南冥のハーキュリーズ

第壱話 存在の耐えられない、軽さ

presented by HY様


 第伍使徒サキエルが襲来する約半年前、2036年11月の昼下がり、人影まばらな第三新東京市環状第7号線の第三新東京市駅に、一人の女性が乗るリニアが到着した。この物語の主人公、藍色の長い髪の良く似合う美しい女性、葛城ミサトである。彼女は本日から、新国連直轄の非公開組織、特務機関ネルフ本部・戦術作戦部作戦局第一課長、兼作戦本部長として着任する。しかし、彼女はひどく急いでいるようで、リニアの扉が開くや否や車両から飛び出し、さらに階段を駆け降りた。
彼女が改札口を走り出ると、そこには腕を組んだ金髪の美しい女性が、イライラしながら待っていた。言わずと知れた、ネルフ本部技術開発部技術局一課・E計画責任者、赤木リツコ博士である。
「リツコ、ごめん! 京都で乗り遅れた上に、ボケーッとしてたら、厚木、乗り過ごしちゃってさ。」
「ミサト。1時間半も遅れるんなら、電話一本くらい、くれない?」
「ごめん。ドイツの研修じゃ携帯持ってなかったし、戦自辞めてからプー太郎で、携帯代もケチっててね。携帯端末もここでくれるって言うし、公衆電話なんて、もうほとんどないし。」
「はい、これ。エンディミオン。ヘリオトロープなんて色、なかったけど、あなたがどうしてもって言うから、特注で作らせたわ。この色でいいの?」
 リツコは明るい紫色の携帯端末を白衣のポケットから取り出すと、ミサトに手渡した。エンディミオンとは、ネルフ特製の軍事用携帯端末であり、リツコが渡したものは、正式名称エンディミオンKO。
「ありがと。この色! この色がいいのよ。」
 ミサトは、子供がおもちゃでも貰ったように、嬉しそうに言った。
「戦自にいた時のあなたの仕事ぶりは多少知ってるけど、私生活はともかくとして、約束の時間にこんなに遅れるなんて、仕事についてはきっちりしているあなたらしくないわね。あなたは今日から人類を救う最前線で指揮をとるのよ。ネルフに来るって決めた以上、もっと自覚、持ってよ。」
「ごめん、ちょっち、色々あってね。昨日、飲み過ぎたこともあるけど。」
「まあいいわ。さ、行きましょ。」
 リツコは市駅のロータリーに停車させていたダークグリーンの燃料電池自動車、ユスティティアに乗り込んだ。その助手席にミサトが乗る。


 ネルフに向かうリツコの車の中。
リツコは、ハンドルに手を置きながら、助手席のミサトに尋ねた。
「ドイツ、どうだった?」
「ん? ああ、セカンドのアスカって子に会ったわ。」
「いずれあなたの部下として戦ってもらうことになるからね。」
「うん。ちょっちうるさい子だけど、いい子だったわ。」
「半年近くもドイツと京都で遊んだら、少しは気が晴れたでしょ?」
「まあね〜。」
 リツコはミサトの言葉に、無理に作ったような明るさがあるのが気になった。
「・・・本当にありがとう、ミサト。ネルフに来てくれて。よく決心してくれたわ。」
「リツコ・・・・・・本当はまだ、ふっ切れてないの。時間が少し掛かるかも知れないけど、仕事しながら乗り越えて行くしかないって、思ってる。」
「仕事に打ち込むことで、乗り越えられることもあるわ。たとえそれが思い込みだとしても。それで自分を少しは騙せるのなら、ね。」
 リツコは自分自身の実際の経験に照らし合わせながら、自分にも言い聞かせるように、言った。しかしミサトは、大学を出た後のリツコのことはよく知らない。元々リツコは自分のことを余り話したがらない性分でもあったが。リツコもまた、ミサトが戦略自衛隊にいた頃に経験した悲劇について、知ってはいても、詳しくは知らない。想像しているだけだ。
 ミサトはヘリオトロープ色のエンディミオンを握り締めながら言った。
「そうね・・・。じゃあ、久しぶりに、仕事、すっかな。」
「作戦本部で別に歓迎会を予定しているけど、今晩、二人で飲みましょ。久しぶりに。」
「うん、いいわね。」
 ミサトは助手席の窓から、何度か訪れたことのある第三新東京市の街並みを見ながら、どこか上の空で返事をした。


