捌かれる世界

第十五話 誤算

presented by ながちゃん


「だからー、さっきから何度も言ってるでしょーがっ! アタシの名前は葛城ミサトっ! 花も恥らう25歳っ! 特務機関ネルフの作戦部長様だっつーのっ!」
そう大声で怒鳴り散らすのは、最近ちょっと食傷気味な我らがヒロイン(大嘘)その人である。
先程からバンバンと机を叩いて、何かを必死に訴えていた。
因みに、ちょっと前に某少年に折られた右腕は、既に完治していたりする……本当に人間だろうか?(汗)
「ふぅ……だがね、その肝心のネルフが、そのような人物など知らんと言ってきておるのだよ。 それに25歳? はてさて、運転免許証の記載事項とは随分と違うようだが……ワシの気のせいかね?」
テーブルの上に置かれたミサトの運転免許証の生年月日はというと、案の定というか、どこぞのIDカードと同じく、黒の極太油性ペンで消されていた。
尤もその甲斐もなく、警察のデーターベースに照会されて、一発で年齢詐称はバレていたが。
世間ではそれをサバ読みと称していたが、それを女に指摘すると、それは乙女の秘密よんと誤魔化された。
それに下手をすると公文書偽造であるし。
「ふぅ……もういい加減、洗いざらい吐いたらどうかね?」
昼間なのに薄暗い部屋の中、男は卓上スタンドの眩い光をミサトの顔に照らすと、精神的な追い込みを掛ける。
古臭い手だが、意外に効果的な尋問の手法である。
余談ではあるが、この演出、実はミサト本人にとっても馴染みがあるものだった。
普段から自分が好んでよく使う手であったのだ。
実際に前史では、命令違反をした某少年に対しても、しっかりと使用していたほどだ(無論、趣味と実益を兼ねて)。
だが、まさか当の自分がそれを受ける羽目になるとは、さすがのミサトも夢にも思わなかったらしい。
だから直ぐにピンときた。カチンときた。
取調べ側の意図に気付いて。自分が犯人扱いされていることがわかって。
…するのは良いが、されるのは大嫌いらしかった。
「何よ何よっ!? アンタら、さっきから人のこと、ドロボー呼ばわりしてぇ〜!!」
「だーかーらー、さっきから何度も言っているように、キミにはその容疑が掛かっておるのだよ! いい加減、自覚してくれっ!」
いつまで経っても不毛なやり取りから抜け出せず、話が進んだかなと思いきや直ぐに振り出しに戻る、そんな状況に、さしもの歴戦の老刑事も至極ウンザリとした様子で、ポリポリとその薄くなった頭を掻き毟った。
例えるなら第一反抗期の幼児でも相手にしているかのような、そんな錯覚。うむ、言いえて妙である。
──さてさて、遅ればせながら、ここで状況を説明しよう。
ここは、第三新東京市、とある警察署の取調室の中である。
しかし何故ここにミサトがいるのかというと、
ズバリ、「侵入窃盗」の嫌疑が掛けられていたから、である。
今から小一時間ほど前のことだが、それまで発令されていた避難勧告の解除を受け、自らの自宅兼店舗へと帰ってきた某コンビニ店長(35歳、妻子持ち)、──彼は、呆然としていた。
見れば、店のシャッターはバールか何かで抉じ開けられ、店内は無残にも物色され、荒らされ放題、……そんな惨状に、ただア然と立ち尽くす。
ざっと調べただけでも、アルコールや肴(さかな)類の多くが無くなっており、被害額は優に10万円を下らなかった。
暫く呆けていた店長であったが、ハッと正気に戻るなり、すぐさま110番通報した。
その後、駆け付けた警察官たちに、奥の事務所で被害状況を説明していたのだが、──少し経って、壁越しに隣の今は無人であるハズの店舗のほうから、ガチャガチャと何やら不審な物音が聞こえてきたのだから、さあ大変。
驚いて、恐る恐る中の様子を伺ってみると、そこには──

先程盗んだエビチュが切れて、再び同じコンビニ店に調達にやって来ていた「馬鹿」がいた(笑)。

飛んで火にいる夏の虫とはこのことだろう。
その馬鹿一匹(いや一頭?)は、よく冷えたエビチュ(無論、未清算)をグビグビと呷りながら、再び店内を喜々として物色していたところを、居合わせた警察官たちに、窃盗の現行犯で御用となったのである。
そして現在に至る。
同じ問答の繰り返しに、大分疲れの色が見え始めた取調官。
片や、差し入れられたカツ丼には早々に手を付けるも、取調べには全然非協力的な、生後356ヵ月目に突入したホルスタイン(♀)。
「あーもー面倒臭いっ! もういいわっ! そんなの、弁償すれば文句ないんでしょっ!」
乳牛は、半ば逆ギレして喚く。
自分の財布から(なけなしの)千円札一枚を取り出すと、バーンと目の前の机に叩き付けた。
「は?」
「ホラッ! 釣りは要らないわっ! これでいいんでしょっ!」
さも迷惑そうにふてぶてしく悪態を吐くと、一件落着とばかりに席から立ち上がる。そしてクルリと踵を返して出口に向かって歩き出した。
だがこれには、さしもの取調官も慌てた。
すぐ横で調書をとっていた別の若い刑事も、ア然ボー然、目を丸くしている。
「っっ!? 何を言っておるのだね、キミはっ!?」
慌ててミサトの肩を掴む初老の男。
因みに千円札一枚では、釣りがあるどころか、未だ途方もなくマイナスである。全然足りない。いや勿論、そういう問題ではないのだが…。
「はぁ!? 何言ってんの!? 代金をキッチリ支払ったんだから、これで文句はないでしょーが!? それとこのスケベ爺ぃ! なーにアタシの体に触ってんのよっ! セクハラよセクハラっ!」
心外とばかりに、食って掛かるミサト。そしてピーチクパーチクと騒ぎ立てる。
しかしこの女、盗みを働いておいて、後で盗品の代金を支払えば問題ないとでも、本気で思っているのだろうか?
……いや、思っているのだろう。だってミサトだもの。
「ちょっ、だからキミはさっきから一体何を言っておるのかねっ!?」
男たちは訳がわからない。
未だミサトのレベルに追いつかない。否、追いつけないのだ。
「だーかーらー、盗んだエビチュ代を支払ったんだから、この話はこれでおしまいっ! これ以上、アンタらにとやかく言われる筋合いなんてないのっ! ジョーシキでしょ、ジョーシキ! まさか警察の癖にこんな当たり前なことすらわからないってーの!? もしかしてアンタら馬鹿ぁ〜!?」
憐れみと侮蔑の視線を向けながら、得意げに正義の持論を掲げるミサトであった。いや、馬鹿はお前のほうだから、うん。
お前は、天下の第二東京大学の法学部で、一体何を学んできたのだ!? カレーの作り方だけか!?
この期に及んで、漸く男たちもミサトの屁理屈に気付き、そして青ざめる。
(な、何なんだよ〜〜〜、この厨房指数が極端に高そうな言い訳はぁ〜〜〜!?)
あまりのことに若い刑事も辟易し捲くっていた。
これじゃ、万引きして捕まった後に「代金払えば文句ないんだろっ!」と逆ギレする厨房諸君とまったく同じである。あー恥ずかしい。
いや、無駄に歳を食っている分、この女のほうが遥かに性質(たち)が悪いのかも知れない。
刑事たちは思わず頭を抱え込んでしまった。
こいつは痛い女だと…。
いっそのこと、少年課の馴染みの婦警にでもヘルプを頼むべきかと、今、真剣に思い悩み始めていたりする。
「……あのね、この国の刑法は、そういう風にはなっていないのだよ」
「は? 何? まさかホー学部出の、一時はシホー試験を真剣に目指していた、第二トーダイじゃ生きた伝説とまで呼ばれてた(…そりゃ呼ばれるわな…別な意味で…)このアタシに向かって、ホーリツ論議ぃ? ……アンタ、気は確か? シャカにセッポーって言葉、知ってる?」
おでこをペチペチされた上に、侮蔑の目を向けられた。完全に馬鹿にされていた。
男はプルプル震えていた。
「あれぇ? もしかして怒ったぁ?」
トントン、トントン──
「今、どんな気持ち? ねぇ、どんな気持ち?」
調子に乗ったミサト、よせばいいのに老刑事の周りを蝶のようにスキップしながら、トドメとばかりに小馬鹿にする。
この女、相手の感情を逆なでする才能に溢れていた。
しかし男は耐えた。プルプル震えながらも耐えた。耐えたが我慢の限界だった。馬鹿に馬鹿にされることがこんなにも屈辱だとは、今の今まで知らなかった。
ストレスMAXで頭髪を掻き毟った。だがそのとき、
「し、失礼しますっ!」
突然、慌てた様子の一人の刑事がノックもなしにドアを開けてきた。
そして開口一番、
「た、大変ですデカ長! たった今県警本部のほうから、その被疑者を直ちに釈放するようにと通達がありまして──」
「何だとぉーっ!?」
途端に騒然とする取調室。
逆に、ニンマリとほくそ笑む某ガイキチ女性一名。
説明しよう。
確かにネルフは、葛城ミサトという人物との関わりを公式には否定はした。
ウチはそんな女など知らないと。
だから好きにしてくれと。
しかしながら内々では、彼女の無罪放免を求めて、警察上層部に対し圧力を掛けていたのだ。
何故なら、ミサトという人間を、司直とはいえ、他組織に引き渡すわけにはいかなかったからである。
それはつい昨日、ゲンドウが委員会の面々に誓約させられたことの一つであったからだ。
──それから数十分後、ミサトは何故か嫌疑不十分で釈放と相成っていた。その手に菓子折り一つを持たされて。
外部から、何らかの圧力があったのは明らかである。
そして、この事件を機にミサトはさらに誤解、錯覚、増長してしまうことになる。
いわば、もう何をしても万事オッケーでは? …という風に。
釈放の際、この自分の娘くらいの歳の女に、またおでこをペチペチとされ、「少しはホーリツってモンを勉強しておきなさいよね〜♪(クスッ)」と、謂れのない厭味をぶつけられた老刑事その人は、人生最大の屈辱に顔を真っ赤に染め、その場でプルプル、プルプルと怒りに震えていた。無理もない話だ。
あと余談ではあるが、件の窃盗被害を警察に通報した某コンビニの店長(35歳、妻子持ち)が、後日、何者かに暗がりで待ち伏せされ、後頭部に銃弾5発を撃ち込まれるという猟奇殺人事件が発生する。
死体の傍には、とある組織の元・女性幹部の指紋がベッタリと付着したエビチュ缶が転がっていたらしいが……何故かその事件はそのまま迷宮入りするのだ。
捜査の第一線にいた所轄の刑事たちは、このあまりに理不尽な事態に、腸(はらわた)が煮えくり返る思いをするが、さらに後日、その容疑者の女が、実はここ数ヶ月で様々な重大犯罪を繰り返しながらも、そのすべてが不問とされるなど、日本警察をコケにし捲くっていた伝説の極悪非道、連続殺人犯という事実が判明したときなどは、それはもう地団駄を踏みしめ、泣いて悔しがったらしい。
……果たして、このミサトという女に天罰が下る日はやって来るのであろうか?





