神を狩る罪神 〜The description of end of gods〜

第一話

presented by ガーゴイル様


子供が、泣いている。
大きなバッグを傍らに置いて、わんわん泣いていた。
誰も近付かない。
このご時世、関わると碌な事が無いからだ。
子供は、たった一人で、泣いていた。

「――如何した?」

その時、一人の少女が、子供に声をかけた。
漆黒の着物に身を包んだ、儚げな少女。
髪を長く伸ばし、左目を隠していた。
少女は左手を伸ばし、子供の頭を撫でる。
子供は突然な少女の行動に、驚いて泣くのを止めた。
「――お姉さんに話してみないか?」
少女の優しい問いに、子供はポツリポツリと話し始めた。
――数時間後、子供と少女の姿はその場から消えており、迎えに来た雇われ叔父が途方に暮れた事は言うまでもない。




――月日は流れ。
旧奥多摩、山菱村。
其処に、一つの孤児院がある。

【孤児院 喜望峰】

微妙なネーミングだ。
――其処から、物語は、始まる。




彼は、廊下を歩いていた。
「おはよ〜、シンジ兄ちゃん」
「はよ、シン兄!」
「お早う御座います、シンジ」
すれ違って行く人々が、声をかけていく。
子供も、年上も、男も、女も。
皆、気軽に朝の挨拶をしていく。
その一つ一つに彼――【光峨(ひかりが) シンジ】は、返事をする。
彼ら一人一人が、この孤児院で一緒に生活をする、家族なのだから。
総勢四十数人。
大家族である。
――シンジが此処に来て、十年。
もう、この挨拶の群れにも随分慣れた。
「……感謝、しなくちゃね」
此処に自分を連れてきた、今では母親のような存在を。
自分を迎え入れてくれた、兄弟達を。
――しかし、
「――けどね、毎朝毎朝……いい加減、勘弁して欲しいよ……」
ぼやいたシンジが足を止めたのは、あるドアの前。
ドアには、こう書かれていた。

【神聖なる乙女の部屋。又の名を院長室】

と、金地に黒で。
軽く無視して、シンジはドアをノックした。
こんな事で一々脱力していたら、到底ここでは生活出来ないからだ。
「母さん、入るよ」
一応そう言って、シンジは中に入った。
其処には――

ふかふかしたソファー二つに挟まれた、応接テーブル。
黒檀製の執務机と、椅子。
分厚い古書が大量に収まった、重厚な本棚。
天井からぶら下がったハンモック

……ん?
「……母さん。毎度毎度の事だけど、いい加減ハンモックで寝るの止めてよ! ソファーがあるでしょソファーが!!」
叫ぶように言って、シンジはハンモックを支える紐を懐から出した鋏で切った。
一瞬の浮遊の後、鈍い音を立ててハンモックは地へと堕ちた。
――しかし、ハンモックの主はまだ起きない。
筋金入りの寝ぼすけである。
「何時も何時も全く……」
深く、溜息を吐くシンジ。
布の塊に手を添え、猛烈に揺さぶる。
「起きてよ、母さん! 今日は母さんが食事当番だろう、さっさと起きないと飯抜きだよ!!」
――瞬間、布の塊が直立した。
ビシィッ! って擬音が付くぐらいの直立っぷりだ。
――そして、布の中から、少女が出てきた。

儚げな顔立ち。紅い瞳。髪で隠された左目。

十年前、駅でシンジと出会った少女だった。
――あれから大分経った筈なのに、少しも変わっていなかった。
少女は布から抜け出て、シンジの前に立った。
「――お早うシンジ。今日も良い朝だ。きっと今日も素晴らしい日になるだろう」
「そうだと良いね。僕も偶には平穏無事な日を送りたいよ、母さん」
母と呼ばれた少女――センリの朝の挨拶に、強烈な皮肉を返すシンジだった。




