をグッと立てる魚屋のオヤジ──
粋な計らいだった。
「おお〜、さっすが政爺♪ 太っ腹だねえ〜」
「わははははっ。 そうだろ、そうだろ」
シンジのヨイショに、高笑いで答えるオヤジ。
「…でもさ、後で奥さんにバレるとマズイんじゃないの〜?」
「うっ…そいつは言わないでくれ〜」
オヤジは苦笑いをしている。
シンジはたった一週間かそこらで、近隣住民と馴染んでいたようだ。
マヤはそれを感心するように見ていた。
「シンジ君って意外と社交性があるというか、気さくな性格なんだぁ…(ポッ)」





〜第三新東京市・シンジの自宅〜

シンジは帰宅すると、すぐさま厨房に向かった。
二人の客にはレセプション・ルームで寛いでもらっている。
今日のディナーは、フランス料理のフルコースである。
手料理派のシンジも、こういった手の込んだ料理をするときは、全面的に容赦なくインチキを使う。
当たり前に真面目に作ると、彼といえども時間が掛かって仕方がないのだ。
シンジは、面倒臭いことが何よりも嫌いであるのだ。
ガスやオーブンなどの調理器具は使わない。それどころか鍋やフライパン、包丁の類も一切使わないようだ。
食材を、その分子を直接加熱または冷却するのだ。しかも時間の流れを短縮してである。
いくつかの食材が宙に浮かぶと、カマイタチに遭ったように細かく切り刻まれ、調理される。
肉は空中でジュージューと焙られる。しかも遠赤外線焙煎と芸が細かい。
スープも、鍋もないのに空中で加熱されている。
しかしどういう仕組みであるのか、サッパリわからない。
シンジは鼻唄まじりに楽しそうに調理(これを調理というのか?)していた。
そして、ものの15分ですべての料理が完成していた。
作り方はインチキであったが、出来上がった料理は紛れもなく本物であった。
まさに三ツ星レストラン級の出来である。
(ふむ、まあまあ、かな)


「す、すごい…」
「……」
ダイニング・テーブルに着いたマヤとレイは、眼前の彩り鮮やかな豪華な食事に絶句していた。
(僕も料理には自信があったけど、…こりゃ本当にすごいや。 レベルが違うよ。 脱帽だよ)
(…すごいわ、シンジ)
シロとクロも舌を巻いているようだ。
ちなみに猫二匹の分は、別の皿に盛り付けられてテーブルに用意されていた。
テーブルの席の配置は、シンジの左隣がレイ、斜め前がマヤ、正面がシロ&クロであった。
シンジは食前酒のシャンパーニュ(銘柄はドン・ペリニヨン)をマヤとレイのグラスに注ぐ。
ちなみに中学生に勧めて良いようなものではない。
テーブルには、オードブル、スープ、魚・肉料理が大皿に盛られて、一度に並べられていた。
正式なマナーではなかったが、まさに壮観であった。
活きオマール海老のサラダ、仔鴨の薫製とキャビアのサラダ、ホロホロ鳥のテリーヌ、ホタテ貝とフォアグラのポワレ、仔牛のロニョンのポワレ、アイユのピュレ、サーモンのマリネ、オニオングラタンスープ、ムール貝のスープ、エスカルゴバターソテー、スズキの香草焼き、ブリのカルッパチョ、白身魚のエチュベ、シーフードのクレープ包みグラタン、カニとホタテの冷製ソーセージ仕立て、伊勢エビのブイヨン煮、仔牛のポテト包みアンチョビソース、ハーブ風味のローストビーフ、牛フィレのステーキ黒トリュフソース、仔羊肉ローズマリー焙煎焼き、ジェリーヌ鶏のロースト、鴨とフォアグラのロースト…エトセトラ、エトセトラ。
果たして、三人(+二匹)で食べきれるのか? 甚だ疑問だった。
当然、レイのために肉料理以外のメニューも多いのだが、その肉料理にしても、サッパリとした味付けのものが多かった。
それはマヤに対する気配りであった。
今日一日、彼女にとってはかなりショッキングなことの連続であり、あまり肉々したものは受け付けないだろうとの、シンジの配慮であった。


