南冥のハーキュリーズ

第参話 厚木の夜

presented by HY様


 翌日曜日。
 ミサトは、第三新東京市の中心街、新銀座へと向かった。
 その夜は、作戦本部の歓迎会があった。会場は、新銀座の中華料理店、公台である。
「公瑾コースで、お願いします。」
 リツコが店員に言うと、ビールで乾杯をしてから、歓迎会が始まった。
 出席者は、ミサトのほか、ゲンドウ、冬月、リツコ、マヤ、シゲルの5名。レイとマコトは欠席した。ゲンドウがこのような場に居合わせるのは極めて異例だが、ネルフに入ることを拒み続けたミサトを説得した経緯から、敬意を評して出席したのである。
 しかし、ミサトがどこか上の空だったこともあり、このメンバーでは、もちろん歓迎会は盛り上がらない。冬月とリツコが時々話題提供をし、マヤも無理して笑顔を作り、シゲルが緊張しながら気を使ったが、ゲンドウは最初の挨拶以外は、ほとんど一言も話さず黙ったままだった。
 だから、この静かに終わった、ミサトの歓迎会については余り記すことがない。ゲンドウと冬月以外の4人が行った日本酒飲み放題の二次会で、久し振りにミサトは弾けたのだが、これも酔っ払いの話なので、やはり余り記すことはない。


 ある日、ネルフ。
 ミサトの執務室で、マコトが絞られていた。
「日向君、これじゃ、だめよ。この前の会議で議論した内容がきちんと反映されていない。この細則が使徒戦の命運を決めるのよ。あなた、必死さが足りないわ。ここに要検討事項を50個ほどメモっといたから、その点、明日の会議までに再検討して。いいわね?」
 ミサトは分厚い書類に自分のメモを付けて部下に手渡した。
「はい・・・。」
 マコトは顔色を変えたが、黙って執務室を出た。


 その後、リツコの執務室。
 椅子に座って煙草を吸っているリツコの前にマコトが立っている。
「そう? ネルフ、辞めるの? 日向君?」
「はい。もしそうでなければ、赤木博士、共闘協定の細則の件ですが、担当を青葉に変えてください。」
「付け上がらないで、日向君。辞めたきゃ、辞めてもいいわ。ネルフは、あなたか葛城ミサトかどちらかを取れと言われたら、迷わずに彼女を選ぶ。あなたは何のためにネルフに入ったの?」
「作戦本部長は僕を嫌ってて、僕の仕事に難癖を付けてくるんです。明日までに細則について50項目も検討しろだなんて、無茶な話ですよ。このままじゃ、ネルフのためになりません。」
「彼女はそんなに小さい人間じゃないわ。」
「僕とは合わないんです。」
「それが、ミサトのメモ?」
「はい。」
「見せて。」
「どうぞ。」
 リツコはミサトのメモに目を通していたが、やがて顔を上げて言った。
「さすがはミサトね・・・。日向君、私には、彼女があなたを認めて、あなたを育てようとしているようにしか思えないわ。勘違いしないで、いい? 日向君、こんな仕事ね、彼女なら、あなたにやり直させる良い、自分でやったほうが本当はずっと早いのよ。来年には使徒が来る。みんな、忙しいの。それをあなたに、何が大事か、何をどう考えたらいいのか、それをこんなに一生懸命に伝えようとしている。悪いけど、私に到底、真似できないことだわ。だから彼女に来てもらったのよ。最初の3つしか見てないけど、彼女の指摘は全部、私はもっともだと思った。」
「そうですかね・・・。1つめはいいとしても、2つめなんて、非常事態にこんな細かいことまで・・・」
「そうかしら? 使徒はいつどのような形で襲来するか分からない。その場合に民間人がすべてシェルターに避難できているとは限らないわ。あらゆるケースを想定しておかないと現場が混乱するわ。それに、これは戦自との交渉材料でもある。ネルフ側がここまで検討しているということは相手に対するプレッシャーになると同時に、信頼関係の醸成にも繋がりうる。」
「赤城博士は昔から作戦本部長と・・」
「日向君! いい加減にしなさい! あなたほどの志を持っている人なら、もっと上を目指しなさい。ミサトは、自衛隊時代も含めて伝統ある戦自でも、筆頭の幕僚として抜擢されていた将校。彼女は万の軍勢を自在に動かせる。10年そこそこの俄か作りで寄せ集めのネルフなんて、組織としては、規模もレベルも到底、戦自にはまだ叶わない。確かに作戦本部はその辺の組織と比べればはるかに上よ。優秀な人材が集まっている。それは自信を持ってもいい。でも、ミサトは自分のレベルを下げるつもりはないわ。作戦本部がミサトのレベルまで上がるしかない。あなたはもう、葛城ミサトの凄さが分かっているはずよ。あなたは彼女が戦自の人間だからというだけで、あの遠征の筆頭幕僚だったということだけで、彼女を認めたくないだけよ。きちんと受け止めなさい。それができないなら、あなたがそんな人間だったのなら、私の眼鏡違いね、作戦本部にはもう、いらない。すぐにお辞めなさい。」
「・・・分かりました。」
 マコトは厳しい表情でリツコの執務室を去った。