「――ふむ、やはり皆で食べる朝餉は美味い。私が作ったからでもあるがな」
「何だかんだ言って、母さんが一番料理が上手いんだよな。……納得いかないけど」
大食堂のテーブルで、センリが作った朝ご飯――塩鮭、油揚げの味噌汁、青菜のお浸し、白米、生卵、海苔――を食べつつ、シンジはぼやいた。
基本的に、食事は皆で取るのが、この孤児院での決まりだ。
食事当番は交代制。
……時々、とんでもないモノが出てくるから、皆ドキドキだった。
目の前で、優雅に紅茶を楽しんでいる母を半眼で睨み、シンジは言った。
「……それはいいとして、いい加減自力で起きてよ、母さん。毎朝毎朝起こしに行く、僕の身にもなってよ!」
そう、シンジは毎朝センリを起こしに行っているのだ。
理由は――センリを叩き起こせる人材が、シンジしか居ないからである。
――ちなみにシンジが来る前は、バケツを頭に被せて擂り粉木で殴って起こしていたそうである。
ある意味凄いな。
「何を言っている、シンジ。起こしに行くのがいやなら、私が自力で起きるのを待っていれば良いだろう」
「前、起こしに行かなかったらアンタ三日間寝っぱなしだっただろう!!」
涼しい顔でそうのたまうセンリに、力の限り突っ込むシンジ。
その当時の皆のコメントが、【ほっといたら世界の終わりまで寝ていそうな寝顔だった】との事だ。
既に常軌を逸している。
「――ふむ、難しい奴だ。反抗期か? ――ああ、メタトロン。紅茶のお代わりを頼む」
表情を変えずセンリは言い、傍らに控えていた女性にカップを差し出した。
エプロンドレスを着こなした、緑髪緑眼の十代後半の女性だ。
「了解、任務を開始します。――任務遂行、報酬はスイス銀行旧奥多摩支店までお願いします」
無表情にそう言い、三倍速の動きで紅茶を注ぐ女性。
妙に機械的な話し方で。
「…何時見ても信じられないよ。メタトロンさんが人形だって事を。しかも母さんが作ったなんて」
「私に出来ない事は無い」
言い切るセンリを、シンジは再び無視。
――そう、此処に居るメタトロンは人間ではない。
目の前に居るセンリが作り出した、機械人形なのだ。
シンジが来る前からこの孤児院で働いていたりする。
……現代科学では未だに、メタトロンを解析出来ずにいるらしい。
――まぁ、センリだからという理由で、特に疑問に思われていないが。
「シンジ様に、連絡事項あり」
脈絡もなく、言うメタトロン。
「――今朝未明、シンジ様宛ての封書が届きました。各種センサーを駆使し検査した結果、危険性は皆無と判断。写真・カード・切符・手紙が一枚ずつ内封。送り主は不明、消印から第三新東京市からと推測」
そう言って、メタトロンはエプロンのポケットから、一枚の書簡を取り出した。
恭しい手つきで、シンジに手渡す。
シンジは首を傾げつつ、受け取った。
「――誰からかな? 第三に知り合いは居ないはずだけど……」
「開けて見れば解るだろう」
センリの言葉に、もっともだ、とシンジは頷き、懐からペーパーナイフを取り出し、開封する。
突っ込みは無しでお願いします。
「どれどれ……」
シンジは中から手紙を取り出し、広げ――固まった。
突然固まったシンジの様子に眉を顰め、センリはシンジの背後に回り、手紙を覗き込んだ。
――其処には、

「   来い  




                   ゲンドウ」

非常に簡潔な、非常識に短い文――単語と同義――が展開されていた。
少々イカレ気味のセンリも、暫し絶句した。
――しかし、瞬時に通常状態に戻る。
(…そうか、もうそんな時期か)
複雑な表情をする、センリ。
思い出されるは、遥か過去の闘いの記憶。
長い時を生き、とうに磨耗した記憶の一群。
――かつて、【碇シンジ】として生きていた時代の記憶。
(史実どおり行けば、この世界のシンジも、私と同じ運命を辿る…)
其れだけは、防がねばならない。
もう一人の自分に――息子とも言えるこの子に、自分と同じ悲しみと絶望に彩られた想いを、味合わせたくないからだ。
(…傲慢だな、私は)
世界の行く末を左右する運命を、自分の我が儘で、覆そうというのだから。
(――しかし、何と言われようと、私は運命を変える。その序に……世界を救おう)
センリは守護神である。
しかし、その想いは世界には向いていない。
――彼女が護りたいのは、世界に生きる大事な人達なのだから。
結果的に、世界は護られるという訳だ。
「――如何したの母さん? 急に黙っちゃって……とうとう思考回路どころか言語中枢までイカレたの?」
突然真剣な表情で黙りこくったセンリを見て、目茶苦茶失礼な事をのたまうシンジ。
「良し解った。取り合えず正座しろ馬鹿息子」
もの凄い笑顔で、センリは左の五指を鳴らすのだった。
――周りにいる子供たちとメタトロンは、我関せずと思い思いの作業に耽っていた。
今日も今日とて、【孤児院 喜望峰】は平和だった。




