暗闇の円舞曲

第十三話

presented by 樹海様


 シンジの元へリタ・ロズィーアンが訪れてより数日。
 この間には本当に色々な事があった。
 最初に起きたのは、葛城ミサトとの衝突だった。
 ミサトはシンジから突きつけられた戦術の構築に忙しかったが、その合間を縫ってシンジと友好を深めようと計っていた。シンジの言う事がもっともなだけに、それを受け入れていた訳だが、元来彼女の目的は使徒への復讐にある。
 だが、現状彼女自身の手で直接それを為す事は適わない。
 かといって、通常兵器でもって使徒を倒す事も適わない。実の所、これに関してはシンジより一つの提案が為されている。
 『使徒を倒すのが困難な最大の要素がATフィールドならば、それを中和するだけの兵器は作れないのですか』
 それを使徒の地下から接近させて中和させてしまえば、というものだ。
 これにはミサトは歓喜して、上層部(含むリツコへの直接提案)に提案を行っている。だが、これに関しては上層部は確かに表面上は納得し、対応を約束した。だが、彼らはそんなものを作る予定も必要も経費もない。無論、その更に上にいるゼーレも、だ。
 結果、彼らはミサトに対して『研究中ではあるが、何分ATフィールド自体がよく分かっていない』事を理由にずるずると引き延ばす事にしている。
 そんな事とはミサとは知らずとも、そうすぐに完成すれば苦労はしない、というのは分かる。それにリツコ曰く『誰かがそれを考えた事がなかったのか、とは思わないの?』という言葉には、ミサトとしても頷かざるをえなかった。その提案に対する対応がどうだったかはともかくとして。
 となると、当面頼れるのは矢張りシンジと初号機になる。
 近々、レイと零号機も再起動実験を行い、成功すれば実戦投入可能なよう装甲やセンサーの改装が為される予定ではあるが、ミサトはいざ投入されたからとて初号機と同程度の戦闘能力が発揮可能かは疑問視している。
 これは初号機と零号機の要素の差だ。
 零号機が全てのEVAの基礎、実験機として設計されたのに対して、初号機は零号機で洗い出された問題点を元に費用対効果とか扱いやすさとかをどこぞに放り出してひたすら性能を追求した試験機だ。試験機が本当に動くかどうかを試す為の機体ならば、試験機は……大体二つに分かれる。一つは実質的な実証機で、更にそこからステップアップした制式機へと繋がる踏み台となる機体。そして、もう一つが高性能過ぎて扱える者が限られている為に、そこからランクを落として誰にでも扱えるように制式機を作成するといういわばハイチューン機とでも言うべき機体。
 リツコから聞き出した範囲やアスカの機体のスペックからしておそらくは初号機は後者……。
 ましてや、シンジとレイでは明らかにシンジのスペックの方が上だ。それは格闘訓練を行った際に自分の体で味わった。
 結果、ミサトはシンジと何とかより親しい関係を作り上げて、自身の命令をきちんと聞いてもらおうと思った訳だが……生憎、訪問時に出てきたのはリタだった。

 「……どちらさまかしら?」
 リタが存外上手い日本語で尋ねる。はっきり言ってしまえば、シンジと知り合った後で覚えたのだ。トラフィムらと比べれば、何しろ暇な身だ。そういう意味では日本語という世界でも覚えにくいと言われる言語は格好の暇つぶしだったらしい。
 さて、弟のように可愛がっている相手の家に突然やって来たのは、リタ視点『けばい女』。
 一方、ミサト視点からすれば、『かわいそうな女』。
 何しろ、リタは普段着からしてピンクのフリルつきドレスだ。反面、化粧っ気はない。何しろ、そんな事せずとも殆どすっぴんでも艶々のお肌だ。これに対して、ミサトは服装こそ軍人な事もあり、そんなに派手な服装ではないが、そろそろお肌の曲がり角が気になるお年頃というか、化粧をしない成人女性の方が珍しいだろう。しかも、大人の女性の雰囲気を出そうとしている分、余計に、という訳だ。
 「……貴方どちら様かしら?何故シンジ君の部屋にいる訳?」
 「私の弟に何の用かしら?おばさん?」
 本当はリタの方が遥かに年上なのだが、そこは見た目が物を言う。案の定(見た目だけは)自分より若い女性に言われた事でひくり、とミサトの顔が引きつる。
 「あ〜ら、言ってくれるじゃないの、そんな格好してぶりっ子のつもりぃ?」
 「これは普段着よお?」
 「あらららあ、それじゃあ頭がどっかネジが一本飛んじゃってるのねえ?シンジ君もこんなのがお姉ちゃんだなんて可哀想……ってかあんたとシンジ君じゃ明らかに見た目が違うでしょ!」
 「うっさいわね!シンジを引き取ったお爺様が私にとってもお爺様なだけよ!このご時世に血が繋がってなきゃ家族じゃないなんてあんたそれでも人なのお?」
 引き取ったのはアルトルージュ様で、トラフィムは貴方のお爺様ではなく、この間までおじ様とか言ってませんでしたっけ?と思うのは一緒にお供でやって来たリタのおつき(まだ明るいので部屋の外に出れないでいます)なのだが、とても口に出せる雰囲気ではない。というか、よくリタ様と口論が出来るものだと、別の意味で感心する。
 この辺りは、このことわざが正にピタリ、だろう。『知らぬが仏』、と。

