時に、西暦二〇一五年。

 謎の物体が海中を進む。水没した建築物から比較するにかなり巨大な物体であることが分かる。結構高いビルに匹敵するほどの大きさ。その大きさからすればゆっくりではあるが、かなりの速度で陸を目指して進んでいる。
 その物体が進む先には国連軍の戦車隊が待ちかまえていた。

 一方。街では特別非常事態宣言が発令され、人影どころか動くモノがまったく存在しない。人は存在せず、車は動かず、信号は両機で赤という珍しい空間が生まれている。
 その無音の空間にただ一つ、そうただの一つだけ動けるモノが走り去る。青いアルピーヌ・ルノーA310だ。
「参ったわねぇ、よりによって見失っている時に来るなんて……」
 助手席に転がるファイルにはある少年の写真が挟まれている。詰襟つめえりの学生服を着た、幼顔の少年。
「お願いだから間に合ってよぉっ!」
 決して廃棄物だけではないであろう煙を巻き上げ、蒼き怪物ルノーは延々と走り往く。

 さてくだんの少年だが、彼は駅前にて今電話を掛けていた。
 が、現在は特別非常事態宣言下。電話がつながるはずもなく『現在特別非常事態宣言発令により……』とアナウンスが流れるのみ。
「ダメか……やっぱり遅刻なんだね」
 呟きながら電話を置く。そんな彼に一声かかる。
「まぁそう言うな。おまえの話を聞く限り、今迎えに来てるらしい人間はそういうヤツなのだろう?」
「そうなんですけど……」
 ふぅ、と彼はため息をつく。そしておもむろにポケットから、そのポケットのサイズと比べるには小さすぎる便せんを取り出し5回ほど折り目を直し広げていく。
「そうなんですけど、こんな言葉一つで呼び寄せるなんてどうかしてるとか思いません?」
「それはそうだな。少なくとも、"まともな"人間がやるようなことじゃない」
 そういう返事が返ってくる。一部分強調が入っているのは気のせいだろうか。
「あの組織にまともとか期待するのが無理な話だったんです。待っててもしょうがないし、行きませんか?」
 彼は問う。彼の師とも親とも言えるべき人に。
「場所は分かるな? なら行こう」
≪風よ 我が意に添い 我らに力を≫
 少年が呟く。そして一歩。その瞬間、彼らの姿は影一つ残さず消え去った。
 彼らが居た空間にVTOL機が墜落したのはその直後だった。

 巨大というのもバカらしいほどのスクリーンにこれまたバカというのを通り過ぎるほどの巨大な物体が写される。黒い身体、白い骨にも見えるプロテクター、頭部には頭が無く、胸の光球を覆う顔らしきものがある。二足歩行で行動しているものの、その大きさも相まって史上に存在しない異形の物体とも言えた。
「一五年ぶりだな」
 その組織に与するものなら珍しく、とも言うだろう。初老の男が指令席の傍らに立たず、オペレーター達と同じレベルに立っていた。
 その一歩前に佇むめがねの男はそれに返答する。
「ああ、間違いない。使徒シトだ」
 その言葉を聞けただろうか。巨大スクリーン――主モニターに映し出されていた巨大な物体が掌を向け、赤白く輝いた瞬間モニターの画像は砂嵐に変わる。







新世紀エヴァンゲリオン――時の迷い子

第壱話――使徒、襲来

presented by 神凪珀夜様




 彼らは苛立っていた。本来ならすでに終了しているはずの作戦が未だに継続し、しかも相手には一切の損害がないことに。
 厚木、入間の両基地の部隊も総動員して攻撃を加えるが、使徒に対してその行為は一切の意味を持たなかった。
「なぜだっ! 直撃のはずだっ!!!」
 国連軍首脳達は慌てふためくが、前方――オペレーターレベルにいる二人の男は冷静に冷徹に冷酷に反応する。
「やはりATフィールドか」
「ああ、使徒に対して通常兵器では役に立たんよ」
 その時。国連軍首脳達がいる指令席の赤い電話が鳴る。特別な指令らしく、一人がカードキーでロック解除して受話器を取った。
「はい。……分かりました、直ちに」
 指令が下り、さらに命令をとばす。使徒を取り囲む十数機のVTOL機は蜘蛛の子を散らすように散開し、危険空域を離脱する。
 その直後。
 巨大な閃光が発生し、大爆発が使徒を飲み込んだ。国連軍最終兵器、N2爆弾えぬつーばくだんによる攻撃だ。
 核を使わない、まさしく日本のための兵器と呼べるものではあるが、その破壊力は核をも凌ぐ。ついでに日本国内での評価も、マイナス方向に。
 とてつもないほどの熱量でできたキノコ雲がそれを端的に表しているだろう。
「やったぞっ!」
「残念ながら君たちの出番は無かったようだな」
 いやみったらしく静観している二人に言う。主モニターは映像入力元を変更した直後のようで、映像はすでに送られ始めている。だが先ほどの爆発による衝撃波で再度砂嵐状態に陥り、現場を確認することは出来なかった。

