贖罪の刻印

第十一話(通常版)

presented by ミツ様


  NERV本部・作戦執務室

 

「これが先日の第一次直上戦に於ける戦闘データの報告です…」

15平方メートル四方の薄暗い部屋でオペレーターの日向の声が響く。

彼は机の上に置かれた携帯端末のキーを押して、先程MAGIから送られて来た第三使徒の能力分析表を三次元ディスプレイに呼び出した。

「…そして、それらのデータをもとに作戦部の立てたシミュレーションの結果がこれです」

カーソルのポイントを移動させると次々とウィンドゥが開き、その上に専門用語やら複雑な多重曲線が表示されていく。

そこには作戦部によって立案・検討されていた13通りの作戦プランが提示されていた。

「…この中でプランAのみが成功率3.4%をキープか……。要は、エヴァ以外の攻撃はまったく役には立たないってワケね……」

モニターに映し出された数値を険しい表情で見詰めていたミサトが重々しく口を開く。

床面の八角形のライトが彼女の顔を冷たく反射していた。

作戦部は今回の使徒迎撃戦において、エヴァが起動しなかった場合を想定しての作戦も立案していたのだ。

使徒を倒せるのはエヴァンゲリオンのみと技術部からは言われていたが、起動確率が0.000000001%という殆ど冗談の様な成功数値では次善の策を講じておくのは至極当然の判断といえるだろう。

しかし、襲来した使徒の能力とNERVの現有戦力をMAGIによって比較検討した結果、エヴァを欠いたどの作戦を用いても、敵のジオフロントへの侵攻を止める確率は小数点五桁以下という結果になっていた。

「はい。重戦闘爆撃機・兵装ミサイル等の通常攻撃はすべて使徒の持つA.T.フィールドを貫通するまでには至りませんでした。唯一、進路上に設置されたN2地雷のみが、敵生体の体組織の9.3%を焼却させる事に成功しています」

「…って事は、逆に言えばN2を時間差つけて大量投下すれば使徒殲滅は可能ってこと?」

「理論上はそうかも知れませんが、現実問題は不可能ですね……」

ミサトの問い掛けに、難しい表情を浮べた日向が別の資料を取り出してモニターに表示する。

「…NERVでもN2兵器は若干数配備されていますが、国連本部の厳重管理の下、使用の際には幕僚長の承認が必要となっていますし……第一、こんなモノを常時使用し続けたらそれこそ日本が無くなっちゃいますよ」

「…確かに、不経済よね……」

「それでなくても日本はN2に関しては拒否反応が高いですから…」

「バレンタイン条約の事?……そうかもね」

日向の言葉にミサトが神妙な面持ちで呟いた。

 

 

  バレンタイン休戦臨時条約

セカンドインパクト後、世界各国は急激な海面上昇によって多大な被害を受けた。

そして2000年9月16日、インド・パキスタン国境での難民同士の武力衝突をきっかけに世界中に紛争が勃発したのである。

その紛争は日本にまで飛び火し、同年9月20日、東京に新型爆弾(N2兵器)が投下され50万人もの命が失われることとなった。

翌2001年2月14日、各国首脳の臨時会議後、バレンタイン臨時休戦条約が結ばれ世界各国の紛争は一段落したたが、その爪痕は今でも人々の心に重く圧し掛かっている。

 

 

「ええ、何と言っても日本は史上初の原爆被爆国に続いて、N2兵器でも史上初の被害国となってしまったワケですからね。…多分、今回の国連への風当たりは相当強いものになる筈ですよ」

「…となると、やっぱ頼みの綱はエヴァだけか……」

ミサトは親指の爪を噛みながらメインモニター脇のサブモニターを睨む。

そこには先程から獣の如き雄叫びを上げながら使徒を殺戮する紫の鬼神の戦闘記録が映し出されていた。

その映像をじっと見詰めているミサト。

羨望の眼差しで…

渇望の眼差しで…

切望の眼差しで…

複雑な思いが渾然一体となって彼女の身体を駆け巡る。

しかし、やがて大きく頷くと、意を決したように席を立った。

「日向君、後お願いッ!!」

そのまま弾かれたように駆け出して行く。

「あッ!?葛城さん!どちらにッ!?」

「ちょっち、リツコんトコ行ってくるわッ!色々聞きたい事もあるし……」

慌てて声をかける日向を振り返りもせず、まるで第四コーナーを回る競走馬の如く、彼女の姿は通路へと消えて行ってしまった。

 

 

 

  NERV本部・技術研究室

 

「………」

リツコは研究室の自分の椅子に座ってパソコンのディスプレイを見詰めている。

だが、その瞳は画面を映してはおらず、スクリーンセイバーには子猫の絵が右に左に流れていた。

「…はぁ……」

ちらりとテーブルに置いてある自分のマグカップを見詰め、今日何度目かの溜め息を吐く。

先程から仕事が手につかない。……その原因も分かっている。

 

碇シンジ…。

 

自分と同じく、この世界に還ってきたもう一人の少年。

彼の、狂気と狡猾の炎を同時に宿したようなあの眸が忘れられない。

そして…こちらの意識を根こそぎ奪い去ってしまう圧倒的な威圧感。

それに魅入られたかの如く、身体の奥底が熱くなっていたのを感じていた。

「……私、何を考えているの……」

もう一度溜め息を吐き、リツコはマグカップを口に近づけると混乱した思考を落ち着けようと黒い液体を嚥下に流し込む。

時間が経ち、冷めてしまったコーヒーの味に僅かに眉をしかめたリツコは、思考を断ち切るように首を振った。

だが、それも上手く行かず、再び熱い吐息が漏れる。

 

その時……、

 

 

ドンドンッ!

