「…迂闊だった」
 夕闇に染まる蒼い空、緑の包み込む静けさの下。
 カイムは独り呟いた。どうやら思っていたよりも、自分の過ごしてきた文化とこの世界とは異質な関係にあるらしい。
 少々拙いことになったとも言える。きっと自分の行動についての情報は、あのネルフとか言う組織にも筒抜けなのだろう。出がけに服に付けられた、かすかな駆動音を出す装置はおそらくそのためだということは簡単に予想がついた。
 何があったかというと、それは商店での出来事である。
 リツコという女に練習用の銃を借り、金が『カード』というこの分厚い紙切れで代用できるのを教わったまではよかった。金貨がないことに些か驚きはしたがものは慣れよう、全く違う世界にいるとわかっていればさほど焦る程のものではない。問題は、いざそれを実際に使うところで訪れた。
 商店に(これもまた奇妙な建物だなとは思ったが)入ったカイムを見つめるのは、圧倒的な数の恐怖の視線と、少数の奇異のそれだったのだ。
 これはおかしい、とカイムは思った。鏡で確認したが今の自分の容姿はそれほど特殊なものではないし、無論赤の他人が初めて目にした時、恐怖を感じるようなものではなかった筈だ。なのにこれはどういうことか。何か店に入るとき、特定の行動をとる必要でもあったのだろうか。
 とすると、ここで気にせず買い物をすることはできまい。だが無言で引き揚げるのもいかがなものか…そう思案しているうちに店内カウンターの向こう側にいる、ぴっちりとした服を着た従業員らしき人間が小さな機械を手に取った。それはカイムも渡されたものであり、後で説明書を読む予定だったが確か、同じ機械を持つ者と連絡を取り合うことができるものだったはずだ。誰に連絡を取っているのだろう…
 そしてその五分後。
 場に駆け付けた人間たちの行動を見て、カイムはようやく、何が原因だったのかを悟った。
「…武器は、拙いのか」
 借り物のホルスターに差したままの銃だったのか、それともどこからどう見てもそれとわかる剣だったのかはわからない。だがとにかく、武器を人前に見せるのは禁止されているらしかった。
 紺色の服の男が武器を捨てろと、機械メガホンを口に当てて叫んだのを思い出す。この世界ではそれを警官と呼ぶことを、その時カイムはまだ、知らなかった。



