南冥のハーキュリーズ

第四話 空騒ぎ

presented by HY様



 ある金曜日の夜、ミサトはシゲルとマヤに誘われて、新銀座の和食料理店ジパングで夕食を共にしていた。
「葛城さんって、ほんと、噂通りの人でしたね。葛城さんのお陰で、あっという間に使徒戦時の指揮系統も整理できましたし、非常事態対応マニュアルもほぼ完成しましたもんね。仕事は早いし、指示はいつも的確だし、作戦本部のレベルが物凄く上がりました。みんな、驚いてますよ。俺、三国志、好きなんですけど、さすがは戦自の鳳雛と呼ばれただけのことはありますね。」
 シゲルがトンカツにレモンとソースをかけながら言った。
「いくらおだてても、この店、割り勘よ。」
「分かってますよ、葛城さんの懐状態は。あれだけ、飲んでりゃね。ところで、もう一人の伏龍のほうはどうだったんですか? さすがに、葛城さんほどじゃなかったと思いますけど。」
 シゲルに過去形で問われた質問を、ミサトは少し寂しく思った。
「私、実は三国志、読んだことないんだけど、孔明のほうが、本当は凄いんじゃないの?」
「それはそうですね。鳳雛のほうが早く死んでしまったこともありますけど。」
「そう。じゃ、それで正しいわ。彼は私より数段上だった。早く死んじゃったけどね。」
 無理に作っているようなミサトの微笑みを見て何かを感じたマヤは、話題を少し変えた。
「これから、赤木先輩と葛城さんの双璧がネルフを支えて行くんですね。頼もしいです。これなら、使徒殲滅も夢じゃありませんね。」
 マヤはまだ使徒を実際に見たこともあるまい、戦ったこともあるまい。「使徒殲滅」というマヤの言葉に、ミサトの脳裏にはまた、あの遠征で戦自が使徒殲滅に「成功」した時の映像がフラッシュバックし、彼女の胸には幾つもの思いがこみ上げてきた。ミサトはそれを振り払うように首を振り、冗談めかして、やっと一言だけ、言った。
「まあねェ〜。」
「もちろん使徒に簡単に勝てるなんて、思っていません。でも、赤木先輩と葛城さんの部下として戦って死ぬのなら、それでいいと思っています。」
 ミサトは、第三次南極遠征の前、何度も戦自の仲間たちと厚木で飲んだ。しかし今、生き残っているのは自分しかいない。ミサトはすでに酔っ払ってはいたが、やや毅然とした口調で、新しい仲間である部下たちに言った。
「いいえ、あなたたちは、死なせない・・・。同じ失敗はもう、しないから・・・。」


 その晩、いつもの通り飲み過ぎたミサトは、翌日、昼頃に目を覚まし、遅めのランチを食べるために街へ出た。彼女は、新銀座で目を付けていたエル・ドラドというスペイン料理店に入った。
 ミサトは窓際の席に座ると、窓の外を眺めながら、また回想に耽った。


**********flashback/S**********

 ミサトがキミオの歓迎会をした翌日、キミオは独身寮の自室玄関付近に待機し、ミサトが朝食のために自室を出るのを待ち構えていた。うまく彼女をつかまえて、食堂で朝食を共にする算段である。
「やあ、おはよう、葛城さん。」
「ああ、キミちゃん、おはよう。」
 ミサトはキミオに多少、好意を持ったのかも知れない、勝手なあだ名で呼び始めた。
「葛城さん、奇遇だね。朝ごはん、一緒に食べに行こうよ。」
「お生憎様。ちょっち最近、懐事情が悪いから、もう部屋で済ませたの。」
 実はミサトは、少し気難しい整備兵のおやじさんに、キミオのことを頼むために、その日は早く基地に行くつもりだった。おやじさんは早起きだから、捕まえられる。
「ツイてないなぁ・・・。」
 キミオは落ち込んだ様子だった。
「どうかした?」
「いや、別に。」
「じゃ、昼休みにおやじさん、紹介するから。」
「うん。ありがとう・・・。」


