もし、あなたが。




あの日、そう、まだ子供だった遠い日。
小川の淵を歩いていたとしよう。
あなたはそこで、目の前に綺麗な石がある事に気付く。
他とはあきらかに違う、ほんの少しだけ輝く光。

さて、その石をどうしよう。

母親に贈ろうか、友達に自慢しようか。
誰にも見せずに机の中にそっと隠そうか。

例えば、母親に贈った場合、嬉しさのあまり彼女はあなたを抱きしめる。
その日はあなたにとって最良の日となり、暖かな気持ちで眠りにつけたかも知れない。
例えば、友達に自慢した場合、羨ましがる友達と石を奪い合い
それがきっかけで喧嘩が起こり、生涯の親友に成り得たかも知れない者を失うかもしれない。
例えば、誰にも見せず机の奥に隠した場合、父親が買ってくれた玩具に夢中になり石の事など忘れ遊びふけり
やがて隠してしまった事すらも忘れ、そのまま失くしてしまうかも知れない。

そして、あなたは大人になる。
石によって分岐した昨日を経て、あなたは今日を生きる。
さて、あの石はどうなっただろうか。

答えは一つ、あなたはその石の事など知らない。
忘れたのではない、本当に知らなかったのだ、いまのいままで。

何故ならあなたは、その石を拾わなかったのだから。

あなたはあの日、確かにその石を見た。
しかし、それに興味の無いあなたは、他とは少し違うその石へ小さなつま先を振り下ろす。
蹴られた石は道端を転がり、瞬く間も無く隣に流れる小川へと。
石は川底に沈み流され削られ、やがて河口で、貧しい家の女の子に拾われる。
表面を削られ光り輝く石、実はその石こそ希少な宝石の原石だった。
女の子は父親に渡す。喜んだ父親はそれを売り大金を手にし病弱な妻の治療に充てる。
やがて妻の病は癒え、夫と共に以前にも増して良く働き、その女の子は幸せになった。

そして彼女は今、あなたと共に在る。あなたの胸に抱かれ、運命を変えた石の事をあなたに話す。
あの日拾った宝石のおかげで家に余裕が生まれ、私は学校に行く事が出来き、あなたに出会えた。
あなたは彼女に微笑む。そうか、それは良かった。僕も君も神様に感謝しなければね、と。
それを人は奇跡と呼ぶのかも知れない。その分岐は運命だったのかもしれない、だがしかし。

もし、もしもだ。

それが奇跡などではなかったとしたら?
運命の分岐など存在しなかったとしたら?

問題は石では無い。それを拾わなかった貴方だ。それを拾った彼女だ。

貴方があの日、石を蹴ったのは偶然では無い。そう設定されていたからだ。
貴方の両親が、小さな川の流れる町で出会い結ばれ貴方を生んだのも偶然では無い、そう設定されていたからだ。
幼い彼女があの日、家計の足しに河口で屑拾いをしていたのも、その原因が母親の病気であったのも偶然では無い。
彼女が原石を拾ったのも父親の親友に宝石の鑑定士が居たのも偶然では無い、そう設定されていたからだ。
つまり貴方と彼女が出会えたのは偶然でも奇跡でも運命でも無い、全てはそう、設定。

遺伝子が支配する行動特性、その設定。

だから、貴方が妻に影響され信仰に目覚めるのも、貴方達の息子がそれに影響され成人し、
青年となった彼がある組織に属し、とある調査の為に訪れた遠い地で、
封印された十二番目の洞窟を掘り当て、そこでシナリオを発見するのも設定なのだ。

だが、しかし。

そこで初めて、設定という鎖に亀裂が入る。
それは貴方の言葉だ。昔、貴方が彼に囁いた一言だ。
想像力豊かな貴方が、小さな彼を腕に抱き運命について語った話だ。

「父さんが子供の頃、もし何気なく蹴った石が、母さんの拾った石だったとしたら」

彼がそれを見たとき、神のシナリオとおぼしきそれを見たとき、一瞬脳裏を過ぎる貴方の言葉。
その瞬間に浮かぶ些細な疑念。かつて無い速さで一つの想像が加速する。
自分と父と母と祖父と祖母と曽祖父と曾祖母と遠い祖先とそれぞれに関わりを持った人達に結ばれた糸。
さらに想像は加速する、妄想を突き抜け幻想を打ち破り遠い遠い彼方へ。

