ここネルフに属する気はない」
 ネルフ上層部というギャラリーに囲まれての、世間一般的に父親と認識されるべき人物との二度目の対面。
 その父親に代わってまずは第三使徒撃破の功績に謝辞を述べようとした冬月より先に、カイムはそう言ってのけた。
「……どういう事かね?」
 ゲンドウに代わって冬月が答える。彼が他人と話す機会をなかなか持とうとしないため、これは毎度毎度の役回りである。
 そう、話しにくい人物との会話は毎回自分の役割なのだ。国のトップから裏稼業の仕事人まで、今まで相対した人の種類は数え上げたらそれこそきりがない。交渉に始まって腹の探りあい、時にはプレッシャーの掛け合いなど、ネルフに対するそれらのうち殆ど全てを請け負ってきたこの老人には、その過程で優れた洞察力があった。
 しかしこれほどまでに深い瞳をした人間を、未だかつて相手取ったことはない。
 如何に大人びていようと十四歳の子供、と高をくくっていたのも事実だ。しかし少年の発する空気は、その高が十四歳が纏うべきものではなかった。
 碇ゲンドウのように相手を圧迫する雰囲気を持ち、強烈な怒りを叩きつけるのでも、あからさまな威圧をぶつけてくるのでもない。そのような外向きの迫力ではなく、彼の根幹を成す内側の部分に冬月は圧倒されていた。
 老練の交渉人は気圧されたのだ。意識して向けられる威圧ではなく、歴戦の戦士として得た壮絶なまでの意志力を、その内面に読み取って…一瞬言葉を詰まらせたのもそのためである。
「服従を強制されたくないだけだ」
 自分の息子はこれ程重い声を出す者だったかと、ゲンドウは一瞬逡巡した。
 それは指令室までの案内を買って出た赤木リツコも、サードチルドレンとの会談を知って指令室に先回りしていた葛城ミサトも同じだったようだ。報告書との食い違いを改めて(ミサトはつい先ほど読んだばかりなのだが)認識し、隣にいる少年の重い雰囲気に僅かに身を強張らせている。
 ゲンドウはそれについて何とも感じなかったが、冬月は彼女たちを気の毒に思った。二人とも気が強い、または豪胆な女性だとは言え、それでもネルフの更に上部に位置する組織から常にプレッシャーを浴びせられる自分よりも耐性は無い筈だ。リツコが部下の伊吹マヤをこの場に同行させなかったことが、せめてもの救いだったように思われる。
「しかしだねシンジ君。やはり組織としては、機密の問題もあって…」
「愚策に従わされかねんだろう。犬死は御免だ」
 遠まわしに無能と罵られたようなものなのだから当然であるが、これで頭に血が上ったのはネルフ作戦部を統括するミサトである。
「…悪かったわね」
 しかしながら強く出ることができないのは十分承知していた。どれだけ腹が立とうと、あの戦闘中リツコに指摘された、彼に対する自分の指示が拙いものだったは覆ることのない事実なのだ。たとえその時の彼の行動が命令違反だったとしても、自分が責めることはミサトには憚られた。
 子供を戦わせるという不道徳の極みに立つ自分の、罪悪感故の反動もあってのことだったが。
「そういうことだ。お前たちも、俺が死んでは困るのだろう?」
 少年が小さく嘲笑を浮かべながら皮肉を口にするのに合わせて、堅く握られたミサトの拳にかかる力はどんどん強くなっていった。ちょうど、堪えている怒りと屈辱に比例して。
「でも…エヴァはネルフが作り出した兵器よ。それに乗る以上、ネルフに入るのは」
 当然でしょ、と。
 諭そうとする。しかしそれ以上言葉を紡ぐことはできなかった。
「……もう一度言ってみろ」
 首を向け、視線を突き刺した少年から。
 氾濫した激流が如く、凄まじい威圧感があふれ出たのだ。そう今にも腰の剣を、抜かんばかりの強烈なそれが。
 …何という子供だ。
 冬月は首筋を冷たいものが伝うのを感じた。これが本当に、十四歳の子供の持つ気配なのか。一体どんな経験をすれば、こんなものを内に秘めるまでになるというのか。
 体の強張りがさらに増し、背の後ろに組んだ手などは既にかたかたと痙攣し始めている。ゲンドウのサングラスの奥にも、動揺と畏怖の念で瞳が揺れるのを見て取ることができる。