〜ネルフ本部・某会議室〜

「第五の使徒は訳もわからんうちに消え去った」
「目標のレンジ外、超長距離からの一点突破射撃。 ──私の記憶違いでなければ、アレは日本中の電力を集めて倒すのではなかったのかね?」
「左様。 そのための先行投資。 我々の苦労が水の泡だよ」
「シナリオの逸脱も甚だしい」
「実に由々しきことだよ」
ここはネルフ本部、全壊したハズの本館ビルの中にある会議室のうちの一つ。
その暗闇の中、ゲンドウの前に鎮座するのは、いつもの懲りないお達者倶楽部の面々である。
ゲンドウという男、老人たちに呼び出されるや、畳み掛けるような愚痴を浴びせられていた。
まぁ、恒例のことではあったが…。
「ですが使徒は倒されました。 結果オーライというものでしょう。 何も問題はありません」
あ、開き直ったよ、鬚。
しかし委員たちは尚も渋い顔だ。
「だが倒したのはネルフではない。 勝手に自滅してくれたのだ。 いや、それさえも疑わしい」
「被害がなくて結構なことではありませんか。 勝手に死んでくれるのなら、それに越したことはありませんよ。 今の我々は出来るだけ力を温存しておかねばならないのです。 使徒はこれからもやって来るのですから」
後付けの言い訳など、ゲンドウの十八番(オハコ)であり、彼の右に出るものはいない。
理由、いや口実など、結果に合わせて幾らでも捏造出来るのだ。
だが委員たちは噛み付く。
「被害がない? 力の温存? ──いやはや、そのわりには、地球規模でかなりの被害が出ている気がしたのだがね。 まさかこれも私の気のせいかね?」
「左様。 戦う前からこの被害。 キミは我々を舐めているのかね?」
「そもそも、その力を温存しなくてはならなくなった事態を招いたのは、一体どこの誰だったかね?」
「国連を通じて抗議が来ているよ。 街が丸ごと消えた、どうしてくれるんだ、とね。 戦争をやるんだったら、他所に迷惑を掛けないよう、キミの国の中だけでやりたまえ!」
「左様。 そのための使徒迎撃要塞都市だ」
「……」
ゲンドウは、ゲンちゃんポーズのまま黙秘している。
具合が悪くなると途端にダンマリである。
そして嵐が過ぎ去るのを待つ。ジッと待つ。ひたすら待つ。鼻息の荒い相手の怒りが収まるまで。それが彼のポリシー、処世術。
「フン……そう言えば、またアダムのパターンが感知されたらしいな。 まさかあれもまた誤報でした、とでも言い出すんじゃないだろうな?」
委員の一人が厭味に釘を刺すが、
「はい、まったくもってその通りです。 まだ探知機の精度が不安定のようですな。 誠に申し訳ありません。 以後、厳重に注意します」
と、ほざく鬚。
よくもまあ抜け抜けと。
委員たちはというと、皆雁首揃えて、苦虫どころか、コーカサスオオカブトの幼虫を丸ごと噛み潰したような顔をしている。
内心、したり顔のゲンドウ。
どうやら、ここまでは概ね予想された詰問であったため、予め模範解答を用意しておいたらしい。
ハッタリのゲンちゃんの異名は、さすがに伊達ではなかった。
だがここから先、彼の計算は狂い始める。
初めは小さく、だがそれは補正できぬほどに大きなウネリとなって──
「フン、まあよかろう。 ところで、サード・チルドレンの件はどうなっているのだ? あれから何の報告もないが、…当然うまくいっているのであろうな?」
キールが冷たく問い質した。
「は? サードの件……ですか?」
いきなりそんなこと言われても、何のことだかサッパリわからないゲンドウであった。
だが、頭のどこかで警鐘が鳴っている。
ヤバイ、何故だかわからんが、これはヤバイと。
何か大事なことを忘れていると。
そんな中、種明かしは唐突に突き付けられた。
「忘れたのか? 先日の審議で、サード確保を我らに誓約したではないか! よもや未だに管理下に置いていないというのではあるまいな?」
そして男の記憶の糸は繋がった。
そうなのだ。
ゲンドウ曰く、
『サードを御せるのは父親であるこの私だけです』
『近日中にネルフの指揮下に入らせますのでご安心を』
『(出来なければ死罪となるがいいのかね?という委員に)勿論です』
言った。
言っちゃった。
その場の勢いに任せ、確かに言った覚えがあった。
(む、むぅ…)
鬚面の男はゲンちゃんポーズのまま、ダラダラと脂汗を流し始める。
あの時は、第四使徒戦役での損害の責任回避を最優先に考えて委員会に臨んでおり、そのために多少のリップサービス(ハッタリ)をかましていたのである。
まさか今になって、彼らがそれを蒸し返してくるとは…。
サラリと流してくれていると思っていた。
だってそれがお約束というものじゃないか!
ゲンドウは舌打ちした。
委員の声が、そんなゲンドウを現実に引き戻す。
「ほぅ、まさかあの時の言葉は嘘だったと? 言ったハズだな? 偽証は即、死だと」
言質はしっかり取られていた。
言い逃れは無理っぽい。
そしてニヤリと笑い、トドメを刺してくる委員たち。
「議事録は残っているから、何なら確かめてみるかね?」
いや見たくないし。
ゲンドウは沈黙したまま答えない。ギロリと委員たちを見据えたままで。
それはいつもの消極的防衛本能。だか今回ばかりは空回り。
内心では心臓バクバクのチキンハート。
「で、どうなのだね? 場合によってはキミには死を与えねばならんよ?」
「っ!! いえっ! 断じてそのようなことはっ!」
「では、サードを確保したのだな?」
「あぅあぅ……いえ……それは……まだ……何といいますか……その……」
「一体どっちなのかね?」
「うぅ…」
ゲンドウ、まさに風前の灯。
故に、起死回生の言い訳を考える。必死に考える。ひたすら考える。誰もが納得するようなスンバラシイ言い訳を。
(サードは確保済と嘘を吐く)
却下。バレるのは時間の問題。余計に拗れる。
(確保したが…逃げた)
ダメ。話にならない。
(正直に話して、命乞い)
論外。絶対に殺される。
(むぅ……何か責任を転嫁できるような理由があれば………………ん、待てよ)
そして浮かんだ。
「コホン。 仰る通り、確かに我がネルフは現時刻をもってしても、サードを確保してはおりません」
その答弁に議場がざわめく。が、ゲンドウは気にせず、そのまま言葉を続ける。
「ですが、それには事情があったのです」
「事情、だと?」
「はい。 サードのバックにいる、とある組織の妨害を受けたのです」
「「「「「!?」」」」」
途端に、委員たちは一斉に色めき立つ。
「どういうことだね!?」
「そんな話、聞いておらんよ!?」
「例の中東の小国のことですよ。 ご存知の通り、サードはその国から特段の身分の保証を受けております。 表向き、これは非常に厄介でして、ね」
無論、鬚一流の創作である。まぁ、強(あなが)ち出鱈目というわけではないのだが…。
「ふむ、なるほど……あの国のことか」
だが、何か含むところでもあるのか、キールは目を細め、顎を撫でた。
ゲンドウはその機微に気づかない。
「そうです。 今まで私たちネルフがサードを確保出来なかったのも、すべては彼奴(きゃつ)らのせいだったのです」
ゲンドウは、揚々と捲くし立てた。
しかし某国にとってみれば、えらい迷惑な話だ。
いつの間にか、諸悪の根源にされている。濡れ衣もいいところだ。
「……」
委員会のお歴々は、少し胡散臭そうにはしてるが、一応は話に耳を傾けていた。
さりとて疑心暗鬼ではあるが。
ゲンドウの三文芝居は続く。
「無論、父親である私としましても、愛する息子を説得すべく、この身一つで誠心誠意、何度もアレの家まで足を運び続けたのです」
…ハァ?
愛する息子?
以前、使い捨ての駒とか、ほざいていなかったか?
「しかし親の心子知らず……無下に追い返されました」
「……」
「ですがそれでも諦めず、毎日毎日、雨の日も風の日も雪の日も、アレを訪ねて三千里。 その都度、我が息子から酷く罵られ、突き飛ばされ、殴られ、果ては蹴飛ばされても、私は必死に訴え続けたのです。 嗚呼息子よ、今一度話し合おうと。 ですが……ダメでした」
かくして出来の悪い世界名作劇場は、その幕を閉じた。
そして語り手は肩を震えさせて見せる。役者である。しかし無駄なところに才能とエネルギーを浪費している男であった。
無論、何もかもが嘘。真実の部分を探すほうが至難の業である。
そもそも息子の家になど、一度たりとも行ったことはない。住所さえ知らない。第一、今や常夏の国であるこの日本に雪など降らない。まったくの作り話。捏造も良い所だ。
そして総括へ。
「やむを得ず、強硬手段に出ることにしました。 保安諜報部の選りすぐりを数百名ばかり投入させたのです。 ──が、その全員が一人残らず殉職しました」
嘘。大袈裟。紛らわしい。
誇大数字は、JAR○に訴えられるぞ?
実際、シンジ宅に投入されたのは、精々、数十人がいいところだ。
だってそんな数、畑に埋まらないし、過剰な追肥は根腐れしちゃう(おい)。
てゆーか、シンジが聞いたら、別な意味で怒り出しそうだ。
そんなには楽しんでないぞ〜、カネ返せ〜、とか。
ま、別件では、それくらいの数は余裕で狩ってはいるのだが…。
「なっ!? 殉職だとっ!?」
「数百の人員が、子供一人を相手に壊滅したのかねっ!?」
「バケモノかね、キミの息子はっ!?」
委員たちは誰もが驚愕していた。
目の前の男の息子が、そのような戦闘力を持つなど、そんな話は初耳だったのだから。
だがゲンドウは、彼らが話に食い付いたと確信し、内心ニヤリとほくそ笑む。
「いえ、アレはただの無力な子供です。 そんな力など、奴にはありませんよ」
てゆーか、あって堪(たま)るものか!
そもそも、子供が親を超える、そんなことは絶対にあってはならないのだから。
己がプライドが許さない。
きっと耐えられない。
碇ゲンドウ48歳。情けないほどに器の小さい男であった。
「では何だというのかね?」
「まず間違いなく、やったのは彼奴ら、例の国による妨害でしょう。 恐らくは、日本国内に相当数のイヌ共が紛れ込んでいるものと思われます」
ゲンドウは組んだ手で口許を隠しながら答えた。無論、つい先ほど思い付いた創作である。
「なるほど……それが、今回サードを確保出来なかった理由かね?」
「はい。 ネルフは考え得る最善を尽くしました。 …ですが残念ながら、私共は使徒撃退の専門チームであって、対人戦闘のエキスパートではありませんので」
つまり、自分に非はない、責められるのは筋違い、男はそう言外に主張していた。
自らは最善を尽くした(捏造だが)。
悪いのは、愚息の背後関係を知りながら、その危機管理を放棄し、具体的な指示を何も出さなかった(その点の認識は少し違うが)彼らのほうなのだ。
そもそも外交周りは、ネルフの範疇じゃない。委員会、いや、ゼーレの領分だ。
──言うまでもないことだが、全部ゲンドウのでっち上げである。
「つまり、キミの息子は、その外交官身分故に、表でも裏でも強固に守られていると?」
「仰る通りです」
「ならば、今の今まで、その件について一切の途中報告がなかったのは、どういうことかね?」
「ギリギリまで、こちら側で何とか対処するつもりでした。 報告が遅れたことについては、率直に謝罪します。 ですが、サードの後ろ盾の存在については、そちら側の調査不足でもあることですので、私のほうからは強くは申せなかったのですよ。 もし言えば……フフ、おわかりでしょう?」
自分のした行動は、あくまであなた方を慮ってのこと。気配り、善意、そして親切心。──そう暗に臭わせると、男はまた口の端を吊り上げる。
ここまで言っておけば十分だろう。
いくら彼らとて、自分たちの失策は棚に上げて、こちらだけを非難するような、そんな恥知らずなことはしまい(自分ならするが)。
ゲンドウは、そんな確かな手応えを感じていた。
責任の一端を彼ら側に擦り付けることに成功したと、過失相殺は成ったと、そう信じて疑わなかった。
「……」
周囲は、何か言いたげだが、一様に得体の知れない幼虫でも噛み潰したような苦々しい顔である。
プルプルと小刻みに震えているが、決して武者震いではないだろう。
「それに、お忙しい皆様方の手を煩わせるのは、躊躇われましたものでね」
そこで追加の厭味スマイル。
度入りサングラスのフレームを中指で押し上げ、続けて弁じる。
「ですが、これ以上の猶予はなりません。 シナリオに予定されたイベントも押し迫っているのですから。 ──恥を忍んで申し上げましょう。 是非とも委員会の力をもちまして、その根本たる問題を排除して頂きたいのです」
ゲンドウは、言葉の中「だけ」で頭を下げた。
(そう、アレに外交官特権さえなければ、ネルフの総力をもって、何の気がねもなしに白昼堂々と武力制圧に及べるのだ。 報告によれば、多少はケンカ慣れしているようだが、所詮は子供、何のことがあるものか。 俺様の圧倒的な力〔注:他人の力〕を見せ付け、その天狗になった鼻っ柱を折ってやるわ。 そして俺様の眼前に跪くのだ。 目水鼻水口水ついでに小便大便を垂れ流しながら無様に許しを請うがいい。 クク、ククク……)
お馬鹿である。
そんな黒い妄想に嵌っていたゲンドウを、キールの声が呼び戻した。
「つまりは、かの国に外圧を掛け、サードから国籍と外交官の身分を剥奪しろと、そう言うのだな?」
「フッ、それについてはお任せします。 ですが何にしろ、今のあなた方には造作もないことでしょう?」
どこか小馬鹿にした、その不遜な物言いに、彼方此方でギリギリという歯噛みの音が生じる。
結果、
「──わかった。 もういい。 審議はこれまでだ。 要望の件は即刻対処しよう。 …ご苦労だったな、碇」
キールはそれだけを冷たく告げると、顔も見たくないとばかりにプツンと姿を消した。
他の四人のホログラフィーも、それに合わせて次々と消え去った。無言のままに。
余程腹に据えかねていたようである。
ポツンとその場に残されたのは、己が好演を信じてやまない鬚男ただ一人であった。