その場所で、彼を待っていたその部屋で、12Qと名付けられた其処で膝を突き彼は思う。
もしこの糸が、上から下へ、右へ左へ、過去から未来へと河口のように拡がり続けるものでは無いとしたら。
もしこの糸が、たったひとつの未来へ、最期の一点に集約されるものだとしたら。
その姿はまるで蜘蛛の網、ならば中心にはきっと。

それは覚醒の瞬間。街師、THE BILDER 、彼(か)の島の末裔 ―― 第一始祖と呼ばれる者達の血。

その瞬間、開封される記憶。
第一始祖民族、白い月と黒い月、使徒と巨人の物語、魂の補完、そして。
彼は理解する。思い出したのでは無い、予め刷り込まれていたのだ。
今日この日の為に、明日から始まる未来へ、避けられぬ終末へ。
そして彼は叫ぶ、ふざけるな、と。


もし、貴方が、あの日。


石を蹴らなければ。
彼女と出会わなければ。
彼を授からなければ。

だがそれは、ありえない。
IFは、ありえない。
だから貴方は、満足も後悔もする必要は無い。





この程度で、糸が切れるものか。







おねえさんといっしょう

presented by グフ様






「生きている?」

それは比喩か、と加持は問う。
いいえ、と白髪の青年がハンドルを握り締め答える。

「個別では、相当屈折はしていますが所詮素人が書いた二次創作小説。
 ですが加持さん、それぞれの話から何か共通して感じた事はありませんか?」
「ほんの些細で微かな、しかし確かな圧力」

加持が部屋に篭り寝食を忘れ目に通したもの。

「欲望。純粋なものも悪意から来たものも織り交ぜて、全てが何かを欲している。
 あれに掲載されている膨大な物語達から感じたのはその欲望から漏れ出した力、だ」

それは嗚咽に近い叫び、渇望、とでも呼べば良いのだろうか。

「あのテキストは意志の群体です」
「意志?」
「生きる、という意志」

原初の意志を発する群体、だからこそ生きているんです、とキタは続ける。

「何かを喰らい誰かを犯してでも生き延びようとする血塗れの、意志」

一瞬、加持の視界に過ぎる色、赤。
何時から意志という言葉は、殺意と同義語になったのだろうか。

「加持さんは、“TRUTH”をご覧になられましたか?」
「TRUTH(真実)?」
「会員として潜り込ませた二人が掴んだ情報からですが。
 コンヴィクト内には、ある条件をクリアした資格者にのみ与えられる特権があるそうです」
「特権? それは」
「コンヴィクトは会員になれば全てのテキストがフリーで閲覧出来るのですが、
 実はたった一つだけ、会員でもある手順を踏まなければ入れない階層があります」
「階層?」
「公式には謳われておりませんが、最深部の通称コキュートスと呼ばれている場所に、
 二次創作者達によって改変される以前の、そう、原初の物語が隠されている、と」

新世紀エヴァンゲリオン、それはとても有名で、しかし謎に満ちている。
散在する情報と失われて久しい本編と、あまたの二次創作者達によって作り変えられた物語と、後付の設定。
もし、その指針となるものが完全な形で保存されているとしたら。
原初の物語、新世紀エヴァンゲリオンの“TRUTH”。その意味する所は。

「リターナーケース」
「はい」

加持の呟きに頷くキタ。

「リターナー達の擬似記憶を繋ぎ合わせ完成した物語、エヴァンゲリオン。
 その最も原初たる形がテキストとして保存されていると、そしてそれを読める、と」
「美味し過ぎる餌だな、だがそれだけじゃ」
「特権には続きがあります」