「もう、いや……」
 そのころ約束の時間をとうに過ぎてから出発を始めた某作戦部長は、前方からの爆風で車ごとひっくり返っていた。

「なんだ今の光は?」
「たぶん、国連軍のN2地雷です」
 某作戦部長がひっくりかえる一方で、この師弟には一切の驚きがなかった。かなりの爆風に襲われたはずだがそのスピードは衰えることなく、某怪物車に匹敵する速度である地点に向かっていた。――彼らの動きはただ歩いているだけだったりするが。
「N2ね……。そんなものが効くのかね」
「無駄ですよ。アレは特別ですから」
 そう答え、爆発があった方向に振り返る。その方向には確か山があったはずなのだが……。

 その方向で直撃を受けたはずの使徒。
「あの爆発だ。ケリはついてる」
 自信たっぷりに言う首脳陣。だが、エネルギーセンサーが回復するアナウンスが流れ、機能回復と同時にその自信は木端微塵こっぱみじんに砕かれることになる。
「爆心地に高エネルギー反応!」
「なんだとっ?!」
 かなりヒステリック気味に、醜く叫ぶ。そして主モニターに再度使徒の姿が写された。
 自らを掻き抱く様にして佇むその姿。確かにダメージを与えもしたが、被害はそれ以上に大きかったのだ。あまりに割に合わなさすぎる。
「我々の切り札が……」
「何て事だ……」
「街ひとつを犠牲にしたんだぞっ!」
 そう、シェルターに逃げ込んでいた人々をも巻き込んで。

「さて、ここからどうする?」
 文字通り鉄壁のゲート。普通に考えればそこから先に進むことなどできはしない。それが、普通であれば。
「大丈夫ですよ。ちゃんとIDをもらっているんですから」
 そう言って少年は慣れた手つきでカードをスリットに通しゲートを開く。
「行きましょう。戦いは、これからです」

 その頃、発令所ではある種の混乱に満ちていた。怪しい二人を除いて、だが。
「予想通り自己修復中か」
「そうでなければ単独兵器として役に立たんよ」
 国連軍首脳陣が撤退した後とはいえ、手を組み、口元を隠す髭に先の言葉。これを怪しいと言わずして何というのか。
 さてその二人を除いてみる。となるとこの場で残るのはオペレーター達だ。そのうちの一人の混乱を覗いてみよう。
「先輩……あのっ」
「どうしたの」
「あの、今ゲートに反応がありまして……」
 かなり自信なさそうに言う女性オペレータ。服装のおかげでなんとかなっているが、これに学生服など着せても一切の違和感がないであろうとも思われるほどの童顔。本人はかなり気にしているので一種の禁句になっているのは仕方のないことだろう。
 彼女の疑問に答えたのはやはり女性だった。金髪黒眉で白衣に身を包んでいる。
「ゲートに?」
「はい、あの、碇シンジ君の反応なんですが……」
 語尾を曇らせながら答える女性オペレータ。ココにいる人間は、ある女性が彼を迎えに行ったことを知っている。知っているからこそ不思議でならなかった。
 誰もの記憶にあるのだ。あの怪物ルノーの姿と内部の惨状が。そしてゲートに居るはずのない彼がどうしてゲートで反応するのか。
「あきれた。ミサトのことだから迷子にでもなったのよ」
 彼女の親友をこうまで扱き下ろせるのは世界に人多しともいえど片手で数えられるぐらいだろう。だが彼女とて事の本質に迫れることは、今回はなかった。
「どうしましょうか」
 幼顔のオペレータがさらに問う。これに白衣の女性が答える。
「ミサトのことなら放っておきなさい。そんなことしてる時間も余裕もないの。
 どうせそのうちここに来るわよ」
 彼女の危惧は大きく斜め上のさらに後ろに的を外れているのだが。

