新世紀エヴァンゲリオン 〜Storm of Sophistry〜

第五話

presented by 地球中心!様


 長い、終点が見えぬくらい恐ろしく長いエスカレーターを、一人の少女が下っていた。
 絹糸のように艶やかな蒼銀の髪と夕焼けのような鮮やかな真紅の瞳が、陶磁器の如く白い滑らかな肌の上に美しく彩られている少女。
 ファーストチルドレン、綾波レイであった。

 前々回の使徒襲来の際、半死半生の身でケージに引きずり出されてから約ひと月。
 ネルフの技術の粋を結合した治療の甲斐あって、ようやく実験が可能な状態まで身体が回復したのだ。
 あの時は包帯で彩っていた瀕死の身体であったが、もう痛みは無い。ついでに言えば傷も全く残っていない。
 全治6ヶ月。再起不能も有り得るとまで診断されていたと言うのに、か細い見た目に反して恐るべき回復力である。

「間に合って良かった。」
 これは、担当医の脇に居た看護士が、ポロッと洩らした安堵の言葉だ。
 その言葉の意味するところを少し深読みすれば、随分と軽はずみな言動と受け取れなくも無いが、実はこの言葉についてはレイも同感であった。
 その意味合いは、恐らく看護士のそれとは全くの逆方向であるだろうが……

 だが、まあ何はともあれ、彼女は自他共の希望通り、間に合わせることに成功したのだ。
 そう『エヴァ再起動実験』にである。

 それは、皆が成功を求めるモノであり、レイにとっては存在意義そのものでもあった。
 「何を大げさな」と言ってはいけない。少なくとも彼女は本気でそう思っているし、彼女にそう教え込んだ男も、それが彼女の存在意義であることを微塵も疑ってはいないのだ。
 他の可能性を与えられない少女。だが、それは逆に言えば数多存在するはずの迷いの排除も意味する。
 彼女はただ、指し示された道を、真っ直ぐに進めば良いのだ。道の選択に迷うことなど何も無い。ならば、躊躇う必要も無い。
 刷り込みにも似た信仰、盲信……だが、それも純粋たる活力には違いない。
 その証拠に、瞳に強い意志を宿したその立ち姿は、実に雄雄しく、とても病み上がりには見えない。
 武者震いにも似た興奮。この時、彼女のテンションは間違い無くピークに達していた。

「あれぇ? 確か彼女ファーストチルドレンじゃなかったっけ?」

 唐突に、テンションも使命感も全てぶち壊すような、間の抜けた声が、レイの側頭部を掠めていった。
 レイが振り返った直ぐそこに、少年が一人……と、両脇にロズウェルの宇宙人を連行する情報部員宜しく、2人の保安部員がギッチリとマークしていた。
(……サードチルドレン。)
 レイはその存在を記憶の奥底から引きずり出した。

 サードチルドレン:碇シンジ 14歳
 12歳時、殺人罪により第ニ新東京市郊外の少年刑務所に服役。刑期は5年。しかし、エヴァのパイロットとしての資質が認められ、急遽、同刑務所より召還。
 体術に優れ、抜群の戦闘力を誇るが、エヴァとのシンクロが著しく低いため、ATフィールドは辛うじて展開できる程度に留まっている。
 観察眼にも優れ、他人の意図を読み取る能力が高い。が、その意図を汲み取ることはしない。およそ友好的な性格とは言えず、上司に対し反抗的な態度も目立つ。
 要注意人物「南方勝石」の弟子。
 碇総司令の実子。

 これがレイの知るところのシンジの情報全てだ。そして、まんまMAGIに登録された碇シンジの情報でもある。
 情報そのものが、妙にシンジに対して悪印象を抱いている感が有るのは、けして気のせいではないだろう。
 文章量の少なさといい、ネルフのシンジに対する印象が如実に表れている。

(碇司令の息子……)
 大抵の人間なら、殺人犯であることに真っ先に反応するものなのだが、これも教育の賜物か、それとも、人が人を殺す概念に、これといった感情を持ち合わせていないのか……
 レイが最重要事項として認識したのは、彼が司令の息子であると言う、その一点のみであった。

 レイの目の奥に不快さが増す。
 本人は意識していなかったであろうが、それは紛れも無く「邪魔者」を見る目だ。
 ギスギスした空気が辺りを包む。心なしか引率の大人二人が居心地悪そうだ。
 が、当の少年は、周囲の空気にも、大人二人の真ん中に挟まれたかなり窮屈な状況にも全く気にした様子が無く、ヘラヘラと笑いながら、保安部員と喋っていた……主にシンジの独り言だが。
「やあ、こりゃ参ったね。確か僕の実験って、彼女の後でしょ? 向こう行ってもただ見物するだけだし、もしまた失敗したら当然僕の実験も中止でしょ? これだったら、出番来るまで部屋で自主トレしてた方が良いかも……戻りましょうか?」
 そう行って、シンジはデパートのお子様よろしく、エスカレーターを逆向きに登り始めた。
 慌てて連れ戻そうとする保安部員。
 そのコントみたいな3人組をしばし呆然と眺めていたレイだが、シンジの軽口に何か思うところがあったらしい。
「待って。」
 彼女にしては珍しく、自分から声をかけてきた。
「貴方、司令の息子でしょ?」
 言いながら、レイは一つ一つエスカレーターの階段を遡る。睨みつけているわけでもないのに、真正面からジッと見詰めてくるその様子は、彼女の無表情さと外見の冷たさと美しさの所為で、途轍もない迫力に満ちていた。
 今度こそ不穏な空気をしっかと感じ取り、思わずゴクリと喉を鳴らす保安部員2名。
 反面、何の感慨も受けないのか、行儀悪くエスカレーターの手すりによしかかるシンジ。
「遺伝子上はそうなってるみたいだけど?」
 個人的には違うと言いたい。と、続ける間もなく、レイが割って入った。
「信じられないの? 自分の父親のことが。」
 憤りを押さえ込むかのような静かな問いかけ……それは、背信者に説く信仰者の様な、子供を躾ける母親の様な、絶対的かつ一方的な正義が滲み出ていた。
「うん、全然。」
 そんな綾波の心境を知ってか知らずか、いっそ惚れ惚れする位、シンジは純度100%の笑顔で答えた。
 両脇の大人達は特に反応しない。シンジとゲンドウの関係を知る者にとって、それは、ある意味当然の答えであるからだ。
「……っ!」
 一方、その答えにレイは無言……いや、動作で答えた。平手である。

