西暦2015年、日本は常夏の国だった。
 十五年前の未曽有の大災害、セカンドインパクトの影響である。
 公式の発表では南極に巨大な隕石が落下したことが原因とされるこの事件によって、南極の巨大な氷塊が溶け、世界中で多くの都市が水没。
 さらに引き続いて世界規模での大恐慌をも巻き起こし、数々の紛争が勃発する。結局、直接的なものと間接的なものを合わせると、死者は世界人口のおよそ半数にまで及んだ。
 そして、今新たな脅威が迫りつつある星。
 青年カイムが降り立ったのは、そんな世界だった。



Endless Voyage of an Avenger

第一章 『来襲』
第一節 『来訪、そして』

presented by 木霊様




 光の扉を抜けて覚醒したカイムは、その光景を前に冗談抜きに呆気にとられていた。
 今にも落ちてきそうな青空。
 じりじりと肌を焦がす太陽。
 『あの』世界の暗いそれとは違う、陽光をたっぷり浴びた若々しい緑。
 遥か彼方の灰色の塔をバックに林立しているのは、見たこともない…建物だろうか。石の雰囲気を持ちながら、それにしてはあまりに整然とした外観の、四角い箱。
 そしてその中央を大きな道が、立派に茂った街路樹を伴ってまで続いている。
 カイムの旅したどの町もここまで整備されていなかったし、発展してもいなかった。さらに言えば文化そのものの進み方が、天と地ほど異なっているようにすら感じる。
(まさか、ここは…神の国か…?)
 その土地を第三新東京市といい、紛れもなく人間の住まう都市であるのだが、当然カイムはそれを知らない。考えに考えを重ね、出てきたのがその結論であった。確かにカイムは神の使者・天使どものなかで、最大たる『母』を追ってきたのだ。行き着く先がその住処であってもさして不思議ではない。
 だが…あの赤い空から舞い降りてきた異形の者たちの世界に、果たしてここまで澄みきった青空が広がっているものだろうか。
 人が地獄と呼ぶ世界を作り出した化け物が…これ程までに美しい、緑の世界で生きているのだろうか。
(『声』も聞こえない…契約が切れた感覚はないが…)
 カイムはまず、自分以外の思念を探索した。契約者となった人間は、その相手と『声』―思念による通信を交わすことができる。
 だが今それはどういうわけか、カイムに届いていないようだった。
 ドラゴンとの通信が取れないのは大きな痛手だ。肉声を失って久しいカイムは、相手が契約者にしろ味方の兵にしろ、意思の疎通にはドラゴンを介することが多かった。それだけに、いくら情報が得たくとも叶わない。
 …いずれにせよ、何が起こるか分からないのが現状だ。
 カイムは足元を見た。
 灰色の舗装された歩道の上に、愛用の長剣が鞘に収まったまま投げ出されている。いくら存在する世界が変わろうとも、この剣は変わらなかったらしい。
 何時でも振ることができるよう、抜いておいた方がよかろう。
 苦笑しながらそう思い、馴染んだその柄に手を伸ばした。
 が。
(…? この手は…?)
 細い指に、日焼けのない白い肌が目に飛び込んできたのだ。
 自分の手のはずなのに、カイムにはまるで見覚えがない。
 嫌な予感が、脳裏をよぎる。
(…まさか)
 そんなはずは、と内心そう繰り返して剣を抜くと、大剣の重みがずしりと両手にかかった。
 それもあまり馴染みのない感覚だった、いや戦場に出て間もない頃のそれには近かったかもしれない。持てないということは全くないが、帝国軍との戦いを経て、天使どもを殺戮した時よりも重い。
 そして抜き身の愛剣を覗き込み…今度こそ、カイムは凍りついた。
 あどけなさの残る顔。
 カイムとは似ても似つかぬ人間の顔が、白銀の刀身を前にして驚愕に顔を歪めていた。
(なっ…何だこの顔は! まるで子供……け、契約は?!)
 慌ててカイムは口を開ける。この上契約まで切れていたら、と思うとさすがのカイムも青ざめた。
 だがその舌には、はっきりと紋章が黒く刻み込まれたままだった。どうやら契約自体は切れていないらしい。
 それがせめてもの救いだったが…カイムは悟った。最悪だ。
(俺の体じゃ、ないのか……くそ!)
 呪詛の声を吐く代わりに、渾身の力で剣を地に突き立てた。
 


