新世紀エヴァンゲリオン 〜Storm of Sophistry〜

第三話(A−PART)

presented by 地球中心!様


 殺風景な白い部屋の中、シンジは一人ポツネンっと突っ立って居た。
 部屋の広さはテニスコート位だろうか? どういう仕組みか分からないが、壁から天井から、床からも煌々と明かりに照らされ、シンジは己の影すら視認する事が出来ない。部屋壁の陰影まで消え去っているので、ぱっと見、白い空間が何処までも広がっている様な錯覚を受ける。
 加えて、シンジ自身も少々特徴的な姿を晒していた。
 どういった目的で、どの様な機能が備わっているのかは分からないが、それを見た目で判断するなら、10人中8人位は「宇宙服?」と答えるだろう。
 全身をスッポリ包む、やたらと厚手な生地。表面は微妙にテカッていて、如何にも通気性が悪そうだ。加えて、背中から伸びるやたらと太いコードが、見た目重さに拍車をかけている。これでヘルメットでも被っていれば、ロボットか何かと勘違いされるかもしれない。
 いや、本当はヘルメットも有るのだが、シンジの髪が邪魔なので、装着を省いたのだ。別段シンジは髪に拘っていないので、切るのも吝かではなかったし、ミサト辺りも同意見だったのだが、リツコの「別に良いわ」の一言で、事はあっさりと収拾されてしまった。
 普段から、『キッチリ完璧に』をモットーに捧げている感のあるリツコにしては、あるまじき態度だ。
 ミサトは、そんな彼女の態度に少し引っかかりを覚えたが、そんなことはすぐに意識の彼方へと飛ばしてしまった。10秒考えて答えの出ないものは忘れる……それが彼女の処世術であるからだ。
 だが、この様な僅かな機微に感づくのは、流石は勘の鋭いミサトと言えた。そこから更に踏み込んで熟考しようとしないのも、流石と言えるが……
 実はリツコは、己の髪に対して、少なからぬコンプレックスを抱いていた。
 元より直毛で若干髪質が硬いのに加え、髪を染め始めてからは更に痛みが増し、枝毛も増えてきている。
 そんなリツコにしてみれば、大して手入れもしていないのに、艶やかな黒髪をこれ見よがしに靡かせているミサトの態度には、少なからぬ不快の念を感じていたのだ。
 そこへ来て、今度はシンジが現れた。
 シンジの髪は、男のモノとは思えぬほど、非常に柔らかで艶やかだ。それはリツコからしてみれば、多大に羨ましくもあり、少なからず嫉妬を覚えるものでもある。
 ハッキリ言って、目障りだった。心情的にも、実験体としてもだ。
 現にレイなどは、そのまんまの理由でショートカットが義務付けられている。
 故に本音を言えば、リツコはシンジの髪を切ってしまいたかった。ミサトのみならず、男性のシンジにまで遅れを取ることに、潜在的な憤りを感じていたのだ。
 だがしなかった。否、出来なかった。
 その理由は、彼女自身の気質にあった。
 赤木リツコの性格……それは、一言で言えば気丈と言える。
 幼少の頃は、尊敬する科学者としての母に心配をかけぬために、学生の頃からは、母親のネームバリューだけで多大な期待を受けてしまったがために、期待という名のプレッシャーに包まれた彼女は、けして弱みを見せる事が出来なかった。
 これで、まだ一度でも挫折を味わっていれば、彼女の性格はまた違ったものになっていたかもしれない。
 だが、幸か不幸か、母より受け継がれた才能と、それを昇華させる努力を惜しまなかったリツコは、そういった機会に(ある意味)恵まれることなく、他人の期待と羨望、嫉妬を一手に受け止め、その全てに対し完璧を以って乗り越えてしまった。
 常となってしまった成功。次第に「出来て当然」と言うふうに変わっていく回りの評価。彼女は自ずから外周から、こぞって評価基準のラインを底上げしてしまった。
 こうなってはもう後戻りは出来なかった。乗り越えたが故の自信。完璧主義。更に周りからの注目も相俟って、彼女は異様なまでに己の弱さを認められなくなっていったのだ。
 そういう意味では、リツコは人一倍、他人の視線を気にする性格とも言える。
 そうやって、リツコはなんでもない風を装いながら、常に周りの視線を意識し、けして己の弱い部分を見せまいと、自己を徹底してひた隠しにしてきた。
 そしてそれが、まんまシンジの髪を切れない理由でもあった。
 つまり、知られたくないのだ。髪にコンプレックスを持っている事など。
 どうでもいいことと普通の人間なら思うのだろうが、それすら妥協できぬほどにリツコという人間性はガチガチに凝り固まっていた。
 もっとも、理由付けならいくらでも出来る。特に今回などは髪が実験の妨げになっているのだから、それを大義名分にして切ってしまう事も出来た。
 だが、リツコはふと思ってしまった。
『この恐ろしく分析能力の高い少年なら、ひょっとすると私の本音まで見抜いてしまうのではないか?』……と。
 最初はいくらなんでも有り得ない。そう思った。思いたかった。
 だが、人間一度疑ってしまうと、いつまでもその事が脳裏に付きまとう。人一倍疑り深いリツコならば尚更だ。
 結局リツコは、その疑念を拭い去る事は出来なかったが故、悶々としたものを内に抱え込みながらも、もう一切この件には触れる事が無かった。

