みさとさんがくるよ。
むねのおおきなおねえさんがくるよ。
つかまったらたいへんだよ。
だれもにげられないよ。

いっしょう、にげられないよ。






おねえさんといっしょう

presented by グフ様







カチッ。


――あの女をもっとヒドイ目に合わせて下さい!


カチッ。


――とんでもない奴ですよね! もっともっと酷い目にあわせないとイカンです。


カチッ。


――スカッとしました! 次はどんな責めが待っているのか、楽しみです!


カチッ。


――憎んでも憎み足りません! 偽善の塊であるあいつを地獄の業火で焼き払って下さい!


ガンッ!


「うっせえボケ」

一言吐き捨て、男が手にしたマウスを放る。暗い部屋、モニターが照らす青白い顔。
堆く積もった灰皿からまだ吸えそうな奴を引き抜き指で伸ばし、ジッポを灯す。
オイルの香り、黒い煤を焼きじりじりと赤く灯る火、やがて立ち上る湿った煙。
まるで泥の様だ、と男は思う。誰かの口から吐かれた汚泥によって埋め尽くされる掲示板。
自分の息が白い、などと思う奴がここには居るのだろうか。
それを見て一人唸る自分も他人の事は言えないが。

「センパーイ、飯買って来ましたよー、ってうわっ!何この部屋!けむっ!煙っ!」

勢い良く開け放たれたドア、薄暗い部屋に飛び込んで来た女。
あからさまに嫌な顔を作り、閉め切られたカーテンと窓を開ける。
煙と埃と悪意が混じる淀んだ空気が夕暮れの空に溶けていく。
やけに乾いた西日が男の横顔を照らす。

「うおっ、まぶし」
「そのネタ旬過ぎてます。ああ、もうなんて顔してんスかあ!」

眠たげな眼、酷い隈、無精髭。

「あー、何やってんだろ、俺」

と、女の持つ紙袋をひったくり、ごそごそ手を入れ。

「おいアオバ、何だこれは」
「何ってランランルーのビッグランランルーですが」
「俺がハンバーガーって言ったらモズなんだよ!」
「コーラと言えば?」
「ペプシ」
「うわ信じらんないこの人、三十路入ってもまんまヤンキー」
「嫌いなんだよ、あのピエロ」

と、言いつつも一口で頬張る無精髭。

「んで、センパイ。見終わりましたぁ?」
「今丁度終わったよ」
「お疲れさまっス」
「丸々三日潰したなあ」
「うわぁ。それで、ありました?」
「うーん、ねえな、さっぱりだわ」
「失踪とか、消えた、とか、一切ですか」
「あるのは相変わらず、牛だ髭だ、どーたらこーたらとトンチキな話ばっかでよ」

うーん、と大きく背を伸ばす。

「なんなんだよここは」

フライドポテトを一本取り出し、女がぱくり。

「欲望の坩堝(るつぼ)、断罪の世界、ロゴス無きヘイターズワールドへようこそ」

と、意地悪く哂うそばかす女、アオバ・シゲ。

「自業自得っスよ加持センパイ。あーたが手ェ挙げたんスから」

化粧っけ無い女の顔からはふぅ、とため息ひとつ。
それを横目に見やり、口に付いたケチャップを拭い愚痴る男、加持リョウジ。
彼の前に置かれたモニター。映し出される“Convicted”の文字。
創作系SNSカフェ・エッジ内、新世紀エヴァンゲリオン二次創作コミュニティ“コンヴィクト(Convicted)”。

「んで、手に入ったんですか? 本編」

本編、それは今から約15年前、2000年に放映されたと言われるTVアニメ、新世紀エヴァンゲリオン。
当時は深夜時間帯とあって一般への認知度こそ低かったものの、一部に熱狂的なファンを作ったと言われるこの作品。
襲い来る化物との闘いで少年少女達が理不尽な闘いに投げ出され、やがて一人、また一人、と倒れて行く。
という、まったく救い様が無い、ほんとうにどうしようも無い内容、らしい。

「そんな暇ねえよ」
「んな事言って見たんでしょ? センパイ結構真面目だから」
「見てねぇって」
「へー」
「あんだその顔は」

まるっきり信じてないアオバの瞳。

「実はぁ、隠れファンだったりしてぇ」
「犯すぞ」
「どうぞ」
「ごめん」
「うわ最悪」

横を向き、ちっ、と舌を鳴らす女。寒気を感じ話を逸らす男。

「いや、でもコミュのログ漁って見ても本編見てねぇ奴ばっかじゃん」
「あー、センパイ、あんたもっスかぁ」

実際そういう話は多いらしい。つまり本編からでは無く、二次創作から入るファン達。
15年もの間に歪められる情報、当然の事ながら誰かの意図が加えられた二次創作物を本編と曲解し、
それらが積み重ねられ、三次創作物ともいわれる似ても似つかない物へと変化を遂げる。

「まさにミニチュア版だよなあ、文化の変遷、その過程ってヤツの」

例えば言語。一つの言葉が伝播する過程で、距離を置くほど、介した者が多ければ多いほど変遷を遂げる。
方言、と呼べるレベルのものから既に原型を留めないものまで。そこから全く新しい言語が生まれる事さえある。
文字も文章も、それを見た者の受け取り方によって時に意味を変える。
ネットという蜘蛛の巣で覆われた現在も、曲解という名の伝言ゲームは終わらない。
ヒトが思考する生き物である限り。

「でもこれは、ちょっち異常っスねえ」

特にエヴァンゲリオンに関しては設定自体曖昧な箇所が多いと聞く。
だがそれは制作側の意図とも取れる。つまり、話の隙間を埋めるのは、貴方なのだ、と。
そして“それ”は、その最果てとも言える場所で起こった。

「だからあんな噂や、今回のような事も起きるんですかねえ」
「確かになあ。フツー信じられねえよなあ、こんな事」

エヴァンゲリオンを中心に扱う二次小説投稿コミュニティ“コンヴィクト”。
結末を良しとしなかったファン達がその名前の通り自ら筆を取り物語の改変を試み
一方的に“断罪”を行う、かなり偏った嗜好のコミュニティ。
開設から現在に至るまで爆発的に登録者を増やし、夜な夜な熱い議論が飛び交ったという、だがしかし。
約1年前から、併設されたチャットで不気味な噂が流れ始める、曰く――。

「こんなん都市伝説の類じゃねえか」
「まあそうなんスけどねえ」

常連達が何の前触れも無くひとり、またひとり、消えて逝く。
消えたハンドルネームは二度とネットに現われる事は、無い。

「都市伝説てのは、あくまで噂止まりなもんスけど。この案件、ある一点は事実ですし」

それは些細な切っ掛けだった。メンバー達がログイン・アウトを繰り返すチャット内で起きた異変。
ほぼ1週間もの間ログアウトせずに常駐し続けるハンドルネームが三つ。話しかけても答えは帰って来ない。
俗に言う“寝オチ”状態、おそらく何かのエラーで常時接続状態のままで本人は気づいていないのだろう、
というのが通説になりつつあったある日、その内の一つから突然、メッセージが入る。

“こちらに頻繁に兄がお伺いさせて頂いていた様ですが、実は”

