南冥のハーキュリーズ

第六話 イノセント・ワールド

presented by HY様



 リツコの運転するダークグリーンのユスティティアの中。
 土曜日の昼下がり、ビールを切らしているのに気付いたミサトは、リツコに頼んで、アルコールの買い出しに連れて行ってもらっていた。
「ミサト・・・そろそろ、私を足代わりに使うの、やめてくれる?」
「ごめん・・・。」
「自分の車、買いなさいよ。」
「よっしゃ。じゃ、いよいよ、清水の舞台から飛び降りるか・・・。リツコ、帰りさ、一旦、エリュシオンに寄って、荷物下ろしてから、ディーラーの所まで乗せてって。」
「分かったわ。あなた、決めると行動早いわね。」
「うん。・・・ところで、ペンペン、元気?」
 ミサトは話題を変えた。
「ミサト、やっぱりペンペンのこと、気になる?」
「やっぱりって、どうして?」
「ペンペンは、あなたのお父さんの研究成果なのよ。」
「え? どういうこと?」
「葛城調査隊による調査は、実際にはセカンド・インパクト阻止を目的とした隠密の軍事行動。あなたたち民間人はそのカムフラージュだった。でも、予言書によれば、セカンド・インパクトは必ず起こることだった。阻止しようとした結果として、それが起こるなんて、皮肉だけどね。セカンド・インパクトが起これば気候が変わることは予測されていた。だから、葛城研究班は日本に常夏が来ることを想定した研究もしていたの。寒冷地の生物が温帯に適応して無理なく暮らせるように、ペンギンを研究材料にした生物の環境適応能力を飛躍的に高める研究とかね。その成果をデータ化したものがこの前、偶然見つかったの。予算消化もしたかったから、この前ウチでやってみたら、ペンペンが生まれたって、わけ。」
「そうなんだ・・・。」
「彼、ウチのネコと犬猿の仲でね。もう関係がかなりエスカレートしてるわ。ミサト、家も落ち着いてきたことだし、もらってくれない?」
「ん? 私みたいなずぼらな人間で大丈夫かな。ちょっち心配。」
「大丈夫だと思うわ。なぜか知能は高いし、何でも適当に自分でやってるから。話せないけど、何となく意思疎通はできるし。」
「そうか・・・お父さんの・・・。ん〜、考えさせて。」


 その晩。新銀座の外れ。
 リツコに下ろしてもらったミサトは、通勤用の自動車を購入するために、カー・ディーラーを訪れた。
「車は決まってるんですけど、予算の相談を・・・。」
 ミサトは、車が好きでたまらないといった感じの若い店員としばらく話し込んだ。
 やがて、店員はカタログを示しながらミサトに尋ねた。
「そうしましたら、青のプリサイトで、後ろにこのウィングを付けるということでよろしいですね?」
「はい。」
「それで、ローンの頭金はどうなさいますか?」
「一番安いのって、幾らですか?」
「5万ですね。それだけ用意してもらえば。」
「そう・・・。」
 それを聞いたミサトが寂しそうに微笑んだため、店員は不思議そうに、客の美しい顔を覗き込んだ。まさか、この客はその程度の頭金も支払えないのに、車を買いに来たのだろうか、と。
 ミサトは言った。
「それで結構です。出来るだけ早く、欲しいんですけど。」
「プリサイトは売れ筋商品なんで、普通は1、2カ月待ちなんですけど、ちょうど今日、配車予定のお客さんが海外転勤になってキャンセルになりましてね。よろしければちょうど同じ型の青なんで、それになさいますか?」
「それにしてください。でも、ウィング、付けてくださいね。」
「分かりました。それでは、ローン契約とか色々な書類を書いて頂いて、明日配車させて頂きますが、何時がよろしいですか?」
「じゃあ、お昼過ぎ、2時ころに。」
 ミサトは立ち上がりながら、店員に言った。ミサトは次に購入する車は青のプリサイトだと、最初から決めていた。


 エリュシオン。ミサトの自室。
 風呂で命の洗濯をしてきたミサトは、冷蔵庫を開けた。
「げ、ビール、冷やしてない! またやっちゃった! せっかく買ってきたのに・・・。薄くなるけど、氷、入れるかぁ・・・。げ、氷も作ってない・・・。」
 ミサトは打ちひしがれて、額に手を当てた。
「あ〜あ、葛城ミサト、一生の不覚ね。誰か、冷えたビール、貸してくれないかな・・・。まあ、ぬるいビールなんて飲めっこないし、今日は禁酒すっかぁ。」
 独り言を終えると、ミサトは仕方なく、コップにお茶を注いだ。
(そうね・・・あの時は・・・キミちゃんに、飲ませてもらったもんね・・・)


