Anno 1284 am dage Johannis et Pauli千二百八十四年、ヨハネとパウロの日 war der 26. junii六月の二十六日 Dorch einen piper mit allerlei farve bekledet色とりどりに着飾った笛吹き男に gewesen CXXX kinder verledet binnen Hamelen geboren百三十人のハーメルン生まれの子供たちが誘い出され to calvarie bi den koppen verloren丘の近くの処刑場で消えてしまった




有名な寓話、パイドパイパーの物語。
街に溢れた鼠達を駆逐した笛吹き男が人々から約束の報酬を反故にされ
その代償に街に住む四歳以上の子供達を連れ去り消えてしまう、という話。
民間伝承を元に作られた童話というものは大概にしてルーツにとなる出来事が存在するという。
この話も事故説、伝染病説、子供十字軍の名を借りた人身売買説、東方植民説、等々の諸説がある。
しかしこの童話は他と一線を画す部分がある。それは舞台となったハーメルン市の公文書に記されている。
あの日、子供達は確かに消え、二度と戻って来なかったという事実が。

そして時は巡り世紀が終わりを告げる頃、遠き地で一つの事件が起きる。

西暦二千年、九月十三日。この街から消えた十八人の少年少女。
かつての童話から名を取りハーメルン・ケースと名付けられたその事件は、
プロジェクト・アルカの中で最大の禁忌として徹底的な隠蔽が為された。
但し、かつての笛吹き男、パイドパイパーと子供達の伝承と決定的に異なる部分がある。
帰還者、つまり戻って来た者が三人存在するからだ。
だが、その詳細を知る者はそれを帰って来た、とは言わないだろう。



曰く、彼らは生き残った、人ならぬモノとして。



「君の言う通り、最後の一人は葛城ミサトだ」

宵闇の中で冬月が語る。

「だがその名前は、最終的に追加されたものだ」

不意に虫達の喧騒が止む。

「消えた子供達は、君とリツコを含め十七人」

無機質な声を反芻する加持。

「十八人、これは最終結果の数字なのだよ」

追加された一人。発生した名前、葛城ミサト。

「この意味が、解るかね?」

加持が静かに頷く。

「なら、なぜ君は」

冬月が喉元に溜まる激情を抑し殺し加持の顔を睨む。

「そんな顔を」

眼前の男、かつての少年、いまその口元に浮かぶのは。
君は、いやお前は、何故そんな顔をして居られる?
お前とリツコにとって、あれはそういう存在、なのにだ。
何故だ、私にはお前が理解出来ない。
お前がこれから挑み、駆逐すべきモノは、ミサトはお前の。
ああ、それなのに。




何故、お前は笑っているんだ。






おねえさんといっしょう

presented by グフ様






第二研 ―― 別名「セカンドワークス」
名目上は科研に属しているものの、それはあくまでも管理上のもの、実質は独立研究機関。
その名前に込められたものは、全ての研究機関の為の第二工房という意味だ。
つまり第一研に対する揶揄、“表”では到底出来ない事すら科学の発展の名の下に行う集団。
知恵の実、悪魔の林檎にむしゃぶりついた者達の巣窟。そこに倫理という名のボーダーは無い。
そして彼等は常にプロジェクト・アルカの傍に寄り添う。毒には毒を、猛毒には更なる猛毒を以って。
分散遷都計画の下で唯一この機関が此処、第三新東京市に移転して来た事は決して偶然では無い。
この国が行う唯一の牽制、アルカに対し埋め込まれた楔(くさび)、これが第二研の立ち位置。