「――で、行くんかい? 第三に」
朝の騒ぎから暫し経ち、深夜。
流し台で洗い物をしているシンジの背に、誰かが声をかけた。
勝気そうな顔立ちをした、シンジよりも少し年上の少女。
後ろで結んだ茶髪は、一房だけ赤く染められていた。
「まあね。母さんの話によると、如何やら僕の実の父親みたいだし。――あんまり、覚えてないけど」
苦笑しつつ、シンジは言った。
「それが普通さね。アタシなんて、記憶の欠片もないし」
彼女――【斑鳩 ヒアリ】――は、少しだけ陰のある笑みで、言った。
彼女だけでなく、この孤児院に居る子供たちの殆どが、何らかの理由で親を亡くしているのだ。
――大部分が、セカインドインパクトで。
「……ごめん。無神経な事、言っちゃって…」
「気にしなさんな。思い出も何も無いから、別に悲しくないさね」
そう笑って、ヒアリは開けたばかりの缶ビールに口を付け、飲み始めた。
……いーのか未成年。
「それで、センリ姉も一緒に行くのかい?」
「うん。母さんが言うには、『お前の遺伝子提供者は現在、穴倉の中で怪しい組織を操っている。もしかすると、あの変態がお前を拉致監禁し、口では言えないような恥辱の宴を展開する可能性が高いので、私が付き添おう』――だって」
「……相変わらず脳の配線が飛んでるな」
二人の脳裏に、無表情に笑う偉大なる母の姿が浮かび上がった。
何というか脳神経がおかしくなりそうなので、直ぐに消したが。
「――まぁ、センリ姉が一緒なら心配ないか。……あの人なら、巨大怪獣だろうが宇宙人の大規模艦隊だろうが……笑って捻り潰せるからねぇ」
「そだね」
今度は高笑いを上げて巨大怪獣と宇宙艦隊とデスマッチを繰り広げているセンリの姿が……
……如何やらセンリは皆から、【不条理の塊】と認識されているようだ。
ある意味納得である。
「――で、件のセンリ姉は?」
「チビたちに添い寝してるよ。明日は第三に行くって言ったら、チビたちが泣き出しちゃって。――お陰で僕も今日は雑魚寝だよ」
満更でも無さそうに、シンジは言った。
とても綺麗な、笑顔で。
「そうかい。じゃあ、帰ってきたらアタシにも添い寝しな♪」

ガチャン。

楽しそうなヒアリの言葉に、シンジの動きが固まった。
手から洗ったばかりの皿が零れ落ち、陶器の破片と化す。
微妙な笑顔で、固まった。
「……何だい、その反応は………」
ヒクヒクと頬を引き攣らせ、額に大きな井桁を浮かべるヒアリ。
そんなヒアリに、シンジは青ざめた顔で、答えた。
「――いや、ちょっと貞操の危機を感じただけ」
「アタシを何だと思ってんだい。幾らなんでも弟に手ぇ出したら不味いさね」
呆れたように溜息を吐くヒアリ。
「解った。添い寝しろとはもう言わないさ―――一緒に風呂に入れ
「危険度アップだよッ!!」
にこやかに言うヒアリに、半泣きで叫ぶシンジ。
――今宵も、静かに夜は更ける。




――そして、翌日。
シンジとセンリは、第三新東京市の土を踏んだ。
【本日12時30分、東海地方に……】
無人の街に、無機質なアナウンスが流れる。
「――駄目だ、繋がらない…」
公衆電話の受話器を戻し、シンジは嘆息した。
黒のジーパンに、白いシャツ。
ラフな格好だ。
「だから出掛けに私の作った衛星無線電話を持って行こうと言っただろうに……」
「あんな無駄にボタンが多い上に、半分以上が自爆ボタン何ていうクレイジーなモノを持ち歩く趣味は無い!」
ヤレヤレと肩を竦めるセンリに、シンジが怒鳴る。
センリの姿は、何時も通りの黒い着物。
暑くないのかという突っ込みはしないで。
「――しかし、今日はやけに戦闘機が低く飛んでいるな。……とうとう日本は世界の敵と為ったか?」
「物騒な発言しないでよ母さん。……けど、本当に何が遭ったのかな?」
――その時、山の陰から、

でっかい怪獣が現れた。

黒緑色の肌、巨大な肩と長い腕、頭は無く胴体に顔らしき仮面が存在している。
どっから如何見ても、怪獣である。
――二人の眼前で、怪獣と戦闘機が戦闘を繰り広げていた。
「……母さん、もしかして知り合い?」
後頭部に大きな汗をたらし、怪獣を指差しつつ、シンジが言った。
「お前は私を何だと思っているんだ?」
引き攣った笑みでシンジに言うセンリ。
一回脳内での自分の評価を問い質してみたかった。
「そりゃあ筋金入りの――って母さん!? 前見て前!!」
「何だッ、筋金入りの何だッ!? はっきり言え!! ―――ぬ?」
聞き捨てならない事を口走るシンジの襟首を掴み、センリは思い切り揺さぶった。
――しかし、漫才は途中で中断させられた。
何故なら、