――そこには世界があるんだ、リアルがあるんだ。

「それを見たものは、その世界へ行ける、と」

藤木から聞いたその言葉が、まだ聞かぬシンジの声となって加持の脳裏に響く。

「新世紀エヴァンゲリオンの世界で、主人公となって自分だけの物語を作る事が出来る、と」
「素晴らしい、本当に夢の様だ。これこそまさに寝言、まったく素晴らしい」

と、首を振り苦笑する加持。しかし目は笑わない。

「ですよね、そんな馬鹿げたファンタジーが」

ただし、と加持を見る青年。

「あれを目にしては、もう笑えません」

引きこまれたでしょう? あんな稚拙な内容なのに、とキタの口が歪む。

「あのテキストを一作読んだだけでは、ただの不快感だけしか残りませんが」

不快感、それすら一つの圧力だ。透明な空気のような読後感ではなく、少なくとも不快という感情を読み手に与える力。

「それが押し寄せる。総数11,357のテキストが、一万一千三百五十七の意志が、怒涛のように」

11,357、一万一千三百五十七、その数が意味するのは。

「偶然、じゃねえよな」
「出来過ぎですよね」

ここ数年、その数を中間値として微動する第三新東京市の居住人口 ――“ 11,357 ”

「最初は正直、抗えると思ってました。ですが」

ぎりっ、とハンドルを握る手が軋む。

「囚われた、と思った時は遅すぎました」

ここではない何処かを見つめる目。

「一字一句違える事無く視覚から流れ込む情報、自分の意志から離れスクロールを繰り返す指。
 瞬きすら容易に出来ない目からは涙が流れました、呼吸すらおぼつかない口からは涎が滴りました。
 椅子を汗と尿で濡らし、ただひたすら、身体が私の意思を拒絶し、ただ見続けるしかありませんでした」

もし彼が普通の青年ならばこうはならなかったかも知れない。
そう彼が街師、つまりは第一始祖の血を色濃く受け継ぐ次期総主の器でさえなければ。

「一日もかからなかったと思います。その時だけは呪いましたよ、この血を」

常人を遥かに超えた情報処理能力、それが裏目に。発狂し得たならどれほど幸せだったか。
次々と脳裏に焼きついて行く渇望の群れ。蓄積されていく不快な圧力、そして。
全テキストを読破した時、突如モニターに浮かび上がる“TRUTH”の文字。

「モニターの淵から伸びる白い手が見えました。少なくとも私の視覚はそう認識しました。
 そして頭を、柔らかくて冷たい指が触れるのを確かに感じました。それが、この髪を掴み上げ」

ああ、駄目だ。連れて行かれる。これがもし望むものならどれ程の恍惚なのだろか、しかし。

「視界が閉じる瞬間、見てしまったんです。暗く、黒い瞳を」

ガン、と額をハンドルに打ち付けるキタ。何かを振り払うように。

「そこで記憶が途切れました。気付いた時にはベッドの上。酷い悪夢だった、と思いたかったのですが」

手に刺さる点滴を抜き、ふらつく体で立ち上がる。
点滴? いつのまに、と、思う暇無く病室の姿見、鏡に写った見知らぬ顔を見た瞬間、全てを悟る。
鏡の中に佇む青白く頬こけた白髪の男、これは自分なのだ、と。

「もしあの時、総主達が部屋の鍵を突き破り、固まる私を引き摺り倒し、端末を叩き壊してくれなければ。
 もしそれがほんの一瞬でも遅れたのなら、私は今こうやって此処にいる事さえ」

そして沈黙。
アイドリンクの音と屋根に叩きつける雨音が狭い車内に響く。

「なあ、キタ君」

固く閉じた白髪の目が開く。

「条件ってのは全テキスト読破、だよな? 」

それは俺も、と言いかける加持を制するキタ。

「加持さんは確かにテキストを読破されたのでしょう、ですが」

貴方は会員としての手順を踏んでいない。

「登録と投稿かい? 」

その通りです、とキタは頷く。

「私の場合、二人が残したパスを使ったのですが。どうやらその投稿というのは
 自分がこういう物語を作りたい、という設定書のようなものらしいのです」

ですが、と言葉を切る。

「ただ、気になるのは加持さん、貴方は全てを知っていますよね?」

エヴァンゲリオンという名の物語、その真実(TRUTH)を。

「つまり、貴方も資格者の筈なんです」

キタが自身の白い髪を指差し呟く。

「何故、何も起きないのですか?」

さあてね、と加持が笑う。その顔を見て青年は思う。
この人は手順こそ逆だがコンヴィクトとTRUTH、その全てを。
なのにこの人は笑っている、それは何故なのか。
確かに街師の血は引いて居ないかも知れない、だがこの人は特別だ。
以前聞いた現総主、臥乱堂の言葉が蘇る ―― あの人は“王”なんだよ、と。
つまり目の前の男こそ我等街師が、否、第一始祖が崇めるべき最上位命令系統の首魁たる存在。
十五年前のあの事件、ハーメルンケースと呼ばれる虐殺、その生き残り、勝者。
望まずも王になってしまった男。そう、“ADAM”ならば、なればこそ。