 翌日早朝。
「日向君は?」
「まだ、出勤していません。」
「そう。」
 マヤの言葉を聞くと、ミサトは地上の外部者応対用の会議室に足を運んだ。今日の午後は、戦自、新国連との使徒襲来時の共闘協定の細則について協議が行われる。
 まだ誰も来ていないが、事務職員によって、自分の席には「ネルフ 作戦本部長 葛城ミサト」のプレートがすでに置かれている。その右隣りの席には「ネルフ 技術局一課 赤木リツコ」のプレートが置かれていた。自分はもう、「ネルフ」の人間だ。以前とは反対側に座る。ミサトは、その事実に、時の流れと共に一抹の寂しさを覚えた。
 ミサトは、自分の席に腰を下ろして、右隣りを見た。
 そう、自分が戦自で議事進行をしていた時、自分の右隣りにいたのは、あの青年だった。


**********flashback/S**********

 キミオが岡田部隊長としこたま飲んだ日の翌日の幕僚会議は、午前9時から午後5時まで、みっちり予定されていた。
 冒頭で出席者にキミオの紹介がされ、議事進行は、若いが高い評価を得て筆頭幕僚とされたミサトが行う。議題は第三次南極遠征計画の詰めが中心だが、部隊や施設におけるトラブル処理など多岐に渡る。ミサトはテキパキと議事をこなしていくが、その横でキミオはひたすら舟を漕いだ。
 その昼休み。昼食時は休憩となった。隣の席で大きく伸びをする青年に、ミサトは少し不機嫌そうに言った。
「夕霧君。あなたって、ほんと、無神経な人ね。」
「あ、ちょっと居眠りしちゃったね、ごめん。」
「ちょっとじゃないわよ。私が横で議事進行してんのに、ずっと寝てたら、メチャクチャ目立つわよ。鼾までかいてたし。」
「ああ、僕、詰まんない議題だと寝る癖があってね。大事な時は起こしてくれない? 僕の説だけど、日本でやってる会議は7割無くして、どうしてもやりたい会議も全部1時間に短縮すべきだね。」
「夕霧君、これからもずっと寝るつもり?」
「いや、昨日、岡田さんと4次会まで行ってさ。朝、ジョギングもしたからヘトヘトでね。今日は特別だよ。」
 そのような状態で会議に臨む奴がいるだろうか。しかも赴任後最初の会議だ。ミサトは呆れて言った。
「付き合ってらんないわ。」
「じゃ、眠気覚ましに、一緒にコーヒーでも飲みに行かない? 僕、コーヒー党なんだ。」
「もちろん遠慮しておくわ。」


 ここで、当時、ミサトとキミオ、そして戦略自衛隊が置かれていた状況について敷衍しておこう。
 まず最初にセカンド・インパクトについて、これから2年後の2037年10月にネルフ司令碇ゲンドウの指揮で行われた第四次南極遠征に当たり、リツコが四人のチルドレンに対してした説明を引用しよう。
 