「さあて、と」

エレベーターを降り七階のフロアを抜ける。
七階。確か中央病院であの少年が眠る病室も七階。
あの病室、あの、ばけものと出会ったのも、七階。

「いい加減にしてくれよ」

力無く頭を振る。偶然だ偶然だ、馬鹿らしい。
気を鎮め顔を上げた先に執務室の文字。

「ん?」

ドアの向こうに喧騒。人語とは到底思えない嬌声と叫び声。

「おい!」

執務室の扉を開けた瞬間、固まる加持。

「さあ野郎共!踊れ!踊れ! 宴じゃぁー!」

筋肉質の色白坊主頭がシャツを脱ぎ捨て雄叫びを上げる。

「「「おしーりふりふり、ピッピ! ピッピ! 」」」

それに併せ同じく半裸の男達が尻を小刻みに振りながら意味不明な呪文をユニゾン。

「そおーれシュキシュキー! 」

男の発する奇怪な呪文に答えエキサイトする半裸の三人。

「SYUKI - SYUKI!!!」
「シュキシュキィ!!!」
「しゅきしゅきぃ!!!」

その声に色白坊主頭が激昂する。足りない、まだ足りない、熱さが足りない。

「まだだ、まだ伝わらない、ぜんっぜん伝わらない!もっと!もっと!もっと熱くなれよ!」
「「「ウおおおオオオッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ−−−−−−ッ!」」」
「ピュアーなハートはッ! 」
「「「エビしゃんのもーのよッ!」」」
「ふごぉおーッ、ふごふぁうおっっっっ!」

加持の眼前で繰り広げられる光景。
椅子に縛られ口にギャグボール噛まされ涎垂らしながら顔を真っ赤で呻く中年男。
その隣で机の上に仁王立ちしながら雄叫びを上げる色白マッスル坊主頭。
更に周囲を半狂乱でぐるぐる周り尻を振り歌い踊る半裸の三匹。



なに? この地獄絵図。










【第四話】クロコダイルドリーマー ――V――










「アレック・サウィエル、デス」
「苦炉サメヲです」
「覇手です」

まるで憑き物が落ちたかの様な爽やかな顔で加持に会釈する三人。
その横で、どう見てもサバトですありがとうございました的な狂宴を仕切っていた男が微笑む。

「加持さん、彼等が僕の愛しいエンジェル達ですよふふふのふ。さあ君達、宴は終わりだ。持ち場に戻りなさい」

素晴らしいです! 最高の宴でしたね! 今度はもっと酷い目に! と、口々に叫びながら
やや紅潮した顔付きで部屋を出て行く通称レッツゴー三匹。それを生暖かく見守りながら白衣を羽織る男。
本日夜には自宅でロリ鬼妻が竹刀片手に反省会、坊主頭の色白マッスル、万儀コウタロウ。

「っていうか万儀さん、コレ大丈夫ですか」

加持がコレ、と指差す方向に未だ椅子に縛られ只今絶賛失神中の中年男。
それを見て万儀がやれやれ、と縛り付けていた荒縄を解き口元からギャグボールを外し。

「フンッ!」
「アッー!」

目が覚めたらしい、たぶん。
万儀の身体が死角となって何が起こったのか解からない、というか解かりたくも無い。
フフフこれぞ漢の見えざる第三の手、などと万儀が呟いたような気がするが全然そんな事はなかったぜ!

「よお加持、久しぶりだなあ」

と、失神から醒めた中年男のうつろな目。
生憎と加持は紫上着の怪盗とか変態伯爵とか姫とかパヤヲとか知らないのでそのネタは華麗にスルー。

「エビさん、よだれ、よだれ」
「ん? ああ」

少ししょんぼりしながら口元にだらしなく垂れた涎を白衣の裾で拭う第二研の主、海老タカヒロ。

「で、おめえ何しに来た?」
「万儀さん、さっきのもう一回」
「うそごめん本当にごめんちょっとしたお茶目なご挨拶ッ!
 だからマンギいいから寄るな近づくな耳に熱い吐息かけるな微笑むな頼むからッ!」

心底残念そうにねっとりとした視線を絡みつかせながらドアの向こうに消える坊主頭。

「んで、おっさん」
「おっさん言うな」

中年、というより既に初老と言ったほうが良いかも知れない。

「さっきの奴等って今年の新人?」
「ん? ああ、あの三匹か」
「なんていうか、微妙な奴ばかりだなあ」
「ああ見えても各部選抜のエリート様らしいぜ」
「っていうか、何か薄いんだよなあ」

