埃の溜まった窓に降りつける不快なはずの真夏の雨が、風の無い空間には妙に涼しい。
 不気味な鮮血色の空を飛んだことはあったが、暗い雨雲の立ち込める空は無かった。そう思いながら、カイムは打ち捨てられた廃墟の一角で馴染んだ長剣を見つめる。
 抜かれた剣は暗い室内にもかかわらずぼんやりと明るみを放ち、誰のとも知れない飾り戸棚がぼんやりと浮かび上がっている。第三新東京市探索の末に漸く発見した一室は、忘れられてから暫く振りの光で満ちていた。
 やがて変わらぬ雨音の中、光が強さを増す。
 視界を奪われる事は死に直結する。そう身を以って理解しているカイムは反射的に目を反らした。そして刹那の閃きの後、視力を取り戻してゆっくりと目を開く。情けない。魔力の漏れ、それに伴う発光さえも抑えられない程鈍った魔術に舌打ちする。しかし果たして、その手に握られていたのは腰の鞘に合う剣ではなく、無骨とも言うべき石造りの巨大な穂を持つ、超重の槍であった。
 召喚魔法、と呼ぼうか。遠く離れた地から、特定の相手を文字通り喚び出す魔法。通常自分より高位の存在を対象とするため、生贄もしくは膨大な魔力、或いは魔力を増幅する陣を必要とする大魔術。カイムはそれをあろうことか、『武器』に対して使用したのだ。
 しかし生物に対して行使する場合ならともかく、無機質に対しての召喚ならば消費する魔力は段違いで低い。蓄積された分が無くても、日常的に持つ量だけで十分足りるほどに簡単な魔法である…といっても、それなりに修練を積んだ者ならばという条件は付くけれども。
 とはいえ、呼び出すのはただの武器ではない。
 両親を奪われた瞬間から、殺すことはカイムにとって極上の愉悦であり、そして生きる意義を見出だせるただひとつの行為だった。ゆえに己の身体を省みることもせず、復讐のためだけにあらゆる凶器を手に取り、あらゆる殺し方を身につけ、生き物の身体がどうすれば死ぬか、その傷つけるべき全ての場所を自らの体に染み込ませてきた。
 あの竜と肩を並べるうちに随分とその在り方は変わって来たが、それでも鍛練という点においてはまるで昔のままである。そのため、もともと『レオンハルトの王子に扱えぬ武器無し』と讃えられたのは伊達ではなく、剣、槍、斧にメイスと、あの世界に存在する武器全てについて、他のどの達人にも引けを取らぬ使い手になるにはそう時間はかからなかっだ。皮肉な話ではあるが、両親の死が彼の才能を余すところなく引き出したのだ。
 しかし道を極めたはいいが、人間の限界を超えたその技を振るうには並の武器ではあまりにも脆すぎた。魔法を封じられた愛剣…父の形見の長剣こそ違ったものの、何の呪術も無しに造られた鈍らは主が十分な力を出すのに耐えなかったのだ。カイム=レオンハルトがその真の力を振るうには、それ相応の武器が必要だった。
 それに応えたのが、旅先で出会った魔の武器の数々である。
 狂気の人斬り、古の神々、誇り高き手負いの竜。この世の数々の伝説をその身に宿し、あまりにも強力な魔法を封じ込められた武器が、カイムに出会い、その力を存分に振るうを許した。
 今呼び出したのも、『バーリベルトの涙』の名を持つ魔槍の一振りである。
 風を吹かせ、竜巻を生む魔力を秘めた強力な槍。
 角ばった、しかしながら洗練された刃を見て、自分の振ったそのものであると解したカイムは、満足そうに目を閉じた。



Endless Voyage of an Avenger

第四章『接触』
第一節『漸進』

presented by 木霊様




 第三使徒サキエル自爆、第四使徒シャムシエル撃破、その上搭乗するエヴァンゲリオン初号機の損傷は軽微。これが第三新東京市で碇シンジが―実際にはその皮を被ったカイムが叩き出した戦果である。