「おはよう、シンジ君。調子はどう?」
「可も無く不可も無く……問題はありませんね。」
「それは結構。エヴァの出現位置、非常用電源、兵装ビルの配置、回収スポット……全部頭の中に入ってるわね?」
「まあ、一通りは。」
「これは完璧に覚えておく必要が有るから、念の為にもう一度おさらいするわ。通常エヴァは有線からの電力供給で稼動しています。非常時に体内電池に切り替えると、逐電容量の関係で、フルで1分、ゲインを利用しても精々5分しか稼動できないの……これが私たちの科学の限界ってわけ。お分かりね?」
「ケーブルが切れたら、ほぼ絶望的って事ですね。」
「そうね……それでは昨日の続き、インダクション・モード、始めるわよ。」
 シンジのセリフに若干皮肉めいたものを感じたリツコだが、問い質すようなことでも無いのでそのまま実験を開始させた。

「大したものね。」
「はい、運動能力・反射神経共に、中学生の平均値を大幅に上回っています。」
 別室のモニターでシンジの動きを観察している、リツコと後輩のマヤは揃って感嘆の言葉を口にした。
 モニターには、先程の鈍重な格好で走り回っているシンジと、彼の背丈程も有るビル群、そして先日殲滅した、使徒の姿が、これまたシンジと同じ大きさで映っていた。
「ホント、信じられないわ……」
 そう言って、リツコは感嘆の溜息を漏らす。
「でもま、所詮は中学生レベルね。こんなもんでいい気になってもらっちゃっても困るのよね。」
 そう茶々を入れてきたのはミサトだ。普段なかなか他人を褒めないリツコが、シンジに対してかなりの高評価を下しているのが少し面白くなかったらしい。何処と無く芝居がかった感じでシンジに見下した視線を送る。
 実際、シンジの動きは、素人としては中々のモノだが、正規の訓練を受けた兵士と比べれば数段劣る。仮にミサトと今のシンジが戦えば、明らかにミサトの方が優勢に戦えるだろう。
 自分の半分しか生きていない未成年と比べるのもどうかと思うが、彼女はこの時『世の中には上には上がいるってこと教えてあげようかしら?』等という事を半ば本気で思っていた。
「ミサト貴方……また書類読んでないでしょ?」
「え?」
 身も凍るかと錯覚しそうな冷たい声色に、横を向けば、そこには不思議そうな顔でミサトを見ているマヤと、同じく呆れた様なジト目で彼女を眺めているリツコ。
「な、何よ?」
「今のシンジ君の動き、全力じゃないわよ。理論値的には、全力の10%程度ね。」
 リツコはシンジの動きに視線を戻しつつ、事も無げにそう言い放った。
「……は?」
 最初、その言葉の意味を理解できていなかったミサトだが、眉を顰めつつ首を傾げていたその顔色が、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。どうやらリツコの言った意味は理解できたようだ。それが正しい認識か? と問われれば、それはそれで疑問だが……
「なっ! あのガキ、あたしの目の前で手を抜くなんて舐めた真似してくれるじゃない……いいわ、その腐った根性叩きなおしてやるわ。」
 どうやらシンジが手を抜いていると結論付けたようだ。一息に啖呵を切って、肩を怒らせながらシンジの元へ直行しようとするミサト。
 怒りにまかせてドカドカと踏み鳴らす足音が、まるで戦太鼓のようだ。
「大丈夫なのミサト? あなた病み上がりでしょ?」
「どうってことないわよ。」
 言いつつ、右手で胸元をポンポンと叩く。実際、ミサトの骨折はほぼ完全に治っていた。医師も認めた驚くべき回復力だ。
 本人は『日頃の行いの良さ』と言ってはばからないが……
「そう? じゃあ、そこに予備のスーツが有るから、それを着てちょうだい。今の服の上からで構わないから。」
 言って、リツコが後方を指差す。
 壁際に設けられたオープンクローゼットのハンガーに、リツコ達の上着に混じって、ナイロン生地の見た目、雨天用作業服のような衣服が架けられていた。
 言われるままそれを手に取ったミサトは、「何でこんなものを?」と思いつつも、それに足を通した。一瞬スカートだけでも脱いでおこうか? とも思ったが、スーツ自体かなりブカブカなので、そのまま着る事にした。
「着たわよ。」
「OK……じゃ、作動させるわよ?」
 そう言って、リツコは手元のキーボードを操作する。
 言われたミサトは訳がわからず、「何を?」と聞く間もあらばこそ――

