第二十八話
presented by えっくん様
トウジの訓練風景
エントリープラグの中のトウジは、意欲満々の態度でモニタを見つめていた。
『お早う、トウジ君。調子はどう?』
「慣れましたわ。悪くはあらへん」
リツコの軽やかな声に、トウジは元気に返事をした。
トウジの返事には熱がこもっており、聞いているリツコやマヤに違和感を感じさせる程だった。
話しは少し戻るが、参号機とのシンクロ試験を終えたトウジは、アスカと格闘訓練を行った。
アスカとしては、自分の方がトウジより遥かに上に居る事を教え込む意味も含めていた。
同僚として肩を並べる相手では無く、自分の命令を聞くべき部下という事を教え込むつもりだった。
そしてトウジはアスカに指一本触れる事無く、畳に何度も叩き伏された。
十年に渡って戦闘訓練を受けてきたアスカと、少し腕っ節が強いだけの普通の中学生のトウジが勝負になる訳が無かった。
勝敗は当然の結果だろう。立ち会った全員がそう思っていた。
だが、トウジにしてみれば屈辱だった。男は女を守るものという【漢】の定義があるトウジにしてみれば、
女のアスカに指一本触れられずに敗れるなど、あってはならない事だった。今までの常識が破られ、失意のどん底にあった。
当然の結果に興味を失って引き上げるアスカに代わって、ミサトがトウジに近づいた。
ミサトにしてみれば、トウジはアスカと同じくEVAのパイロットであり、自分の部下である。
(さすがにアスカと同等に扱う気は無かったが)
アスカの方が先任で実力が上だと分からせた後は、速やかに復活して訓練して貰わねばならない。
そしてミサトはトウジに対して、ある行動をとった。それが現在のトウジに繋がっていた。
『EVAの出現位置。非常用電源。兵装ビルの配置。回収スポット。全部頭に入っているわね?』
「大丈夫やで! 多分」
『では、もう一度おさらいをするわね。通常、EVAは有線からの電力供給で稼動しています。
非常時に体内電池に切り替えると、蓄積容量の関係でフルで一分、ゲインを利用してもせいぜい五分しか稼動出来ないの。
これがあたし達の科学の限界なの(はあ、少佐から情報を貰えたら三十分の稼動が出来たけど)…………お分かり?』
「ほいな」
『では昨日の続きよ。インダクションモード。始めるわよ』
エントリープラグに座るトウジに、リアルな立体映像が感じられた。そして目標である使徒(第三使徒)も映し出された。
トウジはパレットガンを敵に向けて構えた。
「目標をセンターに入れて……スイッチ」
パレットガンの標的となった使徒は爆発した。そして、トウジの訓練は延々と続けられた。
トウジの訓練の様子を、管制室で車椅子に座ったリツコと側で立っているマヤが見ていた。
「トウジ君。良く乗る気になってくれましたね」
「頭ごなしに命令しても反発するだけだろうけど、まだまだ人生経験が少ないからね。ミサトの言う事は素直に聞くのよね」
アスカとトウジの格闘訓練をマヤも見ていた。当然、失意のどん底のトウジの姿を見ていた。そして、その後に起こった事もだ。
***** 回想シーン *****
ミサトは落ち込んでいるトウジの肩に手を置いて、優しい声をかけた。
「トウジ君。元気を出しなさい。アスカは十年以上も戦闘訓練を受けてきたのよ。今のあなたが敵わないのは当然なのよ。
でもこれからの訓練次第では、あなたはアスカを超えられるかもしれないのよ。頑張りなさい!」
「惣流が訓練を十年以上も!? ワシが頑張れば、惣流を超えられる?」
「そうよ。頑張りなさい。あなたが使徒を倒したら、何か良い事があるかもよ?」
落ち込んでいた俯いていたトウジだったが、ミサトの言葉で顔を上げてミサトを見つめた。
そしてミサトは微笑みをトウジに向けて、右手でトウジの顎を優しく撫でたのだ。
ビリビリ
トウジの身体に電撃が走った。(厳密には、電撃が走ったかのようにトウジは感じた)
トウジの周囲に大人の女性はあまりいない。ミサトのように容姿に優れた大人の女性は皆無だった。
セレナやミーナを知っていれば少しは状況は変わったかも知れないが、今のトウジにはミサトは女神のように感じられた。
(これは運命の出会いや!!)
ミサトが言った「何か良い事」がどんな事か、瞬時にトウジの脳内で妄想が広がっていた。
どんな妄想かは、トウジだけが知っている。
「ミサトはん。ワシ、頑張ります!! 宜しく頼んます!!」
トウジはミサトの右手を両手で握り締め、目を輝かせながらミサトを見上げていた。
これが、トウジが訓練を熱心に行う事になった理由だった。
【漢】の定義を持って【漢】を目指していたが、同時に【男】の本能に忠実なトウジであった。
トウジを手っ取り早く復活させるには、自分の魅力が効くかもと思ってミサトは行動しただけだ。
最初にシンジを迎えに行く時に、一張羅のチャイナスーツを着込んだ程度の軽い気持ちだった。
想像以上にトウジに効果があったのを見て、ミサトは内心で冷や汗を流したが、今更無かった事には出来ない。
その心情を顔には出さずに、ミサトはトウジに微笑んだのだった。
ミサトとしては色仕掛けという意識は無かった。単なるスキンシップである。この程度で色仕掛けと思う方が異常だろう。
だが、免疫の無い若い男からしてみれば、十分な色仕掛けに見える事があるかも知れない。
***** 回想シーン終了 *****
アスカとトウジの格闘訓練をリツコも見ていた。当然、その後のミサトの行動もだ。
(あのくらいの年の男の子じゃ、ミサトに対しての免疫は無いでしょうね。まあ、少佐は例外でしょうけど。
でもこれで彼の訓練次第で、次の使徒の時は参号機は出撃出来るわね。
ミサトも部下が出来て機嫌が良いから、彼を潰す事は無いわ。任せても大丈夫か。これからはあの子も大変ね)
(不潔です! そりゃあ、落ち込んだ男の子を慰めるのは良いですけど、まだ中学生に色仕掛けは無いんじゃ無いですか!)
リツコもマヤもミサトに対して思っている事は多々あった。だが、それを口に出す事は組織運営上で、摩擦を産み出す元になる。
それを理解している二人は、ただ黙って溜息をついていた。
**********************************************************************
【HC】基地内の公園
「膝枕?」
「そうよ。男の人って女の膝枕に弱いんだって。姉さんが言ってたわ。
姉さんもたまにシン様にしてあげて、喜ぶって言ってたわよ」
ミーシャとレイは午前中の自宅勉強の後、気分転換を兼ねて買い物に行こうとショッピングエリアに向かっているところだった。
もちろん年頃の女の子二人が歩くのに、黙って歩く訳が無い。適度な話題で喋りながら歩いている。今の話題は【膝枕】だった。
「お姉ちゃんがお兄ちゃんに膝枕をしてるの?」
「うん、そう言ってたわ。でもただの膝枕だけじゃ無くて、耳の掃除もたまにしてあげるんだって。それでわざとらしく言うのよ」
「わざとらしくって何を?」
「胸の事よ。姉さんの胸が大き過ぎてシン様に膝枕をすると、シン様の耳が見えなくなるから、耳の掃除はあまり出来ないって
愚痴ってたのよ。これはあたしに対するあてつけよね」
ミーナのスタイルは今更強調する意味は無いだろう。ミーシャとレイでは、背伸びしても手の届かない範囲にあった。
ミーナがシンジを膝枕した場合、膝の先の方に寝せてもシンジの顔は胸が邪魔して見えないのだ。
従って、せっかく膝枕をしてもシンジの顔が良く見えないミーナとしては、膝枕する事は好んでいない。
精々がシンジの顔を撫でてじゃれ合う程度しか出来ないので、尚更だ。
だが男のシンジとしては、ミーナの膝枕は極楽の環境だった。ミーナの柔らかい太股の感触と体温を感じられる。
確かにシンジからはミーナの顔が見えなくなるが、ミーナの揺れる双胸を見上げられる。十分な目の保養になる。
疲れを癒すのに絶好の体勢だ。心地よい眠りに落ちてもミーナの体温は何時も感じられる。
ミーナが膝枕をするのは、シンジから言い出すのが常になっていた。
そんな他愛も無い話しをしながら歩いていると、公園の近くになっていた。
「あれ? あそこで寝ているのはお兄ちゃんじゃ無いかしら?」
「えっ、シン様が? 何処に?」
「ほら、あそこの木陰に」
木陰で寝ているシンジがレイの目に入った。そしてシンジの周囲に、人払いの結界が張られている事に二人は気づいた。
もっとも、シンジの一部を分け与えられている二人に、シンジの人払いの結界は意味を為さない。
二人はシンジの側にゆっくりと歩いていった。そしてシンジの側に、使い魔のユインも寝そべっていた。
<ユイン。お兄ちゃんは昨日は家に帰って来なかったけど、徹夜だったの?>
<はい。つい先程仕事が一段落ついたそうです。たまには外の空気を吸いたいと言って、結界を張って休んでいます。
あと二時間は起きないでしょう>
<ユインは見張り役なのね>
<ええ。一応結界は張りましたが、何かあったらいけませんからね>
<……そう、あと二時間はシン様は起きないのね>
シンジの状況を確認したミーシャとレイは、見つめ合った。
二人の視線がぶつかりあって、火花が飛び散った(ようにユインには感じられた)。
(シン様はあと二時間は目を覚まさないのね。これはシン様を膝枕する絶好の機会だわ。いくらレイでも譲れないわ!!)