「だがなキタ君。たかがテキストが何故そこまで力を持つ? 」

加持の言葉に思索を止めるキタ。

「情報だからです」
「情報? 」

たかがテキスト。これだけでは記号に過ぎない、しかし。

「受信者、つまり読み手が受ける情報、正確にはコマンド、と言った方がいいのかも知れませんが」

コマンド、つまりは命令。

「熱いという触覚、寒いという感覚、獲物を追う視覚、危機を感ずる聴覚。それら全ては感覚器官が受けた情報から起因します」

生物を支配するのは情報です、とキタは語る。変化も進化も退化でさえも、情報によってもたらされる、と。

「ヒトが他の生物と唯一違うのは、言語や記号によって情報を伝達出来る事ですよね」

言葉や文字は唯の記号に過ぎない。その意味を受ける者が居るからこそ情報。

「その情報の中に」

だがそれが知性脳と呼ばれ思考と理性を司る新皮質を突き抜け、情動脳と呼ばれ感情を支配する古皮質を揺るがし
そして生命脳と呼ばれ本能を動かす旧皮質にすら浸透する力を、それほどの圧力を持つとすれば。

「ヒトのソースコードさえ容易に書き換える程のコマンドが隠されているとしたら? 」

その意志が隠されているとしたら。

「馬鹿らしい、とは言えないか」
「笑うしかないですね。そんな馬鹿馬鹿しい世界に私達は生きている」

この街にこの国にこの世界に、この星に生きるヒト全てに。
たったひとつの物語、その種が埋め込まれている。
エヴァンゲリオンという行き止まりの物語、滅びの種。
リターナーと呼ばれる者達は、それが発芽しただけに過ぎない。
その舞台となり得た爆心地、第三新東京市の地下、発見された黒い月、構築されたジオフロント。
UN主導で極秘裏に遂行されるヒト種特定遺伝子修正プログラム、プロジェクト・アルカ。
これを皮肉と言わず何と言うのか。

「アルカの連中は気づいているのか? 」
「フェイズセブンの準備段階で、ようやく」

昨晩、冬月から聞かされたアルカの進捗状況。フェイズセブン、第七展開。
それはリターナーケースを経て特定された部位に対しDNAワクチン投与が開始される時期を示す。
重度のリターナーに対し行われる第七次臨床試験。遂に始まったのだ、糸を切る作業が。

「遅すぎないか? それは」

と、言いかけて加持は言葉を切る。その姿にキタは、あの女の影を見る。

「いや、手が出せなかったのか」

加持の言葉に頷く。

「コンヴィクトで“みさとさん”の噂が出始めた時期は、彼女がアルカから消えた頃と一致します」

カフェ・エッジ。一次創作から二次創作、果ては三次創作までをカバーする総合創作系SNS。
中でも群を抜いて多いジャンル、新世紀エヴァンゲリオン。その数は十年以上たった現在でも非常に多い。
当然の事ながらアルカは、このSNSを設立時より常時監視対象下に置いていた。
エヴァンゲリオンから生まれたこれら二次創作群は、リターナーケースより抽出され世に放たれた物語が
発芽していないリターナー予備軍とも言うべき彼等への効果測定を計る上で非常に有効な手段の一つだったからだ。
だがしかし、突然変異のように発生し爆発的に肥大したコミュニティ“コンヴィクト”。
先鋭的かつ過激で一方的な断罪嗜好。これが何を意味するのか。その分析が開始された直後、一つの事件が起こる。
プロジェクトで中心的役割を果たしていた冬月リツコが突如失踪を遂げたのだ。
母親、冬月ナオコが残した最大の遺産、生体演算機“MAGI-SYSTEM”のブラックボックスを握る彼女の失踪は
一時的ではあるがプロジェクトに停滞と混乱をもたらし、結果としてコンヴィクト分析は一旦凍結。
混乱を収めたプロジェクト・アルカが再びコンヴィクトへ目を向けた時には既に。これが顛末である。