〜???〜

辺りを覆う暗闇。
ここは先程とはまた別のバーチャル空間であった。
そこには12枚のモノリスたちが対峙していた。
「碇め、相変わらず無礼な奴だ」
「ああ、まさにやりたい放題。 この罪、万死に値するよ」
「左様、いずれ処断せねばなるまい」
「それは心得ておる」
と、bPのモノリスが答える。
「しかし今回のは、いつもにも増して聞くに堪えなかったな」
「まさか貴君ら、先程の話を真に受けたわけではあるまいな?」
「それこそまさかだよ。 我らはそこまで愚かではない」
「だが奴の弁も一理ある」
「ああ、例の国のことだな?」
「そうだ」
「しかし、驚いたな。 タイミングが良いというか、何というか」
「これも我らが神の思し召しということだよ」
「かの国への軍事介入に向けて、既に秒読み段階にあるとは、さしもの碇も気づかなかったか」
「極秘作戦だからな」
そこでは、先程から不穏な会話が繰り広げられていた。
話の端に上っている中東の某国とは、言うまでもなく「カマル・スーダン王国」のことである。
この中東の小国は、未だ国連未加盟ながら、国連安保理常任理事国の一角を占める日本から、最恵国待遇を受けていた。
いや、世界中の殆どの国が、同様の条約を結んでいると言っても良いだろう。
何故か?
それは石油である。
かの国は、現在、実質的には世界で唯一の産油国にして輸出国であったのだ。
カマル・スーダン王国の国土は狭い。そして痩せていた。かつて難民だった国民は貧しく、皆飢えていた。
故に、隣国や国連に援助を求めた。
だがそれは無下にあしらわれた。
そして多くの人々が餓死したのである。
しかし数年前の某少年の訪れを機に、砂漠の大地は緑を取り戻し、枯渇したハズの石油や天然ガスが産出し始め、この国はここ数年の内で豊かになっていた。
──約束の地として。
無論、隣国からの羨望や嫉妬の眼差しを受けながら…ではあるが。
今回、ゼーレがこの国を攻める理由──それが石油資源の存在である。
喉から手が出るほど欲しかったのだ。
「で、サードのことはどうするのだ?」
一人のモノリスが話を転じた。
「碇の息子か…。 だがよくよく考えてみれば、ただの子供が一国の特命全権大使など、実に馬鹿にした話だ」
「左様。 接受国たる日本政府も、よくも受け入れたものだ」
「聞けば、ペルソナ・ノングラータの通告さえなかったようだな」
「あの国の政府も、どうかしている」
「つまりは、両国は蜜月の関係にあるということかね?」
「そう考えて良いだろう。 今やこの世界で唯一の石油輸出国だからな、あの国は。 資源の乏しい日本にとっては、絶対の生命線だよ」
「天然ガス資源も然りだよ」
「なるほど、先日の安保理決議を棄権したのも頷けるな」
「相変わらずの弱腰外交か」
「拒否権が行使されなかっただけでも、良しとすべきだ」
現在の日本は、その原油輸入量の100パーセントを、この中東の小国に頼っていたのである。
しかし何故、それ程までの輸入量を、ただの一国に集中しているのか?
どうしてリスク分散をしないのか?
その必要性は、とうに歴史(供給ショック)が証明しているハズである。
答え。分散しようにも、出来ないのだ。
世界規模で見れば、石油産出量は、ここ数年で一定していた。
1日あたり約5000万バレル。
これはセカンド・インパクト後の15年間、殆ど変わってはいなかった。
変わったのはただ一つ、──産出する油田地帯が偏在化したことだ。
つまり、カマル・スーダン王国というたった一国に、世界の石油産出が集中したのである。
何故か?
簡単である。
全世界の埋蔵量分が、この国の地下深くに転移されたのだ。
無論、某少年が。
勿論、内緒で。
兎にも角にも力技。
代わりに、世界の名立たる油田は、軒並み枯れ果てた。
当たり前。根こそぎ持って行かれたのだから。
世界各国はさあ大変。
故に日本は、この国の機嫌を損ねるわけにはいかなかったのである。
それが日本政府の偽らざる本音であった。
次世代のエネルギー源として期待されていた日本近海のメタン・ハイドレードも、セカンド・インパクトの際に海底の地層がイヤーンな感じに攪拌されて、もはや採掘不能。
電力については代替エネルギーである原発等で賄えるが、石油が生み出すものは、何も電力や燃料だけではなかった。
今の人類は、まだ石油なしでは生きてはいけなかったのである。
極論を言えば、日々口にしている食べ物すら「石油で出来ている」といっても過言ではなかったのだから。
このようにして、世界の石油市場はこのたった一国が独占する形となっていたが、しかしながらその国は決して相手の足許を見るような、持てる価格支配力に訴えるような、そんな悪どい商売をすることはなかった。
故に、その姿勢は多くの国々に評価され、徐々に信用を得ていくことになる。
原油相場も一定していた。
1バレルあたり10ドル前後と、非常に良心的な価格が打ち出されていたのだ。
余談ではあるが、この余りの価格の安さと、その輸出国の対外的な信用と誠実さを背景にして、セカンド・インパクトの際に軒並み水没した各国の沿岸地域にあった石油備蓄基地の再建計画も、杳(よう)として進んでいなかったらしい。
わざわざコストを掛けなくとも、石油は安定供給されているのだ。少なくとも今は。
この判断がいずれ裏目に出ることになるのだが(某国のみ)、それはまた別なお話…。
当然というか、OPECや非OPEC、或いは石油メジャー等は、商売上がったりで自主解散、自然消滅していた。
かつての石油輸出大国も、今や他の国と同様、石油輸入国に成り下がっていた。
オイルマネーで一世を風靡した一族も、今や見る影もない。
一度味わった贅沢な暮らしが忘れられず、財が底をついた後も借金と散財を繰り返し、そのツケは国民へと還元される。
結果、王制の国の多くで市民革命が起こり、政体が変わった。
尤も、そんなドサクサなタイミングを国連(ゼーレ)に突かれ、蹂躙された国も多かったが。
そしてこの「カマル・スーダン王国」も、別の意味で、その蹂躙された国々の列に並ぼうとしていた。
少なくとも、それこそがゼーレの思惑であるのだから。
「…侵攻作戦前に、私が交渉してみよう。 それが最善であろう」
暫く考え込んだ後に、bPのモノリスは答える。
だが、あまり気乗りはしてはいないようである。
「ふむ、なるほど。 国そのものが滅べば、さすがに手続きに時間が掛かる…。 政府が健在である今のうちに、正式な辞令を発行させておくというわけだな?」
「左様。 そして然るべき後、遠慮なく叩き潰すまで」
bPのモノリス、いやキールという男は、そう冷酷に言い放った。





〜そして数十分後、どこかの執務室〜

《──なるほど、そういったご用件ですか》
「そうだ。 当然、その見返りも用意してある。 どうだ? そちらにしても悪い話ではなかろう?」
ここは、ゼーレの首魁、そして世界的陰謀の盟主である、キール・ローレンツの執務室である。
正義の味方を自称するどこぞの組織の司令室と同等か、それ以上の広さと豪華さを兼ね備える部屋であったが、窓の類は一切なく、どこか雰囲気的に息苦しい。恐らく地下フロアなのだろう。
そこでは、今、とある政治的な交渉がなされていた。
尤も、リアルでの会見ではなく、通信衛星を介したものであったが…。
高級本皮プレジデント・チェアに深く腰を降ろし背もたれるキールの眼前、重厚な机の上に置かれたモニター画面には、一人の身なり正しき青年の姿が映っていた。
見ればその人物、歳の割りには落ち着き払っており、その口調は丁寧だが自信にみなぎっている。
褐色の肌、だがその瞳は青く、髪も金髪。どう見ても白人、しかも美形。
だがその口から出たのは、
《お断りします》
「何…だと?」
一瞬、聞き間違いかと、その身を乗り出し、我が耳を疑ったキール。
しかし、それが事実だと認識すると、途端にその顔色を変えた。
碇シンジという名の少年との縁を切れと露骨に迫ってみれば、その国の、まだ青年ともいえる歳格好をした宰相にあっさりと拒否されたのだ。それも即答という形でだ。
「ルキフグと申したな? 何故だ? ただの一外交官を、子供を、外国人を、何故そこまでに庇うのだ?」
キールには、理由がわからない。
ルキフグと呼ばれた青年は、その老人の反応に僅かに微笑むと、
《なに、…彼にはちょっとした恩義がありましてね》
と返した。
「恩義?」
《ええ》
理由は話さない。話すつもりもないようだ。
因みに、石油の件も理由の一つではあったが、最大の理由ではなかった。余談だが…。
両者間には暫しの沈黙が続いた。
それを破ったのはバイザーを掛けた老人のほうであった。
「…よいのか? 後悔することになるのだぞ?」
キールが目を細め、ドスの利いた声で凄んだ。それは力を背景とした言外の脅迫。
だが相手は意に介さない。
《無論、これは私(政府)だけの意向ではなく、王室や国民すべての総意と思って頂いて構いませんよ。 たとえ国が滅び、どれほど多くの血が流れようとも、この判断を間違いとは思いませんので》
「馬鹿な…」
有り得ない。
キールは、思ってもみなかったルキフグの決意表明に、さらに頭を悩ませた。
何故そうまでして庇う必要があるのだ?
恩義だと?
いや、たとえそうだとしても、よもやそこまでの価値が、あの子供にはあるというのか?
(サードという少年……事によると、我々の認識以上に危険な存在なのかも知れんな……)
キールは、別な角度からその少年に対する警戒をさらに深めていた。
そこへ青年の一言。
《それに、どのような返答をしても、結果は同じなんでしょう?》
「…何のことだ?」
ギクリとするが、慌てて表情を殺すキール。
《わが国の情報収集能力を舐めて貰っては困りますな。 制裁対象国は秘匿されていましたが、内々の内に付託された先日の非公開形式での安保理決議……》
(ピクッ)
その言葉に、思わず体が反応してしまう。
《それと、…何やらここ数日、我が王国を覗き見する不逞の輩が多くなっていましてね……》
そしてニヤリと薄笑う青年。
逆にキールは表情を険しくする。
覚えはある。
だがそれを今ここで認めるわけにはいかない。
恐らくどこかで情報が漏れたのだろう。
が、予測範囲内だ。
たとえ「知って」いても、結果が覆ることなど有り得ないのだ。
それを見越した相手のブラフにすぎない。下らない。
キールはそう結論した。
「…本当に後悔しないのだな?」
その最後通牒に対し、モニター先の青年は無言で頷き、回答と代えた。
「…わかった。 これ以上は何も言うまい。 そちらの好きにするが良い。 だが心することだ」
そう吐き捨てると、キールは通信を切った。
果たして、交渉(≒脅迫)は決裂した。
いや、実はキールという男は、交渉の結果など端から重要視などしてはいなかった。
交渉に乗ってくるならば、それで良し。
その手続き(サードの外交官身分の停止)の完了を待ってから、次の無理難題を吹っかける予定であったのだから。
が、こうなったら仕方がない。
予定通り、次の段階に移るまで。…いや、正確には、予定していた段取りが一つ省略されるだけなのだが。
いずれにせよ、その国は完膚なきまでに攻め滅ぼすつもりであり、それは決定事項。
たとえ相手が、恭順や無条件降伏の意を示そうとも、である。
第一、そのための手は、交渉の結果などに関わらず、もう既に打っていたのだから…。





〜ネルフ本部・司令室〜

「審議のほうはどうだったかね? 老人たちは相変わらずか?」
ここはお馴染みのネルフの司令室。
お勤め帰りのゲンドウに、冬月が声を掛ける。
だが、この部屋の主の反応はというと、
「問題ない」
の一言だけであった。
(それだけかいっ!)
と、内心憤慨する冬月であったが、グッと堪える。
審議の内容自体は、別室にて傍聴していたので、把握はしていたのだ。
だが委員たちの生の表情や反応まではわからなかったため、件の質問をしたのだ。
「…ふむ、なるほど。 しかし、子供一人のために外交ルートを通じて圧力、いや脅迫とは……些か大袈裟なのではないかね?」
冬月は、率直な感想を漏らした。
話が大きくなりすぎている。
サードの説得など、ただ一度、父親が息子に頭を下げさえすれば、状況は劇的に変化するハズなのだ(注:冬月の所見)。
だがそれは、どうもこの男の矜持が許さないらしい。
結果、世界を巻き込んでの一悶着……呆れた話だ。
ゲンドウは、いつもの不敵なポーズのまま、その口を開いた。
「所詮は子供、問題ない。 それに、物を知らない子供に自分の立場というものをわからせる良い機会だ」
「他人の力を使ってかね?」
「……冬月、何が言いたい?」
横目でギロリと睨まれた。
そのあまりの剣幕に身を竦ませてしまう。
まず父親である貴様がどうこうすべきではないのかね?
と、思わず口から出そうになった冬月であったが、慌てて言葉を呑み込んでいた。
いつも一言多い。そのうち、それで身を滅ぼすかも…。
そんな嫌な汗を流し始める冬月であった。
「と、ところで、レイに何かしたのか? 先程、ドグマですれ違ったが、何やら酷く真っ青な顔をしていたぞ?」
ワザとらしく話題を転じるが、声が1オクターブ高いのはご愛嬌。
「フン、問題ない」
「貴様はそれしか言えんのか?」
「…アレに己が立場というものを思い出させたまでだ」
ゲンドウは、少しムッとした表情で答えた。





