第十四話
presented by えっくん様
先程まで実験場にいたネルフのメンバーは、全員が本発令所に戻っていた。
セレナも特別監査官という事で、本発令所の隅の席にオブザーバーとして座っている。
画面には青い色をした八面体が空中に浮かんでいた。今までは曲がりなりにも生物の形を取っていたが、今回は全然違った。
表面はクリスタルのような光沢を放ち、とても生物とは思えなかった。
これで使徒の来襲は三体目だ。だが、前回と前々回とは使徒周辺の状況は違っていた。
「何で、戦自は攻撃をしないの?」
リツコはモニタを見ながら、不思議そうに呟いた。
今までは、使徒が来た時は戦自の迎撃が必ずあったのだが、今回は使徒の周辺は静さに包まれている。
使徒は攻撃を受ける事無く、静かに侵攻してきた。
「どうせ使徒に攻撃が通用しないと、やっと分かったんでしょ。構わないわ!」
「待って下さい。第二発令所の不知火准将から国連軍に出撃依頼が出され、既に航空機が発進したようです」
「何ですって! 戦自じゃ無くて国連軍が動いたの!?」
「はい。この一ヶ月の間に、日本の国連軍は急速に新型兵器を配備しています。
北欧連合の最新鋭機『ワルキューレ』も配備されました。戦闘機で初めて粒子砲を装備した機体です。
おそらく、それが出てくるでしょう」
「『ワルキューレ』か……」
二年前、派遣された南欧国連軍で中東のA王国の首都を包囲している時、圧倒的優勢だった航空兵力をたった十二機の
『ワルキューレ』で殲滅された事が思い出された。あれは粒子砲を戦術レベルで有効に使ったが故の戦果だった。
その後はミサトは捕虜になり、屈辱の日々を過ごした。シンジには恥かしい姿も見られている。そして捕虜返還後の事も……
使徒を目の前にしているが、何故かそれらの嫌な過去がミサトの脳裏に蘇ってきた。
心の底から湧き上がってくるドス黒い感情を抑えようとするが、どうしても抑えきれない。
ミサトは頭を強く横に振って画面の使徒を強く睨みつけると、日向に指示を出した。だが……
「日向君、第二発令所に繋いで! 作戦を伝えるわ」
「第二発令所からは”ネルフの作戦は必要無し。我々だけで戦闘を行う。戦闘妨害した場合は射殺する”と返事がありました。
ネルフは地上のビルを収納後は待機しろと言われて、通信が切られました。
現在、第二発令所には繋がりません。内線電話も着信拒否されています」
「何ですって!?」
使徒の情報を持っているが故に、ネルフに作戦立案の権限を残していた。
だが、前回の使徒戦では作戦と呼べる物は無く、作戦の邪魔をしただけだ。
従って不知火はネルフを見限って、国連軍と北欧連合だけで戦闘を行うつもりだった。
地上部隊の展開は距離の関係で間に合わないが、航空戦力なら新百里からの援護が可能だ。兵装ビルも使わないつもりだ。
だが、ミサトにとっては承服しがたい状況だ。何としても自分の指揮で使徒を倒したいと考えているミサトにとって、
不知火の処置をそのまま黙って見過ごす訳にはいかない。何か手は無いのか? ミサトは不知火の隙を探し始めた。
それがどんな結果を齎すかを予想すらせずに…………湧き上がってくるドス黒い感情に身を任せて。
「初号機は発進出来るの!?」
「駄目です。初号機の制御もですが初号機の射出システムの制御も、今は第二発令所でしか出来ません。
それにロックフォード少佐は、まだ実験室で零号機の調整作業中で搭乗していません!」
「まだ搭乗していないの!? 使徒が来ているのに、何を考えているのよ! ……零号機はレイが乗っているのよね」
「はい、そうですが」
「じゃあ、零号機を発進させるわよ」
「だ、駄目です。確かに実験場の射出システムは、ここから制御出来ますが、零号機はまだ調整中です。
戦闘に耐えられるとは思えません」
日向はシンジから言われた事を思いだした。(理不尽な命令に逆らえますか? 実績を見せて下さい)
ゲンドウと冬月は、ミサトの行動に内心では期待していた。
ここで零号機を無理やり射出すれば、零号機が破壊される可能性が高い。レイを三人目に出来るかも知れない。
狙撃でレイを暗殺しては、シンジは必ず噛み付いてくるだろうが、使徒に倒させるのであれば文句は言えないだろう。
そういう考えから、ミサトを止める事は出来たのだが、二人は制止の命令を出す事は無かった。
次の使徒戦からはセカンドが中心になり、レイとシンジは補助に成り下がる。今回がチャンスだと思ったのだ。
零号機が破壊されればシンジがどう対応するか分かりそうなものだが、ゲンドウと冬月は目先の利益を優先した。
「そうよ、葛城三尉。零号機の装甲板はまだ不完全なのよ。今回、起動実験を行う事を優先したから、調整も不十分だわ!」
だが、リツコの声はミサトに届いていなかった。不知火から戦闘妨害をすれば射殺すると言われた事も忘れていた。
使徒を目の前にして血が上り、ドス黒い感情を抑える事が出来ずに冷静さを失っていた。
ミサトは日向に近づき、日向の顔を至近距離で見つめる。
あと数センチ接近すれば、キス出来るだろう。日向はミサトの顔を至近距離で見て、心臓の鼓動が上がった。
「日向君! 零号機発進!!」
「は、はい!」
ミサトの迫力に負けたのか、色香に惑わされたのかは、日向本人だけが知っていた。
そして日向はミサトの命令に従い、調整中の零号機を発進させてしまったのだった。
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『きゃああああああ』
実験場で零号機に搭乗していたレイは、いきなり射出されて身体にかかる加速度に悲鳴を上げた。
「レイ!!」
シンジは瞬時に状況を悟った。
初号機は射出システムごと第二発令所からでしか制御出来ないようにしたが、実験場の射出システムはまだ本発令所の管理だ。
まさか調整が終わっていない零号機を、警告無しに出すとは予想もしていなかった。慌てて第二発令所に連絡を入れた。
「准将、零号機が射出されました。本発令所の馬鹿どもを拘束して下さい。それとレイのフォローを御願いします」
『何だと!? 分かった!』
第二発令所の不知火に状況を連絡したシンジは、使徒と零号機の状況の確認に入った。
左目が赤く輝いて日本上空の【ウルドの弓】にアクセスを開始した。使徒の状況を衛星軌道から確認する。
エネルギー反応だと? 円周部を加速? 加速器か!? 拙い!!