(お兄ちゃんに膝枕をしてあげられるチャンスよね。いくらミーシャでも譲れないわ!!)
ミーシャもレイもお互いが考えている事は分かっていたが、譲る気は無かった。
二人の間を険悪な空気が満たそうとする時、ユインが介入した。主人であるシンジの休息を妨げさせる訳にはいかないのだ。
<あんまり騒ぐとマスターが起きますよ。二人が膝枕の話しをしていたのは聞こえてました。交代でやったらどうですか?
ミーナさんもあまり長時間やると足が痺れるから、一時間が限度って言ってましたし>
ユインの言葉にミーシャとレイは顔を見合わせた。確かにここで騒いでシンジが起きては、膝枕をするチャンスは失われる。
だったら交代もありかと思ったのだ。長時間膝枕をすると足が痺れるというのも気がつかなかった事だ。
ミーシャとレイは視線を合わせるだけで合意に達して、静かにジャンケンを始めた。
シンジに膝枕をしている様子は結界が張られている事もあって、他の誰にも見られる事は無かった。
だが、シンジに膝枕をしている時の二人の少女に、笑みが途絶える事は無かった事だけは記しておこう。
**********************************************************************
「えーーーっ!? 修学旅行に行っちゃ駄目っ!?」
アスカの大声が居間に響いた。その大声に風呂場に居るペンペンも思わず反応してしまった。
理不尽に聞こえたミサトの言葉の為に、アスカは険しい顔をしてミサトを睨みつけていた。
だが、ミサトはアスカの様子を気にする事無く、片手に缶ビールを持ったまま平然とした態度で話していた。
「そっ」
「どうして!?」
「戦闘待機だもの」
「そんなの、聞いてないわよ!」
「今、言ったわ」
「誰が決めたのよ!」
「作戦係長のあたしが決めたの」
【HC】のメンバーがネルフ本部から出て行った後、ネルフ内で若干の組織変更が為されていた。
ミサトが作戦立案主任から作戦係長に上がったのも、その組織変更の一つだった。
職階だけのアップで、階級は准尉のままだ。明確な昇進に対する理由が無ければ、無闇に階級は上げられない。
だが、弐号機と参号機の指揮をミサトにやらせるという目的がある為に、作戦立案主任という職階では少々無理があった。
その為に、作戦部の係長に任命されたという裏事情があった。
「気持ちは分かるけど……こればっかりは仕方無いわ。
アスカが修学旅行に行っている間に、使徒の攻撃があるかも知れないでしょう」
「いつも、いつも。待機、待機、待機!! 何時来るか分かんない敵を相手に守る事ばっかし!!
たまには敵の居場所をつきとめて攻めに行ったらどうなの!?」
アスカは修学旅行を楽しみにしていた。
今まで訓練漬けの日々が続いた事もある。シンジにやり込められたストレスも溜まっていた。
気の合う友人のヒカリと一緒に沖縄に行き、スキューバダイビングが楽しめる。そう思って修学旅行を心待ちにしていた。
さらには、加持と一緒にショッピングに行き、水着も新調しているのだ。
目の前の鰹節を盗られた猫のように、アスカは怒りを隠そうともせずにミサトに食って掛かっていった。
「それが出来ればやってるわよ。それにエースであるアスカが出撃出来ないと、【HC】の奴らが出張ってくるのよ。
あいつらに戦果を横取りされたく無いでしょ」
「そ、それはそうだけど……ジャージも待機なの?」
「鈴原君の事? 当然、彼も待機よ。まあ、あんまし彼を虐めないようにね。アスカから見れば、彼はまだ素人なんだからね」
【HC】に戦果を横取りされると言われたアスカに、今までの勢いは無かった。
確かに修学旅行は楽しみだが、シンジ達にこれ以上の差を付けられる訳にはいかない。そういう思いがアスカには強くあった。
アスカが黙り込んだのを見てミサトは笑みを浮かべ、トウジに電話をかけようと電話機のところに向かった。
かくして、アスカとトウジは修学旅行に行くこと無く、本部で待機する事が決定された。
**********************************************************************
第三新東京:国内線ターミナル
アスカとトウジはヒカリ達を見送る為に、国内線のターミナルに来ていた。
搭乗手続き前のクラスメートは、二人に対して申し訳なさそうな表情をしていたが、僅かな時間だけだった。
アスカとトウジに挨拶(お土産は買ってくると約束しただけだが)を済ませると、早速搭乗手続きに入った。
ここまで来ればクラスメートの心にあるのは、沖縄の海の事だけだった。アスカとトウジの事など、誰も考えてはいない。
待ちに待った沖縄の海だ。全員が始めて沖縄に行く事もあり、浮かれているのは当然だろう。
アスカとトウジはクラスメートの浮かれている様子を見て、落胆していた。
EVAのパイロットの義務とはいえ、何で友人が遊んでいるのに自分は待機をしなければならないのか。
この後、ネルフのプールを自由に使って良いと言われているが、沖縄の海とは比較にならない。
まあ今日ばかりは訓練は予定されて無く、プールでの自由時間があるだけましかと思い、アスカとトウジはヒカリ達を乗せて
飛び立つ旅客機を見送っていた。
余談になるが、この時点でトウジがEVAのパイロットであるという事は、クラスメートには周知されていた。
アスカの事がばれている事もある。これから緊急召集でアスカと一緒に行動する事もある。何時かは分かる事だった。
だったら、早めに周知させてトウジの立場を良くした方が、トウジ本人にしても良いだろうとの判断である。
もっとも具体的に説明があった訳では無く、アスカと同じ立場になってネルフの仕事をするようになったと言う説明だけだった。
だが、それだけでもクラスメートには分かってしまった。
何故トウジが選ばれたのかと言う疑問はあったが、それにはトウジも答えられなかった。
ケンスケは顔を真っ赤にしてトウジに詰め寄ったが、トウジも守秘義務は理解している。
パイロットである事を認めても、その内容に関しては一切口を閉ざしていた。
**********************************************************************
ネルフ施設内のプール
アスカはペンペンと一緒にプールで泳いでいた。
プールに居るのはアスカとトウジ、それに阿賀野カエデと言う女性オペレータの三人だ。
トウジではアスカに敵わないのは分かっているが、年頃の男女二人だけにして問題があっては困る為だ。
故にカエデは二人の監視という事で来ている。もっとも、カエデも水着姿で、役得と思い切って泳いでいた。
トウジの熱い視線は少々気になったが、この際だから自分もリフレッシュしようとカエデは考えていた。
トウジは修学旅行に行けなかった事も忘れ、鼻の下を伸ばしてカエデの水着姿に見惚れていた。
ミサトには及ばないが、カエデも大人の女性であり、かなり良いプロポーションをしている。
アスカを含めた同級生の少女達より、よっぽど目の保養になる。
(いやあ、沖縄には行けへんかったけど、ネルフは良いところやな。ミサトはんやカエデはんと言い、美女ばっかりやないか。
乱暴者の惣流より、よっぽどカエデはんの方がええわ)
トウジはカエデの近くに行こうと、カエデを追って泳ぎだした。
最近は【漢】を目指すより、【男】の本能に忠実になるトウジであった。
アスカは修学旅行に行けなかった鬱憤を晴らそうと、ペンペンと一緒に泳いでいた。
ペンペンを連れてきたのは、室内でトウジと二人きりになるのを嫌がった為だ。
カエデが居るのは予想外だったが、トウジの目がカエデに向けられているのを幸いと思い、ペンペンと泳ぎを楽しんでいた。
アスカにとってペンペンがペットと言う意識は無かったが、不思議とペンペンと居ると癒される自分を感じられた。
「クアァァァ」
「ペンペン、こっちへいらっしゃい。競争よ!」
カエデとトウジはプールからあがって、椅子に座って話し込んでいた。
遠目でも、トウジの鼻の下が伸びきっているのははっきり分かった。
(もう、あたしを見ないで、あの女ばっかり見るって何を考えているのよ!
