――ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ――

 突如部屋内に鳴り響いた警報ベルに、岩倉は椅子から転げ落ちた。
「な、なんだぁっ!?」
 痛む尻を擦りながら、ゆるゆると立ち上がる。幸いにも大きな怪我は無さそうだ。
 そんな自分の尻ばかり気にしている岩倉を、まるで怒鳴り散らすかのようにけたたましく鳴り続けるベル。次第にざわめき出す同室の面々。
(抜き打ち訓練の話など聞いてないぞ……?)
 事前に聞いていたら、抜き打ちにならない気もするが、彼は訓練を受けるでは無く、執行する側の人間だ。疑問に思うのは別に間違っていない。
「お、おいっ!」
 岩倉が少し呆然としていたところに、隣に座っていた同僚が泡食った声を上げながら、セキュリティモニターの一点を指差す。
 畳三枚分はあろうかという、巨大なモニターに表示された施設全体の地図の中央部、施設内でもセキュリティーレベルの高い、高官専用の個室の並ぶエリアが赤く点滅しているのだ。
 画面をしばし呆然と見詰め、一瞬の静寂……そして騒然!
「な! こ、これマジか?」
「い、いや……どうだろ? 訓練って話聞いてたか?」
「いや、聞いてない……た、確かめに行ったほうが良いか?」
「や、どうだろ? こういう場合って諜報部に連絡入れるんじゃなかったか?」
 自信無げに意見を交わす、床にケツを擦り付けた男こと岩倉と他4名。彼らの注目する先には、先程からずぅと自己主張を続けている赤い点滅と、その脇にデカデカと数字の「5」……最上級を示す緊急レベルコードが表記されていた。
 【緊急レベル】それは、今現在どれ程切迫した事態なのかを1〜5の5段階で表したモノで、発生したトラブルの深刻さに応じて使い分けられる……とは言っても、結局警報を鳴らす者のニュアンスに任せられるので、正確性は非常に怪しい。現に、過去セキュリティーが使われたのは只の一度のみ、それも女性職員の部屋に現れた、イニシャルGな昆虫にパニクッた時だけだ。
 ……後でその女性職員はメタクソに怒られたらしいが……
 だが、その唯一な過去の経歴でさえ、緊急レベルは1だった。今回は最も高い5を示している。彼らだけで処理することが許されるのは2までだ。それ以上となると、上司への報告と保安部への出動要請が義務付けられるのだが、普段使いもしない知識は、そうスムーズに出てくるものでは無いようだ。
 揃いも揃って浮き足立つ面々。こういう時の為に彼らはここに居る筈なのだが、これまでレベル3以上の緊急警報など一度として機能することが無かった為に、マニュアル通りの行動すら起こすことが出来ない。
 まるで許容オーバーしたパソコンの様にフリーズする職員たち……デジタルセキュリティーに頼りすぎた者共の典型であった。
 それでも、どうにか本棚のマニュアル本を引っ張り出し、保安部への出動要請を出すことに成功する。
 その後一通り、マニュアル通りの職務をあたふたと終えた頃には、既に警報が鳴ってから5分が経過しようとしていた。

「と、とりあえずこれでOKだよな? じゃ、行くか。」
 何とか連絡を終ええた彼らは、事の詳細を知るべく自らも現場へと駆け出す。先程まで蒼白一歩手前の顔色をしていた面々だったが、この頃になると彼らにも余裕の色が見え始めていた。
 緊急レベルは5となれば、本来近場の職員の避難まで考慮しなければならないレベルなのだが、彼らは実際にそんな深刻な事態だとは思っていなかったのだ。システムの誤作動か、職員が誤ってシステムを作動させたか、精々が職員同士のイザコザ位にしか考えていなかった。
 それ以上の最悪、例えば侵入者の存在などは考えない。本来イの一番に思いつきそうな事であるが、そのような発送自体、彼らの頭の片隅にも無かった。完全に抜け落ちていたのだ。
 平和ボケな事甚だしいが、逆に言えばそこまでにセキュリーシステムが堅固なのだとも言えた。
 地下施設という特性を大いに利用しているここは、進入経路も限られる上、ゲートを開くためのカードは世界最先端技術の結晶だ。無論偽造など出来ない。
 そして、たとえ中に入れたとしても、司令室を始めとする、最重要エリアは、そこかしこの床壁に振動センサーと熱感知センサーが埋められており、侵入者どころか通気口に潜むネズミすら感知するほどの高性能ぶりを発揮している。そして今彼らが向かっている現場も、そのエリアの一つだ。
 人間どころか生物には不可侵な領域。これで侵入出来るなら、ソイツは幽霊くらいのものだろう。
 故に、この時点で彼らの認識では、既に事態は収束に向かっていると信じて疑っていなかった。だが――