〜数刻前、同・司令室〜

少女は、直立不動のまま、その主たる男の前に立たされていた。
男はというと、机上に両肘を付いて両手を組み、やや猫背の姿勢で、威嚇するようなギラついた視線を少女に向けていた。
まるで何かの効果が少女の中に現れるのを待っているかのように、目の前の少女の紅い双眸をただジッと睨み付けている。
その少女には、身動き一つすることさえ許されてはいない。
既に小一時間が過ぎようとしていたが、未だその姿勢を余儀なくされていた。
ハッキリ言って虐待である。拷問と言っても差し支えないだろう。
ただ問題なのは、その少女に被害者意識がないことであった。
その男、碇ゲンドウは何も語らない。
ただ睨むのみ。
そして漸くにして、その口を開いた。
「レイ」
「はい」
レイと呼ばれた少女は、小さく頷く。だがその声に感情は見えない。
「…最近、サードと頻繁に会っているようだな?」
抑揚のない、だが底冷えのするような声で、ゲンドウは問い質した。
その間も、視線は少女の瞳に縫い付けたまま離さない。
「……はい」
レイは少し逡巡しながらも、目線を落として小さくポツリと答える。
ゲンドウは、相変わらずの口許を隠した姿勢で、ただジッと見据えるのみ。
「…レイ、お前はシンジと共にいたいのか?」
「……」
レイには答えることが出来なかった。
だが、あの少年の傍にいると落ち着く、嫌じゃない、むしろ心地よい…。
少女は、そんな淡い感情を覚え始めていた。
(私は……碇クンの傍に……いたい?……いてもいいの?)
何故だか、心がソワソワした。
だが、そんな少女の想いに、冷や水が浴びせられる。
「フッ……シンジがお前の秘密を知ったら、どう思うだろうな?」
「!!!!!」
その言葉に思考を遮られ、少女は大きくその目を見開いた。
愕然とした表情、顔色も悪い。
悪い夢でも見たかのような顔。
ダラダラと嫌な汗が流れ、視界も歪む。
「…人間ではないお前を、アレは受け入れてくれると思うか?」
ゲンドウは畳み掛けた。容赦などしない。
見る見るうちに青ざめていくレイ。
見れば、白かった肌が、一見してわかるほどに青白くなっていた。
その華奢な体は、カタカタと小刻みに震え、ふらつき、立っているのもやっとの状態である。
言葉など、とうに失っていた。
そんなレイの様子にゲンドウは、したり顔でほくそ笑む。
そして駄目押し。
「…お前の体は、ネルフの庇護なしには延命は不可能だ。 アレと同じ時を過ごせると、本気で思っているのか?」
「……」
レイは茫然自失で俯き、もはや何も答えることが出来なかった。
その瞳に映るのは──絶望。
その心は再び閉ざされようとしていた。
ゲンドウはレイの様子に一瞥をくれると、その予想以上の効果に満足した。
…厭らしい。実に厭らしい男である。
この男、レイという少女に対して、直接的または断定的な命令など、金輪際しなかった。
つまり、
《シンジとは付き合うな!》
《シンジがお前のことを受け入れることはない!》
そんな物言いなどは、決してしなかったのである。
曰く、
少しばかりトラウマを刺激するような言葉さえ与えてやれば、レイは頭の良い子だ。……後は自分で考え、そして勝手に絶望してくれる──
そう、それがゲンドウの思惑であったのだから。
そして少女の心に楔を打ち込んだ。
お前はヒトではない、
故にヒトであるシンジとは共に生きてはいけない、
何よりヒトではないお前にアレが心を開くことはない、
──男の言外の言葉は、レイという少女の心を深く傷つけていた。





ゲンドウの搦め手からのネチネチ攻撃により、レイの顔色は青に染まっていた。
元々が透き通るような白い肌であったため、ガミ○ス星人のような肌色の悪さとなっている。
だがゲンドウという男、この幼気(いたいけ)な少女に対し、また別の感情を抱いていた。
(まさかここまで感情を露にして狼狽するとはな……が、しかしこれはこれで……じゅるり)
──思うに、最近のレイは自分に微笑んでくれなくなった。
──それもこれも、全部あの親不孝息子のせいである。
そんなうらみつらみ。
だが、いつもと違う、その少女が見せる病的な妖艶さに、男は思わず涎を拭う。
今の少女の容姿は、男の脳幹を殊更に刺激した。
頭を擡(もた)げ始めたヤバイ性癖。
悪いことは重なる。
お気に入りのダッチワイフ(注:ユイの実妹)を喪失したことで、男はここ数日、欲求不満にあり、今回このことが災いした。
「レ、レイっ!」
「!?」
ゲンドウはやおら席を立つと、レイの前に回り立ち、その両肩を鷲掴みにする。
そしてそのまま壁際のソファー(いつの間に?)へと押し倒したのだ。
その目は情欲に染まり、血走っていた。鼻息も荒い。
レイは突然のことに驚く。
何をしようというのか。
シッポリとナニでもしようというのだ。
少し早いが、この少女に駄目押しの楔を打っておこうという気らしい。
が、それは建前。レイの動揺する姿を見て、マニアックな性欲が台頭しただけ。
曰く、最近のレイは肉体的にも丸みを帯び、僅かであるが喜怒哀楽の感情も見せ始め、その…そそるようになった、と。
そろそろ、この若紫も食べ頃だと、男の下半身は判断していたのだ。
「っ!? イ、イヤっ!!」
貞操観念など持ち合わせていないハズのレイだが、その手で男の胸板を突っぱねると、本能的に拒否の意志を見せた。
「なっ!? …私に逆らう気かっ!?」
少女の両肩を押さえ付けたまま、その首筋に顔を埋め、フガフガしていた男が、予想外の少女の拒絶に驚き、顔を上げる。
「……」
「答えろ、レイっ!」
未だ少女にとって、男の言葉は神のそれに等しい。
だが、その目を注視出来ないでいた。
「……今日は……体調が……優れません」
嘘。
それは初めて吐く、咄嗟の欺きの言葉。
だがその答えに何を思ったか、ゲンドウはゆっくりとその身を起こす。
「…(チッ)まあいい。 そういえば、そろそろ投薬と治療が必要な時期だったな。 レイ、これから赤木博士の所に寄ってから、もう今日は下がって、ゆっくりと休むといい」
「……はい」
少し乱れた着衣を直しながら、レイは小さく頷いた。
ゲンドウは作った優しい眼差しを向けてやる。そして少女の前髪を数度ばかり撫でてやった。
ついさっきまでの態度が嘘のようだ。
が、男の心内では、
これでアフターケアも万全、後顧の憂いもなし、この人形の心は俺様に釘付け──
そんな打算が働いていたようだ。
(そう、焦りは禁物だ…)
男は自分に言い聞かせた。
確かに、最愛の妻にソックリな少女の面影と、その若い肉体はかなり魅力的だが、その人形の存在価値は精神の在り様にこそあるのだ。
ここで無理をして、三番目のボディーへの移行が必要な事態にでもなったら、それこそ本末転倒だと。
尤も、修正不可能な事態になったら、そのときは躊躇なく三番目に移行させる(=殺す)気でいるのだが…。
(今は動揺しているだけだ。 いずれこの肉人形は、俺様の前で自ら足を開くようになる……クク、ククク)
そんな下衆な笑いを頭の中で展開する。
曰く、体調が悪いなら悪いで、無理矢理というシチュエーションも大変グッドだが、さすがに壊れては元も子もないのだと。
だから男は自重した。柄にもなく堪えた。今はまだ早いと。そう、まだ時間はたっぷりあるのだからと…。





〜オマーン湾・ホルムズ海峡沖、南東100海里の海域〜

カマル・スーダンの名を冠する中東の小国、その沿岸から南に12海里ほどいった沖合、ペルシャ湾とオマーン湾が接する海峡をさらに100海里ほど南東に進んだ海域に、何者かがジッと息を潜め、時を待っていた。
既に洋上でも陽の光はなく、真っ暗闇の海の中、その真っ黒なボディーを完全に溶け込ませていた。
唯一、蒸気タービンの無粋な騒音以外は、であるが…。
そして、時は動き出した。
「──時間だ。 トマホーク発射可能深度まで浮上せよ」
「VLS外扉開閉深度まで浮上。 メインバラストタンク、ブロー。 アイ」
息を潜めていた者の正体は、潜水艦であった。
その発令所らしき薄暗い場所では、艦長席に陣取ったバンダイク鬚の厳つい軍人が、愉悦の表情で命令を発していた。
周りの海域には、この艦の他にも複数の艦影があり、
シーウルフ級1、
ヴァージニア級2、
セヴェロドヴィンスク級1、
アステュート級1、
UN海軍の錚々(そうそう)たる攻撃型原潜が静かに息を潜め、獲物を狙っていた。
そして更にその後方、アラビア海の洋上には、
オハイオ級2、
ボレイ級1、
同じく戦略弾道ミサイル原潜が浮上、散開していた。
「いよいよですね」
「ああ」
副官らしき男の声に、隣の席の艦長が相槌を打つ。
その顔は悦びに歪んでいた。
「無事に終わればよいですが…」
「心配など無用だよ。 ペルシャ湾岸には、商船に偽装した強襲揚陸艦の待機も完了しておる。 また、こちらからの弾道&巡航ミサイルの着弾に呼応して、国境からは十万もの兵力が雪崩れ込む手筈だ。 極秘作戦であるが故に、大々的な戦力投入は望めなかったが、それでも錚々たる布陣だよ」
艦長の得意気な演説は続く。
「そして肝心の油田地帯は無傷で制圧。 敵策源地、及び各主要都市は、我らの火力で殲滅。 それでチェックメイトだ。 そしてこの『月夜の自由』作戦も終わる」
「しかし、そうそう上手くいきますでしょうか?」
副官の顔色は冴えない。
奥歯に何かが挟まったような、そんな物言い、そして表情である。
「なに、戦闘らしい戦闘など起きはせんよ。 なんせ奴らに目ぼしい戦力は無い。 丸腰の子羊たちだからな」
「丸腰……無抵抗な国民を嬲り殺しですか? 宣戦布告もなしに。 女子供もいるでしょうに。 私にはまだ…」
この気弱な物言いに少しカチンときたのか、艦長は声を荒げた。
「悪は相応の報いを受けねばならんのだ! それにな、我々は軍人だ! 上からの命令は絶対なのだよ! 甘い考えは捨て、覚悟を決めたまえ!」
「……」
苦渋の表情ながら、副官を務める男は己が唇を噛み締めていた。
「フフフ、悪魔共め、神の裁きの雷(イカズチ)をその身で受けるがいい」
潜望鏡から洋上の様子を伺う艦長。
その歪んだ顔を見れば、果たしてどちらが本当の悪魔かわからない。
実は、そのポイントからは、海峡の遥か先、ペルシャ湾に面する敵国が目視できるわけではないのだが、男は気分だけは高揚させていた。
ペルシャ湾の平均水深は35メートルと浅く、敵国の喉元に喰らい付きたくとも、潜水艦での航行には支障があったのである。
それに加え、内湾や海峡の海底には、敵(?)のソナーがばら撒かれている危険性が極めて高い。
それを考慮した結果が、今のこの布陣であった。
男がマイクを手に取り、口を開く。
「艦長のダニエル・ホークだ。 世界が貧困に喘いでいる中、富と資源を一人独占してきた我々人類の敵に、今宵、正義の鉄槌を振り下ろす時がきた。 中には、この人間同士の戦いに、良心の呵責がある者もいるだろう──」
そしてチラと横の副官を見る。薄目笑いの侮蔑の眼差しで。
「──だが心配はいらない。 同じ人間として躊躇う必要など無いのだ。 何故なら彼らは人間ではない。 有色人種のクソ共だ!」
シーンとなる艦内。
因みに、この艦の乗員の三分の一近くは、カラードであったりするが。
「故に、存分に戦いたまえ! 青き清浄なる世界の為に! このオペレーションの成否は、諸君らの健闘に掛かっておる! 以上だ」
異常だ。
狂っている。
歴史は繰り返される。
湾岸・イラク戦争の再来か。
はたまた富を独占してローマの嫉妬を買って滅ぼされたカルタゴの例か。
人類史上、挙げれば枚挙に暇がない。
「時間です、艦長」
「よろしい。 トマホーク戦、用意」
「トマホーク戦」
「トマホーク、攻撃始め」

バシュ、バシュ、バシュ、バシュ!