「1999年、死海で、裏死海文書という予言書と共に、鍵と槍が1本ずつ発見された。それがネブカドネザルの鍵とロンギヌスの槍。予言書には使徒襲来が予言され、ヒトの魂の揺り籠である白き月と、使徒の魂の揺り籠である黒き月の場所が記されていた。半神の第壱使徒アダムが南極に眠っていることも、第弐使徒リリスがこの第三新東京市の地下に眠っていることもね。
 気候変動によって地球の温度が上昇するにつれ、南極大陸の氷が解け始め、そこに黒き月と思われる結界が一部発見された。その意味で使徒襲来は、神が、環境を破壊し自らの星を蔑にしてきた人類文明の是非を問うた試練と言えるかも知れない。つまり使徒襲来のトリガーは人類による環境破壊だった。
 予言書を信じた一部のヒトは、使徒襲来を恐れ、気候変動ですべての使徒が目覚める前に、エデンと呼ばれる使徒の本拠地に先制攻撃を仕掛けようとした。ヒトは、神の作りし鍵で黒き扉の封印を解き、黒き月の破壊に一応成功した。でも、封印が解かれた黒き月のガフの部屋には、すでに第伍使徒から第弐拾壱使徒までが存在した。使徒たちのコアは、封印を解いた時に、黒い光と共に世界に散らばって行ったと考えられている。黒き月の破壊により、アダムが覚醒を始め、アダムを守る四人の光の巨人が覚醒した。そして、専守防衛のために残された第四使徒が覚醒し、アダムと不完全な融合を果たした。それがセカンド・インパクト。葛城調査隊は全員が死亡した、ただ一人、葛城ミサトを除いてね。破壊された黒き月からは赤い海が流れ出し、南回帰線から南は死の海となった。これがセカンド・インパクトの真相。歴史の教科書では大質量隕石の落下による大惨事となっているけど、事実は往々にして隠蔽されるものなのよ。」

 リツコの説明は、チルドレンたちが、学校で教科書により教わった内容とは全く違っていた。リツコは続けた。

「ヒトは、神の作りしロンギヌスの槍で第壱使徒アダムを殲滅しようとした。でもエヴァを持たないその当時のヒトの力ではそれができなかった。ヒトは覚醒を始めたアダムと第四使徒の胎児を捕獲し、槍を放棄して、ネブカドネザルの鍵を使って、黒き扉を中途半端に封印するのが精いっぱいだった。それが2023年12月23日のこと。
 ヒトは使徒襲来に怯え、使徒から作りだした兵器でこれに対抗しようとした。それがエヴァ。エヴァは第四使徒サンダルフォンから作られたものなの。リリスから作られた初号機とアダムから作られた伍号機以外はね。
 黒き月は破壊され、もう新しい使徒は生まれないはず。でも封印が解かれ、第四使徒が覚醒すれば黒き月の復元が始まるとも考えられている。復元が終わる前に、黒き月の結界に侵入し、黒き扉を完全に封印する必要がある。そうすれば、南回帰線の向こうを人類の手に取り戻すことができる。それがエデン再建計画よ。」

 さらに、この物語でミサトたちが戦うことになる使徒サンダルフォンに関するリツコの説明も同様に引用しておこう。

「第四使徒サンダルフォンは集団として存在する使徒。専守防衛の使徒と考えられている。黒き月の中にはサンダルフォンの無数の胎児が存在していた。集団として存在する使徒であるために、アダムとの融合が不完全となり、セカンド・インパクト程度で済んだと考えられている。だから、個体としての第四使徒には擬似コアが存在するだけで、第四使徒のコアは黒き月の中の結界にあると考えられているわ。」

