因果応報、その果てには

第五話

presented by えっくん様


 ネルフ:司令室

 北欧連合、いやシンジとの会談を済ませて、委員会に結果を報告したゲンドウと冬月は、呼び出しを待っていた。

 委員会の代理が出席していたので、そちらからも報告はあるだろうが、ネルフとしても報告の義務はあったのだ。

 今は委員会の中で、激しく議論されている事だろう。

 もし、委員会がシンジの出した条件を承諾した場合、二人には二階級降格と80%の財産没収が待っている。


「お前の態度が悪かった事もあるが、シンジ君があそこまで強硬に出るとは予想外だったな。

 シンジ君とレイが居なければEVAが起動出来ない事を知られ、我々の調査もかなり詳細にしているらしい。

 おかげで完全に足元を見られたな。お前も”子供だからどうにでもなる”とは言えまい。これから自重しろ!」


 苦々しげな顔で、冬月はゲンドウに説教をしていた。ゲンドウの為にシンジの態度が硬化したと考えていた為だった。

 次の会談で追加条件を出される事もあり、これ以上の揉め事は避けたいと考えている冬月だった。


「シンジが出した条件は、財団や北欧連合の意見も入っている」


 あくまで、シンジだけにやり込められたとは認めないゲンドウであった。ゲンドウの親としての矜持であった。


「当然だろうな。だが本質はそこでは無い。我々、いやお前のおかげでシンジ君の態度が硬化した事だ。

 おかげで、わしまで連帯責任を取らされるとはな。

 仮に委員会がシンジ君の出した条件を呑んだとすれば、我々はEVAの製造元に過ぎなくなる。

 そうなれば、ユイ君の計画が実行出来なくなるんだぞ。それにレイの事もある。

 攫ってきて洗脳したと見られているのは不幸中の幸いか。だが、何時まで隠し通せるかはわからん」


 レイが人間と使徒の混血だと分かった場合は、ネルフに甚大な損害を与える事になる。最悪の場合、ネルフは潰されるだろう。


「レイは、自分が人間で無いと知っている。他の人間には知られたくは無いはずだ。そこに付け込む隙がある」

「そうだろうな。しかし、レイの身体が、こんな短期間で治るとはな。

 治せなければ、時間の問題で三人目になったものを。北欧連合の技術は侮れん」


 ネルフでも完全治癒が出来なかった(出来たとしてもしなかったろうが)身体を治療したと言う。

 たった一カ国だが、技術レベルはゼーレを上回り、制宙権を完全に確保している。

 正面戦力ではゼーレが圧倒しているが、実際に戦争になれば北欧連合の衛星兵器に叩き潰されるだけだろう。

 まさに脅威に値する技術レベルだ。その技術レベルを再認識していた。


「状況次第では、レイを処分して三人目に変える」

「今は北欧連合に保護されているから無理だろう。レイの洗脳が解けたら、補完計画の事がばれる可能性は?」

「レイには詳細は話していない。大丈夫だ」

「そうか。しかし、委員会に対して北欧連合があそこまで強硬に出れるとはな。驚きだよ」

「経済規模から言えば、ゼーレの二割程度に過ぎん。科学技術が突出しているだけだ」

「……今はその突出している科学技術が必要だと思わんか?」


 二人の会話を、呼び出し用の警告音が終了させた。委員会の検討が終わったらしい。

 どう結論が出たのか? それを聞く為の会議なのだろうが、冬月の胸に、暗い影が差していた。

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 呼び出しは委員会では無く、ゼーレだった。薄暗い部屋の中に十二個のモノリスがあり、それらの中央にゲンドウと冬月が居た。