 その昼休み、ミサトは、キミオを連れて整備場に行った。
 そこには、油まみれの作業服を着た小柄な老人が、真剣な表情で戦闘機のエンジンに頭と工具を突っ込んで作業をしていた。
 キミオは、老人に声を掛けようとしたミサトの右腕を引き止めて、制止した。
 そのまま15分ほど経って作業が一段落すると、老人は自分の後ろに立っている二人のほうをゆっくりと振り向いた。
「何か、用か?」
「おやじさん、今朝、話してた彼、連れて来たわ。」
「あんたか?」
「はい。」
 鋭い眼光の頑固そうな老人のねめつけるような視線を、若者は微笑んで受け止めた。ややあって、老人は関西弁で言った。
「戦闘機は税金で飛ばしとる。何の因果か知らんが、不幸なことに人を殺すための道具や。おもちゃやない。わしは、やっさんに喧嘩を売ったとかいう身の程知らずな若造の酔狂のために、整備してやる気ィなんてあらへんかった。・・・でもあんた、素人ちゃうな。わしの仕事が終わるまで声を掛けんかった。それはパイロットの命を預かるわしの仕事を尊重してるからやな? 若いの?」
「もちろんです。」
「ん? ・・・あんた、前に、どこかで会わへんかったか・・・?」
 老人は、皺の多い顔の下部、無精ひげを生やした顎に、油まみれの右手を当てながら、何かを思い出そうとしていた。
「おやじさん、覚えていてくれましたか。我が国最高の整備士がここにおられるとは知りませんでしたね。」
 おやじさんと呼ばれた老人は少し嬉しそうに言った。
「そうか、マルタの鷹、やな。」
「はい。また、お世話になります。いまさら中止なんてことないでしょうけど、僕のことは黙っといて下さいね。訓練は海でやって、やっさんたちに分からないようにしますから。」
「分かった。ほな、逆の意味で、勝負は決まっとったわけか。やっさんも可哀そうやな。」
「ええ。でも、ハーキュリーズはまだ慣れてないんで、油断はできませんしね。」
 キミオはミサトのほうを向いて言った。
「ありがとう、葛城さん。これから僕は、おやじさんと、君にはわりと意味不明の話を1時間24分くらいしてから、新横須賀の海で、特訓を始める。そういうことだから、岡田さんに、特訓のために来週日曜日まで有給取るって、言っといて。」
「・・・あなたみたいに勝手な人って、これまで、一人くらいしか会ったことないわ。」
 ミサトは加持のことを思い浮かべながら、呆れた様子で言った。


 数日後、ミサトは朝起きて、食堂に向かおうと思い、ふと思い立って、キミオの部屋のチャイムを鳴らしたが、応答は無かった。
「夕霧君、今日もいないのか・・・。」
 ミサトは、キミオをおやじさんに紹介した日から、キミオの姿を滅多に見ないようになった。彼女はそれを少し寂しく感じている自分に気付いた。
 彼女は、ある日の昼休み、おやじさんの所に言った。
「おやじさん、夕霧君、知らない?」
「ん? ああ、新横須賀の海で、毎日ひたすら特訓しとるわ。朝早うから深夜まで1日に100本位飛んどる。あいつ、やっぱりすごいやっちゃなぁ。あれだけの腕があんのに、絶対妥協せえへんで、あそこまでやるんやからな。大したもんや。」
「へえ〜、彼、勝てそうなの?」
「ほとんどハーキュリズと一体化しとる。戦技会はすぐ終わるやろな。」


 ドッグ・ファイトの前日、土曜日の深夜。休日出勤をしていたミサトは、寮のエレベーターの壁にもたれていた。
(なんか・・・熱っぽいな・・・。
 疲れた・・・最近、仕事が多くて・・・。
 それもこれも、夕霧君が全然仕事、しないからじゃない・・・。
 今日は飲まずに早く寝よ・・・。)
 ミサトがエレベーターを出て、自室の前で鞄からカードキーを出そうとした時、彼女は急に眩暈を感じて、額を押さえた・・・。

***

 ミサトはベッドの上で目を覚ました。彼女が右のほうを見ると、ベッドのそばにはキミオがいた。
「よかった! 葛城さん! 救急車を呼ぼうかと思ってたんだ。」
「・・・あれ? 夕霧君・・・なんで・・・?」
「さっき僕が帰ってきたら、君が玄関の前で倒れてたんだ。びっくりしたよ。君のカードでカギを開けて入った。上着を脱がして、少し胸元を緩めてあげたけど、何も刑法に触れるようなことはしてない。」
「どうだか・・・」
 ミサトはやや元気なく、しかしいたずらっぽく笑いながら言ったが、キミオは優しく言った。
「可哀そうに、過労だよ、葛城さん。」
「夕霧君が仕事、しないからでしょ?」
「ごめん、明日の戦技会が終わったら、使徒戦の準備、真面目に始めるからさ。」
「でも、雑用は全部、私じゃない。」
「これまでの僕のポリシーを変えるよ。君のためなら、雑用だってしてもいい。」
「雑用するのは当たり前よ。本当に自分勝手なポリシーだわ。」
 