 なお、上記で触れられていない第参使徒について語る余裕は、ここでは、ない。


 赤い海に現に存在する使徒に、ヒトは怯えた。
 上記のリツコの説明では省略されているが、人類による使徒迎撃の構想として、使徒の力を使ってATフィールドを中和しうる特殊兵器を開発しようとするエヴァンゲリオン構想の他に、もう1つ、ハーキュリーズ構想と呼ばれるものがあった。
 これは、通常兵器の性能を限界まで高めてATフィールドを突破することで、使徒を殲滅しようとする構想であり、その究極の通常兵器の名前にはギリシャ神話の英雄ヘラクレスの英語名が採用された。ドイツを中心とするエヴァンゲリオン構想に対抗し、こちらはアメリカを中心としたものであり、当時はむしろこちらが有力だったのであるが、主戦場となる日本は、戦自とネルフを通じて、両陣営に人材と資金を供給した。
 そして、エヴァの起動実験とATフィールドの中和実験に一度も成功せず、オーナイン・システムと揶揄されたE計画が行き詰まっていた2035年10月の時点では、むしろ関係者はハーキュリーズ構想のほうに期待をかけていた。しかし、ハーキュリーズによる遠征を立案する戦自の最前線の専門家たちはその限界を感じていた。
 兵器開発と実戦試験、そして使徒に関する情報収集のために行われた第1次、第2次南極遠征は、南極海の北、レムリアと呼ばれる海域で行われたが、遠征艦隊は一体の使徒も倒せずに消息を絶ち、赤い海から撤退さえできずに全滅、遠征は失敗に終わった。したがって、戦自が中心になって第三次南極遠征を検討していた頃、人類は、上記のエデン再建計画どころか、まだ一体の使徒も殲滅していなかった。ハーキュリーズ構想の推進者は、使徒襲来が想定される2037年を迎える前に、いかなる犠牲を払っても、とにかく一体のサンダルフォンの殲滅という分かりやすい成果を求めた。彼らは、使徒の殲滅経験こそが、人類に大きな希望を与え、同構想の大きな推進力になると考えたのである。
 後に述べるように、第3次南極遠征で、人類は、一体のサンダルフォンの殲滅に成功したが、それが当該パイロット固有の卓越した能力に大きく依存していたために一般化はおよそ困難と考えられた。そのため、実際には、ハーキュリーズでは使徒戦に対応できないことが明らかとなった。それでも初めて使徒殲滅に成功したことは事実であり、甚大な犠牲を出した同遠征は「成功」したと受け止められた。そのため、ハーキュリーズ構想は進められ、N2爆雷やポジトロン・ライフル、さらにはJAシリーズを生みだしていくことになるのだが、後に選出されるサード、フォース・チルドレン、碇シンジと桜花トシの共闘により使徒殲滅に成功した第伍使徒サキエル戦において戦自が敗退しE計画の圧倒的優位が明らかとなった時点で、ハーキュリーズ構想はエヴァを補助する脇役へと退くことになる。
 だが、この時点では両構想の優劣は全く決まっていなかった。


 その日の午後の会議では、第3部隊との施設共用についての議題が出た。厚木基地にある戦闘機の実戦訓練場の使用日について、三次遠征に向け、震洋隊に認められている現在の週1日を週2日に増やすという議題がかねて懸案とされているのだが、訓練日を減らされることになる第3部隊がこれをどうしても受け入れない。先月、震洋隊から改めて正式な申入れをしたが、今日は第3部隊の代表者が来てその回答をし、両部隊の協議を続行することになっていた。
 両部隊による激しい応酬は、彼らが荒々しい軍人であることもあって、ほとんど喧嘩になっていた。キミオは昼食を食べたこともあり、午後2時ころから2時間ほど、美しい女性の隣で、改めて気持ち良さそうに午睡を楽しんでいたが、やがて机を激しく叩く音で、驚いて飛び起きた。彼はヘリオトロープ色のハンカチを出して、おもむろに涎を拭いた。
「こっちは歴史の長い第3部隊だ。おたくらのような、出来て10年くらいの新参部隊とは違う。昔の平和ボケしてた時代と違って、俺たちは、命懸けでこの国を守ってるんだ。世界の平和だって俺たちが守ってる。1日も訓練日が減っちまったら、平和は守れねえんだよ。」
「ウチだって、人類の命運を賭けた部隊だ。」
「ハン。あんたたちが戦ったのって、まだ二回だけだろ? おまけに、あんたたちはまだ怪物を一匹も倒したことねえじゃねえか。まだ怪物は南半球で大人しくしてるんだろ? 人間のほうは相変わらず戦争ばっかやってやがるんだ。忙しいんだよ、ウチは。」
 不機嫌そうに腕を組んで論争を聞いているミサトの隣で、キミオは大きく欠伸をした。
「やっさん、頼むよ。これからハーキュリーズ隊の訓練が本格化する。週1日の訓練なんかじゃ、とても年末の遠征には・・」
「知ったことかよ。所詮、寄せ集めの素人パイロットの集まりだろ? おたくは、空母持ってんだから、海でやりなよ。」
「もちろん空母も使う。でも、予算のこともあるし、空母ばかりの訓練というわけには行かない。それに、君たちも、いつ我が隊に転属することになるか分からないぞ。」
「もしおたくに移ったら、その時、考えるさ。」
 ミサトは、やっさんと呼ばれる大男に言った。
「基地施設の利用については第3部隊と震洋隊との協議で決めることになってるわ。この協議はもう1年以上も続けている。そろそろ結論を出させてくれない? どうしても応じないんなら、本省に間に入ってもらうしかないわ。」
「おっ、葛城さん、キレイな顔に似合わず、脅しかい? だからちゃんと今、協議してるだろう? 協議がまだまだ整わないってことさ。俺たちは命を賭けてるんだ。あんたたちみたいに机の上で遊んでるんじゃない。訓練日が減れば命に関わるんだ。」


