捌かれる世界

第十一話 雨、逃げ出した後…そして訣別(前編)

presented by ながちゃん


その日は早朝から雨だった。
辺りはまだ薄暗く、見上げればどんよりとした雨雲が空を覆っている。
久しぶりの夏の涼雨が大地を潤すも、それは恵みの雨ではなかった。
…悲しみの、嘆きの雨であった。
あれから僅か半日──
第三新東京市の地上と地下で起きたあの惨劇により、一万を超える命の灯火が消え、それは永遠に失われた。
耳を澄ませば、聞こえるは無情の雨音、垣間見えるは哀悼の雨脚、見上げれば喪(もこし)の帳…。
早朝の街角、足早に通り過ぎる人々の足音もどこか沈み、その心中の重苦しさを醸し出していた。





〜ネルフ本部・某会議室〜

「碇、何か言い残すことはあるか?」
静寂の中、聞こえてきた第一声がそれだった。
見れば、一人の男を囲むようにして、12枚の黒いモノリスが暗闇に浮かんでいた。
「お、おおお待ちをっ!!」
碇と呼ばれた男は、いきなりの言葉に血相を変えていた。
(クッ、よもや委員会ではなく、ゼーレ直々のお出ましとは…)
その男、特務機関ネルフの総司令官である碇ゲンドウは、予想外の展開に下唇を噛み締め、ダラダラと脂汗を流していた。
──第四使徒戦の翌朝、ゲンドウは人類補完委員会からの呼び出しを受けていた。
ゲンドウはここぞとばかりに気を引き締めた。さもあらん。己が命運を賭けて、今から一世一代の大博打を打つのだから。
彼はその覚悟でバーチャル会議へと臨んだのだ。
だがそこに現れたのは、いつもの委員会のメンバーたちではなく、12枚の黒いモノリス──ゼーレの最高幹部たる12人の姿であったのだ。
これにはさすがのゲンドウも焦るほかなかった。些か予想外の事態であったのだ。
ゼーレの登場──それはつまり、すでにゲンドウには弁明の余地すら残されていないことを意味していたのだから。
ゲンドウの焦燥ぶりを無視するかのように、モノリスたちは冷酷な言葉を浴びせ始める。
「後任人事については、追って知らせよう」
「尤も、君が生きてそれを知ることはないがな」
「貴様の処刑は一両日中には執行する。 残された間は僅かだが、ネルフ司令として職務を全うすることを望む」
どれも辛辣な言葉だった。
「ちょ、待って下さいっ!! どうか私めの話をお聞き頂きたいっ!!」
ゲンドウは大きく眼を見開いて、必死に嘆願した。見れば、すでに顔面蒼白である。
口許で組んでいた手もいつの間にか振り解き、身を乗り出すような格好となっていた。
この男、かなり焦っていたのだ。
当然である。婉曲な言い回しだが、暗に死刑宣告をされているのだ。慌てないほうがおかしかった。
「この期に及んで命乞いかね?」
「これ程までの損害を与えておいて…なかなか面の皮が厚い男だ」
「左様。 君はもう終わった人間なのだよ。 後悔はあの世でするがいい」
口々に冷笑を浴びせるモノリスたち。
「クッ……そ、そもそも、あなた方が送り込んできた"あの女"こそが諸悪の根源だったではありませんかっ!!」
相当に焦っていたのか、思わず本音の言葉をストレートに吐いてしまったゲンドウ。
あの女というのは、勿論ミサトのことである。
だが叫んだ直後にハッと気づいて、バツが悪そうな顔をしていた。
この男、早々には口にするつもりはなかったらしい。
「ほう、今度は責任転嫁かね?」
「相も変わらず、見苦しい男だ」
モノリスたちはというと、一様に聞く耳すら持たなかった。周りからはせせら笑いさえ聞こえる。
だがゲンドウは、苛立ちを抑えて言い返した。
「ですが…事実です!」
ゲンドウは開き直ったように、再び口許でその手を組み直し、眼前のモノリスを睨み付ける。
無論、内心ではビクビクものであったのだが…。
「ふむ、アレが度し難い"無能"であることは我々も認めよう。 だが、あれを信任したのは他でもない、直接の人事権者である君だよ?」
「っ!! そ、それはあなた方の意向を慮ってのっ──」
必死に釈明を続けようとするゲンドウだったが、一人のモノリスがピシャリと断じた。
「初耳だな。 君は我々や委員会に"アレ"の更迭を一度たりとも具申したことがあったかね?」
「左様。 我々は彼女の実態を知らされてはいなかった。 これは報告を怠った君の怠慢だよ」
「グッ、そ、それは…その…」
ゲンドウは言葉に詰まる。
確かに、老人たちの顔色を窺っていたために、ただの一度としてその事実はなかったのだ。
勿論これは、老人たちの揚げ足取りだとはわかってはいたが、正論であるため、ゲンドウは反論出来なかった。
一人のモノリスが苦々しげに口を開いた。
「せっかく君の無理を聞き入れて、エヴァ参号機を送ってやったというのに、届けたその日に大破させるとは…君は我々を馬鹿にしておるのかね?」
別のモノリスが話を継ぐ。当然、その口調は険しい。
「第三新東京市は半壊、ジオ・フロントに至ってはもはや全壊といってもいい。 15年の工期、日本円で50兆にも及ぶ予算を掛けて築き上げたものが、まさに一瞬で水泡と帰した。 約束の時までの時間を考えれば、完全な修復など、もはや物理的に不可能だよ」
「人的被害も看過できんよ。 現時点で、死者・行方不明者5875名、重軽傷者1125名。 …本部職員の実に3分の1が失われたよ」
「しかもターミナルドグマのリリスの露見。 全世界同時中継。 これは実に由々しき問題だよ」
「君の責任は重大だ。 もはや"死"を以ってしか君に償える方法はない」
モノリスたちは矢継ぎ早にゲンドウを責め立てた。
「で、ですがっ、第四使徒は倒しましたっ!! これは評価されるべきことですっ!!」
やっとのことで言葉を吐くゲンドウ。
今回のことでのプラス要素といえば、これだけなのだ。
だがモノリスたちの、ゼーレの老人たちの反応は冷ややかだった。
「間違ってもらっては困る。 倒したのは君ではない。 君が追い返したサード・チルドレンと初号機だ」
再びピシャリと断じられた。
「グッ…ですが使徒はこれからも現れます。 今、私を排除することは得策とは思えません!」
ゲンドウは必死に弁明し、組織における自己の必要性を主張するが、…老人たちには通用しなかった。
「ふん、何を言うかと思えば…。 君の代わりなど幾らでもいるのだよ」
「君は些か自分のことを過大評価し過ぎておるようだな。 自意識過剰というヤツだ」
「左様。 君は自分で思っているほど、優秀ではないということだ」
モノリスたちは、次々と毒のある厭味な言葉をぶつけてきた。
だがそんな騒音にも構わず、ゲンドウは続ける。必死であった。
「現状、使徒撃退には、サードと初号機の存在が必要不可欠です。 そしてそのサードを御せるのは、父親であるこの私だけですっ!」
ここぞとばかりに嘯くゲンドウであった。
だがこれは本音でもあった。
この男には「子供は親の従属物」という不動のポリシーがあったのだから。
しかしながらモノリスたちの反応は、一様に冷ややかであった。
「…とても御しているようには見えんが?」
「というより、逆に君だからこそああも反発しているように見えるのだがね? よっぽど君がいないほうがネルフに協力的ではないのかね、君の息子は?」
男たちは鼻白んだ。
「尤もな話だな。 ──君のような"性犯罪者"が父親とは…もう恥ずかしくて外も歩けまいて。 サードも不憫よのう」
「まったくだ。 世間様に顔向けできんな。 こんなド畜生が実の父親とは…」
「左様。 いっそのこと警察に自首したらどうかね? そのほうが君の息子は泣いて喜ぶのではないのかね?」
まったく容赦がなかった。彼らは口々に悪態を吐き続けた。
ゲンドウはというと、眉間に皺を寄せ、苦々しげな表情で必死に耐えていた。
「ぬう…、あれは根も葉もない言い掛かり、あの映像は捏造です。 おそらくはネルフを快く思わない組織の仕業でしょう。 司令であるこの私を不当に貶め、利を得んとする卑劣な策略だと思われます」
保身のために大嘘を吐くゲンドウであった。
事ここに至っても、他人から変質者・変態・性犯罪者等の扱いを受けるのは、プライドの高いこの男には余程耐え難いことであるらしかった。
だがこのゲンドウの苦し紛れの言葉に、モノリスたちは微笑み混じりに噛み付いた。
「ほう…、あれを捏造だと言うのかね? フッ…それはおかしなこともあるものだな」
「???」
「我々のほうで、独自にあの映像のデジタルデータを分析したのだよ。 結果、あれは間違いなくMAGIの監視映像であるとの判定が出た。 なんせ改竄防止のための特殊な識別子が、MAGIオリジナルのユニークなプロテクト信号が埋め込まれておったからね。 何より媒体に刻印されたシリアルナンバーの整合性も取れておるのだよ」
そう言うと、そのモノリスはフンと鼻を鳴らす。
「!!!」
目を瞠るゲンドウ。よもや裏を取られているとは思わなかったのだろう。
「左様。 あれを捏造というのであれば、君の言う敵対組織とやらにはネルフの、MAGIのSSS級のセキュリティーデータが丸ごと漏れているということになるのだよ? そうでないと、あの映像は捏造出来ないからね。 ネルフの司令自らがそれを、不手際を認めるというのかね?」
モノリスたちは、ゲンドウの咄嗟の嘘を逆手にとって、ここぞとばかりに責め立てる。
無論、ゲンドウの言い訳など、彼らは端から嘘だと見抜いていた。
顔こそ見えないが、老人たちは一様にしたり顔で口の端をニヤリと吊り上げていた。
「そ、それは…」
ゲンドウは青くなり、どっと脂汗を流し始めていた。
肯定しようが否定しようが、彼自身にはどちらも都合が悪いことなのだ。
前門のレイプ魔(+嘘吐き野郎)、後門の無能司令の烙印…。
ゲンドウは、進退窮まって何も言えなかった。
暫く静寂の間が続いたが、一人のモノリスがしびれを切らしてか口を開いた。
「しかしこの期に及んでも言い逃れをするとは、…見苦しいことこの上ないな」
「今さらのことではあるまい。 碇ゲンドウとはそういう男だよ」
「おお、そうであったな。 我としたことがついうっかりしておったよ。 クククッ」
一堂に嘲笑の声が響き渡る。いつの間にか、恒例のゲンドウいびりが始まっていた。
「ぐう…」
ゲンドウはぐうの音も、いや、ぐうの音しか出せなかった。
今はジッと耐え忍んでいた。
いつかきっとその立場が逆転することを、雪辱を期して、組んだ両の手をグッと握り締めていた。


「まあ、いい。 そんなことはどうでも良いことだ。 話は変わるが、初号機とそのパイロット……だいぶ持て余しているのではないのか?」
嘲笑に湧く雰囲気を制して、"01"と表示された正面に浮かぶモノリスが、それまでの沈黙を破って口を開いた。
「ご心配いりません、キール議長。 サードは近日中にネルフ本部の指揮下に入ります。 どうかご安心を」
ここぞとばかりに大見得を切るゲンドウであった(内心では話題が変わってホッとしていた)。
勿論これはシンジとの契約の見通しが立ったということではなく、力ずくで事を進める目算がこの男にはあったからである。
「ほう…それは確かなのかね? この席での偽証は即、死に繋がるよ?」
別のモノリスが言質を取ろうと口を挟む。尤も偽証云々は抜きにしても一両日中に死を与えるつもりではあったが。
「勿論です」
臆することなくゲンドウは即答する。見ると、その表情は自信に満ち溢れていた。
捕らぬタヌキの何とかにならねば良いのだが…。
「だがあの初号機の力、我々のシナリオにはないことだよ。 そしてその原因すら未だ判明してはおらん。 これは実に由々しき事態だよ」
別のモノリスが苦言を呈する。
だがゲンドウは異を唱えた。
「…ですが、使徒撃退のためには必要なイレギュラーでした。 幸運ともいえます。 使徒は我々の予想を超えて強力…あの初号機の力がなければ我々は敗北していたことでしょう。 それにオリジナルの解読は未だ途上と聞き及んでいます。 シナリオにない事象も偶には起こるというものではないでしょうか?」
ゲンドウは淡々と正論を説きながらも、さり気なく論点をかわしていた。なかなかの策士だ。
また他人事のように言ってはいるが、実はこの男、ゼーレには内密に、オリジナル──裏・死海文書の原本──のコピーを採取し、独自に解読を進めているらしい。
「ふむ、一理あるな…」
そのゲンドウの言葉に、多くのモノリスが頷き、黙り掛けた。
だがそんな中で、一人の男が声を上げた。
「いや、だがやはりあの初号機は異常だよ。 一度徹底的に調べてみる必要がある!」
これにはゲンドウが慌てた。
「いえっ、初号機に異常などありません! その点につきましてはすでにネルフにて確認済ですので、どうかご安心頂きたい! それにあれは初号機の力というよりは、パイロットであるサード・チルドレンに原因があると考えるのが妥当です!」
内心では焦るゲンドウであったが、咄嗟にその動揺を隠すと、疑惑の矛先を初号機からシンジへとすり替えていた。
彼にとっては、今初号機をゼーレに調べられることは、甚だ都合が悪いことであったのだ。
この男、初号機を…愛する妻を庇うがために、あろうことか実の息子をスケープゴートに差し出したのだ。
彼にとっては息子など、路傍の石ころに等しいのだ。躊躇いなどはありはしなかった。
無論息子には、愛しい妻を目覚めさせるという役目があるのだが、背に腹は代えられないのだ。
──尤も、肝心のその息子は、黙って生贄にされるような従順な山羊ではないのだが…。
「ふむ。 確かにサードのあの力は異常ではある。 翻って危険とも言えよう」
「左様。 今後、我々のシナリオの障害となるやも知れん」
モノリスたちは、シンジに対する懸念の言葉を口にし始めていた。
ゲンドウは、ことのほか思い通りの展開にニィとほくそ笑み、答えた。
「フッ、ご心配には及びませんよ。 サードのあの尋常ならざる力は初号機があればこそです。 所詮は子供…初号機の庇護がなければ、アレには何もできません。 邪魔となればいつでも処分可能です」
処分とは勿論、"殺す"の隠語である。
この男には、実の息子といえども、愛情の欠片さえ存在してはいなかったのだ。
「…ふん、相変わらず外道だな。 実の息子を殺すことに些かも躊躇いがないとは…」
「息子が憐れだな…ユイ君が生きておれば嘆くだろうに」
モノリスたちは一様に呆れていた。
だがゲンドウは薄く一笑した。内心、愛する妻を引き合いに出されて、些か気分を害していた。
「これは異なことを…。 "製造物"をどうしようと"製造主"の勝手でしょう。 子供の生殺与奪は親に認められた正当な権利なのですから」
この男、とんでもなく時代錯誤なことをほざいていた。
無論、本気で言っているのだから、余計にタチが悪かった。
「「「「「……」」」」」
シーンと静まり返る一同であった。


「全壊したネルフ本部で、どうやってこれからの使徒を迎え撃とうと言うのかね? エヴァ参号機は大破したのだぞ?」
一枚のモノリスが処刑予定であるネルフ司令に問い質す。
ゲンドウはゲンドウでその予定された死を回避すべく、必死に考え、間を置いてそれに答え始める。
「幸いMAGIオリジナルは無傷です。 一部機能がダウンしましたが、松代のMAGIコピーに欠損機能をアウトソースさせており、両システムで連携すれば十分実戦に耐用できます。 目下、そのためのシステム構築に取り組んでおるところです。 どうかご安心を」
ゲンドウは一度説明を切ると、モノリスたちの反応を見渡し、そして再び話を続けた。
「失われた設備については、必要な箇所を優先して補修に当たります。 第五の使徒が襲来するまで、まだ暫くの猶予があります。 それにネルフには初号機が残されております。 何も問題ありません」
ゲンドウはあらかじめ考えてあった方便を淡々と説いた。一晩寝ずに考えた彼のシナリオであった。
予定では、次の使徒が現れるのは来月中旬、2週間以上も先の話であるのだ。
ゲンドウは、この期間に必要最低限度の突貫工事を進めるつもりでいた。
もはや、すべての破損箇所を修復することは、時間と費用の面から不可能であったのだ。
それに正確に言えば、これは修復ではなく修理である。
今のネルフは実用第一であり、見て呉れなどには構ってはいられなかったのだ。
併せて今回の戦没者の亡骸の撤去も進めないといけない。
このままでは一両日中には腐敗臭が立ち込めてくるであろうから、これは実質的に最優先事項であった。
また、今すぐと言うわけではないが、遺族年金などの補償費の捻出の問題も目白押しであった。
今のネルフは、カネはいくらあっても足りない状況であったのだ。
そのためには別途、特別予算を認めてもらうことが必要ではあったが、今それを老人たちに切り出すのは自殺行為であった。
そんなことを言ったら、彼らの勘気に触れるのは確実であるのだ。
そうなったら、首の皮一枚で繋がっている自分の命はそこでジエンド。
悩んだ末、ゲンドウは先ずは身の安全の確約を取り、その上でやんわりと予算を請求する腹積もりでいるらしかった。
…果たして、うまくいくのだろうか?
老人たちは暫く無言でいたが、一人の男が怪訝そうに口を開いた。
「だが、今回の使徒は一週間も早く現れたのだよ? それは我々のシナリオにはないことだ。 君のそのスケジュールは当てになるのかね?」
「左様。 第五の使徒が明日にでも現れたら、そのときはどうするのかね?」
「……」
ゲンドウは言葉に詰まった。
どうやらその可能性を考えてはいなかったらしく、脂汗を流し始める。
そして再度、沈黙が周囲を包み込んでいた。


「…あくまで"アレ"を排斥しろというのか?」
黙り込むゲンドウに痺れを切らしたかのように、モノリスの一人、"01"と表示された男が、話題を変えて問い質した。
アレとは勿論、あの女、葛城ミサトのことだ。
「誠に僭越ながら、それもやむなしと愚考します、キール議長」
ゲンドウは重く仰々しく返答する。
このまま彼女を、無能で愚鈍極まりない葛城ミサトを野放しにすることは、ネルフはもとよりゲンドウ自身の致命傷にもなりかねないのだ。
…いや、もうとっくになっているとも言うのだが(汗)。
併せて彼女の表舞台からの退場、並びに今回の責任の一切を被ってくれるなら、これはゲンドウにとって願ってもないことである。
だが男のその言葉に、周りのモノリスたちが色めき立っていた。
こぞって罵声を浴びせ始めたのだ。
「ダメだ! それはできぬ相談だ! 事は裏・死海文書の記述だけの問題ではないのだよ! 碇、貴様も知っておろうが!」
(…ぬう、言ってることがさっきと違うではないか)
イジメだイジメ。
会議の冒頭ではミサトのことで散々自分の言い分を退けたくせにと、憤るゲンドウ。無論、顔には出さないが。
ちなみに、葛城ミサトの役割はというと(おさらい)──

その一)
一見善良そうな性格でチルドレンたちの信頼を得、そして大事な局面で一気に信頼を裏切り、突き放し、その心を壊す(望ましい依り代を作るため)。
その二)
程よく無能(現実はとんでもなく無能…汗)で、使徒を前にすると途端に周りが見えなくなり、猪突猛進する安直な性格の持ち主である。
これによりチルドレンやエヴァに適度なダメージを与えてくれる。
結果、初号機(碇ユイ)の覚醒も早まる(これについてはゲンドウの思惑)。
及び、使徒に完勝しない二流(実際は五流以下)の戦闘指揮により、程よい危機感を世界に印象づけ、予算の獲得もやり易くなる。
結果、相対的に敵対勢力の勢力(予算)を削げることが可能となる。
その三)
葛城調査隊唯一の生き残りにして、故・葛城博士の忘れ形見であるという悲劇のヒロインとしての境遇が、使徒への復讐とネルフの正当性を掲揚させ、お涙頂戴の客寄せパンダとして、内外からの批判をかわす。
その四)
その激しい復讐心から、自分の手以外の使徒撃退を一切認めず、他組織(例えば戦自など)の介入や抜け駆けに対し、極端な憎悪を向ける。
そのくせ、欲しい物があれば、公私を問わずにネルフの特務権限を笠に着て、問答無用で徴収・徴発する極めて自己中心的かつ独善的な性格であり、外部とは一切協調し得ない。
結果、ネルフは程よく世界から孤立する(これはゼーレの思惑)。

──というようなものである。
モノリスたちの糾弾は続いていた。
「左様。 南極でアダムを個人的理由から故意に暴走させたあの女を、ゼロ・チルドレンを組織の外に放つわけにはいかないのだ。 万一記憶を取り戻されると厄介だ。 殺すにしても、アレは一瞬とはいえ、槍を介して遺伝子レベルでアダムとの物理的融合を果たしておる。 それが我々のシナリオにどのような影響を及ぼすのか未だわかっておらんのだ。 故に下手に手は出せんのだよ!」
彼らは語気を荒げてゲンドウを非難した。
無論、彼らにとっても彼女の存在は目の上のたんこぶであったのだが、そう簡単には切り捨てられない事情があるようだ。
勿論、ゲンドウもその辺の事情は知ってはいたが、彼の予想以上に老人たちは頑なであった。
何よりも、老人たちはとんでもない事実を口にしていた。それはまさに驚愕の内容であった。
──アダム、暴走、故意、ゼロ・チルドレン、槍、物理的融合。 …葛城ミサトという女は、彼の地で一体何をしでかしたというのだろうか?