 しばらくして、ミサトは辺りを見回しながら言った。
「ちょっと、夕霧君。ここ、本当に私の部屋?」
「そうだよ。」
「・・・」
「少し散らかってたから、勝手なことしたかも知れないけど、片付けといた。」
 ミサトが見ると、あれほど散らかっていた部屋が見事に跡形もなく片付けられていた。ミサトは少し赤くなった。
「ちょっち・・・散らかって、なかった・・・?」
「ちょっち、ね。」
「あなた、なんか私のこと、勘違いしてるみたいだったけど・・・ちょうど良かったわね。私に、幻滅・・・したでしょ?」
 ミサトは少し恥かしかったのか、キミオのほうを見ないで、言った。
「いや、むしろ親近感が湧いたね。高嶺の花でも、頑張ったら掴めるんじゃないかって、錯覚さえ覚えたよ。」
「それは間違いなく錯覚だけどね。」
「やっぱり?」
「うん。」
「ま、いいや。それより葛城さん、この薬、飲んでみて。僕も昔からよく風邪で寝込むんだけど、とりあえずこれ、飲んでるんだ。」
 ミサトは、キミオから金色の小袋を受け取った。
「早目のバビロン。何か大げさな名前ねえ。私、滅んだらどうするのよ?」
「大丈夫だって、僕も飲んでるし。意外と効いたりするよ。お白湯を用意しといたから。」
「ありがと。」
「お茶で飲むより、水で飲んだほうがよく効くんだって。」
「どうして?」
「理由は知らない。兄さんがそう、言ってたんだ。間違ってるかも知れないけど、僕はいつもそうしてる。」
 ミサトはキミオの方に手を回して身を起こし、キミオが差し出した白湯で薬を飲むと、静かに横になった。


 ミサトは隣で優しく微笑む青年に尋ねた。
「夕霧君、最近、家に帰ってた?」
「うん。」
「ぜんぜん、見なかったけど・・・。」
「ここんとこ、君より遅く帰って、君より早く出ていたからね。」
「特訓してるんだってね・・・。おやじさんから聞いた。」
「うん。」
「夕霧君って、やる時はやるんだ・・・。」
「見直した?」
「最初の評価が低過ぎたから、訂正しているだけよ。」
「君さえ嫌じゃなかったら、僕、今晩、ずっとここにいたいんだけど・・・。」
「・・・・・・嫌じゃ・・・ないわ・・・。でも、明日、ドッグ・ファイトでしょ?」
「そうだよ。でも、別にいいんだ。万一負けても、現状維持なんだし。」
 膨大な資金と兵器を用いる第三次南極遠征。ミサトは遠征に参加する約10万の将兵の命運を握る作戦の詳細を立案していた。彼女がこの1年余り感じてきた緊張と重圧は相当のものであった。しかしミサトは、この青年と話していると、張り詰めていた日々の緊張が解れていくのが分かった。彼女は同僚に優しくしてもらったことが素直に嬉しかった。
「・・・夕霧君って・・・優しいね・・・。」
「それだけが取り柄なんだ。」
「・・・それだけってこと、ないんじゃない・・・。私・・・夕霧君、ちょっち尊敬する・・・。」
「ほんと?! うれしいよ! 尊敬が愛に変わることも・・」
 ミサトはキミオの言葉を遮るように言った。
「夕霧君。私、戦自で、ずっと一人だったの。学生時代に成績が良かったし、紅一点だったこともあってチヤホヤされて、鳳雛だなんて騒がれてさ・・・。評判ほどの奴じゃなかったって、言われるのが嫌で、それは物凄く努力した。私なんかを尊敬してくれる同僚とか、信頼してくれる上司とか、妬んでる同僚とか、そんな人はいたけど、本当の意味で信頼し合える友達が欲しかったの・・・。でも、やっと会えた気がする。夕霧君、いつまでも、いい友達でいてね。」
 キミオは複雑な表情を浮かべたが、優しく言った。
「分かったよ、葛城さん。友達でもいいよ。僕が君を裏切ることは絶対にない。」
「ありがとう。あなたと一緒に使徒を倒せるなら、嬉しい。」
 そう言うと、ミサトは何か安心したように眼を閉じた。ミサトが眠りに落ちると、キミオはミサトの掛け布団を直してあげた。


 翌日、日曜日。
 昼前にミサトが目を覚ますと、キミオは彼女のすぐそばでベッドにもたれたまま、鼾をかいて寝ていた。特訓でよほど疲れていたのだろう。ミサトはキミオを起こして帰らせ、自分はシャワーを浴びた。ミサトはまだ若い。もう、調子は戻っていた。
 簡単な昼食を済ませると、ミサトはキミオと共に訓練場に向かった。
「コーヒー、飲む時間なかったね。」
「そんなことより、夕霧君、生きて帰ってきてね。」
「これ、模擬戦闘だよ、葛城さん。普通、死なないさ。間違って撃ったら危ないから、実弾も入れてないしね。」