 本人は己の生命のために戦ったのだからまったくその意図はなかったわけではあるが、結果ネルフ本部は勿論第三新東京市に住まう多くの人々の命を救ったことになる。華々しいその文字だけを見れば、碇シンジはネルフ内で戦神或いは英雄と称えられ、救世主と崇められても全く不思議ではなかった。
 しかし現実は違った。人間という生き物は事実を理性的に考察するより感情で物事を考えるのを好む。戦闘でカイムが見せた狂気の微笑みは目にしたものに圧倒的な恐怖を植えつけた。ネルフの一般職員の間で彼の名は、触れてはならないかの如く忌避され口に出すのが禁忌であることは三日と経たずに暗黙の了解となった。
『ヒィ…血……血ぃ…!』
『…ぅぁっ、来んなや、こん、バケモノ!』
「無様ね」
「リツコ、それはちょっと酷いんじゃ…」
 悪夢に魘される少年たちの怯えに満ちた声をスピーカー越しに聞き、それでもあくまで冷徹酷薄なリツコにミサトは言った。
 独房に設置された監視カメラに別々に映っているのは、あの第四使徒戦でシェルターから脱走を敢行し見事に戦闘の邪魔となった鈴原トウジ、相田ケンスケの両名だった。回収が完了し戦闘が終結した直後事情聴取を受けたのだが、正義の味方のロボットが繰り広げた惨劇のショックのため全くまともな話ができず、仕方がないので独房に放り込まれてからは落ち着いたものの毎晩毎晩血がどうの、肉がどうのと寝言で魘され続けていた。一週間程であった拘置期間も、この調子ではまだしばらく延びてしまいそうだった。
 しかしながらミサトには彼らの気持ちが分からなくもなかった。サングラスの向こうに隠れているため碇ゲンドウがそうだったかは定かではないが、感情を切り捨て振る舞うことのできるあのリツコでさえも震撼させた虐殺ショーだったのだ。リツコもああ言ってはいるものの、そこは分かっているであろう。恐らく表立ってそれを見せないだけだとミサトは推し測った。
「自業自得。私としてはもう罰は十分だから、早く追い出したいんだけど」
「そりゃあわかるわよ。保安部近くの売店じゃ最近、栄養ドリンクの売上が馬鹿みたいに伸びてるらしいし」
 独房の監視に割く人員にだって限りがある。況してや今の子供たちの精神状態から考えるに、睡眠中唐突に夢遊病患者のように起き上がって自傷行為に走ったところで特に不思議な事はないのだ。今では24時間誰かが監視モニターの前で常に見張っていなければならなかった。今は見るに見かねたリツコとミサトが休憩代わりにと手伝っているが、崩壊した要塞都市の回復に力を注ぎたいネルフとしては一刻も早く厄介払いをしてしまいたいのが現状だった。
「…シンジ君がもう少し素直な子だったら、こんなに楽なことはないのに」
 保安部も可哀想にと呟くミサトの溜め息には満感の思いがこもる。実を言えば今ネルフ職員の手を焼いている最たる存在は、二人の脱走者ではなく、本部最強の戦力であるはずのカイムであった。
 第四使徒撃破からの行方不明積算時間、159時間と24分。
 今日で戦闘から一週間が経過するため、ネルフ本部がその姿を捉えられたのは、戦闘直後の身体検査の時間を除けば本部を出てからのおよそ15分ほどに過ぎなかった。前回山の梺で姿を見失うという辛酸を舐めていたこともあって万全の体制で足跡を追おうとしていたネルフ保安部もだったが、今回もまた発信器のすべてを破壊され街のカメラの全てから行方を眩まされるという大失態を犯す結果になってしまっていた。
 珍しく大声を上げて叱責した総司令碇ゲンドウが彼らの首をすげ替えてしまわなかったのは、片腕たる冬月の助言もあったからだが幸いであった。猫の手も借りたいこの時期に人手を失うのは余りにも失策だったし、何よりそれでは職を奪った碇シンジへの反感がますます強まる恐れがある。
