神を狩る罪神 〜The description of end of gods〜

第三話

presented by ガーゴイル様


「……あれ?」
誰も居ない部屋で、シンジは目を覚ました。
視界に最初に入り込んだのは――白い天井。
「――知らない、天井だ……」
寝惚けた頭を押さえつつ、起き上がるシンジ。
白い壁、白いカーテン、白い布団とベッド。
……此処は……
「……病院?」
――漸く、思考がまともに働く。
シンジは、昨日の経緯を思い出した。
「確か……エヴァとか言う巨大ロボットに乗って、外に居た怪獣を倒して――で、戻ってきた途端にぶっ倒れたんだよな……」
何時の間にか着ていた病院着を撫で、
「――そう言えば、母さんは?」
言うが、病室内には誰も居ない。
――静寂。
シンジは首を傾げ、暫し考える。
出た結論は……
「――寝よう」
今日は母さんを起こさずに済む。
故に、ゆっくり寝られる。
そう結論を出したシンジは、布団に潜り込んだ。
――少し経って、穏やかな寝息が静寂に加わったのであった。




――ゲンドウは信じられなかった。
頭が完全に思考停止し、何も考えられない。
彼は大きなショックを受け、硬直していた。
此処は、NERVの何処かにある秘密の会議場。
上位組織SEELEや委員会との会議に使われる、三幹部のみが知る会議場だ。
『――と、言う訳で碇……』
前方のホログラムの老人――議長【キール・ローレンツ】――が、言葉を続ける。
ゲンドウは返事をしない。
音が左から入って、右から抜けていく。
キールは構わず、
『我々委員会ならびに、SEELEは――“人類補完計画”を放棄する事にした』
其れは、望みの崩壊を意味する言葉。
愛する妻と会える唯一の可能性と幻想を破壊する、鉄槌。
ゲンドウは現実に打ちのめされた。
「……何故ですか?」
込み上げる怒りと動揺を押し殺し、努めて冷静に言うゲンドウ。
しかし、キールは少しも表情を変えず、
『――手元の資料を見たまえ』
言われて、ゲンドウは資料を見る。
分厚い束の其れには、“計画資料”と素っ気無いタイトルが打たれていた。
ページを捲る音が、暗闇に染み渡る。
捲る度に、ゲンドウの表情が変わっていく。
怒り、悲しみ、失望、焦燥。
……形容し難い感情が、ゲンドウの心痛を表していく。
『――資料によれば、“裏死海文書”は“計画書”ではなく“対策資料”であり、未来に起こりうるであろう大災害――サード・インパクト――に至る過程が事細かに記されている』
『故に、このまま事を進めれば全ての生命が一つと為り、全てが滅びるとされる』
『我々の目的は人類の存続であり、滅びではない。故に、大変遺憾だが、計画は放棄される事と為った』
ホログラム達が、次々と言う。
『――この資料は、我々が信頼出来る人物によって齎された。非の打ち所が無い、完璧な資料だ。――碇、我々の理想は……潰えたのだ』
キールが締め括るように、言う。
だが、ゲンドウは、
「――議長。何処の馬の骨と解らない人物を、信用するというのですか? もし、この資料がでっち上げに過ぎな……」
「残念ながら、其れは無い」
ゲンドウの言葉を遮るように、声が現れた。
涼やかな、小さいながらもよく通る声。
年若い、女性の声だ。
「――何故なら碇ゲンドウ。その資料は――この世で貴様が信じる、唯一の存在が製作したのだからな」
同時に、暗闇から人影が生じる。
装束と長い髪は、闇の中でも溶け込まず、確りと自己の輝きを放つ漆黒。
肌はきめ細かい、絹のような白。
片方の瞳を長髪で隠した顔に、皮肉気な笑みを浮かべていた。
そして、唯一見えている右の瞳は、鮮血の如き真紅。
――人ではない、紅の色。
「――お前は……」
『――久し振りだな、神狩』
ゲンドウが驚いて、キールの方を見やる。
キールは表情を変えず、バイザー越しにセンリを見つめる。
センリは、口を弓に吊り上げ、
「ああ、こうしてお互いの顔をつき合わせるのは久方振りだ、キール・ローレンツ。――四十年前の……ソビエト場末の酒場以来だな」
『――そう言えば……あの時の酒代の貸しは如何した?』
「相変わらず小さい男だ。よく其れで一組織の長を担っていられるな……」
悪態を吐きつつも、旧知の如く親しげに言葉を交わす二人。
「――お知り合いですか、議長?」
怒鳴ろうとする感情を噛み潰し、ワザとセンリを無視する形で話を進めようとするゲンドウ。
問われたキールは、苦虫を噛み潰したような表情で、
『――腐れ縁だ』
「そうだな。其れ以外の、何物でも無いよ」
キールとは対照的に、喉から笑いを漏らし、答えるセンリ。
キールはセンリの笑いを黙殺し、
『年齢、国籍、経歴……名が【神狩 センリ】だという事以外全て不明だが――私がこの世で最も、信頼できる人物だ』
キールの言葉に、他の面々も頷く。
『確かに、神狩殿なら……』
『かの東洋の三賢者をも凌ぐ頭脳、そして、世界を裏から支える影の住人達との太いパイプ……』
『セカンド・インパクト後、数々の貧国を極秘裏に支援した、影の救援者……』
『――その一方で、大国の利権からあぶれた悪徳業者等を食物にする、無情な総会屋……』
『うむ、味方に回せばこの上なく頼もしいが……敵に回せば……』