妹、と名乗る人物によれば、当人は1週間前、自室のモニターの前で倒れて居た所を家人に発見されたとらしい。
現在意識不明で入院中。原因は不明。着替えを取りに部屋に入った彼女がスリープ状態のPCに気付き
キーを押した所、モニターにチャット画面が浮かび上がったという。

「そりゃバタンキューすんだろ、今の俺みたく昼夜徹してこんな事してりゃ」
「あー、それがそうでも無いんス。普段は平均3時間程度だったらしいスよ、親御さんの目ェ厳しくて」

結果を言えば、常駐し続けるハンドルネーム3人の中で、唯一、彼だけが存命。
他の2名は手遅れだった。そして彼等は偶然にも、ここ第三新東京市に居住。これが全て。
果たして事件なのか偶然なのか。曖昧過ぎる案件、故に未決案件。
ただこの件が噂を呼び新しい物語を作り始めている事も無視出来ない事実だ。

「まあ俺はいいよ、手ぇ挙げたし、だがよおアオバ」
「あい?」
「おめえまで付き合うこたぁねえんだぜ」
「なーにいまさら言ってんスか水臭い!」

バン!と男の背中を叩くアオバ。

「ってーなっ!」
「アタシとセンパイは一連托生!乗りかかったタイタニックっすよ!」

男は一応、警察官という肩書きを持っている。但し、警視庁ではなく察庁、つまり警察庁、いわば役人。
所属は警備局公安課。公安というと物々しい雰囲気ではあるが警視庁公安部のような実働部隊とは違う。
便宜上、第三新東京市に置かれた連絡員とでも言えばいいのだろうか。
しかも本人は公僕万歳!と進んで異動を申請したという。

「っていうかババ引いてません? センパイ」

三十歳にして夢にまでみた隠遁生活。まったりだらだらセカンドライフ、しかも給料付き。
万歳! ありがとう国民の皆様! 俺を養ってくれて有難う国家公務員万歳!と
キャリアの崖っぷちに椅子を置いて悠々自適、分散遷都計画の隙間で高笑い、の筈だった。

「ラク出来ると思ったんだけどなあ、ココなら夢のハッピーリタイア、ってよ」

分散遷都計画、それは一極集中で肥大化した都市機能のリスク分散の為、遂行中の10ヵ年計画。
第一極的首都機能を持つ東京・札幌・名古屋・大阪・福岡。
それを補佐する第二極的機能を持つ第二首都を各第一極首都の周辺に配置。
それに伴い新設されたのがここ、第三新東京市。
この街は移行期間中に情報が散在せぬよう首都機能を最低限維持させる為に必要な記録と記憶をコンクし、
移行完了時には速やかに各都市に向けそれらを解放するという役目を負っている。
つまり、第三の名を持つこの場所は情報書庫、いわばアーカイヴ都市としての意味合いが強い。

「サボってハマっておーまいがっ!っスねぇ、センパイ」

異常な程犯罪発生率の少ないこの都市で、まるで居眠りを続けるようなこの街で。
第三と名が付く以上、便宜上の常駐員は最低限必要、という存在“だけ”が必要なこの部署で。
でも一応、カッコだけは何かしとかないとなあ、地域の皆様の為に何かお手伝いしないとなあ、形だけは、と
加持が数ある未決案件の中からえいやっ! とファイルを引き当てたのがこの案件、だったらしい。だがしかし。

「なあ、アオバ。おめえ何でココに居るのよ」
「いやなんか、面白そうじゃ無いスか」

間借りしているとはいえ中央からの“一応は”お客様が手伝ってくれるというのに
せめて補佐を、形だけでもお手伝いを、と加持が間借りしている庁舎の署長が気を使い手を回し
はいはーい、と手を上げ、のこのこ笑いながらやって来たのがこのアオバ・シゲ、らしい。
何故か加持を先輩と呼び、語尾に“〜ッス”を付ける癖を持つ、妙に馴れ馴れしい女。
彼女曰く、年上は基本的に先輩っスから。

「でも署長、怪しんでたっスよぉー。あの居候、何で管轄外の、正直どうでもいい案件に
 顔突っ込んだのかって。何か裏があるんじゃないのか、って」
「まさかあのタヌキ、未だに俺を切れ者、って誤解してなくね?」
「ふふふのふ。皆は騙せてもシゲ姐さんは騙せませんよお、加持センパイ。
 昼は行灯、実は剃刀、ってまさにテンプレ通りじゃねえッスか!んで、あたしはその目的を探るべく
 近づいて来た美貌の女二重スパイ、しかし、ああしかし! なんとういうことでしょう!
 淀んだ瞳の奥、強烈に光る獣の眼光に射抜かれた哀れなアタシ、このセクシーダイナマイツは
 いつしか男にその身を委ね、悔恨と快楽に身を悶え、深い奈落の底に堕ちて行くンですよ!」
「だめだこいつなんとかしないと」
「ああんもうケダモノ!どうですこのセクシイダイナマイツと共に堕ちて」
「うるせえ貧乳洗濯板、十二月二十五日午後十一時四十五分過ぎのクリスマスケーキ」
「つるぺたって言うなあ!売れ残りって言うなあ!賞味期限ギリギリって言うなあ!」

涙目で喚く胸だけ幼児体形な女をさらりと流し、加持がモニターの横に積まれたファイルに目を移す。

「ありっこねえよなあ、ハマったら逝っちまうサイトなんざ」
「Vシネマのホラーっぽいですねえ。あ、そういえばセンパイ」

何かを思い出した様にアオバが語る。

「その類で今、子供達の間で流行ってる噂、知ってます?」
「子供ったらおめぇ、口裂け女、とか白いメリーさんとか、かあ?」
「みさとさん」
「あ?」

不意に女が呟く、まるで呪詛のように。

「みさとさんがくるよ、むねのおおきなおねえさんがくるよ。つかまったら、いっしょうにげられないよ」

それをただ見つめる男の眼。

「みさとさん、ってお前」
「そうそう、そうなんスよ」

みさとさん、みさと、ミサト、葛城ミサト。
エヴァンゲリオン主要登場人物、そしてコンヴィクトにおける主役、つまり断罪対象。

「派生、かな」
「ていうと?」
「騒ぎを聞きつけた誰かから誰かへ、誰かからガキへ、そしてガキからガキへ伝言ゲームみたいに伝わって」
「でもセンパイ、カフェ・エッジ運営側から提出されたコンヴィクトの全ログ、目通したんでしょ?」
「ああ、見たさ、読んださ」

がりがり、と頭を掻く加持。

「ワンパターンな牛やら髭やらヌッコロシ系小説から僕ヒーロー的ポエム系小説、果ては妄想全開論文もどき。
 んでもって、それを助長するような胸クソ悪い掲示板での発言類に至るまで全部まるっと目通したさあ。
 ってかすんげえ膨大な量あるじゃねえか、テキストデータ部分だけで10ギガ超えっておかしいだろあそこ」
「でも今回の案件に関わる噂、失踪とか入院とか亡くなった常連とかの書き込み全然無かったんでしょ?」
「ああ、無かったよ」