号令と共に次々と打ち出されたトマホーク・ミサイルは、主翼と操舵翼、空気吸入口を展開、ターボファン・エンジンを始動させ、巡航に移る。
ほぼ同時刻、遥か後方の戦略原潜からは、より凶悪な弾道ミサイル群が、次々と天空に羽ばたいていった。
それらはディプレスト軌道を飛翔し、最終的に狙うは敵国、その内陸部の人口密集地帯であった。
それはつまり、国民皆殺しを意味していたのである。
しかも、そのどれもが弾頭は通常にあらず、核弾頭搭載型であったりする。
N2ではない。
人類の不断の努力と英知により、地上から廃絶されたハズの悪魔の兵器である。
何故それがここにあるのか。
決まっている。捨ててはいなかったからだ。
N2では核と同程度の破壊力は見込めても、生き残った人間を一掃することは出来ない。
だが核の持つ汚い放射能ならば、それが可能なのだ。
当時の国連(ゼーレ)は、核戦力全廃条約の発効をもって、刀狩りならぬ核狩りを行い、核の廃絶を全世界に宣言したが、それは表向きのことで、実は集めたそれらの一部は廃棄せずに秘匿し、そして極秘裏に世界の紛争地帯に投入していたのだ。
その(くすねた)数、実に3000発。当時の世界に存在した核弾頭、その一割に相当した。
余談だが、ネルフ本部の地下にも、自爆用としてそれは現存している。
公式には、広島・長崎が最後の被爆地となっていたが、それは既に過去のものであった。
躊躇なく、全世界で使われていたのだ。
トラテロルコ条約やペリンダバ条約などで、核兵器の製造と実験、使用と配備を禁じた非核地帯であっても、それは例外ではなく、むしろそんな地域だからこそ、狙われたかのようにポンポンと使われ捲くっていた。
無論、その事実は隠され、決して表に出ることはなかったが。
核──原爆や水爆とも呼ばれる前世紀最大最悪の発明にして史上最狂、悪魔の殺戮兵器。
その破壊力たるや、まさに筆舌に尽くしがたいほどで、従来の通常兵器の火力とは一線を画した。
その威力も然ることながら、一番問題なのはその汚い放射能のほうである。
それは、生き残った人々に二次的な被害を齎し、また被爆地を長期間、汚染する。
そのため、殆ど実戦では使用されることがなかった、いや出来なかった兵器でもあるのだ。
だが、今回のような殲滅作戦や焦土作戦、敵国民皆殺しの作戦ともなれば、話は別となる。
……いや、下手に生き残ってもらったら、困るのだ。色々と。それは歴史が証明していた。
故に、後顧の憂いは絶たなければならない。
死人に口なし──
完全犯罪──
歴史からの抹消──
そのための道具。これ以上に最適な兵器はなかったのだ。地味なBC兵器よりも効果的だろう。
だがしかし、撃ちたくても相手からの報復が怖くて出来ない。
だが相手に報復する力、つまり抑止力がないとわかれば、話は別だ。
安心して事に及べる。
それに、これは世界に秘した軍事行動であるのだ。故に、公に非難されることもない。
大義名分もある。
そう、──人間は、理由があれば、なお且つその悪行を誰にも知られないとなれば、己が理性(良心の呵責)を封じ込め、安心して他人を殺せる生き物なのだ。
それは悪魔の所業。
ある意味、人間の正体。
ジュラシック・コードの甘い囁き。
《──巡航ミサイルの第一波、着弾まであと15…14…13……》
《──同じく弾道ミサイルの第一波、再突入体分離まであと3…2……》
刻々と齎されるオペレーターたちの状況報告の声に、艦内はピリピリとした緊張に包まれながらも、既に戦勝気分に酔い始めていた。
そして今、日本の長野県程度しかない広さの国土に、一部の沿岸地域(油田地帯)を避けて、悪魔の子供たちが無数に舞い降りた──かと思われた、まさにその瞬間、

ヴォー、ヴォー、ヴォー!

突然、艦内にアラートが響き渡り、空間が赤色に染まる。
「どうした!? 何が起こった!?」
「報告します! 我がほうのミサイル全て、突然ロストしましたっ!」
「何っ!? それはどういう──」

ズガガーーーーン!!

艦長の叫びを掻き消して、突然、艦を激震と衝撃音が襲った。
「ぐぅ〜〜っ!? な、何だ!? 今度は何が!? 一体どうしたのだっ!?」
投げ出されないように必死に艦長席にしがみ付き、苛立つような怒号を周囲に飛ばすバンダイク鬚。
「艦首魚雷発射管室大破!! 浸水ーッ!!」
「何だとっ!? まさか雷撃を受けたのか!? ソナーは何をしていたっ!?」
だがそれに答える者はない。
すべては闇の中。
一応、ソナーマンたちの名誉のために言っておくが、彼らにミスはない。付近に不審な反応はなかったのだから。
だが、それを確かめようにも、既にソナー室はピンポイントで破壊され、この世になかった。
青ざめる艦長。
その間も状況は刻一刻と悪くなっていく。
「艦長っ!」
その声にハッと現世回帰する。
「っ!! クソッたれがぁっ!! 艦首区画の全ハッチ閉鎖!! 各区漏水防止だ!! トリム水平に保てっ!! 沈むぞっ!!」
既に艦は倒立するかのように大きく傾き始めており、アップトリム状態で、破損した艦首から海水が雪崩れ込んでいたのだ(作者注:この辺、突っ込まないで頂けると、とっても嬉しいです)。
「だ、ダメですっ! トリム戻りませんっ!」
「馬鹿者! 泣き言を言うなっ! 後部バラスト吐き出せ!」
「もうやってますっ!」
メキメキ…ミシミシ…
水圧により艦が軋む音が、嫌な悲鳴が、そこら中に響き渡る。
そしてジワジワとその閉ざされた空間に、恐怖と絶望が伝播していった。
「舵はどうなっておる!?」
「艦首潜舵は使用不能、艦尾縦舵もほぼ水平のまま固定、油圧上がりませんっ!」
「チッ!」
絶望的な状況にさらに苛立ち、舌打ちする艦長。
「深度250…300…350…沈降なおも止まりません!」
「ブロー続けろ! 原子炉出力最大! 機関全速! 舵そのままでポンプ・ジェットに前進を掛けろっ! 急速浮上だっ! エンジンがオーバーヒートしても構わん! 急げっ!」
「ア、アイアイサーッ!」
しかし状況は好転せず、運命は彼らを嘲笑い、冷たく突き放すのだった。
「機関室浸水!」
「発令所浸水ーッ!」
「クソっ!! 食い止めろっ! 何としてもだっ!」
「ダメですっ! 防水不可能ですっ!」
悲鳴のようなオペレーターたちの声と、艦長の怒号とが交差する。
そんな中、肌を切るような水温のシャワーが乗員らを襲い始めるや、彼らから思考力と生きる希望を徐々に奪っていった。
この海域の表層水温は高いが、深海のそれは限りなく氷温に近いのだ。
そして当艦だけでも百を越える乗員がいた。
ドバドバと怒り狂った冷たい海水が艦内へ押し寄せ、彼らはパニックを起こし始めていた。
既に指揮系統なんてものは崩壊したに等しいと言えた。
誰もが悔やんだ。
何故こんなことになったのか?
自分たちは狩る側、殺す側の人間であったハズだ。
故に、死ぬ危険があるとは端から思っていなかった。
殺すのはいいが、殺されるのだけはゴメンなのだ。
そもそも、絶対安全な作戦だと聞いていた。
これでは話が違う。
一体どこで間違ったのか?
死を前にして、愛する家族や恋人の顔が脳裏を横切る。
死にたくない。
死ぬのはイヤだ。
そもそも、何で自分は潜水艦乗りなんかになったのか?
誰もが今そのことを無性に後悔していた。
「艦長ぉ! 原子炉スクラム〜〜ッ!」
オペレーターの悲鳴のような叫び。いや、実際はもう泣きじゃくっていた。
「ば、馬鹿なッ!?」
瞬時に非常用電源に切り替わるが、
「エ、エンジンも、──ストップしましたーっ!」
「!!! クソが〜〜〜っ!!」
そのセリフが彼の最期であった。
既に打つ手などなかった。
誰もが絶望を感じていた。
実を言えば、この艦が受けたのは、撃沈しない程度の外部からの破壊であった。
この事態に、今からレスキュー・チェンバーやDSRV(深海救助艇)の出動を要請したとしても、艦のバッテリーは持って半日、到底間に合うものではなかった。
それに助けを求めようにも、彼らの近くにそれを可能とする艦など皆無であったのだ。
今の彼らでは知るべくもないが、時を同じくして、周囲に散開していた全ての僚艦(洋上艦を含む)も、まったく同じ憂き目にあっていたのだから…。
ジワリジワリと迫りくる死神。
アラビア海の最大深度は、およそ5000メートル。
彼らが今いるオマーン湾もその一部に当たり、沖合いではかなりの深さがあったのだ。
いくら船体耐圧殻がチタン合金製で、世界最先端技術の結晶である彼らの艦と雖も、そんな水圧には耐えられるわけがない。
まして今は手負いの状態なのだ。
沈没圧潰は時間の問題であり、既定の事実であった。
それに、艦内に押し寄せる海水は、それ以前にどうしようもなかったのだ。
バッテリー残量も僅か、生存空間も僅か、酸素も僅か、そして希望はとっくに皆無であった。
ある意味、撃沈・即死よりも残酷な死に方であるのかも知れない。
余談であるが、かの国に一斉に降り注いだハズのミサイル群であるが、何故かすべて製造元の国へと降り注いでいた。
あとついでに、国境付近に散開していた兵力の頭上にも、である。
突然、頭上に現われた自軍の識別信号を放つミサイル群、そして降り注ぐ悪魔の弾頭に、その国の事情通、ゼーレのシンパたちは泡を食った。
こんなハズでは、と。
しかし自業自得とも言える。
他国に落としても自国に落とされるのはイヤなんて理屈は、端から通らない。
そして着弾──
起爆用核分裂の超高温と放射線により、重水素化リチウムは瞬時に重水素と三重水素へと変化、核融合反応を開始。と同時に、放出された高速中性子でウラン238も核分裂。
全体として発生したエネルギーは、原爆の数百倍以上。
数百万度以上の超高温による熱線と爆風(衝撃波)が地上を襲い、α線、β線、γ線、中性子線などの強烈な放射線、及び電磁波が、一斉にばら撒かれた。
結果、──世界各地(特に欧米)で50を超えるキノコ雲が立ち上り、地上は見渡す限り焦土と化していた。
さながら阿鼻叫喚の地獄絵図であった。
よくよく見れば、黒炭となり未だ火を噴いている遺体や、融けた樹脂のような元・人間たちが、そこら中で折り重なって、そして死んでいた。
焼け爛れた皮膚、飛び出した眼球、それが男性か女性かもわからなかった。
我が子を庇ったような母子の、恋人を庇ったような男女の「既に分離不可能な物体」も、中には散見できる。
もはやどれも、人間の体(てい)など成してはいなかった。
だが、形が残っている者はまだいい。
何故なら、爆心地近くでは、多くの人間が瞬時にして蒸発、プラズマ化していたのだから…。
悲しいかな、200万を超える人命が、この世から消え去っていた。
だが、あと数年を掛けて、同数の人命が失われるだろう。……地上、その広範囲に撒き散らされた汚い放射能の汚染によって…。
今、地上では、放射能を含んだ黒い雨がポツリポツリと降り始めていた。雨脚は次第に強くなる。
それは非情の雨、無数の命を食(は)んだ嘆きの雨であった…。





〜第三新東京市・郊外、シンジ邸〜

「──で、どうしようか?」
ここは一転して平和な国、日本、第三新東京市の外れにある我らがシンジ邸である。
今現在、地球の裏側ではとっても楽しそうな大変なことが起きていることは察知していたシンジではあったが、あいつら無茶やるなあと思いつつも、特に気にもせず、目の前の少女たちに、これからどうするか(ぶっちゃけ、どこで遊ぼうか)を尋ねていた……いいのかそれで?(汗)
部屋では、カンナ・ヒカリ・マヤ・カエデの四人の少女たち(?)がそれぞれ自由に寛いでいたりする。
「うーん、どうしようかと言われてもね……ヒカリはもう大丈夫なの?」
「う、うん…(////)」
そう親友のカンナに振られて、恥ずかしそうに答えたヒカリは、既にシャワーを浴び、着替えも済んで、少年の家のリビングで落ち着きなくモジモジしていた。
体調はもう良いようだ。精神的にも峠は越していた。
少し濡れた、まだお下げに結ってない髪が艶かしくて良い感じである。
隣のカンナは別段緊張することもなく、一人ソファーに腰を下ろし、出されたジュースで喉を潤わせている。まぁ、多少はキョロキョロと訝しげな目線を辺りに向けてはいたが。
残りのマヤとカエデは……何故か床に正座して、カチンコチンに固まっていた。
「あ、これはどうも……ご丁寧に」
「す、すみません……ですぅ」
『にゃにゃ』
さも当然のように、目の前のタンブラーに冷えたジュースを器用に注ぐ白猫の姿に、その目を点にしながらも、思わずマヤたちは礼を言ってしまっていた。
別に白猫はそうしろと言われたわけではなく、自ら進んで彼女らをもてなしていた。これが地の性格なのだろう。さすが元・おさんどんの鑑、碇シンジということか。
因みに黒猫はというと、また姑モード発動で、お気に入りの高みの席からジッと少女たちの品定めをしていたりする…(懲りないねぇ〜)。
「まぁ、折角の公休だしね〜。 マヤさんたちも、どうせ僕を連れて来るまで戻って来るな、みたいなことを(女狐に)言われてるんでしょう?」
「ええと、まあ、その……うう、その通りですぅ〜(泣)」
今さら隠しても仕様がないので、正直に項垂れるマヤであった。カエデも同様である。
「じゃあ、僕の説得に当たるために、今日一日僕に随伴したとしたら、──それはそれで立派な任務になるんじゃないんですか?」
ニヤリと笑うシンジ。我ながら妙案だと。
「そ、そうなるような、ならないような〜」
「び、微妙ですぅ〜」
自分たちの上司の顔を思い浮かべながら、上目遣いでシミュレートしてみる二人であったが、どうも結果は芳しくはなかったらしい。
だが、
「はいはい、それで決っ定〜♪」
と、勝手に少年のGOサインは出てしまっていた。
「「…うう、あんまりですぅ〜(泣)」」
後日、上司からの(精神的)折檻を覚悟し、さめざめと泣く二人であった。
「でも遊びに行くたって、もうお昼過ぎだし、そんなに遠くには行けないわよ?」
「そうよね。 でも市内で遊ぶ所っていっても……さっきまでの避難勧告で、やっているのかもわからないし……」
横目でのカンナの突っ込みに、ヒカリがポツリと私見を述べる。
「遠く? ……そうか、アレがあったんだ!」
シンジの中で何かが閃き、ポンと手を打つと、奥の部屋へと消えていった。
………
………
「ふーん、良いんじゃない?」
「うん…私も良いと思う(////)」
カンナとヒカリが賛同する。
「でも良いのかな? 私たちなんかも甘えちゃって?」
「勿の論ですよ。 この前、新聞屋からタダ券いっぱい貰っちゃいましたからね、遠慮なんて無用ですって。 それにマヤさんとカエデさんも、たまには息抜きしないと、体壊しちゃいますよ?」
「「シ、シンジくぅ〜ん♪」」
こんなところに理解者がいたことに、はたと感激し、二人はウルウルと瞳を潤ませる。
「準急電車だと、第三から20分くらいかしらね?」
これはカンナ。
「いや、クルマを出すよ? あそこって、インターを降りたら直ぐだからね」
その声に回りは目を瞠る。
「「「「シンジ(碇)君、クルマ持ってるの!?」」」」
「はい、ラン○ルを一台ですが」
しかも何気に8人乗りのSUV最上級グレード。
国産車だが、カネに糸目を付けなかったために、カタログにもないとんでもない仕様になってたりする。
因みに、8ナンバーなどにはしていない。金持ちだから。
最初は、メガク○ーザーも良いかなーとか思っていたが、民生版にも関わらず、その巨体に比しての乗車定員の少なさと、狭い日本の道路であの横幅は反則だろーということで、断念した経緯があった。…どうでもいいが。
「○ンクルぅ〜!? め、免許は〜!?」
良識派の筆頭(?)、カエデが素朴な疑問を口にする。
どうやら周りも同じ思いのようで、コクコクとしきりに頷いていたりする。
「一応、国際スーパーライセンスを持っていますけど」
「す〜ぱ〜!? F1に乗れるっていう、あのぉ〜!?」
今度はマヤが驚きの声を上げる。あっちょんぶりけな表情をして。
「ええ」
「「「「ウッソォ〜〜!!」」」」
嘘ではない。
尤も、サーキットでF1には乗れても、一般車で公道は走れないというオチ付きだが(汗)。
だってシンジは、国内の運転免許なんて、何一つ持っていないから。
それは単に年齢的な問題。
早い話が、無免許。
持てる外交力を背景に、日本政府に強く迫れば特例として取得出来たであろうが、面倒臭いという理由でやってない。
嘘は何一つ言ってない。
訊かれなかったから、ただ黙っておいたシンジである。だって言わぬが吉だから♪