「我々も、当然ですが彼等も、彼女の失踪には関与していません」
「知ってるよ」

世界を覆い尽くすほどの目を逃れて彼女は一体何処へ消えたのか。

「加持さん」
「何だ? 」

貴方は、もしかして。

「こうなる事を予測して、あえて探さなかったのですか? 」

にい、と加持の唇が滲む。

「見つけられる訳がないだろう? 」

キタの背筋に流れる冷たい汗。

「なら待てばいい。屍の山から首を出す、その時を」

ああ、この人は。
だから、だから動かなかったのか。
どれだけの屍が眼の前に積み上げられようとも、その一瞬の為に息を潜め。
獲物の喉元に歯を突き立てるその時を想い、腐臭の中で笑いながら。
非情、冷徹、そんな言葉すら生温い。これがこの人の、本性。
ひとでなしめ、その言葉を飲み込むキタ。

「お前はさっき、逝った二人の償いの為、と言ったよな」

それの何処が悪い、と喉元に言葉がせり上がる。

「つまりお前は、仕事を投げたんだ」
「そんな、そんな事は! 」
「無い、と言えねえわな、この顛末じゃあ」

キタの色素が抜け落ちた髪を見つめ加持が呟く。

「二人が犠牲になったなら、何故四人投入しない?
 四人が駄目になったなら、何故八人利用しない? 」

何も出ない、その言葉を前に、何も出ない。

「お前を犠牲にして何が残った? 何故そこで止めた?
 十人犠牲にしてでも百人の命を利用してでも、何故やり遂げなかった? 」

言い返せる訳が無い。この冷酷な正論に。
青年が唇を噛む、償い、自己犠牲、その行為に逃げただけだ。
自分には無かった、屍を踏みしめる覚悟が。

「それが仕事、だろ? 」

ガチャリ、と車のドアが開く。大粒の雨が加持の左肩を濡らす。

「加持さん! 」

降りようとする加持の右手に紙片を渡すキタ。

「おい」

紙片に記された十三の文字。

「お使い下さい、鬼札です」

ぎりっ、と加持の口元から犬歯が顔を出す。

「私の一存でお渡しします」
「てめえ」

ぐい、と猟犬が青年の胸倉を掴む。

「お前も俺に押し付けるのか」
「私は、貴方を、利用します」

果たせなかった仕事をやり遂げる為に、貴方のやり方で。
百人の犠牲よりも遥かに効率の良い方法で、貴方を使います。

「くそったれ」

胸倉から手を離す。その言葉、その意味。
お前も晴れて、ひとでなし。
ようこそ、こちら側へ。

「土壇場で童貞捨てやがって、この包茎野郎」

キタの唇が静かに動き、微笑を作る。

「仮性ですが、何か? 」
「お前なんか剥かれちまえ」

二人の男が雨の中で、笑う。

「じゃあな」

加持が肩を濡らし歩き出す。
ガラス越しの向こう、遠ざかる後姿を見つめキタが呟く。

知ってますか? 加持さん。
何故私達が街を創り続けるのかを。

それは、魅せられたからです、その一瞬に。
遠き昔の彼(か)の島が、神話の様なあの邑が、雄雄しい城壁が、栄華を誇った都が。
その瞬間に、その刹那に、魅せられてしまったんです。
それが我等の悲願でもあるこの街ならば、どれ程素晴らしい事か。