にやり、と笑う無精髭。

「それが確認出来ただけでも、な」

意地の悪い哂い顔を横目で見やり、あ、何か企んでいるな、と思いつつ話を戻すアオバ。

「唯一の証明はチャットログ、と、ホトケさんになられたお二人、と」
「中央病院で眠ってる、彼、だな」
「消したんですかね、運営側が騒ぎを恐れて」
「さあね、もしかすると、あえて誰も話題にしないのかも、な」
「と、いうと?」
「みさとさん、とやらの復讐を恐れて、じぇねえの?」
「まさかぁー!」
「だよなあ!」
「はははははっ」
「あはははははっ」

やけに乾いた笑いが部屋に木霊する。

不意に沈黙。
やがて、少し神妙な顔で口を開くアオバ。

「あたし、本編見たんスけどね」
「ほう」

それを聞いた加持の瞳が一瞬、暗く淀む。

「まあ確かに救いようの無い話で、登場人物なんかみんなダメダメで。
 基本的に自分の都合中心で、主役も脇役もみんな同じで。
 というかお話全体がお互いを求め合って傷つけ合う、ヤマアラシのジレンマなのに」

女を見つめる男の瞳はまるで錆付いた鋼のようで。

「センパイ?」
「見たんだな」
「はい、それが?」

ふう、と一息吐き目を閉じる加持。
いやすまん、続けてくれ、と男が先を促す。

「え、えーっと、誰かを悪者にして済む、そんな単純な話じゃなかったと思うんスけど」
「スケープゴート、だろ」
「生贄?」
「どうしようもなく救い様の無い話だからこそ、何故そうなったのか、何とか出来なかったのかと
 見る側にはフラストレーションが溜まる。ならば、それならば自分が、と筆を取る奴も出るだろう。
 あのコミュニティの中でも、ああ上手いなあ、と思わせる話はいくつかあったさ。でも大半はアレだ。
 そりゃそうだ難しい話よりも単純な、例えば勧善懲悪的な構造の方が受けがいい。つまり誰が悪いか悪者探し。
 そいつを叩いてスカっと爽快。そして、鬱憤の捌け口として選ばれたのは、一番隙のあるあの女、さ」
「でも、本編見ずに二次創作だけで解った気でいる奴は」
「いや、そういう風に信じ込んでいる奴の方こそ、まだ救いがあるよ」
「そんなもんスかねえ」
「救われねえのは、解っていて、囃し立てる奴さ」

本編と違う? そんな事は重々承知、でも、いや、だからこそ、見たいんだ。
あの女が無様にのた打ち回る様を、虐げられ哂われ踏まれ刻まれ切られ果てる様を、見たいんだ。
良心が咎める? ならもっと酷い奴にしよう、思う存分拳を振るえるように書き換えよう。

「自分が吐いた言葉は、いつか必ず自分に返ってく来るのに、さ」

そうだ、あいつはわるものだ、ひどいやつなんだ、だからなにをしたっていいんだ。
わるものだからどんなことをしたっていいんだ、ころして、ころして、しんじゃったらまたいきかえらせて。
ころして、ころして、いきかえらせて、ころして、ころして、きがすむまでなんども、なんども、なんども!

「可愛いじゃないですか」

ふふっ、とアオバが笑う。

「ほう」
「何かほら、おかあさんに駄々こねる子供っぽくて」

おかーさん、ねえみてよ、なんでみてくれないんだよ、なんでいうこときいてくれないの。
おかーさん、ねえ、おかーさん、こっちみてよ、ぼくを、わたしを、みてよ、かまってよ!

「本当に、可愛い」

呆けるように潤む、女の瞳。

「おーい、戻ってこい」
「はっ!」

我に返る女。

「あ、すんません、軽くイっちゃってました」
「おかあさん、かぁ」

ふう、と加持が溜息ひとつ。

「やった事ありません?子供の頃、なんかむしゃくしゃした時、母親の背中ポカポカ叩いて。
 ばかばかばかばか!って。ほら、子供って純粋なようで実は結構抜け目無いじゃないですか。
 これくらいなら怒られないギリギリの折衝点みたいな所を本能的に解ってる、っていうか」

ばかばかばか、きらいだ、おかーさんなんか、だいっきらいだ、ばかばかばか、しんじゃえ!

「でも結局馬鹿なんで、ヒートアップしてやりすぎて、引っぱたかれて」

あんたは!親に向かって死ねなんて!なんて事を!謝りなさい!この!このっ!
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!もうやりません!ごめんなさぁーい!

「そうやって、ここまではセーフこの先はアウト、っていうコミュニケーションの基礎を学ぶんですよねえ」
「そんなもんなんかねぇ」
「子供の頃、そんな経験ありません?」
「あー、親父もお袋も居なかったからなあ、その辺が理解出来ねえんだよなあ」
「あ」

不意に言葉を止めるアオバ。

「ご、ごめんなさい」

俯く女を見て、あ、しまった、と加持がバツの悪い顔をする。

「あ、あたし、そんなつもりじゃ」

そうだった、こいつの前じゃ、つい口が緩む。
まいった、まいったなあ、と頭を掻く。なぜこんな単純なヘマを、と加持は思う。
まったく不思議な女だ、こいつは。何故か話してしまう、何かさらけ出してしまう。
人懐っこい、というか、心の垣根を取っ払い、無防備にさせる何かが、こいつには。

「シゲよぉ」

俯く女の頭を、くしゃっ、と撫でる男の手。

「らしくねえぜ、おい」

そして、むにぃ、と頬を軽くつねる。
女は抗わない、ただ俯いて、微かな朱色に頬を染め。

「ま、ひととおり見終わったんで」

パタン、とPCのモニターを閉じながら男が笑う。

「中央病院の面会時間も終わったっぽいし。今日は終了、って事で飲みいくか、アオバ」

ぱあっ、と満面の笑みで頭を上げるアオバ。今泣いたカラスがなんとやら。

「うぃす!」

ぐしゅっ、と鼻水を啜りながら。

「あ、あたしたくさん割引券持ってるっス!」
「どこのだよ、おい、まさか」
「えーと洋風居酒屋バッバン亭でしょ、カフェ・テメ-ズ-ドンでしょ、焼肉DONDONヒューでしょ、
 おでん屋エデンでしょ、フレンチのバッ・リーンでしょ、あと」
「却下。テラサー系は絶対却下」
「何でっスか! 安くて奇抜なテラサーグループの何が不満なんですか!」
「安くて奇抜で、不味いじゃねーか!」
「安ければ何とかなるッス!」
「腹壊すんだよ!あの系列店で何か喰うと!」

上着を羽負い部屋を出る加持。

「おら、行くぞ!」

子犬が尻尾振るうように後に続くアオバ。

「へへへー、合点承知!」

落ちる西日、赤く染まる部屋。
不意に訪れた静寂。散らかった机上。
吸殻で埋まった灰皿、ハンバーガーの包み紙、投げたペン、積まれたファイル、
閉じられたノートパソコン、その横。

放り投げられたまま仰向けになったマウスから、音。



カチッ。








【第ニ話】パイドパイパー








――赤い糸って知ってる?

――糸? あの小指についてるっていう、あれか?

――そう。運命の二人を結びつける赤い糸。

――運命、ねえ。

――もし、その赤い糸がたった二人だけじゃなく、
  もっと大勢の人達の中で結ばれ絡みあっていたとしたら?

――ありえねえよ、もしそうなら、それは操り糸だ。

――あやつりいと?