――ブゥンッ――

 かなり腰の入ったスィングだったが、シンジは首を僅かに傾げるだけで、あっさりとかわす。
 風切り音だけが豪快に響いた。
「……何のつもり?」
 軽い口調は変わらず、レイを問い質す。先ほどと全く同じ笑顔なのだが、こうなってくると逆に不気味に思えてくる。
 先の使徒戦のこともあり、保安部員も思わず身構える。実際観ては居なくとも、この少年が2名の中学生を殺害したのは、ネルフにおいて周知の事実なのだ。
「……私は信じてる。」
 唸るような低い声で、それだけ言うと、レイはシンジを真正面から睨み据えた。
「それ、僕に平手をかましてきた理由になってないよ?」
 シンジは思わず苦笑する。
「血が繋がってるのに……」
「血だけね。」
 苦々しい口調のレイに対し、馬鹿馬鹿しいと言わんばかりのリアクションを返すシンジ。
(なるほどねぇ……)
 何となく、彼女が憤っている理由が分かった気がした。まあ、ここまできて分からなかったら、それこそ馬鹿としか言いようが無いが……
「正直、君の価値観には興味無い。君にとって血の繋がりに価値があると思うのなら思えば良い。でも僕は君じゃない。そんなものに価値観なんてこれっぽっちも見出せない。」
「何故?」
「分からないの?」
 呆れ半分に言われたレイだが、彼女には本当に分からなかった。それほどまでに血の繋がりとは絶対的な繋がりであり、彼女の熱望であるものなのだ。
 その表情からレイの心情を正確に察したシンジは、「仕方ないなぁ」と言わんばかりに、ざーとらしく溜息をつき、説明を始めた。
「君が覚えているかどうか知らないけどね。あのサキエルとか言う使徒がやって来た時を同じくして、僕と血の繋がったあの男は唐突に僕を呼び出し、エヴァに乗ることを強要した。その事に関しての説明・謝罪は一切無し。事情説明くらいなら、ケージに行く前に幾らでも出来たのにね。あげく君をダシにしての脅迫。最終的には強制徴兵によって僕はエヴァに乗せられることとなった……さて、あの男は多種多様な方法を用いて、最終的に僕をエヴァに乗せることに成功したわけなんだけど、この方法には一貫したテーマがある。何だか分かる?」
 そう問われてレイは考え込んだ。
「…………」
 答えが出る気配は無い。心漫ろなレイ。仕方なく、シンジは模範解答を示した。
「簡単だよ。端から僕の気持ちは無視しているってこと。意思の疎通を拒否しているということ。信頼関係を求めるに値しないと思われているってこと。」
 ビクンッと跳ね上がるようにレイは首を起こす。呆然とした面持ちで目の前のシンジを見詰めた。
「君は僕があの男を信じていないのを責めてたけど、あの男も僕を信じていない。分かろうとすらしていない。ただの利用価値でしか僕を見ていないのは明白……」
「…………」
 シンジの言が受け入れがたいのか、レイは再び俯く。僅かに歪んだ口元は、悔しさ故か哀しさ故か……
「お分かり?」
 俯いたままのレイを嘲るようにのたまうシンジ。
「まあ、これが僕の肉親……と言うより碇総司令に対する見解だ。君に理解しろとは言わないよ。僕にとってはどうしようもない人間でも、君にとってはとっても優しいパパを演じてるのかもしれない。なら、他人のことには構わずに、ソッチはソッチでヨロシクやってれば良いさ……じゃ、そういう事で。」
 立ち尽くすレイを尻目に、シンジはその横をすり抜けていった。慌てて保安部員が追いかける。
 いつの間にか、エスカレーターは終点にたどり着いていた。



 シンジは実験場を一望に見渡せる、スタッフルームに連れて来られた。30畳以上はありそうなかなり広めの部屋だが、技術士たちが忙しく駆けずり回っている所為か、随分と所狭しな印象を受ける。
 その内の何人かはシンジが来たことに気付いたが、誰も声をかけようとはしない。ネルフに来た当初はご機嫌取りのつもりか罪悪感のためか、親しげに声をかけるものは少なくなかったのだが、ここ最近それもメッキリ減ってしまった。
 まあ、原因は明らかだが……
 その事をシンジも別に気にした様子は無い。
 と、そんなシンジに声をかけて来る数少ない一人がコチラに気付いた。
「いらっしゃい、シンジ君。ここへ来るのは初めてだったわね。」
「こんにちは、赤木博士。今日は絶好の実験日和ですね。」
 周りの職員は揃って怪訝な顔をするが、リツコは昨日の今日なので、苦笑をしてやり過ごす。
 リツコの後ろは、水族館よろしく、壁一面がガラス張りになっており、その向こうの広大な空間が一望できるようになっている。
 エヴァの起動実験及び調整等をするために設けられた、一大区画だ。
 リツコはシンジが来るのを初めてと言ったが、実はリツコ自身もそれ程足を運んだ記憶は無い。
 シンジがエヴァに乗るだけで精神汚染を受けるため、おいそれと本体を使った実験が出来ないためだ。
 ちなみにゲンドウは、(シンジを実験でエヴァに乗せるのを)何時もの調子で「問題ない」等とほざいていたが、シンジの活動限界時間そのものが、データを取るには短すぎる事と、疲弊した直後に使徒が襲来する可能性が拭い切れなかったため、実験そのものがお蔵入りとなってしまっていた。

「あれが零号機ですか……おや?」
 シンジの視線の先には、零号機。その胸元辺りで作業するレイの姿が目に映る。そして、レイに近づくゲンドウも……
 ゲンドウに気付いたか、レイは作業を中断し、男の元へと走り寄った。
 会話の内容は……どうやら激励のようだ。
(おやま……ファーストチルドレンだけは特別ですか? なるほど、皆の噂に上るだけはあるね。このロリコン司令。)
 心の中でクックッと笑う。
 そして、レイの様子も窺う。
(……実験前に揺さぶりかけ過ぎたかとも思ったけど、あの様子だと大丈夫かな? あんなオッサンに声かけられて何がそんな嬉しいんだか……)
 そして、早々に興味を失ったシンジはくるりと後ろを向く。
(赤木さん、顔が怖いですよ?)
 向いた先のリツコの表情を見て、少しゲンドウを取り巻く人間関係が分かった気がした。
(にしても……似てるよな、あの女に。)
 レイの顔を思い出し、少し憂鬱になる。初対面なのに妙に攻撃的な態度をとってしまったのはその所為かもしれない。
 だとすれば、レイにとっては随分と迷惑な話だ。彼女はまだ敵になるかどうかも分からないと言うのに……シンジも少し反省する。
(これからもなるべく会わないようにしよう……)
 別に無理して親しくなる必要も無いし……
 と、心の中で付け加える。
 人付き合いが妙に消極的な所は、あまり変わっていないシンジであった。

