因果応報、その果てには

宇宙暦0015
V

presented by えっくん様


 作者注. 拙作は暇潰し小説ですが、アンチを読んで不快に感じるような方は、読まないように御願いします。

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 日本エリア限定だったが、防火用バケツの普及委員会の委員長に任じられたナナシは精力的に動いていた。

 まずは胡散臭そうな目で見る消防組織の上層部を、自信満々な態度で説得した。

 学校などの公共エリアに配備する事を承諾させ、許可が下りたとして生産工場に防火用バケツの生産計画を早期に提出するように求めた。

 生産工場は掃除用として普及しているプラスチック製のバケツを量産すれば良いと考えていたが、ナナシは防火用と書かれたブリキ製の

 バケツに拘りを持っていた。ナナシは生産工場側に要求をして、各地にブリキ製の防火用バケツが配置される事となった。

 ナナシはそれに飽き足らず、バケツリレーの訓練を行うように消防組織の上層部に掛け合っていた。

 その様子を嫌そうな目で、自治組織の下部組織のメンバーが見つめていた。


「今更、防火用バケツだなんて、使えると思っているのか?」

「何でもデモの時に訴えたらしい。上層部も関わりたく無いと見えて、許可を出したら後は関与しないとさ。

 とばっちりが来るこっちの事も考えて欲しいもんだよ」

「何が悲しくてバケツリレーの訓練をしなくちゃならないんだ! ここは宇宙で水が豊富な地球とは違うんだぞ!」

「奴の信条は防火用バケツはどんな時代になっても有効だとさ。巻き込まれる方が迷惑だ」

「別に奴個人が思うのは自由だがな。あれで効果が出なかった時はどうするつもりだ?」

「その時はきちっと責任を取って貰うと上層部はぼやいていたぞ。あんまり関わらない方が身の為だ」

「清掃用のプラスチック製のバケツで十分だろうに、防火用と書かれたブリキ製のバケツに拘るなんて、何かトラウマでもあるのか?」


 周囲の批判も気にせずに、ナナシは自分の信念である防火用バケツの普及に全身全霊を注いでいた。

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 日本エリアのある中等学校で防災訓練が行われていた。参加者は学校の教師と職員。それと12歳から18歳の生徒である。

 消防隊から来ていた職員が、消火器の使い方を全員に説明していた。


「このように、まず消火器の安全ピンを抜きます。続いて噴射口を火に向けて、このレバーを引けば中の消化剤が噴出します。

 自治領で火災を放置しておくと危険です。小さくても火を放置する事は出来ません。

 このペットボトルサイズの消火器は12歳以上であれば全員に支給されています。つまり此処にいる全員が持っています。

 登下校の時でも不審火を見つけた場合は、周りの大人に伝えて速やかに消火して下さい。それと消火器は遊び道具ではありません。

 絶対に人に向けないで下さい。虐めでこれを使った場合は矯正教育を行われる事が規則で決まっています。

 では、水が入った小型の消火器を用意しましたので、全員が一度は使うようにして下さい。

 それと消火する時は、必ず大きな声で『火事だ!!』と叫ぶようにして下さい。これは周囲の人に火事を知らせる意味があります。

 では、列を作って水が入った消火器を持って下さい」


 こうして全校をあげた防災訓練が始まった。


「火事だああ」

「火事よ! 皆は避難して!!」


 面白半分に行っている生徒もいた。だが、これは消火器の操作に慣れる為の訓練だ。消防隊の職員も子供の不真面目さを怒る気は無かった。

 そして学校の防火管理責任者は消防隊の職員と話していた。


「このペットボトルサイズの消火器は持ち運びも楽で良いですね。扱いも簡単だし、消化剤の補充も学校の設備で簡単に出来ますからね」

「他のエリアでは女の子の痴漢撃退ツールとして使われたケースもあります。まあ、扱いを覚えていて損はありませんよ。

 小さいサイズですから中の消化剤の量は少ないですが、万が一の時は数で補えます。まずは慣れる事が優先ですね」

「ちょっと小耳に挟みましたが、防火用バケツを使ったバケツリレーの訓練は行わないんですか? うちの学校も数十個とありますけど?」

「本職である自分達が意味が無いと考えているんですよ。まあ、一部の自衛消防隊ではバケツリレーの訓練を行いましたがね。

 万が一の時は掃除用のプラスチックのバケツで十分です。態々、防火用と書かれたブリキのバケツを使う意味はありません。

 普及委員会に運用マニュアルを要求して、それが配布されるまでは一般指導はしないつもりです。安心して下さい」

「そういう事ですか。私もバケツリレーだなんて意味が無いと思っていましたから。本日は御指導していただいて、ありがとうございました」


 普及委員会のナナシは、消防隊から要求のあった防火用バケツの運用マニュアルを必死になって作成していた。

 もっとも防火用バケツの効果など認めていない消防隊は、ナナシの作った運用マニュアルの不備を何度も指摘して認める事は無かった。

 そして防火用バケツの運用マニュアルが完成する事は無かった。

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 自治領では勝手な自主開発や研究は一切が禁じられていた。

 これも実験の失敗で被害が大きくなった場合、地球とは比較に為らない被害が出る可能性があった為である。

 地球なら大爆発があっても、爆発地点の周囲に被害が出るが遠距離では影響はあまり出ないだろう。

 スペースコロニーで外壁を吹き飛ばすような爆発があった場合は、空気が外部に流出し、内部の人間に深刻な被害を出す可能性がある。

 密閉された空間で新種の病原菌のウィルス等が開発されては、中の市民の全員が死に絶える危険性さえある。

 この事は定期的にTVで流されて住民全てに通達され、違法開発等に関しては各警察組織や治安維持局の厳しい目が光っていた。

 とは言っても、何処にも法律違反を行う人間はいる。あるエリアで違法な水素エネルギーの開発研究が進められていた。


「水を電気分解すると水素と酸素になる。そして水素は昔から言われているようにエコなエネルギーになるんだ。

 こんな研究を禁止するなんて、自治政府の役人の器も小さいな」

「これが上手くいけばどうなるんだ?」

「今の電気自動車に置き換えが出来る。それに太陽光発電と組み合わせれば、エコなエネルギーが使用出来るんだ。

 水素を燃焼して出るのは水だし、再利用も十分に可能だよ」

「ある程度以上の水が必要になるよな。此処にそんな水の余裕はあったっけ?」

「……ま、まあ、飲料水には手をつけられないが、養殖場の湖や公園の池なんかの水を使用すれば大丈夫だよ」

「それで今は大量の水素を製造しているのか?」

「ああ。実験でも結構大量に使うからな。水素はいくらあっても困らない」

「電気の使用量で目をつけられるかも知れないぞ。気をつけろよ」

「ああ。これが実現出来れば自治政府に頼る事無く電気が作り出せる。必ず成功させるさ」


 彼らは地下を利用して大量の水素を製造し、色々な実験を行っていた。だが小規模な組織の為に、どうしても資材面の工面が難しかった。

 違法な活動を行っているので、堂々と資材調達が出来なかった事も大きな要因だ。自然と設備も中古や暫定的なものを使用していた。

 そして水素の貯蔵施設もそうだった。

 漏れを検知するようなセンサも無く、貯蔵施設から少しずつ水素が漏れている事に彼らが気がつく事は無かった。

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 スペースコロニーは宇宙にあり、常時宇宙線を浴びている。その宇宙線は人間にとって有害なものであり、それを避ける為にシールドや

 厚さ十メートルの何層もの外部装甲によって中の人間の安全は守られていた。大気を密閉する役割も兼ねていた。

 中の施設の直ぐ真下が、外部装甲になっている訳では無い。中の施設の下の三十メートルほどは地盤となっていたが、

 その外側は漏れ出した地下水の回収設備、各電気の供給配管、上下水道等の色々なインフラ設備がメンテナンス空間と共にあった。


 静電気による火花が漏れていた水素を爆発させ、さらには大きな貯蔵施設の水素も続いて爆発。

 中台エリアと日本エリアの境界付近で、巨大な爆発が発生した。

 さらに不幸な事に、ある組織が密造していた火薬が誘爆。スペースコロニーの外壁部に深刻なダメージを与えた。

 外壁の一部が破損し、中の空気が漏れ出したのだ。そして地上の一部では火災が発生していた。

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 施設管理局の業務はスペースコロニー内の色々な設備の管理や運営を行う事である。

 住民が使う電気の供給や、中の大気の酸素濃度の調整等が含まれ、運営に支障が出れば住民の安全に直轄する重要な部署である。

 その為に自治領主であるミハイルの直轄であり、色々な住民の思惑に左右されずに安定した運営を行っていた。

 スペースコロニーが稼動開始されて十五年。電気や上下水道等も複数のラインを準備していた事もあり、大きな問題は発生していなかった。

 だが、地震が起きるはずが無いスペースコロニーに振動が起きた後、今まで非常訓練の時にしか鳴らなかった警報が、いきなり鳴り出した。


36ブロックの地下エリアで爆発が発生! 第36−108の供給システムは緊急閉鎖! 予備の36−208供給システムが自動起動!