**********flashback/S**********

 ミサトとキミオが新横須賀の波止場で、ふたりで沈んでいく夕陽を見た日から、しばらくたったある晩、ミサトがシャワーから出て、冷蔵庫を開けると、そこにビールがないことに気付いた。
「えっ?! 冷やすの忘れてた・・・。しゃあない。夕霧君に飲ませてもらうか。」
 キミオとは、毎日ほぼ同一行動を取っているから、さっき分かれたばかりで、彼は部屋にいるはずだ。彼が飲みに出るならミサトに声を掛けるはずだし、そもそも彼は慢性的に手元不如意であるから恐らく飲みに出たりはしないだろう。それに最近、キミオはミサトを飲みに誘わない傾向がある。といって、別の人間と飲んでいるわけでもない。ベランダから見ると、一番端にある彼の部屋の明かりは夜遅くまでついている。ミサトはキミオが最近何をやっているのか、少し気になった。
 ミサトが意を決して自室を出て、1107号室のチャイムを鳴らすと、しばらくして、キミオが戸口に現れた。
「やあ、葛城さん。」
「夕霧君、悪いけど、お酒、切らしちゃってさ。貸してくれない?」
「貸すって・・・君ならご馳走するよ。でも、条件があるね。」
「何?」
「ここで僕と一緒に飲むことさ。」
「いいわ。」
 ミサトもそのつもりだったから、彼女は即答した。彼女はすっぴんだが、それでも美しい。ただし例によって、異性が正視しにくい格好をしてはいるが。ミサトがキミオの部屋に入ると、そこには大量の書類が散乱していた。
「ちょっと待って、片づけるからね。」
「へ〜え、意外。仕事、してたの?」
「うん。」
「何の仕事?」
 キミオは辺りに散乱していた書類を片付けながら言った。
「使徒研究の総仕上げさ。これだけやったら、本でも書けそうだよ。一区切り付けば、君にも成果物を渡すね。」
 この、29歳で南冥に戦死する夭折の天才幕僚による使徒研究の成果は、後に葛城ミサトを経て赤木リツコ博士の手元に渡り、エヴァ開発に大きく貢献することになる。


「また消すの? 灯り?」
「ん? どっちでもいいよ。」
「じゃ、今日はこのままで。」
「うん。」
 いつかのように、ミサトは窓際のほうに座って、ベッドに背を持たせかけた。冷蔵庫を開けながら、キミオが言った。
「葛城さん、まだ始めてないんでしょ? とりあえずビールだよね?」
「もちろん。」
「兄さんがオタルのファンでね。僕も結局、そうなった。」
 そう言いながら、キミオはミサトに冷えたオタルを手渡した。
「そう。私はふだん、エビチュだけどね。」
「知ってるよ。」
 ふたりはオタルで乾杯した。キミオがつまみとしてカキの種を小皿に開けた。やがて冷えていたビールをふたりが3本ずつ飲み干すと、キミオが尋ねた。
「葛城さん、次、赤ワインでいいかな?」
「ワイン? たまにはいいわね。」
 キミオは冷蔵庫を開けて、赤ワインを開栓した。
「私、あんまりワイン飲まないんだけど、赤ワインって、常温なんじゃなかったっけ?」
「それが常識なのかも知れないけど、僕は必ずキンキンに冷やして飲む。僕はそのほうがおいしいと思う。まあ、人それぞれ違う舌を持ってるんだよ。」
「あれ、キミちゃん、グラス、揃えたの?」
「うん。いつか君と飲みたいと思ってね。意外と早く実現したよ。」
 キミオはきれいなワイングラスに赤ワインを注いだ。
「僕、ワインの色、好きなんだ。今日は灯りをつけていて正解だったね。」
 ふたりは改めて乾杯した。
 しかし、ふたりがすぐにワインを飲み干してしまったため、キミオが言った。
「ミサちゃんのためだ。とっておきのセブン・ローゼスのブラックを開けよう。」
「キミちゃん、いい線、行ってるぅ!」
「そう? じゃ、このままゴールインできるかな?」
 酔った勢いでキミオがおどけた。
「それはないっしょ。」
 ミサトは軽くいなす。
「ロックでいい?」
「うん。」
 ふたりはロックグラスで乾杯した。
「大学の時は、セブン・ローゼスの白ラベルを飲んでた。お金がなかったからね。社会人になってからはブラックだよ。そうそう、この前、レマルクっていうバー、行ったよね。君と共同で、あそこにボトル、入れない?」
「あなたが払ってくれて、幾らでも飲んでいいなら、入れてもいいけど。」
「それって、共同でボトルを入れたことになるのかな・・・。」