「うん?」
 何とは無しにオッサンと少女のアブない逢瀬を見物していたシンジは、少し引っかかりのある声を発した。
「どうしたのかしら? シンジ君。」
「ああ、ちょっと……話には聞いていたのですが、現物見たの初めてだったんで。」
 そう言うシンジの視線の先には、珍しく手袋を外したゲンドウがレイの頭を愛しそうに撫でている、ちょっと不気味なシーンが展開されていた。
「た、ただのスキンシップよ……職員たちの間で根も葉もない噂が流れているようだけど「手の平の火傷のことですよ?」……ああ、そっちね。」
 慌てて弁明を捲くし立てたリツコは、シンジの言に少し脱力しつつ、以前ミサトから聞いていたシンジの視力の凄さを実感していた。
「前回の実験では暴走事故が起きたそうですね?」
「ええ……その通りよ。誰から聞いたの?」
「付き添いの保安部の方とか、時々話しかけてくる技術者の方とか、まあ色々……あまり詳しい話は知りません。皆揃って、『瀕死の状態だったファーストチルドレンを司令が助けた』ことばかり言うもので。」
 インパクトがあり過ぎて、他の事は忘れちゃったのかな?
 シンジはそう付け加え、少し笑った。
「そうね、あの時司令は真っ先にレイの元へと駆けつけたわ。手の平の火傷は、加熱されたプラグのハンドルを無理矢理回した時のものね。」
「ふぅ〜ん……」
 シンジは意味深な生返事をしつつ目を細める。
 一応感動的な話の筈なのだが、どうにもリアクションのおかしいシンジに、リツコは少なからず不満と不安、そして疑問を覚える。
 別にリツコにも確信的なモノがある訳ではない。シンジの反応が薄いことなど何時ものことと言ってしまえばそれまでなのだが、今のシンジは特に関心が無いとか、いつもの嘲りを含んだ様子とは少し違う。
 何かを発見した。という表現が一番近しいだろうか?
 この少年は、今の一連の会話とこれまでの情報から、何らかの答え(そこまで行かなくとも、ある程度の予想)を導き出したように、リツコには感じられた。
「ちなみに暴走の原因は?」
「え? ええ……残念ながら未だ不明よ。ただ……」
「ただ?」
「レイの精神的不安定が第一原因と考えられてるわ。」
「精神的に不安定……なるほど。」
「あら? いやにあっさりと納得するわね。私は初め聞いたとき、とても信じられなかったけど?」
「殆ど感情らしい感情を見せない。まるでお人形の様……だからですか?」
「そこまでは言わないわ……感情をあまり面に出さないのは確かだけど。」
「でも感情が無いわけではない。」
「知っているような口ぶりね。」
「先ほど会いましたから。」
 そう言って、横目で視線を合わせる。
 思わせぶりな態度に、少し突っ込んだことを聞こうとしたリツコだったが――
「ああ、今は実験準備の真最中でしたね。忙しいのにどうでも良い世間話につき合わせちゃってすいません。どうぞ仕事に戻ってください……僕は、あそこで暇そうにしてるオッサンとでも話してますので……では。」
 そう言って、シンジはスタスタと遠ざかってしまう。
 リツコは何とも面白くない表情でそれを見送った。



 リツコ以下技術部一課の職員達によって、作業は滞りなく進む。
 先ほどレイに声をかけていたゲンドウも、スタッフルームに入り、ガラス張りの真ん前で零号機の様子を窺う。起動成功の瞬間を特等席で見るためか、レイの身が心配なためか……サングラスに隠された視線からは、何も読み取れない。
「やあ、総司令。ご機嫌麗しゅう。」
 今時ドラマでも使わないような古臭い文句で声をかけたのは、ゲンドウと同じく何もすることが無い、先ほどまでリツコと語らっていたシンジであった。
「…………」
 声をかけられたゲンドウは、僅かに口元を顰めたが、それだけだ。シンジの挨拶に何らリアクションも無く、無視を決め込んだ。
「どうですか? ファーストチルドレンの調子は? お声をかけられていたでしょう?」
「…………」
 やはり、何も答えないゲンドウ。どうやら完全に無視で終わらせる腹積もりのようだ。
 方やシンジも、ゲンドウの様子を気にした風も無く、一人でつらつらと喋り続ける。
「ところで今回は下でスタンバイしてなくて宜しいので? 前回はレスキュー隊よりも早く彼女の助けに走ったと聞きましたが?」
「…………」
 やはりゲンドウは何も答えない。
 ちなみに、前回下でスタンバイしていたと言うのは、シンジの憶測だ。実際には、今と同じく高みの見物と洒落こんでいた。まあ、レスキュー隊よりも早く、レイの助けに馳せ参じたと言うのは事実だが……よほど喋りたくないのか薮蛇が怖いのか、ゲンドウは、その事を訂正する気も無いらしい。
「まあ、本来そういう緊急時に備えてレスキュー隊はいるんですしね。こうやって別室で高みの見物をしている方が正しいと言えばそれまでですが……でも、司令に先を越されるようなレスキュー隊というのもイマイチ頼りがい無さそうですね。もしまた事故が起きた時、果たして彼らだけで彼女を救出することが出来るんでしょうか?」
「貴様、何を企んでいる?」
 ニヤニヤ笑いながら思わせぶりなことを言うシンジに無視できぬモノを感じたゲンドウは、渋々問い質す。苛立ちと嫌悪と殺意が入り混じったその声は、特に大声でも無いのに、忙しく走り回っていた職員達を震え上がらせる程の呪詛が篭っていた。
「別に何も……単なる心配ですよ。エヴァの構造や原理は未だ不明な点が多く、前回の事故も原因は不明と聞いています。まあ、使徒が待ってくれないとは言え、原因究明と改善がなされていないのに、同様の実験を繰り返そうと言うのです。暴走の危険性を訴えるのはそんなにおかしいですか?」
「…………」
「それとも、前回の暴走も誰かに仕組まれたものとお考えで?」
「!…………」
 シンジの言葉に一瞬反応したゲンドウだったが、結局最後までダンマリを貫き通した。



「これよりエヴァ零号機再起動実験を行う。第一次接続開始。」
 一応最高責任者と言うことで、ゲンドウが実験開始を宣言した。
「主電源コンタクト。」
「稼動電圧臨界点を突破。」
「了解。」
「フォーマットフェイズ2へ移行。」
「パイロット、零号機と接続開始。」
「回線開きます。」
「パルス及びハーモニクス、正常。」
「シンクロ、問題なし。」
 実験は滞りなく進んでいる。恐らく職員達の間で何度もシミュレーションを重ねたのだろう。その動き、確認応答には些かの乱れも見えない。
 皆、良い具合にノっている状態だ。
「絶対境界線まで後2.5……1.7……1.2……1.0……0.8……0.6……0.5……0.4……0.3……0.2……0.1……突破! ボーダーライン、クリアー。」
「エヴァ零号機、起動しました。」