――そうさ、意地悪な神様の繰り糸。絡んで絡んで絡み合って。
  踊って踊って踊りまくって、そして、ぷつん、だ。

――いじわるな神様。ふふっ、確かにね。

――それが君の仕事かい?

――そうよ。遺伝特性による行動原理、仕組まれた運命、赤い糸。
  人々を結び操る繰り糸、それを解きほぐすのが、私の。

――つまり、それが。

――そう、プロジェクト・アルカ。





「センパイ、起きてます?」

夕暮れの中、うたたねの眼が開く。

「あー、ちと飛んだわ」
「お疲れですねえ、着いたら起こしますから」

一瞬、夢を見た。何年か振りに、彼女の夢を。

「いや寝れねえって」

狭い車内に押し込められ背後から爆音。
なんか微妙に熱い車内、エアコン? 何それ、おいしいの?

「何なんだよこの車、五月蝿いばかりで全然進まねえじゃねぇか」
「元祖ドッカンターボなんで、低速域じゃしょうがないんス」
「狭いしノロイしうるせえし微妙に熱いし何か臭い」
「あやまれ!マニア垂涎10年ローンのサンクターボさんにあやまれ!」

相変わらず変なトコにこだわってんなあ、と半ば諦め顔でぼんやりと外を眺める加持。
全開の窓から風が舞う、埃の匂いが鼻をくすぐる。はりぼてのビル、その向こう、山間に沈む夕日。
黄色いプリズム、赤と青のグラデーション、その上に星が瞬く。

「この分じゃ明日もいい天気だなあ」

あいつも、この街のどこかで、きっと。



――ねえ、加持君。私達の糸、切れたかな?

――そんな軟い糸じゃ無いだろう?俺達は。

――それならまた、会えるわね。

――そうだな、その時は。

――見逃してくれる?

――容赦しねえよ。

――楽しみね。それじゃ、バイバイ。



かつて別れた女。彼女は今、この街に。



――ああ、さよならだ、りっちゃん。



意識していなかったと言えば嘘になる。ここに赴任する、という事はそういう事だ。
寄りが戻せるなんざこれっぽっちも思っちゃいない。出来れば出会わずにやりすごせたら、と思う。
だがそれはもう無理だ。俺は踏み込んだ、一度は忘れ去ろうとしたこの件に、やり残した仕事に。
愛し慈しみ傷つけ合い裏切り裏切られたあの日にケリを。だから、俺は、ここに、いる。


「ってよお、アオバ」
「なんスか?」
「この方向、旧市街じゃねえの」
「こっちでいいんスよ」
「新市街の方が店豊富だろうに」
「いやぁー、いいトコ見つけたんス、格安で飲めるトコ」
「なら、いいけどよぉ、それならそうで帰りラクだし」

あの日からもう何年たっただろうか、と男は思う。

「なーんかボコボコとビル建っちゃってますねえ」

静かな山間の街、墓標のように佇むビルの群れ。

「実際テナント埋まってんでしょうかねえ」
「ガラガラらしいぜ」
「まあ第三っスからねえ。中央からの移管って言ったら、第二研ぐらいのもんですか」
「科研の第二分室かあ、何かとキナ臭ぇ噂絶えねえからな、あそこ」
「なんか噂じゃ、犯罪で亡くなった被害者の脳ミソほじくり返して、直前映像拾ったりとか
 相当倫理的にヤバイ装置作っちゃったとか何とか、怖いっスよねえ」
「へー。脳幹MRIスキャナ、完成したのか」

じろり、アオバを睨む加持。

「おめえ、何で知ってるんだ? 確か特秘だぜ、それ」
「いやあ、ネットの噂でぇ」
「んな訳ねえだろ、あの第二研が」

あはははは、と笑いながら何か変な汗を流すアオバ。

「ははははは、っと、センパイ」
「んあ?」
「噂って言えば、あの“みさとさん”っスけどね」

ハンドルを握るアオバが不意に呟く。

「うらやましいですよね」

前触れも無くいきなり何言い出すんだこいつは。

「はあっ?」

と、加持が首を捻る。

「あんな公然レイプみたいな状況を羨ましいってお前、ドMだなあ」
「Mっけはありますけどお、って違うっス! そうじゃなーくーて」

ハンドルの向こう、此処ではない何処かを見つめながら女が呟く。

「愛情の反対語って、知ってます?」
「憎悪か?」
「無関心、ですよ」

彼女は答える。
愛情の反対は無関心、または、忘却。
かつて世界の母と慕われ、愛をばら撒いた女の言葉ですよ、と。

「どんなに憎まれようと、蔑まれようと、ミサトという名前は、彼等の中で生き続ける」

素敵だと思いません? と、蕩けた女が笑う。

「憎んで、憎んで、憎まれて、でも、決して忘れ去られる事も無く」

愛憎とは表裏一体、と言ったのは誰だっただろうか。愛する事、憎む事、それは、同じ事だと。

「俺は、ごめんだね」

忘れたい事が多過ぎる。いっそ全て消えてしまえ。と、男が吐き捨てる。

「アオバ」
「あい?」
「お前も、そうなのか」

たとえ激しい憎悪に刺されても、それでも、誰かに。

「センパイにだけは、覚えていて欲しいなあ」

女が笑う、夢見るように。

「ばーか」

男が笑う、口の端を歪めて。

「あ、馬鹿って言った」
「ばーか、ばーか」
「馬鹿って言った方が馬鹿なんスよバーカ、バーカ!」

流れて行く街灯の群れを掻き分けるように、騒がしい馬鹿二人を乗せて進む青い車。
それはやがて街の中心を離れ、かつて温泉街として隆盛を極めるも時代の流れに飲まれ
やがて衰退の一途を辿った夢の跡、旧市街を過ぎ、一軒の大きな数寄屋造りの家の前に停まり、ライトを消した。

「おい、アオバ」
「あい、センパイ」

表札に“冬月”の文字。

「なんだここは」
「酒と肴は署の隣、日吉酒店で仕入れておきました」

シートの後ろから、がさごそとビニール袋を取り出すアオバ。

「なんで、俺の、下宿なんだ、と、聞いている」
「一人頭2000円になりまっス、あとで徴収しますんで、よろぴく」
「アオバ、いやさシゲ」
「あい」
「俺、お前に下宿先教えたっけか」
「いやほら緊急連絡先として前に教えて」
「ねえよ」
「えー、そうでしたっけ?」

白々しく笑うシゲを睨み。
こいつ、抜いたな、と加持の直感が告げる。
さっきの第二研特秘事項の件といい、抜きやがったな、てめぇ。

「あ、着替えはありますんで、お気遣い無く」

だめだこいつ、ほんとうになんとかしないと。











「えーと酒は、定番のエビチュ、通ドッグ、フナムシ菊水一番縛り、どれがいいスか?」
「おい」
「肴はサキイカ、ノシイカ、スルメイカ、炙った烏賊、と」
「おい!」
「あー、冷蔵庫、なーんにも無いスねえ」
「うぉい!」

上着ブン投げ、あついあついと胸元空けつつ、ストッキング脱ぎ捨てるアオバを見て
あーこいつ誘ってんだろうなあ、っていうか誘い方知らねえんだろうな生娘が、と
なんかもうどうでもよくなって来た加持。とりあえず頃合見てシメてやる。