 コロニーの外部装甲が破損! 大気が流出中! 作業員は直ちに出動せよ! 繰り返す、作業員は直ちに36ブロックに急行せよ!



「36ブロックの地下だと!? 何があったんだ!?」

「詮索は後だ! 外部作業要員は直ちに作業用宇宙船で出動! 地下エリアは大気が流出中だ。

 作業ロボットをメンテナンスエリアに向かわせろ! 外壁の修復が最優先だ!」

「外壁の事は修理部に任せたぞ! 住居エリアの状況はどうだ!?」

「大気圧が低下中! このままでは危険です! 一部には火災も発生しています!」

「隣接するブロックに緊急放送だ! 絶対に外に出るな! 外にいる場合は近くの施設内に直ぐに入れと放送しろ!

 ブロック間の隔壁の緊急閉鎖だ! 急げ!」

「36ブロックの住民を見捨てるんですか!?」

「隣接する他のブロックの住民に影響が出るよりは良い! 責任は俺が取る! 急げ! 自治領主にも報告するんだ!」

「自治組織にも緊急連絡だ! 警察組織と消防組織の出動を要請! 治安維持局にも出動の準備を依頼しろ!」

「監視部は大気圧の変化に注意! 一定ラインを割り込んだら、緊急用タンクを開放しろ!」


 スペースコロニー内は大気があり、その為に人間が生活出来る。外壁に穴が開いて大気が流出すれば、人間は生きてはいけない。

 その被害を出来るだけ少なく食い止めるのが施設管理局の仕事だ。職員は慌てながらも動き出した。

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『こちらは施設管理局です。36ブロックで原因不明の爆発が発生。外壁が破損して、現在大気が外部に流出中!

 緊急処置でエリア間の隔壁を閉鎖します。エリア間にいる住民は速やかに退避して下さい! 繰り返します。

 36ブロックの外壁が原因不明の爆発で破損。大気が流出中です。緊急処置でエリア間の隔壁を緊急閉鎖します。

 隔壁付近の住民は速やかに退避して下さい!』


 コロニー内の防災手段として、エリア間を完全に遮断する隔壁が用意されていた。

 火事や大気流出、ウィルス蔓延などの万が一の場合に対応する為である。今まで防災訓練の時しか動作しなかった隔壁が動き出した。


『35ブロックで火災が多数発生! 現在は消防隊が向かっていますが、有害物質が大気に放出される危険性もあります。

 住民は速やかに屋内に避難して下さい。繰り返します。現在35ブロックで火災が発生中。住民は屋内に緊急避難して下さい!』


 大規模な火災は消防隊しか対応は出来ない。だが、小さい火災ならと数人の大人達は自分達で消火しようと試みていた。

 だが、問題が発生していた。


「おい、水道が出ないぞ。これじゃ防火用バケツは使えないじゃ無いか!」

「地下の供給システムに障害が出たんだろう! だから防火用バケツなんて意味が無いと言ったんだ!

 態々バケツリレーの訓練をしたのに意味が無い! 防火水槽なんて無いから、水道が止まったらアウトだ!」

「そんな事を言う暇があったら、消火器をありったけ持って来い! 消火栓は使えるのか!?」

「大丈夫だ。消火栓用の地下タンクは水道のラインとは独立しているからな。良し、消火栓を動かすぞ。ホースをちゃんと持っていろ!」


 こうして小さな火災は自衛防災組織のメンバーによって消火され、大規模火災も出動した消防隊によって消火された。

 定期的に消防訓練を行っていた成果だろう。

 バケツリレーが全然役に立たなかった事は当然と思いながらも、無事に鎮火出来て胸を撫で下ろしていた。

 隣接したブロックに大きな被害は無く、各施設内に避難した住民は事態がどうなるか不安を抱きながらも次の放送を待っていた。

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 爆発事故が発生した36ブロックでは、一時的に電気は消えたが直ぐに復旧。

 だが、その後に大気圧の急激な変化から強風が吹き荒れていた。火災も発生したが、強風などの要因もあって消火は中々進まなかった。

 路上にいた住民は付近の施設に避難した。学校も校庭の子供達を直ぐに校舎に誘導して、事態の沈静化を待っていた。

 爆発地点付近では爆発の衝撃から多数の人が気を失い、路上に倒れている者もいた。

 まだ強風は止まず、避難した人達は息を潜めて施設管理局の次の発表を待っていた。

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 36ブロックで爆発事故が発生。多数の火災が発生して、外壁が壊れて中の大気が流出中である事はミハイルにも伝えられた。

 既に施設管理局が動いている事が伝えられたミハイルは、事態の収拾を待つ事にした。

 部下が頑張っているところに上司がしゃしゃり出て仕切っても、碌な結果が出ない事を知っていた為である。

 プロの仕事が分かるのは、同じプロだけである。権威を笠に命令すると、逆に被害が拡大する事をミハイルは知っていた。

 ミハイルは行っていた仕事を止めて、『T』の施設管理局の職員に『U』のバックアップを指示しただけだった。

 そして爆発事故が起きた36ブロックが中台エリアである事を知ると、複雑な表情になって考え込んでいた。

 上級評議会には短期間でのデモ隊参加者の処分を指示したが、いくつもの口実をつけられて結局は処分は行われていなかった。

 あまり押さえつけては自主性は失われる。かと言って無干渉過ぎては暴走する危険性もある。

 何が最善なのか? 相談する為にミハイルはシンジへメールを送った。

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 施設管理局の修理部の職員は作業用宇宙艇に乗って出動した。現場に急行すると、直径が数メートルもの亀裂があり、

 そこから凄い勢いで大気やコロニー内の色々なものが宇宙に噴出している事を確認した。

 こういう場合、外から流れ出るものを防ぐのは容易では無い。穴の応急修理の本命は作業ロボットである。

 内側のメンテナンスエリアを伝わって、穴が開いた現場に直行した。ロボットなので真空状態であっても問題は無い。

 直ぐに穴を確認し、持ち込んだ応急キットを開いた。出てきたのは一見すると大きな風船だった。

 中には特殊な瞬間硬化液が入っている。気圧の差から外に風船は吐き出されようとして、付近の破片に接触して破裂。

 瞬間硬化液が穴の周囲に撒き散らされ、風船が数十個破裂すると外壁の穴は塞がれた。

 正式な修理はこれからだが、応急修理が済んだ事に作業用宇宙艇に乗っている職員は安堵の溜息をついていた。

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『こちらは施設管理局です。36ブロックの外壁の応急修理に成功しました。現在はコロニー内の大気の流出は停止しています。

 36ブロックでは酸素不足による症状が出た数十人もの住人は病院で検査を受けています。

 それと火災は全て鎮火しましたが、有毒ガスを吸い込んで治療中の方も六名ほどいると連絡が入っています。

 現在は爆発した現場では治安維持局による現場検証が行われています。一般住民は爆発現場付近には立ち寄らないようにして下さい。

 事故原因が分かるまでは36ブロックと近隣ブロックの隔壁は閉鎖します。36ブロックの住民は全員が自宅に待機して下さい。

 緊急避難警報は解除しますが、36ブロックの方は自宅で待機して下さい』


 原因不明の爆発事故でコロニーの外壁に亀裂が生じたが、無事に修理が出来た事に『U』の全住民は安堵していた。

 ブロック間の隔壁が訓練時以外に動作したのは初めてだったが、隣接するブロックへの影響は最低限に抑えられた。

 問題は爆発の原因だ。外壁が破損した爆発など移住してきてから初めてであり、きっちりと原因究明をして貰わないと安心出来ない。

 住民の関心は治安維持局の爆発事故の原因発表に向けられていた。

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 通常の犯罪であれば自治組織の管理下にある警察が現場の検証を行う。