**********flashback/S**********

 その前日、ネルフ司令室。
 がらんどうのような巨大な空間にぽつんと置かれた一つの机。座っているのは、ネルフ司令、碇ゲンドウ。その傍らに立つのは同副司令、冬月コウゾウ。
「碇、いよいよ明日、葛城三佐が到着だな。」
「ああ。当初予定より半年以上遅れたが、これで、作戦本部がようやく本格始動する。」
「戦自の龍鳳のうち龍を欠いたが、贅沢は言えまいな・・・。使徒戦の始まる前に、もう、俺は二人も失った。あいつらもこのような老いぼれに任せるとはな・・・。」
 後ろ手を組んでどこか寂しげに言う盟友に対し、ゲンドウは、ずれた眼鏡を直しながら、彼にしては珍しく、慰めるように言った。
「冬月、ハーキュリーズ構想のために、人類は惜しい人材を失った。だが、戦自もあの敗戦でようやく構想を修正し始めた。まだ犠牲は必要だろうが、方向は是正されつつある。あれは必要な敗戦だったとも言える。彼の死は無駄ではない。彼は歴史の流れを変えたのだ。」
「そう思うしかないな・・・。だが、第三次南極遠征の悲劇に遭って退役した彼女が、三顧の礼とはいえ、よくネルフに来てくれる気になったものだ。」
「彼女にも戦自の限界が分かっている。我々にしか、使徒は倒せないのだよ。それに葛城三佐は、本来レムリア沖で戦死していたはずだった。セカンド・インパクトの時もそうだったが、生き残ったのは奇跡と言える。歴史が彼女を選んだのだ。」
 

 同日。ネルフ食堂、隠れ里。
 オペレータを務める3人のネルフ職員は、多少周りを気にしながら、やや小声で話していた。
「マコト、知ってるか? 明日来る作戦本部長って、すっげえ美人だぜ。なあ、マヤちゃん。」
 長髪の青年、青葉シゲルは、同僚の日向マコトに言い、同じく同僚の伊吹マヤに同意を求めた。
「そうね。葛城ミサト三佐。年は28歳、第二東京大学の国防科を、防大時代も含めて歴代最高の成績で首席卒業。戦略自衛隊に入隊して統合幕僚本部の超エリート・コースを歩んだ。三国志の軍師に准えて今後を期待され、もう一人の優秀な幕僚と共に、戦自の伏龍、鳳雛と称された。一昨年に使徒戦対応の第百部隊・震洋隊に配属。でも、幕僚を務めた昨年12月の第三次南極遠征の後、慰留を固辞して除隊。赤木先輩の大学時代の友達で、司令が三顧の礼で迎え入れたそうよ。」
「元々はハーキュリーズ構想を信じてたんだろ? それで負けたからって、所属をコロコロ変えるような奴は信用できないな。ここと決めたら一生勤め上げる、それが男ってもんだよ。」
「だからマコト、キレイな女の人だって。」
「どうして戦自を辞めたのかしら・・・。」
「やっぱり去年の遠征が大きいんだろ。初めて使徒を一体殲滅したと言っても、連合艦隊はほぼ全滅、とにかく悲惨だったらしいからな。でも、あの人、戦自にいた頃もカッコよかったよ。マコトはあの時担当じゃなかったけど、新国連と戦自、ネルフの三者交渉の席に戦自代表として颯爽と現れてな。使徒襲来時の共闘協定は全部、戦自有利に作られた。あの頭と胆力には、我らが碇司令も太刀打ちできなかった。さすがは、戦自自慢の鳳雛、驚くべき才媛だよ。」
「フン、俺は、そんな姉ちゃんみたいな人より、歴戦の勇者の下で働きたかったな。俺みたいな技術一筋の叩き上げには、エリート臭漂わせるような嫌味な上司は合わないよ。俺は命懸けでここで働いてるんだ。上司だろうと容赦しない。」
「マコトは今時珍しい男尊女卑野郎だからな。これは作戦本部も穏やかじゃないな。」
 シゲルは肩をすくめながら言った。

**********flashback/E**********



 リツコの車がネルフに着くと、ミサトはリツコから貰ったIDでゲートをくぐり、ネルフ本部に入った。やがてネルフ司令室に案内されたミサトは、ゲンドウと冬月の前に立った。ミサトの傍らにはリツコ。
「葛城ミサトです。本日、当本部に着任致しました。」
 ミサトの姿を見ると、ゲンドウは立ち上がって言った。
「ご苦労。よく決断してくれた、葛城三佐。礼を言う。」
 冬月も微笑みながら言った。
「葛城君、君が戦自にいた頃は、ネルフも散々苦労させられたが、君をここに迎えられて大変うれしいよ。」
「ありがとうございます。」
「赤木君、作戦本部や施設の案内を頼む。」
「分かりました。」
 リツコは冬月の言葉を受けて、ミサトと司令室を出た。