「……なあ、誰だあいつ?」
 現場に駆けつけた彼らの前に、そんな彼らを嘲笑うかのように、不審人物はなにげなく、さも当然の様に、そこに居た。
 そう、彼は間違い無く不審人物だった。
 少なくとも、そこへ駆けつけた岩倉含む5名、その人物への認識が『怪しい』で全員一致するくらいには、彼は不審人物な様相を呈していると言えた。
 ここに居るのがあまりに不自然な高年齢、異国風体な白装束、まるで仙人の様な格好。隠密の『お』の字も伺えない、「見つけてください」と言わんばかりに、周りに溶け込んでいない長髪長髭の老人。
 彼らは戸惑った。なにせありえないと思っていた侵入者が目の前に居るのだ。いや、侵入者では無いのかもしれないが、少なくともこの施設の関係者には見えない。
 そして、どうにも対応を決めかねた。
 侵入者と思しき老人は、およそ侵入者らしからぬくらい堂々と闊歩している。これが制服を着ているとか作業服を着ているとかなら、まだ侵入者としてリアリティが有ろうというものだが……いや、それ以前に先に駆けつけているはずの保安部の連中が、この様な人物を放っておくはずも無い。こうやって普通に歩いているということは、やはり職員か招かれたゲストなのか……?
 そんな感じで肯定と否定を忙しなく繰り返している岩倉達だったが、そんな彼らがどう思おうが老人の足取りは変わらない。ひょっとして我々に気付いていないのでは? そう勘ぐってしまうほどに、実に軽い足取りだ。
 結局、岩倉はやむを得ず、老人に声をかけることにした。さすがに怪しすぎるこの老人を、放っておくという選択肢は彼の中には存在していなかったのだ。
 もう一つ言えば、例え暴力沙汰になったとしても爺さんなら勝てるだろう。という、少し情けない打算が働いたのも、要因の一つだ。
「あのう、すいません。」
「何かの?」
 その得体の知れない老人は、意外にもフレンドリィに返事を返してくれた。まあ、この状況で意外じゃない老人の対応と言うのも、それはそれで考え辛いが……
「ええと……ですね、貴方ここの関係者には見えないのですが……どちら様でしょうか?」
「南方勝石と申すが……何用かな?」
 あっさり名を名乗る老人。その表情には若干怪訝な色が浮かぶものの、特に挙動不審な態度は見られない。
 その様子を見て、岩倉はホッと息をついた。老人の対応を見る限り、やはり侵入者の線は無さそうに見えたからだ。
「ええ、ちょっと此方の方でトラブルが有った様なので……申し訳ありませんが、カードを確認させて貰えませんか?」
 そういって、右手を差し出す。
 ここにいる者は、職員・客人問わず、入設許可証を持つことが義務付けられている。それを確認できれば、この老人は完全にシロということになる。
 もっとも岩倉にしてみれば、すでにこの老人に疑いなどかけていない。故にこれは身元確認と言うより、迷子札の確認的な割合が強い……元々部外者にウロウロされるのは、あまり好まれないのだ、ここは。
 そんな岩倉に対し、老人は差し出された手を不思議そうに見つめ――
「カードとな? そんなもんは無いが?」
 どうにも取り繕いようの無い言葉を吐いた。
「…………」
「…………」
 何処からか低く鳴り響く空調の音の中、何とも言えぬ居心地の悪い静寂が、廊下一帯に広がる。
 岩倉と老人はお互いを不思議な動物を観ているかのような表情で見つめ合っている。そしてそれを呆然と眺める岩倉の同僚たち……その風景は、かなり曲解すれば、熱烈カップルとそれを微笑ましく見守るギャラリーに見えなくも無い。まあ相当に無理はあるが……
 しばらくそのまま固まっていた岩倉だったが、ようやっと再起動したらしく、慌てて老人を問いただした。
「なっ……無いってことは無いでしょう? カードが無ければここには入れませんよ? 入り口でこういうの貰ったでしょう?」
 言って、自分のカードを見せる岩倉。赤いカラーにイチョウの葉がプリントされた結構派手なカードだ。引っ繰り返すと岩倉の顔写真と個人情報がしっかと記載されている。
「ね? お爺さんもこういうカードを受け取ってるはずなんですよ? 本当なら名札みたいに胸に付けてなきゃいけないんですよ?」
 まるで子供を嗜めるように、懇切丁寧に説明をする岩倉。何か話が妙な方向に行っていることに本人も気付いているが、まだ確信にまでは至っていないようだ。あるいは気付かぬ振りをしているのか……だが、
「カードなど無くても入れたがの?」
「…………」
 またもやあっさりとゲロる老人に二の句が告げない岩倉達。だが、ここまでハッキリ言われたにも関わらず、いや、あまりにハッキリと公言された為に、彼らはまだ目の前の老人の判断に苦しんでいるようだ。出来れば穏便に片付けたい。そんな思惑を前面に映し出している彼らの笑顔は実に曖昧だ。
「え、えっと……すいません。それじゃ拙いんですよ。あ〜……それじゃですね、今まで何処に居たのか覚えてます?」
 まるでボケ老人に対するかの様に、優しく、諭すように老人に語り掛ける岩倉。曖昧な笑みの中に微妙に憐憫の情が見て取れる。まあ、岩倉の主観からすれば正しくボケ老人と対話しているつもりなのだろうが。
「弟子に会いに来ただけじゃがの? そこの角を曲がって直ぐの部屋じゃ。」
 そう言って老人の指差す先は、紛れも無くセキュリティーが反応したエリア。
 思えば、まだ現場に顔を出していなかった事を思い出し、岩倉は指差された方に視線を向ける。
 と、その指差した先からタイミングを見計らったかのように二つの人影が現れた。
 それは金髪の妙齢な女性と長髪をなびかせた……多分少年、という奇妙な組み合わせ。
 その二人組みの片割れに見覚えのあった岩倉は、一瞬「あれ?」と疑問を浮かべたが、その疑念を払いのけるが如く、その内の一人、金髪の女性が岩倉に対し酷く慌てた様子で声をかけてきた。
「貴方たち! 何をしてるの。その老人を捕まえなさい!」
「え?」
 頭に?マークを浮かべ固まる一同。全然事態についていけてない。
 思えば先程からまともに考える猶予も与えられていないなぁ……等と、頭の片隅に思い浮かべている岩倉に、もう一人の小柄な少年の方も続けて声をかけてきた。
「やめといた方が良いですよ〜。貴方たちの手には負えませんから〜。」
 こちらは随分とのんびりした口調だ。
 全く正反対の意見を述べられた岩倉達だったが、数瞬お互いの顔を見合わせた後、おっとりと行動を起こした。
 示唆したのは女性の意見だ。理由は単純明快、彼らの直属上司だからだ。
「ちょっとすいません。待ってもらえますか?」
 老人の前に回りこみ、やんわりと肩を掴む。一応、女性の指示に従っているが、口元に未だ曖昧な笑みを浮かべてる辺り、完全に意図を酌めてはいないようだ。
 だが、老人は掴まれた肩を気にするでもなく――
「いや、もう用事も済んだでな。帰らせてもらうぞ……はよせんと、贔屓の番組の時間に間に合わんでな。」
 そう軽い口調でお暇を宣言し、ハエでも追い払うかのように軽く腕を振るった。すると――
「え? うわっ!」
 老人の一振りで岩倉の身体がフワリと宙に浮く! まるで身体全体を引っ張られているかのような不可思議な感覚、バランス感覚の崩れていく不安感に押し包まれながら岩倉の身体はゆっくりと上昇し始める。
 この時岩倉は自分の事で精一杯で気付かなかったが、実は老人の周りに居た大の大人5人が揃って宙に浮いていた。
 老人を囲むように天使の如く遊泳する5人の男共……なかなかにシュールだ。
「じゃ、道を開けてもらおうかの。」
 言いつつ、老人はスッと横に手を振る。

