贖罪の刻印

第六話

presented by ミツ様


  ???

 

其処には濃密な闇が広がっていた……。

モニターの僅かな光だけが其処が部屋の中だということを認識させたが、その光すら闇の壁に溶けるように吸い込まれていく……まるで、異世界の闇のようだった。

『使徒再来か…あまりに唐突だな』

漆黒の空間にしゃがれた老人の声がする。

見ると、一人の男を囲んで六人の老人が一段上の席から見下ろしていた。

中央に座るバイザーを掛けた老人の名はキール・ローレンツ。

SEELEの盟主である。

SEELE……古来より歴史の裏側を操ってきた秘教秘密組織。

中世暗黒期に誕生したこの宗教組織は血で血を争う抗争の末、勢力を着々と伸ばしていき、ついに1900年中頃には最後の抵抗勢力を叩き潰して人類世界を裏から支配する隠然たる勢力へとなった。

国連にも強い影響力を有しており、その内部組織『人類補完委員会』の構成員にもなっている。

他の五人のメンバーもそれぞれ補完委員会の上位議員であり、SEELEのトップだ。

彼等にしてみれば”選ばれし優良種”といったところだろう。

『十五年前と同じだよ。災いは何の前触れも無く突然に訪れる』

『幸いとも言える。我々の先行投資が無駄にならなかったのだから』

『それは分からんよ。役に立たなければ無駄と変わらん』

『碇君…NERVとエヴァ、もう少し上手く扱えんのかね……』

その声には明らかに中傷の色が込められていた。

こんな会話がすでに一時間近く続いている。白人優位主義の干からびた思想が根強く残っているSEELEのメンバーには、目の前に座る男…東洋人のゲンドウが気に入らないのだ。

しかしゲンドウは表面上はまったく臆する事無く、手を顔の前で組んで無表情を装っている。その態度が益々面憎い。

『零号機・初号機の修理費用に兵装ビルの破損…一体幾らかけるつもりかね?』

『そうだよ。玩具に金を注ぎ込むのも良いが、肝心な事を忘れてもらっては困る』

『しかも、その玩具は君の息子に与えたそうだな。まったく、親子揃って…』

『情報操作の方はどうなっているのだ?』

『今や周知の事実となった使徒の存在。情報操作。NERVの運用は適切かつ迅速に処理してもらわなければな……』

「その件に関しては既に対処済みです。ご安心を…』

次々に浴びせられる嫌味にも無表情で答えるゲンドウ。

『…本当に大丈夫なのかね?ユーラシア連合からは使徒に対する情報公開を強く求められているようだが…?』

『今の段階で我々が表に出るワケにはいかん…。君の対応次第ですべてが水泡に帰す恐れもあるのだよ?』

「ご心配には及びません。彼等にはダミーを添えてあしらっておきましょう…」

『フン…情報操作は君の十八番だったな……』

面白くも無いようにメンバーの一人が呟く。

『……だが、問題はそれだけではない』

不毛な会話に陥りかけた時、中央に座るバイザーの男、キール・ローレンツが威厳を込めた口調で口を開いた。

『碇…あのエヴァ初号機の戦闘能力、我々のシナリオとは大きく食い違っているようだが……』

SEELEの長の発言に、場の雰囲気もピンと張り詰めたものになる。

『左様…アレは本当に暴走だったのかね?』

「…はい。何でしたらMAGIのレコーダーをご覧になっても構いませんが……」

『馬鹿も休み休み言いたまえ。先ほども言っただろう…情報の改竄は君の十八番だと?』

嘲るような老人達の声。

『あんな力、エヴァにあるとは聞いておらんよ』

『……君の息子…一体何者だね?』

その言葉にはじめてゲンドウの瞳が僅かに揺れた。

「…何者、と申されましても……アレはサードチルドレン、それ以外には有り得ませんが……」

『異常ではないか…と聞いておるのだよ……』

『一体何を考えている、碇君?』

「…………」

疑惑を込めた視線の数々…。変質的…ともいえるソレは爬虫類の滑上げる不気味な感触を彷彿とさせる。普通の神経の持ち主ならこの場に居る事など出来はしないだろう。しかし、ゲンドウは平然として座っていた。