 ゲートを開いた当の本人たちは、スピードを落とし――風がうまく使えず落とさざるを得なかったとも言うが――少年の案内でただ歩を進めている。
「迷路だな」
「防犯なんですよ。実際、侵入されたことだってありますしね」
 気にも掛けてないよとも言いたげな二人は徐々にその距離を縮めていた。

 プシュッ
 圧縮空気が抜ける独特の音を響かせ、発令所の扉が開く。
「ちわー三河屋ですー」
「「「?!」」」

 あまりに気の抜ける声と内容に発令所の人間全員が振り返った。
「……。よくそんなネタを知っていますね」
「ちょっとな」
 同感、である。弟子は溜息をつき、そんな弟子を置いたまま師は話を進めていく。
「それより、ゲンドウとやらが此処にいるはずだが居るか?」
 マントの男にオペレータ席三人衆の一人、メガネの青年が首を振って答えた。
「そうか、邪魔したな。行くかシンジ」
「そうですね」
 そうして回れ右をして今入った扉から出て行こうとする二人。さすがにそれはまずいととっさに止めた人がいた。
「まちなさいっ! あなたたち一体どうやってここまで……」
「その前に其方は何方かな?」
「どうやって、って。歩いてですよ。それ以外にどうするんですか」
 自己紹介もしないのか。これが師の第一印象。相変わらず金髪なんだなー。これは弟子の感想である。
 弟子の返答はあまりに当然なことをと言わんばかり。発令所の人間は一同驚きを隠せない。いや、一名例外がいたし、金髪女性側はとりあえず黒マントの発言を無視したようだが。
「そう……。ところで、ミ……葛城一尉に会わなかった?」
 まぁ当然の疑問だろう。迎えに行ったはずの葛城ミサトが現れず、迎えと一緒に来るはずの碇シンジがだれだか分からない人間と一緒に、どうやって侵入したか分からないが発令所に立っているのだ。簡単に考えるだけでもこの3つは疑問が浮かぶ。自己紹介を含めると4つか。
「葛城さんですか……? 迎えの人でいいんですよね?
 約束の時間に2時間待っても来なかったんで来ちゃいました」
 約束の時間に大幅に遅れるならば約束の相手に連絡を入れる。当然のことではある。それをしないようであれば約束はすっぽかされたと考えても良いんじゃないか、と暗に仄(ほの)めかしていた。
 当然、その醜態を発令所の誰もが、しかも容易に想像できるので追求はしない。
「ま、まあいいわ、碇司令だったわね。私が案内します、着いてきて」
 金髪の女性が返すがその額に青筋が浮かんで見えたのは気のせいではないだろう。
 だが先ほどからの態度にちょっと眉を潜めているのが少年――シンジの師であるマントの男だった。
「失礼。場所だけで良いのだが」
 黒マントが答える。それに対し金髪白衣の女性はこう答えた。
「そうはいきません。それにココは一般人の入場は禁止されてるの。面倒だけれどもアナタはシェルターに移動してもらえないかしら」
 表向き礼儀を持っているようにも見られるがそんな様子は全くなかったりする。シンジから顔をそらさずに目線だけで会話する人間のドコに礼儀があるのだろう。
 その態度から何かを感じ取ったのか、黒マントはそのまま踵を返す。
「だそうだ、シンジ。行くか」
「そうですね」
 シンジも踵を返そうとしたとき、さらに金髪白衣の女性が声をかけた。
「シンジ君は残ってくれないかしら」
「なぜです? ソレを見る限りここは未成年どころか14歳の子どもが立ち歩けるような場所ではないのでしょう? そういう意味では僕も一般人です」
 至って当然だろう。シンジが指さすその先には巨大な正体不明生物が写るスクリーン。映画ではあるまいに、そんなモノが写る場所に中学生が居て良いはずがない。
 しかしソレを無視してさらに会話は進む。
「シンジ君にはお父さんから話があるのよ」
「ならなおさら保護者が必要でしょう? あれが父だなんて吐き気がする」
「仕方ないわね……時間もないことだし歩きながら簡単に説明で良いかしら。碇シンジ君と……」
 ようやく金髪白衣の顔が黒マントを向いた。
珀夜はくやという。珀とでも」
「……ええ。ではこちらに」
 ついでにミサトに連絡を入れるよう伝えることも忘れない。白衣は医者の証ではないようだ。