実際、元々の第二研メンバーは先程出会ったロリ姐さんやガチホモ旦那を始め、それぞれが皆、強烈な物を持っている。
大体、それを束ねるセカンドワークスの長がコレだ。

「そうだなあ、例えばバリバリ現役なムスリム店主のカレー屋でビーフ! ビーフカレープリーズ! とか叫んで
 半月刀持った店長と殴り合い始めたり、ちょっとしたお茶目で某上場企業のトップページに殺人タラバ蟹の開発に成功!
 とかやって上役の首飛ばしそうになったり、あと焼肉屋で人民服着て蛙食いながら女の尻をなでまわしてたけど、
 そいつ実はニューハーフで微妙にニューワールドへ開眼しそうになったり、あと最近は釣りにハマったのはいいけれど
 釣れるよーどんどん釣れるよー、と防波堤で腐った冷凍オキアミ撒き散らす怪奇コマセ男として一時期都市伝説化したり、あと」
「お前、実は俺の事好きだろう」
「だいちゅき」
「ぶっころす」

本来ならここらへんでゴングが鳴り椅子とか投げ合う二人、なのだが。
今日に限って言えば明らかに言葉に力が篭って無い、と加持は感じる。
この仕事に就いて本庁と第二研を行き来する、それ以前よりの腐れ縁である間柄だからこそ解る事。

「まあ、な」

深い皺と共に海老の口から溜息。

「所詮、カナリアよ」

カナリア。第二研に配属されたインターンに対する俗称。

「鸚鵡(おうむ)にしか見えねえなあ、同じことピーチクパーチク」
「そのほうが幸せかもな。さて、今年は何人生き残るか」

その昔、炭鉱で飼われていた鳥。
まだ一酸化炭素や岩盤から噴出す有毒ガスを検知する警報器などなかった時代。
鉱夫達は鳥篭を手に地中深く潜ったと言う。
鳥篭の中には一羽のカナリア。息を吸うようにさえずりを決して止めない鳥。
鳴声が止むのは自らの命を落とす時。それが彼らの命綱。

「万儀もつれえと思うがな、あいつもカナリア上がりでよ」

突出した技術力を擁する第二研へは当然の事ながら数々の思惑が絡んで来る。
その一つが各学部及び研究機関より毎年供出されるインターン達である。
少数精鋭を旨とし、扱う機密も膨大となる第二研にとっては非常にありがた迷惑な存在ではある、が。
此処はそれすらも冷徹に計算し活用するシステムを作り上げた。

「俺の後継ぐんだ、それくらい背負ってくんなきゃ、よ」

彼等は供出される際、機密保護同意書の他に或る誓約書へのサインを強制される。
難しい事では無い、ごく簡単な事だ。つまり ―― 成果の為に己を捧げよ、と。
第二研職員全てが負う責務はインターンと言えど決して逃れる事は出来ない。
否、むしろ精鋭を失う事無く短期間で見切り、後継に相応しい者を選別し抽出する絶好の機会。
かくしてここに最も効率の良い人材活用、各種臨床実験の披検体が誕生する。
カナリアというのは単なる揶揄では無い。それを知るのは文字通り生き残り正式に一員として迎えられた後の事だ。

「そこまでしなきゃならないのか? 海老さん」
「それこそが我等のレゾンテートル、ってな」

悪魔は常に囁く、対価を、我に対価を捧げよ、と。
潤沢な資金、求められる成果、それを得る為に彼等が差し出したもの。
ここは鉄火場なのだ。日々ベットされるのは己の命。

