不必要なほど広く薄暗い部屋。

天井と床面に10個の球(セフィラー)と22本の径(パス)からなるセフィロトの樹が描かれている。

NERV司令官公務室。その中央に置かれている事務机に総司令の碇ゲンドウが座り、そして傍らには副司令の冬月コウゾウが佇んでいる。

二人の視線は部屋に入ってきた人物…リツコの横に立つ一人の少年に注がれていた。

碇シンジ。

NERV総司令碇ゲンドウの実子であり、マルドゥック機関によって選出されたサードチルドレン。

 

 

そして……。







贖罪の刻印

第七話

presented by ミツ様







  NERV本部・最高司令官公務室

 

シンジは病室で意識を回復した後、リツコに伴われて正式にチルドレンになるべく公務室に招集されていた。

「……ではシンジ君、期待しているよ。頑張ってくれたまえ」

「はい、微力ながらお手伝いさせて頂きます。…人類の未来の為に」

冬月の言葉にシンジは一礼すると、踵を返して扉の方へ向けて歩き出すが、ふと、何かを思い出したかのように立ち止まった。

「そうそう、父さん…?」

少年は父親を振り返る。

「…何だ」

「また逢えて嬉しいよ……”とってもね”…」

「…………」

そう言って、今度こそ本当に公務室を出て行った。

ゲンドウは何も語らない。

…だが、その時少年の唇が僅かに歪んだことに気付いたのは、白衣の女科学者だけだった……。

 

 

 

「…しかし、少し意外だったな。彼がすんなりエヴァのパイロットを引き受けた事は……」

シンジが出て行くと暫くして、冬月が顔の前に手を組んだままのゲンドウに話し掛けた。

冬月はリツコからの電話をゲンドウが受けた時、右も左も分からないまま戦場に送り出された少年が自分達を糾弾するか、または戦いに怯え元の生活に戻る為にやって来るものと考えていたからだ。

勿論、計画の予備とはいえ、重要な”駒”である少年を自分達が手放す事など有り得ない。

その為シンジをこの地に留めるあらゆる対応策が考えられた。

高待遇・高給料による宥めすかしは勿論、逆にNERVの機密を知った危険性を示唆するといった脅し脅迫の類なども考慮に挙げていたが、そのすべてが徒労に終った。

公務室に訪れたシンジは非常に冷静で、しかも大人だった。

無理矢理戦わせた事に対する不満など一言も無く、こちらの事情を良く理解し、エヴァの就任の件もあっけないほど簡単に決まったのだ。

まるで、自分達の都合通りの答えを予測していたかのように……。

「ごねられるよりは余程良い…」

ゲンドウは冷淡に答える。

「楽観的過ぎるぞ、お前は。ここに来て僅かな歪みはシナリオ全体の崩壊に繋がる危険性もあるのだぞ」

「…所詮は子供だ。何も出来はせん」

両手で顔が隠れている為、ゲンドウの表情を読み取る事が出来ない事を冬月は忌々しく思う。

「赤木博士…サードチルドレンについて何か不審な点は無かったかね?」

冬月は今度は目の前のリツコに尋ねた。

使徒殲滅時の戦闘記録をはじめ、明らかにこちらが想定していたシナリオと違うシンジの行動にどうしても疑惑の念が拭えないからだ。

「は、はい。……DNA鑑定の結果、彼は100%碇シンジ本人である事が証明されました。また、保安部にも再度チェックさせましたが、第三新東京市に来るまでに他の組織が彼に接触した形跡も見られません」

話を振られ、リツコは一瞬動揺したが、表面上は冷静を繕って答える。

「しかし、あのシンクロ率とエヴァの戦いぶり……。あれが本当に素人に可能な動きなのかね?」

「その事ですが……」

一旦会話を途切らせ、手許のファイアリングから資料を二人に手渡すと、リツコは再び口を開いた。

「ケイジで初号機がシンジ君を助けた事象と戦闘開始直後の彼のフィジカルコンディションから視察しますと、コアがシンジ君に過剰反応した結果、引き起こされた現象だと考えられます」

「……つまり、アレは”彼女”がサードチルドレンを守る為に反応した事だと?」

「そう考えるのが妥当です」

その時、サングラス越しのゲンドウの満面に朱がのぼったのをリツコは見逃さなかった。

眼球は今にも飛び出さんばかりに膨れ上がり、噴火間近の熔岩のように血走っている。

それは傍らの冬月にとっても同じ事で、思わず身を乗り出していた。

目先の喜びを押し隠すことが出来ないのだろう。

…まるで子供だ。

「ふむ……多少のイレギュラーはあったが、大筋はシナリオ通りと見ていいのか、碇?」

「…問題無い」

エヴァの第一人者であり、自分達の共犯ともいえるリツコの発言をゲンドウ達は簡単に信用した。

頷きあう二人を見て、ほっと息を吐くリツコ。

「それで、委員会の方には何と…?」

「事実をただ報告する」

「しかし…それでは……」

余計な軋轢を生む事になるぞ、と言外に言う冬月に、ゲンドウは嘲笑するように言った。

「現時点で彼等には何も出来んよ。初号機は起動した…すべてシナリオ通りなのだ、冬月」

その口調に明らかな喜びの感情が含まれている事を悟り、傍らで聞いていたリツコは嫌悪感で背を向けたが、同時に昏い悦びも覚えていた。

彼等はシナリオ崩壊の因子を自らの意思で懐に招き入れた事を未だ知らないのだ。

(くだらない……)

二人の会話など、リツコにとっては馬鹿馬鹿しいだけだ。

今のは理路整然とした対処法でも何でも無く、単に事実に対して”こじ付け”を加えただけであり、仮にも人道を外すまでは学者であった者とも思えないお粗末さだ。

 

いや、それ故に…だろうか?