 キミオは再び、ミサトの隣で、いかにもわざとらしく大きな欠伸をした。
「おい! そこの若い新顔! お前、さっきからずっと寝てたけど、俺のこと、誰だか知ってて、そんな危ねえ態度、とってんのか?」
 やっさんと呼ばれる第3部隊のトラ髭の大男は、青筋を立てて、毛むくじゃらの右腕を伸ばし、キミオを指差した。
「え? 僕?」
「当たり前だ! どこに目、つけてやがる!」
「ああ、もちろん知ってますよ、やっさんでしょ? 聞いてると、どうもウチじゃなくて、第3部隊の方のようだ。」
「当たり前だ!」
 ミサトのすぐ隣で、キミオは、激怒するやっさんに、屈託ない笑顔で微笑みかけ、寝癖を直すように髪の毛をいじりながら、人懐っこく提案した。
「じゃあ、やっさん、こうしませんか? 第3部隊と震洋隊で、古風に戦闘機の戦技会、やりましょうよ。使徒戦用のハーキュリーズだったら高速じゃないし、面白いかも知れませんよ。それで勝ったほうが相手に譲る。だから、ウチが勝てば2日認めて下さい。負ければこれまでどおり1日のままでいい、青い海の上で訓練しますよ。それも気持ち良さそうだし。おたくと協議していても、足掛け5年位は掛かりそうですしね。おたくもそれが狙いでしょ?」
「願ってもねえ話だが、ルールはパイロット3名で、ガンカメラ判定。第二部隊長にやってもらう。それでいいな? まあ、使用機はハーキュリーズでいい。実は俺も、あれ、乗ってみたかったしな。だけど、おたくに、ちゃんと乗れるの、いるのかい?」
「さあね。僕もここに来て二日ですから、良く知りませんけど、でもまあ、ここも軍隊なんだから、多少いるでしょ。いなければ、ウチは僕ひとりでいい。」
「おい、お前、俺たちをバカにしてんのか? 何で俺たちがお前にハンディ貰わなきゃいけねえんだ。」
「まあいいでしょ? 有利なんだから。」
「お前、会議の間、たまに起きた時は、隣のきれいな姉ちゃんの顔ばっか見てたけど、単に、姉ちゃんの前でカッコつけたいだけじゃねえのか! 後で思いっ切り吠え面かかしてやっから、待っとけよ!」
「姉ちゃん?! やっさん、親しきに中にも礼儀ありよ。言葉に気をつけなさいな。」
 ミサトは美しい顔を少し歪めて言うと、やっさんは頭をかきながら言った。
「いや、すまん、葛城さん。第三部隊でもあんたのファンは無茶苦茶多い。俺もあんたの度胸は買ってる。だから余計に、あんたの隣のカッコつけの大ボラが許せねえんだ。」
「だって、やっさん。そりゃ、こんなに美しいご婦人の前なら、カッコはつけたいですよ、もちろん。男なら誰でもそうでしょ? やっさん?」
「俺を馴れ馴れしく、やっさんなんて呼ぶな!」
「だって、やっさんなんでしょ? それ以外のお名前、知りませんもん。」
「おいお前、結局、何もんだ? 名前は?」
「夕霧キミオ、です。」
「え?! 夕霧って、あんた、あの、今孔明って、騒がれてたやつか?」
「そりゃ誉め過ぎですよ。孔明ほど頭が良きゃ、こんなしょぼい装備の部隊で、安月給で幕僚なんかやってませんわね。」
「フン。まあ、あんた、お頭(つむ)はいいんだろうが、この機会に実戦ってものを教えてやるよ。あんたにゃ、万の軍勢を動かせても、1機の戦闘機を落とせはしないさ。お互い役割が違うのさ。」
「まあ、ご指導お願いします。」
「じゃあ、いいな。この若造が言った通りにさせてもらう。事故ったら始末悪いし、ハーキュリーズに慣れる時間を見て・・・」
 やっさんは、その巨体からすると、とても小さなピンク色の手帳を取り出して、パラパラめくりながら、言った。
「そうだな、来週の日曜日、7月15日の午後2時からドッグ・ファイトだ。結果は見えてるけど、それでこの話は一切なかったことにしてくれ。いいな。」
「おいおい、やっさん、夕霧君、こんな大事なことを・・」
 岡田部隊長が最後に割って入ろうとしたが、キミオはそれを遮って言った。
「やっさん、約束ですよ。負けたら2日にして下さいね。」


