ヴァンパイアロンド

第四話

presented by 綾様


極東の国、日本。古の都、京都にほど近い、日本最大の湖を保有する県にそれは存在した。
第二次世界大戦が終結し、僅か五年で勃発した朝鮮戦争。三年の時を経て穏やかとは言えない終結を向かえた戦争は、敗戦国日本に多大な利益をもたらした。
国連軍、主に米軍の要請で生産された武器弾薬は、低価格ながら飛ぶ様に売れた。また多数の死者を出した事から、死体冷凍技術による大量の利益も得る事ができ、日本は瞬く間に太平洋戦争からの飢えを完全に克服し、戦争勃発以前の状態まで回復した。
それだけでは、日本はただ米国の言いなりになるしかなかっただろう。だがその後に訪れた高度経済成長は、日本を米国を始めとした先進国と同等の経済大国へ押し上げた。その中には朝鮮戦争中の軍需生産の為に発達した工業技術が上げられる。皮肉にも戦争で荒廃した日本は、同じ戦争で高い利益を上げたのだ。
朝鮮戦争で復活した財閥や、いわゆる成金が好経済にわく日本でさらなる発展を遂げようとしたのは当然の話である。
しかし、経済という物は生き物だ。好転するのは難しいが、悪化するには一日あれば事足りた。一九七三年の第四次中東戦争を切っ掛けにした原油価格の高騰、すなわちオイルショックである。ただ経済の悪化と言っても、異常な程まで沸いていた経済が減退し決して不景気ではない、適度な状況に安定しただけですんだ。
滋賀県に本社を置く、紅月財団も始めはただの一企業に過ぎなかった。どの企業も何も期待していなかっただろう。だが、軍需工業の買収というあり得ない行動を取った会社は、朝鮮戦争を利用して成金への仲間入りを果たした。
戦争が終結すると、今度は庶民を対象にしたテレビ、洗濯機、冷蔵庫と言ったいわゆる三種の神器を何処の企業よりも早く生産し、以降も電気製品の先駆けとなりつづけた。
それに味を占めたのか、更に軍用のジープを生産していた会社を傘下に置き、民間向けの自動車を開発、販売した。これは他の企業に後れを取ったものの、ジープの力強いエンジンと、今まで考えていなかった乗り心地を追求した商品は、見た目が他社の自動車より劣っていたにもかかわらず、噂が噂を呼びこれまたヒット商品へと上り詰めた。それは他社の自動車が高価格な事に比べ、比較的安価なためであった事も理由の一つであろう。
一九六四年には、アジア初のオリンピック会場に日本の首都東京が選ばれた。オリンピックの風に押され活発になった建設企業に手は出さなかったが、次世代の乗り物である新幹線開発事業に積極的に参加し、後続機の開発を受ける様になった。
その後大阪で開かれた万国博覧会に、世界初のカラーテレビを出店し米国の月の石と人気を二分した。
そして一九九五年。好景気に沸いた日本経済がまさかの下落を見せたバブル崩壊。それをさらなる跳躍の足がかりとして遂に紅月は、日本の主柱となる財団へと勢力を拡大した。
「後はセカンドインパクトか」
紅月傘下のホテルで真祖としての朝食をとりながら、今後の課題突破方法を模索する。
紅月財団の成長は、決して手腕だけではなしえない先見の能力があったからだと見られている。いつ何時にしても後から見た時、その時の最善の一手を打っていたからだ。
それはバブル経済を最大限に利用し、僅かな崩壊の予兆が見えた瞬間事業拡大を止め、手堅くバブル崩壊後も利用できる強みを育てた事に見えてくるだろう。
だが、それは当たり前の事だった。何故ならばそれらの出来事は全て必然的に起こる事態だと知っていたからである。それもその筈、紅月創始者、碇シンジは未来からやって来た存在だからだ。
勿論何が起こるかを覚えているだけでは、事業は成功しない。だからアルトルージュに無理を言って、同じ死徒、二七祖十四位に位置するヴァン・フェムに師事したのだ。
ヴァンに鍛えられる事一年。会社運営のノウハウを会得したシンジが渡された物が、会社を建てる軍資金だった。
「一年前から詰めればいいか。それまでは」
おもむろに椅子から立ち上がり、一人で寝るにはもったいないくらい大きなベッドの脇に置かれた電話の受話器を取る。ボタン式の番号を数度叩き、特定の人物へ連絡を取った。
