因果応報、その果てには

第四十九話

presented by えっくん様


 シンジはセレナの件で積極的に動いた。まずは一時的に【HC】に戻ってセレナを診断し、その能力を永久封印した。

 ただ、今のセレナはシンジと二人きりになるのを警戒して、診断の時に不知火を立ち合わせていた。

 信用されていないとシンジは内心でがっかりしたが、二人の前で口に出せる訳も無かった。

 その後、不知火が手続きを取って、【HC】でシンジの公開記者会見が行われた。

 セレナに対するドイツ政府機関の発表が間違いであったと具体的データを添えて発表したのだ。

 この時期、シンジの科学者としての権威はかなり高い。以前からも高かったのだが、スペースコロニーの件でさらに上がっていた。

 シンジの発表内容に反論出来る資料をドイツ政府機関は準備出来ずに、この話しは収拾される事になった。

 さらにはドイツ内部でクローン人間が実在する事の証拠を提示して、ドイツ国内の倫理観の欠如を追求していった。

 結果、セレナの両親を誤認逮捕したドイツ政府機関の人間が、逆に逮捕される結果となっていた。

 セレナの特殊能力をだしにして【HC】を揺さぶろうとした試みはこれで潰れた事になる。

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 一連のセレナに関する対応を終えたシンジは、【HC】の司令官室で不知火とセレナの三人で話していた。

 シンジは対外的には療養中の身体である為、車椅子である。その反対側には不知火とセレナが仲良く腕を組んでソファに座っていた。

 不知火は照れているのが丸分かりだが、セレナは微笑みを浮かべながらも平然としていた。

 ネルフ本部に行く前とかなりの差を感じたシンジは、少し妬ましさを感じてそれを会話の中に紛れ込ませた。


「いやあ、こうして二人並ぶと新婚さんみたいですね。結構、初々しいですよ」

「なっ!?」

「当然でしょう。ほら、この程度の事で動揺しないで。からかわれているだけなんだから。それとも羨ましいのかしら?」

「……ミス・ローレンツはからかい甲斐が無いですね」

「この程度の事に動じていたら、今までやってこれなかったわよ」


 シンジの言葉に不知火は動揺したが、セレナにはまったく通じなかった。今まで大勢からの視線に慣れているセレナである。

 近寄る男をあしらうのも慣れているだろう。この程度は歯牙にも掛けないかと考えたシンジは、別の方向から攻める事にした。

 内心でニヤリと笑い、シンジは二人に特大の爆弾を投げつけた。


「これでミス・ローレンツは以前と同じくここで働けます。もっとも、一年未満で退職でしょうけどね」

「何故だ!?」  「何でよ!?」

「よっぽど頑張ったみたいですね。もしくは相性が良いのかな。まあ、隠す事じゃ無い事です。御懐妊ですよ」

「ま、まさか!?」  「本当なの!? 嬉しい!!」

「……本当にからかい甲斐が無いですね。診断した時に腹部から微かな生命反応を感じました。受胎は間違いありません」

「俺の子供なのか!?」

「当然に決まってるでしょう! それともあたしが他の男と浮気したとでも!?」

「い、いや、そういう意味じゃ無い。本当に俺の子供が出来るって実感が無いんだ。勿論、嬉しいとは思っているさ」

「まだ医者に診断を受けても分からないでしょうけど、それを踏まえて無茶はしないようにして下さい」

「分かった。それなら早速引越しだな。一人にはしておけない」

「ええ。それとお手伝いさんを見つけないと。ナターシャが居れば楽だったんだけど」

「あの子はどうやら『草』だったみたいですね」

「『草』って?」

「日本の忍者用語だ。普段は普通の生活をしていても、命令が下ると諜報活動を行う者を意味している。あの子がそうなのか?」

「ええ。連絡方法も随分古典的な方法を取ってくれてましてね。確認するのに手間取りましたが、やっと裏が取れました。

 今はドイツに戻っていますよ」

「まさか、あの子が……」

「悔やんでも仕方あるまい。お手伝いの事は何とか探してみるさ。それより中佐の療養はどんな具合だ?」

「まだまだ掛かりますね。それに今は月にいた方が、何かと都合が良いものでしてね」

「数日中には零号機と初号機はこちらに戻ってくる。使徒が来たら中佐に頼むしか無いのだ。それを忘れられては困るぞ」

「それは分かっていますよ。そうそう、この混乱に乗じて基地内に潜入しようと試みたグループがありましたけど、処分しておきました」

「流石だな」


 それから三人は問題点や、今後の予定に関して打ち合わせを行った。

 不知火にとってシンジが月に居るのは不安なのだが、療養の為ならば反対は出来なかった。

 何よりシンジの身の安全を確保する方が優先だ。この前のVTOL機の撃墜事件のような事があっては困る。

 シンジにしても月に滞在しているのは療養の為だけでは無かった。

 不知火にはまだ教える訳にはいかないが、ある重大な事が判明して、その真偽の確認作業中でもあった。

 話しが終わってシンジが月に戻ろうとした時、ふとした事を思い出したのでセレナに話し掛けた。


「ミス・ローレンツに御願いがあります」

「……何かしら。あなたに恩義はあるけど、今のあたしは人妻なのよ。あなたの御願いに応えられない事もあるわ。Hな事は駄目よ」

「司令の事ですよ。不知火司令はまだまだ健康ですから、ストレスをあまり溜めさせないようにして下さい。

 【HC】の司令がストレスを溜め過ぎて、ハニートラップに引っ掛かったとあれば良い笑いものになりますからね。

 それ以前に進退問題になるか。こんな事を頼めるのも、ミス・ローレンツ……いや不知火夫人しかいませんので」

「おいおい、何て事を言うんだ」  「妻として当然よね。旦那様が無職じゃ困るし、あたしのプライドにも関わるわ」

「懐妊したと言っても、しばらくは普通に生活しても大丈夫ですよ。当然、夜もね」

「中佐!?」  「任せて!」


 顔を赤らめる不知火など滅多に見れるものでは無い。珍しいものが見れたとシンジは上機嫌で月に戻って行った。

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 人狼の一族が移り住んだ試作コロニーは、人目につかせたく無いという理由から火星軌道付近にあった。