 午後2時。厚木基地の飛行訓練場は熱気に包まれていた。第3部隊と震洋隊のドッグ・ファイトが開催されるためである。キミオの戦闘機は白、やっさんたちの戦闘機は黒である。
「夕霧君、アイスコーヒー、飲んでいく?」 
 ミサトが気を利かして買ってきたアイスコーヒーをコーヒー好きの若者に手渡そうとした時、搭乗の合図が鳴った。キミオは笑顔で微笑んで、小脇に抱えていた白いヘルメットを被りながら、言った。
「じゃ、戻ってきてから頂くよ、葛城さん。すぐ終わらせるから、持っといて。」
「え?」
 彼の言った通り、このドッグ・ファイトはあっけないほどすぐに終わった。

†  
 キミオは真っ白なハーキュリーズのコクピットに乗り込んだ。やがて、合図の旗が振られると、4機の戦闘機は一斉に滑走路を疾走し、大空に舞い上がった。ハーキュリーズは使徒戦用に作られた戦闘機だから、速度よりも小回りを重視している。特訓を重ねたキミオの操縦はうまい。キミオは右に急旋回しながらすぐに1機の背後に回り込み、照準を当て、ガンカメラで撃墜の判定を得た。後ろからヤっさんの黒いハーキュリーズが狙うが、上下左右に揺れるキミオを捕え切れない。
 白のハーキュリーズは、急上昇すると急回転して姿を消した。もう一人の第3部隊のパイロットは姿を見失ったところを下から撃たれ、撃墜の判定を受けた。その後ろをさらにやっさんが狙って打つが、ガンカメラの判定は出ない。やっさんはキミオの後ろを捉えたまま追いすがる。キミオは左に機体を捻らせながら、宙返りを始めた。やっさんがこれを追うと見るや、宙返りの途中でエンジンを失速させ、自分を通り過ぎたやっさんの背後をとった。伝統的な左捻り込みという技である。これでやっさんを判定で撃墜した。
 白いハーキュリーズは、しばし空中のアクロバットを披露して華麗に舞うと、ミサトの待つ飛行場へと優雅に着陸した。


 キミオはコクピットから降りて、白いヘルメットを外すと、彼を待ち構えていたミサトに笑顔で言った。
「お待たせ、葛城さん。コーヒー、もらえる?」
 ミサトが持っていたアイスコーヒーの氷はまだ解けておらず、ちょうどいい塩梅だった。
 勇者の帰還に、ミサトは頬を少し赤く染めて、小さな声で言った。
「夕霧君、もしかしたら・・・あなた、ちょっち・・・素敵かも、知れない。」
「ほんと? やっと分かってくれた? 葛城さん?」
「え?」
 そこへ、黒いハーキュリーズから降りたやっさんがやってきた。
「おい、あんた。完敗だ。一体全体、あんた、誰なんだ。」
「少し前に、マルタの鷹って、いたの、知ってます?」
「え?! あの伝説の学生パイロットか?! 学生の分際でアグレッサー部隊長をやってたっていう・・・。それがあんたなのか?」
「そうですよ。」
「そんなんが、なんで幕僚なんかやってんだよ?」
「目の病気で、実戦科に入学できなかったんですよ、僕。」
「キミちゃん。先にそれ、言ってくれよ。俺たちに勝てるわけねえじゃんか。」
「言ったら、この麗しの貴婦人の前で、カッコつけられないでしょ?」
 キミオはミサトのほうを見ながら笑顔で言った。
「キミちゃん、悪いけど、今晩、付き合ってくれ。ミサちゃんと一緒にな。お近づきの印に、奢らせてもらう。」
 実は気のいいやっさんは、この若い二人が痛く気に入ったようである。勝手にあだ名で呼び始めた。名前も覚えていたようだ。
「いいですね! ちょっと最近、金欠でね。ありがたいです。いいよね? 葛城さん。」
「もちろん。」
「わしも入れてもらおか。あんたらの戦闘機、わしが整備したんや。」
 いつの間にか近くに来ていたおやじさんが言った。
「明日、祝日ですから、おやじさん、とことん付き合って下さいよ。」
 この日から、キミオは、やっさんと友達になった。そしておやじさんとも。