――ビタンッ――

 すると、手の動きに呼応するかのように、岩倉達は軽い音を立てて揃って横の壁に貼り付いた。
 そのまま昆虫標本よろしく、横一列に並べられる5人衆。
「お、おいっ! なんだっ? どうしたっ?」
「ええっ!? わっ、わっ、う、動かねえ!」
 口々に騒ぎ立てる、岩倉達。その身体は首から上を残し、その下は指先一つ動かすことが出来ない。
 完全に混乱してしまっている彼らの目の前を、老人は悠然と通り過ぎていった。それを岩倉は呆然と見送ることしか出来ない。
 そんな彼等の横手からは未だヒステリックに騒ぎ立てる上司の女性そして、それを嗜めるノンビリとした少年の声。
 そんな状況を呆然と受け止めながら――
「な、何なんだ?」
 結局彼等は最後まで、状況を把握出来なかった。



新世紀エヴァンゲリオン 〜Storm of Sophistry〜

第二話(C−PART)

presented by 地球中心!様




 そこは重苦しい雰囲気に包まれていた。
 誰も一言も発しようとせず、居合わせた面々が一様に眉間に皺を寄せて俯いているのだから、まあ空気が重いのは当たり前なのだが……
「では説明してもらおうか?」
 そう口火を切ったのは冬月だ。当然、その傍らにはゲンドウが何時もの様に机に肘をついて寡黙を通している。
 その二人を囲むように頭を並べているのは、ネルフ本部の戦闘に関わる部署、即ち諜報部と保安部の部長、加えてセキュリティーシステムを一手に引き受けている技術部部長(つまりリツコだ)の各面が顔を揃えている。
 これにミサトが加われば、ネルフ本部のトップが揃い踏みとなるのだが、今回の件には作戦部の直接関与も関連も無い事と、一応絶対安静の身ということで、会議からは外された。ちなみにミサト自身はこの事を知らない。
 もしこの事を知れは、彼女自身は仲間外れにされたと怒るかもしれないが、今回に限って言えば、対象から外されたことは幸運だったといえるだろう。なにせ、この会議のお題目は、彼らの起こした大失態の報告会なのだから。例え失態の張本人で無くとも、その場に居るだけで寿命の2年や3年くらい簡単に縮みそうだ。
 その証拠に、今この場に揃った幹部連は、一様に青褪めた顔で己の足元を見つめている。彼らも今回の件に関しては申し開きの立てようが無いことを自覚しているのだ。
 それでもそんな中、恐る恐るながらも口を開いたのは、やはりゲンドウと接触の多いリツコだった。
「今回発生した侵入者、本人は南方勝石と名乗っております。また、サードチルドレンの師であることが、本人及び当人両方より確認しております。そして第三区間までの侵入方法、侵入経路、協力者の有無、考えうる可能性を全力で洗っておりますが、未だこれといった証拠や痕跡は残されておりません。」
 リツコの報告に苦い顔をしつつ、冬月は残る二人の内の片方、最近髪の薄さを気にしている小太りな保安部部長に目を向ける。
「あ、我々はセキュリティーセンターより報告を受け、すぐさま現場へ急行、侵入者と思しき人物と接触しました。」
 保安部部長は、別にどうでもいい前口上を長々と話し続ける。
「それで? どうしたのかね?」
 冬月に不機嫌そうな声で核心を促された。
「あ……はい……部員の報告によりますと、まず侵入者に対し静止勧告を発しました。が、侵入者はこれに応じず。已む無く強制捕獲に移行しました。」
 まだ核心の話に入らない。往生際の悪い男だ。
「で、捕らえたのかね?」
「は、いえ、その……寸でのところで捕り逃しまして……」
 畏まりつつボソボソと語る保安部部長。往生際が悪い上にやたら言い訳がましい様だ。
 やっと結果を述べたその男を冬月はつまらなそうに暫し眺めた後、もう用は無いとばかりに視線を外した。そして、もう傍らの男に目を向ける。
「諜報部は、どうだったのかね?」
「は、今回の件に諜報部では当時施設内に駐留していた部員を総動員、計26名を以って、侵入者の捕獲にあたりました。そして、E-7のゲート付近にて侵入者と思しき人物を発見。警告及び強制確保を試みましたが、確保には至らず、侵入者の足取りも途絶えた。との事です。また、侵入者に接触した際、不可解な現象によって捕獲行動を妨げられたという報告も受けています。」
 こちらは打って変わって事実を淡々と報告する。体育会系のがっしりとした体系といい、保安部部長とは大違いだ。
「不可解な……とは、どういうことかね?」
「あ、はあ……彼らの証言によりますと、何か見えない力で壁に貼り付けにされたと……私も証言しか得られていませんので、一度映像でで確認したいのですが……」
 そう言って、リツコに目を向ける諜報部部長。
「こちらです。」
 リツコが手元のキーボードを操作すると、壁に備え付けられたモニターに映像が写る。
「今、話に出た、E-7ゲートでの映像です。」
「むう……」
 そこにはカメラに背を向けて整列した諜報部員数十名と、それに対峙する一人の老人の姿。
 代表格の部員の制止も聞かず、老人は何食わぬ顔で歩を進め、それに業を煮やした数名の部員が老人に手を伸ばした、その刹那――
「なっ!」
 まるで首根っこを摘まれた猫のように宙に浮く諜報部員。一人また一人と宙に浮いては左右の壁に貼り付けにされる。
 まるで「モーゼの十戒」の様に、人の波が左右に分かれていく光景は、冬月の目から見ても、ある種の感動が沸き起こってくる。さすがに当事者の部長達は苦々しくモニターを睨みつけているが……
「侵入者はこのままゲートを抜け、恐らくモノレールの線路を辿って脱出したものと思われます。」
 リツコの証言どおり、モニターにはゲートを悠々とくぐる侵入者こと勝石の姿が映し出されていた。ちなみに捕獲にあたった諜報部員は貼り付けのままだ。
「……まさか、彼らたちは未だ張り付いてたりしてないだろうね?」
 ふとそんな事を口に出す冬月。自分が貼り付けにされたときの事でも想像したのかもしれない。声が少々震えている。
「大丈夫です。10分経過した辺りで、全員元に戻りました。」
 冬月はリツコの即答に、誰の為だか分からない安堵のため息を漏らしつつ、畏まっている保安部・諜報部部長両名に声をかける。
「さて、今回の件だが……映像を見る限り、特に仕事上の不備が有ったとも思えん。結果だけで君たちを攻めるのは、さすがに心苦しい。とは言え、何もせずにこのまま……というわけにもいかん。よって、今後この様な事が無いよう、具体的な対策案を今日中に提出するように。」
 冬月はそう締めくくった。
 さすがにこれだけのモノを映像として見せられては、冬月としても強くは言えない。いくら職務を全うしていないとしても無理なものは無理だ。冬月とて、その辺のことが分からないほど無知でも非常識でも無いし、世間ズレもしていない。結果は必要だが、そこまでの経過をきちんと評価することも又必要であることを、彼はしっかりと踏まえていた。もっともそれくらいの良識を備えていないようなら管理職はとてもやっていられない……まあ、ゲンドウ辺りなら平然と処分しそうだが……
「はっ!」
「……はい。」
 両極端な返答して、そそくさと退室する保安部・諜報部部長両名。態度は違っていても、さっさとこの部屋から出たい気持ちは同じらしい。心持ち早足だ。
「それでは失礼いたします。」

