「本当に来るとは」
 発令所に到着したカイムは、中央モニター全面に映し出された異形の巨人を見るなり呟いた。
「碇司令の居ぬ間に、第四の使徒襲来…意外と早かったわね」
「前は十五年のブランク、今度はたったの三週間ですからね」
「こっちの都合はお構いなし、か。女性に嫌われるタイプね……それにしてもシンジ君、信じてくれてなかったわけ?」
 部下である日向マコトとの会話を中断してじと目で返すミサトに対し、カイムは目を向けることもない。
 それがカイムにとって当然のことだったからだ。それが信頼する人間でない限り、又聞きに得た情報を鵜呑みにしてはいけない――とはかつて一国の王子として教育を受けた、その教えの一つである。まだネルフに信を置いていないカイムとしては当たり前の判断である。
 それでも、やはりミサトにとってはいい気分ではなかった。
 何せ『碇シンジ』は、いかに高飛車な態度をしていても十四才の少年…戦場に出すには余りに若すぎる。自分達を信頼することで少しでも支えになればと思っていたし、ネルフのサポートが生還率と劇的に高めるのだと信じて疑わなかった。
 それに『サードチルドレン』は、自分が使徒への復讐を託す、大切な手駒なのだ。
 子供を戦わせることへの罪悪感、焦がれる復讐への激情…二つの間で葛藤はあるがとにかく、生還の確率を少しでも引き上げるという意味では、これらの思いは向かう先を同じくしていたのである。
「…奇妙な生き物だ」
 そう言いながらも、鋭い眼光は『敵』を捉えて離さない。
 前回とは違って空中に浮かび、海上を飛行接近する不気味な胴体。コアを覆うように、腹の下に折りたたまれた腕。巨人の細部に至まで見逃すまいとするぎらついた瞳に、最近ようやく慣れてきたとはいえ、やはり背筋が冷たくなるのは変わらなかった。
 奇妙さにかけては、現状使徒に及ぶものはないだろう。だがそれが「謎につつまれた」生物になると、ミサトにとってこの少年はたしかに、使徒に勝るとも劣らないほど謎であった。
 戦闘能力。威圧感、狂気。
 第三使徒戦で目の当たりにし、そして時たまネルフに顔を見せる時に確認したそれは…どう考えても十四歳の子供が持つものではないのに。
「銃は不可…格闘か」
「……ええ。あの腕の形状からして、零距離射撃は無理そうだし」
 戦闘への恐怖を微塵も顔に出さずに尋ねる。
 軍人であり、その手の訓練を受けてきたミサトにはよくわかるが、これも無理矢理に押さえつけているのではない。その暗黒の瞳から戦いへの迷いや恐怖を、それを覆い隠した気配さえも感じ取ることができないのだ。
 あの戦闘でその片鱗を見せた、狂気が押し流してしまっているのかも知れない。それとも他に、恐怖を克服する理由があるのか…いずれにせよミサトの理解を超えている。
 しかし、この少年が驚異的な場数を踏んでいるのだけは分かる。地獄を見、修羅場を潜ったものだけが持つ『凄み』があった。
「剣は」
「間に合わなかったわ。今回はナイフでお願い」
 が。
「……」
「文句は無し。その代わりって言うと何だけど、厚手のプラグスーツの方はできてるわ」
 …畏怖の念すら呼び起させられるその少年に何の苦労もなく話せるのは、やはりと言うべきかなんと言うべきか、自分の友人にして技術部長のとある女性だった。
 舌打ちこそするものの、カイムは至って大人しく発令所を後にする。
 その背が自動扉の向こうに消えるのを見届けてから、ミサトは。
「…ねえリツコ」
「何? 今のプラグスーツなら、彼が『薄いのは不安だ』って言うから戦闘時の集中の為に」
「アンタってやっぱ凄いわ」
「は?」
 その発言はサードチルドレンに何かしら恐れを抱く、発令所の面々の心持ちをそのまま表していた。



