贖罪の刻印

第十二話

presented by ミツ様


  第三新東京市・合同記者会見場

 

目の前でフラッシュが雨のようにたかれる。

雛壇の上に座っていた冬月は、その残像の為視界が狭くなり一瞬眉を顰めた。

ここは第三新東京市にある合同記者会見の特別会場……使徒襲来から翌日、第一次直上会戦に関するNERVの作戦経緯が報道機関に報告されていた。

会場は一種異様な雰囲気に包まれている。

…もっとも、それも仕方あるまい。

街中に紅いペンキでもぶち撒けたような毒々しい醜悪な血溜まり…、

粉々にされた瓦礫の山…、

腐敗臭漂う巨大な肉片…、

そして、忘れもしない……魂まで萎縮させる雄雄しき獣の咆哮。

 

”何だ!?”

”一体この街で何が起こっている!?”

”あのバケモノは何だったんだ!?”

”NERVは一体何をやっている!?”

 

得体の知れない恐怖は人々の口にのぼり、まさに伝染病が拡がる様に限りなく誇張されて伝わった。

曰く、『バケモノは天をも貫くほどの巨体で肉食獣のように獰猛であった』とか、『その眼は灼熱の炎のように燃え上がり、吐く息はたちまちにして大地を腐らせていく』といった風に実体を持たない影は、まさに坂を転げ落ちる雪玉のように留まることを知らずに膨れ上がっていくことになる。

そんな風評はたちまち街中を駆け巡り、民衆は恐怖心という名のパニックに陥った。

市議会に押し入り真相を求めようと騒ぎ立てる者、やけになり暴動を起こす者、一足早く疎開を始めようとする者が後を経たなかった。

当初、NERVは十八番の情報操作と隠蔽工作によって事態を乗り切ろうと画策したが、住民の深刻な恐慌状態の前には小手先の誤魔化しなど通じる筈も無く、責任ある立場の者が事態を説明しない限り収拾が付かない状況になってしまった。

冬月としても本来ならこのような雑事、広報部に任せておきたいところだったのだが、事ここに至ってはある程度の情報公開は止むを得ないと判断し、広報部長と共に会見に臨むことになった。

もっとも、真実など一般の民衆に伝えられる筈は無い。

その為、会場には国連推薦の報道機関のみを集め、与える情報は今回の戦闘での戦自の被害状況、第三新東京市施設の損害規模、それに於ける経済的損失など瑣末な出来事に終始し、敵生命体の全容や決戦兵器の性能、パイロットの情報などの重要な部分は巧みに包み隠したり、特務権限をフルに活かした『機密』の一言で片付けようとした。

だが、事態は冬月のシナリオ通りにはいかなかった。

現実はNERVが考えていた以上に深刻で、かつ逼迫していたのである。

それに、いかに国連の嘱託とはいえ、報道の矜持というものは残っている。問題点を都合良くすり替え、お茶を濁すかのようなその場しのぎの対応は当然に彼等の怒りを買った。

結果、会場からは嵐のような不満の声が吹き荒れた。

諌めようとする御用達ジャーナリストも何人かはいたが、圧倒的多数の前にそれらの声は掻き消されてしまうこととなる。

 

”我々は此処に遊びに来ているのではない!”

”そんな事は判り切っている!訊きたいのはもっと別の事だ!”

”あのバケモノは何なのか!?NERVは一体どうやって決戦兵器を造り得たのか!?”

”私達には知る権利と、あなた方にはそれに答える義務がある筈だ!”

 

会場内を揺るがすほどの絶え間ない怒号が続くのを見て、冬月は自分の読みが甘かった事を苦々しくも認めた。

戦時下に於ける報道管制ではないが、NERVの権威を利かせた行う公式会見ともなれば報道機関など唯々諾々と従うだろうと踏んでいたのだ。

それとなく記者達には圧力がかかっていた筈だ。しかし、そんな傲慢な態度が余計彼等の不審と反発を招いた事など知るよしも無かった。

冬月自身、セカンドインパクトの闇に隠された部分を暴く為、自ら粉骨砕身していた時期があったのだが……どうやら歳月と権力の混泥とはこうも人の精神を腐敗させるものらしい。