シンジは紅月のトップである。それに間違いはない。だがそれを知っている者がどれほどいるかというと人間は誰も知らない。表向き人間の代表を置き、影で操っている。今も現代表に連絡を取る最中だ。
二、三話し挨拶も無しに電話を切る。これだけで相手は確実に言われた事を実行し、話があった事自体を記憶の奥へとしまい込む。
面倒な作業だが、今はそれで良かった。本社に赴く事もあるが、部屋には自由に赴ける様に細工をし、すでに秘書と本人は精神操作を施している。その場で指示を出す事も可能だ。代表に選出した者もできがいい者ばかりを利用していた。故にそう簡単に財団が傾く事はあり得ない。
唯一の懸念事項と考えられる、突発的な経済危機は事前に知っている事から回避するどころか、さらなる跳躍への踏み台にした。シンジが漏らしたとおり、今後の問題は地軸を曲げ、南極を解かし、世界を未曾有の混迷に陥れるセカンドインパクトのみなのだ。
その時期まで後四年、自らが動く時間を含めると三年しかない。五十年という年月の大半は紅月の成長へと向けられたからだ。
思わず深い溜息が漏れる。長く居場所としたホテルの一室に荷造りが完了した旅行バックが二つ。シンジはベッドでふて寝する事に決めた。予想では今しか休息はない。何故なら千年城では、宝石と青の魔法使い、黒の騎士の三人が手ぐすね引いて待っているからだ。
何時だっただろうか、思い出すのは紅月の表の顔を用意しようと、真祖の能力の開花へ戻ったときの事だ。魅惑の魔眼と呼ばれるそれをその時始めてみた真のアルトルージュの姿にそれこそ魅了されながら学び、日本へ行こうとしたとき世界が変わった。
世界観が変わったのではない。文字通り存在する世界が変わったのだ。
その世界に人はいなかった。ただどうにか生物と呼べる成人男性の何倍もある醜悪な者が存在していた。
見つけられた瞬間、それらは群を成し襲ってきたことは今でも時々夢に見る。その時ほど真祖であったことに感謝したことはない。
人間では出せない圧倒的なスピードを持ってしてもそれらを置き去りにする事は不可能で、パワーに物を言わせて襲いかかるも、鋼ですら破壊可能な自身の拳は毛ほども効果が無く、あっという間に蹂躙された。
助かったのは偏に使徒と真祖の再生能力の賜である。腕がちぎれ、土手っ腹に大穴が空き、足が砕ける。激痛とも呼べない激痛が身体のありとあらゆる所を襲い、鮮血が宙を舞うたび、重傷と呼べるそれらが一瞬で塞がった。
どれだけの時間が流れたのか、ある時まるで悟りを開いたかの様に思考がクリアになった。几帳面な性格から短く切られていた爪が、手首から中指の先程の長さまで何よりも堅く伸びた。その瞬間理解した。これが真祖なのだと。
後は簡単だった。腕を一つ振るたびに地面が割れ、醜く堅かった生物は真っ二つに切り裂かれ絶命した。吹き出すオイルの様に黒い血液を浴び、斬撃で襲いかかりながら、群れを蹂躙した。
頭が割れ、皺の寄った脳を不快な臭いを上げる脳漿と共に踏みつぶした。雨の様に吹き出す血飛沫の中、宙に躍り出る。空中で体を回転させ、回し蹴りをたたき込んだ瞬間、その生物が砕け散った。暗黒色の肌とは違い、ピンク色の断面が痙攣し、動かなくなる。それでも群れは後退しなかった。まるで引く事を知らないかの様に。
結局群がったそれら生物を完全に駆逐するまで、気が付かなかった。ポケットにビー玉ぐらいの宝石が入っているのを。
ゼルレッチの罠だったのだと今でも思う。宝石を使うのは奴だけだ。更に言うなら世界移動ができるのも。
これしかないだろうと、引きつった顔でディラックの海を展開し、虚数空間に潜った。そこから先は手のひらにのった宝石が自動で行った。元の世界への道しるべが脳内に浮かび、出口を作るだけだったのだから。
千年城に帰り、見たのは朗らかに笑う魔道元帥の姿。元の性格も忘れて襲いかかるも、魔術で返り討ちにされ、日本行きの船を逃した。
思えばそれが初の異世界修行の記憶だ。それから帰るたびに修行としょうし、魔法を発動させる。おかげで真祖としての能力は開花したが、何か理性ある生き物として大事な物を失った気がしてならなかった。
そして今回の帰国。送られてきた手紙では、本格的な修行のために今まで指導していたゼルレッチに加え、青の称号を得た破壊の魔法使いと、体術の師匠、リィゾ=バール・シュトラウトがそろっているという。