 金髪白衣の女性――赤木リツコ技術三佐だと自己紹介したその人――に案内され、着いたところが灯りがなく暗闇に閉ざされたケージと呼ばれる部屋だった。
「足下気をつけてね。滑るから」
「大丈夫ですよ。少なくとも橋を踏み外してそこの水に落ちたりはしませんから」
(この明暗差で見えるって……どういう視力してるのよ)
 彼女の疑問ももっともだろう。師弟の二人はリツコを置いてさっさと歩いていってしまった。そして、おもむろに向きを変えて止まる。
「それで、見せたいモノってこれですか?」
 暗闇の中空を見上げ、リツコに問う。
(本当に、どういう視力をしているのだろうか……)
 いつか解剖してみたい欲求を抑えて答える。
「ちょっと待って、私が見えないから灯りを付けるわ」
 カチッ
 瞬時に闇は一掃され、ケージが灯りで照らされる。
 足下は橋みたいな通路、その下には赤い水で埋め尽くされ底は見えない。
 そして、シンジが見上げる先には……胸まで赤い水に沈んだ、紫に輝く機械の鬼がいた。もっともそれは珀の第一印象にすぎないが。
「これは……」
「これはエヴァンゲリオン初号機」
 汎用最終決戦兵器エヴァンゲリオン。その初号機。建造は極秘裏に行われた。人間のすべての英知を費やした使徒に対する唯一の抵抗力、らしい。
 その説明を軽く聞き流すシンジと珀。シンジは聞く耳持たずエヴァを眺め、珀はというとあくびをかみ殺している風に見える。その反応の薄さと興味のなさにリツコの青筋が更に増えたのも仕方ないのかもしれない。
 ちょうどタイミング良く空から声がかかってきたのはその時だ。
『……久しぶりだな、シンジ』
 エヴァ初号機の後方。そこに音の元、つまり第一印象髭が居た。
「あまりに久しぶりすぎてアナタのことが分からないんですが、どなた?」
 彼は本気で忘れていた。まぁ髭の彼に対する態度を鑑みれば仕方のないことかもしれない。白衣の博士はそれに気づき、こめかみを軽く押さえていた。
 彼の反応に髭は若干の驚きを感じるが、それを全く感じさせはしない。そして、さらに続けた。
『…………出撃』
「は?」

 いきなりの出撃命令に、さすがのシンジも驚きを隠せない。というより、驚いて見せる。
「すいません、赤木さん。いまいち意味がわからなかったのですけど、訳してくれます?」
 彼の言葉を完全に無視して髭が言葉を続ける。
『お前はこれから"使徒"と戦うのだ』
「とりあえず、人語が分からないアンタはだまっててくれないか。で、赤木さん、あの髭何を言ったんですか?」
 葛城一尉がちゃんと迎えに行っていれば。そんな事を思うリツコがいる。もっともそれが為されたとしても無駄なことではあるのだが。
 しかしこう言うときに運命は大逆転を見せつける。ケージの扉を開けて入り込んできたのは件の葛城ミサト一尉殿だった。髪の先が若干縮れているのはだれも追求しない。

「し、シンジくんっ?!」
「……えっと、どちらさまでしょう?」
「「……」」
 一人は驚きを、一人は写真で見た人に対して単に挨拶を。そして第三者はある一人の醜態に。一人は無関心に、それぞれ反応を返せない(かえさない)。そんな中、リツコが再起動を果たした。
「何やってたの、葛城一尉。人手も無ければ時間も無いのよ。」
「あ、あら、リツコ…。ゴミン!!」
「ま、追求や解剖や改造は後で良いわ」
(後でするのか……)
 このとき葛城一尉は、本気で自身の未来を心配したという。
『…………出撃だ』
 リツコとミサトがはっとした表情になる。
「出撃?! レイはあの状態よっ!」
「他に方法がないわ」
「でも……だからって……!」
「シンジ君、あなたが乗るの」
「でも、レイでさえエヴァとシンクロするのに7ヶ月もかかったのよ! 今来たばかりのこのコにはとても無理よ!!」
「今は使徒撃退が最優先事項です。その為には誰であれエヴァと僅かでもシンクロ可能と思われる人間を乗せるしか方法は無いわ。わかっている筈よ、葛城一尉」
「…そ…そうね…」
 無理だと反論してみたものの、リツコの理路整然(りろせいぜん)とした説明にミサトは了承するしかなかった。その了承も、当事者にとっては全く関わっていないモノではあるが。