ゲンドウは必死に主張する。
「ですが、このままではシナリオそのものが瓦解しかねません! そうなれば本末転倒ではないですか!」
「…フン、それを何とかするのが監督、掌管者としての君の役目ではなかったのかね?」
「尤もこれから死に逝く君にそんなことを心配してもらう必要はないよ。 彼女の処遇については新任のネルフ司令の手腕に期待すればいいことだ」
「グッ…」
あまりに辛辣な言葉に、ゲンドウは下唇を噛み締め、組んだ手をグッと握り締めた。
サングラス越しでわからないが、男は刺すような視線で眼前の数枚のモノリスたちを睨みつけていた。
別のモノリスが言葉を継いだ。
「だがまあ、確かにあの女には呆れる。 ──己が父親を殺し、未曾有のカタストロフィーとなったセカンド・インパクトを引き起こしたのが、まさか己自身だとは夢にも思うまいて」
「医者共の診立てでは、"解離性健忘"とか申しておったな。 確か、自分に具合の悪いことや思い出したくないことは都合よく忘れたり記憶のすり替えを行なうというやつだったな……フン、呆れるばかりだな」
「元々アレにはその素質があったのだろう。 だが我々にとっては僥倖であったよ。 投薬やマインドコントロールの手間を一切掛けることなく、自ら記憶を操作、封印してくれたのだからな。 まあそのせいで、重度の失語症に陥ったようだが…」
モノリスたちは、吐き捨てるように衝撃の事実を暴露していた。
──今、明かされたセカンド・インパクトの、葛城ミサトの秘密…。
もしこの話が真実だとすれば、いや世界の黒幕たる彼らの言なのだからもはや疑いようもないが、セカンド・インパクトの真の原因がミサトにあるということなのだ。
原因というよりは、"犯人"と言い替えたほうが適切かも知れない。
インパクトの直接的な犠牲者が20億人。
そしてその後の混乱期で、さらに10億人が世界的規模の大飢饉と紛争で死に絶えた。
僅か半年あまりで、実に世界の総人口の半分が永遠に失われたのだ。
そして十数年が経った現在では、この星の人口は全盛期の三分の一、20億人にさえ満たなくなっていた。
まさに人類史上最大最悪の災厄であったのだ。
それをあの女がやったと、ゼーレの老人たちは言っているのだ。
何ということであろうか…。このようなことが許されるのであろうか…。
それでも葛城ミサトは、今ものうのうと生きていた。
都合の悪いことはすべて記憶の、意識の外へと閉め出して…。
呆れてモノも言えない。
使徒を己の父親の仇と主張する根拠ですら、彼女の身勝手な思い込みに過ぎなかったのだ。
無意識に自分の罪を他者に押し付けたのだ。自分を守るために…。
それはあまりに自己チューな防衛機制だった…。
…肝心の、どういう経緯で彼女がセカンド・インパクトを引き起こしたか、その詳細については、老人たちの会話からはわからない。
だがこれについては、後に某少年の口から詳しく語られることになるであろう。


「尤も、セカンド・インパクトの被害をあれほど大規模なものにしたのは…碇君、君の細工だったがな。 ──よもやアダムのS2器官と起爆装置とのリンクに、あのような悪質な仕込みをするとはな…」
モノリスの一人がゲンドウに厭味な言葉を吐くと、別の男がそれに同調した。
「左様、左様。 まさか人工進化研究所の、いやゲヒルンの所長の椅子欲しさに、当面のライバルである葛城博士を事故に見せかけて屠るとはな…。 なかなかの外道ぶりに、当時は我々も呆れたものだよ」
「あの当時、葛城博士は我らの意思を離れ、アダムを被験体とした自らの理論実証を優先させようとしておったからな…。 お主と葛城の娘、少なくとも一方がいなければ、セカンド・インパクトの災厄は間違いなく起こらなかった。 皮肉なものだ」
「……」
ゲンドウはずっと押し黙っている。
老人たちの言っていることは事実であった。
実を言うと、ゲンドウにとっても、セカンド・インパクトの被害があれ程大規模なものになったのは、些か予想外であった。
精々が、南極のジオ・フロントが爆散、蒸発する程度で収まると考えていたのだ。
まさか葛城ミサトが、葛城博士の一人娘が、アダムを乗っ取って暴走させるとは、さすがに予想だにしなかったのだ。
この男自身、遠く離れた日本の地でそれを知ったときは、さすがに冷や汗を掻いていたという。
勿論、すぐに開き直ったらしいが…。
モノリスの一人が皮肉を吐く。
「己はさっさと細君を連れて日本に逃げ帰っていたのだからな…。 ユイ君は事情を知っておったのかね?」
「……」
しかしゲンドウは黙して答えない。代わりに別のモノリスが口を開いた。
「いや、どうやら彼女は知らなかったようだ。 一科学者として最後まで実験を見届けたいと、この男にごねていたくらいだからね」
「ふん、欺瞞極まりないな」
「……」
ゲンドウはというと、ジッと耐え忍んでいる。
「ゼロ・チルドレンの暴挙と合わせてあの数日だけで20億人が犠牲となった。 あれほどの被害、我々の行動表にもなかったことだよ」
「左様。 あのとき、どれだけ我々が事態収拾に奔走したことか」
モノリスたちによる厭味と皮肉の大合唱。
だが実は、15年前にもまったく同じことで野次られていたのだ。同じネタで二度非難されるゲンドウは堪ったものではなかったらしい。
ここに来てゲンドウが沈黙を破った。
「これは異なことを…。 どうせサード・インパクト時にはすべてが滅ぶのです。 たかが20億の犠牲など、何程の遠慮がありましょうや。 それにあの未曾有の大災害のお蔭で世界の趨勢は決したのです。 裏・死海文書の予言どおり、あなた方の目論見どおりにです。 結果、国連でのあなた方の発言力は揺るぎないものとなった。 この碇ゲンドウ、あなた方に感謝こそされても、非難を受ける謂れなどありませんよ」
グッと中指でサングラスを支え上げると、ゲンドウはギラリとモノリスたちを睨み、威圧した。
無論この男が20億人を殺したのは、ゼーレのためなどではない。己の野望のためであった。
このとき、ゲンドウは一つの決心を抱いていた。
(──もしこの私を切り捨てると言うのなら、覚悟するがいい。 全世界に今までのことを洗いざらい暴露してやるっ! 無論この私がしたことは貴様らに全部擦り付けてなっ! フフフ、思い知るがいいっ!)
ギリッと歯噛みし、そのままモノリスたちを睨み付けるゲンドウ…。
彼はすでに最悪の場合の覚悟を決めていたが、黙って殺されるつもりなどサラサラなかったのだ。
「フン、吠えおるわ」
「いい気になるなよ、碇」
「今すぐ死にたいようだな」
ゲンドウの言い分を見苦しいとばかりに、モノリスたちは息巻いた。
だがそのとき、ゲンドウの真正面に位置する一枚のモノリスが、周囲の喧噪を制して言葉を告げた。
「──わかった。 そこまで言うのなら、貴様に最後のチャンスをくれてやろう」
キールであった。
「「「「「!!!!」」」」」
思いもよらないキールの言葉に、他のモノリスたちはざわめいた。
逆に、ゲンドウはニヤリとほくそ笑む。
「馬鹿なっ!」
「キール! 貴様、一体何を考えているっ!?」
「お主、この男の罪を不問にすると言うのかっ!?」
「左様。 いかな貴殿の差配とて承服しかねる。 この男の罪状は看過できるものではない。 そもそも我々への根回しなしに些か無礼ではないかね? 撤回されよ!」
モノリスたちが一斉にキールを責め立てる。その口調に遠慮などはなかった。
キールと呼ばれる男は、ゼーレの最高幹部12人の筆頭であり、首魁ではあったが、その立場は彼らと同列であったのだ。
「あれ程の被害──今さらこの男の責任を揉み消すことなど出来んよ」
「当然だ。 この男には事態収拾のためにも人柱になってもらわねばならん!」
彼らは口々に不満をぶちまける。
そこにキールが間隙を縫うように口早に切り出した。
「…碇、暫し待て──各々方、秘匿回線を開かれよ。 話がある」
「ふむ、わかった」
「承知」
「了承だ」
キールの声に応えるかのように、モノリスたちはゲンドウの目の前から一斉にその姿を消した。





モノリスたちは別のバーチャル空間へと集結していた。
ゲンドウには席を外させた上で、幹部12名の意見を調整しようというのだ。
ますモノリス"01"、キールが口火を切った。
「まずは各々方には先程の非礼を詫びよう。 ──だが、今あの男を殺すのは得策とは思えんのだ」
「相変わらず甘いな、キールよ」
少しの沈黙の後、"02"と表示されたモノリスが口を開き、皮肉の言葉を吐いた。
キールは苦々しい表情で答える。
「…だがあの男以外に我々の代行者は務まらなかったのも、また事実だ」
「フン……まあ、確かにあの男の力なくして、今のネルフはなかった。 それは認めよう。 ──だがそれを一瞬で水泡に帰したのも、紛れもなくあの男なのだよ!」
「ああ左様。 差し引き±ゼロ──いや、今まで注ぎ込んだカネと年月を考えれば、途方もなくマイナスだよ」
口々にキールを責める声。まさに四面楚歌だ。
だがキールは臆することなく言い放った。
「無論それもある。 だがヤツの功績はそれだけではない。 E計画、アダム計画、そして人類補完計画…。 あの男の存在なしに、ここまでの進捗はなかった。 確かに今回のことでネルフ本部は全壊したが、幸いにして三つの計画自体は、まだ破綻してはおらん」
「「「「「……」」」」」
暫く押し黙っていたモノリスたちであったが、一人が怪訝そうに口を開いた。
「…だがあの男、些か度の過ぎた野心を抱いておる。 いずれイスカリオテのユダとなるやも知れんぞ?」
「使徒を倒せればそれでいい。 邪魔になったら消すまでだ。 それにヤツの裏切りなど、我はとうに見越しておる」
キールは自信ありげに答え、そのまま続ける。
「使徒15体を滅ぼした後は、我らが『666部隊』単独でサード・インパクトを起こせる。 アダムや使徒の力を借りるまでもなくな。 あの男は、所詮そのための捨て駒に過ぎぬ。 ──すべての駒は我らの手中にあるのだ。 あの男には何も出来はせんよ」
そのモノリスの姿からは窺い知れないが、キールはニヤリと口許を歪めていた。
「ならば尚更、あの男は不要ではないのかね?」
「…アヤツが何を企んでいるのか、ここはもう少し見極める必要がある。 念には念を入れてな。 ──隠蔽したつもりだろうが、シャムシエル戦の最中、MAGIがアダムの反応を探知したことも気になる」
「何? あれは誤認ではなかったのか?」
キールの言葉に、また別のモノリスが食いついた。
「探知機の精度はゼーレ技術部の折り紙つきだ。 誤認など現実的ではない」
「ではあの反応は正しいと!? ──まさか碇のヤツもアダム細胞の培養を成功させているとでも言うのかね!?」
ダッシュという少年の正体を知らないそのゼーレの幹部は、実にトンチンカンな心配をしていた。まあ、無理もない話ではあるのだが…。
「それはわからんよ。 表立って怪しい予算は計上してはおらんが……あの男には潤沢な資金があることを忘れてはならん」
「あの世界的コングロマリットの売却益か。 確かに一個人が持つには大きすぎる資産ではあるな」
「…碇翁の遺産か。 確かに厄介ではあるな」
「そのとおりだ。 ざっと見積もっても日本円で150兆は下らない額だろう。 それにヤツが独自にオリジナルに近いアダム細胞を入手していたとしてもおかしくはないのだ。 あの男の常日頃からの不審な行動は、目に余るものがあったからな」
キールは鼻持ちならない様子で吐き捨てる。
「うむ、十分にあり得る話だな」
「…だが解せんな。 たとえあの男がアダム細胞の培養に成功していたとしても、その個体にアダムの反応が現れるのは些かおかしいのではないのかね? 我々の研究データとは明らかに矛盾する現象だよ。 我らが『666』でさえそのような反応は出なかったのだぞ?」
そう言うや、腑に落ちないといった表情で、その男は首を捻る。 …無論、見えないが。
「うむ、確かにその点は気になるな…。 感知場所からして、参号機パイロットと何か関わりがあるのかもしれん。 かの少年を出頭させて査問に掛けてみるかね?」
その言葉にキールは少し考える様子を見せると、少しタイムラグを置いてから口を開く。
「…いや、それは早計だろう。 碇が尻尾を出すまでもう暫く泳がせておくのが得策というものだ。 …それに、今はもっと気になることが他にある」
そう言うや、キリッと表情を引き締めた。
「…初号機とサードのことだな?」
「そうだ」
キールは即答した。
「確かにな。 あの力は異常だ。 今後、我らの障害となる可能性が極めて高いだろう」
「だが今は必要な力やも知れぬ。 ──使徒を倒すためにはな」
「何を暢気な! 使徒殲滅など、いざとなれば『666』の連中に任せてしまえばよいではないか!」
そう一人の男が息巻いた。
「それは些か軽率だな。 オリジナルの使徒と連中が接触して何が起こるのか…結局はまだ何もわかってはおらんのだよ」
「!? まさか……不用意にサード・インパクトが起こるとでもいうのかね?」
そうなったら死んでも死に切れぬと身震いする男。
「それはわからん。 無論可能性は低いだろうが、用心に越したことはない。 我々には万が一にでも失敗は許されないのだ」
「…わけのわからんものは使えんということか」
「まあ、連中は裏・死海文書にも予言されてはいないイレギュラーな存在だからな。 仕方あるまいて」
「フン、イレギュラーか…。 何よりもそれを嫌っている我々がその実それに期待しているとはな…。 これ以上の皮肉はないぞ」
モノリスの一人は自嘲気味に呟いた。


キールが機を見て話を切り出した。
「碇を切り捨てることは容易い。 が、今は早計というものだ。 今はヤツも警戒しておる。 窮鼠猫を噛むという諺もある。 追い詰められたあの男が何をしでかすのか、見当もつかん」
「フン、アヤツのことだ。 いざとなったら世界に向けて我らのことを洗いざらい暴露するつもりなのだろう。 無論、自身に都合の悪いことは伏せてな」
図星であった。
「そして自らは世界を救った英雄として世の讃美を受けて、のうのうと生き残るか。 …ヤツの行動パターンを考えれば、十分に考えられることだな」
「無駄なことを…。 我らはそれほど甘くは無い」
モノリスたちはふてぶてしく口を尖らせて某鬚男をなじる。
「──つまり、現時点ではあの男を消すメリット・デメリットの見極めが出来んということだな…」
少し時間を置いて、一人の男が意見を総括した。
「ふむ。 今は仕方がない、ということか…」
「……」
「……」
「──わかった。 あの男の出処進退を含め、この件はキール、お主と委員会に任せよう」
「ふむ、同意するしかあるまいて」
「了承しよう」
「やむを得んな」
口々に肯定の発言を並べるモノリスたち。
「だが、ご油断めさるな。 あの男、あれで中々狡猾でありますからな」
「承知した。 ──すべてはゼーレのために」
「「「「「すべてはゼーレのために」」」」」
その掛け声を合図に、すべてのモノリスはその姿を消した。





「待たせたな、碇」
「いえ、お気になさらずに」
だが言葉とは裏腹にゲンドウは面食らっていた。
そこに現れたのは先程のモノリスたちではなく、いつもの人類補完委員会の五人のメンバー、そのホログラフィーであったのだ。
鬚面の男の一抹の動揺を無視してキールは話を進める。
「では委員会の決定を伝える。 ──今回のことでの君の責任の是非については留保とする」
「留保…ですか?」
玉虫色の判決に思わず眉を顰めるゲンドウであった。
「そうだ。 今回の事態収拾後に改めて結論を下す。 良いな?」
「…承知しました」
ゲンドウは多少訝しそうにしていたが、取りあえず首の皮は繋がったとばかりに、そのまま頷いた。
そのとき横から委員の一人が口を挟んだ。
「だが、今回の被害の全容は世界に知れ渡っておる。 事態収拾は些か難儀であるぞ?」
「まあ、それはこの男に任せればよい。 事実の隠蔽と捏造はコヤツの十八番(オハコ)だからな。 お手並み拝見といこうではないか」
その委員の懸念に対し、キールは意味深な笑みを湛えて厭味とも取れる言葉を吐いた。
無論その厭味の対象は目の前に座るゲンドウであったが、どうやら当の本人は気づいてはいないようである。
「フッ、ありがとうございます。 キール議長」
ゲンドウは思わずほくそ笑んでいた。自分の望みどおりの結果になったと思っていた。
だがここで、男の思惑にキールが水をさした。
「碇よ、安心するのはまだ早いぞ」
「──は?」
意味がわからずにゲンドウは顔を上げると、ポカンとした視線を眼前のバイザーの男へと向ける。
バイザーの男は視線を絡めてニヤリとすると、目の前の男に対してまさに冷や水を浴びせた。
「今回の使徒戦における地上とジオ・フロントの損害の補償、第四使徒の調査と撤去、参号機の修理──のカネについては、我々は一切面倒を見ない。 君がすべて自腹を切りたまえ。 それが今回の温情の条件だ」
「んなっ!?」
思ってもみなかった仕打ちに、ゲンドウは椅子から飛び上がった。
無論、口許で組んだ手も解かれている。
「なるほど…それは良い考えだ。 我々の懐も無尽蔵ではないからな」
「なに、君の個人資産からすれば、大した額ではあるまいて。 ほんの数十兆円だ」
委員たちはニヤニヤ顔で口々に皮肉っていた。
だがゲンドウにはその個人資産はもうないのだ。さすがに無い袖は振れないのだ。
だがそのことをここでは言えるものではなかった。言ったら終わりなのだ。
故に、何とかして誤魔化さなければならなかった。
「お、お待ちをっ!──」
慌てふためいた様子で、眼前の男を引き止めようとするゲンドウ。しかし、──
「話はここまでだ。 これが呑めぬようなら、改めて君の責任を問うことになる。 これが試金石だ。 心することだな」
キールは聞く耳すら持たず、ゲンドウの嘆願を一蹴した。
「ぐっ」
「審議は以上だ。 ご苦労だったな」
キールは手短に労いの言葉を掛けると、少し間を置いてドスのきいた声で釘を刺した。
「…碇、我々を裏切るなよ」
その鋭い視線はゲンドウの双眸を射抜く。
そしてこの言葉を最後に、五人の男たちは各々その姿を消していった。
「……」
一人取り残された鬚面の男はというと、茫然とした様子で暗闇の中に突っ立っていた。





〜ネルフ本部・第二発令所〜

「は、はあ〜い♪」
その日の早朝、まだ定時前だというのに、ミサトが第二発令所へと顔を出した。
何故、第一のほうではないのかというと、そこはすでに閉鎖され、今はここが(臨時ではあるが)中央作戦室の本部であるのだ。
見れば、ミサトはホンのちょっぴりだけバツが悪そうな顔をしている。 …あくまでホンの少しだけだが。
この女、ネルフが無事だという噂を聞いて、慌てて舞い戻ってきたのだ。
その際、通りすがりのファミリーカーを強引に止め、乗っていた親子連れをネルフ権限と拳銃の威嚇射撃で脅し、強引に車内から引きずり出した上で、無理矢理クルマを徴用してきたらしかった。
ちなみにこの女、最後まで抵抗していたドライバーの男を、「アンタっ!! ネルフのご威光に逆らおうってーのっ!!」と怒鳴り付けるや、躊躇なく射殺した。
小雨の降る中、道路に放り出された良き夫、良き父親であったハズの無残な亡骸に縋り、号泣する妻と娘…。
この女、それを横目で眺めながら、
「フン…いい気味だわ♪」
という冷淡な捨てゼリフを残し、奪ったクルマで一顧だにせずに走り去ったという。
もはや悪辣極まりないクソ女であった。
そもそも敵前逃亡をしたというのに、どの面下げてネルフに戻ってきたのだろうか?
いや、都合の悪いことはスッパリと忘れているのだろう。そうに違いなかった。
「……」
「……」
職員は一様に無視する。顔もあわせない。そりゃそうだ。
「な、何よみんなー、そんな顔しちゃってさー。 日向くんも、この、このー♪」
とてもフレンドリーに、肘でマコトを小突くミサトであった。
マコトは何とも複雑な顔をしている。
「あはーん♪ 聞いたわよん? 使徒を倒したんですってねぇー。 あはっ♪ やっぱり、アタシの指示どおりにしたから倒せたのね〜♪」
図々しくも囀るミサトであった。
勿論、言っていることはまったくのデタラメ、彼女の妄想に過ぎなかったが、この女は本気でそう思っていたのだから、おめでたい。
テメエの指示に従ったからこそ、こんなにも大きな被害が出たんじゃねーかっ! ──と職員の誰かが叫びそうになっていたが、当のミサトはというと、そんな都合の悪い記憶はとっくの昔に頭の中から駆逐されていたらしい。
非常に身勝手で都合の良いオツムの作りをしているようであった。
まあ、だからこそ臆面もなくこの場へと現れることが出来たのだろうが…。
「……」
発令所の面々は、ミサトのあまりの図々しさに呆れ果てている。
完全にシカトしていた。白い目を向けている者もいる。
そんな中、リツコが内線電話に手を伸ばし、どこぞへと連絡を取っている。
「──ええ、ここにいるわ。 よろしくお願いするわね」
そう言い終えて受話器を置くと、暫くして武装した黒服が数名、発令所内へと現れた。
「葛城一尉、貴様を逮捕・拘束する」
男の一人がそう言うと、彼女の両脇を別の二人の黒服が固める。
「んなっ!? 何よっ!! アタシが何したってのよっ!!」
この女…本気で身に覚えがなかったらしい。
冤罪とばかりに、大声で喚き捲くっていた。
「ちょっとリツコぉ! アンタからも何か言ってやってよっ!」
名前を呼ばれたリツコは露骨に嫌そうに一瞥をくれると、一つ嘆息してから、言ってやった。
「そうね…色々あるけど、簡単に言えば、貴女にはネルフ職員5000人を殺した容疑が掛かっているわ」
「んなっ!? 何言ってんのよアンタはっ!? んなこと知らないわよっ!! ふざけないでっ!!」
女は唾を飛ばして怒鳴る。
「別にふざけてなんかいないわ。 事実よ。 勿論、業務上過失致死なんて軽いものじゃなくて、重過失…いえ、未必の故意による大量殺人の容疑がね」
「ちょっ! ──ぬ、濡れ衣よぉ〜〜〜っ!!」
黒服たちはミサトの両脇を拘束するや、ズルズルと彼女を引きずって行こうとしている。
「ちょ、ちょっとアンタたちっ!! やめなさいっ!! アタシじゃないと使徒は倒せないのよっ!? 人類は滅んじゃうのよっ!? それでもいいってーのっ!?」
「…お前ごとき"無能"の淫乱女など、いないほうが余程、世界は安泰だ」
おお! …男の言っていることは、まさに正しかった。
だが、正しいとは欠片も思っていない女が噛み付いた。
「何ですってぇー!! …って、ちょっとぉ! 淫乱って一体何のことよっ!?」
「フン、おめでたい女だ…直にわかるさ」
ミサトは最後までギャーギャー喚いていたが、鳩尾に一発食らうと途端に大人しくなり、そのまま連行(搬出?)されていった。
「…あのう、葛城さん、どうなっちゃうんでしょうかぁ?」
ミサトが黒服たちに連行されて行った後、マコトが心配顔でリツコに訊ねてきた。
「…彼女、もう戻らないかも知れない」
「は? そ、それってどういう…?」
「…十中八九、銃殺刑になるでしょうね」
何の表情を見せずにリツコは答えた。80〜90パーセントの確率で銃殺刑であると。
尤も、残りの10〜20パーセントは助かるということではなかった。
つまり、残りの可能性は銃殺刑ではなく、やや罪の軽い絞首刑であろうと、リツコは予想していた。
どちらにしても、極刑(死刑)であることには変わりはないのではあるが…。
「そ、そんな…」
それを聞いたマコトは、青くなって絶句してしまった。