――必死。

彼等にとって、センリが築いてきた実績は信頼に足るものである。
頭脳、財力、支配力。
その全てが、一級以上。
――この場に居る全員が、彼女の恐ろしさを理解していた。
「すまないが、私を讃える話は其処までにしてもらおうか。――さて、本題と行こう。手元に在る資料の奥付を見たまえ」
言って、彼女は何時の間にか携えていた資料を、捲り始める。
最後のページ。
「――残念だが碇ゲンドウ」
センリは、最終ページの中央を指差し、
「現実を、見たまえ」
其処には、日付と共にある人物の名が記されていた。

――2003年 12月24日  碇 ユイ

文字の羅列を理解したゲンドウは、
「……馬鹿なッ!」
現実を信じられず、叫んだ。
「彼女は、とても頭がよかった。そして、優しい人だった」
叫ぶゲンドウとは対照的にセンリが、静かに言う。
「故に、彼女は遺したのだよ。――世界が世界で在る為の、手段と方法を」
一息。
「――例え、自分が消える事に為ろうとも」
センリは肘を立て、キールに眼差しを送る。
「すまないが、私はこの男に重大な話がある。――後日、改めて連絡をくれないかね?」
キールを始めとした老人達は、答えなかった。
只黙って、自らの幻影を消していくのみである。
センリは黙って、闇の中へと消えていく影を見送る。
「――さて……」
センリは、ゲンドウを見据える。
ゲンドウの憤怒の感情を、涼しげな顔で受け流し、
「今から、話をしようではないか。碇ゲンドウ」
瞳に宿る表情は、穏の一文字。
彼女は微かに哀を含めて、
「碇ユイの遺産について、な」




……ユイの遺産だと?
在りえない。
ゲンドウの思考は、一瞬で回答を弾き出す。
物的なものは自身が処分し、データなども自分が管理している。
故に、
「そんなモノは、存在しない」
断言。
言い切るゲンドウの視線は、怒。
やり場の無い怒りが籠められていた。
センリは、反応しない。
ただ、はぁ、と嘆息し、
「残念ながら碇ゲンドウ。其れが在るんだよ。何故なら――彼女自身から、私が預かったのだから」
……何だと。
声には出さないが、ゲンドウは大いに驚愕した。
……何故だ。
何故、あのような資料を遺したんだ。
何故、この少女はユイと知り合いなのだ。
何故……
「何故ユイは……私に何も言ってくれなかったんだ……」
大きな絶望と失望が、ゲンドウに圧し掛かる。
自分にとって唯一といえる存在の、裏切り。
ゲンドウは、雑多な感情の奔流に身を焼かれる。
膝を附き、項垂れ、ゲンドウはその場に座り込んでしまった。
「――人の話を聞く前に落ち込むなくされ外道」
げし、と鈍音が鳴る。
センリの足裏が、ゲンドウの頭を踏みつけた音だ。
床とキスするゲンドウを無視し、センリは言う。
「私が預かった物は三つ。――“過去”、“言葉”、そして……“贈り物”だ」
彼女は懐に手を入れ、ある物を取り出す。
蒼く輝く、赤ん坊の握り拳ほどの大きな石。
綺麗にカッティングが施され、至る面に様々な紋様が彫り込まれた、幻想的な石。
――“賢石”。
概念を触媒結晶化させた、形在る力。
センリは倒れたゲンドウを起こし、
「見るがいい、碇ゲンドウ」
親指と人差し指で石を抓み、

「――彼女の遺した“過去”を」

砕く。
蒼い光の流が、部屋を満たす。
同時に、ゲンドウは自分の意識が遠くのをはっきりと感じた。
ゲンドウは、暗き闇の中へと引き摺り込まれた。




――同時刻。
「……暇だ」
寝るのにも飽きたシンジが、暇を持て余していた。
「散歩にでも、行ってみようかな」
誰に言うでも無く、シンジは呟き、立ち上がった。
そのまま、ドアを開け、外へと出て行く。
――この何気無い行動が、後に新たな出会いを齎す。




気が付くと、ゲンドウは薄暗い空間に居た。
今まで居た会議室とは明らかに違う、別の場所。
白い壁に囲われた、薄明かりに照らされた室内だ。
その時、ゲンドウはある違和感を覚えた。
肉体が無い。
五感はあるが、肉体が存在しない。
視覚のみが、独立存在しているような、奇妙な感覚。
「――――」
何だ、と声を出したつもりなのだが、声は発生しない。
自分の意思で動く視覚を揺れ動かし、ゲンドウは大いに困惑。
その時だ。
部屋の奥から、声が聞こえた。
女の声。しかも二人だ。
ゲンドウは視界を歩かせ、奥へと目をやる。
其処には――

「――本気か、碇ユイ」

先程まで目の前に居たセンリと、

「――ええ、先生。私は本気です」

最愛の人――【碇 ユイ】――……その人だった。
……ユイッ!
叫ぶが、声は出ない。
勿論、目の前の二人は反応を示さない。
ゲンドウは喉が潰れる事も構わず、声を張り上げ続けた。
しかし、ユイは答えない。
其れもその筈だ。
何故なら此処は、過ぎ去りし所。
もう、手の届かない場所なのだから。