Endless Voyage of an Avenger

第三章『波紋』
第二節『すれちがい』

presented by 木霊様




 商店を追われ、追手を振り切ったカイムは第三新東京市中心部から外側へと離れていった。
 舗装された硬い道路を駆け抜け、郊外まで躍り出たカイムはしばらくすると、緑の生い茂る山のふもとに辿り着いた。目的は一つ。調達に失敗した食糧を、ここで手に入れるためである。
 ちなみにこの時振り切った追手には実はネルフ職員の尾行も含まれていたのだが、これはカイムの意図するところでは全くない。
 当然ながら食糧の購入には失敗したが、しかし鞘に結わえた袋の中に薬草を入れておいたのは僥倖だった。これさえあれば食糧は大丈夫だ。大抵の毒蛇も、毒蛙の毒も中和できるし、もし仮に薬草が聞かない種類の強力な毒があったとしても、その時は保険として魔法で癒せばいいだけの話だ。
 あの『旅』の途中でも、連合国軍と別れて単独行動する時は基本的に野宿だったし、その時は必然的に食糧は野生の獣を狩って済ませていた。『あの世界』の旅人としては特段珍しい話ではない。むしろなんだかんだと言って連合国軍から頻繁に支援を受けられて自分たちは、かなり恵まれていたと自覚している。
 既に目の前に飛び出してきた間抜けな蛇を五匹狩ってあり、小さなナイフでそばにある木の幹に打ちつけられている。後は少々肉付きの良い蛙が一匹手に入ればそれでいいかと、そう思いながらカイムは息を潜め、周囲の物音を探っていた。
 もちろん大型の獣がいれば言うことはないのだが、このような小さな山ではおそらく住んではいまい。今日一日はこの程度で耐えるしかないかもしれないが問題はなかろう、明日になったらネルフに行けばよい。
 蛇の首を押さえ、小刀を木の幹から引き抜く。その身を磔にしていた杭を失って落下するのを手で受け、すぐそばにあった切り株に乗せる。
 だらりと横たえ、ぴくりとも動かないことを確認すると、倒木から切り出しておいた薪に手をかざし、加減し集束した魔法で火を点けた。
 小枝を削った手製の串を口から突き刺し、程なくしてめらめらと燃え始めたその炎の裾に刺し立てる。
 橙色の光が、空間を照らす。
「………」
 それは、安らかな炎だった。
 今まで目にしたそれが戦火か、或いは竜の息吹のいずれかだったからか。見ていて穏やかな気持ちになるその炎は、切り株に腰掛けたカイムにとってどことなく不自然にも思える。
 静謐な炎の揺れは思索の扉を開く。カイムもまたこの見知らぬ世界に思いを馳せた。
 思考は必要だ。生き延びる為にはこう言うところで思考いの全てを済ませ、いざ戦いの場になって疑問を感じぬようにせねばなるまい。
 迷いが生むのは「死」しかないのだから。
 自分がいくら考えたところで、あのドラゴンに再び出会う策が思いつくとは到底思えない。だが逆はひょっとしたら、という期待が無いわけではなかった。もしそうなったとき、既に自分がこの世にいないとなったら死んでも死にきれないだろう。
 …早めに焼けた、細身の一匹目に齧り付く。
 咀嚼しながら思い返す。自分の身体の変化よりも、まず頭に浮かんだのは己が屠った、あの『使徒』の存在だ。
 ―あれは、何だ。
 随分と簡単な疑問のようにもとれるが、意味するところはあの首無しの巨人だけではない。
 使徒と似た波動を地下からも感じたのだ。
 あれが人類を滅ぼす力を持ち、それを知りつつネルフがその一体を保持していると言うのなら、それはどう考えても無謀な行為である。
 古来から人は、人間を超えたものを制御できた試しがない…それはこの世界でも、カイムの世界でも共通の真理だった。捕らえていると言うのもおこがましい、いつ牙を剥かれるかもわからないのだ。