〜ネルフ本部・付属中央病院、第一外科病棟〜

ここはつい先日までレイが入院していた病室である。
そのためどことなく少女の甘い残り香が漂っていたが、現在の入院患者のポマード臭さがそれを台無しにしていた。
そこには満身創痍の一人の老人が収容されており、ベッドの上で無言のまま横たわっていた。
この老人、出血多量で一時は生命の危機に陥っていたが、ネルフ医療班による集中治療のお蔭で、どうにか峠を越したようで、朝方には意識を取り戻していた。
だが彼の両の手足は見事に断裂しており、まさに達磨さん状態の無残な姿でしかなかった。
老人はジッと天井を、虚空を見つめている。我が身に起こった不幸を嘆いているのだろうか…。
当然この状態では、排尿・排便行為は自力では不可能である。
このため、先程うら若い看護婦がやってきて、排泄用のカテーテルを下半身に装着していったらしい。
この歳でこの仕打ちは辛いことであろう。
当人もかなり恥ずかしかったらしく、「何でワシが…」とブツブツと恨みつらみの言葉を呪文のように呟いていたらしい。
彼の失われた手足については、先ずクローニングの方法が検証されたが、クランケの歳が歳だけに、いかにネルフの技術をもってしても、それは難しいとのことであった。
つまり、この老人のこれからの余生は、義手・義足・車椅子での生活となることを意味していた。
そのことを医者から宣告されたときの、この老人の落ち込みようはなかったらしい。


そこに鬚面の男、碇ゲンドウがノックもなしに入ってきた。
「冬月、元気か?」
ドアを開けるなり、トンチンカンなことをほざくゲンドウであった。
元気な人間がこんなトコにはいないと思うが。
「…ああ、何とかな」
気のない返事の冬月。無論、言葉どおりに元気なわけがなかった。体は酷く衰弱し、まだ身動き一つ出来ない状態なのだ。
未だ予断を許さない、絶対安静の重体であるのだ。
「そうか…まあ、食え」
ゲンドウはそう言うや、お見舞いの品をテーブルにドンと載せると、自分はそのカゴから白桃を一個取り出して、パイプ椅子に腰を下ろすなり一人かぶりついた。
床とベッドに汁がポタポタと垂れるが一向に気にしない。
「……」
無論、冬月にそれを取って食べることなど出来はしない。そもそも今は、そんな食欲さえありはしなかった。
だがそんなことは構わずに、美味そうにムシャムシャと頬張るゲンドウ。 …気配りの欠片もなかった。
男は桃を食い終わると、タネはその辺にブッと吐き出し、汁で濡れた手は目の前のシーツでゴシゴシと拭う。
勿論それは冬月のベッドのシーツである。
「……」
老人は横目で呆れていたが…。
「…で、何をしにきたのだ?」
冬月が寝顔を横に向け、怪訝そうに訊ねる。
この老人、ゲンドウが単に自分の見舞いに来たとは、微塵も思ってはいなかった。
ゲンドウという男は、そんな殊勝な人間ではないのだ。
冬月は、誰よりもそれをよく知っていた。


「そうか、老人たちがそんなことを…」
ゲンドウからゼーレとの審議の内容を一通り聞かされると、冬月は大きく溜め息を吐いていた。
「しかしまさか、お前が許されるとはな…」
「まだ許されたと決まったわけではない。 そのためにも、何としてもカネを捻出せねばならんのだ」
パイプ椅子の上で器用にゲンドウポーズを決め、男は思いつめたように呟いた。
「老人たちは、お前が素寒貧だとは知らなかったようだな」
「バレていたら、その時点でおしまいだからな」
憮然と言い返すゲンドウ。
「で、どうするのだ? 捻出するといっても、勿論今のネルフにそんなカネはないぞ。 さすがにない袖は振れんだろう?」
冬月はその首を横に向けたまま、心配そうに訊ねた。
だがゲンドウは、まるで不思議の国のアリスのチシャ猫が如き不気味な笑みを浮かべると、言った。
「なければ、徴収するまでだ」
「何!? それは些か無茶ではないかね?」
よもや重税を課すのではと思い込んだ冬月が慌てる。
それをやったら益々ネルフの国際社会での風当たりが強くなるのは必至である。というか今回の件で命取りにすらなりかねないのだ。
そうでなくても、今まで間接的にではあるが、色々な御託を並べて全世界からさんざ搾り取ってきたのだ。
それこそ夥しい数の人々を餓死させても、一向にその手を緩めずに、である。
だがゲンドウはサングラスに手を掛けて、言った。
「いや、ネルフ債を発行する。 すでにそのための準備はさせている」
「ネルフ債? …ふむ、ボンドか。 だが前例がないぞ? それに、そうそう上手くいくのかね?」
「なに、一年満期で100倍の利回りを歌い文句にすれば、所詮は愚民どもだ、すぐに集まる。 問題ない」
妙に自信満々のゲンドウである。
しかし100倍の利息とは大きく出たものだ。というか、かえって胡散臭い。
無論この男は、利息はおろか、元本さえも一円たりとも返す気は、サラサラなかった(おい!)。
サード・インパクトで、一気にチャラにする気なのだ。
(こいつ、稀代の詐欺師だな…)
呆れつつも、だがこの男にしては妙案だと冬月は思っていた。
「ふむ…だが日本国内で賄うしかないと思うぞ。 国連を通して世界でそれをやろうとすれば、間違いなくゼーレの利権と衝突するからな。 老人たちはそれをきっと許さないだろう」
「…むう、確かにそれはマズイな」
ゲンドウは難しそうな顔をして相槌を打った。
後日談になるが、結果、ネルフ債によって僅か数週間で一兆円あまりが集まった。もちろん必要な額にはまだまだ全然足りなかった。100倍という利回りがかえって信頼度を落としたのだ。
真実味を出すためにゲンドウは100倍→10倍に下げようとしたが、冬月に窘められた。
今さらでは余計に混乱を招くだけなのだ。当たり前だろう。
だがこの一兆円というお金、投機目的というよりは、身寄りのないお年寄りの箪笥預金をはじめ、社会弱者といわれる人々から、その貴重な命綱ともいえるカネを集めたものであった。
ネルフが言葉巧みにマスメディアを使って大々的にキャンペーンを繰り広げたのだ。
ゲンドウ、実に悪党である。
尤も、知的水準が高い層は、だいぶ二の足を踏んでいたらしい。
そのあまりにも高すぎる利回りと、資産運用方法の不透明さに、強い猜疑心を懐いたのである。当然であろう。
「破損した施設は優先度の高いものから修理する。 この際、見て呉れには構ってはおれんからな」
「戦没者の遺体はどうするね? さすがにあのまま放ってはおけんだろう?」
冬月が心配して訊ねる。
そろそろ何とかしないと腐敗が進行してしまうのだ。地下の密閉された空間で、それは切実な問題だった。
だがゲンドウは興味ないとばかりにふてぶてしく吐き捨てる。
「フン、死体など、瓦礫ごと特殊ベークライトを流し込んで隠せばいい。 それで十分だ。 いちいち回収するなど、そんな余計なカネはない」
まさに臭いものに蓋とは…バチ当たりな男である。
「だが、残された職員や遺族が何と言うかだな…」
「知ったことか!」
(こいつは…)
面倒事は自分に押し付ける気なのだなと、冬月は確信していた。


「あと、葛城一尉は先程身柄を拘束し、ここの隔離病棟へと監禁した」
ミサトは逃走劇の挙句、のうのうとネルフに戻ってきたところを拘束(捕獲?)、頭部を負傷していたことから、ネルフの付属中央病院へと搬送されていた。
「そうか…で、どうするのだ? 彼女を裁くのかね?」
「……」
ゲンドウは何も言えなかった。
無論、いい加減に殺してしまいたいのは山々だったが、今はマズかった。
だが彼女の罪状は明らかだ。ゲンドウには頭の痛いことであった。
「恐らく老人どもは、自分たちに直接的な被害が出ない限りは、それを許さないだろう…」
ゲンドウの苦々しい推理は実に的を得ていた。
「…とすれば、事態収拾のためには別の人柱が、スケープゴートが必要だな。 …誰か当てがあるのかね?」
と冬月が訊く。何気にサラリと酷いことを言うジジイである。
「…ない」
思わず「冬月、お前だ」と言いそうになったが、ゲンドウはぐっと堪えた。
ゲンドウにとっては、それは最後の手段であった。まだこの老人は使い道があるのだ。
今は別な人選で頭を悩ませていた。
尤も、適当な人材がいなければ、ゲンドウは容赦なくこの老人を切り捨てる腹積もりであった。
もとより自分の命には代えられないのだから。
「ふ、ふむ。 この際、入院がてら葛城君の知能テストでもやってみたら、ど、どうだね?」
妙な悪寒を本能的に感じながら、冬月は話題を転じた。
「知能…テストだと?」
そう言ってゲンドウは訝しげな表情をする。
「そうだ。 彼女の能力は我々としても極力把握しておいたほうが良いからな。 また今後の老人たちとの交渉材料にもなる。 やっておいて損はなかろう」
「…なるほど、一理あるな」
そうして冬月の提案(アドリブとも言う)は呆気なく受理された。





〜ネルフ本部・付属中央病院、第一脳神経外科・地下隔離病棟〜

ゲンドウと冬月の密談から小一時間後──
ここは窓一つさえない隔離病棟の一室である。当然、陽の光も射すことはなく、辺りは真っ暗であった。
よくよく目を凝らせば、ここにあるのは移動式のベッドのみで、壁には不釣合いな巨大な鏡が埋め込まれており、極めて殺風景な空間であることが見て取れた。
プシューッ
突然、圧着式のドアが開くと、一組の男女が中へと入ってきた。そして徐に男が部屋の照明を点ける。
明るいが無機的な三波長の光に照らされる病室の中。
彼らの目の前には、先程は気づかなかったが、一つの踏み台と一メートルほどの棒が一本、ベッドの上に無造作に置かれてあった。
そして天井を見上げると、…一房の熟したバナナが吊り下げられていた。
「ちょっと…コレは一体何のつもりかしら?」
さすがに何かを連想したのだろう。
微妙に憤慨した感情を辛うじて抑えながらも、若い女(とは言っても三十路前だが)、葛城ミサトが隣に立つ若い医師(こちらは30前後)を睨みつけた。
その顔は青筋を浮かべてピクピクと引き攣っていた。
だが白衣の男は澄ました顔でこう答えた。
「テストですよ。 ──手段は問いません。 ここにある道具を使って、見事あのバナナを取ってみてください」
「んなっ!? ふ、ふざけんじゃないわよっ、アンタっ!! アタシは猿かっつーのっ!!」
ミサトは頭から湯気を出して激昂した。その若い医師の胸倉を掴み上げるや、唾を飛ばして怒鳴り捲くった。
さもあらん。これではまるでチンパンジーの知能テストだ。いや、どう見てもそのものズバリである。
さすがのミサトも、これは馬鹿にされているとしか思えなかったのだ。
「いえいえ、これは治療プログラムの一環としての必要なテストなんです。 貴女は頭部に相当の衝撃を受けていましたからね。 どうかご憤慨なさらないように。 とても真面目な検査なんですから」
男は平然と言う。勿論、口から出まかせだ。これはミサトの思ったとおりの代物であったのだから。
「クッ、わかったわよ! やればいいんでしょ! こんなのさっさと叩き落してやるわよっ!」
ミサトはブツブツと文句を言いながらも、その手に棒を取った。そして、──
「よっ! それっ! どっこいしょっ! ──クッ、やっぱり棒だけじゃダメか。 …ま、そのための踏み台よねぇ〜♪」
今度は踏み台を持ってきて、床に置き、それに乗っかるミサト。 …だが、
「クッ、なんでよっ! なんで取れないのよっ!? ちょっとー、この棒短いんじゃないのー!? コレ、アンタたちのミスなんじゃないのー!?」
外罰的なミサトは文句を垂れ始める。
ミサトは踏み台に乗って、なおもピョンピョンと飛び跳ねながら、必死に手に持った棒で天井に吊るされたバナナを叩き落そうとしている。
だが、あと数センチというところで届かない。
そのうち苛ついてきたのか、棒をバナナに向かって叩き付けたりもしたが、それは天井で跳ね返って自らの顔面を直撃する始末。
顔を押さえて蹲り、声ならぬ声で唸っているミサト…(もはや喜劇だ)。
暫くすると、また踏み台に乗って再挑戦を始めていた。
この女、これを延々と繰り返していた。


「…これが結果かね?」
隣の部屋からマジックミラー越しに茫然とそれを見つめる数人の白衣の男たち。各々が大きな溜め息を吐いている。
あれからすでに20分が経過していた。
「はい。 ちなみに、隣の部屋で同じことをやらせている天才チンパンジーの"アユム君"ですが、開始17秒でバナナをゲットしました」
「…彼女はチンパンジーにも及ばないということかね?」
老医師は渋い顔をする。
「ええ、そのようですね。 先程行わせたペーパーテストでも同様の結果が出ておりますので、これで裏付けがとれたかと…」
その若い医師は事務的に淡々と答える。
「まさか、こんなのに我々人類の命運を預けているというのか?…」
「嘘だろう?」
「笑えん冗談だよ…」
あまりの驚愕の事実に、青くなる医師たちであった。
「…どうやら彼女は、踏み台と棒だけしか使えないという先入観で凝り固まっているようだな」
老医師がマジックミラー越しにミサトの醜態を見つめながら、静かに指摘した。
「ええ。 ストレッチャーを、移動式ベッドを利用することに気がつかないのでしょうか?」
まさにそうなのだ。
少しずらしたベッドの上に踏み台を乗せて、その上で棒を使えば、彼女の上背でも余裕でバナナに手が届くはずなのだ。
なんせチンパンジーでも届いたくらいなのだから、間違いないことだった。
「…一応、このことは上には報告しておくか」
そう言うと、老医者は大きく深く溜め息を吐いた。
彼の手許のカルテには、こう書かれていた。
【葛城ミサトの知能判定結果 : IQ55(チンパンジー未満)、要介護レベル】
ちなみにこの結果は、あまりの理不尽な内容に憤慨した一部の医療スタッフにより、その守秘義務を無視して外部にリークされたため、あっという間にネルフ本部中に知れ渡ってしまうことになる。
葛城ミサトは、ここに名実共に"無能"だと立証されてしまったのだ。 …本人は知る由もないことだったが。





〜第三新東京市・第壱中学校〜

その朝、シンジはレイを伴って登校していた。
前夜、レイとマヤはシンジの家で一泊し、朝方一緒に玄関を出たのだ。
マヤはそのまま出勤し、シンジとレイは、レイの部屋経由で登校していた。
何故、シンジたちがレイの部屋に寄ったかと言うと、レイの鞄を取りにである。
普段から制服姿のレイであったが、前日は日曜日であったため、非常召集の際、さすがに鞄は自宅に置いたままであったのだ。
というか、持ち歩いていたら変人だろう。 …まあ、どうでもいい話ではあるが。


「じゃあ、またね、綾波♪」
レイのクラスの前まで来ると、シンジはレイにお弁当を手渡すと、ニッコリと微笑んだ。
「……」
「……」
無表情のままのレイ。
だがシンジはにこやかな表情のままその場を動かない。ジッとレイからの返事を待っていた。
「──ま、またね」
根負けしたように、あるいは思い出したようにレイが小さく答える。
「うん♪」
シンジはそれに満面の笑みで答えた。
レイはちょっと照れて目線を泳がせながらも、そのまま2−Aの教室の中へと消えていった。
正直、どういう顔をしていいのか、わからなかったのだろう。
シンジはレイの後ろ姿を優しく見詰め、暫くして自らも隣の教室へと向かった。
余談ではあるが、シンジのその笑みに、2−Aのクラスの数名の女子が悩殺されてしまったのは、これはまた別のお話…。


「ありゃ…」
教室の中に入るなり、クラスの雰囲気が異様に重い。
まだ転校二日目のシンジにも、その違和感はハッキリと感じられた。
自席に着いて首を傾げていると、
「あの…碇君…ちょっと良いかな?」
突然、背後から沈んだ声が掛けられた。
「ん?」
徐に振り向くと、そこには一人の女子が伏し目がちに、そして悲しそうな面持ちで立っていた。
そしてその後ろには、同じように沈んだ表情の女子が数名…。
「どうしたの? …何かあったの?」
そのただ事ではない様子に、状況が呑み込めないシンジが訊ねた。
「あの…ここじゃちょっと…時間、あるかな?」
「時間? うん、まあ大丈夫だけど」
実際、S・H・Rの開始までは15分くらいの余裕はあったし、特に用事もなかったので素直に頷くシンジ。
(まさか愛の告白とか? って集団でそれはナイナイ)
ウシシと変な妄想を思い描きながらも、シンジは屋上へと連れ出されていった。


「──そう…。 そういうことだったんだ」
シンジは校舎の屋上で、大体の顛末を聞かされていた。先程まで降っていた雨は、いつの間にか上がっていた。
昨日、街中のシェルターで事故が起きたこと…。
それで多くの人間が死傷したこと…。
第壱中学校の生徒や関係者も多数被害に遭ったこと…。
そして何より、シンジのクラスでも一人の女子が巻き込まれたこと…、などをだ。
シンジは濡れたフェンスに身をもたれながら、黙ってその話を聞いていた。
女子たちは話を続けた。
「うちのクラスなんてまだマシなほうよ」
「そうね…。 隣の2−Aなんか3人も亡くなっているわ…。 学校全体でみると10人以上が死んじゃったんだって…」
「それに日が経てば、もっと亡くなる人の数も増えるだろうって…」
そこまで言って、女子たちは言葉に詰まる。
中学生に人の生き死にの話は些か辛いのだろう。
「あれ? でもうちのクラスで怪我をしたのは一人なんでしょ? それにしては欠席者が多かったみたいだけど…」
素朴な疑問だった。
早朝とはいえ、かなりの席が空いていたのをシンジは思い出していた。
「ああ、それは…親がネルフに勤めていて…怪我をした人とか多かったみたいだから…」
「…ああ、そっか」
合点がいったのか、シンジは素直に頷く。
ここ第三新東京市の住民の大半は、何らかの形でネルフに関わっていた。
クラスメイトにも、父兄がネルフ本部職員という子弟も多かったのだ。
ネルフ本部の被害状況を考えれば、クラスメイトの欠席の理由が忌引ではないということは、不幸中の幸い、素直に喜ぶべきことかもしれなかった。
「……」


「サナエ…もう助からないだろうって…お医者様が…」
その言葉を最後に耐えかねたように、お互い抱き合って泣き始める女子たち…。
おそらくそのサナエとかいう子と彼女たちは親友同士であったのであろう。
(サナエ?)
シンジには聞き覚えがあった。
確か、一昨日の転校初日に、いきなり腕組みしてきたクラスメイトの女の子の名前だった。
ポニーテールがチャームポイントの、プリティーでキュアな、小柄だが活発そうな明るい女の子だった気がする。
(あの子が…助からない…だって?)
一人の女子が辛そうに、しゃくり上げながら話を続けた。
「…サナエ、碇君にお弁当食べてもらうんだって…昨日…デパ地下に…買い物に行ってた…みたいなの」
「…お弁…当?」
「うん…すっごく楽しみにしてたって…サナエのお母さんから聞いて…でもこんなことになっちゃって…」
そう言うと、また咽び泣き始める。見ていてかなり辛そうである。
話をまとめるとつまり、買い物の途中に使徒来襲、最寄りのシェルターに避難、だがそのシェルターで事故(?)が起きたということらしい。
「……」
シンジは黙って彼女たちの話を聞いていた。
「今、あの子、山の手の市立病院に入院してるの。 …たぶん面会謝絶だろうけど、碇君にはお見舞いに行ってあげて欲しいの」
「…お見舞い?」
片言の言葉で訊き返すシンジ。幾分色がない。
「うん…きっとあの子も喜ぶと思うから…お願いよ、碇君!」
「「「お願い!」」」
他の女子たちも目を潤ませて必死に懇願した。
「……」


シンジは一人で、ボーッと考え込んでいた。
(…まただ)
(…何様のつもりだ)
(…未練……未熟……大事の前の小事なのに……僕は正義の味方じゃないのに…)
(…………まったく嫌になる…)
結局シンジは、その日のS・H・Rをすっぽかして、屋上で一人、再び降り始めた雨空を眺めていた。