「そこの、僕の父らしい人に聞きたいことがあるのですが。」
『何だ』
「僕がそれに乗るとして、何をするのかも教えてもらえませんか。多少なり心構えができますから」
 シンジが声を掛ける。
『座っているだけでいい。それ以上は望まん』
「そう……」
 その返答にリツコが促す。
「シンジ君、時間がないわ」
 シンジがリツコを見る。その上で、さらにミサトに視線を投げた。
「乗りなさい」
 反抗していたはずのミサトはそれまでの意見を180度変え、彼に機乗を強要する。
 さらに、その大本であるゲンドウからの命令が下った。
「出撃だ」
 シンジの返答はない。ちなみにミサト、リツコやゲンドウにはすでに珀のことを無視している、というか珀が近くにいないことを気にしていない。
「シンジ君、私たちは貴方を必要としているわ。でもエヴァに乗らなければ、ここでは不要の人間なの」
「あなたはは何のためにココまで来たの? お父さんとの再会を喜び合うためじゃないわよね?」
「乗るなら早くしろ。出なければ帰れ!」
 三者三様の言い様。その余りの無様さに思わず苦笑が漏れてしまう。そして続ける。
「少なくともあの機械に座ってるためじゃありませんしね。じゃあ帰ります。先生、そういうことなんで帰りましょう」
 だがそれにきっちりと反応してしまうのが葛城ミサトという人間だ。
「シンジ君、逃げちゃだめよ!お父さんから、何よりも自分から!」
『もう良い、葛城一尉』
 上から命令が下った。その主はそのまま回線を切り替え、彼の腹心を呼び出す。
『冬月。レイを起こしてくれ』
『使えるのかね?』
『死んでいるわけではない』
『わかった』
 あまりに短く、端的明快な通信は、ものの5秒もかからずに終了する。

 そんなやりとりがされている中、珀は騒ぎの外から様子をうかがっていた。そしてさりげなく、近くにいた整備員たちと仲良く、とまではいかないが、軽く話をできるようになっている。
「無能どもが」
「まったくですよ。仕方ないとはいえ、子供を戦場に送り出す自分らが情けないですわ」
「いや、貴殿らのことではない。伝えるべき事を伝えぬあのバカどもだ」
 視線は常に騒ぎの元から離れない。
「同感ですわ。押しつけるのは吉事だけで十分ですぜ」

 それでも騒ぎはおさまらない。ゲンドウに呼ばれたレイという少女がケイジに現れ、担架から身体を起こす。
 その姿を見て歩をゆっくりとだが進めるシンジに襲いかかるのは、強烈な地震とその揺れによって粉砕された機械。だが天井から襲いかかる死の鎌を紫機鬼(エヴァ初号機)が守りきった。
『エヴァが動いたぞ。どういう事だ?』
『右腕の拘束具を引きちぎっています!』
「まさか!?有り得ないわ!!エントリー・プラグも挿入していないのよ!!動く筈ないわ!!」
 整備士たちと同様リツコも驚愕する。
「インターフェイスも無しに反応している…というより、守ったの?彼を?…イケル!!!」
 ミサトの顔が驚きから確信に変わった。
 自分の頭にある紫の手に優しげな視線を送った後、レイがベッドから投げ出されている事に気付き、走り寄った。
「あ……君っ、大丈夫っ!?しっかりして!!」
 シンジはレイを助け起こし呼び掛けるが、レイは苦しそうに喘いでいる。
「君っ!」
 だが、その声はちゃんとレイに届いていた。
(…誰? …碇司令…じゃない…)
 薄く目を開くと、そこに見えるのは見た事も無い少年の顔。
(…貴方…誰…)
 ふと、シンジは右手が濡れている感触がし、レイから右手を外した。レイの脇腹から滲んだ血がついていた。