 十二個のモノリスは北欧連合からの要求項目に関して、討論をしていたのだった。


『六分儀、我らの結論を申し渡すぞ』


 その一言で、ゼーレがシンジに妥協したと判断した。だが、問題はどこまで妥協したかだ。


『まずは、お前の交渉が失敗したせいで、ここまで事態が拗れた事を理解しろ。

 奴らはネルフの実情を把握しており、今回は完全に足元を見られて、かなり譲歩せざるを得なくなった事をな』


 モノリスは次々に、シンジが要求した項目について説明を始めた。


『降格、減給、財産没収に関してだが、全て相手の要求通りとする。

 お前達の給与の不足分は、我らの配下から出させる。もちろん、お前の働きを我らが査定をしてからだがな』


 ゲンドウの行動を抑える為に、ゼーレがゲンドウと冬月の給与査定をすると言っているのだ。

 これでは、ゼーレに隠れて進めているユイの補完計画が進まなくなる。そう考えたゲンドウは反論した。


「没収分の財産は、ゼーレで補填して頂けるのでしょうか。私は自己資産から機密実験費を出しています。

 資産を没収させられると、機密実験が出来なくなります」

『却下だ。機密実験の内容は何だ? 後でも言うが、ネルフの会計監査は拒否する。

 ネルフの予算を自由に使わせてやるのは従来通りだ。何の不都合がある? 我らにも秘密の実験か?』

『碇の家の財産を売り払い、己の自己資産にしたのはお前だろう。返却を求められれば、返すのは当然だろう』

『赤木博士と葛城の娘の給与の不足分も出してやろう。感謝するのだな』


 ゲンドウの自己資産を没収させる事は、ゲンドウの動きを制限する事になる。

 その資金がシンジに流れるのは癪に障るが、それについては仕方が無いと判断していた。


『次に補完委員会の権限縮小だが、これも承認する。実働部隊はこちらが抑えてある。

 不愉快だが、あまり実害が無い事でもあるし、これも承認だ』


 苦々しさを感じさせる口調で、モノリスは説明した。


『次にネルフの権限縮小だが、ある程度は承認する。だがネルフの会計監査は絶対に認めん。この項目は交渉だ。

 ある程度は、奴等に譲歩する必要があるだろう。それに、お前がファーストの洗脳を指示した事が周知された。

 徴兵権の剥奪などは免れぬだろうな』

『そういう事だ。北欧連合の国連拠出金の減額など認めたくは無いが、交渉の結果であれば認める』


『次に戦闘指揮権限と命令権限の制約だが、国連軍と北欧連合に戦闘指揮を任せる。第五使徒までだ。

 第六使徒の際にセカンドが使徒戦に入る予定だ。そこからネルフが仕切り直せ。

 それに、お前達に試験を受けさせる訳にはいかぬ。この件は奴等も譲歩はしないだろう。

 戦闘指揮に関してはセカンドと、これから選別するフォース以降がネルフの管轄ならば、ファーストと魔術師の指揮権限は

 渡しても構わない。むしろ、その方が被害総額は抑えられるだろう。奴らが損害を多く出せば、それに付け込む事も出来る。

 命令権に関しては、お互い独立の命令権を持つ事で不干渉が妥当だろう。この部分は交渉だ』


 シンジを初号機に乗せてしまえば、天武の開発を進めさせなくする事が出来る。まずは、それが優先すべき事だった。

 第三使徒を倒した『天武』の量産部隊はゼーレにとって十分な脅威になる。それを避けるのは当然の理だった。


『次にお前の六分儀への改名だが、我らはお前の個人的な事情に介入する気は無い。

 これについては承認をする。だが、賠償金が発生した場合は、お前の残りの資産から引いておくぞ』


 ゲンドウの顔色が変わった。自分に残る資産は現在の20%。

 それでもネルフ独自の補完計画を進めるには不足していると言うのに、これ以上引かれたらまったく身動きが取れなくなる。


『EVAの安全性の確認要求だが、これも承認する。お前達四人が乗っても起動しないだけだろう。実害は無い。

 それより、魔術師はシンクロが出来るのか? その確認を早急にする必要がある。シンクロが出来ない場合は計画の変更が必要だ』

「まずは実験をするのが優先かと思いますが」


 シンジが初号機とシンクロするか、ゲンドウも不安に思っていた。だが、それは口には出せない。


『……そうだな。可能ならば、魔術師は初号機で使徒と戦わせるのが一番だが、最悪は起動出来なくても

 天武の開発を止めさせる為に北欧連合には帰してはならんぞ! ネルフに留め置くのだ!』


 つまりは、他国から強制移籍させた他の研究者のように、飼い殺しにしろという意味だった。

 冷静に考えれば、初号機とシンクロしなかった場合はシンジが日本に居る意味は無い。その場合は別に対処を考える必要がある。


『最後はファーストの件だ。既に洗脳していた事が周知されて、洗脳が解かれかかっていると聞いている。

 身柄も北欧連合に押さえられている以上、こちらに取り込む事は不可能に近い。

 多大な浪費を覚悟すれば出来なくも無いだろうが、これ以上は北欧連合を刺激したくは無い。

 従って、ファーストを利用したダミープラグの開発は中止し、資料を我々に提出した後は速やかに実験内容の破棄を行え。

 ダミープラグの開発は、セカンドをベースに行う』


 ゼーレから見て、レイはゲンドウの隠し札と認識されていた。

 これを機にゲンドウと切り離せば、資金と合わせてゲンドウの不穏な動きはかなり制限出来るだろうという考えである。

 ネルフが進めていたダミープラグの開発が頓挫するのは痛いが、セカンドをベースにした開発に切り替えは可能だ。


 ゲンドウはレイに手を出すなと言われたが、すんなり納得する訳にはいかなかった。

 だが、セントラルドグマの水槽の事は知られていないはずだ。

 ゲンドウは、この件はゼーレに隠して進める事を決めた。資金不足は別の手段を考える事にした。

 レイを諦めれば、計画の全てが水泡に帰すのだ。


「分かりました」


 内心を隠して、表面上はゼーレの言う事に従うという意思表示をした。

 だが、ゲンドウの内心を見透かしたかのように、ゼーレのメンバーは釘を刺す事を忘れてはいなかった。


『良かろう。以上の内容を持って、再度、北欧連合と交渉しろ。交渉時には、委員会の代理を再度派遣する。

 魔術師が追加要求する内容に関しては、派遣する委員会代理に決定権限を与える』

『天武とやらの汎用化を防ぐ為には、魔術師を初号機に乗せる事が必要だ。それは同時にEVAの有用性を示す事になる。

 一石二鳥だ。魔術師との交渉がうまく行けば、セカンドの早期参戦は無しとし、従来の計画通りとする』

『魔術師との交渉が失敗した場合、セカンドの早期参戦と、フォースの選別を行う。

 その場合、初号機のコアの書き換えを行いフォースを乗せるようにしろ!』

「ま、待って下さい。何故、コアの書き換えをするのですか? 参号機があるではありませんか?」


 ゲンドウの顔色が変わった。初号機のコアには、ゲンドウの大切な人が居る。書き換えなどされては、ユイは失われる。

 そんな事はゲンドウは認められないが、立場上はゼーレの命令に逆らう事は出来ない。


『魔術師との交渉が失敗したら、今の初号機を動かせる者はいない。初号機を遊ばせておくつもりか?』

『交渉が無事成功すれば、問題は無かろう。期待しておるぞ』


 そう言って、全てのモノリスから光が消えていった。

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 第二東京:新皇居

 今回、会談の場所を決めるのは難航した。

 毎回、北欧連合の大使館では大変だろうと、冬月はネルフで打ち合わせをしたいと打診したのが、

 ロムウェル大使はシンジを強制拘束しようとした実績があるとして、ネルフでの会談を拒否した。

 首相官邸、民間のホテル等……ネルフ側が小細工出来そうな場所での会談は、全てロムウェル大使に拒否された。

 折衷案で、前回の会談が皇室の仲介で行われた事もあり、今回は新皇居の一室で実施される事となった。

 現在、新皇居の一室に八人が座っていた。

 北欧連合側は、ロムウェル大使とシン・ロックフォード。(ミーシャは控え室で待っていた)