 ネルフが動かぬのなら、いずれ自分が殺さねばならぬかもしれない。そう思いながら二匹目と三匹目の串を引き抜き、両方一度に噛み千切った。
 それにあの、エヴァという生き物。
 あれにもどこか『使徒』と似た魂がある。さらに違和感の度合いで言えば、こちらのほうが上だろう。
 その魂の波動が妙なのだ。使徒に似たそれの他に、もうひとつ感じた弱々しいあれは一体何だったのだろう。あれには『使徒らしい』感じはしなかったが、それならば何故、あの巨人の中にいるのだろうか。
 更にリツコから仕入れた話によれば、エヴァは世界にあと二人、ネルフ本部にはうち一人がいるらしい。それもまた複数の魂を持つものなのか、いやそれ以前に使徒と共通する気配をも持つのかどうか…
 取りとめのない考えが次々と浮かぶ。これについては考えても仕方あるまい。もしも直接接触が取れるのなら、何かわかってくるかも知れないが…
 ――次の機会に、やってみるか。
 思いなおせば、自分がそれが可能な位置にいることに気づいた。
 幸い『契約』を経験したことによって、『魂』や『精神』と言ったものの扱いについてはこの世界の人間より優れている自信がある。
 それに大神官ヴェルドレの封印術を間近で見続けてきたため多少の真似事はできるし、彼から万が一にと持たされた呪符は何かの時には切り札となろう。
 …気づけばもう炎は幾分勢いを失い、いつの間にか最後の一匹は頭を残して食らい尽くしていた。
 いくら自分の本来より小さな身体とはいえ、やはり商店から走って逃げたことを考えると量としては少々物足りない。だが近くに水場がなかったことを考えると、獣どころか魚やカエルさえもいなさそうだ…思考を切り上げ、カイムは最後の串を投げ捨てる。今日はもう休んだ方がいいだろうか。
 蛇の方にはとりあえず即効性の毒は含まれていなかったようだが、後になって聞いてくると言う可能性もある。念のためと言うことで、カイムは袋から薬草の葉を一枚出した。
 魔法で保護された瑞々しい葉を小石に巻き付け、都合よく下火になった炎の近くへ置いてやる。良薬を作るのはなかなかどうして難しいものだが、この種の薬草もその類であり、このように適度な熱を加えてやらないと完全な効き目が得られないのだ。
(………そういえば…)
 優しい炎が緑の葉をなでるのを見たところで、ふとカイムは気づいた。
 使徒との繋がりを感じたものが、もうひとつなかっただろうか。
 そう、それは出会った時は気付かなかったのだが、暫く後になって感じたものだ。微弱で不完全だが使徒に近い波動を持ち、それでいてこの世界の人間のそれをも合わせもつ存在を確かに見た記憶がある。
 何だっただろうか。エヴァ…は違う。初号機とやらの魂の波動は出会った瞬間に探知したし、地下にいる零号機には会ってすらいないので条件から外れる。
 では、ネルフにいた誰か、なのだろう。だがそんな人間がいただろうか。本部にいた職員たちからそんな気配はしなかった。本当にそんな存在が…
 いや。
 いた。思い出した。
 あの病院で出会った、あの、人形のような…
「ち」
 思い出すのはそこまでに止めた。
 あの感情の無い、赤い瞳は虫唾が走る。あれは自分の戦った帝国軍兵士とよく似た、操り人形の瞳。
 実際、あの少女は操り人形なのだろうとカイムは思った。エヴァ初号機に乗ろうとする彼女を、誰も助けようとはしなかったではないか…道具に憐れみを感じる必要はないという、ネルフのトップの人間の仕業に他ならないだろう。
 復讐鬼として一度は失い、あのドラゴンのおかげで取り戻した人間としての心が、憐憫の情を訴えるのは確かに感じる。だが自分の力で歩むことのできぬものに、かけるべき言葉など持ち合わせてはいない…抗えぬ魔法にかかっているのではないのだから。
 焦げかけた薬草を口に放る。いつの間にか、炎はもう消えている。