 そこへの移動はシンジが許可を出さなければ、行ける事すら出来ない環境だ。

 動植物とかの自然環境は整っているが、近代設備はコロニーの維持設備だけに限定され、ミーナだけが使えるようになっている。

 そんな中、人狼達は用意された住居に住み、原始的ではあるが平和な生活を送り始めていた。

 そこにミーシャとレイがユインと一緒に、ミーナ宛に訪れていた。ミーナ達がコロニーに移り住んでから初めての事である。


「姉さん、久しぶり!」   「お姉ちゃん!」

「ミーシャとレイもだいぶ雰囲気が変わったわね。もしかしてシンと関係が進んだの?」


 開口一番でシンジの事を聞いてきたミーナだった。ミーシャとレイはまともに答えなかったが、顔が赤くなった事と身体のラインの

 変化があった事でミーナは直ぐに分かってしまった。もっとも、その事はミーナも望んでいた事だし、非難すべき事でも無い。

 シンジとの関係が深まるのは時間だけの問題だったのだが、その時期が早まったというだけの事だ。

 三人はこれまで会っていなかった時間を埋めようと、話しを続けた。その中にはマユミの事も含まれていた。


「へえ。料理上手な同い年の女の子が入ったの。その子が最初のお手付きだったけど、それが切欠でミーシャとレイの関係が進んだのね。

 良い事じゃ無い。シンの事だから不満を溜めると二人じゃ辛いかなと思ってたけど、三人ならちょうど良いんじゃ無いの」

「まあ、マユミに不満は無いけどね。それでも言うとすれば、あたしよりスタイルが良い事が少し不満ね」

「あたしは良いと思うわ。料理も教えてくれるし」

「一度は会ってみたいわね」

「まだシン様は忙しいみたいだしね。今は【HC】にセレナさん関係の問題があって行っているのよ」

「セレナの! ちょっと二人ともシンにセレナのところに行かせて良いの!?」


 抜群のスタイルを誇るミーナにとっても、セレナは強敵(友?)とも呼べる存在だった。

 ミーナがいた頃からセレナがシンジにちょっかいを掛けていたので、セレナは要注意人物と思っていた。

 だが、シンジからセレナの事情を聞いている二人は笑顔のままだった。


「セレナさんだけど、不知火司令とくっついたみたい。シン様はその後始末で行っているの。マユミもお目付け役で行ってるしね」

「不知火司令と!? あの二人って二十歳以上年の差があるんじゃ無いの! 本当に!?」

「何でもセレナさんが窮地に陥って、不知火司令が助けた事から関係したみたい。お兄ちゃんが言ってたわ」

「へえ……あのセレナがね」


 シンジが【HC】に行っている間に、ミーシャとレイはこのコロニーを訪れていた。まだセレナの妊娠の事は知ってはいない。

 セレナの妊娠を知った時のミーナの反応が楽しみだが、今の時点ではそれは見れなかった。


「姉さん。一年間はここで皆と一緒に過ごしたいと言ってたけど、ここの生活はどうなの?」

「まあ苦労はあるけど、周囲の目を気にしなくて済むから気は楽よ。同族と一緒だと心強いものがあるしね」

「お姉ちゃん、お兄ちゃんの事はどうするの? 戻ってくれないの?」

「……正直言って、シンの事は忘れられないわよ。何と言ってもあたしの初めての男だしね。でも同族を捨てる事も出来ないわ。

 今の人狼一族とシンを橋渡ししているのはあたしなの。そのあたしがシンのところに行ったら、人狼の一族はどうなるの?」

「…………」

「まだ結論を出すのは早いと思っているわ。今は人狼の一族が早く安定して暮らせるように努力しなくちゃね」


 ミーナの心がまだ揺れていると察したミーシャは話題を変える事にした。

 今まで聞いても話してくれなかったが、今なら聞けそうな雰囲気と思った為であった。


「そう言えば、前に姉さんがシン様と会った時の事を聞いても教えてくれなかったけど、今でも駄目?」

「お姉ちゃんがお兄ちゃんと会った時の事? 聞きたいわ!」

「……二人ともシンとの関係が進んだ事だし……今なら話しても良いかもね」


 そう言ってミーナはシンジと出会った時の事をゆっくりと話し出した。

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「あたしがシンと出会ったのは四年前。十四歳の時の事よ。セカンドインパクトで気候が温暖になって、人狼であるあたし達には

 生活はし易くなっていたわ。あたしは両親と三人で平和に生活していたの。でもその平和な生活は破られてしまったわ。

 あたし達が生活していた山に、大勢の狩人がやって来たの。後から分かったけど、ゼーレの配下だったみたい。

 このコロニーに居る他の人狼達のように、あたし達親子を捕獲しようとしたのね。

 それであたしを逃がすために、父さんと母さんは奴らに捕まってしまった。あたしは重傷を負いながらも何とか逃げる事が出来たわ」

「そ、それで姉さんの両親はこのコロニーには居ないの?」

「……ええ。聞いてみたけど、一旦は皆と一緒の施設に入れられて生活していたけど……

 三年前に実験体として連れていかれて、戻って来なかったって。恐らく殺されてしまったのね」

「……ごめんなさい」

「良いのよ。仇はシンが討ってくれたしね。話しを続けるわ。それから重傷のあたしはある森に辿り着いて、そこで意識を失ったわ。

 気がついた時は、傷口には包帯が巻かれて、横には十歳のシンが立っていたわ。後でシンに聞いたけど、あたしが保護されたのは

 国境付近の森で、シンが偶々視察に来た時だったのよ。タイミングが少しでもずれたらあたしとシンは会わなかったわ」

「凄い偶然!」

「本当にそう思うわよ。保護された時のあたしは狼の姿だったわ。普通の十歳の男の子なら怪我した狼なんてほっとくだろうに、

 シンはあたしを保護したの。でも、その時のあたしは人間を信じられなかったわ。隙を見て逃げ出そうと考えていたの」

「…………」

「勿論、怪我が治るまでは動くつもりは無かったわ。シン以外は誰も訪れない部屋で、あたしは怪我を治したわ。

 そして傷が癒えたと判断したあたしは、食事を運んできたシンに襲い掛かったのよ」

「えっ!? シン様を襲ったんですか!?」   「お姉ちゃんがお兄ちゃんを!?」

「そうよ。あの時のあたしは人間全部が信じられなかったし、シンを倒して逃げ出そうとしたの。

 でも、あたしの攻撃はあっさりとシンにかわされ、逆にシンの電撃を何度も身体に浴びせられたわ」

「…………」


 ミーナは普段の表情のまま、淡々と話し続けた。そのミーナの話しに圧倒されてミーシャとレイは黙って耳を傾けるだけだった。

 今のミーナを考えると、シンジを攻撃したなんて信じられなかった。


「あたし達人狼は、この人間の身体と狼の姿と自分の意思で選べるの。満月の時はどうしても狼の姿になってしまうけどね。

 話しを戻すけど、シンの電撃を何度も浴びたあたしの身体に異変がおきたわ。

 あたしが選んでいないのにも関わらず、あたしの身体は狼から今の人間の身体に変わってしまったの。気絶したままね。

 気がついたらベットに寝かされていたわ。それからシンと散々話し合ったわ」

「…………」

「あたしの正体を知った後もシンの態度は変わらなかった。数日間は身体が動かせなかったあたしの看病をシンはしてくれたの。

 食事の支度や、身体を隅々まで拭いて貰ったしね」

「ちょっ、ちょっと待って! 姉さんの身体をシン様が隅々まで拭いたの!?」   「何よ、それは!?」

「あたしはシンの電撃を何度も浴びて、身体が痺れて動けなかったのよ。当然でしょう。顔を真っ赤にしたシンは可愛かったわよ」

「そ、それって姉さんがシン様に頼んだの?」

「勿論よ。狼の姿ならともかく、この身体で汚れたままじゃ嫌だもの。照れるシンに頼み込んだわよ」

「確信犯じゃない! そんなの卑怯よ!」   「お姉ちゃん、ずるいわ!」

「今更それを責められても困るわよ。あたしだって恥かしかったんだからね。

 まあ、シンも十歳とはいえ、女の身体に興味があったからあたしの頼みを聞いたのよ。

 それで身体の治ったあたしはシンに責任を取って貰おうと迫ったのよ。何といっても乙女の身体を隅々まで見られたんだから」

「十歳のシン様に責任を取らせるのは間違いでしょう!」   「そうよ、あたしもそう思うわ!」

「あの時のあたしは両親に育てられたけど、人間の常識は無かったからね。十歳とはいえ、自分を倒した男に惹かれるのは当然よ」

「「…………」」

「あたしが保護されていたのは、あの海底地下工場の一室だったわ。そこでしばらくは誰の邪魔も入らないまま、二人きりで過ごしたわ」


(姉さんとシン様の出会いか。まさかこんな過去があったなんて! でも、姉さんも確信犯よ。二人きりで爛れた時を過ごしたのね。

 でも十歳のシン様か……姉さんもショタが入っているのかしら。でも良く出来たわよね。まあシン様だし、それもありか。

 前に見せて貰ったけど十四歳の姉さんのスタイルは、今のあたしより良かったわよね。シン様が落ちるのも当然か)

(お姉ちゃんの過去は凄いわ。でも動けないと言って身体をお兄ちゃんに隅々まで拭いて貰ったの!? あたしだったら……恥かしい!!

 でもお姉ちゃんから迫ったのかしら? 十歳のお兄ちゃんに迫る? 想像出来ないわ!)


 ミーシャとレイの顔が紅潮してきた事で、ミーナは二人が何を想像しているか、大体は分かっていた。

 心の中で苦笑はしたが、まだ伝えて無いものがある。ミーナは話しを続けた。


「シンと深い関係になって、ロックフォード家や、他の色々な人達にも紹介されたわ。でもあたしの正体を知っていたのはシンだけ。

 その後でも、あたしの正体を話したのはミーシャとレイだけよ。その理由が分かる?」

「分からないわ」  「あたしも分からない」

「あたしの中にまだ人間不信が根強く残っているのよ。シンは別よ。でもシン以外の人間を見るとどうしても無意識に身構えてしまうの。

 ミーシャとレイは家族だから大丈夫よ。でも、シンがいない状態で、普通の人間達に囲まれているのは正直苦痛だったわ。

 何時自分の正体がばれてしまうか、自分の正体がばれたら何をされるか、とても不安だったの。

 でも、このコロニーではそんな気遣いはしなくて済むわ。分かってくれる?」

「でも姉さんはシン様の事は?」

「シンの事は今でも好きよ。でもね、愛情と生活は別だと思うわ。

 良くドラマとかで愛があれば何も要らないって言う台詞があるけど、本当だと思う?」

「分からないわ」   「あたしも」

「例えば、愛し合って結婚して子供が出来たとするわね。愛情があっても生活基盤が無い生活に耐えられると思う?

 可愛い我が子の服さえ買ってあげられないような生活に、愛情だけで耐えられると思う?

 空腹でお乳も出なかったら赤ん坊の食事はどうするの? 子供が病気に掛かっても医者にも見せられない生活に耐えられる?