 
 結局、二人の口論はヒートアップして手を出す直前でシンジが帰ってきた事で救われた、無論ミサトが。
 「むぐむぐ……成る程ね、シンジ君が可愛がってもらった【親戚の】お姉さん、と……」
 「(こくん)……ふうん、シンジの【一応の】上司なんだあ」
 ばちっ、と二人の間に火花が飛んだ気がしたが、さすがにこれ以上はシンジに怒られると思ったのか……リタは弟分に嫌われるのが嫌で、ミサトは仲良くなろうとしている相手を怒らせるのは得策でないと判断して、何食わぬ顔で食事を続ける。この辺り年の功というか、腹芸は互いに得意らしい。
 ちなみに現在は、シンジの作った……ではなく、リタのおつきが作った食事の最中だ。シンジも割りと几帳面な方ではあるのだが、何しろ幼い頃より鍛錬の日々な上に、アルトルージュの城でもトラフィムの屋敷でもそんな事させてもらえなかった。仮にも主人の客扱いの相手に料理や掃除をさせては仕える者の沽券に関わるという訳だ。
 結果、こちらに来てもシンジは食事は全て外食だった。さすがに、掃除は自分でしたし、ミサトの部屋の如き腐海にもなっていない。まあ、ミサトの場合、仕事が忙しいのもあるのだが。
 一人暮らしをしてみると分かるのだが、仕事をしていると疲れて帰ってくる。これがまだ早い時間に帰れるならともかく、毎度毎度残業確定コースでは食事を作るのも面倒、結果外食やコンビニ弁当、ゴミはさすがにまとめておいても、部屋をいちいち片付ける余裕がなくなっていく訳だ。……無論、そうでない人も多いのだが。
 さて、話を戻すとしよう。
 「そういえば、今日は何用で?」
 シンジがミサトに話を振る。まあ、本命の目的は予想がつくが、何かしらそれを飾る為の言い訳がある筈だ。
 「うん、新しく開発中の武装とか零号機について、ちょっちね」
 と、ちらり、とリタに視線を向ける。おつきの方は何も言われずとも下がっているが、リタがシンジとミサトを二人きりにする訳がなく、平然とそのまま上品な態度でお茶を飲んでいる。
 「……悪いけど、これから話す事は機密に属するの」
 「ふうん、そうなの」
 あっさりと流されて、出て行く様子もないリタに、ミサトの顔がややひきつる。
 「……あのね?部外者である貴方に聞かせられないから出て行ってもらえるかしら?って話なんだけど?」
 「今の時間、シンジはオフよね。学生のオフの時間まで仕事で縛ろうっての?」
 ぐ、と呻くミサト。
 確かに今のシンジは中学生だし、今は本来仕事時間ではない。本来こうした内容はシンジが明日NERVに来た際に話す事だろう。そうした意味では、リタが正しい。正しい故に、反論しにくい。
 「それに私はシンジを戦闘に放り出すなんて反対よ。そういう意味では正直、今からでも連れて帰りたいぐらい」
 この言葉にはシンジは内心『よく言うよなあ……』と呆れていたりする。あちらであれだけ実戦を繰り返して、今更反対も何もないものだ。というか、シンジが二十七祖入りしてから、もっとも鍛錬相手となる事が多かったのはリィゾとリタの二人だった。まあ、連れ帰りたい、というのは本心かもしれないが。
 「生憎そういう訳にはいかないわ。詳しい話は機密につき出来ないけれど」
 「いいわよ、別に知りたいとも思わないし」
 少なくともこの日、ミサトが思惑を果たす事が出来ない事だけは間違いなかった。


 それでもミサトはまだ反応としてはマシな方だったと言える。
 では、マシでない方は?と言えば……ゲンドウの方だった。
 ゲンドウはミサトよりずっと早くからリタの存在を把握していた。まあ、これは当然でシンジを常に専門家によるチームで監視している側と自分が動く以外にシンジの情報を得る方法のない側とでは手に入る情報の質も量も違う。
 そして、ゲンドウはシンジに憎しみすら感じていた。
 自業自得なのは理解している。だが、理性と感情はまた別だ。あいつは自分の思惑から外れ続け、遂にあいつに手を出した事で自身は片腕を失う事となった。
 とはいえ、シンジに直接手を出す事は出来ない。
 先だって、ゼーレに手出しは固く禁じられた。
 だが、そこへ新たなシンジの関係者が現れた。……シンジ自身には手出しは禁じられたが、その関係者ならば構うまい。
 