 今回の場合は原因不明の爆発事故であり、コロニーの外壁まで被害が及んだ。

 言い方を変えれば、コロニーに住む全住民が一時的に危険に晒された。

 その為に警察組織では無く、治安維持局の職員が現場検証を行っていた。それぐらい当局がこの爆発事故に関心がある証拠とも言える。

 施設管理局からの強い要請もあって、徹底した現場検証を職員は行っていた。


「おい、これは水の電気分解装置だ。それと貯蔵用タンクか。此処にいた奴等は勝手に水素を作って貯蔵していたらしいな」

「貯蔵用タンクも他のタンクの流用品だ。溶接の後がある。こんなものに水素を入れていたのか。

 しかも予備の貯蔵に地下室を丸ごと使って水素を溜めていた形跡があるぞ。

 安全管理の初級レベルの知識を持っているかも怪しい。正気の沙汰じゃ無いな」

「爆発の危険性も良く知らん奴等がこんな事をしていたのか? まったくお蔭で今回の爆発騒ぎか。ここの所有者はどうした?」

「生産工場に出勤中の事故だったみたいですね。爆発が起きた事を伝えると顔を真っ青にしたそうですから、犯人の可能性は高いです。

 現在は本部に連行して取調べ中です。明日には一次報告書が出てくると思いますよ」

「それまでは36ブロックは閉鎖だな。まだ断定は出来ないが、不法な水素エネルギー開発研究を行った為の爆発事故だったと言う事か」

「待って下さい! ちょっと下の部屋の惨状を見て下さい。火薬反応が出た事から、水素爆発だけと断定するのは出来ません!」

「火薬反応だと!? 分かった。その近辺を徹底的に調査しろ!」


 今回の爆発事故の原因は、違法な水素エネルギーの研究を行っていた事、そして大量の水素を貯蔵していたが漏れて爆発。

 さらには密造武器の弾薬が誘爆した事によるものとの報告が、治安維持局から施設管理局に報告された。

 その報告は施設管理局長からミハイルに届けられた。報告を受けたミハイルは目を閉じた。

 僅かな時間であったがミハイルはある決断をした。そして再び目を開けて、施設管理局にある指示を出していた。

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 自治領の時間帯は全て統一されている。朝の七時であれば、一部の家庭を除いてだいたいは朝食の時間帯だ。

 子供の居る家庭であれば、子供向けの番組を流しているチャンネルを見ているかも知れない。

 大人だけの家庭ならニュース関係の番組を見ているかも知れない。

 その日はミハイルの緊急発表の為、全てのチャンネルでミハイルの姿が映っていた。


『私は自治領主のミハイル・ロックフォードです。昨日の36ブロックの事故に関して、全住民の皆さんに緊急告知を行います。

 昨日の爆発事故の最終報告書はまだ上がってきていませんが、爆発現場付近で違法な研究が行われている設備が見つかりました。

 まだ犯人は断定出来てはいませんが、違法な水素エネルギーの研究を行っていた彼らは、大量の水素を製造して貯蔵。

 今回の爆発事故は貯蔵していた水素が漏れて爆発した可能性が高いと推測されます。又、密造武器も発見出来ました。

 密造拳銃と銃弾、多数の手榴弾です。今回の爆発事故はコロニーの外壁を破損させ、全住民の皆さんを危険に晒しました。

 このような禁じられた危険な研究している輩を見逃す事は出来ません。密造武器も同じ事です。

 今回の事件は36ブロックのある中台エリアで発生しました。この前のデモの件もありますが、徹底的に中台エリアの捜索を行います。

 これは自治領主命令です。現在封鎖している36ブロックに加え、37〜39ブロックも閉鎖します。

 治安維持局の職員による調査が終わるまでは、中台エリアの住民はブロック外に出る事を禁止します。

 これは他の住民を危険から守る為です。生産工場に出勤する必要は無く、中台エリアの住民は自宅待機して下さい。

 又、不穏分子の可能性がある、以前のデモの参加者の徹底調査を指示しました。住民の皆さんは治安維持局の職員の指示に従って下さい』


 ミハイルは厳しい表情を浮かべながら、全住民に対して緊急告知を行った。

 コロニーの外壁が破損するなどの全住民の安全を脅かす行為を放置はしておけない。

 デモ隊に見られるように住民の不満が高まっているのは分かるが、危険分子を徹底的に排除する事をミハイルは決意していた。

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 ミハイルの緊急告知を知って、中台エリアの以前のデモ主催者達は慌てて集まってきていた。

 当然、昨日の爆発事故は知ってはいた。密造武器を隠していた倉庫が吹き飛んだ事は残念な事だったが、爆発の直接的な原因とは

 関係が無いと思っていた為に、ここまで自治領主が厳しい態度をとるとは想像していなかった。

 このままではデモに参加した自分達も厳しい取調べを受けるだろう。そうなれば密造武器の件もばれるかも知れない。

 そうなれば追放処置が下される事は間違い無い。今後をどうするか、男達は血相を変えて議論を始めた。


「上級評議員のお蔭でデモを行った事は有耶無耶に出来るかも知れないところまで来ていたのに、どうしてこうなったんだ!?」

「知るか! あの水素エネルギーの研究をやってた奴が悪いんだろう! まったく絞め殺してやりたい!」

「情報が入ったぞ。あの違法研究をやっていた奴は、昨日の時点で特定されて治安維持局に連行されている。

 そして悪い情報だが、火薬の材料の横流しがばれた。工場の資材責任者が取調べを受けていると言う事だ。

 このままじゃあ、俺達のところに捜査の手が伸びてくるのも時間の問題だ!」

「どうする!? 何か良い手段は無いのか!?」

「中台エリア全体が閉鎖されているからな。逃げ出す事も出来ない。だが、情報封鎖されていない事が救いだな。まだ外部と連絡は取れる」

「どうするつもりだ? 他のエリアの奴を動かすのか?」

「他国籍の奴等にそこまで期待が出来るのか? 奴等のデモは再来週を予定していたが、恐らく治安維持局の手入れを受けているぞ」

「それより女を使って取り込んだ治安維持局の下っ端を使えないか?」

「治安維持局もそこまで馬鹿じゃ無いだろう。火薬の材料の横流しにあいつを関わらせたからな。今頃は拘束されているだろう。

 それよりお人好しの日本人の一人を上手く騙せている。そいつを使う」

「上手く行くのか?」

「分からんが、今の俺達は動けない。あの日本人ならノーマークだからな。女をそいつに付けているから、指示を出す」

「分かった。俺達は成功するまで治安維持局に捕まる訳にはいかないからな」


 男達には野望があって、まだ諦める訳にはいかなかった。使えるものは何でも使うつもりで、手駒の全てに指示を出した。


 今回の爆発事故と武器密造が自分達の住むエリアで発覚したと聞き、デモに関係無い中台エリアの市民にも動揺が広がっていた。

 今までは自治領主がここまであからさまに介入して来た事は無かった。

 まさか自分達のエリアの住民全部がターゲットになっているはずは無いと自らに言い聞かせたが、不安が消える事は無かった。

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 ミハイルの緊急告知に驚いたのは、日本エリアのデモの参加者達もそうだった。