やっぱり子分としての立場を後できっちり分からせないとね。まあ良いわよ。今はペンペンと遊ぶ事を楽しむわ!)
トウジの視線が自分に向けられたら、アスカは嫌がっただろう。だが、まるっきりの無視でも不愉快になる。
複雑な女心のアスカだった。
**********************************************************************
浅間山:地震研究所:制御室
マグマの中の観測機から送られてくる映像を、ミサトは真剣な表情で見入っていた。
既に観測機の潜行深度は、安全限界深度を超えていた。堪りかねた職員が声を荒げた。
「もう限界です!」
「いえ、あと五百お願いします」
ミサトは職員の抗議の声など気にもせず、観測の続行を命じた。形式上は依頼だったが、実際は強制命令であった。
事の発端は、この観測所からマグマの中に不可思議な影が見えると言うものだった。
マグマの中の怪しい影。使徒の可能性があった。だが、送られて来た観測データでは断定は出来なかった。
その為に、ミサトと日向が直接確認に出向いて来た。
使徒が発見出来るのであれば、研究所の観測機など気に留めるつもりも無い。ミサトの目に暗い光が輝き始めていた。
『深度千二百、耐圧隔壁に亀裂発生』
「葛城さん!」
「壊れたらネルフで弁償します。あと二百」
ミサトの素っ気無い態度に、地震研究所の所員は肩を落とした。
弁償すると言われても、マグマの中に深く潜行出来る観測機など市販されている物では無い。
完全な特注品である。しかも発注してからの納期は年単位である。
壊れたら、次に納品されるまではマグマの中の観測は諦めるしか無い。
しかも、ネルフが弁償すると言っているが、本当に弁償してくれるのか?
上の組織からの指示もあってミサトの命令を拒否出来なかった所員は、懐疑の視線をミサトに向けていた。
「モニタに反応!!」
「解析開始!」
日向の報告にミサトは素早く解析を命令した。
解析を始めて間もなく、観測機は限界を超えるマグマの圧力で潰されて、観測データは途切れてしまった。
『観測機、圧壊。爆発しました』
「解析は!?」
「ギリギリで間に合いましたね……パターン青です」
解析結果が表示されたモニタには、何やら胎児らしき姿が映っていた。
ミサトは真剣な表情でモニタに見入った。そして顔を引き締めながら振り返り、部屋に居る所員全員に宣言した。
「間違い無い……使徒だわ。これより当研究所は完全閉鎖。ネルフの管轄下になります。
一切の入室を禁じた上、過去六時間以内の事象は全て部外秘とします!」
研究所の上の組織から、ネルフの権限に関しての連絡もあった。使徒が発見された場合は、完全にネルフの命令に
従うように上位組織から指示が出ていた事もあり、研究所の所員からの抗議の声は無かった。
やっと自分の指揮で使徒を殲滅出来るチャンスだ。それを意識したミサトの目の暗い光が輝きを増していった。
ミサトは廊下に出ると、ネルフ本部に連絡を入れた。
「六分儀司令宛てにA−17を要請して。大至急!」
『! A−17は抹消された特務権限です。今のネルフでは使えません。それでも六分儀司令に要請しますか?
それに、これは通常回線です』
ミサトの連絡を受けた青葉は、内心の不満を押し殺して丁寧にミサトに対応した。
階級ではミサトより青葉の方が上だが、職位はミサトの方が上なのだ。
だが、使徒を倒せるチャンスと思ったミサトの目の暗い光は輝いていた。冷静さを失っていたかもしれない。
そんなミサトにとって、青葉の反論は邪魔にしか感じられなかった。
「分かっているわ。さっさと守秘回線に切り替えて!」
***********************************
ゲンドウと冬月は、立体映像の人類補完委員会のメンバーと向き合っていた。
『A−17は取り消された特務権限だ。許可は出来ないが、使徒を捕獲すると言うのか?』
『こちらから打って出ると言うのか?』
「そうです」
A−17による資産の強奪は、当初から予定されていた。
第三新東京を出て使徒に対応する時は、A−17を使わせるようにリツコを使ってミサトを誘導させたのはゲンドウだ。
そうで無ければ、何も資産凍結を含むA−17では無く、普通の特務権限の行使で事足りる。
もっともシンジの要求で日本の主権侵害が出来なくなったので、自然とA−17の発令権限は抹消されていた。
だが、使徒の捕獲は今のネルフでも十分可能だ。
生きた使徒。
S2機関のサンプルを手に入れるチャンスに止まらず、使徒の機関を移植すれば、強力なEVAが製造出来るかも知れない。
ゲンドウはこのチャンスを見逃すつもりは無かった。
『駄目だ。危険過ぎる。十五年前を忘れたとは言わせんぞ』
「これはチャンスなのです。これまで防戦一方だった我々が、初めて攻勢に出れる時です」
『しかし、リスクが大き過ぎるな』
「生きた使徒の重要性は、既にご承知の事でしょう」
『……失敗は許さん』
委員会のメンバーは失敗した時のリスクを懸念したが、結局は許可を出した。
使徒が見つかった以上、放置は出来ないのは理解していた。
会議を終えた委員会メンバーの立体映像は次々と消え、薄暗かった司令室に少し明るさが戻った。
会議では一言も発言しなかった冬月は、顔をゲンドウに向けないまま尋ねた。
「失敗か。その時はネルフがどうなるか。本当に良いんだな」
冬月の質問にゲンドウはニヤリと口を歪めた。ゲンドウの思惑は、ゲンドウだけが知っていた。
***********************************
日向から送られてきた使徒の映像を、リツコ、マヤ、アスカ、トウジの四人が真剣な目で見つめていた。
「これが使徒なの!?」
「そうよ。まだ完成体になっていないサナギのような状態よ。今回の作戦は、使徒の捕獲を最優先とします。
出来うる限り原型を留めて、生きたまま回収する事」
「出来なかった時は?」
「即時、殲滅。良いわね」
「はい」 「ほい」
「作戦担当者はアスカ。弐号機で担当して」
車椅子に座ったリツコは、アスカを直接指名した。
トウジはまだ初陣を済ませていない。それにATフィールドの展開も出来ていない。まあ、当然の人選だろう。
使徒の捕獲とはいえ、マグマの中に潜るのだ。イレギュラーが発生する事も十分考えられた。
ある程度の経験が求められるのは当然だろう。
リツコから指名を受けたアスカは、張り切った表情である。
「任せなさい! ジャージ。あんたはあたしの華麗な姿をしっかり見ておくのよ。エースパイロットであるこのあたしの勇姿をね」
(これで使徒を捕獲すれば、あいつに一泡吹かせられるわ。それにジャージにも立場を分からせる良い機会だわ)
「………」
(まったく、一々煩い女やな。先輩風吹かしおって。どうも、こいつは好かん)
「捕獲作戦の実施が決まったからには、直ぐに出るわよ。二人とも直ぐに準備に入って!」
「「はい」」
耐熱装備のプラグスーツと、弐号機に付けられたD型装備にアスカがクレームをつけて、
トウジが内心では笑うとかのハプニングはあったが、弐号機と参号機はキャリアに搭載されて出撃していった。
**********************************************************************
子犬を抱いた女性と加持の二人は、ロープウェイに乗っていた。他に乗客は無く二人だけであった。
さも知らない振りを装うかのように、ロープウェイの端と端に二人は座って、視線を合わせる事は無かった。
「何故、権限も無いのにA−17を要請したのかしら? しかも一般回線で。
ネルフの権限が制限されていると分かっていても、市場はかなり混乱したわ。ネルフはどう責任を取るつもりかしら?」
「さあ?」
「どうして止めなかったの?」
「自分にその権限はありませんよ。しかも現場には居なかったんですよ」
ミサトが一般回線でA−17を要請した事は、ある程度の組織には知れ渡っていた。
その情報が回りまわって、市場がかなり混乱した。だが、ネルフから正式にA−17が発令された訳では無く、
盗聴による情報の為に、表立っては抗議すら出来ない。精々が嫌味を言うぐらいだ。
女性は外を眺めながらも溜息をつき、話しを続けた。
「【HC】があるから最悪の事態にはならないけど、ネルフの失敗は甚大な被害をもたらすのよ。
まったく何を考えているのかしらね」
「彼等はそんなに傲慢ではありませんよ」
「補完委員会は何を考えて今のネルフの首脳部を選任したのかしら? 日本政府は【HC】を支持したのよ。
いつまでもネルフの横暴を見逃すと思わない方が利口だと思うけど」
つまり、忍耐のレベルが一定レベルを超えた時、日本政府はネルフと公然と対立すると言う事かと理解し、
加持は秘かに冷や汗を流していた。
**********************************************************************
浅間山に到着したネルフのスタッフは、早速設営作業に入った。
D型装備に身を固めた弐号機に乗っているアスカは、リツコ達の準備が整うまではする事が無い。
アスカは周囲を見渡すと、戦自の航空機らしき物が目に入った。
「何? あれは」
今回の作戦はマグマの中に潜る事だ。航空機の出番など無いはずと、アスカは不思議に思ってリツコに問い質した。
『戦自の爆撃機が、空中待機してるのよ』
『この作戦が終わるまでね』
「手伝ってくれるの?」
日本政府は【HC】を支持したと聞いている。その日本政府の所有武力である戦自が、協力してくれると言うのか?
