新世紀エヴァンゲリオン 〜Storm of Sophistry〜

第一話

presented by 地球中心!様


 刑務所受付ロビーで対面する、中性的な顔立ちをした長髪の少年、碇シンジと付き添いの職員、そして同じく長髪を靡かせた妙齢の女性・・・葛城ミサトだ。
 ちなみに囚人は一般的に作業服だが、今のシンジの服装は学生服。ミサトも制服で決めて来た。
「あなたが碇シンジ君ね。私は特務機関ネルフ本部作戦部部長、葛城ミサトよ。よろしくね。」
 優しいお姉さんを気取って、スマイルを振り撒いている。
 その内面では、シンジが思ってたより人殺しのイメージからかけ離れていたので、密かにホッと胸を撫で下ろしていたのだが・・・
「葛城さんですか・・・?」
「ミサトでいいわよ。私もシンジ君って呼ぶから。」
「・・・それは、僕と貴方が名前で呼び合うような親密な関係になると言う事ですか? 特務権限を使っての召還と聞いていたのですが?」
「いや、まあ・・・そうなんだけど・・・」
 そんな冷静なツッコミを入れられるとは、露ほども想像していなかったミサトは、少しドモる。
「それに、人殺しと仲が良いと思われるのも拙いのでは? 国際公務員なのでしょう?」
「あ、いや・・・だからね・・・」
 自分自身を人殺しとあっさり主張するシンジに少し引いてしまう。
 そんなミサトを気にする風も無く、シンジは少し考え込み・・・
「それに僕に何の用があると言うんです? ひょっとして、誰か殺して欲しいんですか?」
 まるで、親に頼まれた、おつかい程度のニュアンスで、そう尋ねる。
 そこには、真面目さは無いが、おどけも無い。殺しが日常と言わんばかりの自然さだ。
「そ、そんなわけ無いでしょう!」
 「殺す」の一言に、使徒を即座に思い浮かべてしまい、過剰な反応をするミサト。思わず声を荒げてしまった。
 ――どういう教育をしてきたのよ!――と言わんばかりに、キッと付き添いの男を睨むが特に動じた様子は無い。
 そのあまりの無視っぷりに、思わず疑念を感じて眉を顰めるが、
「そうですか・・・」
 という、何でも無いシンジの一言に意識を戻された。呟くような声なのに、異様な力を感じ、ミサトは少年の方に向き直った。
 シンジは先程の怒鳴り声にも大して驚いた様子も無い。目を細めてジッとミサトを見詰ているだけだ。いや、ミサトの方を見ているだけで、その向こう側を伺っているようにも見える。
 どうにも判断がつかない。その瞳に直面しているミサトにすれば、相当不気味さを感じる。
(な、なんなのよ? ・・・この子。)
 思わず後退るミサト。
「・・・クスッ。」
 そんなミサトを見て、口端を上げる程度に笑みを浮かべるシンジ。
 馬鹿にされた! ・・・とは思わなかった。それより、
(この子・・・さっきの事、見透したんじゃ無いでしょうね?!)
 という恐れの方が強い。それ程にシンジの目には感情が無く、その対象である自分が、まるで無機物に成ったかの様な錯覚に捕われ・・・
 ブルッとミサトは身震いした。

「で、結局どういう用件なんです?」
「ああ、それはね・・・」
 ミサトはチラッと付き添いの男に視線を向け、
「わ、悪いけどそれをここで言うわけにはいかないのよ・・・機密に関わる事だから。
令書にも書いてあるように、貴方をネルフ本部へ移送する許可は取ってあるし、とりあえず私と一緒にネルフまで着てもらうわ。詳しい事はそこで聞いてくれる?」
 このままここで問答しても埒があかないと判断したか、ミサトはそう促した。
 実際、使徒が第三に向かってきている報告は既に受けている。
 まだ都心到着には時間の猶予もあるし、指揮権の譲渡が成されなければ、作戦行動も起こせないが、何時までもここで油を売っているわけにも行かない。
「・・・わかりました。」
 了承の確認をするや否や、さっさと背を翻し、出入口へ向かうミサト。居心地の悪いこの場からとっとと離れたいのだろう。
・・・諸悪の根源を連れて行くのだから、何処へ行っても同じな気もするが・・・
 ミサトの背を見送り、シンジもまた、彼女の後に続いた。
 出入口の手前、シンジは一度だけ後ろを振り向く。そこにはシンジを見つめる付き添いの姿・・・
(行って来ます、裕也さん。)
(無理はするな、シンジ・・・)
 シンジと裕也、目線だけで別れを交わし、少年もまた、3年過ごした修行場を後にした。



 第三新東京市を一望できる空の上、シンジとミサトは向き合って座っていた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 二人とも黙して何も語ろうとはしない。険悪なムードではないが、どうにも居心地が悪い空気が流れる。
 原因はシンジの方だろう。真っ向から、まるで値踏みするかのようにミサトを見つめている。
 視線に晒されたミサトは、少々居心地を悪そうにしながら、何度も読み返したはずの資料に目を落としている。
(ああ、もうっ。)
 少し気を紛らわせようと、ミサトは後ろに声をかけた。
「本部までは?」
『後30分ほどかかります。』
 スピーカ越しにパイロットの声が部屋に響く・・・今二人が居るのは、軍事ヘリの後部座席なので、厳密に部屋とは言い難いが・・・
(参ったわねぇ・・・)
 この重い空気の中で後30分。胃に穴が開きそうだ。
 目の前の少年は、変わらず何を考えているか分からない。
(この子、連れてって大丈夫なのかしら・・・?)
 暗澹たる思いで困惑の海に沈みこんでいたミサトだったが――
――グインッ!――
 急速にヘリが左に傾いた!
「ちょっ! な、なに?」
 物思いから無理やり現実に引き戻されたミサトが、慌てて身体を支えながらパイロットに問う。
『申し訳ありません! 国連軍がN2を使うらしくっ・・・目的地までは緊急迂回ルートで飛ぶ事になります。』
「ちょっとぉ! こんな街中で使う気なの?! 何考えてんのよっ!」
 そう文句を言ったところで予定が撤回されるわけではない。程なくして――