 中立(?)の立場は、国連軍のルーテル参謀総長と宮内庁所属の侍従長だ。

 ネルフ側は、ゲンドウと冬月、日本の首相と委員会の代理のセレナである。

 最後に入室してきたゲンドウと冬月が席に着いたのを待って、セレナが立ち上がった。


「これで出席メンバー全員が揃いました。補完委員会の決定を御報告させて頂く前に、

 改めて前回のネルフの無礼な行動を謝罪させて頂きます。申し訳ありませんでした」


 セレナはシンジに素直に頭を下げた。力は使わない。普通の対応だ。


「では、補完委員会の決定を御連絡させて頂きます。まずは、…………」


 そう言って、セレナは委員会の決定内容を発表した。


 第一条件:ネルフ司令、副司令、技術課長、作戦課長の二階級降格。及び、その他全職員の一階級降格。

      了承。


 ゲンドウは何時も通りだが、冬月は嫌そうな顔をしている。セレナは構わずに説明を続けた。


 第二条件:司令と副司令の給与を降格後50%カット。技術課長と作戦課長の給与も降格後20%カット。

      その他は一律10%カット。

      司令と副司令の資産の80%を没収。碇シンジと綾波レイへの賠償金に当てる。

      了承。但し、給与に関して、委員会が不足と認定した場合は不足分を委員会から供与する。



 何で自分の財産まで没収されなくてはならないのか、冬月は真剣に悩んでいた。


 第三条件:人類補完委員会の権限の縮小。

      了承。



 第四条件:ネルフの権限の縮小。

      国の主権侵害の権限、徴兵権限、他の組織に対する徴発権限の剥奪は了承。

      国連の会計監査については、許可出来ない。



 ネルフの機密も関係して会計監査は認められなかったと、セレナは素直に回答した。

 シンジは全部聞いてから結論を出すと言って、セレナの報告を促した。


 第五条件:戦闘指揮、要員の派遣と命令権に関して。

      国連軍と北欧連合が戦闘指揮を執る事に関しては了承。

      但し、綾波レイと魔術師のみとし、他のチルドレンはネルフが戦闘指揮を行う事とする。

      同時に、零号機と初号機に関してネルフは維持管理を行う。費用はネルフが負担。

      総務部と保安部の要員派遣は受け入れる。指揮権もネルフの総務部と保安部に属さない事も了承。

      但し、経理部の要員派遣は認められない。

      ネルフと国連・北欧連合の命令権は独立している事とし、相手の組織メンバーへの命令権を持たない事とする。

      零号機と初号機が使徒を殲滅した場合は、国連軍と北欧連合の実績とする。了承。



 シンジは最後に結論を出すと言って、セレナの報告を促した。

 内心では吹っかけすぎて揉める項目だと思っていたので、こうまですんなり了承するとは予想外だった。


 第六条件:ネルフ司令は碇家を追放された事を受け入れ、旧姓の六分儀に戻る事。

      罰則を含めて了承。



 第七条件:シン・ロックフォードがEVAに乗る前に、ネルフはEVAの安全性を検証する事とする。

      了承。



 第八条件:綾波レイに対しての処遇。(ネルフの全職員の会話、接触の禁止)

      罰則を含めて了承。



 ロムウェル大使とシンジは、予想以上にすんなり了承された事に対して、内心驚いていた。当然、顔には出していない。

 ある意味、無理難題を吹っかけたつもりで、委員会から譲歩を要求されると思っていた。

 条件を呑まなければ、二度と交渉をしないと言った脅しが効いたのだろうか?

 そう考えて、シンジは話し始めた。


「ネルフの権限の縮小と指揮権関係で、少し訂正が入っていますが許容範囲でしょう。

 但し、ネルフが不当に我々に干渉したと判断したら、休戦協定に影響すると覚悟しておいて下さい。

 指揮権関係を除いて、直ぐ実行出来る内容は実行して下さい。

 その後の第七条件のEVAの信頼性試験の時は、ボクも呼んで下さい。くれぐれも、内緒で試験は済ませたなど言わないように。

 ボクの立会いの下でしか、安全試験の効果は認めませんからね。その結果を見て、EVAとやらの搭乗試験を行いましょう。

 指揮権関係はその結果次第ですね。追加条件は搭乗試験後に伝えます。ボクの搭乗試験が上手くいかなければ無意味でしょうから」


 こうして、両者の合意は成立した。

 結果としてネルフは多大な負担を負う事になったが、合意が出来なければネルフの存続にも影響する。

 第三者から見た場合は苦汁の決断とも言えるが、裏事情を知っている人間から見れば成るべくして成った結果である。

 首相とセレナは上機嫌で帰っていった。ネルフには酷な内容だが、自分達には関係無い事だ。誰しも自分の身が可愛いものだ。

 首相に至っては、日本の主権侵害の権限が抹消される事で喜びに湧く表情だった。

 セレナも委員会からの命令を、予定通り済ませる事が出来たのだ。臨時ボーナスに期待していた。


 ロムウェル大使、シン・ロックフォード、ルーテル参謀総長は、会談が思った以上にすんなり済んだ事に安堵していた。

 内心では委員会がかなりの条件の緩和を、要求してくると思っていたのだ。

 ネルフの非を強調した事が交渉に有利に働いたと判断していた。やはり交渉術というのは大事だと言う事だろう。

 会談の場所に使わせて頂いた御礼をするという名目で、皇居の主に会う為に別の部屋に移動していた。

 そこで、今後の対応に関する打ち合わせが行われた。

 そして、ルーテル参謀総長にゼーレとネルフの目的を話した。

 初めは信じなかったルーテル参謀総長も証拠を突きつけられ、五時間後には納得した。

 もちろん他言無用と念を押し、密かにルーテル参謀総長への防諜対策も済ませてある。

 これにより、国連軍の首脳部が味方に付いた。

(各実戦部隊は母国の命令を重視する部隊が多いので、国連軍全体が味方になった訳では無い)


 冬月は倦怠感に包まれながらも、シンジを初号機に乗せるという目的が適う事に、僅かな安心感を感じていた。

 だが、約束させられた内容を実行するのに伴う困難を思いやり、頭を抱えてしまった。

 次の使徒まで、それほど猶予は無い。急ぎネルフに戻り、手続きを済ませなければならない。

 重い体を引きずるように、ゲンドウと冬月は退出していった。

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 会談翌日、ゲンドウはネルフ本部と支部の全職員に対して、一階級降格と給与の10%カットの通達を出した。