 厚木の繁華街、飲み屋、楽園。
 四人の酒飲みが、ひたすら酒を飲んでいた。カウンターに並んで、右からミサト、キミオ、やっさん、おやじさん。すでに三軒目、全員かなり出来上がっている。早起きのおやじさんは居眠りを始めていた。
「キミちゃん、俺、実は最初から、あんたのこと、気に入ってたんだ。」
「うそぉ。なんか、結構凄い剣幕で怒ってたじゃないですか?」
「いやな、俺に喧嘩売るなんてヤツぁ、葛城ミサトを除いて、ここ10年くらい、一人もいなかったもんでな。凄まじく新鮮な感じがして、嬉しかったぜ。あんたみたいなやつが育ってこねえと、この国も危ねえ。」
「言っとくけど、やっさん。あの話、夕霧君にしたら怒るわよ。彼の私への恋が醒めちゃったら、これから仕事、やりにくいから。」
「おいおい、戦自兵10万をもってしても落とせなかった難攻不落のミサちゃんが、遂に伏龍の前に陥落かい? こいつぁ、第三部隊一同、明日クーデターだな。俺、これから忙しいぞ。」
 やっさんは髭をしごきながら、にやりと笑って、言った。
「悪いけど私、今日は正直、キミちゃんに痺れた。今日だけ、陥落してあげる。」
 そう言いながら、酔っ払ったミサトは、左隣のキミオの肩に左腕を回した。
「ほんと?! 葛城さん!?」
 同じく酔っ払っているキミオは、喜色満面でミサトの笑顔を見た。
「バカやろ! 冗談に決まってるだろ!」
 やっさんが、右隣のキミオの脇腹を、笑いながら肘でどつく。
「だけど、キミちゃんって、割とイケメンだし、結構、モテるんじゃねえか?」
「そうねぇ。でも、私なんかより、いい子、一杯いるんじゃない?」
「やっさん、僕は今年の7月2日から、葛城ミサト1本、それ以外何もないですから。」
「へっ。2週間か。まだまだ歴史が浅いな。俺なんて、去年の4月3日、ミサちゃんが配属になった時からのファンだぜ。もしキミちゃんが、ミサちゃんをモノにしたいなら、第三部隊3万の戦自兵を倒してからにしてくれや。」
「ミサちゃんのためなら、3万位でめげるような僕じゃないですよ。」
「バカ話聞いてるのも悪くないけど、それにしても、ちょっち、酔っ払っちゃったな・・・。」
「僕もだ。というか、全員、そうだね。」
「じゃあ、ミサちゃん、キミちゃん、酔いが醒めるようなこと、言っていいか?」