「五体満足に此処を逃げ出せたのは、ノブくらいだな」

苦笑いしながら呟く口元が微かに歪む。

「実は今までそのノブさんとマッハ軒で、さ」
「さっき臥の字から連絡あったぜ。あいつ、相変わらず、か? 」
「いや、もう」
「ふん、いいザマだ」

そう吐き捨てながら海老が舌打ちする。

「俺、あいつ、大っ嫌いだからよ」

笑う、笑う。醜く口元を歪ませ初老の男が笑う。自嘲と言う名の暗い笑み。

「お互いここで下駄脱いだ時から覚悟は出来てた筈だ、なのに」

第二研が扱う先端技術はSTEMを始め倫理すら凌駕した機密ばかりである。
故に人材が野に放たれる事はまず無い。監視下の引退ならまだしも、民間供出などはありえない。
だが、副長という立場に迄上り詰めながらも彼は夢を捨て切れなかった。
気ままに日々ぶらぶらと好きな事を、小粋な一軒屋に綺麗な嫁さんと可愛い子供がいれば上出来。
多くは望まない、ささやかな夢、しかし叶わぬ夢。工房の窓から流れ行く雲を眺め手を汚す日々。
そうだきっと今こそが夢だ。本当の自分は陽の当たる場所で暖かな家庭に包まれ騒がしくも楽しい日々を。

「まんまとトンズラしやがって」

いつしか夢想は妄想へと変わり、そして。
療養中の病院から姿を消し、つてのあった街師の助けを借り地下へ。
第二研上がりの稀有な仕事師として名を馳せたまでは良かった。だがしかし。
冬月リツコにされた仕打ちはむしろ彼が望んでいたそのものでは、と加持は思う。
彼は遂に逃げる事が出来たのだ。彼にしか行けない場所へ、彼だけの世界に。

「うらやましいかい? 海老さん」

ぎり、と加持を睨む濁った瞳。何かを言い返そうとして言葉を呑み。

「ああ、その通りだ」

海老が観念したかのように言葉を出す。深い溜息と共に、腹の底から搾り出された声。
あいつは鏡だ。もう一人の俺だ。俺がやりたくても出来なかった事をあいつは。
だが、ああなってはお仕舞いだ、そうともまさにジ・エンドだ、くそったれが。

「年食ったなあ、あんたも」
「うるせえよ、小僧」

顔を見合わせて笑う二人。
そして言葉が消える。
いつしかお互いを見つめていた視線は窓の向こう、暮れかかる雨の街へ。

「海老さん」
「ん?」

加持が不意に問いかける。

「何見たんだ、あんた」

脳幹MRI“STEM”による禁断のスキャン。

「何も、無かった」

街を見つめたまま、ぼそり、と海老の口元から漏れる言葉。

「無かった? 」
「何も無いんだよ。加持」

加持は気付く。海老の纏う雰囲気、それは虚無だと。

「俺は医者じゃねえから良くわかんねえがな。
 状態は確かにやばかった。昏睡を計るGCSではE・V・Mともに一点の計三点」
「ジー・シー・エス?」
「グラスゴー・コーマ・スケールってな、そっち方面のモノサシさ」

GCS(グラスゴー・コーマ・スケール)。世界的に広く使用される意識障害の評価分類スケール。
開眼・言語・運動の3分野に分けて記録し、意識状態を簡潔かつ的確に記録できる。
開眼機能(Eye opening)、言語機能(Verbal response)、運動機能(Motor response)。
各機能の頭文字E、V、Mで得点付けを行い、その数が小さいほど重症と言える。

「深昏睡状態、つまりは植物状態一歩手前だよ」
「なら何も無いのは当然だろ? 」

違う、違うんだ、と海老が頭を力無く振る。

「いいか加持、脳っていうハードディスクに焼きついた記憶ってのはそう簡単に拭い去るなんて出来やしねえ。
 大往生の爺様はもちろん、生まれたての赤ん坊ですら外部から刺激を受ける限り、植物状態だが何だろうが
 何かを反射して投影する、そういうものなんだ」