――カッ!――

――遠くの方で一瞬光が見えた!
「来る!」
 そう叫んだのは、ミサトか、パイロットか・・・
 だがその声も、一瞬遅れて襲ってきた爆風に掻き消された。



「あう〜〜〜・・・なんとか無事みたいね・・・」
 ミサトはそう呟きながら上半身を起こした。爆心地からかなり離れていたし、シートベルトをしていたので、床に投げ出される事は無かったようだ。
 一方シンジといえば、爆風など無かったかの様に平然としたままだ。シートベルトすらしていない。
「何で、なんともなってないのよ・・・?」
 別に、どうにかなって欲しかったわけでは無いが、同じ立場で自分だけが慌てふためくのは、どうにも不公平な気もする。
 だが、丁度良かった。どうにもコミニケーションが取り辛くて、やきもきしていたのだ。
 これで話しかける口実が出来たと言う物である。
「シンジ君、大丈夫だった?」
「特になんともありませんよ?」
 そっけない返事だが、今までのだんまりよりはマシだ。
(それよりどうなったかしら・・・)
 今のN2が使徒への攻撃だと言う事は想像がつく。
 はやる気持ちを押さえながら、ミサトは双眼鏡で、爆心地を覗いた。
 N2で倒されるとは端から思っちゃいないし、思いたくも無いが、多少也とも損傷を与える事が出来たのなら、それはそれで収穫だ。
 覗いた先には、全身黒タイツの首無し巨人の姿。流石に無傷とはいかなかったらしく、そこかしこに焦げ後が見える。
(予想通り自己修復中か・・・)
 予想通りとは言え、使徒が健在な事にさしてショックも受けていない様子だ。
 いや、むしろ彼女は倒されない事を望んでいただろう。ここで、国連軍に倒されるようなら何の為にネルフに入ったのか分からない。
「なかなか、ご立派な体格をされてますね・・・身長40mくらいかな?」
「そう・・・ね、それくらいかしら? あれが、使徒。正体不明の人類の敵・・・って、シンジ君見えるの!?」
 ミサトは素っ頓狂な声を上げて、これ以上無いくらい驚く。
 無理も無い、ミサト自身は軍事用の大型双眼鏡の最大望遠で覗いて、やっと見えたのだ。肉眼では、チリ程にも見えない。少なくともミサトには無理だ。
「見えますよ? 貴方には見えないんですか?」
 あっさりとそうのたまうシンジに、言葉も無いミサト。
「しかし、物騒ですね。街中でドンパチですか? その使徒とやらが死んでないということは、まだ騒動は終わりそうも無いですね。
葛城さん、ここは一度安全な場所に避難するなり、刑務所へ戻るなりして、キッチリかたがついてから改めて向かう方が良くありませんか?」
 安全策を提唱するシンジ。確かにそれが正論であろうが、ミサトとしてはそんな物を認めるわけにはいかない。
「悪いけど、そういう訳にはいかないの。私も急いで仕事に戻らなきゃいけないし、それに、逆戻り出来るほどの燃料も残ってないから。」
 無論、燃料云々は真っ赤な嘘だが、本当の事は言えない。
 ミサトがゲンドウより仰せつかった命令は、
『チルドレン候補の碇シンジを、ネルフまで連れて来い。』
 これだけだ。
 本当の理由を説明すれば、それはネルフの機密事項に関わってくる。
 いずれは、この少年もエヴァに搭乗する事になると思ってはいるが、現段階で何処まで話して良いものか、判断がつかない。そこまでの権限が無い。
 故に、本当の理由は秘匿した。
 ミサトはそれで、シンジを言いくるめられると思っていたようだが・・・
「この非常時に仕事をする人なんて、軍人さんくらいしかいませんよ・・・葛城さん、下手な嘘は止しませんか?
貴方の仕事と言うのも大体ですが想像はつきます。あそこにいる使徒とやらを倒す事でしょう? もしくは使徒の研究ですか? どちらでも構いませんが、そこに僕を連れていって、どうしようというのです? 何をさせようというのです?」
 一息で言いきったシンジは、ヒタリとミサトを見据える。
 これ以上の誤魔化しはさせないという意志表示だ。
 とても少年のモノとは思えぬプレッシャーに晒されたミサトは、口をパクパクさせるばかりで、なかなか言葉が出てこない。
「な、なんで・・・」
「何がです?」
「何でそんな事が分かるのよっ!」
 語るに落ちるようなものだが、あまりに図星を刺され、ミサトには自分の言動を振り返る余裕も無い。
 それと対極するかのように、シンジは余裕たっぷりの物腰で、語り始めた。
「国連軍・・・N2使いましたね。」
「それが何よ?」
「N2は、今現在、最強の破壊力を有する・・・そう評されている兵器です。」
 そう、N2兵器は国連軍、戦自が持ちうる兵器の中で、突出して破壊力を重視した位置に置かれている。正に切り札と言っても良いシロモノだ。
「それを使ってもあの使徒とやらは倒れなかった・・・これは、驚くべき事実です。」
 ミサトは睨んだままだ。まだシンジの言いたい事が把握出来ないでいる。
 そんなミサトに対して、シンジはスッと目を細め、
「・・・驚くと思うんですよ、普通は。あれで使徒という化け物が倒れなかった事を・・・でも、葛城さん・・・貴方はそれを、さも当然のように請け入れていました。知ってたのではないですか? 使徒がN2で倒れない事を。国連軍最強の兵器を持ってしても倒されはしない事を・・・」
「なっ!」
――ガタッ
 思わず、声を上げ座席から腰を浮かすミサト。すでにそのリアクションが、シンジの推論を肯定している。
 その様子にシンジは満足げに口端を持ち上げ、更に論じる。
「きっと国連軍は知らなかったと思うんですよ。N2で勝てるつもりだったのだと・・・そう思います。
そうでしょう?いくら非常識な化け物相手とは言え、必勝を確信できない様ならあんな街中で爆破はしません。」
 そこで言葉を一端区切り、ミサトの様子を確認する。反論の気配は無い。
「同じ国連所属で在りながら、軍は知らないで特務機関は知っていた・・・おかしいですよね?
先ほど葛城さんは、あの使徒の事を『人類の敵』、そう言ったのに・・・そんな大それた者を相手取るのに、国連軍は使徒の耐性すら知っていたようには見えない。
これはネルフが使徒に関する情報をリークしていなかったという事じゃないのですか?」
「・・・・・・」
 ミサトは答えない。答えられない。何か反論すれば、更に粗を突付かれる気がして適切な回答を論じる事が出来ない。
 シンジは更に続ける。
「ネルフが使徒の情報を国連軍にすら教えなかった理由は・・・さすがにそこまでは僕も予想しかねますが、少なくとも貴方の態度を観るに、彼等にはそれ程期待していなかったように思えます。」
「・・・人類の切り札は・・・別に在るのではありませんか? 少なくとも葛城さんはそれを知っている。僕はそう思いますね。」
 ミサトは、座席から腰を浮かせた態勢のままで固まっている。僅かな情報でここまで看破して見せた少年に精神的に追い詰められて、身動きが取れなくなっていた。
 だが、シンジにとって、彼女の心情など知った事ではない。彼は今一度問うた。
「・・・で、僕に何をさせようというのです?」
――彼女に答えられるわけが無かった。

 シンジはしばらく、目の前で固まっているミサトを眺めていたが、諦めたのか、興味を無くしたのか、
 深く座席に座りなおし、背もたれに背中を預け、目を閉じた。
 ようやくプレッシャーから開放されたミサトは、ドッカと座席に座り込み、大きく溜息をつく。空調は快適なはずなのに、汗でびっしょりだ。
 しばらく身動きもしなかったミサトだが、俯いたまま、視線だけ上目遣いにして、シンジの様子を盗み見る。
 彼女の目に宿る感情は、明確な畏怖。
(この子、観察眼が鋭いだけじゃない・・・)
 そう、よくよく考えてみれば、シンジが推論の切っ掛けとしたのは、『ミサトがN2を持ってしても倒れない使徒に驚かなかった事』にある。
 あの時、N2の爆風に煽られ、遠巻きながら使徒の姿を目の当たりにした直後の事だ。
 常人ならばパニックを起こしても何ら不思議ではない。そんな状況にも関わらず、この少年はさして取り乱す事も無く、それどころかミサトの様子を観察して、疑問視する余裕まで垣間見せているのだ。
 この事にミサトはシンジの異常性を感じざるをえない。
 ミサトは、シンジの類稀なる洞察力と胆力に、頼もしさよりも、驚きよりも・・・戦慄を感じていた。