 やっさんは巨体を丸めながら、若い二人に言った。
「あんたら、他人(ひと)の金だからって、いくらなんでも飲み過ぎだ。俺の金・・・よく見たら、もう、尽きてる・・・。」
 やっさんは、その巨体に比べると余りに小さな、そして可愛らしいウサギの絵が描かれたピンクの財布を覗き込みながら、少しだけ青くなって言った。
「やっさん、その話題に入る前に、多分、何度も聞かれてると思うんですけど、1つオーソドックスな質問、してもいいですか?」
「どうせ、この財布のことじゃねえのか?」
「そうですよ、手帳もピンクだったでしょ?」
「ああ。似合わねえって言われるんだけど、俺、かみさんを早く亡くしてよ。でも亡くした可愛いかみさんに生き写しの愛娘がいてな。娘がプレゼントしてくれたんだ。だから、誰に何と言われようと、これを使わねえわけにはいかねえ。」
「へえ〜、お嬢さんの写真とか、あります?」
 やっさんは恥ずかしそうに、これまたピンクのフォルトゥーナを取り出すと、それを開いて、その待受画面をミサトとキミオに見せた。
「わぁ、可愛い子!」
「やっさん、可哀そうに。この子のお父さん、別の人でしょ?」
「ばか言え。かみさんに似てるんだ。マナって名前の、俺の自慢の娘だ。この子を守るために、俺は命を張ってる。」
「やっさん、もし葛城さんがどうしてもダメだったら、この子、予約させてください。」
「ん〜? 俺、キミちゃん、好きだけど、それはちょっと考えさせてくれや。年がだいぶ離れてるだろ? 幸せになれるかな・・・。」
「でも、冷静に考えると、やっさんが自分の父親だってのは、なんか暑苦しいな。やっぱり第一志望で心中しますよ、僕。」
 そう言いながらキミオは、やっさんが手に持っていたピンクの財布を勝手に手に取ると、そこに刺繍されたアルファベットを見た。
「YASUO KIRISHIMA。へえ、やっさん、そんな名前だったんですか?」
「知らなかったのか? そうだよ。」
「へえ、私も知らなかった。戸籍上も、やっさんだと思ってたわ。」
「んなわきゃねえだろ。それより今、大事なのは、資金調達の算段よ。」
「ほら、やっさん、カードとか、持ってないんですか?」
「ブラックリストに載っててな。使えねぇ。」
「・・・まだ、おやじさんがいるわ。」
「いや、おやじさん、長年連れ添ってる奥さんが病気がちでな、医療費が嵩むんだよ。医療費稼ぐってんで、あの年でネット株にハマっちまってよ・・・。最初は羽振りがよくて、俺も奢ってもらってたんだが、この前、大穴開けてな。それを取り戻そうって、また穴開けちまったんだよ。だからさっき、次の店は払えねえって、言ってた。望みは薄い。・・・ってことで、三次会はキミちゃんに頼む。」
 と言いながら、やっさんはキミオの右肩を毛むくじゃらの手でポンと叩いた後、キミオの尻ポケットから財布を勝手に抜き出して、中身を見た。しかし彼は再び青くなった。
「あんま、ないんじゃないかな・・・?」
 キミオの言葉を受けて、やっさんは言った。
「あんま・・・っていうか・・・キミちゃんって・・・俺より貧しいんだな・・・。お札が・・・紙幣が、ねえじゃねえか・・・。戦自の伏龍がこんなんじゃ、もう世界も終わったな・・・。明日人類が滅んでも、誰も文句は言えねえ。」
「世の中、そんなもんですよ、やっさん。ここのところ、特訓の帰り、ビールがうまくてね。遅くに葛城さんを起こすわけにいかないし、帰りに一人でよく引っかけてたんですよ。ずっと現金下ろせる時間帯に街にいなかったから・・・。」
「コンビニとかで下ろせるじゃねぇか?」
「手数料取られるでしょ。ただでさえ持ち金が枯渇してるのに、そんな無体なことされたら堪りませんよ。」
「手数料くらい、ビール1本、コーヒー一杯我慢すればいい話じゃない?」
「我慢したくないもん。」
「キミちゃんこそ、カードとか、持ってねえのか?」
「僕って迂闊だから、ここに来る前、生涯もう四度目なんだけど、財布盗まれたんですよ。カード、とりあえず止めてもらってたんだけど、再発行の手続、さぼってたんだ。あれ、めんどくさいし・・・。」
 やっさんは、キミオ越しに、ミサトを見た。
「すまねえ、ミサちゃん、そういうことだ・・」
 ミサトが青ざめた時、キミオが言った。


「いや、愛しのミサトさんに払わせたら、もう、厚木基地あげてのクーデターになる。もう使徒どころじゃない、内乱になるよ。僕が軍師になってミサトさんを守る。」
「そりゃぁ、それ位、おおごとにはなるだろうなぁ。」
「だから伏龍としては、起死回生の名案がある。」
「ん? 今孔明の計略かい? 頼もしいねぇ。」
 やっさんは、けむくじゃらの太い右腕を再びキミオの肩に回した。彼はどうもスキンシップが好きなようだ。
「葛城さん、いいかな?」
「起死回生って大げさねぇ。・・・でも、あんないい人、気の毒だな。」
「あん?」
「やっさん、ここになければ、他から持ってくるしかないでしょ。魔法使いじゃないんだから、無から有は作り出せませんよ。」
 キミオはヘリオトロープ色のフォルトゥーナを取り出すと、電話を掛けた。
「夜分遅く本当に申し訳ありません。統合幕僚本部、じゃなかった、震洋隊幕僚の夕霧と申します。・・・いつも大変お世話になっております。・・・はい・・・はい・・・申し訳ございません・・・ああ、部隊長ですか。実は今、なかなかいい味出してる同僚と飲んでましてね。僕の言うことはさっぱり聞かないけど、部隊長だけは尊敬してるって言うんですよ。三次遠征なんて死ぬだけだし、その前に一度、岡田さんと飲んでこの世の思い出を作っておきたいって・・・はい・・・ええ・・・楽園っていう店です・・・はい・・・はい・・・本当に夜分申し訳ありません・・・。」
 キミオはフォルトゥーナを閉じた。
「これから来るってさ。やっぱり、あの人は偉大だ。」
「そうね。あの人、大好き。」
「岡田さんか・・・俺もあの人は好きだな。ところで、俺は使徒と関係ない部隊だけどさ、人類の命運をハーキュリーズだけに賭けるってのはどうかと思うな。」
「そうですね。元々、万田・岡田ラインはE計画推進派だった。日本が主戦場なんだから、戦自も両睨みで良かったはずですよね。」
「そ。まあ私はハーキュリーズと心中するつもりだけど、反対していた万田さんと岡田さんがハーキュリーズ構想の責任を取らされるなんて、皮肉な話よね。」
「全くだ。でもセカンド・インパクト前は、この国、平和ボケで軍隊を毛嫌いしてたからなぁ。万田さんくらいの年代になると、松永みたいな小粒なカスばっかりで、非常時に頼りになる人材がほとんどいねぇ。まあ、仕方ねぇと言えば仕方ねぇなぁ。」
 三人はしばらく戦自、日本、そして世界の、残せるかどうか分からない、どちらかと言えば、希望を持てない未来について、飲みながら話していたが、キミオがミサトに少し遠慮がちに尋ねた。
「葛城さん、話してていつも、ちょっち気になるんだけどさ。・・・葛城さんって、エヴァンゲリオン構想、なんか、敵視してない?」
「ん? なんか生理的に嫌なのよ。父親の命を奪った使徒の力を使うってことがね・・・。」
「そうなんだ・・・ごめん・・・。」
「いいのよ。別にそれほど好きな父親でもなかったから・・・。」
 その時、キミオの肩を叩く者がいた。


