捌かれる世界

第十二話 雨、逃げ出した後…そして訣別(後編)

presented by ながちゃん


真っ暗闇な会議室──
ここは昼間の裁判が行われた場所とはまた違う、本館ビル内に存在する別の会議室である。
そこには、見覚えのある五つのホログラフィーが浮かんでいた。
そう、人類補完委員会の面々である。
「碇……呼び出しの理由、わかっておろうな?」
バイザーの男、キール・ローレンツは、底冷えのするような声でそう言うと、正面に座る男、碇ゲンドウをキッと睨みつけた。
そのあまりにも剣呑な雰囲気に、根は小動物でしかないゲンドウは、思わず縮み上がる。
だがグッとそれを堪えると、いつものゲンドウ・ポーズを決めたまま、平静を装って口を開いた。
「はてさて一体何のことですかな、キール議長? つい今朝方、お会いしたばかりというのに、この突然の呼び出し、どのようなご用件でしょうか?」
ゲンドウはその表情を変えずに聞き返す。心当たりは山ほどあったが、努めて冷静にシラを切った。
「フン、白々しい!」
「証拠は挙がっておるのだよ!」
「左様、見損なったよ!」
「盗人猛々しいとは、まさにこのことだな!」
委員たちが口々にゲンドウを責め立てていた。
さすがのゲンドウも、その剣幕には泡を食った。
「ちょ、一体何のことですか!? 私めにはサッパリ…」
この男、本気でサッパリ見当もつかなかった。
…いや、本当はあまりにも心当たりがありすぎて、ではあるが(笑)。
「良いだろう。 教えてやる。 ──先刻、ワシの個人口座から、かなりのカネが君の口座へと引き落とされているのだよ。 これは一体どういうことかね?」
そう凄むとキールは、映像の先で机をバンと叩いた。冷静に見えたが、かなり激昂しているようであった。
「なあ!?」
ゲンドウは驚いた。まったく身に覚えがないことなのだ。
いろいろと思い返してみるが…やっぱり何も思い当たらない。
「よもや今回のことで自腹を切るのが嫌で、あろうことか我々からカネを盗むとは…。 まさかこれほどまでの愚か者であったとは、正直思わなかったぞ?」
「左様。 これは重大な反逆だよ?」
「もはや許し難し!」
他の委員たちも矢継ぎ早に目の前のゲンドウを糾弾する。
「そんな馬鹿な…」
責め続けられているこの男、すでに茫然自失となっていた。
すっかり顔色も失せていた。良い気味である。
実を言うと、これはシンジの仕業である。
ゲンドウが約束を反故にし、報酬の支払いを拒否したため、代わりにキールたちの口座からくすねたのである。
無論、ゲンドウが引き出したように巧妙に偽装してだ(ニヤリ)。
実際、カネはゲンドウの口座をスルーして、シンジの秘密口座へと流れていた。
委員たちは気炎を上げる。
「情けをかけたというに、このような謀反、もはや死をもってしか償えまいっ!」
「異議なしっ!」
「処刑だっ!」
「うむ、即刻、憲兵隊を派遣するとしようぞっ!」

そのおどろおどろしい言葉に、男はハッと我に返る。
ガタッ!!

「お待ちを!! これは何者かの陰謀ですっ!! 私は無実ですっ!!」


ゲンドウは椅子から立ち上がり、必死に身の潔白を主張した(まあ本当に潔白だったし…)。
だが老人たちは、聞く耳を持たない。
「だが、証拠はしっかりと揃っておるのだよ。 これ以上ないくらいにな。 …碇、何故我々を裏切った?」
キールがドスの利いた声で、ゲンドウを問い質す。
これにはゲンドウが慌てふためいた。

「裏切ってなどおりませんっ!! 今回ばかりはまったくの濡れ衣ですっ!! どうかネルフ側でも調査させて下さいっ!! 一体いくら引き落とされたというのですかっ!?」

男は声を振り絞って、必死に叫んだ。
「…あ? 今回ばかりは?」
「あ」
咄嗟の失言に慌てて口を塞ぐ。
「フン、まあいい。 教えてやる。 私のところは、日本円で150億ちょうどだ」
米国代表が不機嫌そうに言った。
「私のところも、同じく日本円で150億だな」
英国代表が答える。
「ん? 貴公たちもか? 私のところも150億ちょうどだぞ」
仏国代表が驚いたように言う。
「何だと? これは偶然か? 私も150億だよ」
露国代表は驚嘆している。
「「「「なんだ、皆一緒か♪」」」」
どうやら四人の委員が仲良く(?)150億円ずつ、盗まれたらしい。
カネを盗まれて不幸なハズなのに、彼らの間には奇妙な連帯感が生まれていた(一過性のものではあるが)。
四カ国合わせて、〆て600億円。結構な大金である。
(600億円? たしかに大金だが……はて……つい最近、どこかで聞いた数字のような気がする……ふむ、どこだったか?)
ゲンドウは首を傾げていたが、サッパリ思い出せない。
それでも何とか思い出そうと頭を捻っていると、最後の五カ国目、独国のキールが不機嫌そうに言った。
「…ワシのところは、1919億1919万1919円だ」
その額は、委員たちの中で一人だけ突出していた。桁が違うとも言う。
「ちょっ!?」
ゲンドウは驚いた。
額の大きさにではない。今キールが述べた数字には、確かに聞き覚えがあったのだ。
それはつい昨日、ゲンドウが某少年に対し、踏み倒したその金額であったのだ。
正確には上述の600億円もそうではあるが…。
(まさか!? これは偶然だと言うのか!?)
勿論、偶然などではない。これを見越してのシンジの仕業なのだから。
ゲンドウは一人思考の海に漂っていた。
「いやこれは何とも…」
「お気を落とされますな」
「コホン、まだ望みはありますとも」
「さ、左様。 このようなときこそ、我ら一同が団結するときですぞ」
他の委員たちはキールを宥めているが、…微妙に白々しい。、
彼らは、自分たちとは桁が違うその被害額を聞くや、何とも不思議で複雑な感覚に陥っていたのだ。
…所謂、他人の不幸は蜜の味、であろうか?
「…わかった。 三日間だけ待ってやろう。 それまでに返却なき場合は…わかっておるだろうな?」
キールは、ドライアイス並みの冷気を乗せた声でそう言うと、仰々しく親指で喉元を掻き切る仕草をして見せた。
実にわかりやすいジェスチャーである。
「……」
だが、今のゲンドウに返すカネなど、ありはしなかった。素寒貧なのだ。さすがに無い袖は振れない。
故に、何処ぞの他人から不当に毟り取るしか道がなかった。それしか生き残る術はなかった。
ただ、間に合うかどうかであるが…。
(クッ、三日だとぉ!? いや、例のネルフ債を明日にでも売り出せば……ギリギリで何とかなるか!?)
ゲンドウはというと、脂汗を流しながら、必死に皮算用をしていた。
そのとき、不意にキールが怪訝そうな声で、言葉を発した。
「…そう言えば、風の噂で、君が無一文になったという話を小耳に挟んだのだが、それは本当かね?」
「っ!!!」
「どうなのだ?」
キールが再び確認する。
(…チッ、保安諜報部は何をしておるのだ!)
情報がダダ漏れではないかとばかりに、ゲンドウは苦々しく舌打ちした。
尤も、その保安諜報部にこそ、多くのゼーレのスパイが紛れ込んでいるのだから、仕方のないことではあるのだが…。
「いえ、そのような事実はありません。 ご安心を」
ゲンドウは平然とすっ惚けた。
バレたら色々とマズイのだ。
下手をすれば、ネルフの裏・財務諸表を監査される口実にもなりかねない。
公金のチョロマカシをしているこの男にとっては、それは甚だ都合が悪いことであった。
最悪なのは、今回の600億円、及び1919億1919万1919円について、支払い能力なしと判断されて、即、処断(つまり死刑執行)される可能性が極めて高いことだ。
故に、是が非でも認めるわけにはいかなかったのである。
「…間違いないのだな? この場での偽証は死を意味するぞ?」
キールは意味深な笑みを浮べて、言質を取ろうとする。
「勿論です」
自信たっぷりに嘯くゲンドウ…。だが──
「ほう、そうか。 ならば三日も猶予は要らんな。 一日だ。 24時間以内にカネを返済してもらおうか」
「んなあっ!?」
思っても見ない展開に、ゲンドウはたじろいだ。
策士、策に溺れたようである。
だが今さら前言撤回は出来ない。偽証は死罪であるのだ。
「以上だ。 ──碇、我々を裏切るなよ?」
「いやいやいやいや、お待ちをっ!!」
必死に追い縋るゲンドウ。
だがその絶叫も虚しく、五つのホログラフィーたちは、次々にその姿を消していった。
一人その場に取り残されるゲンドウ…。
見れば、ギリギリと歯噛みしながら、プルプルと打ち震えていた。
時間がなかった。落ち込んでいる暇などないのだ。
ゲンドウはスクッと立ち上がり、会議室のドアをバンと叩き開けると、足早に何処ぞへと消えていった。





〜ネルフ本部・地下独房〜

もうすでに時計の針は深夜を回っていた。
ドグマの奥底、寂れたその拘置所代わりの独房には、縞模様の囚人服を着せられたメガネの少年が膝を抱えて座っていた。
何やらブツブツと鬱病のように呟いているようではあったが、よく聞き取れない。
ガチャリ
外ドアの開く音がし、一人の男が入ってきた。
「…誰?」
暗闇の中で少年は訝しがる。
「…ケンスケ」
それは小さく搾り出すような低音の声ではあったが、少年にとっては確かに聞き覚えのある声であった。
「!? …パパ? もしかしてパパなの? ハハハ、僕を助けに来てくれたんだねー♪」
そう叫ぶと、歓喜して独房の奥からすっ飛んできたケンスケ。
そして鉄格子を挟んで向き合う父親と息子、涙のご対面…。
「やっぱり、助けに来てくれたんだぁ♪」
少年は感涙していた。
──だが、父親にそんなつもりなどなかった。 …これは息子との最後の面会であったのだから。
ケンスケは嬉々として懇願する。
「ねぇパパ! 早くココから出してよ! パパの力なら簡単でしょー? ったくアイツらときたら、僕をこんな所に押し込めやがってさ! 今日は厄日かっつーの! 今日中にやらなきゃいけないことなんて山ほどあるってのにさー! ホーントいい迷惑だっつーの! あ、パパ、今何時かわかる? 早く部屋に戻ってサイトの更新をしなきゃいけないんだ! 間に合うかなー? そうそう、新規注文も捌かないといけないし! あーもー頭が痛いよーー!!」
そう言うと、ケンスケはガシガシと頭を掻き毟った。
相変わらず身勝手なことをほざき捲くるケンスケであった。まったく懲りてはいないようである。
(ケンスケ…)
悲痛な面持ちで、暫く目を閉じていた父親だったが、意を決したように口を開いた。
「…よく聞くんだ、ケンスケ。 お前は今から10時間後──死刑執行される」
それはとても、とても重い言葉。
「…は?」
メガネの少年は首を傾げ、瞳をパチクリとさせている。
言葉の意味がすぐには呑み込めないらしい。
「……」
「……」
「…ハ、ハハハ……も〜何言ってんのかなぁ〜、パパったらさぁ〜? …だって僕、まだ13歳だよぉ? 少年法でキチンと守られているんだよぉ? 常識じゃない。 ハハハ、も〜冗談キツイよぉ〜、まったくぅ〜」
乾いた笑い声を出すが、少年の顔はこれまでになく緊張で強張っていた。
すでに現実を見ようとはしていなかった。
「…ネルフにはそれが許されるのだよ」
父親は悲痛な表情で言葉を続ける。
「お前はシェルターにいた一万人もの人間を殺した。 だから責任を取らされて明朝、死刑となる……覚悟を決めてくれ」
これにはさすがのケンスケも顔を青くして慌てた。

「なっ!? そんなっ!! ちょ、ちょっと待ってよパパっ!! 僕、僕、そんなつもりでシェルターを抜け出したんじゃな──」

ケンスケは必死に弁解するも、
「──時間だ。 相田二尉!」
外からの看守の声が、少年の叫びを打ち消していた。。
父親は茫然とする息子に一瞥をやるが、すぐさま視線を落とし、懺悔するかのようなか細い声で呟いた。
「──何もしてやれない父親ですまない、ケンスケ……もし天国で母さんに会ったら、スマンとだけ伝えてくれ…」
父親は悲しそうに薄く自嘲的に笑うと項垂れ、その場を静かに立ち去った。ただの一度も背後を振り返ることもなく…である。
余談ではあるが、ケンスケという少年は、死んでも天国なんかには行けない…。これは決定事項であるらしい(ちなみにシンジはノータッチ)。
「ちょっと、パパぁ〜〜っ!! 助けてよぉ〜〜っ!! ココから出してよぉ〜〜っ!! 今度は良い子にするからさぁ〜〜っ!! お願いだよぉ〜〜っ!! まだ死にたくないよぉ〜〜っ!! パパぁ〜〜〜〜〜っ!!」

ガチャガチャと鉄格子にしがみついて、必死に大声で泣き叫ぶが、少年の声は虚しく独房の中に木霊するだけであった。





〜第三新東京市・シンジの自宅、その寝室〜

ここはシンジ邸、その真っ暗な寝室に一つの人影があった。
ゆさ、ゆさ
『う、う〜ん、むにゃむにゃ…』
ゆさ、ゆさ、ゆさ
その人影はというと、ベッドの上で熟睡している二匹の猫の体を優しく揺さぶっている。
「おーい、シロ、クロ、起きて♪」
『う〜ん…何よぉ〜? …シンジぃ〜?』
黒猫が不機嫌そうに目を覚ます。まだ眠そうに目を擦っている。
無理もない。今は深夜、まだ丑三つ時であるのだ。
「ほら、シロも起きて♪」
人影、つまりシンジは、再びもう一方の白猫の体を揺さぶり始める。
ゆさ、ゆさ、ゆさ、ゆさ
『う〜ん、まだ眠いよぉ〜…パトラッシュ、ボク、何だか疲れちゃったぁ…ムニャムニャ…だからオヤスミ♪』
意味不明な寝言を呟くと、白猫は再び背中を丸めた。そして熟睡突入…。
「……」
一時の沈黙──
ぷるぷるぷる(←シンジの体が震えている音)
クークークー(←立ったままコクリコクリと舟を漕ぎ始めた黒猫の寝息)
「ゴルァ!! 何寝ぼけてやがるっ!! このサマージャンボヴァカがっ!! さっさと起きんかっ!!」
シンジはシーツをガバッと掴む。
そしてズバッとひったくると、白猫の体はキリ揉みしながらベッド下へと落ちた。
『ふぎゃっ!!』
白猫の悲鳴が、静寂が支配する寝室の中に響き渡った。
暫くして、頭を押さえながらベッド下からヨロヨロと這い上がる白猫…。
『う〜〜いたたた、何すんだよー』
開口一番、恨めしそうに文句を垂れると、白猫は涙目混じりで目の前の少年を睨みつけた。
「すぐに起きないシロが悪い!」
少年はピシャリと言った。まったく悪びれてはいなかった。
黒猫のほうはというと、ウトウト寝ぼけながらも、傍らでグルーミング(毛繕い)をしている。
いやはや、もうすっかり猫であった。


数分後──
『な、何よこれぇ〜!!』
『これはまた…何というか…すごい(汗)』

深夜の寝室に、寝起き一番のシロとクロのどよめきが走った。
すでに部屋の照明は点いており、そこは昼間のように明るかった。
そんな中、ベッドの上でお互いに向き合い、器用にも手鏡を握ったまま、二匹の猫は頭を抱えていた。
心持ち、プルプルと震えているようにも見える。無論、気のせいではなかった。
『…コレ、シンジの仕業なの?』
ジト目でシンジを睨むシロ。
「いや〜、チミたちの顔にイマイチ、インパクトがなくてねぇ〜。 サービスだよ、サービス♪」
少年は、全然悪びれていない。
見れば、シロとクロの額に、黄色い三日月マークがクッキリと刻まれていた…。
ゴシゴシ擦っても…勿論、それは取れなかった。
だが、これじゃまるで、何処ぞの国民的アニメに出てくる白と黒のネコである。
月に代わってお仕置きである。
まあ、シンジは狙ってそうしたのではあるが…。
「うん、似合う、似合う♪」
シンジはご満悦だが、熟睡中に叩き起こされたシロとクロにしてみれば、心中穏やかではなかった。
『…まさかとは思うけど、これを見せるために、わざわざこんな深夜に起こしたわけじゃないよねぇ〜?』
『シ〜〜ン〜〜ジぃ〜〜』
怨めしそうな底冷えのするような声で凄む二匹…。
「フフ、勿論さ♪」
『…じゃあ、何だよ?』
シロはまだ機嫌が悪い。低血圧なのだろうか?
シンジはおちゃらけた様子でそれに答えた。
「夜の、サ・ン・ポ♪」
『散歩ぉ〜〜!?』
『こんな夜中にぃ〜〜!?』

シロとクロが迷惑そうに絶叫した。見れば、二匹とも露骨に嫌そうな顔をしている。ま、そりゃそうだ。
「そ♪ んじゃ、行こうか? ○ナ、ア○テミス♪」
だがシンジは勝手に話を進める。暴君である。
しかし真夜中だというのに、妙にノリノリのシンジであった(笑)。
『…ル○? アル○ミス? …誰だよそれ?(汗)』
尤も、シロは本気で元ネタを知らないようであったが…。