「サードをロストしただとぉ!? 尾行は一体何をやってるんだっ!!」
「は、はいっ、市内商店街で不審者騒ぎがあり、それに乗じて監視から抜けた模様!」
「発信機はどうした? 体じゅうに貼っつけただろ」
「だ、だめです、反応ありません! 唯一携帯端末のが残ってますが…その、位置が…」
「中学生が見知らぬ街でいきなり野宿するわけないだろうがこの馬鹿! MAGIの監視ログ全部引っ張り出すんだ、早く!」
「楽な仕事だっつったのはどこの誰だ一体いいい! 聞いてないぞぉ!!」
 ネルフ本部某所でそんな騒ぎがあったのはもちろん、カイムの知るところではない。



 その数日後、ネルフ本部内の赤木リツコの自室。
 ふうと息を吐いて、部屋の主は画面から目を離した。首を曲げると、かきかきと骨が鳴る。
 伸びの代わりに身体を反らすに留め、キーボードのショートカット操作でデータを上書きに保存する。何も異常がないことを確認すると、糸が数本切れたようにかくりと首を落としてしまった。
「センパイ、大丈夫ですか…?」
 大きく吐いた息が聞こえたのか、背後で書類整理を手伝っていた伊吹マヤがぱたぱたと駆け寄りながら心配そうに声をかける。
「ええ、有難う」
「根の詰め過ぎは良くないですよ?」
「大丈夫よ」
 じくじくと痛むこめかみを指で押す。かれこれ3時間は画面に向かいっ放しであった。
 するとそれを見たマヤが、冷たい濡れタオルをすっと差し出した。
 あらかじめ準備していたその読みの的確さは、普段から端末に向かうことの多いリツコの疲労スピードと休憩のタイミングを知り尽くした上での行動である。こんなところにその能力を使わなくてもとリツコはいつも思うのだが、ありがたいのに変わりはないので今まで口に出したことはなかった。
 冷蔵庫で冷やしていたのだろう。きんとした冷たさが心地よく、再びため息が漏れた。今度は一仕事終えた安堵や疲れではなく、純粋に心地よさから出た吐息だ。
 尊敬する先輩の気持ちよさそうな表情を嬉しく思いながら、マヤは彼女が先ほどまで向かっていた画面へと目を移す。
「武器、ですか? エヴァの?」
 そこに描かれていたのは、とある設計図であった。 
「え? ええ、そうよ…ちょっと注文があってね」
「シンジ君の?」
 是の返事を聞きながら、マヤはその詳細を見て取る。
 なるほど、ペースは今現在エヴァの白兵戦の要となっているプログレッシブ・ナイフ。
 その柄を両手で持てるように伸ばし、合わせて刃の部分も延長してあるようだ。確か先の戦闘訓練で、間合いが狭すぎると漏らしていた…彼の希望を取り入れた武装になっている。
 接近してATフィールドを中和して戦うエヴァの特性を損なわないレベルでの、ギリギリのサイズがそこにあった。あくまでも、短剣の立ち回りの速さを失わない範囲で模索していたようだ。
 その横には、改良型のプラグスーツの原案が軽くイラストされている…こちらも同じ依頼人の所望なのだが、とはいえ優先順位は低いようだ。
「流石です、先輩!」
「後は完成を待てばいいだけなんだけど…次の使徒戦、間に合うかしらね」
 言っている内容は随分とネガティブだが…彼女も褒められたのはまんざらでもないのだろう、視線を僅かに下げながらボールペンを手の中で回して見せた。
「…あ、そういえば」
 思い出したようにマヤが言う。
 聞き返すリツコ。するとマヤははっとしたよう口を噤み、そしてなにやら言いにくそうにおどおどしはじめた。
 拙いことでも起きたのだろうかと一瞬思ったが、緊急を要するものならば言うのを躊躇うことはないだろう。恐らくは個人的なものを含む懸案だろうと推測した。
 そのまましばらく待っているとマヤは、意を決したようにようやく口を開く。
「えと…彼、シンジ君の第一中への編入処理、やっと完了したんですけど…なかなか連絡取れなくて」
「端末は? つながらないの?」
「う…と、いうより……その…」
 そこまできて、リツコはやっと納得がいった。
 単純に言えば、あの少年が恐いのだ。
 異常な力や振る舞いは、えてして人に恐怖の念を植え付けるものである。戦闘の時に見せたどす黒い殺意、地獄の死者が紡ぐような呪詛の声…直接危害を加えられたわけではないとはいえ、与えた心象は決して好意的なものではなかったはずだ。
 事実、ネルフ職員の間ではサードチルドレンの名を出すとあからさまに顔をしかめる者さえいた。一般職員でさえこうなのだから、人一倍純粋―悪く言うなら世間知らずで、悪意というものに接する機会が余りに少なかったマヤがどのように思うかは、一目瞭然であった。
「仕方ないわね。じゃあ私がやっておくわ…その代わり、貴女にはもう少し働いてもらおうかしら」 まったく、と心の中で呟きながら告げた。
 実際ネルフ本部で最も接触する機会があるのは自分なのだから、別にその役目が回って来たとしてもおかしくはなかった。ここはこの後輩への日頃の感謝の意も込めて、引き受けてやってもいいだろう。
 だがそう決断したリツコが言うと、マヤは実に嬉しそうな満面の笑みをその幼さの残る顔に浮かべて見せた。
 父親の碇司令の理想とする人格形成の助けになるかもしれないし、自分もそれに反対するつもりは全くないのだが…
――死ね、死ね、死ね!
 …あれほどの殺気を出す人間が果たしてその策通り動いてくれるかと考えると、正直に言って複雑な気分であった。