 ある日の統合幕僚会議。
 ミサトはいつものように議事進行をしているが、その隣ではキミオが真剣な表情だ。珍しく会議に集中しているのかと思ったら、そうではない。彼はPCの画面に向かい、真剣に何かを打ち込んでいた。
 ミサトが発言を求め、誰も何も言わず、会議室が静かになった時には、ただキミオがキーボードを叩く音だけが響く。キミオは人懐っこい男であり、恐ろしくマイペースであることは皆承知だし、彼の経歴が経歴だけに、大抵の者は彼に好感や尊敬の念を持っており、むしろ面白そうに彼の行動を見守っていた。議事進行をするミサトと最高責任者である岡田部隊長が本来、注意すべきだが、二人とも彼には寛容だ。というのも、彼は内職や居眠りをしながらも、実は大事な局面では、皆がハッとするような気の利いた発言をしていたし、自分の担当については常に完璧にこなしていたからである。
 会議の終わり頃になり、キミオはPCの画面をただじっと見つめたまま、腕を組んで何かを考え始めた。


「夕霧君!」
 ミサトは、会議が終わってもじっとPCの画面を見つめたままのキミオに言った。だが、集中している彼は、それに気付かない。
「キミちゃん!」
 ミサトが肩を揺すったために、キミオは我に返った。
「ん?!」
「もう、会議、終わったわよ。」
「あ、そうか。ありがとう。」
「夕霧君、あなたねぇ、会議中に寝てないと思ったら、内職やりまくって。いい加減にしなさいよね。静かな時って、あなたがキーボードを叩く音だけ、聞こえてんのよ。あなたがメモるはずないし。」
「え? 葛城さん、今日の会議、詰まんない議題だけだと思ってたけど、何か大事なこと、話してた?」
「あなたねぇ・・・。いったい、何やってんの、最近?」
 ミサトはキミオのPC画面を覗き込んだ。そこには、彼女には意味のわからない難しい数式が幾つも並んでいた。
「僕、遠征から生きて帰りたいもんでね。」
「何? これ?」
「簡単に言うと、ATフィールドをどうやれば破れるのか、っていう試算さ。僕の使徒研究の成果の一つだよ。」
「すごい・・・。」
「僕は機械マニアだから、こういうの、少し分かるんだ。」
「それで、試算の結果は?」
「破るのは無理。今のハーキュリーズの装備じゃ、およそ無理だね。ポジトロン砲もN1爆雷も、もっと頑張れば、筋はそんなに悪くないと思うんだけど、相手が相手だからね。万一破れるとしても、実はよく分からないんだ。データが少な過ぎてね。1次、2次遠征では、全滅した艦隊がレムリアから戻って来なかった。使徒のジャミングのせいで電波送信もほとんど出来ていない。結局、セカンド・インパクトの時の極めて僅かのデータだけで推測されてるだけなんだ。とにかく遠征でデータが取れれば、色々はっきりしてくると思うんだけどね。」
「へ〜え。」
 キミオはPCを片付けながらミサトに尋ねた。
「葛城さん、夕食、食べよう。今日は食堂でいいよね?」
「うん。」