 かの少年が作戦指令の不手際に失望しつつあるのは明白なのだだ。その上功労者である彼に露骨に敵意を見せるような職員が現れでもしたら完全に見切りを付けられてしまう可能性だってある。今ネルフ本部に射撃以外の戦闘能力で劣る綾波しか居ない以上、彼にいなくなってしまわれると困るのだ。
「アスカは?」
 ミサトが不意に投げたのはどんな意味にも取れる質問だった。しかし赤木リツコに対してはこれで十分なのである。彼女は必要と思われる情報以外を返さない。長年の付き合いで体得した無意識の発言であった。
「…依然変わらず。シンクロ率に変化は見られなかったそうよ」
「使徒戦のVTR見せたのに? うーん、いい刺激になるかと思ったけど駄目か…」
 ここにはいないセカンドチルドレンのシンクロ率を伸ばす切っ掛けになればとミサトがリツコ経由でネルフのドイツ支部にデータを送ったのが三日前。直近のシンクロテストは確か昨日だったはずだから、効果はなかったということになる。
 内容が下手なホラー映画より残酷なためむしろ逆効果になるのではないかという懸念はあったが、それでもやる価値はあると踏んでの行動だった。惣流・アスカ・ラングレーのシンクロ率は高水準を保ってはいるが、成長率という点で言えば平時と戦闘時で大きな差があるサード、どういうわけか前回のテストでシンクロ率に僅かな上昇が見られたファーストを下回っている。ピークと言うべきか限界と言うべきかは一概には決められないものの、ここ最近停滞しているシンクロ率に変化を期待してのことだった。プライドの高いアスカのことだ、戦慄すら感じさせる闘いを見て張り合おうとしてくれる可能性はあったのだ。
「……」
 が、ここで顔を伏せたのは策が空振りに終わったミサトではなく、事実を伝えただけのはずの赤木リツコその人であった。
 嘘を吐いてしまったからだ。
 横で思案顔になっている友人に申し訳なくなったのだ。嘘を吐くこと自体は立場上何度もあるが、友の事を考えて言うか言わぬべきかを決めたことは少ない。というよりそういうことに関しては今まで偽ったことは数えるほどしかなかった。義務ではない、必ずしも吐く必要のない嘘に罪悪を感じたのだ。さらに言えばその内容も、いわば二重の嘘であった。
「……でも言えないわよ。見せてないのに下がる、なんて」
「え? 何?」
「何でもないわ。コーヒー冷めるわよ」
 リツコはデータの転送などしていなかった。そしていずれ露見することだったが、下降に転じたことのなかったアスカのシンクロ率が、僅かにその値を下げたのである。



 召喚魔法が機能するのを確かめたカイムは再び己の愛剣を喚び直し、鞘に収めて腰から外した。ただでさえ目立つと言うのに、鞘に入らない巨大な槍を背負っていたのではまともに外を出歩くこともできない。そうでなくとも武器が必要ない世界なのだと、ようやく実感しつつあったのでなおさらである。
 剣の火炎魔法を極小で開放する。暖を取るべく拾っておいた薪に放つと、程無くして橙色の炎が上がる。血の色に似た闘いのそれではなく、温もりのための柔らかな灯火であった。
 鞘ごと剣を立てかけたカイムも、仄暗いコンクリート製の壁に背を預ける。跳ねる水の音が耳に響く。しかし決して不快なことはなく、沈むような心地よい倦怠感に意識が緩むのを感じた。
 静かだ。
 敵意を向け、向けられる人間がいないというのは久しく味わっていない状況だ。戦地では常に奇襲への警戒が必要だったし、世界が調和を崩した後はただひたすら天使を殺すことしかできなかったのだこの世界に迷い込んでもう何日経ったか数えるのもやめていたが、使徒の襲来がない期間は訓練でネルフを訪れることはあってもそれ以外は基本的に戦いから一歩離れた生活をカイムは送ってきている。どんなに優しい時間であろうか。
 時の流れが穏やかなのだ。あの世界では闘いの合間であっても、このように静かな休息を得ることはなかった。戦いに身を投じて以来、これ程までに静かな時間を過ごしたことはなかった。