瓦礫と戦闘機と流れミサイルが、一緒くたで此方に迫っていたからだ。

「か、かかかか母さんッ!? このままじゃ直撃だよ! 母さんは当たってもどうせ無傷だろうけど、僕は母さんと違って極平凡な一般ピープルだから死んじゃう!! とっとと逃げるよ!」
「解ったから少し黙れアホ息子」
失礼な事をぬかしやがるアホ息子に、取り合えずアイアンクローをかますセンリ。
確かに静かになった。
同時に、シンジが動かなくなったが。
「全く……この程度で大騒ぎするとは、まだまだ未熟だな…」
そういう問題ではないと思う。
「――くだらん」
静かに呟き、センリは懐から何かを取り出す。
――其れは、長方形の長細い紙。
俗に、【符】と呼ばれる紙だ。
其れが二枚、左手に握られていた。
「―――去ね」
声と共に、投擲。
向かってくる戦闘機と流れミサイルに一枚ずつ張り付き――

・――力は反転す

――籠められし【概念】を開放。
即座に力のベクトルは反転され、そのままの速度で戦闘機と流れミサイルは進路方向を逆走し――爆発。
――この符の名は【概念符】。
物理法則をも覆す、失われし秘術。
正に、神業とも言える符術なのだ。
――そして残った瓦礫は、

「―――ふん」

――砕け、飛び散った。
センリの放った右拳が、瓦礫を粉々に打ち砕いたのだ。
しかも裏拳で。
純粋に力だけで、センリは自分の倍以上ある瓦礫を砕いたのだ。
人間じゃねぇ。
「……む? イカンな、今ので少々イカレたか?」
障害を排除し終わり、センリは呟いた。
見れば、右腕がだらんとしていた。
指を動かそうとするが、五指は完全に力を失い、ぶらぶらと揺れるだけ。
「……まいったな」
「……相変わらず人間離れ――いや、人間じゃないね、母さん。それと、メタトロンさんに出掛けに言われたじゃないか。『右腕はデリケートにお願いします』って。全くホント学習能力が皆無なんだから…」
「いいから黙れボケ息子」
復活したシンジに、再びアイアンクロー。
再び静かになるシンジ。
――その様子を、突然の出来事に呆気に取られ、その場に静止した蒼いルノーのドライバーが、呆然と眺めていた。




「――ふむ。グッドタイミングだったが、かなりの遅刻だな。葛城ミサト一尉」
車に乗り込むやいなや開口一番に、センリは車の主――【葛城 ミサト】――に向かって、そう言った。
呼ばれたミサトは、驚いた表情でセンリの方に振り向いた。
前見ろ、前。
「何を驚いている? 私に知らない事など無い」
「スイマセン。戯け者が何やら言ってるようですが、聞き流しといてください」
言ったシンジの後頭部に、センリの左肘が入る。
「〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!?」
頭を押さえて蹲るシンジ――軽く無視された。
「――さて、先ずは自己紹介と往こうか、葛城ミサト。私の名は【神狩 センリ】――世界の中心であり、銀河の太陽であるこの名を魂に刻み付けるが良い」
突っ込み所満載だ。
「こ、個性的な挨拶どうも有難う。……処で、貴方何者? 会った事も無い私の名前を知っている上に、階級まで。其れに、何なのよあの馬鹿力は! ホントに人間かアンタは!?」
前半は冷静に、後半はエキサイトしつつ言うミサト。
センリの正体がスパイか――と言うより人間か如何か、考えを巡らせ、破綻した結果だった。
「――ふむ、それ等の問いの答えは一つに纏められる」
――センリは、微笑を浮かべ、
「――私は神だ。以上」
言い切った。
「ふざけんなあぁぁぁぁぁ!!」
キレたミサトの放った腹の底からのシャウトが、車体どころか辺りの空間まで揺らした。
――漸く復活したシンジは、そのゴッドボイスをまともに喰らい、再び気絶するのだった。




――その頃…
「止むを得ない…N2爆雷を――何!? 使用不可だと!!? 何故だ!!?」
――結局、この戦いでN2爆雷が使用される事は無かった。
何故なら、N2にはこのような符が巧妙に隠し張られていたからだ