〜ネルフ本部・ターミナルドグマ〜

場面が度々変わって恐縮だが、ここはネルフ本部の奥底、ターミナルドグマの一角にある部屋である。
ダミープラントの近くといえば、わかりが早いかもしれない。
あれからレイはリツコにアポを取った後、治療のため、いつものこの部屋で待つように言われていた。
見渡せば、壁も天井も打ちっぱなしのコンクリートで覆われ、薬品の臭いが充満し、安普請の学校の保健室もかくあるかと思うような、そんな空間である。
そんな中、レイは一人イスに座っていた。
その表情は冴えない。
(──この部屋……イヤな感じのにおい。 いつ来ても慣れない)
レイは軽く目を閉じ、瞑想する。
(……)
私は、私のことがよくわからない。
私の中にはいつも、わら人形のようにぽっかりと空っぽの部分があった。
その空洞が時々私を怯えさせ、不安にさせる。
その部分を、碇司令を想うことで埋められるような気がしていた。
なのに、いつの間にかそこに──碇クンがいる!
碇クン、貴方は、貴方はいったい──
「ゴメンなさい。 待たせたわね」
「!?」
その声にハッとする。
どうやら赤木博士が来たようだ。
「──あ…いえ」
「そう? じゃあいつもの通り、腕を出して」
「──はい」
赤木博士は淡々と注射器の準備を始める。
私は言われるがまま、腕を差し出す。
駆血帯(くけつたい)と呼ばれるゴムで右腕を縛られ、静脈が浮き出たところで注射器が鋭角に入れられる。
少し血液を吸い上げ、気泡を抜いてから、そのまま謎の薬液をゆっくりと注入──
テキパキとした一連の作業──
「うっ…」
痛みで少し声が漏れた。
だが構わずに赤木博士は注射を続ける。
彼女は、その道の権威が裸足で逃げるほどの、医者としては超一流のスキルを身に着けている。
医学は勿論のこと、理学、工学、薬学の他、7つの分野で博士号を取得しているという。
だが、未だ正式な医師免状は持ってはいない。
以前、少しだけ聞いたことがある。
彼女自身は理学部の出身であり、大学卒業後、直ぐにその母親を追ってゲヒルン(後のネルフ)へと入ったと。
彼女の母親とは、…私は直接の面識はない。今の私が生まれる前に亡くなったらしい。
赤木博士は、今も黙々と作業を続けている。
彼女は医者ではない。博士号は持っていてもだ。だがこれは医療行為には当たらない。
何故なら私は……人間ではないのだから──
「レイ……あなた最近、変わったわね」
突然、赤木博士が声を掛けてきた。
彼女が何を思ってそんなことを言うのか、よくわからない。
「この前、シンジ君と仲良く歩いてる所を見たわよ。 表情が人間らしくなって来たのは、そのせい?」
「……いけないことですか?」
「まさか……いけないだなんて。 …ただ少し驚いているのよ」
注射を終え、ゴムを私の腕から解くと、彼女はクルリと背中を向けた。
???…少し震えているのだろうか?
「今まで碇司令しか眼中になかったみたいなのに──」
穏やかだった彼女の声が変化した。
「──フフ、大したものね。 ただの人形かと思っていたら、父親と息子を一度に手玉取ろうとするなんて」
「……私、人形じゃありません」
「そう?」
「……碇司令ばかり見ていたのは……本当のことかもしれないけど…………でも、それは赤木博士も同じではないんですか?」
自分でも驚いた。
言うつもりはなかったけど、言ってしまっていた。だけど事実。でも次の瞬間──

ヒュッ!
「!!!!」

突然、彼女は恐ろしいまでの形相で振り返り、私の首を絞め始めたのだ。
クッ、息が……息が出来ない!
首に絞まるゴムを振りほどこうと、必死に両手でもがくが、さらにそれ以上の渾身の力で絞め付けられる。
朦朧としてきた意識の中、過去にもこんな目に遭ったような気がしていた。いつだったかは……わからないが。
うっ、眼前の赤木博士の顔が次第にぼやけてきた。
彼女は力を込めるその手を休めない。本気で、本気で私を殺す気なのだ。
(苦しい、苦しい、…………誰か…誰か助けて)
そこでハッとした。気づいてしまった。悲しくなるほどに。
私が死んでも代わりがいるのに……いつも無に還ることだけを望んでいたハズなのに!
──私は、私の体は死ぬことを拒絶しているっ!?
──死にたくないと必死に足掻いているっ!?
それは驚きの発見だった。
(そう……私は……生きたいのね)
ポロリと涙が零れた。
だがそれがわかったところで、今の私には成す術もない。
生殺与奪の権利は、目の前の彼女に委ねられているもの…。
反撃は……論外。それは重大な命令違反なのだ…。
そう、もうすぐ私の命の灯は消える。そして記憶の大半を失い、三番目の体に移──

パリーーーーン!
「「!?」」

突然、理由もなしに天井の蛍光灯が破裂した。それは恰(あたか)も何者かの意志が働いたかのように。
だがそれを機に、首を絞め付けるゴムがスッと緩む。
「ケホッ、ケホッ…」
「ご、ゴメンなさい! 冗談がすぎたわ! 仕事が忙しくて……つい、イライラして!」
どうやら正気に戻ったらしい。
自分がしたことが信じられず、額に手を当てて慌てふためいていた。
こんな赤木博士を見るのは、初めてかもしれない…。
「──でも、口の利き方には気をつけて」
私とは視線を合わせないまま、どこか後ろめたそうに、苛立ちを隠しながら呟く。
「──貴女がその体を維持できるのは、私のおかげなのよ」
「ケホッ……すみません」
可哀相なひと。
そう……彼女も……きっと病んでいるのだ。





〜第三新東京市・郊外、再びシンジ邸〜

皆を連れ立って、ちょうど玄関から出てくると、坂の下のほうから黒塗りのクルマが数台、轟音を轟かせながら猛スピードでやって来た。
何だろうかとポカンと眺めていると、自分たちを取り囲むような形で、それらはキキッと急停車する。
しかし随分と乱暴な運転だ。
そしてやはりというか、中からMIBなお方が20人くらいウヨウヨ出てきた。
そのうちの一人がやおら口を開く。
「サード・チルドレンだな?」
「えーと、何ですか、貴方たちは? いきなりひとンちの前で?」
一応そんなことを言ってはみるが、内心では、懲りないねぇ〜コイツら、とか思ったりしたりする。
「サード・チルドレン、我々と同行してもらおう」
「イヤです」
相変わらずの失礼な輩に、シンジは間髪を入れずに即答した。
そもそも今から遊びに行くんだから、そんな暇などない。
「貴様に拒否権はない」
無論、それは事実ではない。
ただ、敬老会の工作により、そろそろ少年の特権も消滅しているハズだと踏んだ鬚男が、先走って実動部隊に命令を下していたのである。
だが肝心のそれは、未だ消滅してはいなかったりする。
功を焦ったネルフ(=鬚男)の先走り、完全な失態であった。
当然ながら、目の前の男たちはそれに気づいてはいない。
「誰なんです? あなた方は?」
「我々はネルフ本部、特殊監察部の者だ」
おや、いつもの保安諜報部ではないらしい。
きっと誰かさんが殺しすぎたので、新人教育が追いつかないのだろう。
或いは、それだけ重要度の高い指令が直々に下ったということ…か?
まあ、どっちでもいいが。
さて、その男たちの身分呈示に、同じネルフの職員であるマヤとカエデが何やら色めき立っていた。
「ど、どういうことですか、これはっ!?」
「そーです! こんなの酷すぎます! やり方が不潔じゃないですかっ!」
先刻の狂牛女の凶行三昧が頭に残っているのか、潔癖症全開で二人は責め立てる。
因みにヒカリはというと、少し前の恐怖を思い出したのか、親友の背中に隠れながら顔を青くして震えており、カンナは彼女を庇うように支えていた。そして間違ってもあのときのように彼女を人質に取られないようにと、キリリと気を引き締めていた。
で、肝心のシンジはというと──
(へぇ〜、今日の黒服さんたちは、そっちのほうか〜)
(何が違うのかな〜、栄養成分が違うのかな〜?)
(でも見た目は同じだよな〜)
(肥やしにすると、違うのかな〜?)
(リン分が、豊富…とか?)
な〜んてお馬鹿なことを延々と考えていたりする。彼らしいといえば彼らしいが…。
「お前たちには関係ない。 我々は司令直属で動いている。 そこをどけ」
「そんな! そんなのって──」
「まぁまぁ、マヤさんにカエデさん。 ここは穏便に、穏便に〜」
この場で一番その言葉に似つかわしくない少年が、ニコニコしながら間に割って入る。
「で、でも、シンジ君っ!」
青ざめ泣きそうな顔で、彼の身の上を心配しているマヤが振り返る。
このままではどんな目に遭わされるかわからないと。
なんせ相手は、あの悪名高き「特殊監察部」なのだからと。
見たら、その全員が最初から武装しており、今現在も実力行使をちらつかせているのだ。
「大丈夫ですよぉ〜」
最近、この手の輩には慣れているシンジが、その手をヒラヒラさせて宥める。
「ちょっとここで待っててくれます? このオジサンたちと、少しだけ『お話』してきますので。 あなた方も、宜しいですよね?」
「…良かろう」
そして少年は二匹の猫を肩に載せたまま、20人強の男たちと路地裏へと消えていった。
ただ振り返り際の一瞬に、少年の口の端が極限まで吊り上っていたのを、肩上の二匹の猫たちが目撃したとか、しないとか。
思い違いでなければ、──楽しい。楽しいなー。そんな表情であったらしい。
恐らく今、黒服たちの目には「死兆星」なるものが見えていることだろう。…昼間だけど。ていうか、夏に北斗七星近くの天体って見えるのかな?(おい)
「碇君、大丈夫かな?」
「そうね、心配だわ」
残された皆は、誰もがハラハラ、ソワソワしていた。
ただ、カンナという少女だけは、腕を組み、一人何やら別なことを考えていたようだが。
それから数分が経ち、
「ね、ねぇ! やっぱり私たちも行ってみたほうが──」
我慢しきれずにカエデがそう切り出した、ちょうどそのとき、街角のほうからひょっこりとシンジが姿を現した。
「「「シンジ(碇)君!」」」
「ハハ、お待たせ〜♪」
気のせいか、手を振って応える少年の肌の艶が、幾分良くなっているようにも見える。
そして彼の肩上の猫たちは、何を見てきたのか青ざめて呆然としていたことを、ここに付け加えておこう。まぁ、言わずともわかるだろうが…。
「ねぇ、どうだった?」
「本当に大丈夫なの?」
「何か変なことされなかった?」
皆、目をウルウルとさせて心配してくれていた。
「ううん。 よくよく話をしたらね、皆さんとても良い人たちで、直ぐに納得して帰ってくれたよ」
勿論、嘘。言うまでもなく。
だがその言葉に、ホッと一安心する女性陣であった。
唯一、カンナという少女だけは、どこか胡散臭そうな目をジーッと少年に送ってはいたが。
さて、今さら説明するまでもないが、シンジが男たちを路地裏に誘い出してやったこと……それは、
殺戮──
解体──
廃棄──
の、各処理であった。
先ず、誘い出した先の空間を隔離し、蟻の子一匹も逃げ出せないようにする。
当然、黒服たちはそのことでパニックに陥り、その原因と考えられる目の前の少年へと襲い掛かった。
まぁ、路地裏に着くなり、掌を反したように散々挑発したのは少年のほうであったが…。
が、結果など、やる前からわかりきっている。
例えるなら、腹を空かせた獰猛なティラノサウルスの檻に、20匹のひ弱なウサギを放り込むようなものだ。
相手の武装など最初から意味はない。
そう、シンジがやってみせたこと、それは──
背中を見せて逃げ出す黒服たちを嬲り殺しにし、泣いて命乞いをする黒服たちを嬲り殺しにし、勇猛果敢に歯向かう黒服たちを嬲り殺しにした、であった。
つまりは皆平等に嬲り殺し。バラバラに解体したのだ。
死体は皆新鮮だったが、残らずディラックの海に沈めた(=捨てた)。もう畑の追肥は十分だったからという理由で。