航空機がマグマの中の使徒に影響を与えられるとは思わないが、孤立無援よりよっぽど良い。
アスカの口調には期待が込められていた。だが、アスカの期待はリツコとマヤの返事で、見事なまでに打ち砕かれた。
『いえ、後始末よ』
『あたし達が失敗した時のね』
「どういうこと?」
『使徒をN2爆弾で熱処理するのよ。あたし達ごとね』
「酷い! 誰がそんな命令出すのよ!」 『ほんまに!?』
『六分儀司令よ』
リツコの答えに、アスカとトウジは顔を引き攣らせた。
確かに使徒に負ければ人類は滅ぶと聞かされている。人類全体を守る為なら、自分達ごと使徒を消去するつもりなのか?
使徒に負けるくらいなら、使徒を道連れに一緒に滅ぶなどと言う覚悟を、アスカとトウジは持っていなかった。
だが、道連れを強制される可能性が十分にあると二人は自覚した。自然と二人の表情が引き締まった。
貴重な弐号機とアスカを、簡単に処分出来るはずも無い。それにN2爆弾で使徒を倒せるとゲンドウも思っていない。
それは第三使徒(サキエル)を見れば分かる事だろう。
ゲンドウが戦自にN2爆弾搭載機の出撃を依頼したのは、アスカとトウジに失敗は死という強烈な脅しをかける為だった。
策は見事に当たり、アスカとトウジの顔には真剣さが滲み出ていた。
だが、本人のやる気と結果はイコールでは無い。いくら本人にやる気があっても、成功すると約束された訳では無い。
ネルフの作戦が失敗した場合、N2爆弾搭載機はどのような行動を取るのだろうか?
**********************************************************************
【HC】戦闘指揮所
ネルフの発令所とは異なって、【HC】の戦闘指揮所に高低差は無い。全てが平面の部屋に戦闘指揮所は置かれていた。
一番奥の司令席には不知火司令が、その隣にはライアーン副司令が座っていた。
ミーナを含む女性オペレータ三人は、前面に配置されている各自の席に座っていた。これが通常の戦闘指揮所の人員配置だ。
だが、今は予備席にシンジとレイが並んで、そして一つ空けた席にセレナが座っていた。
戦闘指揮所に居る全員が大型モニタを注視している。
そこには、衛星軌道上から撮影されている浅間山の映像があった。
その映像を見ながら、不知火とライアーンは興味深げに話していた。
「ロックフォード中佐の情報通り、ネルフは浅間山にEVAを持ち込んだか。
しかし、本当にマグマの中に潜って、使徒を捕獲するつもりなのか?」
「あの白い不細工な耐熱装備を弐号機が着込んでいるからには、本気なのでしょうね。それにしても参号機が参加しているとは。
ネルフも着々と準備はしているようですね」
【HC】はネルフと同等の特務権限を有している。だが、その特務権限はネルフから指揮権を移譲されるか、【HC】が危機に
陥るまでは発動出来ない(自己防衛の為の特務権限の行使は認められている)という制約がある。
【HC】は当然ネルフの行動を監視していた。
今回の発端は、浅間山の地震研究所からミサトのA−17の要請の通信を傍受した事だ。
A−17は発動はされなかったが、浅間山でネルフの特務権限が行使されたのだ。自然と注目は集まった。
だが、【HC】の組織としてネルフ内部の情報を得る事は出来なかった。
MAGIは落していないし、ネルフの本発令所や司令室に盗聴器など仕掛けられなかった為である。
無理をすれば出来ただろう。だが、電波発信式の盗聴器などは容易に見つけられる。
この件に関して、不知火はネルフを甘く見るつもりは無かった。
よって、表面上は衛星監視システムを使った監視体制を布いているだけだ。
だが、シンジの立場は違った。亜空間制御技術を使用した盗聴システムは、まだ完成までに時間がかかるが、ネルフ本部には
いくつもの情報源を隠し持っていた。
そして、今回の情報源は加持だった。加持は自分でも知らないうちに、ネルフ関係の情報をシンジに伝えるように
強い暗示をシンジから受けていた。従って、アスカが加持と水着の買い物に出掛けた事や、参号機のパイロットにトウジが
選ばれた事。そして、今回のネルフの行動目的が使徒の捕獲である事も、弐号機と参号機の出撃前に知っていた。
そして不知火に連絡をしてメンバーを召集。戦闘指揮所で衛星軌道からの撮影映像を見ていたのだ。
「あの火口の中に使徒の胎児が居るみたいです。ネルフは胎児状態の使徒を、生きたまま捕獲するつもりらしいですね」
「……中佐、どこから情報を仕入れているのかね。情報源を教えて欲しいのだが」
「司令と同意見だ。私にも内緒なのかね?」
「情報源は絶対に秘匿せよ。以前にライアーン副司令がボクに教えてくれた事ですよね。今でもしっかり覚えてますよ」
「…………」
「まあ、知り得た情報は基本的に隠す気はありませんから、そこら辺はあまり聞かないでくれると助かります」
「分かった、中佐の言う通りだな。情報源は聞かない事にしよう。それはそうと、そろそろ準備が出来る頃合か?」
【HC】として、ネルフの使徒捕獲作戦を妨害するとか、捕獲した使徒を強奪するかとは一切考えていない。
そもそもネルフが健在である以上は、【HC】は特務権限を行使出来ない。
だが、ネルフが使徒の捕獲に失敗し、弐号機と参号機が敗退した時こそ【HC】の出番となる。
ネルフの作戦が成功するかは未定だが、失敗した時の事を考えて【HC】は出撃する事で不知火とライアーンは同意した。
もっとも、ただ零号機と初号機を出撃させる訳にはいかない。それ相応の準備が必要になる。
既に準備の方はシンジが指示を出しており、今は準備完了の連絡待ちの状態だった。
『アーシュライトです。基地内にストックされていた非常用の液体窒素(-196℃)は全て弾頭に詰め込みを終了しました。
ミサイル八基と投下型爆弾二個です。現在はワルキューレにミサイルを取り付け中です。八分以内には終了します』
「ありがとうございます。いきなりの作業依頼で無理を言って済みませんでした」
技術担当のアーシュライト課長からシンジに連絡が入ってきた。シンジはこの連絡を待っていたのだ。
使徒の情報がまったく無かったが、マグマの中に居るという事は耐熱機能に優れているだろう事は容易に想像出来た。
固い外皮を具えて、下手な攻撃はまったく通用しないだろう。攻撃手段に熱を使う可能性だってある。
従ってシンジが準備を指示したのは、温度差による攻撃が可能なように液体窒素を詰め込んだ弾頭と、貫通力に優れた
武器を用意する事だった。既に太平洋に居る潜水空母からは、天武用のキャリアは出撃してこちらに向っている。
搭載しているレールガンはまだ実戦投入した事は無いが、貫通力だけ見れば世界のトップクラスにあった。
「準備が出来たようだな。これが【HC】の初陣となる。しっかりとな」
「何事も最初が肝心です。中佐の任務完了の報告を待っていますよ」
「……ネルフの作戦が成功すれば、この出撃は単なる訓練飛行になるんですよ。初陣だとか、お二人とも気が早いと思いますが?」
「中佐、心にも無い事を言うのは無しだ。君もネルフの捕獲作戦が成功するとは思ってもいないだろう?」
不知火の言う通りだった。シンジはネルフの捕獲作戦が成功するとは考えて居なかった。
本国の研究所からの使徒の研究レポートで、使徒が進化しているのでは無いかという懸念が出されていた。
確かに活動前の胎児なら捕獲出来ると考えるのは分かるが、場所がマグマの中ときては、こちらを誘き出しているのでは
という疑惑があった。
ネルフが使徒のサンプルを欲しているのは知っていたが、逆に使徒に釣られているのではと思えてしまった。
不知火とライアーンも同じ考えだ。だから必ず零号機と初号機の出番があると信じていた。
「我々が使徒と戦うと決まった訳では無いから、国連軍に支援は要請出来ない。だが、基地航空隊の第二中隊十二機を出す。
第二中隊の指揮権限は中佐に委ねる。ライアーン准将、異存は無いな」
「前にもお話ししたように、最終権限は不知火司令官にあります。私は司令官に従います」
「うむ。ネルフがどうなろうが、中佐の好きなようにして構わない。だが、民間への被害は極力抑えるようにな」
「了解です。これから出撃すれば、浅間山に着く頃にはネルフの作戦が成功するか、失敗しているかはっきりしているでしょう。
レイは大丈夫かな?」
シンジはそう言って、自分の腕を抱きしめて今まで一言も発言しなかったレイに顔を向けた。
レイの立場はあくまで民間協力者の立場である。シンジからの要請で動くだけだ。(報酬は当然有り)