(成功……か。)
 湧き上がる職員達を尻目に、シンジは冷静に状況を分析していた。
 前回はエヴァの暴走によって、綾波レイは大怪我。原因は不明。にも拘らず、今回安全対策を考慮した気配もなし。それどころか、この件で誰かが処罰されたと言う話も聞かない。
 人類最後の砦と言うには、更に当時世界に二人しか見つかっていないチルドレンを用いた割には、あまりに杜撰な仕事ぶりだ。
(これを、あの髭が真っ先に助けたことと併せて考察すれば、レイの心を掌握したいが為の行動ということになるんだけど……)
 さすがにそこまでやるものだろうか? とも考えてしまう。
 人間は危機的状況に陥ると、本能的に種の存続に訴えると言うし、そういう意味ではあんなムサイ髭でも真っ先に助けに来ればそれなりの効果は得られるかもしれない。
 と言うか、今のレイを見る限り、間違いなくゲンドウに心酔している。
 だが、そうするメリットは何だろうか?
 ただ、使徒の殲滅を命じるだけなら、ここまでの信頼関係を築く必要は無い。というか、その考えだとシンジの扱いが説明つかない。
(もしくは彼女と個人的に親密になりたかった……か?)
 シンジの脳裏に布団の上で胡坐をかくゲンドウと、その前で白襦袢を着たレイが三つ指ついてる姿が映し出される。
 思わずウゲェとリアクションとりたくなる様な想像だが、彼女とユイの類似性を考慮すれば、それ程ありえなくは無い。
 だが、それだけだろうか? 可能性としては無くも無いが、それだと、目的と手段に釣り合いが取れない気もする。
 リツコの話を聞く限り、あの時の事故は一歩間違えればレイは死んでいてもおかしくなかったはずだ。
 それ程の危険を冒しておいて、目的が彼女とラブラブになるためでは、あまりに話が小さい。
(いや、て言うより死んだらどうするつもりだったんだ?)
 根本的なところが抜けていた。
 これまでの考察は、レイが生きていて始めて成り立つモノ。死んでしまっては元も子もない。
(本当に事故だった? ……とは思えないな、やっぱり。となると、あり得るのは、綾波レイ自身に何らかの秘密が有るのか……?)
 裕也が取り寄せた資料も、セカンドチルドレンのものばかりでファーストチルドレンの情報が一切入って来なかった。
 その事実から考えても、彼女に何か有ると言うのはそれ程的外れでは無いと思う。
(で、問題はその普通じゃないファーストチルドレンを使って何をするつもりか? ってことなんだよね……)
 結局そこで詰まってしまう。見落としが有るのか、情報量が足りてないのか……シンジにはこれ以上の発想は出て来そうに無かった。
(……アリィなら、コレだけの情報で何か掴めるかな……)
 シンジは遠く離れた親しき人に、暫し思いを馳せた。



(……にしても、ホント、全然感慨湧かないもんだね。)
 数瞬の間、淡い思い出に浸っていたシンジだったが、先ほどのやり取りを思い出し、ゲンドウの方をチラ見する。
 当の髭面は、相も変わらず零号機の様子を熱心に眺めている。中のレイが透けて見えるのか? と疑いたくなるほどに……

 3年ぶりとも言える親子の語らい……等と言える様な上等なものではなかったが、シンジが面と向って実父と会話するのは本当に久しぶりのことだった。
 サキエル戦の時も会話をしたと言えなくもないが、ユイのことを思い出したり、思った以上に行き当たりばったりなネルフのお粗末さに呆れたりで、正直ゲンドウ個人のことにまで頭が回っていなかった。
 そういう意味で、この実験の合間はシンジにとって絶好のチャンスだったのだ。自分にとって、ゲンドウの位置がどの辺りにキているのか、親に対する未練が本当にないのか、ここでキッチリ見極めるつもりだった。
 が、いざ蓋を開けてみれば、ゲンドウはこちらを見ようともしない一切の無視。にも拘らず、意識だけは握り殺さんばかりにシンジに纏わり憑いてきていた。
 どうやらシンジがどうこう言う以前に、ゲンドウ自身が息子のことを邪魔で煩わしくて殲滅したくて仕方が無いらしい。
 久々の対面で散々からかった事を差し引いても、あまりと言えばあんまりな父親の対応だったが、その事についてシンジは特にどうとも思わなかった。寧ろホッとしたくらいだ。
 敵(まだ断定ではないが)への感情移入は、判断力の低下を招く。それをこの3年間で、身をもって経験したシンジには、向こうから敵視してくれている今の状況は実にありがたい。
(後は、このオッサンが僕の何に対して怒ってるのか……それが分かれば逆手に取ったりも出来るんだけどな……)
 シンジは親に疎まれている事実など一切意にかえさず、暢気にそんなことを考えていた。



 シンジが実父に対し身も蓋も無い結論を下した頃、レイの零号機再起動実験も滞りなく終了したのだが、今日の実験はこれで終わりではなかった。

「シンジ君、準備は良いわね。」
「ええ、待ちくたびれましたよ。」
 そう答えたシンジは既にエントリープラグの中に居る。
 リツコはモニターに映るシンジと、実験場にあるシンジの乗っている機体……零号機を交互に見詰めると、毅然と宣言した。
「それではこれより、零号機と初号機による機体相互互換実験を始めます。」

 そう、シンジは今初号機では無く零号機にて初の起動実験を行わんとしていた。
 この相互互換実験、元よりネルフでも予定されていた実験だったのだが、本来はまだ先に行うはずの実験であった。
 それが何故こんな時期に行うのかと言うと、使徒の侵攻に備えて……ではなく、シンジの働きかけによるものだった。
 以前、冬月とリツコが揃って、南方勝石老師の情報をシンジから引き出そうとした時、シンジが交換条件として提示したのがこの機体相互互換実験だったのだ。
 当初、これをシンジから申し込まれた時は、冬月もリツコも迷った。シンジが何か企んでいるという疑いが拭いきれなかったためだ。

 だが、よくよく考えてみれば、シンジがこの提案をしてくるのは、至極当然のことなのだ。
 何しろ、初号機とシンジは驚くほどに相性が悪い(というかシンジの方が生理的に受け付けない)。初回は短期決戦でどうにか乗り切ったが、今後持久戦を強いられることにならないとも限らない。
 先々の戦いを視野に入れるなら、シンジは初号機との状態改善に努めなければならない。
 が、これは正直難しいと言わざるを得ない。
 状態改善を行うには、どうしたってシンジが初号機に乗って、あらゆるデータを取らねばならないのだが、残念ながらシンジの場合、シンクロしたその瞬間から、精神フラグは汚染区域に突入。パルスは乱れまくり、正確なデータなど取れやしない。しかも、数十分もすれば、精神汚染はデッドラインに突入し、パイロットが生命の危険に晒されるというどうしようもない状況に陥っている。
 ハッキリ言ってこれは危険性ばかり高いくせにデータ収集の能率が極端に悪い。肝心の使徒も何時やってくるのか分からないと言うのに、こんな綱渡り的な実験など行えるわけが無かった。
 つまり現状、シンジ×初号機で、これ以上の進展は絶望的なのだ。
 ならば、いっそ機体そのものを交換した方が良いのではないか?