 前回のデモに続いて、二回目のデモも計画している。何とか騙した日本人を前面に出して、騒ぎを大きくしようと考えていたのだ。

 中台エリアからは自治領主が厳しい態度をとっているとは知らされていなかった彼らは、デモについては問題が無いと考えていた。

 自治政府の関係者から事情聴取を受けたが、普通の態度で調べられたので拙い事をしているという意識は薄かった。

 だが、今朝の緊急告知報道を見ると、そんな事は言ってはいられない。

 今、治安維持局の捜査を受けて捕まったら、追放処置になる可能性は高いだろう。その事に彼らは慌てふためいていた。


「自治領主があんなに厳しい態度だとは連絡が無かったぞ! どういう事だ!?」

「知るか! このままじゃあ、俺達は目を付けられる。どうする!?」

「俺達を信用した日本人に指示してデモをやらせてみるか? そうすれば俺達への捜索の手は伸びないかも知れないぞ」

「馬鹿! 俺達が隠れていて、あいつらが単独でデモをする訳が無いだろう。このままじゃ拙い事は確かだな。隠れるしか無い!」

「何処に隠れる? そんな場所は無い。ここじゃあ、何処に行っても居場所は知られてしまう」

「だったら逃げずに捕まるのか? 見せしめの為に、雪と氷だけの祖国に捨て去られても良いのか!?」

「嫌に決まっているだろう! 何とかして対応策を考えないと!」


 既に消え去った祖国の栄光を取り戻し、指導者として他の民族の上に立つまでは彼等は諦める訳にはいかなかった。

 とは言え、追い詰められた彼らは平常心を失っていた。そしてある事を決意したのであった。


 以前のデモに参加した日本人にも動揺が広がっていた。自治領主の緊急告知など初めての事であり、主なターゲットは爆発事故を起こした

 中台エリアだと思ったが、デモ参加者を不穏分子の可能性があると言った事で自分達にも捜査の手が伸びる事を感じたのだ。

 移住してから十五年。今までこんな事は無かった。規制は多いが平和な生活が十五年経過して、大災厄当時に感じた緊張感を忘れていた。

 デモに参加したメンバーに、十五年前に感じた緊張感が戻っていた。

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 中東連合エリア、南米エリアからもデモに参加した人間は居た。反応は日本エリアの参加者と同じようなものである。

 これからどうなるか、デモ参加者は不安を感じていた。


 そしてデモに参加していない殆どの住民のデモ参加者を見る目は冷たかった。規制が多くて娯楽が少ないから不満は当然持っている。

 だが、コロニー内の治安を悪化させてまで規制の解除や権利の拡大を考える人間は少なかったという事だ。

 デモが中台エリアを中心に行われた事と今回の爆発事故と武器密造が同じエリアで起きた事を考えると、

 どうしてもある程度の関係はあるかも知れないと考える住民は多かった。

 特に今回は違法研究によってコロニーの外壁が破損すると言う重大事故に繋がった。

 復旧は早くて他のエリアに被害は無かったが、この事故は他のエリアの問題も直接自分たちにも影響するという事を自覚させられた。

 それが密閉空間で多数の人間が住まざるをえないスペースコロニーの抱える宿命とも言うべきもの。

 各自の自分勝手な行動が、いかに他の多くの住民に被害を容易に与えられるかを感じた人は多かった。

 三基目のコロニー建造に多くの物資と開発力を注いでいる事や、地球の地下都市の状況もある程度はTV局を通じて報道されている。

 それに色々な啓蒙活動が功を奏して、住民の自制心を強く働かせていた。

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 ミハイルの緊急告知を受けて、急遽上級評議会員が招集されていた。

 中台エリアの代表は、一時的に代表の権利が停止させられて自宅待機している。

 ミハイルの求めたデモ隊の処分を先延ばしした事もあって、一人が欠けた十二人の上級評議会は全員が厳しい表情で議論していた。


「今回の爆発事故と武器密造とデモ隊の関係は、まだ分からないのか?」

「ああ。今回の件は警察組織は現場検証も行えずに、治安維持局が全面介入している。

 生産工場に勤務していた違法研究していた住民は治安維持局に拘束されて、武器密造に関わったとされる工場関係者も同じだ。

 こちらにまったく情報は来ていない」

「ある程度の因果関係はあると推測するべきだろうな。甘く見て、さらに状況が悪化しては上級評議会の立場が無い。

 最悪は管理責任を問われて、上級評議会の解散命令が出る可能性さえあるぞ」

「事態が予想を超えて悪化する事は良くある事だ。最悪のさらに斜め上の事態まで考えないとな。

 デモ隊の処置を先延ばしした事で、我々上級評議会の自治領主の印象も悪化しているだろう。これ以上の信用失墜は避けなくては」

「前のデモに参加した住民の取調べをもっと厳しくしていれば、この事態は避けられたと言うのか? それは結果論に過ぎない。

 不満が溜まっている住民を取り締まれば良いと言うものでも無い。ガス抜きは必要だ」

「結果論から言えば、デモに参加した住民を取り締まらなかったから、今回の事件が発生したとも言える。

 特に今回は違法研究の為にコロニーの外壁が破損した。爆発の規模があまり大きく無かったから良かったが、あれが数倍の規模の爆発なら

 中台エリアの住民全員が宇宙に放り出されて、近隣エリアにも多数の死者が出たかも知れない。楽観視するのは拙い」

「現在は中台エリア全域に治安維持局の捜査が入っている。その結果を待つべきだろう」

「他のエリアのデモ参加者の捜査はどうなっている? 撮影映像で誰が参加したかは判明しているはずだ。そちらの取調べは?」

「中台エリアの捜査に治安維持局は手一杯と見えて、各自治組織の警察に捜査要請が来ている。デモ参加者の取調べは警察組織が行っている」


 現時点では治安維持局と各警察組織が捜査中であり、上級評議会として動ける内容は無かった。

 とはいえ、何もしない訳では無い。今後のコロニーの内政をどうするべきか? 内政の管理義務を上級評議会は持っているのだ。


「昔の諺に『きしむ車輪は油をさされる』というものがある。煩い車輪は面倒を見て貰えるという意味だ。

 地球で生活出来るなら、今までのように『声を大きいものは得をする』とか『ゴネ得』とか、あっても構わないだろう。

 寧ろ、それらがあった方が生活が活性化され、積極性が評価されるような発展する社会になる。

 『沈黙は金』というのは島国のような閉鎖された一部地域の美徳でしか無かった。寧ろ、発言しない事は悪い事と考えられていた。

 だが、此処では違う。自己主張すればする程、良い待遇が与えられるという考えは捨てるべきだろう。

 限られた空間と物資。これらを共有して助け合いながら生活を営んでいかなくては為らないんだ。

 我々は地球という安住の地を失って、此処に逃げ延びて来た。以前の習慣や考え方が容易に捨てられないのは分かる。

 分かるが、変えないと今回のような結果になる場合がある。今回の事故の被害は少なくて済んだが、現状を放置して次の事故が発生して

 コロニーの住民全員が即死するような重大事故は絶対に起こさせては為らない。ここは住民の意識改革を率先して進めるべきだろう」


 北欧連合の王族から選出されていた上級評議会員の言葉に、他の上級評議会員も少し考え込んだ。

 地球と宇宙では環境はまったく違う。何がベストなのか? それを各自で考えるのであった。

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 冬宮は皇室を代表する立場にあって特別待遇を受けていた。自宅とは別に、上級評議員としての運営事務所を所有していた。

 もっとも、以前のように大規模なものでは無く、冬宮本人と秘書一人、それと警備員が二人程度の小さな事務所だったが。

 急遽集められた上級評議会が解散した後、冬宮は事務所に戻ってきた。そして今後の事を考えていた。


(今回の爆発事故や武器密造は見逃せない。当事者に厳しい処置が下るだろうが、再発防止も考えなくてはならない。

 それと日本エリアからも逮捕者が出るだろな。引き締めの面から見ても、ある程度は止むを得ない。

 とは言っても引き締め過ぎて、活気が失われても問題だ。さて、どうするかだな。

 それとシン博士の功績評価の件は、逆に項目のリストアップを頼まれた。

 上手くそれに便乗して、日本エリアの住民の意識を向上させられれば良いが)


 冬宮の立場として、自治領全体の改善を考慮する事が求められていた。とは言っても、出身母体である日本エリアを優先するのは

 ある意味では当然の事だった。静かに考え込む冬宮に、二年前から勤務している女性の秘書は声を掛けた。


「お茶を淹れました。どうぞ」

「ああ。宮原君、ありがとう。そう言えば、シン博士の功績のリストアップは進んでいるのか?