 世の中探せば、そういう人もいるとは思うけど、あたしは無理よ。ちょっと例えがずれたけど、愛情と生活は別だと思うの」

「…………」

「あたしの事を知った人は、あたしの事を呆れるって言うかも知れない。でもそれはあたしの事を分かって無いだけ。

 逆にそこまで決め付けてくる人と知り合いになんか為りたく無いわ。あたしの生活をあたし以外の誰が保証してくれるの?

 シンの事をどうするか、一年間の猶予期間中に決めるわ。一年後、あたしの居場所が無くなったとしても後悔はしないわ」

「そんな事は無いわ。姉さんの部屋はそのままよ」   「そうよ、お姉ちゃん、そんな悲しい事言わないで!」

「ありがとうね。でも、そこまでの覚悟はしているの。今のシンは重要な仕事をしているわよね。

 本来ならその大事な時には側に居て、支えなければいけないでしょう。でも、あたしは自分の都合を優先させてしまった。

 どんな結果が出ても後悔はしないわ。まあ、一年後にミーシャとレイの子供を見るのも良いかもね」

「あ、あたしとシン様の子供!?」   「お兄ちゃんとの子供!?」

「あたしと違って、二人ならシンの子供も作れるわよ。まあ、シンの事だから期間限定の不妊処理をしているだろうけど、

 それを解除すれば大丈夫よ。シンの事だから三人いても、大変でしょう?」


 女が三人集まれば、字のごとく姦しい。三人の会話は途切れる事無く続いていた。

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 ミハイルとクリスは『箱舟プロジェクト』の最後の詰めを行っていた。

 必要な物資の調達、運営組織の立ち上げ、自給自足が出来るように生産と流通ルートの整備。準備すべき事は山ほどあった。

 それを一つずつ問題を解決していき、やっと一般応募を開始出来るところまで準備が出来ていた。


「これでやっと一般公募が始められるか」

「やっとここまで来たわね。お疲れ様」

「クリスこそ、お疲れ様。助かったよ」

「コーヒーでも淹れるわ。ちょっと待ってて」


 クリスが淹れてくれたコーヒーを味わいながら、ミハイルはこれからの事に思いを馳せた。

 これから膨大な数の応募から適正な人間をピックアップしなくてはならない。

 ユグドラシルに連動させた識別システムを用意したが、ゼーレの手の者や不適格者がゼロとは保証出来ない事が悩みの種である。

 もっとも、サードインパクトの時の避難所という役割からしてみれば、最低繁殖数を確保出来れば良いという考えもあった。


「スペースコロニー二基で約六百万人か。余裕も持たせなくてはいけないから当面の目標は百万人だ。一年以上掛かるな」

「仕方無いわ。公には出来ないけど、サードインパクトの避難所としては数万人がいれば人類絶滅を回避出来るもの。

 最初は面倒が無い孤児とかを優先に送り込めば、人数は確保出来るわ。移送手段だって一般公開出来ないものね」

「そうだな。最初は保養所的な扱いで、徐々に人数を増やす方が楽だろう。生産ラインの立ち上げも時間が掛かるからな。

 食料だけなら自給出来る体制は出来ている。しかし、十年前から考えると私がこんな立場になるとは想像すらしていなかったよ」


 シンジと何の関係も無かった二人が、シンジと深く関係する事になったのは十年前の出来事が原因だった。

 二人は懐かしげにその当時の事を思い出していた。


「……セカンドインパクトの時は、俺は十八歳のただの学生だった。家族は全てその後の混乱で死んでしまった。

 その後は生き延びるのに必死だった。身寄りの無い俺は暴動から逃れる為に、あの森を彷徨いクリスに出会った」

「……セカンドインパクトの時は、あたしは十歳の子供だったわ。両親はあの直後に事故で死んでしまった。

 孤児院に入れられたけど売られるって聞いて皆と逃げ出した。他の皆は捕まって、あたしだけあの森に逃げ込み、ミハイルと出会った」

「そして二人して森を彷徨い、死に掛けたところでシンに出会ったんだよな。

 結界の中の屋敷からシンが出てきてくれなかったら、俺達はあの森の中で野垂れ死にしていたな」

「ええ。今でも助けてくれた時のシンの泣きそうな顔は忘れられないわ。瀕死のあたし達に自分の力を分け与えてくれた」

「今から考えると、力を分けてくれなくても治療だけで良かったんだがな」

「シンは四歳だったから、そこまでの瞬時の判断は出来なかったわよ。パニック状態だったものね。

 でも、そのお蔭で平凡なあたし達が北欧の三賢者なんて呼ばれるようになったのよ。シンに感謝しなくちゃね」

「まあな。だが苦労もあったぞ。遥かな昔の異星人の知識が身体に馴染むまでは苦労したぞ」

「それはあたしも同じよ。でもあたし達の場合は一人分だったから良かったけど、シンの場合は千人分よ。

 シンの苦労はあたし達の比じゃ無いわ」

「確かにな。シンと出会うまでは平凡な何処にでも居る人間でしか無かった俺が、今や北欧の三賢者か。運命って怖いな」

「あたしだって、シンと出会うまでは平凡な女の子だったのよ。セカンドインパクト以降は食べていくのに必死だった時代だったものね」

「それが今や、世界の運命の一翼を背負う立場になってしまったか」

「後悔してるの?」

「まさか。こんなやり甲斐がある仕事が出来るなんて最高さ」


 ミハイルはクリスを見つめてニコリと笑った。その笑みには万感の思いが込められていた。


「シンと出会い、大いなる知識を得た。そしてロックフォード家の養子となった」

「ミハイルは兵器関連装備の開発を行い、あたしはユグドラシルシリーズの開発を行ったわ」

「ワルキューレとマーメイドの開発に着手。その他にも各装備の開発も行ったな。

 そして北欧連合の技術レベルと国力を徐々に上げていき、シンはその裏で核融合炉と粒子砲をメインにしたシステムを構築した。

 宇宙に手を伸ばしたのもその頃だったな。最初に宇宙船を見せられた時は驚いた事を覚えている」

「あたしもよ。月や火星、小惑星帯に連れて行って貰った事は忘れないわ。それで加工工場を造って、コロニー建設の足掛かりにした。

 そして日本に実験的に核融合炉施設を設置して、技術漏洩事件があって、中国政府は盗んだ技術で核融合炉施設を建設。

 そしてあの核融合炉の大事故が起きたわ。規模もそうだけど、何で核融合炉で爆発事故が起きたか、理解に苦しんだわ。

 ブラックBOXがコピー出来なかったのは分かるけど、それでもあんな大事故になるはずが無かったのにね。

 シンが密かに放射能除去装置を稼動させなかったら、放射能被害はあんなものじゃ済まなかったわ。

 今頃は半島や日本は放射能で誰も住めなくなっていたはずよ。誰も知らない事だけどね。それから北欧連合の冬の時代が来たわ」


 本来なら爆発で上空に巻き上げられた放射能は偏西風に乗り、世界各地に撒き散らされるはずだった。

 流石に見過ごす事は出来ないとして、放射能被害が広まらないように放射能除去装置をシンジは稼動させていた。

 勿論、オーバーテクノロジーであり一般公開が出来る訳が無く、内密に行った事だった。

 地表近くの放射能は無理だったが、上空の放射能はこれにより殆ど無害化されていた。この事を知るのは三人のみだ。

 当時、上空の放射能を測定して、何故ここまで低いのかが議論になったが、原因不明のまま処理されていた。


「風評被害が凄まじかったからな。各国との国交が断絶したのもこの頃だったな。

 輸出が激減して国際収支が極端に悪化した。海底地下工場が無ければ、国が潰れていただろう。あれがあったから生き延びれた」

「ブロック経済体制に移行する事で、何とか経済が回るようになったわ。中東連合の存在も助かったわ。あの時が一番辛かったわね。

 シンも世間から散々批判されて、落ち込んでいた時期もあったわね。事故の尻拭いをして放射能危機から多くの人を守ったのにね」

「ああ。国連軍の侵攻もあった。あれが撃退出来なかったら、北欧連合は潰されていたな」

「その後、経済は順調に成長して行ったわ」

「巨額の賠償金もあったしな。あれが起爆剤になった。最初の頃は世界を相手にしてサードインパクトを防ぐなんて無理だと思っていた。

 でも、あの頃から本当に出来るかもと考え出したんだ」

「そしてミーナがシンのところに来たわね。シンが十歳の時か」

「その時のミーナは十四歳か。あっという間にシンと親しい関係になった。当時のシンは十歳か。まったく早熟もいい所だ。

 時々、夜の声が洩れてきたからな。結構我慢するのに苦労したぞ」

「ちょっとミハイル。もしかしてミーナを狙っていたんじゃ無いでしょうね!?」

「ま、まあクリスとこういう関係になる前は、ちょっと良いかなと考えた事はあるがな」

「もう、男ってスケベなんだから」

「でもクリスと深い関係になってからはクリス一筋だからな」

「ありがと」


 過去を振り返り当時の事を思い出すのは、二人の心に暖かいものを感じさせていた。

 ミハイルとクリスの過去の回想は途切れる事無く続いていた。

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 その夜は満月だった。そして冬宮は寝室から窓越しに満月を見上げていた。

