南冥のハーキュリーズ

第八話 アイシテル(前篇)

presented by HY様



 ネルフ地下。セントラル・ドグマ。
 ミサトはリツコの案内で、エヴァの開発現場に立ち会っていた。
「今、ここにあるのは、零号機と初号機だけだけどね。」
「・・・大きいロボットね。」
「汎用兵器として大量生産されたハーキュリーズとは、発想が根本的に違う。エヴァはパイロットに依存した特殊決戦兵器。これで敗れれば、もう、人類に後は無い。」
「作戦本部長の責任、重大か・・・。」
「だからネルフは、最高の人材を登用したわ。」
「買い被りすぎだけどね。」
「弐号機はドイツの第3支部、参号機と四号機はアメリカの第2支部で開発中。」
「ふうん。」
「ゼーレ自身が伍号機を製造しているっていう噂もあるわ。」
「パイロットは?」
「分からない。」
 この時点では、ミサトもリツコも、使徒戦終結後の仮想敵でもあるゼーレが後にネルフに派遣してくる伍号機パイロットが、絶望的な使徒戦を制して行く人類の切り札となっていくことをまだ知らない。
「作るのはいいけど、動くのかしらね。」
「ミサト、あなたももう、ネルフの人間なんだから、他人事みたいに言うの、そろそろやめたら?」
「・・・ごめん。」
「・・・」
「・・・リツコ、ここの喫茶店って、何階だったっけ?」
「アヴァロンのこと? いい加減に覚えなさいよ。」
 リツコは少し不機嫌そうに言った。


 週末、リツコの家でホームパーティーが催された。
 使徒戦後は、ミサトの住むエリュシオンで実に頻繁にパーティーが催されるのだが、この頃はミサトがまだそのような心境ではなかったのであろう。リツコの悲恋についてはラクリモーサ本編で語られるが、この時期、彼女は自分の悲恋について、まだ総括が出来ていなかったのかも知れない。使徒戦が始まればそれに没頭できるが、この頃、彼女は、旧友や同僚に慰めを求めていたのかも知れない。
 出席者はリツコ、ミサト、マヤ、シゲルの四人。
 リツコはビールの銘柄としてはオタルを飲む。ちなみに、それは彼女の死んだ恋人が飲んでいたからだ。
 オタルで乾杯をし、ひとしきり雑談した後、マヤが言った。
「日向君、何だかんだ理由付けて、結局、出てきませんね・・・。」
「マコト、出られたら遅れてくるって、言ってたけどな。」
 ミサトが五杯目のビールを飲み干して、ジョッキを置きながら言った。
「ま、私、けっこ厳しいし、嫌われてんのかもね・・・。」
「それはないと思います。実はマコトのヤツ、前は葛城さんの悪口、ちょっと言ってたんですけど、最近、一切、言わなくなりましたからね。」
「日向君って、葛城さんのこと、嫌いって言うより、逆かも知れない・・・。もしかしたら・・・葛城さんに恋してるんじゃないでしょうか・・・。」
「まさかぁ。」
 マヤの言葉をミサトが軽く受け流したとき、リツコが手製のピザを持って現れた。
「さ、焼けたわよ。」
「わ、おいしそう!」
 ミサトが歓声を上げて、早速、手を出した。この翌年、彼女は、ピザでも何でも香辛料を掛けまくる若い同居人と暮らすことになり、彼女のキッチンには各種香辛料が勢揃いするのだが、まだそのことは知らない。