 君なら私とはまた別の面からの評価が出来るだろう。出来れば、見た者が勇気付けられるような内容にしたいのだがね」

「確かにあたしはEVAに乗りましたが、博士とは満足に話した事も無いんですよ。あんまり期待されては困ります。

 最初は同じレベルだと思っていましたけど、後で実力の差を嫌と言う程見せ付けられたんです。何度も命を助けられましたし。

 そんなあたしが博士を評価しても本当に良いんですか?」


(顔を会わせると口喧嘩ばかりしていたわね。まったく最初の出会いがあれだったから、最後まですれ違い続きだった。

 本当に『一期一会』の大切さが身に沁みたわね。結局はお礼も言えないまま、あいつは人類の為に死んでしまった。

 『後悔先に立たず』とは良く言ったものだわ。あたしの出来る事は、あいつの事を皆に知らしめる事ぐらいね)


 冬宮の秘書は嘗てのセカンドチルドレンである宮原アスカだった。宮原コウジと結婚し、二人の子供を儲けていた。

 両親が自治組織関係の仕事をしている事もあって、子育てが終わったアスカは冬宮の秘書をしていた。

 今のアスカは三十歳。若い時に出産した事もあり、多少の肌の衰えはあったがまだ美貌は健在だった。

 と言うより女盛りと言った方が良いだろう。あれからの成長もあって、歩くとナンパされる事もあるくらいだ。

 雰囲気も落ち着いており、俗に言う良い女と呼ばれるレベルになっていた。

 昔の経歴を冬宮に知られている事もあって、アスカはシンジの業績評価内容のまとめを依頼されていた。


「構わないよ。君のレポートをそのまま出す訳じゃ無い。ただ、私達が知らない面も君は知っているだろう。その事を書いてくれれば良い。

 後は私達が知っている事を追加するさ。……電話か。ちょっと待ってくれ」


 冬宮に電話が掛かってきた。日本エリアの警察組織の上層部の一人からだった。電話のスピーカからは緊張した声が流れてきた。


『事件が発生しました。『T』へ向かうコロニー間連絡船がハイジャックされました。犯人は日本エリア出身者の三名です。

 武器は密造されたと思われる拳銃を所持。運営局の職員二人が船内で撃たれています。

 連絡船の乗客は『T』で行われるイベントに招待された子供が三十名。今のところは乗客に怪我人は出ていません。

 犯人は中台エリアの逮捕者の即時解放と弾圧の停止、自治領主の全ての権限放棄を要求しています』

「コロニー間連絡船がハイジャック!? あれにはタダシが乗っているのに!?」

「宮原君の子供が連絡船に居るのか!?」

「は、はい。ガールフレンドと一緒に『T』で行われるイベントに招待されていたんです! まさかハイジャックされるなんて!?」

「こんな状況で自治領主の権限放棄なんか出来る訳が無い! 警察はどうするつもりだ!?」

『ハイジャックされたコロニー間連絡船は現在は宇宙空間で停止しています。宇宙では我々は手を出せません。

 治安維持局が出動して、ハイジャックされた連絡船を囲んでいます。後は治安維持局に任せるしかありません』

「そんな!? あれにはうちの子が乗っているんです! 治安維持局は乗客の安全を第一に考えてくれるんですよね!?」

『そ、それは我々に聞かれても困ります。こちらとしてもデモの参加者の取調べ中ですが、出来る限りは治安維持局に協力します』

「分かった。続報が入ったら連絡してくれ。宮原君、大丈夫か?」


 アスカは真っ青になっていた。息子のタダシは幼馴染であるヒカリの子供のナツミと一緒に『T』で行われるイベントに招待されていた。

 自治領でハイジャック事件の発生は初めてだ。しかもハイジャックされた連絡船は宇宙空間で停止しているという。

 強行突入や攻撃した場合は、あっという間に乗客全員が死んでしまう事もあるだろう。それを想像したアスカは眩暈を感じた。

 冬宮は慌ててアスカに駆け寄り、ソファに横になるように勧めた時、銃声が聞こえてきた。

 銃声に驚く冬宮の目に、事務所に雪崩れ込んでくる拳銃を構えた五人の男が映っていた。

***********************************

『我々は中台エリアの人達が不当に弾圧されている事を見過ごす事は出来ない! 治安維持局に拘束された人々の即時釈放を要求する!

 又、今回の事件の張本人は様々な規制を強制した自治領主に責任がある! 我々は自治領主の即時辞任と全ての権利放棄を要求する!

 この要求に応えない場合、今から三時間後から乗客を一人ずつ射殺する! 我々は弾圧には絶対に屈しない!

 乗客の安全を大事と思うなら、自治領主は直ぐに辞意を表明しろ!! 我々は弾圧されている人々の為なら死を恐れない!!

 この声明を聞く全ての住人に告げる! 我々に賛同する者はすぐにデモを起こして自治領主を弾劾してくれ!