 あの世界が劣悪だったという訳ではない。カイムは復讐という形で殺人に生きる意味と快楽を見い出す人間であったのだから、そういう意味ではこの世界はカイムの存在理由を奪っていると言うこともできる。しかしカイムが漠然と感じている通り、血と炎を見ることのない世界に癒されているのも事実だった。野山を駆け回り獣を狩って食い繋ぐそれが果たしてこの世界でどう扱われるのかはわからないが、自分の今の生活は少なくともあの世界よりは確かに人間らしいものであると実感していた。
(…)
 戸惑いはある。戦火の中にいるのが当たり前だった身としては急激な環境の変化が体が燻るのは確かだ。しかしそれでも、この生活は得難いものだとカイムは思う。戦い以外から生存の手応えを感じるのはこれが初めてのことであった。
 そしてだからこそ、直っていく心には余計な事を考える余裕もあるのだ。
 目を閉じれば蘇る、幼いセエレの最後の叫び。あの後世界はどうなったのだろうか。神の意思による世界の破壊、というよりも人類の滅亡と言った方が正鵠を得ているが、とにかくそれは自分たち契約者の手によって失敗に終わった。しかしまだあの場所には統制を欠いたとはいえ、おびただしい数の子天使が残されていたはずだ。
 忘れないでと願いを残した、永遠の時間を宿命付けられた幼いセエレは生き残っただろうか。慇懃な面を隠し持つが表向きは誠実だった、世話をかけた老人ヴェルドレはどうだろう。アリオーシュの壮絶なな死に様が脳裏を過ぎる。別れて後に『声』の消えたレオナール、本当に自爆したのだろうか。
 フリアエは。イウヴァルトは。
「………」
 首を振る。考えても仕方のないことだ。どの道あの世界に帰ることはないのだし、できない。感傷に耽るなどらしくもない。
 らしくもない。
 妙な感覚だ。殺すことが全てだった。今でもそれは同じ事、変わったとは思えない。なのにどうして他人のことばかり考える。冷酷で残忍な戦士カイムは何処へ行った―
(?) 
 ふと。
 足音。気配。ドアの外。
 ここまで接近を許すなど、と自分を叱責しながら探る。人間とは異質な、奇妙な違和感を覚えた。
 覚えのある気配だった。人とも取れるが、使徒にも近いモノ。
「…何の用だ」
 壁にかけた剣を左脇に下し、声をかける。
 息の跳ねる小さな音。
 ぎぃ、と古い扉が鳴る。薄暗い視界に、少女の青髪が浮かび上がった。



 殺意は無い。それどころか悪意も敵意も感じられない。
 かといってわざわざ自分に会いに来たという感じは見受けられない。炎の向こうからこちらを窺う表情には小さな驚きが混じっているようだった。きっとこの廃墟を訪れたのは偶然で、扉を開けて中を見たのも偶然だろう。暗い雨の夜に、扉の隙間から焚火の炎でも覗いたのかもしれない。あるいは普段閉まっているはずの扉が開いていたのか、はたまた自分たち戦人のように気配でも感じ取ったのか。使徒の気配がある娘だ、そのくらいはできるのかもしれない。
 そもそもの話として人気のない郊外の建物を選んだのにどうして態々こんな場所を訪れたのかという疑問が浮かんだが、それもどうでもよかった。
 ともかく害意が無い以上、火を消す必要も無ければとりたてて行動を起こす必要もあるまい。上げた視線を下に戻す。無視をした形にはなるが。
「……」
 近付いてこようと、知ったことではない。
 向かいに立とうと。
 口を開こうと。
 関係ない。知ったことでは
「…何故、」
 何だ。
 ここに居る理由か。この場所に決めたのはある程度選びはしたが偶然であって自分の意志はあまりさし入ってはいない。
 それとも昨日の戦いのことか。それならば今のは戦場と言うものを根本的に何もわかっていないことの証拠だが。戦いとはかくあるもの、命と命の削り合い、それを戦場に出ていない者が口を出していい筈が、
 いや、待て、何を。