――ユイは、目の前に居るセンリに微笑を向け、
「コレは、私の役目です。――そう、唯一私が出来る事……」
「……お前には家族が、夫と幼い息子が居るだろう!」
微笑を絶やさないユイに、センリが怒鳴り声をぶつける。
今にも掴み掛かりそうな、激怒の気配。
センリは、怒りの視線をユイにぶつける。
「解っているのか――いや、解っていないな、碇ユイ。お前のやろうとしている事は、確かに最良の方法だ。だが……お前の家族の心を、確かに傷付ける愚策だぞ!」
センリはそう言って、作業机の上に在った、一枚の紙片を手に取る。
其処には、
「“エヴァとの完全合一による、操縦方法の確立”だとッ!? 確かに、武神と酷く類似した機構を持ち、自我を持たない生命体であるエヴァには、これ以上無いというぐらいの方法だ。だが――」
金属の義手が、机に叩きつけられた。
金属と金属がぶつかり合い、大きな重鈍音を立てる。
しかし、ユイは微笑を崩さなかった。
「――初号機は合一機構に欠陥がある為に、完全に“合一”してしまっては戻れる保証は無い。お前という意思はエヴァに取り込まれ、本能のみを遺し、自我を含めお前という存在は完全に消えるのだぞ!!」
金属であるが、生命でもある武為る神――“武神”。
ギリシア神話の元と為った太古の異世界の一つ――“3rd-G”――の技術により作られた、喪失技術の一つ。
人と機械が一体化する事で力を振るうことが出来る、戦闘兵器だ。
EVAは、これ等の技術を流用し、作られたのだ。
その技術を確立したのが――
「我が教え子――碇ユイ……“武神”と“機竜”を従える三賢者の一人よ。……今一度問うぞ。……本気か?」
センリの静かな――其れでいて鋭利な気配の――問いに、ユイは……

「――はい」

笑みで、答えた。
瞬間。
乾いた音が、鳴る。
音の発生源は、ユイと――センリ。
センリの生身の掌が、ユイの頬を張ったのだ。
――平手を喰らったユイの頬が紅く染まり、口からは僅かに鉄錆色の液体が流れ落ちた。
殴られたユイは、黙っている。
殴ったセンリも、黙っている。
前者は微笑の表情で、後者は――
「……馬鹿者が」
泣きそうな表情で。
ユイは、そんなセンリに手を伸ばした。
柔らかな手が、センリの白い頬に触れる。
驚くセンリを無視し、ユイはゆっくりセンリの頬を撫でる。
「――ゴメンなさい、先生」
彼女は、笑みを絶やさず、
「私がやらなきゃいけないんです。全てを知り、全ての役目を終えたからこそ私は――最後の仕事を終えなければ為らないんです」
彼女は、静かな声で、言う。
籠められた意は、決意。
おそらく誰が何を言っても、意思を変えないだろう。
「――今回の実験は、私にしか出来ない事なんです。そう……“私”にしか……」




……ユイ。
視線だけと為ったゲンドウが、呆然と声無き声で彼女の名を紡いだ。
知らなかった。
彼女の想いも、意志も、何も……
……私は、会いたかっただけだった……
自分が唯一、信じられる存在。
縋れ、頼れる人。
――そして、愛する人。
その時。
「――先生、これを」
ユイが、机の引き出しから何かを取り出し、センリに手渡した。
其れは、一つの小さな封筒と、小さな包み。
センリは、其れ等を受け取り、
「――何だコレは?」
「頭だけじゃなくて、目まで逝かれましたか先生? これは“手紙”、こっちは“小包”って言うんですよ。 解りましたか?」
「――よし今すぐクタバレ馬鹿弟子」
剣呑な視線で睨みつける師匠に、弟子は、くすり、と笑みを返し、
「この二つを私の夫――ゲンドウさんに渡してくれませんか? 今すぐではなく……時が来たら」
贈り物。
この言葉に、ゲンドウは息を詰めた。
センリは眉を顰め、
「自分で渡せばいいだろう。あと、息子には何も無いのか?」
センリの物言いに、ユイは苦笑し、
「私が渡すと、直ぐに開けてしまいますから。其れと、シンジには――“あの子”達が居ますから。シンジを護る鎧であり、武器である、私の全てを注いだエヴァと……“黒き風”と“星の竜”が」
「――成る程な。……で、息子と夫のその後は考えているのか?」
センリはワザと意地悪く言った。
センリの台詞に、ゲンドウの意志が僅かに震えた。
「――あの人は、不器用な人です。だけど……」
ユイは確りとした意思を籠め、笑みで答えた。
「――優しい、人ですから。シンジもゲンドウさんと一緒なら、笑っていられると思います」
その台詞に、ゲンドウは凍りついた。
現実は全く違う。
自分はただユイのみを求め……
……シンジを、捨てた。
愕然とする。
……私は、ユイを……
裏切ってしまった。
ゲンドウは罪悪と絶望に苛まれ、意思は薄弱と停滞してしまった。
「其れに先生。あの人は優しいだけじゃなくて、可愛い所もあるんですよ。――去年と一昨年のクリスマス、あの人は何処からかサンタクロースの服と髭を貰ってきて、其れを着てシンジの枕元にプレゼントを置きに行ったんですよ」
ユイが、楽しそうに言った。
「――あの人は、本当に可愛い人なんです」
そして、とユイは更に言葉を付け加えた。
「掛け替えの無い、人です」
同時に、ゲンドウの脳裏にある事が思い出される。
物資の少ないあの時代。
自分は苦労してあの赤い服を仕入れ、白い髭を付け、大きな袋を用意した。
其れは全部、
……シンジの笑顔が、見たかったから……
自分の厳つい顔の所為か、幼いシンジは自分の前では余り笑う事が無かった。
故にゲンドウは、シンジの笑顔が見たいが為に、サンタの格好をしたのだ。
安らかな顔で眠るシンジの枕元にプレゼントを置き、顔を撫でて戻る。
翌朝になると、シンジは真っ先に自分とユイに走り寄り、
『――サンタさんがプレゼントくれたよ!』
満面の笑顔。
あの時の笑顔を自分は……
……忘れていたな。
今まで、ずっと。
シンジの笑顔と、その意味を。
自分はユイへの想いに囚われ、ずっと。
……ずっと、忘れていた。
その心中に、影が渦巻く。
思い出。
自分と、ユイと、シンジと。
三人一緒に過ごせた、短い時間の記憶。
……ユイが私の幸せではなく、ユイとシンジ――家族と過ごせた、あの穏やかな時間が私にとっての、本当の“幸せ”だったんだな。
今更だ。
ゲンドウは自嘲気味に笑い、
……本当に、今更だ。
そして視線を再びユイに向け、
……ユイ。
更に、今度は虚空に視線を向け、
……シンジ。
今は亡き妻と、捨ててしまった我が子の名を呼ぶ。
そして、
……すまなかった。
深々と頭を下げ、ゲンドウは心の中に在る全ての想いを、言葉に籠めて言った。
同時に、過去の世界は色を無くし、全てが彼方へと往ってしまう。
――手の届かない、所へと。