 今の状況を改善しなければ、我々は永遠に飼い犬に過ぎない存在になる。今こそ立ち上がる時だ! 賛同する者は直ぐに行動してくれ!!』


 コロニー間連絡船からハイジャック犯の声明が治安維持局のコントロールセンターに届いた。

 通信制御の関係から、連絡船からの通信は治安維持局だけに入るようになっていた。

 そして声明を聞いた治安維持局の職員が苦虫を噛み潰したような表情で口を開く前に、冬宮の運営事務所から別の声明も入ってきた。


『我々は冬宮上級評議員と秘書である宮原アスカを拉致した。我々は今回の事件に対して、全ての罪を問わない事を自治領主に要求する。

 もし駄目なら、我々を地球の地下都市に免責した上で送ってくれ。要求は遠慮して控えめにした。

 この我々の遠慮した要求が聞き入れられない場合、冬宮上級評議委員の生命と宮原アスカの貞操は保証しない。

 繰り返す。自治領主は我々の罪を問わない事を直ぐに表明する事を要求する!』


 二箇所からの犯行声明が届けられた治安維持局のコントロールセンターは大騒ぎの状態になっていた。


「ハイジャックされた連絡船の様子はどうなっている!?」

「警備艇十隻が出動して、連絡船を包囲しています。ですが、船を接舷させると犯人に直ぐに分かってしまうでしょうし、

 知られずに連絡船の中に入れないか検討中です。まだ強行突入は出来る状態ではありません」

「分かった。冬宮上級評議員の方はどうだ!?」

「事務所の入口で射殺された警備員二名の遺体を発見。玄関には鍵が掛かっており、中の自動ロック機構も破壊されているようです。

 現在は現場で犯人と電話で交渉中です」

「そうか。どちらも自治領主をターゲットにしているのか。今回の爆発事故と武器密造の犯人と関係がある事は間違い無いだろうな」

「そうだな。どちらの要求も呑めるものでは無い。自治領主には報告したが、これは我々治安維持局が解決しなくてはならない事だ。

 犯人の射殺は構わんが、最悪は拘束されている乗客の一部の被害も止むをえん。何としても早急に事件を解決するんだ」

「はい。しかし、連絡船の犯人は死を恐れないと言った事から、強烈な洗脳を受けている可能性もありますが、

 冬宮上級評議員の方の犯人は身の安全を最優先に考えている節があります。関連性はあるんでしょうか?」

「どちらも密造された拳銃を持っているから、関連性はあるだろう。連絡船は洗脳された奴が行って、冬宮上級評議員の方はびびった奴が

 犯行に及んだのかも知れん。我が身の安全を最優先するあたり、少し情けなく感じるがな」

「その可能性はありますね。では、どちらも強行解決の方針で宜しいでしょうか?」


 治安維持局の局長が指示を出そうとした時、いきなり中央の大型モニタにミハイルの姿が映し出された。

***********************************

 自治領から月面や火星軌道に移動出来るような航続距離の長い宇宙船は、全て施設管理局によって運営されていた。

 だが、航続距離の短いコロニー間連絡船は各ブロックに一隻配備されて、運営は各自治組織に委ねられていた。

 今回、連絡船のハイジャックを行った犯人の一人は連絡船の運営に従事しており、仲間を引き込んで犯行に及んでいた。

 深い関係になった女性から中台エリアが様々な弾圧を受けている事を深夜のベットで聞き、助けて欲しいと涙ながらに訴えられて、

 その犯行犯は自分の行いが間違っているとは思わずに、虐げられた人々の為に立ち上がったと思っていた。


 制止する同僚を秘かに渡された拳銃で撃ち、子供達三十名と共犯の二人を乗せて連絡船は出港した。

 乗客の子供三十人は全員が客室にいる。管制室でドアの開閉を禁止したので、誰も外には出れない。

 連絡船をハイジャックした事は船内放送で乗客に伝えられていた。

 最初は混乱があったが客室から出る事が出来ないと分かり、子供達は不安そうにしながらもパニックは起こっていなかった。

 管制室の通信機で犯行声明を送った後、その返事を待っているところだ。


「犯行声明を送ったが、自治領主はどう出てくると思う?」

「子供達三十人を見殺しには出来ないだろう。必ず交渉してくる。さすがに自治領主の権限放棄は無理でも、

 中台エリアの不当な弾圧は止めさせなくては。その為にはこの命は惜しくは無い。愛するリンの為だ」

「治安維持局が強行突入してくる可能性は本当に無いんだな!?」

「当然だ。俺はこの連絡船の運行を行っていたんだ。船は熟知している。この船に外から強制的に入れる場所は一箇所だけ。

 そこはエアーロックされているし、此処でも監視出来る。まさかいきなり攻撃してくるはずも無いし、強行突入自体が無理だ」

「そうか。ならば連絡を待つだけだな」

「あと三十分待って連絡が無ければ、こちらから回答を催促する。それでも駄目なら見せしめに子供を撃つだけだ」

「本当に良いんだな?」

「当然だ。虐げられた中台エリアの人達を救う為なら、ある程度の犠牲は仕方の無い事だ。子供達は可哀相だと思うが、犠牲になって貰う!」

「覚悟を決めているなら良い。何だとっ!?」


 連絡船の管制室はかなり狭い。短距離運用しか考慮されていない事から六人入れば身動きが出来なくなる。

 そして何も無かった空間から、いきなり銃を構えたアンドロイドが現われた。驚くのが当然だろう。

 以前に隠密部隊の『ベータ』として活躍したアンドロイドは、ハイジャック犯三人を一瞬で気絶させ、通信回線を開いた。

***********************************

 ハイジャックされたコロニー間連絡船の周囲を、治安維持局の十隻の警備艇が包囲していた。

 もっとも、包囲しているだけだ。強行突入すれば犯人に悟られて、乗客である子供の安全が保証は出来ない。

 とは言っても、犯人の要求を呑む事など出来はしない。警備艇に乗っている職員の胸中に焦りがあった。


「連絡船を包囲はしたが、突入は出来ないな」

「ああ。下手に突入すれば、犯人が子供達を射殺する可能性もある。最悪の場合は中の空気が漏れ出して、全員が窒息死する事もありえる」

「くそう! 密造された拳銃を持っているとは! 本部の指示は?」

「まだ連絡は無い。ちょっと待て! 今、連絡船から通信が入った。音声は無くてメッセージだけだ。画面に流すぞ」


 警備艇のモニターに連絡船からの文字メッセージが表示された。だが、その文面は予想外の内容で、職員を困惑させるだけだった。


『乗客は無事で、犯人は気絶状態。エアロックは解除した。治安維持局の職員は連絡船に突入せよ』

「どういう事だ!? 犯人の罠か!?」

「いや、連絡船のエアロックの表示灯が緑から赤に変わっているぞ! 確かにエアロックは解除されている。どういう事だ!?」

『こちらは本部だ。連絡船の状況に変化はあったか?』

「は、はい。連絡船からは犯人は気絶してエアロックを解除したというメッセージが届いたばかりです。

 誰から送られたかは不明で、これから状況を確認します。もう少々お待ち下さい」

『……自治領主の言った事は本当だったのか。状況の確認は不要だ。君達は速やかに連絡船に移って、乗客を保護してくれ』

「どういう事ですか!? 犯人の罠の可能性があるんですよ!」

『自治領主から『守護霊』が動くとの連絡があったのだ。そこまで言えば、君達もわかるだろう』

「まさか!? あの噂は本当だったんですか!?」

『自治領主自らが口にしたという事は、そういう事だろう。詳しくは聞けなかったが、自治領主の直轄部隊の可能性もある。

 治安維持局で解決出来なかったのは悔しい気持ちもあるが、乗客の安全が確保されたのだ。直ぐに動いてくれ』

「了解です!」


 大災厄の直後から、重大事件の解決につながる情報が発信者不明のメールで伝えられたり、婦女暴行の現行犯が銀髪の美女(シルフィード)

 によって気絶させられたなどの出来事があった。中には複数の幽霊の目撃情報もあり、それらは治安維持局に全て報告されていた。

 何れも事件の解決になるものであり、正体不明ではあるが当局に友好的な存在であるから危険視されてはいなかった。

 その神出鬼没な行動力から『守護霊』との隠語で、親しみを込めて呼ばれていた。

 複数の美少女の幽霊もいるとの情報から、一部の独身男性の職員からは『守護霊戦隊』と揶揄されていたが。

 もっとも、治安維持局内部の噂に過ぎなかった。特にここ数年は活動の形跡が見られない事から、噂も下火になっていた。

 だが、自治領主がその名を口にして、事件が解決されたとなると事情は違ってくる。

 その『守護霊』の組織が自治領主の直轄の秘密組織である可能性が十分に考えられる。信憑性は高いだろう。

 どうやって連絡船に侵入し、ハイジャック犯を気絶させたのか気になるところだが、まずは乗客の安全確保が最優先だ。

 そう判断した職員は直ぐに指示を出して、警備艇からハイジャックされた連絡船に、完全装備の治安維持局の職員が突入した。

 乗客の子供達の安全が確保されたとコントロールセンターに連絡が入ったのは、それから十四分後の事だった。

***********************************

 突如として銃を構えた五人の男が部屋に入ってきた。銃を向けられては抵抗は出来ない。

 冬宮は口にテープを巻かれ、両手を後ろで縛られた。アスカも同じだ。

 特に大事な子供が乗った連絡船がハイジャックされた事もあって、動転していた事も影響していた。


 余談だが、アスカが二人目を身篭った時、夫であるコウジが浮気をしたと勘違いして、酷い夫婦喧嘩をした事がある。

 弐号機のパイロットの時に行った訓練の成果は、妊婦であっても有効だった。一般人であるコウジが抵抗出来るはずも無い。

 その結果、コウジは二週間の入院生活を送る事となり、アスカは義母と義理の祖母から厳しい説教を受けた。

 その時からアスカは暴力を封印した。母親として忙しかった事もあり、あれから鍛錬は全然していない。

 体力の衰えもあり、今のアスカは普通の女性と大差無かった。もっとも、拘束される時に胸を触られて肘撃ちはしていたが。


 五人の男達(一人はアスカの肘撃ちで苦しんでいたが)は冬宮とアスカを拘束した後、治安維持局に連絡していた。

 自分達がした事に少し怖気づいているのか、目が血走って興奮していた。


「此処まで来たんだ。もう後には引けない。何としても無罪放免を勝ち取るんだ!」

「当然だ。俺達には目標がある。その目標を達成するまで立ち止まる事は許されないんだ!」

「後は連絡待ちか。本当に大丈夫なんだろうな」

「俺に聞くな! 一応、そこの男は日王の代表としているんだ。自治領主が見捨てるとも思えん。多分、大丈夫だろう」

「ふん。日本にいた頃は偉そうにしていた日王の一族が、こんな惨めな姿を晒すとはな。大災厄の前なら想像さえしなかった」

「くそう! この女の肘撃ちでまだ股間が痛いぞ! 使えなくなったらどう責任を取らせようか?」

「だったら、この女で使えるかを確認するとしようか。どうせ日王の一族の秘書をやってるくらいの女だからな。

 少々、年がいってそうだが、身体つきは良さそうだ」

「もう少し若い方が良いんだが、まあ我慢するとしよう。うつ伏せにしたまま服を剥ぎ取ってやる」

「後ろからか、まあ良いだろう。たっぷりと溜まったものを味あわせてやる。だからお前は俺達にしっかりと奉仕するんだぞ!」


 アスカは三十歳の女盛りであり、肌の衰えはあったがスタイルは成熟していると言って良いだろう。

 その御馳走が目の前にあるのだ。しかもロープで拘束しているので、抵抗される危険は無い。

 暴漢五人の祖国は滅び、残ったのは誤魔化してこの自治領に移住してきた同胞約二万人だけである。

 民族滅亡の危機に子孫を残そうとする本能が強く働いたのか、興奮で目が血走った五人の暴漢の視線は、アスカの胸や腰に注がれていた。

 暴漢五人がアスカを乱暴しようとしていると分かり、冬宮とアスカは両手を縛られ口を塞がれていたが、必死で抵抗した。


「ううーー。うう! うーーー!」    (お前達の目的は身の安全だろ! 彼女に手を出すのは止めろ!!)