 会議が荒れて終わった後、キミオはミサトに言った。
「葛城さん、ちょっと今晩、相談に乗ってくれない?」
 ミサトは、キミオのやっさんへの決闘申入れに呆れていたが、妙にこの青年が自信ありげであったことから関心を持ち、また、これから同僚として毎日のように顔を合わせることになる青年と少し話をしてみたい気がしたため、これを受けた。
「分かったわ。いったん寮に戻ってから、街に行きましょ。歓迎会、してあげるわ。」
「僕って、つくづくツイてるなぁ。戦自に入った甲斐があったってもんだよ。じゃあ、6時半に君の家に迎えに行くね。」
「ええ。」


 独身寮、ミサトの部屋。
「フン、フンフン〜」
(え?! ちょっと待って・・・なんで私・・・こんなにおめかししてるの・・・?)
 ミサトは着替えながら、ふと気付いて、自問自答した。
 すると、チャイムが鳴った。
「はあい! ちょっち、待って〜!」
 ミサトの大声はドアの外まで聞こえた。
 しばらくしてドアが開くと、ミサトは乱雑に散らかった中を見られないように、ドアをすぐに閉じた。
(どうして、私・・・この人に部屋が散らかってるの、見られたくないんだろう・・・?
 もしかして私・・・自分を、作ってる・・・?)
 しかしキミオは、玄関に背を向けて11階からの眺めを楽しんでいるだけだった。
「夕霧君、お待たせ。」
 その声に彼は振り返ったが、濃紺のワンピースに身を包んだミサトの美しい姿に思わず見とれた。
「葛城さんの制服じゃない姿、初めて見たよ。」
「当たり前じゃない。まだ出会って二日目でしょ。ところで、夕霧君って、いつもそんなカッコしてるの?」
 ちなみにキミオは、ちょっと冴えない、皺の寄った紺のスーツに、白いワイシャツ、首元を緩めたワインレッドのネクタイだ。
「ああ、うん。兄さんが前にくれたお古なんだ。着てると一緒にいられる気がしてね。いつも軍服しか着られないから、デートの時くらいはね。」
「デートじゃ、ないんだけど。」
「あ、そうか、そうだね。じゃ、葛城さん、行こう。」


 ミサトとキミオは厚木の繁華街を歩いていた。
「夕霧君、アトランティスっていう多国籍料理屋なんだけど、そこでいい?」
「うん、いいよ、君と一緒ならどこでも。ところで、葛城さんも独身寮にいるんだから、独身なんだよね?」
「当たり前でしょ。」
「葛城さん、今、付き合ってる人、いるの?」
「それがあなたに関係あるわけ?」
「まあ、ないかな。残念ながら。」
 若者は肩をすくめながら言ったが、その隣を歩くミサトは、複雑な表情をしていた。
(どうして、私・・・浮き浮き・・・してるの・・・?
 この人と食事するの・・・いやじゃない・・・。)