「ここに来たことはあるけど、しっかし、まさかこの私が、ネルフで仕事することになるとはねぇ。」
 リツコにネルフの地上施設を案内して貰いながら、ミサトは言った。
「そうね。あなたが戦自にいた頃は、敵として何回も交渉に来たことがあったわね。」
「敵はないでしょ、敵は。」
「敵の敵は味方、という意味ではね。」
「冷たいわねぇ。ま、オーナイン・システムよりも勝ち目のない戦やって、貴重な人材を消耗しまくってきたって意味じゃ、戦自は、国民の敵かもね。」
 リツコは、地下施設に向かうエレベーターに乗りながら、言った。
「ミサト、あなたは部外者として、ネルフの外観しか見ていない。これからあなたをネルフの中枢部に案内するわ。」
「楽しみィ!」
 やがて、ミサトとリツコを乗せたエレベーターの窓から、ジオフロントが見えた。
「わあ! きれい!」
「これがジオフロント。人類の科学の結晶よ。」
「それにしてもこの組織、一体どんだけ税金使ってんのよ、全く。戦自で毎年やってた予算の取り合いが、アホらしくなってくるわね。」
「資金は今のところ無尽蔵よ。でも、使徒戦が始まれば予算はすぐに厳しくなるわ。エヴァの修理費用、半端じゃないでしょうから。」
「そのエヴァってのが、ちゃんと動けば、の話でしょ。」
「動かない時のことを心配する必要はないわ。人類が滅ぶもの。人類の希望はエヴァとハーキュリーズの二つしかない。でももう、戦自のハーキュリーズじゃ、使徒を倒せないことは、あなたが一番良く分かっているでしょ?」
「そりゃね。だから、ここに来たんでしょ。で、肝心のパイロットだけど、アスカ以外の子は?」
「他に二人決まってる。ファーストはこれから紹介するわ。」
「もう一人は?」
「サードは来年早々に選出される予定。」
「ふうん。それって、どこが決めてるの?」
「マルドゥック機関よ。私もよく知らないわ。」
 リツコは遠くを見るような目で、窓の外を見ながら、澄まして言った。


 ミサトは、パイロット待機室で、初めてその少女と出会った。
 白いプラグスーツに身を包んだ、アクアブルーの髪に紅い瞳の美しい少女、綾波レイである。
「ミサト。この子が、ファースト・チルドレン、綾波レイ。」
「私、葛城ミサト。ミサトって呼んで。よろしくね、レイ。」
 ミサトは笑顔で言いながら手を差し出したが、レイはその手を握らず、無表情なまま、小さな声で言った。
「・・・よろしく、葛城三佐。」
「・・・」
「・・・」
 レイはミサトのことをファースト・ネームでは呼ばなかった。
「赤木博士、もう、いいですか?」
「いいわ。」
 レイは、挨拶もせずに静かに立ち去った。
 しばらくしてミサトは、レイがインタフェース・ヘッドセットを忘れて行ったのに気付き、慌ててレイの後を追いかけた。
「レイ! 忘れ物!」
 レイは振り返ったが、ミサトがヘッドセットを手渡すと、それを黙って受け取り、礼も言わずに、再び踵を返して去って行った。
 後ろからやってきたリツコに、ミサトは少し溜め息交じりに言った。
「メチャクチャきれいな子だけど・・・難しそうな子ね・・・。アスカとは全く対照的・・・。」
「そう。明るい子では・・・ないわね・・・。でも、彼女もあなたの部下よ。」
 ミサトは長い通路を歩いて行く美しい少女のどこか寂しげな後ろ姿を、腕を組みながら見ていた。しかし葛城ミサトは、翌年5月から始まる激烈な使徒戦を通じて、綾波レイとの間で互いに深い信頼関係を築いて行き、やがてその少女が、自分にとって、かけがえのない最愛の家族というべき存在になって行くことを、まだ知らなかった。