結局その日の学校は半ドンとなり、午前の時間割りも急遽変更となり、体育館にて犠牲者への哀悼集会が催されることになった。
雨音が響く体育館に全校生徒が一堂に集まる。だがその足取りは重いものだった。
見ると、壇上には犠牲者の遺影が並べられている。急場で作ったものだろうか、額縁の中の笑顔が痛々しい。
それを見てすすり泣き始める女子も多い。
そんな中、粛々とセレモニー(要はハゲ校長の弔辞三昧)は進んでいった。
シンジも所在無げにボーッとしながらも、その長い弔辞に耳を傾けていた。
「ここで皆さんにお伝えしなければならないことがあります」
スピーチも酣(たけなわ)な頃、恰幅の良いハゲ校長が、突然、悲痛な表情で切り出した。
「今回の惨事は、事故ではなく事件であったとの連絡がありました」
ザワザワ…
その校長の発言に、途端にざわめき出す生徒たち。どうやら初耳の情報らしかった。
騒ぐ生徒たちを教師たちが諌めようとするが、なかなかそれは収まらなかった。
校長の弁は続く。
「えー、誠に残念なことに、今回の事件を引き起こした容疑者として、先程、我が校の生徒一名が逮捕されたとの連絡がありました。 大変遺憾なことです」
ザワザワ…ザワザワ…
この発言に至って、体育館内の喧騒はMAXとなった。もはや収拾がつかなかった。
犯人探しでもしているのだろうか、誰だ誰だと、明け透けに騒いでいる輩も目立つ。


(は? 逮捕? ここの生徒が? …どういうことだ?)
さすがのシンジも思わず八を寄せた。
それは情報収集を怠っていたシンジにとっても、初耳なことであったのだ。
どうにも気になったシンジは、その場で目を閉じると、ネルフ内部の様子を探っていた。
同時にMAGIにアクセスして、過去ログを検索してみた。
(!? ケンスケが…逮捕だって!?)
いきなり見えた記録映像がそれだった。
ケンスケはシェルター壊滅の容疑者として、先刻、ネルフに拘束されたようであった。
自宅でスヤスヤと安眠していたところを、令状を持ったネルフの保安部員に拘束され、ネルフ本部まで連行されていったらしい。
(容疑者!? まさか…ケンスケがコレをやったというのか!?)
もしかしたらネルフ一流の冤罪のでっち上げかもと思い、シンジは該当シェルターの監視ログを調べてみた。
しかし──
(…ケンスケ、お前、一体何をやってるんだよ!?)
シンジが見たのは紛れもなくケンスケ本人が、シェルターの換気システムの制御パネルを不正操作しているその姿であったのだ。そのときの彼の表情は、まさに狂喜に染まっていた。
(あちゃ〜、…こりゃ、さすがに自業自得だよぉ〜)
シンジは呆れ果てると、すっかり彼のことを見放していた。すでに興味も失せたようだ。
憐れなり、ケンスケ…。


シンジはついでとばかりに、ミサトのことも調べてみた。
この時点のシンジは昨夜遅くの状況(ミサトが東名上り線を素足で逃亡中)しか把握していなかったのだ。
(ふーん、そうか…臆面もなく戻ってきたのか…で、そのまま拘束されたと。 相変わらず馬鹿だねぇ。 ──どうやら裁判が行われるみたいだけど、非公開か……うーむ………ん? ブッ!!)
「ちょ、おま──知能指数がチンパンジー以下ぁ!?」
いきなりの大声に整列していた生徒がシンジに注目する。
慌てて口を塞ぐシンジ。
(やべやべ。 しかしやってくれるよあの女。 なんて素敵なんだ♪)
少し間を置いて、シンジは不敵な笑みを漏らした。
(フフ、やっぱりあの女の審判の様子は、皆に見せてあげないとねぇ〜)
どうやらまた娯楽を思いついたようである。
また戦自と国連軍に生中継する気なのだろうか?





〜ネルフ本部・第二発令所〜

「あ、おはようございます。 先輩♪」
もうお昼近い時間であるが、発令所に姿を見せたリツコに、マヤが気さくな声を掛けた。
ちなみにリツコの名誉のために言っておくが、断じて遅刻ではない。徹夜明けなのだ(第一、定時前の発令所には在席していたのだから)。
どうやらミサトとの一悶着の後、自分の研究室で小一時間程度の仮眠を取っていたらしい。まだ幾分眠そうではあるが…。
「ええ、おはよう、マヤ。 …昨夜は楽しめたかしら?」
昨夜とは、勿論、シンジ宅での晩餐会のことである。
ホンの少しの厭味を言葉に乗せてリツコが訊ねるが、
「あ、はい。 すっごく楽しかったですぅ〜♪ シンジ君のお料理も最高でした〜♪」
それにはまったく気づかず、天然で返すマヤであった。
「そ、そう(汗)。 良かったわね(相変わらずだわね、この子は…)」


「ええ、午後一から例のシェルターを壊滅させた少年の審判、その後、ミサトの審判の予定となっているわ。 私もミサトのほうには出廷するつもりよ」
リツコとマヤの会話は進み、今日の予定の段となって、リツコが話を切り出していた。
「裁判ですか〜? 何か大変そうですよねぇ〜」
紅茶を啜りながら、のほほんと人事のように感想を述べるマヤであったが、リツコがツッコミを入れた。
「は? 何言ってんの? 貴女も証人として呼ばれているわよ?」
「…え゛!?」
マヤは寝耳に水とばかりに驚いた。思わず掴んでいたティーカップを落としそうになる。
その様子にリツコは一度溜め息を吐くと、呆れたように説明を始めた。
「はあ…当たり前でしょう? 貴女はあのときの現場にいた貴重な当事者の一人なんだから。 …まあ、貴女だけでなく、日向二尉と青葉二尉も同様に召喚されているから、その辺は安心するといいわ」
「あ、そうなんですか(ホッ)」
それを聞いてマヤは、幾分胸を撫で下ろした。
赤信号、皆で渡れば怖くない…という心境であろうか?


「あのー、その…昨日のシェルターの被害って、どうなんですかぁ? それに捕まった少年って、ダッシュ君のクラスメイトだって聞いたんですけどぉ…?」
ちょっとばかり心苦しそうにマヤが訊ねてきた。
「…知らないの?」
リツコは隣の席に座ったまま、コーヒーを啜りながら横目でチラとマヤを見る。
「うっ…えーと、実は私、昨夜はその、外泊しちゃって、…テレビのニュースは何も見てないんですぅ(汗)」
マヤは、シドロモドロになりながらも理由を述べた。かなり恥ずかしそうである。
実を言えば、その程度の情報ならば、MAGIで調べれば一発で判明するのだが、生真面目なマヤは、私用でMAGIを使うことを良しとしない潔癖な人間であったのだ。
──勤務中にゲームで暇を潰す馬鹿女に、彼女の爪の垢でも煎じて飲ませたいものである。
「外泊、ねぇ…。 シンジ君のトコかしら?」
やんわりとジト目で、しかし凍りつきそうな冷たい目で睨むリツコ…。
「あ、でもでも、やましい事は何もなかったですよ! それにレイちゃんも一緒だったわけだし…」
慌てて弁解するも、マヤの頬は染まっている。
──何故そこで顔を赤らめる?
「…まあ、いいわ。 時間も空いていることだし、少し教えてあげる」
そう言って、リツコはカップを置いた。
「まず昨日の使徒戦で、参号機がパレット・ライフルを連射したこと、覚えているわよね?」
「あ、はい。 ──確か、葛城一尉の命令で参号機がフルオート射撃を実施。 でも使徒には無効とわかるなり、周囲に怒鳴り散らした、アレですね?」
そう言うと、ニッコリと微笑むマヤであった。
「…ええ、そうね(言うようになったじゃないの、この子ってば…)」
リツコは冷や汗を掻いているが、勿論マヤに含むところは何もない。ある意味、天然だ。
気を取り直してコホンと一つ咳払いをすると、リツコは説明を続けた。
「劣化ウラン弾の粉塵が、近くのシェルターに大量に吸い込まれたらしいの」
「劣化ウラン弾…ですか?」
「ええ。 何でもシェルターの換気口が開いていて、そこから地上の空気が大量にシェルター内に吸引されたみたいなのよ」
そのリツコの言葉に後輩の女の子(?)は驚いていた。
「え!? ちょ、ちょっと待って下さい! …確かシェルターの換気口って、市のホストコンピューターから集中制御されているはずじゃなかったんですか?」
科学万能を信じてやまないマヤが思わず疑問を挟む。
リツコに次ぐMAGIのスペシャリストであるマヤは、連携する第三新東京市のスパコン側のインタフェースや各種仕様にも特に明るく、それがそうそう誤作動を起こすような代物ではないことを知っていたようだ。
「そうね。 …でもそれを手動で解除、操作した馬鹿がいたのよ」
「馬鹿? …それって、もしかして例の少年のことですか?」
「ええ。 ──複数の監視カメラにバッチリとそのマヌケ面が映っていたそうよ」
リツコは溜め息混じりに吐き捨てた。
「……」
「結果、そのシャルターに非難していた二万人余りの市民のうち、およそ一万人が蒸し焼きになって即死したわ。 …無論これは現時点での死者数だから、日を追うごとにその数は増えるわね。 多分あと数日で五千人ぐらいは増えるんじゃないかしら?」
リツコはあまり興味なさそうにサラリと言い放つが、マヤの顔色は優れない。
「う〜…蒸し焼き、ですか。 一万人も…」
少しだけ想像したのか、マヤは気持ち悪そうに口許を手で押さえる。
(そういえば、昨夜の料理にも何かの蒸し焼きがあったような…うっ)
自らドツボに嵌って、ますます青くなるマヤであった。彼女らしいと言えば彼女らしいのだが。
ここで何かが興味のツボを刺激したのか、リツコが嬉々として口を開いた。
「そう、蒸し焼き♪ いくつか仏さんも見せてもらったけど、外皮の蛋白質が高熱で白く変質して見事に蒸し焼きになっていたわねぇ。 まるで…そう、豚の蒸し焼きみたいだったわ♪ やっぱり人間も加熱すれば同じようになるのねぇ♪ …実に興味深かったわ、フフフ♪」
リツコは舌なめずり(?)すると、怪しく薄笑いをこぼしていた。
隊長!マッドです!ここにマッドがいますっ!
「あ、あの…先輩?」
涙目でリツコの顔を窺うマヤ。もういい加減にして欲しいんですけど〜という表情だ。
「あ…コホン、少しばかり脱線したわね。 ゴメンなさい」
リツコはハッと我に返ると、多少バツが悪そうにしている。
「もう少しだけ捕捉説明するわね。 ──あのとき参号機が撃ち出したパレット・ライフルの全弾が、使徒に命中して砕け散ったの。 砕け散った劣化ウラン弾はそのときの衝撃で発火・燃焼して、大量の黒い酸化ウランのエアロゾル(粉塵)となったわけ。 そしてそのほとんどすべての粉塵が、例のシェルターの換気口に吸い込まれたのよ。 まるで掃除機に吸い込まれるが如くね」
ここでリツコは一旦コーヒーを口に含むと、少し間を置いて再び言葉を口にした。
「その量たるや、実に一万五千トン。 ミサトの指示でネルフに現存する劣化ウラン弾のすべてを撃ち尽くしたわ」
「一万五千トン、ですか。 …途方もない量ですよねぇ」
マヤも驚いたように目を丸くしている。
「そうね。 密閉された空間に濃縮された大量のウラン化合物の粉塵。 しかも発火するような高温。 恐らく1000℃を超えていたでしょうね。 シェルターにいた人間が、だいぶその粉塵を肺に入れたみたいよ。 死者・生存者を問わず、にね。 ほとんどの人が体の内外で重度の火傷を負っていたもの」
「そう…なんですか。 私、てっきり死者の多くは放射能で死んだとばかり思ってました」
「まあ、そう思うのも無理はないわね。 でも亡くなった人たちのほとんどが火傷(熱傷)と窒息がその死因だったわ。 中には胃のほうにも粉塵が入っていた人もいたくらいだし」
「……」


「あの、…生存者ってどうなったんですか?」
少しの沈黙の後、気になったのかマヤが訊いてきた。
「生存者の半分は、明日をも知れぬ瀕死の重体よ。 残りの比較的軽度の患者も、今後どうなるかは正直わからないわね」
「え、それってどういう…」
マヤは不安そうに首を傾げている。
リツコは口につけていたカップをサイドボードに置き、答えた。
「被曝よ」
「!!!」
マヤの驚愕の表情を尻目に、そのままリツコは続けた。
「生存者全員が被曝、しかも内部被曝しているわ」
「そ、それじゃあ…もう」
顔を青くしながらも結論を急ぐマヤ。その両手は口許を覆い、何とも悲痛な表情をしている。
リツコはそれを察したようで、やんわりと諭した。
「あわてないで、マヤ。 まだ死ぬと決まったわけではないわ。 ──それに当面は、放射能被害なんかよりも、劣化ウランの重金属としての化学的毒性による症状、…そうね、例えば腎臓障害とかを引き起こす可能性のほうがずっと高いのよ。 数十ミリグラムのウランを体内に入れただけで、深刻な腎臓障害が起こり、死に至るといわれているくらいだし、ね」
「じゃあ、その症状を克服できさえすれば、問題ないんですね?」
マヤは途端にパァと明るくなる。
他人事というのに、なかなか心優しい娘のようだった。
「そう…ね。 劣化ウラン自体、そんなに大した放射能レベルじゃないわけだし、α線の放出量も机上値では問題ないほどだし、それは外皮から体内への貫通力をほとんど持たないから、多分…」
少し逡巡しながらもリツコはそう答えたが、最後のほうは何故か歯切れが悪いものだった。
「先輩?」
その微妙な機微に気づいたのか、マヤが心配している。
それがわかったのか、リツコは意を決したように口を開いた。
「──ただね、如何せん、体の内部で被曝したという事実、そしてその量が問題なのよ」
「???」
言っている意味がイマイチわからないのかマヤはキョトンとしていたが、リツコはそのまま話を続けた。
「多分、マヤも知っていると思うけど、…α線ってのは電離作用が強いから、微量でも体内に取り込まれると、ちょっとばかり厄介なことになるのよ。 体組織を構成している元素をイオン化して体の内部から組織を破壊してしまう恐れがあるの。 ウランを浴びることよりも、体内に吸入・摂取したときのほうが、放射能の影響が遥かに大きいのよ」
ここで一旦話を区切り、サイドボードに置いたコーヒーに手を伸ばすリツコ。
少し冷たくなっており、思わず眉間に皺を寄せたが、そのままグイッと飲み干した。
「じゃあ、被曝した人って…」
「そうね。 生き残った人たちの全員が被曝しているとみていいでしょうね。 でもね、正直どうなるかわからないのよ。 私もこれが専門というわけではないし、と言うよりも臨床データが絶対的に不足しているのよね。 体内に入った劣化ウラン・酸化ウランが微量なら、そのほとんどすべてはすぐにも排泄されるでしょうから、今すぐどうということはないと思うわ。 ただ、将来的にどうかということになると、難しい問題になるのよ。 しかもあの量でしょ? …まあ、近日中に亡くなる患者がいるとしたら、それは被曝が直接の原因ではないことだけは、確かでしょうけど…」
イマイチ奥歯に物が挟まったような話を一旦切ると、リツコはカップを持って席を立つ。
カチャカチャと、サイドボードの横で新しくコーヒーを淹れながら、彼女は説明をというか、考察を続ける。
「もしかしたら生き残った全員、何事もなく健康な生活が送れるかもしれない。 …でも、重大な影響が出るかもしれない。 そういうことよ」
端的でクールな言葉。
見れば、マヤは黙ってそれに耳を傾けていた。
リツコは続ける。
「白血病、ガン、それに新生児の先天性異常。 無論、私は専門家じゃないから詳しいことは言えないけど、可能性だけは捨てきれないわね。 あと、風評被害も深刻でしょうね。 …あのシェルター、少年少女たちも多かったんですってね。 将来、結婚とかの障害にならなければいいけど…」
そこでリツコの説明は一区切りつく。
最後のほうは、一見、少年少女を心配している風なアレだが、その実、所詮は人事だと思っていた。
この女性、外面もクールだが、内面も極めてクールであったのだ。


「例の犯人の少年はどうなったんですか?」
少し置いてマヤが訊ねる。
「相田ケンスケ。 13歳。 ネルフ職員である父親との二人暮し。 そしてダッシュ君のクラスメイト。 ──先刻、ネルフが身柄を拘束したわ。 今は独房に勾留されていて、午後からの審判待ちみたいね」
「…彼、どうなるんでしょうか?」
マヤの顔色は幾分優れない。
たくさんの人の命を殺めた凶悪犯とはいえ、未だ中学生の子供…やはり同情しているのだろう。
だがこの少年、その同情を掛けるに値しないほどのクズであることを、そのときの童顔の女性は知る由もなかった。
「それは裁判次第よ」
金髪黒眉の女性は、本音ではそれと正反対なことを思ってはいたが、この場では建前を通した。
「ただ、かの少年の有罪・無罪とは関係なく、民事責任は逃れられないと思うわ」
「民事責任、ですか?」
マヤはオウム返しをする。
「ええ。 でも、二万人に達する死傷者の賠償なんて、一個人が負うには物理的に不可能だわね」
「え? …じゃあ、被害者は…遺族は泣き寝入りするしかないんですか?」
幾分震えた声のマヤ。
信じられないという表情で、口許を両手で押さえている。
リツコは一拍置いくと、
「(ネルフはきっと見て見ぬふりでしょうから)まあ、そうなる可能性が一番高いでしょうね」
そう答えた。あくまで冷淡に。
「そんな…」
童顔の少女(おい!)は絶句していた。





〜ネルフ本部・某会議室〜

ここはネルフ本部、セントラルドグマの中層にある、定員50名ほどの会議室である。
見れば、一人の少年が手枷をつけられ、左右を刑務官に挟まれたまま、その部屋の中央へと引き出されていた。
その重苦しい雰囲気の中、今から行われるのは、所謂「軍法会議」である。
被告人であるその少年の正面には、裁判長である碇ゲンドウ、その左右の陪席にはそれぞれ保安諜報部の部長と特殊監察部の部長の二人が裁判官として座った。
共に鬚男の懐刀であり、いずれ某少年の暇潰しに、嬲り殺しにされる運命の男たちである。
そして少年の左手に、検察官としての一人の若い(とはいっても30代前半だが)法務官が席につく。
彼は弁護士資格を有したネルフ職員である。
ちなみに、本来の裁判なら右手に弁護人席があるのだが、この審判には認められていなかった(おいおい)。
ただ情状証人として、少年の父親が出廷し、その場へと在席していた。
そして彼らを取り囲むような形で、十数人の傍聴人(すべてネルフ職員)が、これから行われる審判に注目していた。
そもそも軍法会議とは、軍人が軍人を裁くための、軍の刑事裁判所のことである。
セカンド・インパクト以前は、この国の憲法によりその存在自体を否定されていたが、現在では憲法も改正され、公認の存在となっていた。
この軍法会議であるが、裁判官も検察官も弁護人も、そして被告人さえもすべて軍人・軍属であり、非公開であり、そして一審だけで控訴も認められていなかった。
従って本来なら、民間人であるこの少年──相田ケンスケ──を裁くことはできないのだ。
それは法治国家として、絶対に許されないことであった。あったのだが…、
──有事における特務機関ネルフには、特別な権限(後述)や裁判権拡大の運用が認められていたのだ。
まさにここに、ケンスケ親子の誤算があった。
しかもこれは、弁護人がつかないというある種、危ない(シロをクロとしかねない)裁判であるのだ。
ケンスケの父親は、背中に冷たいものが走っていた。
この裁判の陣容がただ事ではないことを、ビジュアル的に感知していたのだ。
それはまるで、魔女裁判のような様相であったのだ。
しかも予備審(査問委員会)なしの、いきなりの"高等"軍法会議の開催である。
彼が訝しむのも当然であった。


「ではこれより開廷する」
裁判長役である鬚面の男が、無愛想かつ面倒臭そうに開廷宣言をする。
続けざまに、冒頭手続きに入る。
普通、裁判官は、先ず目前の被告人が間違いなくこの裁判の被告人であるか、氏名・生年月日・本籍地・住所・職業等を確認する人定質問を行うのだが、──
「相田ケンスケだな? うむ、そうに決まっている。 以下省略。 問題ない」
と、ゲンドウはいきなり端折った。
余程かったるいのだろう。
周囲も些か呆れているようだ(声には出さないが)。
気を取り直して、検察官役の男が起訴状の朗読を始めた。
起訴状とは、被告人が何を行い、その行いが何の罪名に当たるのか、簡潔にまとめられているものである。
余談ではあるが、起訴されると"被疑者"から"被告人"へと呼称が変わる。 …ま、どうでもいい話ではあるが。
ここでは、ケンスケという少年が、己が欲望を優先するあまり、シェルターを抜け出し、そのことで大勢の市民を死に至らしめ、あまつさえネルフ所有の決戦兵器(エヴァ参号機のこと)の運用を阻害し、利敵行為によりこれを大破せしめたことを、検察官は延々と力説していた。
だが、当のケンスケはというと、まったくのうわの空であった。
何故かというと、…ここの会議室の造りや、ここにいるネルフ職員の装備品を逐一頭にインプットするのに忙しかったようである。
…後で自分のサイトで公開するつもりのようだ。懲りないお子様である。
再びゲンドウが重苦しい口を開いた。
「この場でお前が述べたことはすべて証拠となる。 ちなみにお前に黙秘権などない。 以上だ」
ゲンドウは目の前の子供に向かって端的にそう告げた。
被告人の罪状認否(僕がやりましたor僕は無実です)の手続きは、どうやらすっ飛ばしたようである。
すでにゲンドウの中では、この少年の有罪・無罪については決定事項のようであった。
(黙秘権がない…だって!?)
少年の父親は、また一段青くなっていた。