Endless Voyage of an Avenger

第三章『波紋』
第三節『忌み子』

presented by 木霊様




 エントリープラグに乗り込み、血の匂いのする液体を肺いっぱいに吸い込んだカイムは、隠し持っていた呪符を握り締めながら目を閉じ、エヴァの魂を探る。
 先日思いついたことを今実行したのである。訓練の時にやってもよかったのだが、やはりエヴァ本体の中から試した方がいいだろうという、一種の勘に従った故の行動であった。
 しかし結論から言うと今のところ、先日思い浮かんだエヴァへの接触は功を奏していない。
 こちらがドアを叩いても、「向こう側」から応答が無い…いくら精神を研ぎ澄ませても、そんな感覚しか得ることができないのだ。
 何故だろう。
 自分の呼びかけが、届いていないとは思えないのだが…封印でもされているのだろうか。
『ハーモニクス正常、暴走はありません』
 ふとオペレーターからの通信が耳に入り、カイムは現実に引き戻された。
(…今は無駄、か)
 探索はそこで終了した。魂の扱いについてかなりの機会があった自分が、これだけやってもコンタクトが取れないのだ…これ以上はやっても成果は得られまい。
 というよりもこれからシンクロ率の測定が始まることを考えると、自分の行っている行動が妙な数字を出してしまいかねないというのが主な動機だった。自分が探りを入れているのをわざわざばらしてやる程間抜けではないのだ。
『…援護は』
 思考を切り替え、目の前の敵に集中しながらカイムは尋ねた。
 使徒の形状から考えて、恐らくは前回とは違い、遠距離型だろうと想像はついている。近接戦闘を行うには体の造りが適していないと判断したからだ…尤も、第三使徒が放った光のパイルを考えると完全にその可能性が消えたわけではないが。
 近距離戦では単に邪魔にしかならない可能性があるが、遠距離型を相手にする場合、怖いのは初戦でサキエルが使った光線だ。敵がこれを所持しているかもしれないことを考えると、自分の射撃能力に期待が持てない以上、敵の攻撃より早く接近して先制するのは当然であり、そのためには何かしら援護射撃があると楽なのだ、が。
「兵装ビルの援護射撃のみになります。ただし第三使徒戦の影響で、稼働率はおよそ3割しかないわ」
「それでも…よくここまで持ち直したわね」
「技術部を舐めてもらっちゃ困るわ」
 会話から察するに、どうやら最小限しか期待できないようである。
 対使徒迎撃都市が聞いて呆れる、とカイムは内心嘆息した。
 どうせこの街に来ることがわかっているのなら、住民など全員避難させて資金を全て兵器に回せばよいのだ。稼働しない迎撃要塞に意味などあるものか。ネルフはこれほどの技術がありながら、何を考えているのだろう。
 それに万が一戦場に一般人が取り残されてみろ。立場上見殺しにしたくともできずにこちらまで被害を受けるに決まっている。敵が攻めてくるとわかっている場所に民間人を残しておくメリットが、どこにあるのだ、一体――
(…何?)
 ふとした、違和感。
 自分が当たり前のように・・・・・・・・抱いた考え。そのどこかに小さな引っ掛かりを感じ、何であったかとカイムは思いなおした。
 援護が必要――これは当然のこと。
 民間人が邪魔――戦場に死体を増やすだけ。これも違う。
 敵が来る場所――来る。ここに……敵が? 何故?
 これだ。
 あまりにも自然な思考の流れだったために見落としてしまっていた。一体何故、この街に敵が来るのか。
 仮にミサトが言ったように、サードインパクトとやらを起こすのが使徒の目的だとしよう。ではなぜ、それがここなのか。サードインパクトとは、地球上の何処でも起こせるものではないのか?