・――あらゆる変化は禁じられる




「――特務機関【NERV】……ですか?」
カートレインに着いた所で、漸く蘇生したシンジ。
渡されたパンフレットを眺め、首を傾げる。
「――確か、穴倉の中でネチネチと正体不明の巨大フィギュアを創っている趣味人組織だ」
「違うわッ! ――国連の非公開組織でね、あなたのお父さんが所属している所よ」
怪しい事を口走るセンリに突っ込みを入れ、ミサトはシンジに言った。
「――人類を守る立派な仕事ってやつか? どちらかと言えば、あの顔は世界征服を企む暗黒髭地底人の親玉辺りだと思うんだが……」
「………ブッ!?」
――如何やら、ミサトの笑いのツボに入ったようだ。
彼女の頭の中では、高笑いを上げる暗黒髭地底人がラインダンスしていた。
「……母さん、また怪しげな電波を…」
パンフレットを読みつつ、シンジは嘆くように呟くのだった。
勿論センリは涼しい顔で無視。
「――さて、先はまだ長い。右腕の修理でもするか」
徐にセンリは左手で右腕を掴み―――引き抜いた。
根元から、すっぽりと。
「――αΩγΣзβ★!!?」
唐突な光景に、ミサトは人類では発音不可能な叫びを上げた。
「……何を驚いている」
抜いた右腕の断面を弄くり、無表情に言うセンリ。
何時の間にか、センリの手には工具が握られていた。
「――……機械?」
センリの右腕――精密な義手――を見て、人間に戻ったミサトが、呟くように言った。
センリは自嘲気味に笑い、
「何、昔の古傷だ。――忘れる事の出来ない、罪の象徴だよ」
金属の腕を、撫でた。
――急にシリアスになったセンリに、口が挟めない二人。
<……シンジくん、センリちゃんの腕ってもしかして…>
<ああ、セカンドインパクトじゃないですよ。其れより前のモノだって、この前言ってましたから。――それと一応言って置きますけど、母さんの年齢を見た目で判断しない方が良いですよ。十年前から見た目が全く変わってないんですよね……多分、葛城さんより年上だと思いますよ>
<マジ!? ……とんでもない若作りね…>
「聞こえてるぞ其処の馬鹿者二名―――私は永久的に十六歳だ」
ヒソヒソ話す二人に、殺意の篭った言葉をぶつける、センリだった。
――手に持っていたペンチが、二百七十度くらい捻れていたのは……気のせいだと思いたい。
「まあ、後で二人には報復という名の拷問を受けて貰うという事で良いとして―――問おう、葛城ミサト。アレは何だ? この街に、何が起こっている?」
「何でも知っている……じゃないの?」
皮肉に言う、ミサト。
「その質問には、YESと答えよう。――しかし、口に出すと色々と面倒な事になりそうだからな。其処の馬鹿に与える程度の事で、構わんよ」
シンジを指差し、涼しい顔で言うセンリ。
ミサトはセンリを胡散臭げに見詰め――溜息を吐く。
何を如何しようが、この人は何も言わない。そう判断したからだ。
「――あれは“使徒”……人類の敵よ」
シンジはミサトの言葉に困惑したような表情をし、センリは―――何時も通り、無表情だった。




――そして、ジオフロント内部。
「――さあこっちだ。付いて来たまえ」
「何で貴方が先頭に立って道案内してるのよ!? つーか何で道知ってるッ!!?」
悠然と我が物顔で突き進むセンリに、叫ぶように言うミサト。
「……母さんですから」
悟ったような表情のシンジ。
この台詞の前では、どんな非常識もまかり通るのだ。
――其処へ、
「あら、早かったわねミサ―――何方かしら?」
金髪――しかし黒眉――の、白衣の女性が、現れた。
「やっほ〜……リツコ…」
疲れたように、手を振るミサト。
センリの常軌を逸した行動が、着実に精神を削っているのだ。
「――ふむ。貴女が【赤木 リツコ】技術三佐か。始めまして、私は其処の阿呆の母親代わりをしている【神狩 センリ】という者だ。気軽に【超絶宇宙唯我独尊乾坤一擲天上天下国士無双センリ様】とでも呼んでくれ」
「無駄に長くて読み辛いよ母さん。――あ、僕は其処にいるエクストリーム電波人の義理の息子で、【光峨 シンジ】と言います。――碇の姓は母に拾われた時に捨てたので、あまり呼ばないで下さい」
初っ端からアクセル全開の親子二人。
リツコは呆気に取られ、口を開けたまま固まった。
そんなリツコを見て、ミサトは、
「やっぱこうなるのね……」
と、悟ったような顔になっていた。




――場面は進み、ケージへ。
「……暗い」
「使わん場所の明りは消す。――節約の第一歩だぞ、シンジ」
「流石母さん。伊達に年食ってる訳じゃないんですね」
暗闇にも拘らず、センリの放った右チョップがシンジの喉元に吸い込まれた。
右腕は万全のようだ。
「ぐふぉ」
「黙れ」
暗闇の中、器用に漫才をする二人。
「今点けるわ……」
駄目だこりゃと言わんばかりに、肩を落すリツコ。
ミサトに至っては、口を開く元気も無い。
道中、かなり疲れたのだ(主にセンリの所為で)。
――光が、空間に満ちた。
其処には――
「――ふむ、成る程な」