(バッテリィシステムに残っているエネルギーだけで良い。使徒に粒子砲の緊急砲撃。撃て!!)
核融合炉の出力は急には上がらない。だから、バッテリィシステムの残エネルギーでの砲撃を指示した。
粒子砲の出力より射撃速度の方が優先だ。今は零号機への攻撃を阻止する事が重要なのだ。
シンジの命令を受けて、日本上空の【ウルドの弓】は粒子砲の照準を使徒に合わせて、緊急砲撃を行った。
衛星軌道から地表目掛けて、一条の光の線が延びていった。
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本発令所は騒然としていた。ミサトがまたしても越権行為で、零号機の射出を命令してしまったのだ。前回に続いて二回目だ。
ゲンドウと冬月は平然としていたが、リツコ、青葉、マヤは慌てて零号機の確認作業に入った。
セレナは席に座りながらも眉を顰めていた。
前回、ミサトが越権行為で重営倉に入れられた事は知っている。
二度としないと誓約書をゲンドウ以下の連名で提出したのに、また同じ事をしたのだ。
制止しなかったゲンドウらを見る視線は厳しい。だが、マヤの報告にセレナの考えは中断された。
「目標内部に高エネルギー反応!」
「なんですって!?」
「円周部を加速! 収束していきます!」
「……まさか!?」
リツコは使徒の兵器に思い当たった。だが、対策を立てる時間が無い。
そして何も対策を打てぬまま、零号機が地上に現れた。
次の瞬間、使徒の八面体の側面から、一条の光が零号機に向けて放たれた。
ミサトは初めて使徒の攻撃が零号機に向かっていると認識した。顔色が一瞬にして変わった。そして叫んだ。
「駄目っ! 避けてっ!!」
ミサトは絶叫した。叫ぶ事しか出来ない。いや、しなかった。
拘束具を解除する事も指示せずに、ただ叫んだだけだった。
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「きゃああああああ」
いきなり身体を襲った加速度に、レイは悲鳴をあげた。不意をつかれたので、射出の加速度に耐えられる姿勢では無かった。
射出システムは何度か使用している。だが、今まで不意をつかれて射出された事は無い。
レイは不安定な体勢のまま、必死に加速度に耐えた。
「くっ」
急激に制動がかかり、零号機は停止した。
射出の加速度が無くなった事にほっとして正面モニタを見ると、光が零号機に近づいてくる。
『駄目っ! 避けてっ!!』
エントリープラグにミサトの声が響いた。
レイは焦って零号機を動かそうとしたが、拘束具は解除されていない。
モニタに映る光は、その大きさをどんどん増している。だが、零号機は動かせない。
レイは逃げられない事を悟った。
(お兄ちゃん、あたしが三人目になっても、家族と言ってくれる? 可愛がってくれる? お姉ちゃん、ミーシャ、ごめんね)
レイの目から一滴の涙が零れた。レイの脳裏を過ぎったのは、家族と呼んでくれた三人との思い出だった。
今まで生きた時間からすれば短い時間だ。だが、レイの心を占めているのは、その短い時間の思い出だけだった。
既に、モニタの大部分が光で埋め尽くされている。
「……お兄ちゃん」
最後にレイは小声で呟いた。そして、最後の時を迎えるつもりだった。
零号機に乗った事に後悔は無かった。だが、三人目になったらシンジ達三人との記憶が失われる。それだけが心残りだった。
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第二発令所も大騒ぎになっていた。
新百里から発進した航空機と交信中にシンジからの緊急通信が入り、零号機が無断射出されたのが分かった為だ。
「くっ、使徒の状態はどうだ?」
本発令所の馬鹿の始末は後だ。今は零号機の対応が先だと判断して、オペレータのミーナに確認をとった。
「目標にエネルギー反応、円周部を加速中? ビーム兵器です。零号機が危険です!! レイ!!」
零号機の危機を察したミーナが叫んだ。だが、何も出来ない。間に合わない。
今のミーナに出来る事は、大型モニタの左側に映る零号機と右側に映る使徒を二つの目で見ているだけだ。
ミーナの脳裏にレイとの思い出が過ぎった。
レイとのお喋り、レイと一緒に食事、レイと一緒に寝た事など、今までの記憶が思い出されていた。
ミーナにしてみれば、新しく出来た妹だったのだ。
使徒から放たれた光が零号機に当たると思われる寸前に、異変は起きた。
零号機の後方から伸びてきた三つの細い光は、螺旋を描いて一条の太い光になり、使徒から放たれた光に干渉した。
干渉の結果、使徒から放たれた光は、零号機から逸れていった。
同時に、画面の右側に映っている使徒の上部に、天空からの光が降り注いだ。
使徒は横から光を放っている状態だった。その状態の使徒を、真上からの光が貫いた。使徒の一部が爆発した。
第二発令所に軽い振動が走った。使徒を貫いた光の余波だ。天空からの光が、ジオフロントの上部装甲板を直撃したのだ。
画面の使徒に損傷が確認された。
既に使徒からは、粒子砲は放たれていない。だが、使徒の粒子砲の発射機構を破壊したのか、微妙なところだ。
零号機の後方から放たれた三つの光の正体は分かっている。
さっきまで交信をしていた新百里からの航空機に乗っている三人によるものだ。
「神田、栗原、風間、助かった。ありがとう」
不知火は三人のパイロットに礼を言った。
零号機の後方からの三条の光は、三機の『ワルキューレ』から放たれた粒子砲だった。
『いやー、軽いもんですよ!』
『神田、調子に乗るな。まだ敵は健在だ』
『准将、早く敵に攻撃を』
次の瞬間、使徒の真上から再度発射された粒子砲の光が降り注いだが、使徒のATフィールドで防御されてしまった。
それを見た不知火は、仕切り直しをする事を決断した。その時にシンジの声がスピーカから流れてきた。
『本発令所に命令する。すぐに零号機を回収しろ。命令に従わない場合は、厳重な処罰を行う!!』
実験場にいるシンジが、緊急放送を行ったのだ。
零号機が無事助かったとはいえ、レイを危険な目に会わせてくれたのはネルフだ。
シンジの声が異様に冷たいのが分かる。ミーナも一瞬身震いしたほどだ。
『早く零号機を回収しろ!! これ以上遅れると、本発令所の全員の命は無いものと思え!!』
シンジの怒声が二つの発令所に響き渡った。
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本発令所は混乱していた。
零号機に当たると思った使徒から放たれた光が、零号機の後方から伸びてきた光と干渉して逸れた。
次に、使徒の真上から別の光が降りそそぎ、使徒に損傷を与えた。
混乱する中、シンジの声が発令所に響き渡った。
『本発令所に命令する。すぐに零号機を回収しろ。命令に従わない場合は、厳重な処罰を行う!!』
「何ですって! 零号機の回収の必要は無いわ。このまま出撃よ。使徒が損傷している今がチャンスよ!