「あー、風呂付きッスねえ、いいですねえこの離れ」

もともとは小ぶりで由緒ある割烹旅館だった敷地建物。
廃業に伴い現家主が買い取り、個人宅に改装したのがこの家。
母屋には家主が住み、広い庭先にある二つの“離れ”を下宿に。
そのうち一つを加持が間借りしている。

「ああんもう、汗でべ・と・べ・と、うふん。という訳でお借りしまッス」

はぁっ、とため息をつき、勝手にしろ、と手を振る加持。

「あ、センパイ」
「なんだよ」
「のぞいちゃ、らめよ」

ぶおん! と座布団が宙を舞う。
バン! とアオバが間一髪扉閉めてガード。
あーダメだ、何かダメダメだ、頭冷やそう、とサンダルを履き外に出る加持。
元は旅館という事もあり、それなりに広く趣のある庭。
鼻腔に満ちる草の香り、夜露の匂い。

ここは、変わらねえなあ。

と、夜の庭を見渡し遠くなった過去を望む加持。
唯一変わったと言えば、明かりを灯す事無く闇夜に沈む、もう一つの離れ。
二度と戻らない、置き去りにした過去の残骸。
ひやりとした秋の風が髪を揺らす。首を振り、母屋に目を向けると。

「おーい、加持君」

初老の男が縁側から手を招く。

「冬月先生」

おいで、おいで、と手を招く。

「一杯、付き合わんかね?」

グラス片手に家主、冬月コウゾウが呼ぶ。

「あ、すんません、ありがたくご相伴に、はい」

とりあえず突発性発情欲情売れ残り寸前処女から避難、避難、と
苔むした石畳を進み、母屋の軒先へ顔を出す。
はーどっこいしょー、と爺臭い掛け声と共に縁側に腰を降ろす加持。

「すいません、今日お戻りとは気づきませんで」
「いやいや、受け持ちのいくつかが来週に回ってね。
 それならば、と早めに帰ってのんびりとしていた所さ」

と、グラスを手渡しウイスキーを注ぐ家主にして下宿の大家。

「今週は京都、でしたっけ?」
「ああ、勝手知ったる古巣へね。来週頭にはどんぼ返りだが」

冬月コウゾウ。形而上生物学の父、とも呼ばれた男。

「はは、だったらゆっくりされてらしたら宜しかったのに。
 あちらにも懇意にされておられる方、多いんでしょ?」

かつて戦後京都学派をその母体とする京都大学人文科学研究所から派生し
異端と言われつつも畏怖と羨望を注がれた一派、京大生物学研究室、通称、冬月研究室。
今まで哲学的考察止まりであった形而上生命に対し、初の実証的研究へとシフトさせ
形而上生物学という新たな世界を切り開いた先駆者、それが冬月コウゾウ。
量子コンピュータでシミュレートされた架空の環境内で進化する仮想生物の研究から
人間の進化過程をも追跡するその手法は、当然センセーショナルを巻き起こし新たな時代を切り拓く。
誰かが言う、曰く、冬月は神も悪魔をも計算する、と。

「いや、まあ、そうだな。実を言うとね、加持君」
「はい」

そして、かつて孤児であった加持を引き取り、
かりそめとは言え一時の平穏を与えた、彼にとってはかけがえの無い恩師でもある、だが。

「帰って来た君と、一度ゆっくり話がしたくてね」

冬月の娘、リツコとの別れ。その後、ここを出てもうどれくらい経ただろう。
意識していなかった、といえば嘘になる。お互い、避けていたのかも知れない。

「リツコは、まだ見つけられないのかね?」
「ええ、というか探してすら居ませんが。先生の所には?」
「全く音沙汰が無いよ、あの親不孝娘は」
「本当に先生にはお世話になりっぱなしで。
 第三に赴任が決まった時も、こうしてまた部屋を貸してくれて。
 というか、空いていて驚きました。此処、人気あったんじゃないですか?」
「君達以外には、貸さんよ」

君達、それは加持と冬月リツコ。かつての住人。

「ありがとうございます」

心から頭を下げる加持。戻れる場所をこの人は残しておいてくれた、と。
例えそれが、戻るべき時をとうに過ぎ、既に遅過ぎたとしても。

「もう今更、何故、とは聞かんがね」
「申し訳ございません」
「頭を下げるのは私の方だよ、加持君」
「そんな、止めてください」
「あれが君に対して行った事の責任、その大半は私にある」

進化の袋小路、オメガポイント、形而上生物、仮想から現実へ、そして。

「プロジェクト・アルカ」

加持が呟く。冬月が目を閉じる。

「なるほど、だから、君が来たのか」

政府すら迂闊に介入出来ないプロジェクト・アルカ。
その本拠地、第三新東京市。その監視役として男は来た。
かつて、望まずとも関わってしまった者、加持リョウジが。

「まさに、これ以上無い人選だな」
「なんか俺の事、切れ者みたく誤解してる奴が多くて」
「これでも私は、相当過小評価をしておるつもりだが、ね」
「ただ普通に仕事こなしていた、だけなんですけどね」
「感情を込めず、ただ機械的に、かね」
「ええ。それが俺の仕事上の長所であり、人間的な欠陥です」
「その笑顔も、かね」
「ええ」

加持が笑う。

「そこが最大の問題なんですがね」
「そうだな」

あの無邪気な顔をした14歳の少年は、もう居ない。

「俺は犬ですから。飼い主の犬、国の犬」
「加持君、君は犬でも、野犬だ」
「ははっ、そりゃいい。野良犬なんて最高だ」
「違う野良犬じゃない、そんな可愛い物じゃない、野犬だ、野生の犬さ、加持君。
 君は主人の為で無く、ただ喰うために獲物を追う、そして決して逃がさない。リツコも、そうなのだろう?」

草むらから虫の声、秋の夜長、闇の中から囁く音。
そして、恩師に向けただ微笑む男。肯定も否定もせず、ただ、哂うだけ。

「私は何度も忠告した。亡き母親の、ナオコの影を追うな、お前はお前だ、と。
 だが、あの娘は止めなかった、進み過ぎた、そして一線を越えた、超えてしまった。
 見抜いていたのかも知れん。私の、彼女に対して最後まで一歩踏み込めきれ無かった意気地の無さを。
 血が繋がらぬ再婚相手の連れ子と、意識しない様に心掛け振るまっていた事、それこそが負い目だと」

目標は高いほうが良い。だが、相手が死者となればそれは、無理だ。
追えば追うほど遠ざかる影。もし、生きていたのなら、互いに肩を並べ比べる事が出来るなら気付けたかも知れない。
自分が既に、遥かその先を進んでしまっているという事に、だが。

「今、何処まで進んでるんですか?」
「フェイズ・セヴン、と聞いている」

第七段階、そこまで。加持の顔から笑みが消える。

「もう誰も止められない、発端を作った私ですら、だ」
「冬月先生」

ならばもう聞くしか無い。出来れば巻き込みたくは無かったが。

「エヴァンゲリオン、覚えていますか?」

15年前に作られたフィルム。

「忘れるものか」

深夜時間帯に放映されたらしい、と言われ。当時はまだ認知度が低かったらしい、と言われ。
そう、それらはあくまでも伝聞。確かなのは一部の狂信的とも言えるファンを生み出した、という事。
では、事実は。調べてみるがいい、ならば気づく筈だ。リアルタイムに見たと言う者の少なさに。
26話、らしい。けれどもその全てを揃えたという者は居ない。
設定資料は? フィルムブックは? 確かにあった、らしい。だが現物を持つ者は皆無。
公式画像は? それは有る、ネットに溢れている。だが、どれも皆同じようなものばかり。
当時のアニメ雑誌の特集? それは有る、たった一誌だけ、わずか一回のみ。
まるでそれは、急造された既成事実。

