ヴァンパイアロンド

第三話

presented by 綾様


メイドがカップを置いて下がる。磁器のカップからほのかな湯気が立ち上り、紅茶の香りを楽しませた。
机に置かれた角砂糖を一つ紅茶に落とし銀のスプーンでかき回す。うす茶色の液体が渦を巻き、角砂糖を溶かしきった。カップを回し取っ手を右側に向けると、白い指でつかみ淡い桜色の唇に当てた。
時間は午前三時。よい子でなくとも眠らねばならない時間帯だ。だが死徒にとって夜こそが生活の時間。それは日の光を克服した死徒でも変わらない。
足下で寝そべるプライミッツを見て、他の二人はどうしているのだろうと思いをはせた。
リィゾは庭で自己鍛錬をしているだろう。死都が発生したと聞かない限り自己鍛錬を休むことなどあり得ない。怠けている姿は想像すら付かなかった。
フィナは解らない。近くの街に繰り出して美の付く少年を味見しているか、死者から死徒になったこれまた美の付く少年から血を飲んでいるか。それ以外のこともしているだろうが、自由奔放なフィナの行動は予測が付かない。暇つぶしに研究でもしてみようかと思ったが、今以上特異な性質を発見してしまうのがどことなく恐かった。
現実に戻り右を見る。先程宝石剣を発動させた老人は、席に着いてこそいるが出されたカップには指一つ触れず、鋭い視線を送っていた。
誰に送っているのか? それは左を見ることで理解できる。左を見ると外見年齢がほぼ同じの少年が落ちつきなく目線を彷徨わせ皿にのったカップをそのまま口に付けていた。
まるで子羊のようだと思った。よくよく考えたらその表現はあながち間違ってはいない事に気が付く。語られた未来、その結果。その中で少年は確かにスケープゴート、生け贄の子羊だった。
こんな死徒も珍しい。たいていの死徒はもっと堂々と、悪く言えば自分を中心に世界は回っていると言い出しかねないぐらい自信にあふれているものだ。
まあ全ては現実逃避なのだけど。心の中で一人誰とはなしに愚痴り、一人の老人が放つ尋常ならざる空気の原因を思い出す。
あまりの魔力の放出に魔術が使えないゼルレッチを無視して、あろう事かシンジはこう言い放ったのだ。何も変わってませんよ、と。
当然何のことか理解できなかったアルトルージュは、荒れ狂う魔力と、威圧感以外は元のままのシンジに何のことだと問い返した。返ってきた答えにアルトルージュは勿論、ゼルレッチでさえ戦闘態勢を解いてしまった。僕、死徒になれたんですか? と。
あり得ないことだった。以前から自身が持つ魔力に気が付いていなかったが、今現在部屋で荒れている魔力に気が付いていないのだ。さらに発している威圧感すら解っていない。大抵の死徒は死者から成り上がった瞬間、自身が変化したことを自覚する。それは意識がはっきりすることも原因だが、一番の理由は沸き立つ熱い力の源があることだという。それがない。つまり自分が何者になったかという事から説明しなければならない事に、アルトルージュとゼルレッチは呆れかえったのだ。
そして現在、その説明会が行われるはずだったのだが、またしてもゼルレッチが警戒し始めた。とりあえず威圧感と魔力を治めてもらえないかと言い放ち、何のことか理解できなかったようだが瞬時に威圧感を霧散させ、魔力を身に治めたのだから、演技でないかと疑っても仕方のないことだった。
「あ、あの、それで結局死徒になれたんですか」
両手を握りしめ、それでもまなじりを下げながら声を放つ。呟きに似たそれだったが、静寂が支配している寝室では大声を出したのと変わらないほどよく響いた。
「シンジ君、貴方何日眠っていたか知ってるかしら?」
今だ監視するような目線を送るゼルレッチを無視し、声をかける。当然眠っていたシンジにどれほど眠っていたかなど解るはずがない。
「十五日間。これが貴方が眠っていた時間よ」
「そ、それで死徒にはなれたんですか」
何処か申し訳なさそうな声に、そこの所どうなのかと、話をゼルレッチに振った。