マヤはナイフとフォークをその手に持って、緊張したようにカチンコチンに固まっていた。
必死にテーブルマナーを思い出そうとしていたようだ。
見かねたシンジが優しく声を掛けた。
「マヤさん、マナーとかは気にせずに頂きましょう。 大皿の料理はすでに切り分けてありますし、お箸も用意してありますから」
「そ、そうですよね。 レイちゃんもお箸で食べてるし」
見れば、レイはマナーなんて気にせずに料理に手をつけ始めていた。マヤのような余計な羞恥心は持ってはいないのだ。
シンジがフォローするかのように言葉を掛ける。
「フランス料理といっても、昔は、フォークも食事のマナーもなくて、肉類をナイフで切っては手掴みで食べていたんですからね。 僕たちも気楽にいきましょう。 料理なんかも一斉にテーブルに並べていますし、好きな料理を好きなだけ取って食べればいいんです。 ──気楽に食事して、それが相手に不快な思いを与えなければ、それは立派なマナーなんですからね」
シンジは自分なりの勝手な講釈をたれたが、マヤはそれに納得したのか、箸をとって食事を始めていた。


一時間後──
「うう〜、美味しかったですぅ」
「──ごちそうさま」
揃って箸を置く二人。十分に堪能したようである。
さすがにまだ料理は随分と残っていた。端から完食できる量ではなかったので当然ではあるが…。
シンジはまだ食事を続けていたが、箸を置いた(休めた)二人に声を掛けた。
「マヤさん、デザートは如何ですか?」
「! あ、はい。 頂きます」
マヤはデザートと聞いて即答していた。
「綾波も食べるよね?」
「──頂くわ」
シンジは奥の厨房に行くと、彩り鮮やかなデザートの品々を運んできた。
(すごいですぅ〜)
ガトーショコラ、ビュッシュ・ド・ノエル、苺と赤ワインのババロア、洋ナシのタルト、ココナッツのブランマンジェ、オレンジと山桃のシャーベット、等々──
二人は次から次へと胃袋に入れていった。その間はずっと寡黙であった。
女の人の、甘いものは別腹とはよく言ったものだ。
シンジは美味しそうに頬張るレイに、優しく問い掛けてみた。
「綾波、美味しいかい?」
「(コクン)──初めて食べた味。 もっと食べてみたい」
その表情は幸せそうだった。
「それは良かった。 それはそうと、綾波はいつもどんな食事をしているの?」
もちろん知ってはいたが、シンジはあえて訊いてみた。
「…カロリーブロックとビタミン剤、そして水だけ」
「へ?」
横でデザートを頬張っていたマヤが驚く。
「綾波、それだけじゃ足りないよ。 それに食事は楽しんでとるものだよ」
「──栄養は十分と言われているわ」
レイは素っ気なく答える。
(…綾波、実はその栄養さえも十分じゃなかったんだよ。 …フフ、あの女狐はいずれ血祭りだな)
感情を殺しつつ、シンジは会話を続けた。
「それ以外は食べる必要はないと、言われているんだね?」
「そんな!? …一体誰がそんなことを!?」
非人道的な、栄養学的にみても理不尽な食生活をレイが強いられてきたという事実に、マヤは驚いていた。
「…赤木リツコ博士ですよ。 そうだよね、綾波?」
(…コクン)
少し悩んだ後、レイは頷いた。
恐らく機密に関わることは口外するなと、どこぞの女狐からキツく命令されているのだろう。
「先輩が!? …そんな…一体どうして…」
マヤは、にわかには信じられない思いだった。
確かにリツコには普段からレイに冷たいところはあったが、尊敬する上司がそんなことをしているとは思いもよらなかったのだ。
茫然としているマヤに、シンジが答える。