 あの月にはシンジがいる。その事に思い至った冬宮は、二年前にシンジと初めて会った時の事を思い出していた。

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 2013年:北欧連合の在日大使館

 シンジからサードインパクトを防ぐ為に協力して欲しいと乞われ、上手く誘導された冬宮の退路は断たれていた。

 何よりシンジに協力すれば、懸案だった核融合炉の設置も行える。サードインパクトを防ぐ事にも異存は無かった。

 上手く誘導された事に敗北感を感じていたが、それも実際の利益から考えれば微々たるものだ。

 何より、日本の将来と自分のプライドなど天秤に掛ける気持ちは無かった。気を取り直した冬宮は今後の計画をシンジに質問し始めた。


「それでは私はどんな役割を演じれば良いんでしょうか?」

「北欧連合との窓口になって貰います。度々言いますが、我が国の世論は裏切った日本に対して批判的です。

 その我が国が日本に支援するなら、それなりの条件が必要です。冬宮殿下には日本国内の取り纏めを御願いします」

「協力はさせて頂きますが、今の私の立場では大っぴらには動けません。どうしたものか?」

「何故です? 宮家であるあなたなら、日本国内の組織を纏められると思いますが?」

「その宮家が理由なのです。政治的に動く時には政府の許可を得る必要がありますので」

「…………」


 シンジが黙り込んだのを見て、冬宮も考え込んだ。宮家という立場は確かに色々な人達との繋がりを纏めるには良い立ち場だった。

 だが、自分が北欧連合との対応窓口になると問題が発生する。基本的には宮家の立場では、積極的に政治的な事には関与出来ない。

 トップ外交という意味では宮家として政治的な交渉に関与した事はあるが、それは政府の要請に従っての事であって、

 今回のような北欧連合の利益も考慮しなくては為らないような政治的な立場に、宮家の自分が就くのは拙いのだ。

 皇族に実権は無く、象徴なのだ。そこで冬宮は発想の転換を行った。

 宮家である自分が、そういう立場に就くのが拙いのであれば、宮家を出れば良いだろう。今までの人脈はそのまま使える。


「分かりました。私は宮家を出て、日本の窓口になりましょう」

「そちらの仕組みは詳しくありませんが、宮家を出れるんですか?」

「理由が無いと駄目ですね。……私の両足が事故で麻痺したとかの理由をつけて、宮家を出る事にします」

「両足麻痺ですか? 実際に事故に遭われる訳では無いですよね。そんな事を公表したら、あなたが後で大変でしょう」

「車椅子を使った偽装をする事になりますね。そこまでの怪我を負った事にしないと、宮家を出る理由にはなりません。

 それに使徒戦が終われば、両足が治った事にすれば問題は無いでしょう」

「その時は宮家に戻れるんですか?」

「前例が無いから分かりませんが、多分無理でしょう。ですが、構いません。日本を救って貰う代わりに、私の身体は

 あなたに差し上げると申し上げた事は嘘ではありません。その程度のデメリットは甘受しますよ」

「……分かりました。それでは具体的な行動プランを詰めましょうか」


 シンジは日本での組織の立ち上げがある程度上手く行ったら、開発途中のプロジェクトが残っている中東連合に戻る予定だった。

 直ぐに冬宮と協議に入った。その協議内容は以下の通りであった。

 ・ 冬宮は核融合関係を扱う特別組織のトップに就任する。その調整は冬宮が行う。シンジから数百億程度の活動資金を提供する。

 ・ 核融合炉を設置する用地、及び資金の捻出も冬宮が担当する。(用地は予備エリアも含める事とする)

 ・ シンジは北欧連合サイドを纏め、財団から核融合炉関連設備一式を準備する。又、北欧連合政府の補助金申請も行う。

 ・ 核融合炉の設置エリアは治外法権エリアとする。これは技術漏洩対策と共に、プラン『K』用の為とする。

 ・ この後の詳細は日本での特別組織のトップに冬宮が就任した時点で行う事とする。


 このようなものだった。この後の予定も切迫していたが、シンジにはどうしても冬宮に頼みたい事があった。

 そしてシンジは冬宮に不知火財閥の総帥である不知火シンゴとの面会手続きを依頼するのであった。

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 田舎の周囲には誰もいない電話BOXから、加持は電話をかけていた。


『はい、只今留守にしております。発信音の後にメッセージをどうぞ』


 ミサトの録音された声が電話のスピーカから流れ出した。メッセージを言った後に、戻ってきたネルフの赤いカードを見つめた。


「最後の仕事か。……まるで血の赤だな」


 加持にはネルフカードの色が、これから起きる事を予兆しているかのように感じられた。

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 ミサトの執務室に黒服を着込んだ諜報部の二人が訪れていた。二人から事情を聞いたミサトは顔色を変えていた。


「拉致されたって、副司令が!?」

「今から二時間前です。西の第八管区を最後に消息を絶っています」

「うちの署内じゃない! あなた達、諜報部は何をやっていたの!?」

「身内に内報、そして先導した者がいます。その人物に裏をかかれました」

「諜報二課を煙に巻ける奴? ……まさか!?」

「加持リョウジ。この事件の首謀者と目される人物です」

「で、あたしのところに来た訳ね」

「御理解が早くて助かります。あなたを疑うのは同じ職場の人間としては心苦しいのですが」


 そこまで聞いたミサトは諜報部が態々自分のところを訪れた事を納得した。

 加持が冬月を拉致したのであれば、自分も疑われて仕方が無い。その程度の分別はミサトにもついていた。

 ミサトは素直に自分の銃を机の上に置いた。


「彼とあたしの経歴を考えれば当然の処置でしょうね」

「御協力感謝します。お連れしろ」

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 真っ暗な空間にポツンとパイプ椅子が一つ置かれていた。冬月は両手を背後に回され、手錠を掛けられていた。

 その冬月の前にNo.1と書かれたモノリスが姿を現した。


「久しぶりです。キール議長。まったく手荒な歓迎ですな」

『非礼を詫びる必要は無い。君とゆっくり話しをする為には当然の処置だ』

「相変わらずですね。私の都合は関係無しですか」


 冬月の嫌味が篭った言葉に反応し、次々に番号が書かれたモノリス十二体が現われて、冬月を囲んだ。


『議題としている問題が急務なのでね。やむなくの処置だ』

『分かってくれたまえ』

「委員会では無く、ゼーレのお出ましとは」


 人類補完委員会では無く、ゼーレ十二人が出て来た事に冬月は内心で驚いていた。

 この十二人は滅多な事で出てこない事を冬月は知っている。それ故に、いかにこの場が重要視されているかを実感していた。


『我々は新たな神を作るつもりはないのだ』

『御協力願いますよ。冬月先生』


(冬月先生……か)


 先生と呼ばれた事で、冬月は大学の教授時代の事を思い出していた。

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 1999年:京都

 セカンドインパクトが起こる事など誰も思わず、平和な雰囲気で満ちていた。

 冬月はまだ助教授であり、俗世間に塗れずに研究に没頭していた。だが、大学組織にも人間関係は当然存在した。

 そして冬月は学生達に誘われた酒の席で、教授と一緒に飲んでいた。


「偶にはこうして外で飲むのも良かろう」

「はあ」

「君は優秀だが人の付き合いというものを軽く見ているのはいかんな」

「恐れ入ります」


 冬月はこういう賑やかな酒の席はあまり好きでは無かった。どちらかと言うと、研究室で研究している方が性に合っていた。

 だが、組織上でこういう付き合いも多少はしなくてはいけない事も承知していた。

 教授はそんな冬月を残念に思っているのか、色々とアドバイスをしてくる。


「そう言えば、生物工学で面白いレポートを書いてきた学生がいるんだがね。碇という学生なんだが知ってるかね?」

「碇? いいえ」

「君の事を話したら、是非会いたいと言っていた。そのうち連絡があると思うから、宜しく頼むよ」

「碇君ですね。分かりました」


 この時、碇という名が自分のこれからの人生に大きく関わってくる事など夢想だにしていなかった。

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 形而上生物学第一研究室が冬月の持っている研究室だった。冬月は椅子に座り、一人の訪問者を迎えていた。