 二人はアトランティスに入り、窓際の席に陣取った。
「とりあえずビールでいいわね?」
「うん。二日酔いも醒めて来たからね。」
「昨日、どんだけ飲んだの?」
「忘れるくらいさ。色々ちゃんぽんでね。」
 二人は、やがて持って来られたジョッキを持ち上げた。
「まあ、いいわ。それじゃ、夕霧君、地獄の第百部隊へようこそ。」
「ありがとう、葛城さん。どうぞよろしく。」
 二人がグラスを鳴らすと、ミサトは一気にビールを飲み干し、その感想を素直に吐露した。
「んぐ、んぐ、んぐ、んぐ、んぐ、んぐ、ぷはーっ! カァーッ! やっぱ人生、この時のために生きてるようなもんよねぇ。今日は一日中つまんない会議で疲れたし。ん? 夕霧君、飲まないの? まだ二日酔い、残ってんの?」
 キミオはにっこりと微笑みながら言った。
「いやぁ、葛城さん。実に、気持ちいい、見事な飲みっぷりだね。君、ビールのCMに出たら、ビールも君も売れると思うな。でも、葛城さんて、やっぱり面白い人だね。君といると愉快でたまらないよ。」
「そうぉ?」
「うん。厚木の人たちは面白そうだ。我らが岡田部隊長も、昨日飲んで分かったけど、信頼できるね。」
「うん。彼は部下に任せるけど、大事なところは押さえて、責任はきちんと取る。そういうタイプね。素敵なおじさま。岡田さんなら、結婚してあげてもいいかな・・・。」
「あの人、昨日の時点ではまだ妻帯者だったよ。」
「知ってるわよ、冗談よ。ところで夕霧君は、どうして第百部隊なんかに来たの?」
「結婚相手をそろそろ見つけようと思ってね。」
「もしそうなら軍隊なんか早く辞めなさいな。他、当たったほうがいいわ。」
「そうかなぁ。ここに来て大正解だったと思ってるんだけどなぁ。」
「勘違いしないように最初からはっきり言っとくけど、私、あなたみたいに不真面目で軽いタイプ、好みじゃないから。会議ではほとんど寝てるし、わけわからずに喧嘩は吹っ掛けるし。」
「あれ? 葛城さん、勘違いしてない? 僕、軽くないよ。詰まんない仕事は徹底的に端折るけど、大事な仕事と恋愛には真面目なんだけどな。ナイーブなほうだしね。付き合ってみれば、すぐに分かるさ。」
「悪いけど、私、ここに仕事をしに来てるの。あなたとプライベートを共有する気はないわ。」
「そいつは残念。ところで葛城さん、ここに来る前、使徒について割と勉強したんだけどさ。震洋隊って、ハーキュリーズで本当に使徒に勝てると思ってるの?」
「勝たなければ人類が滅ぶわ。」
「ハーキュリーズ構想は、日独中心のエヴァンゲリオン構想に対抗してアメリカの軍需産業主導で進められてきた。今は使徒と聞けば金が流れるし、使徒戦用の兵器として採用されるか否かは業界の命運に関わる。これに戦自が付き合う必要もないんだけど、外圧で振り回されてるだけさ。でも人の命が掛ってる。何とかしたいんだけどね。」
「でも、対抗馬のE計画は、所詮オーナイン・システム。実際、使えるかどうか分からない。使徒が襲来したけど、動きませんじゃ、シャレにもならないわ。そんな危なっかしい物に人類の未来を委ねるわけにはいかない。究極の通常兵器なら、私たち軍人が普通の戦争として使徒戦を戦えるもの。まだ、ハーキュリーズのほうが、望みがあるわ。」
「うん、まあこの話は、またゆっくりしよう。どっちにしても、僕はここで戦う。ここには葛城さんがいるから。」
「夕霧君、そういうの、やめてくれない?」
「ごめん。気に触ったかな。」
「別に。あなたをそういう対象として見てないから。」
「そう・・・。葛城さんって、はっきりした人だね。そういうタイプ、嫌いじゃないな。」
 キミオはちっともめげていないようである。