 ここで頭に浮かんだのがエヴァの存在と、ネルフ本部の地下から感じたあの異様な気配である。
 ひょっとしたら使徒は、このどちらかを目指して来襲するのではなかろうか。
 だとしたら、この場所に真っ直ぐ侵攻してくるのも辻褄が合う。推測にすぎないが、今考えられるものとして一番納得のいく考えではあった。
「何かしらシンジ君?」
「どうしたの?」
 …ここで自分の考えを話すほど愚かではない。
 彼女たちを信用しているわけではないし、また通信を聞いているのが彼女たちだけであるはずがない。今はその姿を見せてはいないようだが、片腕たる冬月の姿は確認済みだ…おそらく地下の『何か』の存在を知っているであろう、あのネルフトップに伝わってしまうようなヘマはしない。
『……もう一人は動かないのか』
 カイムは手近な話題で誤魔化すことにした。援護が欲しいのは事実だし、零号機とやらがこの地にあることを聞いていた上での行為であった。
「…ああ、零号機ね。今回の作戦には出撃できないわ」
『……』
 「一人」と、まるで人間であるかのように呼ぶので一瞬分からなかったが、それがエヴァのことを言っているのだとわかるとリツコはそう告げる。
 言葉と言葉の間から、何か別のことを考えていたのはミサトにもリツコにも想像がついた。それが何であったのか知りたいとは思ったが、しかし一度誤魔化した以上彼が答えてくれるとは思えない。
 随分と興味引かれる対象ではあったものの、二人とも叶わぬと悟ると諦めた。リツコの科学の力でも人の心の中を覗くことは叶わないのだ――余計な詮索をして、自分にあの殺意が向くのを避けたいという打算もあったが。
 と。ここで、発令所奥の自動扉が音を立てて開いた。
「ん? あ、来たわね、レイ」
 作業かかっていない職員たちの視線が集中する。そこにはあの見慣れた無表情が、包帯を巻かれた蒼い髪を乗せて立っていた。
 随分と遅い到着のように思えるかもしれないが、学校を挟んでネルフの反対側へ移動していたカイムと比較するのは酷というものであろう。事実彼は緊急招集がかかった時から数えて、二分という恐ろしいまでの短時間で駆け付けたのだから、いかに偶然とはいえこれはどうしようもないとしか言いようがない。
 レイはまだモニター内の人物に気づいている様子はなく、眼帯の巻かれていない方の目でリツコのみを見据え、真っ直ぐに歩み寄ってきた。
「…非常召集…」
「零号機はまだ凍結中だから、貴女は一応待機になってるけど…ちょうどいいから改めて紹介するわ。この子が零号機パイロットの綾波レイ。レイ、サードの碇シンジ君よ」
「…!」
 リツコが紹介する。モニター直前に立つリツコの体が一歩横に動き、見上げたレイが息を飲む。
 あの顔、あの瞳…間違いなく、自分を木偶人形だと言ったあの少年だった。
「…レイ?」
 僅かな空気の緊張を感じてミサトが尋ねる。だがレイは返事をすることもなく、微妙な胸の内をひた隠しにして画面上の少年を見つめ返した。
 自分が生まれて初めて見たあの涙の理由を尋ねた時、人形と罵られたことが思い返される。
 暴言を吐かれた理由は分かる。自分が人形のように見えるのは承知のこと…ちくりと胸が痛むことはあっても、それだけはちゃんと理解することができる。
 しかし、分からないのはもう一つの――彼が涙を流していた理由であった。肉体的な苦痛から来るものでないのは表情を見ていればわかる。しかし、そうすると、何故。
 あれから随分時が経ったように思うが、自分なりに考えてみても皆目見当もつかないままだった。
 だから次に会う時、聞こうと思っていた。感情が欠落している自覚があったゆえか、それを求める欲求はいかに無関心なレイとはいえ相当に強い。涙を流すほどに昂ぶる、その感情はいったいどうやって訪れるのか…それを知りたかった。そのために唯一合理的と思われる手段をとることに迷いはなかった。
 が。
『人形に何ができる』
「っ」
 たっぷりと嫌悪を込めた視線を向けられて、レイが小さく目を見開く。尋ね問おうと思っていたことも、頭の中から吹き飛んでいた。
 見ていたミサトもリツコも、普段から無感情を貫くこの少女の一瞬の変化に驚愕する。しかし一つ瞬きをすると、あたかも幻であったかのように消えていた。
 気のせいか…見間違いだろうかと逡巡する。しかしいくら注視しても、再びあの表情を見つけることは叶わなかった。
(…今のは…何……?)
 だがもとの鉄面皮に戻ったレイの心は、今までにない戸惑いに揺れていた。
 レイ自身、何が起こったのか分からなかった。
 彼が自分を『人形』と言った刹那、ほんの僅かに体温が上がり、血液が煮えたような気がして。
「シンジ君! レイに向かってその言い方は無いでしょ!」
『黙れ。早く出せ』
「ミサト、侵攻中よ」
「くっ…初号機、発進!」
 でも実際それを否定することなどできなくて、そのことが…
 そう。
(……くや、しい………?)