悪夢だった。

そろそろ来る頃だと、雲が空を覆い月と星を隠す空を見上げた。
ここ五十年ほどの人間の勢いは留まる事を知らないかの様だと、僅かな戦慄と共に思う。
人間は石油という物を手に入れてからは、まるで世界の覇者の様に振る舞い始めた。
工場の煙突から空へ昇る煙は大気を汚し、川や海へと垂れ流される汚水は生物を容易く死に至らしめ最終的に元の人間へと返ってくる。地球環境を顧みず行われる行為は人類やその他の生物の未来を閉ざし始めているとアトラスが憂いている事は周知の事実だ。
永遠の時を持つ死徒にとってそれは些細な事だろうが、暇つぶしの材料が無くなる事は死活問題だった。
特に最近アルトルージュはその傾向を強くしていた。時の流れとは時間さえも縮める。長い航路を取るしか交流の術がなかったというのに、今では地球の裏側からでも数時間かかるだけで行き来できる。それは同時に物流の活性化を意味していた。
大量に行き交う物流の中で、目をつけたのは書物だ。欧州の創作作品はすでに読み尽くしたが世界の物となると話は別だ。そしてアルトルージュは恋愛小説にはまった。
死徒の間で恋愛などあり得ない。生殖能力がない事からそれまでの過程が薄れたのだ。勿論その思いが強く残っている者もいる。ごく身近な例ではフィナがそうだった。
ただ死徒ともなると、見初めた相手を力づくでどうこうするという手段が常識化していて、純粋な恋愛はほぼあり得ない。ほぼという理由は、ごく希にだがシンジの様に死徒である事を認識できない者が生まれるからだ。
その点自身は、生粋の死徒。人間であった時代がない。だからなのか憧れにも似たそれがせめて小説の中だけでもとのぞき出てきたのだろう。事実、小説を読むと主人公に感情がうつり先の事を思い鼓動が早くなる。
だがその事は配下の死徒達には理解できないらしく、決まって話す相手は今だ真祖なのだと理解していないのではないかと思われる、人間味あふれたシンジになった。
真祖となり、これまでの時間の殆どを会社運営に力を入れていたシンジが千年城に戻って来る事は希だ。当然仲間意識が薄れるのだが、シンジは戻ると決まってアルトルージュの元へ来る。それが礼儀からではない事は、僅かに嬉しそうに緩んだ顔を見ればすぐに解った。
お茶の席で会っていなかった時間に何があったのかを表情を巧みに変え、話す様子は休む暇もないと言うのに何故か輝いて見えた。考えて話しているのか、内容も専門的な物ではなく話のネタになるようなことが多かった。土産も変わっていて、東洋の着物や、お茶、最近では花や、お茶菓子など様々な物を持ってきてくれる。他の死徒にその様な機転はなかった。
まるで弟の様だと、知らず知らずのうちに胸が暖かくなる。自身は失敗作で、成功作の妹にはどうしても劣等感が先に出てしまい、冷たい態度しか取れない。シンジは、妹よりも更に完成度の高い真祖だ。最高の作品とも言えるだろう。劣等感を刺激しそうな物だがそんな事はついぞ感じた事がない。
何故だろうかと、窓に映る自身を見た。
恐らくそれは真祖らしくない言動のためだろう。吸血衝動はなく、能力は桁外れの筈なのに、体の事をよく理解していない。
恐らく自分達が居なければ太陽の昇る昼に活動し、暗くなった夜に寝ていただろう。何故か見ていると世話をしてあげなければと言う思いがわき上がってくるのだ。劣等感のレの字も浮かばない。と言うより浮かぶはずがないのだ。
耳に遠くから聞こえる足音が響いた。
もう一度窓を見る。映った顔が何処か緩んで見えた。

目の前にいるのは誰だろうか。そう思うのも無理はない。帰った事をアルトルージュに知らせようと廊下を歩いていたとき、いきなりドアが開き引っ張り込まれたのだ。
赤い髪を長く伸ばした人は、女性だった。目つきが鋭い印象を受けるが、性格は穏やかそうだ。その証拠に人目もはばからず口を大きく広げあくびをしている。
ジーパンにTシャツといった格好に本当に女性なのかと問いたくなったが、自重した。その様な事は女性に聞く物ではないと栗色の髪の少女に体で覚えさせられたからだ。
「あの、貴方は」