不知火とライアーンはそれを承知しており、レイに対しては一線を引いた対応をしていた。
レイも自分の立場は弁えており、不知火達三人の会話に敢えて口を挿まなかった。
「あたしは大丈夫よ。でもお兄ちゃん、あの格納庫への搭乗トンネルを使って移動するの?」
レイが指差した先には、人間一人が楽々と通れるぐらいの穴が二つあった。
戦闘指揮所からEVAの格納庫までの搭乗トンネルである。エレベータを使用するより、遥かに短い時間で格納庫に移動が出来た。
当然、今回初めて使う訳では無い。事前確認は済ませてあった。だが、その事前確認が問題だった。
搭乗トンネルは、パイロットスーツを着ている事を前提に造られていた。
どこかのアニメのように、通るだけで自動的に服を着替える事が出来る機能などは付いてはいない。
(実現可能かどうかを一応シンジは検討したが、結局は断念した経緯がある)
あくまで戦闘指揮所から格納庫までの移動時間を短くして、出来るだけ早く出撃出来るようにと造られたものだ。
この基地に引っ越してすぐの事だが、シンジから基地の説明を受けている時に、レイはこの搭乗トンネルに興味を持った。
完成しているのかというレイの質問に、シンジは使える状態であると回答した。
次の瞬間、レイは搭乗トンネルに飛び込んでいた。シンジが制止する間も無かった。
そしてスカート姿のレイは、盛大にスカートがめくれたまま格納庫に滑りついた。
もっとも、数人いた整備員に下着を見られて、レイが悲鳴をあげたという落ちもあったが。
今のレイはパイロットスーツを着用している。搭乗トンネルを使っても、下着を見られる事は無い。
だが、レイは緊急時以外に搭乗トンネルを使いたがらなかった。ある意味、軽度のトラウマになっているのだろう。
そんなレイの気持ちはシンジも理解していた。今回はそんな緊急度が高い出撃では無いのだ。
シンジはレイの手をとって、格納庫への直通エレベータに向かってゆっくりと歩いていった。
後日談になるが、某関西の財閥の総帥は【HC】としての初出撃に搭乗トンネルが使われなかったと聞いて、肩を落したという。
***********************************
管制ビルの前にある二つのプールは、娯楽施設として何時でも使用して構わないという通達があった事もあり、それなりの人数が
プールで泳いだり、プールサイドで寛いでいたりして憩いの場となっていた。
もっともプールは男女で区別されており、カップルで来た時は中間位置にある休憩室で寛ぐのが定石になっていた。
そこに、いきなり警報音と共に、大音声でミーナのアナウンスが流れ出した。
『緊急事態発生! EVA発進準備! プールに居る人は速やかに退避エリアに移動して下さい! 繰り返します。
緊急事態発生! EVA発進準備! プールに居る人は速やかに退避エリアに移動して下さい!』
「なっ、何事だ!? 緊急事態だと!?」
「俺が知るかよ。でも緊急時には速やかにプールから移動しろって言われてるんだぜ。早く移動しなくちゃ」
「この前のプールからの避難訓練は、この為のものだったのか?」
「EVA発進とか言ってたけど、何でプールから退避しなくちゃならないんだ?」
「詮索は後にしろ。早く避難するぞ!」
基本的にプールの利用者は【HC】の職員である。分別を弁えており、通達に素直に従っていた。
事前に避難訓練を行っていた事もあり、放送開始から三分以内にプールから人影は消えていた。
そして退避エリアに駆け込んだ職員の耳に、二つのプールから何かが動く音と水が落ちる大きな音が聞こえてきた。
ゴゴゴゴォォォ ザザーーーーッ
退避エリアからプールを見ていた職員達は目を瞠った。
まさか、今まで自分達が泳いでいたプールの底が、二つに割れるなど想像さえしていなかった。
だが、職員達の驚きはこれに止まらなかった。
割れたプールの底から、垂直エレベータに乗った零号機と初号機が姿を現したのだ。
ちなみに、男用のプールからは初号機が、女性用のプールからは零号機だ。こういう気配り(?)も忘れてはいない。
「おおおーーーっ!! スゲエ迫力!!」
「なっ、何で零号機と初号機がプールの底から出てくるんだ!? 格納庫の側の建物に居るんじゃなかったのかよ!」
「あっちはダミーだったのか! しかし、味方にまで内緒にするなんて、何を考えているんだ!」
「しかし、どっかで見た記憶が……富士山麓の基地……プール……ま、まさか巨大ロボットの元祖の真似か!?」
「何だそれ?」
「お前は知らんのか? 我が国の誇る巨大ロボットの草分けの事を!
恥知らずな国ではテコ○Vとかでパクられているが、世界各国に輸出されているんだぞ。
その発進シーンそのものじゃ無いか。まさかこの目でこのシーンが見れるとは! 感謝するぞ!!」
「何それ? 俺達の年代じゃ知らないよ」
「お前はそれでも日本人か!? あれを見ろ!」
男が指差した先には、北欧連合からやって来た若者達がうっとりとした表情で零号機と初号機を見つめていた。
「素晴らしい!!」
「まさか日本に来て、このシーンが見れるとは!! さすが発祥の国と言おうか」
「子供の頃を思い出すな。日本へ来て良かった」
自分より若く見える金髪の若者が恍惚とした表情を浮かべているのを見て、出典を知らないと言った青年は冷や汗を流していた。
自分より年配の日本人と自分より若い金髪の若者が何故か熱くなっている中、自分はその理由を知らない。
ここに居て良いのだろうか? そんな疑惑が青年の心の底から浮かび上がってきた。
そして、精一杯の嫌味を込めて、現実的な問題点を指摘した。
「この基地の建設費は北欧連合が出しているんだろう。公金をこんな遊びに使って良いのかよ!!」
青年の言葉でも、周囲の人間の態度は変わらなかった。
そこに、青年に追い討ちをかけるように、ミーナのアナウンスが聞こえてきた。
『コホン。このプールを使った発進システムは、不知火司令官の実兄である不知火シンゴ様の寄付金で造られています。
公金を使用した訳ではありません。それと不知火シンゴ様より皆様に伝言を預っております。
”同志よ。心から堪能してくれ” 以上です』
オオォォォー
周囲から沸く歓声の中、唯一馴染めない日本人の青年は、がっくりと肩を落とした。
{作者注.以前、イベリアに行った時にホテルでTVを見ていたら、日本のアニメが字幕放送されていました。
ロケットに乗って地上の様子が映し出される時、昔見た記憶では日本列島が映っていたのですが、
そのシーンはイベリア半島に修正されていました。思わず笑ってしまいましたが、これは実話です。
もっとも北欧に輸出されているかは、行った事が無いので分かりません。突っ込まないでくれると助かります}
***********************************
ミーナが不知火シンゴの伝言を伝え、それに応える歓声は戦闘指揮所のスピーカからも流れていた。
その歓声を聞いたライアーンとオペレータの白い視線に、不知火は必死に耐えていた。
自分の背中に流れる冷や汗を自覚しながらも、不知火は周囲の反応を窺いながらミーナに抗議した。
「ミ、ミーナ君。何もあんな事を言わなくても良いのでは無いかな」
「いえ。広島に行った時にシンゴ叔父様からしっかりと頼まれていますから。
それに、こうでもしないと公金の不正使用を疑われてしまいます。司令官はそれでも構わないとおっしゃるのですか?」
「い、いや。寄付金の事は良いんだ。何も私の実兄などとは言う必要は無かったんじゃないか?」
「あら、司令官の実兄であるシンゴ叔父様の寄付と言えば、司令官の株も上がると思いましたが、余計な事でしたか?」
「い、いや、そんな事はだな」
「それと司令官から頼まれていた零号機と初号機の発進シーンですが、八方向のカメラからの映像を最高画質で録画してあります。
発進シーンに反応した職員(観客?)の映像も納めてありますから、後でDVDに落として司令官室にお持ちします」
基地建設の基本資金は北欧連合とロックフォード財団、そして日本の独立法人の核融合開発機構が出している。
だが、一部の施設の費用に関しては不知火シンゴの個人資産から出されていた。
自己資産を使った施設の稼動状況を見たいと言う兄の頼みを、不知火は断れなかった。
大した事はあるまいと、不知火は事前にミーナにEVAの発進シーンを録画するように頼んでいたのだ。
まさか、こんな事態になるとは思ってもいなかった不知火であった。
(ううっ。皆の視線が痛い。俺も兄貴と同類と思われたのか……司令官の威厳が……兄貴よ、恨むぞ!)