『本部上空に到達しました。着陸します。』
 ヘリがユックリと降下する。
 シンジと問答している間に、何時の間にか本部に到着していたらしい。
 ミサトはこの時、楽しくない事でも、場合によっては時が過ぎるのが早い事を知った。その代償は精神疲労・・・これからが本番というのに、もうすでに疲労困憊だ。
(さっさと司令に引き合わせましょ。)
 すでにシンジに苦手感情が芽生えていたミサトは、血縁上の父親に厄介払いをするべく、速やかに席を立った。



 ヘリから降りた二人は、建物に入って直ぐの所で立ち往生していた。
 別に迷ったわけではない。人を待っているのだ。
――シュッ――
 空気の抜けるような音と共に、目の前のドアがスライドする。
 そこに居たのは、金髪のボブヘアーにワンピースの水着に白衣を羽織った、ミサトと同年代の女性だ。
 眉毛は黒いし、目も黒いのだから髪は染めているのだろう。はっきり言ってかなり怪しい出で立ちといえる。
「葛城一尉、道案内で呼びつけないでくれる? 私だって忙しいんだから。」
「ゴミン、リツコ。まだここ慣れてないのよ・・・迷っても拙いでしょ?」
 そう、ミサトはヘリを降りて直ぐに、迎えを寄越すように連絡を入れておいたのだ。
 本人が言っているように、迷わない為というのも理由の一つだが、本音を言えば、これ以上二人きりでいる事が本気で苦痛になり始めているからに他ならない。
「まったくもう・・・」
 金髪の女性は少年を盗み見、
「例の男の子ね・・・」
 小声でミサトに話しかける。
「ええ、マルドゥクの報告による、サードチルドレン。最初見たときは人を殺したなんて信じられなかったけど・・・今なら信じられる。彼、普通じゃないわ。」
 こちらも輪をかけて小声だ。
「どういうこと?」
 リツコが顔を僅かに顰めて尋ねる。
 ミサトは黙ってシンジの様子を伺い――
「後で話すわ・・・」
 ここで話すべきでは無いと判断した。
「わかったわ・・・」
 正直気になるが、今は話に興じている場合ではない。彼女はミサトへの追求を諦め、シンジに顔を向ける。
「あなたが碇シンジ君ね。私は、ネルフ技術部部長、赤木リツコよ。」
「初めまして、赤木さん。」
「リツコでかまないわ。」
「葛城さんにも言いましたが、別に僕と貴方はファーストネームで呼び合うような間柄では無い筈です。それに殺人犯と仲が良いと思われても知りませんよ?」
「こういう子なのよ・・・」
 疲れた様に――実際疲れているのだろうが――リツコに声をかける。
「ところで、今言ってたサードチルドレンというのは僕の事ですか? この施設では僕の名前は三番ということでよろしいのですか?」
 ミサトとリツコが同時に固まる。
 小声での会話をしっかりと聞きとめていたのも驚きだが、それよりも彼の物言いに愕然とした。
 彼は刑務所に居たのだから、そこで番号で呼ばれていたのは分かる。だが、15にも満たぬ少年がそれをさも当然のように受け入れ、ここで持ち出すとは・・・
 さすがにこの言いぐさにはリツコも度肝を抜かれた。
 予め司令に聞いていなければ、リツコもシンジを殺人犯と信じたかもしれない。
 そう、リツコは知っている。シンジが少年殺人の犯人ではない事を・・・だからこそ、保安部員もつけずに、無防備にやってきたのだが・・・
 それを踏まえて目の前の少年を見れば、この言動は異常だ。
 明らかにこちらのシナリオとは性格が違いすぎる。
 リツコも少年に僅かながら危機感を覚えた。
 とはいえ、今更どうする事も出来ない。
「ついて来て、こっちよ。」
 リツコは二人を促し、ケイジへと向かった。

「一応地上で確認したけど、使徒はどうなってるの?」
「現在、N2による被爆の修復に全力を注いでるみたいね・・・まだ動きは見られないけど、再度進行は時間の問題よ。」
「で、初号機はどうなの?」
「B型装備のまま現在冷却中」
「それ、ほんとに動くの? まだ一度も動いた事無いんでしょう?」
「起動確率は0.000000001%。・・・O9システムとはよく言ったものだわ」
「それって動かないって事?」
「あら失礼ね。0ではなくってよ」
「数字の上ではね。でも、どの道動きませんでしたじゃ、もう済まされないわ」
 シンジは特に口を挟んでこない。
 また何か言ってくるのではないかと、内心ビクビクしていただけに、少し拍子抜けだ。
 まあ、代わりに沈黙のプレッシャーが圧し掛かるわけではあるが・・・



 そんな二人の思惑を他所に、シンジは思考の奥に沈んでいた。
(なんだ? ここ・・・見覚えが有る。)
 それは、シンジの心にこびり付いた微かな記憶・・・己を鍛える前ならば絶対に気付かなかったであろう、僅かな痕跡。
(・・・探るか)
 シンジは目を閉じた。
 ここでいう、探るというのは、早い話が『思い出す』ということだが、シンジのやり方は文字通り己の記憶の棚を探るのだ。
 3年の修行で、シンジは己の身体を把握し、己の意のままに操る術を修得した。
 それは、脳も例外ではない。というより、身体の操縦には脳が基点となるのだから、必須条件といえるだろう。
 そして、修行によって得た技(と言うほどのものではないが)の中に、記憶の最適化がある。
 人間、生まれてから、もしくは母親のお腹の中に居る頃から、記憶と言うものは存在する。
 ただ、それが意味を成さない、自分にとって無価値な情報は、忘れてしまう。
 だが、本当は忘れるのではなく、記憶の棚の奥の奥に放りこんだままで、普段はそこまで意識を伸ばさない為、忘れたものとみなしている。
 故に、チョットした切っ掛けで、忘却の彼方に追いやった記憶の切れ端が浮かんだりして、妙な違和感を感じたりするのだ。所謂デジャヴ等が、これに当たる。
 シンジは、修行によって、これら意味を成さない記憶の全てを整頓する術を覚えた。
 ただ、14年間とは言え、その情報量は膨大なものがある。さすがに物心つく前のものは、かなり乱雑なので放置していたのだが、今のような違和感を辿れば、比較的見つけやすい。
(えっと・・・・・・これか?)
一つの引き出し(シンジ視点)を開けてみる。