「死徒…ではない。おぬしまことに解らぬのか」
眉間にしわを寄せるゼルレッチに、機嫌を損ねたのかと焦る。
「な、何がなんだか。死徒って言うのもアルトルージュさんに聞いただけで」
「姫、何処までお話になられましたか」
視線を一切外さずに問いかけられる。その事に不快感を感じなかったわけではないが、ゼルレッチの心情を鑑みて仕方のないことだと妥協した。
「死徒が何故生まれたのか、死徒二十七祖のこと、大体は話したわ」
「そうですか、それは結構」
決して油断せず、杖を構え静かに席を立つ。
「小僧、本当に自分が何者なのか理解しておらんのだな」
その言葉に、かつて初めてNERVに行った際、初号機のゲージで父、ゲンドウから放たれた以上の威圧感を感じ、一も二もなく頷いた。
「嘘、かどうかはまだ解らぬ。だが真に解っておらぬのなら真実を告げよう。おぬしは死徒にはなっておらん」
こわばったシンジの体から力が抜けた。
「無駄、だったのか」
無意識なのだろう、虚ろになった瞳とともに言葉が漏れ出た。そこには何の意味も込められておらず、ただ暗い闇だけが感じられた。言葉で表すなら虚無。それこそが今のシンジを表す言葉だろう。
流石のゼルレッチもそれを感じ取り片目をすがめた。何かあると。
「聞くが小僧、何故そこまでして死徒になりたい。おぬしはまだ若い。道ならば幾重にもあるじゃろう」
シンジは魔力が認識できなかった。その事から、魔術師ではないただの一般人だと推測できた。ただ、それならば何故そこまで死徒にこだわるのかが解せなかったのだ。
そして語られる境遇、未来での出来事。思わず本当なのかと目を見開いてアルトルージュに確認を取るくらいそれは衝撃的だった。
「シンジ君の話に矛盾はないわ。ATフィールドとか言うのもこの目で見た。それに彼の血は幻想種のそれが混じっているわ。混血じゃないそれが」
幻想種。その一言でゼルレッチも理解せざる終えなかった。混血の人間はいても、それ以外の人間が幻想種の血を流しているなどと言うことは、聞いたこともなかった。説明はシンジの話し以外ありえない。
「疑って、すまぬな」
返事はなかった。今のシンジは漸く見えた五十年後果たすことが崩れてしまったのだ。
「小僧、そう落ち込むな。おぬしは死徒こそなれなかったが、それ以上のものになれたのだぞ」
「それ以上?」
力無く聞き返す。アルトルージュは確かに見た。その瞳がまだ死んでいないことを。
「真祖、と言う言葉は知っておろう。そして朱い月のことも。小僧、御主は何の因果か真祖となったのじゃ。それも史上最高の真祖へな」
言葉が出なかった。真祖と言えば吸血衝動さえなければ死徒おもしのぐ最強種族ではなかったか。
「どういう」
「かつて朱い月は己の死を確信しておった。そして自身を後生に残すため自らの力を使い自身と同じ、けれど消されることのない存在を作った。それが真祖じゃ。だが一人を除いて真祖は吸血衝動に蝕まれ真の実力を出せなかった。その一人も完全ではない。だがおぬしはそれらの上を行ったのじゃ。おそらくおぬしは朱い月に最も近い存在。そしておぬしの成長次第ではあるが、すでに持っておるATフィールドを付け加えて、朱い月を越える存在であろう」
「そんな、僕が」
あり得ない。そう続けようとした言葉は、肩に置かれた手のひらが塞いだ。
「シンジ君」
いつの間にか立っていたアルトルージュが諭すように柔らかく言葉を放った。
「望んだことではないかもしれない。でもそれが結果よ。この結果が嫌なら、受け入れる必要はないわ。私は強制しない」
「アルトルージュさん」
「大きな力は同じ力を引き寄せるわ。望む望まないに関わらず。いずれ貴方はそれとぶつかることになる。残念だけどそれは避けられない事よ。だから考えてみて、これが貴方にとって完全に良いことだと言えないけれど、悪いことだとも言えないのだから」