気付くと、ゲンドウは床に膝を附いていた。
会議室。
場所も動いていなければ、時間も僅かにしか動いていない。
サングラスに隠された両眼から僅かに涙を漏らし、ゲンドウは戸惑う。
そして。
「――夢は、見れたか?」
センリの静かな声が、ゲンドウの意識を覚醒へと導く。
呆けたように顔を上げるゲンドウを視界に写し、センリは言う。
「今のは、過ぎ去りし幻――“過去”だ。確かに、渡したぞ」
言って、彼女はゲンドウに向かって何かを放り投げる。
慌ててゲンドウがキャッチすると、其処には……
「手紙……?」
夢の中で見た手紙と、小さな包み。
震える手で包みを開けるゲンドウ。
中身は、小さな銀の輪。
指輪だ。
見覚えが在る。
何故ならコレは――
「私が、ユイに贈った……」
裏側に刻まれているのは、名と日付。
時を経て、かすれた文字。
その横に、僅かに新しい文字が刻まれていた。

“想いは、永遠に貴方と共に……”

其れは、彼女の贈り物。
想いを有りっ丈詰めた、最後の贈り物。
「――コレだけは遺したい、とあいつが言っていた」
センリの無表情な言い方に、ゲンドウの感情が動く。
しかし、センリは構わず言葉を続ける。
「その手紙を読むか読まないかは、貴様が決めろ。私の役目は、届けるだけだからな」
言って、彼女は歩み始める。
足の先には、出口。
彼女は扉までゆっくり進み、そして、最後にゲンドウの方を振り向くと、
「――好きにしろ。後は貴様の自由だ」
言葉を告げると、彼女は扉の向こうへと消えた。
――薄暗い空間には、膝を附いて俯くゲンドウが残された。
「私は……」
悲痛な問い掛けは、誰にも届かなかった。




「――ちょっと良いかしら?」
外に出た途端、センリは呼び止められた。
其処に居たのは……
「何だ赤木リツコ? 私の貴重な時間を浪費させるとはかなり重要な話なのだろう。いいだろう、その代わり、もしくだらない話題だったら、口では言えないような恥辱の限りを尽くさせてもらうが……いいね?」
「激しく遠慮させてもらうわ」
きっぱりと断る、リツコ。
彼女は溜息を吐き、
「……ギャグで誤魔化そうとしても無駄よ。単刀直入に訊くわ。貴方――――何者?」
何時に無く真剣な表情。
しかし、センリは何時もと変わらない。
無表情な笑みを浮かべ、
「――私は私だ。其れ以上でも以下でもなく、この世で最も素晴らしい存在。其れが、私だ」
一切の躊躇いも気後れも無く、言い放つセンリ。
「ふざけないでッ!」
だが、リツコは怒り、センリに詰め寄る。
「不可解な言動、異常過ぎる身体機能、其れに……使徒の攻撃を防いだ、あの不思議な力。――答えなさい。答えなければ……」
「如何する?」
リツコの言葉に、不敵な笑みと言葉を返す。
リツコの顔が、怒りの色に染まる。
彼女は、必死に感情を噛み殺し、
「……NERV権限を以って、貴方を拘束させてもらうわ」
リツコの台詞にセンリは、ほう、と吐息を漏らし、
「――其れは、不可能だ」
答えた。
リツコが、何故、という表情を顔に浮かべる。
リツコが口を開く前に、センリが言葉で遮る。
「私はNERV上位組織――SEELE――の協力者、という立場らしい。故に、下部組織であるNERVの権限は一切通用しない」
其れはつまり、裏世界最高権力の直ぐ傍に居るという事。
リツコは息を呑んだ。
そして、見る。
口端を歪め、ニヤリと擬音が付くぐらい、イイ笑みを作る少女を。
目の前で笑う少女が――全く別の生物に見えた。
次元が違う。
相手は、此方の上に存在する。
「――知りたければ、調べる事だな」
黙り込んだリツコを見かねて、センリが口を開いた。
「求めぬ限り、理解は出来ない。――求めるがいい、納得のいく答えを」
袖の布地を鳴らし、手指をリツコに向け。
「かつての――赤木ナオコのように」
その言葉に、リツコの眉が跳ね上がった。
「――何故、貴方が母の事を!?」
リツコの叫びに、センリは簡単な事だと答え、
「彼女は、私の教え子だったからだ」
驚愕の事実。
リツコの顔が、瞬時に強張る。
彼女は動揺と理不尽な憤りを無理矢理押し殺し、喉を搾るように、
「……母が、貴方の弟子?」
「そうだ。――彼女は、当時独力で“ある技術”の存在に気付き、其れを研究する為に、私の元で学ぶ事を選択した」
センリの静かな独白は、静寂の通路にゆっくりと染み渡る。
「当時三人居た弟子の中で、彼女は“原理”と“法則”に多大な興味を示した」
コツコツ……と、軽いセンリの足音が、響く。
リツコの脳内で、今齎された、母の情報がリフレインした。
……“技術”、“原理”、“法則”……
「……母は、一体何を研究していたの?」
外聞も忘れて叫びたくなる衝動を辛うじて押さえ、リツコは言った。
センリは答える。
僅かな情報を、過去を。
其れが、自分の役目だとでも言うように。
「――この世界に満ちている、誰もが忘れてしまった“力”。直ぐ傍に在り、気付かなければ“理解”出来ない“力”。其れが私の振るう“力”の正体であり、君の母が研究していたモノの正体だ」
センリはそう告げると、リツコに背を向け、
「――後は、自身で求めるがいい赤木リツコ。赤木ナオコは、独力のみで私の所まで来た。母の後を追い、故に母を超えて見せろ赤木リツコ。赤木の姓は伊達ではないのだろう。――来るがいい、望みの高みへ、納得の行く所へ。自身で得た答えを、携えて」
言葉を残し、去る。
去って行くセンリの背を眺め、リツコはその場に立ち竦んだまま、彼女を見送る。
――声をかける事も、引き止める事も無く。
只、その場に立ち竦んでいた。