日向君、零号機の拘束具を解除。レイ、出撃よ!!」
今がチャンスとばかりに、ミサトは零号機に出撃を命令した。
ミサトの目には暗い光が篭っていて、ドス黒い感情に身を任せたまま、シンジの剣幕に気付きさえしない。
だがミサトを密かに思っている日向でさえ、ミサトの命令に従わずに唖然とミサトを見つめていた。
他の発令所の職員も同じだ。(ゲンドウと冬月は除く)
国連軍の『ワルキューレ』三機の機転で、零号機の危機は回避された。
そして使徒の真上から攻撃した兵器、あれが北欧連合の誇る軍事衛星【ウルドの弓】だろう。
ネルフは零号機の危機に対して、何もしていない。零号機を勝手に射出し、勝手に使徒の攻撃の前に晒しただけだ。
少し考えれば、パイロットの精神状態が酷い事は分かるだろう。だが、ミサトはこの状態での零号機の出撃を命令した。
勝手に零号機を射出して使徒の標的にさせ、無事と分かればパイロットの事など考えずに命令だ。
ゲンドウと冬月を除く職員は、呆気に取られた顔でミサトを見つめていた。
『早く零号機を回収しろ!! これ以上遅れると、本発令所の全員の命は無いものと思え!!』
本発令所の職員が呆気に取られる中、シンジの二度目の怒声が響いてきた。
シンジの使っている緊急放送が、一方通行であった事は幸いだったろう。
ミサトの零号機出撃命令をシンジが聞いていれば、こんなものでは済まなかったのは容易に想像出来た。
「日向君、零号機の回収を急いで!! 早く!!」
シンジの怒声に我に返ったリツコが、日向に指示をした。シンジの怒声に込められた殺気に気づいていた。
前回はミサトの重営倉入りだけで済んだが、今回はそれでは済まないだろう。
それに零号機の回収が遅れたら、本発令所の全員の命は無いと言っている。
リツコはシンジを有言実行タイプだと思っている。シンジなら、やると言ったら必ず実行するだろう。
それと、日本の上空にある【ウルドの弓】からの砲撃のタイミングを見て確信していた。
あれはシンジが直接制御している。あのタイミングの【ウルドの弓】への攻撃命令は、第三者では出せないはずだ。
シンジが直接命令して、【ウルドの弓】が砲撃。そして使徒を貫いたのだ。恐らく、あの左目で直接制御しているだろう。
言い方を変えれば、シンジの判断一つで【ウルドの弓】からの粒子砲の砲撃が第三新東京に降り注ぐ。
あの一撃は使徒を貫き、天井装甲板の四層まで届いた。
集中攻撃を受ければ、反撃する事も出来ずに第三新東京は廃墟と化すだろう。
これが北欧の三賢者の魔術師の力なのか? リツコはシンジを甘く見ていたつもりは無かった。
無かったが、個人でこれほどの力を持っているとは想像していなかった。
シンジの思惑一つでネルフが、いや第三新東京が壊滅する。その事に気が付いたリツコは、体が震えだすのを止められなかった。
「リツコ! 何を言うのよ、邪魔する気!?」
「黙りなさい、葛城三尉!! 日向三尉、早く零号機を回収しなさい。死にたくないでしょう!!」
「は、はい!」
日向は慌てて零号機の回収を行った。戻す先はシンジの居る実験場だ。
日向もシンジの怒声に含まれるものを察して、身震いしていた。
「日向君!? リツコ!! 技術課が作戦課の命令に介入するってどういう事! 越権行為よ!!」
「黙りなさい、葛城三尉!! 越権行為はあなたの方よ!! あなたの権限は作戦立案だけ、指揮権限は無いのよ!!
あなたのせいで、この発令所の全員が射殺されたらどう責任を取れるの! 少しは自分の立場を自覚しなさい!!」
「し、射殺って、そんな事出来る訳ないでしょう!?」
ミサトは”射殺”と聞いて勢いが削がれたが、それでも虚勢を張った。まだ目の暗い光は輝きを保っている。
「馬鹿を言わないで!! 二度の越権行為をして、只で済むと思っているの!?
この前は重営倉で済んだけど、今回はそれで済む訳無いわ。
今回はレイを危険な目に会わせたのよ。ネルフが一切の干渉を禁じられているレイをね。シンジ君が手加減する訳無いでしょう!