――プシュウゥゥゥ――

 気の抜けた音と共に、ミサトのスーツが真空パックよろしく、みるみる縮んでいく。
「なっ! なぁっ、なっ、なっ、なっ……」
「はい、良いわよミサト。」
 リツコは何でも無いかのようにシレっと言い放ち、後ろを振り向いた。
「うううううぅぅ……」
 そこには顔全体で苦渋を浮かべる、完全ボディフィットしたミサトの姿があった。
 フィットしたと言っても、元々厚手のスーツなので、あまり身体の線は出ていない。微妙にズングリムックリな体型に加え、両腕を大きく広げてた、文字通り「大」の字を描いている事も有り、その姿は何処と無くワラ人形の様にも見える。
「どうしたの? ミサト。シンジ君の根性叩きなおすんでしょう?」
「う、動かないのよぉ〜〜リツコ、あんた何したのよ、こんなんじゃ歩くことすら出来ないじゃない! ふざけてないで元に戻しなさいよぉ!」
 どうやら、身動き一つ取るのも危ういらしく、微妙にユラユラ揺れながら、必死の形相でバランスを取り続けるミサト。

――ドサッ――

「うぎゃっ」
 ……倒れた。受身も取れず、頭を強かに打ったらしい。少し涙目で天井を見上げる。
「別にふざけてないわよ? ミサト……貴方が今着たのは、技術部技術5課で開発された、超高性能与負荷トレーニングスーツ。その名も『インナードラゴンボール』略して『悟空』よ。」
「略してないじゃない……」
 そんな、ごもっともなミサトのツッコミには構わず、リツコは浪々と説明を続ける
「そのスーツはね、内側に高感度センサーが張り巡らされていて、装着者の動き・早さ・力を完全にトレースするの。そして、それを内臓ICに伝達。それを受けたICは殆どタイムラグ無しに解析、予めセットされた負荷数値に合わせたデータを、今度はスーツの各関節部に取り付けられた、人工筋肉に送信することによって……」
「つまり、なんなのよっ!」
「まあ、早い話がパワーアングルの進化版……とでも言うのかしら? 大リーグ養成ギブスでも良いけど……」
 例えるネタが更に古い。ちなみに彼女がそれを知っているのは、アニメを観たからではなく、大学時代、実際に製作していた学生がいたからに過ぎない。
「……なんとなく分かったけど……で、何でこんなことすんのよ?」
「貴方こそ何言ってるのよ? シンジ君と遣り合うんでしょ? だったら、貴方もシンジ君と同じ条件にしないと不公平でしょうに……」
「……は?」
 言われたミサトは、訳が分からないという表情だ。
 そう、傍から観れば、ミサトの格好はシンジと同様のモノだと分かるのだが、どう首を凝らしても胸元と左右に伸びた両腕しか見えないミサトには、まだ想像がつかないらしい。
「だからそれ、シンジ君が着てるのと同じものなのよ?」
「なっ、何言ってるのよ! シンジ君はちゃんと動けてるじゃない! これ壊れてるんじゃないの?」
「失礼ね、間違いなく正常作動してるわよ。ミサト? それが今のシンジ君と同じ条件なの。全力出しても10%の動きしか出来ない、その状態がね。」
「なっ!」
 ミサトは仰天した。リツコの言によれば、全く身動きの取れない彼女と同じ条件で、シンジはあれ程の動きをしていた事になるのだ。自分は身動き一つ満足に取れないと言うのに……だ。
 計り知れぬ碇シンジの実力に、ミサトは背筋が凍る様な錯覚を味わった。
「驚く様なことじゃないわよ。今回の訓練の主旨は、低シンクロの状態を想定した戦闘訓練なんだから……シンジ君のシンクロ率が10%そこそこな事を考えると、むしろ必須な訓練といえるわ。で、ミサト……もう一度聞くけど貴方、書類読んでないでしょ?」
「……ハイ。」
 ここまで馬脚を現してしまっては、さしものミサトも観念して、ただ頷くほか無かった。