一方、その頃シンジはと言うと――
「――はい。林檎剥けたよ、綾波さん」
「…………」
嬉しそうに林檎を剥いていました。
そんな彼の正面に居るのは、寝台に横たわる、蒼銀の少女。
――綾波レイ。
何故かシンジは、彼女の病室で、甲斐甲斐しく彼女の看病をしていた。
――まあ簡単に言うと、病院を探索してて、この部屋に迷い込んで来ただけなのだ。
「……しっかし、何でお見舞いの品が、全部手を使わなきゃ食べられない代物なんだろう……」
パイナップル、スイカ、バナナ、ドリアン……
台の上の籠の中は、南国模様だ。
「ドリアンなんて……誰が持ってきたんだ? 母さん並のセンスの持ち主が、他にもこの世にまだ居るなんて……」
等と愚痴りつつ、彼は手の上に鎮座する皿を彼女に差し出した。
「まあ、其れは其れとして。――この林檎、よく熟れてておいしそうだよ」
はい、と楊枝に刺した林檎をレイに差し出し、
「――手、使えないみたいだから。口開けて」
遠慮気味に、言うシンジ。
レイは、黙って彼を見つめ、
「…………」
口を開けた。
シンジは微笑み、彼女の口の中に林檎を入れた。
咀嚼。
少しして、レイの喉が鳴った。
シンジは、彼女の目を真っ直ぐ見つめ、
「――どう?」
シンジの問いに、レイは僅かに首を傾げ、
「…………」
黙って、頷いた。
其れにシンジは笑みを返し、再び彼女に林檎の刺さった楊枝を差し出す。
――沈黙。
静寂が、白い病室を支配した。
響くのは、林檎を咀嚼する鋭音のみ。
何処と無く落ち着く、安らかな沈黙を、二人は感じていた。




「――ああ、私だが。貴様か?」
『代名詞で話さないでよ。――ところでセンリちゃん、何で私の番号知ってんのよ!?』
電話口の向こうで、葛城ミサトが絶叫した。
センリは僅かに眉を顰め、
「私に知らない事は無い。後、電話で大声を出すのはよくないと私は判断するぞ、葛城ミサト。――先日の罰も含めて火刑を提案するが、いいね。私の脳内法廷では満場一致で可決されたが」
『ちっともよくな―――いッ!! 異議あり過ぎよ!』
我が道を爆走するセンリの発言に、ミサトは涙混じりの叫びで答えた。
色んな意味で、大変だ。
……情緒不安定、というヤツか。
最近、若い女性に増えているそうだな。
……ストレスも多そうだし、少し休ませた方がいいかもしれん。
微妙に勘違いしているセンリは、うむ、と頷き、
「――葛城ミサト。いい病院を紹介してやろうか。二、三年は鉄格子付きの部屋からは出られないが、いい所だぞ。どんな社会不適合者も、立派な社会人として戻ってくる。――無料奉仕活動も文句を一切言わず、笑って無休で続けられるほどに」
『つまり精神改造して無理矢理タダで強制労働させるって事でしょーがッ!!』
「何を言う。全国から喜びの声も届いているそうだ。――“息子を返せ”、と」
『抗議の声よ!』
……先程から叫んでばかりだな。カルシウムが足りないのか?
ミサトの怒鳴り声を聞き流し、センリはそう思う。
……不憫な。
「――まあ、兎も角。貴様の処遇は後にして……実は、シンジの事について、話がある」
『急に話題変えたわね。……で、シンジ君が何? 彼なら今、レイの病室に居るみたいだけど』
「……ほう」
笑い混じりのミサトの言葉に、ニヤリとした笑みを浮かべるセンリ。
「成る程成る程。相変わらず、無意識レベルの女たらしだな、あいつは。へタレなくせに、行動が早い」
『え? シンジ君って、そういう子なの?』
「ああ。本人は全く意識していないがな。――もっとも、シンジに本気で惚れているのは、私が知っている限り一人だけだがな」
施設で自分らの帰りを待つ、ある自動人形の姿を思い浮かべ、センリは苦笑。
「其れはいいとして。あの化物――“使徒”は、まだ此処に来るのだろう」
『…………』
息を呑む音。
同時に、ミサトは押し黙った。
「沈黙は肯定と受け取らせてもらう。――まあ、そう固くなるな。一つ、私から提案が在るんだが」
センリは、皮肉るように、
「――この機会に、シンジをこの街で一人暮らしをさせようと思う」
親の心、子知らず。
子の心、親知らず。