――これがエヴァ初号機、人類を新たな段階へ引き上げる神器――
――そう、人は神にだってなれるのよ――
――クス、クスクスクス、ク、ク、ク、ク、ク・・・

(ウアッ!)
 ガバッと起き上がるジンジ、思わず声を上げそうになった。
 幸い、前の二人には気付かれなかったようだ。
 ホッと息をつく。これから主導権を握る為にも、無様な姿を見せるわけには行かない。
(い、嫌なもん見ちゃったな・・・)
 今、シンジが見たものは、遠い記憶、ここで語られた母親の記憶・・・人の領域を踏み外した碇ユイの記憶・・・
 ブワッと噴出した冷や汗を袖で拭う。
(ああ、そうだよ、母さんってそう言う人だったよ・・・うわぁ、今になって思い出すとはなあ・・・)
 そう、碇ユイという女、大人達の前では猫被っていたようだが、シンジと二人きりの時は、よく本性をさらけ出していた。小さい子供には何を言っても分からないと思ってたからだろうか? 人の領域を越えることの偉大さを朗々と語りながら、シンジを実験用モルモットの様に見るその目を、今なら、はっきりと思い出せる。
(何も今思い出さなくても・・・)
 正直頭を抱えたい気分だ。
 これから、自分は初号機に乗せられるのだ。
 シンジ自身、最終的には乗るつもりで来ている。
――母の眠る初号機に――
 それが、ここにきて心の奥に封じこめておいた、禁忌の扉を開けてしまうとは・・・己の迂闊さを呪わずにはいられない。
 もとより、これまでシンジは母に対してこれといった思い入れは無かった。
 3年前は少しは有ったのかも知れないが、その時も父への羨望が殆どで、母の事は、それほど恋しいと思った事が無い。
 恐らくは、無意識に母の記憶を隠匿していたのだろう。それほどまでに、シンジにとっての母は、忌諱すべき存在であったのだ。
 この時点をもって、シンジの中に有る母への印象は、興味無しから、否定に変わった。
 この事が、ネルフは元より、シンジ自身も思わぬ展開へと誘われるのだが、まだそれを知る由は無い。



 赤いプールをゴムボートで渡り、辿りついた先に在るは鉄製の扉。漂うは血の臭い。
 電子ロックで開いた先は真っ暗闇だ。
 それにも構わず、リツコを先頭に3人は中へと入り込む。
 常人なら、目と鼻の先も確認できないような暗さだが、シンジには関係無い。
 ズンズンと奥へ進む。そこへ鎮座する。鬼へ向かって・・・
「ちょっとぉ、リツコ真っ暗よ?」
「今明かりを点けるわ。」
――パッ
 そこは、やはり周りを赤い水で蓄えられた、閉鎖的な空間だった。
 プールの底は見えず、壁は鉄製な為か、実際の広さより狭く、圧迫して感じる。
 それは、リツコには見慣れた光景。シンジが初めて観る筈の光景・・・なのだが、
 リツコはギョッとした。
 目の前にシンジが居る。
 あの暗闇の中を自分を追い越して、さっさと進んだという事か・・・しかも――
 彼の対峙する先にはエヴァ初号機!
 まるでそこに居るのが分かっていたかのように、シンジはエヴァを見て・・・いや、眺めている。
 表情は、無い・・・少なくとも外見からは読み取れない。
(・・・驚かないの?)
 さすがに疑問に思うリツコ。
 こんなものを目の前にして驚かないとは予想だにしていなかった。
 実は結構ガッカリしていたりする。
 とはいえ、このままでは話も進まない。リツコは説明に入った。
「これは人の造り出した究極の汎用人型決戦兵器。人造人間EVANGELION。その初号機。建造は極秘裏に行なわれた。我々人類の最後の切り札よ」
 朗々と歌い上げるように、紹介をカマすリツコ。
 己の研究結果のお披露目のつもりか、少々ハイトーンだ。
 だが冷静になって見てみると、水着の金髪濃い目化粧ネーチャンが胸を張っているその様は、エヴァと相俟って、特撮系悪役の女幹部とダブって見えてしまう。
「なるほど、これがあの使徒とやらを撃退する為の兵器ですか・・・ロボットとは少々予想外でしたが・・・で、僕にこれを見せるということは、これに関して何らかの実験材料に使われるということですか?」
「ち、違うわよ!」
「そ、そうよミサトの言う通りよ。貴方には、エヴァのパイロットになって欲しいのよ。」
「パイロット? 僕がですか?」
「そうだ!」
 シンジの頭上から声がかかる。見上げた先には、長身痩躯の髭面の中年――ゲンドウだ。
「久しぶりだな・・・シンジ。」
「ああ、はい。どうもおひさし・・・」
 シンジは上げた右手を肩の高さで止め、開いたり閉じたりしている。
 しばらくそのまま固まっていたシンジだったが、その姿勢のまま、そろそろとミサトに近づき・・・
「・・・すいません・・・あの人誰でしょう? 僕の知り合いっぽいんですけど、記憶にないんですよ・・・」
 小声でそう、のたまわった。その表情はこれ以上無いほどにマジだ。
「ちょっ、何言ってるの! 貴方のお父さんでしょ!」
「そうなんですか? まあ、ここで嘘言っても仕様が無いですから、本当なんでしょうけど・・・」
 上を見れば、父と思しき髭面がこちらを見下ろしている。結構気分を害しているように見えるのは、 シンジやミサトの気のせいでは無いだろう。
 シンジは小声で聞いたが返答したミサトは大声・・・まあ、そういうことだ。
 その不機嫌さを隠す事無く、ゲンドウは高圧的に命令を下す。
「出撃!」
「出撃!? 零号機は凍結中でしょ? ……まさか、初号機を使うつもりなの?」
「他に方法は無いわ」
 そんなミサトにリツコが冷たく言う。
「だってレイはまだ動かせないでしょ? パイロットがいないわ。」
「さっき届いたわ。」
「・・・マジなの?」
「碇シンジ君。あなたが乗るのよ。」
 そう言うリツコにシンジはどうでも良さげな視線を向ける。
「待って。レイでさえEVAとシンクロするのに7ヶ月も掛かったんでしょ? 今来たばかりのこの子にはとてもムリよ!」
「座っていればいいわ。それ以上は望みません。」
「しかしっ!」