「愛人である碇ゲンドウの命令…かな」
「愛人!? ──だって先輩は被害者のハズじゃ…」
マヤは先刻見た(見せられた)リツコの破瓜ビデオのシーンを思い返していた。
シンジは追い討ちを掛ける。
「確かにきっかけはそうかも知れませんが、…今ではすっかりタラシ込まれて鬚の情婦(の一人)ですよ」
「そんな…」
マヤはそれ以上の言葉を失った。
シンジは話を続ける。
「ネルフっていう組織は、マヤさんが思っているほど清廉潔白ではないんです」
「…どういうこと?」
マヤは訊き返した。
自分がやっていることは、ネルフがやっていることは正しいことだと信じていたのだ。またそのことにマヤは誇りさえ持っていたのだ。
「…じきにわかりますよ。 近々、悪い魔法使いの婆さんから声が掛かりますから♪」
シンジは意味深なセリフを言う。
魔法使いの婆さんとは、もちろんリツコのことだ。
マヤはアルコールが入っているせいもあるのか、目立った反論もせず、シンジの話に素直に耳を傾けていた。
そのとき、横からレイが口を挟んできた。
「──碇君は何を知っているの?」
ゲンドウとリツコの関係を知っている者は、ネルフ内でもそうはいないのだ(レイは気づいていたが)。
それにシンジの口調は、何かを知っているような口ぶりであったのだ。
普段は他人の振る舞いなどには関心を示さないレイであったが、何か違和感を感じたのであろう。
シンジは少し躊躇った表情を見せると、申し訳なさそうにそれに答えた。
「…ゴメン。 今は言えない。 …でも、約束するよ」
「──ヤクソク?」
「うん。 …綾波は僕が守るよ。 君を傷つけるすべてのものから」
真剣な表情で見詰め合うシンジとレイ。
二人の絡み合う視線は縫い付けたように離れない。
「──何故」
レイが口を開く。
「うん?」
「──何故、私に構うの?」
それはレイの偽らざる本心だった。
この少年は、自分と初対面のときから、何かと心を砕いてくれていた。
レイには、そうまでしてくれる理由がわからなかったのだ。
シンジは答える。
「…綾波は僕にとって、とても大切な人だから…」
歯が浮きそうなセリフだが、シンジは至って真面目であった。
優しく、そしてどこか物悲しそうな目でレイの瞳をジッと見据える。
「──大切な…人?」
「そう。 何ものにも代えられない唯一無二の存在。 この僕が命を賭しても守るべき人。 それが綾波だよ」
この言葉にレイは目を丸くして驚いた。
(──何故、彼はここまで断言できるの?)
(──私を見てくれている? …私を必要としてくれている? ──私はあの人にとっての代用品の一つでしかないのに…)
レイは不思議と胸が熱くなるのを感じたが、その正体まではわからなかった。
レイは自分の身の上を顧みる。そして必死に戸惑いの感情を振り払い、否定の言葉を紡いでいた。
「──私にそんな価値はないわ(私には代わりがいるもの)」
だがシンジは、そんなレイの苦しい心情を察するかのように、優しく囁き掛けた。
「価値がある、無いじゃないんだ。 …綾波が綾波であること。 ただそれだけに意味があるんだ。 それは何ものにも損なわれることのない尊いものだよ」
「……」
「僕は綾波を守る。 いや、守りたいんだ」
シンジは再び思いの丈をさらけ出していた。凛とした表情であった。
「……」
レイは何も言わない。それがシンジを不安にさせた。
「もしかして…迷惑だったかな?」
シンジは心配そうに訊ねた。
徐に、レイが口を開く。
「──わからない。 …でも」
一拍置いて、レイは答えた。
「──この気持ち、嫌じゃない」