「これは読ませて貰ったよ。少し疑問は残るが、刺激のあるレポートだね」

「ありがとうございます」


 透明感があり、好感の持てる笑顔の女子学生が冬月の前に立っていた。


「碇……ユイ君だったね」

「はい」

「この先どうするつもりかね? 就職か? それともここの研究室に入るつもりかね?」

「まだそこまで考えていません。それに第三の選択もあるんじゃありません」

「ん?」


 冬月は訝しげに目の前に立っている碇ユイを見つめた。学生にも関わらず、ここまでのレポートが書けるのは相当な才能を

 持っていると冬月は見ていた。そんな彼女がどんな進路を考えているか、冬月は興味が湧いてきた。

 だが、目の前の女子学生の返事は冬月の予想の斜め上をいっていた。


「家庭に入ろうかとも思っているんです。いい人がいればの話しですけど」

「そ、そうなのかね」


 まだ学生なのに既に結婚を考えているとは。冬月は胸のざわめきを抑えて、碇ユイの顔を見つめていた。

 最も、ユイの冗談だとは当時の冬月には分からなかった事である。

 これが冬月と碇ユイの出会いであり、今後の冬月の人生に大きく関与する事をまだ二人は知らなかった。

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 再び2015年

 冬月の周囲のモノリスの質問は容赦は無かった。


『S2機関を搭載している絶対的存在のEVA初号機』

『我々に具象化された神は不要なんだよ』

『神を作ってはいかん』

『六分儀ゲンドウ……信用にたる人物かな?』


 冬月はゲンドウとの出会いの時の事を思い出していた。

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 1999年:京都

 研究室に居た冬月に、京都警察から連絡が入ってきた。


「六分儀ゲンドウ? 聞いた事はあります。面識は有りませんが、色々と噂の絶えない男ですから。

 えっ、私を身元引受人に? ……いえ、伺います。何時伺えば宜しいでしょうか?」


 面識の無い六分儀ゲンドウから身元引受人に指名された事を訝しく思いながらも、冬月は指定時刻に京都警察に行った。

 そして自分を指名してきた六分儀ゲンドウと初めて出会った。冬月の第一印象は噂どおりの胡散臭い人間というものだった。

 だが、六分儀ゲンドウは冬月の視線を気にする事無く、話し始めた。


「ある人物からあなたの噂を聞きましてね。一度、お会いしたかったんですよ」

「酔って喧嘩とは、意外に安っぽい男だな」

「話す暇も無く、一方的に絡まれましてね。人に好かれるのは苦手ですが、疎まれるのは慣れています」


 六分儀ゲンドウは苦笑まじりに話していたが、冬月は親しい関係を築く気にも成れず、これで関係は終わりと思っていた。

 元々、研究畑の冬月に暴力沙汰は無縁のものだ。酔って喧嘩をする男のレベルなど高が知れていると考えていた。

 研究室に戻ろうと歩き出した。だが、ゲンドウはまだ冬月に話しがあるとみえて、冬月の後を追ってきた。


「まあ……私には関係の無い事だ」

「冬月先生、どうやらあなたは僕が期待した通りの人のようだ」

「そうかね」


(あいつの第一印象は嫌な男だった)

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(そしてあの時は、まだこの国には季節、秋があった)

 冬月はユイと二人きりで、紅葉真っ盛りの山道を歩いていた。

 歩きながらも会話は弾んでいたが、ユイの話しに冬月は驚いて足を止めて振り向いた。


「本当かね?」

「はい。六分儀さんとお付合いさせて頂いてます」


 冬月は思わず自分の耳を疑った。

 美女と野獣とまでは言わないが、目の前のユイとチンピラ風のゲンドウが付き合うなど想像出来なかった。

 驚きを隠せなかったが、その事に拘るのも何だと考え、冬月は歩き出しながらも本音を口にした。


「君があの男と並んで歩くとは」

「あら冬月先生。あの人はとても可愛い人なんですよ。みんな知らないだけです」


 楽しそうにゲンドウの事を話すユイだが、冬月にはどうしても理解出来なかった。自然と口調が悪くなった。


「……知らない方が幸せかもしれんな」

「あの人にご紹介した事、ご迷惑でした?」

「いや、面白い男で有る事は認めるよ。好きにはなれんがね」


 ユイがゲンドウの事を気遣うのを聞いて、多少機嫌を悪くした冬月だったが、ユイとの関係を考えて、

 少しフォローをした回答をしたのだった。


(だが、彼はユイ君の才能とそのバックボーンの組織を目的に近づいたと言うのが仲間内での通説だった。

 その組織はゼーレと呼ばれると言う噂をその後耳にした)

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 2000年:南極大陸

 セカンドインパクト……二十世紀最後の年にあの悲劇は起こった。


 2001年

 そして二十一世紀の最初の年は地獄しか無かった。他に語る言葉を持たない年だ。


 2002年:愛知県 豊橋市跡

 セカンドインパクトの影響で南極大陸が消滅。そして嘗てそこにあった氷が融けだして、地球全体で水位が上昇した。

 その為、世界各地の至るところで海抜が低い都市は水没の憂き目に遭っていた。

 そしてその都市では不足する住居に船をあてる事で、生活の拠点としていた。

 客船や漁船などの耐久年数を超えた船でも、使えるものは遠慮無く使っていた。そこには選り好みする選択肢は存在していない。

 冬月はその中のボロ船の一室を借りて、もぐりの医者の仕事をしていた。そこに政府関連のある男が訪れていた。


「今日も真夏日だそうで。こっちは暑いですな」

「珍しくも無いよ……今も日本じゃあ。夏が一年以上も続いている。……身体に堪えるよ」


 真夏日だと言った黒服の男はスーツ姿であった。この混乱の時にスーツ姿の男を見るなど冬月には久しぶりの事だった。

 暑ければスーツを脱げと言いたかったが、冬月はこの男がどんな話しを持ってきたか不安に駆られていたので、自制していた。


「上の船には移らないんですか?」

「隣の街かね? ……あそこは油臭さが抜けなくて、どうも好きにはなれんよ」

「だからと言って、こんな所で開業なされているとは……お捜しするのに手間取りましたよ」

「此処も医者が足りないからね。真似事だが居ないよりマシだよ」


 目の前の男が言ったように、セカンドインパクトの混乱時に自分の居場所を捜すのはさぞかし苦労したと思われた。

 その男が自分に何の用があったのか? 冬月は男が持って来た封筒を開け、その中の書類を注意深く読み出した。


「……今頃、南極行きかね!?」

「国連理事会の正式な事件調査です。暫定的な組織ですが、此処でもぐりの医者をやっているよりは、世の中の為になると思いますよ」


 冬月は一瞬考え込んだ。確かに医師免許を持っていない冬月が医者の仕事をしていたのは違法だ。

 そういう事を言葉に忍ばせて、承諾を迫ってくる。そのやり方に苦々しさを感じていた冬月だった。だが、権力には逆らえない。


「冬月教授」

「元教授だよ。ところで私の欄が空白だが、推薦したのは誰かね?」


 この時、冬月には国家権力を動かしてでも自分を南極調査に推薦する人物など、想像すら出来なかった。

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 違法医療行為の摘発を示唆された事もあったが、南極行きは冬月の好奇心を刺激させるには十分な内容だった。