「はあぁ……酷い目に遭ったわ。」
 ようやくスーツから抜け出す事が出来たミサトは、皺皺になったスカートの裾を引っ張りながら愚痴をこぼす。やっぱり脱いでおけば良かったと少し後悔。
「自業自得でしょ。あ、シンジ君お疲れ様。上がって良いわよ。」
 ミサトにおざなりな言葉を返した後、慌ててマイク越しにシンジへ終了の合図を送った。
『了解……事前に聞いていた時間より随分長く感じましたけど?』
「ああ、ごめんなさいね。あんまりシンジ君の動きが良いから、予定より多くデータを取る事にしたの。その代わり今日は検査受けなくて良いから。」
 取って付けたフォローをするリツコ。どうやらミサトの相手をしている間に、終了予定時刻を大幅に過ぎてしまっていたようだ。
『そうですか? まあ、検査が免除されるのは助かりますから良いですけどね。あれ暇ですし……ところで例の件、どうなりました?』
「許可は下りたわ。ただ、準備にもう少し時間がかかるわね。」
『そうですか……なるべく早くと言いたいですけど、仕方が有りませんね。じゃ、これで上がります。』
「ええ、お疲れ様。」
 シンジはそのまま踵を返し、部屋を出て行く。
「ねえ、リツコ。例の件って?」
「シンジ君が希望してる例の実験のことだけど……あらミサト、知りたいの?」
「あったりまえでしょ。パイロットは作戦部の管轄なんだから! あんまり口煩いこと言いたくないけど、せめて報告ぐらいしてくれな……り、リツコ?」
「ミサト? この件は総司令以下副指令及び各部長の総意を持って受理されてるのよ? 貴方が知らないって事は、事実上あり得ないんだけど?」
「え、えっと……」
「内容も確かめずに捺印したのね、貴方……」
 そう言って、ミサトを睨みつけるリツコの眼差しは、氷点下を通り越して、絶対零度に近付きつつあった。もしミサトがバナナを持っていれば、それで釘が打てるようになっていたかもしれない。
「やっ、あ、あははははは……ちょ、ちょっと書類整理でもしてくるわね。じゃっ。」
 寸でのところで氷結を免れたミサトは、そう言い捨てて脱兎の如く走り去って行った。
「まったく……」
 ヤレヤレと溜息をつきつつ、席を立つ。
「じゃあマヤ、私は司令に定時報告してくるから、纏められるだけやっておいて頂戴。」
「はい、先輩。」
 見た目同様若々しい返事に、軽く頷いたリツコは、ゲンドウの元へと、その足を向けた……その足取りは、若干重そうに見えた。