 ここまで説明されて、リツコと冬月もようやくシンジへの警戒を解いた。2人とも、猜疑心ばかり先立って、シンジの言葉の意味するところを考えもしなかったらしい。
 疑わぬ人間は言葉の裏を読み取れることは無い。だが、疑りすぎる人間は言葉の本質を読み取ることは無いのだ。
 2人はそれを身をもって体験した。自覚できたかどうかは不明だが……
 ちなみにゲンドウは何時も通り「問題ない」の一言で済ませた。



「パイロット、零号機と接続開始。」
「回線開きます。」
(やはり……)
 シンジは何時もならここでやって来る生理的嫌悪が全くこないことを確認していた。 
(コッチにはあの女は居ない。だが、シンクロシステムが僕の予想通りなら、別の誰かが居るはず……)
 シンジは精神を集中し、探りの糸を広げる。が、探るまでも無く向こうから何かやって来る気配がする。
(鬼か蛇か……綾波レイ!? いや、違う?)
 ものすごい勢いでシンジに接近してきたのは、綾波レイに良く似た幼女(の気配)であった。
 幼女はシンジにぶつからんが如く急接近を果たすと、初号機の碇ユイ同様、シンジに纏わりついてきた。
(君も僕の中に入り込もうと言うのか? でも甘いよ。その程度じゃ僕の奥底へ踏み込むことは出来ない。君は……あの女には遠く及ばない!)



「シンクロ率41.3%。エヴァ零号機、起動します!」

「成功したのね……」
 オペレーターの報告に、リツコは驚きと嬉しさ半分でボソッと呟いた。
 実はリツコ、この実験の成功率は50%と予測していた。
 というのも、(何度も言うように)シンジは母を嫌っている。それも精神汚染を起こすほどに、徹底して忌避している。
 故に零号機での起動実験なのだが、その零号機に眠るのは10年前に死亡(詳細をリツコは知らない)した一人目のレイなのだ。
 そして、レイとはユイをサルベージ(失敗ではあるが)した際に出現した、言わばユイの写し身である。
 となれば、ユイを毛嫌いしているシンジからすれば、零号機の中に居るのもユイと認識する。その可能性が少なからず有ったのだ。
 だが、実験は成功。精神汚染も見受けられない。

 これから導き出される結論は、シンジは碇ユイをパーソナルデータで判別していない。面影などの曖昧なイメージで見ていない。もっと確かな基準で初号機の母の個性を判別している。と言うことになる。
(そんなことが可能なのかしら?)
 14年間共に過ごしてきたというのなら、まだ分からなくも無い。
 だが、ユイは10年前に死亡扱い。既に過去の人となっている人物像を10年もの間正確にイメージを保つことなどできるものなのだろうか?
「シンジ君、何か何時もと違ったところは無い? どんな些細なことで構わないわ。」
 リツコにそう問われたシンジは、少し考え……
「ファーストチルドレンの気配がしますね。あと、何時もよりは気持ち悪くないです。」
 そう答えた。
 リツコはその答えに、また少し思案する。
(真っ先にレイのことを口に出した……かなり明確にレイの存在がイメージ出来ているのね……)
「先輩?」
 マヤに声をかけられた。
 どうやらまた、謎の探求に没頭してしまっていたらしい。
「ごめんなさい、ちょっと考え事してたわ。零号機のデータは纏めて後で渡して頂戴。シンジ君、お疲れ様。」
 ある意味、レイの再起動実験を超える緊張を持って遂行されたシンジの機体交換実験は、肩透かしなくらい滞りなく終了した。



「もう始まりますか?」
 シャワーと着替えを済ませ、スタッフルームに戻ってきたシンジは、開口一番そう聞いてきた。
「これからよ。もう始まるわ。」
 そう返答し、リツコは初号機に視線を戻す。レイは既に搭乗済みだ。
「これにファーストチルドレンが起動することが出来れば、僕の専属は零号機……と言う事になるんでしょうか?」
「確定は出来ないけど……その方が作戦上は都合が良いでしょうね。」
 そう言いつつ、横目でゲンドウを見る。
 この男、シンジの起動実験には席を外してたくせに、レイの実験に変わった途端、また戻ってきたのだ。
 リツコや冬月からすれば、「そういう態度がシンジに舐められる原因」ということになるのだが、当の本人は、今更態度を変えるのは負けとでも思っているのか、一向に態度を改めようとはしない。
 もう、リツコは何も言わなくなった。心配性の冬月はまだ粘っているようだが……


「起動開始。」
「主電源全回路接続。」
「主電源接続完了。」
「起動用システム作動開始。」
 作業は滞りなく進む。本日3度目、しかも前2回が成功している所為か、職員にも少なからず余裕が見える。

「ボーダーライン、クリアー。エヴァ零号機、起動しました。」

「シンクロ率は零号機と変わらずか……」
「そうですね、ハーモニクスが若干乱れてるのが気になりますけど……」
 マヤの一言に手元のモニターを確認したリツコは、レイに声をかけた。
「レイ、零号機と比べて何か変わった所は有るかしら?」
 リツコの問いかけに暫し考え込んだレイは、己の感覚を探るように、とつとつと返答を返した。
「……僅かながら、違和感を感じます。」
「違和感って?」
「……分かりません……っ! あなた、だれ? 貴方、誰? 貴女、誰?!」
 突如レイの口調が変わる。常に平坦な声を奏でる彼女からは信じられぬ程に、焦りを含んだ声色。
「レイ?」
 恐らくリツコの呼びかけが切っ掛けだったわけではないだろう。だが、まるでそう錯覚してもおかしくない位のタイミングで、実験場に警報音が鳴り響いた。そう――
「エヴァ初号機、アゴ装甲部破壊! シグナル受け付けませんっ!」
 暴走である。



GWOOOOOOOOOOOOO!