〜第三新東京市・郊外〜

シンジはいつものように二匹の猫をその肩へと載せ、自宅を出ると、真っ暗な深夜の街路を南へと向かってトボトボと歩き始めた。
夜中だというのに、外気温は30℃を超えていた。熱帯夜だ。
薄っすらと汗ばむほどの熱気である。
尤も、山から海へと吹き降ろす夜風(陸風)が、道行くシンジの前髪を撫で続けており、体感温度はそれほど高くはなかった。
相変わらず、会話はない。重苦しいまでの静寂が周囲を包んでいた。
暫く──15分くらい──無言で歩いていると、目の前に巨大な構造物が現れ、少年はそこで歩みを止めた。
見上げると、暗がりでよくわからないが、ビルの中からこぼれている非常灯の雰囲気から、そこが何処ぞの医療機関の施設であることは、容易に見て取れた。
『ここ…どこ? …もしかして病院?』
肩上のシロがビルの全景を見ながら訊ねてきた。
「うん。 市立病院。 …昼間だと色々と都合が悪くてね」
そう言うとシンジは、正面のエントランスを迂回して、足早に外科病棟のほうへと回り込んだ。
『な、何をするの?』
少年が抜き足差し足忍び足で病棟の非常口へと近づき、ドアノブに手を掛けるのを見て、シロが声を上げた。
さすがに泥棒に入るとは思っていないが、咄嗟に後ろめたいものを感じたらしい。
だが少年はサラッと答える。
「…そりゃここまで来たら、忍び込むしかないでしょ?(ニヤリ)」
『なっ!? ちょっと、シンジ!! やめなさいっ!! 私はそんな子に育てた覚えはないわよっ!!』
目の前で愛息子が犯罪に手を染めてしまうと思ったのか、耳元でクロが叱り付ける。
勘違いも甚だしかった。シンジは泥棒に入るために、ここまで来たのではないのだ。
…それに百歩譲ったとしても、泥棒程度の犯罪が今さら何だって言うのだ。
お忘れだろうか?
泥棒云々以前に、その愛息子は、すでに何人もの人間を殺めたことがあるという事実を…。
「ハァ、何言ってんだか…。 それに何度も言うようだけど、僕もクロに育てられた覚えはないよ?」
シンジは呆れると、外野を無視して、目の前のドアノブをガチャリと回した。





〜市立病院・外科病棟、五階フロア〜

病棟の長い廊下を歩いて、少年はとある病室の前までやって来た。
辺りを見渡せど、人の気配などは一切なかった。深夜なのだから、当たり前ではあるが…。
目の前の病室のプレートを見ると、そこには手書きで「村上サナエ」とあった。
少年は、その場所で無言のまま佇んでいたが、暫くして意を決したようにドアを開けた。


病室に入るなり、独特の薬品の匂いが鼻をつく。
個室なのだが、内部はかなり狭く息苦しい。
部屋の中央には一台のベッドが置かれ、その上には生命維持装置に繋がれた一つの物体──実際、そうとしか見えなかった──が、無言のまま横たわっていた。
『酷い…』
クロが思わず口許を手(肉きゅう)で押さえ、呟いた。
ベッドに横たわっていたのは、全身包帯だらけの一人の少女だったのだ。
『誰なの?』
見覚えがない少女(包帯とかで顔はよく見えない)に、シロが少年の耳元で訊ねる。
「…僕のクラスメイトさ。 2−Bの。 ケンスケのせいでこうなったらしい」
少年の言葉にシロは耳を疑った。
『へ? ケンスケの? それって一体どういうこと?』
「…ま、その辺のことは、帰宅してから話すよ。 今は時間がないからね(それに急がないと、"終電"に乗り遅れちゃうからね♪)」
少年は何やら意味深な笑みを浮かべると、お茶を濁した。
そして再び少女を見る。
自慢のポニーテールも今はその面影すらない。恐らくは高熱で一瞬のうちに失われたのであろう。
包帯下からは強い薬品の匂いが立ち上っている。
実はこの少女は、全身の大半が第三度の火傷で覆われており、体中に繋がれたチューブとカテーテル、計器のコード類がとても痛々しく、そのグルグル巻きの包帯姿はとても見るに忍びなかった。
ちなみに第三度の火傷とは、皮膚全層に至る損傷で、タンパク質が熱で白く変質した症状である。
うまく治っても、ひきつりやケロイドなどの痕が残ってしまうことが多いという。
例えは悪いが、豚肉の赤身をフライパンで加熱すると白くなるのと同じ現象である。
ちなみに、これ以上の重度の火傷(第四度)となると、皮膚は炭化してしまう。
つまり彼女は、重篤な火傷を負った、かなりの重体ということであるのだ。
徐に少年が診断を始めた。右手を少女の体の上に翳す。
「…外面だけでなく、内部の損傷も酷いね。 かなりの臓器が深刻なダメージを受けている。 にも関わらず、未だ開腹手術もされていないってことは…医者もサジを投げたか。 免疫機構もかなり低下している。 もって数日だろうね」
少年は淡々と説明する。その表情は読めない。
実を言うと、本来なら、この少女のような免疫力の落ちた重傷患者は、無菌病棟へと移さねばならなかった。
ちょっとした細菌やカビでも、今の彼女にとっては命取りになりかねないからだ。
だが、それは望むべくもなかった。
今はどこの病院も、同様の患者で手一杯であったのだ。
曲がりなりにも個室が与えられた彼女は、恵まれたほうであるのだ。
ジッと少女を見つめる少年であったが、そこで一つの奇跡が起こった。
「ん…あ…碇…クン?」
何と少女が目を覚ましたのだ。
(まさか、意識が回復するとはね…。 これも運命というものかな?)
少年、碇シンジは複雑な想いで眼下の少女を見やる。
見れば、眼球は熱傷によって所々白濁している。見えているのが奇跡に近い。
その朦朧とした視線でシンジを視界に捉えると、うれしそうに柔らかく微笑む少女…。
だがその呼吸は、酸素マスクを付けたままでも荒く、苦しそうである。
当然だ。いつ死んでもおかしくない状態なのだから。
それを見て、シンジの凍った心がチクリと痛む。
(まったく…偽善、独善は僕のほうだ)
シンジは自嘲の笑みを漏らすと、徐に右手をベッドに横たわる少女の胸の上へと重ねた。
「あ…(////)」
こんな状況でも、胸(乳房)を触られるのが恥ずかしいのか、少女は頬を染めた。
無論、シンジに邪な気持ちなどありはしなかった。
…なかったのだが、包帯越しに感じるそれは、歳相応に程よく弾力を残したマシュマロのような柔らかさだったらしい(をいっ!)。
コホン、話を戻そう。
次の瞬間、シンジの両の瞳が暗闇でもわかるほどに、紅く輝いていた。
そして彼の右手が発光し始め、それは少女の体へと転移していく。
(あ、熱いっ!? 何!? …でも、すごく気持ちいい)
光が少女の体中を駆け巡った。
少女は自分の体の内部で起こっている不思議な感覚に戸惑っていた。
暫くしてシンジが声を掛けた。すでにその瞳の色は元に戻っている。
「どう? 痛みはなくなったでしょ?」
「え? あれ? 嘘…何で?」
少女は目をパチクリとさせて驚いている。
試しに、体のあちこちを動かしてみるが、どこにも違和感はなかった。
今までの痛みと苦しみが、嘘のように消え失せていた。
少女はベッドからゆっくりとその上半身を起こす。
そして目の前の少年を見上げると、その視線を絡み合わせた。
「碇クンが…助けて…くれたの?(うるうる)」
それはあたかも白馬の王子様を見るような潤んだ瞳であった。
少年はこのとき気付くべきだった(笑)。
「…君の親友たちが酷く心配してたからね」
「親友? ケイコたちが? …そうなんだぁ」
少女は心から嬉しそうな顔をする。
包帯で見えないが、それは歳相応の柔らかい微笑であったという。
だがその間も少女の視線は、少年のそれを離さない。それはもう縫い付けたように離さなかった。
「え、えーと、今の状況を説明するよ?(汗)」
さすがにジッと見詰められたままで、シンジは少し照れている。
それでも彼女の視線はシンジを捕らえて離すことはなかった…(凄い執念だ)。
シンジは説明する。
「君の体は完全に治った。 100パーセントの健康体だ」
(……)
彼女の反応はない。
シンジを見詰めたまま、何だかポーッとしている。
大丈夫だろうか?
シンジの話は続く。
「ただし、見た目については擬態を施している状態だよ」
(……)
相変わらず少女は、ジッとシンジの顔を、その瞳を見詰め、離さない。
まあ、よくも飽きないものだ。
「あー、実際は健康体だけど、見た目だけは全身火傷の重篤だってことさ」
訊かれてもいないのに、真面目に一人ツッコミするシンジ。ちょっと寂しいぞ。
(……)
少女の態度は変わらない。
冷や汗を掻くシンジ…。
「…あ、あのさ、話聞いてる?」
シンジはさすがに心配になったのか、恐る恐る訊いてみた。すると、──
(コクコク)
少女はその目線を外さないまま二度頷いた。一応は聞いていたようだ。しかし、なかなか器用である。
少女の執念、恐るべしである。
気を取りなおして、シンジは話を切り出した。
「さて、いきなりで話は見えないと思うけど、…君に残された選択肢は三つだよ」
コホンと咳払いして、再び話し出す。
「その一、擬態を解く。 ──これは今すぐ擬態を解いて見た目も全快させるということだよ。 でもこれだと怪しすぎることこの上ない。 多分すぐには君の退院は許されないと思う。 何だかんだ理由をつけられて、ここの医者共に体中を弄くられる可能性が極めて高い。 彼らは学会用の論文ネタを欲しがっているからね。 体の良いモルモットだよ。 下手をすれば、話を聞き付けた某悪の秘密結社に引き渡されて、マッドサイエンティストの某金髪黒眉女に生きたまま解剖される可能性もなきにしもあらずだ。 その覚悟はあるかい?」
一口にそこまで言ってしまうと、シンジは少女の顔を窺う。
(……)
相変わらずの、うわの空であった。
何を考えているのか、サッパリわからない。
それでもシンジからの視線は手放さない。
何が彼女をそうさせるのだろうか?
シンジは調子を狂わせながらも、再び話を進める。
「その二、擬態を解かない。 ──実質は全快だけど、見た目だけはこのままで半年ほど掛けて徐々に治癒していったと偽装する。 ここの医者共にも偽装データを掴ませる。 これだと特に怪しまれないし、命を狙われる心配もないと思う。 ただしその間は社会復帰はできない。 当然、学校にも行けない。 まあ、進級の面は心配いらないと思うけど、実質は健康体そのものなのに一日中病室に缶詰にされる辛さはあると思う。 あと病人のふりとかの演技の苦労もね。 まあ、入院は二ヶ月くらいになるとは思うけど、暇だからといって重篤の君が病院内をうろつき回ったら、無論アウトだよ?」
そこまで言って、再び少女を見る。
(……)
少女は何も答えない。
本当に聞いているのだろうか?
シンジは半ば自棄気味に説明を続けた。
「その三、別人として生きる。 ──ここには人形(【】のないクローン体)を残して、君は出奔する。 君はここ第三新東京市とは別の街で、完全に別人として生きてもらう。 そのための戸籍や必要なお金は僕が用意するから心配はいらない。 当然、両親や友人とも一生会うことはできない。 すでに君は故人だからね。 もし我慢できずに連絡を取り合ったり、会ったりしたら…間違いなく某悪の秘密結社の情報網に引っ掛かるよ。 そして捕獲、解剖コースだ」
そこまで一気に話すと、シンジは一息吐き、そしてチラと少女を見る。
(……)
相も変わらず彼女は、ジッと熱い視線をシンジに向けている。
ああ、もう何も言うまい。
「最後の三番目以外は、件の事件の被害者(被曝者)という風評が今後暫くはついて回るかもしれないね。 その…結婚とかの面とかでさ。 勿論、君の体や遺伝子に一切の問題はないよ。 それは僕が保証する」
最後にそう補足すると、シンジはキリリと真面目な顔を作り、目の前の少女に選択を求めた。
「さあ…君は何を望むんだい?」
少年は優しく問い掛ける。全快か、偽装か、それとも出奔か。少年は少女の選択を待った。
──だが返ってきた答えは、少年が予想したものなどではなかった(笑)。
「あの…アタシ…(ごにょごにょ)」
ここにきて、ようやく口を開く少女。だが何故か、恥ずかしそうに俯き口篭る。気のせいか頬も紅い。
警鐘がシンジの頭の中で鳴ったが、本人はまったくそれに気付かない。
「ん?」
よく聞こえなかったとばかりに、シンジが至近距離で訊き返す。
モジモジとしていた少女であったが、不意に顔を上げると、意を決したようにハッキリと告げた。
それは彼女にとって、一生分の勇気を振り絞った(?)一言であった。


「アタシ……碇クンの赤ちゃん、産みたい……(////)」


「……」(少年)
『……』(黒猫)
「……」(少女)
『……』(白猫)
シーンと耳鳴りがするほどに静まり返る病室…。
「…は、はい?」
ようやく再起動を果たした少年の第一声がソレ。
思わず声が裏返ってしまっているが、どうやら見た目以上に動揺しているらしかった。
片や少女はというと、頬を染めながらも、ポ〜ッと少年のことを見詰めていた。
(…ま、参ったなこりゃ)
さすがのシンジも顔が引き攣り、脂汗をダラダラと流し始めた。
『だめだめだめだめだめっ!! だめったらだめっ!!』
クロの絶叫だけが深夜の病室の中に木霊した。


結局、彼女の病状は半年掛けて偽装することで落ち着いた(二番目の選択肢)。
二ヶ月後ぐらいには退院出来るだろう。
その代わり、偶にはお見舞いに来てね♪ ──と、彼女に強引に約束させられたことには、さすがのシンジもタジタジであったらしいが…。
シンジたちは、それから病院を抜け出して、今はまた深夜の路上の人である。
『シンジ、本当に良いことしたわね♪(…あの小娘は気に食わないけど)』
クロが肩上から息子の善行を褒める。
母親としても嬉しそうで、その表情はどこか誇らしげであった。
だがシンジはその歩みを止めると、ピシャリと言い放った。
「…勘違いしないでクロ。 僕は正義の味方でも何でもない」
少し間を置いて、再び続ける。
「それに、現実を見るといい。 …彼女のような重傷患者は、実は他にも沢山いるんだよ。 だけど僕は結果的にそれを見殺しにしている。 それが現実なのさ。 …今回、彼女を救ったのは、ただの気まぐれ、独善。 褒められることなんかじゃない」
まるで自分自身に言い聞かせるように、シンジはそう吐き捨てた。
『シンジ…』
クロは、再び歩き始めた息子の、そのどこか物悲しそうな横顔をジッと見つめることしか出来なかった。





〜第三新東京市・郊外〜

別段会話もなく、真っ暗な夜道をただ歩き進むだけのシンジ御一行。
聞こえるのは少年の足音、そして僅かな虫の音だけである。
『ねぇ、どこ行くの?』
闇夜の中、帰り道が往路と違うことに気付いたシロが声を上げる。
シンジはニィと微笑んで、一言だけ答えた。
「悪の秘密結社ネルフ♪」


『何だか退屈よね…』
真夜中の何もない道をただ歩いているだけの状況に、クロがつまらなそうにポツリとぼやいた。
『うーん、確かにそうだね。 それにもう完全に目も覚めちゃったし』
シロもそれに同調する。
そして二匹は、肩上の両サイドからシンジにジト目を向ける。
((……))
それは遠まわしに「暇だから何とかして」とか「責任とってよ」とかいう無言のプレッシャーだった。
ま、シンジにしてみれば、そんなものは柳に風、暖簾に腕押しではあるが…。
「んー、そう? じゃあ暇潰しに、世間話でもしてあげるよ」
シンジはそう言うと、人差し指を顎に当て、フムと考え込んだ。無論、闇夜の道を歩きながらである。
「そうだねぇ〜、じゃあ、20世紀最大の大量殺戮者って、知ってる?」
言っちゃ悪いが、何の脈絡もなかった。
そもそも一発目から、世間話などではなかったし。
『え゛? …またいきなり何を言い出すのさ?』
突拍子もないことを言い出すシンジに、シロは面食らっている。
「いいから、いいから♪ ──で、どうなのさ? 知ってるの? 知らないの?」
シンジは強引に仕切っていた。その表情はとても楽しそうだ。
シロは呆れつつも、渋々考え始める。
(えーと、20世紀ってことは、1901年1月1日から2000年12月31日までの100年間…だよね? …でも、何があったっけ?(汗) …うーん、でも人がいっぱい死ぬのって、やっぱり戦争のときか何かだよなぁ…たぶん)
いろいろ考えてシロは口を開いた。
『…やっぱり、ナチスドイツのヒトラーじゃないのかなぁ? 確かユダヤ人をホロコーストで600万人も殺したって社会科の授業で先生が言ってたのを聞いた覚えがあるし…』
「へぇー、シロにしては記憶力が良いねぇ。 …ま、その数はかなり大袈裟なんだけどね。 実際はその七分の一が精々だし」
シンジは事もなげに答える。
実際、当時のユダヤ人の人口統計の推移から、600万という数字は絶対にありえないのだ。
今ではこれはシオニストたちに踊らされた誇張された数字だと言われている。ま、余談ではあるが…。
『"シロにしては"は、余計だよっ! で、どうなの? 正解なの?』
少しカチンときたのか、多少突っ掛かってみるシロであった。
「ブッブゥ〜〜、不正解♪」
シンジは胸の前で勢いよくバッテンを作った。
『…あ〜、そう』
シロはヘソを曲げたようである。ほっぺをぷーと膨らませている(かわいいぞー)。
シンジは説明を始める。
「ポルポトが300万人」
「毛沢東が3000万人」
「スターリンが5000万人」
「…尤も、これらは厳密には、"個人が"ではなくて"組織が"だけどね。 …でも、次は違うよ?(ニヤリ)」
シンジは意味深な笑みをこぼすと、少し間を置いて、ポツリと言った。


「碇ゲンドウが20億人」


『!?』×2
猫二匹は、何とかが豆鉄砲を食らったようなマヌケ面を晒している。
その様子を愉しみながら(?)、シンジが補足する。
「ま、尤もこれには葛城ミサトも一枚噛んでいたんだけどね。 あと、ゼーレのジジイたちもかな。 ──あ、そうそう…間接的には、碇ユイも関わっていたっけ。 まあ、故意ではなかったけどさ」
シンジは愉悦の表情を浮かべながら、淡々と説明をした。
『それってどういうことよっ!?』
案の定、クロが噛み付いてきた。
それを見て、シンジはニヤリとほくそ笑む。
どうやらそれを見越していたらしい。