――シュッ――

 深々と頭を下げたまま、二人は並んでドアの向こうに消えた。

「しかし、青木君にも困ったものだな……」
 二人が退室したのを見届けた冬月が、如何にもウンザリといった雰囲気で呟く。
 ちなみに青木とは、先程しどろもどろの報告をした保安部部長の名だ。マジメなのだが、やたらと臆病な性格で、トラブルの報告をする時など、何時にも増して前置きが長く言い訳がましいので、特に報告を受けることの多い冬月の不況を買っていた。
「構わん、保安部はあれぐらいで丁度良い。」
「ああ、分かってはいるがな……」
 珍しく嗜めるようなゲンドウの一言に、不承不承ながら相槌を打つ冬月。
 そう、あの臆病を絵に描いたような男、青木が保安部部長に抜擢されたのも、れっきとした理由があってのことなのだ。
 そもそも保安部の勤務内容とは、文字通り所内の安全を保つための部署だ。施設出入り口の監視に始まり、施設内の巡回、合わせて通気口などもわざわざ開けて、異常や不審な点が無いか、わざわざ確認している。
 そうやって、施設内を隈なく調べ、有事の際は、全力を持って異常を収める。それが彼らの仕事なはずなのだ。少なくとも、保安部に所属している者は揃ってそう認識していた。だが――
 実際の職務開始が間近に迫った頃、上から送られてきた施設マップを見て彼らは愕然とした。
 無理も無い。何故なら、その地図に描かれた施設の半分近くが、進入禁止エリアになっていたからだ。
 これには保安部所員もさすがに不平の声を上げた。
 こんな立ち入ることも出来ないような場所をそこかしこに作られては、有事の際自由に動けない。もし侵入者がその場所に逃げ込んだりしたら、こちらは完全な後手に回ってしまう。
 それでなくても、特に使徒戦とは直接関わりを持たない保安部は、ネルフ内でも暗黙のうちに低い立場に追いやられている事情も相俟って、保安部の不平不満は、これ以上無いほどに膨れ上がっていた。
 日に日に増える抗議の人数、実務効率の低下、険悪なムード……さすがにこのままではマズイと感じた冬月は、一つ案を下した。
 此処までくれば、皆もお分かりかもしれないが、その案こそ、上に記述している青木だ。
 冬月は、巷の有名警備会社を徹底的に調べ上げ、最も冬月の思惑通りに動きそうな彼を、殆ど金の力でヘッドハンティングしてきたのだ。
 そして、冬月は彼にだけ進入禁止エリアの地図を頭に叩き込ませ、有事の際は彼の指示に従うよう保安部に命じた。
 無論これは保安部部員の不満を完全に汲んだ訳では無いが、彼らの大義名分であった「有事の際の行動制限」に対して、一応最低限の対応をされてしまった為、加えて、最初は同情的だった他の部門の職員からも「何時までやってるの?」的なクレームがチラホラ出始めたため、彼らは不承不承ながら抗議の鉾を収める事となった。
 もっとも、それは表に出なくなっただけで、保安部内、特に部長の青木に対しては、たびたび抗議の声をあげていたのだが、当の青木には、それを冬月に上申する根性が無い。
 そのため、最近では部員達もすっかり諦め、青木は保安部内でも相手にされず、村八分の状態に追いやられていた。
 ようは、上層部への不満が身近な部長へと、怒りの矛先が変わったのだ。
 計画上余計なエリアに首を突っ込んで欲しくない上層部と業務上全てのエリアに立ち入りたい保安部。そしてその間に挟まれギュウギュウに潰されている青木。
 青木にとっては災難だが、冬月にとっては正に思惑通りの結果といえた。
 そういう理由も有り、実は冬月には青木の事をとやかく言う権利は無い筈なのだが、そんなことは忘れてしまったのか、それとこれとは別とでも思っているのか、彼は事有るごとに不平をタラタラ洩らしていた。
 それを聞くのはもっぱらゲンドウなので、いい加減ウンザリしていたゲンドウは、この時ばかりは冬月を嗜めるようにしていた。そうしないと止まらないからだ。
 
「……赤木博士。」
 冬月の愚痴には聞く耳持たないとばかりに、リツコに話を振る。
 リツコも心得ているとばかりに深く頷き――
「先ずはこちらの音源をお聞きください。」
 キーボートのカーソルを押した。
『……単刀直入に聞くけど、エヴァをどうやって動かしたのかしら?』
 すると、ゲンドウのデスクに備え付けられたスピーカーから、リツコの声が流れ出す。昨日、シンジを詰問した時の録音データだ。映像は無い。さすがにリツコの自室なので、監視カメラは仕掛けていなかったようだ。