「ところでミサト、ネルフの作戦本部、何点付ける? 優秀な人材は揃えているつもりだけど。」
「ん〜? 微妙な質問ねぇ。」
「即答出来ないってことは、合格点じゃないってこと?」
 ミサトは4つ目のピザを頬張りながら言った。
「いや、みんな、頑張ってると思うわよ。」
「やっぱり、そう。みんな、頑張りが足りないそうよ。」
 リツコがミサトの言葉を勝手に翻訳した。
「でも、葛城さん、本当の気持ち、言っていいですか?」
「いいわよぉ。」
 マヤは少し俯き加減で言った。
「葛城さん、本気じゃないですね。葛城さんが本当に仕事したら、もっと凄いと思います。」
「すみませんけど、俺も、そう思います。確かに俺たちより圧倒的に出来る人だってことは分かるけど、葛城さんは、いつも本気じゃない。まだ本当にネルフの人じゃない・・・そんな気がします。」
 リツコに黙って見つめられたミサトは、少し不愉快そうな顔をして言った。
「そう・・・。でも、悪いけど、そんな私に、楽勝、務められるような作戦本部だったら、ネルフも、終わりね・・・。人類も、そうだけど・・・。」
 リツコは黙って、手製のピザを一切れ取り、口に運んだ。
「でも、戦自はどうだったんですか? ウチよりも上だったんですか?」
 ミサトは、マヤに赤ワインを注いでもらいながら、シゲルの言葉に答えた。
「いいえ、玉石混交。・・・それに組織が大きかった分、変えるのが難しかった。既定路線を変えることは結局、できなかった・・・そう、誰にも・・・。」
 ミサトは寂しそうに微笑んだ。


**********flashback/S**********


 2035年11月中旬。
 統合幕僚本部の全体会議が京都で開かれた。
 この会議の席上、第三次南極遠征の実行が最終決定される見込みである。
 首相補佐官が隣の老人に耳打ちした。
「総理、今、説明席に座った者が、あの夕霧一尉です。」
「ほう。あの、戦自の伏龍か。」
「はい。夕霧キミオ一尉。その隣の女性士官、葛城ミサト一尉が鳳雛と言われています。本作戦の主任幕僚です。」
「二人とも、いい面構えをしている。楽しみだな。」
 国防大臣により開会が告げられると、指名を受けたキミオは立ち上がり、会議室に設置された大画面を使って手際よく作戦の説明を始めた。震洋隊を中心に、関係各国、各機関と協議、立案された第三次南極遠征計画とは、次のようなものであった。

 遠征目的は一体以上の使徒の殲滅、赤い海の調査、使徒に関するデータ収集、各種兵器の実戦試験、兵員の対使徒実戦訓練である。公共事業は大体そうであるが、目的はたくさん付ければ正当化しやすいし、失敗しにくい。この遠征も同様であった。
 三次遠征は日本が中心であり、震洋隊を中心とする戦自主力艦隊の兵は約5万1千人、空母29隻、ハーキュリーズ303機、護衛艦51隻。米、露、中、EU、新国連は合わせて兵約5万人、空母11隻、ハーキュリーズ108機、護衛艦32隻であった。
 作戦は12月1日から3週間。最初の1週間は空母を赤い海以北に待機させ、ハーキュリーズで赤い海に侵攻、ハーキュリーズ隊に守られた護衛艦で赤い海の調査を行う。この1週間のうちに使徒が発見されれば、ハーキュリーズ隊で殲滅を試みる。1週間以内に使徒を発見できない場合には、艦隊が赤い海に侵攻、同様に調査を行い、使徒と遭遇すればハーキュリーズ隊が殲滅する。それでも使徒を発見できなかった場合には、一旦、燃料補給等のために赤い海を離脱してから、いよいよ第1、2次遠征艦隊が全滅したレムリアの沖近くへと深く侵攻する。ここでも同様に調査、偵察を行うが、都合3週間、使徒と遭遇しなかった場合には、作戦を終了し、帰還する。
 使徒と遭遇するケースについては176通りの想定がされた。この当時、サンダルフォンは空のみに存在し、いかなる生命も存在し得ない赤い死の海の中では生存できないと信じられていた。しかし、キミオの提案で使徒が海から襲来するケースも一応想定された。その場合には、海中で使徒を攻撃するための通常兵器がまだ用意されていないことから、ただ撤退するしかないのだが。また、使徒の複数同時攻撃も当然想定されたし、ミサトの提案で全方向から襲来するケースが想定された。
 使徒と遭遇した際、ハーキュリーズ以外は有効な攻撃能力をほとんど持たないから、すべての艦隊は撤退を開始する。と言っても、艦隊に先行してハーキュリーズ隊が侵攻しているはずであるから、敵を察知すればその時点で直ちに撤退することになる。艦隊が赤い海に侵攻していた場合にはハーキュリーズ隊への補給線を維持しつつ艦隊を幾つかに分けて撤退する段取りである。護衛艦は数砲のポジトロン砲を搭載しており、それによる威嚇射撃程度しかなし得ないが、空母を防衛しつつ退却する。
 かつて空木一朗元首相のもとでE計画に優先的に国力を投入してきた日本は、E計画の見通しが立たず、その放棄までが取り沙汰される中、長く続く政治的混乱の中で、使徒戦の主戦場を管轄する国家として、ハーキュリーズ計画の強力な推進を余儀なくされていた。これまでの経緯から、戦自艦隊は今次遠征の主力艦隊とされ、赤い海へ先遣隊として侵攻する第1艦隊とされた。その結果、有事の際には友軍である第2艦隊を守りながら撤退する旨の取り決めがされていた。