 結局戦闘訓練の忙しさにカイム自身端末操作に慣れていなかったことも加わって、実際に彼が第一中学校を訪れるのはもうしばらく後になるのだが、話はちょうどその日へと移る。
 その日はおよそ2週間ぶりに綾波レイが登校してきた日であり、かといって彼女が人との交流をまるで持たなかったため、特に何かイベントが起こったわけではない…つまりは平々凡々なある日のことであった。
 登校の時間帯もほぼ終わり、先ほどまで慌ただしくも賑やかだった校門から人影が消え失せ―といってもそもそも疎開の為、全体の生徒数としてはかなり減ってきているのだが―遅刻することもなく登校できた生徒たちは、教室で朝のホームルームまでの待機時間を思い思いに過ごしていた。
「キュインキュイーン、ガガガガガ!!」
 お気に入りの戦闘機の模型を片手に、何やら妙な効果音を口走っている眼鏡の少年・相田ケンスケもその一人であった。
 中学生にもなってプラモデルを学校に…などと表だって言う者はいない。彼がいわゆる『オタク』体質で、こういうことが好きなのだと言うのはクラス内でももう充分に知れ渡っていたからだ。
 とはいえ、彼の周囲からは心なし生徒たちが離れているのも事実ではあるが。
「…お前も飽きんやっちゃのう」
 がらりと教室のドアを開けるなり、呆れたように開口一番そう言ったのはクラスメイトの鈴原トウジである。
「ようトウジ。ナツミちゃんの具合はどうだ?」
 さすがに人と話すときの礼節はわきまえているのだろう、プラモデルは既にその手から学生鞄の中へと移されている。
 そして自分の机に遠慮なく腰を乗せる親友に、ケンスケはさして気にする様子もなく、挨拶代わりにそう問いかけた。遠慮がないのは信頼の証拠と知っているし、なにより鈴原トウジ本人もそう思っていたのだから問題はない。
「おお。松葉杖やけど、今日からまた学校行けるようになったで」
「そうか。にしても災難だったよなー…でもま、おめでとう」
 おおきに、と言いつつ頬をぽりぽり?く。
 しかし、単純に喜びの表情だけだったのが次第に歪み、怒りとのそれへと変わっていくのを見て、ケンスケは閉口した。
(…マズいことしたかな…)
 と思うのは、この親友に事実を教えたのは他ならないケンスケだからである。
 ネルフに勤める父親を持つケンスケは、先日の緊急事態宣言の事実をその端末を盗み見ることで知っていた。
 緘口令とはどの時代も名ばかりで、人の口に戸を立てることはできないものである。当然トウジの耳にも先日の緊急事態が、地上に来襲した巨人のせいであることは届いていた。
 しかしそれと戦ったロボットがネルフ本部に収納されており、実はその操縦には適切な年齢―自分たちと同じ14才のパイロットが必要だということは流石に厳重に情報管理されていた。父親の情報源から入手したそれは、その避難に遅れ、妹を負傷させてしまったトウジは知る権利があると思い、良かれと思って話した、の、だが。
「ホンマにムカつくわ、そのロボットのパイロットちゅう奴は!」
 やり場のないぎらついた視線…まさか、ここまで怒るとは思っていなかった。
 こうなってくると心配なのが、パイロットと接触した時のトウジがどんな行動を取るか、ということである。よもや勢いあまって、殴りかかったりはしないだろうが…いや、彼の直情的な性格を考えると、その可能性だって否定できない。そうなった時に大事なパイロットを傷つけられたネルフが、情報源の捜査に乗り出すのは必至であり、そうなると自分の身にも危険が及ぶかもしれないのだ。
「…そういえば今日、転校生が来るんだってな」
 現実から、というよりも起こりうる未来から目を背けるべく、ケンスケは話を変えた。
「ん? さよか?」
「知らなかったのか? あいにく男みたいだけど…ちょっと訳ありみたいだぜ?」
「何や、訳ありって」
 言ってからしまったと思ったのはケンスケである。
 これも父の端末に情報の一端があったのだが、エヴァンゲリオン初号機のパイロットの転校先がこの第一中学校になっており、またその日付は随分前の日付だったのだが…延長、延期が繰り返されて丁度今日になっていた。となれば今日来るはずの転校生が、トウジの妹の怪我の原因となったパイロットであるのは間違いない。
 しかしここでそれを話してしまえば、彼が来た時にトウジが何をするか分かったものではない。そうなればやはり捜査の手が伸び、自分までも拙いことに…という図式が、頭の中で一瞬のうちに組み上げられたのだ。
 これからやってくるはずの転校生のためにも、自分の安全のためにもどうにかこの場は回避しなければならない。考えに考え抜き、彼が選択した行動は…
「…それは分からないよ…こんな時期に転校してくるなんて、ってことさ」
 誤魔化し、であった。
「せやな。こんな物騒な時に…変わった奴や」
「ああ。ま、事情があるんだろ」
 話の流れからそれがネルフ関係であることはどう考えても想像に難くないのだが、意外にもあっさり引き下がってくれたことにケンスケは安堵した。