取りあえずは確認だと、目の前の人物に問いかけた。女性は聞いているのかいないのか、うつらうつらと船をこいでいる。
死徒ではない。その事は雰囲気から伝わってきた。死徒独特の血の臭いがしないのだ。
お客さんだろうかとぼんやりと思った。この城には人間はいない。アルトルージュに仕えているメイドや執事は全て死徒だからだ。更に言うと戦力になる死徒達は、何十も存在する塔にそれぞれ部屋があてがわれている。一昔前までは、各死徒達は食事のために散っていたのだが、輸血パックができた事でその必要性が無くなった。
これからシンジが住む部屋は城にある。真祖とはいえ、新米者であるシンジにその様な待遇をしていたら暴動は起きなくても、シンジ個人に突き上げが来るはずなのだが、日本に会社を持ち、その金で輸血パックを購入している事から穏やかに事態は進んだ。
「青崎青子。青の魔法使いよ」
眠そうに返された声に息をのむ。青崎青子、別名人間ミサイルランチャー。歩く破壊の象徴と揶揄される破壊の根源に到達した魔法使いだ。
「私の事は先生と呼びなさい。明日から魔術を教える事になってるから」
「あの、僕の事を」
「知ってるわ。絶滅危惧種の真祖でしょ。ゼルレッチから聞いたわ」
あくびを一つ。目をこすりながらベッドに座る。
「私の担当は昼間の時間帯。真祖なんだから昼でも大丈夫よね」
頷こうとしたシンジを見つめながら急ぐ様に先を話す。
「授業内容は、破壊の何たるかを知る事。基本の身体強化から魔法一歩手前の幻想崩しまで破壊という破壊を詰め込んであげるわ」
「あ、ありがとう御座います」
何やら恐ろしい事になったと、内心冷や汗を流しながら頭を下げる。
それを眺め、青子は頷いた。
「君、飼われてみない?」
何とも言えない甘い声。ただその内容からある噂を思いだした。
「し、失礼します!」
慌てて背後にある扉から転げ出る。噂の内容。青色は何人も男を飼っている。それ以後男を見た者はいない、と。
鳥肌が立ったのを我慢して、アルトルージュの寝室へ向かう。夜に女性の部屋を尋ねるのは御法度だが、死徒にとって昼に尋ねられる方がよっぽど迷惑だ。死徒と人とでは生活の時間帯が違う。
見上げの品は着物だ。黒の生地に真紅の蝶が飛ぶ模様。自然顔がほころぶのを感じた。わざわざ京の街を探し歩いたのだ。期待しても可笑しくはない。
アルトルージュには感謝している。閉ざされた道を開いてくれたのは彼女だと何時も思っていた。あの満月の夜の出来事がなければ自分を一生誰にも話せぬ物を抱えて彷徨い、のたれ死んでいただろう。
自分はアルトルージュに恋している。その事は何十年と生きて漸く確証を持った。だがその想いは伝えるつもりはない。アルトルージュは死徒の姫で、自分は彼女の子だと思っているからだ。
想いが口をついて出そうになった事など数え切れないくらいあった。だが言えなかった、朗らかに笑う彼女が自分を異性だと意識していない事を知っていたから。
戦争の中訪れた淡い初恋は大人達の思惑で無惨に叩き折られ、二度目の恋は自分で諦めた。それでも寂しい事はない、恋した彼女は隣ではないが一生側にいられるのだから。
城の最奥に辿り着き、ドアをノックする。返ってくる返事に頬を緩め、そっとドアを押し開いた。可愛い微笑みを向けられるのは時を経ても心臓が跳ねる。それを押し隠し微笑み返した。守っていくという誓いを胸に。

近年発見した事だが、真祖に睡眠はいらない。
自身が特別なだけなのかどうかは比べる対象が存在しない事から解らないが、二、三日徹夜した際何の障害もなく活動できた。勿論普段は眠っているが、いざというときは頼りになる能力だと思ったのだが、まさかこんな形で使われるとは思ってもみなかった。
その日朝、シンジはいつものごとく寝るつもりだった。ベッドに入り数分、ドアがノックされた。誰だろうとドアを開けると赤い髪の女性が仁王立ちしているではないか。その瞬間思いだした。青の魔法使いに魔術を教えて貰う予定だったと。
頬を引きつらせる青子を何とかなだめ、破壊の魔術を習っていく。宣言したとおり基本の身体強化の魔術から始まり、雑談に空間跳躍魔術を紐解かれ、夕方までみっちりと鍛えられた。
夕方から夜更けまではリィゾの時間だった。