 ふたりは通路を歩いて食堂へ向かった。左にミサト、右にキミオ。
「僕も科学者じゃないからあれだけど、ATフィールドは突破するより、中和するほうが賢いと思うな。もしも中和できるならね。」
「E計画のほうが正しいってこと?」
「いや、恐らく両方の構想を生かしていく、補い合うというのが賢いと思うんだ。」
「ふうん。」
 実際、この若者の死後、第伍使徒サキエル戦を契機に、歴史は彼の言ったように動いて行く。すなわち、エヴァンゲリオンを主とし、ハーキュリーズ構想の遺産を従として、人類は使徒戦に勝利して行くことになる。そして、その使徒戦の指揮は、第三次南極遠征からただ一人生還した葛城ミサトが取った。
「でも、ネルフもこんな貧弱なデータで、ATフィールドの中和なんかやるって言ってみても、机上の空論じゃないのかな。その意味では、まだ間違いなくオーナイン・システムだね。」
「ところで、週末の三軍幹部の懇話会、夕霧君が行くんでしょ?」
「そうらしいんだ。お偉さんの面倒見るの、苦手なんだけどな・・・。」
「へえ、夕霧君にも苦手なもの、あるんだ?」
「まあ酔っ払えば怖いものなしだけどね。でも、君が行ったほうが絶対喜ばれるはずなのに。」
「私は去年、行ったしね。毎年、新人優先なのよ。夕霧君、本省からの引き抜きだし、余り戦自の幹部、知らないでしょ? いい機会じゃない?」

††
 週末。京都。
「おお、君が夕霧一尉か。新国連に出向中の吉沢だ。高名な幕僚殿にお会いできて光栄だよ。」
「こちらこそ光栄です、吉沢一佐。」
「私もいい加減、戦自のほうに戻りたいのだがね。君と入れ替わりで新国連に行って、苦労してる。戻ってきてはくれんかね?」
「とりあえず使徒など倒してみませんとね。」
 その時、一人の男が、親しげにキミオに話し掛けて来た。
「おお、夕霧一尉、久し振りだ。」
「えーっと、どなた・・・でしたっけ?」
「私だよ。いつかの祝勝パーティーの二次会、奢ってやったじゃないか。君の持ち金が少なくて。」
 しかしキミオは、奢って貰っておきながら、そのことが思い出せなかった。しかし奢ってくれたと言っているのだから、きっとそうなのだろう。否定すれば失礼だから、とりあえずお礼を言っておいた。
「ああ、あの・・・その節は・・・ありがとうございました。でも、すみません・・・で、どなたでしたっけ?」
 そう言えば、顔は覚えているような気がする。でも、名前が出てこない。
「もう、君! 時田シロウだよ。君、私を忘れていたら、この先どうやって戦自で生きていくんだ? 戦自の兵器は、この私が開発しているんだ。私は技官だから、自分じゃ戦えないがね。まあ、君はもともと本省の人間だから、仕方ないけど。」
「はあ・・・。」
「私は戦自の誇る技術屋だ。今度、日化共に出向する。」
「ニッカキョーって、なんでしたっけ?」
「日本重化学工業共同体だよ。君、そんなことも知らないのか。ハーキュリーズ構想の一翼を担うジェット・アローン、略してJAを完成させるために行くんだよ。」
「ああ、あのロボットみたいなやつですね。」
「みたいなというか、ロボットそのものだよ、あれは。いつまでも戦闘機の時代じゃない。」
「動くと、いいですね。」
「動くに決まってるだろ! エヴァンゲリオンじゃないんだから。それより、君は相当、使徒の研究をしてきたようだが、JAについてどう思う?」
「この前、試作機の写真、見ましたけど、もう少しカッコよくなりませんかね?」
「カッコじゃない。中身の話だ。」
「もう技術革新も進んでるんですから、燃料電池で行きましょうよ。炉心融解とか嫌だし、環境配慮の意味でね。」
「検討はしたいと思っている。他には?」
「武器は、ハーキュリーズに内装してあるポジトロン砲をうまく使えませんか? あれは、まだ見込みあると思うんですけどね。」
「ほう。」
「あとは、N1爆雷の破壊力を一桁アップさせることでしょうね。」
「な?! N1は死ぬ思いで作ったんだ。あれ以上、どう改良するって言うんだよ。」
「それは技術者にお任せしますけど、N1じゃ、使徒のATフィールドは簡単に破れませんよ。100個くらいぶつけたら破れるかも知れませんけど。JAって、そんなにたくさん持てないでしょ?」
「厳しい注文だな。」
「それより、時田さん、E計画についてどう思われます? 僕、あっちのほうがまだ行けるんじゃないかって、思うんですけど。」
「ケッ! あそこの諜報って、脇が甘くてね。極秘情報がダダ漏れなんだ。ネルフはATフィールドの中和実験に思い切りつまずいててね、にっちもさっちも行かなくなってる。オーナインとバカにされるには、ちゃんと根拠があるんだよ。」
「ATフィールドについてのデータが足りないだけじゃないんですかね?」
「いや、中和なんて難しいこと考えるからいけないんだよ。ATフィールドは破壊するもんだ。それが戦争ってもんよ。」
「はあ・・・」
「それにあれは、外部電源がなければ、5分も動かない。」
「使い方次第ですよ。だから幕僚が必要なんです。」
「それと、パイロットに物凄い負担がかかる。」
「それは確かに問題ですね。エヴァンゲリオンが動いたとして、人類を救えるかどうかはパイロット次第でしょうね。ところで、時田さんを見込んで、折り入ってお願いがあるんです。JAの未来にも関わる話ですよ。外資中心のハーキュリーズじゃなくて、国産のJAに未来を託しませんか?」
「ん? どういうことだ。」
 時田は目を輝かせて身を乗り出した。キミオは時田と何やら話し込んだ。