だからフィルタが必要なんだ、と海老が続ける。

「STEMは全てを曝け出すと思われがちだがそうじゃない。
 生前ホトケさんが感じた主観や感情で歪められた妄想すら顕在化してしまう」

ノンフィルタの映像を見たいか? 俺達の様なイカレポンチですら目を覆う世界だ。
カナリア達の通過儀礼のひとつさ。そこで大概が喰われちまう。ああ、あの三人はこれからだ。

「だからダヌによる解析が必要なんだ。どこまでが本物かどこからが虚偽か」

しかし不意に、海老が微笑む。

「唯一の例外は、遷延性意識障害、つまりは植物状態のドナーだな」
「何度もやってんのか?」
「俺達を何だと思っているんだ」

酸素欠乏後六ヶ月以上、中間記憶も長期記憶も抜けた、ある意味フォーマット化された脳。
それは一つの基準になる得るからな、と何かを思い出すかのように海老の目が潤む。

「綺麗だった。記憶から切り離された世界。薄い瞼から流れ込む暖かな光の奔流。
 この世の汚泥から切り離された淡い色彩の世界。とても、とても綺麗だった」

だがな、と海老が言葉を切る。

「あの子は違う。何も映さない」

やり直す必要はなかった。数値は安定している、怖いくらいに。
コンディショングリーン。機器の正常を示すグラフが視界の隅で踊る。
だが、ヘッドディスプレイに映るのは黒。一面の漆黒。
まるで湧き出たタールのような、触れれば絡みつくような闇。

「そう、あの子には何も無い」

そんな事はあり得ない、そう、絶対にだ。と海老が力なく笑う。
まるで居ないと言われた黒い白鳥を発見した気分だったぜ、と。
その言葉に加持の感情が一瞬揺れる。

「俺はあの状態の人間を、過去に一度だけ見た事がある」

静かに顔を上げる初老の男。
疲れきった鉛色の瞳に映るのは。




「おまえだよ」





















刹那の沈黙。

やがて、加持は笑う。
その顔を見てやや拍子抜けした素振りの海老。

「何だ、予想してたのか、お前」
「いや、そうじゃないんだけどさ」

あんな物見た後じゃ、そうなるわな。

「下の連中、そりゃ大層な驚きだったけどな」
「だろうな。タブーに触れちまったんだ」
「ハーメルン・ケースの再来、か」
「それは、ありえねえよ、海老さん」

だよな、と答える。
あれはもう終わった。そう、終わってしまった。
眼の前で笑うこの男が、その時この腕の肉を喰いちぎった少年が、終わらせてしまった。
無意識に左腕の抉れた古傷を掻く海老。

「なあ、海老さん」

その姿を目に映し因縁深いその男に問う。

「あんた何で、そんな物に手ぇ出したんだ?」

生死に関わり無くヒトの深淵を覗く神に背くガジェット。

「惚れた女の為、つったら、笑うかい?」

ぽりぽりと腕を掻きながら照れくさそうに呟く海老。

「もう一度だけ、あのひとに、な」

あのひと、それはこの男にとって唯一人の女。

「なあ加持」
「ん?」
「あの世って、あると思うか」
「何だよ、第二研のヌシが柄にも無ぇ」
「俺は、いや俺達は在る、と思っている」

その意外な言葉に加持は素直に驚く。

「神様って奴を踏み躙る行為している奴等ほど、案外信心深いものなんだぜ」

ヒトの頭を開き、ヒトの闇をさらけ出し、ヒトを切り刻み、原罪すらをも噛み砕く。
それが出来ると言う事は、限りなく純粋なのだろう。だからこそ言える、お前たちは狂っている、と。

「昔はあの世ってのは脳の角状回が刹那に見せる幻想、なんて考えていたさ。
 だがな、この年になってくると俺は思うんだ、結局そんなものは学者の妄想なんだって。
 何でもかんでも知ったフリして、いや、知ったつもりで安心したい駄々っ子の願望。
 科学なんて林檎だ、俺達はむしゃぶりついた、それがどんなものかも本当は知らない癖に」