きつく目をつぶる。思った以上の力。大きすぎる自分の手に負えない力が何を引き起こすのかは経験で理解していた。だがそれでも。それでも守るって決めたんだ。
ゆっくりと瞼を開ける。
「僕はやります」
その顔に怯えの色はもうなかった。

「ゼルレッチ様」
席に戻りシンジの過去のことで談笑していた時、アルトルージュは前々から思っていたことを提案した。
「シンジ君を弟子に取ってみませんか」
シンジが固まった。何を言っているのだろうとアルトルージュを見るが、さも良いことを思いついたと言わんばかりに顔いっぱいの満面の笑みを浮かべていた。
「弟子とな」
「ゼルレッチ様のおとりになるお弟子さん方は皆、根を上げるか魔術師として人間として再起不能になるばかりだと」
私の忠告も受け付けてもらえませんでしたし。そう続け、頬に手を当てる。
「ゼルレッチ様は死徒。当然修行の内容もそれに相当したものになりますわ。その点シンジ君は死徒、いえ真祖です。耐久力の度合いは人間と比べものになりませんわ」
シンジの顔が青ざめる。根を上げるのはいい。厳しい内容だったらそれも当然の結果かもしれない。だが再起不能とはどういう事だ。弟子への態度として何か間違ってはいないだろうか。
「だがの姫。今は低レヴェルとはいえ、小僧は朱い月をもしのぐ可能性を持っておる。儂が奴を倒せたのは、奴が魔術や魔法に詳しくなかったからにすぎん。そうでなかったら負けておったのはこの儂じゃ。小僧を第二の朱い月にするつもりか」
「まさか、そんなつもりはありませんわ。シンジ君は私達を裏切らない。それは断言できます」
その言葉にシンジの頬が赤くなり、胸に暖かな物が訪れた。信頼されているということがこんなにも気持ちが良いものだと初めて知った。そしてそれが好意を寄せている人となればなおさらだ。
「それに気付かれておいでですか? 彼はすでに魔法を使ったのですよ。ゼルレッチ様と同じ第二魔法を」
瞬間ゼルレッチの顔が引き締まった。
「そう言えば小僧は未来からきたと言っておったな」
「時間移動。その可能性が最も高いですが、平行世界への移動の可能性もあります。ですがどのみちその行為は魔法のはず」
「小僧、どうやって此処へ来た。見せてみろ」
有無を言わさぬ声に、慌てて立ち上がり、テーブルの横にディラックの海を展開した。
ゼルレッチは一つ感嘆の声を漏らすと、単身その中に入り込む。目を見開くシンジにかまわず、しばらくすると何処からともなくゼルレッチが姿を現した。
「もうよい、しまえ。だがこれは第二魔法ではない。実と虚、その移動手段か」
言葉に従いディラックの海を消し去る。そしてどうやら理解したらしいゼルレッチに目を見開いた。
「それはどういう事ですの」
それはアルトルージュも同じであったようで、小首をかしげる。
「あの闇の向こう側は、存在するものが皆無の世界。儂が入って無事だったのは魔力の巨大さ故だったのだろう。この世界のように」
カップを取り説明する。
「物質が存在する、つまり実際にある世界の反対、ありとあらゆるもの、時間すらも存在しない世界。数字で示すとマイナスの世界が向こう側の世界と解釈してよい。小僧が此処に来られたのは恐らく虚の支配する空間だったからじゃろう。実と虚は正反対のようでいて隣り合うように密接な関係を持っておる。それはどの平行世界でも同じじゃ。時間すら関係のない世界を経由して過去へと出口を作った。小僧の話では意図してのことではない故に、世界の干渉があったのかもしれんが理論はそんな所じゃ」
「では、魔法ではないと」
「いやそうとも言えん。虚の世界と言っても、現在足をつけている世界とは違う世界には変わりない。平行世界かどうかは定かではないが、世界移動であることは確かじゃ。つまりは魔法と言うことになる。だがそれを起こしている現象は魔術や魔法が担当する神秘ではない。全てはATフィールド、心の壁が生み出した能力にすぎん。先程観測していたが魔力を使った様子は全く見あたらなかった。故に魔法ではないとも言えるんじゃ」