 第三新東京市備え付けの、緊急事態用地下シェルター。
 第一中で授業を受けていた綾波レイ所属の2年A組の生徒たちは、彼女と、彼女とともに今日登校するはずだった転校生の少年を除いて、全員がそのひとつに避難していた。
 シェルターと言っても雑然とした感じではなく、床には気兼ねなく座れるようブルーシートが規則正しく敷き詰められている。隔離以上の機能の無い避難所と言うよりも学校の体育館を狭くしただけのように思えて、避難してきた小学生や中学生たちは各々時間を潰す作業に没頭していた。大人たちもまた地上で起きていることにさほど脅威を抱くこともなく、命令とは言え訓練程度の気持ちで談笑に耽る者さえいた。
「くそっ、まただ!」
 その一員である相田ケンスケもまた、個人用の携帯テレビの画面を覗き込んでいた。
 携帯テレビと言っても市販のものではなく、ハンディカメラに電波受信機を内蔵したお手製のものである。中学生ながらこの技術はオタクの本領、あるいは執念とも言うべきところだが…
「また、文字だけなんか?」
「報道管制って奴だよ。僕ら民間人には見せてくれないんだ…こんなビックイベントだって言うのに」
 そう、テレビの放送内容まではどうしようもない。
 カメラの覗き口を見せてやりながら言う。映っているのはどこぞの山の背景に、特別非常事態宣言発令の文字、そして情報は入り次第伝えるというおなじみのものでしかなかった。つまりはこれ以上何も伝えないということの言い換えであることは、この街に住む人間に共通する常識でもある。
「…ねえ、ちょっと二人で話があるんだけど」
 思考に俯いた顔を向け、何か決めたようにケンスケは言った。
「なんや」
「ここじゃあなんだから…」
「そか…委員長! ワシら二人、便所や」
「〜っ…は、はやく行って来い!」
 女性に対しては些か配慮の無い物言いに赤面したのはトウジの幼馴染の洞木ヒカリである。彼女が赤面しながらがなるのを聞き届け、二人は一時避難所を後にした。
 さて。宣言通りトイレに到着した二人であるが、連れ立って用を足す際中、ケンスケはここでこう言った。
「外、出てみたいと思わないか?」
「何言っとんのや。外出たら、死んでしまうがな」
 すかさず否定するトウジ。いかに直情一直線とは言っても常識がないということは全くないのだ、そのくらいは分かるのだ。
 が、ケンスケはお見通しとでも言わんばかりに切り返した。
「ここにいたって同じさ。死ぬ前に一度、本物の戦闘を見てみたいんだ」
「阿呆か。何のためにネルフがあるて思っとるんや」
「3週間で2体も来るんだ、そう防ぎきれるものじゃないさ…トウジだって、妹さんを怪我させた奴がどういう戦い方をしていたか、見たくないのか?」
 こう言えば食いついてくるだろうと、計算された上での発言だった。
 自分の単なる欲望を満たすために規則を破るのだ、ばれればただでは済むまい…だがこの親友が生の戦闘を見ることで、その大変さを知り、少しでもパイロットへの怒りを収めてほしいとも思った。
 勿論、喧嘩を吹っ掛けられるだろうパイロットの為ではない。今日はまだ来ていなかったようだがいつか彼が学校に来た時、トウジがむやみに接触して自分から情報を得たのだと漏らされるのを恐れての提案である。このままではいずれ自分の行為が明るみに出る、それを防ぐ打算があった。
「…自分の欲望に正直なやっちゃなぁ」
 そして読み通り親友は首を縦に振り、ケンスケの心は安堵と興奮に満ちていった。



 発令所は沈黙に包まれていた。
 目の前の信じがたい光景に皆揃いも揃って思考を止め、半分開いた口をそのままに目を白黒させている。
 中央モニターには粉塵舞い上がる都市の残骸と、そした奪われた視界を前にウェポンラックのナイフに手をかけるエヴァ初号機の姿があった。
『奇襲には無防備だな』
 警戒を崩さず呟いたカイムの言葉には全員が同意した。あまりの事態に自らの言葉を紡げなかったとも言い換えられるが。
 対峙も勝負も、まさに一瞬だった。
 内情が切羽詰まっていた前回と違って敵からかなりの距離を置いて地上に踊り出た初号機は、リフトからの拘束が外れるや否や一直線に駆け出した。