浴びせられる容赦ない詰問に、マニュアル通りの対応しか用意していなかったNERVはなす術が無かった。

さらに、報道機関のNERVに対する疑惑はそれだけでは収まらなかった。

それは運用資金の問題。

小さな国なら軽く数年分は賄えるほどの膨大な年間予算を持ちながら、それらの使途は一切が不明なのである。

本来健全な機関なら、国連議会に予算確保の為の計画の概要を報告する義務がある筈なのだが、しかし、NERVは特務機関の名のもと、それらの報告を一切行っていないのだ。

情報の開示、財務諸表の提出を求める声が相次いで上がったがそれも素気無く断わられ、彼等の不信感は最早繕いようがない程高まっていった。

「…国連の中では今回の件に関し、NERV解体という意見も出ているようですが?」

記者の一人が憤慨する気持ちを押し隠して質問するが、冬月は軽くいなすように答える。

「いえ、そのような動きはありません。国連は我々NERVに全幅の信頼を寄せております」

「戦闘に関して一切の不手際は無かったとお考えですか?」

別の記者が手を上げて発言した。

「万全を期して挑みましたが、敵は未知の生命体……完璧を求めるのは甚だ酷かと思います…」

「しかしですねぇ…あなた方NERVはその為に設立したワケでしょう?」

「勿論です…」

「ならば真実を伝える責任ってモノがあるのでは?」

「…現在調査段階につき、判明次第お伝えします」

「それは一体何時ですか?具体的な開示期間を示して貰いたいのですが…?」

「今の時点では何とも……」

「先程副司令は仰いましたよね、NERVは前々からバケモノ…いや、『使徒』ですか?ソレの研究を行ってきたと?」

「そのとおりです」

「では、その研究成果を教えて貰えませんか?」

「…守秘義務につきお答え出来ません」

「馬鹿にしてるんですか!?一体国民の税金をなんだと思っているんです!?」

「あのバケモノとNERVの因果関係についてご説明願いたい!」

このように、双方にとって不毛で不愉快な会見は共に噛み合わぬまま一時間ほど続き、次第に険悪な雰囲気へと変わって行った。

そして、もうこれ以上の継続はNERVにとって不利益しか生まぬと判断した冬月は、半ば強引に会見の終了を宣言する。

「……では質問も出尽くしたようですので、これを持ちまして臨時記者会見を終了したいと思います」

冬月がそう言い放った途端、会場にどよめきが走り記者が口々に騒ぎ立てる。

”NERVはこんなものを公式会見にするつもりか!?”

”責任の所在が明らかになっていません!!”

だが、次々と湧き起こる怒号の声を無視し、冬月は事後処理を広報部長に任せ会場を後にしていった。

 

 

 