「よりによってこんな時に見失うだなんて…参ったわねぇ」
 愛用の青いスポーツカーを運転する女が、海岸沿いの道路を猛スピードで走りながらつぶやいた。
 東海地方を中心に関東地方全域に発令特別非常事態宣言により、道路は全くの無人である。どれだけ速度を出してもよいとあって、かっ飛ばしていた車のスピードは制限をオーバー気味であった。
 もちろん、彼女の運転は単なる趣味ではない。ある少年を迎えに行く途中だったのだが、待ち合わせ場所であった駅に彼はいなかった。この非常事態で鉄道までもが止まってしまっていたのだ。
「どこかのシェルターに避難してるといいんだけど…」
 ダッシュボードにおかれた写真を見て女は言う。その写真には今カイムが剣の鏡で見た顔と同じものが映っており、下には活字で『イカリシンジ』と記されていた。
 リニアが止まったということは少年は待ち合わせの駅より前で降りたはずだが、今地上は危険だ。地下の安全なシェルターにいてくれればと、そう思わずにはいられない。
 だが心のどこかで、きっと大丈夫だろうとも思っていた。
 全く根拠のない思い込みであるが、彼女は基本として楽観的な人間である。どんな時もできるだけ物事を良い方に考える、それが彼女を彼女たらしめているのだ。
 葛城ミサトはさらにアクセルを踏み込んだ。彼の居所までそう遠くない、たぶん。



(……一つは、はっきりした)
 八つ当たりで存分に地面を粉砕した後、ようやく冷静になったカイムはある一つの事実に気づいた。こちらは根拠に基づいた、客観的で推論である。
 この世界の人間と体を入れ替えたということはすなわち…ここには、人間がいる。
 カイムは項垂れた首を起こし、ぐるりと周囲を見回した。どういうわけか人の気配はしないが、もしかしたら自分の鋭敏な感覚でも感知できなかっただけかもしれない。そう思ったのだ。
 そして右手のやや後方に視線を投げた時、それを見つけた。
(あれは…?)
 髪、肌、瞳、体のあらゆる部分の色素が脱色したアルビノの少女。はるか遠くではあるがカイムの研ぎ澄まされた神経は、見過ごしかねない小さな像をその網膜にとらえたのである。
 何故と思うより前に、好都合だと思った。
 契約の代償により声こそかけることはできないものの、後をついて歩けば他の人間の居所くらいはわかるかもしれない。そうでなくとも、接触すれば言葉が通じるかどうかも確かめられるかもしれない。カイムは足を踏み出した。
 その時だった。
(!?)
 轟音とともに強烈な風が正面から吹く付けてきた。突然の烈風にカイムは思わず腕で顔を隠す。
 五秒だろうか、十秒だろうか。随分と長く続いたそれが止み、顔をあげると。
(いない…!?)
 カイムは目を疑った。
 契約により強化された鋭敏な視覚は、決して幻覚を見るようなものではない。だがどれほど辺りを見回しても、そこには先ほどの少女どころか人っ子ひとりいないのだ。
 忽然と消えたとでもいうのか。とすればまさか、この世界にはより強力な魔法があるのか。そう逡巡していると今度は、衝撃とともに地響きが体を揺らす。
 今度は何だ。驚く間もなく振り向くカイム。すると彼方の山間から、巨大な物体が登場した。
(……サイクロプスとも、天使とも違う…何だ? それに、あの空飛ぶ船は…)
 それはかつて戦い、屠ったどの異形とも似つかなかった。
 人に似た四肢を持ち、その巨体は正に巨人というにふさわしい。
 巨人に首はなく、肩は白い装甲のようなもので覆われていた。さらにちょうど胸の部分に仮面のような突起を持ち、その直下の腹部には大きな赤い球体が埋め込まれている。
 そして周囲を旋回している、戦闘機という名の鉄の船。しかも、空を飛んでいる。
 ここまで困惑したのは、今まで生きてきて初めてかもしれない。



 第三新東京市、某所。
『正体不明の物体は本所に向かって進行中』
 最新の設備を備えた広大な空間。そこにオペレーターの報告が響くと、モニターの最前に陣取っていた男たちからざわめきが上がった。
 戦略自衛隊指揮官、それが男たちの肩書である。
 本来とある組織の持つはずの優先攻撃権を退け、無理やりに開始した戦闘。その目標が今彼らの目の前に、間接的にではあるが姿を現そうとしていた。
『目標を映像で確認、主モニターに回します』
 大型のモニターが、地形表示から切り替えられる。
 そしてディスプレイに映し出されたのは、カイムも目撃したあの巨大な異形であった。
「十五年ぶりだね」
 初老の老人冬月コウゾウが口を開いた。
「ああ、間違いない。使徒だ」
 鬚をたくわえ眼鏡をかけた男は、振り返ることなくそう答える。
 男の名は、碇ゲンドウといった。