この男も間違いなく、その種の”怪物”なのだ……。

『ふん…まあ良い。だがな、君の仕事はそれだけでは無いはずだ』

そう言って老人の一人が手許のモニターを見詰める。ディスプレイには《人類補完計画・第十八次中間報告》の詳細が映し出されていた。

『左様。”人類補完計画”…。我々にとって、この計画こそが絶望的状況下における唯一の希望なのだ』

「承知しております…」

ゲンドウが殊勝に答える。

『何にせよ、使徒再来によるスケジュールの遅延は認められん。…予算については一考しよう』

『では、ここからは委員会の仕事だ。…碇君、ご苦労だった』

『碇…もう後戻りは出来んぞ』

キールはそう言い残してゲンドウとの通信を切った。

 

 

 

  NERV本部・最高司令官公務室

 

「…やれやれ、老人達も尻に火が点いたと見える。使徒襲来のその日に招集をかけてくるとはな……」

SEELEとの会見が終ったゲンドウに、副司令の冬月コウゾウが声をかける。

「臆病者はいつでも自己の保身に敏感だ…。”裏死海文書”に欠損がある以上、シナリオと違う事象も起こりうる。彼等には良い薬だよ……」

ゲンドウから辛辣な台詞が出る。流石に老人達の不毛な嫌味を聞き続け気分を害しているのだろう。良くしたもので、嫌いな者同士は互いに嫌い合うものなのだ。

「ふむ……だが、我々にとっても些か強過ぎる薬ではないのか?」

「…初号機は起動した。何の問題もあるまい」

何の表情も見せないゲンドウに溜め息を吐き、冬月は更に言った。

「だが、現段階であの力は拙い……委員会から凍結案でも出されたら厄介だぞ?」

「その時は…」

ゲンドウが口を開きかけた時、

 

【ピピピッ…】

 

デスクに備え付けられたインターフォンが鳴った。

発信元は赤木リツコからだ。無言のまま受話器を取る。

「…私だ。…………………………そうか、分かった」

短く応えてゲンドウは受話器を置いた。

「どうした?」

「…シンジが目覚めた。面会を求めているそうだ……」

「ほう……」

その言葉に冬月が訝しげな表情を浮かべる。

「…一体何を話すつもりだろうな?」

「さあな…どうせ下らん事だ…」

ゲンドウは何の関心も無いように呟いた。

「お前の息子、こちらで調査した情報と随分違っていたが……」

「老人達も警戒していたな…」

「SEELEにはああ言ったが本当のところはどうなのだ?…俺のシナリオにもあんな予定は無かったぞ」

レイが使えなくなった緊急対処とはいえ、冬月の当初の計画では戦場に放り出されたシンジを生命の危機に陥らせ、その結果としてコアに眠っている魂を呼び覚ますという事だった。