解釈の仕方によるじゃろうな、と話し言葉を切った。
「では弟子に取らないと?」
心の何処かで納得し、同時に落胆していた。これでは青の魔法使いに賭けるしかないではないかと。その場合純粋なシンジがどのように歪められてしまうのかがとてつもなく気がかりで、さらには限定的な空間跳躍魔術以外は全て破壊につながる彼女の元へ弟子に出してしまったら、シンジまで破壊しかできない魔術師になるようでとても納得がいなかった。
「そう思っていた」
だからその言葉を聞いたとき、胸の中で拳を握ったのは許されることだろう。
「じゃが小僧の芸当に興味を持った。小僧を分析する代わりに弟子に取ろう。今時等価交換など流行らぬが儂も元は魔術師じゃ。根元に到達したとはいえこの世の謎に挑む事こそ生き甲斐。今から胸が躍るわい」
誰もが幸せになれる答えだった。少なくともアルトルージュとゼルレッチはそう思っていた。だから意外だった、
「あの」
「何かしらシンジ君?」
「僕したいことがあるんです」
「したいこと?」
シンジは意を決したようにアルトルージュの深紅の瞳を見つめた。
「会社を建てたいんです!」
お金を仮して下さい。そう言ってテーブルに頭をこすりつける。
それ故、その決断にアルトルージュが戸惑うのも無理からぬ事だろう。
「今がチャンスなんです!」
それは未来を知っているからこその攻勢。取り合えすアルトルージュは理由を聞くことにした。
「僕がやることのためには…」

イングランド某所にその建物はあった。首都ロンドンに魔術協会その総本山、時計塔があることは魔術師の間では常識だが、同じ島にその会社、否財団があることは興味の範囲外だった。
世界各地に傘下の会社を持ち、最新の石油化学から農作物まで手広く事業を伸ばしている世界有数の財団だ。大企業には付き物の黒い噂も大量にあったが、たった一つの真実の前には霞んでしまうだろう。財団の創始者は人間ではないと言う事実の前には。
法螺話のようであるが、それはれっきとした事実だ。財団、ヴァンデムシュタール財団創始者、ヴァン=フェムは人ではなく死徒だった。
「帰れ」
それが初めてあったときの言葉だった。アルトルージュを通してアポメントを取ったのだが、貴様に用はないとばかりに顔すら見てもらえなかった。
それでもシンジは頑張った。何をしてもすぐに諦めてしまう性格は何処に行ったのか、豪奢な艶光りする木の扉にすがりつき、秘書と思わしき人物が帰らなければ警察を呼ぶと脅してもその場所から離れなかった。
死徒を警察へ引き渡すわけにはいかない。その事から結局再度面会が許された。
「弟子にして下さい!」
書類から目を離し、二人しかいない部屋を死徒の恐怖で支配してやろうと考えていたヴァンは、叫びと同時に思わず吹き出した。
「弟子だと! 貴様気でも狂ったか!」
可笑しそうに笑うヴァンだが、必死に見つめてくる紅の瞳を見て落ち着きを取り戻した。
「貴様は、私と貴様ら一派の確執を知っているな」
何故そこまで真剣に見つめるのか理解できなかった。それ故当たり前のことをから切り出したのだ。
だがその答えは予想を上回った。つまり知らないと。
その筈はないと思考する。自身とアルトルージュ派、特にフィナとの仲は最悪に等しいレヴェルなのは死徒の誰もが知っている。それを知らないと言うことは、新米の死徒。だが仮にもアルトルージュの使いとしてやって来るのだから最低限の常識はわきまえていなければ使者として機能しないはず。それはアルトルージュも解っているはずだと、目の前の死徒の真意を考える。
「私の弟子になって何をする。アルトルージュの機嫌でもうかがうのか」
アルトルージュ派に財政担当は居なかったはずだと、嫌味混じりに探りを入れる。
「それは、その、今アルトルージュさん達にお金を動かす人がいないことも理由の一つです」
