ヴァンパイアロンド

第七話

presented by 綾様


洗う。手をこすりあわせ、蛇口から水を流し、何度も洗う。
洗面所に着いた鏡はいつもの自分を映していた。何も以前と変わらない、その筈だった。
洗い終わった手のひらを目の高さまで持ち上げる。こまめな性格から短く切られた爪、黄色人種らしい肌色の手。天井に光に反射する水が無ければいつも通りだ。
安堵の溜息を吐き、ふと正面の鏡に視線を移す。瞬間顔から血の気が引いた。
「赤い…」
くしゃりと顔が歪む。力一杯蛇口を捻り滝の様な水流に両手を入れ、水が飛び散るのも構わず乱暴に手を洗う。
「取れない…」
何度も洗い、何度も鏡を見るシンジは急速に衰えて行く様にも見えた。
シンジが鏡に見た物。赤い、罪の意識を思い出させる鮮血が、余す所無くその両手にこびりついていた。
ゼルレッチの修行で何度も殺してきたはずだった。罪悪感など沸かない。沸くはずがない。そう思っていた。
今回の修行は何を意味しているのか、目的は知らなかったが自分に益になる内容なのだと今までの経験から解っていた。ゼルレッチは無駄を嫌う性格だからと。
そう、このやり方は効率的だ。元の世界に一切の影響を与えず、それを成すには何の脅威もなく、標的が有り余っているこの世界は最適だ。
水の飛び散り方が激しくなり、零れた水が床を濡らす。
その時まで理解できなかったのは何故だろうか。考え出た答えは簡単な物、自分は駒としてしか存在価値を認めていなかったからだ。
頭が良く回り、指示さえ出せば的確に対処する、そんな程度。同じであるのは守ると決めた死徒の姫や、黒騎士、白騎士。それと全ての魔術を扱う事ができる事から宝石の称号を得た魔道元帥と、人間ミサイルランチャーと呼ばれるほど破壊に精通した青を冠する魔法使い。財政界の王、ヴァン・フェムや城の同胞。敵対している勢力や、協会や埋葬機関の司祭達。それが同じだと、同じ土俵に立っている者達だと認めた者だった。
世界第一の勢力である国の皇子だとしても、所詮ただの人であると思っていた。何の事はないこれから抹消する有象無象と変わらないと。
だが、それが今になって違うと解った。修行と称した異世界で、数え切れないほど生物を殺してきた。だがそれが何だというのだ。
落ちなかった。どれだけ洗おうとも鏡に映る赤はこびりついたまま。それが幻覚なのだと解ったのは、あの引き金を引き力無く倒れた頭から赤い水が漏れ出ていく所を思いだし嘔吐してからだった。

何時から、何処か影のある笑顔で出された食事を食べ終わり、硝子の扉から外界を眺め、先日の事を思い返す。
あり得ない。その一言で全てが表された。
聞けばシンジは死徒とは違う種族、死徒の元とも言うべき真祖という星の精霊なのだという。詳しい話は聞けなかったが、スペックは死徒以上。ダイヤでも切れますよ、と笑顔で言われた事はナイトメアを容易く切り裂いた事から事実なのだと受け入れられた。
コードの呪いを受け継ぎ幾星霜。この世の全てを知り尽くしたと思っていたがどうやらそれは思い違いらしかった。
知らなかった事で思いだしたが、クロヴィス殺害時、どのようにしてG−1ベースに乗り込んだのかが不思議だった。出入り口から入ったのは勿論だが、守っているはずの兵士は自分達を見逃した。否、正確には認識していなかった。
例の金色の瞳で言いなりにさせるのだと思っていたのだが、そうではないらしい。
いつもなら傍若無人に何様かと言われる様な態度で聞きに行くのだが、最近シンジの調子が悪い事を知っていた。
窓に水滴が着く。先日から怪しいと睨んでいた雲がとうとう泣き出した。瞬く間に叩き付けられる様に振る雫に、もう用はないとばかりに視線を窓から外す。
黒い革張りのソファーに座り、テレビの電源を入れる。どのチャンネルでもクロヴィスの死が困惑気味に報道されていた。
それも無理はないだろうと思う。自分でさえ未だ夢の様に思っているのだ。第三者が状況を見ても理解できるとは到底思えない。ましてやただの一般人が。
両手でリモコンを弄び、思考を続ける。
シンジの様子がおかしくなったのは、一晩たった昼からだった。昼食時何気なく何故切り裂かず、銃で撃ち殺したのかを聞いた。その方が事態を解りにくくさせると答えたシンジはまだ笑っていた。
誰にも悟られず施設に入り込み、軍人でひしめかれている司令部で誰も犯人を見る事もなくいつの間にか殺されているだけでも十分異常だが、切り裂いてしまったら傷口から犯人が人間ではあり得ない事がばれてしまうかも知れない。シンジはそう語った。今もテレビで防犯カメラに写った紅いコート姿が流れているが、自分の事までは流れていない。
情報規制にしては自分を使った実験を行っていたトップが死去し、本国の手も届かない筈なのでやる意味がない。
自分はシンジのすぐ後ろに着いていた。映っていないという事はあり得ない。故に良く回る思考はまた得体の知れない何かで、シンジが映らない様にしたことをはじき出した。
あいつは何処か自分よりも他人を優先している。
その事は短い間だが研究所から助け出されてからの数週間で解ってしまった。どことなく男らしさよりも女らしさが目立つ中性的な顔立ちのシンジだからかも知れないが、嘗て記憶に存在しないが確かにあった母親という存在を彷彿させる仕草が多い。それでいて紳士然とした所があるのだから、表の世界に身を置いていたのならば女の敵になっていた事は想像に難くなかった。尤も中学生のなりをしていてそれが可能かどうかは話が別だが。
ともあれ、カメラに写っていない事はおそらくはシンジが自分を守るためにした事なのは間違いがないだろう。だがどうやってやったのかと問いつめる行動ができない。シンジの調子を見てしまうとどうしてもためらってしまうのだ。果たして詰問しても良いのかと。
普通に聞き出せばよいのだが。だがそれは難しい相談だった。過ぎ去った年の分、生に達観してしまった事で半ば自暴自棄になった行動が普通を消し去り、傲慢とも言える遠慮のない行動しか取れなくなっていたからだ。
せめて何を思い調子を崩しているのか。それが解ればやりようがあるだろうにと、自分の辿り着いた先を自嘲し、気分転換に自分の買い物強奪に付き合わせるかと思い立った。
そしてシンジを探し、流れる水の音に誘われ見た物がその考えを霧散させた。