 思考よ止まれ。何を考えている。どうでもいいのではないのか。無視したのではないのか。
 おかしい。なんだこれは。調子が狂う。
「…何故、ここに?」
 一方の綾波レイは、無表情の少年がそんなことを考えているとは知らないのである。
 この場に至ったのは偶然であった。ネルフ本部で呼び出されてからいつものように家に帰る途中、階段を昇っていて左を見たのが偶然なら、ドアから微かな光が漏れるのを見たのもまた運命の悪戯であった。
 つまるところがこの廃墟、レイが一室に住まい家と呼んでいる建物そのものだったのである。
 ということは逆に言えばカイムがこの部屋を根城にすると決めた以上、いつか顔を合わせることは必然であったのだが、そうとは知らないレイは偶然の出会いだと思っていたし、カイムもまた似たようなものであった。
 カイムは沈黙した。これ以上心に奇妙な揺らぎを起こしたくなかった。そもそも相手は出合い頭に思い切り心の傷を掻き回した少女である。さらに言えばその赤い無機質な瞳はカイムの嫌うものであった。話したくないしその義理もない。
 返答が無いのを見て、レイもまた黙した。
 ただし不思議と、引き下がるつもりはなかった。基本的に特定の人物以外には不干渉無関心を徹底しているレイだ、そしてその特定の相手についても関係は受け身のものでしかなかった。自ら何かを訊ねたのはどんな形であれ、これが初めての体験であった。
 何故訊ねたかはわからない。初めて嫌いになったと意識した(その自覚すら希薄なものではあったが)相手である。人間は相手が嫌いならばあまり声をかけないし、関わろうとしないのが普通だとリツコからは聞いていた。自分が人間でないのはわかっているが、それでも思考ができるということは行動は人間に似通ってくると思われる。ではそれに反する、今の自分の行動は何だろう。
「失せろ」
 顔も上げず、突き放された。
 灯が揺れた。
 確かに嫌なのだ。邪険にされるのが好きな人間は世界にひょっとしたら一人くらいいるかもしれない、しかしそんな存在は聞いたことが無い。自分もその類ではない以上、この物言いにむっとくるのは当然の話と言えよう。
 が、しかし逆に言えば、少女とこういう風にまともに会話して意思を伝えようとする人間は、ネルフ関係者を除けば今までの中、この人しかいない訳であり。
 そして今までは、嫌だと<RUBY><RB>感じることすらなかった<RT>・・・・・・・・・・・</RUBY>のだ。
 <RUBY><RB>嫌悪という感情そのものが<RT>・・・・・・・・・・・・</RUBY>、時間の止まった少女の心には大きな衝撃だった。本来あるべきそれを本能的に求めたのかも知れないがとにかく、綾波レイ本人がその印象の他に、もう一つ何とも表現しがたい奇妙な感覚を覚えていたのは事実であった。
「怖くないの? 嫌われることが」
 そして気が付いたら、気になったことを話していた。他人の目を気にせず殺戮し尽した、彼へ向けられた畏怖の視線を全く意に介さなかったことが疑問だった。
 惨劇そのものについて疑問を持たないのはどうかといったところではあるが、こうして自主的にコンタクトを取る姿を見たらかの赤木リツコは何と言うだろうか。レイ自身そこれほどには思わないまでも、こうして自分が誰かに話しかけたことが、少女にとっては全く新鮮な感覚であった。
「関係ない」
 答えはにべもなかった。
 ニ通りに意味が考えられるが、両方とも本心である。自分の心のうちなど目の前の娘には関係ないし、他人など知ったことではないのも事実だ。数人ならまだしも、不特定多数の反応を気にしているようでは苛烈な戦場を生き延びることなどできはしない。
「…去れ」
「………」
「去れ」
 もう返事が返ってくることはないと思ったのか、娘はドアから雨の夜へと出て行った。