「うーう、ううーううう。ううううう!」 (あたしの身体はコウジのものなのよ! 触らないで!! きゃああああ!)


 拘束された二人が必死に身体を捩って抵抗する様子は、五人の暴漢の興奮をそそるだけだった。

 強い者には低姿勢になり、弱い者にはとことん強い態度に為れる輩に、一般常識が通用するはずも無い。

 気の早い目が血走った男は、既に上着を脱ぎだしていた。


「へっ。身体を捩って喜んでるのか。俺も久しぶりだし、楽しませてやるよ!」

「さっきの肘撃ちの恨みを晴らしてくれよう。覚悟しておけ!」

「少し年が気になるが、まあ良い身体をしているからな。たっぷりと仕込んでやるさ」

「心配するな。俺達のあれで天国に連れて行ってやるぜ! 感謝しろよ!」

「うううう!」 (嫌らしい目で見ないで! 誰か助けて!!)


 口をテープで塞がれて、両手は後ろで縛られている。自分は何も抵抗出来ずに、五人の暴漢に乱暴されてしまうのか?

 絶望が胸中を過ぎったアスカに、以前に聞いた事がある声が脳裏に響いてきた。

***********************************

<……年は取っても世話の焼ける奴だな。助けてあげるよ

「ううう!?」 (あたしはまだ若いわよ! 失礼ね! ……十五年前に聞いたマグマと虚数空間の時と同じ声!? まさかっ!?)


 以前の使徒戦が行われた時のミサトと同じ年齢になって、肌の衰えをアスカは自覚はしていた。

 でも、それを他人から指摘されて素直に認めるアスカでは無かった。(子供が言うと、頭を引っ叩く程度である)

 思わず条件反射的に抗議をしたが、聞き覚えがあった声を思い出して目を大きく見開いた。

 冬宮も聞き覚えがある声がいきなり脳裏に響いた事で動揺していた。ズボンを脱ぎ捨てようとしていた五人の男達も同じだ。

 すると部屋の照明が何故か暗くなり、部屋の中央に若い少年の上半身がいきなり空中に現われた。

 その少年の顔に見覚えがある冬宮とアスカは、口はテープで塞がれていたが思わず叫んでいた。


「ううう!!」 (シン博士!? でも上半身だけって、まさか幽霊!? 今は昼間だぞ。昼間に幽霊が出るものなのか!?)

「ううう!!」 (まさか!? でも、あの言葉は以前と同じ。姿と同じで進歩が無いって、死んだはずのあんたが何で出て来るのよ!?)


「な、なんだと、幽霊なのか!? こ、怖くなんか無いぞ!」

「これから良いところなんだ! 幽霊は引っ込んでいろ! 子供の出る幕じゃ無いんだ!」

「お楽しみを邪魔するな!! それともそこで見たいのか!?」

「へっ! 幽霊が怖いとでも思っているのか!? とっとと成仏しろ!」

「ま、まさかその顔は!? 見覚えがあるぞ!」

<やれやれ、騒がしい事だね。まあ、ボクは犯罪者に容赦はしないタイプだからね。幽霊が何も出来ないとは思わない方が良いさ>


 そう言ってシンジは手を翳すと五人の男達の股間に筆舌し難い激痛が走り、口から泡を吹き出しながらその場に昏倒した。

 続けてシンジは冬宮の口のテープを剥し、両手を後ろで縛っているロープを切った。冬宮と話し合いたい事があった為である。

 自分達は助かったのだろう。だが、何故死んだはずのシンジが此処に居るのか? しかも上半身だけで後ろが透けて見える。

 まだ信じられない思いがあったが、冬宮は恐る恐るシンジだと思われる幽霊に声を掛けた。


「ま、まさかシン・ロックフォード博士なのですか?」

<お久しぶりですね、冬宮理事長。いや、今は冬宮上級評議員と呼ぶべきか>

「そんな事はどうでも良いです! それよりあなたは初号機を自爆させて死んだはずじゃ無かったんですか!?

 その姿はいったいどういう事ですか!? 博士は生きているんですか!?」

<ボクの身体は初号機の自爆で跡形も無く消滅しました。それは事実です。ですが心残りがあって、こんな事になっているんです>


 異星人の思惑など、全てを正直に伝える気はシンジには無かった。どうせ、地球の氷河期が終わって再入植出来るまではこの状態なのだ。

 だったら都合が良いように脚色して伝える事にしていた。悪意というものでも無い。茶目っ気というべき内容だろう。

 アスカは自分の口のテープを剥してくれない事に不満を感じたが、二人の会話に口を挟む事は無かった。

 五人の男から暴行を受ける事が無くなった安心感もあり、黙って二人の会話に聞き入っていた。


初号機を自爆させてでも人類を存続させようとしたのに、こんな低次元の争いをしているようじゃ安心して成仏出来ないんですよ。

 分かります? ボクが『魔術師』だった事は知ってますよね。幽霊になっても、ある程度の事は現実世界に関与が出来ます。

 さっき見せた力もそうです。ハイジャックされた連絡船の犯人も既に無効化して、治安維持局が逮捕しています。

 乗客は全員が無事だからミス・ラングレーじゃ無かった、宮原夫人は安心して良いからね。

 ……でも、君が二児の母親になって、こんなに老けるとは。時の流れとは無情なものだね


 シンジの言った言葉には禁句が含まれていて、その言葉にアスカは条件反射的に過剰に反応していた。

 顔を真っ赤にして、テープで口が塞がれているのにシンジに抗議を始めた。


「うう! ううう!!」 (あれから十五年よ! それに老けたんじゃ無くて成長したのよ! 幽霊のあんたが異常なんでしょう!!)

<騒がしいのは昔と同じか。十五年も経って子供を二人も産んだんだから、もうちょっと落ち着いても良いと思うけどね。

 あの当時から身体は成長したみたいだけど、精神的な成長が見られないよ>

「ううう! うう!」 (大きな御世話よ! 幽霊のあんたに嫌らしい目で見られたくは無いわよ! このドスケベ!!)

<一度、君の自宅にお邪魔して、生活態度を見させて貰おうかな。タイミングが悪くて入浴中やトイレ中だったら、どうしよう?>

「うう! うーーう!」(絶対に家に来るな! 昔に貰った御祓いの札を玄関に貼って、お清めの塩を撒いてやるわよ!!)

<まあ、冗談はこれくらいにしておきましょうか。冬宮さんに一つ御願いがあります>

「う! うーうう!!」(冗談!? その根性悪は、あんたこそ昔と変わっていないでしょう! 早くあたしの口のテープを剥しなさい!)


 動揺していた事もあったが、十五年かけて身に付けた落ち着きを何処かに放り投げて、昔のようにシンジに食って掛かるアスカであった。

 もっとも、口を塞がれていたので冬宮に聞こえたのはアスカの唸り声だけだったが。そんなアスカを懐かしそうにシンジは見ていた。


 アスカが怒った形相でシンジを睨みつけているのは分かったが、冬宮はシンジとの会話を優先した。

 シンジが死んだ事は事実だろうが、幽霊であって現実の世界に関与が出来るとなれば全然事態は違ってくる。

 現在の問題を解決出来る糸口を掴みたいという気持ちを優先させた冬宮だった。


「頼み? あなたが私に頼みとは何ですか?」

<ボクの功績評価についてです。あなたが義兄に要請した事は知っています。ボクの事を歴史に残さないように頼んだのはボク自身です。

 恥かしいというのもありますが、まだまだ成仏出来そうに無いんで、影で動く時の邪魔にならないようにという事もあります。

 その件はもう一度、義兄と話して下さい。あなたの気持ちは嬉しく思いますが、そんな事情から現状維持が好ましいんです。

 今は出来るだけ争いは避ける必要がありますからね。些細な事であっても問題は起こしたくは無いんです>

「何ですって!? ではシン博士はあの当時から幽霊として存在していたというのですか?