やけに素直な返答に顔を歪める。目の前の存在は死徒の筈だ。死徒は総じてプライドが高い。新米死徒にはその傾向が強い。熟成した、あるいはそれなりに時を経た死徒は固執するプライドの愚かさを知るが、その分老獪さが現れる。どのみち素直な返事はあり得ないのだ。
「アルトルージュさんに恩返しがしたいのは事実です。でも僕には、僕には目的があるんです!」
仕込まれたのだろうかと考えたが、目に騙す色は欠片も感じられない。これでも他の死徒達に比べ、世界を股にかける企業のトップに立ち腕を振るわせていることから人を見る目はあるつもりだ。嘗ては人形師であったことから、会社の運営を始めた頃は失敗ばかりで、騙す目の色には敏感になった。それは財団に成長した今も狙う者達が居ることで更に磨かれた。故に嘘を言っていないという結論に至るのはごく自然な事だった。
「何が望みだ。貴様は死徒だ。殺されない限り永遠の命が保証される。難しいだろうが時を重ねることさえできれば、二十七祖の一員として権力を手にすることもできるだろう。何故人間の世界に関わる」
半ば詰問めいたのは仕方がない事だろう。死徒に人間の価値観は当てはめられない。ヴァンが財団を運営しているのは暇だからだ。規模が小さな時でもそれなりに忙しかったが、現在は大統領の援助や、有望な企業の買収、自社株の確保など多岐に渡っている。死徒のゆったりと流れる世界とは違い、慌ただしく息をつく暇もないが永遠の一部だと考えればちょうど良かった。
だが目の前の死徒は違う。外見年齢で判断することは危険だが、それでも死徒としての独特の雰囲気が欠片ほども感じられない。傲慢でない所を除けば、新米死徒として相応しい雰囲気だろう。だからこそ永遠という名の退屈は未経験の筈なのだ。
命令でもなく、暇つぶしでもない、不可解な自発的行動。その理由が全くつかめない。
「僕はやらなきゃいけないことがあるんです。力は手に入れました。でもそれだけじゃ足りないんです」
僕は、それに続く言葉が何なのか、足りないといった言葉で理解した。
そうか、そう言う事か。
続く話には思わず目を見開き声を荒げ詰問してしまったが、全ては理解した。
何から始めさせるか。五十年という間で達成できる案が次々と浮かんで消える。最終的に残ったのは無謀と言っていい考え。
だがこれくらいがちょうど良い。実質五十年も無いだろう。目の前の死徒には他にする事もあるのだから。偶然の一致か、行動の理由は、ヴァンの地球への思いと重なる部分が所々に隠れていた。それは意図した事なのかそうでないのか。恐らく意図などしていないのだろうが、止められない人間の勢いを僅かでも遅らせる事ができるならヴァンとしても協力する事は吝かではなかった。
「良いだろう。弟子に取ってやる」
鷹揚に頷き、許可を出すと目の前の死徒は緊張し張った筋肉がほぐれ、破顔させた。
だが、それだけでは面白くない。ヴァンが思ったのも仕方のない事かも知れない。永遠の時をどうすごすかは死徒の命題とも言えた。だから口の端を引き言い放つ。
ライバル企業になり、いつか私とぶつかりあう事が条件だと。

「あ゛ー」
オーク材で作られた業務机に上半身を投げ出し、野獣のそれとも付かない唸り声を上げる。
まだ十四才の子供の体には机も椅子の大きく、特に椅子には背丈を稼ぐためのクッションが敷かれていた。
軽いノックと共に、丈夫な木でできた扉が開く。黒い絨毯を音もなく歩き、スーツ姿の女性は両手に持った紙の束を机に置いた。
「社長、クラシタル会社から会談の連絡が入りましたが、どうなさいますか」
俯いていた顔を上げ、クラシタル会社のデータを脳内から引っ張り出す。
「スケジュールは夕方が空いてたね、それを使うよ」
女性がスーツの中から手帳を取りだし何かを書き込んでいく。
「会談の場所は」
「いつもの場所で良い。レストランにもそう伝えといて」