「以上が本作戦の概要説明です。」
 キミオは、諳んずるように作戦についての簡潔明瞭な説明を終えて着席した。
 キミオはすぐ左隣に座っているミサトに、いつものように優しく微笑みかけた。そして若者は、机の下で、恋する女性の右手を、汗ばんだ左手で握った。ミサトは、若者の強い意志を感じさせる横顔を見ながら、その手を優しく握り返した。
 勝負はこれからだ。果たして逆転はありうるか。


 議長役の国防大臣が言った。
「ご苦労だった、夕霧一尉。先日の世論調査によれば、圧倒的多数の大衆がこの遠征を支持している。侵攻から補給、有事の際の撤退に至るまで、考え尽くされた見事な作戦立案だ。優秀な幕僚たちを私は誇りに思う。速やかにこの作戦を進めたいが、本作戦について、質問、意見があれば誰からでも。」
「松永将補。」
「小官は作戦提案に賛成です。速やかに実行すべきものと考えます。」
 国防大臣はうなずくと、一応、言った。
「他には?」
「・・・」
 会場は静まり返っている。予定調和で終わる会議だ。終了予定時刻まであと5分もない。議長がまとめようとした時、一人の若者が左手で寝癖を直すように髪をいじりながら、右手を高く挙げた。
「ん? 夕霧君か。補足説明かね?」
 キミオは立ち上がって、言い放った。
「いえ、違います。意見です。小官の見ますところ、本作戦は必ず失敗します。したがって、小官は本作戦に反対致します。」
 会議場が大きくざわめいた。当然だろう。自ら立案、説明した作戦に反対する主任幕僚など聞いたことがない。キミオは制止されるまで一気に続けようと、居並ぶ列席者に向かって演説をぶち始めた。
「本作戦はハーキュリーズ隊による攻撃で、サンダルフォンのATフィールドを突破できることを前提としています。もしそれが可能なら、この作戦の成功は保証します。しかし、ハーキュリーズの攻撃力でATフィールドを突破することは不可能です。不可侵海域に深く侵攻すれば撤退は容易ではありません。これまでの2回の遠征と同様、艦隊は全滅します。本作戦の技術的前提とされているのは、第2次南極遠征において基礎とされた報告書です。しかしこの報告書には次の3点で重大な疑問があります。まず・・」
 苦々しい顔をする松岡首相の隣で、国防大臣がキミオの発言を遮った。
「待ちたまえ、夕霧一尉。君は事務官だ、技官ではない。ATフィールドについて君は専門家ではない。君の仕事はハーキュリーズによるATフィールドの突破が可能であることを前提に作戦を立てることだ。そして立派にその役目を果たした。作戦の技術的前提について疑義を申し立てる資格は君にはない。」
 キミオは気にせず、続けた。
「お言葉ですが、私は戦使研の膨大な資料をすべて検討しました。報告書は770万kwのエネルギー量でサンダルフォンのATフィールドが破れることを前提としています。しかし安全側に立った試算では、ATフィールドを破るためには、少なくとも1億kwのエネルギー量が必要です。ハーキュリーズが持つポジトロン砲2砲に、N1爆雷による攻撃を加えても・・」
 大臣はキミオを遮って言った。
「夕霧君、これ以上の君の発言は認めない。」
 その時、ミサトが挙手した。