 自治領主と以前から連絡を取り合っていたと言うのですか!?」

<そういう事です。人類の存続を願って自爆したのに、その後が心配で成仏出来なかったから義兄さんと話し合って影で動いていたんです。

 後は大丈夫と確信出来るまでは、あの世に行けません。最初の頃はこの自治領の犯罪者の取り締まりに協力していました。

 そして自治領は大丈夫と思ったから、二年前から地球の様子を見に行ってました。

 その為に今回のトラブルの介入には遅れてしまいましたけど、手遅れにならなくて良かったですよ>

「うううう!」 (じゃあタダシが赤ん坊の時に、ベットから落ちそうになった時に助けてくれた幽霊って!? あの娘もなの!?)

「……それでは御相談したい事が山程あります。博士の御都合は大丈夫ですか!?」 

<ちょっと別の用事があるんで、この辺で失礼しますよ。あと二十秒ぐらいで治安維持局の職員がドアを破って突入してきます。

 ボクの事は内緒にしておいて下さい。後でメールを送ります。ではまた>


 そう言ってシンジは姿を突然消した。幽霊だから当然かも知れないが、冬宮は唖然としながら見守るだけだった。

 そしてアスカが早く開放してくれと身体を使って抗議しているのに気がついて、アスカの口のテープを剥した瞬間、

 ドアを突き破って治安維持局の職員が部屋に突入してきたのだった。

 犯人の五人は泡を噴きながら気絶して、冬宮はどうして無事なのか? 治安維持局の職員の疑問にどう答えようかと悩む冬宮だった。

**********************************************************************

 コロニー間連絡船のハイジャック事件、それと冬宮上級評議員の事務所の拉致監禁事件は速やかに終了した。

 その後、ハイジャック事件を唆した人物が武器密造に関与した事が判明した。

 そしてデモに参加した人物の取調べは終了し、武器密造と違法研究をしていた犯罪者は全員が拘束されていた。

 犯罪者に厳罰を下すのは問題無い。寧ろ当然の事である。

 ここでは更生する余地が無いと判断されて、無闇に長期間拘束するような事はしない。第一、食料の無駄になる。

 過去に『人命は地球より重い』と言った国家元首が居たが、自治領ではそんな理屈は通用しなかった。


 だが、デモ参加者の扱いには困っていた。人数も一万人を超えている事もあり、他にも不満を持つ住民は多数にのぼる。

 不満を抱えているだけで処分は当然出来ない。別に思想支配などはするつもりは無く、住民の自主性は出来るだけ維持したかった。

 最善の方策は生活環境を今より改善する事だが、色々な事情があって直ぐには対応出来ない。

 ある程度は強権を使って抑えても良いが、程度が過ぎると住民の自主性が失われて活力が低下する。

 シンジとミハイルが求めていたのは奴隷では無く、人類の未来を担う人達だった。とは言っても、勝手に乱開発して自然を破壊したり、

 身勝手な行動を取るような人達を放置すると、将来に禍根を残す事なるから排除した方が良いだろう。

 例えると、公共事業とかにおいて、ある程度の補修費用を計上しようとすると「無駄遣いをするな」と主張して、

 事故が起きると「何故、補修作業を行っていないのだ」と主張するような人達である。

 その状況に応じてコロコロと発言内容が切り替わり、責任を取る事は無い。そして、そういう人達ほど自己主張が強い傾向がある。

 誰しもそういう事を考える事は自由だが、それを発言して責任を追及したり謝罪を要求したりすると話しは違ってくる。


 過去、極東の島国のある選挙戦の時に、選挙運動のターゲットを絞るべく選挙権を持つ住民の分類が為された事があった。

 それは四つの分類で分けられた。A層、B層、C層、D層という分類である。

 A層とは構造改革に肯定的な知識人の事である。

 B層とは構造改革に中立的ないし肯定的な一般市民である。人数構成において、大多数を占める。

 C層とは構造改革に否定的な知識人の事である。

 D層とは構造改革に恐怖を覚えている負け組みの人達の事である。

 細かい定義の解釈は人其々だろうが、大まかに分類すると上記の内容になる。(IQ定義に関しては、あえて未記載にします)

 そして選挙戦において標的とされたのはB層に分類された人達だった。

 上記の分類を行った人達はB層を『マスコミ報道に流されやすい、比較的IQが○い人達』と定義して、徹底したキャンペーンを行うべき

 だと結論した。それはイメージの徹底だった。内容の真偽は重要視されず、表面的なイメージを優先させる。

 そしてイメージを重要視した選挙戦を行った事で、それを実行した陣営は大勝した。

 これはB層の存在とその定義が間違っていなかった事の証明になるかも知れない。

 当然、マスコミ報道に流され易い人達は何処の国にも居るだろう。だが、古くから市民活動が活発で市民の意識が高い国と、市民活動の

 歴史が浅くて市民の意識が低い国では、B層の占める割合は違ってくる。

 歴史上の理由から、日本エリアや中台エリアにB層の人達が多いのは仕方の無い事なのかも知れない。

 B層の人達は扇動され易いという定義だが、上手く誘導すれば社会活性化の活力になる。

 マスコミが危機感を煽れば、一丸となって危機を克服しようと努力をするだろう。

 逆に反社会勢力に扇動され易い特色を持っている。要はマスコミの管理の仕方次第という事かも知れない。

 そして内容の真偽の重要性より表面上のイメージを重要視する事から、世の価値観が崩れる場合がある。

 本当に貴重な才能より、表面上のイメージを優遇する傾向が進めば、芸術や文化は寂れていく運命にある。

 大災厄の前の自治領への移住には厳しい審査があって、意図的にB層の人達を制限してきた。

 だが、大災厄後の緊急移住でB層の人達が数多く自治領に移住してきた事から、問題が複雑化してきたのだ。


 昔の中国の思想に、性善説と性悪説という二つの思想があった。

 性善説とは、人は生まれた時は善なる性質を持っており、色々な事(教育や環境)から悪い方向に染まっていくという思想だ。

 性悪説とは、人は性質は元々悪いものであり、後から受ける教育によって善なるものを身に付ける。

 だからこそ道徳観などの色々な教育や規制が重要であるという思想である。

 どちらも人間の本質を言い表しているだろうし、教育の重要性を説いている。放任主義は二つの思想に喧嘩を売っているようなものだ。

 確かに赤子や子供を見ていると、性善説を信じる気に為るだろう。

 一方、独善的な人達を多く見ていると、どんな教育を受けたのかと疑問を持って、性悪説を信じたくなる。

 結局、人間とは両方の性質を持っており、そのバランスを取りながら生きている。

 そして出来るだけ性善説の信じられるような人達が多い社会の方が、住み易く発展するのは間違い無いだろう。


 それに住民の自由に対しての認識の問題がある。

 確かに人間とは自由を求める性質を持っているだろうが、それを主張して良い時と場所があるはずだ。

 それを弁えずに権利を主張するなら、規律が保てなくなり、それは争いに発展する結果となるだろう。

 それは自治領の治安責任を持つ立場からすれば、到底認められるものでは無かった。


 そんな事を話しながら、シンジとミハイルはこれからの対策を協議した。

 今回の問題の暫定対応だけでは無く、ある程度は長期視野に立った対策が求められている。

 三基目のコロニーの建造状況を再確認し、地球の地下都市の責任者と連絡を取り合った。そしてある合意が成立した。






To be continued...
(2012.12.16 初版)


(あとがき)

 時期ものですので、防災訓練の一部を描写してみました。消火器を使う時は、大きな声を出すのが基本です。

 皆さんも覚えておいて下さい。消防署で受けた防災講習でも同じでしたので、間違いはありません。

 日頃の訓練は大事ですから、ご自宅や職場の避難ルートの確認や、消火器の場所の確認は日常から行っていれば役に立ちます。

 今回は事故と犯罪の対応です。あまり派手なシーンはありません。その後始末が次話になります。それと火星の件とかの纏めが入ります。

 それなりに黒いかな。次話で外伝は終了の予定です。



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