 濁った空。赤く染まった海。所々に海から突き出している無数の塩の柱。そこには嘗て南極大陸と呼ばれていた形跡は一切無かった。

 その場所を国連の調査団を乗せた船が航行している。冬月はその船のブリッジから周囲を眺めて溜息をついていた。


「これが嘗ての氷の大陸とは……見る影も無いな」

「冬月教授」


 外を見ていた冬月の背後から声が掛かった。振り向くと確かに以前に一度会った男がいた。

 第一印象は嫌な男であり、それ故にこそ、かなり強烈に冬月の記憶に残っていた。


「……君か。良く生きていたな。……君は例の葛城調査隊に参加していたと聞いていたが?」

「運良く事件の前日に日本に戻っていたので、被害を免れました」


 ゲンドウは人を小ばかにするように、ニヤリと笑った。冬月は嫌悪感を感じながらも同じ調査船に居るならばと、会話を続けた。


「そうか。……六分儀君、君は「失礼。今は名前を変えてまして」……」


 ゲンドウは冬月の声を遮って、一枚の葉書を冬月に渡した。通常、こういう場合は名刺を両手で渡すのが正式な礼儀である。

 片手でしかも葉書という、通常マナーを守らないゲンドウに冬月は眉を顰めた。だが、その葉書の文面に書かれていた文字を見て驚いた。

 葉書には『結婚しました。碇ゲンドウ ユイ  お久しぶりです冬月先生』と書かれていたのだ。


「い、碇!? 碇ゲンドウ!?」

「妻が此れを冬月教授にと煩いので……あなたのファンだそうです」


 冬月が驚いたのをゲンドウは可笑しそうに見ていた。


「それは光栄だな。ユイ君はどうしている? このツアーには参加していないのかね?」

「ユイも来たがっていましたが、今は子供がいるので」


 目の前の男と、嘗ての教え子だったユイとの子供! 冬月は想像したくは無かった。

 ユイが居ないと分かれば、それ以上はゲンドウのプライベートに関与する気は無かった。そして一言は言っておこうと言葉を選んだ。


「君の組織……ゼーレとか言ったかな? 嫌な噂が絶えないね。力で理事会を抑え込むのは感心出来んよ」

「変わらずの潔癖主義だ。この時代に、綺麗な組織など生き残れませんよ」


 セカンドインパクトによる混乱はまだ収まっていない。この時期、どんな組織も表立って言えない事もやむを得ずに実行する事はある。

 だが、この時期の冬月はある意味、理想主義者だった。だからこそ、ゲンドウの言葉に反発を覚えていた。

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 2015年:ネルフ本部:第四隔離施設

 冬月の拉致に関して、ミサトは加持を助ける又は共犯の可能性があるとして、独房に入れられていた。

 暗い独房はミサトに過去の事を思い出させていた。

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 2002年:南極調査船:第二隔離施設

 調査船内のある部屋に、一人の少女が蹲っていた。冬月と調査団の一人が、部屋の外からその少女を見ていた。


「彼女は?」

「例の調査団の唯一の生き残りです。名は、葛城ミサト」

「葛城? 葛城博士のお嬢さんか」

「もう、二年近く口を開いていません」

「酷いな」

「それだけの地獄を見たのですから……身体の傷は治っても、心の傷はそう簡単には治りませんよ」

「そうだな」


 確かに二年間も言葉を話せないのは重傷だろう。

 だが、冬月はセカンドインパクト時の混乱で、ミサト以上に悲惨な状況の人間達を見てきていた。

 そんな冬月はミサトに必要以上の関心を持つ事は無かった。

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 冬月は今までの調査結果レポートを見ながら呟いていた。


「こっちの調査結果も簡単には出せないな。完璧にエリアを特定した大気成分の変化。微生物に至るまで全生物の徹底した消滅。

 爆心地地下の巨大な空洞後。そして光の巨人。この事件は謎だらけだ」


 この光の巨人がセカンドインパクトに深く関わっていると冬月の勘は囁いていた。だが、あまりにも荒唐無稽な話だ。

 碌な資料も無く発表すれば、笑い者にされて冬月の評価は地に落ちるだろう。まだ冬月は決心がつかなかった。

 その後、国連は『セカンドインパクトの原因は、大質量隕石の落下によるもの』として一般向けには発表した。

 勿論、拠出金を集める都合から、各国政府の要人達には一部の真実が伝わっていたが、一般大衆には一切の真実は知らされていない。

 冬月の目から見れば、あからさまに情報操作をされたものだった。その裏にはゼーレ、そしてキールという人物が見え隠れしていた。

 冬月はこの事件の闇の真相を知りたくなった。その先に……たとえ碇ユイの名があろうとも。

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 2003年:箱根:国連直轄 人工進化研究所:所長室

 この時、冬月はセカンドインパクトの真相を掴んでいた。義憤に駆られた冬月はゲンドウのところに押しかけた。

 途中、教え子であり気に為る存在であるユイとの挨拶もあっさり済ませて、ゲンドウの前に進んだ。


「何故、巨人の存在を隠す? セカンドインパクト。知っていたんじゃ無いのかね、君達は。その日にあれが起きる事を。

 君は運良く事件の前日に引き上げたと言っていたな。全ての資料を一緒に引き上げたのも幸運か!?」


 冬月は持ってきたトランクを開けて、中の書類をゲンドウの机の上にばら撒いた。

 約一年の歳月を掛けて、冬月が集めたセカンドインパクトの真相を立証する立派な証拠だ。

 だが、その書類を見てもゲンドウの態度は変わらなかった。人を小ばかにした笑みを浮かべている。


「こんなものが処分されずに残っていたとは意外です」

「君の資産を色々と調べさせて貰った。子供の養育に金が掛かるだろうが、個人が持つには額が多過ぎやしないかね!?」

「流石は冬月教授。経済学部に転向なさったらどうですか?」

「セカンドインパクトの裏に潜む、君達ゼーレと死海文書を公表させて貰う! あれを起こした人間達を許すつもりは無い!」

「お好きに。ただその前にお目に掛けたいものがあります」


 一瞬、冬月は躊躇した。真実を知った自分をどうするかと疑心暗鬼になったが、ゲンドウが自分に見せたいと言ったものも気に為る。

 結局、冬月は自分の好奇心を優先させた。セカンドインパクトの資料のコピーは取ってある。

 自分が死んだら、友人の手に渡る手はずになっているし、ユイの夫という事で少しは信じてみたいという気にもなった。

 ゲンドウと一緒に地下に降りていった。


「随分と潜るんだな?」

「ご心配ですか?」

「当然だ」


 やがて暗いエリアは抜けて、眼下に大きな地底空間が広がっていた。人工の光が灯っており、都市のように感じられた。

 まさか地下にこんな空間があるとは想像もしていなかった冬月だ。思わず言葉が洩れてしまった。


「これは……?」

「我々では無い誰かが残した空間ですよ。89%は埋まっていますがね」

「元は綺麗な球状の地底空間か……南極にあった地下空洞と同じものかね?」

「データはほぼ一致しています」

「……あの悲劇を……もう一度起こすつもりかね!? ……君達は!?」

「それは御自分の目で確かめて下さい。あれが人類の持てる全てを費やしている施設です」


 冬月は建築中の施設を見ながらエレベータに乗り換えた。

 エレベータから降りると、コンピュータの前に見知った女性が座っていた。赤木ナオコであった。


「あら、冬月先生」

「赤木君、君もかね」

「ええ。ここは目指すべき生体コンピューターの基礎理論を模索するのにベストなところですのよ。

 ……MAGIと名付けるつもりですわ」

「MAGI? 東方より来たりし三賢者か……見せたい物とはこれか?」

「いいえ、こちらです。リツコ、すぐ戻るわ」


 端にいた高校生の制服を着ている少女、赤木リツコは母親の言葉に頷いた。

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 巨人のようなものの製作現場に冬月は連れて行かれた。背骨のようなものが剥き出しになっており、完成体では無いのは分かった。

 冬月はこれを見て、胸のざわめきを覚えていた。研究者の性か、どうしてもこのような未知のものに興味を惹かれる習性があった。


「これは……まさかあの巨人を?」

「あの物体を我々ゲヒルンではアダムと呼んでいます。これは違います。オリジナルの物ではありません」

「では?」

「そうです、アダムより人の作りし物、EVAです」

「EVA!?」

「我々のアダム再生計画、通称E計画の雛形タイプ、EVA零号機だよ」

「神のプロトタイプか?」

「冬月、俺と一緒に人類の新たな歴史を作らないか?」


 冬月は悩んだ。嘗ての優秀な教え子であったユイが何を目指しているのか? 南極の巨人と同じようなものを造ろうとしているのか?

 元々学者であり好奇心旺盛な冬月は、ゲンドウの誘惑に抵抗する事は出来なかった。そして冬月の人生を大きく変えた分岐点だった。

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 2003年:芦ノ湖:湖畔

 結局、冬月はゲンドウの誘惑を振り切れなかった。ユイが目指したものを見てみたいと思った事もある。

 今、冬月はユイとその子供シンジの三人で湖畔にいた。


「今日も変わらぬ日々か。この国から秋が消えたのは寂しい限りだよ。……ゼーレが持つ【裏死海文書】。

 そのシナリオのままだと、十数年後には必ずサードインパクトが起こる」

「最後の悲劇を起こさせない為の組織。それがゼーレとゲヒルンですわ」

「私は君の考えに賛同するよ。……ゼーレでは無いよ」

「冬月先生……あの封印を世界にとくのは危険です」

「資料は全て碇に渡してある。……個人で出来る事では無いからね」


 冬月が振り向いた時、ユイのミニスカートとその先の太股が目に入った。冬月にとって、かなり刺激的な光景だった。

 そして子供のシンジがユイの胸に手を伸ばしているのを複雑な気持ちで見ていた。

 冬月は湧き上がってくる衝動を抑えて、視線を湖に戻した。

 女性とは男の視線に敏感である。冬月はユイが自分の視線に気づいていた事を分かっていなかった。


「この前のような真似はしないよ……それとなく警告も受けている……あの連中が私を消すのは造作も無いようだ」

「生残った人々もです……簡単なんですよ……人を滅ぼすのは」

「だからと言って、君が被験者になる事もあるまい」

「全ては流れのままにですわ……私はその為にゼーレに居るのですから」


 ユイは幼いシンジを抱き上げて、あやしていた。そんなユイを冬月は静かに見つめていた。

 この時、冬月はユイがシンジの未来の為に、被験者に立候補したのだと考えていた。ユイの本当の目的を知らずに。

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 2004年:箱根:ゲヒルン:地下第二実験場

 実験場の管制室に、幼い子供がガラスに引っ付いて遊んでいるのが冬月の目に入った。

 周囲が珍しいのか、嬉しそうにはしゃぎ回っていた。

 育児放棄とまではいかないが、ほとんど両親に遊んで貰えないシンジにとって珍しい遊び場に見えたのだろうか?