 ネルフ発令所に二人の上司が到着した。
「みんな、集まって。」
 リツコが声を掛けると、発令所にいたオペレータたちが全員集まった。
「それでは、本日着任された作戦本部長を紹介するわ。葛城ミサト三佐よ。使徒戦における我がネルフの作戦指揮は彼女が執ります。みんな、簡単に自己紹介して。」
 一通りオペレータたちの自己紹介が終わると、リツコが言った。
「では、作戦本部長からご挨拶を。」
「え〜、葛城ミサトです。昨日の晩、飲み過ぎちゃって、ちょっち二日酔い気味です。南極遠征で使徒とは戦ったことがありますけど、完璧、負けました。だからここで勝ちたいと思います。そんなやつですけど、よろしくね。」
 ミサトは、魅惑的にウィンクをしたが、それを見たマコトは強い口調で言った。
「作戦本部長! 赴任初日から二日酔いなんて、やる気あるんですかね。ここは人類の命運を握ってる組織です。みんな死を覚悟して来てるんです。どこかさんのように、一体の使徒を倒すために、全員、犬死にしてるようなわけには行かないんです!」
 最初からなぜかミサトに好意を持っていなかったマコトは、ミサトが幕僚として参戦した戦自の第三次南極遠征の敗退を皮肉った。
「マコト! お前、言っていいことと悪いことがあるぞ!」
 シゲルが顔色を変えてマコトを窘めたが、ミサトは寂しそうに、まるで遠くを見るような微笑みを浮かべ、静かな声で言った。
「そ。ハーキュリーズじゃ、まるで使徒に歯が立たなかった。だから私はここに来た、エヴァンゲリオンで使徒を倒すために。私は使徒に大切な人を何人も殺された・・・。だから、ここではっきりと言っておくわ。使徒への復讐が、私がまだ生きている理由よ。これまで私は戦自の人間だったし、あなたたちと対立したこともあるわ。だけど、ここに来るって決めた以上、私はネルフの人間として、使徒に勝って見せる。それは言葉じゃなくて、これからの行動で示すわ。でも、私のことなんか、どうでもいい。」
 ミサトは、決然とした表情で、マコトのほうに美しい顔を向けて、その目を直視しながら言った。
「あなたの言ったことは一つ、大きく間違っている。あの戦いで戦死した戦自兵は、誰一人、犬死になんてしていない。私が犬死ににはしない。それだけは訂正しておくわ。」
 マコトはミサトの毅然とした口調にややたじろいたが、ミサトから目を背けて、どこか悔しそうに、呟くような声で言った。
「僕が幕僚だったら、あんな無茶な作戦は絶対させませんよ。あんなに人が死ぬ必要はなかった。だから犬死にだって言ってるんです。」
「犬死にじゃないわ! あなた、撤回しなさい! ここで、今すぐ!」
 ミサトは怒りに美しい顔を歪め、物凄い剣幕で、怒鳴った。
「撤回しません!」
 マコトは叫ぶように言い返した。
 リツコは慌てて両者の間に入りながら、マコトに言った。
「日向君、もういいわ。第三次南極遠征計画には、統合幕僚本部の二人の若い幕僚が反対の論陣を張った。そのうちの一人が葛城ミサトよ。日本の第二次大戦の敗戦だって、後の時代の人間は何でも言える。何も知らないあなたが口を出すような話じゃないわ。」
 リツコが押さえに入ると、マヤが雰囲気を変えるために、笑顔で話題を変えた。
「そうそう、作戦本部長、今週末に歓迎会をやりますから、来てくださいね。赤木先輩の話では、葛城さんは半端じゃない酒豪だって伺ってます。1次会はちょっとフォーマルですけど、二次会はちゃんと飲み放題の店を押さえました。日本酒の種類、結構ありますよ。」
 ミサトは悲しそうに微笑みながら、マヤに言った。
「そう。楽しみねぇ。」
「ミサト、じゃ、執務室に行きましょ。」
「うん。みんな、じゃ、また。」
「みんな、日曜日の夜に、作戦本部長の歓迎会をするから、全員出席のこと。いいわね。」


 発令所を出ると、ミサトはリツコに尋ねた。
「あの子、何て言ったっけ?」
「ああ、日向君ね。気に触ったかもしれないけど、ごめんね。正義感の強いまじめな子で、悪い子じゃないの。仕事はきっちりやるんだけど、その分、固いところがあるのよね。」
「見所あるじゃない。使えそうだわ。」
「ネルフでも幹部しか知らないことなんだけど、日向君には仲のいいお兄さんがいたの。戦自のパイロットでね。昨年、あの遠征に参加したの。」
「?!」
 第三次南極遠征から生還した戦自の人間は、葛城ミサトしかいない。つまりマコトの兄は戦死したことになる。
「それ以来、戦自と聞くと、目の敵にしてるのよ。あなたが戦自の気鋭の将校として活躍していたことは周知の事実。今更、隠せないしね。」
「そう・・・。」
「さ、今日はこれで上がりましょ。今晩は、奢るわ。」
「あんがと。今の日本、11月でも暑い時あるけど、財布の中は寒くてね。」