 しばらくスピーカーから聞こえる、リツコとシンジの会話を黙って聞いているゲンドウと冬月。
 イキナリ、ユイを否定するシンジの発言に、冬月どころかポーカーフェイスのゲンドウですら苦虫を噛み潰したような表情を見せていたが、そんな二人に関係無く会話は進む。
 10年前の出来事をシンジが覚えていたことに驚き、まるで尊敬を感じさせないユイへの人物評に更なる怒りを募らせ、シンジと接触を持っていた人物がやはり居たことに、些かの動揺を滲ませる。そして――
『――なた誰?! どうやってここに!』
 突如、変化した緊迫な雰囲気に、ゲンドウ、冬月共に目を細める。
『むう? 可笑しなことを言うのう。たった今、南方勝石と名乗ったろうが? ……シンジ、ワシ名乗ったよな?』
『はい、間違いなく名乗られましたよ? 恐らく赤木さんが聞き逃したのでしょう。』
『――ッ! ……まあ、名前は良いわ。で、どうやってここに潜り込んだのかしら? その目的は?』
『どうやったかは企業秘密じゃ。目的は……まあ、目的と言うほど大したものではないがの。弟子の様子を見に来た。』
『僕の……ですか?』
『その通りじゃ。影ながら弟子の戦いを見守ってやろうかと思うての。どうにか戦いには勝利したようじゃが、その後お主の気が低迷しておったからのう。2日も経っとるし、さすがに心配になったんじゃ。』
『そうでしたか……ご心配をおかけしました。』
『良い良い。大事に至らんで何よりじゃ……それじゃ、弟子の元気な姿も拝めたし、お暇させてもらおうかの。』
『ちょっ! 待ちなさい! 勝手にこんな所まで潜り込んで、そのまま帰れると思ってるの?』
『思おとる……っちゅうより、このまま帰れん理由など無いがの?』
『っ……貴方がシンジ君の師匠、そう言ったわね?』
『イキナリ話を変えるのう?……いかにも、その通りじゃ。』
『何故……彼を弟子に? 当時わずか11歳の小学生、しかも少年刑務所へ服役中。そこへ潜り込んでまで彼を鍛えた理由はなんなの?』
『……神のお告げじゃ。』
『神? 真面目に答える気は無いと言うことかしら?』
『失礼な、ワシは至極真面目じゃよ。お主こそ真面目に聞く気が無いのなら、これで話は終わりじゃ。』
『……ごめんなさい、話を続けてもらえるかしら?』
『……まあ良い。ワシが神よりお告げを聞いたのは、今より10年ほど前、実際はそれ以前から神の御許で修行に励んでおったが、人類の存亡を賭けた戦いについて聞いたのは其の時じゃ。』
『! その神様が、どういうお告げを告げたのかしら?』
『ふむ……少しは神の存在を信じる気になったか。思い当たる節でも有ったかの?』
『良いから答えてちょうだい。』
『本当のことを言えば、神は明確に答えをくれたわけでは無い。ワシら人類だけに情報をやるわけにはいかぬと言うてな。故にワシは調べた。15年前の災害が人災であることは簡単に掴めたよ。そして、シンジ、お主が巻き込まれるであろうこともな。』
『なっ! あなたいった――『老師、それ僕も初耳なんですけど?!』
『うむ、言わなかったからの……シンジ、あの時のお前はあまりに脆弱な存在だった。とても未来に起こりうる受難に立ち向かえる様には見えなんだ。故に理由は告げなんだ。先ずはお主を鍛え、強くすることが最優先じゃったからの。本当の理由は後で教えても良いと思った……どの道、この運命からは逃げられんしの。』
『そうだったのですか……』
『すまんのう、シンジ。』
『いえ……おかげでこうして生き残ることが出来たのです。詫びる事ではありません。それより老師、この後どういう戦いになるか等は分からないのでしょうか?』
『分からぬ。故にお主には、あらゆる技を叩き込む必要があった……さて、少し話し込んでしまったの。そろそろ帰るとしよう……シンジ、これから先はつらい戦いになるやもしれん。じゃが、ワシはそれに耐えうるだけの鍛え方はしたつもりじゃ。油断は許されぬ、じゃが気負うことも無い。ワシも影ながら助力させて貰う。お主だけに危ない橋を渡らせはせんよ。』
『! 忘れてました。老師、先の戦いでは敵の足を止めて頂いたのにお礼も忘れて……申し訳ございません。』
『ええ、ええ、ワシにもそれくらいはする義務がある。』
『ありがとうございます。』
『では、な。』
『はい、お気をつけて。』