「──先ず、セカンド・インパクトの引き金を引いたのは、葛城ミサトだ」


『…へ?』
『ど、どういうこと!?』
上がクロ、下がシロの反応である。
無論二匹とも、セカンド・インパクトの原因が世に言う巨大隕石の衝突だとは思ってはいなかったが、一個人の仕業だとも、当然思ってはいなかった。
無論、クロとシロの認識には天と地ほどの差があるのだが、それでも某少年に言わせれば、五十歩百歩であるらしかった。
一番真実に近いところにいたと思われるクロであったが、それでも核心部分の真実には程遠かった(知らされていなかった)のである。
「セカンド・インパクトのとき、あの女が南極にいたことは、二人とも知っているよね?」
そうシンジが訊くと、
『葛城ミサト……確か、葛城博士のお嬢さんのことよね? ええ、よく覚えているわ』
と、まだ少しムスッとした面持ちで答えるクロ。
『えーと……確か最後の日に、本人からそんな風なことを聞いたような、聞かなかったような…(汗)』
と、こちらは大分自信なさげなシロ。
シンジは二匹の答えを咀嚼しつつ、話を進める。
「じゃあ何故、セカンド・インパクトの大災厄の中心にいながら、彼女だけが助かったのか? アンチATフィールドに覆われた南極の地で、どうして彼女だけがLCLに溶かされずに生き残れたのか? どう? わかる? ああ、救助カプセルが彼女の命を守ってくれた……なーんて非現実的な与太話だけは言わないでよ?」
『そ、それは…』
言葉に窮するクロ。改めて言われてみれば、その疑問は尤もであるのだ。
救助カプセルがどんなに強固な造りであっても、南極大陸を吹き飛ばした爆発には耐えられない。常識で考えればわかることだ。
だが当時は誰も考えやしなかった。
被害の深刻さと、まだ幼さが残るミサトの境遇に同情して、深くは追究しなかったのだ。
それに、自らが解読した「裏・死海文書」にも、それを予言するかのような文言があったことから、そのまま奇跡として受け入れてしまったのだ。
『???』
こちらは端からチンプンカンプンのシロ。頭の上に?マークがいっぱい浮かんでいた。
シンジはクロのほうを一瞥すると、少し時間を置いてから、再び話し始める。
「わからないかい? フフフ、じゃあ教えてあげるよ。 あのとき、あの女が生き延びることが出来たのは、あの女の体がLCLに還らなかったのは、アダムの発したアンチATフィールド及びそれによる衝撃波を確りと無効化していたからだよ」
『!?』
クロは訝しむ。
彼女といえども、発言の真意はすぐには飲み込めなかった。
だがそれでも、断片的な情報を与えられて、その脳裏ではシナプス同士が急速に結合を始めていた。
そして、彼女の中で一つの推理が生まれつつあった。これはさすがである。
片やシロの反応はというと、…言うだけ無駄であるから省略する(汗)。
少年の話は続く。
「あのときのあの女はね、胸部のインタフェースを介して一時的にせよロンギヌスの槍と、アダムと同化していたんだよ。 余談までに言うと、あの女の胸の傷はそのときのものさ。 埋め込まれた端子を無理に引っ剥がしたときのね。 ちなみに引き剥がしたのは父親。 ま、丁寧に剥がしている時間なんてなかったからねぇ」
そう述べると、何か愉快なことでも思い出しているのだろうか、シンジはニヘラニヘラと顔を緩ませた。
『……』
クロは思考の深淵に嵌っていた。
それでもその頭の中では、一つ一つ自らの推理との比較・照合・検証を必死に行っているようである。
「この事実は、ゼーレの中心メンバーとゲンドウしか知らないことだよ。 冬月コウゾウや赤木リツコ、そして加持リョウジさえも知らない真実だ」
シンジは淡々と説明して、そこで一区切りつけた。
今度はシロのほうに目をやると、なかなか面白い表情をしている。
(ミサトさんが…インパクトを起こした? そんな…そんな…)
シロは色を失っていた。
すでに見限った女性とはいえ、やはりショックを受けているようだ。
「葛城調査隊って、聞いたことあるよね?」
唐突にシンジが訊いてきた。
『…当然よ。 私もその一員だったんだから』
『僕も少し聞いたことがあるよ』
「うん、結構。 無論、彼ら葛城調査隊は物見遊山に南極くんだりまで行ったわけじゃないよ。 南極は風光明媚な所でもないし、それどころか極寒の死の大地だったからね。 でもね…そんな中、大勢の大人たちに混じって、一人の少女が同行していたんだよ。 それが…葛城ミサト。 当時の彼女は、まだ14歳の中学生。 義務教育である学校を休学してまで、どうしてそんな所に、どうして父親である葛城博士は、大切な娘を連れて行ったんだろうねぇ〜?」
そこまで一口に言うと、シンジはニヤニヤ顔の流し目でクロのほうを見やった。もう厭味に近い。
((……))
シロはポカンとしているが、何故かクロは俯いて震えていた。
思い出したくない過去にでも触れたかのようであった。
誰も答えないので、シンジは勝手に進めた。
「それは、アダムとの人類初のシンクロ実験の被験者、つまり最初のチルドレンとなるためだよ」
『チ、チルドレン!?』
よく知るその言葉に、思わずシロがオウム返しをする。
「そう。 後世にゼロ・チルドレンと呼称されることになるのが、あの女だよ」
『え、でもチルドレンって、エヴァのパイロットのことじゃないの? そのためのシンクロじゃ──』
だがシロの疑問の声に被さるように、シンジの声が重なった。
「エヴァは使徒なんだよ」
『!!!』(シロ)
『……』(クロ)
シロは驚いているようだが、どうやらクロは知っていたようであった。まあ、当たり前であるが。
「そして西暦2000年9月13日、南極に眠るアダムとのシンクロ実験が密かに決行される。 だがあの女はその制御そのものに失敗し、アダムを暴走させてしまった。 そして起こったのが、世に言うセカンド・インパクト──」
そこまでを淡々と説明するシンジ。
『……』
クロは心内で頷く。そこまでの話は自分の認識とほぼ一致していた。
だが次の瞬間、とんでもない言葉がシンジの口から飛び出す。
「で、なんで彼女が槍の制御に失敗したかというと、──父親への幼稚な反抗心からだよ。 つまりは悪戯」
『はい?』(シロ)
『な、何ですってぇーーっ!?』(クロ)
どよめく二匹。
「いつも仕事ばかりで家庭を顧みない父親。 母親を、自分を蔑ろにしてきた父親。 でもどうしても嫌いになれない父親。 …だから少しだけ父親を困らせてやろうと思ったみたいだね。 実験開始直後、父親の指示を無視して、いくつかの手順をすっ飛ばして、あの女はいきなりアダムのS2器官をフル稼働させたんだよ。 まあ彼女にしてみれば、父親に対する些細な意趣返しだったんだろうね。 でもアダムのコアに突き刺さったロンギヌスの槍の制御は非常にデリケートなものだったんだよ。 あの女も周りのけたたましいアラートに驚いてすぐに止めようとしたみたいだけど……止まらなかった。 その結果がアダムの暴走さ。 迷惑この上ないことだよ、ホント」
シンジはそう言うと、ヤレヤレと大きく肩を竦める。
一息吐いて、再び話し出す。
「でもね、それでもセカンド・インパクトは、あれほどの大きな被害にはなるハズはなかったんだよ、本当はね。 アンチATフィールドも発生せず、精々が南極のジオ・フロントの消失、人的被害は500人程度で収まるハズだったんだ。 ちょうどアメリカ第二支部の消失のときと同じようにね」
『待って!! その第二支部の消失って、どういうことよ!?』
クロが疑問の声を上げた。この場では唯一逆行者ではない彼女が、それを知らないのは当然のことである。
それにこの事故のことは、例の文書にも予言されてはいないことであったのだ(そもそもアレは預言書などではないのだが…)。
「ああ…今から数ヵ月後の未来に、アメリカのネバダにあるネルフの第二支部で事故が起こるんだよ。 エヴァ四号機へのS2器官の搭載実験中にね。 で、数千人の職員ごと四号機と第二支部は対消滅、ディラックの海に抉られて消えたんだよ」
シンジは事もなげに答える。
『未来…ですって!?』
『あーそうか、…アレってそういうことだったんだ!』
クロはまだ少し茫然としているが、シロは得心がいったのか、ポンと手(肉きゅう)を打った。
「そ。 だから参号機がアメリカ第一支部から慌てて送られてきたんだよ。 厄介払いとしてね。 …ま、あのときの僕たちには詳しいことなんて何も教えられなかったし、知りたいとも思わなかったからねぇ…(余程、ケンスケのほうが僕らより詳しかったくらいだし)」
「──さて、大分横道に外れたね。 さっきも言ったように、あの女一人の悪戯程度じゃ、セカンド・インパクトの被害はあんなに大きなものにはなるハズがなかったんだよ」
今なお、トボトボと夜道を一人歩きながら、話を元に戻すシンジ。
その両肩には二匹の子猫が器用に載っている。
『…じゃあどうして?』
シロが自問気味に呟いた。
シンジはそれを待ってましたとばかりにツッコミを入れた。


「フフフ、ここで鬚が登場するんだよ♪(ニンマリ)」


『は?』
『どういうことよっ!?』
シロはポカンとしているが、クロは憮然と食って掛かる(恒例)。
「…クロってさ、おかしいとは思わなかったの?」
『え?』
いきなり話を振られて、クロはポカンとしている。
それに質問も曖昧すぎるのだ。
シンジはフッと薄く微笑むと、より具体的に言ってやった。
「クロってさぁ、南極での槍とアダムとの接触実験を前にして、日本に帰ったんでしょう? うまい具合にセカンド・インパクトを避けてさぁ?」
シンジはニヤニヤしながらクロに訊ねる。
だが明らかにそれは厭味にしか聞こえない。言葉の抑揚も、どこか人を小馬鹿にしていた。
『それは…偶々よ。 でも確かに運が良かったと思うわ。 お蔭でこうして生き延びることが出来たんだから』
シンジが件の帰国のタイミングの偶然性を疑っていることは薄々感じたが、自分には恥じ入るところは何もないのだからと、クロは堂々と答えた。
「ふーん。 でも確かそのときさぁ、南極に残ろうとするクロを、あの男は半ば強引に説得して、一緒に連れ帰ったんだよねぇ?」
シンジは先程からずっと意味深な笑みを漏らしている。半眼でクロのことを面白そうに眺めていた。
『…それがどうしたってのよっ!?』
半ばキレ気味に、クロはシンジを睨み返す。
シンジの奥歯に物が挟まったような物言いに、さすがに少し苛立つクロであった。
しかし次の瞬間、シンジが──壊れた(笑)。
「クックックック、アーハッハッハッハ〜〜〜!!」
シンジは突然笑い出していた。
深夜の住宅街にシンジの抱腹絶倒の笑い声が響き渡る。実に傍迷惑な話だ。
『な、なんなのよ、一体!?』
クロはいきなりの息子の豹変ぶりに、あたふたしている。
「ハッハッハ…あー悪い悪い。 いやね、クロのピエロぶりが、ククッ、あまりにも可笑しくてねぇ〜。 ついつい大笑いしちゃったよぉ〜♪」
まだ腹イテ〜とばかりにお腹を押さえつつ、シンジは涙目でそう弁明する。
『ピ、ピエロって、どういうことよっ!?』
クロが耳元でがなる。あー喧しい。
シンジは大きく溜め息を吐くと、呆れ混じりに説明してやった。馬鹿にもわかるように…。
「…鬚にはわかっていたんだよ。 あのまま南極に残ったら確実に死が待っていることを。 なんせそのために槍の制御プログラムに細工を施したんだからね、あの外道は…。 一旦始まった暴走が決して止まらないようにさ」

『!!!!!』×2

『な、何故──』
クロは叫ぶ。
本当は「何故そんな嘘を言うのよっ!」というシンジを責める言葉であったのだが、それを言い終わる前にシンジの返事の言葉がそれを遮った。
「そりゃ、ライバルの葛城博士を殺して、自らがゲヒルンの初代所長の椅子に座るためだよ」
『!!!!!』×2
二匹の猫は驚愕した。特に黒猫のほうの衝撃は計り知れなかった。
当然、黒猫は受容できない。
『そんなっ!! 嘘よっ!! 嘘に決まっているわっ!!』
「…あー、はいはい。 信じる信じないはクロの勝手だよ。 だけど僕は嘘は言わない。 それこそクロの命を賭けてもいい♪」
『!?』
──もう慣れたもので、少年は黒猫を軽くあしらった。しかし最後のはジョークだろうか?


大分喋って喉が渇いたのだろうか、街角の自販機の前で少年は立ち止まると、ズボンのポケットの中の小銭をゴソゴソと探った。
チャリン──ガタン、ゴトン!
シンジは自販機の取り出し口に手を入れると、中からよく冷えた缶ビール(おい!)を取り出す。
もう深夜であるため売り切れランプが点灯していたようだが、細工したらしい。
プシュッ
プルタブを開けて口をつけ、呷った。
「ング、ング、ング、ぷは〜〜、生き返るねぇー、コンチクショーめ!」
唸るシンジ。もう立派なオヤジである(笑)。
『…良いの? 中学生なのに?』
シロがジト目を向けている。
無論シンジは気にしない。掌をヒラヒラさせながら、
「ヘーキヘーキ。 つーか僕を何歳だと思ってんだよ。 ということで、シロも飲むかい?」
と、のたまう。
ちなみにクロはというと、顔を引き攣らせて固まっているようである。
(シンジが不良に…シンジが不良に…シンジが不良に…ブツブツ…)


シンジは暫くしてから話を戻した。
「ねぇクロ…、セカンド・インパクトが起こる数週間くらい前にさ、鬚からあるプログラムを組んでくれって内々に頼まれなかったかい? 万が一のために不測の事態を想定したシステムテストをしたいからって?」
シンジは缶ビールを呷りつつ、肩上のクロに訊ねる。
『え?』
いきなりでクロはポカンとしているが、無意識的に心がざわめいた。
シンジのその言葉に、彼女の記憶の奥底に眠る何かがヒットしたのだ。
嫌な予感で脂汗を流す中、シンジの言葉が続いた。
「例えば、…槍の制御プログラムのシスパラ値のアドレスを書き換える非公式なバッチジョブ、とかね?(ニヤリ)」
いやもう、そのものズバリを言ってしまうシンジであった(汗)。
『!!! ──で、でもあれはテストシステム用に組んだプログラ…ま、まさか!?』
クロの聡明な左脳は、今までのシンジの思わせぶりな態度と言動、伏線と情報から一つの結論を否応なしに導き出してしまっていた。
(そんな…嘘よ!)
それでも右脳(?)は、未だ拒絶反応を示していたようだが…。
「フフ、さすがクロだね。 ご明察だよ♪ ──あの鬚、クロに作ってもらったテストシステム用のプログラムを、あろうことか本番用のシステムに適用しやがったんだよ!」
『!!!!!』
頭では予測していたとはいえ、現実にその言葉を耳にすることは、クロにとってはかなりショックだった。
──もし百歩譲ってそれが真実だとしたら、セカンド・インパクトを起こしたのは、20億人を殺したのは、紛れもなく自分の夫なのだ。 …そして、その責任の一端は自分にもある、のだ。
クロの冷静な左脳は、そう帰結していた。
だがそれは…到底認められることではなかった(これは右脳側)。
今クロの中では、理性と感情、左脳と右脳が激しく鬩ぎ合っていた。
シンジの話(もはや厭味であるが)は続く。
「そりゃ暴走するよねぇ〜。 そうなるように組んだプログラムなんだからさぁ〜」
シンジは大袈裟に呆れて見せた。
『…そ、そんな…嘘よ…嘘…』
そう小さく呟くクロであったが、その言葉はすでに自分自身に対しても説得力がないものであった。
シンジはそれを見てニヤリとすると、クロに引導を渡してやった。
「じゃあ、そのご自慢の頭脳でシミュレートしてみなよ? ──葛城ミサトの暴挙、変更されたシスパラ値、アダムの暴走、槍の強制キャンセル、そしてアダムの退化・還元…。 ──どう? 現実のセカンド・インパクトの規模とピタリと符合するんじゃないの?」
『……』
クロは何も言えない。すっかり青くなっている。
認めたくない事実が、覆しがたい現実が、じわじわと彼女の精神を苛めていた。
だが、そんなクロの事情はどこ吹く風で、シンジの毒舌はすこぶる快調であった。
「いやー、でもさぁ〜、何も知らずに殺された20億人にとっては、迷惑この上ない話だよねぇ〜。 言わば、派閥争いに巻き込まれて殺されたようなモンでしょ? そんな下らないことのために自分たちは死んじゃったのーって、まさにそんな感じだよねぇ〜」
シンジは両肩を竦ませながらヘラヘラと笑う。その笑みがどこまで本気なのかは誰にもわからなかったが。
「──葛城ミサトと碇ゲンドウ。 このお馬鹿二人のしでかしたことの相乗効果がセカンド・インパクトを誘発したんだよ。 実験に立ち会った科学者たちは、そりゃあ慌てたよ。 このままじゃ自分たちは死んでしまうってね。 何とかアダムの暴走を抑えようと、ロンギヌスの槍から遺伝子提供者兼チルドレンである葛城ミサトという小娘を引き剥がし、その膨大なエネルギーをアダムのコア内部へと変換、吐き出させることに成功したんだよ。 後は徐々にエネルギーを消費させつつ、アダムの体を卵まで還元させていく。 これが彼らの考えたプランだったんだよ。 ──だけど、ここでゲンドウの置き土産が頭を擡げたんだ。 これにより制御を失ったアダムのエネルギー飽和状態のコアが臨界点を突破、そしてアンチATフィールドが大暴走、その衝撃波と併せて南極大陸が丸ごと吹っ飛んでしまったんだよ。 結果、アダムの巨体は15の因子ごと木っ端微塵に爆散して、残された本体は小さな卵にまで還元してしまった。 ま、卵に還元するという結果だけは、科学者たちの意図したとおりになったけどねぇ(その過程は全然違う物だったけど)。 ──これが、セカンド・インパクトの真実さ♪」
シンジはそこまで言うと、長々とした説明に一区切りをつけた。
「あ、ビールなくなちゃった」
シンジはそう言うと、空き缶をグシャッと握り潰し、近くの自販機横のゴミ箱の中へと投げ捨てた。
『……』
クロは黙っている。ジッとシンジの話に耳を傾けていた。今はそれしか出来なかったのだ。
『でもさ、セカンド・インパクトって……結局は、使徒が起こしたんじゃないの?』
今まで何とか話についてきていたシロが、そこで恐る恐る疑問を口にした。
シロの認識としては、結局は使徒(アダム)が暴れまわってセカンド・インパクトを起こしたというものであったのだ。
それを聞いたシンジは、ホトホト呆れたように言った。
「はぁ…じゃあ、一つ例え話をするよ?」
『例え話?』
シロはオウム返しの声を出すが、シンジはそれを無視して喋り出した。
「シロが自宅のベッドで寝ていました。 目を覚ましたシロは驚きました。 シロの額の上には水が入ったコップが置かれていたのです。 ユラユラと今にもこぼれそうです。 もー、表面張力いっぱいです。 こぼしたらベッドはベチャベチャになっちゃいます。 そうなったら心優しいナイスガイのこの家のご主人様に叱られちゃいます。 でも手を使おうにも、金縛りに遭ったようにまったく動いてくれません。 それでもシロはコップをこぼさないようにじっと我慢しました。 いつか誰かが助けに来てくれると信じていたのです」
そこまで言うと、シンジは一旦、間を置いた。
しかしシロは何故かシンジにジト目を向けている。
(…そのコップを誰が置いたのか、是非ツッコミを入れてみたいね)
某少年ならそれくらいの悪戯はあり得るな…と、シロは心の中でそう愚痴っていた。
事実、今までにも似たような悪戯をされたことが、沢山あったのだから…(汗)。
「で、ちょうどそのとき、某悪の秘密結社の黒服たちが玄関の鍵をこじ開けて、その部屋へと不法侵入してきました」
『く、黒服ぅ!?』
いきなりの展開にシロは驚くが、シンジはそのまま話を進める。
「その黒服たちはベッドで寝ているシロを見つけるや、いきなり君の心臓にサバイバルナイフを突き刺しました」
『!!!!』
「結果、驚いたシロは額の上のコップをこぼしてしまいました。 ──さあ、水をこぼしたのは誰のせい? やはりシロのせいなのかな?」
そう言うや、流し目で回答を促すシンジ。
『いや、それは…』
シロは何も言えなくなってしまった。
稚拙な比喩だったが、シンジの言わんとするところは、良くわかったのだから。