〜ネルフ本部・某会議室〜

「──碇よ、マズイことが起きた」
第一声はバイザーを掛けた男、キール・ローレンツのこれであった。
再び、ここはいつものバーチャル会議室。
中央のテーブルには、五人の委員と、まだ先の審議から2時間も経っていない突然の呼び出しに怪訝な表情を隠さない碇ゲンドウがその席に着いていた。
何故だか、五人の委員たち全員の顔色は優れない。
「それはどういうことでしょうか?」
「かの国への軍事侵攻が──失敗したのだ」
重いキールの声。
「軍事侵攻!? 一体何のことを仰って──ハッ!? まさか、先程世界各地で起こった謎の核攻撃と何か関係があると!?」
何やらきな臭い話に、男は目を見開いた。
(そもそも軍事侵攻とはどういうことなのだ!? サードのバックたるあの国には、外交ルートで圧力を掛けるのではなかったのか!? まさか本当に軍事介入でもやらかしたと!? …いや、この老人共なら十分あり得る事態だ。 少し迂闊だったか。 しかしだとすると、どうして欧米が被害を被ったのだ!? ぬぅ〜〜わ、わからん──)
ゲンドウは少ない情報の中、必死に頭を悩ませていた。
「それを今、碇君が詮索する必要などないよ。 だがキミが要望していたサードの後ろ盾の排除の件は失敗したということだ」
「……」
ということは、先走って息子の許へ向かわせた黒服共はどうなったのか?
そういえば、あれから連絡がない。
冷や汗を掻き始めるゲンドウ。
恐る恐る、不承不承と訊いてみる。
「そ、それでは、少々お話が違うのではな──」
「故に、力ずくでサードを排除する! 碇よ、これは通告だと思え!」
これにはゲンドウが泡を食った。
「サードを排除ですと!? な、何を言っておられるのですかっ!?」
どうしてサードの後ろ盾の排除の失敗が、いきなりサード本人の排除へと繋がるのだ!?
話があまりにも飛躍しすぎている!
「サードの位置は、既に把握している」
委員たちは男を無視して話を進める。
「ア、アレを殺すというのですか!? マルドゥック機関の選んだアレを!?」
ギョッとしているゲンドウ。
「ほぅ、ここに来て人並みな親心にでも目覚めたのかね?」
「あ…いえ、そのようなことは…」
「マルドゥックに意味などないのは、キミ自身が一番よく知っておろう」
「……」
「今回の審議は以上だ。 ご苦労だったな、碇」
最後にキールがそう告げると、委員たちは次々とその姿を消した。
しかし、一人その場に残されたゲンドウは、未だ思考の淵にいた。
「……」
サードを、シンジを、殺す?
…いや、無論アレが死のうが、それはそれで構わない。
もとよりアレに情などは感じてはいないからな。
だが残念だ。
奴だけは、シンジだけは、この俺自ら殺してやりたかった!
親を親とも思わない、この俺様を小馬鹿にしたあの態度…。
思えば、生まれてからユイの愛情を独り占めにしてきた忌々しいガキ…。
我が子ながら、男としての嫉妬を禁じえなかった。
…そう、アレは敵なのだ。
それだけが、唯一の心残りだ。
いや待て。待つのだ。
だがしかし、それでは初号機の、ユイの覚醒に支障が出てしまうのではないか。
今のレイでは、目覚めさせることは出来ない。
(……)
いや……しかし何とかなるか?
レイのダミーの精度が、今よりも向上すればきっと、いや必ずや!
それにだ、方法は他にもなくはない。手はまだある。
例えば、殺されたサードの体細胞からクローンを生み出し、偽の記憶と感情を植え付け、そして初号機(ユイ)に誤認させるもよし…。
ふふ、何だ、あるではないか、いくらでも手は!
だがここで、ふと気になった。
内線電話に手を伸ばし、呼び掛ける。
「冬月、レイは今どこにいる?」
《──は? 何だね、藪から棒に? レイなら先程出て行ったと思ったがね? ふぅ、病人を何だと思って……ちょっと待て、今調べさせる………………………………ふむ、やはりジオ・フロントにはいないようだな。 アパートにも戻ってはいないようだ。 地上のどこかではないのかね?》
嫌な汗が流れた。
あれ程言ったにも関わらず、まさか懲りずに愚息の許へと向かったのではあるまいな?
だとすれば、トバッチリを食らう可能性が高いのだ。
最近の保安諜報部の人員不足の煽りで、レイのほうの監視も薄くなっていたのが仇となったか。
マズイな…。老人共は既に動き出しているかも知れん。
……最悪、巻き添えを食って殺されたとしても、レイの正体が露見するのだけはマズイ、マズすぎるのだ!
どうする?
どうすればいい?
……いや、大丈夫だ。アレにはその辺のことは、しかと言い含めてある。老人共に疑念を抱かれるようなマネは決してしまいて。
最悪、死んでしまっても、三番目の体に移行するだけだ。何も問題はない。
それにレイには、虜囚の辱めを受けるくらいなら、即刻自爆して証拠隠滅を図れと常々言い含めてある。
故に、奴らに捕らえられて、正体が露見することもあるまい。
大丈夫だ。何も問題ない。
────────俺は、まだ大丈夫だ。





〜???〜

「しかし今回のことで、我ら12名の中に犠牲者が出なかったのは何よりだ」
ここはまた別のバーチャル空間。
暗闇の中、サークル状にモノリスたちが対峙している。
言わずもがな、ゼーレの最高幹部たるお歴々である。
「私も地下シェルターにいなければ、危ういところだったよ」
「ああ、まったくだ」
「冷や汗物だったな」
数名のモノリスたちが、口々に愚痴を零している。
「しかし、これは一体全体どういうことかね?」
「決まっている! あの国が何かしたのだ! それ以外に思い当たる節などないわッ!」
一人が憮然と吐き捨てた。
「ふむ……だが今は、その問題はさておくとしよう。 先ずは、この事態収拾をどうするかだ。 そう猶予はないぞ? セカンド・インパクト以来の未曾有の大惨事だ。 当然、我らの行動表にもない事態なのだ。 早目に声明を出しておかねば、我らの尻にも火が着きかねんよ!」
「さすがに、核攻撃されましたが犯人は未だわかりません、では、国連の調査委員会に対抗勢力の介入を許すことにもなるな」
「それは由々しきことだよ」
「馬鹿なっ! 何もかもあの国の仕業だと、初めから言い張ればよいではないかっ!」
先程のモノリスが激昂する。彼らの中では珍しく直情的な人物のようである。
「それは無理だよ。 既に幾つかの決定的な物証がメディアに流れてしまっておる」
「ああ……あれは国連軍のミサイルでした、とかいうアレかね」
「チッ、何も知らない軍関係者が漏らしたに決まっておる!」
「不可抗力だよ。 我々の力が、軍の末端までに浸透しているというわけではないからね」
「イカン、それはイカンよ…」
「…で、どうするのだ?」
苛立つモノリスたち。
だが、事件の首謀者があの国だと告発すれば、事はそれだけでは収まらなくなる。
彼らも、侵略という一方的な主権侵害を犯しているのだから。
そうなれば、国際法に反した数々の事実が、白日の下に晒されてしまう。
国際的な批判の矢面に立たされるだろう。
遡及して、先の国連安保理決議の是非も問われかねない。
やぶ蛇。本末転倒である。
そもそも、そんなリスクを避けるための極秘作戦であったのだから…。
──寝た子を起こすな。
告発したくても出来ない。彼らはそんなジレンマに陥っていた。
「「「「「……」」」」」
暫くの静寂が彼らを包み込む。
それを破ったのは、bQのモノリスだった。
「──テロリストが複数の原潜を奪って逃走。 世界各地で無差別的な核攻撃を実行。 敵艦は友軍の報復攻撃で撃沈。 テロリストの正体は、政権に不満を持った軍人、千数百名。 ──この辺が無難な線だろうな」
無論、でっち上げである。これ以上ないくらいの。
「…なるほど。 先の作戦が極秘裏に行われたこと、生き証人がもうこの世にいないこと。 我々にとっては、まさに絶好の条件とも言える」
「だが、廃絶したハズの核の存在はどう説明するのかね? どこかの大国が隠し持っていた、では政権の一つや二つは吹き飛ぶよ?」
「テロリスト共が秘匿していた、で押し通せば良い。 フッ、所詮は愚民共…。 目の前にスケープゴートを差し出しておけば、怒りに任せ、途端に真実が見えなくなる。 ──見え始めたときには……もう約束の刻、タイムオーバーだ」
「些か強引だな」
「だが、効果は覿面だよ」
その言葉に、周囲は沈黙する。
それ以上の代案は出ることはなく、暗黙のうちに異議なしと採られることになる。
最後に、bPのモノリス、キールが総括する。
「──公式声明の大筋はその線でよかろう。 細部の詰め、矛盾点の洗い出し等は、下の者たちに任せれば良い。 異存はあるまいな?」
「良かろう」
「それしかあるまいて」
「この際、贅沢は言ってはおれんだろう」
キールの言葉に、多少は消極的ながらも、全員が同意した瞬間であった。
ふと思いついたように、一人が呟く。
「…しかし、犠牲となったサブマリナーたちは、浮かばれんな。 なんせ人類史上最悪の汚名を着せられるのだからな」
多分、ヒ○ラーやビン○ディンも真っ青、歴史教科書にも未来永劫、載るほどの汚名だろう。
「左様。 本来なら、世界の為に戦い散った英雄・英霊として、誉め称えられて然るべき者たちなのだからね」
「彼らだけではないよ。 残された家族の今後のことを思うと、いやはや、実に憐れだ。 これからどんな迫害を受けることか。 きっと生き地獄だろうね」
尤も、それがわかっていても、決して手をさし伸ばそうとはしない…。
「だがそうでなくては、世間の追求はかわせんよ。 これは尊い犠牲(スケープゴート)だ」
「その通りだ。 それしか道がないのなら、我らは望んで鬼にもなろう。 それが人類全体の為なのだからな」
「我らに出来ることと言えば、彼らとその家族の冥福を祈ってやることくらいだ。 どうだ? ここは一つ、この場で彼らの為に祈ってやるというのは?」
「貴君にしては、良い考えだ」
「きっと彼らも浮かばれることだろう」
そして一同は、暫しの黙祷を捧げる。それは上辺だけの祈り、死者への冒涜…。
こんな哀悼、誰も欲しくはない。
ここは偽善独善の掃き溜め、免罪符の叩き売りコーナー。
笑うに笑えない。
「──しかし、あの国には、めぼしい力などないハズではなかったのかね?」
心ない黙祷の後、一人が当初の話を蒸し返した。
あの国とは、先刻彼らが侵攻に失敗したカマル・スーダン王国のことである。
「諜報機関の報告ではそうだ」
「つまり、我らの目を欺き、相応の軍備を整えていた、ということかね?」
「そう考えるのが妥当だな。 それにあの国には潤沢な資金がある」
「オイルマネーかね」
だが、そこで別のモノリスが噛み付いた。
「カネ? ハッ、そんな問題ではないよ! 既に大気圏深くに再突入した核弾頭を、囮もろとも、どうやってその全弾を防げるというのかねっ!?」
バーンと机か何かを叩いたような音が響いた。
そして男はまた怒鳴る。
「そのようなマネなど、我が国が配備している最新のMDシステムをもってしても、困難なことだよっ!」
無理もない。
それくらい非常識なことが起こったのだ。
彼らが戸惑うのも至極当然であった。
「確かに…。 奴らめ、どのような魔法を使って、我らが陣営にミサイルを落としたのだ?」
「管制システムをハッキングされたのではないのかね? そしてこちら側の領空へと誘導を受けた、と?」
「なるほど。 可能性としては十分考えられるな」
だが、その憶測を別なモノリスが一蹴する。
「いや、残念ながらその事実はなかったよ。 第一、そうだとするならば、巡航ミサイルの燃料がまるで足らんのだ」
「燃料以前の問題だよ。 射程2万キロのトマホーク……実に笑えん冗談だ」
そう、大気圏内を動力飛行する巡航ミサイルは、そんなには飛ばないのである。精々が数百〜数千キロ程度なのだから。
「ぬぅ…」
モノリスの一人は頭を抱える。
さらにトドメの一言。
「それに、こちら側に降ってくるまでに、タイムラグも殆どなかった。 その名の通り、瞬間移動だ」
「馬鹿な……奴らは、一体どのような手品を使ったのだ?」
驚愕の事実の連続に、老人たちは更なる頭痛に苛まれていた。
彼らの顔色を窺い知ることは出来ないが、恐らくは悪い夢でも見ているかのような表情に違いないだろう。
そして誰もが押し黙る。
だが、
「……」
「……」
「……」