あの子はネルフを嫌っているのよ。口実さえあれば平然として射殺命令を出すわよ!」
既にリツコからも冷静さは失われていた。(シンジを名前で呼んでいる)
本当にリツコは生命の危険を感じていた。短い間とはいえシンジと接触し、その性格と能力はある程度は把握している。
越権行為でレイを危険に遭わされたシンジが、ネルフに対して容赦するとは思っていない。ミサトには厳罰が下るだろう。
そして、自分にもとばっちりが来る可能性は高いと考えている。
ミサトとリツコが言い争っていると、国連軍の保安部員が銃を構えて本発令所に突入して来た。
「葛城三尉、日向三尉、冬月副司令、六分儀司令を拘束する。抵抗すれば射殺する!」
大尉の襟章を付けた保安部員が、冷ややかに告げた。
「何ですって!? くっ!!」
抵抗しようとしたミサトだが、安全装置が外されている銃が自分に向けられているのを確認すると抵抗を止めた。
如何にドス黒い感情を抑えられないと言っても、流石に銃を突きつけられてはどうしようも無い。その程度の判断力は残っていた。
国連軍の保安部員はミサトと日向に手錠をかけた。そして、視線はゲンドウと冬月に向けられた。
「次は冬月副司令と六分儀司令を拘束しろ!」
「ふざけるな! ネルフは国連軍の命令など聞く義務は無い。冬月、保安部を呼べ!」
バーン
大尉の銃が火を噴いた。ゲンドウの左耳に掠った。サングラスが吹き飛び、左耳から出血した。
「くっ」
ゲンドウはよろめき、左耳を手で押さえた。まさか本当に発砲するとは思ってはおらず、ゲンドウの顔に焦りの色が浮かんできた。
「今のは威嚇だ。次は外さない。不知火准将からは、抵抗すればネルフ司令でも射殺しろと命令を受けている」
その時、中央モニタのウィンドウが開き、第二発令所の不知火が映し出された。
零号機の回収が済み、使徒が自己修復状態に入ったのを確認してからの事だった。
『二度と越権行為は行わないと誓約書を出しておいて、この様か。
零号機が攻撃を受けてパイロットに怪我でもあれば、この場で射殺するところだがな。幸い、パイロットに怪我は無い。
お前達四人は使徒戦が終わった後に軍法会議にかける。今までの戦闘妨害だけで有罪になるだろう。
馬鹿を制止しなかった司令と副司令も同罪だ。四人を重営倉に拘束しておけ。見張りを付けるのを忘れるな。
ネルフ保安部との交戦も許可する。邪魔する奴は全て排除しろ! これ以上、戦闘妨害をさせる訳にはいかん!!』(激怒)
不知火は顔に青筋を立てていた。一度目は何とか我慢が出来た。だが二度も同じ事をされては我慢は出来ない。するつもりも無い。
ネルフが特務機関だろうが、越権行為を行い使徒戦の妨害をしたのだ。ネルフ司令といえど、手加減するつもりは無かった。
不知火の言葉を聞いて、ゲンドウと冬月は顔色を変えて酷く狼狽していた。
ネルフ保安部との交戦を許可したのを聞いて、状況を甘く見ていた事に気が付いたのだ。
まさか指揮権の違うネルフに、不知火がここまで強硬に出てくるとは予想していなかった。精々が抗議ぐらいと想像していた。
だが、現場の叩き上げの不知火からしてみれば、戦闘の邪魔をする者に容赦はしない。特務権限や指揮権限など関係無い。
戦闘の邪魔をされ、負ければ待っているのは”死”なのだ。
現場の苦労を知らない事務職は、地位や権限に胡坐をかいて現場の意見を無視しての失敗が多い。
今のゲンドウと冬月が良い例だろう。
ゲンドウはともかく、冬月は自分達が火薬庫の側で火遊びしていた事に、遅まきながらも気が付いた。
次の使徒からはセカンドを中心とした迎撃態勢になる。必然的にシンジとレイの出番は少なくなる。
その事に焦っていた事もあるが、今更後悔しても始まらない。
「ま、待って下さい。ネルフには作戦立案権限があります。四人を拘束されては、作戦を立案出来ません!」
リツコが慌てて不知火に抗議した。自分が拘束メンバーに含まれなかった事には安堵したが、四人が拘束されると困るのだ。
ここで特務機関だとか、命令系統が違うだとか杓子定規に言い出したら、不知火の逆鱗に触れる事になると察している。
『作戦立案だと? この前と同じような作戦なら無い方がましだ。我々が作戦を立てる。ネルフなど不要だ。
役に立たないだけならまだしも、邪魔をしてくれるからなネルフは。拘束するのが一番安全だ!』
不知火はリツコの抗議も受け付けない。前回と今回の対応を考えれば、戦闘指揮官としては当然の結論だろう。
だが、ネルフの立場は当然違う。冬月は慌てて抗弁した。
「ま、待ってくれ。我々は使徒の情報を持っている。前回は情報を有効に使えなかったが今回は違う。
ちゃんと使徒の情報を有効に使って作戦を立案する。だから、もう一度チャンスをくれないか」
冬月は使徒の本質とか来襲スケジュールは把握している。
だが、個別の使徒の詳細情報など持ってはいない。それは不知火には言える訳がない。
言えないが、ネルフを不要と結論つけられるのは困る。”使徒の情報を有効に使って作戦を立案”は咄嗟に出た嘘である。
『もう一度チャンスだと? 貴様らが出し惜しみ出来る立場だと思っているのか!?
それでまともな作戦が出来なかった時は、どう責任を取る?
作戦が無理や無謀だった場合は、どう責任を取る? 降格程度で済むと思ってはいまいな?
腹を切るか? それとも銃殺を覚悟するのか? そこの発令所全員銃殺でも良いと言うのだな!!』
「そ、それは………」
失敗しても特務機関権限で有耶無耶にするのが、これまでの方針だった。いや、ある程度の損害を出す事が前提だった。
失敗して責任を取れといきなり言われても、どうするかなど即答は出来なかった。
『責任が取れないなら黙っていろ!!
ネルフがどの程度の使徒の情報を持っているか分からなかったが、これで少しは分かった。
お前達は使徒の来襲スケジュールは知っていても、使徒個々の能力は知らないという事がな。
そうであれば、ネルフなど使徒迎撃には不要だ。我々だけでやる。早くその四人を重営倉に連れていけ!』
「待って下さい!」
本発令所の隅に座っていた特別監査官のセレナが、不知火に待ったをかけた。
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実験場から本発令所を恫喝したシンジは、零号機が回収作業に入った事を確認して、零号機に向かっていた。
モニタに映るレイは俯いていた。精神的ダメージが大きいと想像された。一刻も早い精神ケアが必要だ。
零号機が戻ってエントリープラグが排出された。シンジはエントリープラグに駆け寄った。
衝撃緩衝液が抜かれてハッチが上がるが、レイは俯いたままだ。
シンジは何も言わず、ヘッドインターフェースと酸素マスク、ゴーグルをレイから外した。
そしてレイの強張っている手をレバーから優しく外し、レイを両手で抱き上げた。
衝撃緩衝液でシンジの服が濡れるが気にしない。今はレイの事が優先だ。
「わああああああああ!!」
いきなりレイが叫んで、シンジに抱きついた。
「怖かったの! 死んじゃうと思ったの! もう駄目だと思ったの! わああーーーーん!」
シンジは優しくレイの頭を撫でた。ここでレイの気持ちを押さえつけては駄目だ。
思いっきりレイの言いたい事を言わせ、安心させる事が必要だ。
レイは思いっきり叫んだのと、シンジが頭を撫でているのを感じて落ち着きを取り戻した。
「怖い思いをさせて御免ね。でも、レイは大切な家族なんだから絶対に守るさ。
レイも疲れたろう。一眠りすると良い。休憩室に連れて行ってあげるから」
シンジは優しくレイを抱き上げながら話しかけた。レイの体温を感じている。
使徒の攻撃が零号機に向かった時、もしかしたらと思った。だが、今やっとレイが無事に戻ってきたと実感した。
「……お兄ちゃん。……ありがとう」
「気にする事はないさ。可愛い妹の為なら、これくらいは当然さ」
休憩室までレイを抱き上げながら運んだ。泣き疲れたレイは眠っていた。そしてベッドに寝かせた。
ミーシャを呼んで、寝ているレイの着替えと看護を頼んだ。
そして、シンジは久しぶりの”モードチェンジ”をして、本発令所に向かって行った。
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「待って下さい」
補完委員会の代理である特別監査官のセレナが、不知火に制止をかけた。
『何だ!?』
セレナと何度か会った事はあるが、この非常時にセレナの色香に惑わされる事は無い。
公式には委員会は国連軍に命令は出来ない。その権限は剥奪されている。
だが委員会の影響力は広く、そして強い。無碍に依頼を断ると後々面倒になる事もある。
使徒が待ち構えている事もあり、不知火のセレナへの対応は雑なものになってしまった。
「特別監察官として、ネルフの行為が不当であった事を認めて謝罪します。ですが、作戦案だけは聞いて頂けないでしょうか?