了解しましたと、頭を下げて女性は退室した。時計を見る。もうすぐ昼時だと言う事に気が付いたが、真祖となったこの身に食事は不要と、新たに積まれた書類の山に頭を痛めながら、万年筆を取った。
ヴァンと出会い一年がたった。一月後に又来いと言われ、いったんアルトルージュの千年城に戻り、死徒、否、真祖という今の体の力加減を仕込まれた。何せフォークとナイフを使えば、押さえであるフォークは曲がり、切り刻むナイフは刃がすり減った。それをどうにか生活可能なレヴェルを体に覚え込ませ、最後にはリィゾとの魔剣対素手の模擬戦を全力でやる事になり、自身の非常識な力と反射神経に恐怖を抱いた。結果は多彩な戦闘経験を持つリィゾの圧勝だったがパワーに関してはシンジの方が圧倒的に優れていた。だが結局は負けた事と、あり得ないと言われるくらいの魔力が、魔力のマの字さえ感じ取れずやはり自分は物覚えが悪いのだろうかと落ち込んだが、それもヴァンと再会するまでだった。
再開したヴァンが開口一番言い放った言葉、
「この会社を経営して貰う」
そう、ヴァンはあろう事か会社、それも傘下に大中の企業が入った会社を任せるという暴挙に出たのだ。勿論無理だと反対したのだが、ヴァンは聞く耳を持たず、それが嫌ならば弟子にはしないとまで言い放った。
流石にそれは困ると折れ、結局会社を任されたのだが、会社を運営する所か、学校の行事すら進んで参加した事のないシンジにまともな運用ができるはずもなく、僅か一週間で会社が機能しなくなった。傾いた大企業に傘下の会社と社員も困ったが、もっと困ったのはシンジだ。傾いた会社はヴァンの持ち物だからだ。
焦りに焦り、思いつく限り手を打つシンジだったが全て悪影響しか出ず、いよいよ終わりかと言うときに立て直したのが全てを予期していたヴァンだった。三日とかからず会社を建て直したヴァンは何をやり何を感じ取ったかをシンジに聞いた。
そして全てを聞いたヴァンは、消沈するシンジに当然の如く言い放った。トップはトップであるからこそ手足は動くのだと。
シンジは、社長という重圧からできるだけ期待に応えようと秘書に全て報告するようにと指示を出していた。それが間違いの元だったのだ。
会社と言っても業務は多岐に渡っている。それを一人で総括する事などできるはずがない。社内は一定レヴェルの権限を持った部長なり係長なりが部下の情報をまとめ、上に上げる。社長は重役会議や秘書との話しの際にそれを確認し、社の方針を決めるだけでよいのだ。社長は人間でいう脳である。そして会社という物自体が体だ。神経や筋肉、手や足は社員がつとめる物だとヴァンは簡単に説明した。
事実立て直すために取った方策はそれが主だった物で、関係している会社との折り合いは多かったものの、平時であれば必要ない物である事はシンジにも理解できた。
それからシンジのやり方は変わった。始めこそ不安な目で見られたが二ヶ月を過ぎるとその目もなくなった。
そして現在、シンジは卒業試験を受けている。二ヶ月間ヴァンデルシュターム財団を存続させ、舞い込んでくるだろう仕事を始末し、財団全体を上昇させなくとも減少させない試験を。
はっきり言って無理だろうと思ったシンジだったが意外にやる事はそう難しくはなかった。ヴァンはシンジの成長レヴェルに合わせて任せる会社の規模を大きくしていった事が此処に影響した。その中には規模こそ違え先程の様に取引先との会合もあったからだ。
何が徳になり、何が損に繋がるのかを理解し、指示の出し方を会得したシンジは、舞い込む仕事の量の多さに目を回しながら、それでも失敗一つせず二ヶ月間ヴァンの代役を勤め上げた。

秘書から渡された報告書を読み進める。その傍らでシンジが体を硬くしているのに気が付いたが、あえて無視をした。
シンジに任せた二ヶ月間分の財団の様子を読み進める。読み進めるに従い視線が厳しい物に変わっていった。それが解ったのかシンジもますます体を硬くするがやはり無視をする。