「我々の記憶野から抽出された情報を元に、作られたモノだからな」

あまりにも断片的な情報、そしてそれは、驚く程少ない。にも関わらず15年経った今でさえ、
その形を歪めつつも成長を続ける物語、それが新世紀エヴァンゲリオン。
調べてみるがいい、ならば気付く筈だ。それはとても簡単だ、だがしかし。
一旦それを行えば、お前は膨大な情報に晒される、どれが真実で何が虚偽か。
度重なる分岐、壁、穴、すべて罠。かろうじて這い出たその先が出口であるとは限らない。
そういう風に出来ている。綿密に計算され仕掛けられた迷路。
入口の隣に出口があるというのに、誰もたどり着けはしない。
もっと簡単な方法は、ただ、そんなものは無い、と言えばいい。
数万人の群衆が或る在る有ると笑う中、ただ一人叫べばいい。お前にそれが出来るなら。
そういう風に出来ている。

「第二フェイズ、だったかな、エヴァンゲリオンは」

――もし、その赤い糸がたった二人だけじゃなく、もっと大勢の人達の中で結ばれ絡みあっていたとしたら?

加持の脳裏に浮かぶ彼女の声。

「その物語を完成させたのは、受け手、でしたよね」

15年前に行われた実験。ばら撒かれた断片的な情報。特定条件を満たした者にのみ発現する、記憶。

「既に終わった事だがね」
「それが、どうやら、そうでも無いらしいんです」

と、言うと? 冬月が先を促す。

「少しやっかいな案件に首突っ込みまして」
「エヴァンゲリオン関連かね。君が?」
「ええ。その二次創作に関わる物で」
「二次創作、実験の残滓、か」

パキッ、と冬月が手にしたグラスの中で氷が割れる。

「あの物語を意図的に歪曲して楽しむ、という、やや偏った嗜好者の集まり、ネット上のコミュニティですが、
 そこで起こったと思われる案件の、予備捜査を始めまして」
「予備捜査、つまりはまだ事件と確定されてない、と」
「ええ、未決案件です。一応被害者というか、因果関係はまだ不明なんですが
 入院1、死亡2、という、事故と片付けるには少々やっかいな事になってるようで」
「そこまでの状況で何故予備段階なのかね?」
「因果関係が不明で、何よりもまず被害届けが出ていません。匿名の通報でして」
「だが君は、何かを感じた」
「はい。俺が惹かれたのは、被害者と思われる3人の共通項がそのサイトの常連、という所です。
 15年経った何故今頃? とは思いますが」
「奇しくも時は2015年、か」
「ええ」

グラスの中、揺れる琥珀色の水を飲み込む加持。今夜は何故か喉に染みる。

「さっき連れて来た、というか無理矢理ついて来た同僚、アオバって言うんですが」

ちらり、と離れに視線を移す。
ざばざばと勢い良く流れるお湯の音、ヒトん家だと思ってあんにゃろ、と軽くむかつく加持を尻目に
耳をすますと、上機嫌な声で何やら歌が、夜風に乗って聞こえて来る。

――わたしはっアオバっ♪ あなたのっアオバっ♪ 掃除洗濯お料理セッ

「うおおおおおおおおおおっっっーーーーーい!」

突如離れに向けて奇声を上げビシィ!と突っ込む加持。
ぶはおっ、と口に含んだ酒を盛大に噴く冬月。

「ど、どうしたのかね、突然」
「いえすいません本当にすいません聞かなかった事にしてクダサイ」
「な、何も聞こえんが、大丈夫かね?」
「つ、疲れてるんですかね、はは」

嫌な汗がべっとりとシャツに貼りつく。よりにもよって南ピル子、やばい、あいつヤル気満々だ。
アマギ越えならまだ許せるがあれは駄目だウルトラダメだ。絶対ぇシメる確実にシメる、と拳を握る加持。

「ま、まあいいが、その同僚がどうしたね?」
「この件に首突っ込んで来ましてね」

それを聞き、冬月の薄い目が開く。

「直ぐに止めたまえ、危険過ぎる」
「ええ、俺も適当な所で追っ払おうと思ったんですが、そうも行かなくなりまして」
「何故だね」
「あいつ、言ったんです」

離れを見つめ、男が呟く。

「本編を見た、って」

息を呑む冬月。新世紀エヴァンゲリオン、その本編は確かに存在する、しかし。

「リターナーかね? だが、それなら」

計画の第二展開時、撒かれた断片情報に対し、まるで街灯に集まる虫のように引き寄せられ
自身の記憶野にもうひとつの擬似記憶をが発現させてしまい、記憶障害を起こす事例が続出した。
リターナーの名称は、彼らが一様に別世界から戻ってきた、逆行してきた、と
ほぼ同じ反応と言動を繰り返した事に由来する。それらを総称して、リターナーケースと呼ぶ。

本編は確かに存在する。リターナーと呼ばれる彼らが持つ、その記憶に。

つまり餌なのだ、エヴァンゲリオンという物語は。リターナーと呼ばれる彼らを釣る為の、疑似餌。
リターナー、釣られた魚、記憶が選んだ者、有資格者。箱舟(アルカ)に乗る事を義務付けられた者達。

「そのアオバ君は、君の名前に何らかの反応を示したのかね?」
「そんな素振りは、これっぽっちも」

もし彼女が“本編”を見たと言うならば、リターナーならば気付くはずだ。
目の前に居る男の名前が、もうひとつの記憶にも存在する事に。

「まあ十中八九フカシこいてンだと思いますけどねえ」
「嘘、か、それとも多くがそうであるように、ただ単に見たつもり、なのか」
「断言出来ません、今日聞いたばかりですんで、しばらく様子見です」
「彼の名前は?」
「彼女、ですよ、アオバ・シゲ」

――だれかにぃとられるぅぅ♪くぅぅらぁぁいなぁらぁぁ♪あなたぁぁころしてぇいいでぇえすかぁぁ♪

離れから再び響く声。コブシ回す25歳処女売れ残りの恨み節をサクっと無視。
というか先生、耳遠くなったなあ、と加持リョウジがため息ひとつ。

「ただあいつ、ハックとかのスキル持ってるらしくて、そっち方面から抜いた情報取り混ぜて、
 本編見た、と勘違いしている可能性が高いんですが」

それはそれで問題だが、少なくとも危険度は大きく下がる。

「明日にでも調べておこう。リストにその名前があるかどうか」
「リストって、まだ持ってられたんですか? ヤバくないですか、それ」

フェイズ2実験結果14番目のリスト、R−14(ロールジュウヨン)。
発生したリターナーケース、その全事例を記録したファイル。

「蛇の道は何とやら、だよ」
「すいません、お願いして宜しいですか?」
「お安い御用だ。だが、それだけかね」

君がこの案件に感じた事は、それだけでは無いのだろう? と冬月が問う。

「何かが起ころうとしています、いえ、既に始まっているのかも知れません。
 アルカもリターナーも、それすら軽く吹き飛ばしてしまうような何かが、そう感じるんです」

加持の脳裏に浮かぶあの呪詛。

「俺、アオバ、冬月先生、りっちゃん、プロジェクトの奴等、コンヴィクトの連中、この件に関わる全て。
 俺達は、その意図すら越えて、何かとんでもないものを生んでしまった、そう思えてならないんです」