 遅れて反応したシャムシェルが、両腕から光の触手を鞭のように放って迎撃するも、命中直前で巧みなフェイントに翻弄されて当たることはなく…慌てて引き戻すよりも疾く間合いを詰めた初号機に、そのまま突風のような蹴りを叩き込まれた。
 最後の抵抗というべきか、さすがは使徒というべきか、コアの中心を捉えられることだけは回避したシャムシェルだったが、哀れ第三使徒サキエル同様、猛烈な勢いで吹き飛ばされ途中にあるビル群を薙ぎ倒しながら、最終的に小高い山の中腹に叩きつけられたのである。
 この間、戦闘開始から十秒にも満たない。
 確かに第三使徒戦と似たような展開ではあるが、その時はまだ組織全体が混乱状態にあり、戦闘への集中が散漫になっていた。そのため眼前の戦闘の凄まじさを実感するには至らなかったが…今回は違う。
 完全に戦闘のみに集中していたにもかかわらず、シンクロ率の報告も敵の攻撃手段の分析も追い付かないまま行われた、奇襲じみた――かつ強襲とも言える、一撃必殺の先制攻撃。
 訓練では大人しく指示に従っていただけあって、もっと慎重な作戦行動を想像していたオペレーターも、ある程度予測はしていたネルフ幹部たちまでもが改めて、ただひたすら茫然とモニターを見つめるばかりであった。
 この時もしオペレーターたちが振り返ることが出来たのなら、それはそれは珍しいネルフトップ二人の硬直した姿を目撃出来たのだが…幸か不幸か、それを実行できるほど余裕のある人間はいなかった。
『……おい』
 半ば自失していた意識は、モニターから入った通信音声で繋ぎ留められた。
 しかし勝負は決したと確信するネルフ職員には、それが何を意味するかわからない。オペレーターたちはすぐに応答することができなかった。
 何の反応も無いと知ると、モニター中のカイムは僅かに怒気をにじませて告げる。
『…よもや、あれで終わったと思ってはいるまいな……?』
 利き腕にナイフを構えつつ響いたその言葉に、発令所の面々はようやく平静を取り戻した。
 そして自分たちの迂闊さに歯噛みした。敵の完全な沈黙を確認せぬまま、半ば戦闘が終わったような安心感に浸ってしまっていたのである。
「…何をしている、パターン青を確認せんか!」
「えっ、は、はいっ……あっ、パ、パターン青残存! 使徒、未だ健在です!」
 冬月が珍しく喝を入れるように口を開くと、固まっていた職員たちが慌ただしく動き出す。命令にはオペレーターの一人、割かし冷静な方だった日向マコトが答えた。
 健在という言葉が強烈な打撃を受けた相手に使うに適するかは疑問であるが…それは別の話としてとにかく、盛大に塵芥がカメラを遮るその向こうでは、使徒の生存を示す青色のブラッドパターンは消えてなどいなかった。
『奇襲は成功した。だが視界は不良…策はあるのか?』
 問うたカイムの視線の先にはミサトがいた。
「え…あっ、と」
『…間抜けめ』
 のだが、唐突に話を向けられてしどろもどろになるばかり。カイムは呆れたように言い捨て、警戒を保ちながら回復しはじめた視界の、その前方を見据えて歩きだした。
 たった今自分が酷評した彼女を叱咤激励する上役や同僚、そして彼女に進言しようとする部下は、その場に一人もいなかった…そのことにカイムは失望していた。
 銃が使えないことをあっさり認め、近接戦闘を決断した彼女の作戦立案は、自分の適性判断という単純なものであるが評価に値するものではある。だが戦闘中にそれが発揮できないならば、指揮官としてはとんだ欠陥品だ。
 確かに、自分の行動は予測不能なのかもしれない。
 しかし何時何が起こるか分からないのが戦場である。他人を指揮しようというのなら作戦が浮かばなくとも、少なくとも「任せる」の一言が言えるくらいに冷静でなくては困るのだ…それさえも分からない組織だとわかり、幻滅した思いでカイムは通信を切断した。
 ネルフの現状を見限ったカイムであったが、前方からの僅かな風切り音を聞いてその身をビルの影へと投げ出した。
 受け身をとって起き上がると、自分のいた地面に光を帯びた鞭が深々と突き刺さっている。視界不良の中を勘で狙ったらしいが割と正確な攻撃だった。二本同時に使わなかったのは、先程のように懐に飛び込まれると対処できなくなるのを学習したのだろう。
 となると初戦の奇襲のように、一足飛びに接近するのは無理であろうが…アスファルトから引き抜かれる直前で先端をナイフで切断した。これでまともに使えるのはあと一本のみ。