 北欧連合からの要請による、という一文を添えたのみでだ。

 通達を受けた職員は混乱した。当然だろう。突然、理由の説明も無く一階級降格と給与カットの通達があったのだから。

 ネルフ職員は混乱する中、”北欧連合からの要請”という一文に注目した。

 そして、ネルフの全職員の恨みが北欧連合に向けられようとした時に、国連事務総長よりネルフ全職員に通達が出された。

 事務総長からの通達は以下の通りである。

 今回、人類の脅威である使徒の迎撃戦において、北欧連合が使徒迎撃を行った。

 ネルフはエヴァンゲリオンを擁していたにも関わらず、起動も出来なかった。

 この件により、ネルフ司令以下首脳部の四人は二階級降格、及び給与の50〜20%カットが行われている。

 その他の職員は、全員一階級降格と給与の10%カットだ。

 ネルフの使命を思い出し、各職員は今回の処置を訓戒とし、さらなる努力を期待する。

 ネルフの職員の恨みが北欧連合に向かい、これ以上の関係悪化を懸念するゼーレの意向を受けて、事務総長通達が出されたのだ。

 一般職員より厳しい処置が、ネルフの首脳部に下された。

 この通達を受けて表面上は各職員の混乱は収まったが、内心では忸怩たる思いを秘めた職員の数は多かった。


 司令室で全職員への通達を行ったゲンドウは、誰も部屋に通すなという指示を出した後、執務机で考えに耽っていた。

 自分の資産の事だ。碇家の資産の売却益は相当な額である。又、運用で増えた資産も多い。だが半分程は、隠し財産にしてある。

 公にしている財産(全財産の半分)の80%をシンジに取られると思うと不機嫌になったが、考え直した。

 隠し財産が残れば、こちらの補完計画も実行出来る。

 だが、ゼーレの代理を名乗る男が訪れて資産リストと言って渡された資料には、ゲンドウの隠し財産も全部記されていた。

 驚くゲンドウだが、ゼーレは容赦しなかった。

 万が一、ゲンドウの資産に申告漏れがあった場合は、ゼーレが自腹を切って百倍の賠償を払わなければならない。

 同じ頃、冬月も同様な状況にあった。今更ながら、ゲンドウと冬月はゼーレの力を再認識するのだった。

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 ネルフ本部にシンジの姿があった。EVAの搭乗試験を行うと、ネルフから連絡を受けた為である。

 ミーナとレイは、大使館で待機だ。

 もっとも二人はケーキを食べながら話しに夢中で、シンジの事を心配している素振りは見えなかったが。

 因みに”あんまり食べてばかりだと太るよ”とシンジがいった途端、ミーナが皿を連続して投げてきた。

 慌てて受け止めたが、十二枚目で失敗。慌てて部屋を出たシンジは、女性に体重の事は二度と言うまいと誓ったのだ。


 付き添いとして大使館付きの駐在武官(中佐、大尉)の二名と、ミーシャ(十四歳)、ユイン(外見は子猫)も居た。

 駐在武官は当然軍服を着用しており、シンジは普段着である。唯一の女性であるミーシャは、メイド服を着用していた。

 顔立ちがアラブ系という事が関係しているかは分からないが、妙に合っている。

 ネルフの女性職員数人から、何でその服を着ているのかと聞かれたが、本人は平然としてシン様に仕えていますと答えていた。

 その為か、ネルフ女性メンバーのシンジを見る視線には、複雑なものが含まれていた。


 数人の男のグループは、ミーシャの方をちらりと見ては、こそこそと話している。何を話しているかは分からない。

 だが顔は僅かに赤くなり、脈拍も普段よりは多い。十四歳の可愛い女の子のメイド服(外人)が彼らを刺激したのだろうか?

 そんな中、シンクロ試験の準備が出来たので、水着の上に白衣を着たリツコがシンジの側にやって来た。


「シンジく「赤木博士、ファーストネームで呼ぶのは止めて貰えますか? 親しくも無い人にファーストネームを呼ばれたくは

 ありません。ファミリーネームで呼んで下さい。そうしないと追加条件で赤木博士に無理難題を吹っ掛けますよ」……ごめんなさい。

 ロックフォード君で良いかしら、試験の準備が整ったわ」


 シンジの抗議で呼び名を改めた。この後にシンジから追加条件が提示されるが、それを断る事は今のネルフには許されない。

 どんな追加条件があるかは分からないが、自分へのとばっちりは避けたいとリツコは思っていた。

 今更ながらシンジが自分に対して悪い感情を持っている事を自覚した。

 最初にシンジをモルモット扱いした事が、ここまで響くとはと後悔するリツコだった。


「最初はミサト、いえ葛城三尉。次は私。副司令、司令の順で実験するわ。管制室に移動して貰えるかしら。

 それと彼女の服装なんだけど」


 そう言って、リツコはミーシャの方を見た。確かに北欧連合の大使館で、ミーシャがメイド服でいるのを見た。

 だが、格納庫という緊迫した場所にメイド服では、雰囲気を完全に壊している。


「赤木博士。私はシン様にお仕えしていますので、ある意味これが制服です。何か問題がありますか?

 それに服装と言うのなら、赤木博士の方が露出が多くて問題だと思いますが?」


 ミーシャ本人が反論した。部外者の詮索に、正直うんざりしていたのだ。別に恥かしい格好をしているつもりは無い。

 ミーシャのメイド服は、胸元も開いておらずスカートもロングだ。服自体が奇抜(?)という事はあるが、露出度は低い。

 対して、リツコはシンクロ試験をするという事で水着を着ている。

 今はその上に白衣を着ているが、上のボタンを留めておらず、胸元が丸見えの状態だ。余程リツコの方が問題だろう。


「ご、ごめんなさい。いえ、本人が納得しているなら構わないわ。じゃあ、管制室に移動して貰えるかしら」


 顔を微かに赤く染めたリツコは、慌てて白衣のボタンを留め直した。

 シンジは苦笑しながら、駐在武官二人とミーシャに指示して管制室に移動した。

 管制室には、ゲンドウと冬月、オペレータの日向、青葉、マヤが待っていた。

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「これから初号機のシンクロ試験を始めます。最初は葛城三尉が行います。

 LCLを肺に入れますので、感染症を避ける為に水着を着て消毒してからの搭乗になります。ミサト、準備は良いかしら」


 リツコは簡単にシンジ達に手順を説明して、ミサトに声をかけた。

 どうせシンクロしないと分かり切っているが、これもシンジを初号機に乗せる為に必要な儀式と割り切っていた。


『良いわよ。しかし、何で水着なんか着なくちゃならないのよ!!』


 ミサトの声がスピーカから流れ、画面にミサトの上半身が映し出された。黒のビキニを着ている。

 スタイルは良いだけに、黒のビキニは見る者に強烈な印象を与えた。特に若い男に対しての刺激は、かなり強い。

 胸の下の傷痕が珠に瑕と言えるかも知れないが、ミサトの身体全体から感じられる雰囲気はそんな事は微塵も感じさせない。

 オペレータの日向と青葉の席から、唾を呑み込む音が聞こえてきた。

 それを聞いた某女性オペレータが”不潔”と言った微かな声も聞こえてくる。

 ミーシャはちらりとシンジの方を見た。だが、シンジは平然としているので、内心では安堵した。


<これでシン様が彼女に反応したら、どうしようかと思いましたよ>

<昨日はミーナに散々絞られたからね。この程度じゃ全然影響は無いよ。それに彼女の裸は以前に捕虜の時に見ているよ>


「説明したでしょう。LCLを肺に入れるのよ。普通の服を着たまま乗れば、服についている細菌が肺に入るのよ。

 それを防ぐ為に全身消毒が必要なのよ。本来、パイロットはプラグスーツを着れば良いけど高価なの!