みさとさんがくるよ、むねのおおきなおねえさんがくるよ、いっしょうにげられないよ。

「ですから、もし」
「もし?」
「先生が、もう一つのリストをお持ちなら」

暗い瞳で加持が応える。

「ハーメルンケース、かね?」

プロジェクト・アルカ、最大の禁忌。

「俺とりっちゃんは、その生き残りだと聞いてます」

加持がこの件に関わらざる得なく為った事件。彼の記憶から欠落した1年の空白。

「俺が今、知りたいのは、たったひとつ」

15年前、この街から忽然と姿を消した14、5歳の少年少女、その数18。

「最後の一人、その名前」

戻って来たのは3人。加持リョウジ、旧姓赤木リツコ、そして、もう一人。

「葛城ミサト、ではないですか?」











「お?」
「あ!」

離れに戻った加持の目に飛び込んで来た光景。
湯上りほかほか卵肌、髪にぐるぐるタオルを巻いて、素肌の上、だぶだぶのワイシャツを羽織り
畳の上にどっかりと胡坐を掻き、カップ酒を片手にスルメ咥える女の姿。

「せーのっ!」

ぶわさっ、とタオルを払いのけ濡れた髪を振り払い、ぶちぶちっ、と胸元のボタンを外し、
急いで姿勢を立て直し、トウの立った元グラビアアイドル崩れのように軽くしなを作り、
その間約2秒、部屋とワイシャツとあたし、の出来上がり。
ほんのりと頬を染め、上目使いでアオバ・シゲが加持に向け一言。

「あはん」
「ドッゴラァッ!」

ゴスッ!ゴスッ!ゴスッ!と臀部に向けて加持が容赦の無いストンピングを連発。
キック!キック!キック!ああ鬼だ、これは鬼だ、キックの鬼だ、 凄い形相だ加持!
これは痛い、地味に痛いぞアオバ、たまりませんアオバ、鈍痛で声が出ないぞアオバ!

「テメェは!テメェは!テメェはッ!」
「痛ッ!痛ッ!痛ッ!ケツッ!骨ッ!痛ッ!」
「さっき何歌った、何歌ったんだよてめえ!南ピル子かてめえ!メイドさんロケンローかおめぇ!
 お次にゃコブシ回してアマギ越えで恨み節かてめぇ!大恥かいたぞドッコラァッ!」
「痛ッ!痛ッ!らめっ!らめっ!らっ!ろぉ!」

おおっと加持、突如キックが止まったぞ、スタミナ不足か、違う違うぞこいつは違う!
どうやらさっきのウイスキーが軽く回っているようだぁー、ぐらんぐらんしてるぞ加持。
おおーっとお、ここでアオバ反撃!加持の右腕を取り、即座に大技、跳びつき腕十字固め!
決まったア!これは綺麗に入った、痛いぞこれは痛いぞ加持、苦痛に歪むキックの鬼! 三十路男危うし!

「ノォーッ!ノォーッ!」
「あんたわあ!おーとーめーのー臀部にぃ!ぬぅあんてぇこーとーうおおおおーーーーっ!」

バンバン、バンバン! ここで加持たまらずタップ! 1R45秒、陥落っ、王座陥落っ!

「ぜーっ、ぜーっ、ぜーっ」
「はーっ、はーっ、はーっ」

畳の上に荒い息を吐きながらうずくまる、三十男と行き送れ女。

「はっ!?」

不意にビクッ、と立ち上がるアオバ。
こいつ回復力早ぇなあ、と加持が思っていると窓の外、暗闇の庭先に向けじぃ、と眼を凝らしたまま動かない。

「誰か、見てる」

呟く女と同じ視線を向け、暗闇を凝視する男。

「誰もいねえじゃねえか」
「居たッス!」
「何処にだよ!」
「感じたっス!このセクシーボマーなバディをねっとりと見つめる視線を感じたっす!」
「その胸のどこがセクシーボマ」
「怖い!あたし怖いわセンパイ!」

と、いきなり加持の胸元に抱き付くアオバ。しかし加持は見た、ギラリと輝くその瞳。

「ごふっ」

抱きついた瞬間、勢い付いたアオバのデコが肺のあたりに激突、というか直撃。
呼吸困難悶絶地獄に陥る三十路男。

「こわーい!たすけてーん!カジセンパーイ!」
「ごふっ、ごふっ、ごふっ」
「抱きしめて!強く抱きしめて!っていうか抱いて!抱いて滅茶苦茶にしてっ!」
「ぐふっ、ごっぐ、がうっ」

両腕でガッチリとハンギング、ゴッゴッゴッと何度も何度も男の胸にデコ打ち付ける石頭。

「いやーーーん!しねよやぁぁぁぁぁぁッ!」
「げるぐぐっ!」

こつん、ぽすっ、どさっ。

勢いを止め、ゆっくりと加持の胸に埋まるアオバ。
そして、そのまま重なり合うように倒れ込む二人。

喧騒が止み、不意に訪れた沈黙。
夜の部屋、蛍光灯に照らされて、固まる男と女、そして。

「あたしじゃ、駄目ですか?」

胸の中で女がつぶやく。

「シゲ」
「あたしなんかじゃ」
「あのさ」
「駄目なんですか」

なんて声を出しやがる。止めてくれ、この声は、まるで嗚咽だ。

「そんなにあの女がいいんですか」

目を見開く加持。
胸元に蹲る女の頭、肩にかかる濡れた髪、小さな背中、柔らかな腰、白く細い足、
華奢な足首、その先に開きっぱなしのモバイルPC、小さなモニター、ぼんやりと浮かぶ画像。

「おめぇ、まさか」

髪を金色に染めた泣きぼくろの女が、モニターの中で微笑む。

「忘れられないんですか、冬月リツコが」

くそったれ、と加持が呻く、何て事をしやがるんだお前は、と。

「てめえ、自分がやった事の意味、解ってんのか」

プライバシー? 個人情報? 違う、そんなんはどうでもいい。欲しいのならくれてやる。
だが、お前がやった事はそんなレベルじゃない、よりにもよって、こいつだけは駄目だ、駄目なんだ。
この画像に写っている女、その情報を探る者、少しでも触れた者、その末路を、お前は知っているか?
だから、俺は、探さなかった。

「解ってます、覚悟の上です」

男の胸で女が呟く。知ってますよと言葉を吐く。ならば、何故。

「仕掛けは全て外したと思います、ですが正直、自信ありません。それでも知りたかった」

私は、貴方に関わる全てを、知りたい。

「なんでだよ、なあシゲ、何でなんだよ」

何故俺に関わる、何故俺の領域に踏み込む。

「一目惚れ、ッス」

ぐしゅ、と鼻をすすらせて顔を上げるアオバ。

「初めてセンパイに出会った時から、ずっと見てたッス」
「お前、趣味悪いわ」
「光栄ッス」

ほら、鼻水。と、箱ごとティッシュを渡す加持。
あい、と応え、びぃーと鼻を啜るアオバ、そして。

「眼です」
「眼?」
「ああ、この人は何て眼をするんだろう、って」

男を初めて見た時、女の心は囚われた。茫洋とした瞳、その奥、鈍く輝く鋼の光。
ああ、この人は笑いながらも決して慣れない、隙を見せれば誰だろうが牙を突き立て噛み千切る。
いつだって飢えている、これはそうだ、獣だ。決して満たされる事の無い獣の眼だ、そして、それは。

「あたしとおんなじだなあ、って」

なるほど、そうか、お前もそうなのか。道理でお前の前じゃ、曝け出してしまうわけだ。
同じ匂いのするお前。道理で、なるほど、なあるほど。
なあアオバ、お前は一体、何を失ったんだ?