「葛城一尉。」
 指名されたミサトは立ち上がって発言した。
「私も夕霧一尉と同意見です。我々に勝ち目はありません。本作戦は延期すべきです。」
 誰も、まさかもう一人の主任幕僚まで反対するとは思っていなかったろう。再び会議室は大きくざわめいたが、ミサトは続けた。
「赤い海に深く侵攻した段階で使徒に遭遇すれば、一次、二次遠征の二の舞になります。夕霧一尉のみならず、技官の中にもハーキュリーズの攻撃力に疑念を抱いている者がいます。」
 シャンシャンで終わるはずが、二人の担当幕僚、しかも将来の戦自を担うとされた伏龍と鳳雛がこぞって作戦に反対するという前代未聞の珍事。高い天井の瀟洒な会議室は、これ以上ないほど気まずい雰囲気に包まれた。
 その中をキミオは再び立ち上がり、作戦説明用に用いた大画面に勝手に1つの文書を映し出した。
「これは、日本重化学工業共同体に出向したわが戦自の技官、時田シロウ三佐作成にかかる意見書の抜粋です。時田技官の試算によれば、ハーキュリーズ2機でポジトロン砲4砲により連続攻撃を加えても・・」
「夕霧一尉! 規律違反だ。退室を命ずる。連れ出せ!」
 キミオは叫んだ。
「民主主義がいつも正しい判断をするとは限りません! 多くの戦自兵と友軍兵の命が掛かっています! 来る使徒戦のためには、貴重な人材を今、失うべきではありません! たとえ圧倒的大多数の大衆がこの無謀な遠征を支持したとしても、政治家には実行させない勇気が必要です! 総理! 国民の、人類の未来のために、御英断を!」
 松岡は苦々しい顔で、キミオから顔を背けて、吐き捨てるように言った。
「この軍人は、ちょっとした功績に浮かれて、文民統制の意味も分かっていないようだな。遠征をするかどうかを決めるのは君たち軍人ではない。大衆の代表である私たちだ。私はもう決めている。早く連れ出せ。」
「違う。軍人は勝ち目のない戦争であれば、それをやめるよう、国民の代表に、国民に、訴え続け・・」
 キミオはなおも発言をやめなかったが、直ちに警備兵に連れて行かれ、会場の外に連れ出された。
 再び静まり返った会議室。会議室の外ではなおもキミオの叫び声が聞こえていたが、やがてそれも聞こえなくなった。
 キミオが連れ出されるのを見たミサトは続けた。
「少なくとも専門家により合理的な疑念が呈されている以上、もう一度、作戦の前提条件について見直すべきです。夕霧一尉も私も作戦の延期を提案しているだけです。捲土重来を期し、さらなる技術改良を重ね・・」
「葛城一尉。君にもこれ以上の発言を認めない。」
 ミサトは議長の制止を無視して、会場に居並ぶ軍人たちに向かって叫んだ。
「皆さん、なぜ黙っておられるんですか? 本当に勝てると思っておられるんですか? 夕霧君が言ったように、使徒のデータなんて、昔のいい加減なものしかない。また、一次、二次遠征と同じようなことを繰り返すんですか? 部下や友軍の将兵を犬死にさせるんですか?!」
「葛城一尉に退室を命ずる。連れ出せ!」
 ミサトは続けた。
「勝ち目のない戦をやるのを、バカって言います! この作戦でどれほど多くの命が・・」
 ミサトもまた警備兵により会場の外に連れ出された。