 少年の背中しか見えないリツコはそうでもなかったが、一番ひどい状態のミサトの反応はあからさまだった。彼の指がかすかに揺れるだけで喉が動く…生唾を飲み込んでいるのだ。先ほどまで屈辱に揺れていた拳は、今度は恐怖という感情の前に震え始めていた。顔から心なし血の気が失せ白を通り越して青い。
 そして更に瞳の黒きを深め、彼は、さながら冥府の果てから響くが如き声で、こう言った。
「戦いのために命を創ることが、本当に許されると思っているのか?」



Endless Voyage of an Avenger

第三章『波紋』
第一節『剣は銃より強し』

presented by 木霊様




「これは何だ?」
「プラグスーツよ。エヴァとチルドレンの同調を助ける…そうね、補助媒介と言えばいいかしら」
「……着るのか」
「そうよ」
「…………」
「あんな条件突き付けられたんだもの、このくらいはしてもらうわ」
 ち、という舌打ちが漏れる、そこはネルフ本部の実験場。
 司令室での交渉を終えたカイムは、それと同時にリツコにここまで連れて来られた。曰く、本来なら直ぐにでもやりたかった実験があるのだそうだ。
 別にそれ自体、不満があるのではない。あの後の交渉においてカイムの要求は殆ど通ったのだし、今後の戦力が改善されるかもとまで言われれば、それはむしろ望むところだ…しかし。
 しかし今、手にしているこの珍妙な着衣を見て、流石に尻込みせざるを得なかった。
「直接?」
「そう、直接着るのよ」
「…薄すぎる」
 気乗りがしないにも程があった。
 羞恥心ではない。いつ何処から襲ってくるともわからない敵に備え、鋼鉄の胸当てに加えて篭手や具足まで常に身につけていたカイムにとっては、薄手の布というのはどうも不安を掻き立てるのだ。
「そう? なら、少し作り直してあげてもいいけど…いずれにしても、今はそれしかないから」
「……どうにもならないのか」
「ええ、どうにも」
 聞いた少年はようやく諦めたようで、最後に再び舌打ちをすると更衣室に向かって行く。
 腰に剣を携えたままで。
 その後ろ姿があの異様な威圧感の持ち主のそれとはとても思えなくて、見送るリツコの唇には、不思議な笑いがくすりとこぼれていた。
「さて、と……あら貴女、まだ居たの?」
 振り返った先、そこにいたのはミサトだった。
 オペレーター席の一つに陣取って、どんよりと暗い雰囲気を醸しながら操作パネルに向かって突っ伏している。実験に直接関係ない座席だからいいものの、そのまわりの職員たちは対処に窮しているようだった。
「……リツコ……よく平気だったわね……」
「直接睨まれてないもの。貴女ほどじゃないのは当たり前でしょう?」
 ミサトの声からは、やはりいつもの快活さが失せている…長時間さらされた濃密なプレッシャーにより、精神的疲労が頂点に達していた。

 その尋常ならざる殺気であるが、これはミサトに向けられた後も、交渉中長々とネルフ幹部たちを苦しめた。
 カイムはその中で『ネルフからの独立』の他、正当な雇用手当、現場における判断の優位性、使徒来襲時以外における生活への不干渉などを要求したが、これらは彼らの当初の予定と異なって全て承認される運びとなった。言い換えればそれほどまでに堪え難い威圧だったとも言える。
 中でも、住居を本部内に設けると提案したときは凄まじかった。
 切り出した冬月副司令など、首筋に汗が伝うのが遠目にもわかった。「こんな穴蔵は願い下げだ」そうだが、それにしても交渉というよりは、むしろ脅迫にも近かったのではないかとさえ今になって考えられる程に。
 最後、戦闘訓練と実験に可能な限りすべて参加する了解を本人から得たことで、彼らも渋々ながら納得せざるを得なかったのだが。

「でも……考えさせられる科白だったのは確かね」
 許されると思っているのか、か。
 あの時の彼の言葉を口の中で小さく繰り返す。リツコにとってはなかなかどうして、思うところの多い言葉だった。
「しかたないじゃない…エヴァが無いと、使徒は倒せないんだから」
 これはミサトの言である。