暫く無言のままで闇夜の街路を進むシンジ御一行様。
静かでいいなーとは思いつつも、両肩の子猫たちの様子を窺うと、シロはポカンと呆けているし、クロはというと未だ俯いて何やら考え込んでいる。
特にクロは深刻そうである。
弱り目に祟り目、シンジがさらにダメを押すべく口を開いた。
「前にも言ったけどさ、──鬚は殺す。 これはもう決定事項で覆せないから」
『!!! ダメ! ダメよそんな! どんなことがあっても、息子が父親を殺めるだなんて……それはいけないことよ』
クロは咄嗟に息子を窘めるが、だがその言葉に力はなかった。
そして再び塞ぎ込んでしまう。
(ふーん、頑固だねぇ…。 ま、それでも外堀は完全に埋まったとみていいのかな?)
シンジは何やら怪しげな感想を抱きながら、次の句を告げた。
「じゃあ逆に訊くけどさ、クロはあの外道を許して、その後どうする気なの? まさか二人で幸せに暮らそうなんて恥さらしなことを言うんじゃないよね?」
『うっ、それは…』
図星を突かれ、クロは動揺した。どうやら本気でそう考えていたらしい。
だがこれにはシンジも呆れた。
「あの鬚が今までに殺した人間のこと、たくさんの罪を犯したこと、それを綺麗サッパリに忘れて、なかったことにして、まさか二人だけで幸せな生活を送るつもりなの? …それをアイツに殺された人間が許すとでも思っているの?」
シンジは珍しくかなりの早口で、強い口調でクロを責めた。
「ゲ、ゲンドウさんの罪ってそんな…そ、それにっ!! 私はまだ貴方の言うことをすべて信じたわけじゃないわっ!!」
クロはかぶりを振って悲痛に叫ぶ。
しかしそれは誰に対する言葉であったのだろうか?
未だゲンドウへの盲信は続いているようである。尤も、もはや風前の灯火の体ではあったが…。
「ふーん。 …ま、それはそれで別に良いけどね〜。 そのときは鬚と一緒にクロが地獄に落ちるだけだし〜」
シンジは事もなげに言い放つ。
だがこれは彼の本心であった。
この少年、ゲンドウやミサト、ゼーレに組みする輩には、一切の情けを掛けるつもりはなかったのだ。
たとえそれがクロやシロであってもである。
たとえそれが所謂「良い人」であってもである。
『……』
クロは再び沈黙する。





シンジはなおも夜道をテクテクと歩いていた。時刻はすでに午前三時を回っていた。
早朝というよりはまだ深夜であったが、中心街に近づくにつれて街灯の数も増え、路面を明るく照らしていた。
もう少しでネルフ本部の入館ゲートというところで、シンジはふと立ち止まった。
「あー、ちょっとばかり寄り道をするけど、いい?」
何やらまた楽しいことを思いついたのか、少年は顔をニヤつかせて訊いてきた。
尤も、たとえシロやクロに反対されたとしても、強引に寄り道する気でいるらしいが…。
『え? それはいいけど、どこへ行くの? 夜も遅いし、そんな遠いところへは──』
シロがそう言い終らないうちに、突然、目の前の景色が変わった。
『え!?』
『嘘!?』

シロ&クロは一様に驚いている。
さっきまで真夜中で真っ暗だったのに、いきなり昼間になったのだ。見上げれば太陽が直上にあった。
いや、そういう問題ではないだろう。さっきまでとは場所自体が違うのだ。
先程まで第三新東京駅近くのネオン街を歩いていた筈なのだ。
だが今、自分たちの目の前には広大な緑の牧場が広がっていた。しかも昼間だと言うのに心なしか涼しい。
沈んでいたクロの頭脳が一つの結論を導き出した。
(どこか昼間の場所に転移したというの!? …まさか!?)
『どこよ、ここ?』
未だ少し気落ちした声色でクロは問い質した。
それにシンジはサラリと答える(すでにクロに対して含むところは微塵もない)。
「ここはアメリカのオハイオ州だよ」
『オ、オハイオぉ〜〜!?』×2


「うん、もう昼だけど、オハイオ♪ …なんちって」(…おい)


『……』(クロ)
『……』(シロ)
「……」(馬鹿)
『…は?』(再びクロ)
重い沈黙。そして冷たい視線。
──すべったようだ。
見れば、シンジは地面にしゃがみ込んで「の」の字を書いている。心なしかその背中は寂しい。
そんな息子を無視してクロが叫ぶ。
『オハイオって、日本とは地球を挟んで裏側じゃないの!? シンジ…貴方って一体…』
クロは茫然としていた。
我が息子ながら、その途方もない能力に戦慄を覚えていたのだ。


ようやく再起動を果たしたシンジが口を開く。
「鬚や牛が死んだ後のことについては、すでにゾフィーと二人で決めてあるんだ。 これは既決事項なんで、変更するには一旦〈ユグドラシル〉に帰らないといけないんだよ。 つまり現実的には不可能ということさ」
『!!!!』
いきなりの息子の説明にクロは驚愕した。
死後に待ち受けている夫への懲罰のこと。それが取り消し不可能であるらしいこと…。
クロは目の前が真っ白になる。
目の前の息子には、訊きたいことが山ほどあったが、先ず最初に出た質問がこれだった。
『ゾフィーって誰よっ!?』
…また何処ぞのセンサーに引っ掛かったらしい(汗)。
「はぁ…彼女は僕の弟子だよ。 暫く一緒に暮らしていたんだ」
暫くとはいっても、三億年近くではあるが…。
(彼女ぉ〜!? 一緒に暮らしていたですってぇ〜〜!?)
クロはまた妄想しているらしい。
だがシンジは無視して話を進める。
「だから僕に鬚殺害の翻意を促しても無駄ってことさ。 たとえ僕が鬚を殺すのを諦めたとしても(そんなことは絶対にないんだけど)、将来アイツが自然死したその瞬間に、その【】は自動的に拘束されるんだよ」
『ちょっ、ソレどういうことよっ!?』
目の色を変えて詰め寄るクロに、シンジは言ってやった。
「具体的にはね、──時空を超えて『食用家畜』の生涯を数十億回繰り返させるんだよ。 それも人間だったときの意識・五感を持たせたままね」
『!!!!』
「人間のまま屠殺される恐怖・苦しみが数十億回──ま、そこそこの苦痛かな。 勿論、人間とコンタクトを取ろうとしても無駄。 リミッターが掛かるように細工してあるからね」
そう言うと、悪魔のような微笑を浮かべるシンジ。
そして付け加えた。
「というか、──すでに執行は開始されてるし♪」
『えっ!?』
シンジは歩みをピタと止め、不意にクロのほうを振り向いた。
見ると、その目は細まり、口の端は吊り上がっていた。
徐にシンジの口が開いた。
「…昨夜のお肉、美味しかったかい?(ニヤリ)」
『!!! …ま、まさか!?』
クロはタラリと冷や汗を掻く。
「フフ、ご明察。 ──昨夜の牛肉は葛城ミサト豚肉は碇ゲンドウだよ。 未来のね。 たまたま日本での転生先が判明したもんだから、屠殺日を見計らって、行きつけの店に頼んで枝肉ごと仕入れてもらったんだ。 それぞれ8回目と12回目の転生だったかな?」
『そんな…』
『うげ』
クロは青くなり、シロはショックというよりは、少し気持ち悪そうにしていた。
「人間の意識が残っているから、殺されるときなんか、それを敏感に察知するんだろうねぇ〜。 今回も死の瞬間には、すごく切ない声を上げてたよ。 フフフ、まだまだ先は長いのにさ、まったく往生際が悪いよねぇ〜」
シンジはそう言うと、大きく肩を竦めた。
余談ではあるが、牛や豚の屠殺方法はいろいろある。
電気ショック、ピストル、撲殺、ナイフ、などである。
セカンド・インパクト以前は、動物愛護の観点から麻酔などで畜産動物の苦痛を和らげるやり方もあったらしいが、今ではそんなことをしている国は皆無であった。
そんなことに感ける余裕などなかったのである。
『……』
『……』
「ゲンドウの3回目の転生(ブタ)のときなんか、人間のトイレの下で飼育されている環境でさぁ〜。 何かヒーヒー絶叫していたよ。 まあ、わからなくもないけどねぇ。 …エサは人間の排泄物だけなんだし♪」
シンジは思い出したかのようにクククと失笑した。
そして続ける。
「意識は人間でも、自分では指先一本動かせないからねぇ。 必死に抵抗しても、その口は勝手に人間の排泄した汚物(尿・糞)を美味しそうに頬張る。 しかも味覚は人間のときのままにしておいたからダイレクトに脳に伝わってくるんだよ。 その味はさぞ格別だろうねぇ〜。 クックックッ。 そして丸々と太ったら、食用として潰されるんだよ。 無論、屠殺方法なんてかなり原始的だから、頚動脈にナイフ一突きで即死……な〜んてことはないよ? 錆びて切れ味の悪くなった鉈(ナタ)が何度も何度もゲンドウ(ブタ)の首に打ち下ろされるんだよ。 その首が完全に地面に落ちるまでね。 かなりの断末魔だと思うよ。 フフフ♪ 中々気に入ったからさぁ、鬚の半分(転生回数が奇数の場合)の転生先はソコに設定しちゃったぁ〜♪」
シンジは愉悦の表情を浮かべ、一気に説明した。
大分気持ちが良いのか、その顔はほんのりと朱色に染まっていた。
『……』
『……』
クロ&シロはというと、さすがに気分が悪そうな顔をしている。
いろいろと想像してしまったのだろう。
シンジは一息吐いて落ち着くと、再び話を始める。
「──とまあ、コレが第一段階。 案外ヌルヌルなんだけどね。 …あ、そういえば言い忘れてたけど、ゼーレのジジイ連中も同じような目に遭わせているんだけど、如何せん数が多いもんだから、いっぺんには我が家の食卓には上がらないと思うんだ。 あ、でも、ゼーレbPのキール・ローレンツとbQのヨシュア・ロスチャイルドのお肉は、あと数日で入荷される予定だから、楽しみにしておいてね♪」
──誰も楽しみにしていないと思う。
『…ちなみに彼らは何?』
一応訊いてみるシロ。かなり迷惑そうな顔をしている。
「フォアグラ♪」
シンジは嬉々として即答した。
『…う〜、なんか食欲が減退しちゃうんだけどぉ?』
「ああ、大丈夫大丈夫。 確かに【】は人間だけど、お肉は普通だから♪ 全然、気にする必要なんてないんだよ?」
シンジは掌をヒラヒラさせて笑っている。
(そうは…言ってもねぇ〜)
シロは渋い顔をしていた。
内心では、聞かなければ良かったと後悔していたらしい。
「えーと、話が逸れたね。 ──第二段階としては、地獄のフルコースを用意しているんだ。 これこそがメインだよ。 勿論、ただの責苦じゃないからね。 この僕の折り紙つきだよ」
そう言うとシンジは目を輝かせた。
余程の自信があるのだろう。
「名のある高位の神とて一分として耐えられなかったコースだよ。 それはもう信じられないような苦痛だと思うよ。 それが無限に繰り返されるんだ。 無論、死後の世界だから脳内麻薬なんかで痛みが緩和されることはないよ。 それどころかその痛覚は生前とは比べ物にならないほどのレベルにまで引き上げられているんだ。 泣こうが喚こうが、永遠に赦されることはない。 【】が劣化したら強引に修復されて、休む暇もなく精神的・肉体的に最高の苦痛を与え続けられるんだ。 秒単位の嬲り殺しが繰り返されるんだよ。 まあ、さすがに人間の【】だと、どんなにやり繰りしても五千億年くらいが限度だろうね。 【】のテロメア修復にも限界があるからね。 ま、そのときは諦めて、そのまま分解・消去するよ。 無論、転生なんてさせない。 完全にこの宇宙から消えてもらう」
そこまで興奮気味に一気に言い述べると、シンジは説明を終えた。
その顔は狂喜に染まっていた。
『……』
クロは茫然自失していた。
もはや理解の枠を…超えていたのだ。
もし息子の言っていることが本当であるならば、…いや、今までの彼の能力の一端を垣間見て、とてもその話が嘘だとは思えなかったのだが、──どう転ぼうと、夫(碇ゲンドウ)の地獄行きは既定事実で、覆せないということなのだ。
助かる可能性は完全にゼロ。息子を諌めたとしても、暴挙を阻止したとしても、…まさに足掻くだけ無駄であるということなのだ。
クロはそのことを理解するや、目の前が真っ暗になった。





ふと気付くと、目の前に、金の鼻輪を付けた一頭のホルスタイン牛がいた。
粘り気のある涎をダラダラ垂らしながら、ウンモーと鳴き喚きながら、狂ったようにシンジに詰め寄ろうとしているが、眼前の柵が邪魔で目的を果たせない。
(なんだ? この牛? …なんか怒ってるみたいだけど?)
シロが怪訝に思っていると、
「やあ、久しぶり♪」
と、いいなりシンジがその牛に挨拶をかましたのだ。
『!!! ──ま、まさか…(汗)』
シロは顔を引き攣らせながらも、その牛から目を離せないでいた。
「そう。 コレ、葛城ミサトだよ。 正真正銘のね(ニヤリ)」
『!!!!』
驚いているシロを尻目に、シンジは話を始めた。それはもう楽しそうに。
「転生系に細工したからねぇ。 ──現時点でこの地球上には、碇ゲンドウが六頭(人間含む)、葛城ミサトが四頭(同左)、存在しているんだよ。 そうでもしないと後が支えているからねぇ…」
そう述べると、シンジはニヤリと口許を歪ませる。
ウンモ〜、ウンモ〜、ウンモ〜〜〜!!
先程から狂ったように牛(ミサト)が騒いでいる。
「おー、さすがにこの僕の顔を覚えていたみたいだねぇー。 今日は特別にリミッターを外してるから、自分の足でここまでやって来たんだね。 いやー、感心感心♪」
シンジはそう言うと、サッサッと牛の頭を撫でた(早業)。
ッ!! ンモ〜〜〜!!
目の前のミサト(牛)は先程よりも増してモーモーと煩い。
長い灰色の舌を振り回し、口からは粘性のある涎をだらしなく垂らし、眼球をギョロギョロさせて、柵越しにこちらに掴みかかろうとしているその姿──いやもう、かなり不気味だった。しかもスゲー牛臭いし…(笑)。
(ハハ、かなり怒ってるみたいだねぇ…。 未来の僕って、一体彼女をどんな風に殺したんだろうねぇ?)
ミサトの醜態を眺めながら、そんな感想を漏らすシンジ…。
どうやらこの少年は、未来のミサトの死に様を知らないようであった。
無論、〈ユグドラシル〉の管理人たるシンジに、わからぬことは何もない。
これはただ単に、その手の情報をこの少年が意図的にシャットアウトしているからであった。
何故かって? ──そりゃ、未来を知ったら面白くないから♪ 単純明快。
シンジは、おちゃらけた様子でミサトに囁いた。
「どう、牛の生活は? …え? ふざけるなだって? ハッハッハ、そいつはグレイト♪」
それはもう完全にからかっていた。
目の前の白黒のツートン斑模様の牝牛は、さらに狂ったようにモーモーと騒ぎ捲くる。
無論その言葉は、シンジ以外(つまりシロとクロ)には、まったくの意味不明だった。
見れば、ミサトは興奮しすぎて、果ては胃の内容物までも吐きもどす始末…。汚い。
そんな中、シンジが面白そうに口を開いた。
「あ、そうそう。 チミ、乳牛のくせにお乳の出が悪いってんで、屠殺場行きが決定したみたいだよ。 また世界の皆さんに美味しい牛肉を提供してね〜♪」
!? ウンモ〜!! ウンモ〜!! ウンモ〜〜〜!!
「ま、昔のようにビールが飲みたければ、次は松坂牛にでも転生することだね〜♪ ああ、そうそう。 チミの場合、この人生(牛生?)があと20億回以上も続くから、楽しみにしておいてね〜♪(その先に待っているのは、今とは比べ物にならないほどの地獄なんだけど、ねぇ♪)」
そう言うや、クルリと踵を返すシンジ。もうここには用がないのだ。
!!! ンモ〜〜!! ンモ〜〜!!
背後で惨めな牛の絶叫が聞こえるが、少年は一切気にしない。スタスタと牧場から離れていった。
少年の肩上でシロが囁く。
『…なんか凄まじいね(汗)』
「そう? …あの女や鬚が犯したことを考えれば、これくらいの報いは当然だと思うけどね」
シンジは平然とそう言い放つ。
余談ではあるが、この第一段階の懲罰(畜産動物への輪廻転生)は、言うなれば己が犯した罪の「因果応報」である。だがそれに続く第二段階の懲罰(地獄のフルコース)は、まさにシンジ個人の「私怨」によるものであるらしかった。
──私怨。 …果たしてシンジの身に何が起こったのか。それはこれからの物語の中で、追々説明されていくことだろう。
『じゃあゲンドウさんは…』
ここでようやく口を開いたクロ。見れば、少しだけ顔色も戻ってきたようである。
「鬚? …ああ、アイツなら中国奥地のマイノリティーの村で、今も人糞を貪り食ってるよ。 ──何なら、寄ってみるかい? あ、でも今は日本と同じで真夜中だから、近くの肥溜めに嵌る危険があるけど、いい?」
((こ、肥溜めぇ〜!?))