 だから水着で代用しているの。分かった!?」


 まだ説明して欲しいのかと視線に苛立ちの感情を込めて、リツコが画面のミサトを睨みつけた。

 リツコが今説明した事は事前にミサトに説明してある。何度も同じ事を聞くなと言いたくもなる。


『わ、分かってるわよ』


 リツコの剣幕に、ミサトは声の音量を落とした。だが、不満げな表情はそのままだ。

 ミサトも女だ。海辺ならともかく、こんな所で水着姿を晒したくは無いと思っている。

 そんな二人の会話はシンジの耳に当然入った。ミサトとリツコに初号機に乗れと強く迫られた事をふと思い出した。

 丁度いい意趣返しが出来るタイミングだと考えて、以前にミーナと話した話題を切り出した。


「赤木博士、プラグスーツというのは、レイが着ていたあの白い服の事ですか?」

「そうよ。プラグスーツ一着で高級車が新車で買えるのよ。だから今回は水着で代用よ」

「じゃあ、ボクのポケットマネーで二人のプラグスーツをプレゼントしますよ。一人三着ぐらいは構いません。

 それをネルフでの制服にして下さい。料金は請求して頂ければ、直ぐに振り込みますよ。前払いでも構いませんよ」

「えっ!?」 『えっ!?』


 リツコとミサトの声が同時に響いた。一瞬、何を言われているのか分からなかったが、理解するにつれて顔色が徐々に変わった。

 二人の顔色の変化を楽しみなら、悪趣味かなと思いつつ、二人に事情を説明した。あくまで善意のプレゼントだと言い張ってだ。


「レイにはプラグスーツを着せていたじゃないですか。二人用のプラグスーツを、ボクからプレゼントすると言ってるんです。

 三着あれば日常業務でも制服として着れるでしょう。小切手で払いますよ。幾らですか?

 結構な額の臨時収入がありましたのでね。ボクの好意ですから、気にせず受け取って下さい」


 シンジはゲンドウを一瞥して、平然とした顔でリツコとミサトに自分からのプレゼントだと伝えた。

 ミサトは自分がプラグスーツを着た時の事を想像した。レイのプラグスーツは何度も見ている。

 まだレイは成長途中ではあったが、それなりに起伏があり、はっきりとボディラインが見えていた。

 自分がそんな服を着て、日常業務を行う事を想像する……


 リツコは内心で舌打ちしていた。プラグスーツは機能優先で作られており、プライバシー保護など考慮していない。

 特にゲンドウの指示があった訳では無く、効率重視でリツコが作ったものだ。着る人間の気持ちなどこれっぽっちも考えていない。

 それをシンジは知っていて、敢えて言ってきた。自分達、いや自分をからかう為に。

 リツコのシンジを見る視線に苛立ちが含まれていた。


 ゲンドウはいつもの制服のままだ。搭乗直前に水着に着替える予定である。

 サングラスをしており、その心の中は伺えない。

 某金髪黒眉の博士がプラグスーツを着た時の姿を脳内に描いたかどうかは、本人のみが知っている。


 冬月も制服のままだ。理由はゲンドウと一緒だ。少し顔が赤い。どんな想像をしたかは、推測するしか無いだろう。

 しかし、まだ現役なのだろうか?


 日向はレイのプラグスーツ姿を何回か見ている。その時は、目のやり場に困った記憶はある。

 その服をあのミサトが着る。脳内妄想でそれを思い描いた。

 オペレート席に座っているので、体の一部(下半身)に変化(体積増加)があった事は誰にも見られていない。


 青葉はリツコとミサトに特に思い入れは無い。

 無いが、それでも妙齢の女性がプラグスーツを着る事を想像した時、顔の筋肉が緩んでしまった。


 日向と青葉の顔を、横目で確認したマヤは、不機嫌な顔をして小声で”不潔”と呟いた。

 そして、リツコがプラグスーツを着た姿を想像する。良いかもしれない……写真を撮らなくちゃと考えていた。


 そんな各人の想像(妄想?)はミサトの抗議で中断された。


『そ、そんな、あれを着ろって、それってセクハラよ!! 分かってるの!!』

「セクハラ? プラグスーツを着せる事がセクハラなら、ネルフはレイにセクハラを強要していた事を認めますね?

 洗脳していたから、どう使おうと自由だと思っていたと言う事ですよね」


 ミサトの抗議にシンジは皮肉で返した。周囲は一瞬で沈黙した。此処にいる全員がリツコの自白シーンを見ていたのだ。

 ネルフがこれに関して一切の抗議は出来ないとシンジは見通している。そしてシンジは強権を使おうかと止めを刺した。


「プレゼントしましょうかと、善意で言った事を誤解されても困りますよ。それとも強制条件として、追加しましょうか?」

「御願い!! それは止めて!!」


 リツコは顔色を変えてシンジに懇願した。シンジは追加の条件を出せる立場に居る。

 そして、シンジの要求を今のネルフでは断れない。

 プラグスーツを着て通常業務を行うなど、恥晒し以外の何物でも無い。自分に露出癖は無いとリツコは心の中で叫んでいた。


「では、二人のこれからの態度次第という事で保留にしますよ。実験を進めて下さい」


 ニヤリという音が聞こえてきそうな顔で、シンジはリツコを見た。(内心は、良いからかいネタが出来たと思っている)