 巨人に群がる戦闘機は、相も変わらず無駄な攻撃をし続けていた。
(…愚かだな。効いていないのに気付かないのか?)
 カイムがそう酷評するのも無理はなかった。
 鉄の船の一団が周囲を旋回して攻撃らしい行動をしてはいるものの、あの巨人には何の効果もなく、全く意味のない行動にしか見えないのだ。それどころか不用意に接近し、体当たりや手のひらから発射される光の槍により撃墜されるものまである。帝国軍の兵器と同じく人を乗せているのなら、それは犬死以外の何物でもない。
 戦闘機を薙ぎ払う巨人の方は、それをあまり意識に留めていないようだった。邪魔だからどかしているだけ、とそんな感じさえ見受けられる。契約者であり幾度もの戦場を潜ったカイムであるからわかることだが、殺戮の意志そのものがあるようではなさそうだ。
 そうこうしているうちに、光線が再び一機を貫く。直後機体は爆発を起こし、炎上しながら地に向かって落ちてゆく。
(あの化け物…落とす方向くらい選んで欲しいものだ)
 その残骸から飛び散った欠片が飛来するのを見て、カイムは内心そう愚痴をこぼした。
 人間に当たれば骨の二、三本は確実に持って行かれるほどの大きさではあるが、歴戦の戦士であり契約者である彼には全く問題ではなかった。しかし、かといってわざわざかすり傷を負うこともあるまい。そう思い、カイムは地面に突き刺した剣を引き抜いて前方の中空を見据えた。低空を飛んでくる瓦礫は全てが十分に迎撃できる距離であり、落下スピードは速いものの水平方向の弾速はそう速くはない。容易い作業である。
 だがカイムが両手で長剣を握り締め、迫りくる飛礫を叩き落そうとした、その瞬間。
(!?)
 カイムは一瞬ひるんだ。後方から青い物体が勇躍し、カイムと飛礫の間に割り込んだのだ。
 盛大にスピンしたそれがカイムの正面に躍り出ると、その側面部や窓の強化ガラスに次々と戦闘機の細かな残骸が着弾した。そのたびに金属質な音がカイムの耳に届き、まるで大粒の雹が叩きつけられたようであった。
「ゴメン、お待たせ!」
 飛礫がおさまると同時に、カイム側のドアから一人の女性が顔を出して爽やかに言う。その顔は見事な登場を決めたと言わんばかりの、満足そうな笑みがにじみ出ていた。
(…鉄の、籠…か?)
 だが彼の意識はその女よりも、彼女を乗せた青い自動車の方に向いてしまう。馬車の台を二つ連結して、さらに小型にしたものが自力で走っているのだ。これほど奇妙な光景ははない。
「シンジ君? 何してるの、早く乗って!」
 満足の笑みを崩して、焦ったように彼女が急かす。一刻も早くここから脱したいようで、自身の下半身は既に運転席の定位置に戻りつつあった。
(言葉が通じるのはありがたいが…人違いか? いや、この体のもとの持ち主か)
 女の言葉を分析し、自分を呼ぶ名に何の迷いもないことからカイムはそう判断した。そしてこれを好機とばかりに、即座に女の空けたドアから乗り込む。
 とにかく今は何でもいい。情報が欲しかった。