「まさかディラックの海…」

「「「「「!?」」」」」
誰かが何気にポツリと呟いたその言葉に、周囲はギョッとした反応を見せた。
11枚ものモノリスが一斉に、1枚のそれに注目、いや睨み付ける。
「き、貴君は、何を言っておるのだね!?」
「軽々とそのことを口にするのは控えられよ!」
「アレはまだ極秘段階にあるのだ。 このような場では、コードナンバーか隠語を使いたまえ!」
ただの一般科学用語に、えらい剣幕である。
何か特殊な事情があるようだ。
因みにコードナンバーは、ワームホール。
隠語に関しては、アレ、コレ、どこでもドア、デラックスの──ゲフンゲフン、とまぁ、色々あるらしい(汗)。
「ぬ、いや済まぬ。 それは重々承知していたつもりだ。 だが、先日実証報告があった例のソレなら、もしかしたら可能だと、そう思ってな。 無論、他意はない。 許されよ」
素直に陳謝する男。
だがそれは、核心を突いた逆転の発想であった。
尤もこれは、密室殺人事件での完全犯罪のトリックが解けずに「そうかわかった、犯人は透明人間だ!」と突拍子もないことを言い出す輩とも、紙一重であったりする。
もしそうなら、当然それを言い出せばキリがないわけで、この世の推理小説の結末が根底から覆される事態になるだろう…。
「まぁ良い。 そう目くじら立てるほどのこともあるまい。 ──が、アレが実際何であるのか、我々にも殆どわかっていないのが現実だ。 我々が実証、いや確認できたのは、ほんの僅かなことだけ。 しかも、それはつい最近のことだ。 それも偶然の産物としてな」
「ああ、『彼ら』の協力がなければ、それさえも覚束なかったがね…」
「量子力学の世界では、エネルギーさえあれば何でも作れるらしいが、そのエネルギーがないのだ。 それでは、ただの絵に描いた餅なのだよ。 ましてや人の身で、それを自在に制御などと、……到底、夢物語にすぎんよ」
「…つまりは、杞憂ということか」
「左様。 少しばかり買い被りすぎだ」
モノリスたちは、そう結論した。
実を言うと、彼らの推論もなかなか良い所を突いていたが、結局は堂々巡り、双六の最初のマス目に戻ってしまっていた。
無論、彼らはそれに気づいてはいない。
そして、概ね議論が尽くされた所を見計って、bPのモノリスが仕切り出る。
「──見えない力は脅威だ。 だが、どんな手品にでもカラクリは必ずある。 早急に調査せねばならん。 が、現段階であの国を下手に刺激することは得策ではないだろう」
「確かに。 少なくとも今は危険だろうね」
「またどのような隠し玉があるとも限らんからな。 今はジッと耐え忍ぶときだ」
「……わかった。 この件は当面、その方向で終息させるとしよう」
「了承するしかあるまい」
「右に同じだ」
「……ヤレヤレ、にしても頭が痛いことだよ」
それは何気に呟かれた一言であったが、奇しくもそこにいる全員の心情が集約されていた。
ここ最近、ネルフの問題も含め、彼らの予定と実績では、比較するのも馬鹿らしいほどの差が生じていたのだ。
かつて、某鬚男は言った。たまには予定にないことも起きる、老人たちには良い薬だ、と。
だが、事はそれで収まりはしなかった。それは終始、起きっ放し状態。
良い薬も、量を過ぎれば猛毒となる、そんな典型。





「──で、肝心のサードの件だが、どうするのだ、キールよ? 排除するにしても、これで色々と融通が利かなくなったぞ?」
某国への軍事侵攻が失敗したのを機に、ゼーレは、サード・チルドレン、碇シンジを暗殺すること、それを決定していた。
彼らゼーレ(人類補完委員会)は、碇シンジの特権を廃することを、ゲンドウに請われる形で約束していたのだ。
約束した以上、今さら出来なかったでは、あの忌々しい男に借りを作ってしまうことになる。
そんな借りを作るくらいなら、その根本原因たるサード・チルドレンの存在そのものを消したほうが、まだマシであったのだ。
なお且つ、あの男にギャフンと言わせることも出来る。
それが、軒並みプライドの高い老人たちの結論であった。
それにあの少年は、色々と危険な臭いがするのだ。この上なく。
いっそ今のうちに処分しておいたほうが、後々計画への影響も少ない、そう判断されたのである。
ゼーレは、サードという個人に、さほどの拘りを持ってはいなかった。
あくまでも彼は、エヴァのコアに対(つい)するチルドレンの一人。それがゼーレの認識であった。
コアが換装(=上書き)されれば、チルドレンとしての価値も失われるからだ。
拘りを持っているのは、初号機(碇ユイ)覚醒のためのキーと考えている某鬚男だけである。
当然、初号機のコアの換装(=上書き)など、もってのほかであった。
尤もその男ですら、サードという少年を使い捨ての駒としか見てはいないのではあるが…。
話を戻そう。
キールは目を閉じ、瞑想していた。
先刻のルキフグという青年との会見を思い出していたのだ。
(──あのとき、あの男は言った。 たとえ国が滅び、どれほど多くの血が流れようとも……と。 ワシはそれをあの男の覚悟と踏んだ。 だが本当にそうなのか? ……つまりそれは、奴らのことではなく、我々のほうの犠牲のことを指し示していたのではあるまいか?)
今となっては、そんな節があったように思えてならなかった。
キールは徐に目を開けると、その重厚な声色で端的に告げる。
「666を使う」

「「「「「!!!」」」」」

これには周りが驚愕した。
「高が子供一人にかね!?」
「それは些か大袈裟すぎではないのかね!?」
「左様。 ウサギ一匹に、一個師団を差し向けるようなものだ。 まるで採算が合わんよ。 それに奴らはまだ調整中だ。 長期の行動にはとても耐えられんぞ!?」
モノリスたちは、口々に否定的な言葉を浴びせる。だが、当のキールは意に介さなかった。
重々、覚悟を決めた上での決断であったのだ。
「我々はもうこれ以上、後手に回るわけにはいかんのだ。 それに、第一世代の連中なら、短時間ならどうということもあるまい。 機能テストにもなる。 将来、肝心なときに動かなかった、では話にならんからな」
キールは強く主張した。
謎の力で我が軍を退けた国、
そして、そんな彼らが必死に庇う少年、碇シンジ…。
危険である。今のうちに全力をもって排除しておくべきだ。己が本能がそう告げていた。
「ぬぅ…」
彼の弁に周囲は黙り込む。
その言葉に一理あったのだ。
キールは一度周りの反応を見て、そして続ける。
「そして、期待通りの性能が確認できた暁には、──次はあの国だ。 徹底的に殲滅してくれる。 油田以外はすべて焼き払う。 今回、どういった方法で多国籍軍を退けたかは知らぬが、さすがに『666』の前では、如何な奴らとて赤子同然だろう」
「もとより次元が違うからな。 人間風情に彼らは止められんよ」
「それと、──念のため、アレを携行させる」
突如、周りがざわめいた。
「!!! まさかこの上、『槍』もかねっ!?」
「馬鹿な! 666と槍、我らの切り札中の切り札だぞ! それも最高の二枚だ! キールよ、子供一人に何を恐れておるのだ!?」
コピーではあるが、最重要機密であるロンギヌスの槍を持ち込もうと言うのだ。
彼らの動揺も当然であった。
「なに、念には念を入れるまでだ」
先刻のルキフグとの会見で、キールという老人は、碇シンジという少年を、酷く危険視するようになっていたのである。
それはある意味、極めて正しい推察であった。
「だが、槍のコピーの存在は、まだネルフの連中に知られるわけにはいかんぞ?」
「その点はご懸念無用。 奴らの目はしっかり閉じさせておく。 それに、これもテストになるからな」
「テスト?」
「アレは劣化コピーとはいえ、未だ南極の地で発見されてはおらぬオリジナルの99.89パーセントの性能を受け継いでいる。 その検証だよ。 槍はエヴァか使徒、或いは666しか使えんからな」
「なるほどな。 だが、使徒相手ならまだしも、ATフィールドも使えない人間相手に、性能テストも糞もないのではないのか?」
確かに一理あった。
どんな名刀であっても、使い方次第では、菜切り包丁となる。
魔槍ロンギヌス(コピーだが)と雖も、例外ではない。
単に人殺し目的なら、その辺に転がっている凶器と同列であるのだ。
キールは暫く思案していたようであるが、その疑問についぞ答えることはなかった。
代わりに、次の間接的な言葉を口にした。
「──鈴の報告では、サードの傍らには、ある少女がいることが多い」

「!!! ファースト・チルドレン、綾波レイのことかっ!」

瞬時に言葉の真意を悟ったのか、一人のモノリスが声を上げた。
「そうだ。 アレの正体は、未だもって不明。 碇もその話となると、途端に話をはぐらかす。 ……だが、推測は出来る」
「…666と同じく、使徒の眷属だと言うのかね? だから槍が必要になると?」
「…碇めが、やはり我らを裏切っておったということかね!?」
「あくまで可能性の話だ。 ……だが、ここで証拠を押さえることが出来れば、如何な碇とて、申し開きは出来ぬであろうな」
ニィと笑うキール。
その弁を聞くなり、他のモノリスたちは、聞き取れないほどの耳打ちを始める。
恐らくは別回線を使い、並行審議に及んでいるのであろう。
キールは気にせず、ただジッと待つ。
そして待つこと数分、話し合いがまとまったのか、bQのモノリスが代表して告げた。
「……わかった。 この件、そなたに任せよう」
「了解した。 謹んで承ろう。 そう、すべてはゼーレのために──」
「「「「「すべてはゼーレのために」」」」」





「…聞いていたか、───よ?」
会議終了後、キールは正面を見据え、腰を下ろした姿勢のまま、背後に佇む人影に問い掛ける。
逆光のため、そのシルエットしか窺えないが、少年のようであった。
「ええ、まあ」
「では、第一世代の連中で、事に当たれ」
キールは憮然とした表情で、要点のみ命じた。
当の少年も、それで通じるのだから話は早い。…ま、老人の背後で一部始終を聞いていたのだから、当然といえば当然だが。
「第一世代全員? それは少しばかり大袈裟なんじゃないのかな?」
少年は少しだけおどけて見せる。
「用心のためだ」
「ふーん。 ま、いいけどね。 調整槽を出れるし、久しぶりの外界だし」
「目的地は日本。 目的はサード・チルドレン、碇シンジの抹殺」
「だけ?」
少し物足りなそうに、少年は微笑み返す。それは、お強請(ねだ)りの眼差し。
「…邪魔するものは、すべて排除しろ」
「了解だよ♪」
「期限は48時間だ。 それ以上だと、調整なしには貴様らの体が持たんからな」
「いや、半日で十分だよ。 日本なんて、ディラックの海を使えば、すぐだしね。 まぁ、折角くれるって言うんだから、残りは休暇ということで、ありがたく頂戴しておくよ」
「……今回は機能テストも兼ねている」
苦々しい表情ながらも、キールは一応の釘を少年に刺しておく。あまり羽目を外すなと。
「わかってるよ。 ああ……でも、あまり派手にやらかすとマズイんじゃないの?」
「その点は大丈夫だ。 予め、ネルフ共の目は閉じておく。 心配はいらん」
「フフフ、相変わらず用意周到だねぇ〜。 そんなところは好意に値するよ。 それじゃあ、ご期待に応えて、存分に暴れさせてもらうとしようか」
少年は期待に胸を躍らせ、そして今は見えない目的の地、遥か日出ずる方角に目をむけると、目を細め、何やら不敵な微笑を浮かべていた。



To be continued...


(あとがき)

先ずは土下座!m(_ _)m
只管(ひたすら)土下座!m(_ _)m
遅れてゴメンなさいっ!m(_ _)m
しかも同時公開を約束していた第十六話、未だです(おい)!m(_ _)m
でも近日中には仕上げます!m(_ _)m
だから見捨てないで下さい〜!m(_ _)m
さてさて、今回は軍事ネタが多かったです。
作者自身、そんなに詳しくはないので、多分、突っ込みどころが満載だと思います。
あと核の話ですが、土地柄、知人にも被爆二世とか三世がいるので、どうしようかなと迷いましたが、最近の核拡散の世界的流れにカチンときていたので、あえて書きました。
読むに堪えない方もおられるかと思います。ゴメンなさい。
ですが、一つのアンチテーゼとして読んで頂ければ、作者としては幸いです。
ミサト、相変わらずの馬鹿ですね。本人に自覚はありませんけど。
犯罪行為も、輪を掛けてエスカレートしてるし。
無論、割を食うのはいつも善良な一般市民なのですが…。
断罪、いつでしょうかね?(笑)
次回もサービスサービスぅ〜♪(直ぐですよ〜♪)
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