『――ガチャッ――』

『お前が侵入者か! おとなしくしろっ! 両手をそこの壁に付けるんだ! 早くしろっ!』
『……ふむ、なるほどのう。イキナリ話を変えたのは、こやつらが駆けつけるまでの時間稼ぎじゃったか?』
『何をごちゃごちゃ言ってる! おい、かまわんから押さえつけろっ、って、おいっ! うわあああっ!』

「…………。」
「この後は知っての通りです。保安部員、諜報部員、加えてセキュリティーシステムのオペレーター5名。皆一様に壁に貼り付けにされています。」
「この老人についてはどれ程掴めてるのかね?」
「この南方勝石という人物が、我々について、どれ程調べてあるのか、また、サードチルドレンにどれ程教えているのかも、不明です。一応チルドレン本人は、何の事情も知らなかったと主張しておりますが……」
「頭から信じるわけにもいかんな。」
 かと言って、疑いを抱くだけの根拠も無い。困ったものだ。
「ところで赤木博士、先程の二人の会話からすると、あの使徒の足元の爆発は、あの老人によるもの……というふうに聞こえたのだが?」
「はい、私にもその様に聞こえました。」
「本当にそんなことが出来るのかね?」
 真面目な顔で問いただす冬月。常識的に考えれば、ホラ話として一笑にふすだけなのだが、ネルフに侵入した手際と、保安部員並びに諜報部員を手玉に取って見せた、あの不可思議な技を見せ付けられては「ひょっとして?」とも思いたくなる。
「サードチルドレンは、老師なら出来るだろう……そう証言しております。ちなみに本人は出来ないそうです。」
「そうか……碇、一度本人と直に話を聞いてみるべきではないか?」
 先程から微動だにしないゲンドウに、そう声をかけた。気位の高いこの男としては、息子に興味がある素振りを見せるのも嫌なのだろうが、ここまで想定外のことが起こり過ぎては、何でも人任せにしたままでは状況が掴みきれない。多少の融通を利かせてでも、シンジから情報を得ることの必要性を、冬月は強く感じていた。
「サードチルドレンは今何処に居る?」
 冬月の言を汲んだのか、ゲンドウはリツコに問うた。心持ち、声に抑揚が無いのがいっそう不気味に感じるリツコだったが、少々面食らいつつも、素直に返答した。
「はあ……とりあえず昨夜は病院の一室をあてがっておきましたので、恐らくはそこかと……呼び出しますか?」
「必要無い。早急に独房へ放り込んで置け。」
「「なっ!」」
 さすがにこのセリフには、リツコも冬月も仰天した。
 ずっとダンマリ決め込んで、何を考えていたのかと思えば、この男、どうやらシンジへの怒りで腹の底を煮えたぎらせていた様だ。サングラスの脇から覗く眼光が、何時もの数倍にも増して禍々しい。
「ちょ、ちょっと待て碇! 彼は今唯一といっても良いウチの戦力だ。これ以上不況を買うのは不味い。」
「かまわん、それに奴は殺人犯だ。刑期を終えてもおらぬのに、のうのうと外を歩かせるわけにはいかないだろう。」
 淡々と説明、というより苦しい言い訳を並べ立てるゲンドウ。その声色は段々と低く、抑揚も無くなり平坦な機械言葉のようだ。
 その何とも言えぬ静けさに嫌な不気味さを感じたリツコは少し後づさる。純科学的な彼女は否定するかもしれないが、それは女の勘だったのかもしれない。今この男に刺激を与える事に、強烈な拒否感を覚えたのだ。
 だが、冬月には何ら感じさせるものは無かったようだ。それはひょっとすると、ゲンドウと席を共にしすぎた為に、この男の発する毒に、感覚が麻痺してしまったからかもしれない。軽率にも彼は、ゲンドウを、最も触れて欲しくない話題で叱り付けてしまった。
「下らん屁理屈はよせっ! お前はただ、ユイ君のことを悪く言われたのが我慢出来ないだけだろうがっ!」
「黙れっ!」
 ゲンドウの怒声が部屋中に響く。
「…………。」
 怒声を真正面から受けた冬月は、そのまま何も言えずに固まってしまった。部屋に嫌な静けさが漂う。
 ゲンドウは静かになった部屋の中、今しがた怒鳴ったことも忘れたかのように、一人黙々と己の思考に没頭し始めた。