 

所詮は現実を直視出来ない『象牙の塔』の住人達なのだ。

現実感に欠けている処は否めない。

そしてそれ以上に、人とは自分の都合の良いように事実を曲解して解釈するものなのだろう。

そう…かつての自分のように……。

「……だがな、一応サードチルドレンには監視を付けるぞ。背後に何某かの組織が絡んでいる可能性は捨て切れん」

「好きにしろ。所詮ヤツは『予備』だ。計画には初号機とレイがいれば十分だ」

その時、横合いからリツコが口を挟んだ。

「その件ですが……彼の住居は本部施設内にしてはどうでしょうか?」

「ん?…何故かね?」

リツコの突然の発言に、ゲンドウと冬月は怪訝な表情を浮かべた。

二人の視線を受け、女科学者は説明する。

碇シンジを監視するなら手元に置いていた方がやり易い。そしてもし万が一、サードチルドレンが何らかの組織との関係を持っていたとしても、本部内ならば外部との接触を極力避ける事が出来るし、不審な行動を起こしてもMAGIの目からは逃れられないだろう…と。

「…だが、仮に彼がスパイだとしたら内部に敵を引き込む事になるのだぞ?他の組織に我々の情報が筒抜けになる危険性が出るのではないかね?」

冬月が情報漏れの懸念を示唆する。

勿論、その程度の反論は十分に予想出来たので、リツコは慌てもせず対応した。

「仰る事はごもっともですが、例えスパイでも彼のIDではレベルEまでの情報しか閲覧する事は出来ません。その程度の機密はいずれ漏れる事ですし、彼の行動を監視出来るメリットの方が大きいと考えます……」

「ふむ……碇?」

「問題無い。赤木博士の好きにしたまえ…」

目の前に紡がれた希望の糸の前には、捨てた息子の事などブリキに付着する鍍金ほどの価値しかないのかもしれない。

どうする?と問いただした冬月に、ゲンドウは瑣末な事のようにリツコに一任した。

「分かった、そうしよう…。ご苦労だったな赤木君、下がりたまえ」

「はい……では失礼します」

リツコは自分の意見が通った事に満足し、一礼をして公務室を出て行く。

扉をくぐる際にチラリと振り返ると、何やら顔を寄り合わせて密談を始めているNERVのトップ二人の姿を見てとった。

会話までは聞き取れないが、その表情は興奮で上気している。

リツコからもたらされた情報が余程嬉しかったのだろう。

 

まるで聖女のように汚れ無き気高き女性……

 

二人にとっての碇ユイとは、まさにそういう存在なのかも知れない。

何ものにも変えがたいほど愛しい人故に、世界を滅ぼしてまで巡り逢おうとしている。

(馬鹿な人たち……でも、それは私も同じね……)

リツコは、歪んだ欲望を抱き続ける男達を見て侮蔑の笑みを浮かべると共に、それに加担していた自分自身を笑わずにはいられなかった。

 

 

 

  NERV本部・Aー2ブロック通路

 

公務室を出たシンジは、一人黙々と廊下を歩いている。

能面のような…まるで透明な水面を思わせる冷たい表情だった顔には、今、うっすらと笑みが浮んでいた。

先程からずっと我慢していた…公務室の通路には天井に10メートル間隔でカメラが設置されていたからだ…彼は、妖美極まる微笑を口元に刻みつけた。

「………妙に心が踊るものだね、すすんで悪事を行うってことは……でも、悪くないな…うん、悪くない……」

唇を歪めて発した少年の言葉には、痛烈な皮肉が篭められていた。

人類の未来に絶望し、『補完計画』を推案するSEELE…。

すべてを犠牲にしてまでも、愛する者に巡り逢おうと画策するゲンドウ…。

彼等は真剣だ。

自らの行いに微塵の躊躇いもない。

その心にあるのは己の中の正義。そして、その正義を貫く強い信念。

 

素晴らしい事だ!

 

その正義を名乗る者同士が血みどろの醜態劇を繰り広げ、挙句の果てには世界を滅ぼしたのだから。

…狂った妄執が生んだ最悪の結末として。

 

何という喜劇だろう!

 

この第三新東京市全体が大掛かりな一つの劇場で、天光のスポットライトの下、そこに住まう役者達が、欲望、妬み、嫉み、復讐、愛憎、…様々なスパイスを振り混ぜ、互いに円舞曲を踊っているのだ。

いずれ踊り疲れて自らの足が折れるとも知らずに……。

「…さしずめ僕は正義の味方に反する悪魔の役、といったところかな?」

唇の端を吊り上げるように笑いながら、シンジは言った。

「この際だ、全身黒尽くめの格好でもしてみるか……」

妙にのんびりした口調だが、それとは裏腹に闇を支配する空間には人型の血色に染まりそうなほど凄愴無比な鬼気が立ち昇る。

 

少年は嘲笑した。

 

滑稽だ!

 

この上ないほどに!

 

「せいぜい僕を愉しませてくれよ、”自称”正義の味方達……。もっとも、そのまま舞台から転げ落ちたとしても、それはそれで面白いけどね……」

嘲笑が止み、やがて沈黙が埃の如く廊下の上に降り積もっていった。

 

 

 

呪われよ
 

あらゆる罪深い悪行の故に
 

神がすべての報復者によって裁きをお前にもたらし
 

すべての復讐者によってお前は滅びを見舞うだろう
 

お前はお前の所業の暗き相応に
 

憐れみをうけることなく呪われよ
 

そしてお前は永劫の火の地獄で
 

罰せられるがよい




To be continued...


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