ぶんぶんぶん!!
二匹は真っ青になって、大きくかぶりを振った。
「ま、そのうち会わせてあげるよ(…屠殺日にね♪)。 ──んじゃ、用も済んだし、ネルフに戻るか。 …フフフ、ちょうど時間も頃合だしねぇ〜♪」
そう言うと、何やら意味深な薄笑いを浮かべるシンジであった。





〜ネルフ本部・本館ビル内の某通路〜

シンジたちはすで帰国(?)し、ジオ・フロント内へと潜り込んでいた。
別に正規のルートから侵入したわけではない。例のごとく、テレポートしたのだ。ちなみにこれはディラックの海を介したものではないらしい。
殆ど全壊しているネルフ本部・本館ビル、その最上階フロアの司令室に程近い通路の一区画。
そこに一人の見知らぬ少女が膝を抱えて蹲っていた。どこか泣いているようにも見える。
年の頃は中学…いや高校生くらいだろうか。白いセーラー服姿の、長い髪を黄色いリボンでまとめた可憐なお嬢様タイプの美少女である。 …ただし、自縛霊ではあるが(汗)。
「どうしたの?」
シンジが優しく声を掛けた。
「!?」
驚いた少女が頭を擡げた。
目の前には白と黒の子猫を両肩に乗せた少年が佇んでいた。
ちなみにこの猫たちにも自分の姿が見えるらしく、各々目を丸くして視線を向けていた。
「貴方っ、私の姿が見えるのっ!?」
少女の驚きも当然だ。今まで誰も自分には気づかなかったのだから。
だがシンジはその質問には答えない。
「…どうして、ここにいるの?」
無論、すべての事情は察していたシンジだったが、敢えて訊いてみた。
彼女は暫く沈黙を続けていたが、ポツリポツリと話し始めた。
「…学校の帰りに、黒服の人たちに変な薬を嗅がされて、気がついたら知らない部屋のベッドの上で、全裸で大の字に寝かされていたの。 ビックリして起き上がろうとしたけど、両手両足がロープか何かで縛られていて、ベッドの四隅に固定されていたの。 暫くしたら赤いサングラスをした鬚の男の人がやって来て、いきなり服を脱ぎ始めて…。 うぅ…私、怖くなって泣き叫んだんだけど、その男の人は笑いながら私の上に圧し掛かってきて…酷いことを…うぅ…何度も、何度もされて…そして…そして──」
そこで言い澱む少女(の自縛霊)…。
「──その後、黒服たちに払い下げられて、さんざ弄ばれた挙句に、ドラッグの過剰投与で殺された、と。 よくある話だね」
「!!!!」
目を瞠って驚く少女。
ちなみに白と黒の二匹の猫も驚き、茫然としていた。鬚のあまりの鬼畜ぶりに。
逆に少年は辛そうに目を閉じていた。
『う、嘘よぉ〜〜〜〜!!』
赤いサングラスの鬚の男=自分の夫という図式がストレートに思い浮かんだのか、クロがすぐさま噛み付いた。
だが恒例のことなので、シンジもシロも特に相手にはしていなかった。
しかしこの女は、この言葉しか知らないのか? …少々、マンネリ気味である。
ちなみに幽霊であるこの少女の姿が、何故、シロとクロに見えるのかというと、黒髪の少年が特別にチャネルをチューニングしたためである。
猫たちの額にある、天下御免の向こう傷(?)は、このためのものであったのだ。
実を言うと、今の人類のスペックでは、幽霊を感知することは、ハードウェア的にも不可能であるのだ。
もし感知できる人間がいるとすれば、それはすでに「人類」ではない。
太古の、創世の昔には、そういった輩がまだこの星にも存在し、そのため「あの世」や「幽霊」についての伝説が世界各地に残ったのである。
何度も言うが、現在の人類に霊感はない。尤も、「自称、霊能力者」はゴマンといるようではあるが…。
余談ではあるが、現在の地球上においてこの手の霊感があるのは、シンジとこの猫二匹、後は「使徒」のごく一部、及びシンジのクラスメイトである某少女くらいだろうか…。
「…君はその鬚の男が憎いかい?」
「っ!? 当たり前でしょう!!」
シンジの問いに、少女は声を荒げて即答した。
幸せだった日常を奪い、無垢なる体を弄び、挙句の果てには命を奪った男を、男たちを、誰が許せるというのか?
少女の瞳には、思い出したかのような激しい怒りと無念の感情が、ワラワラと渦巻いていた。
それは、まさに呪いの目であった。
シンジはボソッと呟いた。
「なら、僕を憎めばいい」
「…え?」
「僕はその鬚の男の、実の息子だからさ」
シンジは俯いたまま、静かに悲しく答えた。
「!!!!」
瞬間、くわっと少女の目が見開かれる。それはまさに般若の如き憎悪の目だった。
見れば、ブルブルとその細身の体を震わせている。
暫く二人は見詰め合ったままであったが、徐に少年の口から懺悔に似た言葉が漏れた。
「…僕はアレの息子だから、【】の一部も受け継いでいるからね。 まったくの無関係とは言えないのさ」
「???」
少女には、その言葉の意味はわからなかった。
だが目の前の少年が凄く辛そうな瞳の色をしているのが、心のどこかで引っ掛かった。
少年は言う。
「…僕が憎いかい?」
「に、憎い…わ」
自らの感情に戸惑いながらも答える少女。
シンジはニコリとして言った。
「あっそ。 うん、それでいい。 …じゃあ、約束の時まで僕の中にいるといいよ。 ここで朽ち果てるよりはずっといい」
「???」
「大丈夫……君の望みはきっと叶う。 心配しなくていい」
シンジはそう言うと、未だ不安げな少女の額へと手を翳した。
すると突然、彼女の姿がスーッと掻き消えてしまったのだ。
同時にシンジは眉間に皺を寄せると、少し辛そうにしている…が、すぐにいつもの表情に戻る。
『シンジ、大丈夫なのっ!?』
シロがいつもと違う少年の様子に、心配そうにその顔色を覗き込んでいる。
このときのシロには、何故か只事ではないように思えたのだ。
「大丈夫だよ。 ──さて、行くか…。 愚者の巣窟、万魔殿の最奥へ…」
シンジはどこか思いつめたように微笑んだ。
シロは深く考え込んでいた。
先程の少年の言葉が頭から離れなかったのだ。
(あの男から魂魄の一部を受け継いでいる、だって? …それってどういうことだよ?)


『…あの』
「なに?」
『…まだいっぱい幽霊が見えるんですけど〜?(汗)』
白猫が泣きべそを掻きながら訴える。
見れば確かにたくさん居た。幽霊の団体さんが通路を埋め尽くすようにクラゲの様にふわふわと浮遊していた。
皆苦しそうな、恨めしそうな青白い顔。
顔中血だらけの者もいれば、体のどこかが欠損している者、水をくれと訴え彷徨う者もいた。
ただ先ほどの少女の幽霊と違うのは、全員が全員、同じような制服を着ていたことだろう。
『こ、この人たちって…?』
「この前、使徒侵攻で死んだネルフ職員の皆さん。 数が多いからスルー」
華麗にスルーした。





〜ネルフ本部・総司令官公務室〜

本館ビル、ピラミッド部分の最上階フロアに存在する総司令官公務室。通称、司令室。
本館ビルは、先の第四使徒のジオ・フロント侵攻に際し、その攻撃を受けて全壊していたが、司令室のある最上階フロアだけは幸運(不運?)にも直撃を免れ、無事であった。
プシュー
シンジたちは正面のドアから堂々と司令室へと入る。勿論、不法侵入だ。
真っ暗である。人の気配はまったくない。シーンと静まり返っている。
『ゲンドウさん…いないんじゃ…』
そうクロは呟くが、シンジは一人スタスタと壁際へと歩いていく。
そしてピタと立ち止まり、目の前の壁と向かい合った。
暗くてわかりにくいが、そこには30センチ四方のパネルが壁に埋め込まれていた。
シンジは、徐に自らの掌をそこに押し付けた。
ピピッ
小さな電子音の後、シンジの眼前に小さな窓枠が現れ、謎の光がシンジの両眼のアイリス(虹彩)を走査する。
どうやら、かなり用意周到な認証システムのようであった。
勿論シンジは、指紋もアイリスも、ゲンドウ本人のものに擬態していたから何も問題はなかった。
ピピッ
再び電子音。それに続いて──
《世界ノ王、神ノ御子、万物ノ長、スベテノ女性ノ憧レニシテ、永遠ノアイドル、碇ゲンドウ様デスネ。 確認ノタメ、暗証コードヲ入力シテクダサイ》
たどたどしい合成音がパスワードを訊いてきた。
(((……)))
そのあまりに臭いセリフに、その場はシーンと静まり返る。
度を越えた趣味の悪さと傲慢さ、不遜さに、さすがの一同も辟易していた。
(まったく、コンピュータに何言わせてんだよ?)
シンジは一つ嘆息すると、さっさと隣のキーボードからパスコードを打ち込んだ。
ピ、ポ、パ…
入力した文字列はというと、
"YUI"
であった。
『…や、やだ、もう、ゲンドウさんたら〜〜(ポッ)』
思わずクロは頬を染めてイヤンイヤンをしていた。
((……))
んなことは無視してシンジはエンターキーをポンと叩く。
ピピッ
《無事、偉大ナル首領様ゴ本人デアルコトヲ確認シマシタ。 ドウゾ今宵モ、オ楽シミクダサイマセ》
意味深なセリフを吐くセキュリティー・システム。
(今宵? お楽しみ? 一体何のことかしら?)
この期に及んでも首を傾げているおめでたいクロだった。
ガコン、ガコン、プシューッ
暫くして、何もなかったハズの横の壁が上下左右に割れるや、そこには一つのゲートが現れていた。
『すごいギミック…』
シロは純粋に感心していたが、
「フン、税金の無駄遣いだよ」
と、シンジに切って捨てられた。
少し凹んだシロだったが、気を取りなおして訊ねた。
『…大分仰々しいけど、この奥って何があるの?』
「奥? …フフフ、まさに秘密の花園さ♪」
意味深な笑みを浮かべるシンジ…。
『ひ、秘密?』
首を傾げ、シロはオウム返しで呟く。
「そう、秘密。 …まあ、入ってみればすぐにわかるよ」
そう言うと、シンジ(+二匹)は壁に開いたゲートを潜った。





『何よこれぇ〜?』
クロが思わずどよめいた。
さもあらん。部屋に入るなり最初に目に飛び込んできたのは、見渡す限りの、所謂SMグッズの山であったのだ。
ここは拷問部屋か何かであろうか?
いや、それにしては大人の玩具と呼ばれる類のものが、異常なほどに目に付く。
壁紙がピンク一色で統一されているのも、異様すぎる光景だ。
これは拷問というよりは、SM倒錯の世界だろう。
見れば、違法なものを含め、シロやクロが見たこともないような器具が、小道具からかなり大掛かりな物まで、辺り一面にズラーッと並んでいた。
((……))
シロとクロは、息を呑んで茫然と固まっている。
この手の世界に免疫がない二人にとっては、カルチャーショックであろう。
見渡せば、それはもう専門店が一つ二つ開業できるほどの品揃えと威容であったのだ。
(何なんだよ、ココって? 手枷や足枷、ゴムのパンツ、うわっ、三角木馬なんかもあるし…。 あっ!あそこに並んでいるヤツは、確か前にケンスケの部屋で見せてもらったことがある。 電動バイブってヤツだよね。 …はぁ、でも色んな形があるんだぁ…。 一番端のアレなんて、まるでヘラクレス大カブト虫みたい。 …どうやって使うのかなぁ〜?)
再起動を果たしたシロは興味津々、さっきから物珍しそうにキョロキョロしていた。かな〜り挙動不審である。
(うわっ!? 何だあれ〜!?)
シロの視線の先には一棹のクローゼットがあった。
セーラー服にスクール水着、メイド服にナース服、バニーガールにレースクイーン、巫女服に喪服、ハニースーツに露出用水着、果てはネルフの女性士官用の制服や、第壱中学校の女子の制服まである。
何とそこには、多種多様なコスプレ衣装が一通り揃っていたのだ。
(はぁ〜、一体どういう趣味だよ〜?)
シロはおもいっきり呆れていた。
さて、暫く色々と見回していたシロだったが、
『ねぇ…アレは何?』
何か気になるものがあったのか、徐に質問の声を上げた。
シンジはシロの視線の先に目をやり、そして口を開いた。
「…エネバルーンだ。 アナル内でバルーンを膨らませつつ、浣腸が出来るという逸品だ」
懇切丁寧に、事務的に説明をするシンジ…。(おい!)
『へぇー、それじゃあ、あのピンポン玉みたいなのが付いてるのは?』
別の方角を向いてシロが訊く。
「…ボールギャグ付き口枷だ。 女性に咥えさせることで被虐性を高めることが可能だ」
『ふーん、じゃあ、アレは?』
「…診察台だ。 女性の両脚を固定し、陰部をじっくりと観察することが可能だ」
『なるほど、じゃあ──』
だがまさにそのとき、横から怒号が飛んだ。
『ちょっとアンタたち!! いい加減にしなさいよっ!!』
馬鹿やっている二人に、さすがのクロも切れた。


「ここは鬚以外は男子禁制、秘密のフロア、その一丁目さ」
シンジが得意そうに説明する。
『男子禁制? 秘密?』
クロは目をパチクリさせて驚いている。
「うん、そうだよ。 この場所は鬚の一部の側近にしかその存在が知らされていないんだよ。 …冬月コウゾウや赤木リツコにすら知らされていない特別な区画なのさ」
『男子禁制…(う〜ん、なんか淫靡な響きがあるよねー)時代劇の大奥みたいだよね?』
これはシロ。
「フフ、言い得て妙な例えだね。 でも実際、まさにそのとおりなんだよ?」
『そ、そう(汗)──あ、でも、案外小奇麗だよね。 父さん…いや、あの男が掃除してるのかな?』
シロは、つい「父さん」と言ってしまったのをすぐ「あの男」と訂正した。
もう完全に訣別しているようである。
シンジは白猫のほうを振り向き、呆れ顔で言った。
「はあ? そんなわけないじゃん。 第一、あの男にそんな高尚なスキルがあると思うかい?」
『まあそうだけど……じゃあ誰が? まさかホームヘルパーの人? …あ、でもここって秘密なんだよね?』
相も変わらず、トンチンカンな推理をするシロであった…。
これにはさすがのシンジもホトホト呆れたようで、声のトーンを落として言ってやった。
「はぁ…このフロアには、鬚に従順な女性が常時50人ばかり囲われているんだよ。 掃除は彼女たちがやらされているのさ」
『か、囲う!?』
その思いがけない言葉にシロは驚く。
「そう。 ま、どうやって従順になったかは…多分、シロの想像のとおりだと思うよ?」
『え?』
突然話を振られ、シロは目をパチクリする。
(そ、それじゃあ、やっぱり女の人たちに酷いことをして…クッ、何をやってんだよ、あの下衆はっ!)
シロは歯軋りするほどまでに激昂していた。
シンジはそんなシロの様子をニヤニヤ観察しながらも、話を進めた。
「この奥には小規模な居住ブロックがあってね、彼女たちはそこでの生活を強いられているんだよ。 生活必需品は毎日配給されているけど、カゴの中の鳥と同じだね。 鬚への性的奉仕を強要され、一生陽の目を見ることはないのさ(飽きたら部下に払い下げられるか、殺されるかだしね…)。 ここの掃除も彼女たちが交代制でやらされているんだよ」
『う、嘘よっ!! ゲンドウさんがそんなことするわけな、フガッ!!──』
「あー、はいはい。 クロは黙っていてね〜♪」
見ると、にこやかな表情でクロの口を塞いでいるシンジ。
クロはというと、その手の中でモガモガと悶えている。
もう手慣れたものである。
『…なんてことを』
シロは沈痛な面持ちで言葉を詰まらせていた。
これが人間のすることであろうか?アレは人間の皮を被った畜生ではないのか?──
そんな思いが白猫の頭の中で渦巻いていた。
尤も某少年に言わせれば、「人間だからやるんだよ♪」と切り返されそうではあったが…。
シンジは部屋全体を見渡しながら口を開いた。
「この部屋、MAGIからは完全に切り離されていたよ。 司令室を含め、この最上階フロア全域もね」
『切り離されて…いた?』
「そう、今では過去形さ。 僕が新たに目と耳をばら撒いたからね。 今現在、ネルフ本部でMAGIの目が届いていないところは皆無だ。 尤もそれをネルフ連中が知ることは永遠にないだろうけどね」
そう述べるや、ケラケラと笑うシンジであった。
少し経って少年は切り出す。
「さて、行きますか♪」
『…へ? どこに?』
ポカンとしているシロ。
「そんなの決まってるじゃないか。 この奥の部屋へだよ。 今そこで宴の真っ最中だからね♪」
シンジはそう言うと、目の前にある扉のほうに目配せした。
見れば、かなり分厚そうなドアであり、耳を澄ましても中の様子はまったく窺えない。恐らく完全防音なのだろう。
『う、うたげ?』
「そう。 映像だとさ、何かにつけて、"嘘よ!"とか"捏造よ!"とか言うからねぇ、どこかの黒猫は?」
シンジはそう言うと、クロのほうを見下ろして、ニヤリと口の端を吊り上げた。
『(……)』
目と目が合い、見詰め合うシンジとクロ…。
だがクロは何も言わない。
「だから、"生"の現場を見せてあげるよ。 覚悟はいい? 特にクロにとってはかなーり強烈だと思うよ?」
シンジは目を細めると、その顔にはその日何度目かの意味深な笑みを浮かべた。
『(……)』
クロは何も答えない。 …いや、何か言いたげだったが、今なお口を塞がれていたため、何も言えなかったのだ。
憐れクロ(笑)。





それは、巨大なハンマーで頭を殴られたような衝撃だった。


キング・サイズのベッドの上で、愛する夫が、見知らぬ二十歳前後の若い女性を組み伏せ、まさに閨事の最中であったのだ。
ギシギシとベッドのスプリングが断続的に軋む。
ハァハァと夫の興奮した吐息がここまで聞こえてくる。
夫の目はすでに血走り、完全に快楽に溺れていた。

(嘘よ、嘘よ嘘よ、嘘よぉ〜〜〜!!)