 そして、ようやく。ミサトがシンジに声を掛けた。
「だめよ、逃げちゃ。お父さんから……何よりも自分から」
 今度は苦笑ではなく、ため息が漏れる。
「時間がありませんけど、一つずつ僕が考えてることを教えますね。誤解されたままというのも嫌ですから。
 まず、何の権限を持って出撃しろと言うのか。話を聞いているとどうも一人で出るようですが、僕みたいな何の訓練も受けていない人を、しかも14歳の子供を、たった一人で戦場に出すほどココは情けない組織なんですか。それとも職務怠慢? もっと早く呼び出すなり準備は出来た。最近分かったのでしょう、最低でも1日はあったはずです。更に言うなら、その1日でサードと言うからにはあと二人、彼女を除けばもう一人いるはずですが呼び寄せられたはず。どうしたんですか?」
 いきなりの理詰めの言葉にミサトの言葉は出てこない。直情型の人間だから仕方のないことではありそうなのだが。そんな彼女をさしおき、なおも言葉を続ける。
「二つめ。この手紙で何をするのか判断しろと言うのが無理です。手紙と一緒に入っていたのはどこかの風俗のおねーさんですよ? その上、何の説明もなくいきなり出撃命令。何をするのか、何を撃破するのか、そして装備も作戦も分かっていないのに出撃のしようがありません。機械に乗って座るだけならば出撃ではないのは理解できますよね?」
 そう言ってポケットから手紙を取り出し、リツコに渡す。これでリツコの怒ゲージもレッドゾーンだ。
「三つ目。来いと言われたから来た、それ以上でも以下でもありません。二つめに繋がりますが、入っていたのは名前も含めてたった7文字の紙切れ。召集ではない、不幸の手紙まがいの呼び出し、理由も分からず逃げるとか言われても正直分かりませんよ。ということで逃げるとか関係ないです。僕は僕のやりたいことをしているだけですから」
「あ、あんたねぇ! あんたがエヴァに乗らないと人類が滅ぶのよ!」
 売り言葉に買い言葉とでも言うのだろうか。全く交わっていないような気がするのはきっと気のせいではないはずだ。
 感情で動こうとするミサトに更に言葉を積み上げる。
「その滅ぶというのも眉唾物ですね。あの髭が不要だというならそれでいいんじゃないですか、総司令からの命令ですよ?
 だからといって帰ると言っても、あの人達は帰してくれなさそうですけどね」
 入ってきた扉――正確にはその向こうにいる黒服たちを指さし答える。
「今回だけは親孝行ということであの機体の中で座っててます。これでいいんでしょ?」
 その内容にブチ切れそうだったミサトが、かろうじて押さえられたのは奇跡と一部の内容でしかない。
(わ、わたしが風俗のおねーさんですってぇぇぇぇえええ!!!)
 もっとも、他の誰に見せてもおそらくはYESとの答えしか返ってこないだろう。本人は認めないだろうが。

 その沈黙が彼らを包む中、真っ先にそれを打ち破ったのは珀だった。
「一つ聞くが。
 もしシンジを乗せたとして、何が起こるのだ」
 そういえば部外者がいた、と今更ながらに思い返すのはリツコだった。そして食ってかかるのがミサト。
「何よアンタ、ここは部外者立ち入り禁止よっ!」
「連絡も寄越さず出迎えを放棄あるいは2時間の遅刻をし、尻尾巻いて帰ろうとしたは良いが風に任せて暢気に転がっていた無能と交えるような言葉は持ち合わせていない」
 すさまじいまでの毒舌ぶりを披露しミサトをフリーズさせた。
「あ、それと。先生を追い返すようなら僕も一緒に追い返してくださいね。IDを持っているとはいえ、ネルフに所属していない僕も部外者には違い在りませんから。じゃないとあの機体の操作を間違ってしまいそうです」
 ちょっと物騒なことを言い出した。仕方なく、というよりも憤慨仕方なく、ミサトはそれを押さえ込み、リツコは説明を開始する。
「そうね、彼ならばこのエヴァを起動できるといったところかしら」
「その確率は」
「0.000000001%。O−9オーナインシステムとはよく言ったモノだわ」
死合しあいはアレが起動することが前提だぞ。
 さらにココにきて作戦提示も無し。勝率はO−10オーテン以下ということで良いのか」
 整備員たちが唖然(あぜん)とする。負けて当然勝ったら奇跡という戦いを今から仕掛け、今の今まで勝率を上げるための準備を怠ってきたことに気付いたのだ。そんな行動にでる上層部に不安を隠しきれない。
 それよりも彼らはその起動確率すら知らなかったのだろうか。知らされなかったのだろうか。それほどまでに、上と下との乖離は、深いことに珀は気付く。
「シンジ、良いのか」
「ええ、今回だけはやってきますよ。
 そこの髭、あとで話をする時間が欲しいんだけど、作っておいてね」
 その一声で、彼の搭乗は決まった。そのまま背を向けて歩き去る。
 彼の背中に師はただ一言だけ告げた。
「わかった。夢見る馬鹿共に現実を教えてやれ」
 その言葉は誰よりもリツコが分かっていた。
 起動確率が0.000000001%。つまり、100,000,000,000(千億)回の挑戦でようやく100%、……にはならない。実際はもうちょっと変わるが、統計学上100,000,000(一億)人が挑戦しても起動しない確率は99%を保つ。科学者であるリツコはそのことをよく分かっていた。この世界でエヴァを起動できる人間が本当に僅かしか居ないと知らされていることを。
 だからこそ、珀の言葉に何も返すことができなかった。
 それでもやるべきことはやらなければならない。シナリオは進められているのだから。
「起動準備!」
 すぐにリツコも指示を出す。
「シンジ君、操縦システムを説明するからついてきて」
「はい、ネルフとやらの力、見せてもらいます」