神を求め悪魔に縋る。この純真にして汚れ切った者達。

「だから、俺は祈るんだ、ただ祈るんだ。俺達が作った奴じゃなく、もっと純粋な何かに」

暮れかかる部屋、その片隅で男が笑う。あの女の顔を瞼に浮かべ、目を閉じる。

「俺達が別かれたのは愛想尽かしたからじゃ無い。互いの才能に魅せれ、唯一認め合っていたさ。
 だがな、もし、もしこのまま一緒に居たら、どうなっていたと思う?
 簡単だ、嫉妬、苛まれ、その挙句、殺し合っていただろうよ。嫌いになったんじゃ無い。愛し過ぎたんだ、お互いを。
 冬月のおんちゃんトコへ行ったのは正解だったと思うぜ。あの人は別次元のヒトで俺達の憧れだ。
 あのひと、ああ見えて捨てられた猫みたいな奴だったからな、初めてじゃねえかな、あんな笑顔見たの。
 ああいう全て包み込むような存在は、な。俺じゃあれは無理だ。互いに火花散らして擦り減らすだけだ」

かつて魔女の愛人と囁かれたゴーストビルダーが笑う。

「でも俺は覚えている。あのひとの仕草、あのひとの笑顔、あのひとの涙、あの人の罵声。
 香水の香り、乾いた唇、汗の味、股ぐらの匂い、ざらついた猫のような舌、全て、そう全てだ」

トントン、と指で自分の頭をつつく。

「この中にはあのひとの全てが詰まっている、あのひとの中には俺の全てがあった。
 だがあのひとは逝った、逝っちまった。だから俺は返せねえ、もう二度と戻せねえ」

その指で机の上の端末を起動する。

「おら加持、出せよ」
「何をだよ」
「さっき臥の字から聞いた、だがな、ノブ如きじゃあ無理だ。貸しな」

ちっ、と舌打ちしながらポケットから先程店で渡されたディスクを差し出す出す加持。
海老がそれをひったくるように奪い取り端末へ挿入、胸元から眼鏡を取り出し、掛ける。
一瞬の機械音、その後、眼鏡に映る記号の群れ。

「ふん。確かに良い腕だが、相変わらず悪い癖抜けてねえな、おっと穴みっけ!」

フーンフフン、フン、フン、フン、フン、フン、フーンフフン、と鼻歌と共にキーボードの上で指が踊る。
聞いた事のある曲。有名な曲。確かドアーズ。何て曲だったかな、と加持は思う。
その横で更に指が勢い良く跳ねる踊る歌う。流れては消えるコードが次々に書き換えられ、やがて。

「フーンフフン! 」

踊り続けた指が最後にタン! と勢い良くEnterを叩く。

「よし、ジ・エンド」

その瞬間、端末から吐き出されるディスク。取り出したそれを机の角で叩き割る海老。

「おい、おっさん」
「もう必要ねえよ」

眼鏡を外し海老がとんとん、と肩を叩く。

「俺はゴーストビルダーなんかじゃない。あのひとが居たからダヌが生まれた、俺がいたからマギが生まれた、そんなもんさ」

そして加持に向き直り。

「仕掛けはもう“流した”よ」
「うおいっ!」
「あんだよ、いつか使おうと思ってたんだろ、ならよお前ぇ、いつか、より、いつでも、の方がいいべ?」

あっちゃー、と顔を覆う加持。だが、まあ。

「あと、臥の字んトコの丁稚からパスもらったべ?」

しっかりばれてる、ばれてやがる。流石先読みの臥乱堂、だからキタを付けたのか、くそったれ。

「あとはお前の意思だ、頑張んな」

第二研は当然の事ながらD.R.C.P用バックボーン“ヘカトンケイレス”をアルカと共用している。
つまり、たった今このプログラムは中枢に組み込まれた。それは、あの女への門が開いた、という事。
そう、あの女は、あいつは、リツコは、すぐそこだ。
まったくこのオヤジは、否、オヤジ共は、と苦笑いする加持。