 暴風の様な吼え声!
 ひび割れたかのように大きく裂かれた初号機の口元から覗くヌメヌメと鈍く光る歯が、妙にグロテスクだ。
 投光機能など無いはずの初号機の眼が怪しく光る。
「全回路遮断、電源カット!」
 リツコの命に、職員達は即座にコンソールにキーを打ち込む。
 程なくして、初号機からアンビリカルケーブルが外された。これで残るは予備電源のみ。こればかりはどうしようもないので、嵐が過ぎるのを待つしかない。
 初号機は、悶絶しながらもヨタヨタとスタッフルームの方へと歩を進めてくる。
 エヴァの膂力を以ってしても、ちょっとやそっとで破壊できるような壁でないことは理解しているが、それでもその圧倒的な存在感に、皆、背筋に寒いものを覚える。
「ひっ!」
 リツコは、初号機が血走った目でコチラを睨みつけているような錯覚を覚えた。いや――

――ドゴシッ!――

 鈍い音と共に、リツコの目前が一面真っ青になる。
 それが初号機の拳と気付いたときには、実験場を隔てる壁が、半月型を描くほどに変形していた。初号機の猛攻は未だ収まる気配を見せない。

――ガキャンッ!――

 甲高い音を立て、厚さ10cm以上の強化ガラスが砕け散る。
「きゃあっ!」
 破片の一つが、リツコ目掛けて飛んできた。弾丸の様に真っ直ぐ飛来するそれを、極限状態特有のスローモーションで、呆然と見詰める。
 何せ、厚さ10cmのガラスの破片だ。小さなものでも握り拳ほどある。当然当たれば只ではすまない。リツコは死をも覚悟する。
 と、唐突に右側から腕が伸びる。その腕は、飛来してきたガラス片を易々とキャッチ。そのまま握りつぶすと言うオマケまで見せ付けた。
「赤木博士、危ないから下がった方がいいですよ。」
 腕の主、シンジは事も無げに言い放つと、目の前の初号機を詰まらなそうに見据える。
 と、後ろでドアが開く音がした。
 釣られて振り向いたリツコの眼には、一目散にスタッフルームを後にする司令の姿が映っていた。
「逃げたか? いや、2匹目の兎かな?」
 シンジの軽口が、妙に脳裏に響く。

GWOOOOOOOOOOOOO!

 そのシンジの言に反応したわけではあるまいが、初号機は再び雄叫びを轟かせる。
 悶絶するかのように身をくねらせ、頭を抱えるその姿は、一見何らかの激痛に耐えているように見える。
 だが、シンジは元より、リツコも、その他技術職員も揃って、初号機の奥底に有るものを感じていた。それは感じざるを得ぬほど、凄まじいものだった。すなわち――

――狂おしいほどの怒り!――

 本来なら、すぐにでもこの場を逃げ出したいのだが、皆、怒りに当てられたのか、足が竦み、思うように動けない。
 初号機はそのまま右の方へと移動しながら順々に壁へ拳の跡を残していく。どういうつもりか知らないが、少なくとも当面の生命の危機は去ったようだ。電源の残りも、もう無い。

――キュゥゥゥゥン……

 動力を失った初号機は、拳を壁に突き出した姿勢のまま、ようやく破壊活動を終わらせた。
「パ、パイロットの救出急いで……」
 さすがと言うべきか、直ぐに平静さを取り戻したリツコが、次々と職員達に指示を出し始めた。
 しばらく呆然としていた職員達も、危機が過ぎ去ったことを理解したか、一人また一人と立ち上がり、職務に戻り始める。
「レ、レイィ〜!」
 久しく聞きなれない、オッサンの悲痛な叫び声が響く。
 誰か? などと疑問に思う必要も無かった。
 リツコは割れた強化ガラスの向こう側を見下ろす。
 そこには、思ったとおり、ゲンドウその人が、初号機を見上げ大声でレイの名を呼び続けつつ、急ぎ足で参上したレスキュー隊に怒声を浴びせかけている。今回はオートイジャクションが作動していないので、プラグは未だエヴァの体内だ。クレーン車、はしご車総動員で救出に当たるレスキューを尻目に、初号機の足元でチョロチョロしているゲンドウ……ハッキリ言って、邪魔だ。
 その様子に、苦虫を噛み潰したような顔をするリツコ。
「ぶっ……」
 その横では、同じようにゲンドウを見下ろしていたシンジが、口元を押さえて屈んでいた。そっぽを向いて肩を震わせているのは、泣いている為ではない。そのことだけはリツコも理解できた。



――1週間後――



「し、シンクロ率、10.2%。エヴァ初号機、起動します。」
 おっかなびっくりなマヤの報告を耳に通しながら、リツコは目の前の初号機を厳しい表情で見詰めていた。
「…………」
 その表情には戸惑いが見え隠れしている。
「もう良いわ、シンジ君。再起動実験は成功よ。上がって頂戴。」
『了解。』
 明らかにウンザリな声色で、シンジはそれだけ呟いて、通信を切った。程なくしてコチラに顔を寄越すだろう。
(彼にしては随分ご機嫌ナナメね……まあ、無理無いけど。)
 レイでは起動できなかった初号機が、この再起動実験でシンジには起動出来ることが証明されてしまった。この時点で、シンジの初号機専属はほぼ確定だ。
 彼の不機嫌さも、当然と言えるだろう。

 リツコはデータ処理を部下に任せ、実験結果についての考察を始めた……と言うより、悩みに頭を痛めた。
(どういうことなのかしら……?)

 零号機とシンジの起動成功は、まあ良い。いくつか不審な点は残っているが、それはこれから解き明かしていけばいい。データも十分に取れているし、仮説もいくつか成り立っている。
 問題は初号機とレイだった。正直、リツコはシンジと零号機の成功率よりもレイと初号機の成功率の方が圧倒的に高いと踏んでいたのだ。レイの存在本質を考えれば、当然であるし、何より彼女は以前に一度、初号機の起動を成功させている。
 にも拘らず、前回の実験ではまさかの暴走。そして初号機がコチラに向って殴りかかってきたという事実。

――初号機には殴りたい人間がいる――

 リツコはそう直感していた。あれが、偶々コチラに拳が向いただけとは考えられなかった。
 では初号機は(と言うか彼女は)いったい誰を殴りたかったのか? リツコが最も頭を悩ませているのは正にソコだった。
 実を言えば、此度の実験が実行される直前まで、初号機の恨みを買ってる人物候補の筆頭は、シンジであった。
 何せ、シンジは母を嫌っていることを公言しているし、それは初号機とのシンクロにおいても、母を忌避する心情が如実に表れている。 
 己を嫌う人間を、好きでい続けることは至難に近い。シンジに忌避され続けたユイは、可愛さ余って憎さ百倍とばかりに、キレて殴りかかってしまったのかとリツコは想像していた。これはシンジの証言とそれを裏付けるデータからも、十分に推測が成り立ったのだ。
 故に今回、再起動実験での安全対策は万全を期した。プラグ内のシンジにどういった悪影響が及ぶか想像がつかなかったからだ。
 だが、この推測も(幸か不幸か)この実験で杞憂に終わった。
 シンクロプロセスは以前と何ら変わり無く、初号機からの精神汚染も変わり無しだ。
 これはつまり、彼女は今までと変わらず、シンジ君に接触を求め続けているということに他ならない。
 つまりは、彼女の殴りたかった相手ではない。
 確定とは言えないが、リツコはそう結論付けるのが順当と考えた。では真の標的は誰か?