冒頭手続きが終わる(?)と、次は証拠調手続きに移る。
検察官役の男が起立すると、コホンと咳払いを一つした後、徐に冒頭陳述用の紙を読み上げ始めた。
「相田ケンスケ。 ──西暦2001年9月12日、父ケンタロウ、母ジュンコの間に生まれる。 血液型A型。 五歳のときに母親と死別。 現在は父親との二人暮し。 幼い頃より父親に溺愛され、甘え切った性格に育つ。 現在は第三新東京市立第壱中学校二年A組に在籍。 小学校時代はその偏った性格から親しい友人はおらず、中学校に入ると自称関西人の某クラスメイトと出会い、意気投合した模様。 ヒーロー願望色が強く、自分の欲望には極めて正直なタイプであり、目的のためなら他人を巻き込むこさえ厭わない傍迷惑な性格。 情性欠如者の典型。 今までに数々の犯罪を犯したことが確認されるが、未だ補導歴はなし。 所謂、ミリタリーオタク。 パパラッチ。 ブルセラマニア。 そして数多の女性の敵──」
とまあ、事件とは直接関係ないような少年の過去や性癖までもが暴露され、「このように被告人は悪人で、しかも更正する見込みすら皆無」というようなことが、検察官の口から延々と赤裸々に述べられた。
「ちょっと待って下さい! 息子は、いえ被告人はまだ13歳ですよ? 当然、刑事責任能力なんて備えておりません!」
今まで顔を真っ赤にしてプルプルと震えながらも黙って話を聞いていた少年の父親──相田ケンタロウ二尉──が、さすがに耐えかねたのか、検察官の陳述中にも関わらず、異を挟んできた。
そして席から立ち上がると、男は大声で責め立てた。
「それにケンスケが…いえ被告人が、このような軍法会議に掛けられる手続き上の理由が見当たりません! それに何故補導ではなく、いきなりの逮捕なのですか? 納得がいきません! 是非とも理由をお聞かせ下さい!」
ケンスケの父親は、この裁判そのものが無効とばかりに、熱く異議を申し立てていた。
彼の主張の根拠はこうである。

根拠1)息子は軍属ではないこと。
軍属でもなくネルフ関係者でもない一民間人であるケンスケを、何故ネルフが裁くのか?
それは地上の司直の領分ではないのか?
そもそも軍法会議に民間人を訴追するなど、国連軍や戦自でも聞いたことがなかったのだ。

根拠2)息子は14歳未満であること。
ケンスケは、2001年9月12日生まれの13歳である。そう、まさにそこがポイントである。
日本の刑法41条には「14歳に満たない者の行為は、罰しない」とあるのだ。
追随する児童福祉法や少年法の規定も同様である。
14歳未満の者が起こした刑事法に触れる行為は、刑事罰の対象にはならないのだ。
その場合、警察は加害者を「触法少年」として補導し、児童相談所に通告することになる。
たとえそれが一万人を殺した凶悪犯であっても、である(尤も、法はそこまでの犯罪を想定してはいないのではあるが…)。
それは、14歳未満という年齢は未成熟で、刑事責任能力を備えておらず、将来の更正が可能との甘々の考えからである。
余談ではあるが、家庭裁判所から検察に逆送致されて刑事責任を問われることもある14歳以上20歳未満の少年(犯罪少年)の場合とは、明確に区別されているのだ。
今回のケースは13歳であるため、ケンスケはこの「触法少年」に該当し、罪は問われないハズなのだ。
ケンスケの父親の考えでは、児童相談所への通告→最悪、家庭裁判所への送致→児童自立支援施設・児童養護施設への入所、もしくは在宅での保護観察というコースであるらしかった。
勿論それは考えうる最悪のケースであって、今もなお息子は無実だと信じている彼にとっては、無罪放免が当然というスタンスであった。


父親の糾弾は続いていた。
「それに私の息子は、そんなふしだらな人間ではありません! 周りからは理解され難いですが、心根の優しい真面目な子なんです! それは父親であるこの私がよぉーっく知っています!」
男は鼻息を荒げて断言した。
…コイツ、目が節穴ですか?
男はさらにヒートアップ、
「それに、黙って聞いていたら何ですかっ!! 人の息子をまるで性犯罪者みたいにっ!! まったくの事実無根ですよっ!! 撤回して下さいっ!! このことは厳重に抗議しますっ!!」
少年の父親はひどく息巻いていた。
目の前の上官たちに向かって、激しく罵り、口撃していた。
愛する息子を侮辱されたのが、名誉を汚されたのが、余程耐えられなかったのであろう。
彼は息子を溺愛、盲信していたのだ。
まさに、うちの子に限って──のパターンだろう。


相変わらず口許で手を組んだまま沈黙を続けるゲンドウに代わって、向かって右隣の男が口を開いた。
「コホン、では相田二尉、ワシが君の疑問に答えよう」
その恰幅のいい男は、裁判官役の一人、特殊監察部のトップ(階級は一佐)である。
ケンスケの父親にとって直接の上司ではないが、階級的には遥か雲の上の存在であった。
「先ず、被告人の呼称だが、別に『ケンスケ』でも『息子』でも、何なら『愚息』でも『バカ息子』でも構わんのだよ(ニヤニヤ)? 君は被告人側の証人だからね。 その辺は好きに呼んでもらって結構だ」
「……」
「あと、冒頭陳述で述べられた被告人の性癖だがね…残念ながらすべて事実だ」
「!?」
一瞬意味がわからなかったのか、ポカンとする相田ケンタロウ二尉(45歳)…。
裁判官の男は、眼前でマヌケ面のまま固まっている父親の様子を観察しながら、少し意味深な間を置いて、効果的・演出的に言い放った。
「つまり君のご子息は──立派な性犯罪者だ」
公正な立場であるハズの裁判官の弁としては些か不適当ではあるが、それは衝撃の宣告だった。
性犯罪者──この衝撃的な言葉で現世回帰した父親はキレた。

「ば、馬鹿も休み休み言えっ!!」

彼はバーンとばかりに机を叩いて立ち上がると、その目は裁判官の男を睨みつけた。
すでに冷静さを欠いていたようである。
だが少なくとも、上官に言って良い言葉ではない。
恐らくはこの件で、彼の出世の道は完全に閉ざされてしまったことであろう。
鬚男の懐刀たちは、暴言を甘んじて受けるほどに人間が出来てはいないのである。
いつか意趣返しされるのは確実だった。
裁判官は憮然として言った。
「静粛に! …それ以上の暴言は即刻退廷を命じることになるぞ?」
「グッ…」
父親は両の拳を握り締め、怒りを堪えた。大分歯痒そうであるが。


「最後に…、13歳である被告人を逮捕し、軍法会議に訴追した理由だがね、──我々にはそれが許されておるからだよ」
眼前の男はこともなげに述べた。
「…どういうことでしょうか?」
八を寄せ、怒りを抑えて怪訝そうに訊ねる父親…。
彼はその言葉の意味を計りかねていた。
そんな彼の様子を愉悦の表情で眺めていた裁判官の男は、ニヤニヤしながら補足説明を始めた。
「ここ第三新東京市では有事の際、我々ネルフの罰則規定が国内法に優先されることが、国連と日本政府との取り決めにも、留保条項の中にもあるのだよ。 つまり極論を言えば、我々は国内法を無視しても許される身なのだ。 当然、ネルフの軍法会議で民間人を裁くことも、既定事項の一つなのだよ」
男はそう言うと、顔色が断続的に青方偏移していく相田二尉の様子を愉しみながら、さらに言葉を続ける。
「つまり被告人がたとえ年端も行かない子供であっても、我々は合法的に極刑を科すことが可能なのだよ。 ネルフの広報担当官である貴官がそれを知らぬはずはあるまい? それに、特務機関ネルフの総司令官には、アドミラルズ・マスト(提督裁決)の自由裁量権や、非司法的懲罰(最高刑は死刑)の執行が、特別に許されておるのだ。 何も問題はないのだよ」
男はそう言うと、隣に座る鬚面の男に「そうですな?」とばかりにアイコンタクトを取った。
鬚面の男は黙って口の端をニヤリと歪める。
「そ、そんな馬鹿なっ!?」
父親は我が耳を疑った。
いや、確かに知識としては知ってはいたが、今までただの一度として前例がなく、まさか自分の息子に初適用されるとは思いもよらなかったのだ。
少年の父親は戦慄した。体の芯から震えがこみ上げてきたのだ。
何故なら、それはもう「何でもあり」の強権であったのだから…。
それは、かの馬鹿女が手にして、狂喜乱舞したほどの絶対権力であるのだ。
男はその場に茫然と立ち尽くすのみであった。


「それに君の息子は、ネルフに、MAGIにもハッキングしていたのだよ」
未だ茫然としている父親をよそに、裁判官の一人はさらなる衝撃の言葉をぶつけてきた。
まさに検察官のお株を奪う罪状の暴露である。
とっくに公明正大な裁判官としての領分を逸脱していた…が、誰も諌める者などいなかった。
これがここネルフでは当たり前なのだ。
「ちょっと待って下さい!! ハ、ハッキングって……うちの息子がそんな大それたこと……これはまったくの言いがかりですっ!! ──そうだなっ!! ケンスケっ!!」
父親はバッと振り返ると、愛息子へと話を振った。
だがその息子は父親の願いを余所に、とんでもないことを喋り出すのであった。
「お願いがありますっ!!」
いきなりの大声だった。
その場にいる誰もが虚を突かれる。当然、その父親もだ。
「不肖、この相田ケンスケめを、エヴァンゲリオンのパイロットに、是非ともフォース・チルドレンにして下さい!!」

「「「「「ちょっ!?」」」」」
予想もしない発言に大人たちは完全に呆気に取られていた。
気にせずメガネの少年は畳み掛ける。
「必ずやシンクロしてみせます! 一度検査をして下さいっ!」
ネルフの機密事項をベラベラと喋るケンスケ。その口調は、それはもう羽毛のように軽かった。
無論それは一介の中学生が知っていていいような話ではなかった。
尤も、シンクロ云々については、パイロットになるための必須条件という程度の認識しかなく、実はよくわかってはいなかったらしいが…。
「な、な、な、な、な!?」
父親はというと、口をパクパクさせて放心していた。傍から見れば、かなりマヌケ面だ。
「…ほう、機密であるところのネルフの、エヴァの情報を、何故君が知っているのかね?」
裁判官たちの目の色が豹変していた。それは嫌疑の目であった。
だが、それを好印象と曲解(誤解)した少年が、好機とみて、ここぞとばかりにアピールを続けた。
「ハッ! それは小生が常日頃より情報収集に勤しんだ成果であります! 小生は平素より危機に晒される世界の現状を憂えていたのであります!」
もー止まらない。
馬鹿はなおも続けた。
「今、人類は救世主の出現を待ち望んでいるのです! そう、彼らにはヒーローが必要なのです!」
無論この少年は、明け透けに、自分こそがその救世主、ヒーローだと言っていた。
ここぞとばかりに大風呂敷を広げ捲くる。
誇大妄想癖もここまでくれば、ある意味、見事というほかない。
あの伝説的女とタメを張れる逸材(?)かも知れなかった。
キチ○イ少年の熱弁はなおも続く。
「なお小生がチルドレンとなった暁には、必ずや襲い来る使徒どもからこの第三新東京市を守って見せることをお約束致します! それに小生をこのまま野に置くことは、ネルフの、いや世界の損失であります! どうかどうか、何卒ご一考のほど、宜しくお願い致しますっ!!」
そう言うとケンスケは、手鎖がついたままゲンドウたちに向かって、ビシッと陸軍式の最敬礼をした。
鼻息も荒いその顔は期待で一杯に膨らんでいた。
どうやら某ホルスタイン女と同タイプのようだ。
(ケンスケ…お前って…お前ってヤツは…)
父親は頭を抱え、机に突っ伏していた。これほど頭が痛いことはなかった。内面ではガタガタと息子への信頼度が崩れ始めていたらしい。
日頃からの情報収集と言うが、一介の中学生にそこまでの情報収集は物理的に不可能である。
それはつまり、この少年がネルフへの違法なハッキングを日常的に行っていたことを意味していた。
さすがの子煩悩の父親も、そのことを強く痛感していた。
「──あ〜、このように被告人の犯罪は明白であります。 悪質かつ狡猾で反省の色もなし。 情状酌量の余地はありません」
予期せぬハプニングに大分顔を引き攣らせながらも、検察官役の若い男は何とか一段落つけた。
途中、かなりの悶着があったが、冒頭陳述も無事(?)に終わったようである。


「では、立証手続きへと入らせて頂きます。 ──まずはこれをご覧頂きたい」
検察官はある物を持って左陪席へと歩く。
PDA端末──
その証拠の品が、裁判官へと手渡される。
それは、メガネの少年がシェルターへと持ち込んでいた、例の携帯情報端末であった。
──だがその中には、違法行為のログがバッチリと残っていたのだ。
検察官はその場でクルリとターンすると、その口を開いた。
「被告人は、父親のIDを悪用し、ネルフ並びに第三新東京市のコンピュータにハッキングをし、機密データを盗んでおりました。 勿論それだけではなく、彼の自宅のパソコンを調べたところ、日常的に犯行を重ねていたことが明らかになりました」
「そんな!?」
驚く相田二尉。どうやらまったく知らなかったらしい。
IDとパスワードは忘れないように付箋紙にメモ書きし、自宅の書斎のパソコンに貼り付けておいたのだが、どうやらそれが仇となったらしい。
息子であるケンスケが彼の留守中に書斎に忍び込み、知らぬまにそれを拝借していたのだ。
検察官は、攻め手を休めずに暴露を続ける。
「あと、エントリープラグのインテリア図らしきCGも見つかりました。 恐らくは昨日のネルフ所有の決戦兵器(この場合はエヴァ初号機のこと)に乗り込んだ際に把握したものでしょう」
「それだけではありません。 ネルフの機密であるはずの決戦兵器のデータも、押収したサーバーのハードディスク内に大量に存在しておりました。 そして残念なことに、このCGやデータはすでに被告人の個人サイトにてネット公開されておりました」
「「「「「!!!」」」」」
衝撃が会議室を覆った。
「すぐにサーバーをオフラインにしましたが…それまでに相当数のアクセスがあった模様です。 通信ログは中継ルートも含め、現在も検証中ですが、その──」
そこまで述べて、検察官は口を噤んだ。かなり言いにくいことがあるらしい。
「…どうした? 続け給え」
珍しくゲンドウが口を開き、催促する(一応、真面目に聞いていたようだ)。
「あ、はい。 ──現時点で、戦自関連施設及び各国諜報機関からのアクセスも数十件確認されております」

「「「「「!!!!!」」」」」


さらなる衝撃が会議室を襲った。
(((((な、何てことしやがるんだ、このガキはっ!!)))))
そこにいる全員がケンスケを憤怒の表情で睨みつける。
少年の父親はというと、もうすっかり青くなっていた。一時の勢いは完全に消え失せていた。
肉食獣に睨まれる小動物の如きである。
(なんて、事を…)
父親は頭を抱え、俯き伏せって苦悩し捲くっていた。
息子がしでかしたこと、それは子供の悪戯で済むような話ではないのだ。
ネルフと敵対している組織にしてみれば、それは喉から手が出るほどの機密情報であるのだ。
これには及ばないホンの些細な情報でさえも、それの盗み出しに失敗し、志半ばで命を落とす諜報員がこの世界にはゴマンといるのだ。
彼もそのことを、情報の重さというものを、十分に理解していた。
然るに、そんな命の重さにも匹敵する情報を、自分の息子は興味本位でアッサリと敵対組織へと垂れ流していたのだ。
ネルフの受けた損害は計り知れなかった。
(ケンスケ、お前、お前…)
息子のしでかしたことは、方々に迷惑を掛け捲った、あまりにも身勝手なことであったのだ。
「──この件は以上です」
検察官は一旦を話切る。
「ご苦労様でした。 証人は何か述べたいことはありますか?」
裁判官の一人が父親に話を振る。
「…ありません……あ、いえ──」
「──息子に一つだけ、一つだけ質問させて下さい」
父親がお願いする。
いいでしょうと、裁判官。
ペコリと御礼をし、愛息子のほうを振り向く父親。
「ケンスケ」
静かに呼びかけるが返事が無い。見れば興奮状態にあり何故か小刻みに踊っていた。
父親はコメカミを押さえ、息を大きく吸い込むと、
「ケ・ン・ス・ケぇぇぇ!!」
「うわ、びっくりしたー!!」
至近距離からの怒声に、馬鹿息子がようやく現世回帰する。
「シェルターのダクトの扉を開けたのはお前なのか?」
「へ? ダクト? 扉?」
「そうだ。 地上部分のやつだ。 開けたのか?」
「開けるも何も──フッ、だってそうしないとエヴァの戦いが見れないじゃん!!」
「……そうか」
父親は酷く落胆した。


「コホン、さて被告人の為人(ひととなり)、その人間性をより知って頂くために、ここで別の証拠を提出致します」
検察官がそう言うと、徐に後方のドアが開き、一人の女性士官が大きな台車を押して入ってきた。
「ああ、ありがとう、ユミコちゃん♪」
男は小声で女性に礼を言うと、再び正面へと向き直った。
「これらはすべて被告人の自宅から押収した品々です」
まさに壮観だった。
目の前には、マニアなら涎モノの、武器類がズラーッと並んでいたのだ。
一見しただけではわからないが、モデルガンやエアガンだけでなく、実銃や改造銃も数丁、存在していた。
そして何より目を引くのは、大量の使用済み砲弾の数々であった。まだ信管が生きているヤツもある。
どうやらこの少年、自衛隊(国連軍)の東富士演習場(御殿場市)や北富士演習場(富士吉田市)に、度々不法侵入して回収していたらしかった。とんでもないお子様である。
検察官は粛々と説明を始める。
「155ミリ砲弾や89ミリロケット弾、40ミリてき弾や81ミリ照明弾など、使用済みの砲弾類およそ2000点を被告人の自宅、押し入れより押収致しました。 さすがにここにあるのはその一部、安全が確認されているものばかりですが…」
(に、2000点!? …その押し入れは四次元ポケットか何かか!?)
大人たちは呆れていた。
検察官は続ける。
「そしてこれが接収した問題のサーバーです。 中に秘匿されていた画像データについては、ご参考までにその一部をプリントアウトしてあります」
見ると、合計三台のサーバーの前には、大量の写真が並べられていた。
だがそれは、所謂、猥褻写真であったのだ。しかも無修正の、である。
「サーバーの中からは、この手の写真や映像データが大量に出てきました。 どうやら被告人は、かなりの盗撮マニアだったようです」
(((((と、盗撮マニアぁ!?)))))
その説明に、ア然とする大人たち…。あまりのことに、少し脳みそがついて行っていない。
よくよく見れば、長机の上には、望遠鏡、双眼鏡、ビデオカメラ、一眼レフカメラ、デジタルカメラ、果ては使い捨てカメラまで、多種多様の「盗撮」機材が揃っていた。
ビデオカメラなどは、特にバリエーションが豊富だ。
有線式と無線式、トランスミッターやチューナーまで、所謂「盗撮」に必要なものが一通り揃っていた。
ピンホールレンズカメラ、超小型CCDカメラ、ファイバースコープ、果ては赤外線投光器なんてものまである(いったい何に使うというのだ?)。
半ば呆れたように検察官が説明を続ける。
「これらの写真や映像の殆どは、被告人が通っている中学校の女子トイレや女子更衣室のものでした」

(((((!!!!)))))