「海老さん」
「ん?」
「話、途中だったぜ」
「そうだっけか?」

はーよっこらしょー、と椅子から立ち上がる海老。

「まあつまり、アレだ。俺はもう一度あのひとに会いたい、それだけなんだ」

ああん? と訳のわからぬ顔をする加持。

「あたま山、って話、知ってるか? 」

あたま山。落語の一節。
吝兵衛というケチな男が食べたサクランボの種、もったいないと呑み込んだ所、頭のてっぺんから桜の木が生え春に満開。
噂を聞いた人達が花見に押しかけその煩さに我慢出来ずその木を引っこ抜く。しかしこの穴に雨が溜まり池が出来やがて魚が増え
昼夜問わず釣り客が押しかけ大騒ぎ。絶望した! と男は南無阿弥陀仏と経を読みその池にドボン、お後がよろしいようで。

「シュール、つうか、ありえねえ」
「おめえにゃわからんだろうなあ」
「んで、それが?」
「もし向こう側ってのがあるなら、その入り口くらいはこのシステムで見れるだろ」
「さあ、どうでしょう? 」
「葬式の夜な」
「まさか、あんた」
「冬月のおんちゃんに隠れて試作した携帯型STEM持ってこっそり、な」

空いた口が塞がらない、とはこの事か。

「うん、凄かったぜ、あのひとン中」

海老タカヒロが笑う。

「まさに地獄だ。あれで一曲書けるぜ、フラットノイズって題名な。
 キイイってギターのノイズさ、あの日以来、それがエンドレスで俺の耳の中でいつも鳴ってる」

笑いながら狂気を語る。

「俺、多分もう長くねえからよ」

照れくさそうな笑い皺。

「逝きそうになったらよ、てめえの頭にSTEMぶっこんでフラットノイズをガンガン弾いて
 あたま山のケチベエみたく自分の頭に飛び込むのさ、俺の中に居るあのひとに、あいつに会いに」

あのひとに、年上のあのひとに、狂おしい程愛したあいつに、赤木ナオコに。

「そン中で俺は踊ってやる、あいつと踊り続けてやる。狂ったノイズの中で、俺とあいつ以外誰も居ない地獄で。
 踊ってやる踊りまくってやる踊り続けてやる永遠に。もう二度と、離すもんか、馬鹿野郎」

馬鹿はあんただ、と加持が笑う。
ホームラン級だろ、と海老が笑う。

「リツコによろしくな」
「会えたら伝えとく」
「会えるさ、必ずな」
「どうだか」
「馬鹿の力はあなどれねえぜ」
「まったくだ」


まったく馬鹿だ。
どうしようもない馬鹿だ。



親子揃って、大馬鹿もんだ。


















「加持さん、貴方はギャンブルをしますか?」
「はい?」

何故こんな事になったんだろう、ああ、俺のせいか。

「ギャンブラーには二種類あると思うんです。勝利を楽しむのと、勝負を楽しむ者。
 私は後者、勝負のスパイスのかかった肉に喰らいつくのが好きなんです」
「はあ」

そう、すっかり忘れていた、アオバ呼ぶ事を。つまり。

「私はね、加持さん、掛け金を払えば後は指をくわえて見てるだけなんて程度の低いギャンブルはしない。
 だから私は今、ここに居ます。明日は解りませんがね。でも貴方は、それすら生易しい。かないませんよ」
「いえ、今そんな事言っている余裕は」

どぅうううぉおおおおおおおおこぅだぁあああああああああーーー、かぁぁあああああじぃいいいいいい!
でぇぇえええええええええええてぇえええこおおおおおいいーーー、があああちぃぃいいほぉぉもおおお!
と、遠く遠くドスの効いた女の声が廊下の果てからコダマする。