 何を、誰のことを考えているのか? 実はというか、やはりというか、彼は目の前の冬月とリツコそっちのけでシンジのことばかり考えていた。
 いや、考えていたと言うのは適切な表現とはいえない。正確には、ゲンドウはあらん限りの怒りをシンジにぶつけていたのだ。
 ぶっちゃけ言ってしまえば、冬月の決めつけとも言える先程の叱咤は、これ以上無くゲンドウの正鵠を得ていたことになる。今、ゲンドウの脳内ではシンジへの拷問及び死刑執行が42回目を数えた所だ。無論頭の中での出来事なので、現実のシンジがどうにかなるわけではない。そして、そのことがゲンドウの怒りが更に膨れ上がることになる。どうしようもなく手前勝手な悪循環であった。
 そもそも、ゲンドウからすれば初号機に男など乗せたくは無かった。シンジを乗せることが必須であると分かっていても、納得が出来ない。どうしようもないジレンマに襲われたゲンドウが導き出した一つの答え、それは、シンジを男では無く、道具と見なす事だった。故に、ゲンドウはシンジの言い分は極力聞かず、己の言い分だけを通そうと躍起になっていたのだ……シンジの上げ足取りの所為であまり効果があったとは言えないが。
 だが、当のシンジといえば、こちらの予定から外れた行動ばかり取る上、今回に至っては、こちらが断腸の思いで乗せてやったエヴァを、いや、ユイ自身を気持ち悪いと言う許すまじ暴言。彼にしてみれば、独房入りですら生温いのだ。文句を言われる筋合いなど無いと、彼は本気で思っていた。
「とにかく、奴は独房入りだ……これは決定事項だ、冬月。」
「…………。」
 ピシャリと会話を終了されて、冬月は顔を顰めて黙り込む。ゲンドウに言いたいことはごまんと有ったが、こうなってはもはやこの男は意見を曲げない。取り付くしまも無いとは正にこの事を言うのだろう。
 静寂に満ちた部屋の中を、いささかげんなりした空気が流れた。



――コツッ、コツッ、コツッ、コツッ……

 長い長い廊下上に、乾いた足音が響く。それは、先程司令室を出たリツコと、冬月の足音であった。
 しばらく無口なまま並んで歩を進めていた二人であったが、やにわ冬月が口を開いた。
「赤木博士。」
「はい?」
「先の侵入者だが……本当にサードチルドレンに会いに来ただけなのかね?」
「それは……私も疑いました。一応、紛失したデータ等がないか調べましたが、荒らされた痕跡はありません。」
「そうか……これは君の私見で構わんのだが……彼は単独で動いていると思うかね?」
「わかりません。いえ、常識的に考えれば何らかの組織に加担していると見るべきです。ですが……」
「あの老人は、セキュリティーシステムをあっさりと掻い潜って此処まで潜り込み、駆けつけた保安部員達を軽くあしらって、脱出して見せた。」
「……そうです。」
「これだけの技量が有るのなら、所員に気付かれずに刑務所に潜り込むことも、難しく無かったやもしれんな……」
「……はい。」
 リツコが悩んでいるのは正にそこであった。
 あの老人と出会うまでリツコは、シンジに何処ぞかの組織が接触していると踏んでいたのだ。それこそ刑務所そのものにまで疑いをかけていた。
 だが、あの老人の出現の所為で、単独犯の可能性が出てきてしまった。
 そして、彼が単独犯だとすると、捜索の手段が極端に減少してしまうのだ。
 非常に頭の痛い問題であった。
「その点も含めて、もう一度刑務所を調べ直すべきでしょうか?」
 シンジでは無く、あの老人についてなら、また違った証言も出て来るかもしれない。リツコは唐突に、現場百遍という言葉を思い出していた。
「そう……だな。その辺は私の方でやっておこう。」
「はい、お願いします。」
 そこまで打ち合わせを終えたところで二人は足を止めた。
 目の前には格子状のスライド式ドアが行く手を塞いでいる。
 なかなかに物々しい雰囲気を感じさせるデティールだが、リツコは特に畏敬を抱くでも無く、脇のスリットにカードを通した。