城の一角に石畳の訓練場にて稽古は行われた。まず始めた事は打ち合える武器を探し出す事だった。リィゾが武器を代えるという方法もあったが、どのみち魔剣レヴェルでなくては振るう力に耐えきれない事は明白だった。結局ニアダークと打ち合える魔剣は見つかったものの、大剣ツーハンデットソードではなく、片手半剣バスタードソードしか該当しなかった。
シンジが選んだ剣に眉を寄せたものの結局それしか存在しない事を理解したのか、それとも子供姿のシンジに、片手半剣でも大きく映ったのか定かではないが、剣の基本の型をその日みっちりと体に覚え込まされた。ただシンジの物覚えが余りにも良かったので、実践方式の打ち合いになり、ずたずたになったシンジにぽつりと漏らされた、まだまだだな、という言葉が突き刺さったが。
そして最後に夜更けから夜明けまでの時間帯は、魔道元帥こと、キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグの時間だ。
ゼルレッチとの時間は意外に穏やかに始まった。魔術を使う際、尤も始めにする事が属性の検査だった。青子はしなかったそれだが、それは仕方がない。青子の使う魔術に系統の指定はなかったのだから。ただあえて言うなら空気みたいに魔術師ならばあって当たり前のものばかりだ。
検査はものの五分で終了した。その結果にただでさえ恐い顔なのに眉間に皺が寄った。杖で石畳の床を叩く。
その形相に恐る恐ると言った体で無色だった宝石をのぞき込んだ。瞬間顔から血が引いた。何も変わらず無色透明だったのだ。
歯を強く噛みしめ、宝石を睨み付ける。すると目の前で宝石の色が変わった。赤くガーネットの様に色づいたのだ。
両手を握りしめた。何の属性か解らないが、属性があったと言う事だけは解ったからだ。
だが喜びも束の間、宝石はまたも色を変えた。赤から黄色に、そして緑色になったかと思うと、透き通った青色へ、紫もあったかと思うと、真っ黒に染まりもした。
成功か失敗か。ゼルレッチの顔を見るが険しい顔は変わらない。それでも何十年と企業を背負った経験か、問答無用の異世界修行の成果か、視線をゼルレッチに集中させた。
「全部じゃ」
忌々しそうに呟かれた言葉に、一瞬理解できなかった。
「全て、現在まで確認された全ての属性が表されとる」
「それって良い事ですよね」
多い事は良い事だと、不思議そうに聞いた。
「良くはない。四元素程度ならば問題もないが、全属性など身体がもたん」
苦々しげに吐かれる言葉に、首を傾げる。
「人間はって事ですよね? 僕これでも真祖の筈なんですけど」
瞬間ゼルレッチの顔から険しいものが取れた。
振り向き、足の先から頭の天辺までをなめる様に見ると、邪悪に口元を歪めた。
「これで修行ができるな」
当たり前の言葉。その筈なのに何故か悪寒が走った。何から始めようと楽しそうに呟き出す声を無視し、思いだした。ゼルレッチの弟子は、根を上げるか、再起不能になるかどちらかだと。
どうか、どちらにもなりませんようにと、居もしない神に祈るシンジだった。
そして過ぎる修行と言うよりは授業に近い時間。魔術師の間でノーマルと呼ばれるほどありきたりな火の属性から講義は始まった。
一見火と聞けば、松明など燃える炎を思い浮かべるだろう。だがそれは間違いだ。火の本質は温度にある。温度が上がれば物体は酸素と結合し炎となる。それは物体が燃える質のもだった場合だ。硝子や金属は温度を上げても燃えはしない。ただ形状を崩し解けるだけだ。そのどちらの場合も火の性質に変わりはない。
魔術とは神秘を扱う学問である。原因と結果、その過程を飛ばし発生させる事だと思っても構わない。魔術で使用する過程とは魔術なのだから。
まずゼルレッチは、空気中に炎の玉を作り出せと課題を出した。魔術の何たるかを朧気ながら理解した事が功を奏したのか、短いキーワードと共に星から生まれた事による無限とも言える魔術回路に魔力を流し魔術を行使した。
軽い爆発音が響く。一瞬だが室内に熱源が現れた。
「発想が間違っておるのだ」
成功かと表情をゆるめるシンジを威厳ある声で否定した。
「空気中の酸素と水素を反応させる事は地の属性に当たる。その点では魔術が成功したと言えるじゃろう。だが今やらなければならないのは火の魔術。抽象的に捉えよ。何故炎が灯るのかを考えるのでない。原因を模索し過程を省略せよ。結果は魔術が引き出すものじゃ」