 勿論エヴァのこともそうだが、本当にそれだけなのだろうか…と、リツコは一人考える。
 ――綾波レイ。
 彼女の生い立ちを知れば、彼はどう思うだろう。
 すでに彼女との接触はあると聞いている。その際、彼女にとって最も辛辣な言葉を浴びせたことも。
 果たしてそれが自分の所為だと知れば、いったいどんな言葉をかけてくるだろうか。
「…でもさぁ、シンジ君って、どうしてリツコの前だと大人しい訳?」
「え?」
 唐突なこの質問に、物思いに耽っていたリツコ意識が回復するとともに、その頭脳にも疑問符が飛び交った。
「ほら。司令たちの前じゃ、何ていうか…怖い、のにさ。さっきのシンジ君、そうでもなかったじゃない」
「ああ、そんなこと?」
「そんなこと、って…」
 ミサトは憮然としたような複雑な面持ちをしているのだが、リツコにしてみれば彼と触れ合うのはいとも容易いことだった。当然それができると思っていたから、そんなことをどうして聞くのか分からなかったのだ。一瞬頭にクエッションマークが浮かんだのは、そのためである。
 気づけば簡単なのだ。
 会話や振る舞いから、彼が(どういう訳かはわからないが)見かけ以上に成熟した精神を持っていることに、気づきさえすれば。
 それに対して子供扱いをすれば、どんなに話しかけてもまともに取り合ってくれないのは明白である。だからこそリツコは、彼に対して大人が子供に接するそれではなく、全く対等な立場に立って話しかけるように意識していた。
 それだけのことである。だが如何せん彼の見かけが子供なのだ、実践できる人間はそう多くあるまい。しかし根っからの科学者であるリツコはそういう感情や面子や、大人としてのちっぽけな威厳よりも実利を取ることができる人間だ。そしてそれを、カイムが何となく感じ取っているのも事実であった。
「貴女もそのうち気づくわよ。…マヤ、準備は?」
「はい、現在エントリープラグを挿入中です。あと約15秒」
 オペレーター伊吹マヤの報告にもあるように、そうこうしているうちに実験の準備は着々と進んでいたようだ。さすがにネルフ職員なだけあって、ミサトの放つ負のオーラにもかかわらず仕事の進み具合は順調であった。
「いいペースね。予定より10分の1も早いわ…じゃあミサト、そろそろその席からどいて頂戴」
「…ちぇ、教えてくれたっていいのに」
 ミサトは釈然としない表情で席を立った。
 しかしこのモニター室から退出する気はないらしい。作戦部の長なのだから戦場に立つ部下の実力を把握するのは当然、ということのようだ。やはりこの親友もプロとしての意識はあったのだなと、普段の勤務態度が態度なだけにリツコは安心した。
「センパイ、準備終わりました」
「じゃ、始めましょう」
 マヤが手元のパネルを操作すると、モニターの隅に小さく写っていた、プラグ内の少年の顔が中央に拡大された。
 瞳の暗黒が深みを増し、射抜くような視線がひたすらに前を見据えている。
 やはりこの気迫は感嘆に値すると思いながら、それでも億尾にも出さずリツコは指示を続けた。
「シンジ君、今から敵性体…第三使徒がランダムに出現します。時間の許す限り撃破して」
 エントリープラグの周囲が開ける。周囲の光景は使徒と初戦を交わした、地上の街そのものだった。
 とはいえ本物ではない。全てはプラグに外部から流される、プログラムされた映像なのだそうだ。だからどれだけ壊しても、実物には当然ながら傷の一つもつかないのである。
 これを作るまでに一体どれほどの技術が必要なのだろうかと、あまりに精巧なプログラムにカイム内心眩暈すら覚える気持であった。
「あれ、戦闘訓練なの? シンクロテストは?」
 と、ここで口を挟んだのは、半ば飛び入りで見学するミサトである。
「…変更したの。碇司令からの直接の指示でね」
「司令が…?」
 ちら、と視線を向けるので振り返ると、そこにはいつの間にか両手を後ろに組んだままモニターを見上げている、碇ゲンドウの姿があった。参謀・冬月は…ネルフの保安部員であろう、黒服の男と何か話しこんでいる。
(うえっ、見に来てるじゃない!)