 別に本気で言い出した事では無いが、二人に釘を刺せたと判断したシンジはこれ以上の追及を止めた。


「そ、そうね。実験を始めるわよ。ミサト、いいわね」


 リツコはシンジから慌てて視線を逸らして、実験開始を宣言した。プラグスーツの話題から逃げたかった為だ。

 ミサトも同じ気持ちである。慌てながらも直ぐに同意していた。


『も、もちろんよ』


 リツコの指示の元、各オペレータが操作に入った。


「エントリープラグ挿入」

「プラグ固定終了」

「第一次接触開始」

「LCL注入」


 ミサトの足元から赤い水が上がってきた。リツコの説明で、LCLを吸い込んで肺に入れると言われた。

 確かに言われたが、人間は液体の中で呼吸するようには出来ていない。溺死をしないように、本能が拒否してしまう。

 もっとも席に固定されているので、逃げようとしても逃げられないが。


『リ、リツコ、LCLが上がってくるわよ。本当に大丈夫なんでしょうね?』


 画面のミサトが、顔を強張らせながら聞いてきた。

 体を捩って、出来るだけLCLの吸い込みを遅らそうと、見苦しく足掻いている。まあ人間の本能だし、仕方の無い事だ。


「呆れた。ちゃんと聞いていたの? 大丈夫よ。信じなさい!」


 液面が口を越えても口を閉じ、必死に我慢していたが息が続かなくなり、とうとうミサトは口を開けてLCLを吸い込んだ。


『血の味がするわよ。気持ち悪い』


 ミサトは顔を顰めながら、リツコを恨めしそうに見つめた。だが、そんなミサトにリツコは苛立ちを感じていた。


「いい大人が何を言っているの? 我慢しなさい!」


 リツコの叱責が響いた。ここでミサトが苦情を言う事は、シンジがネルフを責める口実を与える事になる。

 ネルフの大人が苦情を言うようなシステムを、シンジに強制しようとしたのかと責められる可能性があるのだ。

 声に出して注意も出来ず、ミサトを叱責する事で誤魔化すしか無かった。


「主電源接続開始」

「全回路動力伝達」

「第2次コンタクト開始」

「思考形態は日本語を基礎原則としてフィックス!」

「A10神経接続、異常無し!」

「初期コンタクト全て異常なし」

「双方向回線開きます」

「パイロット接合に入ります」

「システムフェイズ2、スタート」

「絶対境界線まで、あと0.9……0.8……0.7……0.6……」

「……0.2……0.1……シンクロ率――4.3%です。駄目です。起動レベルに達しません」


 予め、予想はしていた。ミサトが初号機を起動出来なかった事で、誰も動揺はしなかった。

 むしろ、起動出来た方が驚きがあったろう。


「ミサト。初号機は起動出来なかったわ。エントリープラグを排出するから、シャワーでLCLを落として」


 リツコの指示が飛んだ。次は自分の番だ。

***********************************

「マヤ。次は私が乗るから、オペレートを宜しくね」

「はい、先輩。任して下さい」


 マヤが元気な声で答えた。リツコは管制室を出て、格納庫に向かった。

 格納庫に向かっている途中、リツコは考えていた。


(どうせ、私がシンクロしないのは分かりきっているけど、ミサトみたいな無様な真似は出来ないわね。

 私がLCLの吸引を戸惑ったら、あの子は絶対に突っ込んでくるわ。意地でも耐えてみせるわ)


 リツコはシンジの性格をある程度は読んでいた。嫌われている自分達に、機会があれば嫌がらせをしてくるだろう。

 そのシンジに自分達の隙を見せる訳にはいかないと考えていた。

 リツコは格納庫に着くと白衣を脱ぎ、全身の消毒を行ってエントリープラグに乗り込んだ。


「先輩、宜しいですか?」


 リツコがエントリープラグに乗り込んだ事を確認し、マヤがリツコに確認した。

 白のワンピースの水着だ。ミサトほどの威力は無いが、十分に女性の魅力を醸し出していた。

 何故か、リツコを見るマヤの頬が薄っすらと赤くなっているのは、誰も気がついていない。

 ちなみに、リツコの水着姿を密かに録画しているのは、マヤだけの秘密だ。


『ええ、大丈夫よ。やってちょうだい』


「エントリープラグ挿入」

「プラグ固定終了」

「第一次接触開始」

「LCL注入」


 リツコの足元からLCLが上がってきた。リツコは、これが使徒の血だと知っている。

 それもあるが、LCLが自分の体にかかった時、確かに嫌悪感と恐怖感を感じた。

 リツコはメンテナンスの為に、通常業務でLCLの中を潜っている。だが、肺にLCLを入れた事は無い。

 そして今は身体を固定され、強制されてLCLを肺に入れなければならない。

 ロジックでは無い。本能が液体を怖がっているのだ。それを痛感していた。だが、必死になって、それを抑えた。

 シンジに無様な姿は見せないと誓ったではないか。ここで自分が戸惑ったら絶対にシンジは突っ込んでくると思っている。

 画面のリツコが必死に我慢しているのを、シンジは冷静に見ていた。そして、オペレート中のマヤの側に行った。


「伊吹三尉でしたっけ、このボタンは何ですか?」


 ガラスで覆われて不用意に押されないようになっているボタンを、シンジは指で指した。


「そ、それは自爆SWです!! 絶対に押さないで下さい!!」


 マヤはシンジが何気なく聞いてきたボタンを見て、血相を変えてシンジに注意した。

 ここでそんなものを押されては、ネルフの本部が壊滅するかも知れないのだ。絶対にシンジに押させる訳にはいかなかった。


「えっ、リモート操作であのEVAの自爆操作が出来るんですか? 試してみましょうか?」


 シンジの視線は画面のリツコに向いている。LCLの水位はリツコの口に達していた。

 無様なまねはするまいと必死になって平然を装っていたが、管制室のシンジとマヤの会話を聞いて慌てていた。


「ちょっ、ちょっとSWは絶対押さないでね。マヤ、たの…ん…………△□×○▼◎!!」(苦)


 リツコが話している最中に、LCLがリツコの口の中に入ってきた。

 シンジに気をとられていたので、LCLを吸い込む時にむせてしまった。


(くーーー。あの子は絶対狙ったわね。良いタイミングで自爆SWの方に気を取らせるなんて!!)