さらなる衝撃が走る。
このメガネの少年が自分の学校の女子トイレや女子更衣室に忍び込み盗撮カメラを仕掛けていたと、検察官はそう言っているのだ。
それはつまり、──現時点で、夥しい数の女の子たちが被害に遭っているということを意味していた。
…本当だとすれば、最低である。何をやっているのだ、ケンスケ、お前は?(汗)
「これらの裏付けを取るため、今朝方、学校側の了解を得た上で、こちらでロケーション・アナライザー等の機器を持ち込んだ徹底調査を実施しましたところ、──巧妙に仕込まれた、被告人の指紋がベッタリ付着した盗撮機器が、ダース単位で発見されました」
検察官役の男は冷静に一つ一つ述べていく。
余談ではあるが、このときの調査現場に立ち会った第壱中学校の教頭先生(♀)は、あまりの衝撃の事実に真っ青になっていたという。
(((((!!!!)))))
この日何度目の衝撃だろうか。
大人たちは信じられないという目で、中央の少年を見つめていた。
傍聴人席にチラホラと見える女性職員などは、その口許を両手で覆いつつも、その視点はユラユラとして定まってはいなかった。


「えー、まず女子トイレですが───」
そう言うと男は、悲痛な表情で手に取った紙を読み上げる。
「教職員用(一階フロア)には、芳香剤ケースの中にワイヤレスカメラが仕込まれてありました。 ただ、これはバッテリータイプなので、定期的に交換していたものと思われます」
(((((……))))))
大人たちは、まるで幽体離脱したかのように黙り込んでいた。
あまりの衝撃の事実に、思考がついていっていないのだ。
すでに頭が麻痺し掛かっていたのかもしれない。
だが、そんな彼らの様子をよそに、暴露話は淡々と続いていた。
「次に、生徒用(一階、二階、三階フロア)ですが──」
男は一拍置くと、覚悟を決めたかのように、一気に喋りだした。
「先ず、天井の換気扇の中に一台設置されていました。 これは電源盗用タイプですから、半永久的に映像を飛ばすことが可能な、非常に厄介なヤツです。
洋式便器の便座の裏側にもありました。 これもウォシュ○ットから電源を盗っているタイプでしたから、半永久的に電波を飛ばしていました。
和式便器の金隠しの裏側にも同様のものが一つ仕掛けられていました。
どのカメラ(音声マイク付き)も、一見したくらいではわからないほどに非常に巧妙に仕掛けられておりました。
恐らく疑って掛からないと発見は困難だったでしょう。
──生徒用のトイレは以上です。ただ、全部の個室がそうであったのかというと、そうではなく、電源の盗れるウォシュレッ○が設置されているタイプの個室に、ほぼ集中していた模様ですね。
今となってはそれが唯一の救いなのでしょうが…」
最後に言葉を濁し、検察官の朗読が一区切りつく。
見れば、彼も苦々しい顔をしていた。あまりの卑劣な少年の犯行に、腸が煮えくり返っていたようである。
(((((……)))))
ギャラリーはというと、まだ現世回帰を果たしてはいないようである。
皆が皆、茫然自失していた。
それほどまでの衝撃であったのだ。


「さて、次に女子更衣室ですが──」
検察官は別の紙を手に取ると、再び朗読を始めた。
「シンプルに屋上からの遠距離ショットというのもありましたが、殆どの盗撮はやはり隠しカメラによるものでした。 ──更衣室の未使用ロッカーの中に、音声マイク付きのピンホールカメラが別アングルで三台設置されており、このカメラは有線式で、同じくロッカーの中のビデオデッキへと接続されておりました。 そのデッキは100時間の連続録画が可能な高性能ハードディスク・タイプです。 しかも、センサーで人の気配を感知すると自動的に電源が入り、録画を開始するという仕掛けがなされておりました。 電源については裏側の壁のコンセントから盗用していた模様で、ハードディスク容量・体育の授業数・学年とクラス数から計算して、恐らく半年はもつものと思われます。 こちらで確認したところ、現時点で過去二ヶ月分の映像がビデオデッキ内にストックされておりました。 なお、ここのロッカーの鍵に関しましては、被告人の自宅から発見されております」
そこまで一気に言うと、検察官はフゥと一息吐いた。
(((((……)))))
相変わらずシーンと静まり返っている法廷(会議室)…。
もはや何も言うまい。
女性の敵──
その場にいた全員が全員、中央の少年に白眼と冷眼を向けていた。
あたかも汚物を見るかのような目線で…。


検察官の男は、用意されていた小さめのペットボトル(ミネラルウォーター)に口をつけ、ゴクゴクと一気に飲み干すと、再び口を開く。まだ終わりじゃないのだ。
「最後にプールですが、──度々、仮病を使って授業をさぼり、プールサイドの物陰から女子の水着姿を赤外線カメラで盗み撮りしていた模様です。 プール横の女子更衣室ですが……やはりありました。 ただ適当な隠し場所がなかったのか、脱衣カゴの奥に隠したバッテリー内蔵タイプのカメラが一つだけでした。 このため頻繁に更衣室へと侵入し、バッテリーを交換していたものと思われます。 なおその際に、女子生徒の使用済み下着等の窃盗を働いていたことも、しかと確認されております。 この件につきましては、学校側のほうでもその都度、警察に被害届けが出されておりました。 尤も、犯人の特定には至らなかったようですがね…」
そこで検察官の話は一旦終わる。
見渡せば、誰もが心ここにあらずの表情であった。
ネルフの面々は勿論のこと、当初は息子の潔白を信じてあれほど元気だった父親もここにきて完全に呆れ声も出せないでいた。
目の前の長机には、「個人用」と「販売用」というラベルが貼られている二つのダンボール箱が置かれており、見るとその中には、女子生徒の生写真付きのブルマーやスクール水着、ブラジャーやショーツ(パンティー)などがビニール袋に小分けにされて、所狭しと並べられていたのだ。
それらには、ご丁寧に乾燥剤までもが封入されていた。
(((((・・・・・・)))))
相変わらず周囲は声も出せないでいる。
自分たちも中学生のときはこうだったのか?こんな性犯罪を犯したことがあったのか?──大人たちは謙虚にそう自問してみる。
…だが皆が皆、かぶりを振る。そんなことには覚えがなかったのだ(当たり前である)。
恐らくこの場にいる大人では、鬚面の男以外に「該当者」はいないだろう(汗)。
あと、言うまでもなく、目の前のダンボールの「個人用」とは…つまり、ソレ用の物である。
…下衆だった。この少年、完全無欠の人間のクズであった。
長じれば、鬚クラスの大物になるやも知れないだろう。
「あと、これは余談ですが、彼の鞄や上履きからも、小型のカメラが発見されました。おそらくは常習的に女子生徒や通行人(♀)のスカートの中を狙ったものでしょう」
長机には盗撮写真、その一部(それでも膨大な数である)が並べられている。
中には、先日の第壱中学校での大立ち回りの際に気絶したミサトを、人気がなくなったところを見計らって、わざわざ仰向けにひっくり返して、しかもご丁寧に開脚させて撮影した写真もあったりする(勿論、局部がバッチリ写っていた)。
まあ、これについてだけは、どうでもいい話ではあるが…(笑)。
「──以上のものを、ネットで手広く売り捌いていたようです。 固定客もかなり多かったようで、なかなか大繁盛していたようですな(怒)。 すでに顧客リストについてはこちらで押さえてありますので、近日中には地上の司直の捜査の手が伸びることでしょうね」
「収益金については、一部遊興費に使ったほかは、新たな盗撮機材の購入に充てたようです」
そう言うと男は目の前の長机を一瞥する。
そこには、いずれも高価そうな機材ばかりが並んでいた。だがどう考えても子供が買えるものではなかった。
実はケンスケは、月に5万円という高額な小遣いを父親からあてがわれていたが、それでもこれらの機材は高嶺の花であり、到底買い揃えられるものではなかったのだ。
ようやく合点がいった。


検察官の男はここで一旦沈黙を挟むと、唇をギッと噛み締め、意を決したように重々しいその口を開けた。
「──被告人の魔の手は、この第壱中学校だけでは収まらず…近隣の小学校にまで及んでおりました」
またしても衝撃の告発だった。
「「「「「!!!!」」」」」
ハンマーの一撃で聴衆は我へと返る。
麻痺していた脳髄が急速に覚醒する。
それほどの衝撃、それほどの、この一堂を覆いつくしていた。
検察官は至極無念そうに続ける。
「被告人は、盗撮した写真で幼気な女児を脅し、自宅に呼び付けて…強制わいせつを働いていたことが、彼の日記、並びに残された大量の写真と映像から…判明致しました。 被害児童は少なくとも…10人を下らない模様です」
所々言葉に詰まりながら、男は言い述べた。

「「「「「!!!!!!!」」」」」

この日一番の震動雷電、大きなどよめきが走った。
場所を弁えず、ザワザワと喧騒が沸き起こる。
少年の父親もその中にいた。
(ケンスケ…お前、一体何をやっているんだっ!?)
父親は愕然としていた。もうガクガクブルブルと震えていた。気落ちのあまり脱力しきってさえいた(失禁一歩手前)。
信じられなかった。信じたくはなかった。夢ならすぐに醒めて欲しかった。
だが自分の目の前には、証拠としての小学生の裸体を写した写真、その一部が並べられていた。
裸のケンスケと一緒に写ったものさえある。
悲しき事実。
──もはや息子の愚行は疑いようがなかったのだ。
父親はガックリとうな垂れた。
「しょ、小学生をかね?」
信じられないという風な面持ちの裁判官の一人が、再度、事実確認をする。
別に、この男が常識人というわけではない。ただ単にロリペド趣味ではなかったというだけである。
検察官は、憤怒に堪えられない様子ながらも、静かにその質問に答える。
「はい。 恐らく中学生では抵抗されると思ったのでしょう。 結果、自分より非力な小学生に目をつけたようです」
「「「「「……」」」」」
あまりに卑劣な少年の行為に全員が息を呑んだ。
検察官の男はなおも続ける。
「帰り際の女児に対して、『親に言ったら写真をバラ撒く』と脅すという念の入りようでした。 このことは、保護者立合いの下で、すでに数人の女児から証言を得ております。 まだすべてのケースを検証し尽くしたわけではありませんが、現時点で強姦の事実が確認できていないことが、本件での唯一の救いでしょうか…」
検察官は最後に無念そうに呟くと、発言を終え、目を閉じて静かに着席した。
実は彼にも同年代の娘がおり、同じ年頃の娘を持つ身として、身に詰まるものがあったのだ。
まあ、実際問題として、ケンスケは彼女たちとは一線を越えたことはなかった。未だ童貞クンなのである。
一度挿入しようとしたことがあったが、女児が酷く泣き叫んだため、断念したらしかった(つまり強姦未遂)。
相田ケンスケ…もはや正真正銘の最低男、人間のクズであった。
法廷は暫くの静寂に包まれていた。


「…何てガキだ」
静寂を破り、ポツリと呟くゲンドウ。
この男は目の前の少年に激しい近親憎悪を抱いていた。同類の匂いを敏感に察知したらしい。
どうやら、自分がやるのはいいが、他人にされるのは甚だ我慢がならなかったようである(汗)。
「いやはや、なかなかご立派なご子息をお持ちのようですな、相田二尉?」
裁判官の一人、特殊監察部のトップが先ほどの意趣返しとばかりに冷ややかに声を掛けた。
勿論皮肉だ。それは強烈な厭味だった。
「……」
父親は顔を真っ赤にして俯き、恥じ入って何も答えられない。
さて当のケンスケだが、自分の秘密を、お宝を勝手に持ち出され、暴露され、怒り心頭でワナワナ震えていた。
この少年も某鬚男と同じで、さんざ性犯罪をし尽くしても、それを人前で暴露されることだけは我慢がならなかったようである。
勿論、反省の心は一片もなく、逆ギレを起こしていた。
「やい、そこのお前!! 汚い手で僕の宝物に勝手に触るな!! それに無断で僕の部屋に入るなんて酷いじゃないか!! プライバシーの侵害って言葉を知らないのかよ!! パパに言って首にしてやるからな!! 憶えてろよチクショー!!」

(だ、黙れ!! 黙るんだケンスケ!! この大馬鹿モンがぁ〜〜っ!!)
事ここに至って、父親は無言でその息子を睨みつけた。思わず殺さんばかりの視線であった。しかし当の息子はそれにまったく気づかない。
「──以上のように、犯行は冷酷非情で悪質、執拗かつ残忍、そして極めて陰湿で卑劣。 しかも被告人にはまったく反省の色は見られません。 検察としては事件の重大性を鑑み、ここに死刑を求刑致します」
あっと言う間に、検察官による論告求刑(早っ!)が行われていた。まさに超スピード審判である。
(し、死刑ぃぃ!?)
それを聞いて、父親は青くなっていた。頭では理解していたが、感情がついて行かなかったようである。
ちなみにケンスケはというと、今なお熱くなっていて、またもや肝心な話を聞き逃していた。
──そうして最終弁論は、ゴタゴタのうちに終わってしまった。
正面の鬚男、碇ゲンドウの口が開かれる。
「これにて結審。 続いて判決を言い渡す」
まさにスピード判決だった。
そして宣告──
「主文、被告人を死刑に処す」
ゲンドウはふてぶてしく判決文を読み上げた。
ちなみに量刑の理由の朗読は、面倒臭いから省略したらしい。
まあ、端からこの少年の死刑は決まっていた(鬚のシナリオ)のではあるが…。
ネルフの軍法会議はこの一審のみで、再審の道もないため、この瞬間、ケンスケの有罪がここに確定した。
「!!!!」
そこでようやくケンスケも事の重大さに気づいたのか、急に青ざめていた。
「はぁ!? 死刑!? 何ゆってんだこのオッサンはー!! どういうことだよ!! だいたい僕って、まだ13歳だぞ!? あと一年は何やっても大丈夫なハズなんだぞっ!!」
やはり今までの話を聞いていなかったらしく、ケンスケは今さらながらに喚き立てる。
しかしどうやら少年法の規定を知っていることから、もはや故意犯であることは疑いようもなかった。
恐らくは、年齢という免罪符を完全に知り尽くした上で、ここぞとばかりに犯罪を繰り返していたのであろう。
ある意味、今どきのお利口なお子様ともいえた。
激昂したケンスケは、目の前の裁判長(ゲンドウ)に詰め寄ろうとするが、刑務官たちに床に組み敷かれ、グエッとカエルが潰れたような呻き声を上げる。
それでもピーチクパーチクと何やら大声で騒ぎ立てていた。
「あー煩い。 以上で閉廷。 各自解散だ!」
ゲンドウは鬱陶しそうに一喝すると、自らはさっさと退廷してしまった。
「おら、さっさと歩けっ!」
刑務官の一人が少年の背中をドンと突き押した。
「ま、待ってよ! まだこの部屋のレイアウトを頭に入れてないんだ! 後でネットで公開したいから──」
「黙らんかっ!!」
バチーン!
小気味よい音が会議室に響いた。
この少年に愛する妻と幼い娘を殺された刑務官の男が、堪えかねて少年の横面をひっぱたいたのである。
「いってぇー!! 何すんだチクショー!! これは立派な暴力じゃないか!! 憶えてろ!! 後でぜってーパパに言いつけてやる!! マスコミにもチクってやるー!!」
息巻くケンスケ。だが、
バチーーン!
この日二発目。しかも三割増し。
「うるさいっ!! さっさと歩け、このクソガキがっ!!」
「〜〜〜二度もぶった!! パパにもぶたれたことないのに〜〜っ!!」
赤く腫れた頬を手で押さえ、涙目でケンスケが男を睨みつけた。
その様子を少し離れた場所から見つめる一つの影があった。
「ケンスケ…」
そう呟くも、もはや黙って見送るしかない父親、相田ケンタロウ二尉である。
それは酷く落ち込んだ様子で、身も心も萎縮したかのようにその場に佇んでいた。
だがそんな小さくなった彼の肩に、ポンと手を乗せる者がいた。
振り返るとそれは、偶々この裁判の傍聴に来ていた総務部の部長──ケンスケの父親の直接の上司にあたる──であった。
見れば、背の低い恰幅のいい男で(つまりはデブ)、40代半ばにして、すでにバーコード禿げであった。
側に寄れば、趣味の悪いオーデコロンの匂いが鼻につく。
「部長…」
父親は縋るような目でその上司を見つめる。それはまるで捨てられた子犬のような目であった。
だが上司の男は、それを無下に突き放すような一言を告げた。
「ククク、君もこれからが地獄の日々だな?」
どこか小馬鹿にしたような男のせせら笑い。
「は? …どういうこと、ですか?」
ケンスケの父親は訝しむ。
そんな部下の様子を鼻でフンと笑い飛ばすと、男は言ってやった。
「君の息子がしでかしたことの始末が、まさかこの刑事罰だけで済むと思っているのかね?」
「え…?」
「おいおい大丈夫か? 父親である君には、この後、民事賠償の責務が待ち受けておるではないか」
「民事…賠償?」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている相田二尉であった。
どうやら今まで息子の無実を信じきっていたため、完全に頭になかったようである。
「ん、当然だろう? 刑事と民事は別問題。 未成年の息子がやった不始末の民事責任は、親が負うものじゃないのかね?」
「……」
正論であるため、部下の男は黙り込んだ。
「二万人を超える死傷者の損害賠償(慰謝料、治療費込み)…。 ネルフが司法権に介入した今回のケースでは、自己破産もできないからねぇ。 …まあ、子は親の鏡というし、君がこのままネルフに残れるかどうかも怪しいものだが、これからの人生、頑張って生きてくれ給え♪ ハッハッハッハ」
上司の男は品のない笑い声を上げると、ポンポンと再び部下の男の肩を叩き、所詮は他人事とばかりにその場を立ち去っていった。
「そんな…」
その場に取り残された男は、目の前が真っ暗になっていた。
まさに、泣き面にハチ、弱り目に祟り目である。
(この世には神も仏もいないのか…)
天に見放されただけであろう。
(賠償金──安く見積もって一人当たり一千万円として…二万人では…二千億円っ!?)
そのあまりに天文学的数字に慌てふためく父親であった。
月々の手取りが40万円に満たない彼に、到底、払える額などではなかった。
だが破産は許されない。
(…母親を亡くした後、アレを甘やかして育てたツケがこれだというのか?)
男は、茫然とその場に立ち尽くすしかなかった。





〜数刻後、第二新東京市・某所〜

所変わって、ここは第二新東京市、新市ヶ谷にある国防省、戦略自衛隊の本庁舎である。
この庁舎の地下にある戦自の中央作戦司令室では、平時の今もなお、制服姿の男たちが忙しなく動き回っていた。
そんな中──
「議長!」
とある若い将校が振り返り、背後の男へと声を掛けた。
「どうした? …件の映像の分析が終わったのかね?」
議長と呼ばれた初老の男が訊き返す。
ちなみに件の映像とは、某少年の厚意(?)によって戦自と国連軍にリークされた、先の第四使徒襲来の際のネルフ本部・第一発令所の一部始終を記録した、例のアレである。
「あ、いえ…違います。 実は、何者かがこちらの極秘回線にアクセスしている模様なのです」
通信担当のオペレーターであるその将校が、初老の男に報告を上げる。
「…またかね? それは昨日のものと同じなのかね?」
地下フロアの後方最上段、統合幕僚会議の議長席に腰を下ろした初老の男は、眉を顰める。
「はい。 まったくの同タイプのようです」
「…メインパネルに映してくれたまえ」
暫くして、謎の映像信号が正面の巨大スクリーンへと映し出された。
「何だね、ここは?」
議長と呼ばれた初老の男には、まったく見覚えがなかった。
スクリーンに映し出されたのは、…ただの真っ暗な部屋であった。
照明が落ちているため、多少わかりづらいが、どこかの会議室のようであった。当然、無人である。
(…またネルフ辺りの映像かと期待しておったのだが…違ったか?)
男は腕を組み、フムと首を傾げる。
「どうしますか? 回線を切断しますか?」
先程のオペレーターが、議長席に座る男の顔色を窺う。
「…ああ、構わ──」
構わん。男がそう言い掛けた、まさにそのとき、映像に変化があった。
真っ暗だった部屋に、突然、照明の明かりが点いたのだ。
「!?」
次の瞬間、初老の男は目を瞠った。
スクリーンに飛び込んできたのは、男のよく知るネルフの面々だったのである。
鬚面の男を筆頭に、ネルフの高官たちが続々とその会議室らしき部屋に入り、各々着席していったのである。
「…あ、あの、如何致しましょうか?」
指示待ちのオペレーターの男は、恐る恐る再確認をした。
「…いや、このまま続けてくれ。 そしてこの映像も余すところなく記録して、分析に回すように!」
初老の男は薄笑いを浮べるや、二度目の僥倖を天に感謝していた。
「ハッ!」
オペレーターはビシッと敬礼をするや、すぐさま自席のキーボードに指を走らせ始めた。
ちなみにこの現象は、勿論ここだけではなく、国連軍(自衛隊)のほうでも起こっていた。
無論、某少年の仕業である。
理由?
フッ、今さら言うまでもないだろう。
──ネルフの面々は知る由もないこの事実が、後日、大きな波乱を呼ぶことになる。





〜ネルフ本部・某会議室〜

すでに審判──軍法会議──の第二部は始まっていた。
法廷の面子は、基本的に先の少年のときと同じであった。
正面に碇ゲンドウ、その左右に気脈の通じた保安諜報部と特殊監察部のトップが裁判官として座している。
違うのは、検察官役の男が変わったことくらいであろうか。
40代後半くらいの目つきの鋭い男が、検察官の席に座っていた。
実はこの男、ゲンドウの子飼いであった。ゲンドウの意を酌んでこの場にいるのだ。
話を戻そう。
男たちの目の前には、ムスッとした表情の一人の若い女が引き出されていた。
そう。今回裁かれるのは、この赤いジャケットを羽織った女、葛城ミサトであるのだ。
背後の証人席には、被告人の同僚たる面々が召喚されており、それぞれ緊張した面持ちでこの裁判の推移を見守っていた。 …ある一人の人物を除いて。
(しかし碇司令、本当にミサトを死刑にする気なのかしら? ──ま、だからこそ私に"あんな"許可を出したんでしょうけど、…イマイチ、碇司令の真意がわからないのよねぇ…)
リツコだけは、別な思案に暮れていた。


検察官によって、今まさに読み上げられるミサトに掛けられた罪状の数々。
どうやらネルフも、今回は真面目にリストアップしたようである。
主なものを紹介すると、
と、枚挙に暇がなかった。
「ちょ、何ですかソレはっ!? 私にはまったく身に覚えがありませんっ!!」
ミサトは胸を張って身の潔白を主張して憚らない。
だが検察官は譲らない。女を見据えて言った。
「証拠はすべて挙がっておるのだよ?」
「ハン!! 知らないったら知らないわよ、ンなモン!! 全部でっち上げよっ!!」
強情というよりは、…この女、本気で自分の無実を信じて疑ってはいなかった。
もし、この女が時代劇に出演したとしたら、黄門様や遠山の金さん、大岡越前なんかはさぞ手を焼くだろう。
なんせ、どんな動かぬ証拠を突きつけても、それを認めない女なのだから…。
「…君には地上の警察からも、猥褻物陳列の容疑で引渡しを要求されているのだがね?」
男は忌々しく吐き付ける。
勿論これは、第二次MAGIの乱で流出した例のビデオのことである。
ちなみに某鬚面の男にも、婦女暴行(強姦)の嫌疑が掛かっていたのであるが、これは親告罪であるため、地上の司直は立件を見送ったらしかった。
どうやら警察は内々に被害者であるネルフの某金髪黒眉女に接触し、告訴を促したようであるが、女はそんな事実はなかったと突っぱねたのである。
勿論この証言は、ネルフ内部ではレイプ被害者という位置づけで保護されているその女にとっては、絶対に表沙汰には出来ないことではあったが…。
「はぁ? ワイセツブツチンレツぅ〜? 一体何言ってんのよ、アンタはぁ?」
どうやら本当に知らないようで、ミサトは目を丸くして、目の前の男を小馬鹿にしている。
おめでたい女である。
「フン、…後で自分の目で確認してみることだな」
さすがにここで上映するわけにはいかないのか、目の前の男は悔しそうに告げた。


「──このように被告人の罪状は明白。 犯した犯罪・失策は数知れず。 与えた損害は計り知れません。 ネルフ職員及び遺族の不安や憤りも甚だしく、よって被告人には極刑をもって臨むのが相当であると思料します」
検察官の男は、淡々と論告・求刑を行った。
「…キョッケイって何? 食べれるの?」
「…死刑のことだ」
「ふーん、死刑…」
「……」
「……」
「……」
「し、ししし死刑ぃぃ〜!? ちょっとアンタっ!! 何言ってんのか、わかってんのぉぉぉ!?」