心の中で悲鳴を上げるクロ。
だが嘘ではない。彼女の目の前で繰り広げられるビジョンは、誤魔化しようがない現実であったのだ。

『やめてっ!! ゲンドウさんっ!! お願いだからぁぁぁぁ〜〜っ!!』

部屋中に響き渡るかのような大絶叫──
堪えかねたクロが、思わず制止の声を張り上げていたのだ。
だがゲンドウは、クロのその声に気づいた様子もなく、なおも一心不乱に腰を打ち付けていた。
『…え!? 声が…届かない!? な、なんで!?』
少年に抱きかかえられながらも、信じられないという面持ちでオロオロしているクロ。
そんな彼女に少年は説明した。
「…ああ、そういえば言ってなかったね。 僕たちの周りには極薄かつ特殊なATフィールドを纏わせてあるんだよ。 だから僕たちの声はアイツには届かないし(逆は聞こえるけど)、アイツからは僕らの姿も見えない。 つまり、僕らは完全な傍観者ってわけ♪」
『そ、そんな…』
息子の言葉に、悲痛そうに両手(肉きゅう)で口許を覆うクロ。
だがクロのショックは、この程度では終わらなかったのだ。
彼女にとっては、これからが本当の地獄なのだから…。


「ところで、あの女性に見覚えはない?」
未だショックで茫然としているクロに、シンジがニンマリ顔で見下ろした。
『見覚え…?』
未だ動揺治まらないクロだったが、言われるままに、ベッドの女性に、夫に組み敷かれている女性に目を向けた。
(うっ…)
やはり辛い。夫の醜態など、見るに堪えなかったのだ。
それでも我慢して、女性の顔だけをそっと確認してみる。
(!? 私に…私に似ている!?)
クロは驚愕する。
そうなのだ。目の前の女性は、まさにクロ──碇ユイ──に瓜二つであったのだ。
ダークブラウンのショートカットの髪、雪のような白い肌、整った顔、艶やかな肢体──その容姿も、年恰好も、ちょうど碇ユイと綾波レイを足して二で割ったような、所謂、"超"が付くほどの美人であったのだ。
だがその女性は、何かがおかしかった。あまりにも無表情であったのだ。無論、眠っているわけではなかった。
男に、夫にされるがまま、嬌声一つ上げない。所謂、マグロ状態であったのだ。
(ど、どういうことよ?)
クロも違和感を覚えたが、何もわからなかった。
そんな彼女の様子を面白そうに観察していたシンジだったが、暫くしてゆっくりと口を開けた。
出てきたのは、自分の耳を疑いたくなるような衝撃の言葉だった。


「彼女の名前は、碇マイ。 正真正銘、クロの実の妹さ──目下、鬚の一番のお気に入りだよ」


『!!!!!!』

雷に打たれたかのような衝撃がクロを襲った。
暫く頭の中が真っ白になる。
そして一瞬の静寂──
よく耳を澄ませば、ゲンドウは「ユイ、ユイ」と呟きながら、おぞましいほどの恍惚の表情を浮かべて、一心不乱に腰を突き入れていた。
気色悪いことこの上なかった。
この男、ユイに瓜二つの実妹を、ユイに見立てて抱いていたのだ。
趣味の悪さ、代償行為にもほどがあるだろう。
『そんなっ!! そんなっ!! まさかあの子っ、マイちゃんなのっ!?』
少年の胸元で半ば狂ったように声を絞り出すクロ…。
クロが最後に妹に会ったのは、妹が小学生の時分だったから…確かに年恰好は符合する。
それに確かに面影があった。それに自分に…何よりも、今は亡き母親に生き写しだったのだ。
もう疑いようはなかった。
「ピンポーン♪」
茫然自失のクロを傍目に、能天気に答えるシンジであった。
この少年、場の雰囲気など端から読んでいなかった(笑)。
自分の妹が自分の身代わりとなって夫に抱かれている。
耐え難い事実。認めたくない現実。許し難い真実。
(ゲンドウ、さん…貴方、何をしているのよぉ〜〜)
涙声でクロがゲンドウを睨む。
しかし、やはり抱かれている妹の様子がおかしい。おかしすぎる。
あれだけ強く激しく抱かれていても、何の反応も示さないのだ。
何よりその瞳に生気がまったく感じられない。
クロは堪らなく厭な予感がしていた。
「ん? 気づいたかい?」
そこでシンジが声を掛けてきた。
『──あの子…何だか様子がおかしい、わ』
やっとのことで言葉を紡ぎ出すクロであった。しかし、──
息子から返ってきた答えは、またしても信じられないような言葉だった。


「彼女、鬚の情婦になることを最後まで拒んだから、"薬漬け"にされて"肉人形"にされたんだよ」


『に、肉っ!? ──そんなっ!!』

クロは泡を食って酷く驚惑した。
シンジの説明(回想)は続く。
「当時、彼女には想いを寄せていた男性がいたみたいでね…だから、『俺の情婦になれ!』という鬚の露骨で明け透けな脅迫をガンと突っぱねたんだよ。 ──でもそうしたら、鬚の命令を受けた某エージェントの手で、彼女のその想い人──なかなかの好青年だったんだけど残念だったよね──は、ド汚い罠に掛けられて、後ろからズドン…。 そして遺体は切り刻まれて、サファリパークのライオンのエサに混ぜられて証拠隠滅だよ(ちなみにその実行犯のエージェントってのは、今はドイツ支部でセカンド・チルドレンの専属ガードをしているけどね…ククク)」
『!!!!』
「その後、失意の彼女はネルフに誘拐され、そしてこの部屋で抵抗虚しく無残に処女を散らされ、…後は鬚のやりたい放題。 …彼女、もう元には戻らないだろうね。 自我は完全に崩壊しちゃってるし…すでに廃人同然だよ。 脳細胞にも深刻なダメージがあるし、彼女の瞳に光が宿ることは永遠にないと思うね」
少年は淡々と説明する。
『……』
クロは茫然自失でそれを聞いていた。その目は焦点が定まらず、虚空を見詰めるのみであった。
「まあ、それでも鬚にとっては都合のいい玩具みたいだね。 まるっきしのマグロだけど、反射だけはしっかり返してくれるみたいだし、今、鬚の一番のお気に入りらしいよ? 何といっても、最愛の妻に瓜二つなんだからね。 ──どうよ、クロ? あんなに想われて、妻冥利に尽きるんじゃないの?」
そう言うと、シンジはケラケラと笑い飛ばした。
少年のその態度が、果たして演技なのか、それとも本心なのか、それは誰にもわからなかった。

『──あの子、…お母様の忘れ形見だったのよぉ…こんな…うぅ、こんな目に遭うために、あの子は生まれたわけじゃ、お母様は死んだわけじゃないのよぉ〜〜!!』

クロは見栄も外聞もなく泣き叫んでいた。それは誰に対する怒りであったのだろうか?
実際、彼女たちの母親(シンジにとっては祖母)は、産後の肥立ちが悪く、マイを産んで暫くしてから他界していたのだ。
そのため、父親や姉であるクロ(ユイ)は、マイを溺愛していたのだ。
彼女の成長を見守ることが、父親と姉の生きる悦びであったのだ。
それが──これである。 …無残にもほどがあった。この世には神も仏もいないのか…。
クロは再び俯き、今もなお嗚咽を漏らしている。見ていて不憫ではあった。


片や渦中のゲンドウはというと、未だ一方的な房事を続けていた。
このゲンドウという男は、最愛の妻に瓜二つであるこの女性に完全に溺れていた。
そしてこの外道、相手の意識がないことを良いことに、実際の妻相手には遠慮して出来なかったおぞましいほどの鬼畜行為を、ここ数ヶ月の間、片っ端から試していた。
それはこの男にとって、まさに背筋がゾクゾク震え上がるほどの快感であったらしい。 …下衆め。
すると突然、ゲンドウが何やら呟き始めた。
組み伏す目の前の女に語り掛けるように、ニヤニヤと閨の言葉を綴り始めたのだ。
「ユイ、ユイ、ああ、ユイ♪ …実に素晴らしい体だよ」
そう言いつつも、その腰は忙しなく動いている。余程、彼女にご執心とみえる。
見ればその顔は、恍惚の表情に支配され、だらしなく歪んでいた。
その血走った眼は、あたかも鯖の腐ったような目をしていた。
余談ではあるが、もしゲンドウの呟きが「ユイ」ではなく「レイ」であったとしたら、その瞬間に彼の生命の灯は確実に消されていたことであろう…某少年の手によって。
閑話休題、話を戻そう。
『ひっ!!』
男のそれを垣間見たクロの背中に、おぞましい何かが走り抜けた。
全身に鳥肌が立った。気持ち悪いこと、この上なかった。
男の独り言はなおも続く。今度は一転、険しい顔となった。
「クソッ、キールめっ!! わけのわからない言い掛かりをつけおってっ!!」
どうやら、キールの悪口を言っているようであった。
「クソが、クソが、クソが、クソがっ!! お前らなど、いずれ殺してやるっ!! このクソがぁ〜〜〜っ!!」
しかしながらその罵声に合わせて男の腰も同調しているのは、傍目には滑稽でもあった。
どうやらこの男、先刻の会議での憂さを、この女性の、碇マイの体で晴らしているようであった。
もう、完全無欠の人間のクズである。
暫くして男は、今度は別な独り言を呟き始めた。
「ハァハァ、もうすぐだ。 もうすぐ会えるぞ。 …ユイ〜♪」
「お前に会うために…ハァハァ…いろいろと骨を折った…ぞ──フフフ、思えばお前の父親にも、少し気の毒なことをしたな…。 ハァハァ、…だが再びお前と巡り合うためなのだ…だからあの耄碌ジジイも私に殺されて本望というものだっ! クク、クハハハッ!!」

ゲンドウは一人ケタケタ笑うと、なお一層、腰の往復運動を早くしていた。
──隠された内幕をベラベラと、得意気に語るゲンドウ…。
よもや自分の息子が、最愛の妻が、そのすぐ傍らで聞いているとは、夢にも思っていないだろう。
(うーん、さすがにここまで自爆してくれるとは…うれしい誤算だよね♪)
思ってもみないオプションに、シンジは甚く満足げだった。
片やクロは気色ばんだ。聞き捨てならないことを、目の前の男は漏らしたのだ。

『な、何ですってぇ〜〜!? お父様が…こ、殺されたぁ〜〜!? ゲンドウさんが殺したですってぇ〜〜!? そ、そそそ、それって一体どういうことよぉ〜〜!?』

もはや怒号だった。
クロはシンジの耳元で鼓膜が破れるくらいの大声を張り上げた。
が、少年は堪えた様子もなく、平然と返す。
「そういえばクロはまだ知らなかったんだね」
そう言うと、シンジは耳をホジホジしながら説明を始めた。
「──クロと彼女の父親、つまり僕たちにとっては祖父に当たる碇シンヤ翁は、クロが初号機に取り込まれてからすぐ、鬚のヤツに暗殺されたのさ。 表の死因は心不全だけど、その実、ゲンドウの手の者に寝所を襲われたんだよ。 口と鼻を塞がれての窒息死…。 無論、その莫大な財産を奪うためにだよ。 その後、喪が明けるや否や、碇ユイの配偶者(娘婿)、そして嫡嗣たる碇シンジの実父としての立場を最大限にまで利用し尽くして、翁の遺産すべてを掠め取ったよ。 短期間だというのに、実に見事な手並みだったねぇ。 まあ、事が成就したら、僕たち碇シンジはお払い箱とばかりに捨てられちゃったけどねぇ…」
まるで人事のようにシンジは述べると、肩を竦めて見せた。
『そんなっ!!!』
クロの絶望は頂点に達していた。
父親は夫に殺され、息子は夫に捨てられ、そして妹までもが夫の魔の手に落ち、辱めを受けた。
未だ父親は存命で、妹も幸せに暮らしていると信じていたクロには、到底受け入れられる現実などではなかった。
こんなことってなかった。あまりといえばあまりの仕打ちなのだ。クロは今なおワナワナと震えていた。
「──んじゃ、用も済んだことだし、帰ろうか♪ それにこんなトコ、いつまでも長居はしたくないし〜」
シンジは軽いノリで声を掛けると、クルリと踵を返した。
彼の言っていることは本当である。
用事(クロにゲンドウの醜態を"生"で見せること)は達成したし、シンジの中では、この場所に残る理由も興味も完全に失せていたのである。
すると突然、横から声が飛んだ。
『!!! ね、ねぇ、シンジっ!! あの子を助けてあげてっ!! お願いよっ!!』
クロだった。
帰ろうとする少年に追い縋るような形で、悲痛な声で懇願していたのだ。
「…は? 何で僕がそんなことしなくちゃいけないの?」
少年は真顔で訊き返した。
見れば、露骨に嫌な顔をしている。
だが黒猫は諦めるわけにはいかない。今、妹を救えるのは、この少年しかいないのだ。
『何でって…だってあの子は貴方にとっては、たった一人の叔母なのよ!?』
「…そのたった一人の叔母を甚振っているのも、…僕のたった一人の父親なんですけど?(ニヤリ)」
即答で切り返すシンジ。何気に厭味が効いているのはさすがである。
『うぐ…』
クロはぐうの音も出ない。
シンジの攻勢は続く。
「それにもうソレ壊れちゃってるよ? それに助け出してどうするのさ? まさかこの僕に植物状態の彼女の面倒を看ろとか言うんじゃないよね? 冗談じゃないよ? そもそも鬚が彼女にご執心の間は、鬚の性犯罪数がある程度抑制されるっていう統計上のデータがあるくらいだから、世のため人のためってモンじゃないの?」
いやはや無茶苦茶な論理だ…(汗)。
多分、面倒臭いのが嫌だから、屁理屈を捏ねたというのが正解だろう。
『そ、そんなぁ…』
見てわかるほどの落胆の色…。
「まあ、気が向いたら、鬚を殺した後にでも助け出して、医療施設に入れてあげるよ。 ま、そのときまで生きていればの話だけどね」
シンジはこともなげに答える。 …ひ、非情だ。
『っ!! でもでも、シンジなら、さっきの病院の女の子みたいに簡単に治せるんでしょう!?』
それでも引き下がらずに、クロは必死に頼み込む。
その両の目には涙をいっぱいに湛えて…。
だがシンジは冷たく返す。
「それは無理。 体の損傷はいくらでも治せるけど、失われた【】はそうはいかない」
(そう…失われた【】は永遠にね……だからこそ僕は時を遡ったんだよ)
少年は何か追憶するかのように、眉間に皺を寄せ、遠い目をしていた。
そして再び口を開く。
「【】がある程度無事なら何とか出来たんだけどね。 彼女の場合、長期間の投薬と虐待の連続で、まさに身も心もボロボロ…【】の大半はすでに霧散しちゃってるし、ほとんど抜け殻に近いんだよ」
『そ、そんな…(ゲンドウさん、貴方って、貴方って──)』
クロは今さらながらに後悔の念に深く支配されていた。
(…何故こんなことに)
(…そもそも私があの人と、ゲンドウさんと一緒になったことが間違いだったというの?)
(…あのときお父様の反対を押し切ってまで、ゼーレに、裏・死海文書に深く関わってしまったことがいけなかったというの?)
(…あのとき初号機に溶け込んだ私の考えが浅はかだったというの?)
(……)
(…お父様が殺されたのも、お母様が亡くなったのも、マイちゃんがこんな目に遭ったのも、シンジが捨てられたのも、そしてそしてセカンド・インパクトさえも…全部、全部、私のせい!?)
(……)
(…どこで、どこで間違ったというの?)
(…私は…私はどう償えばいいの?)
(……)
(…)
ゆさ、ゆさ
ゆさ、ゆさ、ゆさ
誰かが私の体を揺さぶっているような気がする。
「どうしたぁ〜、大丈夫かぁ〜」
「おーい、クロぉ〜、帰ってこぉ〜い」
誰かが私に呼び掛けているような気がする。
「いい加減しろよぉ〜、クロぉ〜」
「仏の顔も三度だぞぉ〜、わかってんのかぁ〜」
…でもきっと気のせい。うん、きっとそう。
「よぉ〜し、よぉ〜くわかった!」
「すぅ〜〜〜〜〜〜」

「さっさと帰ってこんかぁ〜〜〜!!」

『きゃうっ!!』

『うわっ!!』

あまりの大声に耳を塞ぐ黒猫。ついでに白猫までもが余波を食らう。
『あ、あれ? シ、シンジ?』
ようやく正気を取り戻したクロは目をパチクリさせる。
その天然系の態度に、シンジはどっと脱力してしまう。
「はぁ〜、会話中にいきなり、逝っちゃわないでくれる?」
『え?』
クロは意味がわからずにキョトンとしている。
そのとき、
「ん?」
シンジが眉を寄せる。そしてクロを抱き上げるや、その顔をマジマジと見詰め始めたのだ。
『な!? ど、どうしたのよっ!?』
いきなりの息子の顔の急接近(5cmも離れていない)に、クロはドギマギしていた。
だがシンジは、少ししてから何事もなかったように言った。
「いや、何でもないよ。 …ただ、瞳の色が少し変わったなと思ってね」
『瞳の色?』
オウム返しのクロ。
「瞳の色は【】の色、心の色でもあるんだよ。 …ま、普通の人には見えないから、気にすることはないよ」
そう告げるシンジの表情は、意外そうな、しかし柔らかな微笑みを湛えていた。