女性オペレータとライアーンから白い視線で見られた不知火だったが、この後で不知火に対する職員の態度に変化が生じた。
何故か不知火に親しげに話しかける人間が続出したのだ。
それも、今までは話した事も無い北欧連合から出向で来ている中級クラスの職員に、その傾向が顕著になっていた。
怪我の功名と言えるかは分からないが、結果的にシンゴの依頼は職員の不知火に対する支持を増す事になっていた。
後日談になるが、某関西の財閥の総帥は、弟から送られたDVDを見て大喜びした。
そしてDVDを複数コピーして、同じ趣味を持つ友人達に配った。その総帥の友人達の反応は言うまでも無いだろう。
***********************************
シンジとレイはエントリープラグに入った後は、極端に寡黙になっていた。
これから戦場に向かうのだ。浮かれた気分ではいられない。
いくらスピーカから騒いだ声が聞こえてこようが、聞こえないふりをして無視していたのだ。
だが、とうとう我慢出来なくなったレイは、初号機との通信回線を開いた。
『お兄ちゃん』
「レイか。どうした?」
『帰ったら、あたしも騒ぎたいの。どこか遊びに行きたいわ』
「……分かった。場所は用意する。でも帰るまでは、その事は考えちゃ駄目だぞ。まずは浅間山に集中するんだ」
『うん、分かったわ』
既に零号機と初号機はEVA専用キャリアに搭載され、浅間山に向かって飛行していた。
護衛に基地航空隊の第二中隊(全機がワルキューレU)十二機が随伴している。
それと潜水空母から発進したレールガン搭載の天武用のキャリアも同行している。
これらの戦力全てがシンジの指揮下に入っていた。いざとなれば衛星軌道にある【ウルドの弓】も使うつもりだ。
使徒と戦うのに十分な戦力かどうかは、使徒の能力が分からないので何とも言えない。
ネルフの作戦の結果次第では、この戦力で使徒を倒さねばならない。
そして、この戦力を使う可能性は非常に高いとシンジは思っていた。
**********************************************************************
浅間山火口に設営を終えたネルフは、D型装備に身を固めた弐号機をマグマの中に潜行させていた。
マグマの中はただでさえ視界が悪い。それに加えてマグマの対流が予想以上に早かった。
弐号機に乗ったアスカは劣悪な環境でありながら、自分の職務を果たそうと真剣に周囲に気を配っていた。
「深度、四百……四百五十……五百……五百五十……六百……六百五十」
参号機に乗っているトウジは、マヤの深度報告を黙って聞いていた。
そして、弐号機が潜っていったマグマを見つめながら、無意識のうちに唾を飲み込んでいた。
「千……千二十……安全深度オーバー」
モニタに表示される深度情報を、マヤが淡々と読み上げていった。
戦闘指揮車両に居る全員が、マヤの報告を黙って聞いているだけだ。弐号機はマグマの中をゆっくりと下降を続けていた。
「千三百。目標予測地点です」
「アスカ、何か見える?」
『反応無し。居ないわ』
ミサトの質問にアスカが素早く答えた。
マグマの対流が予想以上に早い事は分かっていた。使徒の胎児もそれに流されたのだろう。
だが、これだけ大々的に準備をして、使徒の捕獲作戦に挑んだのだ。簡単に諦める訳にはいかない。
それに【HC】を出し抜く良い機会なのだ。ミサトは素早く判断を下していた。
「使徒の座標の再計算を急いで。それと作戦続行。再度沈降させなさい」
「えっ」
日向が思わずミサトを振り返ったが、何も喋らずに視線をモニタに戻していた。
「千三百五十……千四百」
パリッ
既にD型装備の安全深度を超えている。嫌な音と共に、弐号機に微かな振動が伝わった。
「第二循環パイプに亀裂発生。深度千四百八十。限界深度、オーバー」
弐号機の様子は戦闘指揮車両でもモニタされている。
ミサトはアスカの様子を確認する為に声をかけた。
「アスカ、どう?」
『まだ大丈夫よ。さっさと終わらせて、シャワーを浴びたいわ』
「近くに良い温泉があるわ。終わったら行きましょう。もう少し頑張って!」
ここまで来て、使徒が見つけられなくて作戦を諦めるという選択肢は、今のミサトには無かった。目の暗い光は僅かだが光っていた。
アスカも同じだ。ここで諦めたら今までの苦労が無駄になる。循環パイプの一つが使えなくなったが、致命傷を受けた訳では無い。
パリーーーン
ガラスが割れるような音が響いて、プログナイフを収納していたベルトが切れてしまった。
弐号機のプログナイフはマグマの中に消えていった。
「限界深度+120。EVA弐号機、プログナイフ喪失」
マヤの報告が淡々と続いた。この時点で弐号機の武装は無くなった。
捕獲作戦だけなら弐号機が持っているキャッチャーだけで事足りる。
だが、万が一でも使徒が活動を始めたら、弐号機に対処する手段は無い。
ミサトは内心では危惧したが顔には表さず、黙って画面を見つめていた。
「限界深度+200」
「葛城さん、もうこれ以上は。今度は人が乗っているんですよ!」
堪りかねた日向がミサトに意見した。前回は無人の観測機だったので壊れても構わないと思ったが、今回はアスカが乗っている。
弐号機が押し潰される前に使徒が捕獲出来れば良いのだが、このままでは使徒は見つからずに、
弐号機がマグマの圧力に耐えられずに潰される危険性も出てきた。
そうなれば、アスカは無駄死になって弐号機も失われる。そんな危惧から出た日向の意見だった。
だが、ミサトは日向の方を振り向きもせずに、画面を見つめながら作戦続行を命令した。
「この作戦の責任者は私です。続けて!」
『ミサトの言う通りよ。まだ大丈夫よ』
弐号機からの通信も入った。熱と緊張にアスカは気丈にも耐えているが、少しやつれた表情である。
だが、ここまでくれば意地もある。まだ気力は失ってはいない。
「深度。千七百八十。目標予測修正地点です」
マヤの深度報告が入った。ここで使徒が見つからなければ、後は闇雲に使徒を探すしか方法は残されていない。
さすがにこれ以上深く潜行させて、使徒が見つからずに弐号機が圧壊すれば、ミサトの責任が追及されるだろう。
ミサトはジレンマの只中にあった。
アスカも追い詰められていた。長時間の熱と緊張が絶え間なくアスカに掛かっている。
マグマの中という極限状態では、アスカのストレスは極限に達しようとしていた。
だが、EVAのパイロットであると言うプライドは捨ててはいない。逃げ帰る気は無かった。
アスカは注意深く、周囲を探っていた。そしてやっと目標を見つけた。
「いた」
『目標を映像で確認』
『捕獲準備』
ミサトの指示に従って、アスカはキャッチャーを展開させた。
『お互い対流で流されているから、接触のチャンスは一度だけよ』
「分かってるわ!」
リツコの説明にアスカは頷いた。ここまで来て、やっと使徒が見つけられたのだ。
失敗するつもりなど、アスカには無かった。
『電磁柵を展開。問題無し』
弐号機は使徒にゆっくりと近づいていき、使徒を電磁柵で固定した。
「目標、捕獲しました」
戦闘指揮車両の全員が溜息をついた。弐号機に乗っているアスカには及ばないが、戦闘指揮車両の全員が強いストレスを
感じていたのだ。使徒が捕獲されたと聞いて、一気に緊張が解けていた。
『ナイス、アスカ』
「捕獲作業終了。これより浮上します」
弐号機を吊り下げている五本の太いパイプが巻き上げられていく。
状況を心配しながら見ていたトウジも緊張を解き、アスカに声を掛けた。
『惣流、大丈夫か?』
「あったり前よ。これであんたもあたしの実力が分かったでしょう。楽勝だったわよ。
でもこれじゃあ、プラグスーツと言うよりサウナスーツよ。はあ、早く温泉に入りたいわ」
アスカとトウジを含むネルフの全員が気を抜いていた。だが、このまま無事に捕獲作業は終了しなかった。
ビーーーー
警報音が戦闘指揮車両と弐号機、参号機のエントリープラグ内に鳴り響いた。
「何よ、これ!?」
電磁柵がマグマの中で揺らぎ始めた。
「まずいわ。羽化を始めたのよ。計算より早過ぎるわ!」
「キャッチャーは?」
「とても持ちません!」
瞬く間に使徒は姿を変えていき、急激な活動を始めていた。
ミサトは瞬時に判断を下した。
「捕獲中止。キャッチャーを破棄」
アスカは直ぐにキャッチャーを切り離した。
「作戦変更。使徒殲滅を最優先。弐号機は撤収作業をしながら戦闘準備!」
アスカは使徒と距離を取りつつ、ナイフを構えようと腰に手を伸ばした。だが、既に腰のプログナイフは失われていた。
「しまった。ナイフは落としてしまったんだわ」
使徒が正面から急速に迫ってきた。
「バラスト放出」
バラストを外す事で身軽になった弐号機は、かろうじて使徒の突進をかわした。だが、マグマの中の機動性は雲泥の差があった。
どう考えても、使徒の機動力に弐号機は遥かに及ばない。しかも弐号機には武装が無いのだ。