ミサトはこの「死刑」という言葉を聞くにつけ、とんでもないとばかりに身を乗り出して怒号を飛ばす。
そのとき刑務官に押さえつけられなければ、そのまま目の前の検察官へと掴み掛かっていたことだろう。
しかも上官に対して「ちょっとアンタ」はない。
ミサトの激昂は続く。
「アタシは有能なのよっ!? 失策ぅ!? ハン!! んなモン、このアタシが犯すわけないじゃないのっ!!」
女はそう叫ぶと、目の前の被告人席の机をバーンと叩く。
「ほう…有能ねぇ。 ──では何故あのとき、通用しないとわかり切っている武器を、砲弾が底をつくまでエヴァ参号機に使用させたのかね? 結果、あの過剰なまでの劣化ウラン弾の粉塵が、先のシェルター壊滅の誘因になったとも言えるのだよ?」
検察官は底冷えのするような声で訊き返す。
本来なら論告求刑も終わり、このようなミサトの戯言など無視するか、裁判長に窘めてもらえば済む話であったのだが、この検察官の男、些かこの女の態度に我慢がならなかったのか、がっぷり四つに組んで応酬を始めていた。
まあ、結果としては、鬚面の男の思惑通りではあったのだが…。
「はあ? …何言ってんのよ、アンタ?」
意味がわからずに、逆に小馬鹿にして睨み返すミサト。
三つほど階級が上のはずの上官に、相変わらずタメ口を吐き捲くっている。
「ん? …まさか、報告書を見ていないというのかね?」
検察官が訝しがっている。
「??? どういうことよ?」
男のその態度に、ミサトはさらに眉間に皺を寄せる。本当にわからないようだ。
検察官は半ば呆れたように、口を開いた。
「あのとき国連軍が使用した主な砲弾と、君がエヴァ参号機にパレット・ライフルで撃たせた砲弾とは、同一口径、同一規格のものだったのだよ。 ま、向こうはタングステン弾、こちらは劣化ウラン弾という違いはあったがね。 だが威力については、ほぼ同一だ。 それについては過去に報告書の中に何度も挙がっていたハズだよ? 当然、作戦局第一課の課長である君の許にも届けられている書類だ。 国連軍は、ネルフが第四使徒と交戦に入る前に、そのタングステン弾を数百発、敵生体にお見舞いしていたのだよ。 だが使徒は無傷だった。 …これがどういうことか、毛が三本足りなそうな君のオツムでもわかるのではないのかね? ──もう一度訊こう。 何故無駄だとわかっている攻撃を、君は執拗なまでに指示をしたのかね?」
男は口早にミサトを糾弾する。
「うっ、そりはその…」
男のあまりの勢いに、ミサトは尻すぼみになっていた。
ミサトは進退窮まった。名古屋コーチン並みの脳みそがフル回転していた。
(どう答えればいいってのよぉ〜〜)
と、悩むミサトである。
回ってきた書類にはいつも隅々まで目を通していると、シラを切ればどうか?
その場合、自分の勤勉・有能ぶりを誇示できるが、出した指示の理由・正当性を説明できない。
下手をすれば故意性を疑われ、とんでもないことになりかねない。それはダメだ…。
では、知らなかった、書類なんてここ数年一度も目を通したことはなかったと、正直に告白すればどうか?
その場合だと、確かに故意ではないから、もしかしたら減刑とかされるかもしれない。
だがこれは、普段から仕事をしていない「無能女」であることを自ら暴露するようなものである。
それはまったくの事実無根(本人は本気でそう思っている)であるので、プライドが許さない。
だからこれもイヤ…。
結果、ミサトは何も答えられなかった。八方塞がりで沈黙したままであった。
「…ダンマリかね?」
検察官は苛つく。
暫くの静寂の後、言葉を継いだ。
「ふう…では質問を変えよう。 ──何故君は、第四使徒との格闘戦の真っ最中にも関わらず、突然、エヴァ参号機のシンクロを強制カットし、プラグを排出させたのかね?」
そう言うと、男はミサトを睨みつける。
「うっ…そ、そりはその、えーと、えーと、──そう! 民間人を助けるためです! ネルフは人類を守るための組織です。 そのネルフが逃げ遅れた民間人を見捨てることなど出来ないのです! 人として当然のことです!」
心にもないことを饒舌にほざくミサトであった。最初は見殺しにする気、満々であったくせに…。
勿論、自己保身のためであることは、すでに周囲にはバレバレである。
「使徒に殺られるとわかっていて、助けてどうするのかね?」
顎を撫でながら、男が矛盾点を突く。
「は?」
どうやらこの女、言っている意味が理解できないようである。ポカンとマヌケ面を晒している。
「君の目は節穴かね? あのときの使徒は四本の光の鞭のうち二本がフリーだったのだよ? そんな状況で参号機のシンクロをカット、姿勢をホールドなんかさせたら、どうぞ殺って下さいと相手に言っているようなものだよ? 結果、君のお蔭で参号機は大破だ。 修復の見当もつかない状況だよ。 ──さあ、もう一度訊く。 何故、シンクロを切り、プラグを排出させたのかね?」
男は、さらに強い調子でミサトに詰め寄った。
「そ、それは…ですから民間人を──」
馬鹿の一つ覚えで呟くしかないミサト…。すでにシドロモドロになっていた。
だが検察官はそれを一蹴する。
「(この無能がっ!)…大破した参号機で、助けた民間人を一体どうしようというのかね?」
「う…」
二の句が告げられない。
検察官は畳み掛ける。
「使徒侵入に際してもそうだ。 何故君は、使徒をジオ・フロント内に導き入れたのだね?」
衝撃の問い。
「!!! ア、アタシはそんなことっ──」
やってませんとばかりにミサトは慌てた。
見れば、信じられないという目をしている。
いつの間にか自分に身に覚えがないことまでが、自分のせいになっているのだ(ミサト視点)。
…尤もこれは、強ちそうとも言い切れないことではあったのだが。
検察官は言う。
「事前にサード・チルドレンがその危険性を説いたにも関わらず、君はそれを握り潰し、我を通した。 これはいわば故意的な犯行ではないのかね? ──何故、少年の言を無視したのかね?」
男はミサトの両眼を見据えて問い質す。
「そ、それはアイツが、使徒が射出口から侵入するなんていう馬鹿なことを言うから、その…」
旗色が悪いのが自分でもわかるのだろう。
ミサトはモゴモゴと口篭りながら、尻すぼみになりながらも、それに答える。
無論、男は容赦などしない。
「だが実際、その通りになった。 あれは正しい言葉だった。 結果、使徒は君が開けたエヴァの回収スポットから内部へと侵入を果たしたわけだ。 君があのときに少年の言うことを聞き入れておれば、確実に回避出来ていたことだよ?」
「そ、それは…」
「無能な君より、彼のほうがよっぽど作戦部長として適任ではないのかね?」
男はニヤリとすると、強烈に皮肉った。
「クッ…アタシは…有能…なのよ…」
堪えかねたように、その拳を握り締め、俯いて小声で呟くミサト…。
この期に及んでも、「無能」という事実を受け入れられない…というよりは、「有能」という幻想を手放せないようであった。
少し間を置いて、男はまた顎を擦りながらしみじみと語った。
「そもそもだ。 端からサードの自由に戦わせていたら、簡単に勝っていたのではないかね?」
「っ!! それは違いますっ!! 使徒はアタシにしか倒せませんっ!!」
ミサトはパッと顔を上げ、反射的に大声を上げた。これは譲れない一線らしい。
だが男はこれには納得いかないようで、憮然とした口調で異を唱えた。
「だが実際は、君なしでサードは使徒を倒したのだよ? 君はもっと現実を見たほうが良いのではないかね?」
「そ、それは偶々ですっ!! ですがもうそんな幸運は二度と起こりません!! この戦いは子供の遊びではないのですよ? 使徒はそんなに甘くはないんです!! 私の力なくして勝利など絶対に望めませんっ!!」
馬鹿女は、大袈裟なジェスチャーを交えて自信満々に吠え捲くった。
無論、周囲は冷めた表情でそれを聞いていた。
「…そんなことはないと思うがねぇ?」

「何と言われようと、使徒はこのアタシでないと倒せませんっ!! これはこの宇宙における絶対の真理なんですっ!!」

検察官の異論に対し、ミサトは胸を張って喜色満面で叫び声をぶちまけた。
それはもう揺るぎないほどの自信(過信)だった。
「「「「「……」」」」」
皆、完全に呆れ返っていたが…。


「ふう…では最後に聞くが、──何故、脱走したのかね? …君も知っているだろう? 敵前逃亡は銃殺刑だよ?」
(!!! じゅ、銃殺刑ぃ〜〜!?)
知らなかったようだ。
「どうなのだね?」
検察官の男は再度、厳然と答えを催促する。
ミサトはというと、かなりオドオドしており、その視線は泳いでいた。
今は必死に言い訳を考えているのだろう。それは傍目にも一目瞭然であった。
「そ、それは別に逃げたというわけでは…(あ〜〜、マズイ、マズイのよ〜〜、死刑になっちゃう〜〜)。 えーと、えーと、──あ、そうだ! ハイ、実はあれは偵察、哨戒に出ていたんです。 うん、そうです、そうなんですよ♪ 決して自分の命が惜しくて逃げ出したわけじゃありませんっ!!」
ミサトはナイスな妙案が浮かんだとばかりに、嬉々としてそれを主張した(勿論、デタラメである)。
(ミサト、無様すぎるわね…)
(これはちょっと酷いと思いますぅ〜)
(見苦しいッス。 いい加減にして欲しいッス。 もう食傷気味ッス)
(…葛城さん…)
証人席の面々、その誰もがミサトの言葉など信じてはいなかったようである(約一名を除いて)。
ミサトはほくそ笑んでいる。しかし、──
「ほう? …使徒がジオ・フロイント内で暴れ回っている最中だというのに、君はわざわざ地上へと哨戒に出たというのかね? …君は一体何を哨戒しに行ったのかね?」
「へ? …あ! そ、そりはその…」
似非策士は策に溺れ、語るに落ちた。今さら気付いても後の祭りだ。
決定的な矛盾を突かれ、ミサトは言葉に窮していた。
顔色がまた一気に悪くなっている。
そして一分ほどが過ぎた。
男は呆れるように口を開いた。
「…また沈黙かね? よもや沈黙は金、雄弁は銀などとは、思ってはいないだろうね?」
「……」
男の厭味もこの女には届かなかった。


「ああ、そういえば…今朝、東名下り線の伊勢原バス停付近で、男性の射殺体が発見されたそうだよ」
ふと思い出したように、検察官の男が語り出した。
男はチラと被告人席を見て、また続ける。
「一緒にいた家族の話では、ネルフの『葛城ミサト』と名乗った女に撃ち殺されたそうだよ。 その女は抵抗したドライバーを射殺、乗用車を強奪していったそうだ。 ──記憶にあるかね?」
検察官は横目でミサトに話を振った。
「し、知りません。 い、一体何のことでしょうか? わ、私にはその、サッパリです!(ドキドキ)」
緊張しながらも、ミサトはすっ惚けた。尤も、その目は泳ぎ捲くっていたが…。
その言葉に、さすがの検察官も不穏に目を細めていた。
「ほう、知らないかね。 ──ネルフ本部の地下駐車場の君の指定ブースにあったのは、まさしくその盗難車両なんだがねぇ? ちなみに監視カメラにも、そのクルマから降りる君の姿が確認されておるし、車内から君の指紋も確りと採取されている。 さらに現場からは男性の体を貫通したものを含めて『500SW弾』が五つばかり発見されている。 残された旋条痕から、撃ったのは君の愛銃の一つ『500S&Wマグナム』であることもすでに判明している。 ──さて、もう一度訊く。 君は本当に知らないのだな? …ちなみにこの場での偽証は重罪だ」
この日一番の底冷えのするような声で検察官は詰問した。
「重罪っ!? …あ、今思い出しました。 確かそんなこともあったような…テヘヘヘ」
ミサトは「重罪」と聞いて、コロッと態度を豹変させた。
だが人一人を撃ち殺しておいて「テヘヘヘ」はないだろう。
男は呆れているが、一つ大きく嘆息すると、話を進めた。
「この件でも、地上の警察から君の身柄の引渡し要求がきているのだよ。 ──何故、君は一般市民を殺したのだね?」
「そ、それは、アイツが最後まで抵抗したから……あれは正当な措置でしたっ!! 悪いのは私ではなくて、死んだあの男ですっ!! あのときは非常時だったのですっ!! 何も問題ありません!!」
仰いで天に愧じずとばかりに、身の潔白を主張するミサトであった。
その自信には些かの揺るぎもなかった。
ちなみに、何故その男が抵抗したのかというと、…馬鹿女がその男の家族に銃口を向け、そのすぐ足元に威嚇射撃をしたからである。
威嚇とはいえ、目の前であんな馬鹿でかい銃を、しかも耳を劈く轟音と派手なマズルフラッシュ付きでぶっ放されたら、咄嗟に家族の身の危険を感じとるのは当然のことである。
故に男は、愛する妻と娘を守るために、自らの身を挺して庇い、必死に馬鹿女に抵抗したのであった。
尤も、結果は悲しいものとなったのではあるが…。
検察官は興味深そうに訊いた。
「ほう、正当な措置というが、その根拠は何なのだね?」
「は? …いえそれは勿論、ネルフの権限というやつで──」
だがミサトが言い終わる前に、男は怪訝そうに眉間を顰めて言い放った。
「何を言っておるのだね? 有事ならともかく、平時においてネルフ権限にそんなものはないよ。 つまり君のやったことは、ただの強盗殺人なのだよ!」
「へ? そ、そんな…馬鹿な…」
途端に顔色が悪くなるミサト。
勿論、人を殺したことを悔やんでいるのではない。 …単に自分の身を案じているのだ。


「で、…何故、善良な一般市民を殺めたのかね?」
再度問い質す検察官。その穏やかな口調と裏腹に表情は険しかった。
「……」
ミサトは何も言わない。ただジッと俯いていた。
「…ほう、また黙秘かね?」
黙り込んだミサトに検察官は憮然とした表情で睨みつける。見ればプルプル震えていた。
いや、さすがにそれは買い被り。そんな高等スキルはこの女にはない。ただ単に答えに窮しているだけだ。
ちょうどそのとき、──
プチッ
何かが切れた音がした。

「チッ!! まったく貴様のような『クズ』をネルフに採用したことが、人類の最大の不幸だったよっ!! お蔭でこのザマだっ!! さっさとクビにすべきだったのだっ!! 痛恨の極みだよっ!! 『無能』で『有害』極まりない貴様なぞ、よっぽど死んでくれたほうが、我々人類の生存確率がグンと跳ね上がるというものだっ!! この際、是非とも死んでくれたまえっ!! この阿婆擦れがっ!!」

検察官はかなりヒートアップし、憤怒の表情で、大声で暴言を吐き捨てた。
珍しくかなーり興奮しているようであった。
無論…言っていることはすべて事実だったが(笑)。
その検察官としての立場としては、些か不当な発言ではあるが、この男の正直な感情の吐露であった。
それに責める者など誰もいなかった。ま、当事者を除いてではあるが…。
男のそのあまりの暴言に、ミサトはガバッと顔を上げ、叫んでいた。

「んなっ!! ぬぅわに言ってんのよアンタはぁー!! ふ、ふふふふざけんじゃないわよ!! ア、アタシは優秀なのよ!! すんごい天才なのよ!! 世界一なのよ!! そんなアタシを侮辱することはアンタ!! 人類全体を侮辱することと同じことなのよ!! それにアタシを失うことは、ネルフの、世界の損失なのよ!! ちょっとアンタ!! ソレ、わかって言ってんでしょーね!!」

ミサトは鼻息を荒げ、唾を飛び散らせながら怒鳴りに怒鳴り捲くった。
恐らく今、彼女の血圧は400くらいに上がっているだろう(笑)。


「ふぅ…埒が明きませんな。 ──裁判長、論告求刑の後で誠に申し訳ないのですが、ここで改めて証人の尋問を申請致します。 どうかお許しを」
言いたいことを叫んで少し落ち着いたのか、検察官の男は上司であるゲンドウに丁寧な言葉遣いで件の許可を求めた。
「…許可する」
ゲンドウはそれだけ言うと頷いた。
相変わらず、両手を顔前で組んだポーズのままであったが、その口許はニヤリとほくそ笑んでいた。
数分後、名前を呼ばれたリツコが証人として、証言台に立っていた。
リツコは目に前のゲンドウに目配せすると、何やら伺いを立てる。
それに気付いた男は、黙ってそれにニヤリと頷く。
どうやら、リツコが今からやることへの許可は下りたらしい。
リツコは白衣のポケットの中にある小道具(後でわかります)を握り締めると、振り向き様に被告人席に座る元・親友(リツコの中でミサトはすでに"元"親友)に言った。それはもうしんみりと…。
「ミサト、先ず貴女に言わなければならないことが、謝らなければならないことがあるの…」
「は? な、何よリツコぉ〜、そんな急に改まっちゃってさぁ〜」
ミサトは、いきなりの親友(ミサトの中ではリツコは相変わらず"現"親友)の態度に面食らっていた。
リツコは顔を曇らせながら告白した。
「貴女がネルフに入れたのは…作戦部長という高ポストにつけたのは、実は貴女の実力じゃなかったの」
「へ? …何を言ってるの、リツコ?」
言われた意味がわからず、キョトンとしてるミサト…。
リツコは構わず続けた。
「ここに6年前の、貴女がゲヒルンの採用試験を受けたときの結果があるわ。 ──100点満点中、5点…これが結果よ」
そう言うと彼女は、手際よく出席者各位にそのコピーを配り始めた。 …予め用意していたらしい(笑)。
「「「「「ご、5点!?」」」」」
配布された紙を見て、周囲も驚く。
確か自己採点で90点前後が毎年のボーダーラインであるハズなのだ。
それはネルフの前身であるゲヒルン時代においても、そうは変わらないハズであったのだ。
ていうか、たった「5点」じゃ、今も昔も、ボーダーラインもヘッタクレもないのではあるが…。
「ちょ、ちょ、ちょ!! 何言ってんのよアンタはッ!!」
さすがにとんでもない話だと気付いたのか、ミサトは親友に食って掛かる。
だがその親友はというと、何食わぬ顔で暴露を続けていた。もはや確信犯である。
「貴女は言わば『コネ』でココに入ったの。 かの故・葛城博士の一人娘として、そしてあの葛城調査隊の唯一の生存者として、ね。 …決して実力じゃないのよ(ホントはもっと別な理由があるんだけど…さすがにこの場では言えないわね♪)」
「ふ、ふふふふざけたこと言ってんじゃないわよっ!! アンタ、このアタシを侮辱する気なのっ!!」
怒鳴り声を上げるミサト。その体はプルプルと震えていた。別に肌寒いわけではない。
だがリツコは無視して続けた。
「ううん、それだけじゃないの。 大学入試のときもそう…」
そう言うとリツコは、証言台でクルリとターンして、被告人席のミサトと向かい合った。
「は、はあ?」
ミサトは思いっきり首を傾げていた。まったく思い当たりがないらしい。おめでたい女である。
親友(ミサト視点)は話を続ける。
「貴女は実力で大学に入ったと思っているでしょうけど…実はあれも『コネ』なの。 ネルフのバックにいる組織の力による『裏口入学』なのよ(これくらいは言っても良いわよね?)」
「……」
ミサトは半ば茫然として、親友の話を聞いている。
「ううん、それ以前にそもそも貴女って、本当はセンター試験の段階で『足切り』に引っ掛かって、第二東京大学の二次試験は受験出来なかったハズなのよ」
リツコはそう言うと、目の前の机に、今度は当時のセンター試験と第二東京大学(文科一類)の二次試験結果のリストが広げられた。
当然、時を同じくして、周りにもコピーが配られていた(某童顔オペレーターが手伝わされたらしい)。
(((((げっ!! センター試験が800点満点中の、35点!?)))))
ギャラリーは凍りついていた。
こんなの「足切り」以前の問題である。いや、もはや人間として恥ずかしい。
実を言うとミサトは、センター試験がマークセンス方式であることを良いことに、エンピツをサイコロ代わりにして、すべての解答欄を埋めていたのである。
馬鹿というか…つわものというか…(笑)。
「ちなみに大学の二次試験は、すべて筆記問題だったから…全教科0点だったそうです」
各々の目の前には、いつの間にか、そのときの答案のコピーまでもが配られていた。
(((((……)))))
解答はというと…てんでデタラメだった。それはまるで幼稚園児のラクガキだった。
そもそも何で、英語の答案なのに日本語しか書かれていないのだ?その時点でアウトである。
「センター試験が35点、そして大学の二次試験が0点。 にも関わらず、彼女は晴れて日本最高学府の大学へと入学を果たしたんです。 それが裏口入学とも知らずに…」
そこまで述べると、リツコは科(しな)を作り、オヨヨとばかりに涙を拭った。 …役者である。
「大学の定期試験だってそう。 いくら問題がチンプンカンプンだからって、毎度毎度、『美味しいカレーの作り方』を答案に書き並べるしか能がないなんて、ああ、なんて不憫な子なんでしょう…」
そう言うと、再び感極まってハンカチで涙を拭うリツコ…。やはり役者だ。
(((((そんなことを書いていたのかっ!?)))))
ギャラリーはすっかり呆れ果てていた。
余談ではあるが、ミサトの書いたレシピ通りにカレーを作って食べた退官間近のある年老いた教授が、そのまま別世界へと旅立ったそうである(合掌)。
リツコの懺悔(?)はなおも続く。
「ゴメンなさい。 今まで内緒にしてたけど、貴女は正真正銘の『無能』なの」
「っ!! 何さっきからデタラメなことをほざいてんのアンタはぁーーッ!!」
リツコの「無能」という言葉に反応したのか、ようやく現世回帰を果たしたミサトが大声で怒鳴りつけた。
だがリツコは、柳に風とばかりにそれを受け流すと、さらに告白を続ける。
「ううん、デタラメじゃないのよ。 病院の検査によると、貴女の知能指数はIQ55…重度の痴呆老人並みらしいわ。 三歳児、チンパンジー以下とも言えるわね。 それに貴女の脳密度は異様にスカスカらしいの。 所謂スポンジ状態らしいわ。 原因は不明。 加えて重度のアルコール依存症(デルタ型)も貴女の脳に追い打ちをかけているみたいなの。 ──ゴメンなさいね。 今までこんな大事なことを…貴女が『無能』『役立たず』なのを隠していて。 本当にゴメンなさい。 どうかこんな私を許して…うう…許して頂戴…(涙)」
そう述べるや、口許を手で押さえ、悲しげな嗚咽を漏らすリツコ…。ああ、もう見事というより他はない。
だが気のせいか、喋る度に悪口の数が増殖しているような…(笑)。
涙ぐんで深く頭を垂れるリツコ…。
だが彼女が謝れば謝るほど、それに比例(反比例?)してどんどん惨めになっていくのはミサトのほうであったのだ(笑)。
晒し者状態である。
まさに、褒め殺しならぬ、謝り殺しであった。
リツコも内心では「病みつきになりそう♪」と思っていたとか、いないとか…(笑)。
彼女の暴露話は佳境へと突入する。
「貴女がネルフで数々の失態・失策を犯してもお咎めなしだったのは…『コネ』があったからなのよ」
「「「「「!!!」」」」」
「実を言うと、本当は貴女がココにいないほうが、人類が生き残れる確率が遥かに高いのよ。 MAGIも全会一致でそう言っているわ」
「「「「「!!!!!」」」」」
「本当にゴメンなさい。 貴女が『無能』『役立たず』『性悪』『アル中』『無芸大食』『極潰し』『淫売』『人間のクズ』『生きる資格なし』『最低女』だってことを、今までずっと黙ってて…」
増えてる増えてる(笑)。
リツコはポロポロ涙を流しながら、謝罪を続けている。
そして元・親友にトドメを刺すべく、数回深呼吸をすると、
「貴女は生きる上でとても重いハンディキャップを背負っているのよ。 ──『無能』『無様』『無才』『無用』『無下』『無力』『無礼』『無知』『無恥』『無法』『無体』『無為』『無策』『無益』『無駄』『無骨』『無粋』『無理』『無道』『無謀』『無茶』『無頼』『無躾』『無識』…ハァハァハァ──挙げればキリがないわね。 本当にゴメンなさい、今まで黙っていて。 謝って済む話じゃないでしょうけど、こんな私を、どうか許して頂戴っ!」
そう一気に喋ると、ミサトに向かって深く頭を下げた。
(カ・イ・カ・ン、だわ〜〜♪)
周りからは見えないが、俯いたリツコの顔は恍惚の表情だったという。
リツコは尋問という形式を無視して、一人勝手に喋り捲くった(検察官も止めなかった…というより端からグル)。
しかも、何故かその右手の中には"目薬"が握られていたという…(笑)。
「……」
ミサトは茫然自失としていた。そりゃするだろう。