革張りの背もたれに体重を預け、読み終わった書類を机に置いた。
シンジは何も言わない。目線が結果を期待している事を示していたが何も言ってこない。
良い人材だ。頭の中だけで評価した。受けるとは思わないがいってみるか。
「シンジ」
傍目にも解るほど、体が強張った。背筋を伸ばし両手を体の脇に沿い伸ばしている。
「私の所に来ないか」
間抜けに口を開いた顔が映った。それに構わず話を続ける。
「貴様が関わった会社は、最終的に必ず伸びている。取引先との関係も良好だ」
「き、聞いてませんよ! そんなっ」
「言っていないからな」
当たり前だろうと口をつり上げる。
「試験開始時ああいったが、正直緩やかな下降が見られると思っていた。だが」
執務机の向かい側に立っているシンジの元に書類の一ページが投げられた。
「実際はどうだ。僅か、ほんの僅かだが元の数値よりも上昇している」
「でも途中は下がってますけど」
小さな反撃。シンジは元より最終試験を合格できると思っていなかった。条件が厳しすぎると。だが実際グラフを見てみると、始めの一ヶ月ほどは急激な下降が見られたが、それから後は同じペースで上昇を続け、試験開始時よりも僅かだが上昇していた。
「当たり前だ。何処の世界に始めから仕事内容をつかめる奴が居る? 始めの一ヶ月は貴様が仕事内容を把握する期間だ。期間は違うが貴様が体験したどの会社運営でも始めは下降していた」
何度も繰り返しグラフを読み返すシンジにさらなる追撃を始める。
「貴様をライバルにするのは魅力的だが、それまで後何年かかる? ならば今私の代役を務めさせた方がより魅力的だ。いずれ財団内で派閥が二つに割れるだろう。私の引退時期も関わってくるだろうから三十年とかからないはずだ」
「でも、それは」
「貴様の目標はどうした。やる事があるのだろう? そのために私の財団を使っても良い。それならば何も問題はあるまい」
言葉に詰まる。確かにその通りだからだ。ヴァンが示す道はとてつもなく甘美に見えた。だが、とシンジは目に力を込める。
「ダメです」
ヴァンの目が細まるが屈しない。
「僕は、僕一人の力で成し遂げたい何て思ってもいません。今此処にいるのはアルトルージュさんや、ゼルレッチさん、リィゾさんにちょっとおかしな所もあるけどフィナさんや、ヴァンさん貴方のおかげです」
「それが解っているなら何故来ない。私の示す道がどれほど楽か貴様にも解るだろう?」
確かにそうだ。だが納得するわけにはいかなかった。
「僕は、僕の望むものに誰も巻き込みたくない」
ヴァンの目が危険なほどに細くなった。
「それに」
ヴァンの様子に気付かず、拗ねた様にそっぽを向き呟いた。
「ライバルになりたいですから」
顔を赤くした呟きはかの泣く様な僅かな声だったが、死徒であるヴァンの耳には全て聞こえていた。
心の中で呟かれた言葉を繰り返し、楽しげに口を歪めた。
「シンジ」
物体が風を切る音に、反射的に受け止めた。左手には何か丸められた丈夫そうな紙が収まっている。
「試験は合格だ」
行けと手で指図するヴァンに首を傾げる。
「ヴァンさん、あのこれは」
「今の世では卒業式という物があるそうだな」
突然何を言い出すのかと、先が読めないシンジを尻目に言葉を続ける。
「卒業証書という物が指導者から渡されるらしい。それの代用だ」
「ヴァンさん」
力強く紙を握りしめる。
「何をしている。貴様は此処に用がないはずだ。さっさと行け」
椅子を回転させ窓の外を見る。
「ありがとう御座いました!」
大声と共に駆け出す死徒でないと気付かないほどの僅かな足音。階から消えた足音に悟られぬ様にそっと呟いた言葉は誰にも聞かれることなく消え去った。



To be continued...
(2009.04.18 初版)
(2009.04.25 改訂一版)


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