『アスカ。今のうちに参号機のナイフを落とすわ。受け取って!』
「了解!」
ミサトからの命令を受けたトウジは、プログナイフを火口の真下目掛けて思い切り力を込めて投げ込んだ。
だが……
マグマの中を自然落下させては、プログナイフが弐号機の元に届くのに時間が掛かり過ぎる。
ゆえに、力を込めてマグマの中にプログナイフを投げ込んだのだが、そこに間違いがあった。
マグマの対流は結構早い。その中を千メートル以上潜っている弐号機目掛けてプログナイプを投げ込むなど、不可能に近い。
マグマの対流速度を全て計算してナイフを投げ込むか、マグマの対流など関係無いくらいの速度で投げ込むか、
ナイフをATフィールドで覆って対流の影響を無効にするか、三つの手段のどれかを実行しない限り、参号機のプログナイフが
弐号機に届く事はありえない。ましてやMAGIのサポートも無いのだ。
今のトウジに上記の三つのどれかを要求するなど、無謀と言っていいだろう。
案の定、参号機の投げたプログナイフは、マグマの対流に流されて火口深くの側壁に突き刺さってしまった。
『トウジ君、何をやってるの!!』
『ミサト、待ちなさい! マグマの対流を計算せずにナイフを投げ込めば、こうなるのは当然よ』
『今頃、何を言ってるのよ。遅いわよ。言うならもっと早く言いなさいよ!』
「何を言ってるのよ。ナイフはまだなの!? もうこっちは限界なのよ!」
『……アスカ、ナイフはマグマに流されて側壁に突き刺さってしまったの。とにかく使徒をかわして、何とか逃げて頂戴!』
「ナイフが届かないの!? 使徒をかわしてって言うけど、あっちの方が自由に動けるのよ。かわせる訳が無いでしょう!
他に何か手段は無いの! きゃあああああ」
使徒は弐号機を吊り下げている五本のパイプの内の四本を切り裂いた。これで弐号機の命綱はパイプ一本だけになってしまった。
冷却剤を送り込んでいたパイプが切断された事で、D型装備の耐熱効果も徐々に薄れていく。
そして使徒は弐号機の左足を攻撃した。D型装備が破れて、そこから灼熱のマグマがD型装備の内側に流れ込んだ。
「くうううう!!」
『弐号機、左足損傷』
アスカは左足に感じた強烈な熱さに、呻き声をあげた。だが、このまま放置してはD型装備の内側に流れ込んだマグマは
胴体部まであがってくる。そうなれば、使徒にやられる前に弐号機とアスカはマグマの熱で焼け死んでしまう。
アスカは瞬時に判断を下すと、D型装備の左足の付け根の部分を断熱処理して、弐号機の左足を強制的に切り離した。
「ぐううううううううう!!」
左足を切り離した事で、フィードバックによる強烈な痛みがアスカを襲った。今までに感じた事の無い強烈な痛みだ。
だが、マグマの熱で焼け死ぬよりはマシだ。それに使徒はまだ無傷だ。アスカは使徒から視線を外さなかった。
どうする? アスカは自問自答した。
マグマの中の機動性は、弐号機より使徒の方が遥かに上だ。弐号機では逃げ切れない。
だが、弐号機には武器は無く、D型装備に流れ込んでくる冷却剤は激減したので、長期戦は出来ない。
攻めるも不可。逃げるも不可ときては、アスカに打てる手段は無い。まさに絶体絶命のピンチだ。
アスカの心を絶望が覆いつくそうとした時、何処かで聞いた事のあるような声が脳裏に響いてきた。
<世話の焼ける奴だな。助けてあげるよ>
「なっ! 今の声は誰なの!? きゃああああ」
脳裏に響いた声に驚いたアスカだったが、次の瞬間、激しい衝撃が下から弐号機を襲った。
一回、二回、三回、四回 …………
衝撃は何度も続いた。だが、弐号機に耐えられないほどの衝撃では無い。
それに重要なのは、衝撃が下から来ていると言う事だ。弐号機の下で、何かが爆発しているような感じだ。
そして何度も下からの圧力を受けた弐号機は、加速度を付けて急速に浮上していった。
(あの声はいったい何? 幻覚? いえ、違うわ。はっきり聞こえたもの。それに弐号機の下で何かが爆発しているわ。
このままいけば、焼け死ぬ前にマグマから脱出が出来るわ)
一度は諦めかけたが、このままいけば助かるかも知れない。
アスカはマグマの抵抗が出来るだけ少なくなるように弐号機の姿勢を変えて、ひたすら地上に戻る事を考えていた。
***********************************
戦闘指揮車両
「どうしたの!? 弐号機に何があったの!?」
「火口の深い位置で断続的に爆発音が発生しています。爆発の原因は不明。弐号機はその爆発の圧力に押されて急速に浮上中。
このままいけば、D型装備の耐熱効果が切れる前に、マグマから抜け出せます」
「でも、使徒はまだマグマの中に居るのよね」
「ミサト。使徒が羽化したからには、マグマの中で戦うより、誘き出して参号機と一緒に戦わせた方が絶対に有利よ。
それにD型装備は破れてしまったから、修理しないと使えないわ」
「参号機と一緒にか……そうね。トウジ君、弐号機がマグマから出てきたら、手を貸してあげて。良いわね!」
『うっす』
「リツコ、EVAの武装は何があるの?」
「予備のプログナイフが二本だけよ。基本的に捕獲作戦だったから、他の装備は持ってきて無いわ」
「日向君、使徒の状況は分かる?」
「爆発音のエコーに影が出ています。これが使徒なら、使徒も弐号機を追って上昇中です。弐号機との時間差は約一分です」
火口の中に弐号機のD型装備である白いヘルメットが浮かんできた。
トウジは早速参号機を操作して、弐号機を火口の外に出して、弐号機のD型装備の解除を手伝った。
「うっ!」
D型装備を弐号機から外すと、若干変色した弐号機が現れた。
最後の方ではD型装備の断熱機能も切れかかっており、特殊塗料も変色する程の熱が弐号機に掛かったのだろう。
左足も強制切断されている。トウジの目から見た弐号機はボロボロの状態だった。
現時点では左足が無い為に弐号機の機動性はゼロ。アスカの疲労もあり、弐号機に戦わせるのは無理だろうとトウジは判断した。
「惣流、大丈夫か?」
『ジャージか。少しふらつくけど、あたしは大丈夫よ。まあ、左足の痛みは消えないけどね。それより使徒はどうなったの?』
『アスカ、トウジ君。使徒はまもなく火口に現れるわ。マグマの中は自由に動き回れるみたいだけど、マグマから出れるかは不明。
でも用心して。他の使徒みたく空を飛ぶ可能性だってあるわ』
『リツコの言う通りよ。二人とも気を引き締めて。二機とも戦闘態勢に入って!』
ミサトが二人に命令した直後、使徒はマグマの中から空中に躍り出た。
エイのような体型の使徒である。しかも細長い手も持っている。
マグマの中を泳いでいたように、空中でも自由自在に動き回っている。
そして、弐号機と参号機を見つけた使徒は、口から火山弾のような物を連続して吐き出し始めた。
**********************************************************************
零号機と初号機を搭載したEVA専用キャリア二機と、護衛のワルキューレU十二機。
そして天武のキャリア一機を含んだ編隊は、浅間山まで後数分の位置に居た。
移動中であっても、衛星軌道上からの監視やネルフの通信を傍受しての状況確認は怠ってはいない。
そしてシンジは魔術を使って、浅間山の火口の中の弐号機の様子を一人で確認していた。
さすがに弐号機を見殺しにしては、寝覚めは悪くなる。それに使徒の偵察役を、弐号機に期待している事もあった。
渋々だが、シンジは弐号機のフォローを誰にも言わずにこっそりと行っていた。当然、今のネルフの状態は知っていた。
使徒がどう出るかは分からないが、今の弐号機と参号機では相手にならないだろう事は容易に推測出来た。
「各機へ。たった今、ネルフの弐号機が大破の状態で浅間山の火口から出てきた。使徒は捕まえていない。
ネルフの捕獲作戦は失敗したと思われる。ネルフが指揮権を我々に移譲した場合、我々は使徒戦に突入する。
ネルフの態度が明確になるまでは、高度を取って待機する。各機は高度一万まで上昇せよ」
『『『了解』』』
シンジが率いる編隊は飛行高度を高度一万にする為に、上昇を開始した。
**********************************************************************
ネルフ:戦闘指揮車両
「使徒が浅間山の火口から空中に移動しました。使徒は空を自由に飛べるようです。口から火山弾のようなものを吐き出して、
弐号機と参号機を攻撃しています。クレーン車の周囲は火山弾で焼かれて、壊滅状態です。応答はありません」
マヤの報告にミサトの顔が険しくなった。この戦闘指揮車両は万が一を考えて、火口から離れたところに位置していた。
だが、火口付近にはクレーン車を制御している者や、観測機等を制御している職員も居たのだ。
使徒の火山弾攻撃にやられたと言うのか?