巨大な、顔型の造形物。

紫色の、異形。
額から角の生えた鬼の如き其れを、センリは真っ向から見据え、微笑を以って評した。
件の張本人である筈のシンジ君は、未だ復活できず、地に倒れ伏して、痙攣していた。
「――人の創り出した究極の人型汎用決戦兵器【人造人間エヴァンゲリオン】――その、初号機か」
ぽつりと、センリが呟いた。
その言葉に、リツコとミサトが目を見開いた。
「――何処で、その事を?」
「――私に知らない事は無い。そう言った筈だ、葛城ミサト、赤木リツコ。私は何でも知っている――其れだけだ」
リツコとミサトに微笑し答え、センリは前方に向き直る。
「――何時まで高みの見物を気取るつもりだ?」
その視線の先には、遥か上方から此方を見据える、一人の男。
髭面に、サングラス。
NERV総司令【碇 ゲンドウ】――シンジの父親である。
「答えぬか。まあ、それもいいだろう。――さて、最早調査済みかもしれないが、一応名乗っておこう。――私の名は【神狩 センリ】、旧奥多摩で孤児院を営む、極普通の天才少女だよ。……して、我が息子に何用かな? NERV最高責任者碇ゲンドウ殿?」
何時も通り、感情を全く表さない表情で、センリはゲンドウを見据える。
「………出撃」
此方も無表情に、言う。
「――はて? 面妖な事を言う。私に何処に出撃しろと? ――意思疎通が出来ていないと私は判断するが、貴女は如何思う赤木リツコ?」
唐突に、話の矛先をリツコに変えるセンリ。
話を振られたリツコは、若干慌てるも、冷静に、
「……貴女ではなく、シンジ君に言っているのよ。エヴァに乗って出撃しろと、ね」
「其れは解ったが、件のシンジは寝ているが」
「……アンタが気絶させんたんでしょーが…」
さらっと言うセンリに、ミサトがジト目で言った。
「仕方が無い、起こすか。――さっさと起きろ穀潰し」
げしっ――ではなく、バキィッ! と痛そうな音がケージに響いた。
音と共に蹴られたシンジが空中に舞い――そのまま、前方のエヴァに飛んでいく。
――そして、着水音。
エヴァを冷却する為のLCLに、落ちたのだ。
暫しの間、その場に居る全員が、言葉を失った。
――いや例外が一人、
「――少し力を入れ過ぎたか? まあ良い、その内浮かんでくるだろう」
いや良くないだろう。
センリを除く全員が、そう心の中で叫んだ。
――その時、

水音を立てて、何かが水の中から現れた。

紅い水に濡れた、華奢に見える人間の手である。
手は鋼鉄の床を掴み、上がってくる。
――ホラー映画の一場面のようだ。
「――あ〜……死ぬかと思った。行き成り何をするんですか、母さん!?」
全身からLCLを滴らせ、上がってきたのは……勿論、我等がシンジ君である。
ずぶ濡れの体を震わせつつ、センリに向かって怒鳴る。
ちなみに五体満足、何処にも異常は無い。
丈夫な奴である。
「お前が寝ていたから、起こしたまでだ。偶には、逆も良いだろう」
「そうですか、有難うございますこのクソヤロウ。――何時か、寝首掻いてやる」
「不穏な台詞を有難うこの間抜け息子。――そのまま、後ろにある物を見てくれると、有難いのだがな」
笑顔で毒舌を交わす親子二人。
センリに言われ、シンジは振り向いた。
「……何じゃあぁぁぁ、こりゃああぁぁぁっ!!」
どっかで聞いた事のある叫び方だ。
「――詳しい説明は、上に居る奴に訊け」
劇画チックな叫びを終えたシンジは、そのまま上へ視線を移し――

「――うわあぁぁぁぁッ!!? 何アレ母さん!? あの髭何!? アレが母さんの言ってた【暗黒髭地底人】――いや、それらが崇める【邪悪宇宙暗黒髭大魔神】!? 何時もの母さんの電波な戯言かと思ってたのに、実在していたなんて!!? けど何で其れが僕の前に―――はッ! ま、まさか僕を新たな依り代にする為に―――実は髭に見える部分が本体で人間の部分は寄生された何処かの中年………嫌だあぁぁぁぁッ!! あんな髭に体を奪われるなんてぇぇぇ!! つーかあんな髭僕に絶対似合わなぇぇぇぇぇッ!!!」