 そのまま振り返り続けていると何かの拍子に視線が合わさってしまいそうで、ミサトは慌てて前を向きなおした。サングラス越しとはいえ、あの眼光で睨まれるのはやはり御免こうむりたいところである。 
「制限時間は10分。武器はそのうち5分をプログナイフ、後半はパレットライフルとします。なおこれはシンジ君の能力テストも兼ねてますので、思いきりやってください」
『…了解…』
「兵装ビルの位置は大丈夫よね。ライフルやナイフの使い方は教えた通りよ…それと弱点はコア、つまり中心部の赤い球体です。何か質問は?」
 マヤ、リツコが最後の説明を告げる中、カイムは一度返事をした以外は何も答えない。
 見据える先は突如として出現した、あの第三使徒サキエルである。すでにいつでも飛びだせるようにやや前傾の構えをとり、両肩のウエポンラックにはそれぞれ逆側から手が添えられていた。ちょうど両腕をクロスして、自らの身体を抱き込んでいるような格好だ。
 手を抜く気はない。実戦で生き延びられるか否かは、その時の判断ではなくすべて日常の訓練にかかっていることをカイムは知っている。大きな失敗を招くのは、いつも日々の小さな躓きの方なのだ。
 ホログラムを見る限り、あの時と…この巨人との初戦とほとんど条件が揃えてあったが、しかし今回は昼間を想定しており、真夏の太陽が煌々と頭上から照り続けている点だけ異なる。闇に紛れて上空から攻める前回の策が、恐らくさらに成功しにくいだろうということは想像に難くない。
 カイムの決断は早かった。
「インダクションモード開始!」
 合図と同時に一足跳びに距離を詰めにかかる。
 使徒との中間地点で一歩だけ踏み込む。その一瞬後には両手に、肩に装備されていた一対のプログレッシブナイフが握られていた。
「あ…シ、シンクロ率上昇! 50パーセントを超えました!」
 使徒の瞳から怪光線が閃くのを避けると、モニターの前にいるマヤは半ば反射的に叫ぶ。
 武器を手に取ったことで精神が高揚したことが強く影響しているのだが、数字の方に注目が行くためオペレーターたちはその心拍数の変化に気づくことはない。
 今回は純粋に戦闘力の身を測る目的のため、ATフィールドの発生はプログラムされていない。そのため敵の攻撃手段はパイルと光線のみなのだが、猛烈な速度で突き出されるそのパイルを左のナイフでいなし、使徒の反応よりも早く右のそれで斬りかかった。
 そのまま次々と刃を叩きつけた。頭頂から股下へ下し、再び逆風に切り上げ、体を捻って右わき腹から逆まで滑らせる。己の剣で繰り返したその動作には、まさに一片の澱みもなかった。
「青葉君! 今のデータは!?」
「ばっちり収集してますよ! 今、瞬間的に75まで…いえ、80を突破! マコト、最大いくつだ!?」
 怯んだ隙をついてコアにナイフを突き立てた瞬間、モニター上のグラフの線が大きくジャンプした。あまりに短い瞬間だったので数値を読み取ることができず、リツコに指名されたオペレーター・青葉シゲルは慌てて同僚の日向マコトをたよった。
「上が86、下が47ですね…ムラはありますが静止状態では低く、動作の前後で急上昇する傾向があります」
「訓練なしでこれ…? ある意味才能ね…アスカ以上かも」
 データをなんとか提供でき、ほっと安堵するのは青葉である。
 リツコは二体目の使徒の胴体をナイフで十の字に切り裂くのを見ながら、その口からドイツにいるセカンドチルドレンの名を漏らしていた。
 惣流・アスカ・ラングレー。
 エヴァの操縦、それについて頂点であり続けることに固執している彼女であるが、それについて自分と同等、もしくはそれ以上の存在に出会ったとき、どんな反応を見せるだろうか。
 あるいはもう既に、初号機による第三使徒撃退の報とその恐るべき戦闘能力は耳に入っているかもしれない。彼女の護衛兼兄貴役の、大学以来の親友は大丈夫だろうか。暴走して不満を撒き散らす少女を止めようとして、間違って過労死しなければいいのだけど。