 もし、仮に暴走したのが零号機なら、リツコはこれほど悩まなかったであろう。零号機なら、殴りたいのはリツコ自身だと、はっきり認識できているからだ。
 だが、初号機となるとどうだろう? ハッキリ言って、彼女にはユイに恨まれる覚えなど一切無かった。いや――
(無くは無いわね……ゲンドウさんとの関係がばれているのだとしたら……)
 妻はは浮気した夫ではなく、相手の女性を恨むモノ。
 その恨みが、同じくリツコを快く思っていないであろうレイの気持ちと重なり、攻撃行動に打って出た。
 少なくとも、そう考えれば辻褄は合う。
(でも、そうなるとユイさんはどうやって私とゲンドウさんの仲を知ったのかしら……?)
「何かお悩みでも? 赤木博士。」
 ハッとして振り向くと、そこにはとうに着替えを済ませたシンジが立っていた。
「ええ、何故レイがシンクロできなかったのか、悩みに悩んでるところよ。」
 さすがに、思ってたことをそのまま言う厚顔さは持ち合わせていなかったので、無難な言い訳でお茶を濁した。
 もっともソチラの件も、原因解明が急務ではあるので、完全に誤魔化し一辺倒と言うわけでも無いのだが……
「……悩んでますか……解決の兆しは全く見えていないと?」
「正直お手上げ。シンジ君がここまで気にする理由は十分に分かってるつもりだけど、現段階では対処の施しようが無いわ。悪いけど、もう暫らくは初号機に乗ってもらうことになるわね。」
 何か文句の一つも言われるか? とリツコは想像していたが、予想に反してシンジは何も言わなかった。ただ、ガックリと肩を落とし、盛大に溜息をつくその姿が、全てを悟っている彼の心情を克明に体言せしめていた。
 さしものリツコも、少なからず同情してしまう。と同時に、今ここにミサトが居ないことを心から安堵していた。
 もし仮に彼女がここに居合わせていれば、先の使徒戦で見せたような悪態をつくことなど、分かり易すぎる未来予想図だからだ。
(もっとも、ミサトの前なら、こんなリアクション取らないかもしれないけど……)
 リツコは胸の奥で密かに呟く。
 だが、そう考えると、リツコの場合は、少なからずシンジに信頼されていると言うことなのだろうか? 何とも複雑な気持ちだ。
「はあ……まあ、結果が出た以上どうしようもありませんね。とりあえず、現状改正は赤木博士にお任せします。僕、部屋に戻っても良いですよね?」
「ええ、そうね……おつk――ヴーーーゥン、ヴーーーゥン――
 唐突なサイレンに皆が凍りつく。
『国連より使徒出現との報あり。繰り返す、国連より――』
「し、使徒?!」
 いち早く復活したリツコの声が、けたたましいサイレンの中に鋭く響いた。



「総員第一種戦闘配備! 急げっ!」
 サイレンの騒音など打ち消してしまいそうな大声で職員を怒鳴りつけたのは、珍しくシンジの実験に顔を出していたゲンドウだった。
 まあ、これでシンジが駄目なら初号機は使えなくなってしまうのだから、さすがに無視できなかったのだろう。
「あ、居たんだ?」
 という、シンジの皮肉でもなんでも無い、正直な感想は、幸いサイレンの音にかき消された。
 シンジとリツコ以外の職員達は皆、上司の声に職務を思い出したのか、ゲンドウの怒りを買うことを恐れたのか、我先にと発令所へ疾走する。
 ここは、先週暴走で壊された実験場の代用エリアなので、些か発令所まで距離があるのだ。
 土砂降りのような足音を後ろに聞きながら、ゲンドウも踵を返し、リツコもそれに続いた。
 こういう時こそ上に立つ者はドッシリと構えていなければならない……というポリシーが有るのかどうかは知らないが、2人は長い廊下を悠々と歩く。
「赤木博士、初号機発進準備だ。」
「!? 零号機を使わないのですか?」
 ゲンドウの命令に、さしものリツコも驚きの声を上げる。この男が初号機に拘っていることは分かりきっていたことだったが、まさかここまでとは思っても居なかった。
「まだ戦闘には耐えん。」
「それ、動かないまま初号機を放り出した人の言って良いセリフじゃないですよ?」
 さすがにゲンドウのセリフにムッとしたシンジが、鋭いツッコミを入れる。彼も2人と同様、急ぐでも焦るでも無く、ノンビリと歩を進めていた。
「グッ! 何をしている! サードチルドレン! さっさと行け!」
 痛いところを突かれたのか、単に息子が意見するのを許容し難いだけか、ゲンドウは過剰なまでに怒鳴りつけた。
 もっとも、それでシンジが動くなら、最初から歩いてなどいない。当然のように何らリアクションを見せることなく、悠然な態度も崩さない。
 代わりに答えたのはリツコだった。
「無理です指令! あそこは代用エリアなんです。射出カタパルトなんて付いてないんですよ。最も近い射出口へ移動させるだけでも半日は掛かります。零号機なら380秒で準備できますが……」
 数瞬の沈黙、3人が歩く足音だけが、リノリウムの床に木霊する。
「…………零号機、出撃準備。同時に初号機の出撃準備も急がせろ。」
 地響きのような低音で、ゲンドウは苦々しくも指示を変更した。
「はい。」
 一つ頷き、リツコは携帯電話でコールをかける。
「あ、マヤ? エヴァの出撃準備お願い。ええ、零号機を出すわ……」
 通話先のマヤ相手に、リツコは矢継ぎ早に指示を出す。
 その両脇を、ゲンドウとシンジは黙々と歩き続ける。
「サードチルドレン……出撃準備だ。」
 イラついた声色で、再度指示を出した。正直、自分からシンジへ話しかけることなど、そう何度もしたくは無いのだが、一向に行動を起こさない(血縁上の)息子に痺れを切らしていた。
「零号機でですか?」
「そうだ、さっさと行け!」
「ま、出るのは良いですけどね。でもその前に一つだけ……」
「…………」
「本当に使徒はコッチに来てるんですかね?」
 天井を見上げながら、そんなことを呟くシンジ。
「何をふざけた事を……」
「何ですって!?」
 ゲンドウのセリフを驚きの声で遮ったリツコは、耳に携帯を当てたまま、ギギギ……と首を90度右に回し――
「司令……使徒が、ドイツ上空に現れたと……」
「なっ、馬鹿な!」
 予想だにしなかった報告に、思わず狼狽の声を上げるゲンドウ。
 2人して数秒の間、見詰め合ったまま廊下のど真ん中で立ち尽くす。
「あ、やっぱり。」
 シンジの暢気な声も、今の2人には届かなかった。