 かくして、ゲンドウの命を受け動いたのがNERVのイリーガルだ。
 より正確に言うならば、金で動く雇われ部隊、という事だ。
 ゲンドウも、そうは言っても直接諜報部を動かすのは避けた。さすがにばれた時、言い訳が効かない。その点、金で雇われただけの相手ならば、金の動きさえ掴まれなければ、誰が依頼人か分からないようにしておけば、何とでもなる。
 彼らは複数が尾行を行い、隙を窺った。
 彼らには同居している少年には一切の危害を加えないよう依頼主から厳命を受けていた。通常ならば、それに関してあれこれ想像するだろうが、彼らはそんな事はしない。ただの仕事だと割り切っているからだ。下手に事情を探って良い事はない。
 そして機会は存外早く訪れた。
 都市の死角となる場所。如何にこの第三新東京市が要塞都市として設計されたとはいえ、そうした場所は各所にある。というか、第三使徒に第四使徒。二度の戦いで破損した箇所も多く、加えて裏の仕事を担う諜報部らの為にも仕事を行いやすい場所がある程度は意図的に設けてある面もある。
 そんな場所に何故、と思うかもしれないが、彼女は明らかにまだ慣れていない様子で、あちらこちらをうろついて回っていた。ちょっと路地に入って、路地の小さなお店に興味を持って入り、そこで気に入った物があったのか買い物をして出てきたり……初めての場所の探検といった風情だった。
 その結果、たまたま入り込んでしまった、そう考えた彼らは迅速に動いた。
 声を掛けたりする必要はない。襟のマイクを指で一定のリズムで叩くと実行班は静かにその背中から近づく。不審に思われない程度に足早に、別班はこの路地の両方の入り口部分にさりげなくたむろして周囲の視線から塞いでいる筈だ。
 そのまま手を伸ばして――。
 「「「!?」」」
 実行犯の三人は突如として標的が消えた事で戸惑った。
 「芸も無粋もない方達ですわね」
 標的の声が背後から聞こえた事で彼らは振り向き……はせず即座に逃走に走ろうとした。理由は分からないが、自分達が失敗した事は確かだ、ここは別の機会を……彼らが得る事はなかった。
 「「「!?」」」

 彼らは再度の驚愕に見舞われる事になった。走り出そうとしたのに、全員が全員転倒したからだ。
 恐る恐る自分達の足を見た彼らの視界に写ったものは……。
 ヒザカラタタレ、コロガルジブンノアシ。そして……いずこから取り出したのか、鋭い剣を持ちにこやかな笑みを浮かべたままドレスを汚しもせず佇む女性。この瞬間、彼らはようやく悟った。自分達が手を出した相手が決して手を出してはいけない相手だった事を。
 痛みに叫ぼうにも、助けを呼ぼうにも、目の前の相手から漂ってくる濃厚な死の気配が喉を麻痺させて声が出ない。
 実の所、リタが行った事は簡単な事だった。ただ飛び上がり、逃げようとした相手を抜き打ちの剣で切り裂いただけ、それだけだ。だが、吸血鬼、それも二十七祖の一角が為したそれは、一瞬にして人の視界から消え、軽く飛び上がっただけに見えたそれは人の身長より高く飛び上がり、音も無く背後に着地。動き出す起りを捕らえて、瞬時に間合いを詰めて骨ごと三人分を無造作に断ち切る。……言うは易く、行うは難し、だ。
 「さて」
  にこりとワラって、リタは告げた。
 「それでは御機嫌よう」


 路地の入り口を封鎖していた別班は路地から女が平然と出てくるのを見て、内心舌打ちしながらも道を譲った。
 何しろこの路地は賑やかな通りに面している。ここで拉致するという手もあるが、僅かでも手順が狂えば彼女は悲鳴を上げてしまうだろう、自分達の行動を阻害するのはそれだけで十分だ。本来ならば、実行班が見えた時点でワンボックスで路地を塞いで乗せてしまう手筈だったというのに。
 だが、出てこない実行班の様子を見に行った者は、反対の入り口でもう一つの別班に出会うまで何も出くわす事はなかった。無論、反対側は失敗した事、実行班が出てこない事など初めて知った様子で、彼らが出てきていない事を保証した。
 では、どこへ消えたのだろうか。
 この路地は一本道な上に、扉などもないのだが……万が一に備えて警戒していた血の匂いさえ彼らは遂に見つける事は出来なかったのである。 
  