「やあ、遅くなって済まん。」
「岡田さん、すみません。夜遅く。」
 三人が振り返ると、真面目そうな素面の上司が立っていたが、その様子を見た店員が声を掛けた。
「お客さん、あちら、空きましたので、よろしければテーブル席に、いかがですか?」
「ありがとうございます。」
「じゃ、みんな、移りましょう。」
 テーブル席に、ミサト、キミオが並び、向かい合って岡田部隊長、ヤっさんが並んだ。
「さ、飲み直そうぜ。」
「その前に、やっさん、一つ、申し訳ない報告がある。」
「何ですかい?」
「震洋隊のハーキュリーズ・パイロットだが、第3部隊から補充することに、今日、決まった。」
「・・・まあ、そうでしょうな。俺たちほどの手練はいませんからな。」
 岡田部隊長は、今回の遠征に希望を持っていなかった。彼は、戦略自衛隊使徒研究所、略称、戦使研の所長を経験していたが、先ほどの会話にあったように、彼は当初むしろエヴァンゲリオン構想に基づくE計画に期待を掛けていた。しかし戦自が、E計画を進めた空木首相の急逝後に、混乱し短視眼的な政治判断の結果、組織としてこの構想からの全面撤退を決定し、新国連の非公開組織ネルフのみにE計画を委ねることになったために、使徒対策の専門家である彼がハーキュリーズ構想の現場責任者とされたのである。キミオに指摘されるまでもなく、年末に予定される遠征で艦隊は大打撃を受けるだろう。彼は自分と共に恐らく生還できないであろう部下たちに対し、申し訳なく思った。
「すまん。だから、今晩は君たちに奢らせてもらう。まあ、そのつもりで呼び出したんだろうがな。」
「さすが、部隊長、よくお分かりですね。」
「夕霧君、やっさん、君たちの今日のドッグ・ファイト、行けなかったが、どうせ夕霧君が勝ったんだろう?」
「岡田さん、あんた、性格悪いですよ。キミちゃんがマルタの鷹だって分かってたら、あんな勝負しないで、協議、続けてたのに・・・。」
「だから、私は止めようとしたじゃないか。」
「キミちゃんを止めてるんだって、勘違いしましたよ。」
「まあ、やっさんたちがウチに転属になる以上、施設共用の問題はもう解決したわけだがな。」
「でも、大きな収穫がありましたよ。あのお蔭で、葛城さんは僕のこと、ちょっち、見直したそうですから。」
 キミオは笑顔で言った。
「幸せそうだな、キミちゃん。」
 ミサトはいつの間にか、キミオにもたれ掛かって眠っていた。もう夜も遅いし、疲れがたまっていたためだろう。
「ええ、そりゃね。」


 その後、岡田部隊長とやっさんは厚木基地のローカルな話を始めたため、キミオも、いつの間にか、ミサトともたれ合う形で眠りに落ちた。彼も、ずっと特訓をしていたし、昨晩ミサトを看病していて睡眠不足だったためだろう。
 その様子を見たやっさんが言った。
「岡田さん、遠征のことですけどね。」
「ああ。」
「俺はいいんです。・・・でも、この二人、連れて行かなきゃならねぇんですかい?」
「・・・」
「こいつら若いし、まさにこれからじゃないですか・・・。」
「分かっている。」
「戦自のためなんて、小さいことはいわねぇ。この国のために、この二人は死なせちゃいけねえ。使徒ってやっぱりやってくるんでしょ? こいつらは戦自の宝じゃねぇ。国の宝、世界の宝ですよ、岡田さん。俺は娘をこいつらに守ってもらいたいんだ。」
 やっさんのこの願いは、後に葛城ミサトの指揮するネルフによって果たされることになる。
「やっさん、私に出来ることはすべてするつもりだ。」
「頼みます。・・・この二人、遠征から生きて帰れたら、幸せになれるでしょうな。」
「ああ。」
「キミちゃん、うらやましいなぁ。」
 やっさんはトラ髭に優しそうな笑顔を浮かべながら言った。
「そうだな。」
 岡田部隊長も同様に微笑んだ。