 作戦の中核を担う二人の主任幕僚が連れ去られた後、咳一つ聞こえない静かな会議室で、国防大臣がぼそりと言った。
「・・・他に、意見は?」
 一同はずっと黙ったままだ。万田も岡田も俯いたままだ。「大人」である彼らは、国内外の政治情勢の下で、政治判断として、もはやこの決定の回避が不可能であることを理解していた。
 大臣がやがて言った。
「それでは、第三次南極遠征計画を本日承認致します。原案通り、万田大将を司令長官として、出撃は12月1日とします。それでは、友軍との協定に基づく今後の段取りについて葛・・・」
 と言いかけて、大臣は言葉を止めた。補佐官が大臣に横から小声で言った。
「説明担当者を、岡田将補に変更願います。」
 大臣は咳払いしてから続けた。
「今後の段取りについて、岡田将補から説明を。」
「はい。」
 岡田の簡単な説明が終わると、会議の最後に首相は言った。
「皆さん、ご苦労。この作戦を、希望のアカンサス作戦と命名する。作戦の成功を祈る。」
 会議が予定時刻を10分ほど過ぎて終わると、会議室からの出がけに、松岡は万田に言った。
「万田君、恥をかかしてくれた分、後はよろしく頼むよ。」
「申し訳ありません、総理。」
「それと、名前を忘れたが、説明をしていたあの若い将校だが、彼は作戦から外したまえ。」
「・・・はい。」
 使徒襲来を前に、人類の歴史がまさに終焉を迎えようとする時、薄紫色のアカンサスが咲き、人類の希望を守り、育むと言う。裏死海文書に記されたこの文学的な比喩が何を意味するのか、その頃の人類には分からなかった。だが、人類はこの遠征が人類に希望をもたらすものだと信じた。ゆえに付けられた作戦名が「希望のアカンサス」であった。
 すでに数次にわたる「南極遠征」は、実際には南極大陸にさえ到達できていないのだが、人類はそれを「南極遠征」と呼んだ。それは、使徒の楽園である南極を、人類のために取り戻すための試みであったからである。
 ちなみに、人類が旧南極大陸にようやく到達するのは、これから約3年の後に発動されたエデン再建計画の第1フェーズにおいて、司令官碇ゲンドウが桜花トシ二尉の献策を採用し、エヴァ初号機のシンジ及び同拾号機のトシが、JAV200機余りの小隊を率いて、使徒軍の第1サンクチュアリ攻略に成功した、2038年9月のことである。


 キミオが軟禁されている部屋に、やがてミサトが連れてこられた。ふたりは、警備兵が戸口を固める会議室に一時的に軟禁されていた。
「ありがとう、ごめんね、葛城さん・・・。」
 ミサトは静かに首を振った。
「ううん。でも、たぶん、だめでしょうね・・・。」
「正直、人間の理性ってものに、多少、期待は賭けてたんだけどな・・・。」
「夕霧君って、初心なのね・・・。」
「そんな僕をそばで守ってあげようっていう、強くて優しい人、誰かいないかなぁ・・・。」
「・・・」
 ミサトはキミオを相手にせず、ため息をついた。
 それを見たキミオは言った。
「さて、前代未聞の不祥事を引き起こした僕たちに、上層部はどう、出るかな・・・。」
「短期の謹慎くらいじゃない? ・・・いえ、面倒を避けるために、不問もありうるわね。」
「僕もそう思う。処分を受ければ軍事裁判で争える。そしたら僕たちも世論に訴えられるからね。そもそも、事前に打ち合わせたとおり、僕たちなしで12月1日の遠征決行は不可能だ。何しろ僕たちがこの作戦を作ったんだから。今更引き継ぎは無理だしね。本当にやるなら、僕たちを使うしかない。」
「でも、どちらか一人は外されるかも知れない。」
「ありうるね。・・・葛城さん、上層部の出方次第では、大事な話があるんだ・・」
 そこへ警備兵が現れて、ミサトに言った。
「葛城一尉、万田司令長官がお呼びです。」
「はい。」
「僕は?」
「夕霧一尉はここで待機せよとの指示です。」
 立ち上がるミサトにキミオが言った。
「葛城さん、いいね? 行くのなら、この遠征には僕が行く。万田さんに乗せられちゃダメだよ。」
 ミサトはそれに答えず、微笑みながら、でも少し俯き加減で言った。
「行ってくるわ。」