危ない事を口走り、本気で泣き叫ぶシンジ。
エヴァを見て混乱している所に、アレとの遭遇……無理も無い。
その場に居た半分の職員が腹を抱えその場に突っ伏し、後半分は「まさか…」、と真剣な表情で【総司令、邪悪宇宙暗黒髭大魔神説】を半ば信じかけていた。
ちなみにリツコとミサトは共に前者だと追記しておこう。
そして、息子に【アレ】呼ばわりされたゲンドウは……
「……冬月、レイを起こせ。あれに任せていたら、人類は滅びる…」
『………碇、泣いているのか?』
「問題無い。目から汁が溢れているだけだ……」
『……そうか』
半泣きだった。
実の息子の成長振りと暴言に、涙が止まらなかった。
はっきり言って無茶苦茶不気味だ。
「……シンジ」
「嫌だあぁぁぁぁぁぁ!!」
「……シンジ」
「嫌だあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「……シン」
「絶対嫌だあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
センリの声も耳に入らず、トリップして叫び続けるシンジ。
――拉致が開かない、とセンリは徐にシンジの頭を両手で掴み、
「………せい」
捻った。
鈍い音が、シンジの首から響いた。
一瞬で、シンジは静かになった。
「……目が覚めたか?」
「何とか……」
この場合、何とかの意味は【生きている】にも係る。
「結構だ。さて、それでは状況を説明しよう。――此処は“使徒”と呼ばれるあの怪物を撃退する組織であり、お前はその“使徒”を倒せる兵器のパイロットに選ばれた――以上」
「簡単すぎ……解りやすくて良いけど」
――首を直角に曲げたシンジが、うんうんと頷く。
大丈夫なのか?
漫才を繰り広げる二人。
――ストレッチャーが運ばれて来た。
シンジの横で、其れが止まる。
乗っていたのは、少女だった。
大怪我を負ったのか、全身を包帯で固めた少女。
――首の曲がったシンジの動きが止まった。
蒼銀の髪に雪の如く白い肌。
――そして、母と同じ紅い瞳。
それらの幻想的な容姿が、シンジの眼を引き付けていたのだ。
「………レイ……予備が使えなくなった」
「――はい…」
レイと呼ばれた少女は、答え、身を起こす。
しかし、少女は苦痛に顔を歪め、呻きを上げた。
――其れでも身を起こし、歩こうとする。
目の前の光景が、シンジには信じられなかった。
「――阿呆が。まだ何も決めていないというのに…」
センリが、言う。
何時もと、同じ口調で。
「―――母さん!?」
咎めるように、シンジが怒り交じりの声を上げるが――
「――選択の時だ。シンジ」
冷たいセンリの声が、シンジを包んだ。
――いつものセンリからは考えられないくらい真剣で、真面目な声。
過去に二度、シンジはこの状態のセンリと対峙した事がある。
一度目は【碇】の姓を捨てると言った時、二度目は母に武術の教示を願った時……
母は今と同じ声で、今と同じ台詞を言った。
「――選択は二つ。帰るか、闘うか、だ」
右の手に二本の指を立て、センリは言う。
「――帰れば、何時もと変わらない穏やかな日常が、お前を待っている。闘えば―――」
一旦、言葉を切る。
「辛い毎日が、お前を待っている。其れこそ、死んだ方がマシという闘いの毎日が、な」
無表情に告げる。
「――本心から言えば、私はお前にこの場から立ち去って欲しい」
「「―――ッ!?」」
唐突なセンリの言葉に、脇で聞いていたリツコとミサトが驚愕した。
シンジが乗らなければ人類が滅びる――そう言おうとするが……
「例え、お前が此処で【帰る】を選択しても、私はお前を非難しない。例え世界がお前を否定しようとも、私がお前の全てを肯定しよう。――私が責任を持って、この場を治めよう。全ての事を、私が代行しよう―――子のやった事の責任を、親が取るのは、当然のことだ。……もし、万が一【闘い】を選択するならば――――全力を以って、お前を後押ししよう」
出来なかった。
凄まじい威圧感が、シンジとセンリ以外の人間を圧倒していた。
センリの言葉に、誰も何も言えなかった。
其処でにこりと笑い、センリはシンジの頭を撫でた。
「――好きにしろ。人生に、悔いの無いようにな」
――その時、

天が、大地が震えた。

途轍もない地響きが、ケージを襲った。
「奴め………ここに気付いたか!!」
遠くから、ゲンドウの声が聞こえてくる。
「――危ない!」
ミサトの叫びもだ。
天井の崩れる音も、鉄骨が落ちてくる音も、何もかもが遠く聞こえた。
何故なら、シンジの意識は――レイに向いていたからだ。
レイに向かって、落ちてくる鉄骨を視認した。
考える前に、体が動いていた。
地面に倒れたレイに素早く近寄り、震えから、災いから護るように抱き締める。
体や服に血が付着するが、構わない。
――逃げる暇は無い。
シンジは思考する。彼女を助ける方法を。
思考し終わり、シンジは――
レイを、突き飛ばそうとした。
此れしか方法は無い。
自分は流石に死ぬかもしれないが、彼女が死ぬのだけは我慢できなかった。
(御免……皆…)
孤児院で待っている家族と母に詫びを入れ、シンジは行動を実行に移そうと――
瞬間、