『冷却終了』
『右腕の再固定終了』
『ケージ内全てドッキング位置』
 発令所にミサトとリツコが戻る以前から、エヴァ初号機の発進準備が着々と進められていた。
 オペレーター席の右端に座っている女性、伊吹マヤ二尉が集まる情報を確認する。
「停止信号プラグ、排出終了」
『了解。エントリー・プラグ挿入』
 エヴァの背中の装甲が開きエントリー・プラグと呼ばれる細長い筒が入れられる。
 エヴァの起動といっても、手順はマニュアル化され手順さえ踏めば準備は可能であるのだ。上司であるリツコが居なくとも起動ぐらいは任せられる。
『プラグ固定終了』
『第一次接続開始』
 もっとも。
 エントリー・プラグに居る人間が、エヴァの起動に足る人間ならば、だが。
『エントリー・プラグ内、LCL注水』
「水漏れですか、何たる不備……」
 黄色の液体が徐々に溢れ、シンジの足下を濡らし始める。が、今度はその言葉を聞いたリツコが再度キレかけた。
『水漏れではないわっ!
 それはLCL。大丈夫、肺がLCLで満たされれば直接酸素に取り込んでくれます』
「そうですか」
 あごを上に向け、息を吸い込むのと同様にしてLCLを取り込む。肺の空気をすべて吐き出し、そして続けた。
「……なかなか気分の良いモノではありませんね」
『我慢なさいっ! 男のコでしょっ!!』
 あまりに手慣れた姿にリツコは湧き出る疑惑を隠せない。が、今は任務を優先させた。 そして心配したり強要したり、今度は無理を通したりと忙しいミサトを余所に、シンジは語る。
「リツコさん、視覚聴覚はもちろん、触覚嗅覚味覚などのすべてデータを一点の漏れなく正確に収集してください。それとそこにココによく似たガラスタンクでも準備してください」
『あら、どうしてかしら』
「騒ぎ喚くだけの人に、同じ経験してもらおうと」
 それは良い実験になりそうね、とリツコは考える。誰のことを言っているのか分かってしまったミサトは顔を青ざめたが。
 そんな騒ぎを起こしていても、起動準備は着々と進む。
『主電源接続』
『全回路動力伝達』
『了解。第二次コンタクトに入ります。A-10神経接続異常無し』
『思考形態は日本語を基礎原則としてフィックス』
『初期コンタクト問題無し』
『双方向回線開きます』
『シンクロ率0.11%?!』
 そのシンクロ率を聞き発令所だけでなくケージ内部からも動揺が広がる。仕方ないことだろう。エヴァを起動させうる今のところ最後の人間が、起動させたとはいえシンクロ率が低すぎるのだから。
『え、エヴァ……起動しました。ハ、ハーモニクスは正常、暴走はありませんが……』
 マヤの声が徐々に小さくなる。仕方のないことだ。本来ならこのシンクロ率で起動するはずがない。
(そんなのパイロットに聞かせなきゃいいのに……)
 エントリー・プラグ内部で、シンジはやはり苦笑する。本人のやる気を限りなく裂く報告だろう。

「リツコ、どういうことよ!」
 シンクロとは思考の一致であることをリツコは知っている。その一致率が0.11%などと低い数値で戦闘はおろか歩くこともできやしない。
 いや、それ以前に起動していることがおかしいのだ。だからこそリツコは次の命令を下す。
「……くっ、再起動準備!」
「出撃だ」
 再起動を行おうとするリツコを余所に、ゲンドウはまたしても非情の命令を下す。
「「「司令?!!」」」
「何をしている。起動は完了してシンクロも僅かながらにしている。
 起動しているならば出撃させろ」
「りょ、りょうかい……」
 だれも納得はしていない。オペレータ達にはよく分かっている。この数値で起動していることも理論上有り得ず、また機体を操作することもとうてい出来ないことを。 納得はしていない、だが命令だから仕方ないと感情を隠しきれず、ゆっくりながらも行動を開始した。