 まあ、彼の場合は財布が軽くなるくらいで済むかな…と、冗談めいた笑いが口元に浮かんだ。
「……」
「いつまで沈んでるのよ、ミサト。そんなにショックだったわけ?」
 対して、周囲の空気までどんより陰鬱にさせているのがミサトである。
 彼の戦闘を、訓練とは言え間近で見ることで、いかにその格闘能力が秀でているかを確認させられることになったのだ。
 一目でわかった。これが生身でも可能ならば恐らく、自分など足元にも及ばないであろう…だからこそ自分があの時下した命令が、決定的に愚かだったと…改めて突き付けられた気がして。
「だってさあ…」
「『だって』じゃないの。いい? 彼は何も、貴女のことをまるっきり信用してないんじゃないのよ?」
 え、と尋ね返す。
「ちゃんと合理的で、彼にも納得がいく作戦が立てられればいいんじゃない。細かいところは、現場の判断が優先されちゃうかもしれないけどね」
「…それもそうね…」
 わずかながらに、表情が明るくなるのが見てとれた。
「…生存した兵装ビルの現段階の稼働率、これに焼いといたわよ」
「ん、じゃあ実験の映像も後で」
「ちゃんと撮っておくわよ。今まで読み落としてた資料、ちゃんと全部読むのよ?」
「う…わかってるわよ…」
 ため込んだツケがこんなところに回ってきたかと肩を落としながら、ミサトはもう一度作戦に関するデータを片っ端から集めるべく、自分の端末を小脇に抱えて実験場を後にした。



「冬月」
 実験場の後ろの壁付近に並んでモニターを見ていたゲンドウが、おもむろに口を開いた。
 相手はもちろん、隣で同じように後ろ手を組んでいる冬月である。
「ああ。…この戦闘能力、やはり尋常ではないぞ」
 言葉数はだいぶ違うものの、それでも彼らの内心の驚嘆ぶりにそれほど差はなかった。
 ネルフ諜報部から受けたサードチルドレンの成長報告によれば、碇シンジは自分たちの計画に都合のいいように育っているはずだった。内向的で弱気で、親の…特に母親の愛情を求める子供に成長していたはずだった。
 だが、これは何だ。
 まるで何年も戦闘を積み重ねたかのような洗練された動き。敵を殺すことへの躊躇いの無さ、そしてそのための攻撃の的確さ。第三使徒戦でのそれが暴走ではなく本当に彼のものだったのか納得がいかなかった二人だったが、この戦闘を見てようやく確信に至った。
 調査結果、そして自分たちの計画に矛盾するにもほどがあった。予定ではエヴァ初号機は未熟なパイロットを搭乗させたことで、使徒の攻撃によって大きく損傷し、そして初号機のコアに眠る彼の母親・碇ユイが一時的にとはいえ覚醒するはずであり、そのために最適な人格を備えていたはずだったのだ。
「…DNA鑑定は」
「白だよ。彼は正真正銘、碇シンジそのものだそうだ…尤も、それでは人格の説明が付かんがね」
 丁度十一体目のコアを両断したと同時に、ゲンドウの声を遮って冬月が小声で言った。
 サードチルドレンに対して抱く感情はお互い僅かに違うものの、このままだと計画にとって無視できない障害が発生しかねない、という点では二人は一致していた。
 垣間見た、あの殺気が。
 許さないという意志を込めたあの漆黒の眼光が、今でも戒めの鎖のように記憶を締め付けて離さない。
「…諜報部に過去一年の経歴をもう一度洗わせろ」
 自分の息子であるはずの少年に確かに畏怖の念を感じながら、それを隠しつつゲンドウは言った。しかし老獪に達した白髪の片腕には、そんなことはお見通しだった。



「ふう。…マヤ、そろそろね?」
「あ、はい」
 訓練開始から5分経過まで、あと15秒。
 5分という時間は戦闘訓練にしてはあまりに短いように思われるが、この実験では電力を限定された、つまり自由に動ける代わりにケーブルがすでに切断されているという状況が設定されているのだから仕方がない。真に訓練すべきは盤石の態勢で戦闘できる条件よりも、こちら側が明らかに不利となる、このシチュエーションなのだ。