――遠くから、音が聞こえた。

鈍い、其れでいて重い、衝撃を受けた金属の音。
――気が付くと、シンジとレイの前に、少女が立っていた。
黒い着物、黒い長髪――そして、片方しか見えない紅い瞳。
センリである。
片足を上げたまま、彼女はシンジとレイの前にいた。
シンジは、直ぐに気が付く。
何故彼女が、片足を上げているのか。
(もしかして、……蹴り上げたの?)
――その通り。
シンジとレイに襲い掛かろうとした鉄骨を、センリは刹那の間に蹴り上げたのだ。
蹴り上げられた鉄骨は、上方と下方のベクトルが一瞬釣り合い、空中に浮いていた。
其れが落ちる前に、センリは空中に飛び上がり――
一撃を加える。
鉄骨は再び跳ね上がった。
二度、三度、四度……
センリが蹴りを加える度に、鉄骨は上方に撥られていく。
センリも、蹴りを加える度に体が上がっていく。
――そして、二者が天井近くまで上がったその瞬間、
「――破ぁッ!」
渾身の、蹴り。
爆発したかのような衝撃を伴い、鉄骨は吹き飛んでいく。
――向かうは、硝子に護られた髭司令。
ゲンドウの顔が驚愕に染まった次の瞬間――
硝子に鉄骨がぶち当たり、両者が粉々に砕け散った。
幸いにも、ゲンドウは無事である。
残念。
「「……嘘…」」
仲良くハモる三十路コンビ。
――彼女等も、表情が驚愕に染まっていた。
人間業ではない、センリの技を目の当たりにして。
――全ての顛末を見届けると、センリは地に降り立った。その前には、レイを抱えた、シンジが立っていた。
「――大丈夫か」
「うん。――有難う、母さん」
素っ気無いセンリの言葉に、シンジは二重の意味で心から言った。
自分への気遣いと、助けてくれた事に。
「――母さん。僕、決めたよ」
シンジは母に告げる。
「僕は、【闘い】を選択する。孤児院の皆を護る為に、この街の人たちを護る為に――何より、この子の命を護る為に……僕は、闘う」
瞳に、炎が揺れていた。
少しの勇気と大きな優しさに彩られた、闘志という名の炎が。
少しだけ、成長したシンジの瞳を、輝かせていた。
「――全く、底抜けのお人好しだな」
苦笑混じりのセンリ。
しかし、彼女は優しげに、笑っていた。
「――解った。お前が生き残る為に、穏やかな日常を取り戻す為に、一つでも多くの命を護る為に、私も全力を尽くそう」
「本当に、有難う。……母さん」
心の底から、感謝するシンジ。
「……く………ぅ……」
レイが、悲痛な呟きを漏らす。
見ると、レイも、レイを抱いていたシンジも、血に塗れていた。
センリは少し顔を顰めると…
「此れは不味いな。このままだと、死ぬぞ」
懐から符を取り出し、貼り付ける。
符が淡く光り、少しだが少女の顔が穏やかになった。
「母さん、其れは?」
「【癒し】の概念を封じた符だ。――応急処置にしかならんが、無いよりマシだ。治癒が終わるまで、符は外れんから安心しろ」
センリの言葉に、安堵するシンジ。
そして、シンジは傷付いたレイの顔に近付き、
「――大丈夫、もう、大丈夫だから、無理しないで」
シンジの優しい言葉に、レイは薄らと目を開け、
「……彼方、誰…?」
「僕はシンジ。皆を……君を、護りたい者だよ」
――シンジはそう言って、レイの髪と頬を撫でた。
心地良い感触と温かい言葉に、レイは目を閉じ――眠った。
シンジはレイの状態を確認すると、抱き上げたまま、近くにいたリツコに向かい、
「――乗ります。僕が闘います」
宣言するのだった。




――未来はどうなるのか解らない。
如何変わるか解らない。
「――それでも、私は諦めない。大事な息子を、子供達を護りたいから…」
慌しくなったケージの中で、センリは虚空に向かって、そう呟いたのだった。




To be continued...


(あとがき)

そろそろマジで忙しくなってきたガーゴイルです。
それでも暇を見て書いている馬鹿な私……救いようが無い。
さて、新シリーズ第一話、如何だったでしょうか。
この作品はオリジナル再構成では無く、【AHEAD】シリーズ“終わりのクロニクル”とのクロスです。
……スイマセン御免なさい。
あ、ちなみに終わクロの“千里”とシンジの愛した“チサト”は別人ですので。
さて次は第二話で!

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