『目標は依然健在。第三新東京市に向かい、進行中』
『航空隊の戦力では、足止めできません』
 オペレーターから現状不利の報告が次々と舞い込んでくる。目標の進行が止まることはなく、その声にも徐々に焦りが混じり始めていた。
 揮を執る軍首脳部の面々はそろって声を荒げ、指揮下にある兵士たちに檄を飛ばす。
「総力戦だ、木と入間も全部あげろ!」
「出し惜しみは無しだ!! なんとしてでも目標を潰せ!!」
 全兵力投入の指令が下った。
 それを受けて目標から少々距離を置いて温存していた機体から、巨大なミサイルが使徒に向かって発射される。
 だがそれが命中するかと思われた瞬間、使徒は片手を伸ばし…何と正面からそれを受け止めた。そればかりかミサイルの推進力をそのままに、掴んだ個所からバラバラに切り裂いてしまったのだ。
 爆散するミサイル。だがそれが本来の目的を果たすことはなかった。爆煙が晴れていき、その中から現れた使徒が主モニターに映し出される。その身体に目立った外傷は見られず、まったくの無傷と言っても差支えなかった。
「なぜだ!? 直撃のはずだ!」
「戦車大隊は壊滅、誘導兵器も砲爆もまるで効果無し、か…」
「駄目だ、この程度の火力では埒があかん!」
 尋常でない目標の強さに、ある者は慌てふためき、またある者は現状を悲観的に分析する。
「…やはり、ATフィールドか?」
「ああ、使徒に対し通常兵器では役に立たんよ」
 慌てる軍首脳たちの声をまるで他人事のように、冬月とゲンドウは会話を交わす。
 足掻く彼らに対して少なからず見下したような含みがあるのは、二人以外の誰も気づくことはなかった。
「……わかりました。予定通り発動いたします」
 赤い受話器を片手に、軍服を着た一人がその向こうの相手に告げる。
 これから使用するのは、彼ら戦略自衛隊の所持する最強の切り札。
 それを使うまで追い込まれたのは想定外ではあったが、使用が決まった以上敵の殲滅は揺るがぬものになっただろう。そう軍人たちは確信し、内心で安堵した。
 だがそれが全く根拠のない観測であったということを、彼らは思い知らされることになる。



「さっきは怒鳴っちゃってゴメン、でもあそこに留まるのは危険だったから…あ、あたしは葛城ミサトよ。よろしくね、碇シンジ君」
 海岸沿いの道路をスポーツカーで疾走しながら、ミサトはそう自己紹介した。
 先程から聞いていると、どうやらこの体の前の持ち主はイカリシンジというらしい。それがわかっただけでも大いな収穫なのだが、カイムはそれよりもむしろこの女の発言のほうに反応した。
(フン、我々契約者があれしきで死ぬわけが……思っても無駄か)
 と言っても、声を出すことは物理的に不可能なのだ。ミサトと名乗った女の声を尻目に心の中で鼻を鳴らすが、それが全く無駄な行為であることに思い至り、止めた。
 今では大人しく自動車の揺れに体を任せていた。どこへ連れて行かれるのかはわからない。しかしその先に少なくともほかの人間はいるだろうと思い、今のところカイムは大人しく助手席に落ち着いている。
 要するに運転席に座った人間が操縦する移動手段であるらしい、この女が乗ってきた『クルマ』という鉄の籠を観察するのももう止めた。きょろきょろと見回していて車がそんなに珍しいかと問われ、返ることのない答えに気まずい雰囲気を作ってしまったからなのだが…それにしても言葉が使えないことの不便さに、カイムは無意味と知りつつ内心舌打ちをせずにはいられない。早くあいつを、自分の『声』を代弁してくれる、あのドラゴンを探さねばと改めて思いもした。
 ミサトへの意思伝達を諦め、カイムはシートの傍にある窓から外を見やる。
 あの物体は依然として歩き続けている。殺戮の意志がさほど感じられないところを見ると、どうやら目的は移動した先にあるのだろう。カイムはそう考えた。尤も、あてのない邪推にすぎないけれども。
「ああ、あれね。あれは…使徒よ。人類の敵ってやつ」
(使徒?)
 ちらりとカイムを見、その視線の向けられた先に気づいたミサトはそう告げた。
 カイムは、彼にしては珍しく感謝した。正直に言ってあの化け物の名前に情報としての価値があるとは到底思えないが、だがしかしこうやって情報をくれるのは非常にありがたい。
 カイムは一瞬ミサトに向けた視線を外し、再び窓越しに『使徒』を見つめ始めた。こうしていればまた同じように、勝手に何か自分にとって有益なことをを話し始めてくれるかもしれないからだ。