私は軍事には疎いのですが、ネルフにチャンスを与えて貰えませんか?」
セレナ個人としては、ネルフのやり方を苦々しく思っていた。
だが、委員会の代理と言う立場では、ネルフを擁護せざるを得ない。ここで、ネルフの価値を下げる訳にはいかなかった。
『この無能者達にチャンスだと!? そんな必要は無い!!
それで、とんでも無い作戦が出てきたらどうするつもりだ。そこの全員を銃殺しても良いと言うのか!?』
不知火の拒絶を受けたが、セレナは引き下がる気は無かった。
第二発令所に向かい直接不知火に掛け合おうとしたが、凄まじい気が近づいてくるのを感じて足を止めた。
セレナは武術の達人では無い。だが、セレナにも感じられる気だ。厳密に言うと圧倒的な圧迫感を感じたのだ。
ゴオォォォォォォォォォォ
次の瞬間、強風が本発令所の中を荒れ狂った。
「「「「「「「「くっ」」」」」」」」
強風に煽られ、ネルフのメンバーが呻き声をあげた。
そして強風の中から、シンジが圧倒的な【気】を纏って発令所に入ってきた。
シンジの周囲には空気が渦巻いて、強風を作り出している。素人目にも、はっきりとシンジの状態が異常だと分かる。
左目は赤く輝き、顔には壮絶とも言える笑顔が見えた。そして、その視線の先にはミサトと日向が居る。
日向は逃げ出したくなった。シンジの視線はミサトと自分を捕らえている。
シンジの視線に囚われて、身体が震えるのを止める事は出来なかった。
青葉は日向に向けられた気の煽りを受け、身体が固まってしまった。
マヤはシンジを見た事で恐怖を感じて、身体の震えが止まらなかった。
シンジの状態を見て、リツコは身体が震えだすのを抑えられなかった。今のシンジは尋常な怒りでは無いと悟ったのだ。
常々シンジが普通では無いと思っていたが、ここまでのレベルだとは予想もしていなかった。
ミサトはここまで圧倒的な気を浴びせられた事は無かった。それも直接、自分に向けられている。
自分に向けられているシンジの視線で背筋に寒気を感じ、身体が震えだした。
セレナはシンジを見て、薄ら寒いものを感じて危機感を抱いた。嫌な予感が体中に広がっていくのを自覚した。
ゲンドウと冬月はシンジの異様さに目を瞠った。そして寒さを感じた。体感気温が一気に下がったような感じだった。
国連軍の保安部員もシンジの雰囲気に呑まれて動けない。本発令所に居る全員が、シンジに威圧されて固まっていた。
「レイを死にそうな目に会わせて、本人は何をしている? 馬鹿は死ななきゃ直らないと言うしな。
一回死んで見るか。【私】が処理してやろうか!!」
「シンジ!!」
ゲンドウは叫んだ。シンジからの圧迫感は感じているのだろうが、問題無いと思ったのだろうか?
シンジは薄ら笑いを浮かべながら、視線をゲンドウに向けて【気】をさらに開放した。
「くっ」
シンジから放たれる【気】を直に受けたゲンドウは、震えと冷や汗が止まらなかった。冬月も同じだ。
発令所の高所にいるが、シンジが巨大になり目の前に居るような錯覚を覚えていた。
そして身体にまとわり付く圧迫感。呼吸が苦しい。ゲンドウの背筋を寒気が襲った。左耳の痛みなど感じている余裕も無かった。
「ま、待って!」
セレナは魔眼の力をシンジに向けて、手加減無しで開放した。
以前に手加減無しの力を解放した時、何人かを廃人にした事があるが、躊躇している余裕は無かった。
今のシンジを抑えなければ、取り返しのつかない状況になる。直感で感じていたのだ。
だが……………効かなかった。
竜巻に向かう微風。暴走するダンプに突っ込む子供。大型空母に立ち塞がるボート。何と表現すれば良いだろうか?
セレナの力はシンジには届かなかった。シンジの巨大な気に阻まれ、近づく事すら出来ない。
そしてセレナが力を解放した事を知ったシンジは、【気】をセレナに向けた。
シンジの【気】がセレナの力を押し戻し、セレナに逆に干渉を始めた。いや、セレナを侵食しだした。
セレナは身動き出来なかった。”蛇に睨まれた蛙”という比喩を思い出した。身体の震えが止まらない。
そして、自分がシンジの【気】に侵食されているのを感じて鳥肌が立った。
犯される。抵抗も出来ずに精神が犯される。そして待っているのは【死】だ。そうセレナは感じていた。
セレナが【死】を意識したのは初めてだ。セレナから抵抗する気持ちは完全に消え失せていた。
呆然とした表情で、その場にセレナは崩れ落ちた。
「【ボク】の時でさえ通用しないのに、【私】にその程度の力が通用するはずが無かろう。
あまり舐めないで欲しいな。ネルフごとき【私】一人でも殲滅出来る。手始めは葛城三尉だな」
今度はミサトに身体の向きを変え、シンジは【気】を噴き付けた。同時に強風がミサトを襲った。
「くっ!」
ミサトは呻き声を上げた。ある程度の体術の心得があるミサトは、シンジが凄まじい【気】を出しているのが分かった。
赤いジャケットをシンジが空中で切り裂いたのを見た事はあった。ミサトにも出来ない事で、生半可な技量では無いと思っていた。
だが、ここまでの圧倒的な差があるとはミサトは想像すらしていなかった。
ミサトの中のドス黒い感情も、死の恐怖に怯えたのか段々と収まっていく。
シンジはミサトが使徒に対して異常ともいえる感情を持っていると推測している。
だからと言ってミサトの行為を見過ごす事など出来はしない。公務より私怨を優先させるなら、ここで処分すべきと判断していた。
「レイは死ぬと思ったと言って泣いていたよ。誰がレイを泣かせた? お前だろう! 以前に洗脳していたから道具扱いか?