「――以上の通り、サードチルドレン個人の能力は、目を見張るものが有ります……特に身体能力は群を抜いて高く、仮に彼が暴動を起こした場合、諜報部を以ってしても抑えきれるかどうか……」
 そう言って、最後は言葉を濁しつつ、リツコは目の前の二人を見遣った。
 彼女の目の前には、ゲンドウと冬月が、何時もと同様の配置と佇まいで、今しがたの報告に耳を傾けていた。その表情は、はっきり言って厳しい。
「それはつまり……この前と同様の状況にもなりえる。そういうことかね?」
 そう、質問を返したのは、やはり冬月だ。ゲンドウは何時もと変わらぬポーズで、ポーカーフェイスを貫き通すことに終始している。
 ちなみに、この前というのは南方勝石潜入騒動の一件だ。
 あの騒動の後、諜報部・保安部共に、警備強化を進めているが、実際あの不可思議な技に対して、どれほどの効果が望めるものか、疑問が残るのが現状だ。
「はい、昨日今日とインダクション・モードでデータを収集したのですが、彼は基本的な身体能力もさることながら、特に判断能力と予測能力が優れており……危険回避能力とでも言うのでしょうか? 明らかに見えていない攻撃をも完璧に回避しています。」
「ううむ……」
 冬月も思わず唸る。だが、思い起こせばあの少年は、寝たままでミサトの攻撃を回避して見せたのだから、これくらいのことは出来て当然なのかもしれない。
「加えて、彼自身の能力にもまだ謎が多く……一応本人に問いただして幾つかの能力は確認しておりますが……」
「それが全て、とは言えんだろうな。」
「はい。」
 言って、二人あからさまに沈んだ表情を見せる。
 エヴァを駆る兵士としては、実に優れた能力を持っているというのに、それに不安を感じるとは、実に皮肉なものだ。
(やはり3年前、傍観したのは失敗だったか……)
 あの時、首に縄を括りつけてでも、息子の元へ引きずって行けば、もう少し事態は改善していたのではないかと、老人は悔いる。
 もっとも、ゲンドウなら縄で首を絞められても、絶対に息子に会おうとはしなかっただろうが……
 それが良く分かっているだけに、冬月は歯痒い。己の真横を見れば、事の元凶とも言える男が何食わぬ顔で鎮座している。
 その態度に、こめかみが引きつる感覚を味わう冬月。この男、自分の息子が今やどれほどの脅威と成り果てているのか、分からないとでも言うのだろうか?
「碇、どうするつもりだ。」
「問題ない。」
「そんなわけないだろう? 今は大人しくしているとはいえ、正直いつ舌を出すか分からんというのに……」
 これは冬月のみならず、ネルフ職員ほぼ全員の懸念でもあった。
 史上初の使徒戦から早2週間、数々の訓練や実験で、常識はずれな結果を打ち出すサードチルドレンの噂は、もはや最強伝説となって、本部内を駆け巡っている。
 そんな職員たちの中には、シンジを独房に押し込めていることに抗議の声をあげている者も多く、たびたび冬月の元にまで直接言いに来る者もいるのだ。
 さすがにゲンドウへ直談判する強者はいないが……それでも、噂くらいは届いているはずなのに、この男、一向に頑なな態度を崩そうとしない。おかげで最近は『シンジ養子説』まで、まことしやかに広まっている始末だ。
 ネルフ上層部、その他職員……そして、サードチルドレン碇シンジ及び、師匠の南方勝石。
 彼らは今、目的を同じにしながら、お互いを全く信用できない状況へと移行しつつある。少なくとも冬月には、そう思えた。
 そして、この状態が続けば真っ先に潰れるのが、自分たち上層部である事も、彼は直感していた。
 故に、冬月は何とかしてこの状況を打破したい。その為には、どうしてもゲンドウの協力が必要なのだが……
「多少訓練を積んだとて所詮子供、高々3年の歳月でそこまでの力は付いたりせんよ。」
 徹底してシンジを認めぬ態度、ゲンドウは終始この状態であった。
「しかし……」
「ハッタリだ。如何にも他に能力が有るそぶりをして、自分を高く見せようとしてるにすぎん。」
「まあ、そうかもしれんが……」
「それに、あの老人も使徒を倒す事は容認している。何の問題も無い。」
「だが、それにまつわる真の目的は未だ見えておらんぞ?」
 あの老人が何処で何処まで使徒の存在を嗅ぎ付けているのかは分からないが、使徒を倒して、それで目的達成とは、あまりに楽観的な考え方だ。
 人類滅亡阻止の金看板を掲げているくせに、他人の慈善事業は、どうしても受け付けられない面々であった。
「赤木博士。」
「例の老人についての情報はどうなっている?」
「はい、サードチルドレンの証言によって得られた南方勝石たる人物の情報ですが、中国河南省出身、八極拳をベースに数々の武術を学び、後年は地元で霊峰と敬われている山の頂で、一人修行を続けて居たようです。そのため、住民登録はされておらず、MAGIを以ってしても、サードチルドレンの情報を裏付ける事が出来ませんでした。」
「そこで、中国支部の協力の下、現存する全ての武術本山の資料をしらみつぶしに調べ上げました。その結果がこちらです。」
 そう言って、リツコはペーパーを2枚冬月に差し出す。
 受け取った冬月は、内一枚をゲンドウの机に滑らせながら、内容を斜め読みしていく。
「これで全部かね?」
「はい、現在残っている資料を全て纏め上げても、それで全てです。現在も続けて聞き込み調査を行っておりますが、あまり芳しくありません。」
「そうか……」
 言って、冬月はもう一度手元のペーパーに目を落とす。
 そこには数々の武術大会記録が記述されている。驚くべき事に、その全てにおいて、南方勝石は勝ちを収めていた。
 どのような戦いぶりだったのか、映像の一つでも欲しいところだが、これらの大会全てが、50年以上前であることを考慮すると、望みは碇親子の絆より薄そうだ。
「武術家として非常に優れている事が分かるが……これと、あの老人の見せた不可思議な現象に共通点はあるのかね?」
「残念ながら……恐らくあの技は山に登ってから習得したものかと……」
 そして、山に登った後の情報は一切無い。というより、実際山に登ったのかどうかすら怪しいのだ。
「これ以上調べても、新たな情報は望めそうに無いな。」
 冬月もそう結論付ける他無かった。