暗い部屋にパソコンの明かりが漏れる。情報収集を欠かさないと言う事もあるだろうが、それにしては夜の二時という時間帯は遅すぎた。
ベッドのシーツは盛り上がり、規則正しく上下している事から寝入っているのだと解った。
だが、自分は当分寝る事はできないと自嘲する。クラッキングした内容を見て静まらせているが、気を抜くと昼間の二の舞になる事がはっきりと解ったからだ。
拳銃を使って良かった。ミスリードのためだった殺し方は、少しだけ引き金に力を入れるだけで反動たる反動も無しにあっけなく拳銃が作られた目的を遂行した。
手応えも何もないその感触。それは今の状態にちょうど良かった。仮に切り裂いてしまっていたら肉を切り骨を断つ感触を覚えたままだっただろうからだ。
日本反抗勢力大元、京都六家が計画中のグラスゴー改良型ナイトメアフレーム無頼、及び外部顧問を招き入れた日本独自の二足歩行型戦闘機、ナイトメアフレーム紅蓮弐式の計画が書かれた画面を眺める。スペック上、計画段階で唯一はっきりと解っている紅蓮弐式に施された輻射波動は、完成した際ブリタニア軍に一泡食わせる事が可能な技術だった。現在ブリタニア軍においてサブマシンガンや、ランドスピナーと言った標準装備以外の武装は唯一ナイトメアフレーム型手榴弾と呼べるケイオス爆雷が存在するくらいだ。
ブリタニア本国に忍ばせた擬似生命体からの情報を画面に表示する。議会録を読み進めるとエリア十一という重要拠点に送る人物が二転三転している事が解る。ただ誰もが総督不在の間に中華連邦が攻めてくるのではいかと戦々恐々としている様子がうかがえた。
多少の不気味さがあれど、エリア十一総督の地位は高いらしく、逆転を狙う皇子皇女が我先にと群がっている事が容易に伺える。シュナイゼルは来ない。EUと中華連邦との会談で忙しいからだ。それに彼にはいらないだろうと思った。調整の難しい会談を任され、その合間に独自のコネを作り、例のF計画までも進行させているのだ。その手腕は現皇帝に匹敵する。仮に来るとしても当分先になるだろう。
ぼんやりと画面を眺める。今後どうするか、そんな事をぼんやりと思ったがどのみちやる事は決まっていた。
重い溜息を吐く。革張りの背もたれにもたれかかり天井を仰ぎ見た。
両手を見つめ、思ってしまう。やれるのだろうかと。
やらなければならない。それは解っていた。だが、だからできるのかと聞かれるとどうしても戸惑ってしまう。
よく、一人殺せば後は同じだと言うが、それは間違いだとまとまらない思考で思う。
人は生物は壊しても作り直せるものではない。それがはっきりと解ったからだ。
知らぬ間に口に力が入り、音が鳴った。
やらなければならない。それは課された物だという以前に、あの時、死徒にならないかと誘われたときに決めた目的達成のためだ。自分でも解る。これが、この世界での修行が時がたったときどう影響するのかが。目的にどれだけ必要な事かが。だからやり遂げなければならない。
禁忌の意識と、使命感。どちらもシンジというヒトをなす重要な部分であり、片方だけを取り、片方を捨てる事は自分を壊す事になる。
自分でない自分。それは今とどう違うのか。
目をきつく閉じ、体に力を張る。
「僕は…」
意識の砂時計、その最後の砂が落ちるとき、それは起こった。暖かな何かが首に回されている。
清潔な香しい臭いと共にライトグリーンの髪の毛が揺れた。
「…無理をするな」
傍若無人な言動からは想像も付かない暖かな声。
C・Cシーツー、何を…」
「初めて殺したのは今日みたいな暗い雨の日だった」
信じられないほど真面目で、優しい声。内容と反するそれは、何故だか赤い朱の結晶で凝り固まった精神をほころばせた。