何の訓練も受けていない未熟な少年ならば、親鳥に庇護を求める雛鳥の如く用意にこちらの思惑通りに行くと考えていたのだ。

冬月は自分の計画を崩した少年に対し、疑惑の念を感じずにはいられなかった。

「…暴走以外に何が考えられる?」

「もし、サードチルドレンに何らかの組織が関与していたとしたら……」

冬月の憂慮をゲンドウは鼻で笑う。

「下らん…エヴァの何たるかも解らない無知の輩に何が出来る…」

「では、たまたま我々が想定していなかったケースに該当しただけだ…と?」

「そうだ。…どうせすぐに赤木博士がサードチルドレンの調査結果を持ってくる、それを待てばいい……」

「暴走なら良い……だが、そうでなかった時はどうするつもりだ?」

冬月の問いに、ゲンドウは底光りしたように眼を細めた。

「…その時はシンジにもう一度同じ目に合って貰う。どうせ使徒はまだ来るのだ…チャンスは幾らでもある…」

その言葉の裏を理解した冬月は僅かに眉を顰める。

「死んだら死んだで、不可解なイレギュラーが一つ減るだけ…か?」

「何れにせよレイがいれば計画に支障は無い…」

「………そうだな、それが良かろう……」

人倫にも劣る外道の考えだが、この男に後悔は無い。

冬月も「ユイ君は許さないだろうな…」とは思いながらも、ゲンドウの計画に反対はしなかった。

想いの違いはあれ、互いに一人の女性を求めている事に変わりはないからだ。

「しかし、些か厄介だな…お前の息子は……」

「…フン、たかが子供に何を怯える?」

「そうかね?……俺は、怖かったがね…」

「…………」

冬月は発令所で見たシンジの嗤い顔を思い出して軽く身震いする。ゲンドウも何も言えなかった。

それきり二人の会話は無くなった……。

 

 

 

  ???

 

長方形の暗黒を壁に、闇の中に残ったキールを始めとするSEELEのメンバー六人。

その中の一人、東欧系の男がキールに話し掛けた。

「碇のあの増長振り…些か分を弁えておらぬと思えますが?」

男の名をゲーリッヒ・エイクシルという。

先程まで一番熱心にゲンドウを糾弾していた男だ。

ここのメンバーの中でも一番若く、七十に届いていない。それ故にゲンドウに対する嫉妬心は人一倍あった。

半ばまで禿げ上がった頭、ワシ鼻のように大き過ぎる鼻、それに反比例して小さな顔は不恰好に突き出た腹のアンバランスさも相俟って一種異様な雰囲気を受ける。だが、その滑上げるような瞳の奥には権力者特有のドロ臭い野心の炎がチロチロと燃えていた。