 緊張した雰囲気の中、無邪気に振舞う幼子は違和感ありまくりである。冬月の眉毛が少し上がった。


「何故、此処に子供がいる?」

「碇所長の息子さんです」


 ナオコが答えたが冬月の顔は強張ったままだった。冬月は視線をゲンドウに向けた。


「碇、此処は託児所じゃない。今日は大事な日だぞ」

『ごめんなさい、冬月先生。私が連れてきたんです』


 通信機を経由して、ユイが冬月に話し掛けてきた。


「ユイ君、今日は君の実験なんだぞ」

『だからなんです。この子には、明るい未来を見せておきたいんです』


 それがユイの最後の言葉だった。実験は失敗し、ユイはこの世から姿を消してしまった。

 赤木ナオコの願い、そのままに。

 だが、それがユイの最終目標の第一段階だと知る者は、その場には誰もいなかった。

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 碇ユイは実験の失敗で死亡したとして処理された。

 ゲンドウは葬儀にも姿を現さず、一週間行方不明の状態だったが、やっと部屋に戻ってきた。

 だが、戻ってきたゲンドウは以前と違う、どこか危険な雰囲気を漂わせていた。


「この一週間どこに行っていた? 傷心も良い。だが、もうお前一人の体では無いと言う事を自覚してくれ」

「分かっている。冬月、今日から新たな計画を進める。キール議長には提唱済みだ」

「まさか……あれを!?」

「そうだ。嘗て、誰もが成し得なかった神への道。人類補完計画だよ」


 これが現在のネルフが進めている計画の開始点だった。そう、ゼーレを欺き、我々の目的を適える計画の開始点だった。

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 2005年:長野県:第二東京市

「……葛城さん?」

「そう、葛城ミサト! よろしくね」


 第二東京大学で勉強に励んでいたリツコに親しい友人はいなかった。誰もがリツコの母親:赤木ナオコの名に遠慮して、

 実の娘のリツコに近づく事は無かった。そんなリツコにある食堂で気軽に声を掛けてきたのが、葛城ミサトだった。

 遠慮もせずに気軽に話しかけてくるミサトは、リツコにとって新鮮に感じられた。

 二人が関係を深めるのに時間は掛からなかった。

 リツコがゲヒルンの地下に篭っている母親への手紙に書いている程だった。


『母さん。先日、葛城と言う娘と知り合いました。他の人達は私を遠巻きに見るだけで、その度に母さんの名前の重さを

 思い知らされるのですが……何故か、彼女だけは私に対して屈託がありません。彼女は例の調査隊、ただ一人の生き残りと聞きました。

 一時は失語症になったそうですが、今ではブランクを取り戻すかのように、ベラベラとよく喋ります』


『りっちゃん……こっちは変らず、地下に潜りっぱなしです。支給のお弁当にも飽きました。

 上では第二遷都計画による、第三新東京市の計画に着工したようです』


『このところ、ミサトが大学に来ないので理由を白状させたら、馬鹿みたいでした。

 ずっと彼氏とアパートで寝ていたそうです。飽きもせず一週間もダラダラと……彼女の意外な一面を知った感じです。

 今日、紹介されました。顔は良いんですが、どうも私はあの軽い感じが馴染めません』


『昔から男の子が苦手でしたね、りっちゃんは。やはり女手一つで……ごめんなさい。ずっと放任していたものね。

 嫌ね、都合の良い時だけ、母親面するのは……』

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 2008年

 リツコはリニアトレインの窓から外を見ており、先日ナオコ宛に書いた手紙の内容を思い出していた。


『母さん……MAGIの基礎理論、完成おめでとう。そのお祝いと言う訳ではないけど、私のゲヒルンへの正式入社が内定しました。

 来月から、E計画勤務となります。そうそう、中国の核融合炉の大事故で、放射能が何時日本に来るか上では大騒ぎしてます。

 地下の母さんには関係無いでしょうけど。もっとも、上空の放射能は殆ど無いって報道があったけど不安です。

 友人達は放射能除去装置でもあったんじゃ無いかって噂しているけど、そんな漫画みたいなものは無いものね。

 ゲヒルンに行けば地下暮らしになるけど、放射能は大丈夫よね』


 リツコは仕事場になる予定の発令所を見ておこうと向かったが、途中、道に迷ってしまった。

 途中で警備員に会って行き方を教えて貰い、発令所に向かった。


「……本当に良いのね?」

「あぁ……自分の仕事に後悔は無い」

「嘘っ! ユイさんの事が忘れられないんでしょ!」


 一瞬、ナオコは口調を荒げてゲンドウを問い質したが、直ぐに目を伏せて声を和らげた。


「でも良いの、あたしは」


 そう言ってナオコはゲンドウに近寄り……二人はお互いの背に手を回し、長い時間キスをしていた。

 その光景をリツコは呆然として眺めていた。

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 2010年:ジオフロント人工天蓋部:下層第二直援エリア予定地

 そこには蒼い髪と赤い目をした幼女と一緒にゲンドウはいた。


「あれがゲヒルン本部だよ」


 ガラス張りの床からは、ピラミッド状の建築物が見えた。ゲンドウとしては優しい声で幼女に説明していた。

 そこにナオコとリツコの二人が通り掛かった。


「所長、おはようございます。……お子さん連れですか? あら、でも確か男の子では?」


 ナオコとゲンドウの関係はずっと続いていた。会った事は無いが、子供は男の子だと聞いていた記憶があった。

 だったら何故、女の子を連れているのか? ナオコは疑問に感じたが、ゲンドウはレイの肩に手を置いて紹介した。


「シンジではありません……知人の子を預かる事になりましてね……綾波レイと言います」

「レイちゃん、こんにちは」


 リツコは親しみを込めてレイに話し掛けた。レイは黙ったまま頭を下げた。

 まあ人見知りする年頃だし、普通とちょっと変わった子とかの範囲だろう。

 リツコはその時は何も考えなかったが、ナオコは綾波レイと紹介された幼女に既視感を感じていた。

 そして思い当たった。ユイの面影がある。でもユイは死んだはず。どんな関係があるのか? ナオコの疑念は膨れ上がっていった。


 ナオコはその後で薄暗いメインコンピュータルームで、ユイの面影を持つ綾波レイのデータの検索をしていた。


「綾波レイに関する全ファイル……抹消済み?……白紙だわ……どう言う事?」

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 そしてナオコが総力を注いだスーパーコンピュータ:MAGIシステムが完成した。