ネルフはレイに一切の干渉は出来ないはずなのに、レイを敵の的にする為に射出したんだぞ。何様のつもりだ?
レイは民間人なんだぞ!……お前はここで処分する!!」
ミサトは身体の震えが止まらずに背筋に悪寒が走り、冷や汗も止まらない。
シンジはゆっくりと手をミサトの方に向けた。本発令所の誰もがシンジに気圧され、シンジを止められない。
不知火でさえシンジの異様さに呑まれている。
だが、そこに介入する人間が現れた。
『待ちたまえ。ロックフォード少佐』
本発令所のモニタにアジア系の老人の顔が映し出された。
『私は国連事務総長を務めている。君がネルフの職員に危害を加える事は見過ごせない。速やかに引きたまえ!』
補完委員会の緊急連絡を受けた国連事務総長は、本発令所の惨劇を防ごうと通信回線を使って連絡してきたのである。
だが、国連事務総長は単なるお飾りであり、特に有効な権限を有しているわけでは無いと知っているシンジは、画面の老人に
遠慮する必要を感じておらず、容赦無い言葉を浴びせかけた。
「ほう、理由を聞こうか? 無能で作戦の邪魔をし、越権行為を繰り替えすネルフ職員の処分を中断する理由をな。
納得いく理由があれば引こう。だが納得出来ない場合は、お前も作戦を妨害したと見なすぞ。
それを踏まえて答えろ! たかが事務総長ごときが割り込んできたんだ。覚悟は出来ているだろうな!!」
シンジは侮蔑を視線に込めて、画面の国連事務総長を見つめた。
今の事務総長はゼーレの息が掛かっており、ろくな仕事もしていない。縁故者を優先して採用している事も知っていた。
魂胆は分かっているし、偉そうな物言いも癪に障っていたので容赦はしない。
『なっ、何だと! いや、ネルフは使徒の情報を持っている。それを有効に使えば、いいだろう。
彼らを処理する事は、利敵行為になる』
事務総長は焦りながらもシンジを説得した。補完委員会からシンジの事は聞いていたが、所詮は子供と侮っていた。
国連の事務総長たる自分が仲介すれば、シンジは簡単に矛を収めると思っていた。
シンジの言い方を不愉快に感じたが、今はシンジを納得させる方が優先だと、ネルフの利点を強調した。
「ネルフは使徒の個別データを知らないと、我々は判断している。ネルフの知っている情報は来襲スケジュールぐらいだとな。
それならば、ネルフの幹部を処分しても問題無い」
『それは、まだ分からないだろう。ネルフがそれ以外の情報を持っている可能性もある。今回の作戦はネルフに立案させた方が良い』
「可能性ね。……では、ネルフの作戦が満足のいかない内容であったら、お前は作戦妨害の罪で銃殺だ!
ついでに、お前を推薦した常任理事国六ヵ国にも責任を取って貰おうか。即時宣戦布告だ。覚悟は良いな!!」
『なっ!! ちょっと待ってくれ! 銃殺は無いだろう。仮にも私は国連の事務総長だぞ! それに宣戦布告だと? 正気か?』
「それがどうした? 特に権限を持たない調整役に過ぎないだろう。事務総長ごときが、自分の立場をわきまえろ!!」
『待て、少佐! 銃殺はまずい。せめて懲戒免職にしたまえ!』
不知火も介入してきた。今のシンジを放置しておくと、とんでもない被害が出ると想像したのだ。
ネルフとそれを擁護する事務総長に処罰を与える必要はあると思うが、こんな事で世界を巻き込んだ戦争にしたくは無い。
シンジは頭に血が上っていたが、流石に言い過ぎたと感じたので不知火の調停に従う事にした。
「……准将の顔を立てましょう。ネルフに作戦を立案させてやる。だが、作戦がろくでもない場合は事務総長の全財産を没収。
そして、取り巻き諸共に国連を懲戒免職処分だ。拒否するなら、旧常任理事国六ヵ国に宣戦布告だ。異存は無いな!」
国連事務総長はゼーレの影響が強い人間だ。今回の件も、ゼーレの緊急介入だろうと推測している。
であるなら逆手に取り、国連のゼーレの影響を少しでも薄められるように条件を出した。
それにネルフのメンバーの処分は、先延ばしにしただけだ。
国連の事務総長とは完全な調停役であり、実際の権限はほとんど無い。
先進国からは選ばれず、発展途上国から選ばれるのもその為だ。
だが、ゼーレの息のかかった人間を辞めさせれば、少しでも改善の効果はあるだろう。その程度の気持ちだった。
権限が無いくせに、偉そうな物言いに機嫌が悪くなった事も影響はしているだろうが。
「なっ!? ……分かった。それで構わない」
一瞬、言葉を失った事務総長だったが、ここで条件を呑まなければ、シンジがネルフの職員を処理するだろう事は分かっていた。
そうなれば、補完委員会の不興を買う事になる。であれば、補完委員会の言う事を聞いてネルフに賭けた方が良いだろう。
瞬時にそこまで考えた事務総長は、シンジの条件を了承した。
「良いだろう。作戦成功率が80%以上あれば、ネルフの作戦を認めよう。それ以下なら却下する」
「なっ!? 作戦成功率が80%以上ですって!」
「ちょっと、そんな高い作戦成功率は無理よ!」
「待ってくれ。それは無理というものだ」
ミサトとリツコ、冬月の三人が慌てて抗議した。まさか、80%以上の作戦成功率を要求されるとは思っていなかった。
「当然だろう。使徒の情報を知っているから、弱点がつけるのだろう。それくらいで無ければネルフの価値は無い。違うか?