 司令室を出たリツコは、何時ものように早回しのような歩き方をしながら、実験室を急いだ。
 そろそろマヤの方もデータ処理をあらかた完了させているはずだ。
 リツコはそのデータを元に、エヴァの筋力調整、加えてその筋力に耐えうる武器の製作も、早急に進めなければならない。
 何せ、使徒は待ってなどくれないのだ。肝心な時に何の準備も出来ていないでは話にならない。前回は元から初号機の暴走頼み(結果的に暴走せず)だったが、あんな無茶なシナリオはそう何度も使えない。
 そういう意味では、この次に来る使徒こそが対使徒殲滅組織ネルフのデビュー戦であり、その真価が問われる時と言っても過言では無かった。
 その事を良く理解しているリツコは、使途を倒すためと言うより、技術部を預かる者として、本番に武器の一つも用意できないような愚を犯したくは無かった。

「ちょっとリツコーっ!」
 そんな決意を新たに歩みを進めていたリツコを呼び止めたのは、数週間ぶりに書類との逢瀬を果たしているはずのミサトであった。
 ミサトは憤然やるせないといった面持ちで、少しウンザリ顔のリツコに走り拠る。
「なに? ミサト。私急いでるんだけど……」
 隠し切れないというか、隠す気にもなれない苛立ちを声に込め、ミサトを横目で睨む。
 言外に「私は貴方のように暇じゃないの」という意思表示を見せているのだが、当のミサトに気付く様子は無い。
 それどころか、彼女はリツコの胸倉を掴まんばかりに詰め寄り、こう言い放った。
「シンジ君が独房入りってどういうことよ?!」
「?……どういうこと……って?」
「何惚けてんのよ! 彼、訓練以外の時間はずぅっと独房に閉じ込められてるって言うじゃない。いくら犯罪者だからって言っても、こんな扱い受けてたら、そのうちへそ曲げるかもしれないわよ。肝心な時に駄々でもこねられたらどうすんのよ! 只でさえ貴重なチルドレンだってのに!」
 言って、ミサトは悔しそうに顔を歪ませる。それは、サードチルドレンをこの様な処遇にした上層部への憤りか? それとも、使徒を倒せるチルドレンに対する嫉妬だろうか?
 そんな様子を、リツコは呆れ顔で眺めながら、心の中で納得していた。
(……そういうことか。)
 多少言い方に問題は有るが、ミサトの言は他の職員達と概ね一致するものがある。
 他の職員も少なからず抗議の声を上げていたのに、良くも悪くも人情的なミサトが、シンジの件に関しては随分と大人しいと思っていたのだが……
(シンジ君の独房入りのことすら知らなかったとはね。)
 作戦指揮官としては有るまじき態度ではあるが、そういうことなら合点がいく。だが同時に、リツコは少なからず納得いかない歪みも感じていた。
 それは、何故ミサトがシンジの現状を知らなかったのか? ということだ。
 報告書を読んでいなかったというのも理由の一つであろうが、それだけでは決定的な解答とは言えない。
 シンジの独房入りの件は、別に秘匿されていたわけではない。チルドレンの重要性を考えると、その居場所を職員に隠し立てするわけにはいかないからだ。
 故に、この一件は瞬く間に噂となって広まっていった。それこそ、独房入りの事実だけなら、ゲートの警備員でも知っている事だ。
 それを、書類ならともかく、エビチュの次に噂大好きなミサトの耳に入っていなかったとは……いや、それ以前にミサトなら率先してシンジを手懐けようとするだろうと予想していたのだが……
(それだけミサトがシンジ君を避けている。ということなのかしら?)
 思えば、初っ端の印象も悪かったようだし、リツコ自身、あの少年の扱い難さは相応に自覚している。
 こうして文句を言いに来る以上、意識してのことでは無いのだろうが、恐らくミサトは心の奥底でシンジの事をかなりの厄介者として忌避しているのだろう。それこそ、シンジの噂ですら避けて通るほどに……
 表向きは、実験等にも立ち会っているし、シンジと二人雑談している所を見かけた事もあったので、特にわだかまりも無いように感じていたのだが、リツコは思わぬところで、ミサトの本音を垣間見た気がした。