 ミサトは再び使徒を見つめ始めたシンジ―の姿をしたカイム―を見て、彼の第一印象を決定した。すなわち無口、無愛想、無表情。三拍子そろった根暗であると。
 路上から彼を視認するや否やアクセルを踏んで追い抜き、そのままドリフトで回りこんで迫りくる瓦礫から彼を見事に守り抜く…という、これ以上ないほど恰好の好い登場シーンであった筈なのに、少年からは一つの賛辞も得られなかった。それに対してこちらは車表面をボコボコにされるというのではあまりにも割が合わず、それが彼の評価に対しマイナスの要素になっていた。
 それでも本人にばれたら容赦なく剣を抜かれそうなことでさえ、どうせ思考の中だからとまるで遠慮がない。このあたりに葛城ミサトという女性の大胆さというか、悪く言えばぶっきらぼうなところが表れていた。
(レイも無口だし…指令関係の子供って、みんなそうなのかしら?)
 自身に配属された少女の顔を思い出し、ミサトはそう考える。
 彼女も鉄仮面というに相応しい、無口で無表情な子供であった。ただし、とある男の前以外ではあるが。
「ところでシンジ君? それ……何?」
 子供は元気が一番。そう考えたミサトは、思考にふけるのを止めて切り出した。もっと会話をして無口なこの少年の反応を引き出したいと思い、そしてそのためにはとにかく何か話題を提供することだと思った。
 だがそれ以上に、自分が『それ』と言った物体が気になっていた。どうしても剣にしか見えないのだ。
 重火器の時代となった現代に、刀剣の役割といえばどこぞの国の儀礼的なものであったりとか、博物館で埃をかぶったりといったものしかない筈である。
 なのに何故それがここにあり、そしてこの少年が携えているのか、非常に興味をそそられるところであった。
「ちょっとシンジ君、聞いてる?」
 だが反応はなかった。助手席のの少年はただ窓の向こうの使途を見据え、言葉を発することなくただ座っているだけ。
(き、聞いてないわね…でもしょうがないか。あんなもの見せられたんだもの、ショックなはずよね)
 ミサトはそんなことを考え、納得することにした。子供には基本的に優しいのである。

 集団で四方八方から群がる戦闘機。
 対して使徒は実にうざったそうだ。光の槍でこれを撃墜するも、その行為からは面倒くさそうな印象を受ける。
 その有様に大空で戦う竜と、そしてその背に乗った自分の姿を重ね、カイムは使徒に対して奇妙な共感を覚えていた。わらわらと群がってくる帝国軍の飛行船連隊がちょうど、今のあの空飛ぶ船の一団と一致する。自分たちも次々現れる脆い敵には、脅威ではなく煩わしさを感じたものだ。
 そんなことを考えているうちに、戦局に変化が生じたことにカイムは気づいた。
(逃げた…いや、一つだけ残った…何だ?)
 羽虫の群れの如く群がっていた鉄の船が、一機を残して巨人から離れていく。
 ようやく無駄と諦めたか?
 しかし、それでは一機が残る意味がない。あの残ったヤツが何かをするつもりなのだろう。では一体それは何だろうか。ひょっとすると味方を撤退させなければならない程、強力な攻撃手段なのか?
「? ……ちょっと!? こんな所でN2爆弾を使うつもり!?」
 カイムの疑念を雰囲気から感じ取ったミサトは、窓の向こうを見て驚愕した。
 No Nuclear Bomb、略称N2爆弾。戦略自衛隊の最強の兵器であり、その破壊力は他の通常兵器に類をみない。ひとたび投下されれば周囲一帯は焦土と化し、地上のあらゆるものを焼き払うほどの力を持っている。
 戦闘機を一機だけ残した撤退の意味するもの、それがその危険極まりない爆弾の使用であることに気付かないほど無知ではない。そして無論効果範囲は広大の一言で、今ミサトたちが走っている道路でさえも十分爆風が届く範囲に入っていた。
「シンジ君、伏せて!」
 ミサトが多い被さろうとするも間に合わず、猛烈な爆風が車を薙ぎ払った。



 強烈な閃光が使徒を飲み込んだと同時に、モニターからその姿が消えた。爆発の強大なエネルギーにより磁場が乱れ、センサーやカメラに使われる電波に障害がおこったためだ。
『その後の目標は?』
『電波障害のため、確認できません』
 通信状況の悪化に対処するべくネルフ職員が帆走する中、作戦を完遂した軍幕領の面々はそろって満足そうな笑みを浮かべていた。
「あの爆発だ。ケリはついている」
 自信満々といった様子で言う者さえいる。他の者も言葉には出さないものの、自軍の勝利を確信しているのが表情からありありと読み取れる。
 だがその確信は、直ぐに裏切られることとなった。
『センサー回復します…ば、爆心地にエネルギー反応!』
「なんだとぉ!?」
 スピーカーから慄いた声が上がると、一人が思わず驚愕に叫んだ。他の幕僚たちも信じられないといった面持ちで、目を大きく見開いている。
『映像、回復します』
 オペレーターの報告とほぼ同時に、正面のモニターがふたたび使徒を映し出す。
 皮膚のあちこちが焼け爛れ、仮面のような顔は剥げてしまっていたが…それでも新たな仮面がしたから現われてきているところを見ると、決定的なダメージを与えるには至らなかったらしい。
「わ、我々の切り札が……」
「なんてことだ……」
「化け物め!」
 力なく項垂れるもの、悔しさに握りこぶしを震わせるもの、やり場のない怒りを言葉にして投げ付けるもの。
 反応は様々であったが突きつけられたのは等しく、敗北そのものであった。