 その校舎の外、無人の校門の前に一人の男がいた。
 服の上からでもそれと分かる華奢な体つきに、しかし決して合うことのない腰の長剣、そして鋭い眼光が威容を際立たせる少年である。彼はネルフ本部から、正確にはその中でも一番彼が口を利く機会の多い、技術部長赤木リツコから言いつけられてこの場所を訪れたのだが…
(…何があるのだ?)
 目的が分からない。
 何せ、「行け」としか言われていないのだ。
 勿論リツコからすれば、「学校に行く」とは「定時に学校に行き、勉強し、毎日通う」ことまで含めて言った言葉なのだがそれでカイムが分かるはずもなかった。ここで何をすればいいのか、指示されていないも同然である。
 わざわざ本部で告げたからにはネルフ関係のことなのだろうと推測するが、それにしても出迎えの一人もいないと言うのはどういうことかとカイムはいぶかしんだ。
 そうこうしていくうちに時間だけが刻々と過ぎていき、焦れたカイムの出した結論は―
「……行くか」
 来るだけは来てやったのだ。文句を言われる筋合いはない。
 病院で出会ったあの少女の、使徒とも似た気配は感じるのだが、それ以外には特に変わったところは見受けられない。となれば此処に何があろうと己の生命を脅かすとは到底思えないし、ここで帰ったところで案内を寄越さなかったネルフが悪かろう。
 そう思い、男は踵を返す。
 しかし目的地は昨日まで過ごしていた山ではなく、郊外にある廃ビルの方向である。
 そろそろまともな住まいを探すべきかと思われたのだ。未だにこの世界の金銭感覚がつかめないのは問題だが、まあそれ以前に不動産屋がどこにあるのかもわからないのだ。適当な廃墟でも見つけられれば、雨風さえ防げるのならそれでよかった。

 …ところで。
 去り行くその姿を視認することができたのは、人の輪から離れて窓の外を見つめていた、一人の青い髪の少女だけだったのだが。
「……」
 その姿はあまりに遠すぎて、影は見えてもその顔容まではみることができず。
 結局彼女もまた彼の正体には気づくことができぬまま、紅色の瞳を再び、済んだ夏の青空に向け直した。



 そういうわけでその朝転校生が第一中校舎に現れることはなく、そしてネルフ本部に使徒来襲の警報が響いたのが、その数十分後のことであった。



To be continued...


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