 
 その翌日。
 シンジがゲンドウと冬月と会っていた。
 「という訳で、姉さんのここへの入場許可証が欲しいんだけど」
 既に事情を聞いていた側、ゲンドウはともかく、冬月の方は極めて渋い表情だ。
 もっともシンジも内心では結構渋い表情をしているような気分だ。
 昨日帰ってきたリタが、いきなり「私もシンジの戦闘見たい」と言い出したのだ。何をいきなりと思ったが、あんな未熟な連中使うような連中の戦闘指揮なんてどんな面白い演劇なのか見てみたいらしい。
 『死徒二十七祖相手じゃ余程の相手でもない限り雑魚だと思うんだが』とは思ったが、姉に頼まれると嫌と言えないシンジだった。
 元々、シンジは今回リタにかけられた襲撃を聞いた時点で、利用する手をあれこれと考えていた。
 それが一瞬にしてパーだ、溜息もつきたくなる。それに、今回の襲撃だけでリタの入室を可能とする、となると、かなり強引な交渉を行わざるをえないのも不満の種だ。こんなのは交渉じゃない、という気持ちだが、やる事はやらねばならない。
 シンジの言い分は、昨晩姉が襲撃を受けた、その時は無事だったが、自分が戦闘中に何か起きては、と彼女の安否が気になるので中に入れて欲しい、というのが表向きの理由だ。
 無論、その背後にはゲンドウがいた事がほのめかされて、だ。そして現在の冬月はそれが真実である事を知っていた。
 「知らんな」
 あっさりと切って捨てたのはゲンドウだ。当然の話だ。その為に直接NERVとは関係ない相手を使ったのだから。
 「そう……分かった」
 てっきり何かしら駆け引きを仕掛けてくると思っていたゲンドウと冬月だったが、いともあっさりと踵を返したシンジに慌てて冬月は声を掛ける。
 「ま、待ってくれたまえ!どうするんだね」
 「財団にそれなりの確認を取って、確証得られれば抗議出してもらおうかと」
 その言葉に戦慄する冬月だった。抗議?どこに?……自分達に直接文句を言ってくるぐらいなら構わない。だが、もしも。もしも、前のような事を意味しているとしたら……。
 「わ、分かった。君のお姉さんの分の許可証は手配しよう。明日シンジ君が受け取りに来て欲しい」
 ゲンドウが睨むのを感じるが、冬月は完全に無視して、そう言った。
 「分かりました、いや、お手数おかけしました」
 笑顔でシンジは退室していった……それを待っていたかのようにゲンドウが声を…上げる前に冬月が叫んだ。
 「何を考えているのだ、お前は!!」
 「……シンジに直接手は出せぬが、心は壊さねばならん」
 「そうではない!」
 そんな事はとうに理解している、問題なのは今だ。
 「シンジ君の言った意味を理解しているのか!?前回我々が何故片腕を失ったのかよく考えてみろ!財団がまたゼーレへの攻撃を行ってそれが成功したらどうするつもりだ!その時にまだ、我々の首が物理的に繋がっていると本気で考えているのか!」
 この場合、起きるかどうかは問題ではない。起きる可能性がある事をやってしまう事自体が問題なのだ。冬月には自分の命をチップにした賭けをこんな事でやるつもりはない。
 ゲンドウも冬月の言う意味が分かったのだろう、押し黙った。……NERV謹製の義手は通常の腕と大差ない動きをしてくれるが、ふと夜などに服を脱げば、そこには生身ではない腕を目にする事になる。ゲンドウとてその事でシンジに憎しみすら抱いていたのだった。同時に恐怖も……。
 「今回、シンジ君が言ってきたのは明らかに彼女をここに入れる許可を得る為の口実だろう、詳細に調べれば尻尾ぐらいは掴めるかもしれんが、昨日の今日でもうお前が黒幕な事を掴んだとは思えん」
 苦虫を噛み潰した顔で冬月が言う。
 「問題は、財団に動く口実を与える事だ。ゼーレも前の事があるからな、口実を与えた事自体を理由に我々を処罰する方向で動いたとしても不思議ではない」
 そう、それを避ける為なら、一人の女性ぐらい大目に見ようではないか。
 ゲンドウも了承したが、彼らは自分達の巣に招きいれたのが恐るべき毒蛇であるとは未だ知らなかった。

 ……そして、彼女が訪れたその日。
 零号機の再起動実験が行われた。



To be continued...
(2009.07.26 初版)
(2009.08.01 改訂一版)


(あとがき)

久方ぶりの投稿です
……最近仕事から帰ったら疲れてバタンキューの毎日です



作者(樹海様)へのご意見、ご感想は、メール または 感想掲示板 まで