 実はこの時、ミサトは本気でシンジを乗せるつもりが無かった。
 レイは怪我で動かせない。
 シンジは素人。
 これでは戦う事など出来はしない。
 せめて1日、1日あれば、最低限のレクチャーが出来る。
 その間は、国連軍なり戦自なりに時間稼ぎをしてもらう・・・その腹積もりでいたのだ。
 確かにそれは正論だ。時間稼ぎで、少しでも万全の体制に持って行けるならば、それに越した事は無い。
 だが、どうやって時間稼ぎをするというのか・・・提唱は簡単だが、実行はやり難い。そんなものは少しでも想像力があればすぐに思い当たることだろう。
 実際、とうのミサトには時間稼ぎの手段に何か妙案が有るわけではなかった。
 そこまで考えていなかった。
 考える必要が有るとは思わなかった。
――実際に時間稼ぎするのは、国連軍か戦自だろうから――と、作戦立案まで、彼等に押し付けるつもりであったのだ。
 とんでもない話だが、この件に関してミサトの自身に職務の怠慢は無い。少なくとも彼女は本気でそう思っている。
 何故なら、ミサトにおいての仕事はエヴァ及び兵装ビルを用いて指揮を取り、使徒を殲滅する事。この一点に集約されるからだ。
 今回を例に取れば、ミサトはシンジを少しでも使い物にする為のレクチャーと作戦立案で大忙しになる予定だ。
 ならば、その間の時間稼ぎは、地上の軍隊に任せざるを得ない。時間稼ぎなど自分の仕事に含まれていないのだから・・・
 よって、ここはもうしばらく国連軍にでも気張ってて貰って、準備が整ったところで指揮権を寄越してもらえば良い。そう考えていたのだ。
 実はこの時すでに、指揮権が委譲されていることを、ミサトは知らされていないのだが、それにしても、自分の都合でモノを考え過ぎと言える。
 お役所仕事極まりない。モノには限度が有ると言う事を、彼女は知るべきであっただろう。

「今は使徒撃退が最優先事項です。その為には誰であれ、EVAと僅かでもシンクロ可能と思われる人間を乗せるしか方法はないわ。解っている筈よ。葛城一尉」
「・・・そうね」
 結局リツコの言葉に納得してしまうミサトを見て、シンジは内心で失笑する。
(こういう極限状態な時ほど、大義名分ってのは説得力に欠けるもんなんだけどね・・・)
 大義名分など、所詮タテマエだ。そんな物を殊更に主張している時点で、隠したい本音が有る証明なのだが・・・ミサト自身その自覚があるかどうかは分からない。分かっていて、押し殺しているのかもしれない。
 このシンジの想像は、大まかなところで的中している。
 そう、彼女が隠している、もう一つの目的は、使徒への復讐を成就する事だ。
――自分の人生を狂わせたバケモノの存在をどうしても許すことが出来ない!
――父を奪い、身体に一生消えない傷を追わせたあのデカブツを消し去りたくて仕方が無い!
 この復讐の炎は、15年の歳月を以ってしても、どうにも消し去る事が出来なかった。
 これは彼女の活力であると同時に弱みでもある。
 復讐は成就させたい。
 だが、セカンドインパクトで犠牲になったのは、別に彼女一人ではない。
 数十億と言う人々が犠牲となり、その親や子が嘆き、恋人達が絶望したのだ。
 彼等を差し置いて、一人悲劇のヒロインを気取れはしない。
 復讐を持ち出して良い立場では無いことも分かっているつもりだ。
 他人の理解を得られるとも思っていない。
 だが、それは間違い無く己の中に有るのだ!
 心の中に棲み続けるドス黒い感情は消えはしない。それでも彼女は内心、その浅ましい感情を認めたくはなかった。
 その為、彼女は人前に打ち出せる正当な理由を渇望した。それによって、己の個人的なエゴを覆い隠そうとした。
 本音を悟られる事で他人から蔑まれる事を極端に恐れたミサトは、タテマエで自分を善人に見せようとしたのだ。
 彼女が大義名分に縋りつき、事有るごとに、それを主張するのはその為だ。
 だが彼女は分かっているだろうか? タテマエは本音の隠れ蓑になると同時に、枷にもなり得るという事を。
 タテマエと本音が、常に同じ方向を向いているとは限らないという事を。
・・・タテマエと本音、二者択一を迫られた時、彼女はどうするのだろう・・・?

 シンジはゲンドウに向かって言った。
「父さん、この為に僕は呼ばれのかい? これに乗せて“使徒”って奴と戦わせる為に?」
「そうだ」
「ふーん・・・まあ、ここに来るまでの葛城さんの反応で何となく想像はついてたけど・・・いきなり出撃とは思わなかったな。これって、いきなり操縦できるほど簡単なものなの? レイって人は動かせるようになるまで7ヶ月かかったんでしょ? 自動車やバイクならマニュアルから覚えなきゃならないし、自転車だって、多少の練習は必要だ。戦うというのなら、兵士としてのスキルも必要なんじゃない? それにそもそもさ・・・殺人犯をこういう物に乗せるというのはどうかと思うけどね。自分で言うのもなんだけどさ・・・」
 そのセリフにミサトの眉間に皺が拠る。シンジの最後のセリフはミサトが密かに危惧を抱いていた事でもあるのだ。
「ふっ、くだらん・・・さっさと説明を受けろ。でなければ帰れ!」
 一刀の元に斬り捨てた。
 ゲンドウは当然、シンジが少年殺人の犯人で無いことは知っている。
 故に、シンジのセリフをハッタリと決めつけた。弱い己を守る為のちっぽけな虚勢と高を括った。
 人間、どうしても自分を基準に他人を判断したがる。
 つまりこれは、ゲンドウ自身がハッタリと虚勢で物事を解決してきたからこその決めつけなのだが、彼自身にその自覚は無い。
「いや、帰っても良いんだけど・・・そういうの父さんが判断して良いの? ネルフからの召集になってたし、ここの責任者にお伺い立てなくて大丈夫?」
「私が責任者だ!」
 言外に自分の価値を低く見られている事を敏感に察知した矮小な男は、殊更いけだかに己の立場を主張する。
「あ、そうなの?」
 左右を見遣り、リツコとミサトに事実を確認をする。
 そんな態度にもゲンドウは目ざとく察知して、下らぬ憎悪の炎をたぎらせるが、シンジの知った事ではない。
「ふ〜ん、総司令なの? じゃ、問題無いね。葛城さん、帰りますんで、申し訳ありませんがヘリポートまで案内して貰えませんか? ああ、葛城さんはこれからお忙しいでしょうから、代わりの者でも案内役につけていただければ・・・」
「ちょ、ちょっとまって!」
「なんでしょう?」
「シンジ君、それいいの?」
「まあ・・・葛城さんにとって宜しく無いのは何となく分かりますが、僕的には全く構いません。」
「駄目よ逃げちゃ。お父さんから、何より自分から。」
「何故逃げちゃいけないんです?」
「え?」
「貴方方が逃げちゃいけないのは分かります。ここは、使徒と戦う為に設立された組織。その職員は戦う義務があることでしょう。
おそらくは僕もその中に引き摺り込まれようとしていたのでしょうが・・・」
 含みをもたせて上を見遣る。ゲンドウからのリアクションは無い。
「あそこの責任者を自称する髭のオジサンが、僕の組み込みを放棄しました。ならば、あなた方にとやかく言われる筋合いは有りません。まあ、こんな土壇場になって、こちらに責任を押し付ける様なやり方事態、僕に言わせれば、逃げですけどね。」
――逃げてるのはアンタ等の方だ――
 シンジは言外にそう含めてミサトに説明する。それに全く反論出来ないミサトであったが、だからと言って帰すわけにもいかない。
 ミサトはシンジの行く手を塞いだ。
「……冬月、レイを起こしてくれ」
 下の様子を見下ろしていたゲンドウが、モニターの冬月に命令する。
『使えるかね?』
「死んでいる訳ではない」
『分かった』