クロは正面の席から、怪しい視線をこの二人に向けていた。
その二人は見詰め合ったままだった。
(むう〜、こっちが本命!? …まさかシンジ、この私に瓜二つの小娘に惚れているというの!? ──ということは、これはこの私への恋情の裏返しということじゃ!?)
クロの頭脳が猛(妄?)回転する。
(…息子が最初に意識する異性は母親だって言うし(ゴクリ)、…うん、これは仕方がないことなのよね
まんざらでもないクロ…。彼女の突飛な妄想は、すでに暴走していた(汗)。
シンジが知ったら、…暴れだすかも?
ちなみにシロはというと、人目を憚らず二人の醸し出す甘〜い雰囲気に辟易しきっていた。


「じゃ、じゃ、シンジ君♪ 私は、私は?」
唐突に、マヤがシンジに嬉々として詰め寄っていた。見ると、ほんのり上気していて、少し酒臭い。
どうやら、先程のシンジとレイの会話に聞き耳を立てていたようである。
「は?」
シンジはいきなりのことで、訳がわからなかった。
マヤは人差し指を立てると、怪しい微笑を浮かべて説明を始めた。
「だ〜か〜ら〜、私は守ってくれないんですかぁ〜? レイちゃんは守ってくれるんでしょう〜?」
マヤは目を輝かせていた。アルコールのせいか、少し顔が赤い。
しかし、意味がわかって言っているのだろうか?(単なるレイへの対抗心か?)
「あ、いや、そうですねぇ。 …マヤさんが悪い魔法使いに騙されて悪の道に入らなければ、という条件つきでなら…OKですよ」
タジタジになりながらも、シンジは答える。
「えー、それじゃわからないですぅ〜。 もう少しヒントをもらわないと〜」
マヤは顔を膨らませると、体をクネクネしてお強請りした。 …マヤさん、少し酒癖悪いです。
「そ、そうですねえ(汗)。 …悪い魔法使いに誘われて、ターミナルドグマに降りたらアウト、かな?(特にダミープラントとLCLプラント、そして人工進化研究所3号分室へはね)」
ビクッ──
ターミナルドグマ。その言葉にレイが身を竦めた。少し顔色も悪い。
それに気づいたシンジは、優しくレイの頭を撫でた。
「大丈夫だよ、綾波。 何も心配はいらないから」
なで、なで、なで、なで──
シンジの左手がレイの柔らかな蒼い髪を優しく愛撫する。
(──気持ちいい。 それに落ち着く…)
不思議とレイの不安は取れていった。
「ターミナルドグマ?」
人差し指を顎に当てて、小首を傾げるマヤ。
「そうです。 気をつけて下さいよ。 そこがマヤさんにとって人生最大のターニングポイントですから」
シンジのいつになく真剣な表情に、マヤはゴクリと固唾を飲み込んだ。
(一度でも秘密を知ってしまったら、あいつ等がマヤさんをほっとく訳ないだろうしね)
レイの髪を撫でながら、シンジは目を閉じた。


『あ…、そういえば、ミサトさんってどうなったのかな?』
シンジの正面、テーブルの上で未だ食事を続けていたシロが、ふと思い出したように呟いた。
そのミサトはというと、シャムシエルのネルフ本部侵攻の際、死ぬのがイヤで自分一人で逃げ出していたのだ。
シロはミサトのその後の足取りを知らなかった。
(もしかして、あのままどこかに逃げちゃったのかな? …まさか外国に高飛びとか?)
シロが冷や汗を掻きつつ妄想していると、食事を再開していたシンジがその疑問に念話で答えた。
「(んー、あの女? ──いやー、ついムカついたからさ、車の前輪タイヤをバーストさせたら、時速200キロのまま猛スピンしてガードレールに激突しちゃってさー。 車はそのまま横転、原形を留めないほどに大破、爆発・炎上しちゃったよ♪)」
お気楽な口調で語るシンジ。
『えっ! …し、死んじゃったの!?』
シロは驚いた。それはそうだろう。普通は死んで当然の状況なのだ。
「(モグモグ…んーん。 残念ながら、まだしぶとく生きてるよ。 車外に投げ出されて、頭をしこたま打った以外はカスリ傷程度。 まったく驚嘆に値するね。 ゴキブリ並みの生命力だよ)」
シンジは食事を続けながらも、ヤレヤレと呆れたように答えた。
『そ、そう(汗)。 …でも、どの面下げてネルフに戻るんだろうね?(そもそも戻れるのかな?)』
任務上の大失態の上、敵前逃亡。そして猥褻ビデオ流出の件もある。
普通なら恥ずかしくて顔も出せないハズなのだ。 …普通なら。
「(ムシャムシャ、パクパク…さあ?自業自得だよ。 今もネルフ本部の自爆が回避されたことを知らずに、1メートルでも遠くに逃げようと、東名を必死こいて走っているみたいだね。 自分の足で。 ──あ、シロ、そこのベークドポテト取って。 あとバターも♪)」
『…いや、取れないし(猫だもの)』





食後、三人(+二匹)はリビングで寛いでいた。
すでに深夜の11時を回っていた。
「今日はもう遅いから二人とも泊まっていくといいよ。 パジャマとかも用意してあるから」
シンジは二人にお泊りを勧める。
すでに二人とも程よくアルコールが入っており、特に車で来たマヤは、今から帰宅するとなると酒気帯び運転になりかねないのだ。
「あ…じゃあ、お言葉に甘えて(////)」
「──問題ないわ」
そうして日曜日の夜は静かに更けていった。



To be continued...


(あとがき)

はあ…、はじめて物語の三話シリーズ、ようやく書き終えました。疲れた〜。
あんまり長くダラダラ書いてると、途中で飽きてくるんですねぇ。身に染みてわかりました。次回からはもっと短くします。
(と言いつつ、いつも長くなるんだよなぁ〜)
シャムシエル戦自体は、結構あっさりしたものになりましたね。これが限界かな。すべてこの暑さが悪いんです。
東京電力の請求書を見たら、一万円を超えているし…。ダブルで痛い。
ラミエル戦はまだまだ先ですね。見当もつきません。
あまり期待しないで次話を待ちましょう。
次回もサービスサービスぅ〜♪
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