 これを好機とばかりに再び突撃を敢行する。前回は五月蝿かった通信も、たかが一兵士に間抜け呼ばわりされたショック故か何も言ってこない。お陰で目は見えなくとも、聴覚の方は良好だった。
 昂ぶる思考が澄んでいく。再び前方からの『音』。減速せず空いた手でつかみ取る。
 焼き篭手でも握ったように初号機の手の平が焦げ、カイムもまた尋常ならざる熱に僅かに眉を寄せる。だがこれでもはや、止めるものは何もない。初撃でコアを少なくとも半壊させたからこれ以上の反撃はない。カイムは確信した。そして加速した。
 初号機視点のカメラからの映像を職員たちが固唾を飲んで見守る中、ついに視界が開ける。使徒の体は山の中腹に強かに打ち付けられた後、今になってようやく起き直りつつ、先端を斬られた触手を引き戻している最中だった。
 はっきり言って隙だらけである。体の回復すらままならない今の状態では、いかに使徒とはいえ迎撃は不可能…今度こそはと、発令所は勝利を確信した。
 が。
「…え?」
 呟いたのは誰だったか。
 その行動が理解できず、誰もが戸惑い混乱した。何を思ったか初号機が進撃を止め、後ろに跳んで間合いを取り直したのである。
 …何故か。
『……見ろ。人だ』
 舌打ちしたカイムがそれを悔やんだ通り、その視覚があまりにも鋭敏すぎるからだった。

「シンジ君のクラスメイト!?」
「何故こんなところに!」
 カイムの言った『逃げ遅れ』の情報がウインドウで表示されるのを受けた発令所も、カメラの解像度を上げてようやくそれを確認できた。映し出される映像には、使徒の円柱状の胴体の下に、恐怖に震える二人の少年の姿が確かにあったのである。
 使徒を示すパターン青は確実に弱化の一途を辿っている。あとひと押しで倒せる…だが下手に手を出すことができない。使徒の撃滅は最優先事項であるが、目の前の民間人を見捨てることなどあってはならないのだ。
 何せネルフが掲げるのは『人類を守る』というお題目である。これに沿って考えるならば人類に属する者を見殺しにするなど言語道断、もしそんな事実が世間に洩れでもしたら超法規的組織とはいえ解体は免れない。
『…何をしている。早く人を送れ』
 言葉に焦りをにじませたカイムが言う。
 使徒はエヴァからの追撃が無いのを悟ってか、緑の中に横たわった恰好のまま動かない。だがそのコアからは、奇妙な茶色の物質が煙を上げて表出していた。
「使徒、コア周辺にエネルギー反応上昇…これは…?」
「…まさか、防御殻?!」
 その正体を推測したリツコが、オペレーターたちの報告をかき消して叫んだ。
「ぼっ…そ、そんなことが!」
「あり得ない話ではないわ、前回の敗因はコアの粉砕だから…もし使徒が、何らかの形で情報を共有するのなら」
「何よそれ! 使徒が党等を組んでるとでも言いたいわけ?!」

(付き合ってられん)
 通信の向こうから聞こえる騒ぎに、カイムはさらに失望を深めた。
 窮地に立たされた保護対象に加え、さらに敵を目前にした兵士がいるというのに…いったい何をやっているのか。それとも何も考えていないのか。
 ネルフの前身が研究施設だというのも納得がいった。技術は優れていたとしても、避難させた民間人の保護すらできないようでは、組織の管理能力としては三流以下だ。その上さらに戦闘になると…何と言う愚鈍さ、お粗末さであろうか。
(…とはいえ、こちらも……うまく乗ってくれればいいが)
 発令所は慌ただしく混乱し続けていたが、それでもカイムは冷静だった。
 残った右の鞭がしまわれていない…ということは、これは万が一残された追撃に対する保険だろうと簡単に想像がつく。
 ならば…と、右手のナイフを敢えて振り上げた。
(……来た)
 予想通りの反応。沈黙していた光の鞭が唐突に復活し、頭上に掲げられたナイフめがけて一直線に伸びていく。
 しかし軌道がわかっていれば、なんと読みやすいことか。カイムはあらかじめ知っていたかのように、それを左手で難なく受け止めて見せた。
「……っ」
 無言で裂帛の気合を込め、ナイフを離した右手も使って両手持ちに握りしめる。
 焼き鏝を押し付けられる痛みに顔をしかめながらも、触手を引きながら体を捻り、満身の力で後方に向けて投げ飛ばす!