……何故。
寝台に横たわるレイは、心中で独白した。
……何で。
視線の先には、楽しそうにナイフと皿を片付けている、少年の姿。
……何故。
何故彼は、あんなに楽しそうなのだろう。
解らない。
何故彼は、自分に関わろうとするのだろう。
解らない。
何故彼は……
「……何故……」
「……え?」
不意の言葉に、一瞬、シンジが戸惑う。
レイは、其れでも調子を崩さず、
「……何故、あなたは……私に優しくするの?」
其れは、嬉しさ。
其れは、恐れ。
触れられた事の無い、感情。
触れられた事の在る、感情。
拒絶、孤独、不安。
一人で居たから、怖い。
誰かと居ると、怖い。
何故、何故、何故。
「何故、会って間もない私に、人とは違う私に、接してくれるの?」
優しくされると嬉しい。
しかし、裏切られると怖い。
自我がこれ以上というくらい薄弱たる自分は、故に葛藤した。
心の中を、ざわめく感情が波立たせた。
解らない。
解らない。
解らない。
そんな事を思っていると。
「何でって……」
シンジは、恥ずかしそうに笑い、
「――心配だった、じゃ駄目かな?」
彼は、照れ臭そうに頬を掻き、
「あの時――護りたいと思った。君も、此処の人たちも、街の人も……」
ゆっくりと、彼女の赤い瞳を見つめ、
「――そうしたいと思ったのは、君が居たから。あんなに傷付いても、誰かの為に戦おうとする君が居てくれたから」
「…………」
「僕は、戦場に行く事が出来た」
彼は手を伸ばし、レイの髪を撫ぜた。
「……あ」
レイの肌に、サラサラとした髪の感触と、シンジの温かさが伝わった。
「有難う、綾波さん」
確かめるように、確りと言う。
「――居てくれて、生まれてきてくれて、出会ってくれて、有難う」
その言葉は、レイが最も望んでいた言葉。
誰かに、自分の存在を幸いと思ってくれる言葉
……あ。
瞳から、熱い雫が零れ落ちる。
意識に従わず、次から次へと。止めどなく。
彼女の心中を、代弁するかのように。
――しかし、シンジにはそんな事解る筈も無く、
「え、何僕今不味い事言ったかな!? デンジャラス地雷ゾーンですかッ!? ああゴメンほんとにゴメン、僕が全部悪かったから泣きやんでぇッッ!! 切腹でも剃髪でも何でもするから!!」
パニックを起こし、あたふたするシンジ。
何時でも要求に答えられるように、ガーゼに包んだナイフも準備してある。
「……ゴメンなさい」
泣きながら、蚊の鳴くような声で言うレイ。
「……心が、心が温か過ぎて……泣きたくないのに、涙が止まらなくて……。どうすればいいか、解らないの……」
何も知らないが故に、如何すればいいか解らない。
伝えられた彼は少し戸惑い、しかし、微笑んで、
「……笑えばいい。そう、思うよ」
――躊躇いがちに伝えた言葉には、沢山の温かさが宿っていた。




「……上手い事やっているな、シンジ」
そんな二人を、扉の外から覗いていた者が居た。
センリである。
「……やはり、同一存在とはいえ、育った環境でこうも性格が変わるものだな」
私はあんなに女たらしではない。
センリは肩を竦め、
「まあ、兎に角。もう少ししたら、邪魔でもするか」
意地悪く呟いたその口元には、確かな笑みが浮かんでいた。
「……シンジが、あの子の支えになるといいが」
……私には出来なかった事をするがいい、“私”よ。
センリは取り合えず、いい具合に盛り上がるタイミングを、推し量るのだった。




そして、時間は過ぎ――
「――はあ!? 帰れない!?」
旧奥多摩の奥、孤児院“喜望峰”の一室に、素っ頓狂な声が響いた。
電話の受話器を握ったまま、女性――院長代理“斑鳩 ヒアリ”――は、目を大きく見開き、
「――丁度いいからこのままシンジを第三の学校に通わせる!? センリ姉、ちなみに本人の意思は――聞いてるわけ無いねえ」
傍若無人を地で往く母に、頭痛を感じるヒアリ。
床に倒れ込みたい衝動を堪えつつ、
「――センリ姉は帰ってくるんだね。で、シンジはそのまま強制的に一人暮らし……チビたちの相手が大変になるねえ」
げんなりし、がくり、と頭を垂れるヒアリ。
「――解った。シンジによろしく言っといて。じゃ……」
受話器を置くと同時に、ヒアリは大きく溜息。
「――どうなされました、ヒアリ様」
憔悴しているヒアリを見かねて、一人の女性が声をかけた。
ヒアリよりも僅かに年上に見える、長い緑髪の女性。
彼女の名はメタトロン。
この孤児院で働く、意思を持つ人形――自動人形――だ。
配膳中だったらしく、金属製のコップを手に持ったまま、小首を傾げてヒアリを見つめていた。
ヒアリは泣き真似をし、
「ああ、メタトロン。聞いとくれよ……シンジのヤツ、帰ってこれないみたいなんだよ」
途端。

ぐしゃり。

嫌な音が、聞こえた。
発生源はメタトロン。
正確に言うなら、彼女の掌。
恐る恐るヒアリが視線を其方に移すと……コップが見事に拉げていた。
もう、見事なくらい金属の其れが潰れていたのだ。
「…………」
絶句。
滝のように冷や汗を流すヒアリは、次にメタトロンの顔を見た。
……見なきゃよかったさねッ!
猛烈に後悔。
何故なら、メタトロンの顔は……