「コホン…じゃあ、さっきの話の続きだね。 ──彼女、碇マイの復活だけど、無理矢理なら、手はなくもないんだよ? 聞きたい? フフ、簡単なことさ。 彼女の霧散した【】は、すでに来世の転生コースに進んでるからね。 その転生先の彼女を一度殺して】の回収、強引に前世へと反魂させるんだよ。 クロ、君にその覚悟はあるかい?」
少年は値踏みするような目線をクロに向ける。
『なっ!? 出来るわけないじゃないのっ、そんなことっ!!』
「そ…じゃ、諦めることだね」
素っ気ない回答。
だがクロはなおも諦めない。
『でもっ!! シンジなら…シンジの力なら出来るんでしょう!? きっと他に何か方法があるんでしょう!?』
再び期待を込めてクロが追い縋る。必死だった。
「まあ、そりゃあね。 ──ふむ、…残った【】だけで何とかするとなると、擬似的な霊体を足して補正するパターン…かな? あ、でもそれだと厳密にはクロの知っている妹とは言えなくなるね。 非常によく似た別人…。 それでもいいかい?」
『そんな!! …別な方法はないの!?』
そんなの認められないとばかりに、再びクロは訊ねた。
クロにそう強請られて、シンジは腕を組んで考え始める。
(うーん、一度過去に戻ってゲンドウに捕獲される前に、彼女を救出するってのが一番確実な方法なんだろうけど…クソ面倒だな。 うん、故にパスだ。 …ふむ、それ以外の方法となると──)
悩むこと数秒。シンジの頭上に、突然、マンガチックな豆電球がパッと点滅した。
『な、何!?』
初めてそれを目撃したのか、クロは突然少年の頭上に現れたリアル豆電球に驚いている。
『…ああ、気にしないで。 いつものことだから』
隣のシロがさり気なくフォローする。彼は慣れたようだ。
少年は思わせぶりな口調で告げる。
「一つだけ、方法があるにはあるよ。 ──親和性の高い器、つまり彼女の近親の【】と融合させること、かな」
『近親? …じゃあ私の──』
私の魄を使って、と申し出ようとしたクロであったが、シンジがそれを途中で遮った。
「無理だね。 今のクロは【】しか持っていない状態だもの」
『魂だけ!? え? え? …マイちゃんの場合とは違うの!?』
クロは【】と【】の違いを未だよく理解してはいないらしく、頭の上にはたくさんの「?」マークを浮かばせていた。
少年は答える。
「クロの場合はさ、僕が初号機からサルベージする際には【】はほとんど残っていなかったんだけど、【】だけは完全な状態で残っていたから、【】と肉体(猫だけど)については、僕が擬似的に用意したモノで補正しても、親和性に問題はなく、拒絶反応も出なかったんだよ。 ──【】、【】それぞれの大半を失った彼女とは、事情がまるで違うのさ」
『そう…あ! じゃあシンジの──』
シンジの魄を使えば、と閃いたクロであったが、それも途中で遮られた。
「叔母と甥…傍系の三親等じゃあねぇ〜、直系の尊属か卑属、最低でも実の兄弟姉妹じゃないと近親とはいえないと思うよ〜(第一、僕の【】には、父親であるあの畜生のモノも混ざっているからねぇ〜。 さすがにそれは御免被りたいよねぇ…)」
そのシンジの言葉を聞いて、クロはまたシュンと落ち込む。
『そんな…あの子にはもう親兄弟はいないわ…もうどうしようもないというの?』
暫くの沈黙。
だがすぐにそれを破る声が上がった。
「あるよ」
『!?』
驚いたクロは、顔を上げてその声の主のほうを見る。
そこには意味深な笑みを浮べたシンジの顔があった。
「あるよ。 クロの本来の【】がね」
『ど、どこにあるのよ?』
「ここの地下♪」
素っ気ない回答。だが端的だ。
『地下? …ターミナルドグマ!? ちょ、もしかして綾波の──』
今まで蚊帳の外だった白猫が、横から口を挟んできた。
話だけは聞いていたようである。
「正解。そう…彼女のダミースペア、その素体たちさ」
シンジはそのまま説明を続ける。
「初号機の中にクロのオリジナルの【】がほとんど残っていなかったのは、鬚のクソ野郎が何度も何度もサルベージを繰り返して、素体たちを初号機の中から引き上げたからさ。 その度に初号機の中ではクローニングが繰り返され、【】のストックが少しずつ消費されていったんだよ。 だからクロ、君の失われた【】はちゃんと残されているよ(リリスとのハイブリッドとしてね)」
『そ、それじゃあ♪』
途端に、満面の笑みを浮かべるクロであった。
これで妹は助かる──その悦びが湧き上がっていた。
だが、それをシンジが制した。
「まだ喜ぶのは早いよ」
『え?』
ポカンとしているクロを尻目に、シンジはハァーと深く一息吐くと、再び喋りだした。
「やるにしたって、先ずは素体たちの意見も聞かないとね。 もし彼女たちがイヤだっていうんなら、そのときはキッパリと諦めてもらうしかないんだよ?」
『……』
「まあ、仮に承諾を得たとして…そうだね…手順としては、綾波のダミースペアたちの【】、つまりクロとリリスのハイブリッドである【】を分離・濃縮した後、クロの妹の【】へと融合させることになる…のかな? ま、それでも十分量じゃないから、ある程度まで器共々退化させないといけないと思う。 …例えば赤ん坊くらいにね。 それでもいいの? それに、君の妹の【】は大分欠損しているから、一切の記憶は引き継がれないと思うよ? 何より、クロのオリジナルの【】も、このことで永遠に失われることになるんだよ? それでもいいの?」
シンジはそう言うと、何度もクロに念を押した。
クロは少し考えた後、ポツリポツリと静かに答え始めた。
『──いいの…いいのよ。 きっとあの子には辛い記憶だったでしょうから…。 それに私のことなら構わないわ。 それが私があの子へしてやれるせめてもの贖罪だもの…』
(私の独善かも知れないけれど、楽しい思い出もあったかも知れないけれど、──あの子には、こんな辛い記憶は忘れさせて、新たな人生を歩ませてあげたい…)
クロはしみじみとそう思っていた。
「……ほう」
『…どうかしら、シンジ? これなら出来るでしょう?』
クロは徐に顔を上げると、涙声混じりでシンジの顔を窺う。
だがシンジの回答はというと、今までのシリアスな雰囲気をブチ壊しにするものだった。


「まあ、出来るけど……でもやっぱり面倒臭いから、ヤダ」


シンジはアッサリ翻意した。
超わがまま。協調性ゼロ。大ヒンシュク。この期に及んで、それはないんじゃないの?(と作者も突っ込む)
『えっ、そんなっ!?』
ここまで引っ張っておいて、今さらそれはないだろうという驚愕の目で、クロは息子を見詰める。
今まで傍観者をキメ込んでいたシロでさえ、シンジにジト目を向ける。
このままではシンジ、悪者である。某鬚男と同列である。シンジ株、急落中である。
だがシンジは怯まない。
「第一、赤ん坊の世話は誰がするんだよ? それに今はダメだよ。今あの男から彼女を取り上げると、その毒牙がどこに向くかわからない。 一般ピープルに向くのは一向に構わないよ? でも、下手をすれば綾波の分身たちが被害を被る可能性もあるんだ。 事実、前回の歴史では手を出していたからね、あの外道は…。 最悪の場合、綾波本人にも害が及ぶ危険性がある。 それだけは絶対に阻止しなくちゃいけないんだよ。 それこそ、あらゆるものを犠牲にしてもね」
シンジは口早に言い切った。
(ま、もし鬚がそんな素振りを見せたら、もう遊びは終わり。 …今すぐブチ殺しちゃうけどね♪)
余談ではあるが、実際、ゲンドウがレイに対して毛ほどの傷でも負わせたら、シンジは一切の容赦をしないだろう。
だがそれで彼の気が治まるのかというと、甚だ疑問である。
彼の激しい気性を考えれば、何をやらかすか、わからないのだ。
事実、彼の勘気に触れ、憂さ晴らしに滅ぼされた星は一つや二つではなかったのだ(勿論、十や二十、百や二百、千や二千でもなかったが…)。
中には、500億の人間ごと、恒星に突き落とされた惑星もあったのだから。
──良くも悪くも、これが〈ユグドラシル〉管理人の気性(本性)であるらしい。


『…あの子の面倒は、私が見るわ』
少し考えた後、思い詰めた表情でクロが呟いた。
『ねぇ、僕からもお願いするよ。 あの女の人、あのままだなんて可哀想すぎるよ! それに、綾波たちには迷惑が掛からないように、僕らでも出来ることがあったら協力するからさぁ〜?』
シロも擁護に回る。
しかし猫の身で何が出来るのだ?とは思ったが、その心意気だけは買おう。
(はぁー、やっぱりこうなったか…。 そんな予感はしたんだよねぇ…。 ひょっとして早まったかねぇ?)
シンジは、ポリポリと頭を掻きながら一つ大きく嘆息すると、
「…オーケイ、オーケイ、わかったよ〜」
と、アッサリ白旗を揚げた。
半ば投げ遣り気味であったが…。
『あ、ありがとう、シンジぃ〜〜♪』
クロは感極まってシンジに飛び付いた。
そして首筋に顔を埋めると、ピスピス鼻を鳴らしている。 …少しこそばゆい。
(…はぁ、僕もアマアマだね。 ま、綾波のダミースペアたちは、そのうち何とかするつもりだったから、結果オーライなんだけどさ…。 あ〜、でもやっぱり面倒臭いっ! それに今夜の僕って、お助けマンかっつーの! …はぁ、アホらし)
シンジは黒猫を抱きかかえながら、そんな感想を漏らしていた。
片や黒猫はというと…、
(や〜ん、シンジっていい匂いがするぅ〜
…役得といわんばかりに、少年の首筋に鼻先をグリグリと擦りつけて、フガフガと悶えていた(汗)。
──しかし、シンジの匂いって、どんなだ? …マタタビ?(笑)





「どう?これでも鬚を庇うのかい?(ま、それはそれで面白そうだけど♪)」
そう言うと、シンジは黒猫の顔を覗き込む。
少年が今日この日、クロをこの場所に連れて来たのは、ゲンドウの本性の一端を"生"で見せて、クロの驚く顔が純粋に見たかったからである。
勿論、彼女の目を覚まさせたいという思いが、まったくなかったかと言えば嘘になるが、そのプライオリティーはそれほど高くはなかったのだ。
結果、クロがどちらの陣営につくか(贔屓するか)などについては、それほど興味がなかったのである。
『シンジっ! お願いっ! どうかあの人を…ゲンドウさんを──』
クロはぷるぷる震えながら悲痛に叫んだ。
それを見て、
(へぇ、まだアレを庇うというのかねぇ? …いやいや、なかなか興味深いよ、クロ♪)
と、面白そうなシンジ。
(そんな…これでも目が覚めないっていうの、クロ?)
と、こちらは複雑そうな表情のシロ。
だが次の瞬間、クロは能面のような冷淡な目で微笑むと、口の端をグニャリと歪めて言った。

『…ギッタンギッタンにして頂戴っ♪』

ズルッ!(シンジ)
コテッ!(シロ)
「ハハ…変わり身の早いことで」
『な、なんかギャップが…(汗)』
シンジとシロは、ちょっとだけ呆れていた。


『でもあの男、こんな酷いことをしてたなんて…』
そこまで呟いて、言葉に詰まるシロ。
その目線は、今なお醜態を晒している「汚物」をギリッと睨みつけるが、その顔は辛そうに歪んでいる。
もう訣別こそしたが、何と言っても自分たちの実父がしでかしたことなのだ。
その想いは複雑であった。
だが感傷に浸るシロに、横から異論が飛び込んできた。
「酷い? これが? …はぁ〜、こんなのアイツの性犯罪の氷山の一角にすぎないんだよ?」
シンジは大きく溜め息を吐くと、鼻先で笑う。
『こ、これで氷山の一角…なの!?』
シロは目を丸くして驚いている。
シンジはそれには答えず、ただ黙って頷くのみであった。
(実際、ターミナルドグマの一画には、世界各地から拉致してきた美女が100ダースほど監禁されているしね…。 ま、これは今は言わないでおこう…。 言えば、さらに面倒ごとに巻き込まれそうだし…)
不埒なことを考えているシンジであった。
いいのか、それで?
『……』
クロはというと、先程から何やら考え込んでいるようだ。
見れば、少し物思いに耽ったと思うと、突然溜め息を吐く。そしてまた物思いに耽る。 …その繰り返しであった。
目が覚めた、夫に愛想が尽きたとはいえ、いろいろ思うところがあるのだろう。
曲がりなりにも、あの男とは、恋に落ち、所帯を共にし、一子までもうけた間柄であるのだ。
そうそうすぐには整理がつくものではないのだ。





(じゃ、やるよ?)
シンジは猫二匹にアイコンタクトを配ると、今まで展開していたATフィールドを解いた。
そして気配を殺し、今現在イクイクイクと唸っているゲンドウの背後へと忍び寄る。
その右手には、どこから持ってきたのか一振りのカナヅチが握られていた。そして、──
パカーン!
「ぐわっ!!」

後頭部を殴られ、ドサッとばかりに白目を剥いて昏倒するゲンドウ。そして──
どぴゅっ! ぴゅっ! ぴゅっ!
何やら変なものが出たようであるが、ここでは説明しないことにしよう。うん、そうしよう(滝汗)。
シンジは邪魔と言わんばかりに、気絶した鬚男をベッドから蹴り落とした(手で触るのが嫌だったらしい)。
そして眼下には、意識のない全裸の女性だけが残された…。
『酷い…』
クロは改めて妹の裸体を見るや、そのあまりの無残さに言葉を詰まらる。、
すぐさま少年の肩から飛び降りると、女性の枕元へと駆け寄るクロ…。
『……』
目と鼻の先で妹の顔を見詰める。
化粧で隠されているが、やつれ果てた顔立ち。もはや何も映さない虚ろな瞳。そして何よりも、すべてに絶望したようなその苦悶の表情…。
もう胸が張り裂けそうだった。
(本当に…ゴメンなさい…ゴメンなさい…)
実の妹を前にして、嗚咽混じりに謝り続ける彼女の表情は、悲痛そのものであった。
クロは、女性の乱れた前髪を優しくゆっくりと撫で付ける。何度も、何度も、である。
(ゴメンね…何もしてやれないお姉ちゃんで…)
クロは涙をポロポロ流しながらも、妹の前髪を愛おしむように梳かし続ける。
数分後、ようやくクロが顔を擡げる。少しだけ落ち着いたようである。
見れば、泣き腫らしたのか、その目は真っ赤であった。
「…いいのかい?」
『(グスッ)…ええ、お願いするわ』
(さよなら、マイちゃん…また会いましょうね)
クロは万感交々の中、妹への一時の別れを告げる。
シンジが虚ろな女性に手を翳す。
少年の両目がカッと見開き、その瞳が一際紅く輝いた。
すると、女性の裸体は淡い光に包まれるや、次の瞬間にはパッと消え失せ、一つの紅い珠へと変じていた。
だがその珠は、心持ちどす黒かった。やはり、【】が欠損しているためであろうか。
シンジはその珠を手に取ると、懐にしまった。
「さ、帰って寝るべ♪」
シンジはグルンと踵を返してドアに向かおうとする。まさにそのとき、──
『待って! …ゲンドウさんを、このままにしておくの?』
帰ろうとするシンジをクロが呼び止めていた。
見ると、彼女の視線の先では、ゲンドウがたんこぶを作って、今なお無様に伸びていた。
気絶していても、未だ下半身のアレは怒髪天を衝くように、ビクンビクンと脈動している。
──おえぇ〜、気持ち悪い…。
「まあ、そのつもりだけど…ひょっとして心配なの?」
シンジは首を傾げ、怪訝そうに訊き返す。
『違うわっ!』
クロは大声で力一杯に否定すると、少年の肩へと駆け登った。そしてゴニョゴニョと耳打ちを始めた。
「!!! …クロ、お主もなかなかのワルよのう♪」
シンジは甚く感心していた。
『ウフフ、シンジほどじゃないわ♪』


それから数時間後、早朝のJR第三新東京駅、新八重洲口付近──
忙しく道行く人々の中で、ひときわ大きな人だかりが出来ていた。
見れば、駅ビル正面の壁面に、ロープでグルグル巻きにされた赤いサングラスを掛けた鬚面の男が、ビルの屋上から吊るされていたのだ。
そして何よりも、その姿が実に異様であったのだ。
ウサ耳。
黒の網タイツ。
真っ赤なコスチュームとハイヒール。
…そう。それは所謂、バニーガールのコスプレ衣装であったのだ。
うら若き美女が着こなせば目の保養にもなるかも知れないが、50前の鬚男が着用すれば、もはやそれは凶悪犯罪である。目の保養どころか、目が腐ってしまう。
見れば、コスチュームのサイズが全然合ってはおらず、鬚男は全身ムチムチのボンレスハム状態であったのだ。
まったく直視に堪えない。気持ち悪いこと、この上なかった。
だが、それだけではなかった。
コスチュームの下半身部分がハサミで小さく切り取られ、その穴からナニベロンと引き出され、公衆の面前に曝け出されていたのだ(笑)。
しかもナニの先(鈴口)には、一輪の"絞り"のカーネーションの花が突き刺さっていたという…。
余談ではあるが、この絞り(混色)のカーネーションの花言葉は、──愛の拒絶、である。
勿論、これには、某黒猫からの強烈なメッセージが込められていたのだ。
ちなみに、吊るされていたのはこの男だけではなかった。
男の隣には、「俺様はネルフ総司令、碇ゲンドウである! 只今放置プレイ中につき、邪魔したら殺す!」というドデカイ垂れ幕も一緒に吊るされていたのである。
道行く多くの人々からはクスクスと失笑され、中には物珍しさから、記念撮影をする若者までいたようである。
ついには、テレビ局までもがそれを嗅ぎつけ、朝の番組で生中継する始末…(モザイクなし)。
結局この男、連絡を受けたネルフの黒服たちが回収しに来るまでの数時間、そこで延々と晒しモノになっていたとのことである。
…延べ何万人、いや、お茶の間を入れると何百万人もの国民に目撃されたことであろうか?
テレビを見ながら朝食を摂っていた人は、恐らく噴き出したことであろう。ご愁傷様である。
この事件により、この鬚面の男はネルフ本部の内外で「変態」としての烙印を押されてしまうことになる。
当然、某老人倶楽部の知るところにもなり、会議の場でさんざ嘲笑されたという。
尤も、一部愛好の団体からは激励のメールが届いたようであるが…。
男はすぐさま緘口令を敷いたが、人の口に戸は立てられなかったようである。