 程なくして、
――ガラガラガラ・・・
 滑車の音と共に、シンジ達の入ってきた方と反対側のドアから、ベッドと白衣を着た人達が乱入してきた。
 身なりからして医療関係者であろう3人の男女。
 いや、ベッドの上にも白い格好の少女が居るから4人か・・・
「レイ、予備が使えなくなった。もう一度だ。」
「・・・はい。」
「シンジ君! あなたが乗らなければこの子がの・・・って、シンジ君?」
 振り向くもそこにはすでにシンジの姿が無い。
 大慌てで周りを見渡せば、先ほどレイと医師団が入ってきたドアから、さっさと退室せんとする、少年の姿。
 未練は無いとばかり、後ろを振り向きもしない。
「チョッ、ちょっとぉ!」
 焦ったミサトは急ぎ追いかけ、ドアを開け――
――シュッ――
 ミサトの目の前でドアがひとりでに開いた。
 いや、シンジだ。逃げたと思われたシンジが、何事も無かったかのように、戻ってきた。わけがわからない。
「シンジ君、あなたいったい何を――」
「この向こうって、通路だけで病室とか無いんですね?」
「あるわけないでしょ! ここは病院じゃ無いの。部屋なんか――」
「たった今連絡入れたばかりなのに、随分早く着ましたね・・・部屋の外で出番待ってたんですか? いやぁ、ご苦労な事で・・・」
 ミサトは二の句がつげない。見れば、ベットを囲む3人も気まずそうな顔をしている。
 シンジの推察はモノの見事に的中していたようだが、この状況下で、そんなものをわざわざ確かめる少年の神経を疑う。
「ということは、僕が断るのも想定済みだったという事ですね。これは、彼女を乗せると言うよりは、乗らない僕への当て付けと考えるべきですか? まあ、どちらでも良いですけどね、僕は。」
 そう言って、シンジはクスクスと笑う。それは明らかな・・・嘲り――
「あ、あなたねぇっ!」
 ミサトは思わずシンジを引っ叩きそうになる。
 ミサトには許せない。この状況下で人の揚げ足取るような言動も容認できない。
 何よりも人類滅亡の危機をどうでも良い事のように振舞う、その態度が何よりも許せない。
 前述したように、彼女は大義名分に拘る。これは彼女にとって、己を守る為に、けして破られてはならない最後の防壁だ。
 故に、シンジの言動は、人類の未来さえ価値の無いかの様な少年の振舞いは、けして看過出来ない。
 それを認めてしまえば、己の防壁を失う事になる。そんなわけにはいかないのだ。
「くっ」
 手を戻し、忌々しげに睨みつける。
 本当に引っ叩いてやりたいが、ここで暴力に訴えれば、決定的な破綻に繋がりかねない。
 短い付き合いながら、目の前の少年が、暴力に屈するとは思えないのも理由の一つだ。
 ここで、暴力に訴えて、エヴァに乗せた時、この少年がどういう行動を起こすのか予測がつかない。エヴァの拳がこっちを向かないとも限らない。
「もういい、葛城一尉。人類の存亡を賭けた戦いに臆病者は不要だ!」
「しかしっ!」

――ズゥゥゥン――

 ケイジが激しく揺れる。
「奴め、ここに気付いたか!」
「危ない」
 骨材が緩んだか、天井から鉄骨が落下してくる。
「逃げて!」
 シンジは動かない。何事も無いかのように、悠然と構えている。

――ザバァッ!
――ッシィィィー

 落下中の鉄骨が真横へ飛んだ!?
 代わりにシンジの真上に在するは・・・エヴァ初号機の右腕!
(勝手に動いたよ・・・)
 内心結構驚いているシンジを余所に、三十路コンビは各自勝手に盛り上がっていた。
「そんな! 有り得ないわ勝手に動くなんて・・・エントリープラグも入れてないのに。」
「エヴァが・・・守ったと言うの? 彼を?・・・いける!」
 一抹の光明を見たミサトは、
「シンジ君、乗りなさい。」
 もう、体面も、これまでのやり取りも、全て棚上げして命令を下した。
 だが、とうのシンジは、そんなミサトに目もくれない。
「父さん・・・責任者なんだよね? まだ口頭でしか確認して無いけど、帰って良いんだよね? 『ジンルイノソンボウヲカケタタタカイ』とやらに臆病者は要らないんでしょ? もう一度キチンと宣言するなり正式な辞令を下すなりした方が良いんじゃない? ハッキリしないから、部下が勝手な行動を取るんだよ。」
 偉そうに父へ駄目だしを下したシンジはミサトの方へ向き直り、
「葛城さんも、上司が不要だと言ったのに、それを蒸し返すのは上の決定を無視したことになるんじゃありません? 組織の管理職に付く人間が、そういう態度取るの良くないですよ?」
 シンジのセリフにミサトは気まずそうな表情を浮かべる。白熱しすぎて、ゲンドウの言を蔑ろにした事に、今更気付いたらしい。

(あれは本当にシンジか?)
 さすがにゲンドウも、シンジの様子がおかしい事に気付き始めた。
 本来なら、イキナリ一大事の当事者という立場に追いやる事で、逃げ道を無くし、シンジ自らが乗りこむ予定だったのだが・・・
 ゲンドウは数瞬悩んだ。
 最終的に強制徴兵を発令させれば、無理矢理にでも乗せることは出来る。
 だがそれは本当に最後の手段だ。
 シンジを乗せるのは、これっきりと言うわけではない。これから幾度と無くエヴァに乗せなければならないのだ。
 所詮子供とはいえ、ここで、無理やり乗せるのと、自主的に乗るのとでは、これからの扱いにも大きく差が出る。
 どんな形でも、たとえ嫌々でも、シンジ自らが「乗る」と言えば、本人にも責任で縛る事が出来るし、確執も少ない。
 だが、法的に可能とはいえ、無理矢理に乗せれば、今後、更にシンジの同意は求められなくなるだろう。
 毎回、強制的に搭乗させては、ネルフ職員の意識にも悪影響が出かねない。
 とはいえ、このまま放っておいてもシンジが自ら乗る事はまず無い。
 ゲンドウは結論を下した。
「シンジ、現時刻を以って、貴様に強制徴兵を摘要させる。拒否は認めん。乗らないなら強行手段に訴えるまでだ。」
 厳かに、そしてふてぶてしく、ゲンドウは最終通告を出した。もうこれ以上、シンジが何を言おうと聞く気は無い。
 一瞬、辺りに緊迫した空気が張り詰めた――が、
「はいはい、りょーかいしました。それでは赤木さん、説明お願いします。」
 何事も無かったかのように、あっさりと承諾するシンジ。
「え? シ、シンジ君、乗ってくれるの?」
 あまりに、簡単に引き受けたので、思わず聞き返してしまった。
 『乗ってくれる』という、まるでシンジが自主的に乗る様な物言いが、彼女の性格をよく表している。
「乗るのでは無くて、無理矢理乗せられるんですけどね。」
 当然そう反論するシンジに、ミサトは気まずそうに目を背けた。
「まあ、総司令殿もやっと気付いたって事でしょう? 僕にコケオドシや脅迫は効かないって事に。回りくどい事して、時間を無駄にしましたね。」
 そう言って、シンジは嘲りの表情を浮かべて、上を見上げた。
 それに呼応するかのようにゲンドウの顔が僅かに歪む。
 それは隠し切れずに、顔から漏れ出た明確なる怒り・・・もしくは殺意か?
 遠目ながら、ミサトにもゲンドウの感情がハッキリと分かり、非常に大きな不安を覚えた。