 カイムはこれだけ言ったのだから二度と来るまいと思っていたのだが、本当はこの少女、少年がここに住むのだろうと踏んでいた。今わざわざ話をすることもないとそこまで考えた上で去っていったのだ。そしてさすがにそれを知ることはカイムにはできず、もうネルフ以外で会うことはなかろうかと勝手に思っていた。
 ドアの向こうから足音か遠ざかる。室内には雨の音と、沈黙とが戻った。
 他人と会話をしたのが随分久しぶりのように思えた。音声でなく『声』を使った意思の通信はしていたし、それにしても今のやりとりが会話と言うべきものかは怪しいところだが、とにかく拒絶にしろ何にしろ、自分の声帯を使って意思を見せる行為は長らくしていない。ネルフの人間へのそれはあくまで必要だからやったものであり、そう言う意味では娘への返事は無くてもよかった。
 無視すれば、それでよかったのだ。なのにどうしてわざわざ突き放すような真似をしたのか。
『……兄さん………』
 あれなのか。全てを諦めた妹の残影がちらつく、あの何もない瞳を見ているのが嫌だったのか。だから拒絶してみせたのか。
「………」
 不思議な感覚でもある。あの頃は殺すことで精一杯で何かを思い返している暇など無かった。そうでなくてもドラゴンと出会うまでは、妹の安全と復讐以外は頭に無かった、のに。
 何かが変わっているのか。天使との戦いからひとまず離れ、余裕が出来たが故なのか。それとも、元あったものを取り戻しているのか。
(気に…入らない)
 抱いたそれが、酷く幼い反抗であるように思えた。



(マズい)
 所変わってネルフのドイツ支部。トレーニングを終えた金髪碧眼の少女が、あてがわれたチルドレン専用更衣室で焦燥に駆られていた。
(…マズい!)
 シンクロ率が下がった。
 今まで上昇、または停滞することはあっても決してコンマ1パーセントの減少もなかった、セカンドチルドレン惣流・アスカ・ラングレーのエヴァとのシンクロ率が、僅かながら確かに下がったのである。
 原因は全くもって不明だ。訓練はいつもどおり行っているし生理的にバッドタイミングだったという訳でもない。むしろ体調は絶好調と言ってもよいくらいで、ここ数回停滞気味のシンクロ率もこれならと期待していたくらいのコンディションだった。そんなこともあって機体の整備はいつも以上に念入りにするよう申告したし、その甲斐あってシンクロ時に自分の五感で確認したが、エヴァの調整も正に万全と言ってよかった。
「どういうことよ…このアタシがッ!」
 半ば八つ当たり気味にロッカーに蹴りを入れた。こんなことがあってたまるものか。自分はエヴァに乗るべく選ばれた人間なのだ。そしてその中でセカンドチルドレンは、精神力戦闘力、全てにおいて他を圧倒する存在なのだ。そうでなくてはならないのだ。
 聞けば第三新東京市には既に使徒の進行が開始され、負傷したファーストチルドレンに代わって臨時で呼ばれたサードがこれを撃退しているという。それを思い出してますます腹が立ってきた。渡された写真は何処にでもいそうな普通の優男で、自分を差し置いて活躍する戦士にはとても見えなかった。
 あんな奴が。あんな奴が、あんな奴が!
「…誰がエースか、思い知らせてやるんだから」
 敬愛し恋い慕う先輩からの情報によれば、これから使徒の攻撃はますます激しくなりそうだと言う。自分が日本に呼ばれる日も近そうだ。そうなったら絶対に、あんな弱っちそうな男には負けない。あんな奴がいなくたって、自分というエースパイロットがいれば事足りるのだと言うことを、世界中に見せつけてやる。
 そんなことを考える少女が写真から余りにも変貌した少年と出会うのは、まだ先の話であった。



To be continued...


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