「では武器を切り替えます。最寄りの…A7ビルまで走って下さい!」
『北北東方向か?』
「はい!」
 確認を取るや否や、最後の一体を膝蹴りで殲滅。そしてすぐさま指示されたポイントまで駆けだした。
「ライフルを射出します!」
 あまりに高速の移動に遅れてしまいそうになりながらも、何とか到達と同時にライフルを――と言っても、プログラム上ではあるが――兵装ビルから打ち出すことには成功する。
 カイムは右手前に出現したそれを、迷うことなく引き抜き、銃口を獲物に向けて構えた。
「シンジ君、遠距離から一気に叩くのよ!」
 とはいえ、三点バーストなどという高度なものは教えていない。半ば急きょ組まれた実験だったために、簡単なマニュアルを説明しただけで時間がなかったのだ。
 それにリツコ自身、それでもいいと思った。こちらから何のサポートも指示もない時に、彼が銃を使って一体何をしてくれるのかということに好奇心があったのも事実である。
 …だが実際、その戦闘はリツコを含み、その場にいる全員の想像の斜め上を行くことになった。
「…あれ?」
 トリガーは既に引かれている。
 銃口も間違いなく、サキエルの方を向いている。それなのに、銃弾を受けている筈のサキエルはぴくりとも動かない。
 パレットライフルは国連軍の脆弱な弾丸とは違う。目標を貫通するには至らなくとも、少なくとも着弾の衝撃で進行を食い止め、あわよくばコアへのダメージまで狙える強力な武器である。第三使徒との戦闘データからその威力は実証されており、さらに言えば今回の実験ではコアにある程度命中した時点で、敵影は消えるように設定されていた。
 なのに仮想空間上の使徒は、さすがに弾幕の前では下手な動きはしていないものの、弾丸を雨あられのように浴びせる初号機を前にしてなお戦闘開始時と変わらない姿で立ち尽くしていたのである。
「……命中率……11パーセント、です」
 実験室の職員もその怪に気づいたらしく、疑問を孕んだ声でそう報告した。その数字はやはり想定よりも低く、率直に言ってしまえば素人以下と言ってもよかった。
「…コアへの命中はその10分の1。マコト、これ故障じゃないのか?」
「いや、こっちも同じ…どうなってるんだ?」
「…射線が全く安定していないようです。どうしたんでしょうか…」
 確かに彼が銃を撃ったことがあるとは…まあ、あるのかも知れない気はするが、それでも14歳の子供だ、銃火器に精通しているということは流石にないと信じたい。だが、それにしても数字が低すぎる。
 本物の第三使徒との戦闘において常人離れした格闘術を目にしているだけあって、意外というか、拍子抜けしたような、期待に反して肩すかしをくらったような奇妙な空気が実験室全体を包んだ。そのまましばらく見ていてもその命中率の悪さは変わらない。
 …何故ここまで、射撃の成績が悪いか。それはあたりまえの話、パイロットの経験の無さから来ていた。
 カイムは弓矢ならまだしも、銃を扱ったことはおろか、トリガーを引けば弾が出るということも知らなかった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・のである。
 そのため、決定的に銃火器のスキルが不足していた。その性質上エヴァンゲリオンとは、搭乗するチルドレンの精神状況によってその機能が大きく左右される機体であり、つまりパイロットが知らないことは当然実行することができない。
 何せこの世界の一般住人であっても一度はテレビや何かで見たことがあるものなのに、その存在すら知らなかったのだ。それゆえ彼自身はもちろんのこと、彼の搭乗するエヴァンゲリオン初号機がライフルを扱うことなど、たとえ素人レベルでよくても土台不可能な要求であった。
(…煩わしい!)