「これが操縦席――エントリープラグね・・・予想通り思考制御か。さて、ここからだな、問題は。」
 そう、ここまではシンジ達の想定通りだ。
 元々シンジはエヴァに乗るつもりだった。それは3年前のあの日から決めていた事だ。
にも関わらず、何故ここまで乗り渋ったのか・・・?
 ゲンドウの思い通りに動くのが癪だったというのも一つの理由だ。
 だが本命の目的はネルフを揺さぶり、少しでも向こうの情報を得るためだ。
 その為には大人しく相手の言う事に素直に従っていてはいけない。
 とにかく、向こうの思惑から外れた行動を取り、更なるネルフの行動を促さなければならない。
 そうして、ネルフがシンジにあの手この手を尽くせば、それだけネルフ側の手札も窺い知れると言うものだ。
 そのうち、とんでもない馬脚を現すかもしれないし、シンジに直接、向こうから探りを入れてくる可能性も有り得る。シンジはそれを狙っていた。
 やり過ぎるのも拙いが、まあ今のところは大丈夫だろう。



『エントリープラグ、注水。』
 スピーカー越しの音声と共に、下からせり上がってくる、赤い水。
 服が濡れるのに顔を顰めつつ、とりあえずリツコに尋ねた。
「水漏れですか?」
「違うわ、それはLCLと言って、肺がそれで満たされれば、直接血液から酸素を取り込んでくれます。」
 リツコの説明を聞き流しつつ、シンジはLCLを手で掬い、少し舐めてみる。
(ふむ・・・血の味か。これをイキナリ飲み込めとは随分無茶を言うものだ・・・)
 人間は、気管支に溜まった血は吐き出すように出来ている。それは生存本能が働き、呼吸困難を防ぐ為だ。
 それを逆に飲みこみ、肺を満たすには、相応の訓練が必要なはずなのだが・・・
 文句の一つも言いたいところだが、ここまで来たら何を言っても止めてくれやしないだろう。
 シンジは座席に浅く腰掛け、背もたれに体重を預け、ダラリと弛緩する。なるべく自然体を模すためだ。
 体内の血流、酸素の流れを意識し、口・鼻から入り込んだLCLを意識して肺へと誘導する。
 呼吸の確認をし、ゆっくりと目を開ける。
(ふぅん・・・思ってたよりは飲みやすかったかな? ま、気持ち悪い事に変わりないけど。)
「シンジ君? 何をやってるの?」
「イキナリ肺に取り込むと言われても、そう簡単に出来るとは思わなかったので、飲み易い姿勢をとっただけです。出来れば、注水する前に一言言って欲しかったですが・・・」
「それは悪かったわね・・・時間が押してたから忘れてたのよ。」
 シンジの皮肉に皮肉で返すリツコ。
「で、気分はどう? 特に問題無いかしら?」
「今のところ、アレルギーは出てないと思います。拒絶反応も見られません。多少気持ち悪い程度ですね。」
「我慢しなさいっ、男の子でしょ!」
 やられっぱなしのシンジに逆襲するチャンスとみたか、即座にミサトが下らぬチャチャを入れる。だが、
「さようですか、了解です・・・でも、一度飲めば、そんな無責任なセリフは絶対吐けないと思いますよ? 葛城さん。」
 あっさりカウンターを入れられ、ミサトは苦虫を噛み潰したような顔して黙り込んだ。

 そんなミサトは余所に、オペレーター達は着々と準備を整えていく。
「主電源接続」
「全回路動力伝達」
「第二次コンタクトに入ります。A10神経接続異常無し」
「思考形態は日本語を基礎原則としてフィックス」



(ん? なんだ?)
 シンジの元へ、不気味な気配が近づく。
 まとわりつく様に、こっちの都合にお構いなく抱きすくめる様な感触は・・・ハッキリ言って気持ち悪い。
(何だ? これは? ・・・いや、これは・・・ああ、あの人だよな、やっぱり。)
 そう、碇ユイだ。
 常人ならここまでハッキリと気付く事も無かっただろうが、シンジは多少なりとも、体外に気を放出する術も会得している。自分の手の届く範囲までしか伸ばせないが、それでも己に近づく気配を察知するには十分だ。
――シ――
――シんジ――
――ハジまル、わタシノケいか――
(だあああっ! アンタは向こう行ってろよ。鬱陶しいっ!)
 いい加減ウンザリしたシンジは、ユイを向こう側へ跳ね除け、そのまま、こめかみの血管が切れんばかりの意志を込めて、押さえつけた。



「初期コンタクト全て問題無し。双方向回線開きます。シンクロ率・・・えぇっ?」
「どうしたの、マヤ?」
 表示されたシンクロ値を見て驚くマヤにリツコが声を掛ける。
「それが・・・シンクロ率0%・・・です。EVA初号機起動しません。」
「何ですって!」
「どういう事よリツコ!」
 慌てて自分もコンソールに着いたリツコに、声を荒げてミサトが尋ねる。
「起動レベル以前の問題なのよ! マヤ、あなたは1番から256番までのシステムをチェックして!」
「はいっ!」
ミサトに怒鳴り返したリツコは、マヤに指示を与えつつ自分も別のシステムチェックを開始する。
 その淀みないキーボード操作とは裏腹に、リツコは内心焦りまくっていた。
 有り得ないのだ、シンクロ率0%など。

 そもそも、エヴァが起動する大まかなシステムは、エヴァに溶けた人物の魂とエントリープラグに入り込んだパイロットとの精神的繋がりによって起こる・・・と解釈されている。
 中でも、溶けた人物とパイロットが近親者、親しい者同士であれば特に高いシンクロ率をはじき出せる事も、主にドイツの実験で判明している。
 これは、リツコの仮説であるが、シンクロ時のデーターから察するに、まず溶けた方の人物が率先してパイロットにコンタクトを仕掛けると見ている。理由は分からない。単純に人恋しさなのか、身体を持たぬ故に、受け皿を求めるのか・・・
 そして、パイロットがそのアプローチを受けてシンクロに至る・・・馴れもあるだろうが、気配に敏感か鈍感かで結構な差が出ている。だが、逆に言えば、どれほど鈍感な人間であろうと計算上はシンクロは必ずするはずなのだ。極端な例を言えば、動物だってシンクロ出来る。事実、ハツカネズミでの実験で、僅かながらシンクロを果たした記録が、しかとデーターとして残っているのである。