「つくづく困った女だよ、おめえは」

くしゃくしゃ、と濡れた髪を撫でる男の手。

「へへへ」

心地良さそうに頬染める女。そして、静かに目を閉じる。
撫でる男の手に己の手を重ね、自分の体に引き寄せる。
それに応えるかのように、男の手が白く柔らかな女の首元を撫でる。
んっ、と女の口から漏れる湿った声。抱き寄せた、夢にまで見た男の頬、そして。
おんなは唇を差し出す。はじめてのおとこに、この震えるくちびるを――

「だが断る」
「へっ?」

コキュッ。

「あ」

ドサリ。

「寝れ」

はーどっこいしょー、と立ち上がり、押入れから毛布を出し、
それを、首が少し変な角度に曲がりつつもすぴー、すぴーと寝息を立てる女に掛ける。

「ほんっとうに、バカだなあ、お前は」

笑いながらもう一度、眠る女の髪を撫でる。せんぱぁい、と寝言が女の口から漏れる。

「ばぁーか」

全て終わったら、この体でよけりゃ、くれてやる。
だが、心だけは勘弁な。それは向こうに置いて来ちまった。

「さて、と」

足元のPCを拾い上げる。モニターで微笑む冬月リツコ、その画像。
挿されたモデム、LEDがチリチリと明滅を始める。だろうな、と加持は思う。
どこに貼られていたにしろ、拾って来たにしろ、誰が何時何処で、という情報は全てあの女の掌中に入る。
そういう仕組みになっている。それだけの事をあいつは、鼻歌交じりで行う、そういう女だ、くそったれ。
今、こうして俺が見ている事も。だがまあ、いい。

「来いよ、りっちゃん」

そう、これは俺の意思だ、俺はここにいるぞ、という通達だ。
俺とお前の、生まれたかも知れない、かけがえの無い存在になりえたかも知れないものを、お前は。
かつて笛吹き男が子供達をさらった様に、お前は奪い、そして使った、同じように使ってしまった。
許す許さないは、どうでもいい、もうこの際どうでもいい。俺はお前を捕まえる。お前の尻尾を噛み千切る。
離すものか、逃がすものか。そうとも、そうだとも、俺は犬だ。狂犬だ野犬だ猟犬だ。
俺の主人は自分自身、俺は俺の為だけにお前を追う。


言ったよな、容赦しないと。













朝の光がフロアを包む。
ガラス張りの天上から降り注ぐ採光。
ロビーの中心に作られた庭、木々が、草が、花が、
この小さなバイオスフェアで呼吸を始める。

「なあ、アオバぁ。病院ってよお、こんな感じだったけか?」

返答無し。

「病院ったら、なんつーかこう、薬臭いつーか芳香剤ぽいっつーか」

無視。

「なあ、アオバぁ」

ぷくう、と朝から不機嫌なデコ娘。

「ひょっとして、怒ってる?」
「あったりまえじゃあ!」

しーっ、と通りかかった白衣の職員が口に指を添える。微笑みながら、額に青筋を浮かべて。

「あー、おこられちゃったあ」
「この、ヘナチン野郎」

犯す、今夜こそ犯しちゃる、と、ぶつぶつ小声で念仏を唱え始めるアオバを尻目に先を進む加持。
二人はやがて広大とも言えるロビーを抜け、ガラス張りのエレベーターが密集する建物の中央区画へと辿り着く。
中央大垂直構"Central dogma"の標識。

「えーっと、神経内科棟の7−Aは、っと」

ビュン、と無言で指指すアオバ、その先にN−7、と記されたエレベーター。

「シゲちゃんよお、いい加減、機嫌直せよ、な?」

ぷっくぅ、とハリセンボンの如く頬膨らますソバカスデコ。

「そだ、朝飯まだだよな、さっき売店あっただろ? パン買って来いや、俺とお前の分、奢るから、な」

と、小銭入れを渡す加持。

「パン如きで釣られる程、わたくし、お安くなくってよ」

説明しよう、この女は怒ゲージがMAXに達するとキャラ設定とか忘れるのだ。

「フルーツ牛乳も一緒に、な」
「にゅ、乳製品で直せる程、わた、あたしの繊細なグラスハートは、簡単じゃなくてよッス」

説明しよう、この女は乳製品がツボなのだ。

「イチゴ牛乳も付けちゃう」
「いってきまッス」

説明? めんどくさいからもういいわ、先いってるからなー、とエレベーターに飛び乗る加持。

「さて」

音も無く昇る箱の中で加持が呟く。

「ヘビと出るか、蛇と出るか、それとも」

箱の隅から顔を覗かせる監視カメラに向って一言。

「化け猫、かもな」

ジィーッ、と絞られるレンズの焦点。
それを睨み、加持が笑う。
歪む口、唇の端から覗く犬歯、彼の本性。
レンズが殺意に晒される。

そして、チン、と軽やかな音を響かせ開くドア。

7階、神経内科棟、静かなフロア。
受付に名前を記し、身分証を提示。病棟の扉が開く。
リノリューム貼りの廊下を音も立てず進む加持、やがて、止まる足。

7−A 碇シンジ と書かれた表札。

声を殺して加持が笑う。なんて名だ、なんてえ名前してやがる。
ファイルを手にした時から知ってはいたが、改めて見ればまた格別。
その文字が、男の五臓六腑を震わせる。押し殺した喉が哂う。
この中に居るのは内気な少年か、微笑みのプリンスか、不遜な天使か、成れの果てか。
さあ、ご対面だ、シンジ君、と引き戸に手を掛け静かに開ける。







“しぃぃん、ちゃぁぁん”







最初に聞いたのは声。暗い部屋の中、淀む空気の中、艶やかな声が響く。







“ねえ、次はどうやって愉しませてくれるの?”







次に目にしたのは少年。青白い肌が仄暗い闇の中ぼう、と浮かぶ。







“愛してるわ、可愛い子”







最後に触れたのは闇。少年の傍らで頬を撫でる手、まつげを伝う指、湿った吐息に濡れた唇。







“さあ、もっと殺して”







その闇は、人の形をしていた。胸の大きな、女のように。










おねえさんといっしょう
第二話/パイドパイパー/了


Can you follow?
Really?






To be continued...
(2008.10.11 初版)


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