「は、発進準備っ」
『第一ロック・ボルト外せ』
『解除確認』
 動揺を無視し、全員が命令を遂行しようと再起動しはじめた。
『アンビリカル・ブリッジ移動開始』
『第2ロック・ボルト外せ』
 だが、その再起動もあまりに儚い。
『第一拘束具を除去』
『同じく第二拘束具を除去』
 誰もが気付いていたのだ。このままでは絶対に勝てないことを。世界が滅びることを。
『1番から15番までの安全装置を解除』
『内部電源充電完了』
『内部用コンセント異常無し』
 そして、自分たちの行動が一人の少年を殺すということを。そしてそれでも一人を除き誰も動作をおこさなかった。
「りょ、了解。エヴァ初号機、射出口へ」
 射出口へ移動していくエヴァ初号機。それは死刑台への階段を上るキリストの姿に近い感慨を呼び起こす。
「進路クリア。オール・グリーン」
「発進準備完了」
 そうして。初号機キリストは死刑台へと身体を拘束された。

「了解……」
 作戦部最高責任者ミサトはそれを聞き了解する。
 そしてネルフ総司令であるゲンドウの方を向く。
「本当に、構いませんね」
「勿論だ。使徒を倒さぬ限り我々に未来はない」
 無言で肯くミサト。
「碇。本当にいいんだな?」
 冬月の問いにゲンドウは答えない。口元の前に組んだ白手袋のせいでその表情はよくわからない。が、よく見てみると少々歯をこぼしニヤついていた。にやついているのは決して髭だけではないが。
「発進!!」
 ミサトの勇ましい声と共に凄まじいスピードで射出台ごと地上に打ち上げられるエヴァ初号機。
 凄まじい下向きのGにシンジは懐かしい感覚と共にそれを耐えた。

 第三新東京市のとある地面がスライドして出来た開口部から、エヴァ初号機が姿を現した。シンジの目の前には使徒の姿。そして使徒とエヴァ初号機の対峙している状況が地下のネルフ第一発令所の主モニターにも映っていた。
 時は満ちた。
 今から始まる、血戦けっせんの舞台は整ったのだ。
(フフっ……はじまるね……)

Write by: 神凪 珀夜
Homepage: 徒然草

To be continued...
(2008.03.30 初版)
(2008.04.05 改訂一版)
(2008.04.12 改訂二版)
(2008.04.26 改訂三版)


(あとがき)

ということでー
はじめましての方「はじめまして!」
はじめましてじゃない方「はじめまして!?」
時の迷い子作者の珀夜でございまするー

せっかくですから、ここで裏話。
自分も結構いろんなゲームに手を出す人間で、最近はキャラ名を「珀夜」と付けています。
ちなみに読み方は「ハクヤ」。はい裏話終わり(笑
どことクロスしているか予想してみてくださいな〜

遅筆なためかなり投稿が遅くなりますけれども、見捨てずに見守ってくださいませませ

さてさて。統計学のお話。以下関係ない話なのですっとばしてもOKです
コイントスで考えて、表が出る確率は50%。じゃぁ2回のうち1回でも表でる確率はというと75%。
どうやって計算するかというと・・・

100%(全体)− 50%(当たる確率)= 50%(外れる確率)
50%(外れる確率) ^ 2回(トライ回数・べき算) = 25%(トライをすべて外す確率)
100%(全体)− 25%(トライをすべて外す確率) = 75%(1回でも表が出る確率)


とこうなります。
同様の計算をしていくと、同条件で3回だと、1回でも表が出るのは87.5%となるわけですねー
ってことで、O-9の確率を計算してみましょうか・・・
1億人を乗せてみましょう。

100% − 0.000000001% = 99.999999999%
99.999999999% ^ 100,000,000 ≒ 99.90005%
100% − 99.90005% = 0.09995%

うん、なんか計算するのもばからしくなるほどの低確率っていうやつです(苦笑
珀の「現実を」の部分は、こういった内容も含まれているわけでした。以上珀夜の統計学でした


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