 

 

けたたましく研究室のドアを叩く音がした。

「ッ!?」

思考の渦の中にいたリツコは、突然の出来事に慌てて我に返る。

『チョット〜、リツコ!?居るんでしょ?開けてよッ!』

ミサトの声だ。自分を訪ねてきたらしい。

大方病室でのシンジの事を聞こうというのだろう。

 

 

ドンドンドンドンッ!!

 

 

廊下では更に激しく叩くドアが叩かれている。

『リツコぉ〜、リツコったら開けてよッ!親友のアタシが来てんのよぉ〜〜!開けてってばぁ〜〜!!』

「…ったく、アイツったら……」

思考を邪魔されたことに対してか…?それとも他のことにか…?何故か無性に腹が立ち、キッとドアの向うの人物を睨み付けた。

…今度、実験にでも使ってやろうかしら……。

我ながら良い思いつきだと考え、少し溜飲が下がる。

「分かったわ。…今開けるから、叩くの止めなさい!」

漸くいつもの調子を取り戻したリツコは、ドアの方へ向かって歩いて行った。

 

 

 

  NERV本部・技術研究室

 

”モルモット”に勝手に内定された事など露とも知らないミサトは、研究室でリツコの説明を受けていた。

関心事はやはり、戦闘中のシンジの行動…。

それを追及する為、先日彼の病室に向かおうとしたのだが、リツコに止められて以降フラストレーションが溜まっていたのである。

「………つまり、アレはシンジ君の意思じゃないってゆーの?」

”一応”のリツコの説明を受けた後、ミサトは顎に手を当てて押し黙った。

「ええ。第三使徒との戦闘中、殆ど彼の意識は”無かった”みたい。これは先日病室で確認したわ。”発令所の計器類もそう示していた”し、……このことから推測するに、アノ現象はシンジ君の防衛本能に初号機が過剰反応した結果、引き起された現象だと考えられるわね……」

「マジなの?」

「ええ…上にもそう報告済みよ」

「……まあ、いきなりアレじゃあねぇ………」

ミサトが疲れたように呟く。

何の経験も積んでいない素人同然の民間人を戦場に送り出した事の無謀さを、今更ながら痛感したのだろう。

シンジの行動が命令無視ではなく、言わばパニック状態による”不慮の事故”だと知らされた今の彼女は、先程までの切迫感は無くなっている。

パイロットの件をシンジが承諾した事をリツコから聞かされた事で余裕も出てきたのか、逆に少年に対する罪悪感のような表情も顔を覗かせていた。

リツコの方といえば、内心こうもスラスラと嘘を言えてしまう自分自身を皮肉げに自嘲している。

そして、この汚れた心こそが自分の本性なのだと厭が上にも自覚せずにはいられなかった。

「………ええ、脳神経にもかなりの負担がかかったようよ」

「ココロ……の間違いじゃないの?」

非難じみたミサトの視線に、リツコは心の中で呟く。

(…心、か……)

 

 

その手で世界を終焉に導いた少年…。

そして、もはやヒトですら無くなってしまった少年…。

その胸中にはどのような想いが渦巻いているのだろう…?

その眸は何を映しているのだろう…?

そして……どうすればあんなに…

あんなにコワレタココロになるのだろう…?

 

 

「……かもね」

「…へ?」

感慨深く呟くリツコを見て、思わず間抜けな声を上げるミサト。不審に感じたリツコは訝しげに訊きかえした。

「…どうしたの?」

「いや…リツコからそんな台詞が出るとは思わなかったもんで……明日は雪かしら?」

「…貴女、かなり失礼よ」

「あ、あははは……じょ、冗談よ、ジョーダン……」

冷たい視線から目を逸らすようにミサトは誤魔化し笑いを浮かべた。

「コ、コホン…じゃあさ、あのスクリーンで見せたシンジ君の貌は何なの?あれも暴走した結果とか言うんじゃないでしょうね……?」

発令所で見た狂気をも含んだ凄絶な嗤いを思い出し、軽く身震いする。

軍事訓練を受けた彼女でもこうなのだ。発令所内では未だにシンジと初号機に対して怯えに似た感情を抱いている者もいる。

「……極度の緊張や抑圧から解放された時に人間がどのような精神状態になるのか?それも未成熟な少年の思考回路、…私は精神科は専門ではないけれど、十分に予測可能な反応だと見るわ……」

「…アレが、ねぇ……」

歯切れの悪い、微妙な表情を浮かべてみせるミサト。

あの狂気の波動を受けてしまった身としては、そんなありきたりな説明では納得出来ないものがあるのだろう。

実際、ミサトは納得していなかった。

(……アレはそんなモノじゃないわ………)

彼女は心の中でそう呟く。

そう、アレは……。

人間が原始に持つ、本能的な恐怖のような…。

生物が絶対者の前にその身を晒してしまったときに抱く畏れのような…。

そんな理不尽ともいえる暴力的な感情を、あの時のミサトは確かに感じたのだ。

そして、それを何事にも鋭敏な友人が感じなかった筈が無い。

にも関わらず、察する素振りすら見せず韜晦しているという事は……?