 ナオコとリツコは完成したMAGIシステムを見下ろしていた。


「MAGI:カスパー、MAGI:バルタザール、MAGI:メルキオール、MAGIは三人のあたし。

 科学者としてのあたし、母親としてのあたし、女としてのあたし……その三つがせめぎ合っているの」

「三つの母さんか……後は電源を入れるだけね」


 ナオコが上機嫌で説明し、それを聞いていたリツコも嬉しそうに答えた。今まで苦労して開発してきたMAGIがやっと完成したのだ。

 こればかりは開発者で無くては理解出来ない嬉しさがある。

 北欧連合では既にユグドラシルと呼ばれる生体コンピュータを実用化したという情報があり、何度ゲンドウから完成を催促された事か。

 電源を入れて起動した後は、システムUPやら機能向上の検討とか色々とある。だが、この完成の瞬間は嬉しいものだ。

 ナオコが嬉しそうに頷くのを見て、リツコは明日の立ち上げを楽しみにする事にして、今日はあがる事にした。


「今日は先に帰るわね。ミサトが帰ってくるのよ」

「そうそう、彼女もゲヒルンに入っていたのね……確かドイツ?」

「ええ、第三支部勤務」

「じゃあ、遠距離恋愛ね」

「別れたそうよ」

「あら。お似合いのカップルに見えたのに」

「男と女は分からないわ。ロジックじゃあ無いもの」

「そういう冷めたところ変わらないわね。自分の幸せまで逃しちゃうわよ」


 ナオコは少し表情を崩してリツコを見つめた。今までこんな男女関係の事でリツコと話した事の無いナオコだ。

 放任していたとは言え、自分の娘だ。やはり心配はするのだろう。


「幸せの定義なんて、もっと分からないわよ。さてと、飲みに行くの久しぶりだわ」

「お疲れ様」

「お疲れ様」


 こんな話しをナオコとするのが照れ臭かったのか、リツコはさっさと会話を切り上げた。

 リツコを笑いながら見送ったナオコだが、振り向くと以前に紹介された幼女、綾波レイが目に入った。

 レイは無表情のまま、ナオコを見ていた。それに気がついたナオコは笑顔でレイに話し掛けた。


「何か御用? レイちゃん」

「道に迷ったの」

「あらそう……じゃあ、あたしと一緒に出ようか?」

「……いい」

「でも、一人じゃ帰れないでしょ」

「大きなお世話よ。婆さん」


 一瞬、無表情のままのレイの言った事が理解出来なかったナオコだった。思わず聞き返してしまう。


「何?」

「一人で帰れるからほっといて。婆さん」

「人の事を婆さんだなんて言うもんじゃ無いわ」

「だって、あなた婆さんでしょ」

「怒るわよ。碇所長に叱って貰わなきゃ」


 ここまで来るとナオコも怒っていた。如何に幼児とはいえ、言って良い事と悪い事がある。

 ゲンドウとの関係は続いていたとはいえ、肌の衰えは感じていた。だからこそ、余計にレイの言葉が気に障った。

 やはり妙齢の女性には禁句だろうが、当然幼いレイは、そんな事は分からなかった。


「所長がそう言ってるのよ。あなたの事」

「嘘っ!?」


 レイの言葉はナオコの心に深く突き刺さった。本人が年齢を気にしているので余計である。

 ゲンドウの心にはまだユイが居る事は知っている。そのゲンドウとの関係を続けているとはいえ、年齢による衰えはどうしようも無い。

 そこにレイの追加の口撃が入った。


「婆さんはしつこいとか……婆さんは用済みだとか……」


 レイの言葉はナオコの中で何度も響いた。人間は気にしている事を面と向かって言われると冷静さを失う事が多い。

 それは天才と言われたナオコでも同じだ。逆に、技術方面での才能があった分、女としての分野での経験は少なかった。

 世の中には悪い男に引っ掛かって会社の金を横領し、男に貢ぐ女性がいる。ナオコもそれと同じようなタイプなのだろうか?

 ゲンドウに捨てられる、そう錯乱したナオコは幼いレイの首を全力で絞めていた。


「あんたなんか……あんたなんか、死んでも代わりはいるのよ。レイ……あたしと同じね」


 ナオコが正気を取り戻した時、既にレイの息は絶えていた。そこでナオコは自分が激情に駆られてレイを絞殺した事を悟った。

 そしてパニックに陥ったナオコは……自ら命を絶った。


 これが偶然で起きたと想定した場合、幼いレイに悪意は無く、偶々ゲンドウから聞いていた内容を話しただけという事になる。

 その場合はゲンドウがナオコを切り捨てる判断をしていたが、まだ手を下さなかったという事になる。

 MAGIが完成して、後は電源を入れるだけというのもタイミング的にはどうかと思う。あくまで偶然という仮定が前提だ。


 逆に仕組まれたと想定した場合、戦慄する内容が推測される。まず、幼いレイを犠牲にする事を前提にした事。

 ナオコに言う台詞をレイに教えて、その台詞でナオコがどんなリアクションを取るかを完全に予想していた事になる。

 いかにナオコにとってショックな言葉でも、パニックに陥り幼児を絞め殺す事など簡単に出来る事では無いだろう。

 ましてや自害まで予想出来るのか? そこまでナオコの行動を読み切れたのか?

 それともナオコがここまで暴走せずに、ゲンドウにレイを叱責する事を依頼するだけに止まったたら、どうしていたのか?

 その真相はレイの保護者のゲンドウだけが知っていた。

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 キール・ローレンツを議長とする人類補完委員会は調査組織であるゲヒルンを解体。

 そして、全計画の遂行組織として特務機関ネルフを結成しようとした。

 だが、常任理事国会議で北欧連合が拒否権を発動した事で、一時的に保留。(2009年の外伝を参照)

 その後、特務機関ネルフの権限を一部制約させる事で同意が取れ、特務機関ネルフが成立し、スタッフはネルフへと籍を移した。

 ただ一人、MAGIシステム開発の功績者、赤木ナオコ博士を除いて……

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 2015年

「さて、行きますか」


 加持の顔にはこれから行う事で、どういう結末になるか漠然とした不安はあった。

 だが、ここまで来れば引き返す事さえ出来ないのも理解していた。

 そして冬月が拘束されている部屋のドアを開けた。冬月は背後のドアが開いたのを見て、振り返った。


「……君か」


 冬月は長時間の尋問でかなり疲労していた。シルエットしか見えないが、誰が来たかは分かっていた。


「ご無沙汰です。外の見張りには暫く眠ってもらいました」

「この行動は君の命取りになるぞ」

「真実に近づきたいだけです。僕の中のね。それと自己保身も兼ねておかないと……やばいんですよ。色々とね」


 そう言って加持は冬月の手錠を外して、外に連れ出した。

 車に乗った冬月は、突然横に人の気配を感じて驚いた。だが、赤く輝く目を見ると冬月の意識は急速に薄れていった。

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 ネルフ本部:第四隔離施設

 いきなりドアが開いて、外の光が部屋に差し込んできた。

 ミサトが視線を向けると、自分を連れてきた諜報部の職員が、ミサトのカードと銃を差し出した。


「御協力、ありがとうございました」

「……もう、良いの?」

「はい。問題は解決しましたから」

「……そう」


 ミサトは立ち上がり、銃とカードを受け取った。そして躊躇いながらも心配だった事を諜報部の職員に尋ねた。


「彼は?」

「存じません」


 それだけ言った諜報部員は直ぐに立ち去って行った。残されたミサトは加持に訪れるであろう未来を予感して目蓋を閉じていた。

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 巨大な換気扇がゆっくり回り、その隙間から夕陽が見えている。

 何処かの倉庫だろうか。加持はそこである人物を待っていた。人の気配を感じて加持は振り向いて声を掛けた。


「よっ。遅かったじゃないか」


 その直後、一発の銃声が部屋に響き渡った。

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 ミサトは拘束から解放されてマンションに戻ってきた。

 冷蔵庫からビールを習慣で取り出したが、どうしても不安で手をつける事が出来なかった。

 自分が解放されたという事は冬月は戻って来たのだろう。だが、拉致の実行犯である加持はどうなったのか?

 ネルフ組織から見れば加持は立派な敵対者である。だが、ミサト個人から見れば、学生時代からの知人であり、恋人でもある。

 不安を紛らわす為、情報収集の為、でも何処か惹かれていた加持。そうでなければ肌を合わせたりはしない。

 加持の身を案じているミサトは、固定電話にメッセージが残っている事を示すランプが点滅している事に気がついた。

 まさか!? ミサトは何かに怯えるように電話機に近づき、躊躇いながらも用件再生のボタンを押した。


『葛城、俺だ。多分この話を聞いている時は、君に多大な迷惑を掛けた後だと思う。済まない。

 りっちゃんにも済まないと謝っておいてくれ。後、迷惑ついでに俺の育てていた花がある、俺の代りに水をやってくれると嬉しい。

 場所はトウジ君が知っている。葛城、真実は君と共にある。迷わず進んでくれ。

 そうだ。頼まれていた御祓いが出来るところだが、第二東京市で良い所を見つけた。電話番号はxxx-xxxx-xxxxだ。アスカと行ってくれ。

 もし、もう一度逢える事があったら八年前に言えなかった言葉を言うよ。じゃあ…………午後零時二分です』


 留守番電話に入っていたメッセージは、死を覚悟した加持の遺言に感じられた。

 今までの加持との思い出がミサトの脳裏を過ぎった。そしてミサトの涙が溢れ出した。


「馬鹿! ………あんたは本当に馬鹿よ!」


 ミサトはテーブルに突っ伏して号泣した。アスカは出掛けており、マンションには誰も居なかった。

 仮にアスカが居たとしても、ミサトの行動は変わらなかったろう。ミサトの号泣はしばらくの間、止まる事は無かった。

 そしてその光景を使い魔であるユインが見つめていた。






To be continued...
(2012.05.05 初版)
(2012.07.08 改訂一版)


(あとがき)

 セレナの件はあっさりと済ませてしまいました。この後、何回か出番はありますが、全て不知火夫人という立場になります。

 ネルフ関係の過去の回想シーンがあった為に、色々な過去の設定を書きました。

 放射能除去装置は遺産の機構です。決して、外宇宙に取りに行った訳ではありません。



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