知ってますか? 加持さん、街というのはね。





崩れ落ちる姿が一番、美しいんですよ。










【第四話】クロコダイルドリーマー ――U――










「あ。傘、忘れた」

ビルの入り口でパンパン、と濡れた上着を叩きながら不意に浮かぶソバカスデコのふくれ顔。

「ま、いっか」

守衛に身分証を提示しフロアの中へ。
真新しいビル、出来立ての匂い、完備された空調が外の水気を吸い込んでいく。

「あいっかわらず人の気配、無えなあ」

科学警察研究所、法科学第一部、第一研究室付、第二分室、―― 通称“第二研”
D.R.C.P(分散遷都計画)で、唯一首都圏より第三新東京市へ移された機関。
潤沢な資金、各JVによる資材提供の下、次世代科学捜査を担う最先端機器の試作及び予備研究を行う。
絶対的な規模こそは劣るが、その先鋭的ともいえる技術力はプロジェクト・アルカに引けを取らない。
それは至極当然で、アルカの中枢を支える“MAGI-SYSTEM”、その雛形はここで産声を上げた。

“DANU ” ―― ダヌ・システム。開発者である冬月ナオコ、当時の旧姓、赤木ナオコの名を一躍広めた世界初の生体有機演算機。
モリガン・バブド・マハ、三つのセクションから構成される三位一体のシステムは後に彼女が手掛けるマギへと受け継がれて行く。

だが、当時の事情を深く知る者は密かに囁く。赤木ナオコの影に潜むゴースト・ビルダーの存在を。
曰く、ダヌは彼女とその影の共作。マギはそのゴールデンマスター、ダヌの最終ヴァージョンだと。

「リョウちゃーん、おーい」

フロアの奥から甲高い声が響き渡る。それと同時に現れる三つ編みおさげの眼鏡少女。
白衣さえ羽織っていなければ恐らく、何で女子中学生がここに? と不思議がられるかも知れない。

「おお、リエ姐さん。お久しぶりです相変わらずぺったんこだなあ」
「はははブッコロスわよこの野郎」

揺れる素振りすら見せない、或る意味ステータス性の高い胸元に“万儀リエ”のネームプレート。

「こんなに可愛いのにちんこ付いてないなんて、わぁい! 」
「あははははマジでコロス、後とは言わず今コロス、憎しみでオマエをコロス」

加持とは、第二研が移転する以前からの腐れ縁である彼女、しかも年上、反則である。

「どう? 旦那さんとは上手くいってんの? 」
「つか、きーてよ! きーてよ!あいつ最近ストライクゾーンが広がってさあ! 」
「マジか」
「まあ元腐的には美少年に走るってーのは許せるんだけど」
「許せるのか」
「前はバディとか隠れて見てたくせに、この前部屋掃除してたら出てきたのがサムソンよ!サムソン!」
「いやあの専門的な用語をね、叫ばれてもね」
「百歩譲ったってG-menでしょうが! まだガチムチレザー&髭の方が許せるわよ!
 あの年でフケに走られたらどーすんのよ!ばーっかじゃねえのあの坊主頭! マッソーならG-menでしょうがジーメン!」

どう考えてもアレな単語が広いロビーに響き渡る。耳を塞ぎながら妙な既知感を覚える加持。
ああそうか。この人アレだ、アオバだ。うん納得。シゲ何してっかなあ、今頃。

「で、どしたの? 突然」
「ちとエビさんに呼ばれてさあ」
「あー、なるほどね」
「なるほど、って姐さん何か知ってんの? 」

ちょいちょい、と小さな指で耳を貸せ、の合図。

「ちょいと前に“下”から依頼があってね」

“下”それはこの街の地下、ジオフロントを示す。アルカに対する第二研内での隠語。

「STEM(ステム)、知ってっしょ? 」
「脳幹MRIスキャナ?」
「そそ。それ使ってちと調べて欲しいもんが有るって」

脳幹MRIスキャナ“STEM”。近年第二研が開発を進めている次世代捜査の切り札。
死亡直後から24時間以内の状態でなら、その脳より短期記憶から中期記憶までの情報を抽出可能なシステム。
各国で研究が進む分野ではあるが、STEMの大きな特徴として、解剖による大脳摘出を必要とせず、
そのままの状態で死亡直後から遡り中間記憶の限界、最大1ヶ月迄遡る事が出来るというもの。
情報解析に唯一ダヌ・システムを使う事が可能な第二研独自の技術でもある。