(リツコは……アタシに何か隠し事をしている……?)

リツコとの長年の付き合いからそう確信するミサト。

それが一体何なのか……思わず問い詰めたい衝動に駆られるが、彼女がこういう態度を取る以上、絶対に自分からは口を開かないことも長年の付き合いで理解している。

(……自分で調べるしかないってことか……)

ミサトは内心の思考でそう締めくくると、気分を変え別の話題を口にした。

「それにしてもさ…シンジ君がこの本部に一人暮らしって一体どういう事よ」

先程のリツコの説明で、シンジはサードチルドレンを承諾した後でNERV本部の職員宿舎に住居を移転した旨を聞かされたのだ。

折角第三新東京市にやって来ても父親とは一緒になれず、一人この地下施設で暮らすことになる少年を思い不憫に感じる。

「現時点において唯一エヴァを操縦出来るパイロット。緊急時に対処する為にも常駐させる事は間違いではないわ」

「そんなッ!?可哀想じゃない!」

ミサトは憤慨しリツコに詰め寄る。

彼女にしてみれば、中学生の少年を大人達の都合で戦闘漬けにするようで耐えられないのだ。

「…仕方が無いわ。保安面から考えても彼を本部に留めておくのは正解よ」

「ふ〜〜ん……保安面、ねぇ……」

その時、ミサトの瞳がキラリと光ったが、彼女の考えを容易に察知したリツコは軽く溜め息を吐きながら忠告する。

「……止めておきなさい」

「ッ!?………な、何よ…っ?」

焦ったように言葉を詰まらせるミサト。

基本的に正直な性格なのだろう。その表情には明らかに狼狽の色が浮んでいた。

「貴女、シンジ君を自分の家に引き取ろうなんて考えているでしょう?」

「うぐッ!?」

図星をさされたミサトは、何で分かったの!といった表情で固まる。

「残念だけど、彼の本部暮らしは決定事項よ。変える事は出来ないわ」

「で、でもホラ!指揮官とパイロットとのコミュニケーションというか……信頼関係の構築の為にも必要というか何というか……」

しどろもどろに言い訳じみた事を言うミサトを冷めた目で見詰めるリツコ。

(…本当に変わらないわね。貴女は……)

 

ミサトがシンジを心配している気持ちは本当だろう。

子供を戦いという非日常に置きたくないという気持ちも嘘ではない。

だが、それを徹底し得ないところに彼女の精神的な限界があった。

事にその傾向は人間関係において顕著に現れる。

葛城ミサトの生き方…、

それは、他人との接触を可能な限り軽くすること。

表層的な付き合いの中に逃げる事で、自分という存在を守っている。

だから、シンジやアスカに対しても心の奥の深いところまでは踏み込めなかった。

いや、踏み込まなかった……。

都合の良い時には”家族”…悪くなれば”上司”という顔を使い分けて逃げていた。

傷つく自分が怖いから……。

そんな中途半端な優しさが、ゲンドウや自分とは違う面で少年の心を壊し続けていたのだ。

それを今、目の前の彼女に言っても仕方の無い事なのかも知れない。

だが……。

「…第一、中学生に一人暮らしをさせるなんて。14歳といえばまだまだ家族が必要な年代じゃない……」

尚もブツブツと諦め切れないミサトに、何故か心がザラついていく。

ルージュの入った艶やかな唇が冷厳に口を開いた。

 

 

 

 

「………貴女、彼とどう接したいの?……上司?それとも家族?」

 

 

 

「えっ…?」

 

 

 

鉄を含んだ冷たい声が部屋の中に響いた。

突然のリツコの言葉に、戸惑いの表情を浮かべるミサト。

「私達が此処にシンジ君を呼んだのは何の為?彼とお友達になる為なの…?」

「…そ、それは……」

ミサトの顔面が蒼白になる。

「……私達は彼に『殺し合い』をさせるのよ。NERVはそういう組織なの。そして貴女はそこの指揮官。……そんな人間と彼が家族になれると思う?」

何も応えられずに黙り込むミサト。

自分の中で認めようとはしなかった…認めたくはなかった”現実”……。それをリツコに突きつけられてしまったのだ。

「…彼にとって、私達がどういう存在なのか……もう少し自覚して頂戴………」

「…………」

項垂れこむミサトをリツコは冷たく見詰め続けた。

何故こんなに苛つくのか…その心の裡も解らぬままに……。

 

ミサトが肩を落としながら研究室を去るまで二人は一言の会話も交わさなかった。




To be continued...


(あとがき)

こんにちは、ミツです。
今回の第11話にもR指定版があります。

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