 銃身がぶれて射線が整わない。慣れない自動的な反動を受けた指が、引き金を引き続けていられない。カイムは内心悪態をついた。仕方のない話だとはいえ、『カールレオンの王子に扱えぬ武器なし』とまで謳われたそのプライドが罵詈雑言を放っていた。
 放たれる銃弾のほとんどが命中していないのがわかる。一応実戦ではないからいいものの、こんな状態では、自分の間合いの遙か遠方から――例えばかつて戦ったサイクロプスが、瞳から光弾を放ったように――攻撃できる使徒が出現してしまったら、到底対抗できまい。
 そんな不毛な行為を続けていても意味はないと判断した。それに操縦者は、もともとそれほど気が長くないカイムである。消えない敵影に焦れに焦れた結果、射撃のためにかなりとっていた距離を、使徒に向かって一気に駆けだした。
「えっ、あ、ちょっとシンジ君?!」
 慌てるリツコ。
 全く意味不明な行動にどうすべきか戸惑うオペレーターたちを尻目に、目から放たれる光の矢を、腕からの槍を潜り抜け、カイムはついにその懐に潜り込む。
 再び間合いを取ろうとする使徒を逃すことなく、その銃口を槍のようにコアに叩きつける。突撃を受けた使徒は背後のビルとの間に挟まれて、全く身動きが取れなくなった。
 ここでようやく、場にいた全員がカイムの意図を理解した。
「な、なるほど…それなら、当たるに決まってるわよね…」
 銃口を押し付けたまま、トリガーを引いた。
 リツコの呟く声が銃声に消える。文字通り零距離の銃弾が、次々と使徒の身体を貫いてゆく。着弾の衝撃でビルに押しつけられた体が浮く、その様は磔刑とでも言おうか。
 …当たらないからといって、何という強引な。
「ミサトの手腕が問われるわね。これは」
 哀れ腹部を蜂の巣にされた第三使徒の姿は消滅し、初号機はもう次なる獲物に向かって走り出している。
 しかし訓練終了まであと二分だ。先の五分間で十と八を仕留めたのに対し、今度は半分を過ぎてなお一体だけしか、しかも距離を詰めなければ倒せていない。
 言っては悪いが、惨憺たる射撃能力である。これでは徹夜で訓練したとしても、作戦運用上問題がないレベルに達するのにいったい何日、いや何か月かかることだろう。
 これを聞いたら頭を抱えることになる、先ほど気合いを入れたばかりの親友を思う。
 ……これからどうなることだろう、果たして。



 ――そのころ綾波レイはやはり、潔白な病室で横になったままだった。
 天井を見つめるその表情には、相変わらず変化というものがない。また最初からその必要はないのだが、付け加えると重傷の身であるがゆえに、まともに体を動かすことすらままならない。
 もしその双眸が瞬きをしなければ、完全に動きのない、無機質の部屋になっていたことだろう。
「…」
 しかしながらその胸中は、静寂とはほど遠いまでに乱れていた。
 思い浮かぶのは昨日すれ違った少年の、頬を伝ったあの涙。
 そしてその直後に掛けられた言葉が、一夜明けた今でもなお頭の中で反芻し続けていた。
「……人、形………」
 例えるなら。
 凪のように波風一つない静謐な湖が、一石を投じられて小波を広げている…そんな、朧気な感覚。
(……どうして、そういうことを言うの…?)
 木偶人形。
 侮蔑と嫌悪の込められた視線。
 心をざわめかせる、言葉。
(…これは、何…? …胸が……苦しい…)
 頬に熱を伴うような、いわゆる年頃の少女特有の「恋する乙女」的な症状ではない。
 あの言葉を思い出すたびに、胸の中に何かが澱む。あの時の少年の後姿を思い浮かべると、何となくそれを振り払いたい欲求に駆られるのだ。
 そう。
 綾波レイはこの世に生を受けて初めて、他人に対して嫌悪を抱こうとしていた。



To be continued...


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