考え込む。魔術を使い炎を灯す事は理解した。だが原因とは何だ。火は必ずと言って良いほど酸素が必要になる。故に先程、水素と反応させたのだ。
眉を寄せ空中を睨む。
いや、それは違う。火の属性の本質は、
「ゲートオープン」
キーワードを呟き、脳裏で胸からコアをえぐり出すイメージが流れる。
「サーキットイン」
膨大な魔力が何万、何億と存在する魔術回路に流れる。
火の本質は熱源。
指を鳴らした刹那、空中に高温を表す青色が浮かんだ。
「正解じゃ」
もうよいと指示を出し、講義を始める。
「先程言った様に火の根本は熱源にある。儂が炎を出せと言ったのは、文字通りの炎ではない。火を灯すには、材料が必要じゃ。だが今やっておるのは基本。熱の塊を出す事がそれに当たる」
杖で空中に文字を描く。書き終わった瞬間紅蓮の炎が燃えさかった。
「このように熟練すれば媒介無しで炎を出現させられる。通常ここまでいくには…」
「ゲートオープン。サーキットイン!」
講義を遮り魔術を行使する。紅蓮の炎の横に、白く燃える高温の炎が現れた。
何時も間一門に閉じられている口を軽く広げ、ゼルレッチは軽く息を吐いた。
「通常は、三十年はかかるのじゃが」
正面を見やり、呆れた様に笑った。それをやった張本人が喜色満面に笑っていたからだ。
「応用編でもやるかのう」
夜の城に威勢の良い返事が響いた。
明け方、ゼルレッチの担当が終わり、軽い朝食を取る。
「そんな所で何してるの?」
そこにジーパンとTシャツ姿の青子が姿を現した。
「先生。朝食ですか」
「少し早いけどね」
軽く口の端をあげ対面の席に座る。
「それより何でシンジは食事してるのかしら」
「変ですか?」
硝子のコップを置き、青子を見つめる。首を傾げて聞くなどと言う年はとうに過ぎ去ったからだ。
「変ね。すっごく変よ」
テーブルに肘を置き、断定する。そこまで変だと言われると流石に凹むものがあったが、内心を押し隠し、どこら辺が変なのかを聞いてみた。
「だって、シンジって真祖よね。星から生まれた精霊とも呼べる種族。なのにご飯食べるのって」
無駄じゃない? 疑問の形を取っていたが明らかに断定するそれを含んだ声に、確かに無駄だと本来の食事の意味を振り返る。
「死徒は良いのよ。主な食事が血液だとしても、パンとか人間が食べる物も栄養にはかわりないから。でも真祖は…」
「良いんですよ栄養にならなくたって。気分の問題です」
気分と? 聞き返す声があがる。
「もう四十年以上前になるんですけど、食事を取ってなかった時期があったんです」
思い出すのは忙しい会社経営。あの時は息つく暇もなかった。
「色々やってましたけど、やっぱりちょっとした時間ってのはあるんです。その時、部下が疲れた顔で美味しそうに弁当を食べてたんですよ。それで少し外食してみて、思ったんですね。体の栄養は必要ないけど、心の栄養は大事だって」
「心の栄養?」
メイドが運んできた朝食を食べながら、怪訝そうに眉間に皺を寄せた。
「ご飯って基本的に美味しいじゃないですか。忙しい合間の休憩時のそれってとっても美味しく感じられるんですよ。それに何となく人生を損している様な気がしません? お菓子って栄養よりもそう言う物を考えてるでしょ。それが食べる事のの真実なんだと思うんですよ」
そう言う物かしらと、不可解な顔をして一応の納得を見せた青子に、微笑みを送る。
「それじゃお先に失礼しますっ!」
「待ちなさい。何処に行こうとしたのか知らないけど。これから私の担当なんだからそこで待ってて」
ゼルレッチとの修行のため少しおくれたが、就寝の為部屋に戻ろうとした事を妨げられ、思いだした。確かにこの後は青子の担当だと。だがそれでは、
「僕、寝る暇無いんですけど」
「真祖に必要あったっけ?」
そうして、何年にも渡る寝る事のない修行が行われることを悟り心の休息は食事の時だけだと涙した。



To be continued...
(2009.04.18 初版)
(2009.04.25 改訂一版)


作者(綾様)へのご意見、ご感想は、メール または 感想掲示板 まで