 しばらくして先に目覚めたのはミサトだった。
「あれ? 私、寝てた? もう、夕霧君! 起きなさいよ!」
 しかしキミオは眠りこけて起きなかった。仕方なくミサトは自分にもたれてくるキミオをそのままにして、店員に言った。
「すいませ〜ん! ビール、貰えます?」
「あ、俺も追加。」
「私も。」
「ジョッキ3つですね。分かりました。」
「ミサちゃんよぉ・・・キミちゃんのこと、どう、思ってんだ?」
「どうって、もちろん、タダの友達よ。」
「葛城君、今日、万田さんたちと会議をやったんだがね。」
「日曜日にご苦労様です、部隊長。」
「実は夕霧君のことを聞いたんだ。彼はウチに来る前、半年間ずっと、私がいた戦使研に籠り切って膨大な資料を読んで解析していたそうだ。そして彼は、万田さんに直訴した。ハーキュリーズでは使徒に勝てない、まだ望みがあるとすればエヴァンゲリオンのほうだとね。」
「へーえ、ちょっち、真面目な所もあるんですね、彼。」
「数日前かな。万田さんが新横須賀に閲兵にいらした時、夕霧君が早朝、彼を叩き起こしてな。何を言ったと思う?」
「もしかして、震洋隊を辞めさせろって?」
「そうだ。でも、自分じゃない。君を外すように直訴したんだ。」
 ミサトも第3次南極遠征計画を立案してきた幕僚だが、勝算に乏しいことは十分に分かっていた。はーキュリーズでは、肝心の使徒への攻撃がまるで覚束ない。一体でも使徒を倒せれば大成功、被害を最小限に止めて撤退できれば御の字、そんな遠征計画だった。この遠征計画は、ミサトが戦自に入る前、すでに第二次遠征後に7年以上も掛けて構想されてきたもので、ミサトもキミオも作戦の骨格が固まった後にそれを具体化する作業を委ねられていたに過ぎない。キミオはミサトを死なせないために、万田に直訴したのだろう。まさか彼のような開けっ広げな人間が、そして自分に対し明らかに好意以上の感情を持っている若者が、出世のために自分を蹴落とすような小さい人間だとはとても思えない。
 ミサトは複雑な表情を浮かべた。
「・・・」
「伏龍が遠征に幕僚として同行する以上、鳳雛までいらないってね・・・。」
 岡田部隊長の話を聞いたやっさんは、ミサトにもたれ掛かって寝ている若者の幸せそうな寝顔を見ながら言った。
「ミサちゃん、こいつ、冗談じゃねえな。もう、本気みたいだぜ・・・。」
 ミサトは複雑な表情で自分の腕にもたれ掛かっている若者のまるで子どものように邪気の無い寝顔を見つめた。
「・・・」
 しばらくして、キミオが目を覚まし、大きく伸びをした。
「ん? ああ、ごめんね、葛城さん。でも、天国みたいだった。柔らかくて、温かくて。」
「まあ、今日だけは、セクハラじゃないってことにしといてあげるわ。」


「お客様、そろそろ閉店のお時間です。」
「ああ、お勘定、お願いします。」
 岡田部隊長は焼酎の水割りを飲み干してから言った。
「5名様でテーブル料込みで、こちらになります。」
 そう言いながら、店員がお品書を置くと、4名は一斉に首を傾げた。
 ややあって、キミオが言った。
「すみません、僕たち、4名ですけど。」
 その時、小柄な老人がのっそりとテーブルの所に現れて言った。
「わしがおる。」
「おやじさん、いつから・・・いたっけ・・・?」

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 第三新東京市の新銀座にあるエル・ドラド。
 窓際のミサト。少し離れたテーブルでは、ネルフの軍人なのだろう、昼間からビールを飲んで、老若男女5名が楽しそうに談笑していた。
 戦自からネルフに転身しても変わりはない。彼らの命は自分が預かっている。今度こそ、彼らを死なせたりはしない。ミサトは自分の使命を改めて確認すると、食後のコーヒーを静かに飲み終えて、店を出た。


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次回 第伍話「波止場」

 葛城ミサト
 「あなたは恋人じゃないけど・・・私の大切な・・・友達だと思ってる・・・。」



To be continued...
(2010.03.06 初版)


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