「お疲れ様です」

未だざわめきが収まらない会場を揉みくちゃにされながら飛び出した冬月は、中央ホールを横切った所で青葉シゲルに出くわした。

青葉は両手に珈琲の入った紙コップを持っていて、その片方をすっと冬月に差し出す。

「ああ、ありがとう…」

冬月はそれに軽く口をつけ、そして深く溜め息を吐いた。

「ふぅ…マスコミというものは本当に扱い辛いな…しかも無知蒙昧で近視眼ときている。我々の苦労も少しは理解して欲しいものだよ…」

浴びせられた罵声混じりの非難にさすがに気分を害したのか、冬月はそう愚痴る。

「そっスね…」

青葉が苦笑いを浮かべてそれに同意した時、別の男の声が話しに割って入ってきた。

「スイマセンね、ちょっと伺いたい事があるんですが……イイですか?」

惚けた様な…それでいて良く通る声だった。

冬月達が慌てて振り返ると、一人の男がこちらに向けてにこやかに片手を上げている。

「…キミは?」

冬月は訝しがりながらも尋ねた。

年の頃は五十代半ば…短く刈り込んだ髪に無精髭を生やし、くたびれたワイシャツを着ている。

一見、しがない風貌のどこにでもいそうな男だった。

雑多の中に紛れればたちまち見失い、数秒後には顔さえ思い出せない…そんなタイプの男だ。

男が人懐っこい笑顔を浮かべながら二人に近づいて来る。

「おっと、これは失礼。ワタシ、国際タイムズの『熊野タツミ』ってモンなんですが…いくつか冬月副司令にお聞きした事がありまして…」

「も、申し訳ありませんが、質問なら広報を通して……」

青葉が慌てて道を遮るが、熊野と名乗った男はまるで世間話でもするように気さくに彼の肩をたたき脇に退ける。

「いやいや、お手間は取らせませんよ」

「い、いえ…そういう問題では……」

「まあまあ、カタイこと言いっこナシ。そんなんじゃモテないぞ、ロンゲの兄チャン!」

そう言って、下手なウインクまでしてみせた。

「…彼の言うとおり、残念ながら会見で話した以上はお応え出来ないのですが……」

冬月は慎重に言葉を選び、この珍客を追い返そうとするが、当の本人はそんなものは何処吹く風で話を続ける。

「先程の説明では、あのロボットのパイロットは特別な資質の持ち主だと言う事でしたが…」

「…ええ、そうですが……」

仕方なく答える冬月。

「一体どのような選考基準があるんですか?また、そのパイロットのプロフィールが一切公開されないってのはどうしてなんです?」

「申し訳ない。保安上の面から教えるわけにはいかないのです…」

冬月の杓子定規の回答に、熊野は面白そうに無精髭を撫でた。

「保安上、ねぇ……たしか敵はバケモノですよね?」

「それが何か…?」

「…それなのに、一体NERVは何から守るつもりなんでしょうね?」

「…………」

さすがに冬月が答えられないでいると、彼はまた探るような視線をぶつけてくる。

「…ウチが仕入れた情報では、パイロットはまだ未成年の子供ってらしいじゃないですか…?妙な話ですよねぇ……何で正規の軍人じゃないんです?」

チルドレンに関する情報は今はまだ最極秘事項の筈だ…その情報を握っているとは、この熊野という男…人畜無害な顔をして一筋縄ではいかないようだ。

冬月は脳内に危険信号を感じ、即座にこの会話を終らせようと踵を返す。

「……最重要機密ゆえにお答えする事は出来ない…ではこれで……」

しかし、その背中にまた惚けた様な声がかかった。

「ああ、そうそう!最後に一つだけ。……あのバケモノ、一体何で”此処”に攻めて来たんでしょうね?」

「…どういう意味かね?」

この風変わりな男の言葉に興味にかられた冬月は、ふと足を止めた。

その様子を見た熊野は満足げに答える。

「イヤね、ワタシャ不思議なんですよ。使徒が真っ先にこの第三新東京市に向かってきたってのが…」

「…それは、我々NERVがいるから……」

「そう!まさにそこなんですよッ!」

我が意を得たり!といった感で熊野が詰め寄った。

その子供のような得意げな表情に、さすがの冬月も面食らう。

「自分を倒す組織だから一番に此処を叩きに来た…?それだったら使徒ってバケモノには相当の知能があるって事になるんじゃないですか?」

「……成る程、面白い見解ですな。バケモノの戦術的知性か…考慮の余地はあるでしょうな」

この男の突拍子もない発想に内心失笑を買いつつも、冬月は律儀に答える。

「科学調査部あたりにでも進言しておきましょう、研究課題としては面白いです……それでは、悪いがこれで失礼させて貰うよ」

もはやこれまで、といった感情をやんわりと諭して再び踵を返す冬月。だが、その背中に再び声がかかった。

「それとも…」

「…まだ何かあるのかね?」

いい加減ウンザリして冬月が振り返ると、熊野の人の良さそうな目が一瞬だけギラリと鋭く光ったのが見てとれた。

その視線を受け、我知らず背中に嫌な汗が噴き出る。

「……”此処”には、あのバケモノが欲しがる”何か”がある……とか?」

惚けた中年男が抑えた口調で静かに語った。

「………ッ!?」

冬月の頬が僅かに引き攣る。

それを目の端でそれを見てとった熊野だったが、何故かそれ以上切り込もうとはせず、代わりにまたあの人懐っこい笑顔を浮かべて見せた。

「…いやいや、お時間を取らせてスイマセンでした。ロンゲの兄ちゃんも悪かったね」

再び下手なウインクを向けると、何事も無かったように片手をヒラヒラ振りながらその場を後にする。

「……いえ、こちらこそお役に立ちませんで……」

冬月はやっとそう応えたが、その口調は硬く…何かを押し殺したように低いものだった……。

 

 

 