「つまりですね」
「はい」

一階フロア、受付机の下に隠れ息潜ませる加持と万儀。
見てみぬ振りをする警備員の皆様ご苦労様です。

「あんた、ウチの嫁に何言った」

いやあ、と照れ笑いする加持。

「いやあ、じゃなくて何言いましたか、つるとかぺたとか言いましたか、ウチでも実家でもそれ禁句なんですわかりますか。
 やっぱり貴方には敵いませんええ敵いっこ無いです、あなた今、自分の命とかそんなもの絶賛ベット中ですよわかりますか」
「いや旦那さん、あれの制御こそまさしくギャンブルですよ、ガンバ! ゴッドギャンブラー! 」
「だから遅すぎたと言ってるんだ! 私は、私はッ、負けると解かっているギャンブルなどはしないッ!
 勝利の味では無く青酸ストリキニーネの味のする肉など食わないッ! 何で、何で私を巻き込んだんだアッー! 」
「しーっ! 大きい、大きいですマンギさん、いえそっちじゃなくて声が」
「くぉぉぉぉぉおおおお、こぅおおおおおおおおお、かぁぁぁぁああああッーーーー!」

その瞬間、ゴシカァァン! と叩き割られる受付机。
プシュー、プッシューと圧縮空気が抜ける音。
ズッドン、ズッドンと足元から響く音に恐る恐る見上げると。
何か背中に背負ってます、背中から異様にデカイロボハンド生えてます。
シオマネキみたいです。エイリアン2に出てきた素敵ロボみたいです。

「ああっ、あれはっ!」
「知っているのか雷、ではなくて旦那!」
「あれこそはお蔵入りした試作型ランドメイト! 通称赤い通り魔RED−MAN!」
「いやあれ、赤くないですが」
「本当はグリーンマンの予定だったんでンですが、緑だとなんか捕鯨船とか乗り込みそうなんで却下されまして。
 喧々諤々の協議の末、あーもうメンドクサイから赤で、という海老さんの一言でレッドマンになったんですが
 赤く塗る前に通常の三倍のパワーで色々とやらかしまして結局」

説明に熱の篭る万儀を盾に、加持が大きく息を吸い込み、そして叫ぶ。

「姐さん!」
「なんだや!」
「旦那さんがウチの嫁は超カワイイって。 蝶サイコーだって。少年みたいだって、胸が」
「あ、あんたってひとわああああああああああああああああああああああああーーーっ!」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ!」

背後からメメタァ、メメタァ、というまるで波紋とかそんなもので蛙潰すような音を聞きながら
加持が門を抜け、手を合わせる。万儀さん、ありがとう。あなたの犠牲は決して忘れません、三秒くらい。
サン、ニー、イチ、はい忘れた! 不思議!

「お、晴れたか」

泣き止んだ空、山の向こうの茜雲。

「さて」

携帯を取り出した瞬間、バイブの振動。
相変わらずタイミング良過ぎるよなあ、こいつは。

「おっす、オラ加持」
“何やってんスかセンパイ”
「言ってみたいお年頃なんだよ。悪かったな、時間かかっちまった」
“いまドコです? すぐ飛ばして迎えいきますんで”
「いいよ、タクシー拾うから」

その時加持は気付く。電話の向こうの声に混じる微かな緊張を。

「アオバ、どうした 」
“シンジ君の戸籍なんですが”
「ああ、どうだった」
“直ってます、藤木シンジに”

動いた、か。

“とりあえず直ぐ行きますから場所を”
「ちょっと待った」

その時、キャッチの振動が携帯を揺らす。
液晶画面に表示される五文字 ―― 非通知設定。

「アオバ、悪ぃ、掛け直す」
“あ、ちょっ”

ピッ、と通話ボタンを押す。
息を深く吸い込み、ゆっくりと吐き、鼓動を鎮め、そして。

「はい、加持です」

沈黙。

「もしもし? 」

沈黙。

「どなたですか? 」

沈黙。

沈黙。

沈黙。






そして。












“お久しぶり、加持君”
















おねえさんといっしょう
第四話/クロコダイルドリーマー/V/了


Can you follow?
Really?

All right.

Here We Go.






To be continued...
(2009.01.10 初版)


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