〜第三新東京市・中央公園〜

さて、一夜明けてここは、中央ブロック、ゼロエリアのど真ん中に存在する市立中央公園、その大広場である。
普段は、親子連れやカップルなどで賑わう、市内でも有名な癒しのスポットであったが、この日の朝だけは違っていた。
辺り一面は異様な雰囲気に包まれ、何やら殺気立った群衆でひしめき合っていたのだ。
見れば、何やら公園には不釣合いな巨大な人工物がそこに鎮座していた。
それはネルフ主導の下、突貫工事で組み上げられた特設の刑場であったのだ。
この日は勿論、平日であったが、件の惨事の服喪の日として、ネルフ権限により急遽、休日となっていた。
ネルフ本部施設を全壊させ、なおかつ六千人(現時点)もの職員を無下に死なせた無能なる現場責任者、日向マコト。
片や、第17シェルターを壊滅させ、一万二千人(現時点)もの市民を殺したジェノサイダー、相田ケンスケ。
この二人の公開処刑を本日午前に実施する旨、ネルフは昨夜から大々的に宣伝を行っていたのだ。
それは、一刻も早くこの事態の収拾、幕引きを図りたいというネルフ側の思惑があったからである。
定刻前にも関わらず、ここ中央公園は、すでに数万を超える見物客で溢れていた。この後さらに増えることだろう。
二人の素性は、顔写真(モザイクなし)と共に実名で報道されていた。
中学生であるケンスケの場合も、一切の配慮などなかった。
昨夜からこの二人のプロフィールやら近所での評判やらが引っ切り無しに電波で流され、その手の検証・報道番組も急遽組まれて放送されていた。
特にケンスケの場合は、盗撮の件なども洗いざらいそこで暴露されていた。
お茶の間でテレビを見ていた第壱中学校の女子生徒たちは、その衝撃の事実に鳥肌を立て、青くなっていたという。
ブラウン管の向こうでは、いろんな専門家やコメンテーターたちが二人の愚行を厳しく責め立てていた。
彼らの日常の素顔を知る者は、さぞ驚いたことであろう。
中でも、シェルターの事故(事件)で親兄弟を失った者たちは、激しく色めき立っていた。
実際、一部の市民が暴徒化し、どこからかケンスケの自宅の所在を調べ上げると、そこへとドッと押し寄せていたのだ。
初めは投石などをしてシュプレヒコールを叫んでいた彼らだったが、次第にヒートアップし、ついには火炎瓶が少年の自宅(留守中)へと投げ込まれた。
激しく燃えさかるケンスケの家…。
近隣住民からの通報で駆けつけた警察や消防だが、その暴徒の数と勢いに慄き、その場には近寄れなかった。
半ば黙認していたとも言えるが。
それでも暴徒たちの興奮は収まらず、巨大なキャンプファイヤーを取り囲んで雄叫びを上げつつ、その夜は更けていった。





日向マコトと相田ケンスケ。
この両名の処刑を是非にも見届けようと、多くの市民がここ中央公園へと押し寄せていた。
その数や、すでに10万を超えていた。
地上の機動隊やネルフの保安部員らが出張って整理しているが、到底捌き切れない。
少し経って、渦中の二人が刑場へと引き出されると、サークルの外から遺族を中心とした多くのブーイングや投石やらが浴びせられた。
「この、人殺しぃ〜〜!!」
「娘を、妻を返せぇ〜〜!!」
「お父さんを返してよ〜〜!!」
「ぶっ殺せぇ〜〜」
「そうだー!! 殺せ、殺せぇ〜〜!!」

目を血走らせて叫び声を上げる群衆──
もはや収拾がつかなかった。
さて、芋を洗うような状態のそこから少し離れた場所に、とある少年も野次馬として群衆の中に紛れていた。
シンジである。
暇だからと、散歩がてらにシンジが、シロとクロを連れ出して来ていたのだ。
周囲の雰囲気に呑まれていたシロだったが、暫くしてから口を開いた。
『…ねぇ、ケンスケを助けてやらないの? このままだと殺されちゃうよ?』
「はあ? 何で? だって自業自得じゃないか?」
シンジは呆れたように肩上のシロを見やる。
『で、でも…友達だよ? 助けてあげなきゃ…』
「元、友達だよ。 …それに、ケンスケに殺された人たちの、その遺族の気持ちを一切無視して、助けろって言うのかい?」
シンジはそう言うと、シロに冷眼を向ける。
『そ、それは…』
シロは何も言えなくなってしまった。
大勢の人たちを己が好奇心のために結果として殺めてしまったのは、それは紛れもなくケンスケ本人であるのだから…。
沈む白猫の様子を見て、シンジがぼやいた。
「あー、なんか勘違いしているようだから、この際言っておくけどさぁ、──僕にとっては、"大事な人"以外は別段どうでもいい存在なんだよ? それこそ、死のうが生きようがね…」
シンジのドライアイスのような冷たい視線がシロの瞳を射抜く。
だが肝心のシロは、イマイチ理解出来ていない。
『ど、どういうことさ?』
「んー、つまり、ケンスケを害しない代わりに、決して助けたりもしないってこと、かな」
このようにシンジから完全に見放されたケンスケではあるが、…すんでの所でラッキー(?)だったとも言える。
ケンスケが同じ学校の女子生徒たちに卑劣な行為を繰り返していたことは周知の事実だが、──もしも彼が、クラスメイトである綾波レイに対して、何らかの危害(盗撮や窃盗、猥褻行為など)を一度でも加えていたら、シンジは決して彼を許さなかったであろう。
それこそ死よりも辛い目に遭わしていたことは間違いなかった。
レイは…幸いにして難を逃れていたのだ。
基本的に彼女は、学校では水も食べ物も摂らないから、トイレにはまったく縁がなかったし、水泳の授業は例の怪我が理由でいつも見学であったため、ケンスケの魔の手から逃れることが出来たのだ。
尤もケンスケは、唯一ゲットできていないクラスメイトを執拗につけ狙っていたようであるが、いつも空振りに終わっていたらしい。
余談ではあるが、前回の歴史では、某赤髪の少女が転校初日に目敏く隠しカメラを見つけ出し(どうやら携帯用の小型電波探知機を携行していたらしく、トイレに入るなり、徹底的に探し捲くったらしい)、それを機に全校でカメラの探しが実施され、ケンスケ・コレクションはすべて没収、一番目と二番目のチルドレンたちはギリギリのところで難を逃れたらしかった。
ただ、犯人(ケンスケ)は特定されず、迷宮入りしたのではあるが…。
結果、これによりメインの収入源を断たれたケンスケは、表の商売(普通のスナップ写真の販売)を細々と続けて、当座を凌いだらしかったのだ。
尤も、これで懲りる少年ではなく、シンジ宅(葛城邸)に遊びに行った際には、必ずと言っていいほど隠しカメラを仕掛けていたのである。
が、それは悉く某赤髪の同居人に発見され、すべてが駆逐されていた。
どうやらこの同居人は、度重なる状況証拠から、ケンスケを(或いは黒ジャージ共犯も)疑っていたらしかったのだ。
だからこそ彼女は、この少年(黒ジャージも)が家に遊びに来ることを、極端に毛嫌いしていたのだ。
話は変わるが、もしこの公園に銀髪の少年がいたとしたら、このメガネの少年を助け出していたかもしれなかった。
…いやその可能性は極めて高く、きっと後先考えずに救出していたことだろう。
だがこの少年は、今もなお、ネルフの付属中央病院に検査入院しており、残念ながら世情の動きを知らなかったのである。
このことを知るのは後日になってから、退院してからのことであった。


「しかしこりゃ凄いね」
周りを取り囲む暴徒まがいの群衆の熱狂加減を眺めながら、少年はぼやいた。
(たった一万人ちょっとが殺されたくらいでこの騒ぎ…。 これでセカンド・インパクトの真相なんか知らされた日には、ネルフやゼーレの面々は全員が嬲り殺しにされかねないねぇ、クックックッ。 …でもダメだよ? ──アイツらは僕だけのエモノなんだからさ♪)


ここは大広場の中央に組まれた高台の上、仮設の刑場である。
そこに二つの人影があった。
「フガッ、フガッ、フガ〜〜ッ!!(葛城さん、貴女って、貴女って人はぁ〜〜!!)」
ミサトを目に前にして、マコトは身悶えする。だが彼の四肢は厳重に拘束され、身動き一つ出来はしない。
「悪く思わないでね、日向君♪ …それに、アタシがいないと人類は滅んじゃうの…仕方がないのよ。 でも安心してネ…貴方の仇は、きっとアタシが討ってあげるから♪」
涙を浮かべて、エビチュ片手に自己陶酔しているミサト…。まったく白々しい。
この女、そのマコトの仇は自分自身であることを、もう都合よく忘れているようだ。
呆れて物も言えない。
「フガッ! フガフガーッ! フガーーッ!!(こんな、こんな女のために、俺はぁ〜〜!!)」
余計なことを(つまりこれが冤罪で、ミサトこそが真犯人であるということ)を言わせないために、その口は猿轡で塞がれ、マコトは声ならぬ声で絶叫するが、勿論その真実の叫びは誰にも届かなかった。
自業自得とはいえ、憐れである。
情けは人の為ならず──先人のありがたい格言も、はっきり言ってミサトには通用しなかった。
ついつい情けを掛けてしまったばかりに、嵌められ、身代わりとして殺されようとしているのだから…。
掛けた情けは、巡り巡ることなく、仇となって自らの身に返ってきたのだから…。
「まったく情けないわねぇ〜。 この期に及んでも命乞い? 往生際の悪さにもほどがあるわよ? アンタ、もっと見どころのある男かと思ったけど、どうやらアタシの買い被りだったみたいねぇ。 ハァー、まったくあれ程のことをしでかしておいて、…図々しいったらありゃしないわ〜」
マコトの言葉がわかるのか、ミサトは肩を大仰に竦めると、侮蔑の視線を男に叩きつけた。
──完全に記憶のすり替えが起こっていた。
ミサトの中ではすでに、自分がしでかした都合の悪いことは、すべてマコトがしでかしたことに記憶がすり替わっていたのだ。
勿論、他者による洗脳などではない。自ら書き換えたのだ。
余談ではあるが、今回、銃殺刑ではなく、断頭台(ギロチン)による処刑方法を採用したことは、完全に某鬚男の趣味であった。
ちなみにこの断頭台、元々は死刑囚に余計な苦痛を与えず即死させる処刑方法として発明されたのだが、実を言うと、首を切断されても人間は即死しない。脳死までの数十秒は、辛うじて生きているのだ。
勿論その間、おぞましいほどの苦痛は続くのだ。
フランスでは近年まで使用されていたが、1981年に廃止、しかし2015年、某変態鬚男の手によってここに復活したのであった(鬚のコレクションの一つである)。
これは、恐怖政治を印象づけるために、一般大衆からネルフへの反抗心の芽を摘み取るために、いわば超法規的に大広場での公開処刑という形をとったのだ。
これは銃殺刑などより余程効果的であった。
暗に「ネルフに逆らったらこうなる」という見せしめ、脅しの意味も十二分にあったのだ。
一時後、マコトは目隠しをされ、ついに断頭台の木枠へとその首がはめ込まれる。
それを見守る(?)十数万の群衆のヒートアップは頂点となる。まさに大気が震えていた。
もうマコトには見えないが、眼下にはカゴが置かれていた。切り落とされた首を受け止めるためのものだ。
「フガッ、フガフガ〜〜ッ!!(俺は、まだ死にたくない〜〜!!)」
最後の絶叫も虚しかった。
「執行よーーーい」
暫くして、刑務官の号令が広場に木霊した。そして誰もが息を呑む。
もうマコトの心臓はバクバク状態だった。
そして一拍の後、
「執行!」

「フガーーッ! フガーーッ! フガーーッ!(いやだ〜〜! 父さ〜〜ん! 母さ〜〜ん!)」

だが無情にも鋼鉄の刃はマコトの首へと打ち下ろされた。
ズシャーーーン!!
死刑執行…そしてシーンと静まり返る広場──
嘗て日向マコトだったものは、ポロリとカゴの中に落ち、断頭台にセットされた本体はというと、今なお激しく痙攣を繰り返し、切断面からは夥しい鮮血がピューピューと勢いよく断続的に噴き出していた。
そのあまりに惨たらしいシーンに、多くの群衆も息を呑んで黙り込むしかできなかった。
(あちゃ〜〜すんごく痛そう♪ ──でもコレって仕方がないことなのよね…うん、きっとそう。 …日向クン、ちゃんと反省してキチンと成仏するのよ。 そして次に生まれ変わったときは、今度こそ世間様に迷惑を掛けない、まっとうな人生を歩むのよ♪)
側で一部始終を見ていた某馬鹿女の感想がそれだった。
感極まって、涙さえ浮かべている。どうやらまた自分に酔っているようだ。
傍から見れば、部下想いの優しい女性士官という構図であろうか。
…クソ女であった。人面獣心にもほどがある。
だがこの最低女は知らない。
──そう遠くない未来、自分がマコトが受けた苦痛などとは比べ物にならないほどの、人類史上誰も経験したことがないような極めて惨たらしい方法で惨殺される運命にあることを…(ニヤリ)。


マコトの処刑の後、続けざまにケンスケの処刑が執行された。
特にこの少年は、マコトの処刑を目の当たりにしたことで、筆舌に尽くし難いほどのパニックを起こしていたが、…刑務官たちに強引にその細首を、まだ先客の血糊が残る断頭台の木枠にはめられ、それでも少年は狂ったように泣き叫び、その拘束された全身で必死に身悶えした。

「助けて! 助けて! 誰か助けて〜〜!!」

いつしか猿轡は外れ、恥も外聞もなく大声で泣き叫ぶケンスケ。
その醜態は逐一報道機関のテレビカメラに捉えられ、全国のお茶の間へと中継されていた。
そして無情にも刑務官の号令が響く。
「執行!」

「ぎゃああああああ〜〜〜〜!!」

ガリッ!!
刑は粛々と執行されたのであった。
──ん?
だがマコトのときとは微妙に切断音が違った。
恐る恐る見上げると、ギロチンの刃が少年の首の半ばで停止していた。
どうやら一回の執行では切断できなかったようである。
ケンスケの体はというと、そんな悲惨な状態でもビクンビクンと激しく痙攣を繰り返している。
まだ辛うじて生きているのだ。
見れば、ケンスケは白目を剥いていた。もはや虫の息である。
しかも、首からは血がピューピュー噴出していて、かなり痛そうである(当たり前だ)。
しかし、とても助かるとは思えなかった。モロに脊髄に刃が食い込んでいたのだ。
だが何故、断頭が失敗したのだろうか?
どうやら、先のマコトの執行でギロチンの刃が刃毀れしてしまったのと、刃に血糊がついて切れ味が落ちてしまったことが主な原因であるらしかった。
見れば、慌てて刑務官たちが総出でギロチンの刃をエッサホイサと持ち上げている。
そして再びそれを頂上にセットすると、無情にもそれを二たび少年の首へと打ち下ろしたのである。
ズシャーーーン!!
そして再び巡る静寂の間──
こうしてケンスケは、二度の死刑執行(一度目の執行で死ななかったから無罪放免…とはならなかった)という稀有な事例によって、その首が切り落とされたのであった。
2015年8月25日──この日、メガネ君二人は、断頭台の露と消えた。まあ、そのうちの一人は完全に冤罪ではあったのだが…。
二人の生首は数日、高台に晒された。どちらもかなりの苦悶の表情だったという。
この措置も、某鬚男の計算(実は趣味)であったらしい。
余談ではあるが、晒された生首は連日の強烈な陽射しとあまりの暑さのため、すぐに干乾びてしまった(幸いなことに腐敗はそんなには進行しなかったらしい)。
さらに余談ではあるが、ケンスケの遺体は父親の申し出により、医療機関にドナーとして供出、速やかにすべての臓器が摘出され、それが必要な多くのレシピエント──主にケンスケのせいで重体となった患者──の許へと運ばれて行ったという。
特に、彼の歳相応の若々しい皮膚については、チン○ンの皮に至るまですべて剥ぎ取られ、徹底的に利用し尽されたとのことである。
この少年、死んでようやく人様の役に立つことが出来たようである。まあそれさえも、自らが蒔いた種ではあったのだが…。
だがケンスケというこの少年はともかく、まったくの無実、冤罪であるマコトをスケープゴートにして早々に処刑したことで、後日言い逃れが出来ない事態(鬚&牛にとって)が巻き起こるのだが、このときは誰も知る由がなかった。
知ったときにはすべてが後の祭りであったのだ。
ネルフの、ゲンドウの即断即決が裏目と出ることになるのだ。
──昨日の、マコトを贖罪の山羊に仕立てた審判の一部始終の映像が、某少年の手によって外部にダダ漏れであったのだ。





〜同時刻、ネルフ本部・赤木リツコ博士の研究室〜

さて、ここはセントラルドグマにあるリツコの研究室である。
リツコはシンジに言われたことが気になり、ゲンドウと自分のDNAの塩基配列を比較していた。
勿論、ゲンドウはこのことを知らない。
ゲンドウのDNAサンプルはというと、彼女の寝室に落ちていた数本の毛髪から採取したものであった。
リツコは金髪であったため、黒い毛髪は即ち愛人であるゲンドウのものであると言えるのだ。
今、彼女の手には調査結果、マッチングした遺伝子のリストが握られていた。
だがその手は震えていた。
「──99.999999パーセント以上の確率で、碇司令と私は親子…。 そんな…そんな…」
顔面蒼白で、茫然とその場に立ち尽くすリツコであった…。



To be continued...


(あとがき)

今話では、いろんな方々の訣別編をお贈りしました。
中にはこの世から永遠に訣別しちゃった人もいますが…(汗)。ご冥福をお祈りしましょう(笑)。
今回、ケンスケには早々に退場して頂きました。
少々手ぬるいと思われる方もおられるかも知れませんが、これくらいで勘弁して下さい。
その分これから、鬚と牛とで鬱憤を、思う存分に晴らしていきますので…(ニヤリ)。
なんちゃってR指定ということで、露骨な性表現は避けたつもりですが、…大丈夫でしたよね?(汗)
全体を通して、少しシリアス気味で面白味に欠けていた(=牛の活躍がなかった)とは思いますが、次の使徒戦まで何卒ご辛抱下さいませ。
さあ、待望の綾波祭(?)まで、後僅かです(笑)。
次回もサービスサービスぅ〜♪
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