 リツコは、第三新東京市の繁華街、新銀座にあるイタリア・レストラン「カプリ」の窓際の席を予約していた。
「予約していました赤木です」
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ。」
 二人は、洒落たレストランの窓際の席に向かい合わせに座った。リツコが選んだ少し上等な赤ワインが開けられ、グラスに注がれた。
 リツコはワイングラスを上げながら言った。
「ミサト。ようこそネルフへ。」
「ありがとう、リツコ。」
 ミサトはリツコのグラスに自分のグラスを軽く当てた。
 後に6人のチルドレンと共に、約二年に及ぶ使徒との激戦を戦い抜いて行くこの二人の美しい女性は、人工的に造り直された使徒迎撃戦用要塞都市で約半年ぶりの再会を祝した。二人はしばらく世間話をしたが、会話が途切れると、リツコは静かに言った。
「ミサト・・・まだ、元気、戻らないわね。」 
「・・・やっぱ・・・分かる?」
「全然、あなたらしくないもの・・・。」
「うん。・・・今日、発令所で大見え切ってはみたけど・・・悪いけど、私なんてもう、使い物にならないかも知れない。」
「どうして?」
「・・・怖いのよ。」
「何が?」
 リツコは、俯き加減の旧友に、静かに尋ねた。
「使徒が・・・怖い・・・。戦うのが・・・怖くて堪らないのよ。・・・あの遠征はただ、悲惨だった・・・。あれは戦争なんてもんじゃなかった・・・。戦争をさせてもらえなかった・・・。ただの殺戮だった。何人も何人も・・・仲間たちが、何も出来ずにただ死んで行った・・・。私たちがやっていたことは、少しでも仲間が生き残って帰れるように、自分が死んで時間を稼ぐ・・・それだけ・・・。」
「ミサト・・・」
「今日、日向君が犬死にだって言ったのを、私は必死で否定した。否定したかった。でも、本当の意味で、私自身がまだ否定できてない。それが出来ない限り、私は前に進めない。半年近く遊ばせてもらったけど、私は、過去に目を背けて、忘れようとしてただけ・・・。そんなんじゃ・・・やっぱりダメだった・・・。」
「あの遠征で、戦自は人類史上初めて、使徒の殲滅に成功した。それだけでも立派なことだわ。」
「・・・そうね・・・。」
 ミサトの脳裏には、一人の戦自パイロットが、人類史上初めて使徒の殲滅に成功した時のことが思い浮かんだが、彼女は、まるでその思い出をかき消すかのように、大きく首を振った。そして遠くを見るように窓の外を見た。その美しい瞳には涙がうっすらと浮かんでいる。