――怖い。

無表情なのは何時ものままだが、気配が明確に違う。
緑の瞳には明らかに怒りが生じ、背にはオーラが浮かんでいる。
――凄まじい気配に、周りに居た子供たちも怯えている。
「――落ち着くさね、メタトロン!」
「イエス、私はもの凄く落ち着いていますよヒアリ様。唐突ですが私愛用の対戦車ライフルは何処ですか? あえて言うなら……撃たなきゃやってらんねえ――と言う事です」
「落ち着けえぇぇぇッ!!」
何やら物騒な事を言い出す自動人形を、必死で押し留めるヒアリ。
クローゼットから大きな黒い何かを取り出そうとする彼女を、羽交い締めにする。
「――何をするんですか」
「コッチの台詞だよ! あんた一体、其れで何やる気だいッ!?」
問うヒアリに、メタトロンはイエスと答え、
「――何も考えていないマスターに二、三十発お見舞いするだけですが、何か?」
「んなもん街中でぶっ放すんじゃないよ! 辺り一面焦土にする気かい!? ――せめてこっちの自動拳銃にしときな」
言って、銀色の軽金属と長細い弾倉をメタトロンに手渡すヒアリ。
メタトロンは渡された弾倉と拳銃をスカートの中に仕舞い、
「イエス。有難う御座います、ヒアリ様。お礼にコレを」
「……何だい、コレ?」
「イエス。最近マスターが暇潰しに開発された、“美顔洗剤 燃え尽きたぜ……”です。ジョーも吃驚、口には出せない自然とお肌に優しい不認可物質で、何もかもが真っ白に染まります。姉妹品に、“小顔減量洗顔フォーム RIKIISHI”も在りますが……どうですか?」
「捨てといで!」
メタトロンの取り出した二つの容器を、すかさずゴミ箱に叩き込む。
「まあ、其れは置いといて。伝言さね、メタトロン。――引越し費用が勿体無いから、シンジの荷物を第三新東京まで持って来いだってさ」
ヤレヤレと、頭を振りつつ言うヒアリ。
「……イエス」
「……嬉しそうだね。そんなに、シンジに会いたいのかい?」
「そういう訳ではありません。――では、今直ぐ荷物を纏めて出発します」
「解り易すぎだねあんたって子はッ!!」
無表情に走り出すメタトロンを押し留め、ヒアリは再び叫ぶ。
「まだ続きがあるんだよ。……後、試作品倉庫の七番パレットと、“地下倉庫”の第三パレットの中身を装備してこいだとさ」
「…………!?」
ヒアリの言った事を瞬時に理解し、メタトロンの表情が強張る。
ヒアリも、メタトロンの気持ちを理解し、
「……如何やら、思ったよりも向こうは、危険な場所みたいだねえ。試作品は兎も角、“地下倉庫”のブツまで持って来いだ何て……センリ姉、何か派手な事をやらかす気だろうよ」
其処まで言うと、ヒアリは溜息を吐き、
「……苦労かけるね、メタトロン」
「イエス。苦ではありません。主の意に従い、最高最善を尽くす事が自動人形の使命と判断します」
「――でも、あんたはもう半分人間だよ。誰かを想い、自分の考えを持ち、涙を溢せる人間の要素を半分だけ備える、進化途中の人形さ」
進化する自動人形。
メタトロンは、進化する。
造られてから、十数年。
特にこの十年で、陶器とワイヤーで構成された彼女の肉体は、半分以上人間のモノへと進化していた。
彼女の心と肉体は――進化という成長を確実に経験している。
誰かを、想う気持ちから始まる進化。
ヒアリはメタトロンを優しげに見つめ、
「――行ってきな、メタトロン。自分の幸いを求めに。そして、間抜けな主に根性入れに行ってきな。あんたは未だ解んないだろうけど、其れが意思ってもんさ。自分勝手な、自分本位の、自分にしかないモノさ」
言葉を切り、
「――行きな、自分の望む人の所へ」
答えは、
「――イエス」
最早口癖と為った肯定の意を返す。
ヒアリは、満足そうに頷く。
――その時。
電子音が、鳴った。
耳を突く、甲高い高音。
その音を聞いて、周りの子供たちの中の一人が呟くように言った。
「……警報だッ!?」
出掛けに、センリが設置していった警報装置。
其れが、作動している。
と、いう事は……
「……如何やら、こんな夜更けにお客さんだよ、メタトロン」
「イエス。――ぶぶ漬けでも出しましょうか」
「用意しとけ。――山葵味で頼むよ。後でアタシが食べる。――お客には、お帰り願うからねえ」
「イエス」
言って、ヒアリが立ち上がる。
彼女は、周りに居る子供たちを見渡し、
「――部屋に入って、確り鍵を掛けとくんだよ。朝に為ったら、全部終わってるから。安心して、眠りな」
そう言って、傍に居た小さな女の子の頭を撫でた。
「……でも、ヒアリ姉ちゃん……」
その隣に居た男の子が、心配そうに言うが、ヒアリはにかりと笑い、
「大丈夫さ。何たって――お姉ちゃんは、強いからねえ」
男の子の頭をポンと叩き、ヒアリは歩き出す。
向かうは――
「着替えてくるさ。――メタトロン、お客を追い返す“箒”の用意を頼むよ。アタシ愛用の、アレの用意を」
「イエス。御気を付けを、ヒアリ様」
メタトロンの呼びかけに、ヒアリは、何言ってんだい、と答え、
「――アタシを、誰だと思ってんだい? アタシは“斑鳩 ヒアリ”だよ。アタシに土を付けられるのは――この世に二人しか居ないのさ」
太陽のように明るい笑みで言い、ヒアリは自室へと向かう為に、廊下の向こうへと消えた。
――戦う為に。