しかし何故リツコはこのような証言を──いや実際はゲンドウがそれをさせたのであるが──したのか?
ミサトというこの女を、ネルフは簡単には切り捨てられないのではなかったのか?
──いや、だからこそなのだ。
矛盾しているようだが、そうではない。
ミサトは切り捨てられない。 ──これは絶対である。それがゼーレの意思だからだ。
ゲンドウは苦々しく思っていたが、自分の尻に火が点いている今の状況では、これに従うしか道はなかったのだ。
だがゲンドウは、先の使徒戦においてミサトの無能ぶりを、骨身に染みて痛感していた。
にも関わらず、今後もこの女を作戦部長として、現場の第一線で使い続けなければならない。
はっきり言って、これは無謀以外の何物でもない。
危なっかしいったら、ありゃしないのだ。そんな綱渡りなど、ゲンドウはまっぴらゴメンであったのだ。
下手をすれば、また第四使徒戦の二の舞である。いや、その可能性は滅茶苦茶に高かった。
では、どうすればいいのか?
答えは簡単である。
彼女に自分が無能であることを自覚させればいいのだ。
そうすれば、(少しは)謙虚になって、部下の意見にも耳を貸すかもしれない。
傲岸不遜な態度も(少しは)改まり、無茶な戦闘指揮も(少しは)控え目になるかもしれない。
いや、そうならなければ大いに困るのだが…。
ミサトの犯した罪については土壇場で不問にし、誰かに詰め腹を切らせればいい。それでこの件は幕引き。
ゲンドウはそう目論んでいたのだ。
ま、多少はゼーレの老人たちへの当てつけの意味もあったのではあるが…。
──だがこの女、ゲンドウの思惑通りに、これで懲りるのだろうか?
皆さん、お忘れだろうか?
この葛城ミサトという女の本性を。
自己チューで排他的…。
彼女の辞書に「反省」という文字はなし…。
しかも世界トップレベルの責任転嫁能力…。
何より自身に都合の悪いことは、一晩寝ればキレイに忘れることが出来る自己防衛体質…。
彼女(馬鹿)に付ける薬はない…。
──それがこの女、葛城ミサトなのである。


リツコに続いて、伊吹マヤが証言台に立った。
「では伊吹二尉にお尋ねします。 ──被告人は勤務中はいつも不真面目だったと伺っておりますが、それは本当ですか?」
マヤは多少オドオド、キョロキョロしながらも、それに答えようとする。
「えーと、ハイ…確かに葛城さんはいつも遊んでおられました。 勤務中もゲームばかりして…。 それに、いつもお酒臭かっ──ヒッ!!」
マヤは心細さから何気に背後の証人席(リツコがいる)を振り向いた瞬間、不幸にもその横の被告人席に座るミサトと目が合ってしまったのだ。
その瞬間、マヤはビクッと震え上がり、そこで言葉が止まってしまった。
見れば、ミサトは般若のような形相で、まるで親の仇を見るかのような目つきでマヤをジッと睨みつけていたのだ。
その目は「後で覚えていなさいよ!」という脅迫まがいの恫喝であった。
気の弱いマヤは、それで何も言えなくなってしまい、彼女の尋問はそこで終わらざるを得なかった。
続いて、青葉シゲルの証言。
「毎日、僕より遅くに出勤して、僕より早くに退勤するのに、何故か勤務時間は僕より多かったッス。 ネルフの七不思議ッス」
ちなみに馬鹿女はシゲルの背中にズッと殺気を飛ばし続けていたのだが、彼は視線を合わせないように留意していたらしい。賢明な判断である。
──次々に暴露されるミサトの勤務実態。不正行為の数々。
(うう〜〜、マズイわねぇ〜〜。 このままじゃアタシってば、無実の罪で本当に死刑になっちゃうじゃないのぉ〜〜。 マズイわ、マズイわ〜〜、早く何とかしないとぉ〜〜)
焦眉の急とばかりに、ミサトは頭を抱えて、ダラダラと脂汗を流していた。
尤も、本人は本気で自分は冤罪だと思っているようだが(汗)。
まあ、だからこそタチが悪いのだ…。


最後に日向マコトの証言。
彼の証言は、他のオペレーターズとは毛色が違っていた。
「葛城さんは優秀で、周りからの人望も厚く、心優しくて、とても良い上司でした。 とてもそんなことをするとは思えません…」
ミサトを庇っていたのだ。
余談であるが、ミサトの勤務時間を改竄していたのはマコトである(ミサトにそんなスキルはない)。
無論、ミサトからの指示である。
最初は不正行為だからと、マコトも渋っていたのだが、
「作戦部長たるもの、勤務時間外でも拘束時間が半端じゃないのよっ! 色々と大変なのよっ!」
というミサトの一言で納得していた。
きっと自宅でも仕事をしているんだなぁ…と思ったらしい(そんなわけない!)。おめでたい男だった。
(マコト、お前やっぱり…)
後ろの席で、それを聞いていた親友は、呆れたように顔を引き攣らせていた。
無論、マコトの言っていることは嘘(妄想)ではあるが、彼の中では限りなく真実へと脚色された主観情報であるため、偽証には当たらないのだ。
「では日向二尉に訊こう。 ──被告人が第四使徒戦役において、戦闘中にも関わらずエヴァ参号機のシンクロを強制カット、エントリープラグを排出した。 …この事実に間違いはないかね?」
検察官の男がマコトに訊ねる。
マコトは思った。
このままでは、十中八九、彼女は有罪となるだろう。下手をすれば死刑だ。
「……」
まさにこのとき、少しだけ、ほんのちょっとだけ、彼女の罪を被ってやろうという悪魔の囁きが、マコトの頭の中で起こっていた。
もしかしたら、それで恩義を感じて彼女が自分のほうを向いてくれるかもしれない。
そしてそこから始まるラブ・ストーリー。
マコトには、そんな下心があったのかもしれない。いや、ないと言えば嘘になるだろう。
その仏心(下心)が、自らの命取りになるとも知らずに…。
マコトはゴクリと固唾を飲み込むと、意を決して叫んだ。


「じ、実はその進言はこの僕が致しました!」


もしかしたら自分も降格くらいは食らうかもしれないとは思ったが、彼女のためならと奮起したらしい。
冷静に考えれば、降格程度で収まるハズは絶対にないのだが、このときのマコトは魅惑の妄想にとり憑かれており、判断力が麻痺していたのだ。
「「「「「!!!!!!」」」」」
だがこれは、本当に、本当に不用意な失言であった。まさしく痛恨の一言であったのだ。
もしこの世にタイムマシンがあったら、未来のマコトが逆行して、今の自分を諌め、止めたであろう。
だが、残念ながらこのメガネ君には、ネコ型ロボットの知り合いなどはいなかった。
この瞬間、彼は生贄の祭壇に自ら迷い込んだ憐れな子山羊となった。
(マコト…お前…)
親友は言葉もない。
そこまで想いを馳せていたのか…そんな心境だった。
「そ、それは本当かねっ!?」
慌てたように検察官が言質を取ろうとする。その顔には信じられないという色が見て取れる。
「あ、はい。 間違いありません。 僕の進言です」
マコトはキリッとした表情で、男らしくハッキリとそう答えた。
それを目を細めながら見詰める一人の男──
(──フン、この女を庇ったつもりだろうが…ニヤリ…これで大義名分ができたな)
目の前のマコトを睨みながら、思わずほくそ笑むゲンドウであった。
どうやらこの男、これ幸いとして、マコトに詰め腹を切らせるつもりでいるようだ。
さて、肝心の馬鹿女はどうしているのか?
見れば、ミサトは被告人席で俯いてぷるぷると震えていた。
そして次の瞬間、ガバッと顔を上げた。その顔は一面、狂喜へと染まっていた。


天啓キタ━━(゚∀゚)━━ッ!!!!


ミサトの反応は素早かった。
普通、どんな悪人でも、辛いときや苦しいときに情けを掛けられたら、その情に絆されて涙するものである。
よく刑事ドラマで見掛ける、警察の取調室での「カツ丼食うか?」のシーンもこれに当たるだろう。
かの「ス○ール☆ウォーズ」の不良クンだって、山口センセーから手作り弁当を貰って、人の情けの温かさを知ったのだ!
あー、コホン…つまり、根っからの悪人など、そうはいないということだ。
──だがこの女は違った。
その目はまるで、獲物を見つけて舌なめずりをする肉食獣のそれであったのだ。
相手は自分に情けを掛けてくれた大恩人──なーんてことは、アウトオブ眼中であった。
そしてここぞとばかりに、ミサトはぶちまけた。
「そ、そうなんですよっ!! 彼の言うとおりなんですっ!! いえっ、実はそれだけではなく、今回のことはすべて日向二尉の差し金だったんですっ!!」

「「「「「んなっ!?」」」」」
(マコトを含む)

ミサトの暴走は止まらない。
「劣化ウラン弾を打ち続けろと指示したのも、エヴァ参号機のシンクロをカットさせたのも、エントリープラグを排出させたのも、使徒をネルフ本部に招き入れたのも、そして命が惜しくて自分一人だけ敵前逃亡したのも、一般市民のクルマを盗んで相手を撃ち殺したのも、みんなみんな、実はこの男だったんですっ!!」

ミサトはそう叫ぶと、ビシッとマコトを指差した。 …なんて女だよ。

「「「「「!!!!!」」」」」

驚愕する出席者の面々…。
勿論、この馬鹿女の言葉を信じる者は誰もいなかった。
いくらなんでも無茶苦茶だった。状況証拠もヘッタクレもなかった。
自分が助かりたいがために、まさかそこまでするかぁ〜?
恥も外聞もないのか、この女はぁ?
誰もがそんな思いを抱いていたのだ。
当のマコトはというと、口を開けてポカンと呆けている。無理もなかろう。
「あ! …アタシは必死に止めましたよっ!? でも彼の上司とはいえ、アタシは見てのとおりの非力な女の身…。 結局、最後は力で押し切られて抵抗出来ませんでしたっ!! 本当にゴメンなさいっ!! 可愛い部下を思うあまり、今までずっと彼を庇って嘘を吐いていたんですっ!! ああ〜、なんて健気なアタシなんでしょう…。 本当に、本当に申し訳ありませんでしたぁっ!! ──つーことで、アタシは全然悪くはありませんっ!!」

そう臆面もなく一気に叫ぶと、ゲンドウたちに向かって深く頭を下げるミサト。
俯いて見えないが、その口許はニヤリと醜く歪んでいた。
そもそも誰が非力な女だというのか?
非力な女は、何キログラムもする大型ハンドガンを携帯などしない…。
しかし、いくらなんでも話に無理があるだろう。証拠なんて何一つないのだ。
…だがその無理を平気で通すのが、この「葛城ミサト」であるのだ。
ミサトという女は、自分を救おうとやってきた恩人の足を無下に掬(すく)い、すべての罪を擦り付けたのだ。
生贄の祭壇に、自らノコノコとやってきた憐れな子山羊…。
まさに彼女にとっては、九回裏ツーアウトからの代打逆転満塁ホームラン、至福の瞬間であった。
逆に青ざめたのは、マコトのほうであった。
ホンの少しだけ罪を被ってやるつもりが、いつの間にか一切合切の罪を擦り付けられていたのだから。
しかも率先してそれを擦り付けたのは、自分が庇おうとした想い人、葛城ミサトという女性その人であったのだ。
その裏切りともいえる態度に、マコトの動揺は計り知れなかった。頭の中が真っ白になっていた。
マコトはパクパクと口を動かし、何かを伝えようとするが、あまりのショックに声は出なかった。
もとはと言えば、仏心(下心)を出してミサトを庇ったこと、これがいけなかった。
第一そんなことをしても、当のミサトは恩を感じるようなタマではなかったのだ。
それどころか、嬉々としてその尻馬に乗るや、渡りに舟、鴨ネギとばかりに、すべての責任を目の前の恩人(注:マコト)に転嫁しやがったのだ。
ミサトにとっては千歳一遇のチャンス、天の恵み、…絶対にこれを逃す手はなかった。
ちょうどそのとき、──
「(どうですかね、この男を葛城一尉の代わりに死刑になさっては?)」
裁判官の一人が、隣のゲンドウに囁いた。
「!!!!!」
だがその小声は、不運(?)にも証言台のマコトの耳にも入っていた。
マコトは慌て捲くった。そりゃそうだろう。このままでは無実の罪で殺されかねないのだ。

「す、すみません!! う、嘘です!! 先程の証言はすべて嘘でした!! 嘘っぱちです!! ゴメンなさいっ!!」

慌てて前言撤回するや、米搗きバッタのように何度も頭を下げるマコトであった。相当に取り乱していた。
だがこれは偽証である。マコトは自らそれを告白しているのだ。
だがそんなことは、今のマコトにはどうでも良かった。
死刑に比べたら、そんな偽証の罪などゴミ同然、まったくの問題外、背に腹は代えられないのだ。
ちょうどそのとき、法廷内で別の動きがあった。
突然、ミサトが席から立ち上がると、ツカツカとマコトのほうへと歩き出していたのだ。
横に控えていた刑務官たちは、いきなりのことにア然としている。制止も忘れてポカンとそれを眺めていた。
ミサトは証言台の正面に立った。
そしてマコトと向かい合うや否や、──

バッチーーーン!!

「「「「「!!!!!」」」」」
いきなりミサトの平手が一閃していた。
「なっ!? なっ!? なっ!?」
殴られたマコトは、目を丸くして激しく当惑していた。無理もなかろう。
「日向二尉っ!! アンタ男でしょーがっ!? 一度言ったことを取り下げるなんて、男として最低よっ!! マタンキ付いてんなら、ジタバタしないで潔くしろっつーのっ!!」

ミサトは、逃してたまるか〜とばかりに、恩人であるハズのマコトの胸倉を掴み上げ、追い討ちを掛けていた。
今さら「逃した魚は大きかった」では済まされないのだ。
はぁ〜、もうデタラメだぁ〜。こんな女いねぇ〜。
「そ、そんなぁ〜〜〜っ!!」
マコトは赤く腫れた左頬を手で押さえて、信じられないといった表情で驚愕している。
「グダグダとわがまま言ってんじゃないのっ!! 男らしくないわよっ!! そもそもアンタっ、いつでも死ぬ覚悟があってネルフに入ったんでしょーがっ!!」
もう無茶苦茶だ。
そりゃ確かにマコトにその覚悟はあったが、それは人類のために使徒と戦う際のものであって、さすがに他人の罪を背負った挙句、身代わりとなって死ぬ(=犬死する)覚悟などありはしなかった。
そもそも、それを言うなら、当のミサトはどうなのだろう?
確か、ネルフの幹部職員であるにも関わらず、先日、死ぬのがイヤだと叫んで逃げ出したようであったが…。
…人のことは言えないと思う(この女の場合、それ以前の問題ではあるが)。
クソ女は畳み掛ける。
「日向二尉っ!! 貴方一人の命でネルフ(アタシ)が救われるのよっ!! いい加減に潔くしないと見苦しいわよっ!!」

見苦しいのは貴様のほうだっ!!
自己保身のために、唾を飛ばし、吠えに吠え捲くるミサトであった。
ま、本人にしてみれば、真面目に部下を諭しているつもりなのだろうが…。
マコトなんかもう、青息吐息である。ガタガタと震えていた。
脚の力が抜け、その場へとヘタリ込みそうになるが、彼の胸倉を掴むミサトがそれを許さない。
この葛城ミサトという女。見た目(だけ)はマトモだが、一たび切羽詰ると、自分のことで手一杯の偽善者となる。
そして、自己保身のためならどんなことにでも手を汚し、「仕方なかったの」「人類のためなのよ」の一言(免罪符)で、罪悪感から背を向ける。
史上最低最悪の悪女であったのだ。


ここにきて審判は急転直下した。
突然、法廷(会議室)にゲンドウの声が通った。
「これにて結審っ!! 判決、葛城ミサト一尉は無罪っ!! 日向マコト二尉は懲戒免職の上、死刑に処すっ!! 以上だっ!!」

「やったぁ〜〜〜♪」


判決を聞いた瞬間、笑顔満面でバンザイ三唱をするミサト。

「そ、そんな馬鹿なぁ〜〜っ!! う、嘘だぁ〜〜っ!!」


と、片や絶望のどん底に突き落とされたマコト。

(((((……)))))

ギャラリーはあまりのことに茫然としていた。
いきなり証人の一人を、しかも正当な手続きもないままに死刑にするとは、如何にネルフといえども、些か乱暴なことではあった。
だがこれは、秘密裁判ゆえに可能であるのだ。
議事録(裁判記録)が外に洩れることはない。
この裁判は完全に外部からはシャットアウトされているのだから(と、ネルフは信じている)。
裁判長の横暴ではあるが、検察官は何も言わない。そのための人選であったのだ。

「い、いやだああ〜〜〜!! お、俺は、俺は無実だああ〜〜〜!!」

泣き叫び、暴れ捲くるマコトを二人のゴツイ刑務官たちが外へと引き摺っていった。
「日向くぅ〜ん♪ ちゃーんと罪を償うのよぉ〜♪」
ニヤニヤ笑いながら、ハンカチを振ってマコトの背中を見送るミサト。
…なんて女だ。
だがそもそもその罪は全部、貴様の罪ではないかっ!
誰かこの女を何とかしてくれっ!
「…無様ね(やっぱりこんなオチだったのね…)」
「マコト…何てことに…」
「こんなのって…こんなのって…酷すぎますぅ〜」
"元"同僚たちは、茫然としてそれを見送ることしか出来なかった。



To be continued...


(あとがき)

先ずは、更新が大幅に遅れたことを心よりお詫び申し上げます。
実は、サッカーやらインターハイやら高校野球やらオリンピックやらで、テレビ観戦に勤しんでおりました。
まるまる一月ほど…(汗)。
まあ、ぶっちゃけ怠けていたとも言いますが…ゴメンなさい。
でも、あまりに間が空きすぎて、作者だというのに、ほとんどストーリーを忘れていました(汗)。
仕方がないので、もう一度拙作を読み返しましたよ。ハイ、無事、思い出しました(笑)。
さて、今回も前回に続き、テキスト量が250KBをオーバーしましたので、泣く泣く二話に分割しました。
本当は三ないし四話に分けたかったのですが、うまく区切れなかったもので…。
今話はシリアスですね(次話もそうですが)。動きがなくて、少しつまらなかったかも知れません。
管理人も、筆が進まないこと、進まないこと(笑)。
さて、メガネーズですが、死刑判決を受けちゃいましたね。
ま、ケンスケは自業自得ですが…。
でも、このまま二人とも死刑になっちゃうのでしょうか?(果たして、救いの手はさし伸ばされるのか?)
次話は、なんちゃってR指定です。
請う、ご期待です!
あ、でも、使徒戦じゃないので、あまり過度な期待はしないで下さいね(汗)。
次回もサービスサービスぅ〜♪
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