『…! ミサト、モニター見なさい!』
『え? …あ!』 
 口論を中止した二人がモニターへと目を移すと、そこにはどういうわけか、山の中から初号機背後のビルまで頭から突っ込むシャムシェルの姿があった。
『よ…よし! シンジ君、回収ルートは三十四番! 二人を回収した後、山の東側へ…』
「拒否する」
 言い切る前に遮ったのは、他でもないカイムだった。
 あまりにもあまりの言い草に、一瞬発令所が凍りついた。
『何…ですって…?』
 驚愕と共に呟くミサトの声を意にも留めず、初号機はそれ以上言うことはないとでも言わんばかりに、「投げ」のために離したナイフを再び拾い上げる。
 さらに、もう一本を装備する。これで両手に一本ずつ。
 触手を受け止める意図の無い、完全な攻撃向きの装備だ。これを見れば彼にはもう、その言葉の通り、命令を聞いて発令所に帰還する気が無いのは明白だった。
『…理由を聞かせて貰えないかしら、シンジ君?』
 リツコが尋ねる。
 単純な反抗心からの拒絶とは思えなかった。実験中の態度や戦闘訓練時の命令遂行の様子から見る限り、理に適うものには従う筈だ。命令を反故にするということは、それだけの理由があるはず…どんな複雑な思考を経てその答えを出したのか、興味があったのだ。
 だがその予想に反して、答えは至って単純であった。
「必要ないからだ」

 惨劇が始まった。
 既にブラッドパターン青は感知できる最小のレベルにまで減退していたため、それが果たして「殺害行為」にあたるのかは際どい所だったが…とにかく攻撃手段たる触手を失い、残った力でコアの周囲に防御殻を形成したシャムシェルを待ち受けていたのは、防御殻を形成し堅固になったコア以外を狙った、文字通りの全身膾斬りであった。
 少しでもエネルギーを回復に回すため、微動だにしなくなったその巨体は恰好の獲物であった。袈裟掛けに唐竹、胴から逆風、刺突…ありとあらゆる方向から息もつかせぬ斬撃が続けざまに閃き、それでいて両断するには短すぎる短剣の刃が、使徒に死の眠りを許さない。
 狂気ともいうべき殺戮の微笑みを投げかけるカイムがその最期を許したのは、結局絶対的なエネルギー不足でコアの防壁が解かれた瞬間、狙いすましたように渾身の刺突を撃った時であった。
 コアを砕かれた使徒は、完全にエネルギーを失っていたため道連れを求めることすら出来ずに事切れる。使徒に感情があるかはわからないが職員たちにとってはそれが、安息の死を許された咎人のように思えて憐れみすら感じられた。
『死んだか』
 邪笑をようやく消して、カイムが問うた。
「っ…し、使徒…パターン、青、消…滅、しま、した……せ、殲滅を……確、認…」
 向けられたが故に、答えたのはマヤであった。
 ただでさえ気が弱いというのに、びちゃりびちゃりと飛び散る血肉をモニター越しにとはいえ目の当たりにした直後であり、さらに彼女にとってみればその張本人たるカイムはさながら地獄の使者である。恐怖に麻痺した思考で、同僚たちは特に気の弱い彼女を気の毒に思った。
『餓鬼共はどうする』
 いや。
 マヤよりもさらに気の毒な者たちがいた。
 その狂気じみた殺戮劇を、凶刃が振り下ろされるたびに生々しく飛び散る体液を正に目の前で目撃してしまった二人の子供たちだ。
 可哀相にその体はもはや隠しようもなくがたがた震えており、特に眼鏡の少年の方はまるで漫画や何かのようにがちがちと歯を鳴らしてすらいた。
「……か…まわない、わ。ネルフで対応します」
 辛うじて復活を果たしたリツコが応対した。
 この時ばかりはミサトもマヤも、彼女の毒薬…もとい新薬の実験台になってもいいと思う程に感謝した。今彼に対し口を開くより、そちらのほうが何倍もましに思えたのである。

 こうしてカイムは本部支部問わず、ネルフ内で「悪魔」や「死神」といった名誉とも不名誉とも取れる忌み名を囁かれることになった。
 戦闘を間近で見た者も後から映像で見た者も、多かれ少なかれその存在に絶対的な恐怖を刻み付けられたのである。もはやカイムを、畏怖と恐怖の対象以外として見る者はいないかと思われた。
 恐れという感情そのものが希薄で、彼に対し奇妙な印象を抱きつつあった、とある一人を除いて。



To be continued...


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