「青葉君………」

「はっ」

暫く熊野の背中を追っていた冬月だったが、その姿が見えなくなると傍らに立つ青葉に話し掛けた。

「…あの記者の素性を洗っておいてくれないか?」

「素性…ですか?しかし、この会見に出席出来るのは国連から保証された人物だけですが…?」

「いいからっ!キミは黙って言う通りにすれば良いんだッ」

思わず強い口調で怒鳴りつける。

「は、はい!…申し訳ありません」

恐縮したように青葉が身を縮めると、さすがにバツが悪くなったのか、口調を柔らかく戻した。

「いや…私も言い過ぎた、すまなかったね」

「いえ……副司令は彼に何か裏があるとお考えなのですか?」

「それは分からん。…だが、なかなかの難物である事だけは確かのようだ…」

今後も使徒戦の後には記者会見を行わなければならないだろう。

その場合、熊野の国際タイムズだけプレスから締め出すわけにもいかない。そんな事をすれば他のマスコミが騒ぎ出してしまう。

「…分かりました。諜報部を使って調べさせます」

「ああ、頼むよ…」

冬月はそう言って立ち去った。

その後姿を見送った青葉だったが、やがて一つ大きな溜め息を吐いて天井を振り仰いだ。

そして、やや憮然とした表情で髪を掻き毟りながら小さくぼやく。

「…ったく……あのオッサン。だから目立つなって言ったのに……」

思わず漏れた彼の言葉は、ホールの静寂に埋もれて誰の耳にも入る事はなかった。

 

 

 

  NERV本部附属病院 403号室

 

「………」

少女は目を覚ました。

しかし、深海の闇の底から一気に現実世界に引き戻された様に意識は未だ不鮮明だ。

ぼやけていた目の焦点が徐々に回復してくる。

微かに耳の奥に鳴り響く電子音…。

少女は周りを見渡した。

寝ていたベッドの脇には、脳波や脈拍、心電図、体温感知のアナライザー等の機器があり、聞こえていた音はそこのビープ音だったらしい。

壁には明るい色彩で描かれた山や花の絵。この一枚の絵が殺風景なだけの空間に僅かな潤いを感じさせる。

この部屋には見覚えがあった。

NERV職員専用病院の病室だ。以前にも入院していたことがある。

最新鋭の医療機器、冷暖房完備、壁一杯の大きさのHDTV等、高級クリニック並の豪華な設備が整っているが、彼女がそれをどう受け取っているのかは窺い知る事は出来ない。

それほどまでに少女の表情には何の感情の色も浮んではいなかった。

少女の名は綾波レイ。

右目に眼帯、そしてギブスで吊っている右腕などは見るからに痛々しい姿だが、包帯の下から覗く紅い瞳は神秘的な光を放ち、少女の無機質な相貌と相俟って不可思議な印象を与えていた。

レイは、窓の外を眺めようと上半身を起こす。

窓は自動偏光ガラスなので部屋にはカーテンは無い。外から室内への光量の調整はコンピュータが時間帯に応じて適切な行っていた。

もっとも、そこから見える景色は真の意味の自然ではない。

ヒトの創り出したマガイモノの世界…。

地下空洞に広がる小さな箱庭だった…。

しかし、人工物といっても緑がある。

そこには様々な生命の恵みもある。

少女は、そんな景色を眺めるのが嫌いではなかった。

木々の囁き、

小川の細流、

水面に浮ぶ白鳥の群れ、

それらに触れると、自然と心が安らいでくる。

だが外の景色を見ようにも、支えとなるべき腕のギブスが邪魔でなかなか起き上がる事が出来ないでいた。

「…ッ!!」

突然、電気的な痛みが全身を襲う。

麻酔が切れたのだろう。レイは小さく呻き声を上げてベッドに身を深く沈めた。

荒い息を漏らしながら天井を見上げていると、意識の深みから泡が溢れ出すように先日の記憶が泡のように湧き上がってきた。

少女の無機質な表情が僅かに曇る。

 

…結局、あの人の役には立てなかった。

…あの人は自分を不要と見るかもしれない。

…あの人にとって自分はもう要らないのかもしれない。

 

得も言えぬ不安が彼女を包み込んだ。

気付くと、吊られていない方の腕で空中に向けて手を伸ばしている。

何かを掴もうとしているらしい……でも、そこには何も無く、ただ虚を掴むのみ。

紅い瞳が揺れる。

混濁した意識の奥底から得体の知れない何かが噴き出ようとしている。

しかし、それが少女の中で形を成して具現化する前に、ノックの音が部屋に響いた。

レイが何も応えないでいると、プシュッ…と圧縮空気が抜ける音がしてドアが左右に開かれる。

続いて聞こえてくる足音。

誰かが部屋に入ってきたらしい。

白蝋のような顔を来訪者に向ける。

そこに居たのは一人の少年だった。

年端は自分と同じくらいだろう。黒曜石の様な黒い瞳がじっとこちらを見詰めている。

「…だれ?」

レイが静かに訊ねた。

少年が微笑む。

それは…天使の様な、美しくも残酷な微笑みだった。

 

 

 

 

 

「…僕は碇シンジ。…………………………はじめまして、”リリス”」

 

 

 

 

 

少女の紅い瞳が驚愕で大きく見開かれた。




To be continued...


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