「だだその被験者がね、ホトケさんじゃなくて昏睡中、つまり存命中の、しかも中学生らしくてね」

使ったのか、と加持が言葉を呑む。
あの少年、碇シンジの名が付けられた彼に。見たのか、あの中身を、と。

「ここだけの話。アレ、別に損傷とか出ないからぶっちゃけ言えば、生死関わりなく使えるのよね」
「それはヤバイ、倫理的に」
「だから実用段階なのに未だ特秘でさあ」
「姐さんは見たのかい? 」
「うんにゃ、見たのは海老さんだけ。でも、そん時からなーんかおかしいのよねえ、あのヒト」

逸る気持ちを隠し、加持はただ、ふうん、と答える。

「リョウちゃん、あんた」
「ん? 」
「目、怖いよ」

加持が苦笑する。藤木といい、この姐さんといい俺は全く、まだまだだな、と。

「そうがっつかないの。とりあえず今、エビさん呼ぶから」

と、白衣のポケットから携帯に似た端末を取り出すロリ姐さん。
コールボタンを押そうとした瞬間、加持が耳元で甘く囁く。

「あん」
「いや何もしてねえから。姐さん、ただ呼ぶのもなんだから、さ」

その言葉を即座に察しキラッ、と眼鏡が光る。
ピピッ、とコールを館内スピーカーに接続、にたあり、と笑いながら加持に手渡す。

“えー、テステステス、あー、あめんぼあかいな、あ、い、う、え、オゥ!”

いいから早くやれやあ、と加持を蹴るデスロリメガネ。
それに応え、やけに陽気な声がビル全体に響き渡る。

“加持でーす。エビさん居ますかー。昔、飲むとウ○コ垂れると愚痴ていた海老さん居ますかー。
 淋しい奴も梅っぽい奴も全制覇したフー好き慢性前立腺肥大の海老タカヒロさんは居ますかー。
 っていうかいきなり呼び出しやがってこの野郎、来てやったぞこの野郎、ばーかばーか、うんこたれ!”

ピッ、と端末を切る加持。ビシッ! と満面の笑みで親指立てるロリ顔。
間髪置かずに端末からコール音。めんどくさそうに着信ボタンを押す姐さん。

「はい万儀、あーアンタ、どしたの? 海老さんは? ふーん、そりゃ大変だ。
 いまリョウちゃんそっちに寄越すから、それまでしっかり抑えてなさいよ、好きなんでしょ? 年上。
 ん? 別に。何となく。あ、そうそう。今日帰ったらベッド下のバックナンバーの件で反省会すっから。んじゃ」

と、頭を振りながら端末を切るロリデス妻。

「旦那さん?」
「うん。いま海老さん押さえてるって。暴れてるんでレッツゴー三匹でガチムチ拘束してるって」
「レッツゴー三匹って何だよ」
「旦那の下っ端で、インターンのアレックくんと苦炉鮫くんと覇手くん」
「知らねえよつるぺた」
「海老さんの執務室七階だから、行けば解かるから、あと本気でコロスから」

満面の笑顔でポケットからボールペンを取り出すデスメガネ。
ヒュカッ、と頬に風を受け華麗なるバックステップで退いた瞬間、背後のエレベーターが開く。

おーむねーと、せーなかーが、くっつくぞー。

笑いながらエレベーターに飛び込み危険な童謡を歌いつつ閉ボタンを連打。
鉄の扉が閉じた瞬間、向こう側からガンガンガンと打撃音、ウラー!ウラー!と叫び声。
マジで帰りどうしよう、最悪、アオバ呼んで盾にしよう、と外道な対策を講じる加持。


ふう、と大きく息を吐く。
この先に待つ男の顔を思い出し。



海老タカヒロ。
第二研統括室長。
赤木ナオコのゴーストビルダー。
かつて魔女の愛人と呼ばれた男。







恐らくは、冬月リツコへと至る最短ルート、だがしかし。







エビさん、あんた何を見た。
碇シンジの中に、何を見た。

俺と同じものかい?
それとも。














おねえさんといっしょう
第四話/クロコダイルドリーマー/U/了


Can you follow?
Really?

All right.

Here We Go.

To the world that you hope.






To be continued...
(2008.12.28 初版)


作者(グフ様)へのご意見、ご感想は、メール または 感想掲示板 まで