左様、優良種たる我等の情けで現在の地位にいるにも関わらずあの態度…飼い主が一体誰なのか、今一度判らせねばなりますまい」

ゲーリッヒに続けと、他のSEELE幹部からも不満の声が上がる。

特権意識に毒された人間とは他人を卑下する事で自己のアイデンティティを保持する。

彼等から見れば、所詮ゲンドウなど成り上がりの黄色人種でしかないのだ。

追加予算の件もそうです。あの男、我々を財布の口紐程度にしか考えておらぬのではないですか?」

「そうだ!あれだけの金、一体どこから捻り出すと思っている!」

感情的になった男が机を叩いて講義する。

「まあ…それは亜細亜方面から搾取すれば良いでしょう」

「だが、セカンドインパクトからの復興にようやく着手した国が殆どだ。ここへ来て更なる重課は本当に国を潰す事になるぞ……」

その言葉にゲーリッヒは薄く笑う。

「良いではないですか。所詮は劣等種…東洋人が何万人死んだところでいかほどの事もありますまい。どうせヤツ等は”約束の刻”には生贄にしかならぬのですから……」

「まあ、それはそうだが……」

闇間の空間に聞くもおぞましい会話が繰り広げられている。

白人優位主義の意識が強い彼等にとって、亜細亜の人種など人とすら認めていないのだろう。老人達の言葉の端々にそれら傲慢な考えが読み取れた。

「それよりも今は碇の処遇です。これ以上ヤツをのさばらせておけば我々の大望が…」

「だが…あの男でなければすべての計画は無かった……」

ゲーリッヒが嵩にかかってゲンドウを非難すると、キール・ローレンツが厳かに口を開く。

脊髄から下がすべて機械化された身体が喋る姿は、B級ホラー映画にでも登場するような滑稽さと醜悪さを備えていた。

もっとも、醜悪と言ったら此処にいる連中すべてがそうだろう。

彼等は勝手に世界に絶望し、独り善がりの救いの道を模索している狂信者達なのだから……。

「そう思って重用してきたのですが、効能より毒素の方が強いとなると、母体の健康にも重大な支障が出るおそれがありますぞ」

「そうです。首を切る時期…ではないでしょうか?」

他のメンバー達から出たゲンドウの解任案に、ゲーリッヒの瞳が光る。

「まだ早い…」

しかし、キールが威厳をもって彼等を黙らせた。

その言質は重く、内心どう思っていようとSEELEの盟主の言葉にさすがに全員がひかえる。

「E計画、そしてA計画…すべての計画がまだ道半ばだ。それにはあの男の手腕がどうしても必要となる……まだ切り捨てるには早い」

「ですが…ッ」

なおも食らいつくゲーリッヒ。

嫉妬の篭った歪んだ表情は、潰れた蟾蜍を連想させる。

いい加減この近視眼の男と話す事に疲労を感じたキールは、早々に会話を切上げる事にした。

「…無論、無条件にヤツを使い続けるつもりは無い…早めに首輪を付ける必要があるだろう。そして、今後失態を重ねればその時に改めて処分すれば良かろう……それは君に一任する」

「はっ!」

嬉しそうに応えるゲーリッヒに対して、やや冷めた表情で見詰めるキール。

この野心の塊のような男に、キールは失望にも似た感情を覚える。

(俗物めが……これではなかなか碇に対抗する駒にはなれんな……)

彼の目からは、とてもこの男がSEELEの悲願”神の座に進める選ばれし者”になれるとは思えなかった。

…まあ良い。互いに噛み合って共倒れになるのならばその程度の男達だったと言う事だ。

惜しむべき何ものもない。

それより、彼が気にかかる事は他にあった。

手許のディスプレイに視線を移す。

そこには第三新東京市直上戦の報告書と共に、咆哮を上げる血塗れのエヴァ初号機の姿が映し出されていた。

 

 

コレは……何だ?

 

 

キールの表情がバイザー越しに険しさを増す。

彼は、他の幹部のようにゲンドウが何か画策したものだとは思っていない。

この猛り狂う鬼神の前に、人の思惑など超越した何かを感じずにはいられないからだ。

そして、そのパイロットにも……。

映像には初号機が駆け抜けた際、一瞬遅れて周囲の建物が爆音を立てて吹き飛んでいる。

風よりも物体の方が速く疾り抜けた……これは物質が音速の壁を突破した証。

おそらく搭乗者に瞬間的にかかった重力は軽く20Gを超えていたであろう…。

訓練を受けた戦闘機のパイロットでも8Gで皆意識を失うという。

通常の人間なら運が良くて失神、ヘタをしたら死亡もあり得た。

そう、普通の人間なら……。

だが、初号機パイロット『碇シンジ』は意識を失うどころか……。

キールは乱れた画像に映し出された戦闘終了時の少年の顔を見詰める。

……まるで、死神が嗤い掛けたような壮絶な微笑。

それは、世界の裏に君臨するSEELEの盟主ですら一瞬怯ませるほどの鬼気を放っていた。

コレは違う…。

コレは異常だ…。

理屈では無い……本能に訴える何から彼に警鐘を鳴らしていた。

(サードチルドレン…碇の息子か……。一度調べてみる必要があるかもしれんな……)

何故かこの少年が将来我々の障害になる…そんな漠然とした不安がキールの胸中に宿る。

しかし、彼はその事は口にせず、全員を見渡してこう言い放った。

「…刻は来た。この種の袋小路に行き詰まり絶望した人類に新たなる扉を開き、永久なる清浄の世界に導くのは我々の崇高なる使命であり義務なのだ。諸君等の一層の尽力を期待する……」

「「「「「はっ…。すべては新しき秩序の為に……」」」」」

老人達が消え静寂に包まれた空間で、キールは静かに呟く。

「…障害は排除せねばならん。…そう、我等には時間が無いのだ……」

昏い決意を秘めたその言葉には、言い知れぬ闇を含んでいた……。




To be continued...


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