「ちょっと、リツコ!」
 物思いに耽って返答の一つもよこさないリツコに業を煮やしたか、ミサトは頬をくっ付けんばかりににじり寄る。
「ミサト、また職場で飲んでたわね。酒臭いわよ?」
 先程までは気付かなかったが、さすがにこれほどまでに顔を寄せ合うと、アルコールの匂いをプンプン感じる。見れば少し顔も赤いようだ。
「んなこと、どうでもいいでしょっ! それよりシンジ君の事よ。」
 対するミサトは特に悪びれた様子も無く、強引に話を持っていく。
「司令の命令よ。私に文句言われてもどうしようもないわよ?」
「だから何で司令がそんな命令出すのよ! 自分の息子でしょう?」
「司令は、親子関係に私情を挟まないわよ。あの時のケージでのやり取りを見れば分かるでしょう?」
 本当は、私情を挟みまくったから今の境遇なのだが、さすがにそれは言えない。
「……だからって!」
「ミサト、この件に関してはもう2週間以上前から抗議が出ているの。今更そんな事声高に叫んでも、誰も聞いてくれないわよ。」
 リツコは静かにミサトの文句を封じた。ミサトは酒の勢いも借りた所為か、いつも以上にエキサイトしている。これ以上話を続けると、本当に司令の元までノコノコ馳せ参じてしまう気がしたのだ。
 そういう意味では、鬱陶しいことこの上ないミサトの来訪であったが、イキナリ司令の元へ行かなかったのは不幸中の幸いであった。
 そんなリツコの計らいを知ってか知らずか、悔しそうに項垂れるミサト。
 うつむく彼女を横目にふと周りを見渡すと、偶々通りかかった職員たちも冷ややかな目でこちらを見詰めている。彼らにしてみれば、ミサトの行動は他人の尻馬に乗って、ただ騒いでいる様にしか見えないだろう。
(不味いわね。)
 只でさえ、ミサトはサードチルドレン襲撃で、一部職員の反感をかっているのだ。これがその事に拍車をかける可能性は十分にある。
 辺りに気まずい雰囲気が漂った。
「じゃっ、」
――もう行くわよ――
 と慌てて話を切り上げて、身を翻したその刹那――

――ヴーーーゥン、ヴーーーゥン――

 耳障りなサイレン音が、廊下に木霊した。今までの気まずい雰囲気も何処へやら、一同ハッと顔を見合わせる。
 そう、これは――
「「使徒っ!?」」
 第四使徒シャムシエルの襲来であった。



To be continued...


(あとがき)

 大分間が開いてしまいましたが、とりあえず書き続けてます。誰も待って無いでしょうが第03話Aパートです。
 実は既にBパートも殆ど出来てるのですが、使徒戦後日談がどうにも上手く纏まらないので前後編に分けることにしました。
 ちなみに後編は10月からの研修3週間を終えた後になりますので、11月くらいですかね? 断言出来ませんが。
 後編は、やっとこシャムシエルとの戦いに焦点が置かれます。シンジは黒イカを相手にどのような戦いぶりを見せるのか? ミサトはどれくらい足を引っ張るのか? ジャージとメガネの出番は? それより、レイが全然出てきてないよね?(笑)
 そんなこんな含めてBパートに続きます。
 請わないご期待!

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