††
 その頃、ミサトとキミオが住んでいた厚木から少し離れた第三新東京市のネルフ発令所。
 いつものポーズで座るゲンドウは、自分に背を向けて傍らに立つ年上の盟友に尋ねた。
「冬月、週明けの戦自との交渉だが、厚木からは誰が来る?」
「鳳雛だそうだ。」
「あのタフ・ネゴシエーターか・・・。また押されるな。」
「どちらにしろハーキュリーズでは使徒に勝てない。戦自の役割は使徒襲来まで。それまでの我慢だ。」
「ああ。ところで、冬月、肝心のATフィールドの中和実験で躓いて二年近くになるが、見通しはどうだ?」
「使徒のデータが少な過ぎてな。今度の戦自の遠征で何かデータが取れればよいのだが。」
「取れても、ハーキュリーズ陣営がこっちに大人しく渡すとは思えんな。」
「まあ、ゼーレの加持君を使えないか。」
「ああ、ヒデオの後継者を自称するだけあって、彼は使える。だが、まだどっちにつくのかが分からない。それはそれとして冬月、再来年の使徒襲来に向けて、来年4月には作戦本部を本格的に立ち上げたい。」
「問題は、使徒戦の指揮を執る作戦本部長の人選だな。」
「そうだ。人類の運命が掛かっている。最高の人材を揃えたい。ネルフにいない以上、外から取るしかない。冬月、候補は二人か。」
 ゲンドウは、ずれた眼鏡を直しながら言った。
「同じ人間を考えているようだな。」
「ああ、戦自の二俊だ。龍か鳳、どちらかだけでもいい、引き抜きたい。」
「攻の夕霧キミオ、守の葛城ミサトか。」
「ああ、機に敏く奇策によって寡兵で大軍を破る伏龍と、万全の態勢を作り上げ堅実に守り万の軍勢を縦横に動かす鳳雛、その持ち味は違うが、震洋隊に入る前の二人の通常戦での評価は極めて高い。」
「使徒戦に向くのは伏龍か。」
「いずれにしても、ハーキュリーズ構想に固執する戦自にいても死ぬだけだ。二俊に使徒戦の指揮を取ってもらう。俺はヒデオとは親しかったが、キミオとは余り親しくない。冬月なら説得できるか。」
「ああ、やってみよう。以前誘った時はヒデオのことがあって断られたがな。確かにゼーレに協力する形は彼も好まないかも知れない。だが、通常戦の専門家とはいえ、キミオは使徒についても相当研究しているようだ。ハーキュリーズ構想にも根本的な疑問を持っているだろう。」
「葛城ミサトには以前に打診したが、葛城博士のこともあって断られている。どうアプローチするかだが、赤木博士の旧友らしいな。彼女に説得させてみるか。」
「確かに戦自の二俊が揃えられれば、使徒襲来に向けて、最高の布陣だな。」