 リツコは恨めしげにシンジを睨んだ。だが、シンジは気にしていない。LCLにむせたリツコをからかう気は無かった。


「主電源接続開始」

「全回路動力伝達」

「第2次コンタクト開始」

「思考形態は日本語を基礎原則としてフィックス!」

「A10神経接続、異常無し!」

「初期コンタクト全て異常なし」

「双方向回線開きます」

「パイロット接合に入ります」

「システムフェイズ2、スタート」

「絶対境界線まで、あと0.9……0.8……0.7……0.6……」

「……0.2……0.1……シンクロ率――2.6%です。起動レベルに達しません」


 リツコが起動レベルに達しないのは当然だ。リツコは初号機の中に居る存在を嫌悪しているのだから。

 シンジが自爆SWを押さないでいてくれた事に安堵したマヤは、エントリープラグの排出を行った。

 次は冬月の番だ。予定より、時間がオーバーしている。それに気がついたオペレータの作業速度が少しはあがった。

***********************************

「副司令。準備は宜しいですか?」


 冬月も水着でエントリープラグに乗っていた。

 だが、冬月の水着など見たくは無いので、エントリープラグの映像を切って音声のみ出すように、シンジは指示していた。

 マヤも同じ気持ちなのか、直ぐにシンジの指示に従った。従って、管制室の画面には何も映ってはいない。


『ああ、大丈夫だ。やってくれ』


 冬月は内心では、何故自分がこんな事をしているのかと疑問に思っていた。こんな事は若い者がやるべきでは無いか。

 まあ、愚痴である。LCLが使徒の血である事も当然知っている。それは分かっていたが、仕方の無い事だと割り切っていた。

 そして冬月は初号機の中のユイと、もしかしたらシンクロ出来るのではないかと考えていた。

 自分はユイの恩師である。ユイが自分の事を認識してくれれば、或いは……。

 万が一でも冬月が初号機とシンクロしたら大問題になる。だが、今の冬月は胸に僅かな期待を抱いていた。


「エントリープラグ挿入」

「プラグ固定終了」

「第一次接触開始」

「LCL注入」


 エントリープラグの映像を切ってあるので、LCLの水位はメータで確認するしか無い。

 水位がある程度上がった時に、冬月の苦しそうな声がスピーカから流れてきたが、誰も突っ込む人間は居なかった。


「主電源接続開始」

「全回路動力伝達」

「第2次コンタクト開始」

「思考形態は日本語を基礎原則としてフィックス!」

「A10神経接続、異常無し!」

「初期コンタクト全て異常なし」

「双方向回線開きます」

「パイロット接合に入ります」

「システムフェイズ2、スタート」

「絶対境界線まで、あと0.9……0.8……0.7……0.6……」

「……0.2……0.1……シンクロ率――3.2%です。起動レベルに達しません」


 まあ、誰もが予想していた事だろう。冬月にシンクロ試験を強要したのは、嫌がらせの為だから。

 それとネルフが開発したシステムが、どんなものかをネルフの幹部連中に理解させる為である。

 冬月本人は初号機の中のユイを感じられずに、内心では落胆していた。

***********************************

 最後は六分儀ゲンドウである。冬月同様に水着姿など見たく無いので、エントリープラグの映像は切ってある。

 某金髪黒眉の博士がエントリープラグの映像を秘かに録画していた事は、本人以外は知らない事だ。


「司令。宜しいですか?」

 戻って来ていたリツコが、ゲンドウに確認した。

「ふっ。問題無い」


 ゲンドウは冬月以上に自分が初号機のユイとシンクロできるのはないかと、内心で期待していた。

 何せ夫婦である。自分はユイを愛しているし、ユイも自分を愛しているはずだ。

 ゲンドウがシンクロした場合は、かなりの大問題に発展するだろうが、今のゲンドウは後の事は考えていなかった。

 単純にユイとの絆を確認出来るのでは無いかと、胸を弾ませていた。(ここら辺がユイから可愛いと言われた所以だろうか?)

 ちなみに、サングラスはかけたままだ。眼鏡とは意外と汚れるものだ。サングラスの清掃はしたのだろうか?


「エントリープラグ挿入」

「プラグ固定終了」

「第一次接触開始」

「LCL注入」


 LCL水位が十分上がった時、苦しそうな声がスピーカから流れたが、誰一人として突っ込む人間は居なかった。

 その声を聞いたシンジは、実験を真剣に確認しているリツコに質問した。


「赤木博士。このレベルSWは何ですか?」


 シンジが指差したSWを見て、顔色を変えた。何故シンジがそのSWに気がついたかは分からないが、下手に触れるとゲンドウの

 生死に関わってくるのだ。リツコは内心では用心しながらも、正直にシンジに答えた。


「そ、そのSWはLCLの濃度変更のSWよ。触らないで!!」

「上下出来ますけど、仮に下げたらどうなります?」

「LCLの酸素濃度が下がるから、酸欠状態になるわよ」


 それを聞いて、シンジはLCLの濃度を下げる操作を行った。咄嗟の事でリツコが制止する間も無かった。


「きゃああ。何てことするの!」


 リツコはシンジを押しのけてLCL濃度を元に戻そうとしたが、シンジが邪魔をした。

 シンジは慌てるリツコを冷静に見ていた。仮に酸素濃度が下がっても、直ぐに人間が死ぬ訳では無い。若干の余裕はある。


「赤木博士。今回の実験はEVAへの搭乗が安全かどうかを確認する為ですよ。

 さすがに自爆SWは押しませんでしたが、こんな操作が出来るなんて危険じゃ無いんですか?」

「いいから、早くそこを退いて!!」


 やっとシンジが退いたのでリツコは慌ててLCL濃度を元に戻し、ゲンドウの容態を確認した。

 脈はある。だが測定機器の表示しているデータでは、ゲンドウは気絶していた。

 リツコは安堵して、マヤに実験中止を指示した。


「マヤ。実験は中止。エントリープラグを排出して、司令を回収するようにレスキュー隊に指示して」


 そして、怒りを浮かべて危険な操作をしたシンジを詰問した。

 危険な操作をしたシンジを本気で怒っているのだ。このままシンジを無罪放免にする気は無かった。


「シンジ君。あなたはどれほど危険な操作をしたか分かっているの? 一つ間違えば、司令は酸欠で亡くなっていたのよ!!

 どう責任を取るつもりなの!?」

「自爆SWもそうですが、そんな危険な操作が出来る事を前もって、こちらに伝えましたか?

 今回の試験は、ボクがEVAに安全に乗れるかの確認試験なんですよ。

 十年前と同じ事故が起きない事の確認だけで無く、その他の危険性の確認も含まれます。分かっているんですか?」


 シンジはリツコの怒りなど我関せずとばかりに、平然と試験の目的を指摘した。

 この搭乗試験はシンジの乗る前の安全確認だ。決してEVAに吸い込まれないだけの確認では無い。

 それを指摘されたリツコの追及の手は鈍ってしまった。


「そ、それは、確かに言って無いけど……」

「ボクがエントリープラグに乗っている時に、こんな操作をされないという保証は無いでしょう。

 だから危険な操作を確認しただけですよ」

「わ、私はそんな事しません!!」


 マヤが顔を赤く染めて、シンジに抗議した。だが、シンジはそんなマヤを鼻で笑った。

 如何に個人単位で善良であっても、組織の上からの命令に反抗するには覚悟が居る。マヤにその覚悟があるとは見えなかった。


「司令の命令で、パイロットを洗脳したり道具扱いする組織ですからね。個人個人が信用しろと言っても、信用出来ませんよ。

 違うと言うなら、あなたは司令や赤木博士の理不尽な命令には逆らえると断言する訳ですか?」

「えっ。司令の命令に逆らう?」


 シンジの質問を聞いたマヤの顔から怒りが消えて、戸惑いの表情になった。

 司令が自分に命令を出してきた場合、理不尽な命令を断る事が出来るだろうか?