 それから1時間余り後、キミオは万田に呼ばれた。
 統合幕僚本部長室には、万田が座っており、その前にはミサトが立っていた。
 万田は言った。
「勘弁して欲しいな、夕霧君。今日の君たちには、さすがの私も面食らったが、私の君たちへの信頼は変わらない。夕霧君、葛城君。君たちのような素晴らしい部下を持って誇りに思う。今回のことは不問に付すというのが上層部の判断だ。だが、結論は会議で決まったように、12月1日、予定通り決行だ。わが戦自は、ハーキュリーズ構想に依拠して使徒戦対応を進めて来た。オーナインのE計画に賭けるのは危険だと考えたからだ。確かに君たちの言うように、万に一つしか、この戦いに勝ち目はないかも知れない。」
「いえ、本部長、万に一つもないと申し上げたはずです。」
「そうだったな、夕霧君。だが、再来年に迫った使徒襲来を前に、国際政治的にも、膨大な予算を注ぎ込んできたハーキュリーズの実戦さえ行わないというわけには行かない。本当に、使徒がこの国に襲来するのなら、わが国は全世界の支持と支援を得なければならない。そのためにはわが国も血を流さねばならない。空木元首相の判断で、わが国は悲惨を極めた第一次、第二次南極遠征で後方支援しかしなかった。戦死者は出たが、他国ほどではない。その判断は、我が国の国力を温存はしたが、かえって世界の支持を失ったとも言える。二つ良いことはないのだよ。」
「世界の同情を得るために、そのために死ねと仰るのですか。」
「そうだ。私も司令長官として、死ぬ覚悟で遠征に向かう。それにまだ、負けると決まったわけではない。」
 万田も司令長官として出征する以上、生きて還れるとは思っていない。しかし、かなり階級の違う上司に、キミオは呆れたように言い返した。
「負けるに決まっていますよ。ハーキュリーズで使徒なんて殲滅できるわけがない。」
 万田はキミオの言葉に構わず続けた。
「名高い戦自の二俊がいずれも遠征隊にいないというわけには体面上行かない。そもそも君たちを外しては作戦が実行できない。私を遠征艦隊の司令長官とするのも体面だ。だが、貴重な人材を二人とも失うわけには行かない。夕霧君は強い疑念を持っているようだが、葛城君はハーキュリーズ構想を支持してきた。したがって、葛城君が遠征艦隊の幕僚となり、君は外れることになった。」
 キミオは全部聞き終わる前に、上司の言葉を遮りながら言った。
「そう来ると思ってましたよ。でも、二人とも行きませんよ。葛城さん、一緒に戦自を除隊しよう。今すぐ、除隊するんだ。そうすれば二人とも行かなくて済む。僕たちなしで、遠征したきゃ、してみろってんだ。葛城さん、さあ行こう。ネルフにでも雇ってもらおうよ。」
 しかしキミオの言葉に、ミサトは静かに首を振った。そして彼女は、その美しい顔に寂しげな微笑みを浮かべて言った。
「私、もう決めていたの。今日の全体会議で延期できなければ、私が遠征に行くって。」
「葛城さん・・」
 キミオは驚いたようにミサトの顔を見つめた。
「夕霧君、人類が進めてきた二つの構想のどちらでも、歴史が終わるのをもう止められないのかも知れない。でも、今、遠征をしなければ、誰かが行かなければ、ハーキュリーズ構想は政治的に、もう、もたない。人類の持っている可能性の一つが消えてしまう。」
 温厚でいつも優しく微笑んでいる若者は、ミサトの「離反」に珍しく怒って、叫ぶように言った。
「でも、それがどうして君なんだ?! これは僕たちがやって来た通常戦じゃない、使徒戦なんだ! ただ、死にに行くことに、一体、どんな意味があるって言うんだ?! 僕たちさえ行かなければ遠征なんて出来っこないんだ! この遠征、延期させようって、二人で決めたろ?! 今さらどうしてだよ、葛城さん!」
ミサトがキミオの怒る姿を見たのは、それが最初で最後だった。彼は恋する女性を死なせたくなかった。彼女と共に生きていたかった。ミサトもこの遠征計画に勝算がないことを知っているはずだ。しかし彼女は自分の言うことを聞かず、死地へ赴くと言う。キミオは予想外のミサトの言葉に、当惑し、怒っていた。
 ミサトにも分かっていた。彼が怒っているのは、自分を守りたいからだということが。ただ、死にゆく自分をもう守れなくなるために怒っているのだということが。