こちらも作戦を立案する。作戦成功率が80%以下でも、我々の作戦より成功率が高ければ認めよう」
「くっ! 良いわよ。やってやろうじゃないの!」
「葛城三尉!」 「葛城君!!」
冬月とリツコの声が重なったが、ミサトはシンジの発言を認めてしまった。
事務総長も居る公式の場での発言だ。三尉であっても、ネルフの公式の意見として採用される。撤回は出来ない。
「では合意だな。事務総長、聞いた通りだ。ネルフの立案した作戦の成功率が80%以下か、我々の作戦より低い場合は却下。
その場合は事務総長の全財産を国連資金として没収する。及び、事務総長本人と事務総長が任命した国連職員は全員を懲戒免職。
約束を守らない場合は、旧常任理事国六ヵ国に宣戦布告だ。不知火准将、良いですね?」
『良いだろう』
『分かった』
画面に映る国連事務総長と不知火は、シンジの提案を了承した。
どうせネルフはまともな作戦を出してこないと不知火は推測している。
事務総長という障害を取り除けるなら、まずまずの成果だと思っていた。
「では、作戦立案は二時間以内で良いな。作戦が立案出来たら第二発令所に連絡しろ。命拾いした事に感謝するんだな」
そう言って、シンジは本発令所を出て行った。
国連軍の保安部員も、ミサトと日向の手錠を外して退出した。
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シンジが出て行った直後の本発令所は、気の抜けた状態だった。全員がシンジの発する【気】に寒気を覚えていた。
セレネも呆然としていた。魔眼の力が効かずに逆に侵食されそうになったのだ。身体の震えが止まらない。
魔眼の力に関してはミーシャに的を絞って考えていたが、とんでも無い間違いだと気がつかされた。
シンジの本気があそこまでのレベルとは、想像さえしていなかった。
あれではいくら能力が向上しても、対抗出来る気がしない。自分が千人居ても対抗する事は出来ないだろう。
セレナから見ても、シンジは人間の範疇を遥かに超えていた。
その状況で、中央モニタに映る国連事務総長の叱責が響いた。モニタ越しだったので、シンジの影響は受けていない。
『六分儀君、大丈夫なんだろうな! 補完委員会からの要請で調停に入ったが、君達が満足な作戦を立てられなかったら、
私は財産を没収されて、事務総長を辞めなければならんのだぞ。分かっているのか!
ぼっとしている暇は無い。さっさと作戦を立てたまえ!』
今まで任期未満で国連事務総長を辞めた人間はいなかった。
ネルフの為に自分の財産と進退を賭けたのだ。ネルフに実績を出して貰わねば、路頭に迷ってしまう。
自然とゲンドウに命令する声にも力がこもっている。
「分かっています。その為のネルフです」
『格好をつけんでも良い! 要は結果だ。結果を出したまえ! 二時間後に、もう一度連絡を入れる。
作戦成功率80%以上の作戦か、最低でも国連軍より成功率の高い作戦を立案したまえ!』
そう画面に映る事務総長は言って、通信を切った。
「葛城作戦立案主任、作戦を立案しろ!」
「はい! 了解しました」
シンジの恐怖で一時はドス黒い感情が収まったが、シンジが去って自分が作戦を立案出来ると知り、俄然やる気が出て来た。
ミサトは日向を伴って、作戦を立案しようと動き出した。そのミサトの目には黒い輝きが戻ってきていた。
だが、リツコを始めとする職員の数名は、このままで終わるとは予想していなかった。
さっき見たシンジの異様さに怖気づいていたのだ。あれは普通では無い。
そして、シンジ一人でネルフを殲滅出来ると言った。はったりとは思えない。
ネルフが作戦を立てられたとしても、結末は荒れるだろうと予想していた。
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第二発令所
「不知火准将。気が高ぶっていたとはいえ、准将の拘束命令を無視して、事務総長と勝手に約束をしてしまいました。
申し訳ありませんでした」
指揮シートに座る不知火にシンジは深々と頭を下げた。今のシンジは普通の【ボク】の状態だ。
「勝手に零号機を射出されて、頭にきたのは私も一緒だ。次から気をつけてくれれば良い。
それに、事務総長を失脚させるように仕向ける事が出来た。上等だろう」
シンジと不知火は微妙な関係だった。
御互いに本来所属する組織からの出向の身である。一応、准将と少佐、司令と技術担当、兼パイロットという間柄であるが、
不知火はシンジからゼーレの機密を知らされた仲間でもある。それに遠戚関係だった。
それに表面上はシンジの上司になるが、拘束力は持っていない。国連軍は北欧連合の佐官に命令は出来ない。
このように、不知火とシンジの関係は微妙なものだった。
だが、サードインパクトを防ぐという事に関して、一致協力して対応する事では合意している。
「ネルフは二時間後に、どんな作戦を立案してくると思う?」
「まあ予想出来るのは作戦立案主任の性格から言って、直球タイプの作戦でしょうね。
今のところ言えるのはそれぐらいですね。それよりも我々の作戦を考えた方が良いでしょう。
威力偵察は無人偵察機を準備出来ますか? ネルフも偵察をするでしょうが、我々も準備した方が良い。
確認内容は使徒のATフィールドの張り方です。使徒が零号機を攻撃中に【ウルドの弓】からの攻撃が当たりました。
という事は、あの使徒は攻撃と防御は同時には出来ない可能性があります。その確認の為の偵察です。
使徒は自己再生機能と自己進化機能を持っていると聞いています。念の為に前と同じか確認する必要があるでしょう。
攻撃と防御が同時に出来ないのであれば、付け入る隙はあります」
「確かにな。ネルフの出方を見てからになるが、我々も偵察を行うとしよう。
幸いにも使徒はドリルという悠長な手段を使っている。対応する時間は十分にある。
ドリルの効率を落とさせれば、さらに時間は稼げよう。その対応もしておく」
「御願いします。ボクはレイの側に行っています。偵察結果が出たら、連絡を御願いします」
「わかった。彼女も精神的ダメージを負っているだろう。しっかり看てやってくれ。偵察は行っておく」
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シンジはレイが休んでいる休憩室に向かっていた。
「ボクだよ。良いかな?」
内部からドアのオートロックが外された。シンジは部屋に入るとオートロックをかけてベッドを見た。
レイはパジャマを着て寝ており、側にはミーシャが椅子に座っていた。
「お疲れ様。レイの着替えは大丈夫だった?」
「ええ、大丈夫です。パイロットスーツを脱がせて、全身をタオルで拭き取った後で着替えをしました。
その間はレイは寝たままです。よほど疲れたのでしょう。着替え中もまったく目が覚める様子はありません」
ミーシャは不安そうな顔をしてシンジに報告した。
シンジが反対した零号機の起動を迫り、そしてレイが零号機に乗って死ぬ寸前まで行ったのだ。
レイの頼みとはいえ、シンジに零号機の起動準備を迫らなければ、こんな事にはならなかった。