 自問自答した。あの司令の命令………あの顔で命令………あの顔………駄目だ。拒否出来ない。


「上官の命令は絶対。これが軍組織の基本です。でなければ、軍の規律が守れない。

 だからこそ、軍の上官には人格、知識、経験が求められるのに、ネルフの司令にはそれが無い。

 だからネルフを信用しないんです。分かりますか。

 個人個人の資質はともかく、理不尽な命令を平気で出すTOPがいる組織自体が信用出来ないと言ってるんです」


 黙り込んだマヤを見ながら、シンジは真剣な表情で説明した。今言った事が、ネルフを信用していない根本の理由である。

 個人の資質は関係無い。組織上の制約で、下が上に逆らう事は基本的には出来ないのだ。それが軍の組織なら尚更である。


 ゲンドウを気絶させられシンジに怒りを感じていたリツコだったが、シンジの切り替えしに困惑していた。

 そのシンジの言葉を聞いて、ゲンドウがいる限りネルフ全体を信用しないであろう事を理解した。

 それは、個人レベルが善良であっても組織の中では無意味だとシンジは言っている。確かにそうだろう。

 そうなら、シンジが自分達を信用する事は無いのか? そんな方向にリツコの思考は向かっていた。

***********************************

「次はボクの番ですね。赤木博士。あのLCLは消毒してあるんでしょうね?」

「えっ、ええ、大丈夫よ。煮沸消毒してあるから、前の搭乗者が病気を持っていても大丈夫よ」

「あの司令が何らかの病気持ちだったら、煮沸消毒ぐらいでは、菌は死なないと思いますよ」

「…………」


 リツコはジト目でシンジを睨んだ。いくら何でも言い過ぎだろうと思ったのだが、口に出しての抗議はしない。


「念の為に持ってきた酸素マスクを使用します。これなら一時間は持つし、病原菌を体内に入れずに済みますからね」


 そう言って、水中ゴーグルと小型の酸素マスク(固形酸素供給タイプ)を取り出した。


「ちょっ、ちょっと勝手な事はしないでちょうだい。そんな物をつけたら、シンクロに影響が出るかも知れないわ」

「自爆SWと操縦者を酸素欠乏させる機構がついていますから、何らかの薬品があの液体に混入している可能性もあります。

 中毒になるような薬品が、ボタン一つであの赤い液体に混入されるかも知れない。

 そう言った可能性がある以上、そしてあの機体を完全にこちらが解析するまで、こう言った注意は怠りませんよ」


 そう言って、オペレータが自爆SWに手を伸ばしたらその時点で射殺するように、護衛の駐在武官に指示を出した。

 マヤは真っ青になって聞いていた。マヤはリツコを見たが、リツコはシンジを唖然とした顔で見ていた。

 そう、ここまで自分達が信用されていないのかと悟り、愕然としていたのだ。

 シンジはリツコの、いやネルフの話す事を最初から信じていない。

 LCLに薬品を混入など、リツコは考えた事は無かった。だが、シンジは警戒した。

 この先大丈夫だろうかと、不安に思うリツコであった。


 シンジは予め着こんでいた水着になり、水中ゴーグルと酸素マスクを付けてエントリープラグに乗っていた。

 マヤは自分の後ろに銃を構えて立つ武官を気にしながら、リツコの指示を待っていた。

 画面にはシンジの映像が映っていた。短パンの水着なので、上半身は裸だ。

 シンジは左手首にリストバンドをしていた。本来ならリストバンドを外させるのだが、シンジは酸素マスクをしている。

 肺にLCLを入れないのであれば、些事に拘る事も無いだろうとリツコは自分を納得させた。

 シンジを眺めていると、リツコはシンジの左腕にかなりの重傷だったと思われる傷跡を見つけた。


「……左腕の傷跡はどうしたの? かなりの重傷だったはずだけど」

『ネルフの司令に、十年前に左目を潰された時にやられた傷跡ですよ。危うく左手が使えなくなる寸前でしたけどね。

 それより準備は良いですよ』

「……わかったわ。マヤ始めて」


 ゲンドウに十年前に負わされた怪我。左目も失明だと言っていた。ゲンドウの意識は回復したと連絡は入っていた。

 そして医務室に実験状況を中継しろと言われている。ゲンドウは今のシンジの言葉を聞いているのだろうか?

 いや、今は実験が先だ。そう考えてリツコは実験開始をマヤに指示した。


「はい。先輩」


「エントリープラグ挿入」

「プラグ固定終了」

「第一次接触開始」

「LCL注入」


 その時、冬月とミサトが管制室に戻ってきた。二人ともシャワーを浴びたが血の臭いが中々消えず、時間がかかっていた。

 ミサトの目に、エントリープラグに乗っているシンジの映像が入ってきた。


「何で、シンジ君は酸素マスクをしているの!? ずるいじゃ無い!!」


 自分はLCLを肺に入れて、臭いが中々落ちないで苦労して来たのに、画面のシンジは酸素マスクをしている。

 まあ、シンジとリツコ、マヤの言い争いを聞いていなければ、納得いく文句だったろうが。


「ミサト。今は重要なところなの静かにして!!」


 リツコの眼光に押されて、ミサトは黙った。マヤに銃を突きつけている武官も気になったが、リツコが黙れと目で言っている。

 ミサトは経緯は分からなかったが、とにかく実験を見守る事にした。

 LCLが規定量注入され、次のシーケンスへ移行した。


「主電源接続開始」

「全回路動力伝達」

「第2次コンタクト開始」

「思考形態は日本語を基礎原則としてフィックス!」

「A10神経接続、異常無し!」

「初期コンタクト全て異常なし」

「双方向回線開きます」

「パイロット接合に入ります」

「システムフェイズ2、スタート」

「絶対境界線まで、あと0.9……0.8……0.7……0.6……」






To be continued...
(2009.02.14 初版)
(2009.02.21 改訂一版)
(2009.03.21 改訂二版)
(2011.02.26 改訂三版)
(2012.06.23 改訂四版)


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