 ミサトが注文した長崎ちゃんぽんとスリランカのカレーがテーブルに届くと、ミサトは、異様な行動を取った。
「葛城さん! 一体、何やってるの? 何で長崎ちゃんぽんにカレーなんか・・」
「意外とおいしいのよ、こうしたら。夕霧君もやってみたら?」
「え?! そんなことするんだったら、カレーうどんを頼んだほうがいいんじゃない?」
「あ〜あ、仮に万一、夕霧君なんかと間違って結婚したとしても、この美味しさが分からないんじゃ、共同生活なんてとても続きそうにないわね〜。」
「葛城さんがそこまで言うんなら、後で、死ぬ思いで試してみるよ、じゃあ。」
「そんなことより夕霧君、来週日曜のドッグ・ファイト、どうするつもり? その相談、するんじゃなかったの?」
「ああ、あれね。何とかなるでしょ。」
 ミサトはキミオが青くなって自分に相談するのではないかと思っていたが、彼が一向にその話をしなかったので、自分から言ってみたのである。実はキミオは、ミサトと食事をする口実にしただけで、特に彼女に相談する内容はなかったのだが。
「何とかなるって、あなた、ちょっとは戦闘機に乗れるの? 作戦科だったら、体験搭乗くらいしか、してないでしょ?」
「ああ、実は、大学ではずっと実戦科に潜り込んでたんだ。僕、昔から機械いじりが好きでね、飛行機少年だったんだよ。でも、高校時代から眼が円錐角膜って病気になってね。眼が悪くて実戦科の受験が認められなかったんだよ。だから仕方なくそれに近い作戦科に入った。でも、戦闘機の操縦訓練はずっとさせてもらってた。大学時代に7年乗ったよ。実は最後の3年は、留年生だけど、実際上、教官として教えてたんだ。単位は取れなかったから成績は出てないけど、僕以上に出来た奴は誰もいないよ。新国連時代も難しい空中戦が必要な作戦は、僕が自分で戦闘機に乗った。だから操縦は自信がある。戦闘機の操縦はスポーツと同じで、ある程度、歳をとると衰える。やっさんとかいう人はもう盛りを過ぎてるしね。僕には勝てないさ。ただ、ハーキュリーズは試作機に乗ったことがあるくらいだから、明日からドッグ・ファイトまで有給をもらう。しばらくは特訓だね。」
「へ〜え。夕霧君、軟弱な秀才かと思ったら、意外とやるじゃない。」
 ミサトはそう言ったが、最初からこの青年を軟弱だとは思っていなかった。
「見直した?」
「さあね、もっと一緒に仕事してみないと。」
「楽しみだなぁ、葛城さんと仕事するの。」
「横で寝てるだけじゃない。」
「ドッグ・ファイトが終わったら、本気出すよ。これまでの職場って、年上のむさっ苦しい男ばっかりでさ。やっさんとか、ああいう熱血漢、いい味出してて、嫌いじゃないんだけど、暑苦しいんだよね、あんなんばっかりだと。軍隊だから仕方ないんだろうけど、飛行機が好きだからってこんな会社に入ったの、つくづく後悔してたんだ。」
「震洋隊も私以外は大体、男よ。」
「いいさ。君がいれば百人力さ。」
「それって意味、違うんじゃない?」
「君が女性、百人分くらい美しいって言う意味さ。」
「お上手。」
 二人はすでに焼酎のボトルを1本空けていた。


「で、夕霧君、本当にひとりでやるつもり?」
 ミサトは、キミオの焼酎グラスに二本目の焼酎を注ぎながら、尋ねた。
「ありがとう・・・うん。事故起こしたりしたら面倒だからね。それに1対3で負ければ向こうも納得すると思うし。」
「それにしても、すごい自信ね。」
「ドッグ・ファイトと通常戦の作戦立案には自信がある。恋愛には、自信ないけど。」
「はいはい。」
「ところで訓練するにも整備が必要なんだ。この基地にも、ちゃんと整備できる人っているよね?」
「ええ、頑固おやじがいるわ。明日、紹介してあげる。気難しいけど、腕は確かで、いい人よ。」
「ありがとう。」
 最後に、キミオは、長崎ちゃんぽんを少し残してそれにカレーを掛けて食べてみたが、別々に食べたほうが圧倒的に美味しいことを確認しただけだった。キミオは、もしミサトと結婚したら、毎日このような料理を食べることになるのかと思い、苦笑した。
自分と同じように、わざわざ長崎ちゃんぽんにカレーを掛けて食べてみて、何も言わなかった青年の様子を見て、ミサトは微笑んだ。

**********flashback/E**********


 ネルフ、外部者応対用会議室。
「作戦本部長! 聞いてます?」
 ミサトは、マコトの声で我に返った。
「ん? 何、日向君?」
「遅くなりましたが、修正案です。会議前に一応見ておいて頂けませんか?」
 ミサトが見ると、マコトは彼女の多数の指摘を適切に検討し反映した、実に周到な文案を作っていた。マコトは緊張して上司の言葉を待っていたが、彼女はしばらくして顔を上げると、部下に言った。
「日向君、徹夜したの?」
「はい。」
「よくやったわ、日向君。やっぱりあなたに任せて正解だった。あとは任しておきなさい。今日の会議、私が、この線で落とすから。」
 ミサトが美しく微笑みかけると、マコトは少し頬を赤く染めて、少し嬉しそうに頷いた。


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次回 第四話「空騒ぎ」

葛城ミサト
「夕霧君、もしかしたら・・・あなた、ちょっち・・・素敵かも、知れない。」



To be continued...
(2010.02.27 初版)


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