「復讐のつもりだったのだろうな。コードを継いだため死んでしまった者に恋いこがれていたのだろう。当時は何処にでもいるただの農民が、クワを振り上げて襲ってきたんだ」
頬に柔らかな物が当たる。頬と頬とつけられたと言うのに、シンジは不思議と恥ずかしい気持ちは沸かなかった。むしろ暖かな人肌が心地よかった。
「正当防衛だった。それでも人を殺したことは変わらない。震えたよ。歯がなって、体を抱きしめた」
声に悲しさはない。ただ事実を言っているだけのように感じられた。
「あの時、戸惑いもなくクロヴィスを殺したお前はそんなこと感じない、感じていないと思っていた。私を越えた本物の怪物ならと。だが」
首に回した腕を降ろし、背もたれ越しに抱きしめる。
「お前の心は人間だったのだな」
「人間?」
「そうだ。傷つきやすく壊れやすい人間そのものだ」
「何を言って…。僕は真祖ですよ」
言外に人ではないと告げるシンジに首を横に振る。
「体はな。お前がどれだけの時を生きたのか知らないが、人を殺したことはなかったのだろう? お前にはブリタニアを壊すという目的がある。計画の都合上殺しは避けて通れない道だ。だから」
泣け。優しく呟かれた言葉は胸に響いた。
「泣けば解決する、そんな夢物語は言わない。だが無理矢理押さえ込んでやり続けるよりは楽になる。それが逃げだと、ただ殺しの罪悪感から逃避しているだけだと誰に言われても私はそうは思わない。泣きたいときに泣くことも大切だと私は思う」
俯き、パソコンから漏れる明かりに映る白魚のような腕が霞んだ。
何故だろうと不思議に思い、瞼をこすると手に液体が付着した。それが涙だと理解するのに幾ばくかの時間がかかった。理解した瞬間嗚咽と共に自然と涙があふれてきた。
堰を切ったように感情をぶちまける。殺したくない。それでも殺さないといけない。何故と問う声に、話さないでおこうと思っていた元の世界のことが口から漏れ出た。
不思議と追求の声はなく、ただそうかと頭を撫でられる。
「私の時は誰にも頼れなかった。だからだろうな、お前が苦しんでいるのを放っておけないのは」
椅子を回転させ嗚咽を漏らし泣き続けるシンジを連れ、ベッドに向かう。ベッドの中でシンジを抱きしめ静かに告げた。
「苦しくなったらいつでも言え。いつでも胸を貸してやる」
今日だけで良いと声を震わせ首を振るシンジに、自然と苦笑が漏れた。
「見物料代わりだと思えばいい。これからお前がする事を特等席で見れる代わりだと。私はそれで十分だ」
泣き続けて頭が回らないのだろう、解ったというだけでしがみつき顔を豊富な胸に押しつける。
寝間着が濡れて汚れるがC・Cは気にしなかった。ただ幼子をあやすように頭をなで続ける。
その日、シンジは夢を見ることなく眠りについた。その日を限りに殺すことを表面上はためらわなくなり、あっという間に時が過ぎ去った。その間一度も泣く事はなく、ただC・Cと一緒にベッドで寝る事になり時々寝顔を見ることの出来るC・Cは真祖という異常なまでの存在に親しみを感じることとなった。



To be continued...
(2009.05.09 初版)


(あとがき)

久しぶりです。今回の話は難産でした。人の死に罪悪感を感じるシンジを慰めるC・Cを書きたかったんですが、うまくいったでしょうか?
それと皆様にお聞きしたい事がありまして筆を取っているしだいです。感想で私の書くキャラクターは薄いとの評価を受けました。私自身はそう思っていないのですが、皆様もそう感じているのでしょうか?
感じていらっしゃるならどのような点で薄いと判断されるのかをお教え下されば幸いです。



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