 ミサトは、俯き加減で静かに言った。
「夕霧君、戦自でも新国連でも、あなたの知略に及ぶ者は誰もいない。作戦の立案、指揮、経験、どれをとっても、私はあなたの足元にも及ばない。あなたと一緒に仕事をして、それがよく分かった。私では通常戦の指揮は出来ても、使徒戦は難しい。使徒戦では、敵についてほとんど何も分からない。あなたのように、常識に囚われずに発想できる天才こそ、使徒戦には必要よ。だから、私が捨て石になる。あなたが生き残って使徒戦を戦ったほうがいい。」
 キミオは絶望したように首を振りながら言い掛けた。
「葛城さん、僕は君を・・」
「あなたは個人的な感情で決めようとしている。あなたの気持ちはとても嬉しいの。だけど、これは、感情で決めるようなことじゃない。確かに、私の父は使徒に殺された。だから私は使徒に復讐するために戦自に入った。でも使徒の殲滅はもう私情じゃない、私の使命。私は万田長官のご説明に納得した。だから、命令に従う。そう、決めたの。」
 キミオは恋する女性の言葉に、怒気を鎮めて、静かに言った。
「戦自艦隊は、撤退時には友軍を逃がすために戦場に残る取り決めになっている。葛城さん、君のように聡明な人でなくても、この作戦で生きて還れないってことは、分かるはずだ。行っても、今の人類じゃ、使徒には勝てない。こんな無意味な作戦に付き合う必要はない。行けば、確実に死ぬんだ。これは、ただ死にに行く遠征なんだ。」
「行かなくても、使徒襲来に対して人類が何も出来なければ、死ぬわ。同じことよ。JA開発はまた実験に失敗した。いつ実用化できるか分からない。」
 万田が言った。
「夕霧君。ネルフにいる君の叔父上が君を欲しがっている。私にもハーキュリーズ構想の限界は分かっている。だが、E計画とて同じことだ。ネルフはまだATフィールドの中和実験に成功していない。その目処さえ全く立っていない。資金引き上げの話も具体化して、すでに一部引き上げが開始されている。それでも君がネルフに行きたければ、行くがいい。」
 キミオは軽いため息をついてから、言った。
「そうさせてもらいます。でも、それは遠征から生きて戻った後の話です。叔父さんにもそう言ってあります。葛城さん、君は僕のことをまだ分かってくれてないようだね。命令には従おう。でも、自分の感情も貫いて見せる。僕は必ず君を、赤い海から生きて還して見せる。たとえこの命を失っても、君だけは守り抜いて見せる。」
 ミサトは、自分を深く愛している若者が寂しそうに、微笑まないで言った言葉を、黙ったまま聞いていた。


 その日、厚木に戻る軍用機の中。
 窓際に座るミサトの隣にキミオが座ったが、ふたりはずっと黙ったままだった。
 やがてミサトは、座席をリクライニングさせて、さっきから隣でひたすら黙々とルービック・キューブをシャカシャカ回し続けているキミオに、静かに尋ねた。
「・・・夕霧君・・・何、考えてるの?」
「君を、赤い海から生きて還す方法さ・・・。」
「・・・私が万田さんの命令に従わなければ、主力艦隊の主任幕僚を欠くこの遠征は、実際上12月1日には実行できなかった。国際合意に反するこの不祥事の責任を取って松岡内閣は退陣、政変が起こることもあり得た。あなたの作戦通り、本当に延期することが出来たかも知れない。・・・ごめんね、夕霧君。・・・怒ってる?」
「いや、済んだことさ。それに、まだすべて決まったわけじゃない。」
「幾らなんでも、もう覆すのは、無理よ。」
「分かってるさ。遠征は実行される。それを前提に考えなきゃいけない。」
「あなたはすぐに幕僚から外されるわ。」
「まあ、こうなるだろうとは思っていたんだ。だから、すでに手は一応、打ってある。」
「え?! ・・・どんな?」
「艦隊を使徒から守る仕掛けさ。でも、秘密。」
「信用されてないのね・・・こんなことの後じゃ、仕方ないけど。」
「でもうまく行く保証はないんだ。もしうまく行かなければ・・・戦死者を少なくすること、そして戦死者の死が犬死ににならないように、次に繋ぐこと、それだけを考えるしかない。」
「・・・そうね。」
 ミサトは寂しげに軍用機の窓から暮れゆく青い空を見た。


**********************
次回 第九話「アイシテル(後篇)」

葛城ミサト
「夕霧君、ごめんなさい・・・だって万一、私が、あなたのことを本気で好きになったりしたら、困るから・・・。」



To be continued...
(2010.04.03 初版)


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