「あ、先輩!」
 さすがに歩いていられなくなった、ゲンドウとリツコは、急ぎ発令所へ駆けつけた。
 何時に無く引き締まった表情のマヤがリツコを出迎える。ゲンドウはそのままエレベーターで総司令席へと昇っていった。
「状況は?」
「はい、現在も時速約20kmのペースで、進行中。予想目的地は、ネルフ・ドイツ支部と思われます。」
 発令所名物のホログラフスクリーンには、クリスタルの様な光沢を見せる正八面体状の使徒の姿が、デカデカと映っている……いや、実際にデカい。
 フワフワと浮いている使徒の下に広がる森林くらいしか比較対照が無いが、恐らく体長200m以上はあるのではなかろうか?
 これまでの使徒と比較しても格段に大きい。無論エヴァよりもだ。
「ドイツとの連絡は?」
 オペレーターの一人に声をかける。問われた本人は、難しい表情でチラリと振り向いた。
「やっているのですが、コンタクト取れません。何かトラブルでも……いえ、浮き足立ってるのかもしれませんが……あ、繋がりました! こちら、ネルフ本部、うわっ!」
 思わず耳を押さえるオペレーター。同時にメインスピーカーから大音量で怒声が噴出してきた。
 老若男女、様々な声色が聞こえてくるが、その殆どは怒鳴り声だ。中でも若い女性らしき声が、一際耳障りに響く。
 その声に、リツコは思わず脱力し、頭を垂れる。
「ドイツでもお元気そうですね。」
何時の間にやらリツコの後ろに立っていたシンジが、困った笑みを浮かべながら、そう一人ごちた。
「そうね……」
 シンジに言われるまでもなく、リツコにも分かっていた。この怒声の中心に居るのが誰なのか……



「葛城君だな。」
「ああ……」
 思わず寄ってしまう眉間の皺を指で挟みながら、冬月は疲れた声で尋ねた。
 返答を返したゲンドウの声も、何時にも増しておざなりに聞こえる。
「……俺には、この声を聞く限り、葛城君が更正されたようには思えんのだが?」
「今回のマインドコントロールには委員会総員立会いの元で行われているらしいからな。」
 ゲンドウの状況説明で、冬月も合点がいったらしい。ウンザリした口調で、言葉の後を繋げた。
「己の利益の為に、お互い牽制しあっていたというわけか? それで葛城君の処置が滞っていては本末転倒だろうに……」
「委員会は元々一枚岩ではない。これも十分予測できたことだ。」
「使徒がドイツへ行ったこともか?」
「…………」
「まったく……しかし、このままだと葛城君が無理矢理現場の指揮を取ってしまいそうな気がするのは俺の気の所為か?」
「恐らくそうなるだろうさ。委員会もそれを望んでいるはずだ。」
 彼らはシナリオに忠実だ。未だ、ドイツの方では怒鳴り合いが続いているが、もう暫らくすれば、何処からともなく鶴の一声が掛かることは想像に難くない。。
「良いのか? 弐号機だけならまだしも、あそこにはアダムが在る。しくじればサードインパクトも免れんぞ?」
「ああ、だが委員会とてそれは十分承知しているはずだ。万が一に備えて緊急用のジェット機も有る。」
「弐号機に足止めさせているうちにアダムをこちらへ搬送すれば、使徒もこちらへ向う……か。」

 そんな会話を暢気にしているうちに、急速に喧騒が静まっていった。
「老人達が動いたな……」
「ああ……」
 上層部2名の予測を裏付けるかのように、ミサトのハツラツとした声が、聞こえてきた。
『アスカ、準備は良いわね!』
『あったりまえでしょっ、誰に向って言ってんのよ!』

「誰です?」
 何処となく呆れ口調でシンジが訊ねた。
「ドイツに居るセカンドチルドレンよ。」
 緊急時なので、説明好きのリツコの対応もおざなりだ。その間も指はコンソールの上を踊るように駆け巡り、使徒のデータを貪欲にかき集めている。
「そうですか……ところで、赤木博士?」
「何かしら?」
「今回の使徒について何かわかった事は?」
「まだなんとも……」
 これは事実だ。何かわかった事でもあれば、直ぐにでもミサトに知らせておきたいところなのだが、現状ではこれと言って目に留まるような特徴は表れていない。
「マギは何と言ってるんです? いくら常識外の存在とは言え、外見から攻撃方法の予測くらいできるのでは?」
 シンジに問われ、それもそうかとリツコはマギに解析を命ずる。
(そういえば、ミサトはこういうこと頼んだことも無かったわね……)
 リツコはそんなことをシミジミと考える。
 また一つ、本人の居ないところで評価を下げられた頃、マギの解析結果が出た。
「外周スリットからの光線兵器の可能性……91.1%!?」
 圧倒的な確立の偏りに、リツコも思わず素っ頓狂な声を上げる。
「まあ、あの図体で近接戦闘に向くとは思えませんからねぇ……ところで、今回の葛城作戦部長殿の作戦は、またお得意の『とりあえずエヴァを使徒の前に放り出し作戦』なんでしょうかね?」
 緊迫した状況が避けて通っているか様な暢気な声色で、シンジはそうのたまわった。
 その言葉の意味にハッとするリツコ。
「葛城一尉に連絡を!」
『弐号機発進!』
 慌てて出したリツコの指示は、皮肉にも当のミサトの号令にかき消された。
 その数秒後……

『きゃあああああああああああああああああぁぁぁぁぁっ!!!』

 この世のものと思えぬ、常人のオクターブを無視するかのような、金切り声が発令所中に響き渡った。



To be continued...


(あとがき)

 こんばんは、地球中心! です。どうにか宣言どおり、今年中の更新に扱ぎつけることが出来ました。おかげで後半グダグダな文章になってるかもしれませんが……
 そんな第5話もとりあえず終了。次回6話はリングはドイツ、実況は日本という、衛星中継でお届けすることになりそうです。
 ああ、次は今までの中で一番難産な予感……半年以内の更新だけは守るようにしますので、また暇な方は読んでやってください。

 それでは良いお年を……

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