――シュッ――

 空気の抜けたような音と共に、壁の中へ引っ込む格子。二人はそのまま足を進めた。
「……しかし、前々から疑問だったのだが、何を思ってここのドアは鉄格子にしたのかね?」
「言われてみればそうですね……セキュリティー面を考えれば、完全密閉のドアにした方が、ずっと良いはずですが……副指令にも心当たりは無いのですか?」
「無いな。私が此処へ来たときには既にこのエリアは完成していたよ。まさか……碇の奴の趣味ではあるまいな。」
 それは単なる思いつきだったが、冬月もリツコも、それきり口を開くことは無かった。奴なら有りえると思ってしまったからだ。
「ここです。」
 止まった二人の横には小さな窓の付いた鉄製のドアがある。シンジが居る独房であった。
「シンジ君、起きてるかね?」
 ドアの小窓から覗き込むように声をかける冬月。
「ええ、起きてますよ? 冬月先生。」
「なっ!」
 まさか、その様な呼び方をされると思っていなかった冬月は、細い目を目いっぱい見開いた。それでも人並みより細いが。
「10年前に一度お会いしているはずですが?」
 若干の笑みを込めた返答をしながら、シンジは小窓の脇からゆっくりと顔を覗かせた。
「あ、ああ、そうだったね。久しぶりと言うことになるかな? こんな形で再開する羽目になるとは、非常に残念だ。」
「いえ、お気になさらず。」
「本来なら、独房に入れる予定は無かったのだよ。君にはこれからもパイロットに務めて欲しいからね。ただ……君の師匠というのが問題になっていてね。」
「……なるほど、このネルフの中にまで入って来たことが問題になっているのですか。僕が侵入の手はずを整えた疑いもある……と?」
 ズバリ、言い訳として考えていた事を言い当てられて内心舌を巻く冬月。だが、さすがに本当の理由までは悟られてはいないようだ。まあ、馬鹿馬鹿し過ぎて悟られようが無いとも言えるが……
「まあ、そういうことなのだ。だが、実際の所、その可能性はかなり低いと思っているのだよ。もし無実だとすると、我々としても君を此処に閉じ込めておくのは心苦しい。そこでだ、あの南方勝石という老人について、君の知っている範囲で構わないから教えて欲しいのだ。まあ、いわゆる捜査協力なわけだが……どうだろう? 協力して貰えればある程度の便宜を図ることも出来るのだよ?」
 心にも無いことを口にする冬月。ゲンドウの厳命がある以上、シンジが独房から出ることなど有り得ないと分かりきっているのに、救いが有る様に見せかける……やはりこの男も来るべくして来た人間だったのか、ここの空気に染まってしまったのか……
 そんな冬月を暫し見詰めていたシンジは、暫し長考し――
「僕もそれほど多くのことは知りませんよ? まあ、老師が不法侵入したのも事実ですし、そちら側の事情も分かりますから、知っている限りで教えるのは構いませんが……」
「……?」
「ひとつ、お願いがあるのですが……」
「何かね? こちらでも聞ける範囲でなら応じよう。」
「ありがとうございます。で、お願いと言うのはですね……」
 シンジのお願いを聞き、冬月は渋面を滲ませる。
「そ、それは……」
「駄目でしょうか?」
「むう……分かった。だがこの場で確約は出来ないが……」
「まあ、上の人と相談しても良いですよ。でも、これからも僕をパイロットとするお積りなら試す価値は有ると思いますよ?」
「確かに、そうだな。」
「では、老師について、お話しましょう。まあ、それほど多くは知りませんけどね。」
 そう前置きをして、シンジは南方勝石について、とうとうと語り始めた。



 木々茂る森の中、勝石はまるで重力を感じさせないスピードで、枝から枝へと飛び移っていく。と、勝石の前方に人影が現れた。
「お疲れ様です、老師……シンジの様子はどうでしたか?」
 人影は裕也であった。勝石はニィッと笑みを浮かべ、揃って地上に降りる。
「うむ、シンジ自身には特に問題は無さそうじゃ。じゃが、これからもあのエヴァというのに乗ることになると、これからの戦いは厳しいものになるのう。」
「? エヴァに問題があったのですか?」
「立ち聞きした会話から察するにな……まあ、その辺は帰りがてら話そう。」
「分かりました……ところで、ネルフの様子、如何でした?」
「ほっほっ、少しあしらってやったからの。全面的では無いじゃろうが、少しはワシの方に目が向いたじゃろ。」
「お手数お掛けします。」
「何、大したことではない。初っ端からシンジも技を見せすぎたからの。ここでワシが出張らんと、奴らもお主の方に疑いをかけかねん。まだ、隠しておいた方が得策なのじゃろう?」
「はい……戦いは始まったばかりですから。」
 そう、裕也はシミジミと呟き、空を見上げる。
 うっそうと茂った木々の葉の間から三日月が、まるで二人の様子を覗きこむかのように、淡い光を照らしていた。



To be continued...


(あとがき)

 こんばんは、地球中心! です。どうにか第2話を終わらせることが出来ました。このペースで行けば、5年くらいで完結できそうです。最悪です。もっとペースアップしなきゃ(泣)
 次回から第3話になります。勿論シンジは学校には行かないので、かなり本編からズレた話になると思います。シンジのお願いも、判明する……かも(笑)
 それではまた、次回でお会いしましょう。

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