……妙だ。
月光に彩られた暗闇を行く、戦闘用特殊装甲服に身を包んだ五人の男。
その先頭を行く彼は、胸騒ぎを感じていた。
……あれだけ高性能な警報装置が反応して……何も無いだと?
自分ら全てのスキルを駆使しても、入り口に仕掛けられた警報装置を解除する事は出来なかった。
だが、装置が作動しても何も起こらず、自分らは先へと行く事が出来る。
誤作動。
その一言で片付けるには、この問題は怪し過ぎた。
……しかし、此処は只の孤児院だろう? 何故、こんな装置が……
自分らが受けた任務は、NERVに居るサード・チルドレンとの交渉材料の獲得。
未だ正式に組織に所属していない、優秀な人材の確保。その為の、前準備。
簡単に言えば、誘拐だ。
……まあいい。俺達は、仕事をこなすだけだ。
別にこのような仕事は初めてではない。
只、仕事をする。
其れだけだ。
速度を上げ、孤児院前の草高い野原を抜けきった――その時。

「――いい夜だねえ、団体さん」

孤児院の正門前立っていた少女が、声を掛けてきた。
一筋の赤を交ぜた、茶髪の少女。
背に黒い角張った何かを背負い、肩に長大な袱紗を担い。
その肉体は、赤と黒に塗り分けられた女性用装甲服に包まれていた。
「生憎、ウチは十時が消灯時間なんでねえ。――出直してくれるかい?」
皮肉るような笑みを付けて、言う少女。
男達の返事は、
無言で、銃を構える。
少女は、やっぱり、と言い、
「――力尽くでお帰り願うしか、なさそうだねえ」
――同時に、撃鉄音と発砲音が重なって響いた。




――一瞬だった。
銃から熱い鋼弾が射出されると同時に、少女――ヒアリ――の手指が踊った。
手が掴んだのは――肩の袱紗。
瞬時に封印を解き、中から大きな塊を取り出す。
同時に、踊る。
塊を指運のみで振り回し、踊るように旋廻。
全ての弾丸は、塊に叩き落された。
『…………!?』
集団から、驚きが漏れる。
弾丸を叩き落した技と、そして、彼女の得物に。
袱紗から取り出されたのは――槍。
赤を基調に、白と黒とに塗り分けられた槍。
穂先の他にもう一つ、柄に刃が装備された双頭槍(ツイン・ランサー)。
彼女の背よりも長大な其れを、ヒアリはいとも簡単に振り回していた。
「如何だい? アタシはそう簡単に――負けないよ」
言うと同時に、ヒアリは駆け出す。
敵集団に飛び込むと同時に、強く右足を踏み込み、薙ぎ払う。
五人の内三人が耐え切れず、宙を舞った。
――間を置いて、三つの鈍い音が大地を振るわせた。
「手応え無いねえ。――装備から察するに、あんたら、戦自の連中だろう? もう少し鍛えないと、駄目だよ」
まるで世間話をするかのように、言うヒアリ。
しかし、男達は答えない。
接近戦では銃は不利だと悟ったのか、巨大な軍用ナイフを取り出し、白兵戦へと切り替える。
ヒアリは其れを見て、
「――馬鹿だねえ」
一歩、踏み出す。

向かってくる一人目の男の一撃を穂先で受け流し、

「もう少し」

返す柄の刃を延髄に叩き込み、

「相手の力量を見て」

二人目の男のナイフを叩き落し、

「戦闘手段を考えな」

柄で相手の頭を横殴り。

この間、僅か数秒。
二人の男は昏倒し、倒れ伏す。
「――一応、機殻(カウリング)を刃に被せてあるから、死にはしないさ。――半年は寝たきりだろうけど」
ヒアリは言うが、もう男達には聞こえない。
残ったのは、後一人。
「――さて。後はあんただけだよ」
言うが、勿論答えない。
ヒアリは、構わず言葉を続け、
「大方、シンジ絡みだろう。アタシ等を人質にとって、脅迫。――大人の世界は、汚いねえ。センリ姉の言った通りだよ」
溜息を吐く。
「一応、名乗ってあげるよ。――アタシは“斑鳩 ヒアリ”。“火”と共に“在る”、“三光”を頂く鳥を姓とする者さ。そして、コイツがアタシの相棒――」
言って、槍を構える。
すると、双の刃を覆う機殻から、光が漏れ始めた。
穂先から漏れるのは、明るく、赤く、眩い――全てを照らす焔。
柄刃から漏れるのは、暗く、赤く、深い――全てを停める焔。
二筋の焔が、槍に纏わり付く。
「“B-Sp改”。動と停を統べる、炎闇の槍を受けてみな!」
轟音。
渾身の一撃が、男の腹に決まった。
呻きすら漏らさず、男は飛び、岩に叩きつけられた。
――男の身を護っていた装甲服も、粉々に砕け散った。
ヒアリは、完全に沈黙した男等を見届け、
「――最後のアレは、一年以上寝たきり確定だろうね……」
もう、動く者は居ない。
さてと、と槍を肩に担ぎ、
「……終わった」
呟き、見上げると、空には三日月が薄らと輝いていた。
ヒアリは、肩の“B-Sp改”の表面を撫で、
「……“コレ”クラスの力が必要になるなんて……」
彼女は寒々と吐息し、

「――一体、何が起こっているんだろうね……」

思いは空しく、運命は、動き続ける……




To be continued...


(あとがき)

漸く第三話です。
ちなみに今回、終わクロ以外のネタも在り。
……気付いてくれる人居るかなあ。
次回は学校編。
……色々書く事在り過ぎです。
では次回にて、又お会いを。

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