 ミサトの様子を見ながら、リツコは静かに言った。
「封印されている第四使徒サンダルフォンは、群体として存在する使徒。確かに封印を免れたサンダルフォンは赤い海に数万はいると言われている。その一体を殲滅したところで形勢が変わるわけじゃない。でも、最初に誰かが踏み出さなければ行けなかった。人類が使徒を倒せることを、誰かが示す必要があった。それをした戦自のあなたたちは立派だったわ。」
リツコの言葉を聞いたミサトは、しばらく黙っていたが、リツコとは目を合わせず、窓の外を見つめたまま、小さな声で言った。
「私たちは最初から、この遠征で使徒には勝てないって、分かってた・・・。ハーキュリーズでは使徒に勝てないって・・・。なのに・・・ただ・・・ただ、死にに行っただけ・・・」
「ミサト・・・。凄惨なあの遠征で、戦自の遠征部隊はあなた一人を除いて全員が戦死した。友軍を逃がすための盾となってね。あなたがどれほどの地獄を見たのか、その場にいなかった私には分からない。でもミサト、あなたに昔の元気が戻らない一番の理由、もし話したかったら、話してくれる? もしそれで、あなたが少しでも、楽になるのなら・・・。」
 ミサトの頬を涙が流れた。
「ごめん、まだ話せないわ。もうすぐ1年になるけど、まだ思い出になってないから・・・。気持ちの整理ができてないから・・・。」
「そう・・・」
「私がネルフに入るの、何度も断った理由、分かる?」
「何となく、ね・・・。」
「そう、私は心のどこかで、エヴァンゲリオン構想なんて、失敗したらいいと思ってる。使徒にすぐ負けて、人類なんて滅んだらいいと思ってる。だって、私たち戦自が命懸けでも出来なかったことが、あなたたちネルフに出来るんだとしたら、悔しくて堪らないから・・・。私たちがやってたことが茶番に過ぎなくなるから・・・。だから、そんな人間がここで作戦指揮なんて、取れるわけない・・・そう、思った。」
「ミサト・・・過去はもう、戻らない。あなたはもうネルフの人間。エヴァなら使徒に勝てるわ。」
 リツコの言葉に、ミサトは少し語気を荒げて言った。
「もし、あなたたちネルフの選んだ道が正しかったのなら、ハーキュリーズ構想で死んだ人たちはどうなるの? 私の戦自での7年間は何だったわけ? 私の仲間たちがレムリアで戦死したことには何も意味がなかったっていうの?」
 ミサトは泣きながら、首を振った。
「ごめん・・・余裕ないのね、私・・・」
「ミサト。歴史はまだ終わってないわ。ハーキュリーズ構想の失敗が、連合艦隊の敗戦が、本当に何も生まなかったのかどうか、それはまだ分からない。あなたが奇跡的に生きて戻れたこと、そして戦自を離れてこのネルフに来たこと、そのこと自体に意味があったのかも知れない。もしあなたの力で、使徒戦を最後まで勝ち抜くことができるのなら、そうだったとも言えるわ。」
「物は言いよう、考えようだけど、割り切るにはまだ時間がいるわ・・・。」
「そこまであなたが引きずるのは・・・・・・恋、ね?」
 リツコは軽く溜め息をつきながら尋ねた。
「・・・恋だと気付くのが遅すぎたの・・・。彼が自分に恋してるってことは分かってたのにね・・・。もう永遠にその人を失ってしまうって分かった時に、やっと自分が本気で恋をしていたことに気付くなんて・・・いい年して、バカ過ぎるよね。・・・私は加持君が好きだった。加持君以外の人を好きになるなんて、考えたこともなかった。だから加持君とあんな別れ方をして、彼以外の人と恋愛をするなんて出来ないし、やっちゃいけないって、ずっと思ってた・・・。」
「そう・・・」
「・・・ごめんね、リツコ・・・。詰まんない話ばっかしで。ま、私も大人だからさ。ちょっち、時間頂戴。それだけ・・・。」
「分かったわ。もう1軒、行きましょ、ミサト。」
「うん。」


 カプリで食事した後、2軒をはしごして、リツコにご馳走してもらったミサトは、ネルフの宿泊施設ではなく、リツコの家に泊めて貰うことになった。リツコも旧友の沈んだ様子を見て、そのほうがいいと判断したためである。そこはリツコが中学生時代から母のナオコと住んでいた高級マンションであり、一人で住むには少し広い。
「ミサト、もう遅いから寝る? それともお風呂入る?」
「入らせて。」
「そう。じゃ、お先にどうぞ。そこの奥だから。」
「悪いわね。」
 ミサトは、そう言いながら、風呂場に入って行った。
「うわああああああ! りりりりリツコー!」
 ミサトは慌てて浴室から飛び出してきた。もちろん服は何も着ていない。
「なに?」
「ああっ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あん?」
 慌てる彼女のすぐそばをペンペンが通り過ぎて行く。
「ああ、彼? 新種の温泉ペンギンよ。」
「クワッ。」
 ペンペンは自室である冷蔵庫に入って行った。
「あ、あれ・・・」
「名前はまだないわ。最近、うちにやって来たの。ネコと相性、良くないんだけど、一応、同居中。それにしてもミサト、あなた、いいプロポーションしてるわね・・・。」
「三十路、もうすぐだけどね・・・。ああ、びっくりした。」
 ミサトは再び風呂場に入って行った。

 ミサトは浴槽に浸かりながら、天井を見上げた。

「この街で、私・・・もう一度最初から、やり直せるかな・・・。
 どう思う? ・・・夕霧君・・・」



**********************
次回 第弐話「墓場なき英雄」

葛城ミサト
「出会った早々、口説くつもり?」



To be continued...
(2010.02.27 初版)


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