「計器の故障は無し・・・システム上のトラブルも無い・・・いったい何故?」
 これは間違い無く想定外だ。スーパーコンピュータMAGIの試算でも、シンジのシンクロ率が起動に達しない可能性など皆無に等しかった。
 それ程に、近親者のアドバンテージは大きい。
(シンジ君の遺伝子データーは・・・本物ね。じゃあ、何故シンクロしないの?)
さしものリツコも、シンジがユイの魂を明確に察知して、完全な拒絶を行っているとは夢にも思わないようだ。



(動かない・・・だと?)
 シンジはシンジで焦っていた。
 彼にしても、エヴァが起動する事は必須条件だ。このままでは、エヴァから降ろされる事にもなりかねない。
(仮説が間違っていたのか?)
 シンジ達もドイツ支部のデーターから、ある程度の想像を打ち立てていた。
 近親者がダントツでシンクロし易い事。
 また、如何なる人でも少なからず、シンクロは出来る事、個人差が激しい事から、シンクロとは臓器移植と同じく、相性の良し悪しで分別される、閉鎖的で不完全なシステムと思っていたのだ。
 この辺りのリツコとの見解の違いは、やはり彼女が一流の科学者だからであろう。
 シンジ・裕也・勝石3人が文殊の知恵を合わせても、正解には至らなかったらしい。
 どれほど超越した能力を持っていようと、不備は必ず有るのだ。
 今になって、シンジはその事を痛感した。
「まずいな・・・」
 シンジの口から、思わず苦り切った声が漏れた。



「おい、どうするのだ碇。これではシナリオが始まりもしないぞ?」
「ああ・・・シンジめ、役立たずが。」
 身勝手なセリフを吐き、ギリリと奥歯を噛み締める。
 しばらく考え込んでいたゲンドウだが、やにわ席を立つと、ミサトへ命令を下す。
「葛城一尉、至急初号機の発信準備を進めたまえ。」
「し、しかしまだエヴァは起動にも至っておりません。このまま射出しても無意味です。今からでもレイを乗せるべきです。」
「それでは間に合わん。乗せても今のレイでは戦闘に耐えられん。今は初号機に賭けるしかないのだ、葛城一尉・・・至急、発進させたまえ!」
「・・・分かりました。」
 ミサトとて納得したわけではないが、こうも強く命じられては最早反論できない。
 これは、ミサトに限らず、ネルフ職員全員に言える事だが、彼等は上の者に指図されると、その通りに行動するきらいが有る。あまり自分の考えと言うものを明確に主張できるものが極端に少ない。
 これは、セカンドインパクトの影響が大きい。あの災害によって、世界は混沌に包まれた。
 世界各地で、軍人を始めとする大人達が復旧に勤めるも、そう直ぐには回復するものではない。
 自然と子供も働き手として狩り出される事になる。2000年当時、中学・高校の青少年がその筆頭だ。
 彼等は、単純労働力として大人の指図の元、黙々と働く事となる。
 これは別に悪い事では無い。あの頃の現状を考えれば、至極当然の事だ。
 だが、このことが、彼ら子供達の労働主観を決定付けた。
 多感な時期に、ただひたすら労働を強いた為、彼等は大人に従うことに慣れてしまった。それを当然と受け止め、疑問を持つ事を放棄してしまった。
 全員が全員では無いが、この世代には所謂マニュアル人間が圧倒的に多いというデーターも出ている。時代が生んだ悲劇の象徴と言えた。
 その少年少女達が生きていれば、今30歳前後・・・ネルフの職員年齢は全てここに当てはまる。
 ゲンドウが自分に反攻しない人材を集めた結果であった。

「発進準備」
「第1ロックボルト外せ」
「解除確認」
「アンビリカルブリッジ移動開始」
「第2ロックボルト外せ」
「第1拘束具を除去、同じく第2拘束具を除去」
「1番から15番までの安全装置を解除」
「内部電源充電完了」
「内部用電源用コンセント異常無し」
「了解。EVA初号機射出口へ」
「進路クリア。オールグリーン」
「発進準備完了」
「了解」
 最終報告にミサトは頷き、司令席を振り仰ぐ。
「司令、本当に構わないのですか?」
 やはり、ミサトとしても、これは自殺行為としか思えない。
「勿論だ、使徒を倒さぬ限り我々に未来は無い」
 平然とうそぶくゲンドウ。彼にとっては、初号機にシンジを乗せる事だけが目的だ。前言を撤回する事など有り得ない。
「発進!」
 ミサトの命令により、リフトに乗った初号機が上昇していく。
 やがて夜の帳に包まれた第3新東京を映し出したモニターに初号機が現れ、使徒と対峙する。



 そこから50km以上離れた、第三新東京郊外の丘の上、そこに二人の人影が在った。
「ふむ、あれにシンジが乗っとるようじゃの。じゃが、どうした? 僅かながら気が揺らいでおるようじゃな。」
 誰であろう、シンジの師、南方勝石だ。そして――
「想定外の事でも起こったか? だが、まずいな・・・戦いを前にして集中を欠くなど・・・」
 後ろには裕也も控えている。
 最悪の事態に備えて、二人揃って様子を観に来たのだが、戦う前から様子がおかしい、シンジの気の乱れに、困惑を隠し切れない。
 さしもの二人も、まさかシンジがシンクロすら出来ていないとは考えていないようだ。
((さて、どうする?))
 今までに増して張り詰めた空気が流れた。



「まさか、この状態で発進させるとわね・・・僕を降ろすつもりは無い・・・か。これも父さんのシナリオ通りなのか? いや、考えるのは後回しだな。この状況を何とかしないと・・・」

「もし、どうしようも無い状況になった場合・・・老師、シンジの救出をお願いします。」
「まあ、そうなったら仕方が無いのぅ・・・何とかしよう。」

「碇、本当にこれでいいのか・・・?」
「・・・問題無い。ユイが目覚めれば、直ぐにカタがつく。」

「・・・シンジ君、死なないでよ・・・」

 多種多様な思惑の中、遂にエヴァは使徒の前に立ちはだかる。
 この戦いが誰の思惑通りになるのか、それとも誰の思惑からも外れるのか・・・
 予測もつかぬまま、戦いの火蓋は切って落とされた――



To be continued...


(あとがき)

 という訳で、ようやく始まりました本編第一話です。
 本来なら、ここまで書き上げてから投稿するつもりだったので、ようやくスタート出来たと言えるでしょう・・・長かったです(泣)
 さて、本編ですが、アンチと銘打つほどアンチじゃありませんね・・・困ったもんです。
 ミサトのキャラ付けが弱いですからね。中途半端というか、私のキャラ付けではマニュアル人間ですが・・・この所為で、物語自体が中途半端になってしまった気も・・・まあ、あまりに盛り上がらないようなら、ミサトを追い詰めて暴走させるという手も有りますが(笑)
 これで今年の投稿は終わりです。次回は・・・1月末かなあ? なるべく早く出せれば・・・と思ってます。思うだけですが(笑)
 ではでは、良いお年を。
作者(地球中心!様)へのご意見、ご感想は、メール または 感想掲示板 まで