「あーあ、危なかったぁ…」
 非常時を理由にバッテリーパックを無断で拝借し、愛車を再起動させたミサトはほっとした様子でつぶやいた。
 全く酷い目に合った。爆風を受けた愛車は何度も横転し、最終的にはまるっきり横倒しの状態になってしまった。それによりボンネットが二人を爆風から守ったのは良かったが、その代償として愛車はボロボロ、未だにローンを払い終えていないことを考えると頭が痛い。
 それでもN2の爆風をまともに浴びたにしては、奇跡的と言っていいほど軽い被害である。それに対して文句を垂れるほど厚かましくではない…納得して諦めるのは、なかなか難しいけれども。
「あっそうそうシンジ君、お父さんの仕事、知ってる?」
 ミサトは気づいたように話を振った。どうやらカイムを喋らせる計画は、まだ終わりを迎えていないらしい。
「…」
 だがカイムは問いに答えようとしない。
 そのかわりに、やけに真っすぐな視線を美里に向けてくる。
(やばっ、不味いこと言っちゃったかしら…)
 今までは単なる無視であったのに、視線が加わったためミサトは焦った。それは完全な独り相撲であるのだが、彼女が気づくはずもない。

 だがカイムは、焦る彼女を尻目に全く別のことを考えていた。
 先ほど爆風を横から受け、車ごと吹っ飛ばされた時のことである。
 カイムは魔法を使った。
 彼の所持する愛用の長剣には強力な魔術が封じられている。"ブレイジングウィング"と名付けられたその魔法で前方に爆炎を生み出し、その爆風を利用してN2の衝撃波を相殺したのだ。
 だが、ミサトがそれに気づいた様子はなかった。彼女に視線を投げかけたのはそれを確認するためである。
(こいつ…恐らく、魔法を知らんな)
 どういうわけか冷汗を流し始めたミサトからいい加減視線を外し、カイムは確信した。
 魔法が見えなかったということではない。これから仮に戦いがあった時、切り札となりうる力をわざわざ見せてやる程愚かではない。
 問題は、ミサトがまるで魔力を感知していないということだった。
 魔術を掛けられた武器が殺した敵の魂を取り込み、使い手の体に置換して付与するのが魔力である。数多くの天使たちとの戦いで蓄積したそれは、カイムが常時魔法を発動するのを可能にしている。
 魔法の発動に伴ってその魔力は増幅されるが、決してそれが体内にとどまり続けることはない。そのためある程度近くであれば、どんな人間でもその高まりを感知することができるのだ。少なくともカイムと戦った連合国軍、そして対峙した帝国軍の兵士たちは皆そうであった。
 にもかかわらず、これ程の近距離で発動した魔法に気づかなかった。ということはこの世界の人間は魔力を感知できず、当然魔法を知らないということになる…彼女が特殊な例でないのなら。
 では、あの使徒への攻撃はなんだったのだろうか。
 あれが魔法ではないなら、なにか別のものを利用した攻撃ということだ。この世界の発達した技術の産物だろう。
 …魔法を超える技術。カイムは背筋に冷たいものを感じざるを得なかった。
 もしもこの世界の人間と敵対することがあったなら…いかにドラゴンと契約し、剣に秘められた魔法を使いこなす自分であっても、生き残ることができるだろうか。 
(…関係ない)
 カイムは思考の渦を振り払い、握った拳に力を込める。
 考えるのは止めだ。この世界の人間でもあの使徒という巨人でも、どちらにしろ己の生だけは何者であろうと譲るつもりはない。
 『母』を斃す。神の意志など届かぬところで、自分の手で生き延びるのだ。執念ともいえるそれが、それだけがカイムの望みであった。

 そして夢見るのはもう一つ、あの半身たる竜と再び相見える瞬間。
 しかしそれが如何様であるか、カイムはまだ知らなかった。



To be continued...


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