レイの心に深い傷が刻み込まれた可能性もある。肉体的には傷は無くても、精神的に大きな傷を負った場合には完治は長引く。
深刻そうな顔をするミーシャの頭を、シンジは撫でだした。
「シン様!?」
「レイが起きた時、ミーシャが不安そうな顔をしているとレイの方が逆に心配する。
今回の件はボクが甘かった事もあるけど、基本的にはネルフの暴走だ。ミーシャが後悔する事は無い。レイは大丈夫さ。
もしレイに精神障害が残った場合は、ボクら三人が協力して治せばいい。家族だろう」
ミーシャは頭を撫でられる感触を堪能しながら、シンジの言葉に冷静さを取り直していた。
そうだ。レイに何かあっても家族で治せば良いではないか。それにシンジがいる。大抵の事には対応出来るだろう。
「……そうですね。私達は家族ですものね。ありがとうございます」
シンジが頭を撫でるのを止めると、ミーシャは立ち上がった。
そしてシンジの首に手を回し、顔を近づけてきた。二人の唇が重なったのは数秒程度だ。
ミーシャは直ぐにシンジから離れ椅子に座った。顔はシンジの方を向いてはいないが、顔が赤くなっているのは分かる。
「レイは私が看護しています。ですから、シン様は御自分の責務を果たされて下さい」
「分かった。じゃあ、レイの事は頼んだよ」
シンジはレイの頭を撫でた後、ミーシャにレイの事を頼んで部屋を出て行った。
シンジの顔が微妙に赤らんでいる事は、ミーシャは横目でしっかりと確認していた。
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ミサトの指揮の下、使徒の性能を把握しようと偵察が行われていた。
バルーン・ダミーの初号機が用意されて、八面体の使徒に向かって進んで行った。
そして銃を使徒に向けると、直ぐに使徒から粒子砲が放たれて、一瞬で初号機のダミーバルーンを貫いた。
「次っ!」
山間部から無人の自走砲が現れて砲撃を行ったが、使徒は目視出来るほどの強力なATフィールドで防御すると、
その直後に粒子砲で反撃した。
「独十二式自走臼砲消滅!」
「……なるほどね」
ミサトの顔に不敵な笑みが浮かんだ。
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作戦課の分析室では、ミサト達が威力偵察の再現映像を解析していた。
「これまでの採取したデータによりますと、目標は一定距離内の外敵を自動排除するものと推測されます」
「エリア侵入と同時に加粒子砲で100%狙い撃ち。EVAによる近接戦闘は危険過ぎますね」
「ATフィールドはどう?」
「健在です。位相空間を肉眼で確認出来る程、強力なものが展開されています」
「誘導火砲や爆撃などの生半可な攻撃では、泣きを見るだけですね。こりゃ」
「攻守ともにほぼパーペキ。まさに空中要塞ね……。で、問題のシールドは?」
「現在、目標は我々の直上、第三新東京市0エリアに侵攻。
直径17.5mの巨大シールドがジオフロント内のネルフ本部に向かい、穿孔中です」
「敵はここ、NERV本部へ直接攻撃を仕掛けるつもりですね」
「しゃらくさい! ……で、到達予想時刻は?」
「はっ。明朝、午前00時06分54秒。
その時刻には22層、全ての装甲防御を貫通して、NERV本部へ到達するものと思われます」
「あと、十時間足らずか……状況は芳しくないわね」
「白旗でも上げますか」
「……その前にちょっち、やってみたい事があるの」
シンジとの約束で作戦成功率が80%以上である事が求められている。
その制約を知っているミサトは自信ありげな笑みを浮かべていた。
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ネルフ:司令室
ゲンドウは耳に包帯を当てており、サングラスも新しいものに変えていた。
大型の執務机にはゲンドウが何時ものポーズで陣取っており、隣には冬月が立っていた。
自信満々のミサトは、立案した作戦の内容をゲンドウと冬月に説明をしていた。
「目標のレンジ外、超長距離からの直接射撃かね」
ミサトの作戦を聞いた冬月は考え込んだ。超長距離からの直接射撃は力押しだ。
使徒の情報を有効に活用して作戦を立案すると言った冬月だが、これでは不知火やシンジから反論が入ると予想された。
だが、冬月には使徒の攻略法は思いつかない。ミサトに任せるしか方法は無い。
嘗てシンジに使徒情報を持っているから指揮権を持っていると言って、軍事知識が無いから不適切と反論された事が思い出されたが、
冬月はそれを口に出す事は無かった。そう、いくら使徒の情報を持っていても、軍事知識が無ければ作戦指揮など出来はしない。
「そうです。目標のATフィールドを中和せず、高エネルギー集束帯による一点突破しか方法はありません。
敵使徒は遠距離攻撃可能な粒子砲を備え、防御も目視が可能なレベルのATフィールドを発生させています。
迂闊に接近は出来ません」
「ネルフにある武器で可能なのか?」
「いえ。赤木博士に確認しましたが、戦自の自走陽電子砲なら可能との事です。
作戦の許可が頂ければ、直ぐに戦自から徴発します」
「待ちたまえ。既にネルフに徴発権限は無いのだ。言葉に注意したまえ。それとエネルギーはどうするのだ?
ネルフの電力だけで賄いきれるのか?」
「日本中の電力を徴収します。それを戦自の自走陽電子砲に供給します」
「日本中の電力をか? 葛城三尉、現在のネルフに徴発権限が無い事は知っているな。
戦自の自走陽電子砲と日本中の電力の使用は、日本政府の許可が必要になる。分かっているのかね?」
冬月は渋い顔で問い質した。
ネルフの権限が縮小された為、ミサトの作戦を実行するには、戦自と日本政府に大きな借りを作る必要がある。
今後の事を考えれば、望ましい事では無い。だが、ミサトは引き下がらずに自分の作戦を主張した。
「ですが、これ以外に作戦はありません!!」
「MAGIは何と言っている?」
ゲンドウが初めて口を開いた。ゲンドウにしても作戦を成功させなければ、立場は悪化する。最悪は拘束される。
「MAGIによる解答は、賛成二、条件付き賛成が一でした。勝算は8.7%です」
「勝算が8.7%しか無いのか!? 80%以上の勝率か、国連軍の作戦の勝率より上回る必要があるのだぞ!」
「最も高い数値です。彼らがこれより高い勝率の作戦を出せるはずがありません。狙撃地点は双子山山頂。
作戦開始時刻は明朝午前零時。以後、本作戦をヤシマ作戦と呼称します!」
自信に満ちたミサトの声が、ネルフの司令室に響き渡った。
To be continued...
(2009.03.21 初版)
(2009.03.28
改訂一版)
(2011.03.05 改訂二版)
(2011.11.20 改訂三版)
(2012.06.23 改訂四版)
(あとがき)
ラミエル君の粒子砲で死に掛けたレイですが、ちゃんとフォローはしますので、安心して下さい。
まあ、原作通りのヤシマ作戦をネルフは選択しました。ある程度は予想はつくでしょうが、次はシンジの報復が入ります。
作者(えっくん様)へのご意見、ご感想は、まで