ミサトは声を荒げてアスカとトウジに命令した。既にミサトの目には暗い光が強く篭っていた。
「アスカ、トウジ君。使徒を攻撃するのよ。早く!!」
「ちょっと、ミサト。待ちなさい!」
『五月蝿いわよ!! 相手は空中を飛び回ってんのよ。こっちはプログナイフだけよ。これでどうやって攻撃しろって言うのよ?
せめてパレットライフルぐらいは持ってきなさいよ。それに参号機はまだATフィールドを張れないのよ。
今は使徒の火山弾攻撃を、弐号機のATフィールドで防ぐのが精一杯よ!』
『…………』
弐号機のATフィールドに守られているトウジは、不満がありありと顔に出ていた。
女の影に隠れて、女に守って貰うなんて、トウジの考える【漢】の基準からは外れていた。
だが、まだ参号機はATフィールドの展開は出来ない。自分の実力不足を感じているトウジだった。
「ミサト。弐号機の左足は無いのよ。それに武器も用意して無いわ。直ぐに【HC】に支援を要請して!!」
「【HC】に!? リツコは【HC】に助けを求めろって言うの!?」
「そうよ。今のネルフに使徒に対抗出来る戦力は無いわ。守るので精一杯なのよ。彼らが来れば状況は一変するわ」
「い、嫌よ。何で【HC】に助けを求めなくちゃいけないのよ!」
「じゃあ、ミサトは弐号機と参号機を見殺しにするつもりなの?」
「そ、そんな事は無いわよ………」
ミサトはジレンマの真っ只中にあった。弐号機と参号機はネルフの大事な戦力だ。見殺しになど出来るはずも無い。
だが、【HC】に支援を要請するのも嫌なのだ。支援を要請しようものなら、指揮権は移って自分の指揮で使徒が倒せなくなる。
目に暗い光を湛えたミサトは決断出来なかった。そこにマヤからの報告が入ってきた。
「待って下さい。パターンオレンジを検出。波長パターンは零号機と初号機です。現在、この浅間山に向かって移動中です。
後五十五秒で上空に到着します」
「本当なの、マヤ!? まったく手回しが良いわね。さすがはロックフォード少佐ね」
「まだ呼んでいないっていうのに、何で【HC】がここに来るのよ!?」
「あたし達がここにEVAを運び込んだのは、監視衛星で見ているでしょう。それにしてもタイミングが良いわね」
「初号機からネルフの公用周波数帯域で通信が入っています。どうしますか?」
「……繋いで」
ミサトは一瞬は躊躇したが、マヤに初号機との通信を繋ぐように指示を出した。
もっとも映像は無く音声のみの通信だ。シンジとしてみれば、ネルフ職員の顔など今更見たくも無かった。
音声だけの通信で事足りると判断していた。
『こちらは【HC】所属のEVA初号機。私はロックフォード技術中佐だ。今のネルフの状態は確認済みだ。
ネルフは指揮権を我々に移譲する意思があるのか、確認したい』
「中佐! 何時の間に昇進したのよ、いや、それはどうでも良いわ。
あなたは弐号機と参号機が攻撃されるのを、黙って見ているだけなの? 助けようって気は無いの!」
『今はネルフが特務権限を行使して、指揮権を有しているだろう。我々は協定により、勝手に行動は出来無い。
重ねて確認する。我々に指揮権を移譲するのか? 今の通信はネルフの公用周波数帯域を使用している。
国連軍を含む様々な組織がこの通信を傍受している。この周波数帯域で通達があれば、それは正式な通達として見なされる』
シンジの冷静な声に、ミサトは激高していた。アスカとトウジはシンジのクラスメートだったはずだ。
嘗てのクラスメートの危機に、シンジは何もしないと言うのか!? ミサトの感情はそんな事は許せなかった。
弐号機からの通信は別回線で繋がっており、何とかしろというアスカの怒声が聞こえてくる。
こんな話しでモタモタしては、弐号機と参号機が使徒に敗れてしまうかもという危惧があった。
ゲンドウと冬月からは、【HC】にネルフから命令は出来ないと釘は刺されている。
だが【HC】に命令を出せないと釘を刺された事も忘れて、ミサトはネルフの公用周波数帯域を使ってシンジに命令してしまった。
「ごちゃごちゃ五月蝿いわね。さっさと弐号機と参号機の援護に入りなさい!! あなたらがネルフの指揮下に入れば良いのよ!!」
「ちょっとミサト、待ちなさい!!」
「リツコは黙って!! 今はあたしが責任者よ!」
「きゃっ!」
ミサトを制止しようとリツコはミサトの腕を掴んだが、ミサトに強く払われてしまった。
勢いでリツコは車椅子から、落ちてしまった。マヤが慌ててリツコに駆け寄った。
リツコの義足はまだ出来ていない。車椅子にリツコは自力で戻る事は出来ないのだ。
リツコが床にぶつけた頭をさすり、マヤの介助で車椅子に戻るまでの間、シンジとミサトの会話は進んでいった。
『その声は葛城准尉だな。念の為に確認する。
ネルフの葛城准尉が、我々【HC】に対してネルフの指揮下に入れと命令したと解釈するが、それで間違い無いな?』
「そうよ。ごちゃごちゃ言って無いで、さっさと弐号機と参号機の支援に入りなさい!!」
『分かった。ネルフの葛城准尉が言った内容は理解した』
「分かったなら、とっとと使徒を攻撃しなさい!!」
ミサトは弐号機と参号機を救うには、零号機と初号機を一刻も早く投入するしか無いとしか考えていなかった。
上手くいけば自分が零号機と初号機を指揮出来るかも知れない。如何にシンジでも、嘗てのクラスメートを見捨てる事は無いはずだ。
そんな気持ちが無かったとは言えないだろう。組織対組織の交渉に、個人の感情を持ち込んだ時の良い例になるかもしれない。
そしてシンジは、ミサトが想像さえしなかった事をはっきりと宣言した。
『ネルフは国連常任理事国会議、並びに人類補完委員会と【HC】との間で結ばれた協定に違反したと判断する。
協定違反時の罰則規定に基づき、以後はネルフからの通信は一切受け付けない。
人類補完委員会から直接釈明があるまで、我々【HC】はネルフを敵対組織として認識する事を通達する。
又、十二時間以内に人類補完委員会からの釈明が無い場合、我々はネルフに全面攻撃を実施する事を宣言する!』
To be continued...
(2010.01.23 初版))
(2011.11.20 改訂一版)
(2012.06.30 改訂二版)
(あとがき)
12月の上旬に箱根に一泊して、EVAの舞台となった場所を取材してきました。
(嘘です。単なる温泉旅行です)
芦ノ湖の湖畔の旅館に一泊して、翌日には箱根ロープウェイに乗りました。
第三新東京の舞台となった場所かと思うと、何か不思議な気持ちがありました。(平野部はかなり小さかったし)
今回は【HC】としての初出撃です。かなり遊んでしまいましたが、ご容赦下さい。笑って流して頂けると助かります。
さて、次回はどんな事になるのでしょうか? 恐らく誰も予想していない、意外な事が起こります。
作者(えっくん様)へのご意見、ご感想は、まで