 厚木基地。
 ミサトはキミオと並んで通路を歩き、幕僚会議室に向かっていた。
「葛城さん、相談があるんだけど・・・。」
「何? 夕霧君。」
「ローン組んでさ、一緒に車、買わない?」
「あなた、私と何か共同でやるっていう提案、好きねぇ。」
「まだ、一つも成功してないけどね。」
「だけど、そもそも、何で、あなたと私が車を共同購入しなきゃいけないわけ? 私とあなたって、そういう関係?」
 キミオは、いつかミサトが手を握らせてくれたことから、もう自分は受け入れられたのではないかと秘かに思っていたが、そうでもないようだ。しかし彼は、この真剣な恋にじっくりと時間を掛けるつもりだったから、めげずに言った。
「だって、お互い、飲み代のせいで、貯金ないでしょ? 住んでる所も駐車場も職場も一緒だし。車買ったら、デートも自由に出来るし、ちょうどいいじゃない?」
「言っておくけど、あなたとは仕事上の付き合いしかしていないわ。勝手にデートにしないでくれる?」
「ごめん。でも、どうかな? もう車は決めてあるんだ。青のプリサイト。いい色でね。後ろにはウィングを付けたいんだ。そこは僕がお金を出すから。プリサイトは環境配慮で、しかも運転しやすいし。考えといてくれない?」
「考えるまでもないわ。NOよ。」
「名義は君でいいからさ。」
「借金を私が負うわけ?」
「じゃあ、僕でもいいよ。ここ、交通の便、悪いからさ。車があれば買い物にも便利だし、重い一升瓶もいくらでも運べるよ。まさか、やっさんに戦闘機で送迎してもらうわけには行かないしね。」
「確かにあれば、便利は便利ね・・・。でも、夕霧君との共同購入ってのは、外見的に物凄く誤解されるから、およそあり得ないわね。」
「瓢箪から駒ってことも・・」
「ないわ。夕霧君が買って、貸してくれればいいだけじゃない?」
「実は、頭金が足りないんだよ。」
「頭金って、何十万もしないでしょ? あなた、一体、一か月にどれだけ飲んでんの?」
「飲み代よりデート代が嵩むんだよ。僕、カッコつけだから、だいたい君に気前よく御馳走してる。君も食事代、浮かそうと思って僕によく付き合ってくれるから、ほんと、枯渇してるんだ。生息してるのが精いっぱいで、車のローンなんて、とても一人じゃ無理だよ。」
「だから、何度も言うけど、デートじゃないって。」
「まあ呼び方はどうでもいいけど、じゃあ、頭金溜めるために、一緒に休肝日でも、作らない?」
 だが、キミオによる青いプリサイトの購入は実現しなかった。それからしばらくしてキミオに異動の辞令が出たためである。ついでに言えば、休肝日の共同提案も受け入れられなかった。ただしそれは、ミサトが拒んだというよりも、二人とも休肝日自体を設けることができなかったことによる。


 ネルフ司令室。
「冬月、鳳雛はやはり断った。ハーキュリーズと心中する覚悟だそうだ。」
「実に惜しいな。葛城博士にも合わせる顔がない。」
「エヴァが動くという保証も、別にないがな。まだATフィールドの中和に道筋がつけられない。キミオのほうはどうだ?」
「伏龍のほうは脈がある。だが、時間が欲しいと言っている。」
「というと?」
「結婚してから来たいそうだ。」
「ふ、そうか。人類はいつ滅びるか分からない。結婚は早い方がいいだろうな。」
「本人もそう言っていたよ。だが、相手の気持ちがまだはっきりしないそうだ。実は本人もまだ知らないが、彼は今度の遠征から外れることになっている。」
 ゲンドウは、ずれた眼鏡を直しながら言った。
「分かった。ネルフの作戦本部長は夕霧キミオで行く。彼の天賦の才を使徒戦で遺憾なく発揮して貰おう。」
「予言書によれば、人類の歴史がまさに終焉を迎えようとする時、薄紫色のアカンサスが咲き、人類の希望を守り、育むという。」
「終焉のアカンサスか。アカンサスは邪なる者から我らを守る。それが夕霧キミオということだ。」



**********flashback/S**********


 ミサトは、物思いに耽っていたが、お茶を飲み干して、寝室に行き、六面がきれいに揃ったルービック・キューブを手に取って、眺めた。そして、しばらくすると、その小さな玩具をその胸に強く抱き締めながら、ベッドに倒れ込み、すすり泣いた。


 翌日、エリュシオンに青いプリサイトが配車された。
 ミサトは、運転席に座り、ハンドルを握った。助手席にはルービック・キューブが置かれている。
「夕霧君、久し振りに行こっか?」
 ミサトの運転するプリサイトは、夕暮れの近づく新横須賀の波止場へ向かった。



**********************
次回 第七話「誰か恋人を思わざる」

夕霧キミオ
「いつも君のそばには僕がいる・・・たとえ僕たちが、もうすぐ死ななければならないとしても・・・その時にも僕が必ず君のそばにいる・・・。」



To be continued...
(2010.03.27 初版)


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